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??????????? - Media and Information Literacy

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それら社会学的研究が主流であった。両者とも実<br />

際の社会モデルに依存して、現代の個性的な価値<br />

を主張し、効率よく役立つよう進められた。<br />

1980、90 年代に、コミュニケーションと文化を<br />

普及させるために、国による独占を弱めマーケッ<br />

トの力を強くする方向に計画は変更された。文化<br />

的提案としてのコミュニケーションはだんだん弱<br />

まり、今では世界的な市場で売買される日常品に<br />

なった。その結果インド社会で起きたことは、通<br />

信テクノクラートによる支配の強化であった。イ<br />

ンドの通信団体は、国家通信システムのあり方に<br />

ついて徹底的に異議を唱えた。同時に、公益事業<br />

についても公的独占と密接に関係があると異議を<br />

唱えた。さらにまた、新技術の出現によって、通<br />

信システムはかなり複雑なコミュニケーション・<br />

ネットワーク・システムになるよう計画された。<br />

そのようなネットワーク・システムは、一方で、<br />

国際為替の構造変化によって、そして他方で、通<br />

信技術の絶え間ない変化と更新によって、直接影<br />

響を受けた。 その結果、コミュニケーションは技<br />

術革新、専門的トレーニングそしてイデオロギー<br />

による支配にますます依存していくようになった。<br />

にもかかわらず、近年、ますます多くのメディア<br />

企業家とステークホルダーは、この分野で彼らの<br />

主張を戦わせるためにやって来る。このことは、<br />

詳細に調査すべき問題である。たとえば、インド<br />

の南部地域では、メディア教育を学校カリキュラ<br />

ムの一部として紹介することによって、この運動<br />

の先頭に立っている。また、デリーのジャミア・<br />

ミラ・イスラミア大学のような 2、3 の高等機関は、<br />

メディア教育を学部のカリキュラムの一部として<br />

導入した。しかし、インドの他の州では、まだ学<br />

校カリキュラムの一部に取り入れられていない。<br />

学校の授業時間外の、課外カリキュラムの一部と<br />

して行われているだけである。 しかし、このフィ<br />

ールドで、ガンジー組織、女性のグループ、SIGNIS<br />

など市民グループの間では、重要であると理解さ<br />

れた(Gonçalves, 1996; Scrampical & Joseph,<br />

2000; Joshva & Kurian, 2005)。これらの組織の<br />

57<br />

多くは、配布するためのメディア教育教材を開発<br />

した。同様に、2 つの主要な都市に拠点を置くイ<br />

ギリスの新聞社である『タイムズ・オブ・インデ<br />

ィア』と『ヒンドスタン・タイムズ』も遅れるこ<br />

とはなかった。これらの組織は、インドの選ばれ<br />

た地域の学校に届けるために「教育に新聞を<br />

(NIE)」を設立した。これらのステークホルダー<br />

は、異なった関心と展望を持っている。これらの<br />

成果についての分析は、まだ十分に行われていな<br />

い。<br />

クマール(1999)はこの分野の傾向をとらえて、<br />

ラテンアメリカの経験から次の 4 つの類型に分類<br />

した:a) 保護主義の理論、b) 批判的主体論、c) 認<br />

知発達論、d) 解放/開発論。クマールは発展の問<br />

題に対処するために、別の視点の必要性を正当化<br />

する最前線にいた。しかし、彼の立ち位置は、メ<br />

ディア教育をメディア・アクティビズムと同一視<br />

する政治的方向へ向かっていった。しかしながら、<br />

開発に対するその視点では、現在のインドの状況<br />

を理解するには不十分だ。これに対して、セン<br />

(1995)は発展途上国の視点から「開発」について<br />

の斬新な考えを提示し再定義した。センは様々な<br />

社会問題、例えば幸福と貧困、解放と自由、ジェ<br />

ンダー・バイアスと不平等、正義と社会倫理を分<br />

析する枠組みを提案した(Sen, 1993: 30)。それは<br />

判断をするための情報が必要なことを示していて、<br />

その結果、枠組みに合わない別の方法を拒絶する<br />

のだ。このように、潜在能力アプローチ(ケイパ<br />

ビリティ・アプローチ)は、「特に、一般に目的を<br />

達成するための自由と、働くための能力を集中さ<br />

せること」を含むのである(Sen, 1995: 266)。潜在<br />

能力アプローチの主要な構成要素は、機能と潜在<br />

能力である。機能とは人の存在と行為である。と<br />

ころが、人の潜在能力は「人が達成することがで<br />

きる「機能」の様々な組合せである。 潜在能力は<br />

一組の機能のベクトルであり、このように機能と<br />

一組のベクトルをなす。そして、ある人生または<br />

別の人生へと導く、人間の自由を映し出すのであ<br />

る」(Sen, 1992: 40)。人間の機能と彼(女)の潜

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