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カピトゥラリアに関する近年の研究動向

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110カピトゥラリアに 関 する 近 年 の 研 究 動 向津 田 拓 郎1 導 入カピトゥラリアはフランク 王 国 史 の 研 究 において 最 も 頻 繁 に 用 いられてきた 史 料 の 一 つである。しかし、「カピトゥラリア 研 究 の 領 域 において、 研 究 者 間 で 異 論 が 存 在 しないのは、 見 解 が 相 違 しているという 事 実 についてのみである」というモルデクの 言 葉 が 示 すように、カピトゥラリアについては多 くの 問 題 点 が 未 解 決 のままの 状 況 が 続 いている(Mordek 1986a, p. 25)。 本 稿 では、 近 年 になってあらわれてきた、カピトゥラリアをより 柔 軟 に 捉 える 傾 向 を 紹 介 し、 従 来 議 論 されてきた 諸 論 点 について、新 しい 方 向 性 を 提 示 することを 試 みたい。 本 稿 末 の 文 献 目 録 には、 本 稿 において 言 及 される 文 献 に 加えて、1990 年 以 降 に 出 されたカピトゥラリアに 関 する 史 料 論 的 研 究 ( 英 語 、 仏 語 、 独 語 、 日 本 語 )をできる 限 り 網 羅 して 掲 載 することを 試 みた。ただし、カピトゥラリアという 史 料 類 型 それ 自 体 の 性 質を 論 じるのではなく、 単 に「カピトゥラリアを 用 いた」 研 究 は 掲 載 の 対 象 とはしていない。また、 個別 のカピトゥラリアを 対 象 にした 研 究 も 基 本 的 に 対 象 外 とした。ただし、モルデク H. Mordek とポコルニーR. Pokorny の 研 究 は、 個 別 のカピトゥラリアを 対 象 にした 研 究 であっても、カピトゥラリア 研究 全 体 にとって 重 要 な 指 摘 を 多 く 含 んでいるため、 目 録 に 収 録 した。なお、1990 年 以 前 に 出 された 研究 に 関 しては、 以 下 の 1-(2)で 挙 げる 基 本 文 献 に 加 え、 膨 大 な 脚 注 とともに 17 世 紀 以 降 の 研 究 史 を 概観 している(Buck 1997, pp. 1-44)を 参 照 いただきたい 1 。本 稿 では「カピトゥラリア」の 語 を、「 研 究 者 たちによって『カピトゥラリア』として 扱 われてきたテクスト 群 」 一 般 を 指 して 用 いる。「 研 究 者 たちによって『カピトゥラリア』とした 扱 われてきたテクスト」とは、 基 本 的 に「カピトゥラリアの MGH 版 」に 含 まれるテクストとほぼ 一 致 するのではあるが、 論 者 によってどの 範 囲 のテクストを「カピトゥラリア」とみなすべきかの 理 解 が 多 様 であるため、明 確 な 定 義 を 行 ったうえで 研 究 動 向 を 紹 介 することは 困 難 なためである。なお、 本 稿 では 便 宜 上 「カピトゥラリア」という 史 料 類 型 の 存 在 を 大 前 提 としているかのごとく 叙 述 が 行 われるが、このような前 提 は 筆 者 自 身 の 理 解 とは 合 致 していないこともここでことわっておきたい。 筆 者 の 理 解 は、3-(5)で 紹 介 するパッツォルドのものに 近 く、 少 なくともシャルルマーニュ 期 に 関 してはカピトゥラリアという 史 料 類 型 を 想 定 すべきでないというものである( 津 田 2012)。1-(1) 版 についてカピトゥラリアの 最 新 の 刊 本 は、ボレティウス―クラウゼによって 19 世 紀 末 に 刊 行 された MGH版 である(Boretius 1883; Boretius-Krause 1897)。しかしこの 版 は 慣 行 直 後 から 多 くの 点 で 批 判 にさらされており、 多 くの 不 備 が 指 摘 されているため、その 利 用 には 注 意 が 必 要 である。ボレティウス―クラウゼ 版 刊 行 に 至 るまでの 経 緯 は 大 久 保 が 詳 細 にまとめており、 日 本 語 で 読 むことができる( 大 久 保1965, pp. 320-326)。なお、ボレティウス―クラウゼ 版 に 収 録 されているテクストの 一 部 は、MGH の 教会 会 議 決 議 のシリーズにも 重 複 して 収 録 されている(Maassen 1893; Werminghoff 1906-1908; Hartmann1984; Hartmann 1998)。MGH は 以 前 からカピトゥラリアの 新 版 刊 行 の 準 備 を 進 めているが、 担 当 者 のモルデク H. Mordekとゼヒール・エッケス K. Zechies-Eckes の 相 次 ぐ 死 去 もあり 計 画 は 大 幅 に 遅 れている。このような 状況 を 受 け、 新 版 刊 行 計 画 は 大 幅 な 変 更 を 迫 られた 結 果 、814 年 までのカピトゥラリアをモルデクの 弟1 なお、 文 献 目 録 作 成 に 当 たっては、 菊 地 重 仁 氏 (ミュンヘン 大 学 ・ 東 京 大 学 )より 多 くの 重 要 な 助言 をいただいた。 記 して 感 謝 申 し 上 げたい。 当 然 、 本 稿 に 見 られる 誤 りや 重 要 文 献 の 欠 落 は 筆 者 の 責任 に 属 する。お 気 づきの 点 や 新 たな 文 献 情 報 があれば、ぜひともご 指 摘 いただきたく 思 う。


112ピトゥラリアに 関 する 研 究 文 献 や 個 別 のカピトゥラリアの 新 版 情 報 は、Geschichtsquellen des deutschenMittelalters プロジェクトの Capitularia regum Francorum の 項 目 にまとめられている(http://www.repfont.badw.de/C.pdf)。カピトゥラリアの 史 料 論 に 関 する 邦 語 の 文 献 は 限 られているため、ここでまとめて 言 及 しておくこととする。ボレティウス 版 への 批 判 からガンスホーフに 至 るまでの 研 究 史 は 大 久 保 泰 甫 が 丹 念 にまとめている( 大 久 保 1965 ; 大 久 保 1968a ; 大 久 保 1968b ; 大 久 保 1968c)。 初 期 中 世 に お け る 法 の 構 造 の解 明 を 目 的 とした 西 川 洋 一 の 研 究 ( 西 川 1991)は、1990 年 ごろまでの 膨 大 な 研 究 文 献 を 踏 まえたもので、カピトゥラリアをめぐる 諸 問 題 を 考 える 際 にも 重 要 な 考 察 を 多 く 含 んでいる。 加 納 修 ( 加 納 2004)は、 先 行 研 究 が 見 落 としがちであった 文 書 形 式 の 観 点 からカピトゥラリアを 考 察 し、メロヴィング 期のものとカロリング 期 のものを 明 確 に 異 なる 史 料 類 型 として 理 解 すべきことを 提 唱 している。 民 衆 教化 をテーマとした 研 究 ではあるが、 多 田 哲 による 一 連 の 研 究 ( 多 田 1995 ; 多 田 1996 ; 多 田 1997)からは、カピトゥラリアの 成 立 やカピトゥラリアの 規 定 の 在 地 への 伝 達 、 司 教 によるその 実 践 の 試 みなどについてを 知 ることができる。ザルツブルク 大 司 教 区 における 同 様 の 事 例 については 拙 論 でも 扱 った( 津 田 2005)。 本 稿 と 同 時 期 に 刊 行 予 定 の 拙 論 ( 津 田 2012)は、「カピトゥラリア」という 文 書 類 型 の 存在 そのものを 疑 って 関 係 史 料 を 再 検 討 し、 今 後 のカピトゥラリア 研 究 の 進 むべき 道 を 示 すことを 試 みたものである。また、 最 新 の 研 究 動 向 を 踏 まえたうえで 809 年 のカピトゥラリア 群 の 分 析 を 手 掛 かりに、カピトゥラリアの 成 立 、 伝 達 、その 既 定 の 実 践 に 関 する 考 察 を 行 った 菊 地 重 仁 の 研 究 も 重 要 文 献に 加 えられることとなろう( 菊 地 2012) 4 。筆 者 が 確 認 できた 限 りにおいて、カピトゥラリアの 現 代 語 訳 はそれほど 多 くなく、ほとんどがシャルルマーニュ 期 のもののみを 対 象 としている( 文 献 目 録 を 参 照 )。それらは 部 分 訳 のみを 提 示 している場 合 も 多 く、 写 本 情 報 や 解 題 が 不 十 分 であるものも 少 なからず 見 受 けられるため、 現 代 語 訳 の 利 用 には 注 意 が 必 要 である。また、 最 も 多 くのカピトゥラリアを 対 象 としているキングの 翻 訳 集 (King 1987)においても、シャルルマーニュの 30 のカピトゥラリアが 英 訳 されているにすぎず、この 数 字 はボレティウス―クラウゼ 版 が 収 録 する 307 の 十 分 の 一 にも 満 たない。 現 代 語 訳 されているもののみを 見 ていたのでは、フランク 王 国 におけるカピトゥラリアの 全 体 像 を 得 ることはできないと 言 わざるをえないのである。なお、シャルルマーニュのもっとも 重 要 なカピトゥラリアの 一 つ Admonitio generalis の全 文 が 邦 訳 されたことは、 我 が 国 におけるカピトゥラリア 研 究 のみならず、カロリング 期 の 研 究 全 体にとって 重 要 な 貢 献 である( 河 井 田 2005a)。 未 完 のままとなっている 註 解 作 業 のさらなる 進 展 に 期 待したい( 河 井 田 2005b)。2 カピトゥラリアとは 何 か?2-(1) 各 論 者 の 定 義ガンスホーフの 研 究 書 のタイトルでもある「カピトゥラリアとは 何 か」という 問 いに 対 する 答 えは、研 究 者 ごとに 多 様 であった。ここでは 代 表 的 なカピトゥラリア 研 究 者 の 理 解 を 時 代 順 にたどることとする。 過 去 の 研 究 者 たちはしばしば 独 自 にカピトゥラリアの 定 義 を 試 みており、そこから 研 究 史 の 大まかな 変 遷 を 読 み 取 る 事 が 可 能 となるのである。伝 統 的 に、カピトゥラリアは 勅 令 であると 理 解 されてきた。ここでは 大 久 保 泰 甫 の 定 義 を 引 用 しよう。「カピトゥラリア(Capitularia; Kapitularien; Capitularies)とは、 右 に 示 したようにカロリング 朝 の諸 国 王 が 発 した 勅 令 の 謂 であり、 名 称 の 由 来 は、その 本 文 が 通 例 いくつかの 章 (capitulum>capitula)に 岐 れていることにあると 言 われている。 以 上 の 点 はこれ 迄 何 人 も 争 った 事 がない。 従 って 立 ち 入 った 考 察 を 行 うに 先 き 立 ち、 我 々は 一 応 の 定 義 を 与 えて 置 くことにしよう。 曰 く、カピトゥラリアとは、4本 稿 脱 稿 時 点 では 当 該 菊 地 論 文 の 最 終 稿 は 未 刊 行 であるため、 本 稿 の 記 述 は 2011 年 9 月 1 日 ~2 日に 名 古 屋 大 学 にて 行 われたグローバル COE プログラム 第 12 回 国 際 研 究 集 会 『 歴 史 におけるテクスト布 置 』 報 告 草 稿 集 の 内 容 に 基 づいている。


113カロリンガー 時 代 、フランク 国 王 乃 至 皇 帝 が 発 した 勅 令 であり、 数 条 ( 章 )( 多 い 場 合 は 数 十 条 )の規 定 に 分 かれているものである、と」( 大 久 保 1965, p. 311)。また、 我 が 国 において 大 きな 影 響 力 を 持っている 法 制 史 の 概 説 においても、「フランク 帝 国 の 王 法 は 多 数 の 単 行 法 令 の 形 をとって 存 在 しているが、これらの 単 行 法 令 は、メーロヴィンガ 朝 時 代 には Dekrete または Edicte と 呼 ばれ、カーロリンガ 朝 時 代 には Kapitularien と 呼 ばれた」(ミッタイス=リーベッヒ 1971, p. 149)と 述 べられている。このような 理 解 の 起 源 がどこにあるのかを 確 定 することは 現 段 階 では 困 難 であるが、 大 久 保 が 述 べるように 19 世 紀 以 来 の 研 究 史 において、「カピトゥラリアは 勅 令 である」という 点 は 一 致 して 認 められていたといってよい。 現 在 でも 一 部 のカピトゥラリア 研 究 者 を 除 いて、 初 期 中 世 史 家 の 多 くは、カピトゥラリアを 勅 令 として 自 身 の 研 究 に 用 い 続 けている。ガンスホーフによる 定 義 、「そのテクストが 章 に 区 分 され、カロリング 朝 の 君 主 達 が 立 法 や 行 政 上の 措 置 を 公 知 するためにもちいた 勅 令 Erlasse」(Ganshof 1961, p. 13)( 下 線 は 引 用 者 、 以 下 も 同 様 )は、カピトゥラリアを「 勅 令 」と 捉 える 点 では 伝 統 的 理 解 と 大 きく 変 わっていない。しかしガンスホーフの定 義 において 重 要 な 点 は、 下 線 を 付 した「 公 知 するためにもちいた」という 文 言 である。 彼 にとって、カピトゥラリアのテクストは「 公 知 」のための 補 助 的 手 段 にすぎず、 規 定 に 法 的 効 力 を 与 えるのは 王 による「 口 頭 での 公 知 行 為 」であった。しかし、 以 下 の 4 の 部 分 で 指 摘 するように、「 法 的 効 力 」の 源 泉を 考 えるという 問 題 設 定 自 体 の 妥 当 性 が 現 在 疑 われており、 彼 の 理 解 をそのまま 受 け 入 れることはもはや 不 可 能 となっている。続 いて 引 用 するのはビューラーによる 定 義 である。「( 文 字 化 された 限 りにおいて) 規 則 的 に 章 に 区 分されたフランク 王 国 の 法 的 な 命 令 。 有 力 者 、とりわけ 司 教 の 関 与 のもとに 君 主 の 発 したもの( 国 王 カピトゥラリア capitula regum)、もしくは 一 人 の 司 教 がその 司 教 管 区 のために 発 したもの( 司 教 カピトゥラリア capitula episcoporum)があり、その 目 的 は 立 法 や 行 政 上 の 措 置 を 公 知 することであった」(Bühler1986, p. 441)。ここでは 発 布 における 司 教 層 の 関 与 が 強 調 されることで、「 君 主 の 勅 令 」という 伝 統 的 イメージがやや 変 化 してきているといってよい。また、 司 教 が 単 独 で 発 布 する 司 教 カピトゥラリアも 同一 の 範 疇 の 中 で 理 解 しようとしている 点 もこれまでの 論 者 に 見 られなかったものである。MGH のカピトゥラリア 新 版 の 担 当 者 として 研 究 を 進 めていたモルデクによる 定 義 は、「 国 王 の、すなわちフランクの 支 配 者 に 由 来 する、ほとんどが 条 項 に 分 けられた 諸 々の 規 定 や 意 見 表 明 で、 立 法 的 、行 政 的 、そして 少 なからず 宗 教 ・ 教 育 的 な 特 質 を 持 ったものであり、 聖 俗 の 貴 顕 の 協 力 の 下 で 公 布 されえたが、 決 していつでも 彼 らの 協 力 の 下 で 出 されたわけではない」(Mordek 1996a, p. 34)、というものである。「 宗 教 ・ 教 育 的 特 質 」の 存 在 が 強 調 されていることからは、「 法 文 書 」としてのみカピトゥラリアを 理 解 する 伝 統 的 態 度 が 放 棄 されていることが 読 み 取 れる。また、 定 義 全 体 がカピトゥラリアという 史 料 類 型 の 多 様 性 を 含 意 した 慎 重 な 言 い 回 しとなっていることも 目 立 っている。モルデクがすでに 示 唆 していたカピトゥラリアという 類 型 内 部 の 多 様 性 は、2000 年 代 後 半 に 入 るとさらに 先 鋭 化 した 形 で 前 面 にあらわれてくる。 数 少 ない 英 語 圏 のカピトゥラリア 研 究 者 の 一 人 ペッセルは、「カピトゥラリアとは the ‘capitulary treatment‘を 受 けたテクストで、 王 宮 から 各 地 域 へ 送 り 出 される、 何 らかの 形 で 王 の 権 威 が 付 与 されたものである」(Pössel 2006, p. 267) 5 との 理 解 を 提 示 している。ペッセルが the ‘capitulary treatment‘という 言 い 回 しで 具 体 的 に 何 を 意 味 しているのかは 判 然 としないものの、 行 政 、 立 法 といった 文 書 の 内 容 に 即 した 定 義 が 完 全 に 放 棄 されており、 王 の 権 威 の 有 無 のみを 重 要 な 指 標 として 強 調 する、きわめて 柔 軟 なカピトゥラリア 理 解 であることが 読 み 取 れる。パッツォルドの 理 解 はさらに 進 んだものである。「 確 かにこれほど 多 様 な 性 質 を 持 つテクストを 一つの 広 いカテゴリー、『カピトゥラリア』のもとで 理 解 する 事 は 可 能 である。しかしその 際 には、このカテゴリーが 一 つの 大 まかな 形 態 的 指 標 のみによって 定 義 されていることを 自 覚 しなくてはならない。これらのテクストに 共 通 していることは、 個 々の 問 題 をリスト 形 式 でまとめているという 点 の5 “a capitulary was a text which received the ‘capitulary treatment‘, had been sent out into the regions from theroyal court, and with royal authority attached to it in some way”.


114みなのである」(Patzold 2007b, p. 349)。ここでは 事 実 上 カピトゥラリアを 定 義 する 作 業 が 放 棄 されており、 条 項 形 式 にされているという 点 以 外 に 一 切 の 共 通 点 を 見 いださない 立 場 がとられている。 彼 は 同じ 論 文 において、「カール、ルイ、そしてフランクの 貴 顕 達 は、 中 世 学 者 の 専 門 概 念 の 意 味 におけるカピトゥラリアを 自 分 たちが 作 っていたということを 知 らなかった」(Patzold 2007, S. 349)とまで 述 べており、 従 来 の 研 究 で「カピトゥラリア」と 呼 ばれてきたテクストに 言 及 する 際 にも、カピトゥラリアKapitularien ではなく 条 項 リスト Kapitellisten と 呼 ぶなど、 徹 底 して「カピトゥラリア」という 類 型 の 想定 から 距 離 をとっているのである。以 上 の 記 述 から、カピトゥラリアに 対 する 理 解 は 近 年 大 きな 変 化 を 見 せていることが 明 らかになったものと 思 われる。 以 下 では、まず 近 年 あらわれてきた 新 しい 研 究 動 向 傾 向 を 紹 介 し、それを 踏 まえたうえで 伝 統 的 に 議 論 されてきた 様 々な 論 点 を 再 検 証 することとする。しかしそのまえに、カピトゥラリアを 議 論 する 際 の 前 提 になる、 用 語 法 の 問 題 を 概 観 しておこう。2-(2) 同 時 代 史 料 における「カピトゥラリア」を 指 す 用 語 についてカピトゥラリアを 指 す 用 語 法 は、すでに 多 くの 研 究 者 によって 分 析 の 対 象 とされている(Ganshof1961, pp. 13-18; Bühler 1986, pp. 321-339; Buck 1997, pp. 28f; Mordek 2000, pp. 2f; Pokorny 2005, pp. 16f)。彼 らが 一 致 して 指 摘 するのは、カピトゥラリアを 指 して 用 いられる 同 時 代 の 単 語 の 多 様 性 である。 現在 のフランク 王 国 研 究 において 用 いられている 語 「カピトゥラリア」( 英 capitulary, 仏 capitulaire, 独Kapitularien[ 単 数 形 Kapitular])に 対 応 するラテン 語 は capitulare( 複 数 形 capitularia)であるが、ボレティウス―クラウゼ 版 に 含 まれるテクストすべてが、 同 時 代 において capitulare と 呼 ばれていたわけではない。これらのテクストは 同 時 代 史 料 においては、capitula, capitulare, constitutio, decretum, praeceptum,edictum 等 のきわめて 多 様 な 語 で 呼 ばれている。また、capitulare という 語 がフランク 王 国 で 国 王 による 立 法 を 意 味 して 用 いられた 初 めての 例 は 779 年 のヘリスタルカピトゥラリアであるというのが 通 説であるが、この 語 がカピトゥラリア 以 外 をも 意 味 することがありえた 点 も 指 摘 されている。また、カピトゥラリアを 指 して 非 常 に 多 く 用 いられる capitula という 語 が、「 条 項 別 に 書 かれたテクスト」 一 般を 意 味 していたという 点 も 繰 り 返 し 指 摘 されている。ここからは、あるテクストが capitulare や capitulaといった 語 で 呼 ばれているからといって、そのテクストが「カピトゥラリア」という 一 つの 類 型 に 属 していると 考 えてはならないことがわかる。しかし、 史 料 中 にあらわれる capitula や capitulare といった 語 は、しばしば 無 批 判 に「カピトゥラリア」を 意 味 すると 解 釈 されてきた。カピトゥラリアを 指 す 用 語 法 の 多 様 性 を 指 摘 した 研 究 者 自 身 においてすらもしばしばそのような 態 度 がみられるのである。 例 えば、モルデクは、いわゆる 司 教 カピトゥラリアが 国 王 のカピトゥラリアと 明 確 に 区 別 される 理 由 の 一 つとして、それらが 一 つの 例 外 (オルレアン 司 教 テオドゥルフの 第 一 カピトゥラリア)を 除 いて capitulare と 呼 ばれていないという 点 を 強 調している (Mordek 1986a, p. 26f)。しかし、モルデクの 論 法 は 妥 当 なものとは 考 えられない。「 国 王 カピトゥラリア」とみなされてきたテクストの 多 くも capitulare とは 呼 ばれていないのだから、 彼 の 理 解 に従 うのであれば、それらも「カピトゥラリア」の 範 疇 から 除 外 せざるを 得 ないことになるのである。さらに、そもそも capitulare という 語 で 呼 ばれているテクストがすべて「 国 王 カピトゥラリア」に 属するとは 限 らないという 点 を 踏 まえるならば、capitulare と 呼 ばれているか 否 かが 類 型 理 解 のメルクマールとはなりえないことは 明 らかであろう。モルデクの 考 え 方 は「 循 環 論 法 」であるとしてポコルニーが 正 当 な 批 判 を 加 えているものの(Pokorny 2005, pp. 16f)、 現 在 でも 多 くの 研 究 者 は、capitula/capitulare 等 の 語 を 見 るやいなや「カピトゥラリア」という 一 類 型 が 意 味 されていると 考 えてしまう 態 度 から 抜 け 出 すことができていない。「カピトゥラリア」という 史 料 類 型 が 確 固 として 存 在 していたという 大 前 提 からいったん 距 離 を 置 いたうえで、capitula や capitulare といった 語 の 同 時 代 における 用 法 を 包 括 的 に 再 検 討 することは、 今 後 のカピトゥラリア 研 究 の 重 要 な 課 題 である。


1152-(3)メロヴィング 期 のカピトゥラリアボレティウス―クラウゼ 版 に 含 まれるカピトゥラリアの 大 多 数 はカロリング 期 に 出 されたものであり、 筆 者 の 専 門 領 域 がカロリング 期 であるという 事 情 もあって、 本 稿 の 記 述 のほとんどはカロリング 期 の 事 情 に 関 するものにならざるを 得 ないため、ここでメロヴィング 期 のカピトゥラリアについての 研 究 を 簡 単 にまとめておきたい。MGH 版 に 収 録 されたメロヴィング 諸 王 のカピトゥラリアはわずかに 9 を 数 えるのみである。これらのテクストをカピトゥラリアとみなすべきかどうかについて、 研 究 者 の 意 見 は 大 きく 分 かれている。このことは、 上 で 引 用 した 各 論 者 の 定 義 においても 明 らかである。メロヴィング 諸 王 のものもカピトゥラリアとみなす 代 表 的 な 論 者 はモルデクであり、メロヴィングとカロリングのカピトゥラリアの 間には 時 間 的 断 絶 はあるものの、 根 本 的 な 要 素 において 断 絶 は 存 在 しないという 点 が 繰 り 返 し 強 調 されている(Mordek 1986a, p. 28; Mordek 1996b; Mordek 2000, pp 4f, pp. 8-10)。他 方 で、ガンスホーフをはじめ、カロリング 期 のもののみをカピトゥラリアとみなす 論 者 も 多 く、近 年 あらわれたた 2 つの 研 究 (Woll 1995; Esders 1997)を 踏 まえたうえで、 文 書 形 式 と 国 王 の 命 令 の 文 字化 という 視 点 から 考 察 を 行 った 加 納 修 ( 加 納 2004)も、メロヴィング 期 のカピトゥラリアとされてきたテクスト 群 は、カロリング 期 のカピトゥラリアとは 異 なる 範 疇 に 属 するテクストであるとの 結 論 を 提示 している。なお、メロヴィング 諸 王 の 証 書 編 纂 業 務 を 担 当 しているケルツァーも、 文 書 形 式 学 の 視点 からメロヴィング 期 のカピトゥラリアを 分 析 している(Kölzer 2004)。クレッシェルの 研 究 は、カピトゥラリアからメロヴィング 期 の 司 法 制 度 を 解 明 することを 目 的 としたものであるが、サリカ 法 とともに 伝 来 するテクストと 教 会 会 議 決 議 とともに 伝 来 するテクストが、その 内 容 においても 明 確 に 異 なっている 点 など、 史 料 論 に 関 しても 重 要 な 指 摘 を 多 く 含 んでいる(Kroeschell 1995)。メロヴィング 期 のカピトゥラリアを 分 析 した 研 究 者 の 多 くは、メロヴィング 期 のカピトゥラリアとローマ 末 期 の 文 書 群 との 類 似 性 を 指 摘 している。この 点 は、メロヴィング 期 のカピトゥラリアとカロリング 期 のカピトゥラリアを 区 別 する 根 拠 として 用 いられているものの、カロリング 期 のカピトゥラリアについて 文 書 形 式 の 側 面 からの 包 括 的 研 究 が 行 われていない 現 状 を 考 えるならば、 断 絶 か 連 続 かの 問 題 に 明 確 な 答 えを 出 すことは 現 時 点 では 困 難 である。また、しばしば 言 及 される、「メロヴィング 期 のカピトゥラリアは capitulare と 呼 ばれていない」という 指 摘 は(Ganshof 1961, p. 13)、メロヴィング 期 とカロリング 期 の 断 絶 の 根 拠 とはなりえないという 点 にも 注 意 が 必 要 である。この 点 に 関 しても、司 教 カピトゥラリアに 関 する 用 語 法 をめぐって 出 されたポコルニーの 批 判 が 当 てはまるのである(2-(2)の 用 語 についての 部 分 を 参 照 ) 6 。さらに、メロヴィング 期 とカロリング 期 の 断 絶 と 連 続 を 考 える際 には、アングロ・サクソンに 由 来 する 文 書 がカロリング 期 のカピトゥラリアの 発 展 に 影 響 を 与 えたという 見 解 (Story 2003)も 考 慮 に 入 れる 必 要 があるものと 思 われる。3 近 年 あらわれている 新 しいカピトゥラリア 理 解3-(1) 帰 納 的 アプローチの 提 唱カピトゥラリアの MGH 版 には、 内 容 の 点 でも 形 式 の 点 でも 多 様 なテクストが 収 録 されている。 形式 の 点 に 関 しては、 証 書 と 区 別 されえないような 形 式 性 を 備 えたものもあれば、 発 布 者 や 発 布 年 を 付さずに 条 項 のみを 提 示 するものもあり、「 洗 礼 について」といった 見 出 しのみのものも 存 在 する。 通 常の 条 項 と 見 出 しのみの 条 項 が 一 つのカピトゥラリア 内 部 に 混 在 している 事 例 すらも 見 られるのである。 規 定 されている 内 容 も 多 岐 にわたっている。 罰 則 とともに 不 法 行 為 を 禁 じる 規 定 や、 商 業 ・ 農 業 ・軍 事 に 関 する 規 定 に 加 え、 伯 や 司 教 、 国 王 巡 察 使 ら 官 職 保 有 者 に 対 する 指 示 、 教 会 関 係 の 規 定 、さら6 なお、 司 教 カピトゥラリアと 国 王 カピトゥラリアの 区 別 の 根 拠 として capitulare の 語 で 呼 ばれているかどうかを 尺 度 としたモルデクであるが、メロヴィング 期 のカピトゥラリアが capitulare と 呼 ばれていないことは 重 視 していない 様 子 である。


116には「 他 人 に 酒 を 強 要 してはならない」といった 道 徳 的 な 内 容 のものや、 一 般 性 を 持 たない 個 別 事 例 の処 理 、 次 回 の 王 国 集 会 の 日 取 りに 至 るまで、 様 々な 内 容 の 条 項 がみられ、しかもこれら 多 様 な 内 容 の条 項 群 が 一 つのカピトゥラリア 内 部 に 混 在 してあらわれることもまれではない。しかし、カピトゥラリアに 取 り 組 んだ 研 究 者 のほぼすべてがこのような 多 様 性 を 強 調 しながらも、カピトゥラリアという 史 料 類 型 が 存 在 したことを 長 い 間 疑 ってこなかった。 確 かに、MGH 版 に 含 まれるテクストにカピトゥラリアとみなすべきではないものが 多 く 含 まれることは 指 摘 されてきたものの(Ganshof 1961, pp. 25f; Bühler 1986, pp. 406-414; Mordek 1995b 7 )、そのような 指 摘 は、それ 以 外 のテクスト 群 がすべてカピトゥラリアとして 何 らかの 同 質 性 を 持 っているとの 前 提 を 含 意 しているのである。その 結 果 として、 先 行 研 究 は 一 部 のカピトゥラリアのみにあらわれる 特 質 を、カピトゥラリアという 史 料 類 型 一 般 にまで 過 度 に 一 般 化 して 把 握 する 態 度 をとってきたのであった。このような 態 度への 批 判 は 以 前 から 見 られたものの(Siems 1992, pp. 433f)、 特 に 重 要 なのは、 一 つ 一 つのテクストを 個別 に 調 査 していくという 帰 納 的 なやり 方 を 提 唱 するポコルニーの 指 摘 である(Pokorny 1998, pp. 78f)。彼 は、 過 度 に 演 繹 的 であった 先 行 研 究 を 批 判 しつつ、カピトゥラリアの 特 質 が 無 秩 序 や 恣 意 的 な 形 態にあるとの 指 摘 だけで 満 足 してしまう 態 度 にも 警 鐘 を 鳴 らしている。それぞれのテクストごとに、 誰が 誰 に 向 けて 語 る 形 式 をとっているのか、 王 に 由 来 する 規 定 がどのような 経 路 を 経 て 現 存 する 形 態 に変 形 されたのか 等 を 検 討 していく 必 要 性 を 説 くポコルニーの 指 摘 は、カピトゥラリア 研 究 にとって 大いに 重 要 であるが、 現 在 に 至 るまでそのような 作 業 が 十 分 になされているとは 言 い 難 い。3-(2) 集 会 とカピトゥラリアの 関 係 性 の 問 い 直 しカピトゥラリアの 多 様 性 に 関 連 して、カピトゥラリアと 集 会 の 関 係 の 問 題 も 重 要 である。 伝 統 的 にカピトゥラリアは 聖 俗 貴 顕 の 同 意 を 得 て 王 国 集 会 や 教 会 会 議 で 発 布 されたと 考 えられてきた。その 根拠 とされたのは、いくつかのカピトゥラリアに 見 られる 記 述 やランス 大 司 教 ヒンクマールによる『 宮廷 組 織 論 』である。しかしペッセルは、「 集 会 のみがカピトゥラリア 発 布 のための 合 法 的 かつ 通 常 のコンテクストであったとの 想 定 を 支 持 する 同 時 代 の 証 拠 はない」とし、「 国 王 巡 察 使 missi dominici 用 のメモや 集 会 のアジェンダだけでなく、 詳 細 な 規 定 を 含 むカピトゥラリアも 集 会 外 で 出 され 得 た」ことを 強 調 している(Pössel 2006)。さらに 彼 女 は、 一 つのカピトゥラリアが 複 数 の 集 会 の 議 論 の 産 物 である 事 例 や、 集 会 外 での 議 論 も 考 慮 したうえで 編 集 ・ 抜 粋 が 行 われた 後 に 初 めてテクストが 発 布 される事 例 の 存 在 をも 指 摘 し、カピトゥラリアが 成 立 する 状 況 の 多 様 性 を 浮 き 彫 りにした。このような 成 果を 踏 まえて、カピトゥラリアを 法 として 捉 える 態 度 や、「 立 法 が 行 われる 場 としての 集 会 」とカピトゥラリアを 無 批 判 に 前 提 ・ 結 合 してきた 先 行 研 究 の 態 度 を 強 く 批 判 しているのである。カピトゥラリアを 法 とみなすか 否 かの 問 題 については、ペッセル 以 前 にも 非 常 に 多 くの 観 点 から 論 じられているため、以 下 の 4 に 詳 細 は 譲 ることとするが、ペッセルの 指 摘 は 5-(4)で 紹 介 するカピトゥラリアと 教 会 会 議 決議 の 関 係 性 の 議 論 に 対 しても 大 きな 見 直 しを 迫 るものであり、きわめて 大 きな 意 義 を 持 っている。3-(3) 成 立 ・ 伝 達 ・ 保 管 ・ 筆 写 の 各 段 階 の 区 別近 年 のカピトゥラリア 研 究 においては、カピトゥラリアの 成 立 ・ 伝 達 ・ 保 管 ・ 筆 写 の 各 段 階 を 区 別して 研 究 を 行 うことの 必 要 性 が 指 摘 されている。1980 年 代 以 降 のカピトゥラリア 研 究 は、ボレティウス―クラウゼ 版 への 批 判 の 結 果 として、カピトゥラリアを 収 録 する 写 本 の 分 析 を 行 ってきた( 以 下 の 6を 参 照 )。その 結 果 として、これらの 研 究 においては、 無 意 識 のうちに 写 本 への 受 容 後 の 段 階 のみを議 論 の 対 象 とする 傾 向 が 強 くあらわれていた。 加 納 修 はこのような 先 行 研 究 の 問 題 点 を 的 確 に 指 摘 するとともに、テクスト 成 立 の 局 面 にも 同 時 代 のカピトゥラリア 理 解 が 反 映 されている 可 能 性 を 強 調 している( 加 納 2004, p. 35)。 各 段 階 の 区 別 の 必 要 性 は、 強 調 点 の 置 き 方 は 異 なるものの、 加 納 以 外 の 研7 モルデクはカピトゥラリアを 収 録 する 写 本 目 録 の 中 で、 彼 がカピトゥラリアとみなしているテクストのみを 太 字 で 印 刷 しているが、その 基 準 は 必 ずしも 明 確 ではない。


117究 者 も 指 摘 している。 例 えばパッツォルドは、 複 数 の 伝 来 の 突 き 合 わせから 再 構 築 されたカピトゥラリアの 原 型 Archetyp は、テクストのそもそもの 形 態 を 示 しているにしても、 同 時 代 の 利 用 者 が 実 際 に見 た 形 態 (つまり 写 本 に 収 録 されている 状 態 )とは 異 なっていたという 点 を 重 視 する 方 向 性 を 示 している(Patzold 2007b, p. 334)。マキタリックも、カピトゥラリアのもともとの 機 能 と、 後 の 段 階 におけるその 利 用 ・ 保 管 が 混 同 されてきたという 研 究 史 上 の 問 題 点 を 挙 げ、 両 者 を 明 確 に 区 別 して 考 察 を 行 う必 要 性 を 述 べている(McKitterick 2008, p. 232)。カピトゥラリアが、その 成 立 段 階 、 伝 達 段 階 、 在 地 での 保 管 段 階 、 写 本 への 収 録 段 階 それぞれにおいて、その 役 割 も 形 態 も 変 化 しえたという 点 をしっかりと 認 識 することは、 今 後 カピトゥラリアをめぐる 様 々な 問 題 を 考 える 際 に 欠 かせない 視 点 であるといってよい。しかしながら、カピトゥラリアの 法 的 効 力 の 問 題 や 伝 達 ・ 保 管 の 問 題 を 考 察 してきた 従 来の 研 究 はこの 点 を 十 分 に 認 識 できていなかったため、これまで 行 われてきた 議 論 の 多 くは 再 検 証 が 必要 であると 言 わざるを 得 ない。なお、 写 本 収 録 後 の 再 筆 写 の 段 階 でもテクストの 改 変 が 行 われ 得 ることを 明 らかにしたシュミッツの 研 究 もこの 問 題 に 関 連 して 重 要 である(Schmitz 1991)。3-(2)でも 紹 介 したペッセルの 研 究 (Pössel 2006)も、この 問 題 について 重 要 な 知 見 を 提 示 している。彼 女 はカピトゥラリアに 含 まれる 一 つ 一 つの 規 定 の 受 け 手 が、カピトゥラリアテクスト 全 体 の 受 け 手とは 同 一 でなかったという 事 例 を 示 しているのである。 例 えば、818/9 年 の 一 連 のカピトゥラリアは、伝 達 者 たる 司 教 ・ 伯 ・ 巡 察 使 やその 他 の 貴 顕 が 用 いるものであったが、そこに 含 まれる 条 項 には、 伝達 者 である 彼 ら 自 身 に 向 けられたものと、 彼 らを 通 じて 内 容 を 知 ることとなるその 配 下 の 者 や 一 般 信徒 に 向 けられたものが 混 在 しているのである。 司 教 カピトゥラリアの 史 料 論 の 巻 でも、テクスト 全 体が 誰 に 向 けられているのかと、 個 別 の 規 定 内 容 が 誰 に 向 けられているのかといった 点 が 強 く 意 識 されたうえで、この 史 料 を 類 型 化 する 事 が 試 みられている(Pokorny 2005)。このような 動 向 を 踏 まえるならば、カピトゥラリアという 史 料 は、 当 時 の 政 治 コミュニケーションの 過 程 の 中 に 位 置 づけて 考 察 される 必 要 があるということが 分 かるだろう。3-(4) 時 代 ごとの 変 化 の 指 摘カピトゥラリアはカロリング 期 全 体 を 通 じて 一 様 に 出 され 続 けたわけではないと 考 えられている。ボレティウス―クラウゼの MGH 版 に 収 録 されたカピトゥラリア 数 を 見 てまず 得 られる 印 象 は、シャルルマーニュ 期 ・ルイ 敬 虔 帝 期 前 半 がカピトゥラリアの 最 盛 期 であり、カロリング 後 期 には 西 フランク 王 国 を 除 いてほとんどカピトゥラリアが 出 されなくなったというものである。カロリング 後 期 に 関して 特 に 目 立 つのは 東 フランクにおけるカピトゥラリアの 不 在 である。その 理 由 はリテラシーの 低 さや 東 西 における 国 制 の 違 い、 王 権 の 基 盤 の 違 い、 伝 存 状 況 の 違 いなど 様 々な 点 に 求 められてきたが、この 問 題 はいまだに 満 足 いく 回 答 を 与 えられていないといってよい(Hartmann 1989, pp. 299; Hartmann2002, p. 10, pp. 150-152; Deutinger 2006, pp. 395f; Goldberg 2006, p. 210, pp. 228f; Innes 2007, p. 513)。また、「カピトゥラリアの 最 盛 期 」と 見 られてきた 時 代 の 中 でも 変 化 が 指 摘 されている。 例 えばシュミッツは、フランク 王 国 における 内 戦 開 始 の 直 前 にあたる 829 年 にカピトゥラリア 活 動 の 一 つの 断 絶を 見 ている(Schmitz 1986; Schmitz 1990)。800 年 のシャルルマーニュの 皇 帝 戴 冠 を 境 に、カピトゥラリア 活 動 が 活 発 になったという 点 は 繰 り 返 し 指 摘 されており、 多 くの 場 合 帝 国 理 念 との 関 連 で 説 明 がなされている(Bühler 1986, pp. 395f; Mordek 2000, pp. 16-18; Buck 2002; Costambeys, Innes and MacLean2011, p. 183)。この 点 に 関 して 近 年 、 皇 帝 戴 冠 以 降 の 数 の 増 大 を 疑 うとともに、それ 以 前 のカピトゥラリアの 重 要性 をより 大 きく 見 積 もる 見 解 をマキタリックが 提 示 しているが(McKitterick 2008, pp. 234-243)、これに対 してはハルトマンによる 批 判 もある(Hartmann 2010, pp. 20-22)。ここでは、マキタリックによる 先 行研 究 への 批 判 とハルトマンによるその 批 判 いずれもが、カピトゥラリアの「 数 」を 問 題 にしている 点 が興 味 深 い。MGH 版 に 含 まれるテクストの 数 を 単 純 に 比 較 する 方 法 がもはや 維 持 できないという 点 では、 両 者 の 見 解 は 一 致 していると 思 われるのである。MGH 版 に 含 まれているテクスト 群 が 同 質 のものではないことが 指 摘 されていることを 考 えれば、 一 つ 一 つのテクストの 性 質 や 重 要 性 を 丹 念 に 分 析


118することなく「カピトゥラリア 数 」の 増 減 を 単 純 に 比 較 することは 無 意 味 であろう。この 問 題 については、 過 去 のカピトゥラリアが 後 の 君 主 にも 参 照 ・ 再 利 用 されていたことを 指 摘 して、カピトゥラリア 数 の 減 少 から 君 主 の 統 治 活 動 の 衰 退 を 結 論 する 態 度 を 批 判 するデ・ヨングの 指 摘 も 示 唆 的 である(deJong 2009, p. 53)。また、カロリング 期 を 通 じてカピトゥラリアの 領 域 において 一 定 の 変 化 が 存 在 したことに 対 する 指摘 も 重 要 である。 例 えばシャルルマーニュ 期 に 見 られたほどの 多 様 性 は、シャルル 禿 頭 王 のカピトゥラリアには 見 られないという 点 がしばしば 指 摘 されている(Ganshof 1961, pp. 66-70; Mordek 1986a)。この 点 については 両 君 主 の 権 力 基 盤 の 違 い( 基 盤 の 弱 い 君 主 は 形 式 性 の 高 い 文 書 が 必 要 との 想 定 )やリテラシーの 観 点 などから 説 明 が 試 みられてきたものの、そもそもシャルル 禿 頭 王 のカピトゥラリアに 対する 包 括 的 研 究 の 不 在 もあって、 十 分 な 議 論 が 行 われているとは 言 い 難 い。シャルルマーニュ 期 のカピトゥラリアに 当 てはまることがシャルル 禿 頭 王 期 のものに 当 てはまるとは 限 らないという 点 の 指摘 (Buck 1998, pp. 7f; McKitterick 2008, p. 232)は 重 要 であるが、 次 にあげるパッツォルドの 指 摘 を 踏 まえるのであればむしろ、シャルルマーニュ 期 のものとシャルル 禿 頭 王 期 のものがカピトゥラリアという 同 一 類 型 に 属 しているという 大 前 提 すらも 疑 ったうえで 考 察 を 行 う 必 要 があるものと 思 われる。3-(5)カピトゥラリアという 類 型 自 体 への 疑 いここまで 紹 介 してきた 動 向 からも 明 らかなように、カピトゥラリアが 一 様 な 解 釈 を 許 さない 史 料 類型 であるという 考 え 方 は、すでに 一 部 の 研 究 者 によって 共 有 され 始 めている。この 傾 向 を 最 も 推 し 進めたのが、パッツォルドである(Patzold 2007b)。ボレティウスが「 一 般 巡 察 使 勅 令 」と 名 付 け、ガンスホーフ 以 降 は「プログラム 勅 令 」や「 綱 領 勅 令 」と 呼 ばれてきた 802 年 のカピトゥラリア(MGH版 の Nr. 33)の 分 析 を 行 ったパッツォルドは、これが 従 来 想 定 されてきた 形 で 一 つのカピトゥラリアとして 発 布 されたものではないという、 全 く 新 しい 結 論 を 導 いた。 集 会 の 決 定 が 勅 令 のごとくカピトゥラリアとして 発 布 されるという 伝 統 的 イメージから 離 れ、 国 王 を 中 心 とする 協 議 の 成 果 が 様 々な 形で 文 字 化 され、それが 写 本 に 収 録 され、 現 在 我 々が 手 にする 形 のテクストが 成 立 するまでの 過 程 を 丹念 に 考 察 する 彼 の 手 法 は 大 きな 妥 当 性 を 持 っていると 思 われる。パッツォルドは、カピトゥラリアとみなされてきたものの 中 には、 国 王 と 貴 顕 たちとの 協 議 の 様 々な 段 階 で 生 じたテクストが 含 まれており、 多 くの 場 合 それらのテクストを 文 字 化 したのも 宮 廷 ではなかったということを 指 摘 している(Patzold 2007b, p. 334)。そのような 考 察 の 結 果 として、「カール、ルイ、そしてフランクの 貴 顕 達 は、中 世 学 者 の 専 門 概 念 の 意 味 におけるカピトゥラリアを 自 分 たちが 作 っていたということを 知 らなかった」、「 我 々はカピトゥラリアを 一 つの 類 型 として 考 えるべきではない。むしろ 一 つ 一 つのテクストの 規 範 性 を 個 別 に 評 価 すべきである」(Patzold 2007b, S. 349)という 指 摘 がなされているのである。加 納 修 は「メロヴィング 期 にカピトゥラリアはあったのか」との 問 いを 立 て、「メロヴィング 期 のカピトゥラリア」とみなされてきた 文 書 群 が 定 まった 形 式 を 持 った「 国 王 から 役 人 への 命 令 を 記 した 文書 」であることを 明 らかにし、それらは 形 式 の 多 様 性 が 顕 著 なカロリング 期 のカピトゥラリアとは 根本 的 に 異 なるものであるとの 結 論 に 至 った。 加 納 の 指 摘 は、 従 来 「メロヴィング 期 のカピトゥラリア」とみなされてきた 文 書 群 が、カロリング 期 のものとは 異 なる 一 史 料 類 型 として 把 握 できる 可 能 性 を 示した 点 で 重 要 である。 他 方 で、 現 在 の 研 究 状 況 を 考 慮 するならば、 多 様 性 が 顕 著 なカロリング 期 のカピトゥラリアがそもそも 一 史 料 類 型 として 把 握 可 能 なのかもまた 問 われなくてはならない。ガンスホーフの 立 てた「カピトゥラリアとは 何 か」という 問 いに 取 り 組 むのではなく、「カロリング 期 にカピトゥラリアはあったのか」を 問 うことが 今 後 の 課 題 となるのである。「カロリング 期 にカピトゥラリアはあったのか」を 問 う 場 合 重 要 となるのは、3-(4)で 言 及 した、 時 代ごとの 変 化 であると 思 われる。パッツォルドはカロリングの 君 主 たちが「カピトゥラリア」という 史 料類 型 を 知 らなかったと 述 べる 際 に、「カール、ルイ」には 言 及 するものの、 彼 らの 伝 統 を 引 き 継 いでカピトゥラリアを 発 布 したと 考 えられてきたシャルル 禿 頭 王 の 名 前 は 挙 げていない。 彼 が 意 図 的 にシャルル 禿 頭 王 に 言 及 していないのかどうかははっきりしないものの、シャルル 禿 頭 王 時 代 になると、 同


119時 代 人 の 間 でもカピトゥラリアを 一 史 料 類 型 として 理 解 する 態 度 があらわれてきたことを 想 定 させる 要 素 がいくつか 見 られる 点 は 考 慮 に 入 れるべきである( 津 田 2012)。いずれにしても、シャルル 禿 頭王 のカピトゥラリアに 対 する 研 究 が 十 分 に 進 められていない 現 在 において、この 問 題 について 明 確 な結 論 を 出 すことは 困 難 であり、さらなる 研 究 の 進 展 が 求 められる。4 カピトゥラリアは 法 なのか4-(1)カピトゥラリアを 法 とみなさない 見 解長 い 間 、カピトゥラリアは 国 王 の 立 法 活 動 の 所 産 であると 見 なされてきたため、その 法 的 効 力 の 問題 が 議 論 の 対 象 とされてきた。しかし、1980 年 代 ごろから、カピトゥラリアを 法 とみなさない 傾 向 があらわれてきた。ハニッヒは、カピトゥラリアが 現 実 に 適 用 されることを 目 指 した 法 ではなく、 王 権によるイデオロギー 装 置 ・プログラム 文 書 にすぎないとの 見 解 を 提 示 した(Hannig 1982)。カピトゥラリアに 含 まれる 内 容 を 王 権 が 全 く 実 現 しようとしていなかったという 考 え 方 は 多 くの 批 判 をあびているものの、カピトゥラリアを 法 とみなす 従 来 の 研 究 の 大 前 提 を 疑 った 点 は 大 きな 意 義 を 持 っている。カピトゥラリアと 現 実 の 関 連 性 についても 多 くの 議 論 が 行 われてきた。 例 えばフェルテンは、カピトゥラリアに 見 られる 規 定 内 容 を 単 純 に 当 時 の 実 態 と 同 一 視 してきた 過 去 の 研 究 手 法 に 警 鐘 を 鳴 らしている(Felten 1993, pp. 181f)。カピトゥラリアは 王 権 の 望 むプログラムを 示 したにすぎず、 現 実 にはほとんど 有 効 性 を 持 たなかったという 考 え 方 は 根 強 いが(Vanderputten 2001; Zimpel 2004)、 個 別 事 例 においてはカピトゥラリアに 見 られる 規 定 が 現 実 に 影 響 を 与 えていることも 指 摘 されている(Mordek1986a, pp. 44-47; Hartmann 1992; McKitterick 1993, p. 9; Freund 2004, pp. 317-333)。また、しばしばカピトゥラリアが 有 効 性 を 持 たなかった 根 拠 とされてきた 同 一 内 容 の 規 定 の 繰 り 返 しについても、 異 なる 解釈 があらわれている(Siems 1992, p. 446; Hartmann 1997, p. 186; Patzold 2005)。2011 年 にはハニッヒ 以 来の 議 論 を 総 括 しようとする 試 みも 見 られたが(Costambeys, Innes and MacLean 2011, pp. 183-194)、3 で 紹介 した 近 年 の 動 向 を 十 分 に 取 り 入 れたうえでこの 問 題 をとらえ 直 すことは、 今 後 の 課 題 として 残 されたままである。 近 年 の 動 向 を 踏 まえるならば、カピトゥラリア 一 般 について、プログラムなのか、イデオロギー 文 書 なのか、 実 際 の 適 用 を 見 越 した 法 なのかを 問 うことはもはや 無 意 味 である。 一 つ 一 つのテクストについてその 性 格 が 異 なる 可 能 性 を 考 えなくてはならないのである。この 問 題 に 関 しては、カピトゥラリアの 実 効 性 を 評 価 する 従 来 の 手 法 そのものの 問 題 点 を 示 したジームスの 指 摘 も 重 要 である(Siems 1992, p. 445)。カピトゥラリアに 見 られる 道 徳 的 ・ 訓 戒 的 内 容 を 強 調 する 論 者 たちも、ハニッヒとは 異 なる 形 で、カピトゥラリアを 法 とみなす 態 度 を 批 判 している。カピトゥラリアの 成 立 における 司 教 層 の 役 割 の 大きさや、 教 会 関 係 の 史 料 とともにカピトゥラリアが 写 本 に 収 録 されている 事 例 は、 早 くからマキタリックやビューラーによって 指 摘 されており(McKitterick 1977; Bühler 1986)、クレッシェルも 早 い 段 階でカロリング 期 のカピトゥラリアの 宗 教 的 性 質 を 指 摘 していた(Kroeschell 2008 [ 初 版 1972])。し か し 、カピトゥラリアが 宗 教 的 要 素 を 強 く 打 ち 出 した 史 料 であるという 理 解 が 研 究 者 一 般 にまで 共 有 されるようになったのは、 当 時 のカピトゥラリア 研 究 の 第 一 人 者 であったモルデクがこの 点 を 繰 り 返 し 強調 したことに 由 来 するといってよいだろう(Mordek 1986a, p. 27; Mordek 1991; Mordek 1996a, p. 34)。この 指 摘 を 出 発 点 として、シャルルマーニュ 期 までのカピトゥラリアを 分 析 し、その 宗 教 的 ・ 訓 戒 的 要素 を 強 調 したのが、モルデクの 弟 子 ブックによる 研 究 である(Buck 1997)。すべてのカピトゥラリアが宗 教 的 要 素 によって 特 徴 づけられているわけではないという 点 には 注 意 が 必 要 であるが、カピトゥラリアが( 近 代 的 意 味 での) 法 のみを 定 めた 史 料 類 型 ではないという 点 に 関 しては、ほぼすべての 研 究 者が 一 致 して 認 めており、カピトゥラリアを 法 制 史 的 に 扱 ってきた 従 来 の 研 究 手 法 は 大 きな 見 直 しを 迫られることとなっている。4-(2)「 同 意 」 定 式 の 問 題一 部 のカピトゥラリアに 見 られる「 同 意 」の 位 置 づけも 長 い 間 議 論 されてきた 問 題 である。 聖 俗 貴 顕


120の「 同 意 」を 得 て 君 主 が 規 定 を 発 布 したということを 明 言 するこの 定 式 は、 様 々な 議 論 を 巻 き 起 こしてきた。 古 くは「 同 意 」を 行 うのが 貴 族 層 のみなのか 人 民 すべてなのかが 問 われ、そのような 古 典 学説 に 基 づいた 国 制 理 解 が 批 判 を 受 けたのちは、カピトゥラリアが 法 的 有 効 性 を 獲 得 するために「 同 意 」は 不 可 欠 な 要 素 だったのか、 貴 顕 は「 同 意 」を 拒 絶 することができたのかどうかが 争 われ、シャルルマーニュ 期 とそれ 以 降 ( 特 にシャルル 禿 頭 王 期 )において「 同 意 」の 位 置 づけが 変 化 したのかも 問 題 とされた(Gansof 1961; Hägermann 1976; Hannig 1982; Bühler 1986; Nelson 1986; Campbell 1996)。カピトゥラリアに 見 られる「 同 意 」の 文 言 の 解 釈 は、 統 治 行 為 における 君 主 と 聖 俗 貴 顕 の 力 関 係 の 問 題 と 結 び 付けられたため、カピトゥラリア 研 究 の 枠 組 みを 超 えてフランク 王 国 の 国 制 理 解 にとっても 重 要 な 問 題とされてきた。カピトゥラリアに 見 られる「 同 意 」から 国 制 を 理 解 する 試 みについては、ヘヒベルガーによる 研 究 史 の 概 観 が 有 用 である(Hechberger 2005, pp. 212-214)。近 年 の 国 制 史 研 究 の 傾 向 としては、 王 権 が 聖 俗 貴 顕 層 の 協 力 を 得 て 統 治 を 行 っていたとする「 同 意に 基 づく 統 治 」が 強 調 されている(Apsner 2006; Deutinger 2006; Patzold 2007a)。こ こ で 注 意 す べ き は 、「 同意 に 基 づく 統 治 」の 問 題 とカピトゥラリアに 見 られる「 同 意 」 定 式 の 法 的 効 力 の 議 論 とは、さしあたり別 の 問 題 であるという 点 である。3 でみたような 近 年 の 研 究 動 向 を 踏 まえるのであれば、カピトゥラリア 一 般 に 当 てはまるような「 同 意 」の 法 的 性 質 を 問 うという、 先 行 研 究 の 問 題 設 定 それ 自 体 が 妥 当 ではないと 考 えるべきだろう。 特 に、3-(2)であげた 集 会 とカピトゥラリアの 関 係 性 の 見 直 しを 踏 まえるのであれば、すべてのカピトゥラリアが 貴 顕 の「 同 意 」を 得 て 成 立 したという 考 えは 維 持 できないものとなる。 現 在 では「 同 意 」 定 式 の 意 義 自 体 を 低 く 見 積 もる 態 度 が 一 般 的 になっているが(Siems 1992, pp.437-439; Mordek 1996a, p. 34; McKitterick 2008, pp. 229f)、 一 部 のカピトゥラリアのみに 見 られる「 同 意 」定 式 の 位 置 づけを 考 察 したうえで、それをカピトゥラリア 全 体 に 一 般 化 し、そこから 当 時 の 国 制 を 読み 取 るという 手 法 、または 反 対 に、 何 らかの 国 制 理 解 に 基 づいてカピトゥラリアの「 同 意 」 定 式 の 位 置づけを 考 察 し、それをカピトゥラリア 全 体 に 一 般 化 するという 手 法 はどちらも 妥 当 ではないといえる。しばしば 先 行 研 究 は、この 両 手 法 を 無 意 識 的 に 混 在 させる 形 で、ある 種 の 循 環 論 法 に 陥 っていた。この 意 味 において、「 同 意 」をめぐってなされてきた 従 来 の 議 論 の 意 義 は、 現 在 では 大 いに 相 対 化 されていると 言 わざるを 得 ないのである。カピトゥラリアという 史 料 類 型 全 体 に 対 する 理 解 が 大 きく 変 化 していることや、カピトゥラリアを法 として 捉 えない 近 年 の 傾 向 を 考 えるなら、 国 制 理 解 と「 同 意 」 定 式 の 問 題 は 一 度 切 り 離 して 考 察 する必 要 があると 思 われる。この 点 に 関 連 して、「 同 意 」の 文 言 の 解 釈 から 離 れ、カピトゥラリアに 見 られる 規 定 を 実 践 する 立 場 にある 聖 俗 貴 顕 がその 実 践 に 実 質 的 に「 同 意 」( 文 字 の 形 の 定 式 になるかどうかは 問 題 とならない)することの 重 要 性 を 強 調 する 研 究 があらわれていることもここで 指 摘 しておきたい( 菊 地 2012)。4-(3) 法 制 史 的 視 点 を 離 れる 必 要 性ここまで 紹 介 してきた 研 究 の 流 れを 見 れば、カピトゥラリアを 法 制 史 的 に 議 論 してきた 従 来 の 問 題設 定 の 非 妥 当 性 は 明 らかである。「 国 王 のバン 権 力 」、「 国 王 による 口 頭 での 発 布 行 為 」、「 規 定 の 文 字化 」、「 聖 俗 貴 顕 の 同 意 」のどの 要 素 がカピトゥラリアに 法 的 有 効 性 を 与 えるのか、または「カピトゥラリアの 規 定 は 君 主 が 変 わると 法 的 有 効 性 を 失 うのか」といった 問 題 は、 長 い 間 様 々な 形 で 議 論 されてきた。しかしながら、「 他 人 に 酒 を 強 要 してはならない」といった 類 の 道 徳 的 規 定 の 場 合 、その 法 的 有効 性 の 源 泉 を 論 じることが 無 意 味 であることは 自 明 である。 上 で 挙 げた 問 題 設 定 は、すべてのカピトゥラリアに 当 てはまるものとはなりえないのである。他 方 、 規 定 の 文 字 化 の 意 義 に 関 しては、さらなる 議 論 が 必 要 であると 思 われる。 現 在 では「 口 頭 による 伝 達 と 文 字 にされた 規 定 は 相 補 的 役 割 を 果 たした」との 見 解 が 通 説 の 位 置 を 占 めているが、このような 一 般 的 陳 述 で 満 足 してしまっては、 当 時 の 実 態 を 具 体 的 に 把 握 することはできない。ここでも、カピトゥラリア 一 般 に 妥 当 する 回 答 を 得 ることを 目 指 すのではなく、 個 別 事 例 ごとに 考 察 を 行 っていくことが 重 要 なのである。また、 規 定 が 文 字 の 形 で 確 定 されることが 明 らかに 重 要 視 されている 事 例


121がいくつか 見 られることは 以 前 から 指 摘 されていたものの(McKitterick 1989; Mordek 1996a)、そ こ か ら「カピトゥラリアにおける 文 字 化 の 重 要 性 」や「 文 字 利 用 の 広 範 な 広 がり」を 一 般 的 な 形 で 結 論 して 満足 するのではなく、どのような 事 例 において 文 字 化 が 重 視 されたのか、 時 代 ごとに 何 らかの 変 化 がみられるのかといった 視 角 から 分 析 を 行 うことが 求 められているのである。なお、モルデクは 図 像 史 料を 用 いたユニークな 研 究 を 発 表 しており、 同 時 代 人 が 法 が 文 字 化 されることの 重 要 性 を 認 識 していたことを 示 している(Mordek 1995a)。 議 論 は 必 ずしもカピトゥラリアのみに 関 係 しているわけではないが、 規 定 の 文 字 化 の 問 題 を 考 える 際 に 重 要 な 示 唆 を 与 えるものである。5 カピトゥラリアを 類 型 化 する 試 み5-(1)MGH 版 の 編 者 ボレティウスによる 3 分 割 の 試 み現 在 用 いられている MGH 版 の 編 者 ボレティウスは、 自 身 の 学 説 に 基 づいて、カピトゥラリアを 独立 勅 令 Capitula per se scribenda、 部 族 法 典 付 加 勅 令 Capitula legibus addenda、 巡 察 使 勅 令 Capitulamissorum の 3 類 型 に 分 類 した。MGH 版 に 収 録 されているカピトゥラリアのタイトルは 多 くの 場 合 この 分 類 に 即 して 編 者 が 付 したものであり、 同 時 代 のものではない。ボレティウスの 学 説 は、カピトゥラリアが 勅 令 であるということを 大 前 提 としたものであり、それぞれの 3 類 型 を 法 的 通 用 力 の 点 で 分類 している。 彼 によれば、 部 族 法 典 付 加 勅 令 はその 名 の 通 り 部 族 法 典 を 補 充 するための 勅 令 で、その発 布 や 廃 止 の 際 に 当 該 部 族 ないしその 代 表 者 たる 貴 族 層 の 同 意 が 必 要 となるという 点 で、 人 民 法 に 相当 する。それに 対 して 独 立 勅 令 は 王 法 であり、 国 王 が 罰 令 権 に 基 づいて 単 独 で 発 布 ・ 廃 止 することができる 勅 令 にあたる。 巡 察 使 勅 令 は、 国 王 巡 察 使 に 与 えられる 命 令 を 含 んでいるものを 指 す。ボレティウス 式 の 分 類 において 特 に 重 要 なのは、 部 族 法 典 付 加 勅 令 と 独 立 勅 令 が、 内 容 、 成 立 手 続 、効 力 すべてにおいて 完 全 に 異 なるものとして 理 解 されている 点 である。この 分 類 はその 後 多 くの 批 判を 受 けており、 特 に 王 法 と 人 民 法 を 対 立 的 に 把 握 するという 学 説 の 核 となる 部 分 は 完 全 に 否 定 されたといってよい。ボレティウス 学 説 とその 批 判 については 大 久 保 が 詳 細 に 取 り 上 げているため、ここでは 扱 わない( 大 久 保 1965; 大 久 保 1968a; 大 久 保 1968b; 大 久 保 1968c)。ガンスホーフは、この 分 類 が 留 保 付 きで 認 められているとしつつ、ボレティウス 式 の 分 類 が 当 てはまらない、 混 合 勅 令 Capitularia mixta というカテゴリーも 想 定 する 必 要 性 を 述 べている(Ganshof 1961,pp. 28-31)。また、ガンスホーフはボレティウス 式 に 代 わる 分 類 法 として、「 立 法 行 為 」にあたるカピトゥラリアと「 一 般 的 行 政 行 為 」にあたるカピトゥラリアの 区 別 を 提 唱 した(Ganshof 1961, pp. 119-123)。しかしガンスホーフによる 分 類 も 同 時 代 のありかたに 即 したものではなかったため、 即 座 に 批 判 をあびる 結 果 となっている(Eckhardt 1962)。 現 在 ではボレティウス 学 説 は 完 全 に 否 定 されているとの 考 え方 が 欧 米 では 一 般 的 である(Campbell 1996, pp. 28f)が、ボレティウスの 提 示 したすべての 論 点 が 完 全 に議 論 されつくしたわけではないとの 指 摘 もある(Wormald 1997, p. 106)。また、 我 が 国 においては、 定評 ある 概 説 書 がボレティウス 式 の 分 類 法 を 記 載 し 続 けていることもあり、 彼 の 学 説 はいまだに 影 響 力を 持 ち 続 けているといってよい(ミッタイス=リーベッヒ 1971; 佐 藤 2005)。ボレティウスが 提 示 した 形 で 彼 の 分 類 が 完 全 に 復 権 することは 想 像 しがたいが、この 分 類 は 現 在 でもいくつかの 点 で 有 益 であり 続 けている。そもそも 巡 察 使 勅 令 とそれ 以 外 のカピトゥラリアの 区 別 は、一 つ 一 つのカピトゥラリアテクスト 自 体 の 受 け 手 が 誰 であったのか、テクスト 自 体 の 機 能 がどのようなものだったのかといった 問 題 を 考 える 際 には 有 効 な 切 り 口 となるのである。また、 部 族 法 典 付 加 勅 令 と 独 立 勅 令 の 区 分 もいまだに 多 くの 論 点 をかかえている。 人 民 法 と 王 法 としての 理 解 はもはや 不 可 能 であるにしても、 一 部 のカピトゥラリアが 明 確 に 部 族 法 典 への 付 加 をうたっていることは 紛 れもない 事 実 であり、その 意 義 が 十 分 に 解 明 されているとは 言 えないのである。 近年 の 研 究 は 部 族 法 典 とカピトゥラリア 両 方 を 収 録 する 写 本 の 分 析 からこの 問 題 にアプローチしている(Bühler 1986; Wormald 1999)。しかし 彼 らが 分 析 対 象 とする 写 本 には、 部 族 法 典 付 加 勅 令 以 外 のカピトゥラリアも 区 別 なく 収 録 されているため、 問 題 とされるのはカピトゥラリア 一 般 と 部 族 法 典 の 関 係となり、 付 加 勅 令 とそれ 以 外 のカピトゥラリアの 関 係 性 が 問 われることはなかった。ビューラーはこ


122のような 写 本 の 構 造 を 根 拠 に、 部 族 法 典 付 加 勅 令 と 独 立 勅 令 を 区 別 することの 無 意 味 さを 強 調 しているものの、 写 本 に 収 録 される 以 前 の 段 階 において 付 加 勅 令 とそれ 以 外 のカピトゥラリアが 区 別 されていた 可 能 性 があることを 考 慮 すべきだろう(3-(3) 成 立 ・ 伝 達 ・ 保 管 ・ 筆 写 の 各 段 階 の 区 別 の 所 を 参 照 )。カロリング 期 の 君 主 たちが、 一 部 のカピトゥラリアについて、「それを lex とみなすように」と 明 言 していることを 考 えるのであれば、カピトゥラリアの 中 には lex に 相 当 するものとそれ 以 外 のものがあったことが 十 分 に 推 測 できる。その 意 味 では 部 族 法 典 付 加 勅 令 とそれ 以 外 のカピトゥラリアの 関 係 性の 問 題 はいまだに 一 定 の 重 要 性 を 持 っているといってよく、さらなる 研 究 が 必 要 とされているのである。 拙 論 ( 津 田 2012)においてもこの 問 題 に 関 する 考 察 と 展 望 をまとめたのでご 参 照 いただきたい。この 問 題 に 関 しては、モルデクも「レーゲスとカピトゥラリア」と 題 する 論 考 を 発 表 している(Mordek 1996b)。ただしここでは、 部 族 法 典 とカピトゥラリアの 関 係 性 自 体 は 考 察 の 主 たる 対 象 とはされておらず、 議 論 は 法 典 に 見 られる 規 範 の 現 実 に 対 する 影 響 力 の 問 題 に 向 かっている。この 問 題 に関 して 近 年 の 重 要 な 研 究 はパッツォルドのものである(Patzold 2005)。パッツォルドはシャルルマーニュとルイ 敬 虔 帝 の 部 族 法 典 付 加 勅 令 を 分 析 する 中 で、 法 典 への 付 加 活 動 の 不 自 然 さ・ 一 貫 性 のなさを、口 頭 社 会 から 文 字 に 根 差 した 社 会 への 変 革 期 に 特 有 のものであるとの 結 論 を 得 ている。 民 俗 学 の 成 果を 取 り 入 れたこのような 解 釈 が、 単 純 にカロリング 期 に 当 てはめられないということは、パッツォルド 自 身 も 認 めているものの、カピトゥラリアを 法 制 史 的 に 扱 わない 近 年 の 研 究 動 向 を 十 分 に 踏 まえたうえで 考 察 が 行 われており、 多 くの 点 で 示 唆 的 な 研 究 であるといってよい。5-(2) 内 容 に 即 してカピトゥラリアを 聖 俗 に 分 類 する 試 みボレティウス 式 の 分 割 法 と 並 んで、 聖 俗 にカピトゥラリアを 二 分 する 試 みも 古 くから 提 唱 されてきた。 聖 俗 にカピトゥラリアを 分 ける 方 法 は 819 年 のカピトゥラリアにおいてルイ 敬 虔 帝 が 採 用 しており、カピトゥラリア 蒐 集 を 作 成 したアンセギスもこの 分 類 法 を 用 いていることから、ガンスホーフはルイ 敬 虔 帝 時 代 以 降 この 区 別 が 明 確 になったと 考 えている(Ganshof 1961, pp. 27f)。しかし、ガンスホーフ 自 身 も 認 めているように、ルイ 敬 虔 帝 時 代 以 降 でも 聖 俗 両 方 の 内 容 を 含 むカピトゥラリアが 存 在しており、このような 見 解 は 現 在 ではほとんど 支 持 されていない。 確 かに 一 部 のカピトゥラリアは、教 会 関 係 の 事 項 のみ、または 世 俗 関 係 の 事 項 のみを 対 象 としているものの、 大 多 数 は 聖 俗 に 明 確 に 区分 不 可 能 な、 混 合 勅 令 capitularia mixta としか 呼 ばれえないものなのである。5-(3) 適 用 範 囲 を 手 掛 かりにした 分 類適 用 範 囲 に 応 じてカピトゥラリアを 区 分 する 考 え 方 も 見 られる。 多 くのカピトゥラリアは 王 国 全 土を 対 象 としていたとされるが、 中 には 併 合 されたばかりの 地 域 や 特 定 の 副 王 国 のみを 対 象 としたものがあると 考 えられているのである(Mordek 2000, pp. 3f)。 研 究 においてはとりわけイタリアのみを 対 象としたカピトゥラリアの 存 在 が 強 調 される 傾 向 にある(Ganshof 1961, pp. 31-34)。モルデクはシャルルマーニュ 期 初 期 におけるイタリアを 対 象 としたカピトゥラリアを 網 羅 的 に 再 検 討 した 研 究 (Mordek2005b)において、 従 来 「イタリアのみを 対 象 としていた」と 考 えられていたカピトゥラリアの 中 にも、王 国 全 土 に 向 けたものが 含 まれていることを 明 らかにし、 初 期 にはイタリアに 対 しても 王 国 全 土 向 けのカピトゥラリアが 適 用 されており、その 次 の 段 階 になって 初 めてイタリアのみを 対 象 としたカピトゥラリアが 出 され 始 めたということを 示 した。この 問 題 を 考 える 際 に 重 要 なのは、 伝 来 状 況 とカピトゥラリアの 適 用 範 囲 が 必 ずしも 一 致 していないことの 指 摘 である(Mordek 1986a, p. 40; Mordek 2005b,pp. 14f)。カ ピ ト ゥ ラ リ ア の 成 立 段 階 に お い て は 特 定 の 地 域 の み に 向 け て 出 さ れ て い た と し て も 、 伝 来 、保 管 、 写 本 への 収 録 といった 過 程 の 中 で、そもそもの 適 用 地 域 外 にも 規 定 が 知 られることがありえたのである。このことは、 発 布 段 階 で 意 識 されていた 適 用 地 域 の 限 定 が、 再 筆 写 や 写 本 への 収 録 段 階 においては 必 ずしも 意 識 されなくなっていた 可 能 性 も 示 唆 している。これを 踏 まえるなら、カピトゥラリアの 適 用 範 囲 を 過 度 に 絶 対 的 なものとして 把 握 する 態 度 は 慎 まなくてはならない。3-(3)で 指 摘 したように、ここでも 発 布 段 階 と 伝 達 、 保 管 、 写 本 への 収 録 段 階 は 明 確 に 区 別 して 考 える 必 要 がある。


124大 きな 問 題 であった。 近 年 カロリング 期 の 集 会 のあり 方 については 新 しい 方 向 性 が 提 示 されており(Reuter 2001; Airlie 2003; Eichler 2007)、それを 踏 まえたうえで、 拙 論 では、 同 時 代 、 特 にシャルルマーニュ 期 ~ルイ 敬 虔 帝 期 においては、どの 集 会 を「 教 会 会 議 」とみなすのかについて 一 致 した 理 解 が 存 在していなかったこと、カロリング 期 を 通 じて「 教 会 会 議 」 理 解 が 変 化 していき、ヴェルダン 条 約 後 になると 聖 職 者 のみの 集 会 が「 教 会 会 議 」として 他 の 集 会 とは 別 個 の 存 在 であるとの 意 識 が 明 確 になってくることなどを 明 らかにした( 津 田 2008; 津 田 2010; 津 田 2011)。この 点 を 踏 まえるならば、 少 なくともカロリング 期 前 半 に 関 しては、 教 会 会 議 決 議 とカピトゥラリアの 関 係 性 を 問 うという 問 題 設 定 自体 が 意 味 をなさないのである。また、3-(5)で 紹 介 したカピトゥラリアという 類 型 自 体 への 疑 いを 考 慮に 入 れるなら、 我 々が 行 うべきは、「 教 会 会 議 決 議 」や「カピトゥラリア」という 史 料 類 型 の 存 在 を 前 提とせずに、 時 代 ごとの 集 会 認 識 の 変 化 を 踏 まえたうえで、 各 種 の 集 会 における(または 集 会 外 での) 決定 の 文 字 化 について、 個 別 事 例 を 検 討 していくことであろう。6 カピトゥラリアを 収 録 する 蒐 集 や 写 本 の 研 究6-(1)カピトゥラリアの 伝 存 形 態 と 写 本 研 究カピトゥラリアはすべて 発 布 後 一 定 期 間 を 経 たのちに 作 成 された 写 本 の 中 で 伝 来 しており、「 原 本 」は 伝 存 していないとされている。ボレティウス―クラウゼ 版 の 不 備 が 指 摘 されてきたこともあり、1980 年 ごろから、カピトゥラリアを 収 録 する 写 本 の 分 析 が 盛 んに 行 われてきた。写 本 を 用 いた 研 究 としてまず 言 及 すべきは、「 司 教 手 引 書 」と 呼 ばれる 写 本 の 中 にカピトゥラリアが収 録 されていることを 明 らかにしたマキタリックの 研 究 (McKitterick 1977)である。 当 該 研 究 における写 本 の 取 り 扱 いに 対 しては、ハルトマンによる 手 厳 しい 批 判 もあるが 8 、カピトゥラリアの 伝 存 する文 脈 が 必 ずしも 法 的 なものではないという 点 を 明 らかにしたことで、マキタリックの 研 究 はその 後 のカピトゥラリア 研 究 に 大 きな 影 響 を 与 えたといってよい。 彼 女 はその 後 も 写 本 の 分 析 に 基 づいた 研 究を 発 表 し、 全 体 としてカロリング 期 の 文 書 行 政 能 力 やリテラシーの 高 さを 強 調 する 方 向 性 を 打 ち 出 している(McKitterick 1980; McKitterick 1989; McKitterick 1993)。すでに 5-(1)の 所 でも 紹 介 したビューラーの 研 究 は、まとまった 量 の 写 本 を 分 析 対 象 とした 初 めての研 究 であり 重 要 である(Bühler 1986)。なお、ビューラーもマキタリックも 教 会 関 係 の 史 料 とカピトゥラリアが 結 合 して 伝 来 する 事 例 を 分 析 して、 教 会 人 の 関 わりを 強 調 する 点 では 一 致 しているものの、部 族 法 典 とカピトゥラリアが 結 合 されて 伝 えられている 写 本 の 位 置 づけについては 意 見 を 異 にしている。ビューラーがそれらを 過 去 の 立 法 との 系 譜 を 強 調 するために 作 成 されたものであると 考 え、 実務 における 使 用 を 想 定 しないのに 対 し、マキタリックはそれらの 実 用 性 を 強 調 しているのである(McKitterick 1993, pp. 40-60; McKitterick 2008, pp. 277f)。現 在 では、モルデクによりカピトゥラリアを 収 録 した 写 本 が 網 羅 的 に 目 録 化 されたことで(Mordek1995b)、「 手 引 書 写 本 」や、 部 族 法 典 とカピトゥラリア 群 を 収 録 した 写 本 だけでなく、 他 の 史料 の 中 にカピトゥラリア 一 点 のみが 単 独 で 収 録 される 事 例 や、 純 粋 にカピトゥラリアのみを 集 めたごとき 事 例 など、 多 様 な 伝 存 形 態 の 存 在 が 明 らかになり、この 分 野 の 研 究 もさらなる 進 展 が 期 待 される。部 族 法 典 とカピトゥラリアを 結 合 して 伝 える 写 本 については、モルデクの 目 録 を 活 用 してウォーマルドがより 詳 細 な 分 析 を 行 っている(Wormald 1999, pp. 30-92)。ウォーマルドの 分 析 対 象 は’Law books‘であるため、「 手 引 書 写 本 」は 検 討 の 対 象 外 となっているが、この 段 階 までの 先 行 研 究 を 十 分 に 消 化 した議 論 は 多 くの 点 で 有 益 であり、とりわけフランク 王 国 の 南 北 における 法 意 識 ・ 法 慣 行 の 差 異 を 写 本 の分 析 から 明 らかにしている 点 が 重 要 である。また、4-(1)でも 紹 介 したブックの 研 究 (Buck 1997)も、モルデクの 目 録 を 用 いて、789 年 一 般 訓 令 の 伝 存 写 本 すべてを 分 析 対 象 に 詳 細 な 考 察 を 行 ったものである。また、モルデク 自 身 も 同 時 代 のカピトゥラリア 蒐 集 とそれを 収 録 する 写 本 についての 概 観 を 提 示している(Mordek 2000, pp. 1-55)。8 Deutsches Archiv für Erforschung des Mittelalters 35, 1977, pp. 286f.


128Die digitalen Monumenta Germaniae Historica (dMGH)http://www.mgh.de/dmgh/G. Schmitz V. Lukas (eds.), Edition der falschen Kapitularien des Benedictus Levitahttp://www.benedictus.mgh.de/’Capitularia regum Francorum’, Geschichtsquellen des deutschen Mittelalters (Caesarius Heisterbacensis -Czacheritz), 2009, pp. 14-17http://www.repfont.badw.de/C.pdfRegesta Imperii Onlinehttp://www.regesta-imperii.de/カピトゥラリアの 現 代 語 訳 を 含 む 文 献H. R. Loyn and J. Percival, The Reign of Charlemagne. Documents on Carolingian Government andAdministration, London, 1975P. D. King, Charlemagne, Lancaster, 1987P. E. Dutton (ed.), Carolingian Civilization, New York and London, 1993K. A. Eckhardt, Die Gesetze des Karolingerreiches. 714-911, Weimar, 1934G. Tessier, ‘Charlemagne’, Paris, 1967上 原 専 禄 「 伝 カール 大 王 御 料 地 令 国 訳 嘗 試 」、 小 野 武 夫 博 士 還 暦 記 念 論 文 集 刊 行 会 編 『 西 洋 農 業 経 済紙 研 究 』 日 本 評 論 社 、1948 年 、pp. 1-36大 久 保 泰 甫 「カピトゥラリア」、 久 保 正 幡 先 生 還 暦 記 念 出 版 準 備 会 編 『 西 洋 法 制 史 料 選 II 中 世 』 創文 社 、1978 年 、pp. 31-43大 谷 啓 治 「カール 大 帝 書 簡 集 」、 上 智 大 学 中 世 思 想 研 究 所 編 『 中 世 思 想 原 典 集 成 6 カロリング・ルネサンス』 平 凡 社 、pp. 145-152ヨーロッパ 中 世 史 研 究 会 編 『 西 洋 中 世 史 料 集 』 東 京 大 学 出 版 会 、2000 年河 井 田 研 朗 「カロルス 大 帝 の『 万 民 への 訓 諭 勅 令 』(Admonitio Generalis)( 七 八 九 年 )の 試 訳 」、『ノートルダム 清 心 女 子 大 学 キリスト 教 文 化 研 究 所 年 報 』 第 27 号 、2005 年 a、pp. 117-150歴 史 学 研 究 会 編 『 世 界 史 史 料 5 ヨーロッパ 世 界 の 成 立 と 膨 張 17 世 紀 まで』 岩 波 書 店 、2007 年事 典 項 目 ・ 教 科 書 等K Kroeschell, ‘Die Kapitularien (Kleine Quellenkunde III)’, Idem, Deutsche Rechtsgeschichte Band 1: bis 125013. Auflage, Opladen, 2008 (1. Auflage 1972), pp. 69-82H. Mordek, ‘Kapitularien’, Lexikon des Mittelalters V, München und Zürich, 1991, pp. 943-946M. Parisse, ‘Capitulaire’, Dictionnaire du Moyen Âge (2e édition), Paris, 2004, pp. 219R. Schmid-Wiegand, ‘Kapitularien’, Reallexikon der Germanischen Altertumskunde 16, Berlin and New York,2000G. Schmitz, ‘Kapitularien’, Handwörterbuch zur deutschen Rechtsgeschichte 15, Berlin, 2012 ( 刊 行 準 備 中 )T. M. Vann, ‘Capitulary’, The Oxford Dictionary of the Middle Ages I, Oxford and New York, 2010, p. 334佐 藤 彰 一 「 統 治 ・ 行 政 文 書 」、 高 山 博 ・ 池 上 俊 一 編 『 西 洋 中 世 学 入 門 』、2005 年 、pp. 199-228ミッタイス=リーベッヒ ( 世 良 晃 志 郎 訳 ) 「フランク 時 代 の 法 源 」、『ドイツ 法 制 史 概 説 改 訂 版 』 創 文 社 、1971 年 pp. 137-153


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134―」、『 歴 史 学 研 究 』795、2004 年 、pp. 32-43河 井 田 研 朗 「カロルス 大 帝 の『 万 民 への 訓 諭 勅 令 』(Admonitio Generalis)( 七 八 九 年 )の 注 解 (1)」、『 福 岡大 学 人 文 論 叢 』 第 36 号 -4、2005 年 b、pp. 1-23菊 地 重 仁 「テクストとしてのカロリング 期 のカピトゥラリア」、『 名 古 屋 大 学 グローバル COE プログラム 第 12 回 国 際 研 究 集 会 報 告 書 』、2012 年 ( 刊 行 準 備 中 )多 田 哲 「カロリング 王 権 と 民 衆 教 化 ――『 一 般 訓 令 』(789 年 )の 成 立 事 情 を 手 掛 かりに――」、『 西 洋史 学 』 第 178 号 、1995 年 、pp. 45-58同 「カロリング 王 権 による 民 衆 教 化 政 策 の 展 開 」、『 歴 史 学 研 究 』668 号 、1996 年 、pp. 17-31同 「リエージュ 司 教 と 民 衆 教 化 ―『ゲルバルドゥス 蒐 集 』(806 年 )に 見 られる 司 教 の 施 策 」、『 西 洋 史研 究 』 新 輯 第 26 号 、1997 年 、pp. 144-158西 川 洋 一 「 初 期 中 世 ヨーロッパの 法 の 性 格 に 関 する 覚 書 」、『 北 大 法 学 論 集 』41(5-6)、1991 年 、pp. 29-121拙 論 「カロリング 期 教 会 改 革 のバイエルンにおける 展 開 ――ザルツブルク 大 司 教 アルノ(785[798]-821)の 時 代 を 中 心 に――」、『 西 洋 史 研 究 』 新 輯 第 34 号 、2005 年 、pp. 77-109同 「ルートヴィヒドイツ 人 王 時 代 における 集 会 の 果 たす 役 割 について」、『 歴 史 』 第 110 輯 、2008 年 、pp. 1-25同 「カロリング 期 フランク 王 国 における 王 国 集 会 ・ 教 会 会 議 ――ピピン 期 ・シャルルマーニュ 期 を 中心 に――」、『ヨーロッパ 文 化 史 研 究 』 第 11 号 、2010 年 、pp. 131-180同 「9 世 紀 末 ~10 世 紀 初 頭 のフランク 王 国 における 王 国 集 会 ・ 教 会 会 議 」、『ヨーロッパ 文 化 史 研 究 』第 12 号 、2011 年 、pp. 141-178同 「カロリング 期 のカピトゥラリア― 同 時 代 人 は『カピトゥラリア』を 一 つの 文 書 類 型 として 認 識していたのか?」、『ヨーロッパ 文 化 史 研 究 』 第 13 号 、2012 年 ( 刊 行 準 備 中 )

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