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日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

笹 島 雅 彦

はじめにー 下 降 スパイラルの 日 中 関 係

日 本 と 中 国 は、2002 年 、 国 交 正 常 化 30 周 年 を 迎 えた。 両 国 は、そ

れぞれ「 中 国 年 」「 日 本 年 」と 銘 打 った 一 連 の 文 化 交 流 事 業 を 開 始 したが、

双 方 の 国 民 レベルでは 盛 り 上 がりに 欠 けている。

1972 年 の 国 交 正 常 化 当 初 、 友 好 ムードの 中 、「 一 衣 帯 水 」とも 呼 ば

れた 日 中 関 係 は、 満 ち 潮 、 引 き 潮 のように 関 係 の 進 展 と 冷 却 を 繰 り 返 してき

た。 引 き 潮 になると、 歴 史 認 識 問 題 や 台 湾 問 題 、 中 国 の 軍 拡 問 題 などの 岩 礁

がむき 出 しになって 現 れてくるが、 双 方 の 外 交 的 努 力 で 再 び、 満 ち 潮 のよう

に 問 題 点 を 覆 い 隠 し、 安 定 的 関 係 を 取 り 戻 すという 具 合 である。

ところが、 近 年 では1995 年 以 降 、 関 係 安 定 化 への 軌 道 に 乗 ることが

できないままの 状 態 が 続 いている。 日 本 の 国 内 政 治 、 安 全 保 障 問 題 をめぐっ

て、 誤 解 と 誤 算 が 積 み 重 なり、 両 国 は 相 互 不 信 に 陥 ったまま、 政 治 的 関 係 が

悪 化 してきた。この 間 、 中 国 政 府 は 外 交 上 、 執 ように 歴 史 認 識 を 問 うことで

対 日 譲 歩 を 引 き 出 すという「 歴 史 カード」を 政 治 的 テコに 利 用 してきた。こ

れに 対 し、 日 本 側 は 問 題 が 発 生 するたび、 対 症 療 法 に 追 われ、 政 府 ・ 与 党 、 官

僚 システムを 通 じて 一 貫 した 対 中 戦 略 を 確 立 できないままできた。

潮 流 が 変 わったのは、1998 年 、 江 沢 民 ・ 国 家 主 席 の 日 本 公 式 訪 問 で

ある。 当 初 は、 相 互 信 頼 確 立 の 契 機 になるかもしれないと 期 待 されたが、 江

主 席 は 歴 史 認 識 問 題 を 提 起 することに 終 始 し、 日 本 側 に 後 味 の 悪 さを 残 して

いった。 以 来 、 日 中 関 係 は 下 降 スパイラル 現 象 から 抜 け 出 せないままになっ

ている。

本 稿 では、 日 本 と 中 国 それぞれの 外 交 政 策 決 定 過 程 を 比 較 したうえで、

江 主 席 訪 日 時 における「 日 中 共 同 宣 言 」 作 成 の 交 渉 過 程 を、 相 互 不 信 のケー


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ス・スタディーとして 分 析 する。 最 後 に、 戦 略 的 ODA( 政 府 開 発 援 助 )、

日 中 安 保 対 話 、 政 治 対 話 を 通 じた 信 頼 醸 成 の 処 方 せんを 探 る。

日 米 両 国 の 関 与 政 策

1989 年 の 第 二 次 天 安 門 事 件 と 冷 戦 の 終 結 以 後 、 米 国 では、 中 国 脅 威

論 に 基 づく 封 じ 込 め 政 策 と、 中 国 を 世 界 システムに 組 み 込 むことを 目 指 す 関

与 政 策 を 唱 える 二 派 の 論 争 が 繰 り 広 げられてきた。クリントン 前 政 権 は、 紆

余 曲 折 を 経 ながら、「 関 与 政 策 」という 用 語 を 外 交 政 策 上 、 公 式 の 姿 勢 とし

て 打 ち 出 した。 政 権 後 期 には、「 戦 略 的 パートナーシップ」という 新 たなス

ローガンを 掲 げた。これに 対 し、ブッシュ 大 統 領 は、2001 年 の 政 権 発 足

前 から 中 国 を 再 三 にわたって「 戦 略 的 競 争 相 手 」と 呼 び、クリントン 前 政 権

と 一 線 を 画 してきた。しかし、9 月 11 日 からの 対 テロ 戦 争 開 始 後 、ブッシ

ュ 大 統 領 はテロに 対 する 国 際 包 囲 網 の 形 成 を 最 優 先 順 位 に 置 いた。10 月

19 日 、 上 海 での 江 沢 民 ・ 中 国 国 家 主 席 との 米 中 首 脳 会 談 では「 建 設 的 協 力

関 係 」の 構 築 を 確 認 し 合 った。これは、 人 権 問 題 やミサイル 技 術 移 転 問 題 な

ど 従 来 の 対 立 点 を「 小 異 」と 位 置 づけ、 対 テロ 戦 争 のための 国 際 協 調 行 動 と

いう「 大 同 」に 就 く 路 線 を 提 示 したものだ。それが、4 月 の 海 南 島 沖 米 中

軍 用 機 接 触 事 件 後 における、 一 時 的 な 米 中 和 解 の 演 出 で 終 わるのか、 長

期 的 な 確 固 たる 関 与 政 策 につながっていくのか、なお 不 明 確 であり、 予

断 を 許 さない。

その 一 方 、 日 本 の 場 合 、1979 年 、 大 平 内 閣 が 対 中 政 府 開 発 援 助

(ODA) 供 与 を 初 めて 決 定 して 以 来 、 政 府 部 内 は 関 与 政 策 の 推 進 に 関 して、

ほぼ 一 致 してきた。この 場 合 の 関 与 政 策 は、 中 国 政 治 体 制 の 未 来 像 が 不 透 明

な 中 、 中 国 の 近 代 化 路 線 と 改 革 開 放 政 策 を 支 援 し、 国 際 社 会 に 中 国 を 組 み 込

み、 安 定 した 経 済 社 会 状 況 を 生 み 出 すことで、「 責 任 ある 大 国 」としての 国

際 的 役 割 を 自 覚 した 行 動 を 促 す、という 意 味 においてである。クリントン 前

政 権 が 対 中 関 与 政 策 を 表 明 したとき、 日 本 の 外 務 省 幹 部 は「それは 日 本 がこ

れまで 中 国 に 対 し、 一 貫 して 進 めてきた 政 策 そのものだ 1 」と 歓 迎 し、 日 米

安 保 共 同 宣 言 (1996 年 4 月 )を 構 成 する 基 本 概 念 の 一 つとして 受 け 容 れ

た。 日 本 の 国 内 世 論 もおおむね、こうした 関 与 政 策 を 支 持 しているが、 中 に

は 中 国 の 軍 事 力 増 強 や 台 湾 に 対 する 軍 事 的 威 嚇 のために、 根 強 い 中 国 脅 威 論 、

対 中 警 戒 感 を 示 す 意 見 が 断 続 的 に 表 れてきたことも 事 実 である。

1 1995 年 9 月 21 日 、 外 務 省 幹 部 へのインタビュー。


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近 年 の 日 中 関 係 においては、 歴 史 認 識 問 題 などで 摩 擦 を 生 んできた 政 治

面 での 不 安 定 さと、 貿 易 ・ 投 資 拡 大 など 経 済 面 での 安 定 性 が 奇 妙 に 同 居 して

きた。 政 治 的 問 題 で 大 きく 揺 れ 動 いたとしても、 経 済 関 係 が 両 国 関 係 を 下 支

えし、 修 復 することによって、 破 局 を 免 れてきたからである。 2001 年

12 月 、 中 国 は 世 界 貿 易 機 関 (WTO)に 正 式 加 盟 し、 国 際 自 由 貿 易 体 制 に

組 み 込 まれた。 今 後 、 日 中 間 の 経 済 的 相 互 依 存 関 係 は 日 中 二 国 間 政 府 の 交 渉

よりも、 多 国 間 交 渉 を 進 める 枠 組 みの 中 で、ますます 深 まっていくだろう。

日 中 間 の 経 済 的 相 互 依 存 構 造 は、 垂 直 分 業 から 水 平 分 業 に 移 行 し、 中 国 は 豊

富 で 安 価 な 労 働 力 を 背 景 とした「 世 界 の 工 場 」と 称 される 一 大 生 産 拠 点 とし

ての 役 割 を 持 ち、 工 業 製 品 の 輸 出 に 主 力 をおくことになる。 日 本 は 高 度 な 技

術 開 発 力 を 中 国 に 移 転 する 一 方 、 中 国 製 品 の 受 け 入 れ 市 場 となっていく。む

ろん、その 調 整 プロセスでは 協 調 と 競 争 の 二 面 性 が 現 れ、 摩 擦 も 噴 出 してく

るが、 日 中 両 国 が 経 済 面 での 相 互 利 益 を 見 出 すことは 比 較 的 容 易 である。 相

互 補 完 関 係 のなかで、 拡 大 均 衡 を 目 指 していくことが 二 国 間 関 係 の 安 定 要 因

につながる。

問 題 は、 政 治 ・ 安 全 保 障 面 のぎくしゃくした 関 係 である。1972 年 の

国 交 正 常 化 以 来 、 日 中 関 係 は、 歴 史 認 識 問 題 と 台 湾 問 題 を 中 心 に、 大 きく 揺

れ 動 いてきた。1995 年 5 月 、 中 国 の 核 実 験 強 行 以 来 、1996 年 秋 にか

けて、 日 中 関 係 は 急 速 に 冷 却 した。それでも1998 年 11 月 の 江 沢 民 ・ 国

家 主 席 訪 日 で 回 復 軌 道 に 乗 り、 安 定 化 に 向 かうと 期 待 されていた。ところが

現 実 には、 江 沢 民 主 席 は 歴 史 認 識 問 題 を 繰 り 返 し 強 調 し、 訪 日 は「 成 功 」と

言 えない 後 味 の 悪 いものに 終 わった。 中 国 側 は 従 来 、 外 交 交 渉 の 場 に「 中 国

人 の 感 情 」を 持 ち 出 し、 日 本 側 をけん 制 してきたことから、 交 渉 担 当 者 の 間

では、「 歴 史 カード」で 対 日 優 位 に 立 とうとしていると 受 け 止 められてきた。

「 感 情 」を 外 交 用 語 として 持 ち 出 すなど 西 側 先 進 諸 国 の 外 交 関 係 モデル

では 測 りきれない 異 様 さが 日 中 関 係 を 支 配 している。この 江 沢 民 主 席 訪

日 時 点 から 日 本 国 内 有 識 者 層 の 対 中 認 識 は 急 速 に 冷 め、 現 在 も 回 復 の 兆

しは 見 られない 2 。

2

外 交 に 関 する 世 論 調 査 ( 内 閣 府 調 査 )を 見 ても、 中 国 に 対 して「 親 しみを 感 じる」と 答 えた 人 は

1980 年 代 、70% 前 後 で 推 移 していたが、 第 二 次 天 安 門 事 件 以 後 、 約 50%に 落 ち 込 み、1995

年 以 降 は50%を 割 っている。 日 中 関 係 を「 良 好 だと 思 う」と 答 えた 人 も95 年 以 降 、50%を 切 った

ままで 回 復 していない。また、 日 本 国 内 では、「 蛇 頭 」に 象 徴 される 中 国 人 犯 罪 グループによる 強 盗 殺

人 、 誘 拐 、 窃 盗 などの 凶 悪 犯 罪 が 増 加 。 来 日 外 国 人 刑 法 犯 の 検 挙 数 22947 件 のうち、62%は 中 国

人 であった(2000 年 、 警 察 庁 調 査 )。こうした 身 近 な 犯 罪 行 為 の 広 がりは、 対 中 感 情 の 悪 化 に 拍 車

をかけている。 日 中 関 係 は 下 降 スパイラルに 入 っているといえるだろう。


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江 沢 民 主 席 訪 日 後 、 歴 史 認 識 問 題 をめぐる 中 国 政 府 側 の 対 日 批 判 は 比 較

的 、 抑 制 されたものとなり、 関 係 改 善 を 求 めるサインも 出 た。だが、 日 本 側

の 対 応 は 慎 重 で、その 後 の 対 中 ODA 見 直 しの 動 きにつながっている。

2001 年 春 以 降 、 歴 史 教 科 書 問 題 と、 小 泉 首 相 の 靖 国 神 社 参 拝 問 題 の

処 理 をめぐって、 日 中 関 係 は 日 韓 関 係 とともに 再 び 悪 化 してしまった。 小 泉

首 相 は、 同 時 多 発 テロ 事 件 後 の10 月 前 半 、 中 国 と 韓 国 をそれぞれ 日 帰 りで

訪 問 し、ひとまず 要 人 往 来 が 途 絶 える 最 悪 の 状 態 を 脱 した。しかし、それは

表 面 的 な 関 係 修 復 を 取 り 繕 ったに 過 ぎず、 依 然 として 本 格 的 な 回 復 軌 道 には

乗 ったとはいえないままである。その 後 、 上 海 でのアジア 太 平 洋 経 済 協 力 会

議 (APEC) 首 脳 会 議 や、ブルネイでの 東 南 アジア 諸 国 連 合 (ASE

AN)プラス3( 日 中 韓 ) 首 脳 会 議 3 に 出 席 するなど、 小 泉 首 相 は 多 角 的 首

脳 外 交 に 取 り 組 んだ。2002 年 4 月 初 めには、 李 鵬 ・ 全 人 代 常 務 委 員 長 が

日 本 を 訪 問 。 続 いて、 小 泉 首 相 が 中 国 ・ 海 南 島 で 開 かれたボアオ・フォーラ

ムに 出 席 、 朱 鎔 基 首 相 と 会 談 した。しかし、4 月 21 日 、 小 泉 首 相 は 突 然 、

春 季 例 大 祭 に 合 わせて 靖 国 神 社 を 参 拝 。ただちに 中 国 側 は、 中 谷 防 衛 庁 長 官

の 訪 中 受 け 入 れと、5 月 14 日 に 予 定 していた 中 国 艦 艇 の 日 本 訪 問 を 延 期 す

ると 通 告 した。5 月 に 起 きた 中 国 ・ 瀋 陽 の 亡 命 者 連 行 事 件 は、 日 本 の 外 務 省

による 外 交 体 制 の 脆 弱 さや 隠 ぺい 体 質 をさらけ 出 した。 特 に、ウィーン 条 約

に 基 づく 在 外 公 館 の 不 可 侵 権 を 中 国 が 侵 害 した 重 大 事 実 について、 外 務 省 は

問 題 解 決 能 力 が 欠 落 していることを 示 した。 日 中 間 の 不 安 定 な 状 況 は 今 しば

らく 続 くことになる。

日 中 関 係 の 現 状 は、 関 与 政 策 を 基 盤 とした 経 済 的 相 互 依 存 の 深 まりと 文

化 的 、 人 的 交 流 の 拡 大 など 着 実 な 相 互 作 用 の 進 展 がみられるにもかかわらず、

政 治 的 難 問 を 多 く 抱 え、 国 民 レベルの 相 互 不 信 感 の 深 まりが 数 々の 問 題 の 解

決 を 一 層 、 困 難 にしているといえる。

日 中 間 に 長 期 的 な 相 互 信 頼 関 係 を 構 築 できない 国 内 的 政 治 要 因 は 何 か。

そのことが 日 米 同 盟 に 与 えるマイナス 面 をいかに 縮 小 していくか。テロ 事 件

後 の 新 たな 世 界 秩 序 構 築 に 当 たって、 日 本 が 対 中 政 策 で 取 り 組 むべき 課 題 は

何 か————などについて、ここでは 考 察 したい。

3 ASEAN プラス3は、アセアン 加 盟 十 か 国 と、 日 本 、 中 国 、 韓 国 の 三 か 国 で 構 成 する。ブルネイ

で 首 脳 会 議 が 初 めて 行 われた。


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日 本 の 対 中 政 策 決 定 過 程

二 十 一 世 紀 においても、 日 中 関 係 は 両 国 にとって「 最 も 重 要 な 二 国 間 関

係 の 一 つである 4 」ことに 変 わりない。1972 年 のニクソン 米 大 統 領 訪 中

を 受 け、 日 本 では、 佐 藤 内 閣 に 代 わって 田 中 内 閣 が 成 立 。 田 中 首 相 は 日 中 国

交 正 常 化 に 取 り 組 んだ。1978 年 には、 福 田 内 閣 が 日 中 平 和 友 好 協 力 条 約

を 締 結 し、 日 中 関 係 の 基 本 的 枠 組 みが 出 来 上 がった。ここではまず、 日 本 の

対 中 政 策 決 定 過 程 における 主 要 アクターを 概 観 しておこう。

首 相 の 政 治 的 リーダーシップが 強 力 である 時 、 首 相 レベルの 政 治 判 断 が

対 中 外 交 を 大 きく 左 右 するのはもちろんだ。 首 相 に 中 国 関 連 情 報 を 伝 えるの

は、 外 務 省 と、 中 曽 根 内 閣 から 設 置 された 内 閣 官 房 の 外 政 審 議 室 長

(2001 年 の 省 庁 再 編 後 は 官 房 副 長 官 補 )である。 外 政 審 議 室 長 には、 歴

代 、 外 務 省 アジア 局 長 ( 現 在 はアジア 大 洋 州 局 長 )を 経 由 したチャイナ・ス

クールのメンバーが 就 任 するケースが 多 かった。

通 常 の 外 交 活 動 体 制 では、 外 務 省 の 事 務 次 官 ―アジア 大 洋 州 局 長 ― 中 国

課 長 のラインが 中 軸 となって、 対 中 外 交 を 進 める。 日 本 の 外 務 省 の 場 合 、と

くに 課 長 レベルの 政 策 判 断 が 物 事 の 方 向 性 を 左 右 するケースが 多 い。このた

め、 中 国 課 長 の 政 策 上 の 影 響 力 が 諸 外 国 と 比 べ、 大 きいといえる。 地 域 割 り

による 縄 張 り 意 識 が 強 く、 他 の 地 域 担 当 部 局 や 総 合 政 策 局 との 連 携 が 弱 い。

中 国 課 長 のポストには、 中 国 語 を 学 び、 対 中 ODAを 取 り 扱 う 有 償 資 金 協 力

課 を 経 験 したキャリア 官 僚 が 就 任 するケースが 最 近 、 多 いようだ。 外 務 省 内

では、こうした 中 国 専 門 家 や 中 国 大 使 経 験 者 ら 一 連 の 官 僚 群 を「チャイナ・

スクール」と 呼 んでいる。チャイナ・スクールのメンバーの 中 には、 中 国 と

の「 善 隣 友 好 」を 第 一 義 に 考 え、 外 務 省 を 退 官 した 後 も、 親 中 派 として 積 極

的 に 発 言 し、 中 には 日 米 安 保 体 制 を 批 判 する 人 もいることから、 外 務 省 内 外

で 特 殊 な 集 団 として 見 られがちである。ただ、 現 在 の 中 堅 ・ 若 手 官 僚 の 中 に

は、 中 国 の 動 静 を 冷 静 に 分 析 し、 日 本 の 国 益 に 基 づいて 政 策 判 断 材 料 を 提 供

しようとする 対 応 に 変 わる 兆 しもみえる。だが、 中 国 ・ 瀋 陽 の 亡 命 者 連 行 事

件 では、とかく 中 国 と 問 題 を 起 こさないようにしようとするチャイナ・スク

ールの 体 質 が 露 呈 した。

一 方 、 中 国 では、 国 務 院 外 交 部 の 中 で、アジア 司 長 ( 局 長 )― 日 本 処 長

( 課 長 )のラインが 日 本 の 外 務 省 のカウンター・パートナーとなる。 中 国 の

場 合 、いったん 日 本 担 当 になると、 外 交 部 日 本 処 と 駐 日 中 国 大 使 館 を 往 復 し、

4 1998 年 11 月 、「 平 和 と 発 展 のための 友 好 協 力 パートナーシップの 構 築 に 関 する 日 中 共 同 宣 言 」。


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そのまま 日 本 一 筋 にキャリアを 重 ねるケースが 多 い。 現 在 の 中 国 外 交 部 では、

唐 家 ( 王 旋 ) 外 相 、 王 毅 外 務 次 官 ら 知 日 派 が 主 要 ポストを 占 めている。

日 本 の 場 合 、チャイナ・スクールに 限 らず、 日 本 の 外 務 官 僚 は 専 門 以 外

の 分 野 を 担 当 したり、 中 国 以 外 の 地 域 に 派 遣 されたりしてジェネラリストと

してのキャリアを 積 んでおり、 中 国 と 幹 部 育 成 方 法 が 異 なる。 特 殊 外 国 語 の

一 つと 位 置 付 けられる 中 国 語 を 学 ぶ 外 務 省 職 員 は、 入 省 後 の 留 学 で 中 国 へ 二

年 、 英 語 圏 へ 一 年 、 合 計 三 年 間 の 留 学 期 間 が 与 えられる。また、 中 国 では、

縦 割 り 機 構 の 下 、 国 防 部 など 他 の 官 庁 との 連 携 がうまく 行 っていないように

見 受 けられ、 日 中 間 の 安 全 保 障 対 話 がスムーズに 進 まない 一 因 になっている。

日 米 と 政 治 体 制 が 異 なるため、 中 国 共 産 党 一 党 独 裁 の 仕 組 みに 応 じて、 指 導

者 層 の 人 間 関 係 を 重 視 した 対 応 も 必 要 となる。 国 家 組 織 とは 別 に、 中 国 共 産

党 内 では、 江 沢 民 ・ 総 書 記 を 核 心 とする 党 政 治 局 常 務 委 員 会 の7 人 の 常 務 委

員 が 実 質 的 な 集 団 指 導 体 制 を 築 いている。こうしたシステム 上 の 相 違 から、

日 中 の 官 僚 機 構 間 だけでは 意 思 疎 通 を 欠 き、 事 務 レベル 協 議 で 問 題 の 決 着 を

図 ることが 困 難 になって、 日 本 側 を 苛 立 たせるケースも 多 い。

日 中 間 では、トラブルが 発 生 すると、 中 国 側 から「 古 い 友 人 」「 井 戸 を

掘 った 人 」と 見 なされる 松 村 謙 三 、 古 井 喜 実 ら 中 国 通 の 有 力 政 治 家 が 仲 介 に

入 り、 個 人 的 人 脈 を 通 じて 問 題 解 決 の 糸 口 を 探 るという 手 法 が 繰 り 返 されて

きた。しかし、1980 年 代 後 半 以 降 、こうした「 古 い 友 人 」 同 士 の 私 的 な

チャンネルを 通 じた 事 態 収 拾 は 影 をひそめ、 通 常 の 外 交 チャンネルを 通 じた

交 渉 と 首 脳 外 交 が 中 心 になっていった。1995 年 5 月 、 中 国 の 核 実 験 強 行

以 後 、 中 国 の 台 湾 海 峡 沖 ミサイル 演 習 (1996 年 3 月 )、 日 米 安 保 共 同 宣

言 (1996 年 4 月 )、 尖 閣 諸 島 ( 中 国 名 ・ 釣 魚 島 ) 領 有 権 問 題 (1996

年 7 月 )、 橋 本 首 相 の 靖 国 神 社 私 的 参 拝 (1996 年 7 月 )、 日 米 防 衛 協 力

のための 指 針 (ガイドライン)(1997 年 9 月 )などで 日 中 関 係 がぎくし

ゃくしたとき、 日 中 双 方 の 関 係 者 から、 政 界 の 世 代 交 代 によって、「 古 い 友

人 」による 仲 介 と 問 題 解 決 ができなくなった 点 を 嘆 く 意 見 が 聞 かれた。しか

し、 日 中 両 国 関 係 はすでに 個 人 的 親 交 関 係 に 基 づくバック・チャンネルで 解

決 の 糸 口 を 探 るには、 問 題 領 域 があまりに 広 くなっていたのである。また、

非 政 府 組 織 (NGO)や 学 生 による 民 間 交 流 も 活 発 となっており、 草 の 根 レ

ベルの 対 話 は 拡 大 している。2000 年 10 月 、 朱 鎔 基 首 相 が 来 日 した 際 、

日 中 首 脳 間 のホットラインが 開 通 した。また、 朱 首 相 は 中 国 首 脳 として 始 め

てテレビを 通 じて 一 般 市 民 と 対 話 した。こうした 流 れは、 日 中 間 の 経 済 的 相

互 依 存 と 人 的 交 流 の 広 がりからみれば、 当 然 の 帰 結 だった。

日 本 の 場 合 、 与 党 である 自 民 党 の 事 前 審 査 が 政 策 決 定 上 、 影 響 を 及 ぼす

こともある。 自 民 党 政 務 調 査 会 の 下 部 機 関 、 外 交 部 会 や 総 務 会 では、 対 中 強


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硬 派 議 員 が 政 府 の 対 中 政 策 を「 弱 腰 」と 批 判 するケースがしばしばあり、 外

務 省 アジア 大 洋 州 局 長 がこうした 批 判 の 矢 面 に 立 つことが 多 い。

与 党 が 対 中 政 策 に 影 響 を 及 ぼした 最 も 顕 著 な 例 は 二 つある。 一 つは、

1992 年 10 月 の 天 皇 訪 中 について、 自 民 党 内 部 で 抵 抗 感 があり、 宮 沢 内

閣 による 訪 中 決 定 がぎりぎりまで 遅 れたことだ 5 。

もう 一 つは、1995 年 5 月 、8 月 と 二 回 にわたり、 中 国 が 核 実 験 を 強

行 した 時 の 対 応 だ。 自 民 党 内 で 対 中 制 裁 手 段 として 円 借 款 凍 結 の 主 張 が 広 が

ったことに、 外 務 省 側 は 驚 いた。 結 局 は、 人 道 目 的 を 除 く 対 中 無 償 援 助 を 凍

結 する 措 置 を 取 るとの 妥 協 案 がまとまった 6 。これは、1989 年 6 月 4 日

の 天 安 門 事 件 で、「 人 道 的 見 地 から 容 認 し 得 ない」との 立 場 から、 新 規 の 円

借 款 を 凍 結 して 以 来 、 二 度 目 の 制 裁 措 置 だった。

これとは 逆 に、 日 本 の 政 党 が 中 国 の「 外 圧 」を 利 用 するケースもたびた

び 見 られた 現 象 だった。これは、 日 米 経 済 摩 擦 で 日 本 の 省 庁 が 個 別 問 題 を 解

決 するために、 日 本 国 内 への 説 得 材 料 として、 政 策 決 定 プロセスに 米 国 から

の 外 圧 のうち、 官 僚 組 織 にとって 好 都 合 な 部 分 をビルト・インしていたこと

と 似 ている。 五 五 年 体 制 下 、 自 民 党 、 旧 社 会 党 の 対 立 時 代 に、 旧 社 会 党 は 歴

史 認 識 問 題 や 安 全 保 障 問 題 などで、 中 国 からの 対 日 批 判 を 引 用 する 形 をとり

ながら、 国 会 での 政 府 批 判 を 繰 り 返 してきた。 最 も 顕 著 な 例 は、 日 米 安 保 改

定 を 進 めようとする 岸 内 閣 に 対 する 中 国 の 批 判 に、 旧 社 会 党 が 同 調 したこと

である。1959 年 、 旧 社 会 党 の 浅 沼 稲 次 郎 書 記 長 が 訪 中 し、「アメリカ 帝

5

天 皇 訪 中 については、1991 年 8 月 、 海 部 首 相 が 訪 中 したときに、 日 本 側 はすでに 受 諾 してい

たが、 訪 中 時 期 が 近 づくにつれ、 自 民 党 内 部 で「 中 国 側 が 天 皇 の 戦 争 責 任 について 触 れるのではない

か」との 危 惧 が 生 まれたため、 訪 中 慎 重 論 が 広 がった。しかし、 実 際 には、 中 国 側 は 天 皇 訪 中 を 歓 迎 し

ており、 外 交 問 題 として 天 皇 の 戦 争 責 任 に 触 れることを 強 く 要 求 することもなかった。もともと 中 国 政

府 は、 東 京 裁 判 に 基 づいて、 戦 時 中 の 東 条 英 機 首 相 ら A 級 戦 犯 を 軍 国 主 義 者 として 批 判 し、 日 本 国 民 と

区 分 する 歴 史 観 に 立 ち、 天 皇 の 責 任 にも 直 接 、 言 及 してこなかった。 愛 国 主 義 教 育 の 中 でも、 天 皇 批 判

は 慎 重 に 回 避 されてきた。1997 年 1 月 の 中 国 紙 「 中 国 青 年 報 」による 青 年 層 を 対 象 としたアンケー

ト 調 査 でも、 最 も 有 名 な 日 本 人 は「 東 条 英 機 」であり、 昭 和 天 皇 は 登 場 しない。1992 年 8 月 、 宮 沢

内 閣 は 天 皇 訪 中 を 決 定 し、10 月 に 史 上 初 めての 訪 中 が 実 現 した。 天 皇 は 北 京 で、「 永 きにわたる 歴 史

において、 我 が 国 が 中 国 国 民 に 対 し 多 大 の 苦 難 を 与 えた 不 幸 な 一 時 期 がありました。これは 私 の 深 く 悲

しみとするところであります」とのお 言 葉 を 述 べた。

6

当 時 は 村 山 内 閣 の 下 、 自 民 、 社 会 、 新 党 さきがけ 三 党 が 与 党 だった。 自 民 党 内 では、 中 国 への 抗

議 として、 対 中 円 借 款 見 直 しの 主 張 が 広 がった。 外 務 省 側 は 対 中 ODA を 経 済 制 裁 の 手 段 として 使 うこ

とを 疑 問 視 した。しかし、 自 民 党 執 行 部 内 の 協 議 で、 人 道 目 的 を 除 く 対 中 無 償 援 助 を 凍 結 する 措 置 を 取

るとの 妥 協 案 が 決 まり、それが 政 府 方 針 となった。この 方 針 は 翌 1996 年 の 中 国 の 核 実 験 に 対 する 措

置 として 継 続 された。


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国 主 義 は 日 中 両 国 人 民 共 同 の 敵 」と 北 京 で 講 演 した。 旧 社 会 党 は 自 民 党 政 府

の 防 衛 政 策 や、 日 米 安 保 体 制 強 化 に 関 わる 政 策 、 歴 史 認 識 問 題 などでことご

とく 対 立 した。 旧 社 会 党 関 係 者 は、 中 国 側 に 日 本 政 府 批 判 の 材 料 となる 情 報

や 論 理 構 成 を 非 公 式 に 伝 え、それが 中 国 の 対 日 批 判 に 反 映 されるという 現 象

がみられた 7 。

村 山 政 権 以 後 、 旧 社 会 党 の 国 会 内 の 勢 力 が 衰 えると、 中 国 共 産 党 は 日 本

共 産 党 との 関 係 改 善 に 乗 り 出 した。 日 本 共 産 党 とは 路 線 の 違 いから、 毛 沢 東

時 代 末 期 以 来 、 対 立 関 係 にあったが、 中 国 側 が 積 極 的 にアプローチし、

1998 年 からは 日 本 共 産 党 機 関 紙 「 赤 旗 」から 北 京 へ 特 派 員 が 派 遣 される

など、 政 党 関 係 の 正 常 化 を 実 現 した。

国 会 議 員 レベルの 組 織 的 活 動 は、「 日 中 友 好 議 員 連 盟 」( 林 義 郎 会 長 )

が 主 要 なパイプとなっている 8 。 一 方 、 台 湾 とのパイプはこれまで 国 民 党 と

関 係 が 深 い「 日 華 議 員 懇 談 会 」が 中 心 的 役 割 を 果 たしてきた。 日 中 国 交 正 常

化 後 、 台 湾 との 外 交 関 係 が 断 絶 したため、 親 台 湾 派 の 自 民 党 国 会 議 員 が 結 成

したもので、1997 年 以 降 は 超 党 派 組 織 になった。ところが、2000 年

5 月 、 民 進 党 の 陳 水 扁 総 統 が 誕 生 後 、 台 湾 の 新 与 党 、 民 進 党 との 接 触 が 必 要

になったため、2001 年 から 日 本 側 に 新 たな 動 きがみられた 9 。

日 中 対 話 ―― 二 つの 前 提 条 件

日 中 間 の 歴 史 認 識 問 題 は、 二 十 一 世 紀 を 迎 えた 今 日 もなお 氷 解 していな

い。 日 中 間 の 相 互 不 信 の 源 泉 であり、 容 易 に 解 決 できる 問 題 ではない。 中 国

7 しかし、 日 中 国 交 正 常 化 にあたって 活 躍 した 野 党 は「 竹 入 メモ」にみられるように 公 明 党 であっ

て、 旧 社 会 党 ではなかった。また、 日 中 平 和 友 好 条 約 締 結 交 渉 のプロセスでは、 中 国 が 旧 ソ 連 を 意 識 し

た「 覇 権 条 項 」の 盛 り 込 みを 要 求 したため、 党 内 に 親 ソ 派 、 親 中 派 双 方 を 抱 える 旧 社 会 党 としては 当 時 、

身 動 きがとれなかった。 中 国 共 産 党 と 日 本 の 旧 社 会 党 はそれぞれ 都 合 のいい 時 にお 互 いを 利 用 し 合 う

「ご 都 合 主 義 」の 友 党 関 係 だった、といえる。

8 これは、「 日 中 友 好 協 会 」( 平 山 郁 夫 会 長 )、「 日 中 協 会 」( 野 田 毅 会 長 )、「 日 中 友 好 会 館 」

( 後 藤 田 正 晴 会 長 )などとともに、 日 中 友 好 7 団 体 を 構 成 している。

9

自 民 党 の 若 手 議 員 が「 日 本 ・ 台 湾 友 好 議 員 連 盟 」を 結 成 、 野 党 の 民 主 党 も「 日 本 ・ 台 湾 友 好 議 員

懇 談 会 」を 結 成 し、 相 次 いで 台 湾 を 訪 問 している。 自 民 党 の「 日 本 ・ 台 湾 友 好 議 員 連 盟 」は、2001

年 8 月 、 台 湾 側 超 党 派 議 員 との 交 流 窓 口 として「 日 台 国 会 議 員 友 好 連 盟 」を 結 成 し、 交 流 を 深 めている。

従 来 の「 日 華 議 員 懇 談 会 」も 若 手 メンバーによる「 二 十 一 世 紀 委 員 会 」を 結 成 し、 新 たな 交 流 を 進 めて

いる。これは、 台 湾 の 民 主 化 プロセス 進 展 を 踏 まえた 議 員 交 流 となっている。こうした 流 れを 踏 まえ、

90 年 代 半 ば 以 降 、 駐 日 中 国 大 使 館 を 中 心 に、 中 国 側 外 交 官 が 日 本 の 各 政 党 の 国 会 議 員 に 働 きかけるロ

ビー 活 動 も 活 発 に 行 われている。


94 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

政 府 は、 歴 史 認 識 問 題 と 台 湾 問 題 を 日 中 関 係 最 大 のテーマと 位 置 づけている。

そのうえで、 日 本 が 経 済 大 国 から 政 治 大 国 、 軍 事 大 国 として 役 割 を 拡 大 する

のではないか、と 強 い 警 戒 感 を 示 してきた。 日 本 が 政 治 体 制 の 異 なる 中 国 と

地 政 学 的 な 隣 国 同 士 として 安 定 的 関 係 を 目 指 そうとしても、 相 互 信 頼 関 係 を

築 く 事 ができるのは 遠 い 将 来 になるだろう。しかし、 歴 史 認 識 問 題 が 原 因 で

日 中 双 方 の 誤 解 と 誤 算 をエスカレートさせ、 混 とんとした 状 況 にあるアジア

の 安 全 保 障 を 脅 かすことにつながる 事 態 はなんとしても 避 けなければならず、

信 頼 醸 成 を 進 めることが 急 務 である。ここでは、 1998 年 の 江 沢 民 ・ 国

家 主 席 訪 日 前 後 における 日 中 両 国 の 対 応 を 分 析 する。

しかし、そこには 信 頼 醸 成 を 進 める 前 提 として 理 解 しておかなければな

らない 二 つの 条 件 がある。

第 一 に、 異 なる 政 治 体 制 の 下 では、 真 の 意 味 で 対 話 は 成 り 立 たない、と

いうことだ。 中 国 は 共 産 党 一 党 支 配 の 国 であり、 急 速 な 経 済 発 展 をとげた 現

在 も 政 治 改 革 は 進 まず、 言 論 、 報 道 の 自 由 もない。2002 年 9 月 以 降 、 中

国 は 胡 錦 濤 ・ 国 家 副 主 席 ら 第 四 世 代 への 政 権 移 行 期 に 入 るが、 政 治 改 革 が 進

む 道 筋 は 明 らかでない。 政 府 レベルの 歴 史 観 は、 中 国 共 産 党 史 に 基 づいて 描

かれ、 政 府 レベル、 共 産 党 員 レベル、 一 般 国 民 レベルを 通 じて 統 一 した 見 方

を 強 制 されている。これは、 日 本 人 に 対 しては、 中 国 侵 略 の 記 憶 を 保 持 させ、

中 国 人 民 に 対 しては 日 本 の 軍 国 主 義 と 戦 ったのが 中 国 共 産 党 であり、 中 国 共

産 党 なくしてこれに 打 ち 勝 てなかったと 愛 国 主 義 を 称 揚 する 宣 伝 が 必 要 だっ

たからである。

一 方 、 民 主 主 義 国 である 日 本 の 場 合 、 歴 史 認 識 は 多 様 である。 様 々な 政

治 的 立 場 から、さまざまな 歴 史 観 が 表 明 されており、 統 一 した 国 民 合 意 は 形

成 されていない。 村 山 内 閣 時 代 の1995 年 6 月 、 衆 院 で 戦 後 五 十 年 にあた

っての 国 会 決 議 が 行 われた 際 、 内 容 に 対 する 不 満 から、 野 党 第 一 党 の 新 進 党

が 全 員 欠 席 、 自 民 、 社 会 、さきがけ 三 党 の 与 党 側 からも 約 70 人 の 欠 席 者 が

出 て、 全 衆 院 議 員 の 過 半 数 に 満 たない 約 230 人 の 賛 成 多 数 で 決 議 されたこ

とがその 象 徴 的 な 一 例 である。 国 会 決 議 は 従 来 、 全 員 一 致 を 慣 例 としており、

参 院 で 行 われなかった 事 も 異 常 であった。 各 政 党 、 各 議 員 によって 対 応 はバ

ラバラになった。こうした 国 民 の 意 識 の 多 様 性 について、 中 国 側 は 目 を 向 け

ていない。そのうえで、 中 国 共 産 党 の 定 義 づけた 歴 史 観 に 基 づき、 日 本 政 府

に 謝 罪 を 要 求 する 姿 勢 を 崩 していないのである。 中 国 にとって、「 歴 史 を 正

しく 直 視 する」というのは、 歴 史 家 の 手 によって、 旧 日 本 軍 による 侵 略 行 為

の 個 々の 事 実 関 係 を 実 証 的 に 調 査 することではなく、 中 国 共 産 党 の 歴 史 観 を

受 け 入 れるかどうかが 判 断 基 準 となる。それを 受 け 入 れない 場 合 は、「 歴 史

をわい 曲 し、 否 定 する」 態 度 として 厳 しい 批 判 の 対 象 となる。 例 えば、 南 京

事 件 (1937 年 )について、 日 本 国 内 では、 中 国 人 犠 牲 者 数 に 関 する 論 争


笹 島 雅 彦 ⏐ 95

がマスコミ、 歴 史 学 者 の 間 で 活 発 に 行 われてきた。しかし、 中 国 では 南 京 市

の 記 念 館 壁 面 に 彫 り 込 まれた 「30 万 人 」が 公 式 犠 牲 者 数 となっている。

これを 中 国 人 独 特 の「 多 数 」を 意 味 する 言 語 表 現 ととれば、 学 術 上 の 論 争 と

は 別 次 元 の 空 疎 な 論 議 となる。

第 二 に、 日 本 は 中 国 に 対 し、 国 交 正 常 化 当 初 から、すでに 公 式 文 書 でお

詫 びの 言 葉 を 述 べている、ということだ。1972 年 の 日 中 共 同 声 明 では、

次 のようにかかれている。

「 日 本 側 は 過 去 において 日 本 が 戦 争 を 通 じて 中 国 国 民 に 重 大 な 損 害 を 与

えた 事 についての 責 任 を 痛 感 し、 深 く 反 省 する」

さらに、1995 年 8 月 、 自 民 、 社 会 、さきがけ 三 党 連 立 政 権 で、 当 時

の 村 山 首 相 は 日 本 が「 植 民 地 支 配 と 侵 略 によって、アジア 諸 国 の 人 々に 対 し

て 多 大 の 損 害 と 苦 痛 を 与 え」たことを「 疑 うべくもないこの 歴 史 の 事 実 」と

認 め、「 痛 切 な 反 省 の 意 を 表 し、 心 からのお 詫 びの 気 持 ちを 表 明 する」との

首 相 談 話 を 出 した 10 。 以 後 の 内 閣 においても、この 村 山 談 話 の 認 識 は 踏 襲 さ

れ、たびたび 引 用 されている。

国 交 正 常 化 後 の 十 年 間 、 中 国 側 が 歴 史 認 識 問 題 を 外 交 問 題 として 取 り 上

げたことはない。 中 国 がこれを 問 題 視 するようになる 分 水 嶺 は、1982 年

の 教 科 書 問 題 からだった。きっかけは、 同 年 6 月 26 日 付 新 聞 、テレビ 報 道

で、 一 部 の 歴 史 教 科 書 が 検 定 によって 中 国 への「 侵 略 」を「 進 出 」と 書 き 換

えさせられたーーとする 教 科 書 検 定 をめぐる 報 道 だった。この 報 道 は 検 定 時

期 について 誤 報 を 含 む 内 容 だったため、その 後 、 日 本 国 内 では 新 たな 論 争 を

生 んだ。 中 国 共 産 党 機 関 紙 「 人 民 日 報 」は、「 歴 史 を 歪 曲 し、 侵 略 を 美 化 す

る 日 本 の 教 科 書 検 定 」と 題 する 記 事 を 掲 載 し、 中 国 外 務 省 は 一 か 月 後 、 日 本

に 正 式 抗 議 した 11 。 日 本 側 は 記 述 修 正 に 応 じ、 検 定 基 準 改 訂 時 期 を 明 示 する

ことで 決 着 を 図 った。これ 以 後 、 歴 史 認 識 問 題 は、 日 中 間 の 大 きな 問 題 とし

て 取 り 上 げられるようになった 12 。こうしたサイクルの 中 で、 中 国 側 には、

10 1995 年 8 月 15 日 、「 戦 後 50 周 年 の 終 戦 記 念 日 にあたって」(いわゆる 村 山 首 相 談 話 )。

11 1982 年 6 月 30 日 付 、 同 年 7 月 20 日 付 、 中 国 共 産 党 機 関 紙 「 人 民 日 報 」。 一 か 月 近 く 経

った 同 年 7 月 26 日 、 中 国 外 務 省 アジア 司 長 は 駐 中 国 日 本 大 使 館 を 通 じ、 正 式 に 抗 議 した。1996 年

夏 、 橋 本 首 相 の 靖 国 神 社 参 拝 、 尖 閣 諸 島 領 有 権 問 題 で、 中 国 政 府 が 正 式 抗 議 したのは、 一 か 月 間 余 りの

沈 黙 の 後 だった。

12

日 本 国 内 の 歴 史 観 の 対 立 から 生 じた 歴 史 論 争 にしばしば 中 国 が 介 入 するようになった。また、

日 本 の 閣 僚 が 歴 史 問 題 で 発 言 した 見 解 が 日 本 国 内 のマスコミを 通 じて 伝 えられるたびに、 中 国 、 韓 国 か

らの 感 情 的 反 発 を 招 き、 閣 僚 更 迭 を 繰 り 返 すという 悪 循 環 も 生 まれた。


96 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

日 本 は 公 式 に 謝 罪 していない、という 意 識 が 沈 殿 していった。その 背 景 には、

この 時 期 から 中 国 側 は、 日 本 が 経 済 大 国 から 政 治 大 国 化 するのではないかと

いう 疑 念 が 生 じたことがある。 日 本 の 軍 国 主 義 復 活 を 警 戒 する 論 調 にそのこ

とが 表 れている。また、 改 革 開 放 政 策 を 進 めていく 上 で、 中 国 共 産 党 支 配 の

正 統 性 を 裏 付 けるため、マルクス=レーニン 主 義 に 代 わって、 抗 日 ゲリラ 戦

を 戦 い 抜 いた 共 産 党 というナショナリズムに 訴 える 統 治 手 法 を 使 った 事 が 影

響 しているとみられる。

日 中 共 同 宣 言 作 成

中 国 の 狙 い

こうした 前 提 条 件 を 踏 まえ、 江 沢 民 ・ 国 家 主 席 訪 日 のプロセスで 生 じた

問 題 点 を 探 ってみる。

中 国 側 から 見 て、1998 年 9 月 に 当 初 設 定 された 江 沢 民 ・ 国 家 主 席 の

日 本 公 式 訪 問 は、 中 国 国 家 元 首 としては 歴 史 上 、 初 めてのことだった。

1992 年 の 天 皇 訪 中 に 対 する 答 礼 訪 問 の 形 となるものである 13 。 中 国 側 は、

1997 年 秋 の 江 沢 民 訪 米 と 並 んで、この 訪 日 を 重 視 しており、 日 本 側 に 対

し、1998 年 初 め、 二 十 一 世 紀 にわたる 長 期 的 な 協 力 関 係 のあり 方 を 示 す

新 たな 合 意 文 書 「 日 中 共 同 宣 言 」を 策 定 するよう 内 々に 提 案 してきた。

この 中 国 の 提 案 の 背 景 には、 外 交 、 内 政 両 面 をにらんだ 二 つの 狙 いがあ

る。 第 一 に、 外 交 面 では、1997 年 秋 以 降 、 急 速 に 進 んでいる 日 米 中 ロの

四 大 国 外 交 の 展 開 を 重 視 し、 江 主 席 訪 日 によって、 対 日 関 係 の 足 場 を 踏 み 固

める 方 が 有 利 、との 判 断 が 働 いた。 江 沢 民 訪 米 時 の 米 中 共 同 声 明 では、「 建

設 的 かつ 戦 略 的 パートナーシップ」の 構 築 で 合 意 した。 中 ロ 関 係 も「 戦 略 的

パートナーシップ」と 位 置 づけてきた。ここで、 日 本 との 間 でも「 平 和 と 発

展 のための 友 好 協 力 パートナーシップ」( 日 中 共 同 宣 言 =1998 年 )を 構

築 し、 四 大 国 外 交 の 総 仕 上 げを 行 おうというわけである。 最 優 先 課 題 で

ある 経 済 建 設 推 進 のため、 良 好 な 国 際 環 境 を 求 める 全 方 位 外 交 を 展 開 す

る 一 環 だった。

13

江 沢 民 ・ 国 家 主 席 は1992 年 4 月 に 党 総 書 記 として 訪 日 しており、1995 年 11 月 のアジ

ア 太 平 洋 経 済 協 力 会 議 (APEC) 大 阪 会 合 にも 出 席 している。だが、 国 家 元 首 である 国 家 主 席 の 肩 書 で

公 式 訪 問 するのは 日 中 の 歴 史 では 初 めてであり、 中 国 側 はこうした 形 式 と 面 子 にこだわっていたのである。


笹 島 雅 彦 ⏐ 97

一 方 、 内 政 面 では、 江 主 席 の 国 内 政 治 基 盤 を 固 める 狙 いが 秘 められてい

た。 毛 沢 東 の 革 命 第 一 世 代 は 日 中 国 交 正 常 化 を 果 たし、 鄧 小 平 の 第 二 世 代 は

日 中 平 和 友 好 条 約 締 結 と 対 中 ODAによる 関 係 発 展 を 生 んだ。 第 三 世 代 を 代

表 する 江 沢 民 主 席 は 軍 歴 がなく、 党 内 基 盤 が 脆 弱 であったため、 日 本 との 関

係 改 善 に 置 いても 権 威 強 化 につながる 機 会 として 日 本 訪 問 をとらえた。 共 同

文 書 作 成 によって、 外 交 成 果 を 中 国 国 内 に 誇 示 し、 中 国 共 産 党 内 の 各 種 会 議

で 説 明 するためにも、 日 中 共 同 声 明 、 日 中 平 和 友 好 条 約 に 続 く「 第 三 の 文

書 」として、 日 中 共 同 宣 言 を 作 成 することが 必 要 だった。 1998 年 4 月

下 旬 、 江 主 席 訪 日 の 露 払 い 役 として 来 日 した 胡 錦 濤 ・ 国 家 副 主 席 は、 江 主 席

訪 日 によって「 必 ず 日 中 関 係 を 新 たな 段 階 に 推 し 進 めることができる」と 断

言 していた 14 。 中 国 共 産 党 政 治 局 常 務 委 員 7 人 のうち 二 人 が 同 じ 年 に 同 じ 国

を 訪 問 することは 異 例 で、 中 国 側 の 意 気 込 みを 示 している、とも 観 測 された。

日 本 の 懸 念

これに 対 し、 日 本 側 は、「 日 中 関 係 は、 歴 史 認 識 問 題 をめぐって 間 欠 泉

のようにぎくしゃくした 関 係 を 繰 り 返 してきた」( 日 本 外 務 省 幹 部 )ため、

未 来 志 向 の 意 味 ある 共 同 文 書 づくりにつながるかどうか、 懐 疑 的 だった。つ

まり、「 二 十 一 世 紀 における 日 中 関 係 の 新 たな 基 本 的 枠 組 みづくり」

(1998 年 4 月 下 旬 に 訪 日 した 胡 錦 濤 ・ 国 家 副 主 席 )をめざすものになる

かどうかということである。1998 年 3 月 末 、 日 中 共 同 宣 言 づくりの 動 き

が 新 聞 報 道 (3 月 31 日 付 ・ 読 売 新 聞 )されると、 日 本 の 外 務 省 は 報 道 内 容

を 否 定 した。これは 文 書 づくりが 始 まると、 中 国 側 から 台 湾 問 題 の 盛 り 込 み

を 要 求 されたり、 自 民 党 内 の 対 中 強 硬 派 から 強 い 圧 力 を 受 けたりして、やっ

かいな 政 治 問 題 に 発 展 することを 恐 れたためだった。

1995 年 5 月 、 中 国 の 核 実 験 強 行 以 後 、 中 国 の 台 湾 海 峡 沖 ミサイル 演

習 (1996 年 3 月 )、 日 米 安 保 共 同 宣 言 (1996 年 4 月 )、 尖 閣 諸 島

( 中 国 名 ・ 釣 魚 島 ) 領 有 権 問 題 (1996 年 7 月 )、 橋 本 首 相 の 靖 国 神 社 私

的 参 拝 (1996 年 7 月 )などで 一 年 あまり、 日 中 関 係 がぎくしゃくしてき

ただけに、1996 年 11 月 、マニラで 江 主 席 と 橋 本 首 相 による 日 中 首 脳 会

談 で、 首 脳 相 互 訪 問 について 合 意 。 江 主 席 は 日 中 平 和 友 好 条 約 調 印 二 十 周 年

に 当 たる1998 年 秋 に 訪 問 することになった 経 緯 があった。 表 面 的 には、

悪 化 した 二 国 間 関 係 を 修 復 し、 新 たな 安 定 的 関 係 に 向 かうと 期 待 されていた。

しかし、 日 本 側 からみると、 文 書 作 成 は 容 易 ではなかった。というのは、

日 本 の 政 府 、 国 民 レベルともに 対 中 認 識 でマイナス 思 考 が 働 いており、 中 国

14 1998 年 4 月 23 日 付 「 読 売 新 聞 」。


98 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

側 に 対 日 外 交 を 刷 新 する 意 欲 があるかどうかがポイントだったからだ。 日 本

側 には、 三 つの 中 期 的 懸 念 があった。それは、 日 本 の 国 際 的 役 割 の 認 知 、 台

湾 問 題 の 平 和 的 解 決 、 日 本 の 対 中 ODA 削 減 問 題 である。

まず、 日 本 がアジア 太 平 洋 地 域 の 平 和 と 安 定 に 貢 献 することについて、

中 国 が 従 来 の 警 戒 心 を 解 くかどうかであった。 日 本 側 には、 表 向 きの 歓 迎 振

りとは 裏 腹 に、「 落 ち 着 いた 日 中 関 係 が 続 くのは、 江 主 席 訪 日 までの 一 時 期

だけだ」( 外 務 省 幹 部 )という 冷 めた 予 測 が 本 音 としてあった 15 。「 中 国 共

産 党 が 政 権 にある 限 り、 次 世 代 指 導 者 に 代 わっても、 歴 史 認 識 の 対 日 批 判 は

間 欠 泉 のように 続 く。 安 定 化 の 枠 組 みを 築 くのは 不 可 能 だ」( 同 )と 分 析 し

ているためであった 16 。

中 国 メディアや 日 本 研 究 者 の 主 流 は、 日 本 が 経 済 大 国 から 政 治 大 国 、 軍

事 大 国 を 目 指 していると 見 なしている 17 。 中 国 のメディアは 基 本 的 に 中 国 共

産 党 の 宣 伝 工 作 を 目 的 としており、 意 図 的 とも 思 える 事 実 関 係 のわい 曲 や 不

都 合 な 事 実 関 係 の 無 視 がしばしば 行 われる。およそ 日 本 国 民 の 大 半 が 読 まな

いような 雑 誌 、 新 聞 からの 評 論 を 引 用 して、 日 本 の 軍 国 主 義 復 活 の 実 例 とし

て 紹 介 することもある。 中 国 側 が 提 起 した 旧 日 本 軍 の 遺 棄 化 学 兵 器 処 理 問 題

は 現 在 、 化 学 兵 器 禁 止 条 約 に 基 づき、 日 本 側 の 全 面 的 負 担 で 処 理 がスタート

している。しかし、この 問 題 も「 日 本 の 閣 僚 が 歴 史 認 識 問 題 で 今 後 、 失 言 し

なくても、 今 後 十 年 間 にわたり、 日 本 人 に 対 して 暗 い 歴 史 を 思 い 出 させる 効

果 がある」( 日 本 の 外 務 省 幹 部 )もので、 外 交 交 渉 上 、「 歴 史 カード」とし

て 長 く 利 用 できるわけである。 米 国 の 研 究 者 が 中 国 を 訪 問 すると、 第 二 次 大

戦 中 の 連 合 国 同 士 として「 反 ファシズム 闘 争 」の 歴 史 的 友 好 関 係 を 強 調 する

とともに、 旧 日 本 軍 の 侵 略 に 伴 う 残 虐 行 為 を 説 明 することが 多 い。これは、

心 理 的 に 日 米 離 間 を 図 ろうとする 試 みでもある。こうなると、 日 本 の 外 交 当

局 は「 忍 耐 」と「 諦 観 」で 対 中 外 交 に 臨 まざるを 得 ないのが 実 情 だ。

第 二 に、 中 国 が 台 湾 への 武 力 行 使 の 可 能 性 を 放 棄 し、 中 台 関 係 の 平 和 的

解 決 が 図 れるかどうかである。1996 年 3 月 の 中 台 危 機 以 降 、 米 中 間 では

15 1998 年 3 月 25 日 、 外 務 省 幹 部 とのインタビュー。

16

中 国 共 産 党 は 元 来 、 抗 日 ゲリラとして 戦 って 勢 力 を 伸 ばした 経 緯 があるうえ、 共 産 主 義 に 基 づ

く 計 画 経 済 を 事 実 上 、 放 棄 した 現 在 、「 愛 国 主 義 」をスローガンに 掲 げて 政 権 の 正 統 性 を 国 民 に 訴 えて

いる 現 実 が 背 景 にある。

17

大 枠 では「 軍 国 主 義 復 活 」の 可 能 性 を 国 民 に 宣 伝 する 旧 態 依 然 の 姿 勢 を 変 えていない。 中 国 の

知 識 人 階 層 にあたる 日 本 学 者 や 中 国 人 ジャーナリストは、 個 人 的 に 接 触 してみると、 日 本 の 実 情 をよく

理 解 しており、きわめて 友 好 的 態 度 にみえる。しかし、その 同 一 人 物 が 公 式 会 議 で 発 言 したり、 論 文 を

公 表 したりするときには、 公 式 論 の 枠 内 で 日 本 の 軍 事 大 国 化 を 強 く 批 判 するのである。


笹 島 雅 彦 ⏐ 99

首 脳 相 互 訪 問 が 設 定 されるなど、 関 係 改 善 の 動 きが 進 展 した。 日 本 としては、

「 台 湾 を 巡 る 問 題 が 当 事 者 間 の 直 接 の 話 し 合 いを 通 じて、 平 和 的 に 解 決 され

ることを 強 く 希 望 する」というのが 基 本 的 立 場 だ。 中 国 のミサイル 演 習 で 沖

縄 県 近 海 の 安 全 に 不 安 を 抱 いた 日 本 が、 中 台 双 方 の 自 制 を 促 し、 平 和 的 解 決

を 求 めるのは 当 然 の 対 応 といえる。ところが、 日 米 安 保 共 同 宣 言 (1996

年 4 月 )とその 後 の 新 日 米 防 衛 協 力 のための 指 針 (ガイドライン)

(1997 年 9 月 )、ガイドライン 関 連 法 成 立 (1999 年 5 月 )など 一 連

の 日 米 同 盟 強 化 のプロセスについて、 中 国 は 強 く 批 判 を 続 けてきた。という

のも、 台 湾 問 題 へ 介 入 しないよう 日 本 をけん 制 するのが 最 大 の 目 的 だったか

らだ。もし、 日 本 が 中 国 の 要 求 に 応 じて 米 国 との 同 盟 関 係 を 解 消 した 場 合 、

一 番 困 るのは、 独 自 の 防 衛 力 増 強 に 乗 り 出 すかもしれない 日 本 と 対 峙 するは

めになる 中 国 自 身 である。 中 国 軍 部 は、 台 湾 問 題 における 日 米 同 盟 の 無 力 化

と、 台 湾 への 軍 事 攻 撃 のオプションを 握 ったままである。 危 機 回 避 に 向 けて、

台 湾 との 対 話 再 開 など 平 和 的 解 決 を 目 指 すのは、むしろ、「 責 任 ある 大 国 」

としての 中 国 の 責 務 であろう。

第 三 に、 対 中 ODAが 今 後 、 削 減 対 象 に 入 ってくることについて、 中 国

側 との 調 整 が 必 要 になる。1996 年 度 から 始 まった 第 四 次 円 借 款 は 前 半 三

年 、 後 半 二 年 に 分 けて 協 力 内 容 を 決 める「3+2」 方 式 をとっている。 日 本

政 府 は1998 年 度 予 算 からODA 全 体 枠 を 前 年 度 比 10% 削 減 した。この

ため、 対 中 援 助 にも 影 響 が 出 ると 予 測 された。「 対 中 援 助 を 一 割 カットする

と、アフリカの 最 貧 国 十 か 国 を 救 える」( 日 本 の 外 務 省 幹 部 )と 言 われるだ

けに、 日 本 としては 今 後 、 環 境 対 策 や、 沿 岸 部 と 内 陸 部 との 格 差 是 正 に 絞 っ

てODAを 重 点 投 入 したいという 方 針 であった 18 。 日 本 国 内 からも「 不 況 下

の 日 本 が 急 速 な 経 済 成 長 を 遂 げる 中 国 に 経 済 援 助 する 必 要 があるのか」「 核

実 験 を 強 行 するなど 軍 備 増 強 を 続 け、 他 の 途 上 国 に 援 助 している 中 国 に 経 済

援 助 は 必 要 なのか」「 中 国 に 援 助 しても、 中 国 国 民 には 知 らされず、 何 も 感

謝 されない」などの 不 満 の 声 が 出 ていた。もともと、 大 平 首 相 が1979 年 、

対 中 ODA 供 与 を 決 めたのは、 鄧 小 平 氏 による 中 国 近 代 化 政 策 、その 後 の 改

革 ・ 開 放 政 策 を 支 持 するのが 目 的 だった。 中 国 が 脅 威 となるのは、 軍 事 力 を

増 強 する 場 合 よりも、 国 内 が 混 乱 し、 分 裂 する 中 国 の 方 が 現 実 的 脅 威 となる

ーーという 隣 国 としての 戦 略 的 視 角 からだった 19 。 社 会 的 に 安 定 し、 協

調 的 姿 勢 の 中 国 が 日 本 にとっても 国 際 社 会 にとっても 共 通 利 益 となるの

は 確 かである。

18 1997 年 11 月 14 日 、 外 務 省 幹 部 とのインタビュー。

19 13 億 人 の 人 口 を 抱 える 中 国 が 食 糧 不 足 になれば、 世 界 の 食 糧 危 機 を 引 き 起 こし、 経 済 発 展 に

よって1993 年 から 石 油 輸 入 国 に 転 じた 中 国 がエネルギー 危 機 に 陥 れば、 世 界 のエネルギー 危 機 につ

ながる。 中 国 国 内 の 分 裂 で 大 量 の 難 民 を 生 み 出 せば、 周 辺 諸 国 に 難 民 が 押 し 寄 せ、 周 辺 国 にとっての 不

安 定 要 因 になる。


100 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

日 本 は 中 国 側 から 経 済 援 助 の 可 能 性 について 打 診 を 受 け、 1979 年

12 月 、 大 平 首 相 の 訪 中 時 、 計 3300 億 円 にのぼる 第 一 次 円 借 款 供 与 を 表

明 した 20 。この 決 定 の 背 景 には、 経 済 建 設 に 協 力 することで 中 国 を 国 際 社 会

に 組 み 込 んでいくという 関 与 政 策 を 実 行 するとともに、 中 国 が 日 中 共 同 声 明

で 戦 争 賠 償 を 放 棄 した 事 への 感 謝 の 念 から、あうんの 呼 吸 で 供 与 したとの 側

面 がある。 日 中 国 交 正 常 化 の 際 、 毛 沢 東 主 席 や 周 恩 来 首 相 は「 悪 いのは 一 握

りの 軍 国 主 義 者 で、 日 本 国 民 には 責 任 はない」との 寛 大 な 姿 勢 で 臨 み、 戦 争

賠 償 を 放 棄 した 21 。 日 本 政 府 はもちろん、 戦 争 賠 償 放 棄 に 伴 う 代 替 措 置 であ

ると、 公 には 認 めないが、 中 国 側 から 見 れば、 戦 争 賠 償 放 棄 に 伴 う 当 然 の 代

償 に 映 った。 日 本 が 戦 争 の 借 りを 返 しているという 意 識 である。

1989 年 6 月 4 日 の 第 二 次 天 安 門 事 件 後 、 中 国 への 国 際 批 判 が 強 まる

と、 日 本 も 国 際 世 論 に 同 調 して、 対 中 新 規 円 借 款 を 凍 結 する 制 裁 措 置 をとっ

た。しかし、 日 本 は 事 件 によって 中 国 国 内 が 混 乱 すれば、アジアの 戦 略 環 境

が 不 安 定 化 すると 判 断 した。 同 年 7 月 の 先 進 国 首 脳 会 議 (アルシュ・サミッ

ト)で、 日 本 は「 中 国 の 孤 立 化 は 好 ましくない」と 主 張 。 翌 1990 年 のヒ

ューストン・サミットでは 新 規 の 円 借 款 交 渉 に 入 るとの 独 自 方 針 を 表 明 した。

1991 年 8 月 には、 天 安 門 事 件 後 、 先 進 国 の 中 で 最 初 に 海 部 首 相 が 訪 中 し

た。 日 本 の 外 務 省 では、 少 なくとも 賠 償 放 棄 に 関 して、「これで 借 りは 返 し

た」( 外 務 省 幹 部 )との 意 識 が 広 がった。これを 機 に、 日 中 間 のODAに 対

する 認 識 の 相 違 が 一 段 と 広 がった。

1995 年 5 月 と8 月 、 中 国 が 二 度 の 核 実 験 を 強 行 すると、 日 本 は 対 中

無 償 援 助 を 凍 結 するとの 制 裁 措 置 をとった。 日 本 政 府 は「 政 府 開 発 援 助

(ODA) 大 綱 」(1992 年 6 月 閣 議 決 定 )で、 軍 事 支 出 、 大 量 破 壊 兵

器 ・ミサイルの 開 発 ・ 製 造 などに 十 分 注 意 を 払 うことを 四 原 則 として 定 めて

いた 22 。この 制 裁 措 置 は、1997 年 7 月 を 最 後 に 中 国 が 核 実 験 を 停 止 した

後 もしばらく 続 いた。 中 国 側 は「 日 本 は 援 助 を 武 器 に 圧 力 をかけようとして

20

対 中 円 借 款 は、 中 国 の 五 か 年 計 画 に 呼 応 した、 五 、 六 年 に 及 ぶ 長 期 コミットメントで、 他 の 開

発 途 上 国 に 比 べても 破 格 の 扱 いだった。 中 国 側 にとっては 経 済 発 展 計 画 を 組 みやすい 長 期 借 入 金 だった。

21

日 本 軍 国 主 義 と 日 本 人 民 を 区 分 するのは、 中 国 政 府 の 基 本 的 視 点 である。1972 年 9 月 の 国

交 正 常 化 をめぐる 日 中 首 脳 会 談 について、 外 務 省 は 交 渉 記 録 文 書 の 一 部 を 公 開 した。(2001 年 6 月

23 日 付 「 読 売 新 聞 」)

22

政 府 開 発 援 助 (ODA) 大 綱 (1992 年 6 月 閣 議 決 定 )に 盛 り 込 まれたODA4 原 則 は、 環

境 と 開 発 を 両 立 させる。 軍 事 的 用 途 及 び 国 際 紛 争 助 長 への 使 用 を 回 避 する。 国 際 平 和 と 安 定 を 維 持 ・ 強

化 するとともに、 開 発 途 上 国 はその 国 内 資 源 を 自 国 の 経 済 社 会 開 発 のために 適 正 かつ 優 先 的 に 配 分 すべ

きであるとの 観 点 から、 開 発 途 上 国 の 軍 事 支 出 、 大 量 破 壊 兵 器 ・ミサイルの 開 発 ・ 製 造 、 武 器 の 輸 出 入

等 の 動 向 に 十 分 注 意 を 払 う。 開 発 途 上 国 における 民 主 化 の 促 進 、 市 場 指 向 型 経 済 導 入 の 努 力 並 びに 基 本

的 人 権 及 び 自 由 の 保 障 状 況 に 十 分 注 意 を 払 う。


笹 島 雅 彦 ⏐ 101

いる。 旧 ソ 連 と 同 じやり 方 をするのか」と 感 情 的 反 発 を 強 める 結 果 にもなっ

た 23 。 対 中 ODAの 見 直 し 作 業 はこうした 流 れの 中 、 江 沢 民 訪 日 を 契 機 に、

加 速 されていった。

日 中 で 異 なる 作 成 過 程

日 中 共 同 宣 言 (1998 年 11 月 26 日 )は、 日 中 関 係 を「 最 も 重 要 な

二 国 間 関 係 の 一 つである」と 規 定 し、 両 国 間 の 協 力 関 係 の 発 展 が「アジア 太

平 洋 地 域 ひいては 世 界 の 平 和 と 発 展 にとって 積 極 的 に 貢 献 するものである」

との 認 識 で 一 致 した。 従 来 の 二 国 間 をベースとした「 善 隣 友 好 」 関 係 から、

アジア 太 平 洋 地 域 のための「 平 和 と 発 展 」に 貢 献 する 日 中 両 国 関 係 という 新

たな 基 本 枠 組 みを 設 定 した 点 で 意 義 深 い 文 書 である。 合 わせて、33 項 目 に

及 ぶ 協 力 のアクション・プログラムにも 合 意 した。こうして、 日 中 双 方 が 新

たな 協 力 関 係 構 築 を 前 向 きに 目 指 したはずなのに、 江 沢 民 ・ 国 家 主 席 は 日 本

滞 在 中 、 一 貫 して 歴 史 認 識 問 題 を 取 り 上 げ、 後 味 の 悪 い 結 果 を 招 いた。

日 中 共 同 宣 言 作 成 過 程 では、 歴 史 認 識 問 題 の 扱 いをめぐり、 最 終 局 面 ま

でもつれ、 日 中 間 の 溝 の 深 さがかえって 浮 き 彫 りになる 結 果 となった。それ

はなぜだったのか。

日 中 双 方 の 当 局 者 による 対 立 の 引 き 金 となったのは「 天 災 」だった。 九

月 予 定 の 江 主 席 来 日 、 十 月 予 定 の 金 大 中 韓 国 大 統 領 来 日 予 定 を 前 提 に、 日 中 、

日 韓 の 共 同 宣 言 づくりは 外 交 当 局 間 でそれぞれ 並 行 して 進 められた。 歴 史 認

識 をめぐる 表 現 で 難 航 した 日 韓 に 比 べ、 日 中 間 の 準 備 作 業 は、 中 国 側 の 前 向

きの 積 極 的 姿 勢 で、 八 月 時 点 では 早 々と 歴 史 認 識 問 題 、 台 湾 問 題 をクリアし

たかに 見 えた。

ところが、 中 国 の 大 洪 水 のために、 江 主 席 来 日 は 延 期 され、10 月 8 日

の 日 韓 共 同 宣 言 発 表 後 に 改 めて 設 定 された。この 日 韓 共 同 宣 言 では、 小 渕 首

相 の 発 言 として「わが 国 が 過 去 の 一 時 期 韓 国 国 民 に 対 し 植 民 地 支 配 により 多

大 の 損 害 と 苦 痛 を 与 えたという 歴 史 的 事 実 を 謙 虚 に 受 け 止 め、これに 対 し、

痛 切 な 反 省 と 心 からのお 詫 びを 述 べた」と 記 述 した 24 。

23 1996 年 7 月 25 日 、 外 務 省 幹 部 とのインタビュー。 中 国 側 の 不 満 は、 非 公 式 チャンネルを

通 じて 日 本 側 に 伝 えられた。こうした 不 満 は、1950 年 代 後 半 からの 中 ソ 対 立 に 伴 い、 対 中 援 助 を 引

き 揚 げた 旧 ソ 連 に 対 する 根 強 い 不 信 感 と 錯 綜 している。

24 1998 年 10 月 8 日 付 「 読 売 新 聞 」。


102 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

これを 契 機 に、 中 国 側 は 日 韓 共 同 宣 言 で 小 渕 首 相 が 示 した「おわび」 以

上 の 歴 史 認 識 表 明 と、 台 湾 問 題 での 踏 み 込 んだ 対 応 を 要 求 する 方 向 に 転 じた。

結 果 的 には、 日 本 側 が「 過 去 の 一 時 期 の 中 国 への 侵 略 によって 中 国 国 民 に 多

大 な 災 難 と 損 害 を 与 えた 責 任 を 痛 感 し、これに 対 し 深 い 反 省 を 表 明 した」と

の 表 現 が 盛 り 込 まれ、 小 渕 首 相 も 首 脳 会 談 の 中 で、 明 確 に 謝 罪 の 言 葉 を 述 べ

た。 台 湾 問 題 について、 直 接 的 な 言 及 は 書 かれなかった。

しかし、 中 国 側 は、 明 確 な 謝 罪 の 言 葉 が 宣 言 文 にない、として 強 く 反 発

した。 日 中 外 交 当 局 同 士 による 宣 言 案 づくりのプロセスで、10 月 以 降 、 中

国 側 が 突 然 、 要 求 項 目 を 変 更 したことは、 事 務 レベルにおける 言 葉 の 選 択 と

いう 外 交 ゲームを 招 いてしまった。 一 度 は 双 方 が 合 意 していた 部 分 だけに、

中 国 側 の 洗 練 されていない 態 度 をみて、 日 本 側 当 局 者 も 譲 歩 することはでき

ない、と 態 度 を 硬 化 させたのである。

日 本 の 外 交 当 局 が 自 民 党 の 一 部 への 配 慮 から、 文 書 作 成 について、 当 初

から 公 式 の 場 で 慎 重 姿 勢 を 崩 さず、 中 国 側 をやきもきさせてきたのは、 事 実

だ。「 韓 国 並 み」の 表 現 を 迫 る 中 国 側 に 対 し、 日 本 側 は「 第 三 国 との 関 係 を

持 ち 出 さないように」と、 切 り 返 して 不 快 感 を 伝 えた。「 二 国 間 の 関 係 は 第

三 国 を 対 象 としたものではない」というのが、 中 国 外 交 の 原 則 だったからだ。

「 十 二 億 人 の 大 国 というなら、 相 応 の 態 度 を 見 せてほしかった」( 外 務 省 首

脳 )という 対 中 不 信 感 だけが 残 った。 小 渕 首 相 は、 外 務 省 の 事 務 レベルに 事

前 交 渉 を 委 任 したままだった。 首 相 自 身 が、 相 互 不 信 の 解 消 と 安 定 的 枠 組 み

づくりに 向 けて、 何 が 必 要 かの 構 想 を 練 り、 歴 史 認 識 の 取 り 扱 いを 含 めて 政

治 主 導 性 を 発 揮 する 場 面 も 見 られなかった。

中 国 側 にも、 国 内 政 治 事 情 があった。 中 国 側 が 共 同 文 書 作 成 を 提 案 した

狙 いは、 日 本 の 外 務 省 筋 によれば、「 江 主 席 外 遊 後 に 恒 例 の 中 国 共 産 党 党 内

報 告 を 行 うため」だった 25 。 江 主 席 は、 訪 日 結 果 について、 共 産 党 内 の 対 日

強 硬 派 や 人 民 解 放 軍 にも 文 書 による 説 明 をしなければならず、 国 内 への 目 配

りが 必 要 だった 26 。

25 1998 年 2 月 21 日 、 外 務 省 幹 部 とのインタビュー。

26

外 交 当 局 間 で 作 成 した 共 同 宣 言 草 案 は、 江 主 席 の 上 海 市 長 時 代 からの 腹 心 、 曽 慶 紅 ・ 党 中 央 弁

公 室 主 任 らが「これでは 党 内 が 納 得 しない」と 押 し 戻 したため、 再 交 渉 につながった、とされる。


笹 島 雅 彦 ⏐ 103

江 主 席 発 言 の 背 景

江 主 席 は 日 本 滞 在 中 、 歴 史 認 識 問 題 に 焦 点 を 当 てた 発 言 を 繰 り 返 した。

この 発 言 は、 日 本 国 民 の 心 理 に 大 きなわだかまりを 残 し、 日 中 関 係 を 手 詰 ま

り 状 態 に 陥 れた。 無 意 味 な 誤 解 を 生 みかねない 行 動 の 背 景 は、 何 だったのか。

江 主 席 は、11 月 25 日 夕 、 羽 田 空 港 到 着 時 のスピーチから 始 まり、 翌

日 の 小 渕 首 相 との 首 脳 会 談 、 天 皇 陛 下 主 催 の 宮 中 晩 さん 会 、 三 日 目 の 早 稲 田

大 学 における 講 演 ――と、 終 始 一 貫 、 同 じトーンで 歴 史 認 識 問 題 を 強 調 し 続

けた。 日 本 、 中 国 双 方 の 外 交 当 局 者 らは 表 面 上 、「 訪 日 成 功 」を 取 り 繕 った

が、 日 本 外 務 省 幹 部 は 後 日 、「 明 らかに 失 敗 だった」と 本 音 も 漏 らした。

問 題 の 核 心 は、 儀 礼 の 場 である 宮 中 晩 さん 会 冒 頭 のスピーチ 内 容 だろう。

江 主 席 は、 天 皇 、 皇 后 両 陛 下 を 前 に、「 日 本 軍 国 主 義 は 対 外 侵 略 拡 張 の 誤 っ

た 道 」を 歩 んだ 点 を 指 摘 し、「 痛 ましい 歴 史 の 教 訓 を 永 遠 にくみ 取 らなけれ

ばならない」と 言 及 した 27 。このスピーチ 内 容 はテレビで 全 国 に 生 中 継 され

た。 日 中 首 脳 会 談 で、 定 例 のテーマだった 歴 史 認 識 問 題 は 新 聞 、テレビで 報

道 されてきたが、 江 主 席 の 宮 中 晩 さん 会 における 発 言 は、 直 接 、テレビを 通

じて 一 般 国 民 に 浸 透 した。

また、 副 産 物 の「 誤 解 」として、この 宮 中 晩 さん 会 に 江 主 席 はじめ、 中

国 側 が「 中 山 服 」を 着 て 出 席 したことが 挙 げられる。このことについて、 日

本 側 が 共 同 宣 言 に 謝 罪 を 盛 り 込 まなかったことへの 抗 議 の 意 思 表 示 であるか

のような 報 道 や、 非 礼 であるとして 批 判 する 評 論 があった。その 実 情 は、

「 燕 尾 服 (ホワイトタイ)、またはタキシード、 民 族 衣 装 を 着 用 する」との

宮 内 庁 側 の 慣 習 に 合 わせたものだった。

江 主 席 来 日 を 前 に、 中 国 側 は8 月 、 日 程 調 整 のための 先 遣 隊 を 東 京 に 派

遣 した。この 際 、 日 本 側 から 燕 尾 服 着 用 を 求 められたが、 中 国 側 は「 燕 尾 服

を 着 る 習 慣 がない」と 説 明 。 代 わりにフォーマルウエアといえる 中 山 服 を 着

る 方 向 で 調 整 を 図 ることになった。10 月 の 準 備 交 渉 で、 中 山 服 着 用 につい

て、 日 中 両 国 は 最 終 的 に 合 意 、 文 書 も 取 り 交 わして 確 認 した 28 。

27 1998 年 11 月 26 日 、 宮 中 晩 さん 会 における 江 沢 民 主 席 のスピーチ。

28

中 山 服 は、 中 国 革 命 の 父 ・ 孫 文 の 号 「 中 山 」にちなみ、 中 国 近 代 化 以 降 に 普 及 した 詰 め 襟 の 服

装 。 日 本 に 留 学 体 験 のある 孫 文 が 日 本 の 学 生 服 を 気 に 入 り、 中 国 に 取 り 入 れたものである。 日 本 では、

「 人 民 服 」とも 呼 ばれ、 毛 沢 東 、 鄧 小 平 時 代 は 政 府 指 導 部 以 下 、 一 般 の 人 々まで 着 用 していたが、 最 近

では 農 村 部 のお 年 寄 りが 着 ている 程 度 だ。 江 主 席 は1997 年 10 月 の 訪 米 の 際 も、 大 統 領 主 催 晩 さん


104 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

中 山 服 に 対 する 否 定 的 見 方 が 出 る 背 景 には、 中 国 国 内 で 江 主 席 が 中 山 服

を 着 るのは、 中 央 軍 事 委 員 会 主 席 として、 人 民 解 放 軍 幹 部 に 訓 示 する 場 面 が

多 いという、 軍 事 色 の 強 いイメージが 影 響 している。これを 日 本 のメディア

が 江 主 席 発 言 とだぶらせ、 不 快 感 を 増 幅 した。こうした 報 道 を 受 け、12 月

3 日 に 開 かれた 自 民 党 外 交 関 係 合 同 部 会 では、 対 中 批 判 が 噴 出 した。 無 意 味

な 誤 解 が 反 中 国 感 情 をエスカレートさせた 一 例 といえる。

日 中 間 の 大 きな 認 識 ギャップを 生 んだのは、こうした 儀 礼 の 問 題 だけで

はない。 日 中 共 同 宣 言 にお 詫 びを 盛 り 込 むかどうかと 言 う 事 務 レベルの 問 題

だけなく、 江 主 席 来 日 の 意 義 づけと 晩 さん 会 スピーチの 位 置 づけという 二 点

で 認 識 ギャップがあった。

まず、 中 国 側 は、1992 年 の 天 皇 訪 中 に 対 する 答 礼 として、 江 主 席 来

日 を 位 置 付 けていた 29 。 一 方 、 日 本 側 にとって、 江 主 席 の 来 日 は、1995

年 5 月 の 中 国 の 核 実 験 以 来 、ぎくしゃくし 続 けた 日 中 関 係 を 再 び 安 定 軌 道 に

乗 せるのが 狙 いだった。1997 年 の 日 中 国 交 正 常 化 25 周 年 、1998 年

の 日 中 平 和 友 好 条 約 締 結 二 十 周 年 の 機 会 をとらえた 首 脳 相 互 訪 問 の 一 環 で、

実 務 的 で 実 質 的 な 内 容 を 求 める 訪 問 だった。 二 十 一 世 紀 に 向 け、 中 、 長 期 的

に 安 定 した 日 中 関 係 の 枠 組 みを 構 築 するために、1997 年 9 月 の 橋 本 首 相

( 当 時 ) 訪 中 とセットとなる 相 互 交 流 総 仕 上 げの 意 味 を 持 っていた。 日 本 は

短 期 的 視 点 から、 江 主 席 の 来 日 をとらえていた。 日 中 双 方 のとらえる 時 間 軸

の 長 短 に 大 きな 差 があったといえる。

第 二 に、 中 国 側 は 晩 さん 会 スピーチを 首 脳 会 談 、 日 中 共 同 宣 言 と 三 点 セ

ットで 同 等 に 重 視 していた。 中 国 政 府 筋 によると、 中 国 では「 外 国 賓 客 を 北

京 の 人 民 大 会 堂 に 招 く 晩 さん 会 の 席 上 、 江 主 席 が 行 うスピーチは、 相 手 国 向

けのメッセージとして 会 談 同 様 に 重 視 している」。 翌 日 の 中 国 共 産 党 機 関 紙

「 人 民 日 報 」には 必 ず 紹 介 される。 陳 健 ・ 駐 日 中 国 大 使 はテレビ 放 映 を 承 知

会 で、 中 山 服 を 着 用 した。1980 年 5 月 に 来 日 した 華 国 鋒 首 相 ( 当 時 )も 中 山 服 を 着 用 して 宮 中 晩 さ

ん 会 に 出 席 した。このため、 中 国 外 務 省 は「 民 族 的 な 正 装 をしてきてほしい、という 日 本 側 のしきたり

に 合 わせただけなのに」と 困 惑 した。 儀 礼 上 、 問 題 があるわけではないのは 確 かである。

29

中 国 側 は「 中 国 国 家 元 首 としての 訪 日 は、 中 日 交 流 二 千 年 の 歴 史 上 初 めてであり、1992 年

の 天 皇 訪 中 とセットを 成 す。 二 千 年 の 歴 史 、 少 なくとも 二 十 世 紀 の 百 年 間 を 振 り 返 り、 総 括 する 必 要 が

あった」( 中 国 政 府 筋 )としている。 時 代 錯 誤 のように 見 えるかもしれないが、 中 国 側 は 中 国 国 家 元 首

が 二 千 年 の 両 国 交 流 の 歴 史 で 初 めて 訪 問 する 画 期 的 出 来 事 として 位 置 付 けていた。そのために、 海 部 首

相 訪 中 (1991 年 8 月 )の 時 点 から、 中 国 国 家 主 席 の 日 本 訪 問 の 前 に、 日 本 の 天 皇 が 先 に 中 国 を 訪 問

してほしい、と 非 公 式 協 議 の 中 で、 望 んでいたのである。


笹 島 雅 彦 ⏐ 105

していたことを 認 めた 上 で、「 日 本 の 国 民 向 けに 話 したものだ」と 語 った。

( 筆 者 のインタビュー)

日 本 側 は、たとえ 首 脳 会 談 で 激 しいやり 取 りをしたとしても、 国 のシン

ボルである 天 皇 主 催 の 宮 中 晩 さん 会 で、よもや 江 主 席 から 政 治 的 発 言 が 飛 び

出 すとは 予 想 し 得 なかった。 日 本 外 務 省 筋 によると、 中 国 側 は、 晩 さん 会 直

前 になるまでスピーチ 内 容 を 日 本 側 に 示 さなかったという。このため、 外 務

省 内 には「 早 めに 相 互 のスピーチ 内 容 を 確 認 できないなんて、 洗 練 された 外

交 とは 言 えない」という 不 信 感 が 生 まれた。ここに 日 中 間 に 大 きな 外 交 作 法

の 相 違 があった。

中 国 政 府 筋 によると、 晩 さん 会 スピーチは、 中 国 外 務 省 日 本 課 ( 外 交 部

日 本 処 )で、 草 案 が 作 成 され、 順 次 、 国 務 院 の 上 層 部 に 渡 った。 同 時 に、 中

国 共 産 党 の 組 織 内 では、 中 央 政 策 研 究 室 にまず 渡 され、 従 来 の 党 方 針 との 整

合 性 が 図 られた。 最 終 的 には、 江 主 席 ら 政 治 局 常 務 委 員 七 人 の 間 で、 日 本 の

「 持 ち 回 り 閣 議 」のように 文 書 が 回 され、 意 見 があればメモに 書 き 込 む 方 式

で 最 終 案 が 固 まっていった。

現 在 の 中 国 政 治 では、この 七 人 の 意 見 が 党 の 最 高 方 針 であり、そのまま

政 府 決 定 に 反 映 される 30 。こうしてみると、 公 式 文 書 をまとめる 場 合 、 中 国

共 産 党 組 織 内 の 政 策 決 定 過 程 が 重 要 な 位 置 を 占 め、 日 中 の 外 交 当 局 同 士 の 調

整 だけでは 済 まないことがわかる。

江 主 席 来 日 直 後 は、 一 連 の 江 主 席 発 言 の 理 由 について、 日 中 共 同 宣 言 に

「おわび」が 明 記 されなかったことへの 中 国 の 反 発 、 江 主 席 が 第 二 次 大 戦 中 、

旧 日 本 軍 から 被 害 を 受 けた 個 人 的 体 験 に 基 づく 反 日 感 情 の 発 露 、 中 国 共 産 党

内 の 長 老 や 軍 に 配 慮 した 中 国 国 内 向 けの 発 言 、と 言 った 分 析 がなされた。

しかし、こうした 理 由 について、それぞれ 反 論 する 分 析 もある。 第 一 に、

宣 言 の 文 案 をめぐる 確 執 は 課 長 級 の 事 務 レベル 同 士 のものであり、 中 国 指 導

部 の 方 針 に 影 響 を 与 えるとは 思 えない。 第 二 に、たとえ 江 主 席 が 個 人 的 に 反

日 感 情 を 抱 いたとしても、 一 国 の 指 導 者 として、 対 日 関 係 の 改 善 という 国 益

を 犠 牲 にするとは 思 えない。 第 三 に、 江 主 席 の 党 内 基 盤 が 弱 いとはいえ、 党

内 保 守 派 の 歓 心 を 買 うために、 二 国 間 関 係 を 悪 化 させるとは 思 えない。

30

今 回 の 訪 日 計 画 では、 江 主 席 の 腹 心 、 曽 慶 紅 ・ 党 政 治 局 員 候 補 が 文 書 の 内 容 調 整 を 取 り 仕 切 った。


106 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

これらとは、 別 の 分 析 として 日 本 の 外 務 省 内 部 では 次 のような 見 方 も 生

まれた。 江 主 席 の 発 言 は 内 容 を 分 析 すると、 中 国 国 内 向 けというだけでなく、

米 国 など 欧 米 諸 国 に 向 けて、グローバル・パワーである 中 国 が「 日 本 を 抑 え

込 むことができる 江 沢 民 主 席 像 」という 対 外 イメージを 発 信 しようとする 意

図 が 秘 められていたーーというのである。 二 十 一 世 紀 初 頭 において、 台

頭 する 中 国 は 歴 史 認 識 問 題 をテコに、 引 き 続 き 日 本 を 抑 止 しようという

わけである。

この 江 主 席 訪 日 で 明 らかになったことは、 情 緒 的 な「 日 中 友 好 」 関 係 は、

もはや 過 去 のものであるということだ。アジア 地 域 の 二 大 国 として、「 相 互

信 頼 」とさまざまな「 協 力 」の 枠 組 みを 形 成 できるかどうかが、 大 きな 課 題

となる。 中 国 指 導 部 内 の 保 守 派 や 軍 部 の 動 向 を 慎 重 に 分 析 し、すそ 野 の 広 い

経 済 的 相 互 依 存 関 係 を 基 盤 に、 長 期 的 な 戦 略 的 枠 組 みを 構 築 することがます

ます 急 務 となってきた。

その 後 の 首 脳 交 流

中 国 側 は、 江 主 席 の 発 言 によって、 日 本 側 の 国 民 レベルで 対 中 感 情 が 著

しく 悪 化 したことに 驚 き、 以 後 、 歴 史 認 識 問 題 では 抑 制 した 対 応 がみられた。

翌 年 1999 年 7 月 9 日 、 訪 中 した 小 渕 首 相 が 北 京 で 行 った 首 脳 会 談 で、

江 主 席 、 朱 鎔 基 首 相 らは 歴 史 認 識 問 題 で 深 入 りを 避 けた。 小 渕 首 相 は 朱 鎔 基

首 相 との 会 談 で、 日 本 の 事 前 同 意 のないまま、 東 シナ 海 の 日 本 領 海 や 日 本 が

主 張 する 排 他 的 経 済 水 域 (EEZ) 内 で 行 われている 中 国 の 海 洋 調 査 船 、 海

軍 艦 船 の 海 洋 調 査 活 動 を 取 り 上 げ、「 日 中 間 の 海 を 対 立 の 場 としてはならな

い」とクギを 刺 した 31 。これに 対 し、 朱 鎔 基 首 相 は「 中 国 の 調 査 船 は 正 常 な

調 査 を 行 っている」と 答 え、 平 行 線 をたどった 32 。 日 中 間 の 主 要 テーマが 安

全 保 障 問 題 に 移 ってきたことは 意 義 深 い。

ここで、 注 意 しなければならないのは、 日 中 共 同 宣 言 で、 日 中 双 方 は

「 武 力 または 武 力 による 威 嚇 に 訴 えず、すべての 紛 争 は 平 和 的 手 段 により 解

31 1999 年 7 月 10 日 付 「 読 売 新 聞 」。

32

日 本 の 防 衛 庁 では、こうした 中 国 海 軍 艦 船 の 活 動 について、「 日 米 防 衛 協 力 の 指 針 (ガイドラ

イン) 関 連 法 成 立 直 前 のけん 制 、 尖 閣 諸 島 領 有 権 問 題 でのデモンストレーション、 海 洋 地 下 資 源 など 海

洋 権 益 保 護 という 政 治 的 、 軍 事 的 、 経 済 的 側 面 の 複 合 目 的 をもった 作 戦 」と 分 析 していた。 軍 事 的 には、

日 本 近 海 における 潜 水 艦 の 作 戦 行 動 に 必 要 な 海 洋 データを 集 めることが 一 つの 目 的 になっているとみら

れ、 防 衛 庁 は 神 経 をとがらせている。


笹 島 雅 彦 ⏐ 107

決 すべきである」と 表 明 したことだ。これは、 日 中 平 和 友 好 条 約 の 条 項 を 再

確 認 した 内 容 である。 日 中 「 不 戦 」の 誓 いは 相 互 に 守 らなければならない。

それだけに、 中 国 海 軍 の 動 きは、 日 中 間 の 原 則 に 反 する 挑 発 的 行 動 だったと

いえる。 中 国 国 家 海 洋 局 の 海 洋 調 査 船 による 海 底 測 定 や 海 流 調 査 も 自 国 の 海

洋 権 益 を 訴 えるデモンストレーションで、 対 外 的 な 挑 発 行 為 である。 中 国 国

家 海 洋 局 の 機 関 紙 には、 中 国 の 空 母 保 有 の 必 要 性 を 訴 える 論 文 が 随 時 、 掲 載

されており、 中 国 の 海 洋 覇 権 を 目 指 す 軍 事 的 意 図 が 読 みとれる 33 。

1999 年 のコソボ 紛 争 におけるNATO 軍 によるユーゴ 空 爆 と、5 月

8 日 の 在 ユーゴスラビア 中 国 大 使 館 誤 爆 事 件 を 契 機 に 激 しい 反 米 活 動 を 生 ん

だ。このため、 全 方 位 協 調 外 交 を 批 判 する 外 交 論 争 が 起 きたが、 結 局 、 中 国

は 協 調 外 交 に 復 帰 してきた。この 流 れの 中 で、2000 年 5 月 には、 江 沢

民 ・ 国 家 主 席 が 日 中 関 係 についての 重 要 講 話 を 発 表 し、 対 日 関 係 の 重 要 性 を

うたった。

2000 年 10 月 、 朱 鎔 基 首 相 が 訪 日 したときは、 日 中 両 国 間 の 相 互 理

解 の 増 進 、 及 び 信 頼 醸 成 の 重 要 性 を 確 認 し、 今 後 さらに 協 力 関 係 を 確 立 して

いくことで 一 致 した。 具 体 的 には、 安 保 対 話 、 防 衛 交 流 の 拡 充 、 艦 船 の 相 互

訪 問 について 一 致 し、 日 中 国 交 正 常 化 30 周 年 の2002 年 に「 日 本 年 」

「 中 国 年 」のイベントをそれぞれの 国 で 行 うことで 合 意 した。 中 国 側 の 狙 い

は、 日 本 国 内 で 深 まる 反 中 国 感 情 を 改 善 し、 未 来 志 向 の 日 中 関 係 を 打 ち 出 す

ことにあった。

しかし、 朱 鎔 基 首 相 の 歴 史 認 識 発 言 には、 揺 れがみられ、 日 本 向 けと 中

国 国 内 向 けで 発 言 の 重 点 を 変 えていることがわかる。 訪 日 前 に 日 本 人 記 者 団

と 会 見 した 中 で、 朱 鎔 基 首 相 は「 中 国 は 歴 史 問 題 で 日 本 国 民 を 刺 激 しない」

と、 柔 軟 発 言 をした 34 。ところが、この 発 言 がインターネットを 通 じて 中 国

国 内 に 流 れると、 朱 鎔 基 首 相 を「 弱 腰 」と 批 判 する 強 硬 意 見 がウエッブ・サ

イト 上 の 議 論 に 表 れた 35 。 朱 鎔 基 首 相 は、 首 脳 会 談 や 記 者 会 見 では 前 向 きの

姿 勢 を 見 せたが、 民 放 テレビでの 一 般 市 民 との 対 話 では、「 日 本 は 公 式 文 書

で 謝 罪 したことがない」と 指 摘 し、 中 国 側 の 立 場 に 変 わりないことを 示 した。

33

日 本 側 は2000 年 8 月 、 河 野 外 相 の 訪 中 時 、 日 中 外 相 会 談 で、 日 本 近 海 における 海 洋 調 査 の

問 題 点 を 指 摘 。 両 国 で 海 洋 調 査 の 相 互 事 前 通 報 の 枠 組 みを 作 ることで 合 意 した。この 枠 組 みは2001

年 2 月 に 成 立 し、 中 国 の 海 軍 艦 船 の 調 査 活 動 は 控 えられるようになった。

34 2000 年 10 月 9 日 付 「 朝 日 新 聞 」。

35

中 国 の 公 式 報 道 とは 別 に、こうしたサイト 上 では 強 烈 な 日 本 批 判 のメールが 寄 せられている。

中 国 の 官 製 メディアが 発 言 掲 載 をコントロールしているので、 中 国 一 般 の 人 々の 意 見 を 自 由 に 掲 載 して

いるわけではない。 愛 国 主 義 の 高 まりの 中 で、 日 本 批 判 はますますお 手 軽 になっている。


108 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

全 体 的 に 見 て、 江 沢 民 訪 日 以 後 、 中 国 側 の 対 日 姿 勢 はソフト 路 線 である。

これまで 分 析 した 通 り、 江 沢 民 主 席 は、その 歴 史 認 識 発 言 を 通 じて、 日 本 の

各 方 面 から 反 感 を 買 い、 戦 略 面 における 対 中 警 戒 感 を 生 んだ。 中 国 側 にも、

江 主 席 の 発 言 に 行 き 過 ぎがあったとの 認 識 があることは、 一 応 、 非 公 式 ルー

トを 通 じて 日 本 側 にも 伝 わっている。しかし、こうしたソフト 路 線 の 理 由 は、

不 況 下 にある 日 本 からの 対 中 直 接 投 資 減 少 への 危 惧 と、 対 中 ODA 見 直 しの

動 きがあることだ。 日 本 との 経 済 的 利 害 関 係 が 歯 止 めになっているにすぎず、

歴 史 認 識 問 題 についての 基 本 的 スタンスは 変 わっていない。 朱 鎔 基 首 相 の 日

本 訪 問 中 の 対 応 は、そのことを 示 している。 中 国 のいう 対 日 重 視 の 方 針 は、

あくまで 経 済 的 利 害 からプラスになる 政 策 を 求 めているからである。

2001 年 春 以 降 、 台 湾 の 李 登 輝 前 総 統 が 病 気 治 療 のため 来 日 したこと

や 歴 史 教 科 書 問 題 、 小 泉 首 相 の 靖 国 神 社 参 拝 などで 両 国 間 の 関 係 は 再 び、 悪

化 した。しかし、 小 泉 首 相 が 同 時 多 発 テロ 事 件 後 の10 月 8 日 、 日 帰 りで 中

国 を 訪 問 し、 関 係 修 復 にあたったことを 契 機 に、 再 び 交 流 は 復 活 した。この

半 年 間 、 中 国 側 の 対 応 は 閣 僚 級 の 交 流 はストップしたものの、 比 較 的 、 自 重

しているとの 印 象 を 与 えた 36 。ただし、 小 泉 首 相 の 訪 中 によって、 基 本 的 な

問 題 の 解 決 が 図 られたわけではない。 首 相 の 靖 国 神 社 参 拝 について 今 後 の 方

針 は 定 まっておらず、 国 立 の 戦 没 者 追 悼 ・ 平 和 祈 念 施 設 の 検 討 が 官 房 長 官 の

私 的 諮 問 機 関 で2001 年 12 月 からスタートしたばかりである。

戦 略 的 ODAの 可 能 性

江 主 席 訪 日 時 の 首 脳 会 談 で、 中 国 側 は 第 四 次 円 借 款 後 期 二 年 分

(1999-2000 年 度 )として28 件 、 総 額 3,900 億 円 の 供 与 を 受

けた。 日 中 共 同 宣 言 の 中 で、 中 国 側 は、 日 本 がこれまで 中 国 に 対 して 行 って

きた 経 済 協 力 に「 感 謝 の 意 を 表 明 した」と 明 記 した 37 。しかし、 国 営 新 華 社

36

歴 史 教 科 書 問 題 や 小 泉 首 相 の 靖 国 神 社 参 拝 については、 韓 国 の 場 合 、 金 大 中 大 統 領 が 前 面 に 出

るなど 強 い 反 発 を 示 したのに 比 べ、 中 国 の 場 合 は 慎 重 な 姿 勢 が 読 み 取 れた。 特 に、 李 登 輝 前 総 統 来 日 に

あたっては、 日 本 外 務 省 の 高 官 は「 日 中 関 係 を 破 壊 する」として、 森 首 相 ( 当 時 )に 断 固 阻 止 を 進 言 し

ていたが、 結 果 的 にみると、 中 国 側 の 反 発 は 予 想 外 に 小 さかった。 日 本 外 務 省 は1995 年 、 李 登 輝 総

統 が 母 校 ・コーネル 大 学 訪 問 を 理 由 に 訪 米 した 時 、 中 国 側 が 激 烈 に 反 発 し、その 後 の 台 湾 海 峡 沖 ミサイ

ル 演 習 につながっていった 経 緯 を 踏 まえて、 李 登 輝 氏 の 来 日 には 公 職 を 退 いた 後 でも 慎 重 姿 勢 を 崩 さな

かったのである。しかし、 今 回 の 訪 問 が 病 気 治 療 という 人 道 目 的 であったことから、 日 本 の 国 内 世 論 は

李 登 輝 氏 の 訪 日 におおむね 好 意 的 であった。 中 国 がこうした 人 道 目 的 の 訪 問 にまで 対 日 圧 力 をかけてい

るという 印 象 が 世 論 の 反 発 を 招 いたことも 従 来 とは 異 なるケースだった。

37

中 国 は2000 年 10 月 、 北 京 で、「 日 中 経 済 協 力 二 十 周 年 記 念 式 典 」を 開 催 し、 日 本 の 対 中

ODA に 対 し、 感 謝 の 意 を 表 明 した。また、 朱 鎔 基 首 相 も ODA の 広 報 を 強 化 することを 表 明 した。


笹 島 雅 彦 ⏐ 109

通 信 はこうした 部 分 を 伝 えておらず、 十 分 、 中 国 国 民 に 日 本 のODAが 理 解

されているとはいえない。

残 念 ながら、 日 本 には 今 もなお、 長 期 的 な 外 交 戦 略 が 欠 如 している。 日

本 の 対 中 ODAは 円 借 款 、 無 償 資 金 協 力 、 技 術 協 力 を 合 わせ、 累 計 総 額 約 二

兆 五 千 億 円 が 供 与 されてきた。 国 際 協 力 銀 行 (JBIC)からの 低 利 融 資 も

約 三 兆 四 千 億 円 余 りに 達 しており、 合 計 六 兆 円 にのぼるアンタイド・ローン

を 供 与 した。 中 国 が 外 国 から 受 ける 二 国 間 の 経 済 協 力 の 半 分 以 上 を 日 本

に 依 存 している 計 算 になるわけで、 中 国 の 改 革 ・ 開 放 政 策 に 貢 献 してき

たといえる。

しかし、 昨 今 における 中 国 の 著 しい 経 済 成 長 と 日 本 の 不 況 に 伴 う 財 政 事

情 の 厳 しさ、 中 国 の 一 般 国 民 に 知 られていないODA 評 価 のあり 方 、 軍 事 費

が 膨 張 している 中 国 とODA 大 綱 との 整 合 性 、 中 国 自 身 が 五 十 八 か 国 に 総 額

四 億 五 千 万 ドルにのぼる 援 助 を 実 施 している 実 態 ――などから、 対 中 ODA

見 直 し 論 が 高 まっている。

このため、 外 務 省 は2001 年 10 月 、 対 中 ODAを 抜 本 的 に 改 革 する

方 針 を 定 めた「 対 中 国 経 済 協 力 計 画 」をまとめた 38 。その 計 画 によると、 今

後 の 対 中 ODAは、 中 国 が 自 力 では 実 施 困 難 な 分 野 に 対 する 側 面 支 援 を 基 本

に、 沿 海 部 のインフラストラクチャーの 整 備 から、 環 境 対 策 、 内 陸 部 の 民 生

向 上 、 人 材 育 成 などに 重 点 を 移 し、 援 助 総 額 も 削 減 することを 示 している。

これらは、 当 然 の 見 直 しである。だが、 戦 略 的 援 助 の 観 点 からみると、

今 後 の 中 国 との 対 話 、あるいは 経 済 制 裁 措 置 としての 活 用 という 役 割 の 明 確

化 がなお、 不 十 分 である。 単 なるODA 減 額 だけでなく、 今 後 の 対 中 戦 略 は

どうなるのか、 国 民 に 外 交 ビジョンを 提 示 するべきであろう。

対 中 関 与 政 策 の 一 環 として、ODAが 大 きな 役 割 を 果 たしてきたのは 事

実 である 39 。いまや、 市 場 経 済 化 は 不 可 逆 的 に 進 行 するだろうとみられる。

38 これは 有 識 者 懇 談 会 の 提 言 (2000 年 12 月 )などに 基 づく。

39

中 国 を 国 際 社 会 に 組 み 入 れるという 目 的 は、2001 年 12 月 、 中 国 のWTO 加 盟 で、 一 つの

一 里 塚 に 到 達 した。その 前 月 、 上 海 で 開 いたアジア 太 平 洋 経 済 協 力 会 議 (APEC) 首 脳 会 議 も 対 テロ

包 囲 網 構 築 で 成 功 し、 国 際 社 会 との 協 調 関 係 確 立 に 自 信 を 深 めている。 今 後 、 中 国 は 北 京 オリンピック

(2008 年 )、 上 海 での 万 国 博 覧 会 開 催 構 想 (2010 年 )、 中 国 とASEAN 諸 国 との 自 由 貿 易 協

定 構 想 、 経 済 協 力 開 発 機 構 (OECD) 加 盟 申 請 ――などをステップに、 国 際 社 会 との 関 係 をさらに 深

めるだろう。


110 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

しかし、これからの 大 きな 問 題 は、それでは 対 中 関 与 政 策 の 先 にあるも

のは、いったい 何 なのか――という 疑 問 に 答 えていくことだろう。 日 本 も 米

国 も、 中 国 封 じ 込 め 政 策 に 比 べて、 関 与 政 策 が 当 面 、 優 れているということ

を 説 得 的 に 説 明 できたとしても、それが 中 国 の 政 治 面 の 改 革 につながってい

くのかは 証 明 できない。なぜなら、 中 国 の 改 革 ・ 開 放 政 策 を 支 援 し、 国 際 社

会 に 組 み 込 んでいくとの 狙 いはたとえ、 当 面 、 成 功 したとしても、 中 国 の 未

来 像 はさまざまなシナリオが 描 かれていて 定 まらないからである。 中 国 が 平

和 的 なプロセスを 経 て「 民 主 化 」や 地 方 分 権 を 進 める「 連 邦 化 」にソフト・

ランディングするのか、 現 状 の 共 産 党 一 党 支 配 を 継 続 したまま 経 済 大 国 化 す

るか、 中 国 が 軍 事 力 の 増 強 によって 台 湾 の 武 力 統 一 を 図 ったり、 周 辺 諸 国 と

の 関 係 不 安 定 化 を 招 いたりするなど 拡 張 主 義 的 大 国 に 変 貌 するか、 過 去 の 中

国 史 が 帝 国 の 統 一 と 分 裂 の 繰 り 返 しであったように、 地 方 ごとの 発 展 段 階 の

相 違 によって 共 産 党 支 配 の 崩 壊 を 招 くのか―― 将 来 像 は 不 明 確 なままである。

対 中 ODAの 継 続 は、 単 に、 第 二 次 天 安 門 事 件 以 来 、 政 権 の 正 統 性 を 失 って

いる 中 国 共 産 党 の 一 党 支 配 を 補 完 する 役 割 を 果 たすだけかもしれないのであ

る。 現 に、 中 国 側 は 近 年 、 日 本 側 の 方 針 を 逆 手 にとって、「 対 中 ODAの 目

的 は 改 革 ・ 開 放 路 線 の 支 援 であり、 歴 史 認 識 問 題 や 中 国 の 軍 事 力 など 他 の 問

題 を 理 由 にして 削 減 するのはおかしい」などと 反 論 。「 安 定 した 中 国 が 日 本

を 含 めアジア 全 体 の 利 益 になる」「 中 国 の 軍 事 力 よりも 中 国 が 分 裂 するこ

との 方 が 周 辺 地 域 にとって 脅 威 となる」などと、 日 本 国 内 の 関 与 政 策 を

めぐる 論 点 を 援 用 しながら、その 実 、 共 産 党 政 権 の 維 持 に 役 立 つODA

を 求 めている。

また、 中 国 の 人 々に 対 中 ODAが 知 られていない 以 上 、 日 本 側 はもっと

「 顔 の 見 える」 援 助 にシフトしていかなければならない 40 。アンタイド・ロ

ーンは 被 援 助 国 側 にとって 有 利 だが、 日 本 の 巨 額 の 援 助 実 績 が 一 般 の 人 々に

浸 透 するよう、さまざまな 働 きかけが 必 要 である。 中 国 の 将 来 の 民 主 化 に 備

え、 政 府 レベルで 感 謝 の 意 思 表 明 が 行 われるだけでなく、 中 国 一 般 の 人 々に

認 識 を 広 めることが 必 要 である。 例 えば、 中 国 の 貧 困 地 域 における 小 中 学 校

の 建 設 は 有 効 な 手 段 だろう。 中 国 では 現 在 、 寄 付 者 名 を 学 校 名 に 冠 する 形 で

貧 困 地 域 の 小 中 学 校 建 設 運 動 ( 希 望 プロジェクト)が 進 められており、 日 本

の 団 体 名 を 冠 した 学 校 も 誕 生 している。 日 本 のNGO 団 体 と 協 力 して、こう

した 地 道 な 活 動 を 広 げることで、 日 本 理 解 を 進 めていくことも 一 つの 方 策 だ。

40

今 後 、 協 力 の 重 点 分 野 にシフトする 環 境 保 全 対 策 のODAは、 酸 性 雨 問 題 など 日 本 の 環 境 にも

影 響 を 及 ぼすため、 有 効 な 政 策 と 見 られる。しかし、 共 産 党 政 権 は 経 済 成 長 につながる 生 産 力 重 視 で、

環 境 対 策 には 消 極 的 なままである。 環 境 保 全 対 策 のためには、 円 借 款 でなく、 無 償 資 金 協 力 や 技 術 援 助

を 求 められる 可 能 性 も 高 く、 単 年 度 ごとの 日 本 側 の 交 渉 力 が 試 されることになるだろう。


笹 島 雅 彦 ⏐ 111

日 本 と 米 国 は、 中 国 の 政 治 改 革 が 平 和 的 進 展 を 見 せるかどうか、 軍 事 力

を 背 景 とした 対 外 拡 張 や 武 力 行 使 、 武 力 による 威 嚇 が 行 われないか、 注 意 深

く 観 察 し、 関 与 政 策 の 管 理 化 を 高 度 に 進 めなければならないだろう。 多 国 間

の 協 力 メカニズムは、その 円 滑 な 運 営 にとっても 役 立 つ。その 一 方 、 関 与 政

策 が 成 功 しない 場 合 に 備 えて、 同 盟 関 係 が 実 質 的 に 機 能 するよう 強 化 を 図 っ

ておくことが 重 要 だ。そのために、まず 日 本 側 は、 大 量 破 壊 兵 器 の 開 発 ・ 製

造 や、 被 援 助 国 の 軍 事 支 出 に 注 意 することなどを 盛 っているODA 大 綱 を 前

面 に、アジア 太 平 洋 地 域 の 安 全 保 障 を 脅 かす 軍 事 力 増 強 や 台 湾 への 武 力 行 使

が 行 われた 場 合 、 援 助 停 止 も 辞 さないという 毅 然 としたメッセージをあらゆ

る 会 談 の 機 会 をとらえて、 常 日 ごろから 中 国 側 に 伝 達 する 必 要 がある 41 。

日 中 安 保 対 話

冷 戦 後 においても、アジア 太 平 洋 地 域 の 安 全 保 障 環 境 は 混 沌 としている。

中 国 に 対 する 日 本 のイメージは 第 二 次 天 安 門 事 件 以 後 、 悪 化 したまま 回 復 し

ていない。たとえどんなに 経 済 面 で 高 度 成 長 を 果 たしたとしても、 中 国 の 政

治 と 軍 事 の 不 透 明 さが 対 中 警 戒 感 を 深 めている。 中 国 の 年 間 伸 び 率 二 桁 以 上

の 軍 事 費 拡 大 は、 実 態 が 不 透 明 で、 日 本 だけでなく、 周 辺 諸 国 の 警 戒 感 を 呼

んでいる。 中 国 が「 富 強 」を 国 家 目 標 としているのは、 経 済 大 国 ではなく、

「 富 国 強 兵 」 策 ではないのか、という 疑 念 は 常 につきまとう。 人 民 解 放 軍 機

関 紙 「 解 放 軍 報 」には、「 富 強 」の 意 味 として、「 富 国 強 兵 」の 表 現 がしば

しば 現 れる。 抗 日 の 歴 史 を 誇 らしげに 訴 える 愛 国 主 義 教 育 と 軍 事 優 先 の 標 語

からは、まるで 戦 前 の 軍 国 主 義 時 代 の 日 本 に 戻 ったかのような 印 象 すら 受 け

る。また、 新 型 ミサイル 開 発 や 戦 闘 機 輸 入 などの 軍 事 力 増 強 、ミサイル 技 術

移 転 など 国 際 協 調 姿 勢 が 疑 問 視 される 行 動 が 目 立 っている。

日 中 間 の 安 全 保 障 対 話 は、 防 衛 当 局 者 同 士 の 対 話 と 交 流 を 通 じて、 相 互

不 信 の 敷 居 を 低 くし、 無 用 な 軍 備 増 強 や 不 測 の 事 態 の 発 生 と 拡 大 を 予 防 する

上 で 重 要 である。 二 国 間 ベース、 多 国 間 ベースそれぞれの 枠 組 みで 多 様 な 対

話 の 機 会 を 作 り 出 していく 必 要 がある。1996 年 1 月 には、 日 本 の 防 衛 駐

在 官 が 米 国 駐 在 武 官 とともに 広 東 省 で 身 柄 拘 束 され、 国 外 退 去 処 分 を 受 ける

事 件 もあっただけに、ここ 数 年 間 の 日 中 安 保 対 話 の 進 展 は 著 しい。 日 中 共 同

宣 言 では、 安 保 対 話 が 相 互 理 解 の 増 進 に 有 益 な 役 割 を 果 たしている 事 を 積 極

41

中 国 は 台 湾 問 題 で 武 力 行 使 のオプションを 放 棄 すべきであること、 中 台 双 方 は、 不 必 要 に 相 手

を 刺 激 するような 挑 発 的 発 言 や 行 動 を 慎 むべきであることを 対 話 の 中 で 伝 えることだ。そして、ポス

ト・ 江 沢 民 政 権 が 第 四 世 代 中 心 に 移 行 した 時 、 経 済 発 展 重 視 の 方 針 を 維 持 し、 人 民 解 放 軍 がアジアの 軍

拡 競 争 を 呼 び 起 こさないか、 中 国 共 産 党 からの 政 権 交 代 も 視 野 に 入 れた 民 主 化 が 進 展 するかどうかを 注

意 深 く 観 察 する 必 要 がある。


112 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

的 に 評 価 した。それに 先 立 つ1998 年 5 月 、 防 衛 庁 長 官 が 中 国 を 訪 問 し、

今 後 の 防 衛 交 流 の 進 め 方 について 合 意 した 42 。

2001 年 春 以 降 、 台 湾 の 李 登 輝 前 総 統 が 病 気 治 療 のため 来 日 したこと

や 歴 史 教 科 書 問 題 、 小 泉 首 相 の 靖 国 神 社 参 拝 などで 両 国 間 の 安 保 対 話 が 途 絶

えた。しかし、 小 泉 首 相 が 同 時 多 発 テロ 事 件 後 の10 月 8 日 、 日 帰 りで 中 国

を 訪 問 し、 関 係 修 復 にあたったことを 契 機 に、 再 び 交 流 は 復 活 した。11 月

21 日 には、 北 京 で、 次 官 級 の 外 交 当 局 間 協 議 が 開 かれ、2002 年 早 期 に

日 中 安 保 対 話 を 再 開 することや、2002 年 に 艦 船 の 相 互 訪 問 を 行 うことで

合 意 した 43 。

日 中 安 保 対 話 は、1993 年 に 合 意 して 以 来 、 日 中 両 国 の 外 交 、 防 衛 当

局 者 の 局 長 級 でほぼ 年 一 回 のペースで 開 かれているものである。 近 年 では、

2000 年 6 月 に 開 かれたが、2001 年 3 月 に 予 定 した 会 合 は 流 れていた。

この 安 保 対 話 については、 日 本 の 外 務 省 筋 によると、 中 国 軍 内 部 には、 両 国

外 務 省 主 導 型 の 安 保 対 話 に 当 初 から 不 満 があった、とも 言 われている。 人 民

解 放 軍 はこの 安 保 対 話 にハイランクの 軍 幹 部 をなかなか 派 遣 してこない。 本

来 は、 防 衛 当 局 者 同 士 の 協 議 機 関 にした 方 が 中 国 側 も 参 加 しやすく、より 突

っ 込 んだ 議 論 が 可 能 かもしれない。ただし、 日 本 の 場 合 、 日 米 安 保 体 制 につ

いては、 外 務 省 が 基 本 的 に 所 管 しているため、 外 務 省 、 防 衛 庁 の 組 み 合 わせ

を 崩 しにくいかもしれない。この 点 は、 官 庁 同 士 の 縄 張 りや 建 前 論 でなく、

本 質 的 議 論 を 交 わすためには、どのような 枠 組 みが 望 ましいかという 視 点 か

ら、 最 善 策 を 見 出 すべきだ。

同 時 多 発 テロ 事 件 後 の 中 国 の 対 応 をみると、 日 本 の 政 治 的 、 軍 事 的 役 割

の 拡 大 について、 警 戒 する 姿 勢 に 変 わりはない。 中 国 自 身 がホスト 国 となっ

たAPEC 首 脳 会 議 では、テロ 対 策 に 関 するAPEC 首 脳 声 明 をまとめ、 中

国 の 国 際 協 調 姿 勢 を 印 象 付 けた。ところが、その 後 のASEANプラス3

( 中 国 、 日 本 、 韓 国 )で、 日 本 が 主 導 して 反 テロ 声 明 をまとめようとすると、

中 国 は 抵 抗 を 示 した。また、11 月 21 日 の 日 中 外 交 当 局 間 協 議 では、 日 本

42 その 具 体 的 内 容 としては、1 防 衛 首 脳 レベルの 対 話 の 継 続 2 人 民 解 放 軍 総 参 謀 長 、 防 衛 庁 統 合

幕 僚 会 議 議 長 の 相 互 訪 問 3 次 官 級 協 議 の 実 施 4 分 野 別 、 軍 種 別 の 交 流 5 艦 船 の 相 互 訪 問 実 施 ――などを

進 めていく 事 になった。その 後 、99 年 6 月 、 秋 山 昌 廣 · 前 防 衛 事 務 次 官 が 訪 中 するなど 防 衛 交 流 のパ

イプは 継 続 している。2000 年 10 月 、 自 衛 隊 の 航 空 幕 僚 長 が 訪 中 し、 同 年 11 月 に 人 民 解 放 軍 副 総

参 謀 長 が 訪 日 。2001 年 2 月 に 中 国 空 軍 司 令 員 が 訪 日 した。

43

艦 船 の 相 互 訪 問 は2001 年 に 行 われる 予 定 だったが、 歴 史 教 科 書 問 題 などの 影 響 で 延 期 にな

っていた。 一 週 間 後 の2001 年 11 月 27 日 には、 北 京 で 開 かれた 外 交 当 局 間 協 議 で、 軍 縮 ・ 不 拡 散

問 題 について 意 見 交 換 した。


笹 島 雅 彦 ⏐ 113

の 自 衛 艦 インド 洋 派 遣 について、 中 国 側 は 歴 史 認 識 問 題 や 憲 法 解 釈 論 を 持 ち

出 し、 慎 重 な 対 応 を 取 るよう、けん 制 した。これは、 中 国 自 身 が 協 調 姿 勢 を

見 せている 対 テロ 行 動 においても、 日 本 の 政 治 的 、 軍 事 的 役 割 を 制 限 しよう

とする 中 国 側 の 姿 勢 が 変 わっていないことを 示 している。 日 中 間 では、 相 互

不 信 の 現 状 を 認 識 し、 相 互 理 解 に 向 けて 対 話 を 活 発 化 させていくことが 緊 急

課 題 と 言 える。

また、 今 後 の 日 中 、 日 米 間 の 安 保 対 話 で 重 要 課 題 として 浮 上 してくる 可

能 性 があるのは、 台 湾 問 題 である。 米 国 は 台 湾 関 係 法 に 基 づき、 中 国 の 出 方

を 見 ながら 台 湾 への 武 器 供 与 をコントロールしていくだろう。 一 方 、 日 本 は、

台 湾 と 経 済 交 流 を 保 っているものの、 今 後 発 生 するかもしれない 台 湾 海 峡 危

機 における 国 益 の 定 義 づけがあいまいなままであり、 国 内 での 議 論 も 進 んで

いない。 日 本 にとって、 台 湾 の 安 全 保 障 は 日 本 の 国 益 とどう 結 びつくか。 中

東 地 域 からマラッカ 海 峡 、 東 シナ 海 を 通 過 して 日 本 に 至 る 海 上 交 通 路

(SLOCs)を 確 保 することが 日 本 の 死 活 的 利 益 だとする 場 合 、 台 湾 海 峡

危 機 をどのような 国 益 計 算 の 下 に 位 置 付 けるのか、について、 議 論 する 必 要

がある。 台 湾 南 方 のバシー 海 峡 の 通 航 が 確 保 できれば、 台 湾 海 峡 危 機 は 日 本

の 国 益 と 無 関 係 とみなすのか? 台 湾 の 本 島 全 体 が 海 上 封 鎖 されたら、 日 本

の 国 益 を 侵 犯 されたと 見 なすのか? 民 主 主 義 政 体 に 移 行 した 台 湾 を 共 通 の

価 値 観 を 持 つ 地 域 と 捉 えて、 政 治 的 価 値 から 台 湾 へのコミットメントを 重 視

するのか? あるいは、 日 本 にとって 同 盟 国 でもない 台 湾 が 武 力 で 攻 撃 され

た 時 、 日 米 防 衛 協 力 の 指 針 (ガイドライン)に 基 づく 積 極 的 な 協 力 を 行 うの

か、それともベトナム 戦 争 の 場 合 のように、 単 に 米 軍 に 対 し、 発 進 基 地 を 提

供 するだけにとどめるのか? 具 体 的 なシナリオがない 中 で、 日 本 の 国 益 と、

それに 伴 う 日 米 防 衛 協 力 を 見 定 めていくのは、 困 難 な 作 業 が 待 ち 受 けている。

当 面 、 最 大 の 課 題 として 浮 上 するのは、 米 国 から 台 湾 へのイージス 艦 供

与 問 題 だろう。これは 台 湾 のミサイル 防 衛 と 絡 む 問 題 である。 台 湾 の 李 登 輝

氏 が 総 統 時 代 、 米 国 に 対 してイージス 艦 供 与 を 求 めたのは、 1999 年 秋

である。これはちょうど、 日 米 両 国 が 同 年 八 月 、イージス 艦 に 搭 載 可 能 な

NTWD ( 海 上 配 備 型 上 層 システム) の 共 同 技 術 研 究 について、 交 換 公 文 と 了

解 覚 書 に 署 名 した 直 後 である。 中 国 側 からみれば、 日 米 の 技 術 研 究 がイージ

ス 艦 を 通 じて 台 湾 防 衛 に 用 いられる 可 能 性 があるかのように 映 るわけで、 李

登 輝 氏 の 巧 みな 外 交 工 作 となっている。まだ 開 発 、 配 備 すらされていない 武

器 であるNTWDをめぐって、 中 国 、 台 湾 双 方 は、すでに 激 しい 論 争 を 繰 り

広 げ、 対 立 感 情 を 拡 大 している。 米 国 が 台 湾 にイージス 艦 を 供 与 するのか。

その 後 にミサイル 防 衛 システムを 供 与 するのか。 今 後 、 日 米 間 の 戦 略 対 話 の

大 きな 課 題 となるであろうし、 日 中 間 の 争 点 ともなるだろう。


114 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

しかし、この 問 題 で 日 米 が 緊 密 に 戦 略 対 話 を 重 ねれば、より 積 極 的 な 外

交 的 テコにもなりうる。 中 国 は、 福 建 省 沿 岸 部 で、 台 湾 を 射 程 距 離 に 置 く 短

距 離 ミサイル 配 備 を 進 めている。 中 台 の 軍 事 バランスをみると、 現 段 階 、 台

湾 が 海 空 戦 力 で 優 位 に 立 っており、 台 湾 にとっての 軍 事 的 脅 威 は 中 国 の 短 距

離 ミサイルによる 攻 撃 である。 中 国 にとっては、ミサイル 配 備 が 台 湾 の「 独

立 」を 阻 止 するための 軍 事 的 威 嚇 の 手 段 となっている。 中 国 はすでに、ミサ

イル 防 衛 構 想 が「アジアの 軍 拡 を 生 む」などと 飛 躍 した 論 理 を 述 べている。

中 国 のミサイルが 日 米 に 照 準 を 合 わせていないのならば、ミサイル 防 衛 は、

何 ら 懸 念 する 必 要 のない 構 想 である。 中 国 側 は、ミサイル 防 衛 構 想 への 懸 念

を、 自 らのミサイル 配 備 増 強 への 口 実 に 利 用 している。それだけに、ミサイ

ル 防 衛 構 想 は、 台 湾 向 けミサイル 防 衛 システムを 配 備 しないことを 条 件 に、

中 国 側 にミサイル 撤 去 を 求 め、 中 台 双 方 の 軍 縮 を 促 していく 上 で、 有 効 な 外

交 ツールとなるかもしれない。

台 湾 問 題 を 念 頭 においた 日 米 政 府 間 レベルの 戦 略 対 話 は、 中 国 への 外 交

的 配 慮 からなかなか 公 表 しにくい 44 。 中 国 については、 敵 対 的 意 識 でみると、

中 国 を 本 当 の 敵 に 追 いやってしまう 危 険 性 があり、 慎 重 な 対 応 が 必 要 になる。

日 米 間 の 戦 略 対 話 を 進 める 場 合 、トラック2レベルあるいは 民 間 レベルで、

日 本 の 台 湾 への 関 心 と 国 益 を 明 確 にすることが 対 話 の 前 提 となるだろう。

安 保 対 話 、 防 衛 交 流 の 促 進 によって、 日 中 間 の 相 互 不 信 を 払 拭 し、 台 頭

する 中 国 が 日 本 の 国 際 貢 献 や 日 米 安 保 体 制 の 強 化 について、 無 用 の 警 戒 心 を

抱 かないよう 細 心 の 注 意 を 払 っていく 必 要 がある。

政 治 対 話

「 同 文 同 種 」「 一 衣 帯 水 」の 間 柄 と 言 っても、 日 本 と 中 国 では、 文 化 や

思 考 方 法 が 大 きく 異 なる。 日 中 間 の 誤 解 や 誤 算 は、 表 面 的 な 類 似 性 による

「 相 手 も 同 じはず」という 思 いこみから 生 まれる 場 合 が 少 なくない。

1995 年 5 月 の 中 国 の 核 実 験 強 行 以 来 、 日 中 関 係 が 急 速 にぎくしゃく

した 流 れの 中 で、 中 国 側 が 日 本 に 対 する 小 さな 誤 解 の 積 み 重 ねによって、 疑

心 暗 鬼 を 膨 らませていったプロセスが 存 在 したことを 忘 れてはならないだろ

44

対 北 朝 鮮 政 策 については 日 米 韓 三 国 の 連 携 の 枠 組 みが 出 来 上 がっており、 対 話 と 抑 止 を 組 み 合

わせた 方 式 がとられており、 日 米 韓 三 国 の 外 交 的 メッセージは 明 確 である。


笹 島 雅 彦 ⏐ 115

う 45 。 同 様 の 誤 解 や 必 要 以 上 の 疑 心 暗 鬼 は、 日 米 防 衛 協 力 のための 指 針 (ガ

イドライン) 策 定 過 程 、その 後 の 周 辺 事 態 安 全 確 保 法 などガイドライン 関 連

法 の 審 議 過 程 でも 見 られた。 外 交 関 係 に 感 情 論 が 持 ち 込 まれがちな 日 中 間 で

は、 安 全 保 障 面 でこの 種 の 誤 解 に 波 及 しやすい。さらに、 日 本 の「 軍 国 主 義

復 活 」の 宣 伝 が、 中 国 人 民 解 放 軍 の 軍 拡 の 口 実 に 利 用 される 危 険 性 がある。

こうした 点 を 踏 まえ、 日 本 側 は、 歴 史 認 識 問 題 で、 率 直 に 過 去 の 侵 略 の

事 実 を 認 識 し、 謝 罪 していることを 中 国 の 一 般 国 民 に 知 らせ、 浸 透 させてい

く 必 要 がある。なぜなら、「 言 論 の 自 由 」のない 中 国 では、 単 に 政 府 間 の 会

談 、 公 文 書 の 交 換 だけでは、 日 本 側 の 姿 勢 が 実 際 に 旧 日 本 軍 の 侵 略 行 為 で 被

害 を 受 けたであろう 中 国 国 民 に 伝 わらないからだ。 日 中 共 同 声 明 、 村 山 談 話 、

日 中 共 同 宣 言 で 示 された 日 本 側 の 歴 史 認 識 と、 戦 後 の 日 本 が 平 和 国 家 の 道 を

歩 んでおり、 侵 略 戦 争 を 二 度 と 起 こすことがないとの 外 交 方 針 について、 中

国 の 人 々に 具 体 的 内 容 が 伝 わるよう 様 々なルートを 開 拓 する 必 要 がある。

たとえ「 負 の 遺 産 」であっても、 過 去 の 歴 史 を 率 直 に 直 視 する 日 本 側 の

気 概 を 示 すことが、 相 互 理 解 の 基 礎 となるだろう。そして、 世 代 交 代 が 進 む

中 、 将 来 の 中 国 の 民 主 化 に 備 え、 反 日 感 情 が 中 国 の 外 交 ・ 安 全 保 障 政 策 を 動

かす 世 論 形 成 の 原 動 力 とならないよう、 今 のうちから 相 互 対 話 に 努 めること

が 肝 要 だ。

民 主 化 プロセスにおいては、 反 日 感 情 が 噴 出 するリスクも 高 い。アジア

の 民 主 化 プロセスにはそうした 事 例 がある 46 。それだけに、 中 国 の 一 般 国 民

に 歴 史 認 識 問 題 における 日 本 の 対 応 と、 戦 後 の 日 本 の 姿 を 理 解 してもらうこ

とは 重 要 で、 防 衛 交 流 から 青 年 交 流 に 至 るまで 幅 広 い 交 流 を 通 じた 信 頼 醸 成

が 欠 かせない。

もちろん、 日 中 間 の 対 話 のプロセスで、 中 国 側 の 歴 史 事 実 の 誤 りや 被 害

の 誇 張 については 断 固 、 反 論 していかなければならない。 歴 史 を 直 視 するこ

とは、 中 国 政 府 が 切 り 出 す「 歴 史 カード」に 呼 応 し、 同 調 するものではない。

中 国 政 府 の「 歴 史 カード」はもはや、 日 本 人 の 対 中 感 情 を 悪 化 させるだけで、

二 国 間 関 係 にとって 有 害 な 策 略 である。 中 国 の 若 い 世 代 は 中 国 共 産 党 史 に 則

45

例 えば、 日 米 安 保 共 同 宣 言 (1996 年 4 月 )について、 中 国 は 同 年 2 月 の 台 湾 海 峡 沖 ミサイル

演 習 後 の 日 米 共 同 対 処 を 決 めたものと 誤 解 した。しかし、 同 宣 言 は 前 年 秋 にクリントン 大 統 領 ( 当 時 )が

訪 日 していれば、その 段 階 で 公 表 された 文 書 であり、 台 湾 海 峡 沖 ミサイル 演 習 とは 直 接 的 関 係 がない。

46

例 えば、1997 年 、 香 港 が 中 国 に 返 還 される 直 前 、 香 港 の 民 主 派 団 体 は 尖 閣 諸 島 に 上 陸 を 試

みるなど 過 激 な 行 動 をとり、 韓 国 の 金 泳 三 大 統 領 (1993-1997 年 )は 国 民 の 反 日 感 情 を 対 日 外

交 に 取 り 入 れた。


116 ⏐ 日 本 の 国 内 政 治 と 対 中 政 策

った 歴 史 教 育 と 愛 国 主 義 教 育 を 受 けており、その 内 容 をよりよく 吸 収 し

た 人 材 が 中 国 共 産 党 青 年 団 、 中 国 共 産 党 員 として 新 世 代 の 指 導 層 を 形 成

していく 47 。

それだけに、 日 本 の 政 治 指 導 者 が 中 国 の 一 般 国 民 がわかりやすい 場 所 に

出 かけて、 歴 史 を 直 視 するメッセージを 送 ることは 意 味 がある。 日 本 の 首 相

が 北 京 での 首 脳 会 談 に 合 わせて、 南 京 など 日 中 戦 争 の 現 場 を 訪 問 することは

強 いメッセージを 送 ることができるからだ。すでに、 村 山 首 相 が7・7 事 変

の 地 、 盧 溝 橋 を 訪 問 し(1995 年 5 月 )、 橋 本 首 相 が 満 州 事 変 ぼっ 発 の 地 、

遼 寧 省 瀋 陽 市 を 訪 問 した(1997 年 9 月 )。 橋 本 首 相 は 現 地 で 謝 罪 したわ

けではないが、 訪 問 自 体 が 地 元 地 方 紙 、ローカル・テレビに 大 きく 取 り 上 げ

られ、 地 域 住 民 の 注 目 を 集 めた。こうした 行 動 を、 中 国 の 一 般 住 民 が 好 感 を

持 って 受 け 止 めたことがわかった。また、 小 泉 首 相 は2001 年 10 月 の 訪

中 時 、 盧 溝 橋 を 訪 問 した。 南 京 には、 自 民 党 から 野 中 広 務 幹 事 長 ( 当 時 )が

すでに 訪 問 している。 政 府 首 脳 レベルの 取 り 組 みが、 下 降 スパイラル 状 態 に

ある 日 中 関 係 の 打 開 を 生 むだろう。

米 国 には、 日 本 がいまだに 歴 史 認 識 問 題 をひきずり、 近 隣 諸 国 と 決 着 で

きないことについて、 疑 問 に 思 う 識 者 もいる。 在 米 華 僑 の 中 には、 米 国 内 の

マイノリティーとして、 自 己 のアイデンティティーを 示 すために、 被 害 者 意

識 を 誇 張 する 者 もいる。 誤 った 史 実 が 米 国 内 に 定 着 しないよう、 日 米 間 にお

いても、この 問 題 は 対 話 のテーマとなるだろう。

47

中 国 の 青 年 層 の 間 では、 現 政 権 への 不 満 に 対 し、 反 日 行 動 にはけ 口 を 見 いだす 行 為 がよく 噴 出

する。インターネット 上 のサイトで、 反 日 的 言 論 が 横 行 するのは、 日 本 の 軍 国 主 義 復 活 を 非 難 する 言 論

なら 政 府 方 針 の 許 容 範 囲 内 とみて、 言 論 のコントロールを 逃 れているのである。

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