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文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム

平 成 22 年 度 協 力 相 手 国 調 査

ミクロネシア 連 邦

ナン・マドール 遺 跡 現 状 調 査 報 告 書

平 成 24 年 3 月

文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム


序 文

文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム( 以 下 コンソーシアム)では、 我 が 国 の 文 化 遺 産 国 際 協 力 を

進 めるために 様 々な 形 で 情 報 を 収 集 しています。 本 書 はこの 一 環 として 実 施 した 平 成 22 年 度 ミ

クロネシアでの 協 力 相 手 国 調 査 の 報 告 です。この 調 査 はミクロネシア 連 邦 最 大 のナン・マドール

遺 跡 保 護 に 向 けた 第 一 歩 を 踏 み 出 すために 必 要 な 調 査 として、ユネスコアピア 事 務 所 の 要 請 によ

り 実 施 されました。また、 本 書 では、 調 査 後 の 平 成 23 年 に、 調 査 結 果 を 基 にして 実 施 した 協 力

支 援 についても 紹 介 しています。

協 力 相 手 国 調 査 は、 国 際 協 力 推 進 の 中 でも、とりわけ 相 手 国 において 必 要 とされる 協 力 分 野 と

実 施 可 能 性 などについて 検 討 するための 基 礎 情 報 を 収 集 する 目 的 で 実 施 している、コンソーシア

ム 活 動 の 柱 の 一 つです。 平 成 23 年 度 までに、ラオス、モンゴル、イエメン、ブータン、アルメニア、

バーレーン、ミャンマーなどで 調 査 を 実 施 し、 我 が 国 による 国 際 協 力 へと 結 びついた 例 も 数 多 く

あります。 今 回 のミクロネシアでも、 調 査 による 提 言 をもとに、 現 地 では 歴 史 的 な 成 果 を 遂 げた

ワークショップなども 開 催 するなど、 既 にその 成 果 は 国 際 協 力 に 結 びついています。

本 書 が、 今 後 の 我 が 国 の 文 化 遺 産 国 際 協 力 推 進 への 一 助 になることを 目 指 すとともに、ナン・

マドール 遺 跡 の 保 護 に 向 けて 活 用 されれば 幸 いです。

平 成 24 年 3 月

文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム


M icronesia

例 言


1. 本 書 は、ミクロネシア 連 邦 ナン・マドール 遺 跡 を 対 象 として 実 施 した、 平 成 22 年 度 文

化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム 協 力 相 手 国 調 査 報 告 書 である。

2. 本 書 は 以 下 の 担 当 で 執 筆 した。

本 文 執 筆 第 1 章 、 第 4 章 、 第 6 章 原 本 知 実

第 2 章 、 第 3 章 片 岡 修

第 5 章 石 村 智

編 集 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム 原 本 知 実


N an M adol

目 次


1. 現 地 調 査 概 要

1-1 期 間 2

1-2 派 遣 メンバー 2

1-3 調 査 の 経 緯 2

1-4 調 査 の 目 的 3

1-5 調 査 内 容 3

1-6 行 動 記 録 4

1-7 調 査 対 象 に 選 んだ 理 由 4-5

2. 遺 跡 概 要 と 状 況

2-1 ポンペイ 島 の 地 理 と 環 境 6-7

2-2 ポンペイ 島 小 史 8

2-3 ナン・マドール 遺 跡 概 観 8-10

2-4 研 究 史 10-13

3. 遺 跡 の 状 況

3-1 調 査 方 法 14

3-2 調 査 結 果 14-22

3-3 小 結 22-33

4. 遺 跡 保 護 体 制

4-1 現 地 調 査 結 果 34-36

4-2 今 後 の 課 題 37-38

5. 提 言 40-43

6.その 後 の 協 力 ( 平 成 23 年 度 ) 44-48

6-1 平 成 23 年 度 コンソーシアム 協 力 の 流 れ

6-2 ワークショップ 概 要

おわりに 49

1


M icronesia

1. 現 地 調 査 概 要

1−1 期 間

2011 年 2 月 17 日 から 25 日 ( 現 地 滞 在 :2 月 18 日 〜 2 月 23 日 )

1−2 派 遣 メンバー

片 岡 修 ( 関 西 外 国 語 大 学 ・ 教 授 )

石 村 智 ( 奈 良 文 化 財 研 究 所 ・ 研 究 員 )

原 本 知 実 ( 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム・ 調 査 員 )

1−3 調 査 の 経 緯

ミクロネシア 連 邦 ( 以 下 FSM)ポンペイ 島 に 所 在 するナン・マドール 遺 跡 は、 大 小 95

の 玄 武 岩 で 構 築 された 人 工 島 が、 約 1.5km × 0.7km の 範 囲 に 点 在 する 巨 石 文 化 の 遺 跡 で

ある。この 遺 跡 は 西 暦 500 年 頃 から 1600 年 頃 にかけて 構 築 されたと 言 われており、 王 宮 ・

神 殿 ・ 王 墓 ・ 居 住 域 からなる 複 合 的 な 都 市 遺 跡 である。 長 い 時 間 をかけて 形 成 された 遺

跡 は、 太 平 洋 地 域 の 歴 史 を 紐 解 く 上 で 重 要 であると 考 えられており、 学 術 的 価 値 は 高 い

と 言 われている。またこの 遺 跡 はミクロネシア 連 邦 で 最 大 の 遺 跡 であり、 観 光 資 源 とし

ても 非 常 に 需 要 である。 学 術 的 にも、また 観 光 資 源 としても 非 常 に 価 値 の 高 い 遺 跡 では

るが、これまで 大 規 模 に 保 護 活 動 が 行 われることはなかった。

FSM を 含 めた 大 洋 州 地 域 では、2011 年 現 在 でもユネスコの 文 化 遺 産 は5 件 (うち1

件 は 複 合 遺 産 )と 数 が 少 ない。 中 でも FSM は 現 状 では 世 界 遺 産 を 持 たないため、ナン・

マドール 遺 跡 の 世 界 遺 産 登 録 を 切 望 している。こうしたなかでユネスコ 大 洋 州 事 務 所 よ

り、 遺 跡 の 保 護 と 世 界 産 登 録 にむけた 諸 外 国 からの 支 援 を 必 要 としているが、 遺 跡 の 状

態 や 保 護 体 制 などの 状 況 が 把 握 できていないため、 日 本 から 調 査 団 を 派 遣 して 現 状 を 把

握 し、 今 後 の 協 力 可 能 性 について 検 討 してほしい 旨 、 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム( 以

下 コンソーシアム)に 打 診 があった。これを 受 けてコンソーシアムでは、ミクロネシア

のナン・マドール 遺 跡 を 対 象 に、 平 成 23 年 度 協 力 相 手 国 調 査 として 調 査 団 を 派 遣 するこ

ととなった。

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1−4 調 査 の 目 的

遺 跡 の 保 存 状 況 と 政 策 的 整 備 などの 現 状 把 握

1−5 調 査 内 容

今 回 の 調 査 は(1)ナン・マドール 遺 跡 現 状 の 視 察 : 全 体 の 視 察 、 各 人 工 島 の 現 状

調 査 (2) 関 係 者 へのインタビュー、の2つを 中 心 に 行 った。

(1)ナン・マドール 遺 跡 現 状 調 査

— 遺 跡 全 体 の 視 察

− 各 人 工 島 の 現 状 調 査 ( 図 面 及 び 映 像 ・ 写 真 による 詳 細 な 記 録 の 作 成 )

A. 人 工 島 の 構 造 ( 内 部 ・ 外 部 、 表 面 構 造 など)

B. 破 損 状 況 ( 崩 壊 や 風 化 など)と 原 因 理 解 ( 力 学 的 負 荷 ・ 植 物 ・ 再 利 用 ・

人 為 的 破 損 など)

(2) 関 係 者 へのインタビュー

インタビューは、FSM 諸 機 関 、ポンペイ 州 政 府 関 係 諸 機 関 、 地 域 住 民 のそれ

ぞれを 対 象 に 行 った。

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1− 6 行 動 記 録






































1−7 調 査 対 象 に 選 んだ 理 由

日 本 と FSM は、1914 年 から 1945 年 までは 日 本 が 南 洋 群 島 の 一 部 として 統 治 してい

ることで、 歴 史 的 につながりが 深 い。そのため 数 多 くの 日 系 人 が 現 在 でも 活 躍 しており、

ミクロネシアの 食 文 化 や 言 語 に 日 本 の 影 響 を 見 ることができる。こうしたつながりの 中

で、 国 づくりや 経 済 開 発 において 我 が 国 への 期 待 は 大 きく、 数 多 くの 協 力 を 行 ってきた。

その 主 のものは 環 境 、 教 育 、 経 済 基 盤 の 整 備 、 保 健 衛 生 、 水 産 分 野 など 幅 広 い 分 野 に 渡 っ

ているが、 文 化 遺 産 に 関 する 協 力 はほとんど 行 われていなかった。しかし、FSM におい

てナン・マドール 遺 跡 は 国 民 が 先 祖 から 受 け 継 ぐ 大 切 な 歴 史 の 遺 産 であると 同 時 に、 島

で 最 大 の 観 光 資 源 でもあることから、 今 後 の 観 光 開 発 という 側 面 でも 重 要 であると 考 え

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られた。また、ナン・マドール 遺 跡 に 対 しては 今 回 の 調 査 団 メンバーの 一 人 である 片 岡

氏 のように、 日 本 人 によるこれまでの 研 究 成 果 の 蓄 積 があり、そのため 遺 跡 保 存 を 行 う

ことも、 日 本 であれば 可 能 であると 考 えられた。こうした 点 から、 遺 跡 の 調 査 を 行 うこ

とで 遺 跡 保 護 に 対 して 貢 献 できる 部 分 が 多 く、また 今 後 の 協 力 を 検 討 するに 値 する 遺 跡

だと 考 え、 調 査 団 を 派 遣 するに 至 った。

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2. 遺 跡 概 要 と 状 況

ポンペイ 島 だけにとどまらず、 人 類 の 遺 産 として 遜 色 のないナン・マドール 遺 跡 は、 全 島 を 支

配 したシャウテレウル 王 朝 の 形 成 と 繁 栄 と 衰 退 を 背 景 に 約 500 年 の 間 に 構 築 されたミクロネシ

ア 最 大 の 複 合 遺 跡 である。およそ 500 年 前 に 王 朝 が 崩 壊 し 廃 墟 化 した 遺 跡 は、その 後 さまざま

な 自 然 あるいは 文 化 的 影 響 を 複 合 的 に 受 け、 今 日 見 られる 遺 跡 となったことは 言 うまでもない。

本 調 査 は(1) 遺 構 と 周 辺 環 境 の 詳 細 な 観 察 に 基 づく 現 状 調 査 により、 遺 跡 の 保 存 状 況 を 確 認

し 破 損 要 因 と 問 題 点 を 理 解 すること、(2) 環 境 を 含 む 遺 跡 保 全 に 向 けての 今 後 の 課 題 を 明 確 に

すること、(3) 長 ・ 短 期 的 な 保 存 対 策 に 関 わる 組 織 と 制 度 の 構 築 を 検 討 することを 目 的 とした。

2−1 ポンペイ 島 の 地 理 と 環 境

ナン・マドール 遺 跡 が 所 在 するポンペイ 島 は、 北 緯 6 度 54 分 、 東 経 158 度 15 分 のミクロ

ネシア 東 カロリン 諸 島 に 位 置 する。 西 方 のヤップ 州 およびチューク 州 、 東 方 のコスラエ 州 の 計 4

州 でミクロネシア 連 邦 を 構 成 し、ポンペイ 島 のパリキールに 主 都 が 置 かれている。 行 政 的 にはソ

ケース、ネット、ウ、マタレニーム、キチの5 地 区 から 成 り ( 図 1・2)、 近 隣 のパキン 環 礁 とア

ント 環 礁 を 含 む8 環 礁 島 がポンペイ 州 に 属 している。

本 島 はグアム 島 とパラオ 共 和 国 のバベルダオブ 島 に 次 いでミクロネシアでは 第 三 の 規 模 の 火

山 島 で、 最 高 峰 789 mのナーナラウト 山 は 北 マリアナ 諸 島 のアグリハンに 次 いで 二 番 目 に 高 い。

また、700m 級 のウンギネニ 山 やトレンウェリック 山 など 標 高 600 mを 超 える 山 々が 11 ヶ 所 あ

り、 地 質 的 には 安 山 岩 線 の 東 に 位 置 し、 主 に 玄 武 岩 で 形 成 されている。

最 大 径 23km で 面 積 334.2 平 方 km のほぼ 五 角 形 を 呈 するポンペイ 島 は、81% の 山 地 と 14%

のマングローブ 湿 地 とわずか 5% の 平 坦 地 から 成 っている (Office of Planning and Statistics、

1979)。 内 陸 部 は 密 集 した 森 林 と 凹 凸 の 激 しい 山 地 で 特 徴 づけられ、 海 岸 付 近 まで 張 り 出 した 尾

根 の 間 をぬってナーナラウト 山 から 北 流 するキエプ 川 、 東 流 するセニペン 川 、 南 西 流 するキチ 川

など 大 小 42 本 の 河 川 が 裾 礁 に 流 れ 込 んでいる。20 ヶ 所 に 水 道 を 持 つ 堡 礁 と 広 大 な 礁 湖 がテム

エン 島 周 辺 を 除 くほぼ 全 島 を 囲 み、 礁 湖 内 には 23 の 礁 湖 島 が 形 成 されている。 気 候 は 高 温 ( 年

平 均 27℃ ) 多 湿 ( 年 平 均 85%) で 多 雨 ( 年 降 水 量 4,875mm) の 熱 帯 多 雨 林 気 候 で 特 徴 づけられ、

12 月 から 5 月 の 期 間 は 北 東 あるいは 東 貿 易 風 が 卓 越 している (NOAA, 1990)。

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図 1 ミクロネシアに 於 けるポーンペイ 島 の 位 置

図 2 ナン・マドール 遺 跡 の 位 置 図

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2−2 ポンペイ 島 小 史

ポンペイ 島 への 最 初 の 人 の 居 住 は、 少 なくとも 2000 年 前 に 開 始 された。その 後 、 西 欧 人 に

よるポンペイ 島 の 発 見 史 は、1529 年 のスペイン 船 を 指 揮 したサーベドラの 目 撃 の 可 能 性 を 除

くと、1595 年 のスペイン 航 海 士 キロスに 始 まると 考 えられ、その 際 にアント 環 礁 も 発 見 され

ている (Hezel, 1979)。その 後 の 発 見 は 記 録 上 散 発 的 に 見 られるが、 著 名 なものとして 1826

年 に 遭 難 の 結 果 漂 着 して 1833 年 まで 滞 在 したオコーネル (O’Connell, 1836) や、1828 年 に

寄 港 したロシアのセニャビン 号 を 率 いたルトケをあげることができよう (Lutke, 1971)。ただ

し、オコーネルの 漂 着 の 正 確 な 時 期 については 不 明 な 点 が 多 く、 記 載 内 容 の 信 憑 性 について

議 論 されてきた (Riesenburg, 1968)。1830 年 以 降 になると、 活 発 な 捕 鯨 活 動 に 伴 い 欧 米 人

との 接 触 が 急 増 し、1852 年 にはキリスト 教 の 布 教 目 的 で 宣 教 師 や 伝 道 師 や 医 師 らがボスト

ン・ミッションのホノルル 支 部 より 派 遣 された。1880 年 代 半 ばに 列 強 国 による 植 民 政 策 が 活

発 化 し、1886 年 にはポンペイ 島 を 含 む 広 大 なカロリン 諸 島 がスペイン 領 となった。しかし、

1899 年 に 米 西 戦 争 で 敗 北 したスペインは、 領 土 としていたミクロネシア 諸 島 をドイツに 譲 渡

し、1914 年 までドイツ 統 治 時 代 となった。 第 一 次 世 界 大 戦 後 、 赤 道 以 北 の 旧 ドイツ 領 は 国 際

連 盟 による 委 任 統 治 領 として 日 本 が 受 任 国 となったが、 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 1947 年 にアメリ

カの 太 平 洋 諸 島 信 託 統 治 領 となった。1979 年 にミクロネシア 連 邦 が 建 国 され、1986 年 にア

メリカの 自 由 連 合 国 となり 信 託 統 治 領 時 代 の 幕 を 閉 じ 現 在 に 至 っている。

2−3 ナン・マドール 遺 跡 概 観

ナン・マドール 遺 跡 は、ポンペイ 島 南 東 部 に 位 置 するテムエン 島 南 東 麓 の 礁 原 の 潮 間 帯 に

立 地 している ( 図 3; 写 真 1)。ナン・マドールの 名 称 は、 約 1.5 × 0.7km の 長 方 形 の 範 囲 に 築

かれた 大 小 95 の 人 工 島 で 構 成 される 巨 石 建 造 物 複 合 遺 跡 の 総 称 である ( 図 3)。 広 大 なナン・

マドールは、 司 祭 者 の 居 住 した 北 東 部 の 上 ナン・マドール (Madol Powe) と、 首 長 シャウテレ

ウルが 居 住 し 儀 式 や 政 治 を 行 った 南 西 部 の 下 ナン・マドール (Madol Pah) に 分 けられている

(Hambruch, 1936) ( 図 4)。

図 4 ナン・マドール 遺 跡 略 測 図 (Hambruch, 1936)

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図 3

テムエン 島 麓 のナン・マドール 遺 跡

写 真 1

ナン・マドール 遺 跡 周 辺 の 衛 星 写 真

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160 〜 12,700m2の 面 積 (Hambruch, 1936; Ayres, 1993) をもつ 人 工 島 の 構 造 は、0.5 〜 5t

の 柱 状 玄 武 岩 の 石 垣 を 1 〜 2m の 高 さに 方 形 に 積 み 上 げた 下 部 と、その 上 に 構 築 された 住 居

や 墓 などの 上 部 から 成 っている ( 図 5)。 人 工 島 を 囲 む 石 垣 の 内 部 に 多 量 のサンゴ 塊 が 詰 め 込 ま

れ、その 上 を 埋 土 で 整 地 した 人 工 島 とサンゴがむき 出 しになったままのものがある。たとえば、

パーンウィ 遺 跡 の 南 西 隅 には、 最 大 長 径 約 3.5m で 推 算 90t に 及 ぶ 巨 大 玄 武 岩 が 約 10m の 高

さに 積 み 上 げられ、 内 側 には 大 量 のサンゴ 塊 が 詰 め 込 まれている。

口 頭 伝 承 は 人 工 島 の 名 称 や 機 能 や 用 途 を 伝 えてきた (Bernart, 1977; Hadley, 1987; Panholzer

and Mauricio, 2003)。たとえば、 上 ナン・マドールのウーセンタウ 遺 跡 は、 司 祭 者 とシャ

ウテレウル 王 朝 後 の 首 長 ナンマルキの 居 住 地 であっことを 伝 えている。また、ナンタワス 遺 跡

は 高 さ 約 8m に 積 み 上 げた 柱 状 玄 武 岩 の 二 重 周 壁 内 に3 基 の 埋 葬 施 設 が 築 造 されており、シャ

ウテレウル 王 朝 の 歴 代 の 首 長 が 埋 葬 されたと 伝 えている。 一 方 、 下 ナン・マドールのパーンカ

ティラ 遺 跡 は 全 島 を 治 めた 首 長 たちの 居 住 地 で、 宗 教 と 政 治 のセンターであったことを 伝 えて

いる。

現 在 に 至 る 考 古 学 研 究 (Athens, 1980; Ayres, 1985, 1990) は、ナン・マドールが 位 置 する

場 所 で 2000 年 前 に 初 期 居 住 がはじまり、 紀 元 500 年 頃 に 人 工 島 の 建 設 が 開 始 されたことを

明 らかにしている。 柱 状 玄 武 岩 による 建 造 物 の 開 始 (Ayres et al., 1983) とイテート 遺 跡 にお

ける 祭 祀 の 始 まり (Athens, 2007) から、 紀 元 1000 年 〜 1200 年 頃 に 首 長 制 が 形 成 されたと

考 えられている。 伝 承 によると、480km 東 方 に 位 置 するコスラエ 島 から 来 島 したイショケレ

ケルによって、シャウテレウル 王 朝 が 征 服 されたことになっており、その 時 期 は 紀 元 1500-

1600 頃 に 想 定 されている (Ayres, 1990; Bath and Athens, 1990)。 王 朝 崩 壊 後 ナン・マドール

は 廃 墟 化 の 一 途 をたどるが、 人 工 島 の 一 部 が 再 利 用 されながら 今 日 に 至 っている。 因 みに、イ

ショケレケルは 現 在 の 伝 統 首 長 ナンマルキの 系 譜 上 の 第 一 代 目 とされている。

2−4 研 究 史

ポンペイ 島 周 辺 での 捕 鯨 活 動 、キリスト 教 の 布 教 活 動 、そしてスペイン、ドイツ、 日 本 、ア

メリカによる 統 治 背 景 に 伴 い、 欧 米 諸 国 や 日 本 からの 訪 問 者 や 研 究 者 たちが 旅 行 記 や 民 族 誌 と

いう 形 でナン・マドールの 記 録 を 残 してきた。ひときわ 目 立 つナンタワス 遺 跡 は、 発 掘 だけで

なく 盗 掘 の 対 象 にもなった。

考 古 学 関 連 では、 遺 跡 の 描 写 (Gulick, 1857) にはじまり、クバリー (Kubary, 1874)、サルフェ

ルト (Sarfert, 1913)、クリスチャン (Christian, 1899)、ハンブルク (Hambruch, 1936) が 主 要

な 墓 跡 の 発 掘 や 遺 物 採 集 を 精 力 的 に 行 なった。 中 でも、ハンブルクは 採 集 遺 物 を 詳 細 に 記 録 し、

略 測 とはいうもののナン・マドール 遺 跡 全 体 図 は 現 在 でも 頻 繁 に 使 用 されている。 日 本 委 任 統

治 時 代 に 入 ると、 長 谷 部 (1915) や 八 幡 (1932, 1959) や 村 主 (1942) がナン・マドール 遺 跡 の

発 掘 を 行 なったが、その 成 果 は 断 片 的 に 公 表 されたに 過 ぎない。 日 本 国 内 の 大 学 や 研 究 機 関 に

所 蔵 されているミクロネシアの 採 集 資 料 を 報 告 した 印 東 (Intoh, 1999) は、ナン・マドール 遺

跡 から 採 集 された 貝 製 品 を 少 なからず 掲 載 している。

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図 5

人 工 島 の 構 造 と 周 壁 の 崩 壊 過 程

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アメリカ 信 託 統 治 領 下 、1963 年 にスミソニアン 研 究 所 がいち 早 くイテート 遺 跡 の 発 掘 を 行

ない、 炭 素 測 定 年 代 を 発 表 した (Radiocarbon, 1968)。1970 年 後 半 以 降 には、アメリカによ

る 文 化 財 保 護 行 政 の 一 環 でナン・マドール 遺 跡 の 研 究 が 進 展 した。1974 年 に 指 定 遺 跡 として

登 録 されたナン・マドール 遺 跡 の 範 囲 確 認 調 査 を 1978 年 に 実 施 したサックスらは、テムエ

ン 島 だけでなくマタレニーム 地 区 の 広 範 な 地 域 を 対 象 とした。 調 査 報 告 書 で、ナン・マドー

ル 遺 跡 の 具 体 的 な 保 全 と 訪 問 者 のアクセスの 改 善 方 法 に 言 及 している。とくに、ナンタワス

遺 跡 とウーセンタウ 遺 跡 の 早 急 な 修 築 と、それに 伴 う 考 古 学 調 査 の 必 要 性 を 主 張 した (Saxe et

al., 1980)。 一 方 、エアーズらは 先 史 時 代 の 居 住 形 態 を 理 解 する 目 的 で、ウ 地 区 アワック 地 域

やアント 環 礁 など 島 内 の 遺 跡 の 発 掘 調 査 を 実 施 した (Ayres and Haun, 1980; Ayres, Haun and

Severence, 1981)。

1980-1990 年 は、アセンズ (Athens, 1980, 1985; Bath and Athens, 1990) とエアーズ (Ayres,

1993; Ayres et al., 1983) を 中 心 に、 初 期 居 住 と 首 長 制 の 形 成 と 衰 退 を 理 解 するための 本 格 的

なナン・マドール 遺 跡 研 究 が 展 開 された 時 期 と 言 えよう。ナン・マドール 遺 跡 内 の 71 の 人 工

島 の 簡 易 踏 査 を 行 ったエアーズら (Ayres et al., 1983) は、 遺 跡 崩 壊 の 要 因 とそれらが 複 合 的

に 影 響 していることを 明 確 にし、パーンカティラ 遺 跡 とウーセンタウ 遺 跡 の 早 急 な 保 全 と 改 善

方 法 について 言 及 した。 一 方 、ナン・マドール 遺 跡 との 政 治 的 な 関 わりを 理 解 する 目 的 で、バ

ス (Bath, 1984) はキチ 地 区 内 陸 部 のサプタカイ、エアーズとマウリシオ (Ayres and Mauricio,

1997) はサラプック 複 合 遺 跡 の 比 較 研 究 を 行 った。

1990 年 代 以 降 には、 南 西 約 9km に 位 置 するアント 環 礁 の 遺 跡 が 発 掘 されているが(Galipaud,

2001)、ナン・マドール 遺 跡 の 発 掘 が 行 われることはなかった。2005 年 に 片 岡 (2005,

2006, 2007; Kataoka et al., in prep.) が 行 ったナン・マドール 遺 跡 の 発 掘 はアセンズとエアー

ズ 以 来 15 年 ぶりで、 日 本 人 主 体 の 調 査 としては 75 年 ぶりとなった。2000 年 代 後 半 には、ナン・

マドール 遺 跡 を 基 盤 にシャウテレウル 王 朝 によるポンペイ 全 島 支 配 と 地 域 社 会 の 構 造 を 理 解 す

る 目 的 で、マタレニーム 湾 を 挟 んで 4km 北 のメチップとトロパイル 地 域 の 発 掘 調 査 が 行 われ

た ( 片 岡 , 2009, 2010, 2011; Kataoka, in prep.; Kataoka and Nagaoka, in prep.)。

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図 6 調 査 地 および 調 査 ルート

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3. 遺 跡 の 状 況

3−1 調 査 方 法

今 回 の 訪 島 目 的 には、 連 邦 および 州 政 府 歴 史 保 存 局 、 伝 統 首 長 ナンマルキ、ナン・マドール

遺 跡 保 存 を 目 的 とする 非 営 利 団 体 (Nan Madol En Ihmw Incoroporated) との 合 同 説 明 会 や 打 ち

合 わせ 会 議 が 含 まれており、 遺 跡 現 状 調 査 に 時 間 的 制 限 があった。 限 られた 時 間 内 で 効 率 よく

調 査 を 遂 行 するため、95 人 工 島 のうち 口 頭 伝 承 と 既 存 の 考 古 学 研 究 を 参 考 に 最 重 要 と 考 えら

れる 遺 跡 を 抽 出 した。 移 動 方 法 として 干 潮 時 には 観 光 用 トレイルを 利 用 し、 満 潮 時 にはボート

を 活 用 した。 抽 出 した 遺 跡 では 詳 細 に、トレイル 通 行 時 やボートでの 移 動 時 には 可 能 な 範 囲 で

簡 易 調 査 を 行 った( 図 6)。 基 本 的 には 目 視 による 観 察 を 行 い、アセンズ (Athens 1980, 1985)

とエアーズら (Ayres et al., 1983; Ayres, 1985, 1993) が 作 成 した 遺 跡 平 面 図 上 に 現 状 を 記 載

し、デジタルカメラとビデオによる 詳 細 な 記 録 を 行 った。

3−2 調 査 結 果

本 調 査 目 的 に 基 づき、ナン・マドール 遺 跡 を 大 きく(1)ナーカップ 湾 からリーフに 面 した

外 洋 側 の 人 工 島 遺 跡 (ナンムルセイからパーンウィ 遺 跡 に 至 る)、(2)(1)に 囲 まれた 内 側

のテムエン 島 に 至 る 範 囲 の 人 工 島 遺 跡 群 、(3) 人 工 島 間 の 水 路 、(4)テムエン 島 沿 岸 地 域 の

人 工 島 遺 跡 群 (ペイトー 遺 跡 を 含 む 上 ナン・マドール 北 西 部 の 人 工 島 群 )に 分 けることができる。

(1)の 地 域 は 直 接 潮 の 干 満 と 波 と 風 の 影 響 を 受 けやすく、リーフの 底 砂 が 周 壁 に 沿 って 堆 積

し、 波 と 繁 茂 植 物 の 影 響 で 各 所 に 崩 落 が 見 られる。また、 人 工 島 内 の 風 や 干 ばつで 倒 壊 したと

考 えられる 大 型 樹 木 は、 遺 構 の 石 材 の 崩 壊 と 浮 動 をもたらしている。(2)では、ほとんどの

人 工 島 に 大 小 様 々な 樹 木 を 含 む 草 木 が 繁 茂 しており、 樹 木 の 根 が 遺 構 の 石 材 を 浮 動 させ、 枯 れ

て 倒 壊 した 樹 木 は 周 壁 の 玄 武 岩 を 崩 落 させたり 遺 構 を 大 きく 破 壊 している。(3)では、 遺 跡

築 造 以 降 の 気 候 変 動 や 近 年 建 設 された 観 光 用 トレイルが 水 路 の 水 位 と 水 流 を 変 化 させ、 各 所 で

シルト 化 が 生 じマングローブを 繁 殖 させ、その 根 が 遺 構 に 影 響 を 及 ぼしている。また 一 部 の 水

路 では、 枯 れたマングローブがシルト 化 や 砂 の 堆 積 を 増 長 する 悪 循 環 が 見 られる。 最 後 に、(4)

では 潮 の 干 満 や 雨 により 流 出 したテムエン 島 の 土 砂 による 堆 積 や、 水 流 の 循 環 不 良 により 泥 地

化 と 湿 地 化 が 起 こっている。 以 下 、 調 査 を 実 施 した 遺 跡 の 現 状 と 遺 跡 損 傷 の 要 因 について 述 べ

たい。

1 ペイトー 遺 跡 ( 図 7・8 / 写 真 2)

本 遺 跡 は Silbanus 氏 宅 の 敷 地 を 通 り 抜 け、テムエン 島 の 斜 面 を 下 り 切 った 地 点 から 始 まる

観 光 用 トレイル 最 初 の 遺 跡 で、 面 積 は 2,350m2ある。ちなみに、 本 遺 跡 内 のトレイルは、かつ

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図 7 ペイトー 遺 跡 とペインキテル 遺 跡 の 位 置

写 真 2

ペイトー 遺 跡 の 湿 地 化

図 8 ペイトー 遺 跡 の 現 状

写 真 3 北 東 外 周 壁 の 崩 壊

図 9

ペインキテル 遺 跡 の 現 状

写 真 4 北 東 外 周 壁 の 入 り 口 周 辺 の 沈 下

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てテムエン 島 民 が 利 用 していた 生 活 路 を 観 光 用 に 整 備 したものである。 西 側 のペインキテル 遺

跡 と 東 側 のプイレル 遺 跡 間 の 水 路 は、 雨 や 潮 の 干 満 によりテムエン 島 から 流 れ 込 んだ 土 砂 など

で 湿 地 と 泥 地 が 形 成 されている。

南 西 隅 の 一 段 高 い 遺 構 上 に 築 造 された U 字 型 遺 構 (ミーティングハウス)は、 現 地 インフォー

マントによると 1900 年 代 前 後 に 建 設 されたらしい。その 際 には、もとの 遺 構 の 玄 武 岩 などが

転 用 されたことは 言 うまでもなく、 現 在 見 られる 先 史 時 代 の 遺 構 破 壊 の 要 因 となった 可 能 性 が

ある。

2 ペインキテル 遺 跡 ( 図 7・9 / 写 真 3・4)

周 壁 をもつ 墓 跡 を 中 心 とした 面 積 9,000m2の 遺 跡 で、 口 頭 伝 承 はシャウテレウル 王 朝 を 征 服

した 初 代 ナンマルキと 考 えられているイショケレケルが 埋 葬 されたと 伝 えている。ナン・マドー

ル 遺 跡 内 の 95 遺 跡 の 中 で、 唯 一 テムエン 島 から 裾 礁 にかけて 築 造 された 遺 跡 である。 遺 跡 と

周 辺 地 域 は 大 型 樹 木 を 含 む 草 木 で 覆 われ、 南 西 地 域 は 湿 地 化 している。 外 周 壁 の 各 所 で 崩 落 が

みられ、とくに 北 東 壁 は 崩 壊 状 態 になっている。

経 年 の 負 荷 による 外 周 壁 の 膨 れと 歪 みと 崩 壊 に 加 え、 地 盤 の 強 度 により 北 西 外 壁 が 湿 地 化 し

た 南 西 方 向 に、あるいは 主 墳 の 南 西 周 壁 が 南 東 方 向 に 沈 んでいる。また、 北 西 外 壁 の 南 西 寄 り

は、 島 民 が 建 設 した 通 行 用 トレイルにより 一 部 が 破 壊 されている。 同 外 壁 中 央 に 構 築 されたト

ンネル 状 入 り 口 内 部 と、 主 墳 の 石 室 天 井 石 の 一 部 が 崩 落 している。

3 パーセイト 遺 跡 ・ウーセンタウ 遺 跡

観 光 用 トレイルが 両 遺 跡 内 の 境 界 周 壁 を 横 切 る 形 で 建 設 されているため、 境 界 壁 の 柱 状 玄

武 岩 の 一 部 が 取 り 除 かれている。3,200m2のパーセイト 遺 跡 と 7,200m2のウーセンタウ 遺 跡 の

両 遺 跡 は、 全 体 が 草 木 に 覆 われている。ウーセンタウ 遺 跡 の 時 期 は、 最 下 層 の 炭 化 物 から AD

760 の 年 代 が 報 告 されている (Ayres, Haun and Mauricio, 1983)。

4 タウ 遺 跡 ( 図 10・11 / 写 真 5 〜 7)

AD 1000-1250 (Kataoka et al., in prep.) のタウ 遺 跡 は 面 積 が 5,100m2あり、 遺 跡 全 体 に 草 木

が 繁 茂 している。 遺 跡 の 縁 辺 部 に 沿 って 1 周 できる 観 光 用 トレイルが 建 設 されており、その

際 に 遺 構 の 一 部 の 石 材 が 転 用 されたことは 間 違 いない。 人 工 島 石 垣 の 柱 状 玄 武 岩 の 崩 落 、とく

に 東 側 は 人 工 島 の 負 荷 に 加 えて 観 光 客 がナンタワス 遺 跡 へ 渡 る 主 要 路 となっているため、 激 し

い 崩 落 を 導 いた 可 能 性 がある。また、 最 近 切 り 倒 された 大 木 が 同 石 垣 の 北 寄 りに 放 置 されてい

る。

遺 跡 北 端 の 中 央 部 の 敷 き 石 遺 構 はスペイン 時 代 に 築 造 されたと 考 えられ、その 際 に 先 史 時 代

の 遺 構 の 石 材 が 多 量 に 転 用 された 可 能 性 が 高 い。

5 コーンテレック 遺 跡 ( 図 10・12 / 写 真 8)

AD 1400 (Kataoka et al., in prep.) に 建 設 された 本 遺 跡 は 面 積 が 3,300m2あり、 遺 跡 全 体 が

大 型 樹 木 を 含 む 草 木 に 覆 われジャングル 状 態 になっている。ボートから 目 視 可 能 な 部 分 の 観 察

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図 10 タウ 遺 跡 とコーンテレック 遺 跡 の 位 置

写 真 5 ナンタワス 遺 跡 から 見 たタウ 遺 跡 と 訪 問 者

写 真 6 東 側 石 垣 に 放 置 された 伐 採 木

図 11

タウ 遺 跡 の 現 状

写 真 7 タウ 遺 跡 の 石 垣 北 東 コーナーの 崩 落

図 12

コーンテレック 遺 跡 の 現 状

写 真 8 コーンテレック 遺 跡 の 樹 木 の 繁 茂

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を 行 った 結 果 、 北 東 周 壁 に 沿 った 北 寄 り 内 部 の 一 部 が 水 没 していることを 確 認 した。 遺 跡 北 端

の 中 央 部 の 敷 き 石 はスペイン 時 代 に 築 造 された 遺 構 で、タウ 遺 跡 同 様 でもとの 遺 構 の 石 材 が 多

量 に 転 用 されたと 考 えられる。

6 ナンタワス 遺 跡 ( 図 13・14 / 写 真 9 〜 19)

800 年 前 の 年 代 が 得 られた (Ayres, 1993) 面 積 3,400m2の 本 遺 跡 は、 観 光 者 が 最 も 多 く 訪 問

するナン・マドール 遺 跡 の 代 表 遺 跡 の 一 つで、 観 光 局 が 定 期 的 に 草 刈 りや 清 掃 を 行 っている。

8m の 高 さに 積 み 上 げられた 二 重 周 壁 の 外 周 壁 の 7 カ 所 で 内 側 方 向 への 著 しい 崩 壊 と 崩 落 が 認

められる。 中 でも、 南 石 室 に 近 い 南 外 周 壁 の 著 しい 崩 落 の 原 因 は、ガジュマル (Ficus microcarpa)

によると 報 告 されている (Saxe et al., 1980)。

外 壁 の 北 東 角 最 下 層 部 に 置 かれている 巨 大 玄 武 岩 は、 負 荷 に 加 え 風 化 によるひび 割 れが 顕 著

に 現 れている。 一 方 、 頂 上 四 隅 には 長 大 な 柱 状 玄 武 岩 が 突 き 出 た 形 に 置 かれているため、 付 近

の 崩 落 状 況 に 伴 い 落 下 の 危 険 性 がある。 内 外 両 周 壁 の 内 部 に 沿 って 構 築 されたテラス 状 遺 構 の

うち、 外 壁 南 東 角 や 内 壁 南 西 角 では 遺 構 自 体 の 負 荷 による 膨 らみと 歪 みが 生 じていることを 確

認 した。また、 中 央 石 室 と 北 側 石 室 の 保 存 状 況 は 比 較 的 良 好 であるが、 南 側 石 室 では 天 井 石 の

一 部 が 崩 落 している。 中 央 石 室 内 部 は Hambruch や 八 幡 らが 発 掘 しており、 原 形 をとどめて

いない。

7 カリアン 遺 跡 ( 図 15・16 / 写 真 20 〜 22)

周 壁 に 囲 まれた 墓 跡 を 中 心 とした 面 積 1,150m2の 遺 構 は、ナーカップ 湾 に 近 接 しているため

波 の 影 響 を 強 く 受 け 外 洋 側 周 壁 の 損 傷 は 大 きい。 波 の 影 響 で 周 壁 の 柱 状 玄 武 岩 だけでなく、 周

壁 内 に 詰 め 込 まれたサンゴがむき 出 しになり 崩 落 している。とくに、 崩 落 の 結 果 突 き 出 た 南 東

隅 の 柱 状 玄 武 岩 は 落 下 の 可 能 性 が 高 い。 北 東 側 に 構 築 されたサンゴ 敷 きの 遺 構 には 漂 着 ゴミが

堆 積 し 景 観 を 損 ねているだけでなく、 北 東 石 垣 中 央 部 の 立 ち 枯 れの 巨 木 による 倒 壊 時 の 遺 構 の

破 損 が 懸 念 される。

周 壁 南 西 側 のトンネル 状 の 入 口 内 の 天 井 石 の 一 部 が 崩 落 している。 周 壁 内 全 域 には 植 物 が 繁

茂 し、2 基 の 石 室 では 根 が 石 材 に 絡 まった 状 態 で 大 型 樹 木 が 繁 殖 しており、 遺 構 の 破 損 を 引 き

起 こす 可 能 性 が 高 い。 本 遺 跡 の 南 側 に 錆 びた 難 破 船 の 一 部 が 置 き 去 りにされており、 人 工 島 の

南 側 にオイルタンクが 漂 着 し 放 置 されている。

8 イテート 遺 跡 ( 図 15・17 / 写 真 23)

AD 1200-1300 (Athens, 1985) の 遺 跡 で、 面 積 1,310m2の 比 較 的 低 い 人 工 島 のイテート 遺 跡

の 北 側 石 垣 周 辺 は 水 路 に 水 没 している。アセンズ (Athens, 2007) は、 石 垣 の 柱 状 玄 武 岩 の 欠

損 理 由 を 未 完 成 によるものとしている。また、 現 在 の 船 着 き 場 から 内 部 に 延 びる 玄 武 岩 を 平 行

に 並 べた 約 15m の 通 路 は 近 年 建 設 されたものである。

西 側 半 分 の 地 域 は 樹 木 を 含 む 植 物 が 繁 茂 しており、 直 径 約 15m で 高 さ 2.6m のマウンド 頂

上 部 には 大 型 の 樹 木 が 繁 殖 している。マウンドの 土 とサンゴ 礫 が 南 側 の 水 路 に 流 出 し、 石 垣 を

覆 い 被 し 水 路 はシルト 化 している。 経 年 の 流 出 によるものか、マウンド 構 築 時 のものか、ある

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図 13

ナンタワス 遺 跡 の 位 置

写 真 9 ナンタワス 遺 跡 入 り 口 周 辺

写 真 10 タウ 遺 跡 から 見 たナンタワス 遺 跡

図 14

ナンタワス 遺 跡 の 現 状

写 真 11 北 西 部 周 辺 と 樹 木 の 繁 茂 状 況

写 真 12 外 周 壁 北 西 コーナー 写 真 13 外 周 壁 北 東 コーナー 写 真 14 外 周 壁 南 東 コーナー 周 辺

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いはサックス (Saxe et al., 1980) やアセンズ Athens (2007) のマウンド 発 掘 によるものかは 不

明 である。

遺 跡 南 東 部 の 柱 状 玄 武 岩 を 積 み 上 げた 周 壁 全 体 の 崩 落 は 激 しく、 東 周 壁 に 築 造 された 入 り 口

北 側 は 崩 壊 状 態 で 南 半 分 の 頂 上 部 には 植 物 が 繁 茂 している。 南 側 周 壁 内 はやや 低 く 泥 地 と 化 し

ている。この 地 域 は 埋 土 で 整 地 されており、 長 年 の 負 荷 と 干 満 と 雨 の 影 響 で 沈 下 し 泥 地 化 した

と 考 えられる。

9 パーンカティラ 遺 跡 ( 図 18・19 / 写 真 24・25)

シャウテレウル 王 朝 の 首 長 らが 居 住 し、 政 治 と 宗 教 のセンターとして 最 も 詳 しい 口 頭 伝 承

を 残 す、ナンタワス 遺 跡 と 並 んでナン・マドールで 最 重 要 遺 跡 の 一 つである。 南 西 側 の 付 帯

部 (2,020m2 ) を 除 き、 寺 院 跡 や 首 長 の 住 居 跡 と 伝 えられる 遺 構 が 築 造 されている 9,830m2の 人

工 島 の 主 要 部 を 調 査 の 対 象 とした。エアーズら (Ayres et al., 1983) は、AD 900-1100 と AD

1300-1500 の2 時 期 に 建 設 工 事 が 行 われたと 考 えている。

南 側 水 路 に 面 した 石 垣 の 両 端 隅 で 大 きな 崩 落 が 認 められ、 遺 跡 全 体 に 大 型 樹 木 を 含 む 草 木 が

繁 茂 している。とくに、 枯 れ 木 が 密 集 している 北 側 中 央 地 域 は 歩 行 が 困 難 で、 遺 跡 中 央 の 寺 院

跡 と 考 えられている 建 物 跡 は 植 物 繁 茂 が 激 しく 入 所 不 可 能 な 状 態 で、 遺 構 の 輪 郭 を 明 確 にする

には 至 らなかった。

各 遺 構 の 周 壁 には 負 荷 による 膨 れや 歪 みや 崩 落 が 見 られる。 遺 跡 北 西 隅 の 住 居 跡 の 北 周 壁 と

西 周 壁 の 頂 上 部 では 柱 状 玄 武 岩 が 欠 損 している。 周 辺 に 崩 落 の 痕 跡 がないことを 考 ると、 他 の

遺 跡 や 遺 構 に 再 利 用 された 可 能 性 がある。その 転 用 先 として、 寺 院 跡 の 北 西 隣 接 地 に 築 造 され

た 未 完 成 の 石 壁 を 候 補 としてあげられよう。また、 南 壁 の 入 り 口 両 側 や 東 壁 南 東 隅 の 頂 上 部 に

オオタニワタリが 繁 殖 している。

10 パーンウィ 遺 跡 ( 図 18・20 / 写 真 26 〜 30)

AD 1250 (Ayres, 1985) に 建 設 されたパーンウィ 遺 跡 は、ナン・マドール 遺 跡 の 南 西 角 の 方

形 の 人 工 島 と 外 洋 に 面 した 長 方 形 の 人 工 島 から 成 る。 調 査 は 面 積 7,700m2の 方 形 側 の 人 工 島 を

対 象 とした。 本 遺 跡 の 南 西 隅 には 巨 大 な 玄 武 岩 が 10m の 高 さに 積 み 上 げられている。リーフ

に 面 した 周 壁 には 巨 岩 が 使 用 されているが、 植 物 と 波 の 影 響 で 著 しい 崩 落 と 崩 壊 が 認 められる。

また、 潮 の 干 満 により 周 壁 に 沿 って 多 量 の 砂 が 堆 積 しており、 島 民 による 砂 の 採 取 が 行 われて

きた。その 採 取 行 為 は 周 壁 の 崩 落 要 因 の 一 つとなる。 現 在 ナンマルキはこの 地 における 砂 の 採

取 を 禁 じている。

人 工 島 内 部 はゴバンノアシ (Barrigntonia asiatica, wi) などの 樹 木 を 含 む 草 木 が 繁 茂 してお

り、 遺 構 の 石 材 を 浮 動 させ 根 が 石 材 に 絡 みついている 状 況 を 確 認 した。 因 みに、 遺 跡 名 のパー

ンウィには「ウイの 木 の 下 」という 意 味 がある (Ayres et al., 1983)。1984 年 に 発 掘 を 行 った

エアーズ (Ayres, 1985) は、 柱 状 玄 武 岩 の 石 列 や 中 央 に 炉 跡 を 持 つ 住 居 跡 や 墓 跡 の 確 認 と 保 存

状 況 を 観 察 した。その 結 果 、 墓 跡 周 壁 の 内 側 方 向 への 著 しい 崩 落 を 確 認 している。

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写 真 15 入 り 口 北 側 周 壁 の 崩 落 写 真 16 内 側 から 見 た 入 り 口 と 周 壁 の 崩 落

写 真 17 内 側 から 見 た 北 側 周 壁 の 崩 落 写 真 18 外 周 壁 南 東 コーナーの

巨 大 玄 武 岩 の 亀 裂

写 真 19

中 央 石 室 開 口 部 周 辺 の 柱 状 玄 武 岩 の 崩 落

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11 人 工 島 間 の 陸 橋 ( 図 21 / 写 真 31 〜 36)

人 工 島 を 繋 げる 陸 橋 には 遺 構 の 玄 武 岩 が 転 用 され、 突 堤 状 に 水 路 に 突 き 出 した 構 造 になって

いる。そのため、もとの 水 流 や 水 量 に 変 化 が 起 こり、 周 辺 にとどまらず 遺 跡 全 域 の 水 路 に 多 大

な 影 響 を 与 えていると 考 えられる。この 変 化 は 各 所 でシルト 化 を 生 じさせ、マングローブなど

の 植 物 繁 殖 を 増 長 させている 可 能 性 が 高 く、 結 果 的 に 遺 構 を 損 傷 させ 景 観 を 損 なわせる 原 因 に

なっている 可 能 性 が 高 い。

12 外 洋 側 の 人 工 島 ( 写 真 37 〜 41)

ナーカップ 湾 や 外 洋 側 の 人 工 島 は、 波 や 風 の 影 響 を 最 も 強 く 受 けてきた。 波 と 潮 の 干 満 によ

る 人 工 島 の 埋 土 の 沈 下 とサンゴの 移 動 は、 石 垣 の 玄 武 岩 を 崩 落 させている。また、 人 工 島 内 外

に 繁 殖 しているマングローブや 立 ち 枯 れや 強 風 による 大 型 樹 木 の 倒 壊 は、 石 垣 や 周 壁 の 崩 落 と

遺 構 崩 壊 の 原 因 となっている。

3−3 小 結

第 一 次 調 査 として 位 置 づけられる 本 遺 跡 現 状 調 査 では、 主 要 遺 跡 の 観 察 で 保 存 状 況 や 遺 跡 損

傷 の 原 因 を 理 解 し、 今 後 の 課 題 と 展 望 を 明 確 にすることを 目 的 とした( 原 本 ほか , 2011)。

調 査 により、 遺 跡 の 損 傷 は 大 きく(1) 現 在 に 至 るまで 長 期 にわたる 遺 跡 の 土 や 石 材 の 転 用 、

(2) 樹 木 の 繁 殖 、(3) 観 光 用 トレイル 建 設 時 の 遺 構 の 破 壊 と、 水 流 変 化 がもたらした 水 路 の

シルト 化 によるマングローブの 繁 殖 、(4) 訪 問 者 による 踏 みつけや 石 材 の 移 動 、(5) 経 年 の

遺 構 自 体 の 負 荷 などの 要 因 が 複 合 的 に 影 響 していることを 明 らかにした。

図 22 が 示 すように、 現 在 のナン・マドール 遺 跡 は、1500 年 前 の 人 工 島 建 設 開 始 以 来 さま

ざまな 自 然 的 と 文 化 的 あるいは 人 為 的 影 響 を 複 合 的 に 受 けながら 今 日 に 至 ったものである。 人

工 島 は、 傾 向 的 にはテムエン 島 麓 から 裾 礁 を 外 洋 方 向 に 広 がりながら 1000 年 かけて 建 設 され

た。 人 工 島 によっては 増 築 や 改 築 が 行 われ、もとの 遺 構 の 石 材 が 転 用 された 可 能 性 が 高 い。 王

朝 崩 壊 に 伴 い 遺 跡 は 廃 墟 化 し 長 年 放 置 されてきたため、 多 くの 人 工 島 遺 跡 の 遺 構 上 には 植 物 が

繁 茂 し、 長 年 の 遺 構 自 体 の 荷 重 による 負 荷 がかかり、 気 候 変 化 による 水 位 ・ 潮 の 干 満 ・ 水 流 ・

雨 風 など 自 然 的 要 因 による 損 傷 を 受 けてきた。 植 物 は 自 然 繁 茂 に 加 え、 埋 土 で 整 地 されたペイ

ンキテル 遺 跡 やタウ 遺 跡 やパーンカティラ 遺 跡 などの 大 型 の 人 工 島 ではココナッツ (Cocos nucifera)

やパンノキ (Artocarpus atlilis) などの 食 用 植 物 が 植 樹 されてきた (Ayres et al., 1983)。

エアーズら (Ayres et al., 1983) は、(1) 経 年 の 負 荷 、( 2) 波 と 潮 位 の 変 化 、(3) 植 物 とく

に 大 型 樹 木 の 繁 殖 、(4) 人 の 行 動 と 活 動 、(5) 海 洋 生 物 や 陸 棲 動 物 の 影 響 を 遺 構 の 崩 壊 や 崩

落 の 主 要 因 としてあげている。ただし、 彼 らの 調 査 時 には 観 光 用 トレイルは 建 設 されていなかっ

たため、その 問 題 についての 記 述 はない。 近 年 建 設 された 人 工 島 を 繋 げる 観 光 用 トレイルは、

遺 跡 に 与 える 文 化 的 要 因 に 加 えて 自 然 的 要 因 を 引 き 起 こす 重 大 な 影 響 を 及 ぼしていることは 間

違 いない。つまり、 建 設 時 の 遺 跡 の 石 材 や 埋 土 の 転 用 は 遺 構 の 破 壊 をもたらしただけでなく、

人 工 島 を 連 結 する 陸 橋 の 構 造 は 水 路 を 閉 塞 させ 水 流 の 変 化 によるシルト 化 を 加 速 させ、マング

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図 15

カリアン 遺 跡 とイテート 遺 跡 の 位 置

写 真 20 周 壁 南 東 コーナー

写 真 21 墓 周 壁 入 口 の 天 井 石 の 崩 落

図 16

カリアン 遺 跡 の 現 状

写 真 22 カリアン 遺 跡 北 東 部 の 張 り 出 し 状 遺 構 の

立 ち 枯 れの 木

図 17

イテート 遺 跡 の 現 状

写 真 23 イテート 遺 跡 周 壁 南 西 コーナーの

崩 落 と 植 物 繁 茂

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ローブなど 二 次 的 な 樹 木 の 繁 殖 を 促 している。また、トレイルはテムエン 島 から 陸 路 で 複 数 の

人 工 島 の 見 学 を 可 能 にしたため、 訪 問 者 の 増 加 が 周 壁 やテラスなどの 遺 構 の 踏 みつけや 石 材 の

移 動 など 崩 落 や 膨 らみや 歪 みなどの 要 因 となっている。

本 調 査 成 果 に 基 づき 今 後 の 作 業 工 程 として、ナン・マドール 遺 跡 の 全 体 図 と 各 人 工 島 の 正 確

な 平 面 図 の 作 成 を 優 先 し、 将 来 の 保 全 に 向 けての 基 礎 資 料 として 以 下 の 事 柄 を 図 上 にプロット

することが 不 可 欠 である。

(1) 遺 跡 の 現 状 ( 破 損 状 況 など)

各 人 工 島 を 詳 細 に 観 察 し、 危 険 箇 所 の 早 急 な 修 築 と 改 善 点 、 終 局 的 な 遺 跡 の 保 全 と 保 護 対

策 と 復 元 方 法 を 明 確 にする。

(2) 各 人 工 島 と 水 路 と 周 辺 の 土 壌 および 植 生

土 壌 と 植 物 繁 殖 の 関 連 性 と、 伐 採 の 必 要 性 の 有 無 と 方 法 などを 明 確 にする。

(3) 遺 跡 周 辺 と 水 路 における 波 と 潮 の 干 満 時 の 水 流 ( 水 量 と 方 向 と 強 さ)

外 洋 側 の 遺 構 の 損 傷 状 況 と、 水 路 のシルト 化 とマングローブなど 植 物 繁 殖 の 遺 構 への 影 響

を 明 確 にする。とくに、 観 光 用 トレイルによる 水 流 のメカニズムを 理 解 する。

(4) 年 間 を 通 しての 雨 量 と 風 量 と 光 量

遺 構 を 構 築 する 玄 武 岩 やサンゴの 風 化 の 現 状 と 背 景 を 理 解 する。

ユネスコ 世 界 文 化 遺 産 登 録 に 向 けて、 全 体 構 想 を 前 提 とした 短 期 ・ 中 期 ・ 長 期 の 段 階 的 かつ

具 体 的 な 調 査 作 業 工 程 を 策 定 する 必 要 があり、それを 遂 行 するためには 現 地 政 府 歴 史 保 存 局 や

非 営 利 団 体 やコミュニティの 協 力 が 不 可 欠 であることは 言 うまでもない。

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図 18 パーンカティラ 遺 跡 とパーンウィ 遺 跡 の 位 置

写 真 24 パーンカティラ 遺 跡 南 西 域 の 枯 れ 木

写 真 25 柱 状 玄 武 岩 の 石 積 み 遺 構 上 の 枯 れ 木

図 19

パーンカティラ 遺 跡 の 現 状

図 20

パーンウィ 遺 跡 内 の 墓 跡 周 辺 の 現 状

写 真 26 パーンウィ 遺 跡 南 西 コーナーの 石 積 み

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写 真 27 外 洋 周 壁 周 辺 の 樹 木 の 繁 茂 写 真 28 石 垣 の 崩 落 と 砂 の 堆 積

写 真 30 墓 跡 周 辺 の 樹 木 の 繁 茂

写 真 29

石 垣 の 崩 落 と 砂 の 堆 積

図 21

観 光 用 トレイルの 位 置

写 真 31 人 工 島 間 のトレイルと 陸 橋

写 真 32 陸 橋 周 辺 のシルト 化 写 真 33 人 工 島 間 のトレイルと 陸 橋

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写 真 34 人 工 島 間 の 陸 橋 用 突 堤 写 真 35 水 路 のマングローブの 繁 殖

写 真 36 水 路 のマングローブの 繁 殖 写 真 37 ナン・マドール 遺 跡 入 り 口 周 壁 と

樹 木 の 繁 殖

写 真 38

ナン・マドール 遺 跡 入 り 口 周 壁 と

樹 木 の 繁 殖

写 真 39 外 洋 側 人 口 島 の 石 垣 と 植 物 繁 茂

写 真 40 外 洋 側 人 口 島 の 植 物 繁 茂 写 真 41 外 洋 側 人 口 島 の 植 物 繁 茂

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図 22 遺 跡 損 傷 および 景 観 への 影 響 要 因

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M icronesia

4. 遺 跡 保 護 体 制

4−1 現 地 調 査 結 果

文 化 遺 産 保 護 体 制

FSM は 国 家 元 首 である 大 統 領 のもとに、 三 権 分 立 として 司 法 ( 最 高 裁 判 所 )、 立 法 (FSM 政 府

議 会 )、 行 政 ( 行 政 府 )が 置 かれている。 憲 法 ではまた、 伝 統 的 指 導 者 (ナンマルキ)の 慣 習 的

な 権 益 を 認 める、 統 治 機 構 として 連 邦 政 府 とともに 州 や 地 域 政 府 にも 行 政 権 を 認 める、 州 は 憲 法

を 持 つ、などが 定 められている。そのため、ナン・マドロール 遺 跡 に 関 しても、 連 邦 政 府 、ポン

ペイ 州 が 行 政 として 保 護 に 関 わっているとともに、 伝 統 的 指 導 者 (ナンマルキ)が 慣 習 的 に 保 護

に 関 わるという 状 況 がある。

1 行 政

連 邦 政 府 には 行 政 機 関 の 一 つとして 公 文 書 ・ 文 化 ・ 歴 史 保 存 局 (Office of National Archives,

Culture and Historic Preservation office: NACH) が 設 置 されており、その 中 の 歴 史 保 存 ユニット

が 文 化 遺 産 保 護 を 担 当 している。NACH は 文 化 遺 産 ・ 文 化 ・ 歴 史 保 護 に 関 する 法 的 ・ 行 政 的 な 活

動 を 監 督 している。また FSM では 州 レベルでも 歴 史 保 存 局 (Historic preservation office: HPO)

が 置 かれており、 各 州 の 文 化 遺 産 の 保 護 を 担 っている。ナン・マドール 遺 跡 のあるポンペイ 州 に

も HPO があり、FSM の HPO とポンペイ 州 の HPO は 密 接 に 連 携 して 活 動 を 進 めており、これは

今 回 の 調 査 でも 随 所 に 見 ることができた。ただ、この 両 方 の HPO で 人 材 が 不 足 している 現 状 が

ある。NACH は FSM 政 府 の 予 算 だけでなく、US National Park Service からも 財 政 的 支 援 を 受 け

ている。また、 人 的 にも 支 援 を 受 けており、 調 査 時 点 では 2 名 の 専 門 家 が 派 遣 されていた。また、

ナン・マドール 遺 跡 から 出 土 した 遺 物 に 関 しては 保 存 ・ 展 示 ・ 公 開 する 博 物 館 は 存 在 していなかっ

た。

遺 跡 を 観 光 資 源 ととらえた 場 合 、FSM の 資 源 開 発 省 (Department of Resources and Development)、ポンペイ

州 の 自 然 資 源 局 (Department of Land and Natural Resources) なども 関 わってい

る。

2 ナンマルキと 地 元 住 民

ナン・マドール 遺 跡 は 文 化 遺 産 としてだけでなく、 宗 教 的 な 意 味 でも 重 要 性 を 持 つ。 現 在 でも

数 多 くの 口 承 伝 承 が 伝 わるこの 地 域 に 暮 らす 人 々のかつての 行 政 と 信 仰 の 中 心 であった 場 所 は、

今 でもその 伝 統 を 受 け 継 ぐ 地 元 住 民 の 手 によって 守 られている。また、 遺 跡 見 学 の 入 場 料 は 現 在

のところ 行 政 ではなく、 彼 ら 地 元 住 民 によって 徴 収 されている。

まず、 地 元 には 伝 統 的 指 導 者 であるナンマルキと、 地 元 住 民 による NGO の Nan Madol En

Ihmw Incorporated が 遺 跡 の 保 護 に 関 わっている。 例 えば、 現 在 でもナン・マドール 遺 跡 を 発 掘

等 様 々な 形 で 調 査 を 行 う 際 には、 慣 習 としてマタレニーム 地 区 のナンマルキに 内 容 を 説 明 し、 許

可 を 得 る 必 要 がある。 今 回 の 調 査 でも 遺 跡 に 入 る 前 にナンマルキ・ 地 元 NGO と 面 談 をおこない、

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調 査 の 概 要 を 説 明 して 許 可 を 得 た。

また、20 世 紀 初 頭 のドイツ 統 治 時 代 に、 当 時 の 政 府 によって 遺 跡 の 土 地 の 一 部 の 所 有 を 認

められた 個 人 所 有 者 も 存 在 している。 現 在 でもペインキテル 周 辺 の 土 地 は Masao Hadley 氏 が

所 有 しており、 観 光 用 に 利 用 されているトレイルも Hadley 氏 の 土 地 に 入 場 口 がある。 陸 上 か

ら 徒 歩 で 観 光 する 場 合 は、ここで 入 場 料 (トレイル 使 用 料 )として3ドルを 支 払 う 必 要 がある。

3 国 際 協 力 の 状 況

国 際 協 力 全 般 としては、FSM は 米 国 の 委 任 統 治 領 であったため、 現 在 でも 米 国 は 最 大 の 支

援 国 である。 日 本 は1954 年 まで30 年 間 に 渡 り 統 治 してきた 歴 史 を 背 景 に、 現 在 でも 関 係

は 強 く、 米 国 に 次 いで 第 2 位 の 支 援 国 となっている。 最 近 ではポンペイ 国 際 空 港 拡 張 工 事 など

のインフラ 整 備 などがある。 次 いでオーストラリア、 中 国 などが 支 援 を 行 っている。 中 でも 近

年 は、FSM の 排 他 的 経 済 水 域 が 豊 富 な 漁 場 であることから、 中 国 が 支 援 に 積 極 的 な 姿 勢 を 見

せている。

日 本 とミクロネシアは 歴 史 的 に 強 いつながりを 持 ち、 現 在 でも 至 る 所 に 日 本 語 や 日 本 食 、ま

た 日 本 統 治 時 代 の 神 社 などを 見 ることができる。 日 本 の 統 治 下 で 日 本 語 教 育 を 受 けた 世 代 や 日

本 に 親 戚 を 持 つ 人 々もおり、 親 日 的 と 言 える。また、JICA の 活 動 も 評 価 を 受 けており、 日 本

の 国 際 協 力 に 対 する 信 頼 度 は 高 い。

ナン・マドール 遺 跡 に 関 わる 協 力 としては、 先 述 した 通 りUS National Park Serviceが 財 政 的 ・

人 的 な 支 援 を 行 っている。 人 的 リソースの 少 ない FSM では、こうして FSM の HPO に 派 遣 さ

れた 考 古 学 者 が 重 要 な 役 割 を 担 っている。 日 本 からの 当 該 分 野 への 協 力 は、ユネスコアジア 文

化 センター 文 化 遺 産 保 護 協 力 事 務 所 (ACCU)が 遺 跡 保 護 専 門 家 要 請 のための 個 人 研 修 として

日 本 に 数 名 を 招 へいし、 協 力 を 行 っている。 観 光 の 面 では、 資 源 開 発 省 や 観 光 局 には JICA か

ら 観 光 の 専 門 家 等 が 派 遣 されている。 遺 跡 保 存 そのものに 対 してはこれまで 現 地 側 の 体 制 が

整 っていなかったため、いずれの 国 も 協 力 には 至 っていない。 日 本 との 歴 史 的 つながりや 日 本

のこれまでの 支 援 の 実 績 を 鑑 みると、 今 後 遺 跡 保 護 と 観 光 に 関 する 支 援 の 要 請 は 増 加 すると 考

えられる。

4 観 光 開 発 の 状 況

FSM を 訪 問 する 外 国 人 は 毎 年 2 万 人 程 度 で、 内 訳 として 最 も 多 いのは40% 程 度 を 占 める

米 国 人 で、 次 に 多 い 日 本 人 は20% 程 度 を 占 めている。 続 いて、ヨーロッパやアジア 諸 国 から

の 来 訪 者 である。 来 訪 者 は 観 光 客 の 他 に、 水 産 業 関 係 者 がビジネスのために 訪 問 する。 周 辺 は

豊 かな 漁 場 であるため、カツオやマグロ 漁 などの 漁 業 従 事 者 も 多 く 立 ち 寄 っている。また、 日

本 からの 観 光 客 の 半 数 近 くは 周 辺 の 島 への 慰 霊 を 目 的 とした 訪 問 客 であるということであっ

た。 観 光 客 の 多 くはダイビングやサーフィン 等 を 目 的 としており、 近 年 ではエコ・ツーリズム

を 全 面 に 出 して 観 光 化 に 取 り 組 んでいる。 現 在 のところ 観 光 の 目 玉 となる 名 所 などはナン・マ

ドール 遺 跡 以 外 には 無 い。 今 後 は 遺 跡 を 整 備 し、 世 界 遺 産 に 登 録 することで、 日 本 人 などの 観

光 客 の 増 加 を 目 指 しているという。またそこでは、 日 本 の 援 助 により 拡 張 されたポンペイ 国 際

空 港 を 活 用 することも 期 待 されている。

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4−2 今 後 の 課 題

ナン・マドール 遺 跡 の 保 護 には 大 きくわけて3つのステークホルダー( 行 政 、ナンマルキと

NGO、 一 部 土 地 所 有 者 )が 存 在 しており、 現 状 ではそれぞれが 別 々に、 料 金 徴 収 、 遺 跡 清 掃 、

トレイル 建 設 等 を 行 っている。この 状 況 で、 遺 跡 保 護 を 組 織 的 に 進 めるためには 以 下 の 課 題 が

あることがわかった。

1

ステークホルダー 間 の 情 報 共 有

各 ステークホルダーが 別 々に 活 動 を 行 っているが、 相 互 に 十 分 な 情 報 共 有 がなされてい

るとは 言 えない。 行 政 によって 土 地 や 遺 跡 が 地 元 住 民 の 手 から 奪 われるのではと 危 惧 する

住 民 もおり、この 不 信 感 は 情 報 共 有 の 不 足 から 生 じていると 考 えられる。3 者 の 間 で 情 報

を 共 有 し、 一 体 となって 遺 跡 保 護 を 進 める 体 制 が 整 備 されていない 点 は、 今 後 の 遺 跡 保 護

を 考 える 上 で 最 大 の 課 題 であると 言 える。 行 政 と 伝 統 的 指 導 者 と 土 地 所 有 者 の3 者 の 協 力

は、 大 規 模 に 遺 跡 を 整 備 し、 観 光 客 を 受 け 入 れるためには 不 可 欠 である。

2

入 場 料 徴 収 制 度 の 整 備

入 場 料 の 徴 収 が 行 政 と 地 元 住 民 の 間 で 話 し 合 われ、 合 意 のもとで 設 定 されたものではな

いため、 多 くの 観 光 客 は 入 場 料 システムに 困 惑 している 現 状 がある。 船 の 場 合 にはナンマ

ルキに3ドル、トレイルを 使 用 する 場 合 は Masao 氏 の 入 場 口 で3ドル、その 他 にも 別 の 場

所 で 入 場 料 を 徴 収 している 住 民 が 存 在 している。また、 地 元 住 民 は 行 政 によって 一 方 的 に

入 場 料 徴 収 の 権 利 とその 収 益 を 奪 われると 危 惧 し、これが 地 元 住 民 が 行 政 に 協 力 すること

を 妨 げている 要 因 であると 思 われた。 今 後 遺 跡 を 保 護 して、 更 なる 観 光 客 を 受 け 入 れるた

めには、 入 場 料 のシステムとともに、それらの 収 益 を 適 切 に 分 配 し 保 護 活 動 などに 活 かす

必 要 がある。

3

地 元 住 民 への 説 明

ナン・マドール 遺 跡 はこれまで 数 多 くの 諸 外 国 の 考 古 学 者 の 手 によって 発 掘 されており、

数 多 くの 遺 物 はこの 場 所 から 持 ち 去 られた。そのため 地 元 住 民 の 間 では、 自 分 たちの 祖 先

の 墓 でもある 遺 跡 に 対 して、 外 国 人 によって 発 掘 され、 遺 物 が 持 ち 去 られたりすることに

対 しての 警 戒 が 強 い。 今 回 の 調 査 前 にも、ナンマルキから、 発 掘 がないのであれば 調 査 を

許 可 すると 伝 えられた。 諸 外 国 の 発 掘 隊 が 行 った 調 査 の 成 果 の 多 くは 地 元 住 民 に 還 元 され

ておらず、 口 承 伝 承 による 歴 史 だけでなく、 科 学 的 調 査 に 基 づいた 歴 史 を 知 る 機 会 を 奪 わ

れた 形 になっていることは、 現 在 地 元 住 民 が 諸 外 国 の 発 掘 隊 に 対 して 不 信 感 を 抱 かせる 要

因 になっているように 思 われた。 今 後 、 国 際 協 力 の 形 で 遺 跡 保 護 にむけて 何 らかの 作 業 が

必 要 な 際 には、 地 元 住 民 に 対 して 事 前 に 十 分 な 説 明 を 行 う 必 要 がある。

また、 諸 外 国 の 発 掘 隊 による 研 究 成 果 のうち 既 に FSM 政 府 に 提 出 されているものについ

ては、 今 後 FSM の HPO によって 整 理 する 動 きもあるらしく、こうした 資 料 は 今 後 、 地 元

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住 民 も 何 らかの 形 で 歴 史 を 学 ぶために 活 用 する 必 要 があると 思 われる。

4

人 材 の 不 足

人 口 36,000 人 弱 のポンペイ 州 では、 文 化 遺 産 保 護 に 携 わる 人 材 はきわめて 少 ない。 連

邦 政 府 、 州 政 府 両 方 の HPO でもスタッフは 非 常 に 少 なく、 現 状 では 大 規 模 な 保 存 修 復 事

業 などを 受 け 入 れることは 困 難 な 状 況 と 言 える。これまでには、 日 本 を 含 めた 海 外 に 文 化

遺 産 保 護 のための 人 材 育 成 として 人 材 を 派 遣 したが、 帰 国 後 は 別 の 職 に 就 いている 者 もお

り、ナン・マドール 遺 跡 保 護 にむけて 国 際 協 力 を 行 うとしても、 育 成 する 人 材 をいかに 確

保 するかが 課 題 になるといえる。

5

観 光 インフラの 整 備

現 在 遺 跡 周 辺 には、ホテルなど 一 度 に 多 くの 観 光 客 を 受 け 入 れられる 宿 泊 施 設 は 整 って

いない。また、 遺 跡 を 訪 問 した 観 光 客 に 対 して、 遺 跡 の 歴 史 や 価 値 、また 伝 承 などを 含 め

て 適 切 に 説 明 できるガイドや、 公 式 なパンフレット、 標 識 などが 存 在 せず、 観 光 客 は 遺 跡

の 中 心 のナンダワスのみを 見 て 帰 ることがほとんどである。 観 光 客 の 増 加 による 混 乱 を 防

ぎ、 遺 跡 の 正 しい 価 値 を 伝 えるために、 世 界 遺 産 登 録 により 観 光 客 が 増 加 する 前 に 観 光 イ

ンフラを 整 える 必 要 がある。

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5. 提 言

今 回 の 調 査 を 通 じて、ナン・マドール 遺 跡 の 現 状 を 述 べ、さらに 遺 跡 を 保 全 するための 当 該 国

の 体 制 および 遺 跡 に 関 連 する 利 害 関 係 者 (stake holders)のヒアリングの 成 果 を 述 べてきた。こ

の 遺 跡 が 現 地 ポンペイ 島 の 歴 史 ・ 伝 統 文 化 と 密 接 に 関 連 した 文 化 遺 産 であるという 側 面 から 考 え

れば、 単 に 観 光 のための 開 発 を 推 し 進 めるのではなく、そこに 住 む 人 々 自 身 の 文 化 を 尊 重 しなが

ら、 文 化 遺 産 を 持 続 的 に 維 持 していくという 方 策 を 勘 案 することが 重 要 である。もちろんこうし

た 取 り 組 みは、 一 朝 一 夕 になしうるものではなく、 長 期 的 な 視 野 が 必 要 である。そのためには 単

に 経 済 的 な 支 援 や、 国 や 地 方 自 治 体 という 施 策 主 体 の 問 題 だけでなく、そこに 住 む 一 人 ひとりの

自 発 的 認 識 に 基 づいた 協 力 と 同 意 が 必 要 となってくる。

ナン・マドール 遺 跡 は、 遺 跡 自 体 が 持 つ 顕 著 な 価 値 にもかかわらず、 適 切 な 遺 跡 保 護 のマス

ター・プランが 存 在 しないことが、その 遺 跡 保 全 において 重 大 な 懸 念 となっている。 適 切 なマス

ター・プランは、 将 来 的 に 期 待 されるユネスコ 世 界 遺 産 の 登 録 にも 重 要 な 条 件 となるばかりでな

く、 遺 跡 の 保 全 に 向 けての 国 際 社 会 からの 援 助 を 受 け 入 れるための 受 け 皿 としても 不 可 欠 なもの

である。そこで 日 本 としてもこのマスター・プランの 作 成 に 助 言 ・ 協 力 することが、 効 果 的 な 国

際 支 援 になると 考 えられる。

遺 跡 保 全 のためのマスター・プランには 以 下 の 要 素 が 必 要 である。

・ 遺 跡 保 護 の 法 整 備 (legislative, regulatory and contractual measures for protection)

・ 遺 跡 の 範 囲 (boundaries for effective protection)

・ バッファゾーン(buffer zone)

・ マネジメント・システム(management systems)

・ 持 続 可 能 な 利 用 (sustainable use)

一 番 目 に 関 しては、 遺 跡 を 管 理 する 法 的 な 責 任 を 有 する 国 ・ 地 方 自 治 体 と 協 議 し、 既 存 の 法 整

備 を 確 認 し、その 不 備 の 是 正 および 補 填 について 助 言 するという 協 力 が 検 討 しうる。

二 番 目 に 関 しては、 保 護 すべき 遺 跡 の 範 囲 を 確 定 するために、 遺 跡 の 正 確 な 地 図 を 作 成 する 必

要 がある。このために、 測 量 ・ 記 録 方 法 の 技 術 移 転 および 技 術 提 供 などの 協 力 を 行 うことが 検 討

しうる。

三 番 目 に 関 しては、 遺 跡 周 辺 にバッファゾーンを 設 定 し、 遺 跡 に 悪 影 響 を 与 える 可 能 性 のある

開 発 を 制 限 する 必 要 がある。そのために、 例 えば 周 辺 の 環 境 調 査 をおこない、 森 林 ・マングロー

ブ・ 河 川 などの 状 況 を 把 握 し、 周 辺 地 域 における 開 発 が 遺 跡 に 及 びうる 影 響 を 評 価 するための 協

力 をおこなうことが 検 討 しうる。

四 番 目 に 関 しては、 遺 跡 を 保 護 するための 具 体 的 な 諸 手 段 からなるマネジメント・システムを

確 立 することである。ただし 保 護 すべき 遺 跡 の 状 況 はその 文 化 的 ・ 環 境 的 脈 絡 により 多 様 であり、

マネジメント・システムの 担 い 手 は 行 政 担 当 者 のみにとどまらず、 現 地 住 民 の 自 発 的 活 動 および

現 地 社 会 により 継 続 的 におこなわれてきた 文 化 的 慣 習 が 大 きな 役 割 を 果 たしている 例 も 少 なくない。

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マネジメント・システムはそうした 多 様 性 を 考 慮 して 作 成 されねばならないが、 少 なくとも 以

下 の 要 素 を 含 む 必 要 がある。

a) すべての 利 害 関 係 者 が 合 意 していること

b) 計 画 ― 遂 行 ―モニタリング― 評 価 ―フィードバックのサイクルの 確 立

c) 協 力 者 および 利 害 関 係 者 の 関 与

d) 必 要 な 資 金 の 確 保

e) キャパシティ・ビルディング

f) 明 確 で 透 明 性 のある 計 画 書

以 上 のシステム 確 立 のための 助 言 および 協 力 をおこなうことが 検 討 しうる。

五 番 目 については、 遺 跡 の 活 用 において 文 化 的 ・ 環 境 的 に 持 続 可 能 な 方 法 を 勘 案 する 必 要 が

ある。そのために、 遺 跡 をとりまく 文 化 的 ・ 環 境 的 要 素 を 考 慮 した、 持 続 可 能 なツーリズムの

プランを 作 成 するための 助 言 ・ 協 力 をおこなうことが 検 討 しうる。

以 上 の 要 件 を 満 たすマスター・プランの 確 立 は 壮 大 な 目 標 であるが、それをかなえるため、

われわれ 日 本 人 にできる 実 現 性 をもった 可 能 性 について 述 べたい。

遺 跡 のドキュメンテーション 作 成 の 支 援

今 回 の 調 査 を 通 じて、 遺 跡 が 抱 えるいくつかのリスク( 遺 跡 の 崩 壊 やマングローブの 繁 茂 な

ど)を 指 摘 することができた。それらのリスクを 正 しく 評 価 し、 今 後 の 遺 跡 保 存 に 向 けての 活

動 をおこなうために、まずは 遺 跡 の 保 存 状 況 (state of conservation)の 適 切 なドキュメンテー

ションの 作 成 が 不 可 欠 である。その 基 礎 作 業 として、ナン・マドール 遺 跡 の 全 体 図 と 各 人 工 島

の 正 確 な 平 面 図 の 作 成 が 不 可 欠 である。

現 在 利 用 可 能 な 遺 跡 の 地 図 は、 全 体 図 に 関 しては 20 世 紀 初 頭 にドイツ 人 によって 作 成 され

たものが 唯 一 の 資 料 であり、 各 人 工 島 の 平 面 図 については Athens と Ayres がそれぞれ 別 個 に

作 成 したものがあるが、 遺 跡 のすべての 範 囲 をカバーするものではない。

現 在 の 科 学 的 水 準 に 基 づいた 地 図 に 必 要 な 条 件 は、「 世 界 測 地 系 (World Geodetic System

1984)」に 準 拠 した 座 標 ( 経 緯 度 ・ 標 高 )に 基 づいたものであることである。そのためには 遺

跡 内 もしくはその 近 辺 に、 少 なくとも 3 点 の 世 界 測 地 系 に 基 づいた 基 準 点 を 設 置 する 必 要 が

ある。 次 にその 基 準 点 をもとに、 遺 跡 全 体 を 網 羅 するトラバースを 設 定 する。そうして 設 定 さ

れたトラバースの 多 角 点 をもとに、 各 人 工 島 の 平 面 図 を 作 成 する。 以 上 の 手 続 きを 踏 むことで、

必 要 な 遺 跡 地 図 を 作 成 することができる。

以 上 のプロセスのうち、まず 基 準 点 の 設 置 については、GPS 測 量 による 設 置 が 現 実 的 である。

ただし GPS 測 量 については 専 門 の 機 器 と 知 識 が 必 要 なので、 日 本 から 測 量 会 社 を 派 遣 し、 作

業 にあたらせるのが 望 ましい。

次 にトラバースの 設 定 については、トータル・ステーションを 用 いて 測 量 士 もしくはそれに

準 じた 知 識 のある 専 門 家 がおこなうのが 望 ましい。そのため 日 本 から 測 量 会 社 もしくは 専 門 家

を 派 遣 し、 作 業 にあたらせるのが 望 ましい。

最 後 に 各 人 工 島 の 平 面 図 の 作 成 であるが、これは 平 板 測 量 によっておこなうのが 効 果 的 であ

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M icronesia

る。 平 板 測 量 は 機 材 が 安 価 なことと、 習 熟 に 時 間 がかからないという 利 点 がある。そこでまず

日 本 人 専 門 家 が 現 地 の 人 間 に 対 して 技 術 移 転 をおこない、その 後 は 現 地 の 人 間 を 中 心 に 作 業 に

あたるというプロセスが 効 果 的 である。

このようにして 作 成 された 遺 跡 地 図 は、マスター・プラン 作 成 に 不 可 欠 な 遺 跡 の 範 囲 の 確 定

に 資 するのみならず、 遺 跡 の 現 状 ( 破 損 状 況 )、 各 人 工 島 ・ 水 路 と 周 辺 の 土 壌 と 植 生 などを 評

価 する 上 でも 基 礎 資 料 となり、 遺 跡 保 存 のための 短 期 ・ 中 期 ・ 長 期 的 な 活 動 に 重 要 な 役 割 を 果

たすことが 期 待 される。

マスター・プラン 作 成 に 向 けたワークショップ 開 催

適 切 なマスター・プランの 確 立 には、 遺 跡 に 関 わるすべての 利 害 関 係 者 間 で 合 意 形 成 がなさ

れていることが 条 件 である。 今 回 の 調 査 を 通 じて、 国 ・ 地 方 自 治 体 ・ 土 地 所 有 者 ・ 現 地 社 会 と

いった 利 害 関 係 者 のいずれもが、この 遺 跡 の 顕 著 な 価 値 をみとめ、その 保 護 を 希 求 しているこ

とを 確 認 することが 出 来 たが、 利 害 関 係 者 間 での 意 思 疎 通 および 協 力 関 係 がいまだ 確 立 してい

ないことが 明 らかとなった。そこで、すべての 利 害 関 係 者 を 招 き、 合 意 形 成 を 促 しながら、マ

スター・プランの 作 成 に 向 かうためのワークショップを 開 催 するのが 一 案 である。

ワークショップには 以 下 の 内 容 が 含 まれる。

・ マスター・プラン 作 成 の 重 要 性 ( 日 本 人 専 門 家 による 講 義 )

・ ユネスコ 世 界 遺 産 条 約 の 概 略 と 登 録 へのプロセス( 日 本 人 専 門 家 による 講 義 )

・ 遺 跡 の 保 存 状 況 のアセスメント( 参 加 者 全 員 )

・ 持 続 可 能 なツーリズム( 日 本 人 専 門 家 による 講 義 )

・ ディスカッションとレポート 作 成 ( 参 加 者 全 員 )

一 番 目 と 二 番 目 については、 日 本 人 専 門 家 により 各 項 目 の 概 要 の 説 明 があり、そのためには

利 害 関 係 者 間 の 合 意 形 成 が 不 可 欠 であることを 説 明 する。

三 番 目 は、 参 加 者 全 員 が 実 際 に 現 地 の 遺 跡 におもむき、 現 状 の 遺 跡 の 保 存 状 況 を 記 録 し、 評

価 を 行 う。これにより、 遺 跡 の 保 全 のために 何 が 必 要 かという 意 見 を 利 害 関 係 者 間 で 共 有 する

ことを 促 す。

四 番 目 は、エコ・ツーリズムやヘリテージ・ツーリズムの 専 門 家 を 招 き、 持 続 可 能 なツーリ

ズムのあり 方 について 議 論 する。これにより、ツーリズムに 関 連 する 開 発 により 遺 跡 に 悪 影 響

を 与 える 危 険 性 についての 意 識 を 高 めると 同 時 に、ツーリズムによって 得 られたリソースを 適

切 に 配 分 することにより、 持 続 的 に 遺 跡 を 保 護 していくことの 重 要 性 を 指 摘 する。

五 番 目 のディスカッションによって、 利 害 関 係 者 間 の 合 意 形 成 をさらに 促 し、レポート 作 成

によってワークショップの 成 果 をフィードバックすることを 目 的 とする。

このワークショップにより、マスター・プラン 作 成 に 向 けた 諸 条 件 のいくつかの 解 決 に 向 け

て 一 定 の 貢 献 を 果 たすことが、 成 果 として 期 待 される。 加 えて、ナン・マドール 遺 跡 において

もっとも 重 要 な 条 件 である 利 害 関 係 者 の 合 意 形 成 に、 効 果 的 な 役 割 を 果 たすことが 期 待 される。

* なお 上 記 の 提 言 を 受 けて、 国 際 交 流 基 金 ・ 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム・ユネスコ 文

化 遺 産 保 存 日 本 信 託 基 金 の 援 助 により、2011 年 11 月 23 日 から 26 日 にかけて「ミクロネ

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シア 連 邦 ナン・マドール 遺 跡 の 保 護 に 資 する 人 材 育 成 ワークショップ」をミクロネシア 連 邦 ポ

ンペイ 州 (コロニア 市 およびナン・マドール 遺 跡 )において 実 施 した。

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6.その 後 の 協 力 ( 平 成 23 年 度 )


コンソーシアムではこの 協 力 相 手 国 調 査 の 成 果 による 提 言 を 基 に、 相 手 国 の 要 請 に 従 って 継 続

して 協 力 を 行 い、その 結 果 、 一 定 の 成 果 を 出 し、 現 地 での 遺 跡 保 護 は 着 実 に 前 進 することとなっ

た。ここでは 補 足 として 平 成 23 年 度 に 相 手 国 調 査 の 成 果 を 基 にして 行 った 協 力 を 紹 介 する。

調 査 成 果 による 提 言 からもわかるように、ナン・マドール 遺 跡 の 保 護 に 向 けてまず 重 要 なのは、

現 地 利 害 関 係 者 の 合 意 形 成 のもとでのマネジメントプラン 作 成 である。この 合 意 形 成 を 促 すこと

を 目 的 として、まずワークショップが 必 要 との 判 断 となった。そのためにコンソーシアムでは2

度 の 専 門 家 会 議 を 開 催 し、11 月 にワークショップを 実 施 した。また、 遺 跡 の 状 況 を 正 確 に 地 元

住 民 に 伝 え、また 諸 外 国 からの 国 際 協 力 を 得 るために、 相 手 国 調 査 の 成 果 を 基 にして 遺 跡 を 正 し

く 説 明 した 紹 介 冊 子 を 作 成 してほしいとの 要 請 がユネスコ FSM の 両 者 から 出 されたため、こう

した 冊 子 作 成 の 面 でも 協 力 を 行 った。

< 平 成 23 年 度 のコンソーシアムの 協 力 の 流 れ>



























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ワークショップは 2011 年 11 月 23 日 から26 日 の 期 間 で、ポンペイ 島 のコロニアにあるイ

ボンヌホテル 会 議 場 で 開 催 された。このワークショップは1すべての 利 害 関 係 者 が 集 まる2 全

利 害 関 係 者 間 で 遺 跡 保 護 の 現 状 の 情 報 を 共 有 する3それぞれの 関 係 者 が 今 後 必 要 な 努 力 を 認 識 す

る、という3つを 目 的 とした。

このワークショップはコンソーシアムだけでなく、 日 本 人 専 門 家 チーム、FSM の HPO、ユネ

スコ(ユネスコ 日 本 信 託 基 金 )が 共 催 とし、それぞれが 別 々の 役 割 を 果 たした。まず、コンソー

シアムは 調 査 成 果 と2 度 にわたる 専 門 家 会 議 の 内 容 を 基 にしてワークショップの 企 画 と 構 成 を

行 った。また、 日 本 側 の 専 門 家 チームと、FSM やユネスコとの 連 絡 調 整 を 行 った。 日 本 からの

専 門 家 は 国 際 交 流 基 金 の 助 成 金 を 受 けて、 相 手 国 調 査 の 際 にメンバーであった 石 村 氏 を 代 表 とし

て、 観 光 の 専 門 家 や 森 林 (マングローブ)の 専 門 家 、また 現 状 の 記 録 のために 写 真 家 、のメンバー

で 派 遣 した。そして、 現 地 での 会 議 開 催 費 用 はユネスコ 日 本 信 託 基 金 によって 拠 出 された。ま

たユネスコからは 世 界 遺 産 登 録 に 向 けて IUCN の 専 門 家 も 派 遣 した。 会 議 の 全 体 的 なアレンジは

FSM の HPO が 担 当 し、すべての 利 害 関 係 者 の 出 席 を 促 した。また、JICA からオブザーバーとして、

資 源 開 発 省 に 派 遣 されている 観 光 の 専 門 家 なども 出 席 した。


















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今 回 のワークショップには、ミクロネシア 側 からは FSM、 教 育 大 臣 を 始 めとして、FSM、ポ

ンペイ 州 両 方 から 遺 跡 保 護 に 関 連 する 行 政 の 担 当 者 、 地 元 住 民 からはナンマルキと NGO 代 表 者 、

そして 遺 跡 の 一 部 土 地 所 有 者 、の3つの 主 要 な 利 害 関 係 者 がすべて 参 加 した。また、 国 際 機 関 と

してはユネスコ、 諸 外 国 としては 日 本 からはコンソーシアムと 日 本 人 専 門 家 チームが 参 加 した。

また、アメリカ 大 使 館 からも 公 使 が 参 加 し、 遺 跡 保 護 に 強 い 関 心 を 示 していた。





































ワークショップ 参 加 者

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今 回 のワークショップは4 日 間 の 日 程 で 開 催 された。 前 半 の2 日 間 は 会 議 場 で 専 門 家 や 関 係 諸

機 関 から 遺 跡 の 状 況 が 説 明 され、 遺 跡 保 護 や 世 界 遺 産 登 録 に 向 けて 必 要 な 作 業 への 手 順 などが 説

明 された。それらの 情 報 を 共 有 した 後 、3 日 目 には 遺 跡 を 参 加 者 全 員 で 訪 問 し、 全 員 で 状 況 を 確

認 した。 最 終 日 はこれまでの 議 論 をふまえて 今 後 の 活 動 をどのようにするのかが 議 論 され、 最 後

には 今 後 の 活 動 に 協 力 するという 合 意 文 書 に、 全 利 害 関 係 者 が 署 名 をして 幕 を 閉 じた。

このように、 今 回 のワークショップでは、すべての 利 害 関 係 者 が 参 加 し、 情 報 を 全 員 で 共 有 す

るとともに、 国 内 外 の 専 門 家 からの 提 案 や 今 後 の 活 動 に 必 要 な 作 業 を 把 握 し、 前 進 に 向 けて 一 致

した 意 思 を 確 認 できたことは 非 常 に 大 きい。ナン・マドール 遺 跡 を 巡 ってはこれまで、こうした

合 意 が 形 成 されなかったことが 保 護 活 動 の 最 大 の 障 壁 となっていた。 従 ってこの 合 意 がなされた

ことによって、 今 後 は 遺 跡 保 護 と 世 界 遺 産 登 録 に 向 けて 前 進 することは 確 実 であると 考 えられる。

< 今 回 のワークショップ 成 果 >









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遺 跡 保 護 と 世 界 遺 産 登 録 を 目 指 す FSM は、 今 後 もいくつかの 点 で 国 際 社 会 からの 支 援 を 必 要

としている。まず、 短 期 的 には 現 在 使 用 されている 遺 跡 地 図 は 非 常 に 古 いものであるため 新 しく

正 確 な 地 図 の 作 製 、また 遺 跡 保 護 に 向 けたマネジメントプランの 作 成 である。また、こうした 活

動 に 継 続 的 にアドバイスを 行 う 日 本 側 の 拠 点 となるパートナーも 必 要 としている。また、 中 ・ 長

期 的 には、 遺 跡 保 存 や 遺 物 を 保 管 するための 博 物 館 の 建 設 、また 遺 跡 観 光 ガイドの 育 成 などの 側

面 でも 協 力 を 希 望 している。
















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おわりに

ミクロネシア 連 邦 を 対 象 とした 今 回 の 協 力 相 手 国 調 査 は、ナン・マドール 遺 跡 という 特 定 の 保

護 状 況 を、 遺 跡 の 現 況 と 制 度 面 の 両 側 面 から 調 べた。 具 体 的 にはこの 遺 跡 を 長 年 研 究 している 考

古 学 者 による 遺 跡 の 現 地 調 査 と、 関 係 諸 機 関 や 地 元 住 民 への 聞 き 取 り 調 査 を 実 施 した。この 結 果

をもとに、 保 護 活 動 にあたり 障 害 となっている 要 因 などを 分 析 し、 現 地 担 当 者 へ 各 種 の 提 言 をお

こなった。 特 に 今 回 の 調 査 では、 遺 跡 そのものには 崩 落 や 植 物 の 繁 茂 などいくつもの 問 題 がある

もののこうした 問 題 を 解 決 する 前 に、まず 利 害 関 係 者 間 で 情 報 が 共 有 され、 合 意 を 形 成 する 必 要

性 が 明 らかとなり、これに 関 係 する 提 言 をおこなった。この 提 言 が 早 急 に FSM とユネスコ 側 に

受 け 入 れられ、 状 況 は 調 査 翌 年 に 大 きく 動 くこととなった。

伝 統 的 指 導 者 であるナンマルキに 特 別 な 権 益 が 与 えられていることからもわかる 通 り、ミクロ

ネシアには 伝 統 的 な 慣 習 がしっかりと 残 っており、こうした 文 化 に 対 する 理 解 なくして、この

場 所 での 活 動 は 困 難 であった。その 意 味 で、 今 回 の 調 査 を 無 事 終 了 することができた 背 景 には、

20 年 以 上 に 渡 りナン・マドール 遺 跡 を 調 査 されている 片 岡 修 氏 の 協 力 の 存 在 が 大 きいといえる。

これまでも、 現 地 のすべての 当 事 者 が 遺 跡 保 護 に 向 けて 協 力 する 必 要 性 をそれぞれで 認 識 して

はいたものの、 相 互 の 不 信 感 がそれを 妨 げていた。しかし、 現 地 のすべての 当 事 者 がこの 状 況 の

改 善 を 必 要 であると 考 えていた 時 期 に 第 3 者 としてコンソーシアムやユネスコが 関 わり、 話 し 合

いの 場 を 持 つことができたように 思 われる。そういった 意 味 でも、 今 回 の 調 査 は 非 常 に 良 いタイ

ミングであったと 言 える。

今 回 の 相 手 国 調 査 は、その 後 の 経 過 から 見 ても 一 定 の 成 果 を 収 めたと 考 えられる。 文 化 遺 産 国

際 協 力 コンソーシアムは 今 後 も、 我 が 国 による 文 化 遺 産 国 際 協 力 を 推 進 するための 重 要 な 活 動 と

して 相 手 国 調 査 を 行 い、 幅 広 く 文 化 遺 産 国 際 協 力 を 支 援 していきたい。

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文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム

平 成 22 年 度 協 力 相 手 国 調 査

ミクロネシア 連 邦

ナン・マドール 遺 跡 現 状 調 査 報 告 書

発 行 日 : 平 成 24 年 3 月

発 行 : 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム

〒 110-8713 東 京 都 台 東 区 上 野 公 園 13-43

Tel. 03-3823-4841

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