日本語版 - 関西大学文化交渉学教育研究拠点

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日本語版 - 関西大学文化交渉学教育研究拠点

ICIS Newsletter, Kansai University

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ICIS

文 部 科 学 省 グローバルCOEプログラム

関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点

Institute for Cultural Interaction Studies, Kansai University

Contents

天 草 フィールドワーク 活 動 報 告 ………………… 2

第 5 回 研 究 集 会 …………………………………… 4

第 4 回 国 際 シンポジウム………………………… 5

国 際 学 術 フォーラム……………………………… 6

連 載 コラム/ 食 の 文 化 交 渉 学 第 6 回 ………… 9

活 動 報 告 及 びお 知 らせ…………………………… 10

紀 要 募 集 要 項 ……………………………………… 11


ICIS 周 縁 プロジェクト

天 草 フィールドワーク 調 査 記 録

荒 武 賢 一 朗 ( 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 ・ 助 教 )

関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 (ICIS)で 取 り 組 んでいる「 周 縁 プロジェクト」では、2010 年 7 月 26 日

から31 日 にかけて 熊 本 県 天 草 市 ・ 苓 北 町 を 対 象 フィールドとした 総 合 調 査 を 実 施 した。 今 回 は、 周 縁 プロ

ジェクトで 最 初 に 手 がけたベトナム・フエ 市 調 査 の 経 験 をふまえつつ、また 日 本 国 内 でも 有 数 の「 歴 史 ・

文 化 の 宝 庫 」 天 草 諸 島 の 特 徴 をとらえながら、 本 拠 点 の 目 指 す「 文 化 交 渉 学 の 実 践 」を 意 図 したものである。

天 草 諸 島 は、 九 州 西 岸 に 浮 かぶ 大 小 120 余 りの 島 々か

らなっている。 東 シナ 海 に 面 する 地 理 的 特 質 から、 古 く

から 海 外 との 交 流 が 盛 んであった 地 域 でもある。 現 在 は、

1966 年 に 開 通 した 天 草 五 橋 によって、 大 矢 野 島 ・ 天 草

上 島 ・ 下 島 などの 中 央 部 は 九 州 と 地 続 きになっている

が、 熊 本 ・ 長 崎 ・ 鹿 児 島 といった 周 辺 からの 影 響 を 受 け

ながら、 独 自 の 文 化 を

醸 成 してきた。 天 草 を

歴 史 的 に 振 り 返 れば、

16 世 紀 後 半 から17 世

紀 初 頭 にかけてのキリ

スト 教 伝 来 の 影 響 が 極

めて 大 きいだろう。こ

苓 北 町 郷 土 資 料 館 の 古 文 書 の キ リ ス ト 教 の 浸 透

は、 当 時 の 宗 教 規 制 に

よって1637~38 年 の「 天 草 島 原 一 揆 」へと 展 開 し、 島

民 の 多 くが 厳 しい 弾 圧 を 受 けることになった。 禁 教 政 策

が 強 まるなか、 天 草 の 地 域 社 会 ではキリスト 教 を 内 在 的

に 伝 承 し、 独 自 の 宗 教 文 化 を 形 成 することになる。

天 草 の 地 域 研 究 は、 歴 史 ・ 地 理 ・ 民 俗 など、これまで

さまざまな 研 究 者 が 取 り 組 み、 多 くの 成 果 を 挙 げてきた。

とりわけ、 伝 統 文 化 に 深 い 関 心 を 示 す 地 元 の 研 究 者 たち

が、 意 欲 的 な 発 信 を 行 ってきたことが 重 要 であろう。

そのような 研 究 蓄 積 の 厚 い 天 草 で、 周 縁 プロジェクト

は 何 を 目 指 すのか。 幸 いにも 本 拠 点 メンバーは、 歴 史 ・

地 理 ・ 思 想 ・ 言 語 ・ 宗 教 などを 専 攻 する 研 究 者 の 集 まり

で、 多 彩 な 視 角 から 魅 力 的 な 天 草 地 域 の 研 究 を 前 進 させ

ることが 可 能 である。また、とりわけ 周 縁 プロジェクト

に 参 加 する 大 学 院 生 たちに、 学 術 調 査 の 実 施 には 何 より

地 域 の 人 々との 連 携 が 重 要 であることを 学 んでもらいた

かった。 我 々の 総 合 調 査 において、 基 本 となるのは 人 々

とのつながり、さらには 先 祖 伝 来 の 大 切 な 資 料 を 所 蔵 さ

れる 皆 さんとの 協 力 関 係 である。 幸 いにも、 寺 院 や 神 社

などを 中 心 に、 多 くの 資 料 所 蔵 者 が 快 く 調 査 に 協 力 して

くださったことが 何 より 有 意 義 な 成 果 へとつながった。

そして、 天 草 市 および

苓 北 町 の 教 育 委 員 会 か

ら 全 面 的 な 協 力 を 得 た

ことにも 大 きな 意 味 が

ある。 文 化 財 の 保 存 状

況 や 具 体 的 な 調 査 対 象

を 事 前 に 準 備 できたの

鶴 田 氏 ・ 浜 崎 氏 を 囲 んだ 座 談 会 は、 両 自 治 体 職 員 の

方 々のサポートなくし

て 実 現 できなかった。もうひとつ 重 要 なのは、 経 験 豊 か

な 地 元 の 研 究 者 の 皆 さんが 我 々の 調 査 に 助 言 をくださっ

たことである。 調 査 期 間 中 の7 月 29 日 には、 天 草 歴 史 研

究 の 第 一 人 者 ・ 鶴 田 文 史 氏 による「 西 海 ・ 天 草 地 域 史 研

究 の 実 践 」と 題 した 講 演 をお 願 いした。その 後 、 鶴 田 氏

と、キリシタン 研 究 がご 専 門 の 浜 崎 献 作 氏 を 交 え、 天 草

研 究 に 関 する 座 談 会 を 開 催 できたことは 大 変 貴 重 な 経 験

となった。

フィールドワークでは、 地 理 ・ 生 業 ・ 寺 社 ・キリシタ

ン・ 古 文 書 という5つのグループを 組 織 し、それぞれが

個 別 に 収 集 を 行 いながら、 全 体 における 情 報 交 換 を 心 が

けるなど、 天 草 の 地

域 研 究 に 有 益 な 調 査

を 実 施 することがで

きた。この 成 果 は、

参 加 したすべての 教

員 ・ 研 究 員 ・ 大 学 院

生 の 手 によって 刊 行

する 調 査 報 告 書 で 御

覧 いただきたい。

天 草 市 棚 底 地 区 の 風 景

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海 の 天 草

―フィールドワークに 参 加 して―

鄒 双 双 ( 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 ・RA)

「 天 草 」というのは、 私 には 響 きのよい 言 葉 である。

ただ、この 馴 染 みのない 言 葉 を 初 めて 耳 にした 時 は、ア

マの「 天 」より「 甘 」を 連 想 してしまった。 正 体 がわか

らない「 天 の 草 」より、「 甘 味 」を 持 つ「 甘 い 草 」のほ

うが、どうしても 先 に

思 い 浮 かぶ。ところが、

本 当 の 天 草 は、けっし

て 単 純 な「 甘 」で 表 現

できる 場 所 ではない。

これが 分 かったのは、

田 畑 澄 夫 氏 への 聞 き 取 り 調 査 七 月 に 先 生 方 や 仲 間 の

同 級 生 たちと 実 際 天 草

に 調 査 へ 行 ってからのことである。その 時 、 机 上 とは 違

う、 生 き 生 きとした 姿 の 天 草 と 出 会 った。

天 草 は、 静 かである。 広 々とした 田 園 風 景 を 目 の 前 に

した 時 、 思 わず 目 を 閉 じて 深 呼 吸 がしたくなり、 日 ごろ

急 ぎがちな 心 も 妙 に 落 ち 着 くようになった。 天 草 市 役 所

が 所 在 する 本 渡 でも、 夜 9 時 を 過 ぎると、 町 中 はもう

人 影 が 見 えなくなる。 大 阪 のにぎやかな 夜 の 街 に 慣 れた

人 は、 初 日 に 多 少 不 便 であるとの 愚 痴 をこぼした。しか

し、 二 日 目 以 降 、 愚 痴 が 一 切 聞 こえなくなった。 聞 こえ

てきたのは、 海 の 呼 吸 、 海 風 の 呼 びかけ、とそれに 応 じ

るかのような 私 たちの 歓 喜 の 合 唱 。 私 のような 留 学 生 の

多 くが、これほど 近 くで 海 と 触 れ 合 うのは、めったとな

い 体 験 である。 海 の 中 に 足 を 踏 み 込 んだ 時 の 感 動 と 興 奮

はいまだに 蘇 る。そして、 調 査 を 続 けるうちに、 天 草 に

対 する 理 解 が 日 ごとに 深 まった。それにつれて、 海 が 天

草 にぴったりだと 分 かってきた。

いいえ、 天 草 が 海 そのものだ。 海 が 実 際 天 草 の 人 々の

生 活 を 支 え、 対 外 交 流 を 後 押 し、 歴 史 を 目 撃 しているう

ちに、 海 の 性 格 も 天 草 に 根 付 いた。 海 が 寛 容 に 万 物 を 受

け 入 れるように、 天 草 の 人 々は 暖 かく 私 たちを 迎 え 入 れ、

今 回 の 調 査 活 動 を 熱 心 に 支 えてくれる。 海 がどこへでも

いけるように、 天 草 の 娘 たちは 家 計 を 助 けるため 海 外 へ

も 出 稼 ぎに 行 った。 時 には 波 静 かで、 時 には 荒 れる 海 の

ように、 天 草 の 人 々は、 圧 迫 され、 苦 しむ 時 に 一 揆 を 起

こして、 勇 ましく 反 抗 もした。また、 計 り 知 れない 宝 を

育 む 海 のように、 天 草 には 沢 山 の「 宝 物 」―― 歴 史 資 料

が 眠 っている。 何 百 年 もの 昔 の 古 文 書 が、 地 域 の 人 々の

手 によって 保 管 され、 力 強 く 当 時 の 天 草 の 悲 しみや 喜 び

を 訴 えている。 私 たちはその 強 い 生 命 力 に 圧 倒 され、 用

心 深 くページをめくって 撮 影 していく 指 も、ついつい 震

えだす。 天 草 の 記 憶 を 意 味 する 古 文 書 の 尊 厳 を 絶 対 汚 し

てはいけないからだ。もちろん、なにより 忘 れられない

のは、 海 を 通 じて 生 まれてきた 天 草 の 神 秘 性 である。マ

リア 観 音 や、いたるところに 密 かに 刻 まれた 十 字 架 、 薄

暗 い 隠 れ 部 屋 でのオラショ 朗 読 など。 光 が 許 されないな

らば、 自 ら 心 の 光 源 を 作 る、というのは、 天 草 の 真 の 強

さだろうか。

海 は、「 鹹 (からい)」で 表 せないように、 天 草 も「 甘 」

の 一 文 字 でカバーできない。 織 女 と 彦 星 が 再 会 する 七 月

に、 私 たちも 天 草 に 出 会 った。また 次 の 再 会 の 時 、 天 草

がどのような 新 味 を 見 せてくれるかは、 楽 しみである。

キリシタン 墓 地 ( 天 草 氏 本 渡 )

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第 5 回 研 究 集 会

言 語 の 接 触 と 受 容 ― 中 国 語 の 近 代 的 変 化 と 外 国 語 ―

2010 年 8 月 1 日 ・2 日 、 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 (ICIS)において、「 言 語 接 触 と 受 容 ― 中 国

語 の 近 代 化 と 外 国 語 ―」と 題 する 研 究 集 会 が 開 催 された。 国 内 外 の 研 究 者 による 報 告 要 旨 は 以 下 のとおり

である。

基 調 講 演

袁 進 ( 復 旦 大 学 ・ 教 授 )「 近 代 西 洋 人 宣 教 師 の 翻 訳 が 中

国 語 文 体 に 与 えた 影 響 について」、 徐 時 儀 ( 上 海 師 範 大 学 ・

教 授 )「 西 学 東 漸 と 中 国 語 語 彙 の 変 遷 」、 内 田 慶 市 (ICIS・

教 授 )「 言 語 接 触 と「 新 興

語 法 」について」、 以 上 3

名 の 基 調 講 演 が 行 われた。

袁 氏 は、 近 代 初 頭 に 現 れ

た 欧 化 白 話 作 品 は 五 四 新 文

学 より 半 世 紀 も 早 く 登 場

し、 最 も 早 く 外 国 語 で 中 国

語 を 変 革 し、また 西 洋 文 学

袁 進 氏

で 中 国 文 学 に 影 響 を 与 えた

作 品 であると 述 べ、 徐 氏 は 言 語 接 触 の 観 点 から、 明 清 か

ら 民 国 にかけての 西 学 東 漸 が 中 国 語 の 語 義 や 概 念 術 語 に

与 えた 影 響 を 考 察 することを 通 じて、 中 国 語 はどのよう

に 西 洋 の 文 化 や 思 惟 の 方 式 を 反 映 するのかを 論 じた。 最

後 に 内 田 氏 は、 言 語 接 触 によって 起 こった 中 国 語 の 表 現

方 法 の 変 化 を「 新 興 語 法 」とし、 西 欧 諸 語 だけでなく 広

くアルタイ 語 、 日 本 との 関 係 から 述 べた。

研 究 発 表

基 調 講 演 に 続 き、7 名 の 研 究 者 による 研 究 発 表 が 行 わ

れ、 陳 力 衛 ( 成 城 大 学 ・ 教 授 )「 近 代 中 国 語 の 文 体 にお

ける 日 本 語 の 影 響 について」、 章 清 ( 復 旦 大 学 ・ 教 授 )

「“ 界 ”の 虚 実 ―「~ 界 」について」、 方 維 規 ( 北 京 師 範 大 学 ・

教 授 )「 言 語 と 思 弁 ― 中 国 語 の 構 造 に 関 する 西 方 哲 学 者

と 漢 学 者 の 思 索 」、 千 葉 謙 悟 ( 中 央 大 学 ・ 助 教 )「 外 国 語

受 容 の 第 一 段 階 ―19 世 紀 中 国 語 における 音 訳 語 」、 大 塚

秀 明 ( 筑 波 大 学 ・ 准 教 授 )「 周 兄 弟 による 翻 訳 作 品 に 見

られる 欧 化 語 法 について」、 中 里 見 敬 ( 九 州 大 学 ・ 准 教 授 )

「 中 国 語 の 自 由 間 接 話 法 について」、 沈 国 威 (ICIS・ 教 授 )

「『 欧 化 語 法 』における 日 本 語 の 要 素 について」といった

テーマで 報 告 がなされた。

陳 氏 は、これまで 中 国 語 欧 化 研 究 では、 日 本 語 が 中 国

語 の 文 法 や 文 体 に 与 えた 影 響 についての 研 究 が 不 足 であ

るとし、 日 本 語 の 欧 文 翻 訳 体 が 中 国 語 欧 化 体 と 類 似 する

特 徴 を 取 り 上 げ、 中 国 語 文 体 の 形 成 に 日 本 語 からの 翻 訳

は 避 けられない 問 題 であると 指 摘 した。 章 氏 は 近 代 中 国

思 想 史 では、「~ 界 」という 表 現 が 頻 繁 に 利 用 され、そ

のことが 天 下 大 同 の 理 想 を 捨 て、 国 家 が 最 高 の 政 治 実 体

であると 認 めた 後 に、 中 国 の 読 書 人 が 国 家 と 個 人 の 間 に

交 流 のネットワークを 築 こうと 尽 力 していたことを 示 し

ていると 述 べた。 方 氏 は、 西 洋 哲 学 と 漢 学 者 による 中 国

語 の 構 造 とロジックの 関 係 に 関 する 思 考 について 議 論 し

た。 千 葉 氏 は、19 世 紀 の 各 種 文 献 を 対 訳 字 典 、 会 話 テ

キスト、 史 地 教 本 、 雑 誌 新 聞 、 旅 行 記 の5 種 に 分 類 し、

それぞれの 文 献 の 特 徴 と 音 訳 語 の 特 徴 の 関 係 性 を 考 察 し

た。 中 里 見 氏 は、それぞれの 文 体 の 小 説 が 人 物 の 心 理 を

いかに 引 用 しているかという 点 から、 中 国 の 自 由 間 接 話

法 について 考 察 し、 文 学 革 命 後 の 現 代 小 説 の 文 体 は、 白

話 章 回 小 説 の 発 展 というよりむしろ 清 末 民 初 の 文 言 小 説

の 成 果 を 継 承 していると 結 論 付 けた。 沈 氏 は 中 国 語 が 近

代 化 の 過 程 に 起 きた 変 化 を 述 べ、 特 に「 欧 化 語 法 」と 称

された 変 化 の 中 に、 日 本 語 からの 影 響 は 切 っても 切 れな

い 関 係 にあるとし、 新 しい 研 究 方 法 や 資 料 を 取 り 上 げた。

若 手 研 究 者 ワークショップ

最 後 に、 若 手 研 究 者 によるワークショップが 行 われ、

池 田 智 恵 (COE-PD)「「 上 海 のホームズ」から「 東 方 のホー

ムズ」へ」、 許 海 華 ( 関 西 大 学 ・ 博 士 後 期 課 程 )「 旧 長 崎

唐 通 事 とその 子 弟 らの 言 語 教 育 ― 幕 末 から 明 治 へ」、 稲

垣 智 恵 (COE-RA)「 経 験 相 “ 過 ” について: 新 興 語 法 の

観 点 から」、 王 海 (COE-RA)「 普 遍 化 と 相 対 化 の 視 野 に

おける 中 国 ― 司 馬 遼 太 郎 の 中 国 観 を 中 心 として」 海 暁 芳

(COE-RA)「『 国 語 学 草 創 』における 伝 統 的 要 素 と 外 来

的 要 素 」の5 名 の 報 告 がなされた。

氷 野 善 寛 (COE-DAC)

研 究 集 会 の 様 子

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第 4 回 国 際 シンポジウム

出 版 印 刷 と 知 識 の 環 流 ―16 世 紀 以 後 の 東 アジア―

2010 年 10 月 30 日 ・31 日 、 関 西 大 学 において、 主 催 を 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 (ICIS)、 後 援 を

上 海 市 新 聞 出 版 局 博 物 館 として「 出 版 印 刷 と 知 識 の 環 流 ―16 世 紀 以 後 の 東 アジア―」と 題 する 国 際 シンポ

ジウムが 開 催 された。 中 国 、 香 港 、 台 湾 、シンガポールから 第 一 線 で 活 躍 する 総 勢 30 余 名 の 研 究 者 が 一 同

に 会 し、 活 発 な 議 論 がかわされた。

基 調 講 演

10 月 30 日 の 午 前 中 のセッションにおいて、 周 振 鶴 ( 復

旦 大 学 ・ 教 授 )「 印 刷 出 版 史 における 近 代 文 献 について」、

張 西 平 ( 北 京 外 国 語 大 学 ・ 教 授 )「 海 外 における 明 末 清

初 カトリック 中 国 語 文 献 の 収 集 と 整 理 について」、 蘇 精

( 台 湾 清 華 大 学 ・ 教 授 )「 初 期 の 墨 海 書 館 について」、 内

田 慶 市 (ICIS・ 教 授 )「モリソンの『 神 天 聖 書 』の 成 立

過 程 再 考 」の4 件 の 基 調 講 演 がなされた。

周 氏 は 古 代 から 現 代 への 過 渡 期 となる 近 代 文 献 研 究 、

張 氏 は 明 清 時 代 に、 中 国 へと 渡 った 伝 道 者 に 関 するカト

リック 文 献 の 目 録 の 整 理 のそれぞれの 重 要 性 を 強 調 し、

蘇 氏 は 宣 教 師 らによって 作 られた 墨 海 書 館 がいかに 成 立

し、どのような 文 化 拠 点 になっていたかを 指 摘 し、 内 田

氏 はモリソンの 漢 訳 聖 書 の 成 立 過 程 について、 丹 念 に 先

行 文 献 を 読 み 込 み、かつ 資 料 にあたることで、 新 たな 説

を 提 示 した。これらの4 氏 の 講 演 により、 新 たな 資 料 の

発 見 、またまだ 整 理 されていない 新 たな 分 野 の 資 料 の 整

理 の 重 要 性 が 確 認 された。

研 究 発 表

辛 徳 勇 ( 北 京 大 学 ・ 教 授 )、 陳 正 宏 ( 復 旦 大 学 ・ 教 授 )、

王 宝 平 ( 浙 江 工 商 大 学 ・ 教 授 )、 張 志 強 ( 南 京 大 学 ・ 教 授 )、

関 係 者 記 念 撮 影

張 仲 民 ( 復 旦 大 学 ・ 講 師 ) 諸 氏 によるセッションでは、

宋 代 の 石 刻 拓 印 地 図 から 近 代 の 中 国 におけるグーテンベ

ルクの 受 容 、さらにベトナム 漢 籍 など、 古 代 から 近 代 、

国 を 跨 った、 印 刷 技 術 と 版 本 について 研 究 発 表 と 討 論 が

行 われた。

李 暁 傑 ( 復 旦 大 学 ・ 教 授 )、 馮 錦 栄 ( 香 港 大 学 ・ 副 教 授 )、

林 学 忠 ( 香 港 城 市 大 学 ・ 高 級 導 師 )、 高 晞 ( 復 旦 大 学 ・

副 教 授 ) 諸 氏 によるセッションでは、 近 代 中 国 における、

国 際 法 概 念 の 受 容 や、 西 洋 人 が 記 した 近 代 中 国 の 医 療 レ

ポートに 関 してなど、 近 代 中 国 の 西 洋 との 接 触 に 関 わる

研 究 発 表 及 び 討 論 が 行 われた。

司 佳 (COE-PD)、 雛 振 環 ( 復 旦 大 学 ・ 教 授 )、 傅 徳 華 ( 復

旦 大 学 ・ 教 授 )、 蒋 竹 山 ( 台 湾 東 華 大 学 ・ 助 理 教 授 ) 諸

氏 によるセッションでは、 中 国 におけるキリスト 教 伝 道

の 際 のテキストや、 韓 国 における 近 代 上 海 で 出 版 された

本 の 流 通 など、 異 文 化 の 翻 訳 とその 流 通 に 関 する 研 究 発

表 及 び 討 論 が 行 われた。

陶 徳 民 (ICIS・ 教 授 )、 川 邉 雄 大 ( 国 士 舘 大 学 ・ 非 常

勤 講 師 )、 陳 捷 ( 国 文 学 研 究 資 料 館 ・ 研 究 員 ) 諸 氏 によ

るセッションでは、 主 に 日 本 で 見 られる 歴 史 ・ 文 化 上 の

中 国 との 交 流 に 関 わる 研 究 発 表 及 び 討 論 が 行 われた。

阿 梅 龍 (フランクフルト 大 学 ・ 教 授 )、 陳 少 華 ( 南 京

農 業 大 学 ・ 教 授 )、 関 詩 珮 ( 南 洋 理 工 大 学 ・ 助 理 教 授 )、

張 暁 依 ( 上 海 図 書 館 ・ 研 究 員 )、 鄭 瑜 ( 上 海 外 国 語 大 学 ・

講 師 ) 諸 氏 によるセッションでは、 近 代 中 国 における 西

学 や 新 聞 などの 新 しいメディアの 出 現 による 知 識 体 系 の

変 化 に 関 わる 研 究 発 表 及 び 討 論 が 行 われた。

王 宏 志 ( 香 港 中 文 大 学 ・ 教 授 )、 陳 力 衛 ( 成 城 大 学 ・

教 授 )、 于 翠 玲 ( 北 京 師 範 大 学 ・ 教 授 )、 荘 欽 永 、 魯 納 (オ

スロ 大 学 ・ 教 授 ) 諸 氏 によるセッションでは、 翻 訳 に

おける 語 彙 の 問 題 などについて 研 究 発 表 及 び 討 論 が 行

われた。

各 発 表 内 容 等 の 詳 細 については、ホームページをご 参

照 いただきたい。

池 田 智 恵 (COE-PD)

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べトナム・フエ 研 究 最 前 線 ― 周 辺 集 落 研 究 からの 視 点 ―

2010 年 7 月 10 日 ( 土 )・11 日 ( 日 )、 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 (ICIS)を 主 催 として、 以 文 館 4 階

セミナースペースで、 学 術 フォーラム「べトナム・フエ 研 究 最 前 線 ― 周 辺 集 落 研 究 からの 視 点 ―」を 行 った。

これは2008 年 度 から2009 年 度 にわたって 行 った、 本

拠 点 の 周 縁 プロジェクトの 一 つであるベトナム・フエで

の 郊 外 集 落 での 総 合 野 外 調 査 と、ベトナム 研 究 者 と 協 力

して 行 っているフエ 都 城 周 辺 域 での 伝 統 地 方 文 書 資 料 収

集 プロジェクト(トヨタ 財 団 助 成 )の 結 果 報 告 と 総 合 議

論 によるさらなる 研 究 発 展 を 狙 ったものである。

初 日 は、「 第 1 部 フエ 伝 統 地 方 文 書 群 の 世 界 」として、

トヨタ 財 団 助 成 「フエ 都 城 周 辺 集 落 の 伝 統 民 間 文 書 保 存

収 集 プロジェクト」と 共 催 した。 報 告 テーマは 以 下 の 通

りである。

・ 西 村 昌 也 (COE 助 教 )「フエ 伝 統 地 方 文 書 収 集 保 存 プ

ロジェクトの 概 要 : 文 書 群 としての 価 値 」

・ 嶋 尾 稔 ( 慶 應 義 塾 大 学 ・ 教 授 )「フエ 近 郊 村 落 の 丁 簿

の 史 料 的 意 義 について」

・ 上 田 新 也 ( 日 本 学 術 振 興 会 特 別 研 究 員 )「フエ 周 辺 村 落 文

書 の 可 能 性 ─タインフオックにおける 収 集 史 料 より─」

・ 新 江 利 彦 ( 京 都 大 学 ・ 助 教 )「チャム 王 家 文 書 ( 占 婆

王 府 檔 案 )を 読 み 解 く: 黎 朝 ・ 西 山 朝 ・ 阮 朝 嘉 隆 年 間

のフエ 美 利 邑 文 書 との 比 較 から」

・ 岡 本 弘 道 (COE-PD)「フエ 周 辺 地 域 における 勅 封 状

の 諸 相 」

・ 松 尾 信 之 ( 名 古 屋 商 科 大 学 ・ 教 授 )「1930 年 代 の 地 簿

資 料 の 位 置 づけ」

・ 蓮 田 隆 志 ( 京 都 大 学 ・ 研 究 員 )「ハータイン 村 文 書 の

初 歩 的 考 察 よりみる 国 家 と 村 落 の 関 係 」( 紙 上 参 加 )

そして、ベトナム 研 究 の 立 場 から、 桃 木 至 朗 ( 大 阪 大

学 ・ 教 授 )がコメントした。

2 日 目 は、「フエ 都 城 旧 外 港 集 落 の 調 査 研 究 ─ 文 化 交

渉 学 としてのフィールド 研 究 をめざして」として、 当 拠

点 の 野 外 調 査 報 告 を 中 心 に、 以 下 のような 報 告 を 行 った。

・ 西 村 昌 也 (COE 助 教 )「 歴 史 地 理 学 的 視 点 からのフエ

都 城 北 郊 域 の 理 解 」

・ 野 間 晴 雄 (ICIS・ 教 授 )「フエ 近 郊 外 港 商 業 地 区 の 空

間 分 節 とその 含 意 」

・グエン・ティー・ハー・タイン(COE-RA)「 地 簿 分 析

からみたディアリン 地 区 の 景 観 変 化 ―1935~1996」

・ 岡 本 弘 道 (COE-PD) 井 上 充 幸 (COE 特 別 研 究 員 )「フ

エ 郊 外 バオヴィン・ディアリン 両 村 の 形 成 と 変 遷 ― 収

集 家 譜 ・ 文 書 史 料 および 聞 き 取 り 調 査 を 通 じて―」

・ 篠 原 啓 方 (COE 特 別 研 究 員 )「フエ 碑 石 資 料 収 集 の 成

果 と 研 究 の 展 望 」

・グエン・クワン・チュン・ティエン(フエ 科 学 大 学 ・

準 教 授 )「フエ 都 城 周 辺 の 水 上 居 住 民 について」

・ 黄 蘊 (COE-PD)「フエ・ミンフォン( 明 郷 )におけ

る 天 后 信 仰 の 動 態 性 と 多 面 性 」

・ 末 成 道 男 ( 東 洋 文 庫 ・ 研 究 員 )「キン 族 から 見 た 明 郷 (ミ

ンフオン)の 特 徴 ― 隣 接 村 ディアリンにおける 宗 教 儀

礼 との 比 較 より」

・ 木 村 自 ( 大 阪 大 学 ・ 助 教 )「 輩 行 字 からみるフエ・フ

オンヴィン 社 の 明 郷 および 華 僑 華 人 」( 紙 上 参 加 )

そして、 華 僑 研 究 、フエ 郊 外 集 落 研 究 、ベトナム 史 研

究 のそれぞれの 立 場 から、 三 尾 裕 子 ( 東 京 外 国 語 大 学 ・

教 授 )、 末 成 道 男 ( 東 洋 文 庫 ・ 研 究 員 )、 桃 木 至 朗 ( 大 阪

大 学 ・ 教 授 )より、コメントを 頂 いた。

限 られた 時 間 の 中 、 非 常 に 中 身 の 濃 い 発 表 と 議 論 を 行

うことができ、 本 拠 点 の 行 った 調 査 活 動 の 結 果 が、ベト

ナム 研 究 さらには 東 南 アジア 華 人 研 究 に 資 することが 非

常 に 大 きいことを 示 せたと 思 われる。また、 異 なる 研 究

分 野 の 方 が 参 画 して 行 う 野 外 調 査 法 に 関 しても 一 定 の 方

向 性 を 確 立 できたのではないかと 思 う。

フエ 都 城 の 周 辺 域 は、 研 究 の 潜 在 的 可 能 性 が 非 常 に

高 く、ベトナムがどのようにして 現 在 の 姿 になっていっ

たのかという 非 常 に 大 きな 疑 問 を 解 決 できる 場 所 と 考

える。 今 後 の 新 世 代 研 究 者 のさらなる 研 究 参 入 に 期 待

したい。

西 村 昌 也 (COE 助 教 )

関 係 者 記 念 撮 影

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陵 墓 からみた 東 アジア 諸 国 の 位 相

― 朝 鮮 王 陵 とその 周 縁 ―

2010 年 7 月 2 日 ( 金 )、 韓 国 の 高 麗 大 学 校 ( 博 物 館 社 会 教 育 室 )において、ICIS・ 高 麗 大 韓 国 史 研 究 所 共

催 の 国 際 学 術 フォーラム「 陵 墓 からみた 東 アジア 諸 国 の 位 相 ― 朝 鮮 王 陵 とその 周 縁 ―」が 行 なわれた。

ICISでは、 課 題 の 一 つである

「 文 化 の 周 縁 性 」をテーマに、

若 手 研 究 員 が 構 想 ・ 企 画 ・ 運 営

するプロジェクト「 周 縁 の 文 化

交 渉 学 」を 進 めている。その 第

二 弾 として 私 は、2009 年 に 世

界 遺 産 に 登 録 された 朝 鮮 王 陵 を

中 心 に、 近 世 東 アジアの 陵 墓 制

吾 妻 重 二 教 授 による をとりあげた。 思 想 ・ 文 化 ・ 地

趣 旨 説 明 理 的 な 周 縁 性 と、 自 国 を 中 心 と

する 国 家 観 ・ 世 界 観 を 合 わせも

つ 朝 鮮 王 朝 ・ベトナム 阮 (グエン) 朝 ・ 近 世 日 本 ・ 琉 球

王 国 の 史 的 コンテクストを 読 みとる 試 みであった。 会 場

は 韓 国 の 高 麗 大 学 校 を 選 定 し、( 財 ) 日 韓 文 化 交 流 基 金 か

ら 助 成 を 賜 った。 小 規 模 な 学 術 会 議 だったが、 若 手 研 究

者 や 一 般 の 参 加 も 少 なくなく、 関 心 の 高 さがうかがえた。

フォーラムは 三 部 構 成 で、 一 部 では 朝 鮮 王 陵 の 造 営 に

みられる 風 水 思 想 、 国 家 祭 祀 における 王 陵 祭 祀 の 位 置 づ

け、そして 玄 宮 の 造 成 技 法 に 関 する 報 告 が 行 なわれた。

二 部 では 阮 皇 帝 陵 、 琉 球 王 陵 、 江 戸 期 の 将 軍 ・ 大 名 墓 の

事 例 が 紹 介 された。 三 部 の 総 合 討 論 では、 第 二 回 日 韓 歴

史 共 同 研 究 委 員 会 の 韓 国 側 委 員 長 であった 趙 珖 先 生 を 司

会 に 迎 え、 報 告 者 ・コメンテータをまじえて 陵 墓 制 にみ

られる 思 想 や 観 念 、 陵 前 儀 礼 について 議 論 が 交 わされた。

朝 鮮 と 阮 朝 は 明 代 の 儒 教 儀 礼 の 影 響 が 強 いが、 朝 鮮 の

陵 前 儀 礼 は 高 麗 以 前 からの 観 念 に 由 来 する 可 能 性 があ

り、 琉 球 は 仏 教 的 要 素 と 神 話 が 主 体 、 日 本 は 幕 府 の 意 向

によって 仏 式 と 儒 ( 神 ) 式 の 変 遷 がみられるという。いっ

ぽう 霊 魂 の 観 念 は、 魂 と 魄 の 二 つの 観 念 をもつ 朝 鮮 ・ 阮

朝 はより 明 清 に 近 く、 琉 球 や 日 本 にはその 傾 向 が 薄 いが、

儒 教 を 尊 んだ 大 名 墓 の 様 式 からその 痕 跡 が 読 みとれる。

だがいずれも 未 開 拓 の 領 域 が 多 く、 本 格 的 な 研 究 はこれ

からである。

研 究 者 同 士 の 密 な 関 係 が 構 築 できた 点 は 最 大 の 成 果 の

一 つであり、これはICISが 培 ってきた 学 術 交 流 なしには

結 実 し 得 なかった。この 試 みが 今 後 、 各 国 ・ 社 会 ・ 研 究

機 関 の 問 題 意 識 に 投 影 され、 共 通 の 課 題 設 定 や 共 同 プロ

ジェクトの 模 索 となって 広 がっていくことに 期 待 したい。

篠 原 啓 方 (COE 特 別 研 究 員 )

総 合 討 論 の 様 子

東 アジア 文 化 交 渉 方 法 論 研 究 会

東 アジア 文 化 交 渉 学 の 方 法 論 に 関 する 研 究 会 が 関 西 大

学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 (ICIS)と 浙 江 工 商 大 学 日 本

文 化 研 究 所 による 共 催 で、2010 年 9 月 27 日 ・28 日 中 国

杭 州 において、ワークショップの 形 で 開 かれた。ICISか

らは 陶 徳 民 ・ 内 田 慶 市 ・ 沈 国 威 ・ 野 間 晴 雄 の4 名 が 出 席

し、 葛 兆 光 ・ 崔 官 ・ 王 勇 などICISの 協 定 機 関 の 責 任 者 や、

厳 紹 ・ 湯 重 南 ・ 鄭 培 凱 ・ 鈴 木 貞 美 ・ 伍 暁 明 ・ 崔 容 澈 ・

王 向 華 ・ 方 維 規 ・ 陳 小 法 ・ 劉 岳 兵 など 第 一 線 の 学 者 と 共

に 研 究 報 告 をし、 意 見 交 換 を 行 なった。なお、 出 席 でき

なかった 黄 俊 傑 ・ 張 西 平 ・ 章 清 ・ 周 振 鶴 など 協 定 機 関 の

責 任 者 も 寄 稿 し、 書 面 で 参 加 した。このワークショップ

の 目 的 は、「 多 対 多 」・「 周 辺 接 近 法 」・「ブックロード」・

「 人 間 学 としての 文 化 交 渉 学 」など 研 究 手 法 やコンセプ

トに 関 する 検 討 を 深 化 し、その 成 果 を 英 語 論 集 の 形 で 発

信 することにある。

陶 徳 民 (ICIS・ 教 授 )

関 係 者 記 念 撮 影

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船 の 文 化 からみた 東 アジア 諸 国 の 位 相

― 近 世 期 の 琉 球 を 中 心 とした 地 域 間 比 較 を 通 じて―

2010 年 10 月 16 日 ( 土 )・17 日 ( 日 )、 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 (ICIS)の 主 催 による 国 際 シン

ポジウム「 船 の 文 化 からみた 東 アジア 諸 国 の 位 相 ― 近 世 期 の 琉 球 を 中 心 とした 地 域 間 比 較 を 通 じて―」が、

琉 球 大 学 千 原 キャンパス・ 教 育 学 部 棟 104 室 を 会 場 として 開 催 された。

本 シンポジウムは2009 年 9 月 のベトナム・フエにお

ける「フエの 文 化 と 歴 史 : 周 辺 集 落 と 外 部 との 関 係 から

の 視 点 より」、2010 年 7 月 の 韓 国 ・ソウルにおける「 陵

墓 からみた 東 アジア 諸 国 の 位 相 ― 朝 鮮 王 陵 とその 周 縁

―」(7 頁 参 照 )と 共 に、 特 に 近 世 期 に 重 心 を 置 きつつ

東 アジアの 周 縁 地 域 における 文 化 交 渉 の 実 態 を 相 互 比 較

するという 目 的 のもと 開 催 されたシンポジウムである。

本 シンポジウムにおいては「 船 の 文 化 」という 切 り 口

から 議 論 を 深 めるべく、とりわけ 船 の 文 化 と 不 可 分 の 存

在 であった 島 嶼 国 家 ・ 琉 球 を 中 心 に、 日 本 ・ 韓 国 ・ベト

ナムの 各 地 域 から 専 門 家 を 招 聘 して、それぞれの 研 究 状

況 の 共 有 と 相 互 交 流 を 目 指 している。

まず 松 浦 章 (ICIS・ 教 授 ) 氏 から「 中 国 帆 船 による 東

アジア 海 域 交 流 」と 題 する 基 調 講 演 がなされた。 中 国 船

の 東 アジア 海 域 における 活 動 について、 中 世 期 にも 目 配

りしつつ 史 料 から 抽 出 した 統 計 データを 踏 まえながら 解

説 し、 併 せて 東 アジア 各 地 域 に 多 大 なる 影 響 を 与 えた 中

国 の 船 舶 について 絵 画 ・ 写 真 資 料 をもとに 紹 介 した。

第 1 部 「 島 嶼 国 家 琉 球 の

船 の 文 化 」においては、 豊

見 山 和 行 ( 琉 球 大 学 ・ 教 授 )

氏 の「 船 と 琉 球 史 ― 近 世 の

琉 球 船 をめぐる 諸 相 ―」、

深 澤 秋 人 ( 沖 縄 国 際 大 学 ・

非 常 勤 講 師 ) 氏 の「 乗 組 員

からみた 琉 中 日 交 流 史 ― 護

豊 見 山 和 行 氏 送 船 ・ 飛 船 の 例 を 中 心 に

―」、 板 井 英 伸 ( 沖 縄 大 学 ・

特 別 研 究 員 ) 氏 の「フィールドから 見 えるもの 近 世 の

船 の 消 滅 ・ 変 化 ・ 継 承 とその 動 態 」の3 本 の 報 告 が 行 わ

れ、 近 世 琉 球 における 国 家 レベルの 政 策 と 地 域 性 、 乗 員

の 視 点 とその 実 態 、フィールド 調 査 の 可 能 性 等 の 研 究 ア

プローチとその 成 果 が 示 された。

第 2 部 「 東 アジア 諸 国 の 船 の 文 化 」では、チャン・

ドゥック・アイン・ソン(ダナン 社 会 経 済 発 展 研 究 所 (ベ

トナム)・ 副 院 長 ) 氏 の「 阮 朝 期 ベトナムの 造 船 業 、 船

筏 の 種 類 、そして 船 舶 管 理 政 策 について」、イ・チョル

ハン( 国 立 海 洋 文 化 財 研 究 所 ( 韓 国 )・ 学 芸 研 究 官 ) 氏

の「 朝 鮮 王 朝 後 期 における 船 の 文 化 」、 小 嶋 良 一 ( 関 西

設 計 ( 株 )・ 代 表 取 締 役 社 長 ) 氏 の「 近 世 期 における 日

本 の 船 の 地 域 的 特 徴 」の3 本 の 報 告 が 寄 せられ、ベトナ

ム・ 朝 鮮 ・ 日 本 の 各 地 域 における 船 の 文 化 の 具 体 例 と 研

究 状 況 が 示 された。

翌 17 日 の 午 前 には、 第 3 部 として3 本 のコメント 報

告 とそれを 受 けての 総 合 討 論 が 行 われた。 安 達 裕 之 ( 東

京 大 学 ・ 教 授 ) 氏 からはとりわけ 船 舶 史 ・ 技 術 史 の 視

点 を 踏 まえたコメントが、 上 江 洲 均 ( 久 米 島 自 然 文 化

センター 名 誉 館 長 / 名 桜 大 学 ・ 名 誉 教 授 ) 氏 からは 琉

球 ・ 沖 縄 の 民 俗 学 的 視 点 からのコメントがあり、さら

に 上 田 信 ( 立 教 大 学 ・ 教 授 ) 氏 よりタカラガイの 流 通

に 着 目 した 近 世 東 ユーラシア 史 の 視 点 からのコメント

がなされた。 総 合 討 論 では 予 定 の 時 間 を 超 過 して 活 発

な 議 論 が 展 開 された。

なおシンポジウム 当 日 は 試 験 的 に、Ustreamを 通 じた

インターネット 配 信 およびTwitterによる 要 点 配 信 を

行 った。 担 当 者 の 経 験 不 足 や 会 場 における 設 備 等 の 問 題

もあり、 多 少 の 不 具 合 も 発 生 したものの、 視 聴 者 数 は 両

日 併 せて100 人 を 越 え、Twitterを 通 じて 有 益 な 質 問 や

コメントが 寄 せられるなど、インターネット 配 信 の 可 能

性 を 実 感 することができた。 当 日 配 信 した 映 像 データに

ついては、 弊 拠 点 サイト 内 特 設 ページ(http://www.

icis.kansai-u.ac.jp/live/)にもリンクされたUstream 番 組

ページにて 公 開 中 であり、このような 映 像 ライブラリの

活 用 も 今 後 の 課 題 として 考 えてゆきたい。

岡 本 弘 道 (COE-PD)

関 係 者 記 念 撮 影

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ICIS Newsletter, Kansai University

第 6 回

「コピディアム( 珈 琲 店 )」が 伝 える 美 食 と 文 化


多 民 族 国 家 シンガポールとマレーシアでは、「コピディ

アム( 珈 琲 店 Kopi-tiam)」や「ホッカーセンター(Hawker

Center)」と 呼 ばれる「 大 衆 食 堂 」はもっとも 地 元 のロー

カルフードが 手 頃 な 価 格 で 堪 能 できる 場 所 となる。 東 南

アジア 諸 国 の 中 で 経 済 発 展 の 優 等 生 である 上 記 両 国 に

は、ハイクラスな 店 やお 洒 落 なレストランもたくさんあ

るが、 地 元 の 庶 民 文 化 または 美 食 に 触 れ、それらを 十 分

に 味 わいたいなら、「コピディアム」と「ホッカーセン

ター」は 一 番 よい 選 択 肢 となろう。

ホッカーセンターとは、 麺 類 など 多 種 多 様 な 屋 台 料 理

を 集 めた「 集 合 屋 台 街 」のようなフードセンターのこと

である。そこに 中 華 系 の 料 理 はもっとも 多 く 売 られてい

るが、もともとマレー 料 理 であるラクサ(Laksa)( 米

でできた 麺 類 の 一 種 )や、ナシ ラマ(Nasi Lamek)(ご

飯 類 のマレー 料 理 )が 売 られる 場 合 も 多 い。 他 方 コピディ

アムはホッカーセンターより 規 模 の 小 さなもので、 基 本

的 に 同 じように 屋 台 料 理 のそろった 食 事 処 である。

「Kopi」はマレー 語 のコーヒーという 意 味 で、「tiam」は

福 建 語 でいう 店 となる。 直 訳 すればコーヒーショップの

こととなる。コピディアムはシンガポールとマレーシア

特 有 の 飲 食 文 化 の 産 物 で、 地 元 の 食 文 化 と 歴 史 を 伝 える

媒 体 といえる。

コピディアムの 一 番

の 魅 力 はそのチープな

料 金 に あ る。 シ ン ガ

ポールでは 飲 み 物 を 含

め、 一 食 は2.5シンガ

ポ ー ル ド ル(170 円 )

から5シンガポールド

ル(330 円 ) 前 後 で 食

写 真 1

べられる。そこで 福 建

麺 と 呼 ばれる 麺 類 から、 潮 州 系 のお 粥 まで 実 に 多 種 多 様

なものが 気 軽 に 選 択 できる( 写 真 1)。

コピディアムはもともと 朝 食 を 売 ることを 専 門 とし、

そこでの 典 型 的 な 朝 食 は、カヤ( 椰 子 マーガリン)トー

ストと 卵 、コーヒー 一 杯 のセットで、シンガポールでは

2ドル(130 円 )である。ローカルなコーヒーとして、

「kopi-o」と 呼 ばれる 地 元 ならではのブラックコーヒー

蘊 ( 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 ・PD)

が 一 般 的 だ。

地 元 のグルメ 料 理 を

提 供 する 香 港 の「 茶 餐

庁 」と 同 じように、コ

ピディアムはシンガ

ポールとマレーシアで

生 まれたローカルフー

ド 売 り 場 で、 地 元 特 有

の 飲 食 文 化 のスタイル

写 真 2

を 反 映 している。 気 軽

に 友 達 と 食 事 に 来 る 人 や、 知 り 合 いとおしゃべりをしな

がら 午 後 のひと 時 を 過 ごす 老 人 たちの 姿 は、コピディア

ムの 変 わらない 風 景 だ。そのほか、ビジネスの 話 し 合 い

の 場 をオフィスではなく、コピディアムにするというの

も 地 元 流 の 社 交 方 式 と 慣 習 である。 何 しろ、 南 洋 の 何 気

ないゆったりした 時 間 感 覚 をコピディアムでたっぷりと

味 わうことができるのだ( 写 真 2)。

コピディアム 自 体 はシンガポールとマレーシアの 社 会

環 境 下 に 生 まれた 産 物 で、そうした 飲 食 文 化 のスタイル

はいずれも 両 国 の 華 人 と 関 係 している。 中 国 から 南 来 し

た 華 人 はいつの 時 代 からコーヒーを 好 んで 飲 むように

なったのかは 不 明 だが、イギリス 植 民 地 時 代 からそのよ

うな 慣 習 が 徐 々にできたとみて 間 違 いなかろう。コー

ヒーをコンセプトに、 多 様 な 料 理 を 一 堂 に 集 め 販 売 する

という 飲 食 業 の 方 式 は、 華 人 の 現 地 化 のワンステップと

もいえ、 今 日 ではシンガポールとマレーシアの 華 人 文 化

そのものの 独 自 性 を 構 成 する 一 部 にまでなっている。

なお、 両 国 の 政 治 とエスニック 関 係 を 反 映 しているか

のように、シンガポールではコピディアムという 場 は 華

人 による 屋 台 料 理 との 限 定 がないのに 対 し、マレーシア

ではコピディアムとは 華 人 のコーヒーショップのことと

なる。しかし、 他 の 民 族 集 団 がコピディアムでの 商 売 に

参 入 するや 否 やは 別 として、 華 人 がマレー 人 の 料 理 文 化

を 吸 収 し、ラクサのようなマレー 料 理 を 自 前 でふるまう

のはすでに 一 種 の 食 の 文 化 交 渉 となろう。

写 真 1:コピディアムで 売 られている 料 理

写 真 2:コピディアムで 会 話 を 楽 しむ 人 々

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創 生 部 会 ・ 講 演 会

第 26 回 創 生 部 会 :2010 年 6 月 18 日

* 子 安 宣 邦 ( 関 西 大 学 ・COE 客 員 教 授 / 大 阪 大 学 ・ 名 誉 教 授 )

「 徂 徠 学 序 論 ―『 弁 名 』とは 何 か」

第 27 回 創 生 部 会 :2010 年 6 月 25 日

* 李 明 輝 ( 台 湾 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ・ 研 究 員 )

「 台 湾 学 界 関 於 韓 国 儒 学 的 研 究 概 況 ( 台 湾 学 界 における 韓 国 儒 学 の 研 究 に 関 する 概 況 )」

* 林 月 恵 ( 台 湾 中 央 研 究 院 中 国 文 哲 研 究 所 ・ 研 究 員 )

「 中 文 学 界 韓 国 儒 学 的 研 究 成 果 及 其 反 思 ( 中 文 学 界 における 韓 国 儒 学 の 研 究 成 果 およびその 反 省 )」

COE 客 員 教 授 講 演 会 :2010 年 7 月 15 日

* 子 安 宣 邦 ( 関 西 大 学 ・COE 客 員 教 授 / 大 阪 大 学 ・ 名 誉 教 授 )

「 東 アジア 認 識 の 問 題 ― 漢 字 論 の 視 点 から」


出 版 物 紹 介

* 呉 震 ・ 吾 妻 重 二 / 主 編

『 思 想 与 文 献 : 日 本 学 者 宋 明 儒 学 研 究 』

( 上 海 : 華 東 師 範 大 学 出 版 社 ・2010 年 4 月 ・440 頁 )

( 中 国 語 )

* 松 浦 章 / 著 ・ 董 科 / 翻 訳

『 清 代 内 河 水 運 史 研 究 』

( 南 京 : 江 蘇 人 民 出 版 社 ・2010 年 6 月 ・438 頁 )( 中 国 語 )

* 陶 徳 民 ・ 小 田 淑 子 / 共 編

『 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 』 別 冊 6「 文 化 交 渉 としての

宣 教 ・ 布 教 ― 近 代 以 降 の 新 しい 趨 勢 ―」

( 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 ・2010 年 7 月 ・130

頁 )

* 陶 徳 民 ・ 中 村 義 ・ 藤 井 昇 三 ・ 久 保 田 文 次 ・ 町 泉 寿 郎 ・

川 邉 雄 大 / 共 編

『 近 代 日 中 関 係 史 人 名 辞 典 』

( 東 京 堂 出 版 ・2010 年 7 月 ・619 頁 )

* 内 田 慶 市 / 著

『 文 化 交 渉 学 と 言 語 接 触 ― 中 国 言 語 学 における 周 縁 から

のアプローチ―』 関 西 大 学 東 西 学 術 研 究 所 研 究 叢 刊 38

( 関 西 大 学 東 西 学 術 研 究 所 ・2010 年 9 月 ・357 頁 )

* 吾 妻 重 二 ・ 小 田 淑 子 / 編

『 東 アジアの 宗 教 と 思 想 』 渋 沢 栄 一 記 念 財 団 寄 附 講 座 「 日

中 関 係 と 東 アジア」 第 2 集

( 関 西 大 学 文 学 部 ・2010 年 9 月 ・440 頁 )

* 吾 妻 重 二 / 編 著

『 藤 澤 東 畡 ・ 南 岳 ・ 黄 鵠 ・ 黄 坡 と 石 濱 純 太 郎 』 泊 園 記 念

会 創 立 50 周 年 特 別 記 念 展 示 展 観 目 録

( 関 西 大 学 東 西 学 術 研 究 所 ・2010 年 10 月 ・60 頁 )

* 吾 妻 重 二 / 編 著

『 泊 園 書 院 歴 史 資 料 集 ― 泊 園 書 院 資 料 集 成 1』 関 西 大 学

東 西 学 術 研 究 所 資 料 叢 刊 29-1

( 関 西 大 学 出 版 部 ・2010 年 10 月 ・544 頁 )


人 事 異 動

*2010 年 6 月 1 日 から2010 年 7 月 31 日 まで、 子 安 宣 邦 氏 ( 大 阪 大 学 ・ 名 誉 教 授 )をCOE 客 員 教 授 として 招 聘 した。

*2010 年 8 月 31 日 を 以 て、 徐 暁 純 氏 、 岑 玲 氏 がCOE-JAを 離 任 した。

*2010 年 10 月 1 日 を 以 て、 森 部 豊 氏 が 事 業 推 進 担 当 者 に 着 任 した。

*2010 年 10 月 1 日 を 以 て、 司 佳 氏 がCOE-PDに 着 任 した。

*2010 年 10 月 1 日 を 以 て、 林 敏 容 氏 がCOE-RAに、 樊 静 氏 がCOE-JAに 着 任 した。

*2010 年 10 月 6 日 を 以 て、 韓 一 瑾 氏 がCOE-RAに、 宋 琛 氏 がCOE-JAに 着 任 した。

*2010 年 10 月 15 日 を 以 て、 陳 暁 傑 氏 がCOE-RAに、 王 竹 敏 氏 がCOE-JAに 着 任 した。

*2010 年 10 月 1 日 から2010 年 11 月 30 日 まで、 鄭 培 凱 氏 ( 香 港 城 市 大 学 ・ 教 授 )をCOE 客 員 教 授 として 招 聘 した。

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グローバルCOEプログラム

「 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 」(ICIS)

紀 要 原 稿 募 集 のお 知 らせ

関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 では、 紀 要 『 東 アジア 文

化 交 渉 研 究 』(Journal of Cultural Interaction Studies in East

Asia)の 原 稿 を、 下 記 の 要 領 で 募 集 しております。 応 募 いた

だいた 原 稿 は、 編 集 委 員 の 査 読 により、 掲 載 の 可 否 を 決 定 い

たします。

(1) 原 稿

東 アジアの 文 化 交 渉 にかかわる 論 考 、 研 究 ノート、その 他

(2) 使 用 言 語

日 本 語 :20,000 字 程 度

中 国 語 :20,000 字 程 度

英 語 :4,000 語 程 度

(3) 注 意 事 項

(a) 英 語 による 要 旨 を、150 語 程 度 で 添 付 してください。

(b) 提 出 はワード 文 書 でお 願 いいたします。

(c) 注 は 脚 注 方 式 でお 願 いいたします。

(d) 文 献 についても 参 照 文 献 リストは 付 けず、 脚 注 に

収 めてください。

(e) 図 表 がある 場 合 にも、なるべく 上 記 字 数 に 収 めて

ください。

(4) 投 稿 原 稿 の 二 次 利 用 としての 電 子 化 ・ 公 開 につきまし

ては、 紀 要 掲 載 時 点 で 執 筆 者 が 本 拠 点 に 許 諾 したものと

いたします。

(5) 提 出 締 切 り 等 、 詳 しくは 下 記 の 連 絡 先 にお 問 い 合 わせ

ください。

〒564-8680 大 阪 府 吹 田 市 山 手 町 3-3-35

関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点

『 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 』 編 集 委 員 会

TEL : 06-6368-0256

E-Mail:icis@ml.kandai.jp

編 集 後 記

11 月 初 旬 、 天 津 に3 年 ぶりに 学 会 発 表 のために 向 かっ

た。 北 京 からほんの30 分 という 高 速 鉄 道 で 結 ばれた 天 津

の 変 わりようには、 目 を 見 張 った。3 年 前 友 人 の 家 で 春

節 を 過 ごした 素 朴 かつ 暖 かな 街 は、ビルが 立 ち 並 ぶ 近 代

的 な 街 に 変 貌 していた。 中 国 の 変 化 は 速 い。そうした 変

化 に 対 応 しようと 一 部 の 文 学 研 究 者 はより 社 会 を 批 判 し

うる 力 を 持 つべく「 文 化 研 究 」へと 向 かい、 私 が 今 回 参

加 したのもそうした 学 会 であった。 討 論 を 交 した 若 い 研

究 者 たちは、インターネットによって 変 わりつつある 文

化 体 系 に 興 味 を 持 っていた。 新 しい 事 象 を 研 究 すること

は 難 しい。ただ、そうしたことを 研 究 するには、 過 去 の

事 象 が、さらに 様 々な 分 野 の 研 究 が 参 考 になるだろう。

研 究 はひとりでしているように 思 えるかもしれない、だ

が、 私 たちが 過 去 に 投 げかける 視 線 の 先 に、 現 在 または

未 来 が 待 っているとしたら、もしその 両 者 を 研 究 者 の 交

流 によって 結 んでいくことができれば、そこにきっと「 新

たな 知 」が 生 まれていくだろう。

( 担 当 : 池 田 智 恵 )

表 紙 写 真 について

ICIS Newsletter, Kansai University

本 号 の 表 紙 には、2010 年 7 月 20 日 に 長 崎 県

平 戸 市 の 生 月 (いきつき) 島 で 撮 影 した 写 真 を

選 んだ。この 島 の 高 台 から、 同 じ 玄 界 灘 に 浮 か

ぶ 大 島 方 面 をとらえたものである。 生 月 という

地 名 の 由 来 は 古 代 にさかのぼり、 中 国 への 旅 を

終 え 日 本 に 帰 国 する 人 々が、この 島 影 をみたと

きに、「ほっと、 息 をついた」ことにあるという。

生 月 島 は、 南 北 約 10km・ 東 西 約 2kmと 縦 長 の 地

形 を 有 し、 人 口 約 7000 人 ほどの「 独 自 の 文 化 」

を 形 成 している。

平 戸 に 隣 接 する 生 月 島 にも 中 世 末 期 にキリスト

教 が 伝 来 し、 日 本 における 禁 教 政 策 以 降 は、 潜 伏

キリシタンが 多 数 居 住 したという 歴 史 的 変 遷 をた

どる。また、この 島 では、 近 世 から 捕 鯨 がさかん

に 行 われていた。その 中 心 にあった 益 富 家 はその

名 の 通 り、 益 富 組 という 捕 鯨 集 団 の 先 頭 に 立 ち、

日 本 でも 有 数 の 鯨 文 化 を 作 り 上 げた。

1991 年 、 平 戸 島 と 最 も 接 近 している 海 峡 「 辰

ノ 瀬 戸 」に、 生 月 大 橋 が 開 通 した。これで 生 月

島 は 平 戸 島 を 介 して 九 州 と 陸 続 きになり、「 離

島 の 離 島 」といわれた 島 民 たちの 生 活 を 助 ける

ことになる。しかしながら、この 島 の「 外 部 と

の 接 触 」はいま 始 まったことではない。 東 アジ

アの 文 化 交 渉 という 観 点 からすると、この 島 は

古 代 から 交 渉 の 先 進 地 であったわけで、「 緑 と

青 の 映 える 島 」は 新 しいステージへと 変 化 を 遂

げようとしている。

[ 撮 影 : 荒 武 賢 一 朗 ]

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ICIS Newsletter, Kansai University

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E-Mail icis@jm.kansai-u.ac.jp /

URL http://www.icis.kansai-u.ac.jp/

発 発


行 日

: :

〒 大 関 2

5 阪 西 0

6 府 大 1

4 吹 学 1

田 文 年 -8

市 化 (

6

山 交 平

8

手 渉 成

0

町 学

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3 教 23 年

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