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日本語 - JCIC-Heritage

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序 文我 が 国 では2006 年 に 公 布 された「 海 外 の 文 化 遺 産 の 保 護 に 係 る 国 際 的 な 協 力 の 推 進 に 関する 法 律 」により、 海 外 の 文 化 遺 産 保 護 に 係 る 国 際 協 力 について 国 や 教 育 研 究 機 関 の 果 たすべき 責 務 や 関 係 機 関 の 連 携 強 化 などの 国 が 講 ずるべき 施 策 が 定 められた。 同 時 に、 国 内の 政 府 機 関 、 教 育 研 究 機 関 、NGOなどが 連 携 組 織 を 形 成 し 協 調 的 な 共 通 基 盤 を 確 立 することを 目 指 して、 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム( 以 下 コンソーシアム)が 設 立 された。2007 年 には「 海 外 の 文 化 遺 産 の 保 護 に 係 る 国 際 的 な 協 力 の 推 進 に 関 する 基 本 的 な 方 針 」が外 務 省 ・ 文 部 科 学 省 の 告 示 として 定 められた。コンソーシアムでは、その 活 動 の 中 で 文 化 遺 産 国 際 協 力 に 関 する 調 査 研 究 を 行 い、 我 が 国の 文 化 遺 産 国 際 協 力 を 推 進 するために 必 要 な 情 報 収 集 を 行 っている。コンソーシアムではこれまで、ラオス、モンゴル、イエメン、ブータン、ミクロネシア、アルメニア、ミャンマーで 調 査 を 実 施 してきた。 調 査 の 中 で 得 られた 情 報 を 基 に、その 後 日 本 から 具 体 的 な 支 援 が開 始 された 例 もある。 本 書 はその 一 環 として 平 成 23 年 12 月 に 実 施 したバハレーン 王 国 ( 以下 バハレーン)での 協 力 相 手 国 調 査 の 報 告 である。この 調 査 は、バハレーンの 文 化 遺 産 保護 に 向 けての 今 後 の 日 本 からの 協 力 の 在 り 方 を 探 るために 必 要 となる 情 報 の 収 集 を 試 みたものである。バハレーンは、 紀 元 前 より 文 明 間 の 中 継 地 として 栄 えてきた 長 い 歴 史 があり、その 中 で 育まれた 多 様 な 文 化 遺 産 が 存 在 する。その 一 方 で、 湾 岸 諸 国 の 中 で 初 めて 国 際 空 港 を 持 つなど、 早 くから 近 代 化 を 進 めた 国 でもある。 近 代 的 なインフラを 備 えた 都 市 となった 今 、 改めて 自 国 の 持 つ 文 化 遺 産 の 重 要 性 が 認 知 され、その 保 護 管 理 の 必 要 性 が 認 識 されている。また、2007 年 から2011 年 まではユネスコ 世 界 遺 産 条 約 の 委 員 国 を 務 めるなど、 文 化 遺 産保 護 に 係 る 国 際 的 枠 組 みの 中 でも 積 極 的 な 姿 勢 を 見 せている。このように、 文 化 遺 産 保 護を 強 力 に 推 進 していく 国 との 間 で 日 本 が 今 まで 培 ってきた 学 術 的 研 究 や 保 護 管 理 制 度 についての 経 験 を 共 有 することは、 両 国 にとって 長 期 的 な 文 化 交 流 が 育 まれるだけではなく、今 までおもに 経 済 的 な 関 わりを 中 心 として 発 展 してきた 両 国 間 の 関 係 がより 一 層 強 固 なものになると 考 えられる。 日 バハレーン 外 交 関 係 樹 立 40 周 年 を 迎 える 本 年 に、このような 新たな 関 係 を 模 索 する 試 みは、 今 後 の 両 国 の 発 展 の 試 金 石 としても 重 要 だと 我 々は 考 える。本 書 が 今 後 の 我 が 国 の 文 化 遺 産 国 際 協 力 推 進 への 一 助 になることを 目 指 すとともに、バハレーンの 文 化 遺 産 保 護 に 向 けて 活 用 されることを 願 う。最 後 に、この 調 査 の 実 施 にあたりご 協 力 賜 りました 外 務 省 、 文 化 庁 等 の 日 本 国 内 の 関 係 者各 位 、 並 びにバハレーン 文 化 省 をはじめとするバハレーンの 関 係 機 関 に 深 く 感 謝 申 し 上 げる。平 成 24 年 12 月文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム


ex)al-shamusu( 太 陽 ) → ash-shamusu・ 単 語 末 のターマルブータは 記 載 しない(hで 置 き 換 え 記 載 する 場 合 がある)・ 長 母 音 は 英 語 表 記 では 表 記 を 避 けるが、 必 要 に 応 じて 母 音 を 重 ねた 形 で 表 記 するex)saarⅱ 日 本 語 への 転 記・ 基 本 的 にターマルブータは 表 記 しない・ 単 語 内 のターマルブータは 続 く 単 語 と 併 せて 表 記ex)カラートゥ・ル=バハレーン・ 単 語 の 語 頭 が 太 陽 文 字 の 場 合 、 定 冠 詞 アルのルを 促 音 化 するex)アル=シャムス( 太 陽 ) → アッ=シャムス・ 単 語 間 は・で 区 切 る・ 文 頭 のアル 以 外 はアを 省 略 表 記ex)カラートゥ・アル=バハレーン → カラートゥ・ル=バハレーン2 人 物 名 に 関 して人 物 名 は 名 刺 の 記 載 を 読 み 方 よりも 優 先 する。ⅰ 英 語 への 転 記・ 地 名 の 記 載 と 同 様 であるⅱ 日 本 語 への 転 記・ 基 本 的 には 地 名 と 同 様 であるが、 文 頭 以 外 のアルも 省 略 表 記 しないex)アフマド・アル=ハリーファ( 地 名 の 法 則 でアフマド・ル=ハリーファ)3 人 物 名 を 冠 した 建 造 物 名 の 表 記 に 関 して・ 人 物 名 の 部 分 には2を 適 用 し、その 他 の 部 分 では1を 適 用 する5. 分 かりにくい 固 有 名 詞 に 関 しては 初 出 時 のみ 日 本 語 の 後 英 語 を( )を 用 いて 表 記 したが、次 回 以 降 は 日 本 語 のみとした。


目 次序 文例 言1. はじめに1-1. バハレーンの 国 土 と 歴 史1-2. バハレーンにおける 文 化 遺 産 の 発 見 史1132. 調 査 概 要2-1. 調 査 目 的2-2. 調 査 日 程2-3. 派 遣 メンバー2-4. 調 査 内 容2-5. 調 査 経 緯2-6. 調 査 方 法2-7. 行 動 記 録2-8. 面 談 者2-9. バハレーンを 調 査 対 象 国 とした 理 由55555566883. バハレーンの 文 化 遺 産 保 護 体 制3-1. 国 内 体 制 の 概 要3-2. 法 律3-3. 行 政3-4. その 他99910124. バハレーンの 文 化 遺 産ハマド・タウン 古 墳 群アアリ 古 墳 群アアリ 王 墓サール 集 落 遺 跡サール 墓 地 遺 跡ジャナビーヤ 古 墳 群ウンム・ジドル 古 墳 群シャホーラ 古 墳 群ジャヌサーン 古 墳 群アル=ハジャル 墓 地 遺 跡ムカバ 古 墳 群アル=マクシャ 古 墳 群カラートゥ・ル=バハレーン1314161820222426282830303032


バールバール 神 殿ディラーズ 神 殿アイン・ウンム・ッ=スジュール 遺 跡アラード・フォートシャイフ・サルマーン・ビン・アフマド・アル=ファーティフ 砦アル=ハミース・モスクイスラーム 期 カナートバハレーン 国 立 博 物 館カラートゥ・ル=バハレーン 博 物 館コーラン 博 物 館シャイフ・サルマーン・ハウスシャイフ・イーサ・ビン・アリー・ハウススィヤーディー・ハウスシャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ 文 化 研 究 センターコラール・ハウスコーヒー・ハウスアブドゥッラー・アッ=ザーイド・ハウススーク・ル=カイサリヤ3436384042444446485052545456585858605. 考 察5-1. 現 状 と 課 題5-2. 今 後 の 協 力 の 可 能 性 と 日 本 の 役 割5-3. 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアムの 役 割5-4. おわりに6363646666Appendix.1. インタビュー2. 文 化 遺 産 保 護 に 関 する 法 律3. 入 手 資 料 一 覧67677291


Ⅰはじめに中 期 ディルムン 時 代 ( 前 1800 年 ~ 前 1000 年 頃 )前 15 世 紀 ~ 前 14 世 紀 のバハレーンは、メソポタミアを 支 配 し「 海 国 」を 征 服 したカッシート 人 に 支 配 された。カラートゥ・ル=バハレーンで 出 土 した 石 材 にはカッシート 王 ブルナブリアシュ2 世 ( 前 1359 年 ~ 前 1333 年 )の 名が 刻 まれている。しかし、ディルムン=バハレーン 説 の 発 端 となった「デュランド 大 佐 の 石 」の 銘 文 にある「インザクの 僕 (しもべ)リームン」は、 実 際 にバハレーンを 統 治 した 土 着 の 支 配 者 の 名 であるかもしれない。後 期 ディルムン 時 代 ( 前 1000 年 ~ 前 330 年 頃 )アッシリア 帝 国 のサルゴン2 世 に、「 太 陽 の 昇 る30ベールの 彼 方 、 魚 のように 海 の 最 中 に 住 むディルムン 王 ウペーリ」が 朝 貢 したという 前 709 年 の 記 事 がある。アラビアの 湾 岸 の 大 部 分 を 支 配 したアケメネス 朝 は、カラートゥ・ル=バハレーンに 貿 易 拠 点 を 置 いた。タイロス 時 代 ( 前 330 年 ~ 後 629 年 頃 )アレクサンドロス 大 王 の 死 ( 前 323 年 ) 以 降 、 湾 岸 にはギリシア 文 化 が 影 響 を 及 ぼした。ギリシア・ラテン 語 の 古典 では、バハレーン 島 はタイロス、ムハラック 島 はアラドスと 記 されている。アラビア 湾 は 地 中 海 からインドに 至 る 貿 易 ルートの 一 部 でタイロスにはギリシア 系 住 民 もいた。 前 206 年 ~205年 、セレウコス 朝 のアンティオコス3 世 はインド 遠 征 の 帰 路 、ゲッラ( 未 確 定 )とタイロスに 立 ち 寄 った。セレウコス 朝 の 退 潮 に 伴 い、 前 129 年 頃 イラク 南 部 に 興 ったカラケーネ(メセネ) 王 国 が 湾 岸 を 支 配 した。バハレーンは、 同王 国 のインド 航 路 の 重 要 寄 港 地 であった。 後 240 年 頃 、サーサーン 朝 のアルダシー1 世 はバハレーン 王 サナトルクを破 り 同 地 の 支 配 権 を 得 た。そこではゾロアスター 教 徒 やユダヤ 教 徒 、ネストリウス 派 キリスト 教 徒 も 混 住 していた。イスラーム 時 代 (629 年 ~15 世 紀 )629 年 にバハレーンはイスラーム 化 した。 当 時 「アル=バハレーン」とはアワール(バハレーン 島 )、アル=カティーフ、アル=ハサを 含 む 領 域 を 指 していた。ザンジュの 乱 (863 年 ~883 年 )の 際 には、バハレーンのバニ・アブドゥ・ル=カイス 族 はアッバース 軍 に 加 担 し、ザンジュ( 黒 人 奴 隷 )を 追 い 出 した。902 年 、イラクからカルマット(イスラーム 共 産 主 義 ) 運 動 がバハレーンに 伝わり、バハレーンは904 年 に 成 立 したカルマット 国 家 の 一 部 となったが、1076 年 には、アブドゥッラー・アル=ウユーニーが 新 国 家 を 樹 立 (ウユーニー 朝 )した。その 後 、バハレーンはカイス 島 の 支 配 者 たちや、ファールスのアタベクなど、 湾 の 対 岸 の 勢 力 の 間 で 翻 弄 された。 当 時 の 首 都 はビラードゥ・ル=カディームであった。14 世 紀 になると、バハレーンは 東 西 貿 易 の 拠 点 であったホルムズ 王 国 に 従 属 する。この 頃 に、「バハレーン」は 現在 と 同 義 になった。そして15 世 紀 に、 首 都 はマナーマへ 移 った。列 強 による 支 配 (16 世 紀 ~17 世 紀 )16 世 紀 初 頭 、アラビア 湾 にポルトガル 艦 隊 が 出 現 し、ホルムズ 王 国 を 支 配 下 において、バハレーンへの 侵 攻 を 開始 した。1511 年 以 降 、ポルトガル 人 は 度 々バハレーンに 侵 攻 した。バハレーンを 支 配 したポルトガル 人 は、ほかの 強 国 からそれを 庇 護 する 立 場 になった。1559 年 に 侵 攻 したトルコ軍 との 戦 闘 によって 損 傷 を 受 けたカラートゥ・ル=バハレーンは、ポルトガル 人 によって 修 理 ・ 増 築 された。 戦 乱 の時 代 ながら、ムラド・マハムードのバハレーン 統 治 (1530 年 ~1577 年 )は 平 和 と 繁 栄 の 一 時 期 であった。1602 年 から、バハレーンはトルコと 対 立 するサファヴィー 朝 に 支 配 されたが、1717 年 には、 湾 岸 からポルトガルを 駆 逐 したオマーン(ヤアーリバ 朝 )によって 占 領 された。2


アル=ハリーファ 朝 (18 世 紀 ~ 現 在 )アル=ハリーファ 部 族 はネジドを 原 郷 とする 遊 牧 系 アラブ 部 族 ウトゥーブの 一 派 で、1701 年 に 一 旦 カタール 半島 からバハレーンに 侵 入 し、その 後 クウェートに 移 動 したが、1763 年 にカタール 半 島 のズバーラに 移 動 した。ズバーラは 自 由 港 として 経 済 ・ 文 化 の 両 面 で 繁 栄 した。1783 年 、オマーン 人 のバハレーン 支 配 者 がズバーラを 攻 撃 したが 失 敗 し、 追 撃 したハリーファ 家 のシャイフ・アフマドが、バハレーンとズバーラの 支 配 者 となった。バハレーンは 艦 隊 を 建 造 し、アラビア 湾 の 海 上 輸 送 を 支 配 した。シャイフ・アフマドの 死 後 、2 人 の 息 子 と 子 孫 たちによる 跡 目 相 続 をめぐる 抗 争 の 時 代 が 始 まったが、1869 年 、シャイフ・イーサ・ビン・アリーの 即 位 により 終 息 した。 立 法 、 行 政 、 警 察 、 教 育 制 度 の 整 備 など、バハレーンの 近代 化 はこの 時 に 始 まった。1–2. バハレーンにおける 文 化 遺 産 の 発 見 史草 創 期湾 岸 諸 国 では 多 くの 歴 史 的 文 化 遺 産 が 知 られている。とくにバハレーンの 古 代 遺 跡 は19 世 紀 末 からヨーロッパで知 られ、 英 国 人 を 中 心 とする 研 究 者 とアマチュアたちが 積 極 的 な 関 心 をもってこの 地 を 来 訪 した。ヨーロッパで 始まった 古 代 メソポタミア 研 究 が 盛 んになり、 湾 岸 もその 視 野 に 含 められたのである。この 頃 から 第 2 次 大 戦 終 結 までの 時 代 が「バハレーン 考 古 学 」の 草 創 期 である。• 1879 年 :イギリス 人 エドワード・L・デュランド 大 佐 がアアリ 古 墳 群 で 大 小 2 基 の 古 墳 を 発 掘 し、またビラードゥ・ル=カディームのマドラサ・ダウードで、 楔 形 文 字 銘 が 刻 まれた 石 を 発 見 した。 銘 文 はヘンリー・C・ローリンソンによって 解 読 され、シュメル 神 話 で「ディルムンの 神 」とされるインザクの 名 が 含 まれていたことから、ディルムン=バハレーン 説 が 初 めて 登 場 した。• 1889 年 :イギリス 人 セオドア・ベント 夫 妻 がアアリ 古 墳 群 で 大 小 2 基 の 古 墳 を 発 掘 した。また16 世 紀 以 降 のバハレーンの 歴 史 を 詳 しく 調 べたほか、19 世 紀 末 の 同 地 の 民 族 誌 、 建 造 物 、 島 の 人 々などについて 報 告 した。• 1903 年 :ベルギー 人 M・ジュアナンが 古 墳 1 基 を 発 掘 した。• 1906 年 ~1908 年 :イギリス 人 F・B・プリドー 大 佐 がアアリ 古 墳 群 で67 基 の 古 墳 を 発 掘 し、 科 学 的 な 報 告 書 をインド 考 古 局 の 年 報 に 掲 載 した。バハレーン 島 における 古 墳 の 総 数 を「10 万 基 近 く」と 推 定 した。• 1925 年 :イギリス 人 アーネスト・J・H・マッカイが、イギリス 人 エジプト 学 者 サー・ウィリアム・M・F・ピートリーによって 派 遣 され、アアリ 古 墳 群 で 約 50 基 を 発 掘 した。 目 的 は「エジプト 文 明 の 起 源 はメソポタミア 人 の上 エジプトへの 移 住 にある」とする 仮 説 の 傍 証 を 得 ることだったが、 不 首 尾 に 終 わった。• 1940 年 ~1941 年 :アメリカ 人 ピーター・B・コーンウォールが、ウンム・ジドル 古 墳 群 と 思 われる 古 墳 群 で 相当 数 の 古 墳 を 発 掘 し、またマナーマ 市 内 で「 会 議 室 」なる 奇 妙 な 遺 構 を 発 見 した。 彼 はディルムン=バハレーン説 をとり、 西 南 イラン 説 をとるサミュエル・N・クレイマーへの 反 論 を 行 なった。草 創 期 に 誰 しもが 関 心 を 抱 いたのは、バハレーンにある 異 常 な 数 の 古 墳 であった。確 立 期第 2 次 大 戦 後 の1950 年 代 から1960 年 代 末 まで 続 く。ピーター・V・グロブとジェフリー・ビビーを 中 心 とする、デンマークの 考 古 学 調 査 隊 のほぼ 独 壇 場 であった。バハレーンにおけるデンマーク 隊 のおもな 活 動 は 以 下 の 通 りである。• 1953 年 :バハレーンで 考 古 学 的 踏 査 を 開 始 。• 1954 年 :アイン・ウンム・ッ=スジュールの 発 掘 。3


Ⅰはじめに• 1954 年 ~1978 年 :カラートゥ・ル=バハレーンの 発 掘 。• 1954 年 ~1962 年 、1971 年 、1983 年 、2004 年 :バールバール 神 殿 の 発 掘 。そのほかデンマーク 隊 はサール、アアリ、ウンム・ジドルなどの 古 墳 群 で、 相 当 数 の 古 墳 を 発 掘 している。とくにアアリでは1960 年 代 初 頭 に 大 小 約 50 基 を 発 掘 している。1950 年 代 後 半 以 降 、デンマーク 隊 はカタール 半 島 (1956 年 ~)、クウェートのファイラカ 島 (1958 年 ~)、 休 戦海 岸 ( 現 アラブ 首 長 国 連 邦 )(1958 年 ~)、サウディアラビア 東 部 州 (1962 年 ~)の 遺 跡 調 査 を 開 始 した。「ディルムン 探 し」を 出 発 点 とするバハレーン 考 古 学 から、 湾 岸 全 域 の 石 器 時 代 からイスラーム 時 代 までを 研 究 対 象 とする「 湾 岸 の 考 古 学 」が 確 立 した。発 展 期1960 年 代 末 から1990 年 代 初 頭 までである。バハレーンを 含 む 湾 岸 の 考 古 学 は、デンマーク 隊 の 独 壇 場 から、より 国 際 的 なものに 変 わった。バハレーン 政 府 では1968 年 に 考 古 局 が 設 置 され、1970 年 には 考 古 学 と 民 族 学 の 両 部門 からなる、 湾 岸 で 最 初 の 国 立 博 物 館 がムハラック 島 に 開 館 した。またヨーロッパやほかのアラブ 諸 国 、アジア 諸国 もバハレーンの 文 化 遺 産 の 調 査 研 究 に 参 入 してきた。1988 年 に 新 規 開 館 した 現 在 の 国 立 博 物 館 の2 階 では、ムハラック 島 の 古 い 商 業 地 区 を 取 り 込 んだ 展 示 が 見 られるが、シャイフ・イーサ・ビン・アリー・ハウスやセヤーディー・ハウス、アラード・フォート、カラートゥ・ル=バハレーン、アル=ハミース・モスクなどの 歴 史 的 建 造 物 を、 現 地 において 修 理 して 保 存 ・ 公 開 する 活 動 も、この時 代 に 開 始 されている。経 済 発 展 期 の 例 に 漏 れず、バハレーンでも 開 発 に 伴 う 遺 跡 の 危 機 が 訪 れ、 多 数 の 遺 跡 で 緊 急 発 掘 調 査 が 続 いた。キング・ファハド 道 路 の 建 設 に 先 立 つサール 古 墳 群 (アラブ 合 同 調 査 隊 、1977 年 ~1979 年 。バハレーン 考 古 局 、1980 年 ~82 年 )、ハマド・タウン 古 墳 群 などにおける 発 掘 はその 例 である。これらの 調 査 が、イギリス 隊 によるサール 遺 跡 の 発 掘 (1990 年 ~1999 年 )へと 繋 がっていった。安 定 期世 界 経 済 が 低 迷 した1990 年 代 以 降 、バハレーンでもかつてのような 開 発 に 伴 う 緊 急 発 掘 は 陰 を 潜 め、 安 定 期 を 迎えた。 遺 跡 と 景 観 の 保 存 ・ 修 復 ・ 活 用 が、 現 在 に 至 るこの 時 期 の 任 務 であり、2005 年 には、カラートゥ・ル=バハレーンがユネスコ 世 界 遺 産 に 登 録 された。2009 年 には、12000 基 の 古 墳 を 含 む11の 古 墳 群 が、 追 加 登 録 のための 暫定 リストに 載 せられた。また2011 年 には、カラートゥ・ル=バハレーン 博 物 館 が 開 館 し、2012 年 にはムハラックの 歴 史 的 建 造 物 保 存 地 区 (Pearling, Testimony of an Island Economy)が 世 界 遺 産 に 登 録 された。バハレーンの 文 化 遺 産 と 日 本 人1964 年 にエジプト 考 古 学 者 の 鈴 木 八 司 が、1974 年 にインド 考 古 学 者 の 小 西 正 捷 が、 現 地 訪 問 を 踏 まえた 紹 介 文を 公 にし、また1975 年 にはジェフリー・ビビーの『 未 知 の 古 代 文 明 ディルムン:アラビア 湾 にエデンの 園 を 求 めて』が 邦 訳 出 版 されたが、それらによって 日 本 人 による 本 格 的 な 研 究 が 開 始 される 気 運 には 至 らなかった。1986 年 末 から 翌 年 にかけて、 小 西 正 捷 と 後 藤 健 は、バハレーンを 含 む 湾 岸 アラブ4カ 国 を 訪 問 し、 考 古 学 的 研 究の 可 能 性 を 探 った。そして1987 年 12 月 にはブーリー 古 墳 群 で 発 掘 を 実 施 した。また1991 年 ~1996 年 には、かつてデンマーク 隊 が 調 査 を 手 がけたアイン・ウンム・ッ=スジュール 遺 跡 の 再 発 掘 を 実 施 し、 初 期 ディルムン 時 代 の 水神 を 祭 る 神 殿 であったことを 明 らかにした。4


2. 調 査 概 要2–1. 調 査 目 的文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム( 以 下 コンソーシアム)では、 我 が 国 による 文 化 遺 産 国 際 協 力 の 推 進 を 目 的 とした 協 力 相 手 国 調 査 を 行 っている。 調 査 では、 協 力 相 手 国 における 文 化 遺 産 保 護 状 況 、および 諸 外 国 による 文 化 遺産 分 野 における 国 際 協 力 に 焦 点 を 当 て 調 査 を 実 施 している。 調 査 には、 自 然 災 害 などの 被 害 にあった 文 化 遺 産 の 救済 を 目 的 に 状 況 把 握 を 行 う 緊 急 調 査 と、 諸 外 国 から 寄 せられる 文 化 遺 産 保 護 に 係 る 支 援 要 請 に 対 し、 今 後 支 援 を 行うための 情 報 収 集 を 行 う 通 常 調 査 がある。 過 去 にコンソーシアムが 行 った 協 力 相 手 国 調 査 として、ラオス、モンゴル(2007 年 度 )、オーストラリア、ドイツ、ノルウェー、スウェーデン(2008 年 度 )、ブータン(2009 年 度 )、アルメニア、ミクロネシア(2010 年 度 )、ミャンマー(2011 年 度 )があげられる。 今 回 の 調 査 は、バハレーンからの 支 援 要請 を 踏 まえ、2011 年 度 の 通 常 調 査 の 一 つとして、バハレーンでの 文 化 遺 産 保 護 状 況 と 国 際 協 力 の 現 状 を 把 握 し、 今後 の 日 本 による 協 力 の 可 能 性 を 検 討 するために 実 施 した。2–2. 調 査 日 程2011 年 12 月 16 日 ~23 日 (8 日 間 )2–3. 派 遣 メンバー原 田 怜 ( 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム 調 査 員 )後 藤 健 ( 独 立 行 政 法 人 国 立 文 化 財 機 構 東 京 国 立 博 物 館 特 任 研 究 員 )西 藤 清 秀 ( 奈 良 県 立 橿 原 考 古 学 研 究 所 副 所 長 )安 倍 雅 史 ( 独 立 行 政 法 人 国 立 文 化 財 機 構 東 京 文 化 財 研 究 所 文 化 遺 産 国 際 協 力 センター 特 別 研 究 員 )2–4. 調 査 内 容バハレーンに 対 する 文 化 遺 産 国 際 協 力 の 現 況 と 今 後 の 展 開 を 探 るため、 現 地 を 訪 問 し、バハレーン 側 が 求 める 具体 的 協 力 要 請 項 目 を 検 討 した。また、 紀 元 前 2200 年 頃 から 作 られた 古 墳 群 などの 考 古 遺 跡 、 世 界 遺 産 カラートゥ・ル=バハレーン、バハレーン 国 立 博 物 館 、ムハラック 歴 史 的 建 造 物 保 存 地 区 を 訪 れ、 担 当 者 との 面 談 を 介 して 情 報収 集 や 意 見 交 換 を 行 った。2–5. 調 査 経 緯2007 年 、 国 際 交 流 基 金 の 招 聘 により 来 日 したバハレーン 情 報 省 芸 術 文 化 局 文 化 国 家 遺 産 次 官 補 であったシャイハ・マイ 王 女 により、 文 化 遺 産 保 存 のための 協 力 についてコンソーシアムに 相 談 があった。その 後 、2010 年 度 には、バハレーンに 対 する 文 化 遺 産 国 際 協 力 の 現 況 と 今 後 の 展 開 を 探 るため、 相 手 国 調 査 が 計 画 された。しかし、2010 年に 総 選 挙 がおこなわれ、 各 省 庁 の 再 編 成 およびそれに 伴 う 人 事 異 動 があったこと、また2011 年 にバハレーンにて 開催 予 定 であった 世 界 遺 産 委 員 会 開 催 準 備 のため 現 地 からの 協 力 が 得 られにくいと 予 想 されたことから、 一 度 延 期 とした。2011 年 度 以 降 も 情 報 収 集 を 行 い、 現 地 の 研 究 者 と 連 絡 を 取 った 結 果 、バハレーン 考 古 学 に 長 年 貢 献 してきた 日 本に 対 してバハレーン 文 化 庁 文 化 自 然 遺 産 部 考 古 遺 産 局 保 存 修 復 担 当 官 より 文 化 遺 産 保 護 分 野 における 協 力 依 頼 があった。このため、 今 後 日 本 の 専 門 家 や 関 係 機 関 が 協 力 できる 分 野 を 正 確 に 把 握 するために、コンソーシアムの 企画 分 科 会 での 承 認 を 経 て、 調 査 団 を 派 遣 することになった。なお、 調 査 時 期 に 関 しては、バハレーンでは 民 主 化 運 動5


3. バハレーンの 文 化 遺 産 保 護 体 制3–1. 国 内 体 制 の 概 要まず、バハレーン 国 内 の 文 化 遺 産 保 護 体 制 を 述 べる 前 に、バハレーン 国 内 の 政 治 体 制 について 簡 単 に 説 明 したい。バハレーンは、イランとの 間 の 領 有 権 を 巡 る 対 立 を 経 て、1971 年 に 正 式 に 独 立 を 宣 言 した。1973 年 に 制 定 された憲 法 は2002 年 には 改 正 された。その 中 で、 世 襲 君 主 制 の 王 国 に 体 制 変 更 し、 普 通 選 挙 を 含 む 二 院 制 議 会 ( 任 期 4 年 )を 設 置 するなど 民 主 化 路 線 が 進 められた。 現 在 、 国 を 治 めるのはハリーファ 家 であり、 国 家 元 首 はハマド・ビン・イーサ・アル=ハリーファ 国 王 陛 下 (H.M. King Hamad bin Isa al-Khalifa)である。 国 王 は 実 質 的 に 三 権 を 掌 握 している。 行 政 は 以 下 の18の 省 から 構 成 され、 国 内 は5つの 行 政 地 域 に 区 分 されている。118 省Ministry of Justice and Islamic Affairs( 司 法 イスラーム 省 )Ministry of Foreign Affairs( 外 務 省 )Ministry of Transportation( 交 通 省 )Ministry of Diffense ( 防 衛 省 )Ministry of Interior( 内 務 省 )Ministry of Municipalities Affairs and Urban Planning( 自 治 区 都 市 計 画 省 )Ministry of Finance( 財 務 省 )Ministry of Works( 建 設 省 )Ministry of Housing( 住 宅 省 )Ministry of Culture( 文 化 省 )Ministry of Information( 情 報 省 )Ministry of Industry and Commerce( 工 業 商 業 省 )Ministry of Education( 教 育 省 )Ministry of Labor( 労 働 省 )Ministry of Health( 厚 生 省 )Ministry of Social Development( 社 会 発 展 省 )Ministry of Human Rights( 人 権 省 )Ministry of Cabinet Affairs( 内 閣 省 )3–2. 法 律バハレーンの 文 化 遺 産 保 護 に 関 する 法 律 としては、1970 年 に“The Bahrain Antiquities Ordinance”が 制 定 され、1985 年 に 改 正 が 行 われている。1995 年 には、“Decree Law No.(11) Regarding the Protection of Antiquities”(Lawfor the Protection of Archaeological Siteとも 呼 ぶ)が 新 たに 制 定 され、 先 行 の 法 律 は 無 効 となった。 両 法 律 とも、 原文 はアラビア 語 で 書 かれているが、 英 語 に 翻 訳 されたものがユネスコのウェブサイトから 入 手 できる 2 。1 Kingdom of Bahrain, http://www.bahrain.bh を 参 照 のこと。2 UNESCO DATABASE OF NATIONAL CULTURAL HERITAGE LAWS, http://www.unesco.org/culture/natlaws/index.php?&lng=en および APPENDIX 2「 文 化 遺 産 保 護 に 関 する 法 律 」を 参 照 のこと。9


3 バハレーンの 文 化 遺 産 保 護 体 制“Decree Law No. (11) Regarding The Protection of Antiquities”の 第 一 章 第 一 節 において 情 報 省 ( 現 文 化 省 )が 文化 遺 産 の 監 督 、 保 護 、 管 理 を 行 うと 規 定 されている。 第 一 章 では、ほかにも 保 護 のための 施 策 や 登 録 に 関 して 記 載 があり、 文 化 財 登 録 は 情 報 省 が 選 定 を 行 うこと、 文 化 遺 産 には 動 産 ・ 不 動 産 があり、 不 動 産 には 考 古 遺 跡 だけではなく 建 造 物 も 含 むこと、 土 地 所 有 者 はその 土 地 の 文 化 遺 産 の 所 有 権 を 保 持 しないこと、 土 地 開 発 の 計 画 が 文 化 遺 産 所在 地 の 近 郊 である 場 合 、 情 報 省 は 必 要 な 情 報 を 開 示 し 関 係 省 庁 間 の 調 整 を 図 ること、 情 報 省 は 公 的 な 目 的 のために土 地 を 買 収 すること、などが 規 定 されている。 第 二 章 以 降 では、 発 掘 や 発 掘 に 伴 う 許 可 、 文 化 遺 産 の 登 録 や 管 理 、 罰則 について 規 定 されている。この 法 律 以 外 に 明 文 化 されている 文 化 遺 産 保 護 に 関 する 法 的 拘 束 力 を 持 つ 取 り 決 め( 地 域 条 例 、 保 存 計 画 、 観光 開 発 計 画 など)として、 世 界 遺 産 であるカーラトゥ・ル=バハレーン(Qal’at al-Bahrain – Ancient Harbor andCapital of Dilmun)およびムハラックの 歴 史 的 建 造 物 保 存 地 区 (Pearling, Testimony of an Island Economy)の 管 理計 画 がある 3 。ムハラックの 歴 史 的 建 造 物 保 存 地 区 の 文 化 的 景 観 に 関 しては、 関 係 する12 省 庁 と 土 地 所 有 者 や 企 業活 動 の 代 表 からなる 運 営 委 員 会 を 設 け、 文 化 省 主 導 の 下 で 管 理 が 行 われている。上 記 の 通 り、バハレーンは 文 化 遺 産 保 護 に 関 する 条 約 として、1991 年 に 世 界 遺 産 条 約 を 批 准 している。2007 年から2011 年 にかけては 委 員 国 も 務 めている。バハレーンの 世 界 遺 産 には、2005 年 に 文 化 遺 産 として 記 載 されたカラートゥ・ル=バハレーン、2012 年 に 記 載 されたムハラックの 歴 史 的 建 造 物 保 存 地 区 がある。 現 在 、 文 化 遺 産 としては2 件 、 自 然 遺 産 としては1 件 が、 暫 定 リストに 登 録 されている。 文 化 遺 産 が、バールバール 神 殿 (Barbar Temple、2001 年 申 請 )、ディルムンおよびタイロス 時 代 の 古 墳 群 (Burial Ensembles of Dilmun and Tylos、2008 年 申 請 )、 自然 遺 産 がハワール 島 保 護 区 (Hawar Islands Reserve、2001 年 申 請 )である。そのほかの 有 効 な 条 約 としては、「 武 力 紛 争 の 際 の 文 化 財 の 保 護 のための 条 約 (ハーグ 条 約 )・ 付 属 議 定 書 」が 挙げられる。また、「 文 化 財 の 不 法 な 輸 入 、 輸 出 および 所 有 権 譲 渡 の 禁 止 および 防 止 の 手 段 に 関 する 条 約 」、「 水 中 文 化遺 産 保 護 に 関 する 条 約 」、「 無 形 文 化 遺 産 の 保 護 に 関 する 条 約 」、「 文 化 的 表 現 の 多 様 性 の 保 護 および 促 進 に 関 する条 約 」に 関 しては、 批 准 の 方 向 にあり、 実 現 すれば、 近 いうちに“Decree Law No. (11) Regarding The Protection ofAntiquities”に 関 して 改 正 が 行 われることが 見 込 まれる。3–3. 行 政文 化 遺 産 保 護 を 担 当 する 行 政 は、 文 化 省 (Ministry of Culture)のみである。 国 内 を5つの 行 政 地 域 に 分 けているものの、 文 化 遺 産 保 護 に 関 しては 文 化 省 が 唯 一 の 担 当 行 政 であり、 地 方 行 政 は 文 化 遺 産 保 護 を 行 っていない。 文 化省 では 無 形 文 化 遺 産 と 有 形 文 化 遺 産 を 共 に 扱 っている。なお、 現 在 の 文 化 大 臣 はシャイハ・マイ 王 女 (Shaikha Maibint Mohammed Al Khalifa)である。文 化 省 となる 以 前 は、 情 報 省 (Ministry of Information)であったが、 文 化 情 報 省 (Ministry of Culture andInformation)を 経 て、2010 年 に 文 化 省 (Ministry of Culture)となった。 文 化 情 報 省 ( 当 時 )の 中 の、 文 化 自 然 遺 産部 (Culture and National Heritage)の 下 にある 考 古 遺 産 局 (Archaeology and Heritage)が 文 化 遺 産 を 担 当 していたとみられる。 省 庁 再 編 が 続 いてはいたが、 最 終 的 に 文 化 省 になったことで、 省 庁 内 での 文 化 に 関 する 予 算 の 検 討が 容 易 になるなどのメリットがあった。現 在 は、 文 化 省 の 中 には、 観 光 部 (Tourism)と 文 化 自 然 遺 産 部 の2 部 署 のみ 存 在 する。 文 化 自 然 遺 産 部 の 中 には考 古 遺 産 局 のほか、 博 物 館 局 (Museum)、 文 化 芸 術 局 (Culture and Art)、 音 楽 演 劇 局 (Music and Theater)が 設 置3 Kingdom of Bahrain 2005 Nomination to the World Heritage List, Qal’at al-Bahrain – Ancient Harbor and Capital of Dilmun Kingdom of Bahrain.Kingdom of Bahrain 2012 Nomination to the World Heritage List, Pearling, Testimony of an Island Economy Kingdom of Bahrain.10


されている。 文 化 遺 産 保 護 に 直 接 関 わる 考 古 遺 産 局 および 博 物 館 局 の 業 務 については、 以 下 のとおりである。・ 考 古 遺 産 局有 形 ・ 無 形 を 含 む 遺 産 の 保 護 および 文 化 遺 産 保 護 のための 認 識 を 促 す。 文 化 遺 産 の 管 理 、 考 古 発 掘 、 海 外 隊 の 発掘 の 管 理 、 修 復 を 行 う。 遺 産 部 門 、 考 古 部 門 、 修 復 部 門 の3 部 門 に 分 かれている。 聞 き 取 り 調 査 では、 本 局 に 所 属するスタッフは75 名 程 、 遺 産 部 門 に 所 属 するスタッフは7 名 程 とのことである。・ 博 物 館 局バハレーンに 所 在 する 全 ての 博 物 館 の 計 画 ・ 運 営 を 行 う。バハレーン 国 立 博 物 館 もこの 博 物 館 局 の 管 轄 である。バハレーンの 文 化 ・ 歴 史 を 紹 介 し 観 光 開 発 に 寄 与 するような 展 示 の 企 画 をする。文 化 省 付 属 機 関 としては、 世 界 遺 産 アラブ 地 域 センター(Arab Regional Center for World Heritage 、 通 称 ARC-WH)が 挙 げられる。 設 立 の 背 景 は、2000 年 の「アラブ 地 域 の 世 界 遺 産 条 約 の 履 行 に 係 る 定 期 報 告 (Periodic Reportin the Implementation of the World Heritage Convention)」の 中 で、アラブ 地 域 における 世 界 遺 産 条 約 に 関 する 理解 の 強 化 と 履 行 のための 作 業 指 針 の 適 用 に 関 する 必 要 性 が 確 認 されたことにある。これを 受 けて、2008 年 世 界 遺 産委 員 会 において、バハレーンがアラブ 地 域 の 世 界 遺 産 保 護 のための 地 域 センターをユネスコカテゴリー2センターとして 発 足 することを 提 案 し、これが 承 認 された。その 後 、 設 立 のための 準 備 期 間 を 経 て、2012 年 4 月 に 世 界 遺 産アラブ 地 域 センターが 設 立 した。 世 界 遺 産 アラブ 地 域 センターの 活 動 は、アラブ 地 域 における 世 界 遺 産 条 約 に 関 する 情 報 の 提 供 、 条 約 履 行 のための 人 材 育 成 などの 支 援 活 動 、そのほか 資 金 調 達 などの 後 方 支 援 を 行 うことである。図 3.4文 化 省 組 織 図4 Ministry of Bahrain, http://www.moc.gov.bh/ を 参 照 のこと。11


3 バハレーンの 文 化 遺 産 保 護 体 制3–4. その 他・ 文 化 遺 産 保 護 の 国 際 協 力 状 況バハレーンの 文 化 遺 産 保 護 に 関 しては、 前 述 したように、イギリス、フランス、デンマーク、 日 本 などが 協 力 してきた。 今 回 の 調 査 では 海 外 隊 の 作 業 現 場 などは 見 学 することができず、また 意 見 の 聞 き 取 りも 実 施 出 来 なかった。一 方 で、 単 独 で 活 動 する 建 築 学 や 博 物 館 学 分 野 の 外 国 人 専 門 家 (コンサルタント)の 意 見 の 聞 き 取 りを 行 うことができた。その 中 で 明 らかになったことは、バハレーンは、 専 門 知 識 を 海 外 から 積 極 的 に 受 け 入 れる 体 制 があることである。日 本 からの 国 際 協 力 全 般 としては2008 年 度 までに 無 償 資 金 協 力 6100 万 円 ( 総 額 )、 技 術 協 力 13.64 億 円 ( 総 額 。内 訳 として、 研 修 員 受 入 241 人 、 専 門 家 派 遣 30 人 、 調 査 団 派 遣 5 人 、 機 材 供 与 52 億 5600 万 円 )を 行 ってきた。2005年 には、バハレーンの 経 済 レベルを 鑑 み、ODA 受 け 取 り 国 としての 立 場 を 卒 業 することが 決 定 され、2009 年 以 降 はODAを 供 与 していない 5 。・ 人 材 育 成 ( 教 育 機 関 )バハレーンでは 義 務 教 育 が 無 償 のため、 識 字 率 も88.8%と 高 い。しかし 国 内 では 大 学 などの 高 等 教 育 の 場 は 限 られているため、 大 学 院 に 留 学 する 場 合 は、 他 国 とくにアラビア 語 圏 であるエジプトなどに 留 学 するようである。 調査 で 訪 れた 文 化 遺 産 修 復 の 現 場 でも、 作 業 は 海 外 (とくにインド)からの 労 働 者 が 担 っており、 少 し 高 度 な 作 業 や 現場 監 督 は 海 外 からのコンサルタントが 担 うという 状 況 が 確 認 された。・インベントリーインベントリーに 関 しては 電 子 化 していないものの、 紙 ベースでは 存 在 するということが 聞 き 取 りで 明 らかになった。 現 物 は 確 認 していないが、 現 在 登 録 されている 文 化 遺 産 は170 件 近 いとのことである。・ステークホルダー文 化 省 が 一 元 化 して 文 化 遺 産 を 保 護 管 理 しており、 保 護 行 政 の 仕 組 みとしては 分 かりやすいと 言 える。 外 国 からのコンサルタントや 海 外 からの 発 掘 隊 なども 文 化 省 を 通 して 活 動 を 行 っており、 省 内 の 情 報 共 有 や 調 整 業 務 も 円 滑に 行 われているように 思 えた。 民 間 団 体 としては、 文 化 大 臣 が 代 表 者 を 務 めるシャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ 文 化 研 究 センターが 挙 げられるが、ほかの 団 体 については 確 認 できなかった。その他 、 地 元 住 民 や 遺 跡 保 存 による 受 益 者 がバハレーン 国 内 の 文 化 遺 産 保 護 にどのように 関 わっているかについては 今回 の 調 査 では 明 らかにならなかった。5 外 務 省 , http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/kuni/09_databook/pdfs/04-12.pdf を 参 照 のこと。12


4. バハレーンの 文 化 遺 産ここでは、 今 回 の 調 査 で 訪 れた 遺 跡 について 紹 介 する。バハレーンの 文 化 遺 産 はこれらに 限 ったものではないが、先 に 述 べたように 文 化 省 側 との 事 前 調 整 の 中 で 協 力 依 頼 対 象 となる 文 化 遺 産 をあらかじめ 指 定 するように 依 頼 し、調 査 では 指 定 された 遺 跡 を 中 心 に 回 った。 各 遺 跡 とも、 概 略 ( 位 置 、 大 きさ、 年 代 )、 調 査 史 、 詳 細 、 歴 史 的 意 義 、 遺跡 の 現 状 ( 保 存 修 復 や 現 在 の 支 援 状 況 なども 含 む)および 今 後 の 課 題 ( 日 本 が 協 力 できる 面 あるいはバハレーン 側の 要 望 )を 中 心 に 説 明 する。なお、ディルムン 期 およびタイロス 期 の 遺 跡 、イスラーム 期 の 遺 跡 、 博 物 館 、 歴 史 的 建造 物 の 順 に 紹 介 する。 各 遺 跡 の 所 在 地 はすでに 提 示 されている 図 2を 参 考 にされたい。13


4 バハレーンの 文 化 遺 産ハマド・タウン 古 墳 群Hamad Town Burial Moundsウンム・ジドル 古 墳 群 の 北 に 位 置 する 古 墳 群 であり、ダール・クレイブ 古 墳 群 、カルザッカン 古 墳 群 、ブーリー古 墳 群 の3ヶ 所 から 成 る。 古 墳 の 総 数 は、 数 千 基 を 数 える。この 古 墳 群 は1980 年 代 に 建 設 が 始 まった 現 在 のハマド・タウンに 囲 まれているため、 総 称 としてハマド・タウン 古 墳 群 と 呼 称 されている。これら3ヶ 所 の 古 墳 群 は 後 期 タイプの 古 墳 を 中 心 に、 限 られた 範 囲 の 中 に 非 常 に 密 度 濃 く 密 集 して 形 成 されている。ディルムン 時 代 の 後 に 続 く 紀元 前 200 年 ~ 紀 元 後 700 年 のタイロス 時 代 にも 墳 丘 墓 がつくられたため、あらゆる 時 期 の 古 墳 が 混 在 する。この 地 域 の 古 墳 のうち 後 期 タイプ( 紀 元 前 2050 年 ~1600 年 )の 墳 丘 は 土 砂 で 円 錐 状 に 盛 り 上 げられ、 裾 部 に 巡る 外 護 列 石 (ring wall)は 直 立 に 積 み 上 げられ、ドラム 状 の 墳 丘 になる。 墳 丘 には 石 室 が 設 けられ、 天 井 石 が 横 架 されている。 被 葬 者 に 伴 う 副 葬 品 は、 日 常 生 活 用 の 土 器 類 、 食 物 、 飲 料 用 駝 鳥 の 卵 の 殻 、 装 身 具 などがあり、 後 半 には印 章 も 副 葬 されるようになる。これらの 副 葬 品 にはメソポタミアやインダス 地 域 の 品 々も 多 く 含 まれ、その 交 流 がうかがい 知 れる。タイロス 時 代 は、5 期 に 分 けられている。I 期 は 紀 元 前 200 年 ~50 年 、II 期 は 紀 元 前 50 年 ~ 紀 元 後 50 年 、III 期 は 紀元 後 50 年 ~150 年 、IV 期 は 紀 元 後 150 年 ~450 年 、V 期 は 紀 元 後 450 年 ~700 年 である。 古 墳 は、ディルムン 時 代 と同 様 に 墳 丘 裾 に 外 護 列 石 が 巡 らされ、その 内 部 にはI・II 期 は 遺 体 よりやや 大 きめの 方 形 の 箱 式 棺 が 小 規 模 な 墳 丘 に設 けられている。III 期 には 複 数 の 漆 喰 で 固 められた 塗 り 固 めた 棺 が 一 墳 丘 に 認 められる。IV 期 には 漆 喰 で 固 められた 棺 もなお 存 在 するが、 漆 喰 で 塗 り 固 められた 複 数 墓 室 が 埋 葬 施 設 として 出 現 し、V 期 も 引 き 続 き 存 在 する。この 時期 の 古 墳 は 墳 丘 に 複 数 の 棺 が 設 けられ、ハマド・タウン 古 墳 群 の 調 査 例 では11 基 の 古 墳 から244 基 の 埋 葬 施 設 が 検出 されている (Salman and Andersen 2009)。被 葬 者 には 土 器 類 、ガラス 器 、 骨 角 器 、テラコッタ、 装 身 具 、コイン 等 が 副 葬 される。また 墳 丘 上 や 棺 上 には 墓 石としての 人 物 の 半 身 像 が 設 置 されるものがある。ハマド・タウン 古 墳 群 の 一 部 はフェンスで 囲 まれ 保 護 されていたが、 場 所 によってはゴミが 散 乱 し、 盗 掘 の 址 も見 受 けられた。参 考 文 献Salman, M. I. and S. F. Andersen 2009 The Tylos Period Burials in Bahrain Vol. 2, The Hama Town DS3 and Shakhoura Cemeteries , Ministry of Culture &Information.14


ハマド・タウン 古 墳 群Hamad Town Burial Mounds図 4. ハマド・タウン 古 墳 群 図 5. ゴミが 放 置 された 石 棺図 6. 盗 掘 を 受 けた 古 墳 図 7. 採 石 などの 禁 止 を 呼 びかける 看 板図 8.発 掘 された 古 墳15


4 バハレーンの 文 化 遺 産アアリ 古 墳 群A'ali Burial Moundsアアリ 王 墓 の 南 側 に、 数 万 基 におよぶ 小 規 模 な 古 墳 が 築 造 されている。しかし、1960 年 ~1961 年 にかけて 石 材 ・礫 採 集 や 通 水 管 敷 設 のために 数 千 基 におよぶ 古 墳 がブルドーザーによって 破 壊 され、 消 滅 してしまった。 幸 い 僅 かではあるが、デンマーク 考 古 学 バハレーン 調 査 団 によって 緊 急 的 な 調 査 が 実 施 され、アアリ 古 墳 群 の 一 部 が 明 らかにされた(Bibby 1965; Glob 1968)。さらに 市 街 化 の 拡 大 は 止 まらず、 大 部 分 の 古 墳 は 消 滅 してしまっている。また、現 在 残 存 する 古 墳 群 も 南 北 に 走 る 高 速 道 路 によって 分 断 されている。この 高 速 道 路 建 設 にあたっての 緊 急 調 査 には日 本 隊 も 参 加 し、 調 査 を 実 施 している。一 般 的 な 古 墳 は 径 5メートル~10メートル、 高 さ2メートル~3メートルの 小 規 模 な 墓 である。 埋 葬 施 設 は、 中 央部 に 南 北 方 向 を 主 軸 とする 石 室 が 設 けられ、 石 室 端 部 に 龕 状 の 石 室 が 取 り 付 く。この 石 室 には 天 井 石 が 横 架 され、墳 丘 裾 部 には 外 護 列 石 が 巡 らされている。 墳 丘 規 模 が 小 さくなるほど、 龕 状 の 石 室 は 設 けられない 傾 向 がある。これらの 古 墳 は 王 墓 と 同 じく 後 期 タイプ( 紀 元 前 2050 年 ~1600 年 )でカラートゥ・ル=バハレーンII 期 に 相 当す る( H øjlund 2007)。参 考 文 献Højlund, F. 2007 The Burial Mounds of Bahrain – Social Complexity in Early Dilmun . Jutland Archaeological Society.16


アアリ 古 墳 群A'ali Burial Mounds図 9. アアリ 古 墳 群 の 衛 星 写 真 図 10. アアリ 古 墳 群 の 衛 星 写 真図 11. 1980 年 代 のアアリ 古 墳 群 図 12. アアリ 古 墳 群図 13. アアリ 古 墳 群 図 14. 住 居 建 設 によって 破 壊 される 古 墳 群17


4 バハレーンの 文 化 遺 産アアリ 王 墓A'ali Royal Moundsバハレーン 本 島 の 北 半 中 央 部 のアアリ 集 落 の 南 側 に 数 万 基 からなるアアリ 古 墳 群 が 広 がっている。この 古 墳 群 の北 端 に 巨 大 な 墳 丘 を 有 する 王 墓 と 呼 ばれる 古 墳 の 一 群 が 存 在 し、 一 般 的 な 古 墳 群 とは 一 線 を 画 している。1960 年代 、アアリ 集 落 は 南 域 に 拡 大 し、1990 年 代 には 王 墓 群 を 完 全 に 飲 み 込 んでしまった。それゆえ、 略 奪 的 な 発 掘 が 簡単 におこなわれ、スケッチ 的 な 記 録 が 残 るのみで、 科 学 的 な 出 版 物 には 程 遠 い 状 況 にある。しかしながら、これらの墓 は、アアリ 古 墳 群 の 中 で 明 らかに 重 要 な 役 割 を 担 うことから、 過 去 の 出 版 物 や 現 状 の 資 料 を 掻 き 集 め、 見 直 す 作業 がC・フェルデ(Velde 1994)によって 行 われた。王 墓 と 一 般 的 な 古 墳 では 規 模 と 周 辺 空 間 の 広 がりに 大 きな 差 がある。 一 般 的 な 古 墳 は 径 5メートル~10メートル、高 さ2メートル~3メートルであり、それらが 数 千 基 接 するように 営 まれている。 王 墓 は 北 に 位 置 するほど 墳 丘 規 模は 大 きいことがF・B・プリドー(Prideaux 1912)やE・J・H・マッカイ(Mackay 1929)の 記 録 や1980 年 代 の 分布 地 図 からわかる。 一 般 的 な 古 墳 群 の 北 側 には 径 約 15メートル、 高 さ4メートル~5メートルの 古 墳 が50 基 余 り 存在 したが、ここ20 年 ~30 年 の 間 に 市 街 化 が 進 んだために、ほとんどすべて 消 滅 してしまった。これらの 古 墳 群 の 北側 には 径 約 25メートル、 高 さ 約 6メートル~8メートルの 古 墳 墓 が14 基 存 在 した。さらにその 北 側 には 径 約 30メートル~50メートル、 高 さ 約 10メートル~12メートルの 古 墳 が15 基 存 在 した(Højlund 2007)。これら29 基 余 りの中 で 現 在 、18 基 が 遺 存 している。これら 王 墓 は、 後 期 タイプ( 紀 元 前 2050 年 ~1600 年 :カラートゥ・ル=バハレーン 第 II 期 )に 相 当 し、 南 西 方 向 に 主 軸 を 取 る 長 大 で 高 さを 有 する 石 室 を 内 部 主 体 とし、 墳 丘 外 面 には 石 垣 状 に 直 立 に積 み 上 げられた 外 護 列 石 が 巡 る。これらの 石 室 は2 層 からなり、 壁 龕 状 の 小 石 室 が 複 数 箇 所 設 けられている。 石 室 壁面 は 漆 喰 で 塗 り 固 められている。これらの 石 室 の 出 入 り 口 は、 横 穴 もしくは 縦 坑 のどちらかで 設 けられている。しかし、 最 近 の 王 墓 Eの 再 調 査 では 従 来 の 石 室 プランとは 異 なる2 層 2 列 の 石 室 に3 箇 所 の 側 室 が 取 り 付 くことが 判 ってきている。現 在 、アアリ 王 墓 は、 完 全 に 市 街 地 に 飲 み 込 まれてしまっている。 一 部 が 削 平 されたり、 上 に 家 屋 が 建 設 されてしまった 王 墓 も 存 在 する。 現 在 、 文 化 省 が 中 心 となり、サイト・ミュージアム 建 設 を 含 めた 史 跡 整 備 を 計 画 している。参 考 文 献Højlund, F. 2007 The Burial Mounds of Bahrain – Social Complexity in Early Dilmun . Jutland Archaeological Society.Mackay, E. J. H. 1929 The Islands of Bahrain, Bahrain and Hamamieh , British School of Archaeology in Egypt 47.Prideaux, F. B. 1912 The Sepulchal Tumuli of Bahrain. Archaeological Survey of India Annual Report 1908-09 , Calcutta.Velde, C. 1994 Die steinernen Turme. Gedanken zum Aussehen der bronzezeitlichen Graber und zur Struktur der Friedhofe auf Bahrain. IranicaAntiqua 29: 1 63-82.18


アアリ 王 墓A'ali Royal Mounds図 15. アアリ 王 墓 衛 星 写 真 図 16. アアリ 王 墓図 17. 発 掘 中 のアアリ 王 墓 図 18. 発 掘 中 のアアリ 王 墓図 19.発 掘 されたアアリ 王 墓19


4 バハレーンの 文 化 遺 産サール 集 落 遺 跡Saar Settlementサウディアラビアに 通 じるシャイフ・イーサ・ビン・サルマーン 高 速 道 路 の 北 側 に 位 置 する 初 期 ディルムン 時 代の 遺 跡 であり、 海 岸 に 位 置 する 港 湾 都 市 としてのカラートゥ・ル=バハレーンに 対 して 一 般 的 な 街 として、 市 街 地区 、 神 殿 、 北 墓 地 、 南 墓 地 から 成 っている。市 街 地 区 は、 北 バハレーンを 横 切 る 石 灰 岩 の 丘 陵 の 稜 線 状 に 位 置 するバハレーンで 唯 一 広 範 囲 に 発 掘 調 査 された初 期 ディルムンの 居 住 遺 構 であり、4000 年 前 のバハレーン 人 の 生 活 を 垣 間 見 ることのできる 場 所 である。この 遺構 は 高 速 道 路 建 設 に 伴 い1982 年 頃 に、モアウィーヤ・イブラーヒームなどによる 墓 地 の 発 掘 調 査 において 神 殿 やほかの 建 物 跡 の 一 部 が 検 出 、1983 年 と1985 年 には、フセイン・カンディルなどによって 試 掘 調 査 が 実 施 され、 初期 ディルムン 時 代 の 居 住 地 の 存 在 が 明 らかになった。それを 知 ったロンドン―バハレーン 考 古 学 調 査 団 のロバート・キリックとジェーン・ムーンは1990 年 3 月 から1999 年 5 月 までの 約 10 年 間 、 市 街 地 区 と 神 殿 の 調 査 を 実 施 した(MacLean and Insoll 2011)。初 期 ディルムン 居 住 地 は、 主 要 街 路 、 家 が 建 ち 並 ぶ 居 住 区 と 神 殿 から 成 る。 主 要 街 路 は 全 長 およそ200メートル、幅 5メートル、 北 西 から 南 東 方 向 に 延 び、 数 本 の 小 路 がそこに 繋 がっている。 基 本 的 には 街 は 街 路 により 矩 形 を 呈 している。 現 在 まで80 軒 余 りの 住 居 が 発 掘 されているが、 約 200 軒 が 存 在 したと 考 えられている。 現 在 、 遺 跡 で 見 られる 遺 構 は1~3 期 に 分 けられる 最 後 の3 期 にあたる。すべての 家 は 壁 を 共 有 し、 入 口 は 道 路 から 続 く 通 路 に 取 り 付いている。 家 の 壁 は 粗 い 石 灰 岩 のブロックを 積 み 上 げ、 最 終 的 には 漆 喰 を 塗 り 仕 上 げられていたようである。 家 は基 本 的 に 一 階 建 てでヤシの 木 を 垂 木 にし、ヤシの 葉 を 葺 いていたと 考 えられている。神 殿 は、 居 住 域 の 中 央 北 寄 りの 最 も 高 所 の 主 要 街 路 との 交 差 点 の 西 北 に 位 置 している。この 神 殿 はこの 地 区 の 家と 異 なるばかりでなく、ほかのディルムン 期 の 建 造 物 とも 異 なるユニークな 構 造 を 持 つ 建 造 物 である。この 神 殿 の平 面 は 不 定 形 な 台 形 を 呈 し、 西 隅 の 外 壁 には 奇 妙 な 膨 らみが 認 められる。 建 物 内 はあまり 広 くなく、 神 官 を 含 めてさほど 多 くの 人 々がこの 空 間 に 入 れたわけではないと 考 えられている。 神 殿 内 部 には 空 間 中 央 の 主 軸 に 沿 って2 本の 角 柱 と1 本 の 円 柱 が 棟 を 支 える。 神 殿 の 入 口 は 東 隅 、 主 要 街 路 に 面 している。神 殿 内 部 では 儀 式 が 挙 行 されたが、 南 バビロニアの 影 響 を 受 けた「 月 」を 意 識 した 三 日 月 形 をした 祭 壇 が 設 けられている。遺 跡 には、 観 光 客 用 にパスが 整 備 され、 遺 跡 を 説 明 する 看 板 が 立 てられているが、 老 朽 化 が 目 立 つ。 現 在 、 文 化 省が 中 心 となり、 新 たにサイト・ミュージアムを 建 設 することを 計 画 している。参 考 文 献Højlund, F. 2007 The Burial Mounds of Bahrain – Social Complexity in Early Dilmun . Jutland Archaeological Society.MacLean, R. and T. Insoll 2011 An Archaeological Guide to Bahrain . Oxford, Archaeopress.20


サール 集 落 遺 跡Saar Settlement図 20. 主 要 街 路 図 21. 居 住 遺 構図 22. 神 殿 遺 構 図 23. 遺 跡 の 案 内 板図 24. 壊 れた 標 識 図 25. 市 街 地 区21


4 バハレーンの 文 化 遺 産サール 墓 地 遺 跡Saar Cemetary1954 年 、デンマーク 隊 によって 居 住 区 と 墓 の 土 器 の 比 較 を 目 的 としてサールの 墳 丘 墓 の 発 掘 調 査 がなされた(Bibby 1954; Glob 1968; Bibby 1996)。 調 査 はジャナビーヤとサールの 間 に 存 在 する 墳 丘 墓 が 選 ばれた。この 地 域には1959 年 に 撮 影 された 航 空 写 真 から12,561 基 のディルムン 後 期 タイプの 墳 丘 墓 が 数 え 上 げられ、1980 年 にモアウィーヤ・イブラーヒームは15,000 基 以 上 の 古 墳 が 存 在 すると 見 積 もった。しかしながら1990 年 代 にはアアリ 古墳 群 と 同 様 、 市 街 化 の 波 によりほとんどの 古 墳 は 消 滅 していった。だが、なお 現 在 、 北 墓 地 と 南 墓 地 と 名 付 けられ、よく 保 存 された 古 墳 群 として 遺 存 している。北 墓 地 の 埋 葬 施 設 は 中 央 部 に 石 室 が 設 けられ、 石 室 端 部 に 龕 状 の 石 室 が 取 り 付 く。この 石 室 には 天 井 石 が 横 架 されている。 墳 丘 裾 部 には 直 立 した 石 垣 状 の 外 護 列 石 を 巡 らせている。 墳 丘 規 模 が 小 さくなるほど、 龕 状 の 石 室 が 設けられない 傾 向 がある。 石 室 は 竪 穴 石 室 、 横 穴 石 室 、 縦 穴 石 室 の3 種 類 から 成 り、 墳 丘 規 模 が 大 きいほど 横 穴 もしくは 縦 穴 石 室 が 採 用 され、マウンド514のように2 層 になる 石 室 も 存 在 する(Højlund 2007)。1992 年 にはロンドン―バハレーン 調 査 団 によって 石 室 が 復 原 され、 往 時 の 墳 丘 墓 の 様 子 を 伺 うことができる(MacLean and Insoll 2011)。また、サールの 市 街 地 の 南 側 に 位 置 する 南 墓 地 もしくは 蜂 の 巣 状 墓 地 と 呼 ばれる 集 合 墓 は、サウディアラビアに通 じるシャイフ・イーサ・ビン・サルマーン 高 速 道 路 の 建 設 に 伴 う 発 掘 調 査 によって 検 出 された。この 発 掘 調 査 はアラブ 諸 国 から 考 古 学 研 究 者 が 集 い 実 施 された。この 墓 地 は、 名 前 のごとく 小 規 模 な 墓 の 集 合 体 であり、 新 たな 石室 を 設 けるごとに、 小 さな 石 室 を 取 り 囲 む 外 護 列 石 を 細 胞 の 増 殖 のように 次 々と 繋 いで 墓 を 造 っている。1 基 の 墓に 数 基 の 外 護 列 石 が 取 り 付 くことも 稀 ではない。 埋 葬 施 設 である 石 室 は、 平 均 的 には 全 長 約 180センチメートル、幅 約 90センチメートル、 高 さ 約 90センチメートルで 一 方 の 小 口 が 外 護 列 石 に 取 り 付 く。参 考 文 献Højlund, F. 2007 The Burial Mounds of Bahrain – Social Complexity in Early Dilmun . Jutland Archaeological Society.MacLean, R. and T. Insoll 2011 An Archaeological Guide to Bahrain . Oxford, Archaeopress.22


サール 墓 地 遺 跡Saar Cemetary図 26. サール 墓 地 遺 跡 南 墓 地 図 27. サール 墓 地 遺 跡 南 墓 地図 28.サール 墓 地 遺 跡 南 墓 地 石 室23


4 バハレーンの 文 化 遺 産ジャナビーヤ 古 墳 群Janabiya Burial Moundsバハレーン 本 島 北 東 部 の 丘 陵 に 広 がる 大 規 模 な 古 墳 群 で、サール 村 とジャナビーヤ 村 の 間 にある。 多 くの 古 墳 は初 期 ディルムン 時 代 のものだが、 一 部 は 中 期 ディルムン 時 代 に 属 している。 従 来 、 東 のサール 古 墳 群 と 西 のジャナビーヤ 古 墳 群 という2つの 古 墳 群 として 扱 われていたが、 事 実 上 は1つの 大 古 墳 群 を 形 成 しており、 厳 密 に2つに 分けて 考 える 理 由 は 乏 しいと 思 われる。1954 年 に、ペーテル・V・グロブの 指 揮 するデンマークの 考 古 学 調 査 隊 が 発掘 調 査 したサール 古 墳 群 の2 基 (513、514 号 墳 )は、もし2つの 古 墳 群 を 区 別 するのであれば、ジャナビーヤ 古 墳 群に 属 している。1980 年 頃 における 古 墳 の 総 数 を、ヤルムーク 大 学 のモアウィーヤ・イブラーヒームは15,000 基 余 りと 推 定 したが、 近 年 、デンマーク 隊 は1959 年 撮 影 の 航 空 写 真 を 分 析 して、 当 時 存 在 した 初 期 ディルムン 時 代 の 古 墳 を12561 基と 数 えた。この 古 墳 群 の 最 初 の 大 規 模 発 掘 調 査 は1977 年 ~1979 年 に、モアウィーヤ・イブラーヒームが 指 揮 するアラブ 合同 発 掘 調 査 隊 によって 実 施 された。これはバハレーン=サウディアラビアを 結 ぶコーズウェイ 高 速 道 路 の 接 続 道 路の 建 設 予 定 地 における 事 前 調 査 で、 高 塚 式 古 墳 61 基 と 複 合 古 墳 群 1 群 が 発 掘 された。大 小 の 古 墳 は 単 独 にも 存 在 するが、 既 存 の 古 墳 の 外 側 に 別 の 古 墳 を 新 たに 添 加 し、 全 体 として 複 数 の 古 墳 が 結 合したグループをなす 場 合 もある。 複 合 古 墳 群 は 数 百 の 比 較 的 小 型 の 古 墳 が 次 々に 添 加 されて 形 成 された 広 大 なグループである。アラブ 合 同 発 掘 調 査 隊 は 複 合 古 墳 群 を 完 掘 しなかったため、1980 年 ~1982 年 に、バハレーン 考 古 局 の 依 頼 により、パキスタンのM・R・ムガルが 未 発 掘 の「D 地 区 」を 完 掘 した。 同 区 は 複 合 古 墳 群 全 体 の 約 4 分 の1で、 全 体 または 一 部 を 外 壁 で 囲 われた153 基 の 古 墳 が 一 体 となっていた。それぞれ1 人 用 の 埋 葬 用 石 室 を1 室 持 つものが 圧 倒 的 に多 いが、2 室 ~4 室 持 つものも 少 数 あり、 発 掘 された 石 室 は 計 178 室 であった。 後 者 は 中 期 ディルムン 時 代 のものである。これらの 発 掘 は 高 度 経 済 成 長 を 経 た 国 のほとんどが 通 る 道 である。バハレーンでは90 年 代 まで 開 発 のための 埋 蔵文 化 財 の 事 前 調 査 が 多 数 続 いた。サール・ジャナビーヤ 古 墳 群 では、 都 市 開 発 の 進 展 に 伴 い、バハレーン 政 府 考 古局 が 相 当 数 の 古 墳 を 発 掘 調 査 した。その 一 部 は 発 掘 終 了 時 の 状 態 で 保 存 されており、 今 後 の 調 査 、 研 究 への 活 用 が期 待 される。 石 積 みの 垂 直 な 外 壁 がよく 遺 されているものは、ディルムンの 古 墳 が「 土 饅 頭 」ではなく、 円 筒 形 の 石造 建 築 物 であったことを 物 語 っている。また 墳 丘 半 截 状 態 を 留 めるものは、その 経 年 変 化 を 学 ぶ 好 材 料 である。現 在 、 遺 跡 の 周 囲 にはフェンスが 張 られ、 保 護 されている。また、 盗 掘 や 砂 利 採 取 を 禁 止 する 看 板 が 立 てられている。参 考 文 献Crawford, H. and M. 2000 Traces of Paradise: The Archaeology of Bahrain, 2500 BC-300 AD. The Dilmun Committee, London.Højlund, F. 2007 The Burial Mounds of Bahrain – Social Complexity in Early Dilmun. Jutland Archaeological Society.Ibrahim, Moawiyah 1982 Excavations of the Arab Expedition at Sār el-Jisr , Bahrain. Ministry of Information, Bahrain.MacLean, R. and T. Insoll 2011 An Archaeological Guide to Bahrain. Oxford, Archaeopress.Mughal, M. R. 1983 The Dilmun Burial Complex at Sar: The 1980-82 Excavations in Bahrain . Ministry of Information, Bahrain.24


ジャナビーヤ 古 墳 群Janabiya Burial Mounds図 29. 発 掘 された 古 墳 図 30. 発 掘 された 古 墳図 31. 発 掘 された 古 墳 図 32. ジャナビーヤ 古 墳 群25


4 バハレーンの 文 化 遺 産ウンム・ジドル 古 墳 群Umm Jidr Burial Moundsバハレーン 本 島 の 中 央 部 西 寄 りの 丘 陵 斜 面 に 広 がる 古 墳 群 であり、 古 墳 群 としては 最 も 南 に 位 置 する。この 古 墳群 は、 自 然 地 形 に 合 わせる 形 で 東 西 に 広 がりを 見 せている。 墳 丘 の 規 模 はほとんどが 径 5メートル~10メートルであり、その 数 は 数 千 基 にのぼる。この 古 墳 群 は 初 期 ディルムンタイプと 後 期 ディルムンタイプからなる。 初 期 タイプは、 紀 元 前 2300 年 ~2050 年 にあたる。 墳 丘 には 礫 混 じりの 土 砂 を 盛 り、 頂 部 は 平 坦 であり、 墳 丘 中 央 部 に 石 室 が設 けられる。 墳 丘 裾 部 には 外 護 列 石 が 巡 る。この 時 期 の 石 室 には 天 井 石 は 横 架 されていない。 後 期 タイプは、 紀 元 前2050 年 ~1600 年 にあたり、 墳 丘 は 土 砂 で 円 錐 状 に 盛 り 上 げられ、 裾 部 には 外 護 列 石 が 巡 る。 墳 丘 には 石 室 が 設 けられ、 天 井 石 が 横 架 されている。 被 葬 者 に 伴 う 副 葬 品 は、 日 常 生 活 用 の 土 器 類 、 食 物 、 飲 料 用 駝 鳥 の 卵 の 殻 、 装 身 具そして 後 期 には 印 章 も 副 葬 されるようになる。これらの 副 葬 品 にはメソポタミアやインダスの 品 々も 多 く 含 まれ、その 交 流 を 窺 い 知 ることができる。この 古 墳 群 は、ほとんど 破 壊 されることなく 遺 存 している、バハレーンでも 稀 有 な 古 墳 群 である。この 中 で1940年 にピーター・B・コーンウォールによって30 基 が 発 掘 され(Cornwall 1943、1946a、1946b)、1965 年 にはデンマーク 隊 によって 後 期 タイプのマウンド251が 調 査 された(Højlund 2007)。1979 年 にはフランス 隊 によって7 基 が発 掘 調 査 された(Cleuziou et al. 1981)。また、2006 年 にはバハレーン 国 立 博 物 館 によって 古 墳 群 の 北 西 端 部 で35 基が 緊 急 発 掘 調 査 された。古 墳 の 周 辺 には、F1サーキットとサファリ・パークがあり、これらの 施 設 を 建 設 する 際 に、 一 部 の 古 墳 が 破 壊 されてしまった。しかし、 市 街 地 から 遠 いため、 数 有 る 古 墳 群 の 中 で 最 も 保 存 状 態 の 良 い 古 墳 群 である。参 考 文 献Cleuziou, S., P. Lombard and J. F. Salles 1981 Fouilles a Umm Jidar, Bahrain . Recherche sur les grandes civilizations. Memoire 7.Cornwall, P. B. 1943 The Tumuli of Bahrein, Asia and the Americas 43, 230-234.Cornwall, P. B. 1946a On the location of Dilmun. BASOR 103, 3-11.Cornwall, P. B. 1946b Ancient Arabia: Explorations in Hasa, 1940-41. Geographical Journal 107 28-50.Højlund, F. 2007 The Burial Mounds of Bahrain – Social Complexity in Early Dilmun . Jutland Archaeological Society.26


ウンム・ジドル 古 墳 群Umm Jidr Burial Mounds図 33.ウンム・ジドル 古 墳 群27


4 バハレーンの 文 化 遺 産シャホーラ 古 墳 群Shakhura Burial Moundsバハレーン 本 島 北 部 、バールバール 神 殿 の 東 南 、ブダイヤ 通 りの 西 に 位 置 するタイロス 時 代 の 古 墳 群 である。 近くには 同 じタイロス 時 代 のジャヌサーンやアル=ハジャル 墓 地 遺 跡 が 存 在 する。この 古 墳 群 の 特 徴 は、 大 小 様 々な規 模 の 古 墳 が 存 在 し、 埋 葬 施 設 としては、 積 み 上 げられた 石 材 の 上 に 漆 喰 が 厚 く 塗 られた 箱 式 棺 や 漆 喰 で 塗 り 固められた 複 数 墓 室 が 形 作 られている。 一 つの 墳 丘 に 多 数 の 埋 葬 施 設 が 設 けられる 場 合 が 多 い。その 中 でマウンド1-1992-93には188 基 の 棺 が 設 けられ、マウンド B2には300 基 以 上 の 棺 が 設 けられていた(Salman and Andersen2009)。 副 葬 品 としては 土 器 類 、ガラス 器 、 骨 角 器 、テラコッタ、 装 身 具 、コインなどがある。また 墳 丘 上 や 棺 上 には 墓 石 としての 人 物 の 半 身 像 が 設 置 されるものがある。このシャホーラは、 現 在 発 見 されているタイロス 時 代 の 墓地 の 中 では 最 大 である。この 古 墳 群 の 保 護 状 況 は、 非 常 に 悪 い。 削 平 され、 石 室 が 地 上 に 露 出 し、 人 骨 が 地 表 に 散 乱 している 古 墳 まで 存 在する。参 考 文 献Salman, M. I. and S. F. Andersen 2009 The Tylos Period Burials in Bahrain Vol. 2, The Hama Town DS3 and Shakhoura Cemeteries , Ministry of Culture &Information.ジャヌサーン 古 墳 群Jannusan Burial Moundsバールバール 神 殿 の 東 側 の 緑 豊 かな 住 宅 街 の 中 に 存 在 する 古 墳 群 である。 巨 大 な8 基 の 古 墳 が 東 西 一 列 に 並 ぶように 築 造 され、 高 さ10mを 超 える 墳 丘 も 存 在 する。この 古 墳 群 はタイロス 時 代 のものと 考 えられ、 東 から 三 番 目 の古 墳 にはタイロス 時 代 の 特 徴 と 言 える 漆 喰 で 固 められた 墓 室 が 現 在 でも 一 部 露 呈 している。遺 跡 はフェンスで 囲 まれ、 盗 掘 、 砂 利 採 取 を 禁 止 する 看 板 が 立 てられ、 保 護 されている。しかし、 遺 跡 には 大 量 のゴミが 不 法 投 棄 され、 石 室 の 建 材 が 持 ち 去 られるなど、 保 護 状 況 は 芳 しくない。28


シャホーラ 古 墳 群Shakhura Burial Moundsジャヌサーン 古 墳 群Jannusan Burial Mounds図 34. 石 材 の 採 取 によって 破 壊 された 古 墳 図 35. 地 表 に 剥 き 出 しとなった 石 室図 36. ジャヌサーン 古 墳 群 図 37. ジャヌサーン 古 墳 群29


4 バハレーンの 文 化 遺 産アル=ハジャル 墓 地 遺 跡Al-Hajar Cemetaryシャホーラの 南 、ブダイヤ 高 速 道 路 の 西 に 位 置 する。 岩 盤 を 刳 り 抜 き、 長 方 形 の 堅 穴 を 数 石 の 天 井 石 で 覆 い、 埋 葬施 設 を 形 作 っている。しかし、 墳 丘 を 示 す 盛 土 は 認 められていない。 約 150 基 余 りが 確 認 され、 古 い 墓 は 初 期 ディルムン 時 代 にあたるが、ほとんどの 墓 は 中 期 ・ 後 期 ディルムン 時 代 に 再 使 用 もしくは 再 構 築 されている。さらにこの墓 地 には 多 くのタイロス 時 代 の 古 墳 が 存 在 する。遺 跡 は、 保 護 のためフェンスで 囲 まれているが、 遺 跡 内 には、 大 量 のゴミが 散 乱 している。ムカバ 古 墳 群Muqaba Burial Moundsシャホーラの 北 、ブダイヤ 高 速 道 路 の 西 に 位 置 する。 現 況 では 低 く 大 きなマウンドが 存 在 する。タイロス 時 代 に相 当 すると 思 われる。遺 跡 はフェンスで 囲 まれていたが、 多 くのゴミが 不 法 投 棄 されている。アル=マクシャ 古 墳 群Al-Maqsha Burial Moundsブダイヤ 高 速 道 路 の 東 側 に 位 置 するタイロス 時 代 の 古 墳 である。この 墓 にはこの 時 期 に 特 徴 的 な 漆 喰 で 塗 り 固 められた 棺 数 基 が 埋 葬 施 設 として 採 用 され、 現 状 でも 調 査 された 古 墳 がそのまま 遺 存 しており、 埋 葬 施 設 と 外 護 列 石を 見 ることができる。遺 跡 はとくに 保 護 対 策 がされておらず、 石 室 も 壊 れ、ゴミが 散 乱 している。30


アル=ハジャル 墓 地 遺 跡Al-Hajar Cemetaryムカバ 古 墳 群Muqaba Burial Moundsアル=マクシャ 古 墳 群Al-Maqsha Burial Mounds図 38. アル=ハジャル 古 墳 群 図 39. アル=ハジャル 古 墳 群図 40. ムカバ 古 墳 群 図 41. ムカバ 古 墳 群図 42. アル=マクシャ 古 墳 群 図 43. アル=マクシャ 古 墳 群31


4 バハレーンの 文 化 遺 産カラートゥ・ル=バハレーンQal'at al-Bahrainカラートゥ・ル=バハレーンは、バハレーンの 首 都 マナーマから 西 へ 約 5キロメートル、バハレーン 島 北 海 岸 に面 する 遺 丘 である。 遺 丘 の 高 さは12メートル、 大 きさは300メートル×600メートル 程 度 で、 紀 元 前 2200 年 から 紀元 後 16 世 紀 にかけて 連 綿 と 居 住 された 遺 跡 である。カラートゥ・ル=バハレーンではじめて 発 掘 調 査 を 実 施 したのはデンマーク 隊 である。 彼 らは、1954 年 から1978 年 にかけて、 毎 年 この 遺 丘 の 発 掘 調 査 を 実 施 した。1977 年 にはフランス 隊 が 発 掘 調 査 に 参 入 し、 現 在 まで 継続 して 発 掘 調 査 を 行 なっている。カラートゥ・ル=バハレーンの 最 下 層 からは、 紀 元 前 2200 年 に 遡 る 城 壁 集 落 が 発 掘 されている。 紀 元 前 3 千 年 紀前 半 頃 から、 古 代 メソポタミアの 文 献 史 料 に、ディルムンという 地 名 が 登 場 するようになる。このディルムンに 比定 されているのが、バハレーン 島 である。メソポタミアの 文 献 研 究 からは、ディルムンの 商 人 が、ペルシア 湾 を 舞 台にした 海 上 貿 易 で 活 躍 し、 銅 や 金 、 銀 、ラピス・ラズリ、 紅 玉 髄 など 様 々な 商 品 をメソポタミアに 運 びこんでいたことが 明 らかにされている。このことを 裏 付 けるかのように、カラートゥ・ル=バハレーンからも、 商 業 取 引 きで 用いたメソポタミアやインダス 式 の 印 章 や 分 銅 、メソポタミアやイラン 産 の 土 器 などが 出 土 している。カラートゥ・ル=バハレーンは、その 後 も、 紀 元 前 2 千 年 紀 、 紀 元 前 1 千 年 紀 を 通 じて 居 住 された。 現 在 、 遺 跡 を覆 っているものはポルトガル 砦 である。バハレーンはペルシア 湾 の 海 上 交 通 の 要 所 にあるため、とくに16 世 紀 、ペルシア 湾 の 海 上 交 易 を 抑 えるため、ポルトガルやイラン、オスマン 帝 国 がバハレーン 島 をめぐり 激 しく 戦 闘 を 繰 り返 した。その 攻 防 の 舞 台 となったのが、このポルトガル 砦 である。ポルトガル 人 が、 現 在 見 られる 姿 にこの 砦 を 改 築したのは、1561 年 のことであった。このカラートゥ・ル=バハレーンは、 遺 跡 の 持 つ 顕 著 かつ 普 遍 的 な 価 値 が 認 められ、バハレーン 初 の 世 界 遺 産 として、2005 年 にUNESCO 世 界 遺 産 に 登 録 された。 現 在 は、ポルトガル 砦 を 中 心 に 復 元 ・ 修 復 が 進 み、ツーリスト 用のパスや 音 声 ガイドも 整 備 されている。また、2008 年 には、 遺 跡 のすぐ 脇 にサイト・ミュージアムが 建 設 されている(カラートゥ・ル=バハレーン 博 物 館 の 頁 参 照 )。カラートゥ・ル=バハレーンに 対 する 協 力 に 関 しては、 具 体 的 にバハレーン 側 から2つの 提 案 事 項 があった。1つ 目 は、 遺 跡 のバッファゾーン 内 の 考 古 学 分 布 調 査 である。カラートゥ・ル=バハレーンはナツメヤシ 畑 によって 囲 まれている。このナツメヤシ 畑 は、 遺 跡 の 景 観 を 守 るために、バッファゾーンとして 保 護 されている。しかし、現 在 、バッファゾーン 内 からもイスラム 期 の 邸 宅 址 などの 遺 構 が 発 見 され、 発 掘 調 査 が 行 われている。バッファゾーンは 将 来 的 に、 市 街 地 の 発 達 に 巻 き 込 まれる 可 能 性 があるため、 日 本 側 にバッファゾーン 内 の 分 布 調 査 を 依 頼 してきた。2つ 目 は、ポルトガル 砦 内 にあるキャプテンタワーと 呼 ばれる 遺 構 の 発 掘 ・ 修 復 を 行 って 欲 しいという 要 請である。この 遺 構 は、 砦 の 中 心 に 位 置 する2 階 立 ての 遺 構 である。 遺 跡 の 整 備 のためにも 是 非 、 発 掘 ・ 修 復 をして 欲しいとの 依 頼 であった。参 考 文 献MacLean, R. and T. Insoll 2011 An Archaeological Guide to Bahrain . Oxford, Archaeopress.32


カラートゥ・ル=バハレーンQal'at al-Bahrain図 44. カラートゥ・ル=バハレーンの 衛 星 写 真 図 45. ポルトガル 砦図 46. イスラーム 期 の 遺 構 図 47. ポルトガル 砦 内 のキャプテンタワー図 48. バッファゾーン 内 で 確 認 されたイスラーム 期 の 邸 宅 址 図 49. 1980 年 代 のポルトガル 砦33


4 バハレーンの 文 化 遺 産バールバール 神 殿Barbar Templeバハレーン 本 島 の 北 西 海 岸 に 近 いバールバール 村 の 南 郊 にあるバールバール 文 明 ( 初 期 ディルムン)の 神 殿 遺 跡である。1954 年 にP・V・グロブによって 発 見 され、1961 年 ~1962 年 までデンマーク 考 古 学 調 査 隊 によって8 次 にわたる 発 掘 調 査 が 実 施 された。さらにその 後 生 じた 疑 問 点 を 解 消 すべく、1970 年 、1983 年 、2004 年 に 追 加 発 掘 が行 われた。発 掘 前 の 遺 跡 は10メートル~20メートル 離 れた 大 小 2つの 遺 丘 であったが、 発 掘 により、 切 り 石 積 みの 基 壇 からなる2つの 建 造 物 ( 主 神 殿 と 北 東 神 殿 )が 姿 を 現 わした。 大 きい 丘 で 発 見 された 主 神 殿 には 第 Ⅰ 期 ~ 第 Ⅲ 期 があり、出 土 土 器 の 研 究 によれば、いずれもカラートゥ・ル=バハレーンの 第 Ⅱ 期 に 並 行 し、 北 東 神 殿 は 主 神 殿 の 第 Ⅲ 期 に近 い 時 期 とされる。第 Ⅰ 期 と 第 Ⅱ 期 は 径 50メートル~60メートルほどの 楕 円 形 の 基 壇 ( 下 壇 )の 上 に 一 辺 25メートルほどの 方 形 の基 壇 ( 上 壇 )を 載 せたもので、 井 戸 、「 水 槽 」とそれに 達 する 階 段 、 楕 円 形 の 囲 繞 地 など 様 々な 付 帯 設 備 を 伴 っていた。第 Ⅱ 期 の 神 殿 の 上 壇 には、ダブル 式 の 円 形 供 物 台 が 設 置 されていた。 第 Ⅲ 期 は 一 辺 約 40メートルの 方 形 基 壇 だが、保 存 が 悪 いため、 井 戸 が 付 設 される 以 外 、 詳 細 は 不 明 である。この 遺 跡 の 出 土 遺 物 として 青 銅 製 の 雄 牛 の 頭 があり、バハレーンの 考 古 学 を 象 徴 しているが、ほかにも 銅 または青 銅 製 の 器 物 が 数 多 く 出 土 している。 雪 花 石 膏 および 方 解 石 製 容 器 、「ディルムン 式 」のスタンプ 印 章 とその 捺 痕 のある 土 製 トークンも 相 当 数 出 土 している。 後 者 のいくつかにはサール 集 落 遺 跡 出 土 品 と 共 通 の 印 章 が 捺 されている。北 東 神 殿 は 主 神 殿 第 Ⅲ 期 の 方 形 基 壇 から 約 20メートル 離 れた 位 置 で 発 見 された、 一 辺 24メートルほどの 方 形 の基 壇 であるが、 現 在 では、それはより 大 きな 下 壇 の 上 に 構 築 された 上 壇 であると 考 えられている。 上 壇 には 建 物 の痕 跡 は 残 存 しないが、 中 央 部 で 地 下 へ 続 く 階 段 が 発 見 された。 階 段 の 先 には 井 戸 部 屋 があり、 給 水 路 が2 本 設 置 されていた。 独 立 した 神 殿 というよりは、 第 Ⅲ 期 の 主 神 殿 に 付 属 する「 水 槽 」である 可 能 性 が 指 摘 されている。バールバール 神 殿 遺 跡 は、 初 期 ディルムンすなわちバハレーンにおける 最 初 の 文 明 を 指 すバールバール 文 明 の 呼称 の 由 来 となった 標 準 遺 跡 であり、 最 大 の 神 殿 遺 跡 として 知 られている。その 祭 神 は 明 らかに 地 下 の 淡 水 に 住 む 水神 であり、メソポタミア 神 話 のエアまたはエンキに 相 当 する。現 在 この 遺 跡 の 主 神 殿 は 修 復 され、 整 備 された 歩 道 から 第 Ⅱ 期 の 神 殿 の 遺 構 を 見 学 する 来 訪 者 が 絶 えない。ただ、北 東 神 殿 は 埋 め 戻 され、 目 にすることはできない。また、 文 化 省 が 中 心 となって、 新 たに 遺 跡 脇 にサイト・ミュージアムを 建 設 する 計 画 を 進 めている。参 考 文 献Andersen, H. H. and F. Højlund 2003 The Barbar Temples, Vols. 1 & 2 . Jutland Archaeological Society Publications Vol. 48, Højbjerg.Højlund, F. et al. 2005 New Excavations at the Barbar Temple, Bahrain. AAE 16: 2, 105-128.Andersen, H. H. 1985/1986 The Barbar Temple Re-excavated. Dilmun: Journal of the Bahrain Historical and Archaeological Society , No. 13, 53-60.Andersen, H. H. 1986 The Barbar Temple: Stratigraphy, Architecture and Interpretation. Bahrain through the ages: the archaeology . Al-Khalifa & Rice ed.,166-177.Mortensen, P. 1986 The Barbar Temple: Its Chronology and Foreign Relations Reconsidered. Bahrain Through the Ages: the Archaeology . Al-Khalifa &Rice ed. 178-185.Doe, B. 1986 The Barbar Temple: the Masonry. Bahrain through the Ages: the Archaeology . Al-Khalifa & Rice ed. 186-191.34


バールバール 神 殿Barbar Temple図 50. バールバール 神 殿 のプラン 図 51. バールバール 神 殿 内 の 井 戸 と 水 槽図 52. バールバール 神 殿 内 の 立 石 図 53. バールバール 神 殿 内 の 囲 繞 地図 54. バールバール 神 殿 の 案 内 板 図 55. バールバール 神 殿 から 出 土 した 青 銅 製 雄 牛 像35


4 バハレーンの 文 化 遺 産ディラーズ 神 殿Diraz Templeディラーズ 東 遺 跡 とも 呼 ばれる。 現 在 のディラーズ 村 の 東 にあり、ブダイヤ 高 速 道 路 の 北 に 面 している。 本 来 はここに 相 当 規 模 の 集 落 があったと 思 われるが、 大 半 は 開 発 によって 失 われ、 発 掘 された 部 分 を 含 む1000 平 方 メートル 余 りが 辛 うじて 遺 されている。1983 年 にマイケル・ロウフらの 英 国 隊 によって 発 掘 され、 初 期 ディルムン 時 代 の神 殿 跡 であることがわかったが、 詳 細 は 未 報 告 である。この 遺 跡 の 遺 構 は 石 積 みによって 造 られ、 部 分 的 に 漆 喰 が 使 用 されていた。 外 寸 の 一 辺 約 5.5メートルの 小 さな 内陣 があり、 西 側 に 出 入 口 がある。 東 側 にはいくつかの 小 部 屋 が 付 属 している。 内 陣 の 西 と 北 側 に9 基 の 円 柱 が 規 則的 に 並 んでいる。 出 入 り 口 の 前 に 方 形 の 台 があり、 供 物 台 と 考 えられている。 円 柱 群 は 屋 内 で 天 井 を 支 えていたと考 えられたが、 最 近 では、サール 集 落 遺 跡 の 神 殿 との 類 似 から、 屋 外 に 設 けられた 円 形 の 供 物 台 群 とする 考 え 方 もある。その 西 側 に 内 法 10メートル×3メートルほどの 長 方 形 の 部 屋 があり、 東 側 に 出 入 口 がある。この 部 屋 は 複 数の 部 屋 からなる 建 物 の 一 部 であるが、ほかの 部 屋 はほとんど 失 われている。この 神 殿 は 後 期 ディルムン 時 代 に 再 利 用 されたと 思 われ、カラートゥ・ル=バハレーンⅣ 期 の 「 蛇 埋 葬 」 に 使 用されているものと 酷 似 する 浅 鉢 が 出 土 したが、 同 様 の 奇 習 が 行 なわれた 証 拠 は 知 られていない。また 部 屋 の 一 つに、少 なくとも5 人 が 埋 葬 されていたが、それも 同 じ 時 代 とされている。この 遺 跡 があるディラーズ 村 の 郊 外 では 年 々 開 発 が 進 められ、 保 存 地 区 の 周 辺 にも 都 市 化 の 波 が 押 し 寄 せてきている。ディルムン 時 代 の 数 少 ない 神 殿 跡 の 一 つとして、この 遺 跡 は 保 存 されなければならない。 現 状 では 周 囲 に 金属 製 の 柵 を 設 けて、 立 ち 入 りを 禁 じているが、 実 際 には 隙 間 から 自 由 に 侵 入 することができる。しかし 柵 を 補 修 あるいは 新 調 しても、この 遺 跡 の 活 用 からは 程 遠 い。むしろ 遺 構 の 必 要 個 所 を 効 果 的 に 補 修 して 通 路 を 整 備 し、 見 学者 がある 程 度 内 部 に 立 ち 入 ることを 許 した 方 が、 活 用 効 果 は 高 い。 見 学 者 のための 解 説 パネルを 設 置 することも、遺 跡 が 理 解 され、 見 学 者 の 自 発 的 意 志 によって 護 られるための 効 果 的 手 段 であると 考 えられる。参 考 文 献Clarke, A. 1981 The Islands of Bahrain . The Bahrain Archaeological and Historical Society.Nayeem, M. A. 1992 Prehistory and Protohistory of the Arabian Peninsula Vol 2: Bahrain . Hyderabad Publishers, Hyderabad.Rice, M. 1994 The Archaeology of the Arabian Gulf, c. 5000-323 B.C . Routledge, London.Vine, P. 1993 Bahrain National Museum . Immel Publishing, London.36


ディラーズ 神 殿Diraz Temple図 56. ディラーズ 神 殿 図 57. ディラーズ 神 殿37


4 バハレーンの 文 化 遺 産アイン・ウンム・ッ=スジュール 遺 跡Ain Umm as-Sujour Siteバハレーン 本 島 北 東 部 にあるディラーズ 村 の 東 側 、ディラーズ 神 殿 の 北 北 西 600メートルに 位 置 する 初 期 ディルムン 時 代 の 遺 跡 である。 遺 跡 は5つの 砂 の 山 に 囲 まれた 長 径 60メートルほどの 楕 円 形 の 窪 地 と、その 東 南 に 延 びる微 高 地 から 成 り、 入 念 に 加 工 された 大 きな 石 材 が 多 数 散 乱 していた。火 山 の 噴 火 口 に 似 たこの 不 思 議 な 地 形 の 形 成 にまつわる 伝 説 がある。イスラーム 時 代 の 初 期 のカリフ、アブドゥルマレク・イブン・マルワーン(685 年 ~705 年 )が、 以 前 の 多 神 教 に 戻 ってしまった 村 人 を 処 罰 するために、この地 にあったバハレーン 最 大 の 井 戸 を 埋 めたというものである。1954 年 に、ジェフリー・ビビー、P・V・グロブらデンマークの 考 古 学 調 査 隊 がこの 遺 跡 で 初 めて 小 規 模 な 発 掘を 行 い、 砂 山 の 下 から 方 形 の 井 戸 部 屋 とそれに 続 くL 字 形 の 階 段 を 発 見 した。 出 土 遺 物 の 中 で 顕 著 であったのは 頭部 を 欠 く1 対 の 石 製 動 物 像 で、またこの 遺 構 は 「 聖 なる 井 戸 」 と 呼 ばれた。1991 年 から1996 年 までに、この 遺 跡 では、 小 西 正 捷 を 隊 長 とする 日 本 の 考 古 学 調 査 隊 によって、4 次 にわたる 再調 査 が 行 なわれた。デンマーク 隊 が 発 見 した 井 戸 状 の 遺 構 (1 号 井 戸 )が 再 発 掘 され、 井 戸 部 屋 からの 排 水 路 が 発 見された。またこの 遺 構 の 隣 に、 日 本 隊 はもう 一 つのよく 似 た 遺 構 (2 号 井 戸 )を 発 見 した。1 号 井 戸 が 地 上 構 築 物 であるのに 対 し、2 号 井 戸 は、1 号 井 戸 がすでに 使 用 されなくなり、 地 面 が 相 当 高 くなった 後 、 半 地 下 式 構 築 物 として 作られたものである。この 遺 構 からは 石 製 の 供 物 台 が 出 土 しており、1 号 と 同 様 、 神 殿 の 付 属 施 設 であったと 考 えられている。日 本 隊 はまた、 巨 大 な 窪 地 とそれに 続 く 微 高 地 の 発 掘 を 行 った。 前 者 は 近 年 まで 使 用 された 農 業 用 のアルトワ 式自 噴 泉 であるが、その 始 まりは、 巨 大 な 石 造 建 築 物 すなわち2つの 井 戸 状 遺 構 が 付 属 していた 初 期 ディルムン 時 代の 神 殿 の 破 壊 と 石 材 の 盗 掘 にある。 窪 地 周 辺 の 砂 山 と 散 乱 する 石 材 はその 名 残 であった。東 南 の 微 高 地 では 初 期 ディルムン 時 代 の 終 末 かそれ 以 降 に 営 まれた 集 落 跡 が 発 見 された。この 時 代 には 神 殿 はすでに 廃 墟 化 し、 石 材 の 略 奪 が 始 まっていたと 思 われる。 住 民 たちも 盗 んだ 石 材 を 利 用 して 家 屋 を 建 てたが、それらも 大 半 は 後 世 の 盗 掘 者 によって 再 び 盗 み 去 られた。アイン・ウンム・ッ=スジュール 遺 跡 は 初 期 ディルムン 時 代 の 神 殿 跡 であるが、 廃 絶 後 早 い 時 代 から、 石 材 を 目的 とする 破 壊 が 進 み、さらに 地 下 水 を 求 めてアルトワ 式 自 噴 泉 が 掘 られた。 本 殿 は 完 全 に 消 滅 し、 付 属 施 設 であった2つの 井 戸 状 遺 構 だけが 廃 土 の 下 で 保 存 されてきた。 同 様 の 遺 構 はバールバール 神 殿 群 で2 基 知 られる「プール」であり、いずれもこれらの 神 殿 で 祭 られていたであろう 水 神 の 地 下 の 棲 家 に 通 じるものと 考 えられた。 遠 くメソポタミアの 古 代 人 はディルムンにおける 水 神 信 仰 を 聞 き、エンキやエアにまつわるディルムン 神 話 を 創 作 した。日 本 隊 の 調 査 終 了 後 、この 遺 跡 は 鉄 柵 により 完 全 に 侵 入 者 から 護 られている。とりあえずは 外 部 から 見 える 位 置に 遺 跡 の 解 説 を 掲 示 し、 将 来 の 保 存 と 活 用 について 検 討 することが 必 要 だと 考 えられる。参 考 文 献Andersen, H. A. and F. Højlund. 2003 The Well at Umm as-Sujur (Appendix 5). The Barbar Temples, Vol. 2 , 35-45.Bibby, Geoffrey. 1970 Looking for Dilmun . Collins, London.Gotoh, Takeshi. A Lost Temple of Dilmun?: Excavations at Ain Umm es-Sujur, Bahrain. Twenty Years of Bahrain Archaeology (1986-2006) . In Press.Konishi, Masatoshi A. et al. 1994 Ain Umm es-Sujur: an Interim Report 1993/4. Rikkyo Univ., Tokyo.Konishi, Masatoshi A. et al. 1995a Ain Umm es-Sujur: an Interim Report 1991/2. Rikkyo Univ., Tokyo.Konishi, Masatoshi A. et al. 1995b Ain Umm es-Sujur: an Interim Report 1994/5. Rikkyo Univ., Tokyo.38


アイン・ウンム・ッ=スジュール 遺 跡Ain Umm as-Sujour Site図 58.アイン・ウンム・ッ=スジュール 遺 跡39


4 バハレーンの 文 化 遺 産アラード・フォートArad Fortアラード・フォートは、バハレーンの 北 東 部 ムハラック 島 の 西 海 岸 に 位 置 する。バハレーンのかつての 中 心 地 ムハラックを 守 るため13 世 紀 に 建 設 されたこの 城 砦 は、バハレーンの 中 で 戦 略 上 最 も 重 要 な 城 砦 の1つであった。15世 紀 のバハレーンを 描 いた 古 地 図 などにも、この 城 砦 の 名 前 を 確 認 することができる。アラードという 名 称 は、かつてムハラック 島 がタイロス 期 にアラドゥスと 呼 ばれていたことに 由 来 する。この 城 砦 は 矩 形 のプランをし、 四 隅 に 円 形 のタワーを 持 つ。かつて、 城 砦 全 体 が 水 壕 によって 囲 まれていたことが 確 認 されている。このアラード・フォートでは、1980 年 代 に3 年 間 に 渡 り 保 存 修 復 が 行 われている。 現 在 、 城 砦 の 周 辺 は 海 浜 公 園として 整 備 され、スポーツ・センターやレジャー・センターが 立 ち 並 んでいる。アラード・フォートにも 見 学 者 、旅 行 者 用 に 駐 車 場 などが 整 備 されているが、 残 念 ながら 城 砦 の 歴 史 を 説 明 する 案 内 板 などは 一 切 設 置 されていない。現 在 バハレーン 政 府 は、この 城 砦 の 脇 に、 小 展 示 、カフェを 持 つビジター・センターを 建 設 することを 計 画 している。また 今 後 、 対 岸 のバハレーン 島 にあるバハレーン 国 立 博 物 館 とアラード・フォートを 直 接 桟 橋 で 繋 ぐことも計 画 されている。40


アラード・フォートArad Fort図 59. アラード・フォートの 衛 星 写 真 図 60. アラード・フォートの 外 観図 61. アラード・フォートの 内 部 図 62. アラード・フォートの 外 観41


4 バハレーンの 文 化 遺 産シャイフ・サルマーン・ビン・アフマド・アル=ファーティフ 砦Shaikh Salman Bin Ahmed al-Fateh Fortバハレーン 中 央 部 のリファー 地 区 にある 崖 の 上 に 建 造 された 方 形 の 城 塞 である。リファー 砦 とも 呼 ぶ。おおむね平 らな 土 地 が 多 いバハレーンの 都 市 を 見 渡 すことができるように 戦 略 的 に 建 造 されている。17 世 紀 のシャイフ・アル=ガブレイの 治 世 の 際 、シャイフ・ファハール・ビン・フハールによって 砦 として 建 造 されたのが 最 初 である。ハリーファ 家 のバハレーンの 支 配 に 際 し、シャイフ・サルマーン・ビン・アフマド・アル=ハリーファが 軍 事 的 用途 のために、1812 年 に 城 塞 の 跡 地 にこの 砦 を 建 造 した。 国 内 が 安 定 した19 世 紀 後 半 以 降 は、 居 住 地 として 利 用 された。1848 年 にシャイフ・イーサ・ビン・アリーが 生 まれたのもこの 城 塞 である。19 世 紀 のイスラームの 軍 事 要 塞 としての 様 式 を 持 ちつつ、 石 灰 、 土 、ヤシの 木 、マングローブなどの 土 地 の 素 材を 利 用 した 造 りとなっている。 天 井 部 は 通 常 土 造 であるが、 石 膏 を 上 塗 りし 彫 刻 を 施 したものもある。 四 隅 に 塔 をそれぞれ 設 けており、 円 塔 と 方 塔 が2つずつある。 内 部 に3つの 中 庭 を 持 ち、その 周 りを 居 住 空 間 として 利 用 しており、35 部 屋 ある。また、 資 料 は 少 ないものの 城 塞 内 にはモスクがあったとされる。1987 年 に 修 復 計 画 が 持 ち 上 がり、1989 年 ~1993 年 にかけて 修 復 され、 建 造 当 時 の 状 態 に 戻 された。 現 在 は 一 般公 開 され、 観 光 地 となっている。 夜 にはライトアップされ、 遠 くから 見 渡 すことができ、 観 光 資 源 として 利 用 価 値 が高 い。修 復 も 済 んでおり、 建 物 の 状 態 は 安 定 しているため、 保 存 ・ 修 復 の 分 野 における 課 題 はとくに 見 当 たらない。 一方 で、 館 内 には 説 明 板 などは 設 けられていないため、 今 後 は 歴 史 的 意 義 、 建 築 様 式 、 修 復 の 箇 所 などについて 理 解 が深 まるよう、 活 用 の 面 において 協 力 ができると 考 えられる。参 考 文 献Kingdom of Bahrain, Ministry of Information, Culture and National Heritage, Directorate of Archaeology and Heritage Shaikh Salman Bin Ahmed AlFateh Fort Goverment Printing Press, Kingdom of Bahrain.42


シャイフ・サルマーン・ビン・アフマド・アル=ファーティフ 砦Shaikh Salman Bin Ahmed al-Fateh Fort図 63.シャイフ・サルマーン・ビン・アフマド・アル=ファーティフ図 64.シャイフ・サルマーン・ビン・アフマド・アル=ファーティフ砦 全 景砦 中 庭図 65.シャイフ・サルマーン・ビン・アフマド・アル=ファーティフ図 66.シャイフ・サルマーン・ビン・アフマド・アル=ファーティフ砦 方 塔砦 居 住 空 間 入 口43


4 バハレーンの 文 化 遺 産アル=ハミース・モスクAl-Khamis Mosque2 本 の 尖 塔 で 有 名 なアル=ハミース・モスクは、シャイフ・サルマーン 高 速 道 路 沿 いのビラードゥ・ル=カディーム 地 区 に 立 地 するバハレーン 島 最 古 のモスクである。このモスクは、8 世 紀 初 頭 に 建 設 され、14 世 紀 頃 まで 利 用 されたと 言 われている。19 世 紀 、 廃 墟 となったモスクの 傍 で、 木 曜 市 (スーク・ル=ハミース)がたっていたことから、このモスクは、アル=ハミース・モスクあるいはスーク・ル=ハミース・モスクと 呼 ばれるようになった。このモスクは、1950 年 代 にバハレーン 政 府 によって 復 元 修 復 、また1980 年 代 にはモニカ・ケルバン 率 いるフランス 隊 によって 発 掘 され、モスクのプランなどが 明 らかにされた。また、 今 世 紀 に 入 り、ティモシー・インソール率 いるイギリス 隊 も 発 掘 を 行 なっている。イギリス 隊 は、モスク 周 辺 から8 世 紀 に 遡 る 市 街 地 の 一 部 を 発 掘 し、バハレーン 島 の 中 心 地 として 栄 えたビラードゥ・ル=カディーム 地 区 のかつての 繁 栄 ぶりを 明 らかにした。アル=ハミース・モスクは、 遺 跡 公 園 として 整 備 され、 一 般 に 開 放 されているものの、 公 園 の 老 朽 化 が 目 立 つ。モスクを 囲 う 壁 は 崩 れ、また、 遺 跡 の 説 明 板 も 色 褪 せてしまい 読 むことができなくなっている。しかし、 新 たにサイト・ミュージアムを 建 設 し、 公 園 をリニューアルする 計 画 が、バハレーン 政 府 によって 進 められている。参 考 文 献MacLean, R. and T. Insoll 2011 An Archaeological Guide to Bahrain . Oxford, Archaeopress.イスラーム 期 カナートQanat in Islamic Ageハマド・タウン 古 墳 群 のうちのカルザッカン 古 墳 群 地 区 の 北 西 、508 号 道 路 の 西 側 に、 道 路 に 並 行 するよう 南 北に 敷 設 されたカナートである。このカナートは、 水 源 に 方 形 の 石 垣 を 設 け 母 泉 としていた。 現 在 、このカナートは300メートルほど 確 認 できるが、 母 泉 は 干 上 がり、 北 辺 の 石 垣 と 母 泉 中 央 の 水 源 らしき 場 所 に 樹 木 が 存 在 する。カナート 内 部 の 清 掃 用 の 竪 穴 が 一 列 に 並 んだ 窪 地 として 確 認 できる。このカナートはイスラーム 期 のものと 言 われている。44


アル=ハミース・モスクAl-Khamis Mosqueイスラーム 期 カナートQanat in Islamic Age図 67. アル=ハミース・モスクの 尖 塔 図 68. アル=ハミース・モスクの 尖 塔図 69. 復 元 されたアル=ハミース・モスク 図 70. 色 褪 せた 説 明 板図 71. カナートの 竪 坑 図 72. カナートの 水 源45


4 バハレーンの 文 化 遺 産バハレーン 国 立 博 物 館Bahrain National Museumバハレーン 国 立 博 物 館 は、シャイフ・イーサ・ビン・サルマーン・アル=ハリーファによって 設 立 、1988 年 にオープンしたバハレーン 最 大 の 国 立 博 物 館 である。バハレーン 島 の 北 東 部 、キング・ファイサル・ハイウェイ 沿 いに 位置 している。フロア 面 積 は2 万 平 方 メートルにも 及 び、デンマークのウォラート 建 築 事 務 所 が 手 掛 けたデザインは非 常 に 近 代 的 である。石 器 時 代 から 現 代 までのバハレーンの 歴 史 と 風 土 を「ディルムン 時 代 」、「タイロス 時 代 とイスラーム 時 代 」、「 墓 」、「 古 文 書 」、「 慣 習 と 伝 統 」、「 伝 統 工 芸 品 と 貿 易 」、「 自 然 史 」の7つの 展 示 ホールにわけ、わかりやすく 展 示 している。これら 常 設 の 展 示 ホールのほか、カフェやミュージアム・ショップ、 講 堂 、 学 習 室 、 特 別 展 展 示 ホールなども 併 設されている。 展 示 は 分 かりやすく 随 所 に 工 夫 が 見 られる。 例 えば、「 墓 」の 常 設 展 示 ホールには、ディルムン 時 代 からタイロス 時 代 までの 各 種 の 古 墳 が 展 示 ホール 内 に 移 築 され、 迫 力 ある 展 示 となっている。 入 場 料 は0.5ディナール( 日 本 円 にして100 円 程 度 )と 非 常 に 安 価 で、また 驚 くことに、 開 館 時 間 も 朝 8 時 から 夜 20 時 までと 非 常 に 長 い。博 物 館 と 同 じ 敷 地 内 には、 文 化 省 のオフィスが 併 設 されている。 博 物 館 の 担 当 者 とミーティングを 行 なったところ、 担 当 者 からは、 長 期 的 な 博 物 館 学 のワークショップと 保 存 修 復 家 に 対 するトレーニングを 行 なって 欲 しいという 具 体 的 な 要 請 があった。 現 在 、バハレーン 国 内 には 博 物 館 学 と 保 存 修 復 を 専 門 的 に 教 える 大 学 がない、というのがその 主 だった 理 由 であった。また、かつてUNESCOなどが 専 門 家 を 派 遣 しワークショップを 開 催 したが、いずれも 短 期 的 なもので、 効 果 的 ではなかったと 述 べていた。 長 期 的 かつシステマティックな 人 材 育 成 が 望 まれる。参 考 文 献Vein, P. 1993 Bahrain National Museum . Lonodn, Immel Publishing Ltd.46


バハレーン 国 立 博 物 館Bahrain National Museum図 73. バハレーン 国 立 博 物 館 の 正 面 図 74. 遺 物 台 帳図 75. バハレーン 国 立 博 物 館 内 に 移 築 された 古 墳 図 76. バハレーン 国 立 博 物 館 内 に 移 築 された 石 室図 77. 「 慣 習 と 伝 統 」の 展 示 ホール 図 78. 収 蔵 庫47


4 バハレーンの 文 化 遺 産カラートゥ・ル=バハレーン 博 物 館Qal'at al-Bahrain Site Museumカラートゥ・ル=バハレーン 博 物 館 は、カラートゥ・ル=バハレーン 遺 跡 に 付 随 したサイト・ミュージアムである。デンマークのウォラート 建 築 事 務 所 が 設 計 した 洗 練 されたデザインを 持 つこの 博 物 館 は、2008 年 2 月 にオープンしたばかりの 新 しい 博 物 館 である。カラートゥ・ル=バハレーン 遺 跡 から 出 土 した 約 500 点 の 遺 物 が「 初 期 ディルムン 期 」、「 中 期 ディルムン 期 」、「 後期 ディルムン 期 」、「タイロス 期 」、「イスラーム 期 」の5つの 展 示 コーナーに 分 け、 分 かりやすく 展 示 されている。 展示 コーナーは、テル( 遺 丘 )の 層 位 のように、 時 代 が 古 くなるにつれ、だんだんと 低 くなる 工 夫 がなされている。設 備 も 近 代 的 でタッチパネルのほか、 障 害 者 用 のリフトなども 設 置 されている。 入 場 料 は0.5ディナール( 日 本 円にして100 円 程 度 )と 非 常 に 安 価 で、 開 館 時 間 は 朝 8 時 から 夜 20 時 までと 非 常 に 長 い。博 物 館 にはカフェ、ミュージアム・ショップが 附 属 している。カフェの 営 業 時 間 は、 夜 22 時 までと 博 物 館 よりも長 い。 博 物 館 の 海 岸 に 面 したテラスをカフェに 利 用 しているため、 博 物 館 よりも 人 気 があり、 夜 にはライト・アップしたカラートゥ・ル=バハレーン 遺 跡 の 夜 景 を 楽 しむことができる。48


カラートゥ・ル=バハレーン 博 物 館Qal'at al-Bahrain Site Museum図 79. 博 物 館 正 面 図 80. 博 物 館 とカラートゥ・ル=バハレーン図 81. 展 示 スペース 図 82. 博 物 館 に 設 置 されたタッチパネル図 83.博 物 館 のカフェ49


4 バハレーンの 文 化 遺 産コーラン 博 物 館Beit al-Qur'an (House of Qur'an)コーラン 博 物 館 は、アブドゥル・ラティーフ・ヤーシム・カノー 博 士 によって、1990 年 にバハレーンの 首 都 マナーマのホーラ 地 区 に 設 立 されたアラブ 世 界 を 代 表 するコーラン 博 物 館 である。 博 士 のコーラン・コレクションを 中 心に、 世 界 中 、 各 時 代 の 様 々なコーランが 展 示 されている。コーラン 博 物 館 には 図 書 館 とモスクも 併 設 されており、この 博 物 館 はコーランを 研 究 する 研 究 機 関 も 兼 ねている。コーラン 博 物 館 のコレクションには、7 世 紀 、8 世 紀 と 非 常 に 古 い 時 代 のコーランも 含 まれており、またコレクションの 一 部 はだいぶ 傷 んでいるように 見 受 けられた。 日 本 は 世 界 的 に 見 ても 進 んだ 紙 の 保 存 修 復 技 術 を 有 しているため、コーランの 保 存 修 復 という 分 野 で、 様 々な 形 で 協 力 が 可 能 だと 感 じられた。 実 際 、バハレーン 滞 在 中 にも、バハレーン 国 立 博 物 館 のスタッフから、コーランの 保 存 修 復 分 野 で 協 力 して 欲 しいという 具 体 的 な 協 力 要 請 が 寄 せられてる。50


コーラン 博 物 館Beit al-Qur'an (House of Qur'an)図 84.コーラン 博 物 館51


4 バハレーンの 文 化 遺 産シャイフ・サルマーン・ハウスShaikh Salman Houseシャイフ・サルマーン・ビン・ハマドの 邸 宅 址 。 4つの 中 庭 の 周 りに27 部 屋 ある。 文 化 省 からの 紹 介 で、エジプト 人 の 建 築 ・ 修 復 家 であるアラー・アル=ハバシー 氏 に 案 内 してもらい、 聞 き 取 り 調 査 を 行 った。アル=ハバシー氏 によると、1970 年 代 に 一 度 、コンクリートを 用 いた 修 復 が 行 われたという。 現 在 、オリジナリティーが 損 なわれ、また、コンクリートが 塩 分 で 劣 化 しているという 問 題 点 を 抱 えているため、コンクリートをはがす 作 業 を 中 心 とした 修 復 作 業 を 行 っており、2012 年 2 月 には 終 了 する 見 込 みとのことであった。アル=ハバシー 氏 はこの 現 場 の 監 督である。また、アル=ハバシー 氏 によると、バハレーンの 建 築 史 についてはすでに 研 究 が 進 んでいるが、 修 復 作 業 員 の 人材 育 成 が 目 下 の 課 題 であるという。 実 際 、 現 場 で 見 かけた 作 業 員 は、フィリピン 人 、バングラデッシュ 人 、インド 人 、パキスタン 人 が 中 心 で、バハレーン 人 の 作 業 員 はいなかった。 石 膏 による 室 内 装 飾 の 修 復 など、 技 術 の 必 要 な 作 業は 修 復 分 野 の 修 士 号 を 持 っているエジプト 人 が 担 当 していた。 将 来 的 には、この 保 存 修 復 作 業 の 実 施 および、 王 家の 歴 史 の 展 示 コーナーを 作 ることを 考 えているとのことである。 現 在 は 一 般 開 放 されていないが、 修 復 作 業 終 了 後に 開 放 される 予 定 である。日 本 との 協 力 の 可 能 性 としては、 修 復 技 術 に 関 する 人 材 育 成 分 野 が 考 えられる。52


シャイフ・サルマーン・ハウスShaikh Salman House図 85. シャイフ・サルマーン・ハウス 外 観 ( 左 奥 の 塔 は 修 復 途 中 ) 図 86. シャイフ・サルマーン・ハウス 中 庭図 87. シャイフ・サルマーン・ハウス 室 内 図 88. シャイフ・サルマーン・ハウス 室 内 装 飾 修 復 風 景図 89. シャイフ・サルマーン・ハウス 室 内 修 復 以 前 の 写 真 との 比 較 図 90. シャイフ・サルマーン・ハウスのキッチン53


4 バハレーンの 文 化 遺 産シャイフ・イーサ・ビン・アリー・ハウスShaikh Isa Bin Ali House邸 宅 は 旧 首 都 であるムハラック 島 の 旧 市 街 の 中 心 に 位 置 しており、シャイフ・ハッサン・ビン・アブドゥッラー・ビン・アフマド・アル=ファターハによって1800 年 に 建 設 され、ムハラック 地 区 に 現 存 する 最 も 古 い 邸 宅 の 一 つと 考 えられている。その 後 も、ハリーファ 家 の 邸 宅 とされていたが、ハリーファ 家 の 第 7 代 目 の 統 治 者 であるシャイフ・イーサ・ビン・アリーによって1869 年 ~1932 年 の 間 、 邸 宅 兼 統 治 機 構 として 利 用 された。邸 宅 内 のレイアウトは 簡 易 であるが、 特 徴 としては、 気 候 に 対 応 するため、 壁 厚 は1メートルと 厚 く、 素 材 は、 石灰 岩 、 石 こう、ヤシの 木 といったバハレーンで 手 に 入 る 素 材 とインドなどから 輸 入 した 竹 を 利 用 している。これらの 工 夫 により、 夏 は 涼 しく 冬 は 暖 かいとされる。 玄 関 周 りは 石 膏 により 装 飾 され、 木 彫 のドアがはめ 込 まれている。内 部 は、 家 族 用 の 空 間 、 統 治 者 の 空 間 、 客 用 の 空 間 、 使 用 人 の 空 間 に 分 かれている。 空 調 管 理 機 能 を 持 つ 巨 大 なウィンドタワーを 有 する。現 在 、 修 復 工 事 中 のため 確 認 できない 個 所 があったが、 通 常 は 観 光 地 として 一 般 に 開 放 している。 入 口 に 大 きな解 説 板 を 英 語 ・アラビア 語 で 設 けるほか、 各 部 屋 に 解 説 板 を 設 けており、 来 場 者 の 理 解 の 助 けとなっている。 修 復の 内 容 や 施 工 者 、および 今 後 の 管 理 計 画 などについては 分 からなかった。参 考 文 献Kingdom of Bahrain, Ministry of Information, Culture and National Heritage, Directorate of Archaeology and Heritage Shaikh Isa Bin Ali al-KhalifaHouse. Government Printing Press, Kingdom of Bahrain.スィヤ-ディー・ハウスSeyadi House有 名 な 真 珠 商 人 アフマド・ビン・ジャシム・スィヤーディーによって1905 年 に 建 設 された 邸 宅 で、 内 部 は 石 膏による 装 飾 や 木 彫 りの 窓 枠 の 装 飾 、ステンドグラスなどで 彩 られ、 当 時 のバハレーン 人 職 人 による 工 芸 技 術 が 良 くわかるとされる。 来 館 が 遅 く 中 には 入 れなかったため、 情 報 が 少 ない。なお、 隣 接 するスィヤ-ディー・モスクと共 に、2012 年 に 世 界 文 化 遺 産 に 記 載 されたムハラックの 歴 史 的 建 造 物 保 存 地 区 (Pearling, Testimony of an IslandEconomy)の 構 成 要 素 となっている。参 考 文 献Kingdom of Bahrain, Ministry of Information, Culture and National Heritage, Directorate of Archaeology and Heritage Bahrain Attractions. GovernmentPrinting Press, Kingdom of Bahrain.54


シャイフ・イーサ・ビン・アリー・ハウスShaikh Isa bin Ali Houseスィヤ-ディー・ハウスSeyadi House図 91.シャイフ・イーサ・ビン・アリー・ハウスの 中 庭 を 取 り 囲 む 居住 区 とウィンドタワー図 92. シャイフ・イーサ・ビン・アリー・ハウスのウィンドタワーの 内 部 構 造図 93.シャイフ・イーサ・ビン・アリー・ハウスの 室 内 扉図 94. スィヤ-ディー・ハウス 外 観 図 95. スィヤ-ディー・ハウス 入 口55


4 バハレーンの 文 化 遺 産シャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ 文 化 研 究 センターShaikh Ebrahim Bin Mohammed al-Khalifa Center for Cultureand Researchシャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ 文 化 研 究 センターは、20 世 紀 のバハレーンの 文 化 、 教 育 事 業 に 貢 献 したシャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファを 記 念 して、 文化 芸 術 分 野 の 交 流 を 促 進 するために2002 年 に 現 在 の 文 化 省 大 臣 であるシャイハ・マイにより 設 立 された。シャイハ・マイ 氏 は 現 在 も 同 センターの 代 表 を 務 めており、 同 センターのオフィスは、シャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファの 家 を 改 修 して 公 会 堂 を 増 築 した 建 物 にある。 展 覧 会 や 講 演 会 を 行 うだけでなく、オフィス 周 辺 に 位 置 する 歴 史 的 建 造 物 の 改 修 と 運 営 を 行 っている。シャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ 文 化 研 究 センターが 修 復 を 手 掛 けた 歴 史 的 建 造 物 のうち、 調 査 で 訪 れた 建 物 に 関 しては 後述 する。ほかに、 訪 れることができなかった 建 物 で 修 復 ・ 活 用 されているものとしては、Mohammed Bin Faris SutMusic House(2005 年 開 館 )、Ibrahim al-Arrayed House(2006 年 開 館 )、IQRA Children's Library(2009 年 開 館 )がある。全 体 として、 文 化 遺 産 の 修 復 といったハード 面 だけではなく、コミュニティーセンターやカフェなどのソフト 面の 充 実 による、コミュニティ・ディベロップメントを 行 っているという 印 象 がある。また、 修 復 も 現 状 保 存 ではなく、 利 用 方 法 を 見 越 したうえでの、 歴 史 的 建 造 物 の 積 極 的 利 用 を 目 的 とするアダプティブ・リユーズが 中 心 である。観 光 地 開 発 というよりも、バハレーンの 地 元 の 住 民 向 けの 利 用 が 検 討 されている 点 が 興 味 深 い。今 回 は、 歴 史 的 建 造 物 の 持 つそれぞれの 価 値 評 価 や 建 築 史 的 資 料 については 手 に 入 らず、また 担 当 者 にインタビューできなかった。このため、それぞれの 文 化 遺 産 の 建 築 担 当 や 施 行 主 、 管 理 計 画 などについては 不 明 である。また、シャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ 文 化 研 究 センターが 修 復 した 歴 史 的 建 造 物が、バハレーン 国 内 において 文 化 遺 産 として 規 定 されているのかも 不 明 である。バハレーン 国 内 において、 個 人 所有 者 の 文 化 遺 産 が 個 人 の 活 動 方 針 および 民 間 スポンサーからの 資 金 において、 修 復 を 行 う 例 として 興 味 深 い。 今 後 、センターが 改 修 を 手 掛 けた 歴 史 的 建 造 物 と2012 年 に 世 界 文 化 遺 産 登 録 がされたムハラックの 歴 史 的 建 造 物 保 存 地区 との 保 存 理 念 、 手 法 の 違 いを 比 較 することで、バハレーン 国 内 の 文 化 遺 産 の 保 護 概 念 と 枠 組 みを 検 証 するうえでの 好 材 料 となると 考 えられる。 日 本 から 協 力 できる 面 は 少 ないが、 今 後 保 存 事 業 を 両 国 間 で 行 う 場 合 には、 保 存 理念 や 手 法 に 関 する 基 礎 研 究 が 必 要 となるため、このような 事 例 収 集 も 必 要 だと 思 われる。参 考 URLShaikh Ebrahim Bin Mohammed al-Khalifa Center for Culture and Research, http://www.shaikhebrahimcenter.org/index.html を 参 照 のこと。56


シャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ 文 化 研 究 センターShaikh Ebrahim Bin Mohammed al-Khalifa Center for Culture and Research図 96.シャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ文 化 研 究 センター 正 面 玄 関図 97.シャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ文 化 研 究 センター 周 辺図 98.シャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ文 化 研 究 センター 内 公 会 堂57


4 バハレーンの 文 化 遺 産コラール・ハウスKurar Houseバハレーンの 女 性 たちによる 伝 統 工 芸 であるコラール( 金 糸 の 刺 繍 )を 若 い 世 代 に 伝 えるために2007 年 に 設 立 された。 内 部 は 改 装 され、モダンな 内 装 である。コラールを 施 した 伝 統 服 の 展 示 や 制 作 のデモンストレーションを 行 っている。コーヒー・ハウスHouse of Coffeeファサードを 残 し、 内 部 は 完 全 にリノベーションされている。2009 年 に、カフェとして 開 館 した。アブドゥッラー・アッ=ザーイド・ハウスAbdullah az-Zayed House2003 年 に 開 館 したシャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ 文 化 研 究 センターが 民 間のスポンサーを 募 って 修 復 を 行 った 初 めての 建 造 物 である。1938 年 に、バハレーンおよびアラビア 湾 岸 地 域 の 初 めての 週 刊 新 聞 として 創 刊 されたバハレーン 新 聞 の 創 立 者 、アブドゥッラー・アッ=ザーイドの 家 である。 現 在 は、バハレーン 新 聞 やアブドゥッラー・アッ=ザーイド 直 筆 の 手 紙 を 展 示 しているほか、メディアに 関 する 講 演 も 多 数開 催 されている。 天 井 はオリジナルの 木 造 であるが、 内 部 は 最 新 の 内 装 で、 非 常 にモダンな 造 りになっている。参 考 URLShaikh Ebrahim Bin Mohammed al-Khalifa Center for Culture and Research, http://www.shaikhebrahimcenter.org/index.html を 参 照 のこと。58


コラール・ハウスKurar Houseコーヒー・ハウスHouse of Coffeeアブドゥッラー・アッ=ザーイド・ハウスAbdullah az-Zayed House図 99. コラール・ハウス 内 部 の 展 示 図 100. コラール・ハウスの 中 庭図 101. コーヒー・ハウス 外 観 図 102. コーヒー・ハウス 内 部図 103.アブドゥッラー・アッ=ザーイド・ハウス 内 部59


4 バハレーンの 文 化 遺 産スーク・ル=カイサリヤSuq al-Qisariyaムハラックにある19 世 紀 後 半 に 真 珠 貿 易 のために 建 設 されたドッグ( 現 在 は 埋 め 立 てられていない)、 倉 庫 (アマラ)と 商 店 (ドッカーン)から 構 成 され、 歴 史 的 建 造 物 が 多 々 残 る 商 業 エリアである。文 化 省 からの 紹 介 を 受 け、このエリアの 修 復 プロジェクトを 担 当 しているアラー・アル=ハバシー 氏 に 案 内 してもらい、 聞 き 取 り 調 査 を 行 った。2006 年 に、 政 府 はこの 地 区 の 伝 統 的 な 建 物 を 全 て 取 り 壊 し、 新 しくショッピング・モールを 建 設 しようとしていた。しかし、シャイハ・マイ 現 文 化 大 臣 が 中 心 となって 反 対 運 動 を 行 い、 伝 統 的 建 造 物 地 区 として 保 存 することが決 定 された。現 在 は、4つの 建 造 物 (アマラ2 軒 とドッカーン1 軒 、コーヒーショップ1 軒 )を 中 心 に 修 復 、 活 用 プロジェクトを 進 行 している。また、これ 以 外 にも3 人 の 建 築 家 、20 人 の 作 業 員 からなる 緊 急 保 存 修 復 チームを 作 り、 壊 れそうな建 物 を 中 心 に、 応 急 的 な 処 置 を 行 なっているとのことである。アマラの 一 階 はマスタウダと 呼 ばれる 商 品 を 保 管 する 箇 所 になっており、 風 通 しをよくする 工 夫 が 建 物 になされている。 二 階 は 居 住 スペースで、 倉 庫 の 建 材 であるマングローブは、インドから 運 んできたものもある。 壁 の 石 材 にはサンゴ 石 を 用 いている。 積 極 的 な 改 修 モデルとして、カフェへのリノベーションを 行 っているものもある。シャイフ・イブラーヒーム・ビン・ムハンマド・アル=ハリーファ 文 化 研 究 センター 同 様 、 多 様 な 保 存 理 念 が 存 在 している 印 象 を 受 けた。調 査 後 の2012 年 、この 周 辺 がムハラックの 歴 史 的 建 造 物 保 存 地 区 (Pearling, Testimony of an Island Economy)として、 世 界 文 化 遺 産 に 記 載 された。 構 成 要 素 としては、17の 建 造 物 と3つの 真 珠 育 成 のためのカキ 養 殖 場 である。構 成 要 素 の 建 造 物 が、 調 査 中 に 案 内 を 受 けた 上 記 の 商 業 施 設 を 含 むかどうかの 照 合 はとれていない。世 界 遺 産 への 記 載 理 由 としては、 古 代 よりバハレーンは 真 珠 産 業 が 有 名 であり、その 商 業 活 動 は19 世 紀 末 から20世 紀 初 めにかけてピークを 迎 え、 世 界 的 な 貿 易 による 繁 栄 はムハラック 地 区 の 商 業 都 市 の 発 展 に 表 れていることが挙 げられている。 構 成 要 素 となっている 商 業 施 設 や 住 宅 は 当 時 からその 姿 をほぼ 変 えておらず、とくにその 精 巧 な建 築 装 飾 は 当 時 の 経 済 活 動 を 反 映 しており 貴 重 だと 考 えられている。世 界 遺 産 を 含 むムハラックの 歴 史 的 建 造 物 が 多 く 残 るエリア 一 帯 は、1995 年 に 制 定 された 文 化 財 保 護 法 の 下 、2010 年 より 保 護 されており、 文 化 省 の 管 轄 にある。2011 年 には 文 化 省 がムハラック 旧 市 街 の 発 展 計 画 を 策 定 、バッファゾーンも 設 定 した。これにより、このエリアの 文 化 遺 産 はより 包 括 的 な 管 理 下 に 置 かれることとなり、 具 体 的には 無 計 画 な 開 発 や 歴 史 的 建 造 物 の 崩 壊 などについて 管 理 が 行 き 届 くこととなった。また、12の 省 庁 と 土 地 所 有 者や 企 業 代 表 者 が 参 画 する 管 理 のための 運 営 委 員 会 が 設 けられたほか、その 下 部 組 織 として 文 化 遺 産 に 関 する 専 門 家委 員 会 も 発 足 し、 管 理 のための 枠 組 みも 整 えられた。今 後 、 日 本 との 協 力 の 可 能 性 としては、 修 復 に 携 わるバハレーン 人 の 育 成 という 技 術 的 貢 献 が 検 討 できる。参 考 URLPearling, Testimony of an Island Economy, UNESCO, http://whc.unesco.org/en/list/1364/ を 参 照 のこと。60


スーク・ル=カイサリヤSuq al-Qisariya図 104. スーク・ル=カイサリヤ 周 辺 図 105. アラー・アル=ハバシー 氏 からの 聞 き 取 り 調 査図 106. アマラ 外 観 図 107. アマラ 内 部図 108. カフェに 改 装 しているドッカーン 図 109. カフェに 改 装 しているドッカーン61


5. 考 察5–1. 現 状 と 課 題今 回 の 調 査 を 通 して 明 らかになったバハレーンの 文 化 遺 産 の 現 状 とそこで 浮 かび 上 がってきた 課 題 について 考 察する。まず、バハレーンは 今 後 湾 岸 諸 国 の 中 で 文 化 を 軸 にして 発 展 していく 気 概 があることが 聞 き 取 り 調 査 の 中 で明 らかになった。 文 化 省 大 臣 シャイハ・マイ 王 女 を 中 心 に、バハレーン 国 内 の 文 化 遺 産 保 護 を 積 極 的 に 進 めている。その 方 針 は、 今 後 20 年 の 国 土 開 発 ・ 発 展 に 関 する 政 策 として 掲 げている“The Bahrain Economic Vision 2030” の 中で、 開 発 ・ 発 展 のための10 項 目 の 中 に 文 化 、 考 古 遺 産 保 護 を 挙 げていることからも 明 らかである 6 。 具 体 的 には、そのほかにも、バハレーン 政 府 による 文 化 遺 産 保 護 に 対 する 積 極 的 な 姿 勢 は、2011 年 の 世 界 遺 産 委 員 会 開 催 地 の 立 候補 、 世 界 遺 産 アラブ 地 域 センター(Arab Regional Center for World Heritage 、 通 称 ARC-WH)の 設 立 、 国 際 学 術 会議 やフェスティバルの 開 催 、サイトミュージアムの 建 設 計 画 、などに 見 てとることができる。 湾 岸 諸 国 の 中 で 比 較的 イスラームの 戒 律 も 厳 しくなく、 治 安 も 良 好 であるため、 今 後 はさらに 文 化 遺 産 を 利 用 して 観 光 業 が 発 展 していく 可 能 性 が 十 分 にある。文 化 遺 産 保 護 制 度 に 関 しては、 文 化 遺 産 保 護 法 も 存 在 し、 各 条 約 についても 積 極 的 に 批 准 する 姿 勢 を 見 せ、また文 化 省 が 一 元 的 に 文 化 遺 産 保 護 行 政 を 担 い、 必 要 であれば 他 省 庁 との 連 携 のための 枠 組 みを 作 るなど、 文 化 遺 産 の保 護 ・ 管 理 に 必 要 な 仕 組 みが 整 いつつあるように 思 える。その 一 方 で、 国 内 の 人 材 育 成 は 追 い 付 いておらず、 一 部のバハレーン 人 に 負 担 が 集 中 しており、また 海 外 からのコンサルタントの 協 力 を 得 ている 状 況 である。 海 外 からの協 力 も 以 前 と 比 べ 減 少 してきており、 現 在 の 国 際 支 援 はフランス、デンマークが 中 心 となっているが 長 期 的 ではない。 今 後 は 海 外 からの 知 識 供 与 を 効 率 的 に 利 用 しつつ、 国 内 の 人 材 育 成 が 必 要 となってくると 思 われる。 短 期 のワークショップだけではなく、 大 学 での 学 科 開 設 や 海 外 への 長 期 留 学 、 海 外 専 門 家 の 長 期 雇 用 など、 文 化 遺 産 保 護 に 係る 分 野 全 般 での 底 上 げが 課 題 であると 思 われる。文 化 遺 産 保 護 状 況 に 関 しては、すでに 前 章 で 具 体 的 に 述 べているので、 総 合 的 に 言 えることに 留 める。 古 墳 に 関しては、バハレーンの 象 徴 である 重 要 な 遺 跡 にも 関 わらず、 開 発 工 事 に 伴 う 古 墳 の 消 失 をはじめ、 盗 掘 、ゴミの 不法 投 棄 、 石 材 ・ 砂 取 に 伴 う 破 壊 が 問 題 視 されている。 法 整 備 が 整 い、 罰 則 を 設 けたり、 注 意 を 促 す 看 板 や 遺 跡 を 囲 うフェンスを 設 置 したりと 施 策 をとっているとのことであるので、 今 後 の 環 境 改 善 に 期 待 をしたい。しかし、 遺 跡 の周 りに 遺 跡 に 関 する 説 明 板 などはなく、 地 元 住 民 を 始 めとする 国 民 や 観 光 客 に 遺 跡 の 重 要 性 が 伝 わっているのかは疑 問 である。 遺 跡 の 管 理 ・ 整 備 のためには、まず 遺 跡 の 持 つ 価 値 を 多 くの 人 に 理 解 してもらえるような 施 策 を 講 じることが 今 後 の 課 題 ではないかと 考 えられる。カラートゥ・ル=バハレーンに 関 しては、 管 理 計 画 も 制 定 され、 遺 跡 整 備 が 進 み、オーディオガイドの 導 入 やサイトミュージアムの 建 設 など、 遺 跡 の 活 用 、 展 示 にもすでに 積 極 的 に 取 り 組 んでいる。しかし、 古 来 より 都 市 化 した 地 域 であったため、バッファゾーンの 考 古 学 的 分 布 調 査 が 必 要 となっているが、まだ 手 つかずの 地 域 も 残 っており、UNESCOから 詳 細 な 保 存 管 理 計 画 の 作 成 を 求 められているとのことであった。また、 遺 跡 内 にある「キャプテンタワー」と 呼 ばれる 遺 構 は 崩 壊 しており、 危 機 的 状 況 にあり 立 ち 入 ることができない。 遺 跡 の 中 心 部 に 位 置 するキャプテンタワーから 湾 の 見 晴 らしは 良 く、 当 時 交 易 を 介 して 発 展 したというバハレーンの 歴 史 を 理 解 する 上 でも 重 要な 遺 構 である。このため、 海 外 調 査 団 による 遺 構 の 発 掘 と 整 備 を 望 んでいるとのことであった。博 物 館 に 関 しては、 展 示 は 洗 練 されており、 英 語 での 表 記 も 多 く、 展 示 環 境 も 管 理 されていた。 国 立 博 物 館 の 収 蔵保 管 庫 や 保 存 修 復 室 を 見 学 したが、 遺 物 の 管 理 も 遺 跡 管 理 カードを 利 用 して 体 系 的 に 行 われていた。 紙 媒 体 での 目6 Bahrain National Planning Strategy 2030, SOM, http://www.som.com/content.cfm/bahrain_national_planning_development_strategy を 参 照 のこと。63


5 考 察録 ではあるが、 収 蔵 品 の 目 録 も 作 成 されていた。 目 録 の 電 子 化 は 現 在 進 行 中 であるとのことであった。2 名 いる 保 存修 復 担 当 者 は 比 較 的 経 験 豊 かであるとのことだが、 収 蔵 品 の 内 容 ・ 量 に 比 べると 人 材 が 不 足 していると 思 われた。このため、 長 期 的 な 研 修 実 施 など 保 存 科 学 ・ 保 存 修 復 分 野 の 人 材 育 成 が 課 題 である。ムハラックの 歴 史 的 建 造 物 に 関 しては、 世 界 遺 産 登 録 申 請 書 作 成 を 通 して、ドキュメンテーションや 管 理 計 画 作成 に 関 してはすでに 取 り 組 んでいる。 独 自 の 管 理 体 制 を 整 えたほか、 部 分 的 に 修 復 を 開 始 するなどバハレーン 側 で保 護 、 整 備 を 進 めている。 聞 き 取 り 調 査 では、 建 築 史 の 分 野 に 関 する 学 術 的 調 査 もすでに 進 んでいることが 明 らかになった。その 一 方 で、 現 場 の 作 業 はバハレーンへの 出 稼 ぎ 労 働 者 が 中 心 となって 行 っていることなどから、 初 級から 中 級 の 修 復 技 術 を 持 つ 専 門 家 の 育 成 が 課 題 となっており、そのための 教 育 機 関 の 設 置 のための 技 術 支 援 への 教育 依 頼 があった。しかし、ほかの 分 野 に 比 べると 要 望 はまだ 具 体 化 していないようである。5–2. 今 後 の 協 力 の 可 能 性 と 日 本 の 役 割今 回 の 調 査 で 明 らかになったことは、 今 後 文 化 遺 産 保 護 を 活 用 して 国 の 発 展 を 目 指 すバハレーンは、 学 術 面 での長 期 的 な 協 力 を 求 めていることである。 遺 跡 の 状 況 も、 緊 急 支 援 を 要 する 危 機 に 瀕 する 遺 跡 というものは 存 在 しないため、 今 後 は 発 掘 や 研 究 といった 分 野 での 協 力 が 必 要 になってくる。また、すでに 経 済 的 にも 発 展 した 国 であるため、 機 材 供 与 などの 支 援 ではなく、 日 本 が 蓄 積 してきた 考 古 学 的 調 査 の 分 野 における 知 識 供 与 などの 人 的 協 力 が求 められていると 考 える。また、 以 上 のような 理 由 で、 支 援 という 言 葉 は 馴 染 まず、 協 力 という 枠 組 みの 中 での 活 動が 求 められていると 考 える。このため、バハレーンと 日 本 の 長 期 的 文 化 交 流 の 発 端 となるよう、 以 下 2 分 野 での 支 援 を 提 案 したい。1 古 墳 群 の 保 存 管 理 ・ 整 備 についての 技 術 支 援 ( 学 術 的 発 掘 等 )日 本 にもバハレーンと 同 様 に 多 くの 古 墳 が 存 在 し、その 多 くは 開 発 や 都 市 化 の 脅 威 にさらされてきた。この 状 況に 対 し、 日 本 の 文 化 遺 産 保 護 行 政 下 では、 古 墳 群 の 保 護 ・ 管 理 ・ 整 備 に 関 する 施 策 が 講 じられ、 重 要 な 古 墳 の 保 護が 行 われてきた。 考 古 遺 物 に 関 しては 保 管 ・ 保 存 ・ 展 示 が 行 われ、 調 査 結 果 は 現 地 に 説 明 板 を 設 置 するなど、 遺 跡を 訪 れた 多 くの 人 の 理 解 を 深 める 工 夫 がされている。さらに、 百 舌 鳥 ・ 古 市 古 墳 群 や 飛 鳥 ・ 藤 原 の 宮 都 とその 関 連資 産 群 が 世 界 遺 産 暫 定 リストに 登 録 されており、 今 後 世 界 遺 産 登 録 を 目 指 す 上 でのドキュメンテーションや 講 ずるべき 施 策 においても、 今 後 想 定 される 課 題 は 共 通 するものが 多 いと 想 定 される。すでに1990 年 代 から 日 本 がバハレーンの 考 古 学 発 展 に 寄 与 したことから、バハレーン 側 がこの 分 野 において 日 本 にかける 期 待 は 大 きい。2カラートゥ・ル=バハレーンの 保 存 ・ 整 備カラートゥ・ル=バハレーンはバハレーンの 文 化 遺 産 として 顕 著 な 価 値 を 有 するものであり、 観 光 地 としても 人気 が 高 い。このため、この 遺 跡 において 日 本 が 協 力 すれば、 日 本 ・バハレーンの 交 流 を 示 すものとして 日 本 の 貢 献度 に 関 する 発 信 力 も 高 まる。 現 在 フランス 隊 とバハレーンが 中 心 となって 整 備 を 進 めているものの、 規 模 が 大 きいため、バッファゾーンを 含 めての 詳 細 な 保 存 管 理 計 画 の 作 成 が 緊 急 に 求 められている。 保 存 管 理 計 画 に 必 要 な 基 礎資 料 作 成 のためには、 分 布 調 査 が 必 要 であるが、この 調 査 は 発 掘 に 比 べ 人 件 費 や 事 業 費 の 目 途 も 立 ちやすく 短 期 間で 実 施 できる。また、 古 墳 発 掘 で 利 用 した3 次 元 レーザー 計 測 による 航 空 撮 影 も 分 布 調 査 に 応 用 ができる。 一 方 で、崩 壊 が 進 んでいるキャプテンタワーの 発 掘 と 修 復 についても 要 望 があったが、 事 業 化 すれば 長 期 化 が 予 想 され、ある 程 度 の 資 金 が 必 要 となることが 予 想 される。このため、 現 段 階 では 古 墳 群 の 発 掘 や 分 布 調 査 を 通 じた 人 材 育 成 の成 果 を 見 た 上 で、 今 後 再 検 討 することが 妥 当 であると 思 われる。64


上 記 2 分 野 における 具 体 的 な 支 援 開 始 のためのステップを 次 のように 提 案 したい。1 事 業 内 容 の 情 報 共 有今 後 継 続 してバハレーン 支 援 を 行 うための 最 初 の 一 歩 として、 日 本 国 内 の 多 くの 研 究 者 にバハレーンの 現 状 を 伝えることが 重 要 である。すでにコンソーシアム 内 に 設 置 された 会 議 において 報 告 しているほか、2012 年 6 月 の 日 本西 アジア 考 古 学 会 大 会 における 口 頭 発 表 や2012 年 11 月 のオリエント 学 会 におけるポスター 発 表 を 行 ない、 今 回 の相 手 国 調 査 内 容 を 報 告 している。 場 合 によっては、 個 別 に 報 告 会 を 主 催 することも 検 討 している。2 招 聘 ・ 派 遣 事 業 による 学 術 交 流古 墳 の 調 査 ・ 保 存 ・ 活 用 の 先 進 的 知 識 を 持 つ 日 本 の 考 古 学 者 との 交 流 、また 日 本 の 古 墳 整 備 の 事 例 を 実 見 してもらうために、バハレーンから 専 門 家 を 招 聘 する。 日 本 からも 専 門 家 を 派 遣 し、バハレーンの 文 化 遺 産 保 護 状 況 を 実見 する。これらの 見 学 を 通 して、 両 国 の 意 を 同 じくする 研 究 者 が 相 互 に 意 見 交 換 し、 互 いに 古 墳 の 保 存 ・ 活 用 に 向けた 相 乗 的 な 効 果 が 得 られると 考 えられる。具 体 的 には2012 年 12 月 13 日 ~26 日 の14 日 間 、 独 立 行 政 法 人 国 際 交 流 基 金 文 化 協 力 助 成 プログラム( 申 請 者 西藤 )によるバハレーン 考 古 学 研 究 者 招 聘 事 業 を 行 った。 事 業 の 目 的 は、 東 京 、 群 馬 、 奈 良 、 宮 崎 における 古 墳 研 究 者との 交 流 、 古 墳 の 整 備 状 況 の 実 見 、バハレーンの 専 門 家 による 講 演 会 を 通 じての 学 術 交 流 である。バハレーンからはアル=マハーリー 氏 、レイラ・アリ・アフマド 氏 の2 名 が 参 加 した。 群 馬 では、 大 室 古 墳 群 、 保 渡 田 古 墳 群 、かみつけの 里 博 物 館 、 奈 良 では 新 沢 千 塚 古 墳 群 、 植 山 古 墳 、 馬 見 古 墳 群 、 宮 崎 では 西 都 原 古 墳 群 、 宮 崎 県 立 西 都 原 考 古 博物 館 、 新 田 原 古 墳 群 、 生 目 古 墳 群 などの 発 掘 現 場 と 整 備 状 況 を 確 認 した。結 果 として、 現 在 バハレーンでは 金 属 製 の 遺 跡 の 説 明 板 を 利 用 しているが 老 朽 化 が 進 んでおり、 今 後 は 日 本 が 採用 しているような 陶 板 による 遺 跡 の 説 明 を 取 り 入 れたいとのことであった。また、 博 物 館 展 示 については、 特 に 西都 原 古 墳 群 のサイトミュージアムのような 目 新 しい 手 法 を 取 り 入 れた 展 示 を、バハレーンのサイトミュージアムでも 早 速 検 討 したいとのことだった。また、バハレーンでは 若 手 専 門 家 の 育 成 の 場 が 不 足 しているため、 日 本 の 大 学 ・ 大 学 院 への 派 遣 を 行 う。3 発 掘 および 分 布 調 査 の 実 施 を 通 じての 人 材 育 成 分 野 への 寄 与上 記 1、2を 通 じて、 文 化 遺 産 保 護 に 向 けての 課 題 、 展 望 が 共 有 された 後 は、 発 掘 および 分 布 調 査 の 実 施 を 検 討 する。バハレーン 文 化 省 との 聞 き 取 り 調 査 の 中 では、 発 掘 許 可 についてはバハレーン 文 化 省 が 担 当 しており、 許 可 を出 すのは 難 しくないということが 明 らかになった。このため、 両 国 間 で 合 意 が 形 成 されれば、すでに 課 題 として 挙がっている 古 墳 群 の 発 掘 調 査 およびカラートゥ・ル=バハレーンのバッファゾーンにおける 分 布 調 査 が 可 能 である。バハレーン 文 化 省 あるいはバハレーン 博 物 館 を 両 国 の 協 力 拠 点 と 位 置 付 け、 長 期 的 な 事 業 実 施 を 目 指 す。 事 業の 中 で 予 想 される 必 要 な 人 材 については、 日 本 から 考 古 学 、 人 類 学 、 保 存 科 学 、 修 復 技 術 者 、 博 物 館 学 、 建 築 学 などの 専 門 家 を 派 遣 する。なお、 事 業 は、バハレーンの 若 手 専 門 家 と 共 同 で 行 い、 人 材 育 成 の 場 とする。ほかに 要 望 があった 博 物 館 分 野 や 歴 史 的 建 造 物 の 分 野 は、 上 記 2 分 野 に 比 べると 文 化 遺 産 自 体 の 緊 急 性 も 高 くなく、 切 迫 している 状 況 ではないことが 窺 えた。 両 分 野 における 今 後 の 課 題 は、 長 期 的 な 発 展 のための 人 材 育 成 である。 要 望 もそれぞれ、 博 物 館 における 保 存 科 学 ・ 保 存 修 復 分 野 での 長 期 的 な 研 修 実 施 などを 通 した 人 材 育 成 や、 歴史 的 建 造 物 の 修 復 のための 専 門 家 育 成 である。このため、 古 墳 群 およびカラートゥ・ル=バハレーンでの 協 力 事 業を 通 じて、バハレーン 関 係 者 間 とより 詳 細 な 協 議 を 重 ね 情 報 収 集 を 行 うことで、 今 後 この 分 野 で 協 力 が 可 能 であるかを 検 討 する 必 要 がある。65


5 考 察5–3. 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアムの 役 割文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアムの 活 動 は、 文 化 遺 産 保 護 国 際 協 力 のための 国 内 の 連 携 ・ 協 力 を 目 的 とする。 主な 活 動 は、 人 的 ネットワーク 構 築 、ネットワークを 活 用 した 情 報 収 集 と 提 供 、 文 化 遺 産 国 際 協 力 に 関 する 調 査 研 究 、文 化 遺 産 国 際 協 力 についての 普 及 啓 発 活 動 である。 今 回 のバハレーン 事 業 に 関 しても、 今 後 継 続 的 に 支 援 し 提 案 されている 協 力 内 容 の 実 施 のために 必 要 な 国 内 の 連 携 ・ 協 力 を 推 進 し、 必 要 に 応 じて 情 報 共 有 および 専 門 家 の 紹 介 を行 う。バハレーンの 文 化 遺 産 に 詳 しい 専 門 家 の 情 報 を 収 集 し、 必 要 に 応 じて 専 門 家 間 の 情 報 共 有 を 促 進 する。 具 体的 な 支 援 プランとして 提 案 のあった「1 事 業 内 容 の 情 報 共 有 」に 関 しては、コンソーシアムが 果 たすべき 役 割 は 大きく、コンソーシアム 会 員 への 情 報 共 有 や 関 係 機 関 への 情 報 照 会 を 行 う。 本 調 査 報 告 書 も 会 員 に 向 けて 送 付 し、データ 版 はコンソーシアムウェブ 上 で 公 開 する 予 定 である。すでにコンソーシアム 内 に 設 置 されている 企 画 分 科 会 においては 本 調 査 に 関 する 報 告 を 行 ってきたが、 今 後 も 引 き 続 き 委 員 および 文 化 庁 、 外 務 省 、 国 際 交 流 基 金 、 国 際 協 力 機構 などに 向 けて 本 事 業 に 関 してのアップデートを 行 う。また、バハレーン 文 化 省 と 日 本 の 専 門 家 間 とで 招 聘 、 交 流が 企 画 されるよう、 今 後 も 情 報 収 集 及 び 共 有 を 行 う。 必 要 に 応 じて、バハレーン 文 化 省 との 連 絡 協 議 も 継 続 したい。5–4. おわりにバハレーンに 対 する 文 化 遺 産 国 際 協 力 の 現 況 と 今 後 の 展 開 を 探 るため、 現 地 を 訪 問 し、バハレーン 側 が 求 める 具体 的 協 力 要 請 項 目 について 検 討 した。 現 地 の 調 査 では、 紀 元 前 2200 年 頃 から 作 られた 古 墳 群 などを 中 心 とする 考 古遺 跡 、カラートゥ・ル=バハレーン、バハレーン 国 立 博 物 館 、ムラハック 歴 史 保 存 地 区 を 訪 れ、 担 当 者 と 面 談 を 行 うとともに、 情 報 収 集 や 意 見 交 換 を 行 った。聞 き 取 り 調 査 を 通 して、 文 化 遺 産 を 中 心 として 今 後 発 展 していくという 方 向 性 や、 法 制 度 や 担 当 行 政 の 基 盤 が 整いつつあることが 明 らかになった。また、バハレーンの 古 墳 群 に 関 しては 発 掘 後 の 整 備 、カラートゥ・ル=バハレーンに 関 しては 世 界 遺 産 登 録 後 の 保 護 管 理 のための 共 同 研 究 、 博 物 館 分 野 に 関 しては 保 存 科 学 分 野 における 長 期 的 な技 術 協 力 、 歴 史 的 建 造 物 分 野 に 関 しては 建 造 物 の 保 護 と 修 復 のための 人 材 育 成 などが 必 要 であることが 課 題 として見 えてきた。時 間 的 制 約 がある 調 査 ではあったが、バハレーン 文 化 省 と 事 前 に 連 絡 を 取 り 合 い、 効 果 的 に 調 査 を 行 うことができた。バハレーン 文 化 省 にはビザ 発 行 や 移 動 のための 車 の 手 配 、また 現 地 視 察 の 際 に 担 当 者 の 同 行 など 色 々と 便 宜を 図 って 頂 いた。 感 謝 申 し 上 げる。アラブ 諸 国 で 民 主 化 の 動 きが 始 まり、バハレーンもその 波 のさなかにある。しかし、 短 い 滞 在 ながらも 見 えてきたのは、 現 地 で 文 化 遺 産 保 護 に 係 る 担 当 者 の 意 欲 と 海 外 からの 先 進 的 技 術 ・ 知 識 を 得 ようとするリベラルな 動 きである。バハレーン 側 と 今 回 の 調 査 で 築 いた 信 頼 関 係 は 今 後 も 継 続 しつつ、 相 手 国 が 求 める 長 期 的 な 学 術 交 流 を 確 固たるものにできるよう 今 後 も 関 係 諸 機 関 と 協 議 しながら、 支 援 内 容 を 検 討 していきたい。 今 後 日 本 がバハレーンの文 化 遺 産 への 国 際 協 力 を 行 うことで、 両 国 間 の 友 好 への 貢 献 の 一 助 となれば 幸 いである。66


APPENDIXAPPENDIX1.インタビューここでは、 対 談 形 式 で 録 音 した 面 談 のみを 記 録 する。そのほか、 遺 跡 を 歩 きながらの 説 明 や 聞 き 取 りは、 各 文 化遺 産 の 説 明 の 中 に 含 めた。1. 文 化 省 考 古 遺 産 局 長 との 面 談----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------日 時 :2011 年 12 月 21 日 9 時 ~ 10 時場 所 : 文 化 省 ( 国 立 博 物 館 と 同 敷 地 内 の 隣 接 した 建 物 )出 席 者 :バハレーン 側アブドゥッラー・ムハンマド・アッ=スレイティー( 文 化 省 文 化 自 然 遺 産 部 考 古 遺 産 局 長 )サルマーン・アフマド・アル=マハーリー( 文 化 省 文 化 自 然 遺 産 部 考 古 遺 産 局 保 存 修 復 主 任 )日 本 側調 査 員 4 名----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------日 本 側 より 調 査 員 の 紹 介 の 後 、 考 古 遺 産 局 長 に 対 して、 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーアム、 調 査 の 概 要 、 訪 問 趣 旨 の説 明 をした。その 後 、 調 査 員 が 各 自 資 料 を 用 いて、それぞれの 専 門 について 説 明 を 行 った。なお、 考 古 遺 産 局 長 は、2011 年 に 日 本 の 考 古 の 団 体 に 日 本 大 使 館 を 通 しての 連 絡 を 試 みたが、 大 使 館 より 2011 年 は 災 害 復 興 のために 協力 は 無 理 であると 返 事 が 来 たため、 今 回 の 文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアムの 訪 問 は 驚 きとともに 歓 迎 する 旨 、 挨拶 があった。西 藤 :3D スキャニングや Red Relief Image Mapping(RRIM)の 技 術 について 説 明 し、 古 墳 の 地 図 作 成 やインベントリー 作 成 に 活 用 できるドキュメンテーションの 手 法 として 効 果 的 であると 提 案 する。考 古 遺 産 局 長 : 木 や 家 を 透 過 しての 技 術 に 興 味 があり、カラートゥ・ル=バハレーンのバッファゾーンにはヤシの 木 が 多 くあり 切 ることができず、そういった 土 地 の 文 化 遺 産 の 断 定 にこの 技 術 は 利 用 価 値 が 高 いと 考 える。西 藤 :シリア、パルミラの 発 掘 と 修 復 活 動 成 果 について 説 明 する。考 古 遺 産 局 長 :パルミラで 発 掘 と 修 復 を 一 緒 にした 経 験 をキャプテンタワーの 発 掘 と 修 復 に 活 かして 頂 きたい。後 藤 : 過 去 のバハレーンでの 発 掘 について 紹 介 する。考 古 遺 産 局 長 : 日 本 の 成 果 について 伺 えて 光 栄 であり、 日 本 の 過 去 の 発 掘 調 査 について 詳 しく 知 りたい。安 倍 : 東 京 文 化 財 研 究 所 の 行 う 西 アジア 地 域 の 文 化 遺 産 保 護 支 援 について 説 明 する。考 古 遺 産 局 長 :エジプトの 博 物 館 への 支 援 と 紙 修 復 が 興 味 深 い。 紙 の 修 復 の 際 は、 和 紙 を 利 用 している。その 後 、 日 本 側 より、バハレーン 側 から 日 本 への 具 体 的 な 協 力 要 請 項 目 について 質 問 した。考 古 遺 産 局 長 :GIS についてはデンマークと 協 力 しているが、データベース 上 のインベントリーを 作 りたいと 考えている。 日 本 は 優 れた 技 術 や 発 掘 手 段 を 持 っているのを 知 っているので、 日 本 と 協 力 の 可 能 性 を 検 討 できることを 光 栄 に 思 う。バハレーンは 部 分 的 には 遅 れた 技 術 を 使 っていると 自 己 認 識 しているので、とくに 考 古 、 保 存 分 野における 技 術 移 転 などを 必 要 としている。 提 示 いただいたことは 全 て 素 晴 らしいと 考 える。 具 体 的 には、カラートゥ・ル=バハレーンのバッファゾーンでの 発 掘 は 重 要 である。カラートゥ・ル=バハレーンや 海 はバハレーンにとって、非 常 に 重 要 な 場 所 である。 水 中 にも 沈 没 船 があると 考 えている。ただ、 水 中 考 古 学 は 困 難 を 伴 うプロジェクトになると 考 える。そのほか、 伝 統 的 な 文 化 遺 産 の 修 復 方 法 をとくに 若 い 年 代 に 伝 える 必 要 がある。保 存 修 復 主 任 : 木 造 、モルタル、 窓 などの 建 造 物 修 復 の 技 術 習 得 のための 学 校 設 立 の 準 備 をしている。 文 化 省 の下 に 置 き、 国 立 とし 修 了 証 明 書 を 出 す 予 定 である。この 件 に 関 しては、 日 本 と 色 々な 協 力 方 法 があると 思 うので、67


APPENDIX引 き 続 き 内 容 を 限 定 せずに 協 力 を 検 討 していきたい。これは、 修 復 やドキュメンテーションは 進 んでいるが、 外 国のコンサルタントなどによって 行 われている。また、 現 場 のワーカーはインドなどからの 移 民 である。 現 場 には 博士 課 程 修 了 の 専 門 家 が 必 要 であるというわけではなく、 初 歩 の 修 復 技 術 を 持 った 人 間 を 雇 用 する 必 要 がある。 高 校卒 業 や 大 学 卒 業 の 人 材 を 想 定 した 学 校 で、 修 士 課 程 や 博 士 課 程 の 大 学 をバハレーンに 作 ることは 前 提 としていない。補 足 であるが、ムハラックなどの 歴 史 的 建 造 物 群 も 考 古 遺 産 局 保 存 修 復 主 任 の 監 督 下 にある。とくにムハラックは世 界 遺 産 暫 定 リストに 入 っており、 修 復 の 優 先 順 位 は 高 い(なお、 当 時 は 暫 定 リスト 入 りであったムハラックの 歴史 的 建 造 物 群 は、2012 年 に 世 界 遺 産 に 記 載 された)。バハレーンの 文 化 遺 産 を 見 た、 日 本 側 の 意 見 を 聞 きたいと 質 問 を 受 ける。西 藤 : 遺 跡 に 看 板 (サイン)が 少 なく、あったとしても( 立 ち 入 り 禁 止 等 の) 注 意 書 きだけで 遺 跡 の 重 要 性 は 伝わらないので、 変 更 を 検 討 したほうがよいのでは。考 古 遺 産 局 長 : 昔 看 板 があったが、 現 在 更 新 中 のため 取 り 除 いた。 新 しいものを 作 る 準 備 をしている。日 本 側 より、 調 査 の 結 果 は 報 告 書 を 作 成 するので、それを 元 にさらに 具 体 的 な 協 力 の 可 能 性 を 検 討 したいと 伝 える。また、 日 本 にも 古 墳 が 多 く 存 在 するので、 整 備 状 況 などの 実 見 のため 日 本 への 渡 航 を 進 める。 考 古 遺 産 局 長 からは、 日 本 にも 古 墳 が 存 在 し、バハレーンと 同 様 に 開 発 の 脅 威 が 存 在 することは 知 らなかったので、 興 味 がある。その 場 合 は、バハレーンの 考 古 学 に 関 する 研 究 会 の 中 で 発 表 をしたいと 好 意 的 な 反 応 を 得 る。考 古 遺 産 局 長 退 出 後 、 保 存 修 復 主 任 とさらに 面 談 を 続 ける。「 人 材 育 成 について」保 存 修 復 主 任 : 現 在 バハレーンには 文 化 遺 産 保 護 の 専 門 的 知 識 を 習 得 する 場 所 がない。 自 分 はカイロで 勉 強 したが、 少 し 前 の 世 代 のバハレーンの 考 古 学 者 はイラクやサウディアラビアで 勉 強 していた。「 国 際 協 力 について」保 存 修 復 主 任 :フランス、デンマークが 中 心 であるが、 彼 らも 一 か 月 程 滞 在 しても、その 後 いつ 来 るかわからない 状 況 である。「バハレーンにおける 文 化 遺 産 の 一 番 の 脅 威 とは」保 存 修 復 主 任 : 都 市 開 発 と 高 層 ビルによる 景 観 破 壊 があげられる。カラートゥ・ル=バハレーンはゾーニングによる 管 理 計 画 によりバッファゾーン 内 に 高 層 ビルを 建 てることができないが、ほかの 遺 跡 ではそのような 規 制 はない。また、 土 地 の 所 有 者 との 関 係 も、 脅 威 と 言 うよりは、チャレンジだと 考 えている。 湿 度 による 劣 化 といった 問題 もあるが、 非 常 に 緩 やかに 起 こることであるので、 脅 威 とは 考 えていない。「 日 本 とバハレーンの 今 後 について」保 存 修 復 主 任 : 日 本 とバハレーンの 交 流 がすぐにでも 始 まることを 期 待 する。68


2. 世 界 遺 産 アラブ 地 域 センター 準 備 室 との 面 談----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------日 時 :2011 年 12 月 21 日 11 時 30 分 ~ 12 時 30 分場 所 : 文 化 省出 席 者 :バハレーン 側サイード・アブドゥッラー・アル=フザーイー( 世 界 遺 産 委 員 会 アドバイザー)ハヤー・アフマド・アッ=サーダ( 世 界 遺 産 委 員 会 バハレーン 代 表 および 世 界 遺 産 アラブ 地 域 センターの 設 立のためのユニット 担 当 )日 本 側調 査 員 4 名----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------世 界 遺 産 アラブ 地 域 センター 準 備 室 より、 設 立 趣 旨 と 経 緯 について 説 明 があった( 内 容 に 前 述 の「3-3. 行 政 」を 参照 のこと)。その 後 、 日 本 側 からの 質 問 にバハレーン 側 が 応 答 する 形 式 で 面 談 を 行 った。質 問 :センターが 設 立 した 際 には、どれくらいの 規 模 ( 設 備 、 人 数 )になるか。回 答 : 計 画 に 則 り 進 める。 所 長 、 副 所 長 のほか、プログラムオフィサー、IT スペシャリストなどが 所 属 する 予 定である。質 問 :UNESCO エジプトオフィスやドーハオフィスがあるが、それらのオフィスとの 役 割 分 担 や 連 携 についてはどうなるか。回 答 :エジプトやドーハはカテゴリー 1 オフィスと 考 えられる。 当 センターはカテゴリー 2 であり、1972 年 の世 界 遺 産 条 約 に 特 化 し、 条 約 履 行 のための 業 務 を 行 うため、ユネスコ 本 部 がメインパートナーとなる。 当センターは、センターの 役 員 のほか、 文 化 省 、 外 務 省 、UNESCO、アラブ 諸 国 におけるその 年 の 世 界 遺 産委 員 国 の 代 表 が 選 挙 権 のあるメンバーとして、ICOMOS、ICCROM、IUCN が 非 選 挙 権 のメンバーとして、またほかのカテゴリー2センターがオブザーバーとして 参 加 する 組 織 構 成 となっている。質 問 :アラブ 諸 国 が 資 金 支 援 を 求 めたらどのように 順 位 をつけるか。回 答 : 難 しい 質 問 であるが、 危 機 遺 産 に 入 っている 遺 産 や、 自 然 災 害 によって 被 害 を 受 けた 遺 跡 の 優 先 度 が 高 い。質 問 :バハレーンの 世 界 遺 産 についてはどのように 支 援 するか。回 答 :バハレーンもほかの 国 と 違 いはなく、ほかのアラブ 諸 国 と 同 列 に 考 えている。最 後 に、 世 界 遺 産 アラブ 地 域 センター 準 備 室 からのコメントとして、 情 報 の 収 集 と 共 有 、および 要 望 の 集 約 などはコンソーシアムと 活 動 趣 旨 が 似 ているので、ぜひ 今 後 も 協 力 したい。 事 業 における 協 力 だけでなく、 同 じような組 織 を 構 成 しているように 見 受 けられるので、 運 営 上 どのような 組 織 化 が 最 適 か 情 報 を 共 有 したい。69


APPENDIX3.バハレーン 国 立 博 物 館 アドバイザーとの 面 談----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------日 時 :2011 年 12 月 22 日 13 時 ~ 14 時場 所 : 文 化 省出 席 者 :バハレーン 側ナディーン・ブクスマティー(バハレーン 国 立 博 物 館 アドバイザー)日 本 側調 査 員 3 名 ( 後 藤 を 除 く)----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ブクスマティー 氏 はレバノン 人 の 博 物 館 学 の 専 門 家 で、2008 年 よりバハレーンに 滞 在 しているとのことである。バハレーンの 博 物 館 において 必 要 とされている 項 目 について 聞 き 取 りを 行 った。2 点 について 具 体 的 な 要 望 があると 回 答 があった。 以 下 、 詳 細 を 記 す。1. 博 物 館 に 関 する 長 期 的 研 修 が 必 要 である。 短 期 的 研 修 は 今 までも 単 発 で 行 われてきたが、 効 果 に 関 しては 疑 問が 残 る。バハレーンには 博 物 館 学 を 教 える 大 学 がなく、 現 在 博 物 館 に 勤 務 するスタッフに 対 して、 個 別 のテーマ 設 定 の 短 期 研 修 ではなく 体 系 的 な 長 期 的 な 研 修 の 必 要 があると 考 えられる。2. 保 存 科 学 、 保 存 修 復 分 野 の 強 化博 物 館 スタッフは 少 なく 年 齢 も 高 齢 化 しており、 新 技 術 の 習 得 が 必 要 である。バハレーンの 大 学 には 化 学 専 攻があるので、それを 応 用 した 保 存 科 学 について 研 修 が 必 要 と 考 える。写 真 1. バハレーン 国 立 博 物 館 にて 写 真 2. ヨーゼフ 氏 案 内 による 見 学写 真 3. アル=マハーリー 氏 とのカラートゥ・ル=バハレーン 見 学 写 真 4. アッ=スレイティー 文 化 省 考 古 遺 産 局 長 との 面 談70


写 真 5. アッ=スレイティー 文 化 省 考 古 遺 産 局 長 との 記 念 写 真 写 真 6. サルマーン 博 物 館 担 当 官 との 記 念 写 真写 真 7. 世 界 遺 産 アラブ 地 域 センター 担 当 官 との 記 念 写 真 写 真 8. アッ=シンディー 氏 との 記 念 写 真写 真 9. ブクスマティー 氏 との 記 念 写 真 写 真 10. アッ=スレイティー 文 化 省 考 古 遺 産 局 長 との 記 念 写 真71


APPENDIXAPPENDIX 2. 文 化 遺 産 保 護 に 関 する 法 律ここでは、 文 化 省 より 入 手 した “Decree Law No.(11) Regarding the Protection of Antiquities” の 英 文 を 参 考 までに 載 せる。72


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APPENDIX 3. 入 手 資 料 一 覧ここでは、 今 回 の 調 査 を 通 じて 入 手 した 資 料 を 一 覧 で 示 す。 資 料 は 発 行 年 順 とする。1. 現 地 で 入 手 した 本書 名 著 名 ISBN 出 版 年 画 像Archaeological Sites in Bahrain Salman al-Mahari 987-999580-0567 2009The Tylos Period Bruials in Bahrain vol.2: TheHamad Town DS 3 and Shakhoura CemetariesMustafa Ibrahim Salman &Soren Freds Iund Anderse不 明 2009The Tylos Period Burials in Bahrain Soren Freds Iund Anderse 978-877934-3733 2007The Early Diumun Settelment at Sa'ar Robert Killick & Jane Moon 0-7103-0470 2005Al-Muharraq: ARCHITECTURAL HERITAGE OFBAHRAINI CITYJohn Yarwood 99901-37-19-6 2005Bahrain National Museum Bahrain National Museum 0 907151-78-7 1993Bahrain National Museum ArchaeologicalCollections vol.1: A Selection of Pre-IslamicAntiquities From Excavations 1954-1975Pierre Lombard and MonikKervran不 明 1989The Burial Mounds of Bahrain Flemming Hojlund 978-878841-5457 不 明Mosaic: A journey through the multi-faceted worldof Bahrain's Arts snd CraftsDr. Ali Hasan Follad 978-99901-92-68-1 不 明101 Things to See & Do in Bahrain Sarah Clarke 他 不 明 不 明91


APPENDIX2. 日 本 で 入 手 した 本書 名 著 名 ISBN 出 版 年 画 像An Archaeological Guide to BahrainRachel Maclean and TimothyInsoll978-1-905739-36-3 2011Oman, UAE & Arabian PeninsulaJenny Walker, Stuart Butler,Andrea Schulte-Peevers,Lain Shearer978-1-74179-145-7 2010Burial Mounds of Bahrain: SocialComplexity in Early DilmunFlemming Hojlund 978-8788415452 2008ペルシア 湾 の 真 珠 近 代 バーレーンの 人 と文 化チャールズ・D・ベルグレイヴ 4-639-01923-8 2006The Early Dilmun settlement at Saar R.G.Killick, Jane Moon 978-0953956111 2005Qal'at al-Bahrain a trading and militaryoutpostMonique Kervran, FredrikHiebert and Axelle Rougeulle2-503-99107-6 2005The Barbarber Temples (JutlandArchaeological Society)H.Hellmuth Andersen HojlundFlemming978-8788415278 2003Islamic Remains at Bahrain (JutlandArchaeological Society Pudlications,37)[ハードカバー]Karen Frifelt 978-8788415100 2002Early Dilmun Seals from Saar Harriet Crawford 0-9539561-0-5 2001Dilmun Temple At SaarHarriet Crawford, RobertKillick, Jane Moon978-0710304872 199792


書 名 著 名 ISBN 出 版 年 画 像Qala'at al-Bahrain: v.1: The Northern CityWall and the Islamic FortressFlemming Hojlund, H.Hellmuth Andersen, PederMortensen978-8772885742 1994Bahrain Through the Ages: The HistoryAbd Allah ibn Khalid Khalifah,Michael Rice978-0710302724 1993Madinat Hamad Burial Mounds-1984-85Indian Team Leader K.M.Srivastava. Bahrain NationalMuseum- 1991Bahrain Through the Ages: TheArchaeologyShaikh Abdullah Bin KhalidAl- Khalifa, Michael Rice978-0710301123 1986Life and Land Use on the Bahrain Islands:The Geoarchaeology of an Ancient SocietyLarsen, Curtis E. 9780226469065 1984Bahrain Map The Ministry of Information - -Bahrain and Manama City International Travel - -93


APPENDIX3.パンフレットタイトル 発 行 所 画 像Masks: Beauty of the SpiritsBahrain National MuseumQal'at al-Bahrain: Capital of Dilmunand its Ancient HsarbourMinistry of CultureQal'at al-Bahrain: Ancient Harbourand Capital of DilmunMinistry of CultureBahrain AttactionsMinistry of Information TourismAffairsShakh Ebrahim Bin Mohammed Al-Khalifa Center for Culture andResearchShakh Ebrahim Bin Mohammed Al-Khalifa Center for Culture andResearchBeit Al Qur'anBeit Al Qur'an MuseumProject of establishment of an ArabRegional Centre for WorldHeritage(ARC-WH)- as category 2centre under the auspices ofUNESCOMinistry of Culture & Information94


平 成 23 年 度 協 力 相 手 国 調 査バハレーン 王 国 調 査 報 告 書文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム2012 年 12 月 発 行[ 連 絡 先 ]〒 110-8713 東 京 都 台 東 区 上 野 公 園 13-43( 独 ) 国 立 文 化 財 機 構 東 京 文 化 財 研 究 所 気 付文 化 遺 産 国 際 協 力 コンソーシアム 事 務 局Tel.03-3823-4841 Fax.03-3823-4027http://www.jcic-heritage.jp/

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