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巻頭言<br />
薬学ビジョン部会に期待する<br />
日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
<strong>Pharma</strong><br />
<strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong><br />
No. 11<br />
薬学研究ビジョン<br />
スフィンゴ脂質の代謝・機能と創薬<br />
長野 哲雄(東京大学大学院薬学系研究科) 1<br />
西島 正弘(国立医薬品食品衛生研究所) 2<br />
薬学研究最前線<br />
MM-PBSA法を用いたキナーゼ阻害剤ArgadinおよびArgifinの結合自由エネルギー計算<br />
合田 浩明,柳井 雄一,広野 修一(北里大学薬学部) 7<br />
部会賞受賞者<br />
(1)新規抗腫瘍性天然物プラジエノライドの標的分子探索と抗がん剤創生<br />
小竹 良彦(エーザイ株式会社) 13<br />
(2)日本人における薬物応答性遺伝子のハイプロタイプ解析とその患者個別化薬物治療への応用<br />
斎藤 嘉朗(国立医薬品食品衛生研究所・機能生化学) 18<br />
(3)創薬加速技術としてのNMR相互作用解析手法の開発<br />
高橋 栄夫((独)産業技術総合研究所・生物情報解析研究センター) 23<br />
(4) ヘパラナーゼを介した免疫細胞の機能調節<br />
東 伸昭(東京大学大学院薬学系研究科・生体異物学教室)28<br />
薬学研究ビジョン部会からのお知らせ<br />
Index<br />
( Mar. 2008 )<br />
編集後記 鈴木 洋史(東京大学医学部付属病院) 34<br />
31
巻 頭 言<br />
薬学研究ビジョン部会に期待する<br />
長野 哲雄(東京大学大学院薬学系研究科)<br />
薬学部に 6 年制の新教育体制が導入されて 2 年<br />
経ち、4 年制との並立あるいは 6 年制単独など各<br />
大学によりその体制は異なりますが、大きな方向<br />
は定まったと言えるでしょう。薬学教育に携わる<br />
多くの教員が、現在この新教育体制を実りあるも<br />
のにするため、懸命の努力を続けています。<br />
この様な状況下、2008 年 3 月に開催される日<br />
本薬学会第 128 年会(横浜)の会頭講演で、私<br />
は「日本薬学会 -輝かしい未来に向けて-」を<br />
講演の演題にしました。これは上記の新教育体制<br />
を踏まえて、日本薬学会が新たな輝かしい未来を<br />
切り開くために何を具体的に行うべきかを論議<br />
したいと考えたからです。<br />
過日、NHK で鳥インフルエンザの特集番組が<br />
放映されていました。これは鳥インフルエンザの<br />
世界的流行(pandemic)により万を超える多数<br />
の死者が予想される恐怖を伝えるもので、この恐<br />
怖に対して医療関係者の色々な取り組みが紹介<br />
されていました。しかしながら、私が大変残念に<br />
思ったことは、医療関係者の中で薬剤師をはじめ<br />
薬学関係者の姿がほとんど見えないのです。鳥イ<br />
ンフルエンザワクチンや抗ウイルス薬が重要な<br />
役割を果たすことが丁寧に紹介されていたにも<br />
かかわらずです。国民やマスコミあるいは政府が<br />
この様な重大な医療に関する問題において薬学<br />
関係者にそれほど期待していないのでしょうか。<br />
鳥インフルエンザに限らず、治療における薬の<br />
役割は極めて大きいことは周知のことであると<br />
思います。しかしその一方で創薬研究者や薬剤師<br />
の影はあまりに薄く、存在が希薄です。イノベー<br />
ション 25 で医薬が重要項目に掲げられ、またマ<br />
スコミのアンケート調査によれば、国民の関心事<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
の第 1 位は健康だそうです。<br />
ここ数年、日本薬学会の最大の課題は新教育体<br />
制に関することでした。もちろんこの課題は現在<br />
も重要であることは当然ですが、その様な内向き<br />
の議論だけではなく、これからの日本の創薬研究、<br />
製薬産業あるいは国民医療について、日本薬学会<br />
は国会・省庁・マスコミ・国民あるいは世界に向<br />
けて「薬学白書」などにより積極的に提言する事<br />
が重要であると思います。私は薬学研究ビジョン<br />
部会に、この様な日本薬学会の将来ビジョンを討<br />
議して対外的に提言するブレーン集団としての<br />
役割を期待しています。このためには、薬学研究<br />
ビジョン部会が単なる一部会ではなく、薬学会執<br />
行部あるいは会頭直属の組織であるべきでしょ<br />
う。<br />
日本薬学会の各部会あるいは支部を如何に活<br />
性化するか? 創薬研究をより活性化するため<br />
の方策は? 質の高い薬剤師の実効性のある養<br />
成教育は? AFMC あるいは FIP など国際的組<br />
織との関わりは?等、将来に向けての課題は山積<br />
しています。私は、これらの課題を一つ一つ解決<br />
することにより、日本薬学会に輝かしい未来が開<br />
けるものと確信しております。この様な将来構想<br />
は、薬学研究ビジョン部会会員の皆様のご支援と<br />
ご協力なしには成就しないことは明らかです。ど<br />
うぞ、今まで以上のご尽力そしてご鞭撻をお願い<br />
申し上げます。<br />
◆略 歴◆ 長野 哲雄 (Tetsuo NAGANO):東京大学大学院薬学系研究科教授。昭和 47 年東京大学<br />
薬学部卒、東京大学薬学系大学院博士課程修了(薬学博士)の後、米国へ留学。その後、東京大学薬学部助<br />
教授を経て、平成 8 年 5 月より東京大学薬学部教授。役職として、平成 10 年 2 月より平成 11 年 3 月まで東<br />
京大学総長補佐、東京大学大学院薬学系副研究科長、平成 18 年 3 月より平成 20 年 2 月まで日本薬学会副会<br />
頭、平成 20 年 3 月より日本薬学会会頭。この間、紫綬褒章、日本薬学会賞、島津賞、上原賞、市村賞、持<br />
田学術賞、山崎貞一賞などを受賞。主たる著書として、「創薬化学」(東京化学同人)、「生化学反応機構 -<br />
ケミカルバイオロジーの理解のために-」(長野哲雄 監訳)等。<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 1
薬学研究ビジョン<br />
1.はじめに<br />
スフィンゴ脂質は、スフィンゴイド塩基をその<br />
構造骨格として持つ一群の脂質であり、この種の<br />
脂質は動物、植物、一部の微生物に存在し、グリ<br />
セロールをその構造骨格とするグリセロ脂質と<br />
共に、膜脂質の主要なグループになっている。ス<br />
フィンゴ脂質という名前は、その機能が不明であ<br />
ったことから、 「 謎」を意味するスフィンクスにあ<br />
やかって付けられたものである。スフィンゴミエ<br />
リン(SM)はホスホコリン基を持ったスフィン<br />
ゴ脂質で、哺乳動物細胞では総リン脂質の5~1<br />
0%を占めている。一方、糖を持ったスフィン<br />
ゴ脂質(グリコスフィンゴ脂質,GSL;スフィ<br />
ンゴ糖脂質)もまた高等動物に広く存在してい<br />
るが、糖鎖部分の構造は多様であり、それぞれ<br />
の GSL 分子種の含量は細胞の種類によって異<br />
なっている。近年、スフィンゴ脂質は、その分<br />
解代謝産物であるセラミド(Cer)、スフィンゴ<br />
シン(Sph)、スフィンゴシンー1ーリン酸(S1P)<br />
などが細胞内の情報伝達に関与することが明ら<br />
かにされ、大いに注目されている。また、スフ<br />
ィンゴ脂質は、コレステロールなどと共に、ラ<br />
フトと呼ばれる膜微小ドメインの形成に関与し、<br />
この微小ドメインが情報伝達の場として重要な<br />
役割を果たすことが明らかにされてきたことに<br />
より、益々注目の度を増している。本稿では、<br />
スフィンゴ脂質代謝に関する筆者らの研究成果、<br />
並びに、スフィンゴ脂質の機能と創薬への展開<br />
に関するトピックスを紹介する。<br />
2.スフィンゴ脂質の代謝 ―SM の生合成と<br />
セラミド輸送蛋白質(CERT)の発見を中心に<br />
―<br />
図1にスフィンゴ脂質の代謝経路を示す。スフ<br />
ィンゴ脂質生合成の第一歩は、セリンパルミト<br />
イル転移酵素(SPT)が触媒するパルミトイル<br />
-CoA と L-セリンの縮合反応による 3-ケトジヒ<br />
ドロスフィンゴシンの生成である(図1①)。そ<br />
スフィンゴ脂質の代謝・機能と創薬<br />
西島 正弘 (国立医薬品食品衛生研究所)<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
の後、3-ケトジヒドロスフィンゴシンの C3 位が<br />
還元されてジヒドロスフィンゴシンとなる(図1<br />
②)。次いで、ジヒドロスフィンゴシンは N-アシ<br />
ル化されて N-アシルジヒドロスフィンゴシン<br />
(別名ジヒドロセラミド)に変換され(図1③)、<br />
続く C4-C5 間の不飽和化反応により N-アシルス<br />
フィンゴシンすなわち Cer が生合成される(図<br />
1④)。この Cer はさまざまなスフィンゴ脂質の<br />
生合成中間体であり、この分子にホスファチジル<br />
コリンのホスホリルコリン基が転移するとスフ<br />
ィンゴミエリン(SM)となり(図1⑤)、UDP-<br />
パルミトイルCoA<br />
図1:スフィンゴ脂質の代謝経路<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 2<br />
OH<br />
O<br />
3-ケトジヒドロスフィンゴシン<br />
ジヒドロスフィンゴシン<br />
S CoA<br />
S CoA<br />
S CoA<br />
N-アシルジヒドロスフィンゴシン<br />
セラミド<br />
N(CH 3)3<br />
O<br />
OH<br />
OH<br />
OH<br />
NH 2<br />
NH 2<br />
OH<br />
OH<br />
OH<br />
NH<br />
C O<br />
R<br />
OH<br />
NH<br />
C O<br />
R<br />
O P O<br />
スフィンゴミエリン<br />
NH<br />
C O<br />
R<br />
スフィンゴ糖脂質<br />
スフィンゴ糖脂質<br />
セラミド<br />
スフィンゴシン<br />
スフィンゴシン-1-リン酸<br />
スフィンゴシン-1-リン酸<br />
①<br />
②<br />
③<br />
④<br />
OH<br />
OH<br />
OH<br />
OH<br />
NH<br />
C O<br />
R<br />
NH 2<br />
NH2 NH2 NH2<br />
OH<br />
O P<br />
O<br />
CHO H2N<br />
P O<br />
CHO H2N<br />
+<br />
アルデヒド ホスホエタノールアミン<br />
P O<br />
H2N<br />
P<br />
+<br />
アルデヒド ホスホエタノールアミン<br />
+<br />
⑤ ⑥<br />
⑦ ⑧<br />
⑨<br />
⑩<br />
⑪<br />
HOCH2 HOCH2 HOCH2<br />
NH2 NH2 NH2<br />
H<br />
COOH<br />
L-セリン<br />
セリンパルミトイルトランスフェラーゼ(SPT)<br />
OH<br />
O 糖<br />
NH<br />
C O<br />
R
グルコース、UDP-ガラクトース、UMP-シアル<br />
酸などから糖が順次に転移されることにより多<br />
様なグリコスフィンゴ脂質(GSL)群が生合成さ<br />
れる(図1⑥)。以上のスフィンゴ脂質の生合成<br />
において、SPT 反応からセラミド合成までは小<br />
胞体で行われ、それ以後の反応はゴルジ体で行わ<br />
れる。<br />
一方、SM や GSL は、スフィンゴミエリナー<br />
ゼやグルコシダーゼなどにより分解されて Cer<br />
を生成する(図1⑦、⑧)。この Cer は、セラミ<br />
ダーゼにより Sph と脂肪酸に分解され(図1⑨)、<br />
Sph はスフィンゴシンキナーゼにより S1P に変<br />
換される(図1⑩)。さらに、S1P は S1P リアー<br />
ゼにより分解され、ホスホエタノールアミンと脂<br />
肪アルデヒドに変換される(図1⑪)。<br />
筆者らは、スフィンゴ脂質の生合成機構や機能<br />
を明らかにする目的で、CHO-K1 細胞からさま<br />
ざまなスフィンゴ脂質代謝変異株を分離して研<br />
究を行ってきた。まず初めに、スフィンゴ脂質生<br />
合成反応の初発段階を触媒する SPT をポリエス<br />
テル布上で in situ に測定する方法を考案し、こ<br />
の活性が温度感受性となった変異株 SPB-1 株を<br />
分離することに成功した。そして、この変異株を<br />
用いた研究によりスフィンゴ脂質が動物細胞の<br />
増殖に必須であることを初めて明らかにするこ<br />
とができた (1) 。また、SPT は少なくとも二つの<br />
遺伝子産物(LCB1, LCB2)から構成され、SPB-1<br />
は lcb1 遺伝子に欠損を有することを明らかにし<br />
た (2) 。SPB-1 細胞を用いることにより、ラフト<br />
に存在する GPI-アンカー蛋白質がスフィンゴ脂<br />
質と細胞膜上で相互作用していることを細胞レ<br />
ベルで初めて明らかにすることができた (3) 。<br />
さらに、我が国の研究者によって発見されたシ<br />
マミミズの体腔液由来のライセニンと呼ばれる<br />
溶血性蛋白質が SM に特異的に結合して細胞毒<br />
性を発揮することに着目し、ライセニン耐性変異<br />
株を分離することにより、 SM 生合成が異常と<br />
なった変異株を数種類分離することに成功した。<br />
そして、これらの中に、SPB-1 と同様に SPT に<br />
損傷を持つ変異株(LY-B)に加え (4) 、LY-B とは<br />
異なった部位に損傷を有すると考えられる新し<br />
いタイプの変異株(LY-A)を見出した (5) 。LY-A<br />
株の解析を進めた結果、この変異株では小胞体で<br />
生合成された Cer がゴルジ体に輸送されないた<br />
めに SM 合成ができないことが示唆された。その<br />
後、細胞膜に小孔を開けた semi-intact 細胞にお<br />
いて ATP 依存性の Cer の小胞体-ゴルジ体間輸送<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
を再現する実験系を開発し、この in vitro 再構<br />
成系を用いた解析から、ATP 依存性の Cer 輸送<br />
にはサイトソル蛋白質が必要であることを明ら<br />
かにするとともに、LY-A 株の欠損はサイトソル<br />
因子の欠損に起因していることを明らかにした<br />
(6) 。<br />
図2:CERT を介するセラミドの小胞体からゴルジ体へ<br />
の選別輸送機構<br />
続いて、LY-A 株の損傷を相補する cDNA のク<br />
ローニングにも成功した (7) 。CERT(Ceramide<br />
trafficking protein)と命名したこの遺伝子産物<br />
は、大変興味深いことに、少なくとも3つのドメ<br />
インから形成され、それぞれのドメインが Cer<br />
を小胞体からゴルジ体へ輸送するのに相応しい<br />
機能を有することが明らかとなった(図2)。す<br />
なわち、120 個のアミノ酸残基からなるアミノ末<br />
端領域には、ゴルジ体膜の脂質成分の一つである<br />
ホスファチジルイノシトール-4-リン酸(PI4P)<br />
に結合する活性を持つ PH ドメインが存在する。<br />
中央部には、蛋白質の自己集合に関与すると言わ<br />
れている coiled-coil モチーフを含む MR ドメイ<br />
ンが存在し、このドメインにある FFAT モチーフ<br />
と呼ばれる短鎖ペプチドが小胞体に存在する<br />
VAP と呼ばれるタンパク質と相互作用すること<br />
により、CERT を小胞体へターゲティングするこ<br />
とを明らかにした (8) 。そして、230 個のアミノ<br />
酸から成るカルボキシ末端領域には START ドメ<br />
インが存在し、このドメインは Cer を特異的に<br />
認識することが示された。このことは、START<br />
ドメインの結晶構造解析によっても確認された<br />
(9) 。これらの結果から、CERT は、小胞体で生<br />
合成された Cer を START ドメインの働きで小胞<br />
体膜から引き抜き、その後、PH ドメインの働き<br />
でセラミドをゴルジ体へと選別輸送することを<br />
提唱した(図2)。最近、PH ドメインにあるセ<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 3
リンリピートモチーフ部位がリン酸化されるこ<br />
と、およびリン酸化により Cer の輸送が抑制さ<br />
れることが明らかとなった (10) 。PH ドメインの<br />
リン酸化により、PH ドメインと START ドメイ<br />
ンが相互作用し、それぞれのドメインが PI4P あ<br />
るいは Cer を結合できなくなるものと推定して<br />
いる。<br />
膜脂質生合成過程での脂質輸送機構について<br />
は、蛋白質と共に行われる膜小胞輸送機構が推定<br />
されてきた。筆者らの CERT の発見は、Cer が<br />
「分子引き抜き転移」機構で選別輸送されること<br />
を初めて示したものとして、あるいは膜リン脂質<br />
生合成に関わる特異的な脂質選別輸送装置を分<br />
子レベルで初めて同定したものとして大きな反<br />
響を呼んでいる。Cer は、スフィンゴ脂質の生合<br />
成中間体としてだけではなく、細胞内シグナル伝<br />
達にも関与する脂質であり、従って、CERT はシ<br />
グナル伝達にも関与する可能性が考えられる。最<br />
近、リソソームにおいて糖脂質の分解のために働<br />
いていると考えられてきたサポシンと呼ばれる<br />
蛋白質が、細胞内に入り込んだ結核菌の糖脂質を<br />
CD1d と呼ばれる抗原提示蛋白質に転移する機<br />
能も有することが明らかにされた (11) 。細胞内に<br />
は、まだ数多くの種類の脂質輸送蛋白質が存在し、<br />
その機能も多岐にわたるものと推定され、これら<br />
脂質輸送蛋白質と疾病との関連も出てくると予<br />
測される。<br />
3.スフィンゴ脂質の機能解析と創薬への展開<br />
(1)C型肝炎ウイルス(HCV)複製における<br />
スフィンゴ脂質の役割解明と創薬<br />
HCV は高頻度に肝臓へ持続感染し、高効率に<br />
慢性肝炎を引き起こし、慢性的に起こる肝臓での<br />
炎症は肝硬変を誘発し、更には肝癌を発生させる<br />
ことが知られている。日本では 200〜300 万人に<br />
及ぶ HCV 感染者がおり、毎年4万人ものヒトが<br />
肝癌を発症している。現在、HCV に対する治療<br />
法として、抗ウイルス作用を持つインターフェロ<br />
ン治療が行われている。しかし、約 40%の患者<br />
でしか効果が認められず、副作用も大きいため、<br />
さらに安全で有効な治療薬の開発が求められて<br />
いる。<br />
S. Shi らは、新たに合成された HCV RNA が<br />
斑点状の構造体に局在し、この構造体には HCV<br />
の非構造タンパク質も存在すること、並びに<br />
HCV RNA や非構造タンパク質がラフト分画に<br />
存在することを示し、HCV の複製がラフト上で<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
行われることを報告した (12) 。ラフトの形成には<br />
コレステロールとスフィンゴ脂質が必須であり、<br />
細胞からコレステロールを除去すると HCV の<br />
RNA 合成が阻害されることも報告された (13) 。<br />
H. Sakamoto らは、HCV レプリコン細胞を使<br />
用したハイスループットスクリーニングにより、<br />
カビの一種である Fusarium sp.より HCV レプ<br />
リコンの複製を阻害する化合物 NA255(図 3)<br />
を発見した (14) 。NA255 の抗レプリコン活性の<br />
IC50 は 2nM であり、一方、細胞毒性を示す濃度<br />
は 50μM 以上であり、高い選択性を示した。<br />
NA255 の化学構造は、SPT の特異的阻害剤であ<br />
るミリオシンと類似しており、NA255 も nM オ<br />
ーダーの濃度で SPT 活性を強く阻害した。更に、<br />
RNA ポリメラーゼである NS5B タンパク質には<br />
スフィンゴミエリンと結合するドメインが存在<br />
することも明らかにされた。NA255 によりスフ<br />
ィンゴミエリン合成が阻害されると RNA ポリメ<br />
ラーゼがラフト上の HCV 複製複合体に集合でき<br />
なくなり、その結果 HCV の複製が阻害されるも<br />
のと推定されている。NA255 のような宿主因子<br />
をターゲットとする抗 HCV 薬は、ウイルス因子<br />
をターゲットとする薬剤と異なり、耐性株の出現<br />
頻度は極めて低いと考えられ、今後の進展が期待<br />
される。<br />
(2)セラミドを分子標的とする細胞死の制御<br />
岡崎らは、ヒト骨髄性白血病 HL-60 細胞が<br />
活性型ビタミン D3 によって単球系に分化する際<br />
に、SM 分解によって一過的に生じる Cer が細胞<br />
内脂質メディエーターとして働くことを提唱し<br />
た (15) 。Cer は HL-60 細胞の分化誘導以外にもア<br />
ポトーシスを引き起こすことも明らかにされ、腫<br />
瘍細胞、特に血液腫瘍細胞である白血病やリンパ<br />
腫細胞において細胞死誘導脂質 Cer を増加させ<br />
ることで、これまでに抗ガン剤に耐性に陥ってい<br />
た腫瘍細胞における抗ガン剤感受性を回復する<br />
ことを目的とし研究が進められている (16) 。一つ<br />
の手法として Cer を SM に変換するSM合成酵<br />
素の機能を阻害することで Cer の細胞内蓄積増<br />
強を誘導することで細胞死を亢進することを検<br />
討し、ある種のSM合成酵素の阻害剤が、白血病<br />
抗ガン剤耐性 HL-60/ADR 細胞の細胞死を誘導<br />
することを見出している。Cer を分子標的とする<br />
細胞死の制御は、抗がん剤耐性克服のためのスト<br />
ラテジーとして興味が持たれる。<br />
(3)スフィンゴシンー1―リン酸(S1P)をタ<br />
ーゲットとする免疫抑制剤<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 4
藤多らは、マウス同種リンパ球混合反応を阻害<br />
する化合物 IPS-1(ミリオシン)(図3)を冬虫<br />
夏草の一種である Isaria sinclairii の培養濾液<br />
から発見した (17) 。この免疫抑制物質 ISP-1 はス<br />
フィンゴイド類似体であり、小堤らにより SPT<br />
を強く阻害することが明らかにされた (18) 。興味<br />
深いことに、ISP-1 は他の細胞では増殖阻害を起<br />
こさない低濃度でも IL-2 依存性 T 細胞 CTLL-2<br />
の増殖を阻害し、免疫抑制剤として注目された<br />
(18) 。その後、千葉らは、IPS-1 の構造変換化合<br />
物の中から、同種移植および自己免疫疾患モデル<br />
において強力な抑制効果を示す化合物 FTY720<br />
(図3)を見出し、この化合物は生体内ではスフ<br />
ィンゴシンキナーゼによって速やかに FTY720<br />
リン酸(FTY720-P)に変換され、S1P の受容体<br />
にアゴニストとして作用することを明らかにし<br />
た (19) 。<br />
n=1~11<br />
O<br />
O<br />
スフィンゴシン<br />
セラミド<br />
IPS-1(ミリオシン)<br />
NA255<br />
FTY720<br />
O<br />
H N<br />
OH<br />
H O<br />
OH<br />
NH 2<br />
NH 2<br />
COOH<br />
OH<br />
NH 2<br />
OH<br />
O<br />
COOH<br />
H N<br />
OH<br />
OH<br />
O<br />
O<br />
OH<br />
OH<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 5<br />
O<br />
OH<br />
OH<br />
OH<br />
OH<br />
図3:スフィンゴシン・セラミドに類似した構造を有す<br />
る薬物の構造式<br />
ところで、脂質メディエーターとして注目され<br />
ている S1P の受容体は、現在までに5種類<br />
(S1P1~S1P5)同定されており、リンパ球におい<br />
ては S1P1 が強く発現している。S1P1 はリンパ球<br />
が胸腺や二次リンパ系組織から外に移出される<br />
過程で発現が増強され、血小板から産生されて血<br />
中に高濃度存在する S1P の濃度勾配にしたがっ<br />
てリンパ組織から血中に移行する。FTY720-P は<br />
S1P に構造が類似するため、S1P1 に結合し、そ<br />
のダウンレギュレーションを長時間誘導するこ<br />
とが判明した (20) 。従って、FTY720 で処理され<br />
たリンパ球では S1P1 の発現が著しく減少するた<br />
め、リンパ組織からの循環リンパ球の移出が阻害<br />
され、免疫抑制が発揮されるものと考えられてい<br />
る。現在、FTY720 の多発性硬化症を対象とした<br />
臨床試験が行われつつあり、優れた治療効果を示<br />
すことが報告されている。<br />
国沢らは、腸管免疫システムにおける S1P の<br />
役割を検討し、パイエル板などの腸管関連リンパ<br />
組織(gut-associated lymphoid tissue; GALT)<br />
の B-2 細胞を介した腸管分泌型 IgA 産生、並び<br />
に腹腔 B-1 細胞を介した腸管分泌型 IgA 産生の<br />
両経路において、S1P が重要な役割を果たし、<br />
FTY720 は両者を共に阻害することを明らかに<br />
している (21) 。また、S1P は食物アレルギーや潰<br />
瘍性大腸炎などの腸管免疫疾患にも関わること<br />
がモデルマウスで示され、これら疾患が FTY720<br />
処理により改善されることも示されている (21) 。<br />
4.おわりに<br />
構造・物性・代謝の生化学を軸として発展して<br />
きた脂質研究は、分子生物学や細胞生物学の手法<br />
を取り入れ、リピドの生物学的役割に目を向けた<br />
リピドバイオロジーへと発展・変容し、生命の分<br />
子レベルでの理解に大きく貢献しつつある。脂質<br />
研究の注目度を大きく高めたのは、シグナル伝達<br />
におけるイノシトールリン脂質の代謝回転とプ<br />
ロテインキナーゼCの発見である。この画期的な<br />
研究に続き、膜の構成成分と見られてきた脂質か<br />
ら、プロスタグランジン、ロイコトリエン、PA<br />
F,リゾホスファチジン酸、スフィンゴシン-1<br />
-リン酸、2-アラキドノイルグリセロールなど、<br />
数多くの生理活性脂質が産生されることが判明<br />
し、更にこれら生理活性脂質の生合成酵素や受容<br />
体が同定され、癌浸潤・転移、炎症・免疫、神経<br />
機能など実に広い領域における脂質の役割が解<br />
明されつつある。今後、脂質をターゲットとする<br />
薬物開発への取り組みがさらに拡大されること<br />
を期待している。
参考文献<br />
1) Hanada, K., Nishijima, M. et al., J. Biol. Chem., 265, 22137-22142 (1990)<br />
2) Hanada, K., Hara,T. et al., J. Biol. Chem., 275, 8409-8415 (2000)<br />
3) Hanada, K., Izawa, K. et al., J. Biol. Chem., 268, 13820-13823 (1993)<br />
4) Hanada, K., Hara,T. et al., J. Biol. Chem., 273, 33787-33794 (1998)<br />
5) Fukasawa, M., Nishijima, M. et al., J. Cell Biol., 144, 673-685 (1999)<br />
6) Funakoshi, T., Yasuda, S. et al., J. Biol. Chem., 275, 29938-29945 (2000)<br />
7) Hanada, K., Kumagai, K. et al., Nature, 426, 803-809 (2003)<br />
8) Kawano, M., Kumagai, K. et al., J. Biol. Chem., 281, 30279-30288 (2006)<br />
9) Kudo, N., Kumagai, K. et al., Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 105, 488-493 (2008)<br />
10) Kumagai, K., Kawano, M. et al., J. Biol. Chem., 282, 17758-17766 (2007)<br />
11) Winau, F. Schwierzeck, V. et al., Nat. Immunol., 5, 169-174 (2004)<br />
12) Shi, ST., Lee, KJ. et al., J. Virol., 77, 4160-4168 (2003)<br />
13) Aizaki, H., Lee, KJ. et al., Virology., 324, 450-461 (2004)<br />
14) Sakamoto, H., Okamoto, K. et al., Nat. Chem. Biol., 1, 333-337 (2005)<br />
15) Okazaki, T., Bell, RM. et al., J. Biol. Chem., 264, 19076-19080 (1989)<br />
16) Okazaki, T. Rinsho Byori., 53, 413-421 (2005)<br />
17) Fujita, T., Inoue, K. et al., J. Antibiotics, 47, 208-215 (1994)<br />
18) Miyake, Y., Kozutsumi, Y. et al., Biochem. Biophys. Res. Commun., 211, 396-403 (1995)<br />
19) Chiba, K. <strong>Pharma</strong>col. Ther., 108, 308-319 (2005)<br />
20) Chiba, K., Matsuyuki, H. et al., Cell. Mol. Immunol., 3, 11-19 (2006)<br />
21) 國澤 純、清野 宏 実験医学 25, 147-155 (2007)<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
◆略 歴◆ 西島 正弘 (Masahiro NISHIJIMA):1974 年東大薬・博士課程修了、国立予防衛生研究<br />
所(予研)研究員、1975 年東大学薬学部助手、1977 年ウィスコンシン大学留学、1980 年予研化学部室長、<br />
1994 年予研細胞化学部部長、1996 年国立感染症研究所細胞化学部部長、2006 年同志社女子大学薬学部教授、<br />
2006 年国立医薬品食品衛生研究所所長、同志社女子大学薬学部客員教授<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 6
薬学研究最前線<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
MM-PBSA 法を用いたキチナーゼ阻害剤 Argadin<br />
および Argifin の結合自由エネルギー計算<br />
合田 浩明,柳井 雄一,広野 修一(北里大学薬学部)<br />
1. はじめに<br />
キチナーゼはキチンの加水分解を触媒する酵<br />
素で、霊菌、真菌、昆虫類からヒトまで幅広く分<br />
布している。真菌および昆虫類にとって、キチン<br />
は生体の主要な構造成分であるので、キチナーゼ<br />
はその生命活動に必須の酵素となっている。それ<br />
ゆえ、真菌および昆虫類のキチナーゼに対する阻<br />
害剤には、抗真菌薬および殺虫剤の可能性がある。<br />
一方、ヒトにも、2種類のキチナーゼ(ヒトキチ<br />
ナーゼ1およびヒト酸性キチナーゼ)が存在する。<br />
2004 年に Zhu らにより行われたマウス喘息疾患<br />
モデルを用いた実験により、酸性キチナーゼが喘<br />
息炎症反応に関与していること、および酸性キチ<br />
ナーゼ活性を阻害することで炎症を抑制できる<br />
ことが報告された 1)。したがって、ヒト酸性キチ<br />
ナーゼに対する阻害剤には、喘息治療薬としての<br />
機能が期待される。<br />
最近、北里生命科学研究所において、キチナー<br />
ゼ阻害剤、Argifin および Argadin、が発見され<br />
た 2、3)。Argifin および Argadin は、共に、1つ<br />
の Arg 残基を含む5つのアミノ酸残基からなる<br />
環状ペプチド性化合物で、大きさ的にもよく似て<br />
いる(図1)。しかし、興味深いことに、Argadin<br />
が Argifin よりも非常に強いキチナーゼ阻害活性<br />
を示す(図1)。特に、霊菌のキチナーゼB(ChiB)<br />
に対して、Argadin の阻害定数(Ki = 20 nM)は<br />
Argifin の定数(Ki = 33,000 nM)より 1000 倍以上<br />
強い。阻害定数は結合自由エネルギーに関連づけ<br />
ることができるので、Argadin の結合自由エネル<br />
ギー(∆Gbind(実験) = –10.92 kcal/mol)は、Argifin<br />
の値(∆Gbind(実験) = –6.36 kcal/mol)より、4.56<br />
kcal/mol 強いことになる。既に、Argifin−ChiB<br />
複合体、および Argadin−ChiB 複合体のX線結<br />
晶構造が報告されており(図2)、両者を比較する<br />
ことで Argifin と Argadin の相互作用様式の違い<br />
については議論されている(例えば、Argifin の<br />
Arg(1)は ChiB の D142、E144、および Y214 と<br />
水素結合を形成しているが、Argadin の Arg(1)<br />
は Aminoadipic acid(5)と分子内水素結合を形成<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 7
し、ChiB の W97 および W220 からなる疎水ポ<br />
ケットに収まっている) 4)。しかし、構造比較だけ<br />
では、この結合親和性の違いを定量的に説明する<br />
ことはできない。そこで本研究では、Kollman<br />
博士らにより提案された MM-PBSA<br />
(Molecular Mechanics Poisson–Boltzmann<br />
Surface Area)法 5)をこの系に適用し、Argifin お<br />
よび Argadin の結合自由エネルギー解析を行っ<br />
た 6)。これにより、物理化学的観点から結合親和<br />
性の違いを定量的に解析する。また、計算結果を<br />
用いて、結合親和性の改善が期待できる Argifin<br />
誘導体(構成アミノ酸を別のアミノ酸で置換した<br />
誘導体)の論理的分子設計を行う。これらの結果<br />
は、キチナーゼを標的にした新規な抗真菌薬、殺<br />
虫剤、および喘息治療薬の開発に有用な情報を与<br />
えると思われる。<br />
2. MM-PBSA 法<br />
MM-PBSA 法では、タンパク質−リガンド複合<br />
体、タンパク質単独、およびリガンド単独の溶液<br />
構造アンサンブルを必要とする。したがって、厳<br />
密に行う場合には、それぞれについて水溶液中で<br />
の分子動力学(MD)シミュレーションを行い、そ<br />
れぞれの溶液構造アンサンブルを算出する必要<br />
がある。この中で、複合体およびタンパク質単独<br />
のシミュレーションは、取り扱う原子数が巨大で<br />
あるため、非常に時間がかかる。しかし、複合体<br />
中のタンパク質構造がその単独溶液構造とほぼ<br />
同じであると仮定できる場合には、複合体につい<br />
ての MD シミュレーションだけを行い、その溶<br />
液構造アンサンブルからリガンドを取り除くこ<br />
とで、タンパク質単独の溶液構造アンサンブルを<br />
用意することができる。ChiB 単独のX線結晶構<br />
造は、Argifin(および Argadin)との複合体におけ<br />
る ChiB 構造とほとんど同じであった 7)。そこで、<br />
本研究においてもこの近似法を用いている。また、<br />
非常に多くの場合において、この近似法が有効で<br />
あることが報告されている 8-12)。<br />
次に、複合体、タンパク質単独、およびリガンド<br />
単独の溶液構造アンサンブルを用いて、図3のよ<br />
うな熱力学サイクルを考える。このサイクルにお<br />
いて、求めるべき結合自由エネルギー(∆Gbind(計<br />
算))は、次のように表される。<br />
∆Gbind(計算) = ∆Ggas + Gsolv_complex – Gsolv_protein –<br />
Gsolv_ligand (1)<br />
ここで、∆Ggas は気相中における結合エネルギー<br />
を表している。この項は、複合体、タンパク質単<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
独、およびリガンド単独の溶液構造アンサンブル<br />
が持つ分子力学(Molecular Mechanics)エネルギ<br />
ーを AMBER 等のパラメータ 13)を用いて計算し、<br />
差をとることで計算される。具体的に、∆Ggas は<br />
次の項の和となる。<br />
∆Ggas = ∆Eint + ∆EVDW + ∆Eelec – T∆Ssolute (2)<br />
∆Eint は結合時のリガンドの構造変化に伴う内部<br />
エネルギー変化(結合長、結合角、二面角に関す<br />
るエネルギー変化)、∆EVDW はタンパク質−リガ<br />
ンド間の van der Waals 相互作用エネルギー、<br />
∆Eelec はタンパク質−リガンド間の静電相互作用<br />
エネルギー、T∆Ssolute は結合に伴う分子のエント<br />
ロピー変化、である。<br />
式(1)における、Gsolv_complex、Gsolv_protein、および<br />
Gsolv_ligand は、それぞれ、複合体、タンパク質単<br />
独、およびリガンド単独の溶液構造アンサンブル<br />
についての水和自由エネルギーを表している。例<br />
えば、Gsolv_complex は、次のように極性項<br />
(GPB_complex:電荷が寄与するエネルギーを表す<br />
項)と非極性項(GSA_complex:水分子との van der<br />
Waals 相互作用エネルギーと空洞形成や水分子<br />
の再配置に必要なエネルギーを表す項)に分割さ<br />
れて、計算される。<br />
Gsolv_complex = GPB_complex + GSA_complex (3)<br />
GPB_complex は、Delphi 14)等のプログラムを用いて<br />
Poisson-Boltzmann 方程式を数値的に解くこと<br />
により、GSA_complex は表面積(Surface Area)に依<br />
存した経験式により求められる。ところで、式(1)<br />
中における、水和自由エネルギー項の寄与は、複<br />
合体の水和自由エネルギーから、タンパク質単独<br />
とリガンド単独の水和自由エネルギーを引いた<br />
形になっており、これはまさに結合に伴う水和自<br />
由エネルギーの変化(∆Gsolv)を表している。<br />
∆Gsolv = Gsolv_complex – Gsolv_protein – Gsolv_ligand<br />
= GPB_complex + GSA_complex – ( GPB_protein<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 8
+ GSA_ptrotein ) – ( GPB_ligand +<br />
GSA_ligand )<br />
= ( GPB_complex – GPB_protein – GPB_ligand )<br />
+ ( GSA_complex – GSA_protein – GSA_ligand )<br />
= ∆GPB + ∆GSA (4)<br />
このように、MM-PBSA 法は、熱力学サイクル<br />
を利用することにより、結合に伴う水和自由エネ<br />
ルギー変化をきちんと考慮するため、非常に精度<br />
の高い結合自由エネルギーを与えることができ<br />
る。最終的に∆Gbind(計算)は次の項の和で計算さ<br />
れる。<br />
∆Gbind(計算) = ∆Ggas + ∆Gsolv<br />
= ∆Eint + ∆EVDW + ∆Eelec –<br />
T∆Ssolute + ∆GPB + ∆GSA (5)<br />
3. 計算結果<br />
本研究では、Argifn−ChiB(Argadin−ChiB)複<br />
合体、Argifn(Argadin)単独について、それぞれ<br />
1700ps の MD シミュレーションを行った。計算<br />
には AMBER 7 15)を用いた。構造が平衡に達した<br />
と思われる後半 1000ps から 10ps 毎に全部で<br />
100 個のスナップショットを取り出し、それぞれ<br />
の系の溶液構造アンサンブルとした。また先程記<br />
したように、ChiB 単独の溶液構造アンサンブル<br />
は、複合体の溶液構造アンサンブルからリガンド<br />
を取り除くことで用意した。これら溶液構造アン<br />
サンブルを用いて MM-PBSA 計算を行った結果<br />
を表1に示す。計算された結合自由エネルギー値<br />
(∆Gbind( 計算)) は、 Argifin に対して–6.98<br />
kcal/mol、Argadin に対して–11.16 kcal/mol で<br />
あった。実験値(∆Gbind(実験))は、それぞれ–6.36<br />
kcal/mol および–10.92 kcal/mol であるから、<br />
MM-PBSA 法が実験値を非常によく再現してい<br />
ることがわかる。また、式(5)の各項を調べるこ<br />
とで、結合過程における物理化学的性質を議論す<br />
ることができる。例えば、∆Eint の項は Argifin<br />
ではほとんどゼロであるが、Argadin では結合に<br />
対して 5.26 kcal/mol 不利になっている。このこ<br />
とは、ChiB に結合する際に、Argifn はほとんど<br />
構造変化を起こさないが、Argadin は 5 kcal/mol<br />
程度のエネルギー損失に相当する構造変化を引<br />
き起こすことを示している。<br />
図4に MD シミュレーションで得られた各リガ<br />
ンドの複合体中における構造(結合配座)と単独<br />
溶液構造の比較を示す。確かに、Argifin ではそ<br />
の結合配座と単独溶液構造がよく似ているが、<br />
Argadin の結合配座はその単独溶液構造と大き<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
く異なっていることがわかる。また、結合自由エ<br />
ネルギーに対して電荷が寄与する項(∆Gelec,tot)は<br />
∆Eelec と∆GPB の和で表されるが、この値は、<br />
Argifin および Argadin 共に正の値になっている。<br />
これは、両者の複合体形成は、静電的には不利で<br />
あることを示している。したがって、両者の複合<br />
体形成は van der Waals 相互作用(∆EVDW)と水和<br />
自由エネルギーの非極性寄与(∆GSA)により安定<br />
化されていることがわかる。<br />
MM-PBSA 法により計算された Argifn と<br />
Argadin の間の相対結合自由エネルギー<br />
(∆∆Gbind(計算))は、4.18 kcal/mol となり、これも<br />
実験値、4.56 kcal/mol、をよく再現していた。表<br />
1より、両者の複合体形成に重要な役割を果たし<br />
ている van der Waals 相互作用(∆EVDW)と水和自<br />
由エネルギーの非極性寄与(∆GSA)が、共に、<br />
Argadin において Argifin より有利になっており、<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 9
これらが Argadin の高親和性を生じさせている<br />
ことがわかる。特に、Argadin の van der Waals<br />
相互作用エネルギー(∆EVDW)は Argifin の値より<br />
約 12 kcal/mol も有利であり、これが主な要因と<br />
なっている。図5に Argifin と ChiB の各アミノ<br />
酸残基との間の van der Waals 相互作用エネル<br />
ギー値から Argadin についての値を差し引いた<br />
ものをプロットした。<br />
負の値を持つ残基は Argifin と、正の値を持つ残<br />
基は Argadin とより強く van der Waals 相互作<br />
用している残基である。これより、E144、M212、<br />
W220、Y292、I339、および W403 の6個の残<br />
基が Argadin とより有利な van der Waals 相互<br />
作用を形成していることがわかる。特に、W220<br />
と W403 は、それぞれ、4.60、および 4.53 kcal/mol<br />
と非常に大きく有利となっていた。これら値の和<br />
は、9.13 kcal/mol、となり、Argifin と Argadin<br />
の間の van der Waals 相互作用エネルギー差の<br />
ほとんどを占めていることがわかる。したがって、<br />
ChiB に対する Argadin の高親和性は、主に、<br />
Argadin とこの二つの Trp 残基との間の非常に<br />
有利な van der Waals 相互作用に起因すると考<br />
えられる。ところで、W220 を Ala 残基に置換し<br />
た ChiB 変異体(W220A 変異体)に対して、Argifin<br />
および Argadin はそれぞれ、–4.18、および–7.52<br />
kcal/mol の結合自由エネルギー値を示すことが<br />
実験的に報告されている 4)。これより、W220 を<br />
Ala 残基に置換したことによる結合自由エネル<br />
ギー損失は、Argifin および Argadin に対して、<br />
それぞれ、1.51、および 3.40 kcal/mol となり、<br />
Argadin についての損失のほうがより大きい。こ<br />
れは、Argadin と W220 の相互作用が Argadin<br />
の高親和性に大きく寄与していることを支持す<br />
る実験結果である。<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
4. ChiB に対して高親和性を有する Argifin 誘<br />
導体の分子設計<br />
最近、北里生命科学研究所において Argifin の<br />
全合成経路が確立された。これにより、さまざま<br />
な Argifin 誘導体(構成アミノ酸を別のアミノ酸<br />
で置換した誘導体)の合成が可能になった。そこ<br />
で、今回得られた計算結果を使用して、結合親和<br />
性の改善が期待できる Argifin 誘導体の論理的分<br />
子設計を行った。MM-PBSA 計算結果によると、<br />
Argadin の高親和性の主な要因は、より有利な<br />
van der Waals 相互作用である。そこで、ChiB<br />
との van der Waals 相互作用が改善されるよう<br />
な Argifin 誘導体を分子設計すれば、その結合親<br />
和性が Argadin のように強くなるのではないか<br />
と予想された。図6Aに、Argifin−ChiB 複合体<br />
における Argifin の D-Ala(5)周辺を示している。<br />
これより、D-Ala(5)周辺には比較的大きな空間的<br />
スペースがあり、その近傍には ChiB の疎水性残<br />
基 F12、F51、Y98 が存在することがわかった。<br />
そこで、D-Ala(5)を嵩高い側鎖を持つ疎水性アミ<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 10
ノ酸残基に置換すれば、ChiB との van der<br />
Waals 相互作用および疎水相互作用がより有利<br />
になり、結合親和性が改善されるのではないかと<br />
考えた。そこで、D-Ala(5)を D-Val、D-Leu、D-Phe、<br />
および D-Trp で置換した Argifin 誘導体を分子設<br />
計し、ChiB との複合体構造モデリングを行った。<br />
図6Bに D-Ala(5)を D-Trp(5)で置換した変異体<br />
(A5W 変異体)についての複合体モデル構造を示<br />
す。導入された D-Trp(5)の側鎖が、空間的スペ<br />
ースをうまく充填していることがわかる。表2に<br />
複合体モデル構造を用いた一点計算の<br />
MM-PBSA 法による各誘導体の相対結合自由エ<br />
ネルギー評価を示す。D-Ala(5)を D-Leu、D-Phe、<br />
および D-Trp で置換することで、実際に van der<br />
Waals 相互作用が改善され結合親和性がより強<br />
くなりそうなことがわかった。特に、A5W 誘導<br />
体に対しては 5 kcal/程度の大きな改善が期待で<br />
き、Argadin に匹敵する結合親和性を有すること<br />
参考文献<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
が予想された。<br />
5. おわりに<br />
本研究では、MM-PBSA 法を適用することに<br />
より、ChiB に対する Argifin と Argadin の結合<br />
親和性の違いを定量的かつ物理化学的観点から<br />
解析した。さらに、この結果を利用することで、<br />
結合能の改善が期待できる Argifin 誘導体の論理<br />
的分子設計が可能になった。現在、これら誘導体<br />
の合成研究が行われている。<br />
6. 謝辞<br />
本研究は、科学研究費補助金(19590043)、財<br />
団法人武田科学振興財団、財団法人持田記念医学<br />
薬学振興財団などの助成を受けて行ったもので<br />
あり、その資金援助に深く感謝します。<br />
1) Zhu, Z.; Zheng, T.; Homer, R. J.; Kim, Y. K.; Chen, N. Y.; Cohn, L.; Hamid, Q.; Elias, J. A. Science 2004, 304, 1678.<br />
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3) Arai, N.; Shiomi, K.; Yamaguchi, Y.; Masuma, R.; Iwai, Y.; Turberg, A.; Kölbl, H.; Ōmura, S. Chem. Pharm. Bull. (Tokyo) 2000,<br />
48, 1442.<br />
4) Houston, D. R.; Shiomi, K.; Arai, N.; Ōmura, S.; Peter, M. G.; Turberg, A.; Synstad, B.; Eijsink, V. G. H.; van Aalten, D. M. F.<br />
Proc. Natl. Acad. Sci. USA 2002, 99, 9127.<br />
5) Kollman, P. A.; Massova, I.; Reyes, C.; Kuhn, B.; Huo, S.; Chong, L.; Lee, M.; Lee, T.; Duan, Y.; Wang, W.; Donini, O.; Cieplak,<br />
P.; Srinivasan, J.; Case, D. A.; Cheatham III, T. E. Acc. Chem. Res. 2000, 33, 889.<br />
6) Gouda, H.; Yanai, Y.; Sugawara, A.; Sunazuka, T.; Ōmura, S.; Hirono, H. Bioorg. Med. Chem. 2008 In press.<br />
7) van Aalten, D. M. F.; Synstad, B.; Brurberg, M. B.; Hough, E.; Riise, B. W.; Eijsink, V. G. H.; Wierenga, R. K. Proc. Natl. Acad.<br />
Sci. USA 2000, 97, 5842.<br />
8) Massova, I.; Kollman, P. A. J. Am. Chem. Soc. 1999, 121, 8133.<br />
9) Chong, L. T.; Duan, Y.; Wang, L.; Massova, I.; Kollman, P. A. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 1999, 96, 14330.<br />
10) Masukawa, K. M.; Kollman, P. A.; Kuntz, I. D. J. Med. Chem. 2003, 46, 5628.<br />
11) Gouda, H.; Kuntz, I. D.; Case, D. A.; Kollman, P. A. Biopolymers 2003, 68, 16.<br />
12) Spacková, N.; Cheatham III, T. E.; Ryjácek, F.; Lankas, F.; Van Meervelt, L.; Hobza, P.; Sponer, J. J. Am. Chem. Soc. 2003, 125,<br />
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<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 11
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
◆略 歴◆ 合田 浩明 (Gouda HIROAKI):1993 年東大薬・博士課程終了、博士(薬学)取得、(株)日<br />
立製作所入社、1995 年北里大学薬学部助手、1998 年北里大学薬学部講師、2000 年カリフォルニア大学サン<br />
フランシスコ校博士研究員、2002 年北里大学薬学部准教授<br />
◆略 歴◆ 広野 修一 (Hirono SHUICHI):1981 年東大薬・博士課程終了、薬学博士取得、北里大学<br />
薬学部助手、1988 年北里大学薬学部講師、1988 年カリフォルニア大学サンフランシスコ校博士研究員、1990<br />
年北里大学薬学部大学助教授、1994 年北里大学薬学部大学教授<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 12
部会賞受賞者(1)<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
新規抗腫瘍性天然物プラジエノライドの標的分子探索と抗癌剤創生<br />
1.はじめに<br />
新たな「創薬ターゲット」を見出し、それに<br />
基づいた画期的な新薬を創出することは、研究開<br />
発型製薬企業の生命線とされてきた。ゲノムサイ<br />
エンスをはじめとした様々なアプローチによっ<br />
て活発な創薬ターゲットの探索が進められてい<br />
るが、例えば、先ずユニークな生理活性化合物を<br />
見出し、その標的分子を解明することは、創薬タ<br />
ーゲットを見出すことに他ならない。一発必中の<br />
創薬ターゲット探索法ともいえるこのアプロー<br />
チは、「ケミカルバイオロジー」の研究機軸の一<br />
つであり、これまで創薬研究や細胞生物学の新た<br />
な研究領域の扉を開けてきた。我々は、既存の抗<br />
癌剤とは異なるユニークなメカニズムで優れた<br />
抗腫瘍効果を発揮する天然物プラジエノライド<br />
を見出し、その標的分子を決定した。同時に、プ<br />
ラジエノライド誘導体である新規抗癌剤 E7107<br />
を創出した。<br />
2.プラジエノライドの発見と活性<br />
我々は、新規抗癌剤創出を目指して血管新生<br />
因子である Vascular Endotherial Growth<br />
Factor (VEGF)シグナルに着目し、VEGF プロモ<br />
ーター支配下の遺伝子発現を阻害する化合物の<br />
探索を行った。VEGF プロモーター下流に<br />
placental alkaline phosphatase(PLAP)をレポ<br />
ーター遺伝子として組み込み、低酸素条件刺激に<br />
よる遺伝子(レポーター遺伝子)発現を評価する<br />
cell-based assay を構築し(VEGF-PLAP assay)、<br />
これを阻害する化合物のスクリーニングを行っ<br />
た。ヒットしてくる化合物の作用点(標的分子)<br />
が特定の一つに限定されないこの方法を敢えて<br />
用いることで、既存の抗癌剤とは異なる、あるい<br />
は未知のメカニズムに基づく阻害剤がヒットす<br />
る可能性を期待した。また、よりユニークなヒッ<br />
ト化合物を求めて、低分子化合物ライブラリーで<br />
はなく天然物資源に特化してスクリーニングを<br />
行った。ここから見出されてきたのが、プラジエ<br />
ノライドである。 1), 2)<br />
小竹 良彦(エーザイ株式会社)<br />
プラジエノライドは、Streptomyces<br />
platensis Mer-11107 から単離された二次代謝産<br />
物で、新規な 12 員環マクロライド化合物である<br />
(図 1)。当初得られた類縁体の中で最も活性の<br />
高かったプラジエノライド B は、in vitro で各種<br />
癌細胞に対して nM オーダーで細胞増殖抑制活<br />
性を示した。また、in vivo においても優れた抗<br />
腫瘍活性を発揮し、ヒト乳癌細胞 BSY-1 を移植<br />
したヌードマウスモデルにおいては、腫瘍が消失<br />
した治癒マウスが観察された。さらに、この優れ<br />
た抗腫瘍効果が既存の抗癌剤とは異なるメカニ<br />
ズムに基づくことが複数のデータから示唆され<br />
た。 3)<br />
この魅力的な天然物をリード化合物とした<br />
探索研究を展開し、さらに優れた活性、安全性、<br />
物性プロファイルを有するプラジエノライド D<br />
の半合成誘導体である E7017 を見出した。 4)また、<br />
プラジエノライドは 10 個の不斉炭素を有してい<br />
ることから、その絶対立体を確認する目的で全合<br />
成研究を行った。プラジエノライド B および D<br />
をそれぞれ 21 工程、19 工程で合成し、絶対立体<br />
構造を明らかにした。 5)同時に、天然からは得ら<br />
れない新たなプラジエノライド類縁体の合成も<br />
可能となった。<br />
Pladienolide B :<br />
D :<br />
E7107 :<br />
R R’<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 13<br />
OH<br />
O<br />
R<br />
H<br />
OH<br />
OH<br />
R'<br />
O<br />
O<br />
N N<br />
O<br />
O<br />
CH 3<br />
CH 3<br />
図1.プラジエノライドの化学構造<br />
OH<br />
OH<br />
3.プラジエノライドの結合分子探索<br />
プラジエノライドが既存の抗癌剤とは異な
るメカニズムで抗腫瘍作用を発揮していること<br />
が様々なデータから示唆されていたが、その詳細<br />
は不明なままであった。この解明に向けてプラジ<br />
エノライドの標的分子探索を進めた。これによっ<br />
て、抗がん剤研究の新たな「創薬ターゲット」を<br />
提示できる可能性と、解明された標的分子・作用<br />
メカニズムを基にしたバイオマーカーなどを設<br />
定することでより効率的な E7107 の臨床開発が<br />
可能となることを期待した。さらに、臨床開発に<br />
あたって患者様、開発担当者、臨床医、政府関連<br />
機関の皆様はじめ広く社会に E7107 の作用メカ<br />
ニズムを科学的に説明してゆくことは、企業研究<br />
者の使命であるとも考えていた。癌治療分野では<br />
「分子標的治療薬」なるキーワードが定着してい<br />
ることからも、薬効を分子レベルで解明すべきで<br />
あると考えた。これらの展望・目的を達成するに<br />
は、プラジエノライドをケミカルプローブとして<br />
用い、その結合蛋白を決定することが最も合理的<br />
であると考えた。<br />
プラジエノライドから E7107 に至る探索研<br />
究時に確立していた誘導体合成方法と得られて<br />
いた構造活性相関を基に、プラジエノライドの活<br />
性が保持される位置にトリチウム( 3H)、蛍光タグ<br />
(BODIPY-FL)、光親和性基およびビオチンタグ<br />
(photoaffinity/biotin, PB)を導入した 3H プロー<br />
ブ、BODIPY-FL プローブおよび PB プローブを<br />
合成した(図 2)。これらは、in vitro にて nM オ<br />
ーダーから sub-μM オーダーの細胞増殖抑制活<br />
性を示し、プラジエノライド標的分子への親和性<br />
を維持していると判断された。これらのプローブ<br />
化合物を細胞に処理したことからそれぞれの結<br />
合蛋白を放射活性、蛍光によって追跡し、<br />
streptavidin-HRP を用いてその検出・同定を試<br />
みた。 6)<br />
OH<br />
O<br />
O<br />
R' O<br />
OH<br />
O<br />
O<br />
OH<br />
N<br />
H<br />
N<br />
O<br />
O<br />
O<br />
+<br />
N B-<br />
F F<br />
S<br />
HN NH<br />
R<br />
H<br />
H<br />
O<br />
FL = RPB N<br />
H<br />
N<br />
O<br />
O<br />
O<br />
BODIPY-FL(蛍光タグ)<br />
=<br />
+<br />
N B-<br />
F F<br />
S<br />
HN NH<br />
R<br />
H<br />
H<br />
O<br />
FL = RPB BODIPY-FL(蛍光タグ)<br />
=<br />
Chemical probes R’<br />
3H-probe 3H-C2H5NH BODIPY-FL-probe R<br />
Photoaffinity/biotin-probe<br />
FLNH RPB 3H-probe 3H-C2H5NH BODIPY-FL-probe R<br />
Photoaffinity/biotin-probe NH<br />
FLNH RPBNH 光親和性タグ<br />
O<br />
O<br />
HN<br />
N<br />
N<br />
O<br />
ビオチン<br />
図2.ケミカルプローブの化学構造<br />
CF 3<br />
N<br />
N<br />
先ず、結合蛋白の細胞内局在を 3H プローブ<br />
および蛍光プローブを用いて検討した。 3H プロ<br />
ーブを処理した細胞から細胞画分を調整し、各画<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
分中の 3H 放射活性を測定したところ、核フラク<br />
ション中の放射活性が最も高かった(図 3a)。次<br />
いで、蛍光プローブ処理した細胞の蛍光顕微鏡に<br />
よる観察では、プローブが核内の顆粒状構造に局<br />
在することが確認された(図 3b)。この顆粒は核<br />
スペックルのマーカーである SC-35 の局在と完<br />
全に一致した。核スペックルは転写やスプライシ<br />
ングに関わる蛋白が高密度に存在する構造体で<br />
あることから、結合蛋白が転写因子やスプライシ<br />
ング関連因子である可能性が示された。<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 14<br />
3 Hシグナル (KBq)<br />
12<br />
8<br />
4<br />
0<br />
− + − + − + − +<br />
NP N M C<br />
(図3a) 3 (図3a) Hプローブの細胞内局在<br />
NP: 核ペレット、N: 核画分、M: 膜画<br />
分、C: 細胞質画分、 (-) プラジエノ<br />
ライドB非競合条件、(+) 競合条件。<br />
3Hプローブの細胞内局在 NP: 核ペレット、N: 核画分、M: 膜画<br />
分、C: 細胞質画分、 (-) プラジエノ<br />
ライドB非競合条件、(+) 競合条件。<br />
(図3b)蛍光プローブの細胞内局在<br />
青: concanavaline Aによる細胞染色<br />
赤: anti-lamin Aによる核膜染色<br />
緑: 蛍光プローブ<br />
図3.ケミカルプローブの細胞内局在<br />
結合蛋白を更に絞り込む目的で、 3H プロー<br />
ブ処理した細胞から調整した核フラクションに<br />
対して、転写・スプライシングに関連する様々な<br />
因子への抗体を用いて免疫沈降実験を行い、 3H<br />
プローブが共沈される抗体を探索した。その結果、<br />
6 つの抗体で 3H 放射活性の共沈が観察された。<br />
その 5 つは、スプライシングにおいて必須の働き<br />
をしている U2 small nuclear ribonucleoprotein<br />
(U2 snRNP)に存在する蛋白(または構造)に対<br />
する抗体であった。残る 1 つは U2 snRNP との<br />
複合体形成が報告されているサイクリン E に対<br />
する抗体であった(図 4)。この結果から結合蛋<br />
白は U2 snRNP 複合体中に存在すると考えられ<br />
た。<br />
U2 snRNP は巨大な蛋白複合体であり、Sm<br />
コア蛋白、スプライシングファクターSF3a、<br />
SF3b といったサブユニットから構成される巨大<br />
な複合体である。真核生物では、DNA から転写<br />
された mRNA 前駆体 (pre-mRNA) にイントロ<br />
ンと呼ばれる蛋白質のアミノ酸配列の遺伝情報<br />
をもたない部分が含まれている。遺伝子情報を蛋<br />
白質へと翻訳するには、このイントロンを取り除<br />
きアミノ酸配列の情報をもつエキソンだけを正<br />
確につなぎ合わせる必要がある。この工程がスプ
ライシングであり、U2 snRNP はスプライシン<br />
グに関わる代表的なマシナリーの一つである。<br />
Sm proteins<br />
SAP60<br />
SAP120<br />
F<br />
E<br />
SAP66<br />
D2<br />
G<br />
D1<br />
3’<br />
U2A’<br />
U2B”<br />
B/B’<br />
D3<br />
snRNA<br />
SF3a SF3b<br />
SAP145 SAP130<br />
SAP49<br />
p14<br />
SAP155<br />
Cyclin E<br />
TMG 5’<br />
TMG<br />
3’<br />
pre-mRNA<br />
cdk2<br />
矢印の蛋白または構造(U2B”: U2 snRNP specific<br />
protein B”, SM protein D1&B/B’, SAP120, SAP155,<br />
TMG: trimethylguanosine, Cyclin E)に対する抗体<br />
で 3 矢印の蛋白または構造(U2B”: U2 snRNP specific<br />
protein B”, SM protein D1&B/B’, SAP120, SAP155,<br />
TMG: trimethylguanosine, Cyclin E)に対する抗体<br />
で Hプローブの共沈が観察された。<br />
3Hプローブの共沈が観察された。 図4.U2 snRNP-cycline/cdk2 複合体<br />
U2 snRNP にまで絞り込まれてきた結合蛋<br />
白を可視化し、検出する目的で光親和性・ビオチ<br />
ン(PB)プローブを用いた実験を行った。光親<br />
和性モイエティーは UV 照射によってラジカル<br />
種を生じ、近接する蛋白質と共有結合を形成する。<br />
ここでプローブが共有結合した蛋白を、ビオチン<br />
を足がかりとしてストレプトアビジン-HRP に<br />
よって検出した。その結果、約 140kDa の位置に<br />
バンドが検出された(図 5)。U2 snRNP の中で<br />
この分子量を有する蛋白としては、SF3b サブユ<br />
ニットに存在する spliceosome associated<br />
protein (SAP)145 または SAP130 が挙げられる<br />
る。実際、このバンド中に両者が存在することを<br />
イムノブロッティングおよび質量分析によって<br />
確認した。しかしながら、この二つの蛋白はほぼ<br />
同じ位置に検出され、どちらが結合蛋白であるか<br />
を結論づけられなかった。そこで、SAP145 と<br />
SAP130 についてそれぞれ GFP 融合蛋白を発現<br />
させた細胞を用いて同様の実験を行い、プローブ<br />
結合蛋白のバンドシフトが検出されるかを検証<br />
した。GFP-SAP130 発現細胞では約 170kDa の<br />
位置に結合蛋白のバンドがシフトした。一方、<br />
GFP-SAP145 発現細胞ではバンドシフトが観察<br />
されなかったことから、プローブの結合蛋白は<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
SAP130 であると結論づけられた。<br />
PB probe :<br />
UV 照射 :<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 15<br />
150<br />
100<br />
75<br />
50<br />
25<br />
10<br />
+ – +<br />
– + +<br />
図5.PB プローブによる結合蛋白の検出<br />
上述してきた実験では、全てプラジエノライ<br />
ドおよび E7107 とプローブ化合物との競合実験<br />
を行い、プラジエノライド自体の結合蛋白も<br />
SAP130 であることを確認した。しかし、ここで<br />
は詳細な説明を割愛させていただくが、一連のデ<br />
ータは、プラジエノライドが細胞内に存在する全<br />
ての SAP130 に結合するのではなく、SF3b 複合<br />
体を形成している SAP130 にのみ結合すること<br />
が示唆された。例えば、SAP130 の発現を siRNA<br />
処理により抑制した細胞においては、蛍光プロー<br />
ブの核スペックルへの局在が観察されなかった<br />
が、SAP145 の発現を抑制した場合においてもそ<br />
の局在は消失した。この結果は SAP130 への結<br />
合には SAP145 の存在も必要であることを示唆<br />
しており、プラジエノライドが SAP130 のみな<br />
らず SAP145 など他の SF3b 構成蛋白質から構成<br />
される SF3b 中のポケット構造にはまり込んで<br />
いる可能性などが考えられた。<br />
4.プラジエノライド標的分子としての<br />
SF3b<br />
プラジエノライドの結合蛋白が SF3b 中の<br />
SAP130 であることを付き止めたが、次に、これ<br />
がプラジエノライドの抗腫瘍活性に直接関係し<br />
た結合蛋白、すなわち「標的分子」であるかを検<br />
証した。先ず、E7107 に至る探索研究の過程で<br />
得ていた強弱さまざまな細胞増殖抑制活性を示<br />
すプラジエノライド化合物を、SF3b 複合体に対
する 3H プローブの結合に対して競合させた。そ<br />
の結果、強い細胞増殖抑制活性を有する化合物が<br />
より高い競合能を示した。すなわち、プラジエノ<br />
ライド化合物の SF3b への親和性と抗腫瘍活性<br />
が相関することが示された(図 6)。この結果は、<br />
SF3b がプラジエノライドの抗腫瘍効果の標的分<br />
子であることを強く示唆している。<br />
化合物競合下におけるSF3b中の 3 化合物競合下におけるSF3b中の Hシグナル<br />
(Percentage of control)<br />
3Hシグナル (Percentage of control)<br />
100<br />
10<br />
1<br />
R 2 R = 0.8804<br />
2 R = 0.880<br />
2 R = 0.8804<br />
2 = 0.880<br />
0.1nM 10nM 1000 nM<br />
In vitro細胞増殖抑制活性(IC 50 )<br />
より強い細胞増殖抑制活性(より低いIC50値)を有するプラジエノライド化 合物が、 3 より強い細胞増殖抑制活性(より低いIC50値)を有するプラジエノライド化 合物が、 HプローブのSF3bへの結合をより強く阻害し、SF3b中の3Hシ<br />
グナルは減少した。(コントロールサンプル:プラジエノライド非競合条件)<br />
3HプローブのSF3bへの結合をより強く阻害し、SF3b中の3Hシ グナルは減少した。(コントロールサンプル:プラジエノライド非競合条件)<br />
図6.プラジエノライドの SF3b への<br />
親和性と抗腫瘍活性との相関<br />
次に、プラジエノライドの SF3b への結合に<br />
よってその機能が阻害されているか否かを検証<br />
した。スプライシングが阻害された場合、イント<br />
ロン配列が残った未成熟な mRNA が細胞内に出<br />
現すると考えられる。そこで、プラジエノライド<br />
処理した細胞から回収した mRNA をもとに<br />
cDNA ライブラリーを構築し、イントロン配列が<br />
含まれる cDNA の存在をランダムにスクリーニ<br />
ングした。その結果、DNAJB1 などいくつかの<br />
遺伝子のイントロン配列が確認された。これらの<br />
遺伝子について、スプライシングが阻害された<br />
mRNA(unspliced form RNA)の存在を定量的<br />
RT-PCR にて検証した結果、プラジエノライド処<br />
理の時間に依存して unspliced form の発現量の<br />
上昇が観察された(図 7)。また、プラジエノラ<br />
イドの処理濃度によっても unspliced form の上<br />
昇が確認された。このとき、スプライシング阻害<br />
を来たす濃度は細胞増殖抑制活性を発揮する濃<br />
度と一致した。さらに、プラジエノライドが抗腫<br />
瘍効果を発揮する処理濃度において、核スペック<br />
ルの巨大化(メガスペックル)が観察された(図<br />
8)。同様の現象は、in vitro レベルでスプライシ<br />
ングの阻害を来たす抗トリメチルグアノシン<br />
(TMG)抗体や、U1 または U6 snRNA に対す<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
るアンチセンス RNA の核内インジェクションに<br />
おいても観察されている。これらの結果から、プ<br />
ラジエノライドは SF3b に結合し、その機能を阻<br />
害することで抗腫瘍効果を発揮していると結論<br />
づけた。 6)<br />
DNAJB1<br />
RIOK3<br />
BRD2<br />
プラジエノライドB<br />
処理時間(h)<br />
0 1 2 4 G<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 16<br />
U<br />
S<br />
U<br />
S<br />
U<br />
S<br />
検出配列<br />
エクソン番号<br />
2<br />
2<br />
3<br />
3<br />
4<br />
4<br />
3<br />
4<br />
5<br />
3<br />
4<br />
5<br />
G: ヒトゲノム(コントロールテンプレート)<br />
U: unspliced form、S: spliced form<br />
RT-PCRによりunspliced formをそれぞれ検出した。<br />
図7.プラジエノライドによるスプライシング阻害<br />
コントロール<br />
10 nM 100 nM<br />
プラジエノライドB処理<br />
プラジエノライドBを4時間処理したのち、核スペックルを抗SC-35抗体(緑)、<br />
プラジエノライドBを4時間処理したのち、核スペックルを抗SC-35抗体(緑)、<br />
核膜を抗ラミンA抗体(赤)により染色した。<br />
核膜を抗ラミンA抗体(赤)により染色した。<br />
図8.プラジエノライド B による核スペックルの形態変化<br />
5.抗腫瘍作用のメカニズム考察<br />
「スプライシングの阻害がなぜ抗腫瘍活性<br />
につながるか?」に関しては、いくつかの可能性<br />
が考えられる 7) 。 例えば、プラジエノライドに<br />
よるスプライシング阻害が、癌細胞の増殖や生存<br />
に必須の遺伝子の発現を抑制し抗腫瘍効果を発<br />
揮していることなどが考えられる。遺伝子発現に<br />
関わる工程、すなわち、転写、mRNA プロセシ<br />
ング(キャッピング、スプライシング、ポリアデ<br />
ニレーション)、さらに mRNA の核外輸送とサ
ーベイランスなどは、それぞれが独立して進行す<br />
るのではなく、全てがカップリングした”gene<br />
expression factory”を形成していると考えられ<br />
ている。従って、スプライシングの阻害が、gene<br />
expression factory を機能不全に陥れ、遺伝子発<br />
現を抑制することは可能性あるシナリオである。<br />
この作用によってプラジエノライドが当初の<br />
VEGF-PLAP assay において阻害活性を示して<br />
いた可能性が考えられる。また、プラジエノライ<br />
ド処理時に観察されたメガスペックルは、DRB<br />
やアクチノマイシン D といった転写阻害剤の処<br />
理によっても観察されることは示唆的である。<br />
6.終わりに<br />
プラジエノライドの標的分子がスプライシ<br />
ングファクターSF3b であることを突き止めた。<br />
これによって、E7107 が既存の抗癌剤とは全く<br />
異なる分子を標的とする”First-in-Class”の薬剤<br />
であることを示すことができた。同時に、スプラ<br />
イシングファクターSF3b が抗癌剤の新たな創薬<br />
ターゲットになりうる可能性を示した。E7107<br />
は、現在、欧米において臨床試験が進められてお<br />
り、SF3b の創薬ターゲットとしての真価は、<br />
E7107 の臨床試験結果が示してゆくことになる。<br />
参考文献<br />
1) Sakai, T. et al. J. Antibiot., 57, 173 (2004).<br />
2) Sakai, T. et al. J Antibiot., 57, 180 (2004).<br />
3) Mizui, Y. et al. J. Antibiot., 57, 188 (2004).<br />
4) Iwata, M. et al. Proc. Am. Assoc. Cancer Res. 45, 691 (2004).<br />
5) Kanada, R. M., Itoh, D. et al., Angew. Chem. Int. Ed., 46, 4350 (2007).<br />
6) Kotake, Y. et al. Nature Chem. Biol., 3, 570 (2007).<br />
7) 小竹良彦、甲斐田大輔、水井佳治、吉田稔 蛋白質・核酸・酵素 53, 28 (2008).<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
一方、プラジエノライドによる SF3b の機能<br />
阻害が抗腫瘍効果につながるメカニズムの詳細<br />
な解明には、さらなる研究の深耕化が必要である。<br />
スプライシング阻害剤としてのプラジエノライ<br />
ドを用いた研究から、スプライシングと転写や他<br />
の mRNA プロセシング、さらには mRNA 核外<br />
輸送やサーベイランスとのカップリングに分子<br />
レベルでの新たな知見が加わることが期待され<br />
る。プラジエノライド研究を起点とした研究から、<br />
癌患者様に新たな希望を与える新薬が生まれる<br />
と同時に、gene expression factory の分子レベル<br />
での解明など基礎科学の進展にも貢献すること<br />
を期待している。<br />
謝辞<br />
本研究はメルシャン(株)生物資源研究所、<br />
エーザイ(株)筑波研究所、および KAN 研究所と<br />
の共同研究によって進められてきたものである。<br />
土田外志夫博士(メルシャン)、酒井孝博士、水<br />
井佳治博士(エーザイ)をはじめ共同研究者、関<br />
係者の皆様に深く感謝いたします。<br />
略 歴◆ 小竹 良彦 (Yoshihiko KOTAKE):1989年 広島大学医学系研究科分子薬学系修了、同年 エ<br />
ーザイ(株)入社、2004年より 創薬第二研究所主幹研究員、1997年 薬学博士。<br />
研究テーマ:新規抗癌剤の探索研究、ケミカルバイオロジー。<br />
関心事:生理活性天然物、核内因子を標的とした創薬研究<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 17
部会賞受賞者(2)<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
日本人における薬物応答性遺伝子のハプロタイプ解析と<br />
その患者個別化薬物治療への応用<br />
斎藤 嘉朗(国立医薬品食品衛生研究所・機能生化学)<br />
1.はじめに<br />
薬物に対する生体の反応性(薬物応答性)に<br />
関しては個体差や人種差があり、十分な有効性が<br />
得られない場合や副作用を発現する場合も存在<br />
し、患者 QOL の低下をもたらす原因となってい<br />
る。薬物応答性に影響を与える因子として、遺伝<br />
的要因と環境的要因が考えられるが、ヒトゲノム<br />
研究の進展に伴い、薬物代謝酵素、動態関連及び<br />
受容体分子をコードする遺伝子の多型(主として<br />
約 1,000 塩基に 1 ヶ所存在する塩基置換や挿入・<br />
欠失)に基づくこれら分子の機能変化が, 薬物応<br />
答性の個体差発現に関与していることが明らか<br />
となってきた。1980 年代後半より、特に薬物代<br />
謝酵素に関し、機能変化を伴う遺伝子多型が同定<br />
されてきており、中には機能がほぼ完全に消失す<br />
る多型も知られている。しかし、単独多型部位に<br />
着目したフェノタイプ - ジェノタイプ相関解析<br />
では、相反する結果が得られる場合も多く、機能<br />
影響が確立されたものは比較的少なかった。我々<br />
は、平成 12 年度より一貫して、日本人を対象と<br />
した薬物応答関連遺伝子の多型解析を行うと共<br />
に、染色体上における遺伝子多型同士の組み合わ<br />
せであるハプロタイプに着目し、これまでに多く<br />
の薬物代謝酵素、トランスポーター、受容体、等<br />
につき、日本人におけるハプロタイプ構造を明ら<br />
かにした。また、発見した新規多型の機能影響を<br />
in vitro 解析により解明した。<br />
2.ハプロタイプ解析<br />
我々はこれまでに約 50 種の遺伝子に関し、主<br />
としてエクソン領域及びエンハンサー/プロモー<br />
ター領域を対象に直接シーケンシングによる多<br />
型探索を行い、約 2,000 種の多型(うち、アミノ<br />
酸置換を引き起こすものは新規の約 150 種を含<br />
む約 250 種)を見いだした。さらに、これらの<br />
多型情報を基にハプロタイプ解析を行った 1, 2)。<br />
表 1 に対象とした薬物応答関連遺伝子の一部を<br />
示した。<br />
連鎖不平衡にある<br />
図1 連鎖不平衡とハプロタイプ解析<br />
ヒトは両親より染色体を 1 本ずつ受け継いで<br />
いるが、減数分裂の際に相同組換えを起こす。組<br />
換えを起こしにくい領域では、その間の塩基配列<br />
はあまり変化せず、従って遺伝子多型の組み合わ<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 18<br />
父から<br />
母から<br />
父から 父から<br />
母から 母から<br />
父から<br />
母から 母から<br />
組換えと連鎖不平衡<br />
組換えと連鎖不平衡<br />
A T A G<br />
G C G C<br />
A<br />
G<br />
A<br />
G<br />
何代にもわたる<br />
何代にもわたる<br />
A<br />
C G C<br />
T<br />
A<br />
G<br />
C G C<br />
T<br />
C<br />
A<br />
G<br />
G<br />
C<br />
G T A G<br />
ハプロタイプ解析<br />
ハプロタイプ解析<br />
検出した多型がどちらの染色体上にあ<br />
るか、シークエンス結果のみでは不明<br />
るか、シークエンス結果のみでは不明<br />
T A C<br />
C G G<br />
連鎖不平衡領域で、どの<br />
連鎖不平衡領域で、どの<br />
多型同士が同一染色体上<br />
にあるか推定<br />
にあるか推定<br />
C G C<br />
T<br />
A<br />
G<br />
ハプロタイプ1<br />
ハプロタイプ1<br />
ハプロタイプ2<br />
ハプロタイプ2
せも一定となる場合が多い(連鎖不平衡にあると<br />
言う、図 1)。この同一染色体上に存在する多型<br />
の組み合わせがハプロタイプである。遺伝子多型<br />
の機能影響が複数の多型により引き起こされる<br />
場合や、機能変化を引き起こす原因多型が未同定<br />
であるものの解析したハプロタイプ上に存在す<br />
る場合等には、フェノタイプとの相関解析に特に<br />
有効な方法である。世界的にも国際ハップマップ<br />
プロジェクトが進行中であるが、我々は薬物応答<br />
関連遺伝子に特化し、それぞれ 100-500 人の日<br />
本人を対象として高密度ハプロタイプを明らか<br />
にした。<br />
実際にハプロタイプによる解析が功を奏した<br />
例として、以下のものが挙げられる。<br />
a) 複数の機能変化をもたらす遺伝子多型が同一<br />
遺伝子中に存在する場合、機能影響がより明確に<br />
なったケース。<br />
*60 *60<br />
(-3279<br />
T>G)<br />
連鎖不平衡ブロック 1<br />
1 2 3 4 5<br />
*28 *28 *6 *6 *27 *27 (686C>A,<br />
(TA 6 > (211G>A, P229Q)<br />
TA 7 ) G71R)<br />
連鎖不平衡ブロック 連鎖不平衡ブロック 2<br />
*IB *IB<br />
(1813C>T<br />
1941C>G<br />
2042C>G)<br />
エクソン<br />
ブロック1のハプロタイプ<br />
遺伝子多型部位<br />
*60 *60 *28 *28 *6 *6 *27 *27 日本人<br />
頻度<br />
白人 黒人<br />
I I (*1) (*1) 0.610 0.451 0.150<br />
II II (*6a) (*6a) 0.141 ND ND<br />
III III (*28b) (*28b) 0.097 0.389 0.446<br />
IV IV (*28c) (*28c) 0.003 ND ND<br />
V V (*60a) (*60a) 0.145 0.135 0.296<br />
灰色の塗り潰しは多型の存在を示す 灰色の塗り潰しは多型の存在を示す ND: 未検出<br />
白人及び黒人では、この他に*36 白人及び黒人では、この他に*36 (TA6>TA5), *37 *37 (TA6>TA8)が検出される<br />
(TA6>TA8)が検出される<br />
ハプロタイプ名<br />
図2 UGT1A1 の遺伝子多型とハプロタイプ<br />
グルクロン酸転移酵素 UGT1A1 は、小胞体に<br />
局在する第二相酵素である。我々は日本人につき、<br />
UGT1A1 遺伝子中に、in vitro 解析で大きな機能<br />
低下を引き起こす*6 (211G>A, Gly71Arg)及び<br />
*28 (TA6>TA7)(図 2、赤字)、及び中程度の低下<br />
を引き起こす*27 (686C>A, Pro229Gln)及び*60<br />
(-3279T>G) (青字)という、いずれも酵素活性<br />
の低下または蛋白質発現レベルの低下を引き起<br />
こす多型を検出した。これらのハプロタイプ解析<br />
の結果、機能低下が大きい*6 と*28 は排他的に<br />
存在すること、ほとんどのケースで*28 は*60 と<br />
同一ハプロタイプ上に存在すること、*27 は*28<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
と同一ハプロタイプ上に存在することを見いだ<br />
した(図 2) 3)。また 3’-非翻訳領域に 3 多型<br />
(1813C>T, 1941C>G, 2042C>G)が連鎖してい<br />
る*IB ハプロタイプを同定した(緑字)。図 3 に<br />
示すように、理論上、別々の染色体上に機能低下<br />
を起こす多型が存在する場合の方が、同一染色体<br />
上に存在する場合よりも、大きな機能低下を引き<br />
起こす。UGT1A1 が活性代謝物 SN-38 の解毒代<br />
謝に関わる抗がん剤イリノテカンや同じく<br />
UGT1A1 が代謝に関わるビリルビンを対象とし<br />
たその後の解析で、日本人の UGT1A1 の遺伝子<br />
多型では、*6 または*28 を二本の染色体で共に<br />
有する場合(ホモ接合)、及び*6 と*28 の両者を<br />
それぞれ別の染色体上で有する場合に、体内動態<br />
及び副作用への影響が大きいことから、主として<br />
*6 と*28 を指標とすれば良いことが明らかとな<br />
った 4, 5)。さらに*60 及び*IB 単独では影響が弱<br />
いものの、*60 - *IB 組み合わせハプロタイプで<br />
は、*28 に匹敵する影響を血中総ビリルビン濃度<br />
に与え、値を上昇させることを見いだした 5)。<br />
多型1(A>C)<br />
活性80%低下<br />
多型2(G>T)<br />
活性90%低下<br />
A G<br />
残存活性<br />
1.0 ×1.0 = 1.0<br />
A G 1.0 ×1.0 = 1.0<br />
図3 多型影響のハプロタイプによる違い<br />
b) 同一基質を代謝する酵素群の遺伝子が染色体<br />
上で近傍に位置する場合、各遺伝子のハプロタイ<br />
プの組み合わせで総合的機能変化を推定しうる<br />
ことを示したケース。<br />
薬物代謝酵素ではファミリーを形成する遺伝<br />
子群が染色体上に並んで存在する場合がある。こ<br />
れらファミリー遺伝子の産物は、基質特異性が異<br />
なるものの、同一基質を代謝するケースも多い。<br />
従って多型影響はファミリー遺伝子全体として<br />
考える必要がある。現在処方されている医薬品の<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 19<br />
(1.0+1.0)/2=1.0<br />
100%<br />
C G 0.2 ×1.0 = 0.2<br />
(0.2+0.1)/2=0.15<br />
A T 1.0 ×0.1 = 0.1 15%<br />
活性影響<br />
C T 0.2 ×0.1 = 0.02<br />
(0.02+1.0)/2=0.51<br />
A G 1.0 ×1.0 = 1.0 51%
約半数の代謝に関わる重要なシトクロム P450 分<br />
子種 CYP3A である CYP3A4 と CYP3A5 の場合<br />
では、酵素活性の低下を引き起こす CYP3A4*16<br />
(554C>G, Thr185Ser)とスプライシング異常に<br />
より発現レベルの大幅な低下を引き起こす<br />
CYP3A5*3(IVS3-237A>G)が重要な多型であ<br />
る。我々は CYP3A4 及び CYP3A5 のハプロタイ<br />
プを別々に明らかとした後、その組み合わせも解<br />
析した 6)。その結果、CYP3A4*16 を有する場合、<br />
CYP3A5 は野生型である*1 を、CYP3A5*3 を有<br />
する場合、CYP3A4 は*1 をそれぞれ有すること<br />
が明らかとなり、重要な酵素として、ある一定の<br />
酵素活性が保たれるような組み合わせになって<br />
いることが示唆された。<br />
これ以外の例では、UGT1A7 と UGT1A1 の例<br />
があり、この場合は、酵素活性が低下する<br />
UGT1A7*3 の約 67%が UGT1A1*6(酵素活性低<br />
下)と、26%が UGT1A1*28(発現レベル低下)<br />
と連鎖しており、ハプロタイプを形成していた 7)。<br />
UGT1A1 は肝臓等に、UGT1A7 は消化管等に発<br />
現しており、UGT1A7*3 を有する場合には、<br />
SN-38 などの解毒代謝が体内の多くの組織で低<br />
下していると考えられる。<br />
c) アミノ酸置換を起こさず単独多型部位の解析<br />
では注目されてこなかった多型のみを有するハ<br />
プロタイプが、薬物動態パラメーターの変化を引<br />
き起こすことを明らかにしたケース。<br />
これには、まず抗てんかん薬カルバマゼピンに<br />
おけるエポキシド加水分解酵素 EPHX1 のハプ<br />
ロタイプが挙げられる。カルバマゼピンは、主と<br />
して CYP3A4 により薬理活性を有するエポキシ<br />
ド体に変換された後、さらに EPHX1 によりジオ<br />
ール体へと解毒代謝される。EPHX1 遺伝子中に<br />
検出した多型の連鎖不平衡解析結果により、3 つ<br />
のブロックに分けてハプロタイプ解析を行った<br />
が、このうち、ブロック 3 の*1c ハプロタイプが<br />
酵素活性の指標であるジオール体とエポキシド<br />
体の血中濃度比の有意な上昇をもたらすことを<br />
明らかにした(図 4) 8)。このハプロタイプは<br />
1248G>A(Lys416Lys)と IVS3-114G>C という、<br />
それぞれアミノ酸置換を引き起こさないサイレ<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
ントの多型及びイントロン領域の多型のみを有<br />
していた。IVS3-114G>C は他のハプロタイプに<br />
も存在することから、1248G>A(Lys416Lys)<br />
またはこれと強く連鎖している未知の多型の効<br />
果により、酵素活性が上昇したと考えられる。<br />
図4 EPHX1 Block 3*1c ハプロタイプの<br />
カルバマゼピン解毒代謝への影響<br />
この他の例としては、抗がん剤パクリタキセル<br />
の薬物動態変化における CYP2C8 のハプロタイ<br />
プがある。パクリタキセルには CYP3A4 により<br />
C3’-p-水酸化体に代謝され、さらに CYP2C8 に<br />
よりジオール体に変換される経路が知られてい<br />
るが、CYP2C8 のイントロン多型 7 種で形成さ<br />
れる*IG ハプロタイプを有するヒトでは、C3’-p-<br />
水酸化体の血中濃度-時間曲線下面積値が、有し<br />
ないヒトに比べて有意に高かった 9)。従って、*IG<br />
ハプロタイプでは、CYP2C8 の酵素活性が低下<br />
していると示唆された。<br />
以上のように、ハプロタイプ解析は単独多型の<br />
解析に比して、より明確に、より包括的に機能影<br />
響を明らかにすることが可能であることを示し、<br />
薬物応答性分子の解析におけるその有用性が示<br />
された。<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 20<br />
ジオール体/エポキシド体 濃度比<br />
5<br />
4<br />
3<br />
2<br />
1<br />
0<br />
*1/*1 *2/*1<br />
P=0.03 P=0.0004<br />
*1(non-*1c)<br />
*1(non-*1c)<br />
/ / *1(non-*1c)<br />
*1(non-*1c)<br />
*1c *1c / /<br />
*1(non-*1c)<br />
*1(non-*1c)<br />
*2/ *2/<br />
*1(non-*1c)<br />
*1(non-*1c)<br />
*2 *2 / / *1c *1c<br />
EPHX1 Block 3 ディプロタイプ
3.機能解析<br />
新規に遺伝子多型を同定しても機能変化を引<br />
き起こさなければ、いわゆる“ジャンク”の多型<br />
である。またハプロタイプを同定しても、その中<br />
のどの多型が機能変化に関連しているか、不明で<br />
ある。そこでアミノ酸置換を伴う遺伝子多型を中<br />
心に in vitro 機能解析を行い、機能変化を引き起<br />
こす多型を約 30 種、同定した。その一部を表 2<br />
に示す。例えば、上述の CYP3A4*16 多型は、テ<br />
ストステロンの水酸化活性を約 50%低下させる<br />
ことが in vitro で示されたため 10)、in vivo の解<br />
析でも注目し、パクリタキセル等の薬物動態パラ<br />
メーターの変化を引き起こすことを見いだした<br />
11)。また同じシトクロム P450 の一種 CYP1A2<br />
において、*8(1367G>A, Arg456His )、 *15<br />
( 125C>G, Pro42Arg )、 *16 ( 1130G>A,<br />
Arg377Gln)は、そのアリル頻度は 0.002-0.004<br />
と低いものの、いずれもヘム蛋白質レベルが低下<br />
することにより、95%以上という大幅な活性低下<br />
を引き起こすことを明らかにした 12)。<br />
遺伝子名 多型<br />
機能変化等<br />
CYP1A2 125C>G, P42R (*15)<br />
ヘム蛋白質(活性)レベルの低下<br />
558C>A, F186L (*11)<br />
酵素活性レベルの低下<br />
酵素活性レベルの低下<br />
1130G>A, R377Q (*16)<br />
ヘム蛋白質(活性)レベルの低下<br />
ヘム蛋白質(活性)レベルの低下<br />
1367G>A, R456H (*8)<br />
ヘム蛋白質(活性)レベルの低下<br />
ヘム蛋白質(活性)レベルの低下<br />
CYP2C8 475delA , T159PfsX18 (*5) 蛋白質発現の消失<br />
蛋白質発現の消失<br />
556C>T, R186X (*7)<br />
蛋白質発現の消失<br />
蛋白質発現の消失<br />
556C>G, R186G (*8)<br />
ヘム蛋白質・活性レベルの低下<br />
ヘム蛋白質・活性レベルの低下<br />
CYP2C9 353_362del10bp, K118RfsX9 (*25) 蛋白質発現の消失<br />
389C>G, T130R (*26)<br />
酵素活性レベルの低下<br />
酵素活性レベルの低下<br />
641A>T, Q214L (*28)<br />
酵素活性レベルの低下<br />
1429G>A, A477T (*30)<br />
酵素活性レベルの低下<br />
酵素活性レベルの低下<br />
CYP2C19 151A>G, S51G (*19)<br />
ヘム蛋白質・活性レベルの低下<br />
CYP3A4 554C>G, T185S (*16)<br />
蛋白質・活性レベルの低下<br />
蛋白質・活性レベルの低下<br />
1088C>T, T363M (*11)<br />
蛋白質・活性レベルの低下<br />
蛋白質・活性レベルの低下<br />
表2 機能変化を示した薬物応答性遺伝子の多型<br />
(シトクロム P450 の例)<br />
参考文献<br />
1) Saito, Y. et al., Curr. <strong>Pharma</strong>cogenomics, 5, 49-78 (2007).<br />
2)斎藤嘉朗ら, 細胞工学, 26, 1020-1025 (2007).<br />
3) Sai, K. et al., Clin. <strong>Pharma</strong>col. Ther., 75, 501-515 (2004).<br />
4) Minami, H. et al., <strong>Pharma</strong>cogenet. Genomics, 17, 497-504 (2007).<br />
5) Saeki, M. et al., Clin. Chem., 53, 356-358 (2007).<br />
6) Fukushima-Uesaka, H., et al., Hum. Mutat., 23, 100 (2004).<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
4.おわりに<br />
以上のように、日本人を対象に、薬物動態変<br />
化や有効性・副作用発現に関わる重要な遺伝子多<br />
型・ハプロタイプを明らかとしたことは、医薬品<br />
の種類や投薬量等に関する治療方針を個別に決<br />
定する患者個別化薬物治療の本邦における発展<br />
に大きく寄与するものと考える。これらの成果は<br />
人種的に類似している東アジア諸国においても<br />
有用であり、現に我々が発見した遺伝子多型に関<br />
する報告が韓国や中国から相次いでいる。また薬<br />
物応答性遺伝子の多型影響を考慮してリード化<br />
合物の最適化を行うことは、臨床試験段階でのド<br />
ロップアウトを防止する有力な手段になりえる<br />
と考えられ、本研究の成果は創薬の面からも有用<br />
と思われる。今後も未解析である硫酸転移酵素や<br />
一部のトランスポーター群の解析を行うと共に、<br />
創薬及び臨床現場で有用と考えられる遺伝子多<br />
型・ハプロタイプのデータベース化を行い、日本<br />
におけるファーマコゲノミクス情報の有効活用<br />
を促していきたい。<br />
謝 辞<br />
本研究は、国立医薬品食品衛生研究所機能生<br />
化学部 澤田純一部長、同薬理部 小澤正吾室長<br />
(現・岩手医科大学教授)をはじめとする国立医<br />
薬品食品衛生研究所の先生方、および国立がんセ<br />
ンター、国立国際医療センター、岡山大学、東京<br />
女子医科大学をはじめとする共同研究機関の先<br />
生方のご指導及び共同研究のもとに行われたも<br />
のであり、心より感謝申し上げます。また本研究<br />
は、医薬品医療機器総合機構、医薬基盤研究所、<br />
厚生労働省、文部科学省等より研究費の助成を受<br />
けて行われたものであり、ここに深謝致します。<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 21
7) Saeki, M. et al., <strong>Pharma</strong>cogenomics J., 6, 63-75 (2006).<br />
8) Nakajima, Y. et al., Eur. J. Clin. <strong>Pharma</strong>col., 61, 25-34 (2005).<br />
9) Saito, Y. et al., <strong>Pharma</strong>cogenet. Genomics, 17, 461-471 (2007).<br />
10) Murayama, N. et al., Drug Metab. <strong>Pharma</strong>cokinet., 17, 150-156 (2002).<br />
11) Nakajima Y. et al., Clin. <strong>Pharma</strong>col. Ther., 80, 179-191 (2006).<br />
12) Saito, Y. et al., Drug Metab. Dispos., 33, 1905-1910 (2005).<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
◆略 歴◆ 斎藤 嘉朗(Yoshiro SAITO):1989 年九州大学大学院薬学研究科・修士課程修了、同年国立衛生<br />
試験所(現・国立医薬品食品衛生研究所)機能生化学部 研究員、1996 年博士(薬学)取得(東京大学)、1998 年カナ<br />
ダトロント大学医学部 博士研究員、2000 年国立医薬品食品衛生研究所機能生化学部 主任研究官、2001 年同・第二室<br />
長<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 22
部会賞受賞者(3)<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
創薬加速技術としての NMR 相互作用解析手法の開発<br />
高橋 栄夫((独)産業技術総合研究所・生物情報解析研究センター)<br />
1.はじめに<br />
ゲノムの機能発現の実体であるタンパク質が、<br />
他の生体分子(タンパク質、核酸、脂質、多糖類<br />
等)をいかに認識し、機能しているかを原子レベ<br />
ルで明らかにすることは、構造生物学的意義とし<br />
てのみならず、その情報を論理的薬物設計へと利<br />
用していく上でも期待されるものである。特に、<br />
細胞表面上に存在する受容体などの膜タンパク<br />
質、あるいはプリオン等の不溶性・沈着性フィブ<br />
リルなどの巨大タンパク質を舞台とする相互作<br />
用系は創薬ターゲットとなる可能性があるもの<br />
ではあるが、結晶化を行う必要がある構造生物学<br />
的手法(X 線結晶構造解析等)による解析は容易<br />
ではない。これら多様でかつ複雑なタンパク質複<br />
合体に対して、水溶液中での解析が可能な核磁気<br />
共鳴(NMR)法は強力な解析手法になると期待<br />
されるが、NMR 解析の場合、解析対象の分子量<br />
が大きな障害となっており、現在のところタンパ<br />
ク質の高精度な立体構造決定が可能な分子量は<br />
5 万程度が限界であると考えられている。このよ<br />
うな背景のもと、我々は、適切にデザインされた<br />
安定同位体標識技術と新しいアイデアに基づく<br />
NMR 測定法を融合することにより、高分子量生<br />
体分子複合体の分子認識機構を原子レベルで明<br />
らかにする手法の開発に取り組むとともに、実際<br />
の相互作用系への適用を行った。さらに、NMR<br />
解析から分子認識様式の情報を効率良く取得し、<br />
創薬等機能性分子創製に活用することを意識し<br />
た研究開発も進めている。<br />
2.巨大タンパク質複合体の相互作用部位を高精<br />
度に同定する NMR 測定手法の開発<br />
我々は、リガンドタンパク質を高度に重水素<br />
化標識することで、標的分子の選択的ラジオ波照<br />
射を達成するとともに、スピン拡散抑制効果によ<br />
り、高精度に相互作用界面残基を決定することが<br />
可能な「交差飽和法」を開発することに成功して<br />
いた 1,2)。本手法は、相互作用界面に存在するプ<br />
ロトン間の双極子-双極子相互作用を利用してい<br />
るため、これまでに利用されていた他の NMR 解<br />
析法(化学シフト摂動法や水素-重水素交換法な<br />
ど)に比べ、高精度に相互作用界面残基を決定す<br />
ることが可能な手法であったが、複合体分子を直<br />
接観測する方法であるため、適用可能な複合体分<br />
子量限界は 10 万程度であった。そこで、より広<br />
範な生体高分子複合体試料に適用可能とするた<br />
め、複合体における結合・解離の交換現象に着目<br />
し、結合状態の相互作用を解離状態で観測するこ<br />
とが可能な「転移交差飽和(Transferred Cross<br />
Saturation (TCS))法」の開発を行った(図 1)<br />
3)。複合体そのものを観測対象としない本法によ<br />
り、交差飽和法の適用分子量限界は事実上なくな<br />
ったといえる。<br />
図 1 転移交差飽和(TCS)法の概念図<br />
交差飽和法・TCS 法においては、スピン拡散<br />
現象を抑制するために、タンパク質の完全重水素<br />
化のみならず、溶媒の軽水/重水比を小さくする<br />
ことがポイントとなる。しかしながら、これは通<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 23
常のアミドプロトン検出における、測定感度の低<br />
下を引き起こすことにもなる。また、高い重水率<br />
の溶媒条件ではアミドプロトンの縦緩和時間が<br />
より長くなり、繰り返し遅延時間を長くとる必要<br />
が生じることから、測定時間は長くなる傾向があ<br />
る。一方、一般にタンパク質複合体においてその<br />
相互作用に直接寄与するのは、側鎖原子であるこ<br />
とが多い。この場合、主鎖アミドプロトンは相互<br />
作用の界面からはやや離れた(4~7Å)距離に存<br />
在することになる。このため、アミドプロトン検<br />
出による交差飽和法の場合、標的タンパク質から<br />
の飽和移動の効率はそれほど高いとはいえない。<br />
そこで交差飽和法におけるこれらの問題点を克<br />
服するため、メチル基を含むアミノ酸を利用した<br />
交差飽和法の開発を行った 4)。メチルシグナルは<br />
プロトン 3 個分のシグナル強度を有するうえ、そ<br />
の速い回転運動のため先鋭化しており、スペクト<br />
ルにおける分離は比較的良いことが知られてい<br />
る。さらに、シミュレーション実験結果から、メ<br />
チルプロトンは、その短い縦緩和時間特性により、<br />
交差飽和法におけるスピン拡散効果を軽減する<br />
(界面選択性が高まる)ことが明らかとなった。<br />
実際に、[Ile, Leu, Val]標識体を調製し交差飽和<br />
実験を行ったところ、極めて高感度かつ高効率に<br />
分子間交差飽和現象が観測されることが示され<br />
た(図 2) 4)。特に超高分子量タンパク質複合体<br />
においては、メチル-TROSY 検出法 5)と併用する<br />
ことにより、分子量数十万を超える複合体への交<br />
差飽和法の適用が可能となる。<br />
図2 メチル基利用交差飽和法により得られたスペクトル<br />
(左)ラジオ波照射なし、(右)ラジオ波照射有り<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
図3 (左)TCS 法による vWF A3 ドメインと線維状コラ<br />
ーゲンの相互作用解析、(右)TCS 実験により明らかとな<br />
った vWF A3 ドメインのコラーゲン結合部位<br />
2-1.適用例(1):線維状凝集複合体におけ<br />
る相互作用解析 6)<br />
本研究では、血小板凝集反応の初期段階に関<br />
与するフォン・ウィルブランド因子(vWF)A3<br />
ドメインと線維状コラーゲンとの相互作用様式<br />
の解明を目指した。コラーゲンを舞台とする相互<br />
作用解析は血栓症の創薬ターゲットとなり得る<br />
ものであるが、コラーゲンは通常の球状タンパク<br />
質とは異なり、生体内においては不溶性・不均一<br />
性を有した巨大で複雑な線維構造を形成するた<br />
め、これまで原子レベルでの相互作用解析を行う<br />
ことが困難な対象であった。本研究では、不溶性<br />
線維状コラーゲンに[ 2H, 15N]標識を施した A3 ド<br />
メインを 1:10 の比率で添加した極めて粘性の高<br />
い試料を測定対象としたが、TCS 法を成功裏に<br />
適用でき、A3 ドメインのコラーゲン結合部位を<br />
同定することに成功した(図 3)。結合部位は、<br />
コラーゲン三重鎖へリックスが結合するのに適<br />
した半径 15Å 程度で疎水性の高い溝状構造を形<br />
成していることが明らかとなった。本研究は、<br />
TCS 法の利用により不溶性巨大分子との相互作<br />
用を溶液 NMR により原子レベルで解析するこ<br />
とが可能であることを示した最初の例となった。<br />
また、明らかとなったコラーゲン結合部位は、解<br />
析前の予想に反し、構造的なホモロジーの高い他<br />
のコラーゲン結合タンパク質の結合部位とは異<br />
なるものであった。この事実は、タンパク質の立<br />
体構造類似性のみから相互作用様式を推定する<br />
ことの危険性を示すものであり、構造情報を創薬<br />
へと展開する上で、実験により相互作用データを<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 24
取得する必要性が高いことを示している。<br />
2-2.適用例(2):膜タンパク質-リガンド<br />
複合体の相互作用解析 7)<br />
膜タンパク質は創薬標的として最も注目を集<br />
めている対象であり、膜タンパク質とこれに結合<br />
するリガンドの複合体からの相互作用情報は、そ<br />
の膜タンパク質の機能を制御する方法を考案す<br />
る上でも有用な情報を与えるものとなる。本研究<br />
では、電位依存性 K +チャネルと高い相同性を示<br />
し、かつポアーブロッカー感受性である<br />
Streptomyces lividans 由来の K + チャネ<br />
ル:KcsA とポアーブロッカー:Agitoxin2(AgTx)<br />
の相互作用を NMR 法により解析した。電位依<br />
存性 K +チャネルとポアーブロッカー間の相互作<br />
用を立体構造に基づいて解析し、両者の結合にお<br />
いて鍵となる残基を特定できれば、電位依存性<br />
K +チャネルのポアーブロッカー感受性を明らか<br />
にする重要な情報を与え、さらに特定のチャンネ<br />
ルのみを阻害する薬剤開発の知見が得られると<br />
期待される。本研究では、[ 2H, 15N]標識 AgTx、<br />
および大腸菌で発現し DDM で可溶化した KcsA<br />
を NMR 測定試料とし、KcsA に対し、過剰量(5<br />
倍量)の AgTx 存在下で TCS 実験を行った(図<br />
4)。<br />
図4 (左)AgTx-KcsA 相互作用系における TCS 実験、<br />
(右)TCS 実験結果に基づく AgTx-KcsA 複合体モデル<br />
その結果、AgTx において影響を受けた残基は一<br />
つの連続した面を形成し、それらの残基に対する<br />
変異導入は、KcsA に対する結合活性を低下させ<br />
た。よって、同定された結合界面が結合親和性に<br />
寄与していることが示された。TCS 実験結果に<br />
基づき、KcsA、AgTx のドッキングモデルを構築<br />
し(図 4)、複合体モデル中における相互作用残<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
基対の特定を行った結果、ポアーブロッカーの分<br />
子表面に保存された構造モチーフを見出し、それ<br />
に対応するチャネル上の相互作用残基を特定し<br />
た。チャネル上で特定された相互作用残基は、ポ<br />
アーブロッカーに対する感受性の有無により異<br />
なる保存性を示したことから、ここで明らかとな<br />
った相互作用は、電位依存性 K +チャネルのポア<br />
ーブロッカー感受性を決定する要因と考えられ<br />
た。<br />
これらの研究以外にも、交差飽和法・TCS 法<br />
を活用することで、他の構造生物学的手法による<br />
解析が困難な対象である、タンパク質・ペプチド<br />
と脂質二重膜の相互作用解析にも成功している<br />
8,9)。<br />
3.NMR 構造解析を指向したファージディスプ<br />
レーシステムの開発<br />
ファージディスプレーペプチドライブラリー<br />
は標的分子に結合する多様なペプチドリガンド<br />
を選択するバイオ工学的手法として広く用いら<br />
れている。しかしながら、直鎖状のペプチドを呈<br />
示したファージライブラリーは多様な構造を提<br />
供できる反面、ライブラリーから得られたペプチ<br />
ド群の標的分子との結合力はエントロピー的に<br />
不利なため一般に弱い。その結合を合理的に高め<br />
る、あるいはそのペプチド群をもとに低分子を設<br />
計するためには、ペプチドが標的分子に結合した<br />
状態での構造情報が有用である。一方、NMR は<br />
弱い結合を示すペプチドの構造解析を行う際の<br />
汎用的な方法である。ただし、結合状態における<br />
ペプチドの詳細な構造情報を得るためには、ペプ<br />
チドが安定同位体標識されていることが望まし<br />
い。通常安定同位体標識ペプチドを作製するため<br />
には、発現系の構築に始まり、発現・精製・酵素<br />
消化・再精製等、その工程は多ステップに及ぶた<br />
め、ライブラリーからスクリーニングにより得ら<br />
れたペプチド群の安定同位体標識はほとんど行<br />
われてこなかった。本研究において、我々はファ<br />
ージライブラリーから候補クローンを得たのち<br />
迅速に構造解析することができる、簡便なラベル<br />
化ペプチド調製法を確立した。すなわち、M13<br />
線状ファージの主要コートタンパク質(g8p)の N<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 25
末端にペプチドライブラリーを呈示させるファ<br />
ージミドを構築する際、g8p の N 末端付近の配<br />
列を化学的に切断できるように改変した。さらに<br />
lac プロモーター下流に挿入することでペプチド<br />
を呈示した g8p の発現量をコントロールできる<br />
ようにした(図 5) 10)。<br />
Leader<br />
Mature coat<br />
-23 -1+1 +50<br />
MKKSLVVLKASVAVATLVPMLSFAAEGDDPAKAAFNSLQASATEYIGYAWAMVVVIVGATIGIKLFKKFTSKA<br />
M<br />
NNK NNK NNK NNK NNK NNK NNK NNK NNK NNK GGA TCC GGT GAC<br />
X X X X X X X X X X G S G D<br />
Peptide library Linker<br />
lac promoter<br />
Point mutation<br />
Oligonucleotide cassette<br />
Insertion site<br />
pTV118N<br />
図5 NMR 構造解析を指向したファージディスプレーシ<br />
ステムのためのファージミドベクターの構築<br />
安定同位体標識ペプチドを利用することで、<br />
高感度な NMR シグナル検出が可能になるとと<br />
もに、多核 NMR 測定法の適用によりシグナル帰<br />
属における曖昧さも排除され信頼性の高い NMR<br />
解析が行える。実際の相互作用解析においても、<br />
NMR による簡便なペプチドスクリーニングや、<br />
ペプチド同士の競合実験などを容易に行うこと<br />
ができる。さらに、[ 13C, 15N]均一標識ペプチド<br />
を活用することで、標的分子と相互作用したペプ<br />
チドの主鎖二面角情報を取得する新規交差相関<br />
緩和測定法の開発に成功した 11)。本測定技術と従<br />
来から利用されてきた転移 NOE 解析を組み合わ<br />
せることにより、標的分子結合状態にあるペプチ<br />
ドの立体構造を高精度に決定することが可能と<br />
なった(図 6) 12)。ファージディスプレー法によ<br />
りスクリーニングされたペプチド群について同<br />
様の解析を行うことで、標的分子との相互作用に<br />
重要な残基、およびその立体構造的要因を明らか<br />
にすることができる。ファージディスプレーシス<br />
テムを利用した本 NMR 解析手法は、任意の膜タ<br />
ンパク質、特に、天然リガンドが確定できないオ<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
ーファン受容体などにも適用可能な手法であり、<br />
得られた構造・相互作用情報は、ペプチドの高機<br />
能化や低分子化合物デザインを行う上で有用な<br />
指針となる。<br />
図6 ファージディスプレー由来ペプチドの標的分子結<br />
合状態における立体構造決定。(a)転移 NOE データの<br />
みを利用した構造計算結果、(b)転移 NOE に加え転移<br />
交差相関緩和実験による拘束条件を加えた計算結果。<br />
いずれも 20 個の重ね合わせ構造を表している。<br />
4.おわりに<br />
本研究で開発した NMR による相互作用解析<br />
技術を利用することで、これまで解析の困難であ<br />
った生体分子間の分子認識様式が明らかになっ<br />
てくれば、複雑な生命現象の原子レベルでの理解<br />
がより一層進むことになる。さらに、ここに挙げ<br />
た NMR 解析手法は創薬ターゲットとして重要<br />
な数多くの膜タンパク質複合体・線維状凝集体に<br />
おいても適用可能であることから、相互作用部位<br />
を標的とした新規薬物等機能性分子の設計にお<br />
いて重要な構造情報を与え、新たな疾患の治療方<br />
法開発につながる可能性があると考えている。<br />
謝辞<br />
本研究の端緒は、筆者が東京大学・大学院薬<br />
学系研究科在籍時まで遡るものであり、以後現在<br />
まで多大なる御指導を賜りました 嶋田 一夫 教<br />
授に深く感謝いたします。また、日々ともに研究<br />
を進めている生物情報解析研究センター・分子認<br />
識解析チーム員、ならびに共同研究者である東<br />
大・院薬系・生命物理化学教室員の方々に改めて<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 26
感謝の意を表します。本研究は、経済産業省、新<br />
エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の<br />
参考文献<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
支援を受けて行われました。ここに謝意を記しま<br />
す。<br />
1) H..Takahashi, T. Nakanishi, K. Kami, Y. Arata and I. Shimada, Nat. Struct. Biol. 7. 220-223 (2000)<br />
2) 嶋田一夫, <strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong>, 10, 27-32 (2007)<br />
3) T. Nakanishi, M. Miyazawa, M. Sakakura, H. Terasawa, H. Takahashi and I. Shimada, J. Mol. Biol., 318, 245-249 (2002)<br />
4) H. Takahashi, M. Miyazawa, Y. Ina, Y. Fukunishi, Y. Mizukoshi, H. Nakamura and I. Shimada, J. Biomol. NMR, 34, 167-177,<br />
(2006)<br />
5) J. E. Ollerenshaw, V. Tugarinov and L. E. Kay, Magn. Reson. Chem., 41, 843-852 (2003)<br />
6) N. Nishida, H. Sumikawa, M. Sakakura, N. Shimba, H. Takahashi, H. Terasawa, E. Suzuki and I. Shimada, Nat. Struct. Biol., 10,<br />
53-58, (2003)<br />
7) K. Takeuchi, M. Yokogawa, T. Matsuda, M. Sugai, S. Kawano, T. Kohno, H. Nakamura, H. Takahashi and I. Shimada, Structure,<br />
11, 1381-1392, (2003)<br />
8) K. Takeuchi, H. Takahashi, M. Sugai, H. Iwai, T. Kohno, K. Sekimizu, S. Natori and I. Shimada, J. Biol. Chem., 279, 4981-4987,<br />
(2004)<br />
9) T. Nakamura, H. Takahashi, K. Takeuchi, T. Kohno, K. Wakamatsu and I. Shimada, Biophys. J., 89, 4051-4055, (2005)<br />
10) Y. Mizukoshi, H. Takahashi and I. Shimada, J. Biomol. NMR, 34, 23-30, (2006.)<br />
11) H. Takahashi and I. Shimada, J. Biomol. NMR, 37, 179-185, (2007)<br />
12) 高橋栄夫・嶋田一夫, 蛋白質 核酸 酵素, 52, 959-965(2007)<br />
◆略 歴◆ 高橋 栄夫(Hideo TAKAHASHI):1993 年 東大・院薬系・博士課程修了、日本学術振興会特別<br />
研究員、1994 年 北里大学薬学部 助手、1995 年 東大・院薬系 助手、2001 年 (独)産業技術総合研究所・生物情報解析<br />
研究センター 主任研究員 現在に至る<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 27
部会賞受賞者(4)<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
ヘパラナーゼを介した免疫細胞の機能調節<br />
東 伸昭(東京大学大学院薬学系研究科・生体異物学教室)<br />
1.はじめに<br />
ヘパラン硫酸・ヘパリンは、グルクロン酸(も<br />
しくはイズロン酸)とグルコサミンの2糖繰返し<br />
構造に多様な硫酸化修飾が加わった負電荷に富<br />
む多糖であり、コアタンパク質に結合したプロテ<br />
オグリカンとして生合成される。この多糖には以<br />
下の特徴がある。(1) 硫酸化やエピマー化のパタ<br />
ーンの違いにより分子内にミクロな不均一性を<br />
有する、(2) 細胞外マトリックスである基底膜の<br />
主要成分であり、さらに細胞表面やマスト細胞の<br />
顆粒内などにも存在する、(3) ヘパリン結合性を<br />
もつサイトカイン、ケモカイン、酵素、その他多<br />
数の生理活性物質と結合する。すなわち、実は複<br />
雑なこの多糖は生体構造を形づくるとともに、多<br />
数の生理活性物質と相互作用することによって<br />
その活性を調節するという二面性の機能を有し<br />
ている。実際にヘパリンは抗血液凝固剤として使<br />
用されているが、これ自身も血液凝固系の調節因<br />
子であるアンチトロンビン III との相互作用を利<br />
用したものである。この多糖は分子サイズと糖の<br />
配列に多様性を持つため創薬上の潜在的有用性<br />
があるが、それにも関わらず生合成と生理作用に<br />
は未解明の部分が多い(図1)。<br />
・<br />
ヘパラン硫酸・ヘパリン<br />
ヘパラナーゼ<br />
10糖以上の糖鎖断片を<br />
生成<br />
・<br />
コラーゲン<br />
ラミニン<br />
サイトカイン<br />
(FGF, VEGF)<br />
ケモカイン<br />
トリプターゼ<br />
キマーゼ等<br />
細胞外マトリッ<br />
クスの強度調節<br />
サイトカインの<br />
シグナルを調節<br />
顆粒内酵素の活<br />
顆粒内酵素の活<br />
性調節<br />
図1.ヘパラン硫酸・ヘパリンとヘパラナーゼによる様々<br />
な生理機能の調節<br />
ヘパラナーゼはヘパラン硫酸プロテオグリカ<br />
ンの糖鎖部分を基質とするエンド型グルクロニ<br />
ダーゼとして発見、同定された。基底膜ヘパラン<br />
硫酸プロテオグリカンを基質とすることから、本<br />
酵素はメラノーマなどのがん細胞が遠隔臓器に<br />
浸潤・転移する際の基底膜分解に関与する鍵分子<br />
のひとつとして注目されていた 1) 。1999 年によう<br />
やく複数のグループによって cDNA クローニン<br />
グの結果が報告された 2) のち、ヘパラナーゼに関<br />
する研究は大きく進展した。動物モデルにおける<br />
がん転移がヘパラナーゼ分子の発現抑制や活性<br />
阻害で抑制できること、ヒト臨床標本の組織学的<br />
解析により様々な癌種においてヘパラナーゼの<br />
発現とがんの悪性度との間に相関が認められる<br />
ことから、ヘパラナーゼはがん治療の標的分子と<br />
して注目されている。ヘパラナーゼ阻害剤の一つ<br />
である PI-88 についてはメラノーマ、非小細胞性<br />
肺がん、前立腺がんなどの疾患を対象とした<br />
phase II の臨床試験が行われている 3) 。<br />
免疫細胞<br />
血管<br />
1. 初期接着<br />
セレクチン<br />
2.強固な結合<br />
2.強固な結合<br />
ケモカイン<br />
インテグリン<br />
図2.免疫細胞の血管外浸潤<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 28<br />
3.基底膜通過<br />
血管外浸潤<br />
接着 分解酵素<br />
基底膜<br />
一方、免疫細胞は基底膜を越えて末梢組織に血<br />
管外浸潤する点で、がん細胞と似通った体内挙動<br />
をすると言える。免疫細胞が血管外浸潤する際に<br />
は局所で産生される炎症性サイトカインやケモ<br />
カインの刺激が引き金となり血管内皮細胞と接<br />
着する。浸潤時の実際のエフェクター機構のひと<br />
つである基底膜の通過や分解についても、転移す<br />
るがん細胞とは異なり、サイトカインや細胞接着<br />
に応じて必要時に作動するような調節機構の存<br />
在が予想された(図2)。ヘパラナーゼはこれに
加え、ヘパラン硫酸・ヘパリンの低分子化を介し<br />
てマスト細胞の顆粒内酵素やケモカインなど、ヘ<br />
パラン硫酸・ヘパリン結合性を有する生理活性物<br />
質の相互作用を様々に調節することが予想され<br />
る(図1)が、免疫系の機能調節における意義は<br />
全く解明されてこなかった 4) 。我々は免疫細胞の<br />
機能調節を考慮した創薬の標的としてヘパラナ<br />
ーゼに関する上記の特徴に興味を持ち、ヘパラナ<br />
ーゼを介した免疫細胞の機能調節に関する研究<br />
を展開した。<br />
2.ヘパラナーゼの酵素活性は分子の集積状態で<br />
調節される 4,5)<br />
免疫細胞の一種である単球・マクロファージは<br />
炎症部位や動脈硬化巣などで血管外浸潤し、この<br />
過程で基底膜を通過する。この単球による基底膜<br />
分解のモデルとしてヒト U937 細胞をホルボール<br />
エステル処理することによりマクロファージ様<br />
に分化させたものを用いた。このマクロファージ<br />
様細胞を生きた状態で血管内皮細胞由来の基底<br />
膜様細胞外マトリックスに加え培養すると、分化<br />
後の細胞ではヘパラン硫酸の分解産物が培養上<br />
清に検出された。この分解は分化前の細胞では検<br />
出されなかったため、この細胞は分化依存的にヘ<br />
パラン硫酸の分解活性を獲得するものと考えら<br />
れた。この現象を酵素分子の発現上昇として裏づ<br />
けるため、転写レベル、細胞可溶化物の酵素活性<br />
としてヘパラナーゼの発現を定量したが、意外な<br />
ことにどちらの場合も分化前後で発現量には変<br />
化がなかった。細胞可溶化物の示すヘパラン硫酸<br />
分解活性は中和活性をもつ抗ヘパラナーゼ抗体<br />
でほぼ完全に抑制されること、ヘパラン硫酸を分<br />
解するエンド型酵素はヘパラナーゼ以外に知ら<br />
れていないことから他の酵素の関与は考えにく<br />
かった。<br />
生きている状態の細胞がヘパラン硫酸分解活<br />
性を調節する機構として、ヘパラナーゼの細胞内<br />
局在変化に注目した。分化したマクロファージで<br />
はヘパラナーゼ分子の一部が細胞表面に発現す<br />
ること、さらに接着時にヘパラナーゼ分子が細胞<br />
表面のある一点に集積すること、この集積点は浸<br />
潤時に浸潤先端と一致することが観察された。血<br />
管外浸潤におけるヘパラナーゼのヘパラン硫酸<br />
分解活性の発現は転写調節よりも、このような細<br />
胞内局在の変化によって達成されることが示さ<br />
れた(図3)。さらに、同様の現象が末梢血の単<br />
球や好中球でも生じることを見出した。この局在<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
調節機構の解明は今後の課題となっているが、ヒ<br />
ト末梢血好中球においてヘパラナーゼとの共沈<br />
降物として回収される 43kDa の分子を見出して<br />
いる。<br />
1.定常時: 1.定常時:<br />
単球はヘパラナーゼ<br />
を細胞表面に発現<br />
2.接着時: 2.接着時:<br />
ヘパラナーゼは細胞<br />
表面で集積する<br />
3.浸潤時 3.浸潤時 3. 浸潤時:<br />
へパラナーゼは浸潤<br />
へパラナーゼは浸潤<br />
方向に局在し基底膜<br />
方向に局在し基底膜<br />
を分解する<br />
を分解する<br />
定常時<br />
接着時<br />
浸潤時<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 29<br />
10 μm<br />
図3.単球ヘパラナーゼは浸潤先端に局在しヘパラン硫<br />
酸分解活性を調節する<br />
3.ヘパラナーゼはマウス免疫細胞に発現する<br />
6)<br />
様々な病態時におけるヘパラナーゼの発現と<br />
機能を検討するためには、動物モデルとなるマウ<br />
スでヘパラナーゼの検出法を確立することが必<br />
要である。我々は、昆虫細胞の発現系を利用して<br />
組換え型マウスヘパラナーゼを大量調製し、これ<br />
をラットに免疫して 16 種類のモノクローナル抗<br />
体産生ハイブリドーマを樹立することに成功し<br />
た。さらにエピトープ解析の結果、ヘパラナーゼ<br />
の N 末端側と C 末端側に複数のエピトープがあ<br />
ることを見出した。<br />
末梢血好中球 炎症部位<br />
10 μm<br />
50 μm<br />
図4.ヘパラナーゼは末梢血好中球に発現する(赤色部<br />
分)<br />
この抗体を用い、ヘパラナーゼ発現細胞の分布<br />
を組織学的に検討した。B16 メラノーマのマウス<br />
肺転移巣では、その浸潤先端にヘパラナーゼが高
発現していた。これは従来ヒト臨床標本で観察さ<br />
れていた結果と同様である。免疫細胞について見<br />
ると、定常時に観察されるヘパラナーゼ強陽性細<br />
胞として皮膚などに分布するマスト細胞が見出<br />
された(次項で説明)。皮膚炎症を惹起すると、<br />
炎症局所の血管近傍に分布する好中球の一部に<br />
ヘパラナーゼの発現が検出された(図4)。この<br />
抗体を利用することにより、病態の形成時期にお<br />
けるヘパラナーゼの発現変化の解析がより容易<br />
になるものと期待される。<br />
4.マスト細胞に発現するヘパラナーゼは顆粒内<br />
酵素の活性を増強する 6)<br />
アレルギー炎症の即時相において、マスト細胞<br />
は脱顆粒によってヒスタミン、顆粒内酵素などの<br />
炎症性メディエーターを放出する。細胞顆粒内に<br />
はこれらメディエーターの貯蔵に関わる多糖が<br />
存在する。ヘパリンは、粘膜型マスト細胞や他の<br />
顆粒を有する細胞にはなく、結合組織型のマスト<br />
細胞にのみ存在するという点で特徴ある多糖で<br />
ある。このヘパリンはグリコサミノグリカンの中<br />
でも極めて高い硫酸化度とイズロン酸含量を持<br />
つ。遺伝学的解析から、このヘパリンが顆粒内酵<br />
素の貯蔵とそれに伴う結合組織型マスト細胞の<br />
顆粒成熟に重要であることがわかっている。<br />
我々の組織学的解析によりヘパラナーゼ強発<br />
現細胞として同定されたのは、皮膚や腹腔に存在<br />
する結合組織型のマスト細胞であった。さらにヘ<br />
パラナーゼはこの細胞の顆粒内に局在していた。<br />
このヘパラナーゼの機能として顆粒内ヘパリン<br />
の低分子化が考えられた。ヘパリンはコアタンパ<br />
ク質であるセルグリシンに結合した高分子量<br />
(60-100kDa) の状態で合成されたのち、ヘパリン<br />
部分が 5-20kDa 程度に低分子化されることが知<br />
られている(図5)。実際、抗血液凝固剤として<br />
医療応用されているヘパリンはこのコアタンパ<br />
ク質から切り離された状態のヘパリンを調製し<br />
たものである。このヘパリン低分子化の生体内で<br />
の生理的意義は不明であった。そこで、ヘパラナ<br />
ーゼがマスト細胞の細胞内でヘパリンを本当に<br />
低分子化するのか、低分子化することによりマス<br />
ト細胞の機能にどのような変化が生じるのか、と<br />
いう点を検討した。<br />
マスト細胞様細胞株 MST は顆粒内に高分子状<br />
態のヘパリンを含有するが、内在性のヘパラナー<br />
ゼの発現は検出限界以下であることがわかった。<br />
従ってここにヘパラナーゼを導入することによ<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
り顆粒内にヘパリンとヘパラナーゼが共局在す<br />
る結合組織型マスト細胞の状態を再構成するこ<br />
とができると考えられた。複数の方法を試みた結<br />
果、組換え体として得られたプロ型のヘパラナー<br />
ゼを培養上清に添加し、これを取り込ませる方法<br />
が有効であることがわかった。ヘパラナーゼは効<br />
率よく細胞内に取り込まれ、顆粒内に成熟型とし<br />
て蓄積された。この細胞を用いて顆粒内ヘパリン<br />
の分子量を分析したところ、ヘパリンは 5-20kDa<br />
程度に低分子化しており、ヘパラナーゼによって<br />
ヘパリンが細胞内で低分子化されることが示さ<br />
れた。さらに、マスト細胞の機能として顆粒内酵<br />
素のトリプターゼに着目したところ、ヘパリンの<br />
切断に伴ってこのトリプターゼの高分子基質に<br />
対する切断活性が上昇した。すなわちトリプター<br />
ゼの活性増強が認められた。<br />
ヘパリン鎖<br />
セルグリシン<br />
(コア蛋白質)<br />
ヘパラナーゼ<br />
ヘパリンの低分子化<br />
コア蛋白質から遊離<br />
分子量 : 60-100 kDa 5-20 kDa<br />
図5.マスト細胞におけるヘパリン低分子化とヘパラナ<br />
ーゼ<br />
5.おわりに<br />
免疫細胞の細胞交通と顆粒内酵素の活性を調<br />
節する酵素としてのヘパラナーゼの多面的な機<br />
能を特徴づけることができた。免疫細胞における<br />
ヘパラナーゼの活性調節の特徴として、酵素分子<br />
の発現量のみならず、細胞表面や顆粒への集積な<br />
ど細胞内局在による調節が重要であることが示<br />
された。<br />
ヘパラナーゼはヘパリンの切断を介して、顆粒<br />
内酵素であるトリプターゼの活性を調節し得る<br />
ことが示唆された。顆粒内にはトリプターゼを含<br />
め、多数のヘパリン結合性の酵素が存在するため、<br />
トリプターゼで観察された調節機構が他の酵素<br />
についてもあてはまるのであれば、ヘパラナーゼ<br />
とそれに伴うヘパリン低分子化を複数の酵素機<br />
能をその上流でまとめて調節する現象として位<br />
置づけることができる。アレルギー疾患における<br />
マスト細胞の機能抑制にはトリプターゼなど<br />
個々の奏効分子の発現抑制や機能阻害を達成す<br />
ることが重要であるが、これに加えて複数の奏効<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 30
分子に共通するマスタースイッチにはたらきか<br />
けるような制御ができるのであれば興味深い。マ<br />
スト細胞に特徴的な転写因子、分化誘導因子の重<br />
要性については既に多くの研究がある。これに対<br />
してヘパリンを介する制御は、奏効分子の翻訳後<br />
以降に活性抑制が達成できるかもしれないとい<br />
う点でユニークであると考える。既にがんの分野<br />
ではヘパラナーゼ阻害剤として有望な「剤」がい<br />
くつか見出されている 3) 。免疫系を対象とした創<br />
薬におけるヘパラナーゼ阻害剤の再発見を行い、<br />
これを応用したヘパラナーゼの機能解明をさら<br />
に続けていきたい。<br />
参考文献<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
謝 辞<br />
本研究は東京大学大学院薬学系研究科の入村<br />
達郎教授、共同研究者の中島元夫博士(ジョンソ<br />
ン・エンド・ジョンソン株式会社)、および研究<br />
室の学生達との共同研究による成果であり、これ<br />
らの方々に深く感謝致します。共同研究者の笠岡<br />
達彦博士(ノバルティスファーマ株式会社)、徳<br />
田千賀志博士(セティ・メディカルラボ株式会社)、<br />
Jeffrey Esko 教授(カリフォルニア大学サンディ<br />
エゴ校)、岡山實教授(京都産業大学)、棟居聖一<br />
博士(金沢大学)、小栗佳代子博士(国立病院機<br />
構名古屋医療センター)、工藤一郎教授、武富芳<br />
隆博士(昭和大学)にこの場を借りて深謝致しま<br />
す。本研究は文部科学省特定領域研究「グライコ<br />
ミクス」、その他科学研究費補助金の助成を受け<br />
て行ったものであり、その資金援助に感謝致しま<br />
す。<br />
1) Nakajima, M., Irimura, T., Di Ferrante, D., Di Ferrante, N. and Nicolson, G.L. (1983) Science, 220, 611-613.<br />
2) Toyoshima, M. and Nakajima, M. (1999) J. Biol. Chem., 274, 24153-24160.他<br />
3) McKenzie, E.A. (2007) Br. J. <strong>Pharma</strong>col., 151, 1-14.<br />
4) Higashi, N. Irimura, T. and Nakajima M. (2006) Seikagaku, 78, 34-38.<br />
5) Sasaki, N., Higashi, N., Taka, T., Nakajima, M. and Irimura, T. (2004) J. Immunol., 172, 3830-3835.<br />
6) Komatsu, N., Waki, M., Sue M., Tokuda, C., Kasaoka, T., Nakajima, M., Higashi, N., Irimura T. J. Immunol. Methods, in<br />
press.<br />
◆略 歴◆ 東 伸昭(Nobuaki HIGASHI):1991 年東京大学大学院理学系研究科・博士課程終了、<br />
花王株式会社入社(1998 年まで)、うち 1993-95 年新技術事業団(現 科学技術振興機構)派遣研<br />
究員、1998 年東京大学大学院薬学系研究科講師、2004 年同研究科助教授、2007 年同研究科准教授<br />
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薬学研究ビジョン部会からのお知らせ<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
第 5 回(平成 19 年度)薬学研究ビジョン部会 部会賞 選考結果の発表<br />
平成19 年度も、多数の応募・推薦の中から、1次審査として書類選考を行い、書類選考の結果に基<br />
づいて、2 次審査を行い慎重に審査した結果、下記の 4 名の先生方を部会賞授賞者として選考いたし<br />
ました。なお、平成 20 年 1 月 24 日に東京大学医学部鉄門記念講堂にて本部会が主催する第 9 回創薬<br />
ビジョンシンポジウムにおいて、授賞式と受賞講演を行いました。<br />
小竹良彦(エーザイ株式会社)<br />
「新規抗腫瘍性天然物プラジエノライドの標的分子探索と抗癌剤創薬」<br />
斎藤嘉朗(国立医薬品食品衛生研究所)<br />
「日本人における薬物応答性遺伝子のハプロタイプ解析とその患者個別化薬物治療への応用」<br />
高橋栄夫(独立行政法人 産業技術総合研究所)<br />
「創薬加速技術としての NMR 相互作用解析手法の開発」<br />
東 伸昭(東京大学大学院薬学系研究科)<br />
「ヘパラナーゼを介した免疫細胞の機能調節」<br />
第 6 回創薬ビジョンフォーラム<br />
「疾患メカニズムに基づく創薬戦略」<br />
日時 :平成20年3月27日(木)9:00-12:00<br />
会場 :はまぎんホール ヴィアマーレ<br />
Co-Chairs:辻本 豪三(京都大学大学院薬学研究科)<br />
平成 19 年度部会長 横井 毅<br />
平成 19 年度部会賞選考委員長 大和田 智彦<br />
大和田 智彦(東京大学大学院薬学系研究科)<br />
開催趣旨:<br />
現在、難治性疾患治療のための創薬は、オーソドックスな創薬科学に加えて、ゲノム、トランスク<br />
リプトーム、プロテオーム、メタボローム、ケミカルバイオロジー、更には応用システム生物学をも<br />
含めた各種戦略の統合が図られている。特に、疾患標的分子の探索、同定、またバリデーションのス<br />
テップはこれらの網羅的手法の確立を背景にますますその重要性を増しつつある。本フォーラムでは<br />
オミックス、遺伝子改変動物、などの最先端手法を駆使して深い医学、薬学への洞察に立脚して創薬<br />
を志向する研究を紹介し、今日的な創薬ビジョンを提示する。<br />
プログラム:<br />
・オーガナイザー趣旨説明<br />
・ 青木 淳賢(東北大学大学院薬学研究科)<br />
「脂質をターゲットとしたケミカルバイオロジー」<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 32
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
・ 北 潔(東京大学大学院医学系研究科)<br />
「化学療法の標的としての寄生虫ミトコンドリア」<br />
・ 大河内 正康(大阪大学大学院医学系研究科)<br />
「いよいよ上市が現実味を帯びているアルツハイマー病予防・治療薬開発の現況」<br />
・ 五嶋 良郎(横浜市立大学大学院医学系研究科)<br />
「セマフォリンと創薬」<br />
・ 小室 一成(千葉大学大学院医学研究院)<br />
「メカニカルストレスに対する心筋細胞応答機構 アンジオテンシン II 受容体とインバースア<br />
ゴニスト」<br />
・オーガナイザー総括<br />
第 10 回創薬ビジョンシンポジウム<br />
「創薬の現状と将来「最先端技術から承認申請薬物まで」(仮)」<br />
日程 :平成 20 年 12 月 18 日(木)~19 日(金)<br />
会場 :北里大学薬学部 コンベンションホール<br />
主催 :日本薬学会薬学研究ビジョン部会<br />
Co-Chairs :長瀬 博(北里大学薬学部)/片倉晋一(第一三共株式会社)<br />
プログラム等の詳細が決定次第、HP でお知らせします。<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 33
編 集 後 記<br />
日本薬学会薬学研究ビジョン部会より、<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No. 11 をお届けいたし<br />
ます。本号では、薬学研究ビジョンとして、スフ<br />
ィンゴ脂質の代謝・機能と創薬について、また薬<br />
学研究最前線では、MM-PBSA 法を用いたキチ<br />
ナーゼ阻害剤 Argadin および Argifin の結合<br />
自由エネルギー計算につきまして、最先端の知見<br />
も含めてご執筆いただきました。このほか、本年<br />
度の本部会賞受賞者にもご執筆をお願い致しま<br />
した。本年度も、極めて優れた多数の応募を頂戴<br />
いたしましたが、最終的に4名の先生方のご受賞<br />
となりました。ご執筆いただきました先生方に、<br />
厚く御礼申し上げます。<br />
本部会ニュースも11巻めを迎えております。<br />
振り返ってみますと、創刊号は5年前の平成15<br />
鈴木 洋史 (東京大学医学部附属病院)<br />
薬学研究ビジョン部会 常任世話人<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
年1月に発行されております。平成12-13年<br />
の薬学研究ビジョン委員会における議論を足が<br />
かりとして、平成14年4月に本部会は発足とな<br />
りました。この間、創薬をめぐる領域横断的な議<br />
論がなされ、種々の観点からのシンポジウム開催<br />
や、ニュースレター刊行などを通じた情報発信が<br />
進められてきました。本号では、特に次期薬学会<br />
会頭の長野哲雄先生からも巻頭言を頂戴いたし<br />
ておりますが、新たな薬学教育体制のもと、本部<br />
会の活動にも益々期待がよせられるものと考え<br />
ます。<br />
本部会ニュースの読者の皆様からも忌憚のな<br />
いご意見・ご要望をお寄せいただきますようにお<br />
願い申し上げます。(鈴木・記)<br />
大和田 智彦 【部会賞選考委員長】 東京大学大学院薬学系研究科<br />
小澤 正吾 岩手医科大学薬学部<br />
片倉 晋一 第一三共株式会社<br />
鈴木 洋史 【副部会長】 東京大学医学部付属病院<br />
辻本 豪三 京都大学大学院薬学研究科<br />
長洲 毅志 【編集委員長】 エーザイ株式会社<br />
長瀬 博 【編集副委員長】 北里大学薬学部<br />
西島 和三 持田製薬株式会社<br />
松崎 勝巳 京都大学大学院薬学研究科<br />
三橋 晴美 【部会賞選考副委員長】 サノフィ・アベンティス株式会社<br />
南野 直人 国立循環器病センター研究所<br />
横井 毅 【部会長】 金沢大学薬学部<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 34
編集委員会からのお知らせ<br />
この <strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> は、本部会が年 2<br />
回の予定で部会員宛にメール発信いたします。<br />
ご希望の方は、薬学研究ビジョン部会事務局宛<br />
にお問合せ下さい。<br />
部会員登録が必要です。部会員登録用紙は、部<br />
会 HP から PDF ファイルをダウンロードして<br />
下さい。<br />
部会員の登録には、入会金・年会費は無料です。<br />
日本薬学会の会員でなくても部会委員登録は<br />
できます。<br />
投稿原稿を募集いたします。詳細は、編集事務<br />
局にお問合せ下さい。<br />
社団法人 日本薬学会 薬学研究ビジョン部会<br />
発行:薬学研究ビジョン部会【部会長:横井 毅】<br />
編集委員会:<br />
長洲 毅志【委員長】,長瀬 博【副委員長】<br />
鈴木 洋史 ,辻本 豪三<br />
甲斐 俊次 ,曽我 公美子【編集事務局】<br />
編集事務局:<br />
甲斐 俊次 横浜薬科大学 薬品反応学研究室<br />
〒245-0066 神奈川県横浜市戸塚区俣野町 601<br />
TEL:045-859-1300 FAX : 045-859-1301<br />
曽我公美子 エーザイ株式会社 創薬研究本部<br />
〒300-2635 茨城県つくば市東光台 5-1-3<br />
TEL:029-847-5603 FAX:029-847-1006<br />
薬学研究ビジョン部会事務局:<br />
※お問合せ、登録内容変更等のご連絡はこちらへ<br />
金沢大学薬学部 薬物代謝化学研究室内<br />
〒920-1192 金沢市角間町<br />
TEL:076-234-4438 FAX:076-234-4407<br />
E-mail:vision@p.kanazawa-u.ac.jp<br />
※本誌全ての記事、図表等の無断複写・転写を禁止いたします。<br />
<strong>Pharma</strong> <strong>VISION</strong> <strong>NEWS</strong> No.11 (March 2008) 35