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性教育の担い手,その方法と特別なテーマをめぐって - 日本福祉大学 ...

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日 本 福 祉 大 学 福 祉 社 会 開 発 研 究 所 『 日 本 福 祉 大 学 研 究 紀 要 - 現 代 と 文 化 』第 126 号 2012 年 9 月性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐって1960 年 代 DDR における 性 教 育 の 到 達 点 と 問 題 点 (その 2)池 谷 壽 夫目 次はじめに 本 論 文 の 課 題第 1 章 性 教 育 の 担 い 手 とその 関 係 をめぐって1. 性 教 育 の 担 い 手 としての 家 族 の 位 置 づけ2. 性 教 育 の 担 い 手 としての 学 校 ・ 教 員 の 問 題3. 学 校 と 家 庭 との 関 係4. 性 教 育 における 医 師 の 役 割 をめぐって第 2 章 性 教 育 の 組 織 形 態 としての 男 女 共 学 ( 男 女 共 習 ) 問 題1. 性 教 育 における 男 女 共 学 反 対 論2. 性 教 育 のおける 男 女 共 学 賛 成 論3. 生 徒 ・ 教 員 の 男 女 共 学 に 対 する 意 識第 3 章 婚 前 性 交 ・ 避 妊 ,マスタベーション,ホモセクシュアリティをめぐって1. 婚 前 性 交 ・ 避 妊 をめぐって2.マスタベーションをめぐって3.ホモセクシュアリティをめぐっておわりに まとめにかえてキーワード: 性 教 育 の 担 い 手 , 男 女 共 学 ,マスタベーション,ホモセクシュアリティ1


現 代 と 文 化 第 126 号はじめに本 論 文 の 課 題1960 年 代 のドイツ 民 主 共 和 国 ( 以 下 DDR)では,3 つの 大 きな 性 教 育 に 関 する 研 究 会 議 (1962年 ,1964 年 ,1965 年 )と 性 教 育 国 際 シンポジウム(1968 年 )が 開 催 され, 性 教 育 をめぐって 実践 的 ・ 理 論 的 な 諸 問 題 が 検 討 され 総 括 された(その 詳 細 については, 池 谷 2011c, 2011d, 2011e参 照 ).それらの 会 議 で 議 論 された 論 点 を 大 きくまとめるならば, 以 下 の 4 点 になろう.1 性 教 育 の 目 標 と 課 題 , 方 法 をめぐる 原 理 的 諸 問 題 の 検 討2 子 ども・ 青 少 年 の 性 的 発 達 の 調 査 研 究 とそれに 応 じた 性 教 育 の 課 題 ( 発 達 に 応 じた 性 教育 プログラム 作 り)3 性 教 育 の 担 い 手 と 協 力 をめぐる 問 題 家 庭 での 性 教 育 , 学 校 ・ 教 員 と 家 庭 , 医 師 との( 協 力 ) 関 係 , 学 内 の 性 教 育 と 学 外 での 性 教 育 との 関 係 をめぐる 問 題4 生 物 の 授 業 における 性 教 育 プログラムの 開 発 , 学 校 における 生 物 の 教 員 と 他 の 教 員 との協 力 , 生 物 の 授 業 と 他 教 科 の 授 業 との 関 係 をめぐる 問 題筆 者 は 池 谷 (2012a)において,1の 性 教 育 に 関 する 原 理 的 諸 問 題 を, 性 教 育 を 必 要 とした 社会 的 背 景 ,および 社 会 主 義 人 格 概 念 との 関 係 という 2 つの 視 点 から, 検 討 しておいた.そこで 本論 文 では,3の 性 教 育 の 担 い 手 をめぐる 問 題 の 到 達 点 を, 家 族 ( 家 庭 ), 学 校 および 医 師 との 関係 からまず 検 討 しておく( 第 1 章 ). 次 いで, 性 教 育 の 方 法 としての 組 織 形 態 の 問 題 として, 男女 共 学 をめぐる 問 題 が 60 年 代 にどのようなかたちで 議 論 されたかを 検 討 する( 第 2 章 ). 最 後に, 性 教 育 の 重 要 でかつ 厄 介 であるテーマ,すなわち 婚 前 性 交 ・ 避 妊 ,マスタベーションおよびホモセクシュアリティについて,60 年 代 にどのような 議 論 がなされてきたのかを 検 討 していく( 第 3 章 ). 残 された2と4の 問 題 については, 稿 をあらためて 取 り 上 げることにする.第 1 章 性 教 育 の 担 い 手 とその 関 係 をめぐって性 教 育 の 担 い 手 の 問 題 については,60 年 代 の DDR における 性 教 育 者 たちの 間 では 一 致 が 見られる.すなわち,「 性 教 育 は 何 よりも 家 庭 , 学 校 および 青 少 年 組 織 の 任 務 である」(Grassel/Baer 1962: 2)ことでは 一 致 している. 青 少 年 組 織 とは,とくにピオニールや 自 由 ドイツ 青 年 団(FDJ)をさす.とはいえ, 性 教 育 の 担 い 手 が 家 庭 と 学 校 であるとしても, 両 者 の 関 係 および 両者 の 協 力 をめぐる 問 題 が 課 題 とされるし,また 性 教 育 が 学 校 で 義 務 づけられて 以 降 , 医 師 がとくに 学 校 の 性 教 育 との 関 係 でどういう 役 割 を 果 たすのかについても,この 時 期 には 議 論 されている.そこで, 本 章 では, 家 庭 , 学 校 と 医 師 ,この 三 者 の 関 係 を 中 心 に 見 ていくことにする.1. 性 教 育 の 担 い 手 としての 家 族 の 位 置 づけ60 年 代 の DDR における 性 教 育 の 担 い 手 としての 家 族 をめぐる 議 論 を 見 ていく 際 に, 何 より2


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐってもまず 留 意 すべきは,1965 年 の 家 族 法 ( 池 谷 2009; 2011b)と 1968 年 に 改 正 された 憲 法 における 家 族 規 定 が 家 族 理 解 の 重 要 な 基 本 枠 組 となっていることである.そこでまずはじめに 両 者 における 家 族 の 法 的 規 定 を 見 ておくことにする.(1) 家 族 の 法 的 位 置 づけ1) 家 族 法 における 家 族 の 位 置 づけ家 族 法 では, 家 族 はまず 第 1 に, 社 会 という 生 命 体 を 構 成 する 最 小 の 細 胞 として 位 置 づけられている.そこで, 第 1 条 では 家 族 に 対 する 国 家 の 責 務 が 明 記 されている.すなわち,「 社 会 主 義国 家 は 結 婚 と 家 族 を 保 護 し 支 援 する」とともに,「 全 市 民 に 対 して 結 婚 と 家 族 に 対 する 責 任 意 識ある 行 動 を 期 待 する」とされる.より 具 体 的 には, 家 族 には,「 人 間 の 行 動 を 社 会 主 義 社 会 における 人 格 として 決 める 諸 能 力 と 諸 性 質 が 支 援 され 促 進 される 1 つの 共 同 体 」(「 前 文 」)であることが 期 待 されるのである.第 2 に, 家 族 は「 生 涯 にわたって 結 ばれた 結 婚 と, 男 女 間 の 感 情 関 係 とすべての 家 族 成 員 間 相互 の 愛 , 尊 重 および 相 互 の 信 頼 の 関 係 から 生 じるとくに 緊 密 な 結 合 にもとづく」( 前 文 )ものと定 義 されている. 家 族 は 男 女 間 の 生 涯 にわたる 結 婚 であり, 男 女 間 の 感 情 関 係 と, 愛 ・ 尊 重 ・ 相互 信 頼 からなるものと 規 定 されている. 第 5 条 でもこう 謳 われている.「 結 婚 の 締 結 によって 夫と 妻 は 相 互 の 愛 , 尊 重 と 貞 節 に, 相 互 に 対 する 理 解 と 信 頼 と 利 己 的 でない 援 助 にもとづく, 生 涯にわたって 結 ばれた 共 同 体 を 築 く」.したがって 家 族 では,「 夫 と 妻 の 同 権 」が「 社 会 主 義 社 会 における 家 族 の 性 格 を 決 定 的 に 規 定 する」( 第 2 条 )ものとして 求 められる.このことは「 社 会 主義 社 会 が, 他 者 の 人 格 を 尊 重 し 他 者 が 自 分 の 能 力 を 発 達 させる 際 に 支 援 することを 要 求 する」( 第 2 条 )ことをも 意 味 している. 男 女 ・ 夫 婦 同 権 は,さらに 第 10 条 で 以 下 のように 具 体 的 に 述べられている.4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 41. 夫 婦 双 方 は , 子 どもの 教 育 と 世 話 および 家 事 の 際 に 分 担 する . 夫 婦 相 互 の 関 係 は, 妻 4 が44 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4自 分 の 職 業 的 ・ 社 会 的 活 動 を 母 性 と 両 立 すること ができるように 築 かれねばならない.2.これまで 職 業 活 動 をしていない 配 偶 者 が 職 を 得 た 場 合 ,あるいは, 継 続 教 育 を 受 けたり社 会 的 労 働 をしたりするのを 決 心 したりした 場 合 には, 他 の 配 偶 者 は 仲 間 ・ 同 志 的 な 考 慮と 援 助 でその 配 偶 者 の 企 図 を 支 援 する.家 族 法 の 第 3 の 特 徴 は, 親 の 教 育 責 務 が 明 記 されていることである.まず 第 3 条 で「 親 のもっとも 高 潔 な 任 務 」が 規 定 されている.それは,「 自 分 の 子 どもを 国 家 ・ 社 会 の 機 関 との 信 頼 に 満ちた 協 力 の 中 で, 健 康 で 生 活 の 喜 びに 溢 れた, 有 能 で 全 面 的 に 陶 冶 された 人 間 , 社 会 主 義 の 能 動的 な 建 設 者 へ 教 育 すること」である. 子 どもを 全 面 的 に 陶 冶 された 人 間 ( 社 会 主 義 人 格 )および社 会 主 義 の 能 動 的 な 建 設 者 へと 教 育 することが 親 に 求 められている.さらに, 第 42 条 では, 子どもの 教 育 が「 国 家 と 社 会 の 承 認 と 評 価 を 受 ける, 親 の 一 つの 重 要 な 国 家 公 民 的 任 務 である」3


現 代 と 文 化 第 126 号( 第 1 項 )こと,「 親 は 自 分 の 教 育 任 務 を 果 たす 際 に,および 統 一 的 な 教 育 を 保 障 するために, 学校 , 他 の 教 育 ・ 継 続 教 育 機 関 ,「エルンスト・テールマン」ピオニール 組 織 1) および 自 由 ドイツ青 年 団 と 緊 密 にかつ 信 頼 をもって 協 力 しこれらの 組 織 を 支 援 すべき」( 第 4 項 )ことが 明 記 され,子 どもの 教 育 目 標 が, 同 年 2 月 に 制 定 された「 統 一 的 社 会 主 義 教 育 制 度 に 関 する 法 律 」(1965 年学 校 法 )にならって, 次 のように 規 定 されている(1965 年 学 校 法 については, 池 谷 2011b 参 照 ).4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4子 どもの 教 育 の 目 標 は, 彼 らを, 社 会 的 発 展 を 意 識 的 に 共 同 形 成 する , 精 神 的 および 道 徳4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4的 に 優 れ , 身 体 的 に 健 康 な 人 格 へと 育 てることである. 自 分 の 教 育 義 務 を 責 任 意 識 を 持 って実 現 することをつうじて, 自 分 の 模 範 をつうじておよび 子 どもに 対 する 一 致 した 態 度 をつう4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4じて, 親 は, 自 分 の 子 どもを, 学 習 と 労 働 への 社 会 主 義 的 態 度 , 労 働 する 人 間 に 対 する 尊4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4重 , 社 会 主 義 的 共 同 生 活 の 規 則 の 遵 守 , 連 帯 , 社 会 主 義 的 愛 国 主 義 と 国 際 主 義 へ 教 育 する.( 第 2 項 )4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4子 どもの 教 育 は, 謙 虚 , 誠 実 , 親 切 ,および 高 齢 者 に 対 する 尊 重 といった 性 質 と 振 る 舞 い4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4の 形 成 と 不 可 分 である. 子 どもの 教 育 はまた, 結 婚 と 家 族 に 対 する 後 々の 責 任 意 識 を 持 った4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4態 度 へと 子 どもを 準 備 させること をも 含 む.( 第 3 項 )このように,DDR では 法 的 に 親 は 子 どもを 社 会 主 義 人 格 へと 教 育 する 義 務 を 負 うことが 定 められており,またその 教 育 の 一 環 として,「 結 婚 と 家 族 に 対 する 後 々の 責 任 意 識 を 持 った 態 度 へと 子 どもを 準 備 させること」が 親 の 性 教 育 の 目 標 とされているのである.2)DDR 憲 法 第 38 条 (1968 年 )における 家 族 の 位 置 づけこうした 家 族 法 の 精 神 は,1968 年 憲 法 の 第 38 条 に 凝 縮 されていく.そこでは 次 のように 謳 われている.⑴ 結 婚 , 家 族 と 母 性 は 国 家 の 特 別 な 保 護 下 にある.ドイツ 民 主 共 和 国 の 市 民 はだれも 自 分の 結 婚 と 家 族 が 尊 重 され, 保 護 され 支 援 される 権 利 を 持 つ.⑵ この 権 利 は, 結 婚 と 家 族 における 男 女 同 権 によって, 彼 らの 結 婚 と 家 族 を 固 め 発 展 させる 際 の 社 会 ・ 国 家 の 支 援 によって 保 障 される. 子 だくさん 家 族 , 単 身 の 母 親 と 父 親 には,特 別 措 置 による 社 会 主 義 国 家 の 世 話 と 支 援 が 向 けられる.⑶ 母 と 子 は 社 会 主 義 国 家 の 特 別 な 保 護 を 享 受 する. 妊 娠 休 暇 , 出 産 の 際 の 特 別 な 医 療 上 のケア, 物 質 的 ・ 財 政 的 支 援 および 子 ども 手 当 が 与 えられる.⑷ 自 分 の 子 どもを 健 康 で 生 きる 喜 びに 溢 れた, 有 能 で 全 面 的 に 陶 冶 された 人 間 へと 教 育し, 国 家 意 識 を 持 った 市 民 へと 教 育 することは, 親 の 権 利 でありかつもっとも 高 潔 な 義 務である. 親 は, 社 会 的 および 国 家 的 な 訓 育 ・ 陶 冶 機 関 と 緊 密 で 信 頼 に 満 ちた 協 力 を 請 求 する 権 利 を 持 つ.4


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐってこうした 法 的 規 定 により,DDR では 親 も 学 校 も 子 どもを 全 面 的 に 陶 冶 された 社 会 主 義 人 格 へと 発 達 させるという 義 務 を 負 うとされた.したがって,まずもって 親 に( 性 ) 教 育 への 権 利 があり, 教 員 と 学 校 はその 権 利 を 委 託 されたものであるというような 思 想 は 生 まれ 出 てこようがなかった.この 点 がドイツ 連 邦 共 和 国 ( 以 下 BRD)の( 性 ) 教 育 との 大 きな 違 いの 1 つとなってくる.すなわち,BRD では 親 と 国 家 との 関 係 は,その 基 本 法 に 明 記 されているように, 親 には根 源 的 に 教 育 権 があり,それを 学 校 が 委 託 されたとものとされているのである( 池 谷 2009b).(2) 性 教 育 者 の 間 での 家 族 の 位 置 づけすでに 池 谷 (2012a)でみたように, 性 教 育 者 の 間 では 親 が 子 どもの 性 教 育 に 関 してはさまざまな 困 難 を 抱 えていることは 理 解 されている.しかしそれでも, 性 教 育 の 担 い 手 がまずは 家 庭 であることについては, 彼 らの 間 でも 一 致 が 見 られる.しかしその 理 由 となるとさまざまである.その 理 由 の 1 つは, 性 教 育 は 子 どもの 小 さい 頃 から,すなわち 家 庭 から 始 まらねばならないからというものである(Grassel 1962b: 20). 性 的 発 達 のための 基 礎 づくりは 家 族 の 中 で 行 われるのだから, 親 の 行 動 と 態 度 は 重 要 だというのである.2 つ 目 の 理 由 は,「 親 がこの( 性 教 育 の 引 用 者 ) 任 務 を 引 き 受 ける 権 利 と 義 務 を 持 つ」(Borrmann 1962a: 26)からというものである.そして 第 3 の 理 由 は,「 家 族 が 性 教 育 の 場 所 でありかつ 目 標 (Ort und Ziel der Geschlechtserziehung)であること」(Reis 1969:713)による.「 家 族 が 性 教 育 の 場 所 であるとは, 家 族 が 今 親 の 基 本 的 責 任 をもっているからであり, 家 族が 目 標 となるのは, 後 の 時 期 において,すなわち 後 に 大 人 になる 子 どもの 責 任 においてである」(ebenda.). 以 上 のようにその 理 由 づけは 異 なるとはいえ, 家 庭 での 性 教 育 の 重 要 性 や 必 要 性 は了 解 されていると 言 える.しかし,Borrmann(1962a)は,「 性 的 教 授 (sexuelle Belehrung)」は 親 の 義 務 で, 学 校 は家 庭 の 援 助 者 であるとするような 見 解 彼 がそこで 引 き 合 いに 出 しているのは,Carl Bach(1907: 14f.)の 見 解 である は, 社 会 主 義 学 校 に 関 しては 維 持 されないと 考 えている.それは,Borrmann によれば,DDR の 社 会 主 義 学 校 が, 親 の 教 育 的 努 力 とは 対 立 するものではなく, 両者 の 営 みはともに 人 格 の 全 面 発 達 に 向 けられているからである.Borrmann は,「 原 則 的 には,何 らかの 機 能 において 社 会 主 義 的 陶 冶 ・ 訓 育 に 関 与 する 者 は 誰 でも 性 的 に 陶 冶 し 訓 育 する 権 利 および 義 務 をももつ」(ibid. 27)としている.Grassel(1962b)は 別 の 現 実 的 な 理 由 から, 性 教 育 の 担 い 手 が 家 庭 であり, 家 庭 がその 義 務を 担 うとしても,それをもっぱら 家 庭 に 委 ねることは 誤 りだと 考 えている. 第 1 に,「 多 くの 親は,どのようにそしていつ 青 少 年 期 に 必 要 な 当 該 の 客 観 的 な 情 報 を 与 えるべきかについて 自 信 がないであろう」という 消 極 的 な 理 由 からである. 第 2 の 理 由 は, 健 康 な 親 子 関 係 にはそもそも,ある 程 度 の「 親 密 さゆえの 気 後 れ(Intimhemmung)」(20)が 存 在 しているからである.5


現 代 と 文 化 第 126 号2. 性 教 育 の 担 い 手 としての 学 校 ・ 教 員 の 問 題では 1959 年 の 教 授 プラン 以 来 性 教 育 が 公 的 な 任 務 として 定 められた 学 校 で, 教 員 は 性 教 育 に実 際 にどう 向 き 合 っていたのであろうか.(1) 性 教 育 に 対 する 教 員 の 現 状1960 年 代 始 めの Borrmann(1962b)の 調 査 によれば,たしかに 教 員 は 性 的 教 授 への 直 接 的 な関 与 の 必 要 性 を 認 めている. 例 えば, 回 答 した 教 員 368 人 中 359 人 が 直 接 的 な 関 与 に 賛 成 している.しかし, 実 際 にはそれにふさわしい 行 動 がなされているとは 言 えない. 回 答 した 教 員 の50% 以 上 がまだ, 直 接 的 な 関 与 を 何 もしていなかったのである(124).また, 学 校 全 体 で 性 教 育 を 位 置 づけている 学 校 もきわめて 少 ない.Baer(1966)によると,2年 前 に 行 った 調 査 では, 約 150 校 のうち 57%の 学 校 ではこれまで 教 育 協 議 会 2) で 性 教 育 の 諸 問題 が 話 し 合 われたことがなかったし,25%の 学 校 では, 生 徒 が 引 き 起 こした 否 定 的 な 出 来 事 のためにこの 問 題 に 取 り 組 んだだけであった. 教 育 問 題 を 議 論 する 際 に 計 画 的 に 性 教 育 の 諸 問 題 を 教育 協 議 会 で 扱 っていたのは 約 10%の 学 校 だけであった(742).Grassel(1969)は,60 年 代 末 における 性 教 育 に 対 する 教 員 の 態 度 を, 次 の 4 つのグループに分 けている(679).・ 第 1 グループ(もっとも 小 さいグループ) 「 学 校 における 性 教 育 を 基 本 的 に 拒 否 して,それをたいてい 親 の 任 務 だとみなすような 教 員 」.・ 第 2 グループ 「たしかに 性 教 育 に 関 して 基 本 的 には 否 定 的 な 態 度 はとらず, 性 教 育 の必 要 性 を 肯 定 するが,しかし 自 ら 喜 んで 性 教 育 を 積 極 的 に 行 おうとしない」 教 員 .・ 第 3 グループ 「 結 局 のところ 学 校 における 性 教 育 を 肯 定 するばかりではなく, 性 教 育に 関 与 するが,ただし ケース・バイ・ケースで のみ,つまり,そうした 問 題 が 生 徒 の側 に 生 じた 場 合 ないしは 教 授 プランから 求 められている 場 合 のみそうする」 教 員 .・ 第 4 グループ 「 積 極 的 な 性 教 育 を 行 うし,クラス・ 学 年 でそのつど 活 動 的 な 教 員 をコーディネートされた 計 画 的 な 活 動 へとまとめようと 努 力 さえする」 教 員 .Grassel によれば,このうち 第 1 ~ 第 3 のグループの 教 員 には 気 後 れする 要 因 がいくつもある.それは,1 必 要 な 性 知 識 を 欠 いていること,2 方 法 上 の 能 力 がないこと,3 青 少 年 期 に 適 切 な 性教 育 を 受 けていないこと,4 性 問 題 の 社 会 的 タブー 化 ,5 他 人 の 前 で 性 の 問 題 を 語 る 恥 ずかしさ,などである.また, 青 少 年 の 性 行 動 に 関 して 教 員 には 両 極 端 な 見 解 が 見 られるという.すなわち, 青 少 年 の「セクシュアリティ・ 性 行 動 のコントロール 能 力 に 関 する 極 めて 強 いペシミズム」が 主 張 される 一 方 で,「 青 少 年 はなお 長 く 子 どもだという 希 望 的 考 えを 抱 いた 目 的 オプティズム 」(680)がみられる.しかし,どちらにしても 性 教 育 は 不 十 分 なものにならざるをえない.6


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐって(2) 生 物 の 教 員 の 役 割こうした 教 員 の 消 極 性 を 是 正 するために, 以 下 のことが 求 められてくる.1 つには, 性 教 育 の核 となる 生 物 教 員 が 学 校 で 果 たす 役 割 が 重 視 されてくる.また 第 2 に, 教 員 への 医 師 の 協 力 が 求められるとともに, 第 3 には, 教 員 養 成 および 教 員 の 継 続 教 育 における 性 教 育 プログラムの 充 実が 求 められることになる. 第 2 の 課 題 は 後 で 触 れることとし,まず 生 物 の 教 員 の 役 割 について 触れておく.Baer(1962b)の 考 えでは, 性 教 育 はすべての 教 育 の 担 い 手 の 任 務 であり,この 領 域 ではいかなる 教 科 にも 指 導 権 があるわけではない.しかし,「 現 在 の 状 況 では, 生 物 の 教 員 が, 教 授 プランにもとづいて, 人 間 のセクシュアリティの 諸 問 題 をその 授 業 で 扱 うよう 義 務 づけられている 唯一 の 者 である」(38).この 事 実 から 少 なくとも 現 状 では,「 生 物 の 授 業 ,したがって 生 物 の 教 員がそれぞれの 学 級 担 当 教 員 と 緊 密 に 連 携 して, 生 徒 への 当 該 の 影 響 を 指 導 しコーディネートするという 必 要 性 」が 出 てくる.「 多 くの 同 僚 教 員 の 中 でこれらの 問 題 についてまだ 議 論 されてこなかったし, 生 物 の 教 員 がしばしばまったく 一 人 でこれらの 問 題 の 解 決 の 前 に 立 っていることは 事実 である.すべての 学 校 の 教 育 協 議 会 が 性 教 育 への 最 善 の 道 と 可 能 性 を 審 議 することを 達 成 すれば, 多 くの 他 の 教 科 教 員 も 彼 らのこれに 関 連 した 任 務 を 認 識 するであろう」(ebenda.).また,Baer(1966)は 生 物 の 教 員 がもつ 特 別 な 責 任 を 次 の 点 から 強 調 している. 第 1 は,「 生物 の 教 員 は, 公 民 科 の 教 員 と 並 んで, 教 授 プランによって 性 教 育 を 授 業 で 行 うよう 義 務 づけられている 唯 一 の 教 員 である」こと. 第 2 に, 生 物 の 教 員 は「 動 物 と 人 間 の 解 剖 と 生 理 学 」に 関 して養 成 されていることからして,「 生 殖 器 の 構 造 と 機 能 に 関 する 生 物 学 的 に 厳 密 な 知 識 を 最 もうまく 伝 達 することができる」し, 動 物 の 生 殖 と 人 間 のセクシュアリティとの 質 的 な 違 いについても, 系 統 発 生 的 な 知 識 にもとづいて 説 明 することができる(742).ここから,Baer は 生 物 の 教 員 の 任 務 として,3 点 を 指 摘 している. 第 1 の 任 務 は,「 生 物 の 教員 は 教 育 協 議 会 において 性 教 育 の 諸 問 題 を 取 り 扱 うことに 努 力 して, 学 校 において 性 教 育 用 の 恒常 的 なプランをすべての 同 僚 ,とくに 学 級 担 任 と 一 緒 に 作 成 する」ことである. 第 2 は, 生 物 の教 員 は「 親 の 会 でどの 学 級 でも 一 度 ならず 継 続 的 に, 性 教 育 の 現 状 について 報 告 されるように,働 きかける」ことである. 第 3 の 任 務 は, 教 員 の 継 続 教 育 の 催 しや 親 セミナーにおいて, 同 僚 と親 が 性 教 育 に 対 する 能 力 を 持 てるようにさせることである(ebenda.).(3) 教 員 向 け 性 教 育 プログラムの 開 発すでに 池 谷 (2012a: 7-10)でも 指 摘 したが, 以 上 に 述 べたような 性 教 育 に 対 する 教 員 側 の 気 後れを 克 服 し, 性 教 育 に 関 する 教 員 の 資 質 を 向 上 させるためには, 教 育 に 携 わる 者 の 教 育 が 緊 急 かつ 必 須 の 課 題 となっていた.ここでは Borrmann の 問 題 提 起 と Grassel の 教 員 向 け 性 教 育 プログラムを 取 り 上 げ, 検 討 しよう.7


現 代 と 文 化 第 126 号1)Borrmann の 提 起Borrmann(1962b)によると,さまざまな 教 員 養 成 機 関 では, 授 業 でほとんど 性 的 陶 冶 ・ 訓育 の 問 題 , 性 的 教 授 が 取 り 上 げられていない.しかし,フンボルト 大 学 教 職 学 生 アンケートでは, 全 学 生 が 専 門 教 育 へ 性 的 教 授 の 問 題 を 取 り 入 れることに 賛 成 しているし,Gerhard Paerschがポツダム 教 員 養 成 所 で 行 ったアンケートでも, 回 答 者 108 人 のうち,101 人 (93.5%)がもっと 多 くの 性 的 教 授 に 賛 成 している(136-7).他 方 , 現 場 の 教 員 自 身 も 性 の 問 題 に 関 する 研 修 を 必 要 だと 考 えている. 数 年 来 働 いている 教 員に 対 して,「あなたは 性 的 教 授 を 実 施 するのに 指 導 を 必 要 としていますか?」の 質 問 に 対 して,回 答 した 教 員 368 人 のうち,ほぼ 半 数 (183 人 ,49.7%)が「はい」と 答 えている.しかし, 実際 に 指 導 を 受 けたのは 59 人 (16.8%)しかいない(「あなたはすでに 性 的 教 授 を 実 施 するための指 導 を 受 けましたか?」の 質 問 に 対 する 回 答 )(137).だからこそ,「 教 員 養 成 は 性 的 教 授 への 用意 をしなければならないか?」という 質 問 に 対 しては,368 人 のうち,360 人 (97.8%)が 無 条件 に「はい」と 答 えているのである(137-8).こうして,Borrmann は 教 員 養 成 における 性 教 育 (Borrmann いうところの「 性 的 教 授 」)の必 要 性 を 訴 える.そしてその 内 容 項 目 として,Borrmann は 以 下 のものを 挙 げている.「 男 女 の相 互 関 係 の 社 会 的 意 義 と 人 間 の 生 活 におけるセクシュアリティの 位 置 , 社 会 主 義 における 結 婚 の展 望 , 男 女 の 協 力 の 領 域 における 社 会 主 義 的 道 徳 の 諸 要 求 , 人 間 の 社 会 的 な 発 達 と 成 熟 およびそれらの 心 身 上 の 影 響 , 年 齢 特 有 な 特 殊 性 , 加 速 化 現 象 , 青 少 年 の 性 的 発 達 と 彼 らの 行 動 との 関係 , 性 的 発 達 およびとくに 性 的 活 発 さが 業 績 達 成 (Leistungen)に 及 ぼす 影 響 , 男 子 と 女 子 間の 友 情 および 若 者 の 発 達 に 友 情 が 促 進 したりあるいは 阻 んだりして 及 ぼす 影 響 , 子 ども・ 青 少 年期 におけるオナニー,オナニーの 作 用 とオナニーのきわめて 多 様 な 現 象 形 態 へ 影 響 を 及 ぼす 可 能性 , 子 ども・ 青 少 年 の 性 の 誤 った 発 達 と 逸 脱 , 男 性 教 員 の 異 性 の 生 徒 に 対 する 振 る 舞 い 並 びに 青少 年 の 正 常 な 発 達 を 指 導 するための 食 事 療 法 上 の 措 置 」(140).しかし,Borrmann は 性 的 知 識の 教 授 だけでは 不 十 分 だと 考 える.「 教 員 養 成 には 若 者 に 知 識 を 備 えさせる 任 務 があるだけではなく, 後 に 教 員 としてあらゆる 領 域 における 社 会 主 義 的 生 き 方 を 実 際 に 示 すことができる 人 格 を形 成 しなければならない」(141).もっとも,Borrmann は 教 員 養 成 や 教 員 の 継 続 教 育 において 性 的 教 授 の 特 別 なプログラムをつくることには, 反 対 している.この 点 では 次 に 見 る Grassel の 議 論 とは 反 対 である.それは,Borrmann によれば, 現 行 の「 教 授 プログラムをつくり 変 えるという 極 端 な 要 求 に 従 うならば,それは, 性 的 問 題 性 に 何 ものによっても 正 当 化 し 得 ない 特 殊 な 地 位 を 認 めて,それを 社 会 主 義 的陶 冶 ・ 訓 育 の 過 程 全 体 との 関 連 から 引 き 裂 くことを 意 味 することになろう」(141)という 懸 念 からである.したがって Borrmann は 養 成 プログラムにおいて 予 定 されている 講 義 を 有 意 義 に 利用 することや, 講 義 外 で 教 員 を 性 的 教 授 に 準 備 させうる 形 態 の 方 を 勧 めている(ebenda.).8


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐって2)Grassel の 継 続 教 育 プログラム 案Grsassel(1969)は, 効 果 的 な 性 教 育 は 家 庭 で 始 まり, 幼 稚 園 で 補 完 され, 学 校 はそれを 継 続し,18 歳 での 公 民 としての 成 熟 に 達 するまで 継 続 することが 重 要 であるという 観 点 から 性 教 育の 現 状 を, 次 のように 総 括 している.1. 家 庭 と 幼 稚 園 はこの 任 務 をまだ 十 分 には 実 現 していない.2. 学 校 は 教 授 プランとしてはなおきわめて 遅 く 性 教 育 を 始 め,しかもしばしば 一 教 科 でのみ 行 われている.3. 学 校 はきわめて 早 くに 中 断 され,その 結 果 16 ~ 18 歳 の 学 年 はしばしば 教 育 ( 学 ) 的 性教 育 指 導 もないままになっている.これはしかし 男 女 関 係 でのトラブルがたまる 時 期 である.4. 青 少 年 期 から 大 人 への 移 行 段 階 ではなおきわめてわずかしか 性 教 育 がなされていない.婚 前 状 態 にある 青 少 年 ないしは 大 人 にとって 結 婚 ・ 性 相 談 所 を 効 果 的 ならしめることは,得 策 であると 思 われる.(679)これら 性 教 育 の 欠 陥 を Grassel は, 本 質 的 にはこの 領 域 での 教 員 の 仕 事 の 不 十 分 さ,そしてまた 何 よりも 教 員 養 成 の 欠 陥 のうちにみている.「 今 日 まで 教 員 の 一 部 にしか, 専 門 教 育 において性 教 育 活 動 への 必 要 な 準 備 が 行 われていない」(ebenda.).こうした 教 員 の 現 状 を 踏 まえて,Grassel は 教 員 研 修 向 けに, 表 1 のような「 教 育 指 導 者 の 性教 育 上 の 拡 大 ・ 継 続 教 育 (Aus-und Weiterbildung)プログラム 案 」(681f.)を 示 している.3. 学 校 と 家 庭 との 関 係(1) 学 校 と 家 庭 の 協 力Rostock における 第 2 回 性 教 育 研 究 会 議 (1964 年 )でも 問 題 とされたように, 学 校 と 家 庭 ・親 との 協 力 は, 性 教 育 を 進 める 上 で 必 須 の 課 題 であった(Grassel 1966a).まず 親 と 学 校 の 協 力 についての 意 識 と 実 態 を 見 ると(Borrmann 1962b), 親 と 教 員 822 人 中 ,790 人 (96.1%)と 大 多 数 が, 性 的 教 授 での 学 校 と 家 庭 の 緊 密 な 協 力 を 肯 定 してはいる.しかし,実 際 に「あなたはすでに 自 分 の 生 徒 の 親 と 性 的 教 授 に 関 して 協 力 しましたか?」の 問 いに 対 して, 回 答 した 教 員 368 人 中 162 人 (44.6%)が「はい」と 答 えているだけで,196 人 (53.3%)が「いいえ」,10 人 の 教 員 が 無 回 答 という 状 況 であった(116).一 方 , 親 の 方 はというと,「あなたはすでに 性 的 教 授 の 際 に 自 分 の 子 どもの 学 校 と 協 力 しましたか?」という 質 問 に 対 して, 回 答 した 親 448 人 中 43 人 (9.6%)が「はい」,395 人 (88.2%)が「いいえ」,10 人 の 親 が 無 回 答 であった.427 人 の 親 は 学 校 との 協 力 に 賛 成 しているものの,実 際 に 学 校 と 協 力 していたのはたったの 43 人 (10.1%)で,それもイニシアティブは 教 員 の 側からのものであった(116f.).こうした 事 態 を 打 開 するための 重 要 な 取 り 組 みの 1 つが, 親 の 会 や 親 セミナーでの 性 教 育 につ9


現 代 と 文 化 第 126 号表 1 教 育 者 の 性 教 育 上 の 拡 大 ・ 継 続 教 育 プログラム 案1. 社 会 主 義 性 道 徳 の 諸 問 題 (2 時 間 )人 間 の 性 行 動 の 社 会 的 決 定 , 性 行 動 をコントロールすることについての 規 範 の 必 要 性 と 役 割 , 社 会主 義 社 会 におけるパートナーシップ 関 係 の 規 範 , 社 会 主 義 における 結 婚 と 家 族 .セクシュアリティと性 関 係 に 関 するブルジョア 的 見 解 との 対 決 .2.セクシュアリティの 解 剖 学 的 ・ 生 物 学 的 基 礎 (1 時 間 )男 性 と 女 性 の 外 性 器 と 内 性 器 ,セクシュアリティのホルモンの 条 件 , 性 の 形 成 の 染 色 体 のメカニズム, 受 胎 過 程 .3. 家 族 計 画 避 妊 と 妊 娠 (1 時 間 )家 族 計 画 の 社 会 的 条 件 , 出 産 調 整 の 可 能 性 , 避 妊 : 可 能 性 , 形 態 , 使 用 および 安 全 値 , 妊 娠 : 認知 , 経 過 . 妊 娠 中 絶 . 出 産 : 経 過 , 合 併 症 , 痛 みの 少 ない 分 娩 .4. 大 人 の 性 行 動 と 性 体 験 (2 時 間 )動 物 界 における 性 行 動 ,さまざまな 文 化 における 性 行 動 の 比 較 考 察 , 男 性 のセクシュアリティと 女性 のセクシュアリティ, 性 交 , 経 過 , 体 験 , 効 果 , 頻 度 , 生 理 学 的 メカニズムと 反 応 , 障 害 , 流 行 ,ダンス, 化 粧 等 の 影 響 .5. 子 ども・ 青 少 年 期 における 性 的 発 達 (2 時 間 )セックス, 性 およびエロスの 発 達 の 区 別 , 生 殖 器 官 の 発 達 生 物 学 ,ホルモン 分 泌 腺 の 機 能 . 加 速 ;性 発 達 の 障 害 (pubertas praecox); 子 ども 期 の 性 の 問 題 ; 思 春 期 の 発 達 生 物 学 ; 月 経 , 射 精 ,マスタベーション:その 仕 方 , 機 能 , 危 険 ,セラピー; 青 少 年 期 におけるパートナーシップ 関 係 , 青 少 年期 における 性 的 活 動 ;ペッティング, 性 交 .6. 性 教 育 ( 学 )の 基 本 問 題 (1 時 間 )教 育 全 体 の 一 部 としての 性 教 育 , 人 格 発 達 にとっての 教 育 の 意 義 , 性 教 育 の 働 きかけの 可 能 性 と 限界 , 性 教 育 の 形 態 , 性 教 育 の 手 段 ,さまざまな 教 育 の 担 い 手 の 関 与 と 特 殊 性 , 結 婚 ・ 性 相 談 とその 教育 ( 学 ) 的 機 能 .7. 学 校 における 性 教 育 (2 時 間 )就 学 前 の 性 教 育 , 下 級 段 階 での 性 教 育 : 開 始 , 体 系 性 , 形 態 , 教 材 の 投 入 , 性 教 育 の 教 授 的 特 殊性 , 中 級 ・ 上 級 段 階 における 教 科 特 有 の 働 きかけ, 性 教 育 のコーディネーターとしての 学 年 主 任 , 働きかけの 授 業 および 授 業 外 の 形 態 , 性 教 育 の 教 育 計 画 , 性 教 育 のプログラムについて.養 護 施 設 , 職 業 学 校 , 寄 宿 舎 等 における 性 教 育 の 特 殊 性 , 生 徒 の 彼 氏 ・ 彼 女 関 係 (Freundschaft)とその 教 育 的 取 り 扱 い.学 校 の 任 務 としての 親 の 性 教 育 の 資 質 向 上 .思 春 期 医 の 協 力 , 性 教 育 の 授 業 外 ・ 学 校 外 での 形 態 .8. 家 族 における 性 教 育 (2 時 間 )最 初 の 情 報 提 供 者 としての 家 族 , 良 心 ・ 信 念 形 成 の 家 族 の 条 件 , 家 族 における 性 教 育 の 可 能 性 と 限界 , 家 族 における 精 神 的 な 親 密 さゆえの 気 後 れ, 性 役 割 の 形 成 に 関 する 親 のモデルと 実 例 の 役 割 , 家族 における 性 教 育 の 種 類 , 形 態 ,スタイルとトーン.9. 他 の 教 育 機 関 の 性 教 育 ( 学 ) 上 の 機 能 (1 時 間 )性 教 育 の 際 の 青 少 年 組 織 の 役 割 と 任 務 .啓 発 文 献 の 役 割 と 可 能 性 , 利 用 の 可 能 性 , 形 態 , 限 界 .マスメディア 手 段 の 性 教 育 ( 学 ) 的 な 働 きかけ.映 画 ,ラジオ,テレビの 特 別 な 可 能 性 とその 限 界 . 報 道 の 役 割 , 情 報 と 作 用 .性 教 育 での 芸 術 および 芸 術 作 品 ( 絵 , 言 葉 , 音 楽 …)の 使 用 .性 教 育 での 否 定 的 な 作 用 要 因 :「かくれた 共 同 教 育 者 」, 友 だち,ポルノ, 俗 悪 文 学 , 性 的 ジョーク.10. 性 行 動 ・ 性 体 験 の 障 害 (1 時 間 )性 腺 障 害 (クリネフェルター 症 候 群 とターナー 症 候 群 ), 生 殖 器 官 の 誤 発 達 , 月 経 障 害 , 半 陰 陽 ,生 殖 不 能 (Unfruchtbarkeit),インポテンツ, 不 感 症 , 不 妊 (Sterilitt),ホモセクシュアリティ,フェティシズム,サディズム,マゾヒズム 等 々.11. 性 病 (1 時 間 )性 病 の 蔓 延 , 多 様 な 種 類 : 淋 病 , 梅 毒 等 々, 性 病 の 伝 染 , 認 知 , 処 置 , 予 防 . 病 気 の 経 過 .12. 性 教 育 の 法 的 諸 問 題 (1 時 間 )教 員 の 危 険 性 , 誤 った 誣 告 罪 ; 子 どもと 青 少 年 の 信 憑 性 とその 検 討 , 子 どもに 対 する 犯 罪 行 為 . 青少 年 の 保 護 教 育 , 性 非 行 と 学 校 での 犯 罪 行 為 およびその 処 置 と 除 去 .13. 現 存 する 教 材 の 利 用1. 教 育 映 画 ・ 生 殖 の 生 物 学 ,3 部2. 映 画 シリーズ「 異 性 との 出 会 い」,4 部10


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐっていての 取 り 組 みである.その 典 型 例 が,Bach が 校 長 を 務 める Erich-Weinert 上 級 学 校 での 取 り組 みである(Bach 1966).この 詳 細 はすでに 池 谷 (2011d)で 述 べたので,それを 見 ていただくことにし,ここではその 取 り 組 みの 中 で, 以 下 の「 決 まり」が,1964/65 学 年 度 の 教 育 協 議 会 で取 り 決 められたことだけを 指 摘 しておこう(760).1. 学 年 の 最 初 の 親 の 催 しでは, 学 年 主 任 の 説 明 の 際 に 性 教 育 の 問 題 も 取 り 上 げる. 当 該 学年 段 階 の 典 型 的 な 生 徒 の 質 問 を 挙 げて, 正 しい 回 答 を 述 べる. 事 実 伝 達 と 価 値 伝 達 の 統 一という 原 則 に 特 別 な 価 値 をおく.2. 第 4~6 学 年 すべてにおいて, 親 に「あなたの 子 どもにどう 言 う?(Sagst Du'sDeinem Kinde?)」の 映 画 を 上 映 する.それに 続 いて, 親 と 学 年 をもとにしてセミナーを 行う.3.7 つの 学 年 ( 第 4 ~ 第 10 学 年 引 用 者 )すべてで, 性 教 育 に 関 する 親 セミナーを 開 催する.その 際 とくに 人 格 発 達 にとってのこの 発 達 段 階 の 意 義 を 取 り 扱 う. 第 2 部 では, 現在 の 教 材 を 説 明 し, 教 科 の 教 員 が 親 に 生 物 学 的 知 識 を 伝 達 する.4. 第 8 ~ 10 学 年 すべてにおいて, 親 に 映 画 「もう 子 どもじゃないから……(Weil ich keinKind mehr bin...)」を 上 映 する. 引 き 続 き 各 学 年 で,セミナーを 行 う.その 際 とくに 彼氏 ・ 彼 女 関 係 と 愛 ,アルコール,マスタベーション,ちゃんとした 日 常 計 画 , 余 暇 づくりを 取 り 上 げる.よく 出 される 次 のような 質 問 には 統 一 的 な 見 解 に 達 するようにする. 夜 は何 時 まで 外 出 とテレビを 見 るのはいいか? 映 画 にはどのくらい 行 くのか? いつダンスのレッスンがあっていつから 公 的 なダンスパーティに 行 くのか? パーティはどのように催 されるべきか? キャンプはいいのかいけないのか? 私 はどんな 服 装 をきちんと 着 るのか? おこづかいは? 日 々の 義 務 とその 報 酬 は?5.2 月 までに 各 学 級 担 任 はそれぞれの 家 庭 を 訪 問 して, 親 と 性 教 育 の 問 題 についても 話 す.親 セミナーに 来 ない 親 には, 親 委 員 会 メンバーと 一 緒 に 訪 問 する.6.この 質 問 に 関 わる 生 徒 の 質 問 と 親 の 意 見 は, 校 長 に 生 かされるように 伝 える.7.すべての 教 科 で, 性 教 育 のための 適 切 な 教 材 領 域 を 利 用 し,それを 教 材 配 分 プランにおいて 特 徴 づける.どの 同 僚 教 員 もさらに 性 教 育 のための 最 も 適 切 な 教 育 状 況 を 利 用 する 義務 を 負 う.8. 下 級 段 階 のための 決 まり.また,Bach たちは 親 役 員 会 (Elternbeirat) 3) や 学 年 の 親 の 会 その 他 で, 親 のところに 話 しに 行 く 取 り 組 みを 行 っている.そこでの 講 話 は 以 下 のようなものであった(Bach 1962: 58).11


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐって郡 教 育 指 導 センターを 介 して,この 説 明 書 を 印 刷 して,Grimma,Wurzen および Leipzig の 都市 部 のほんの 一 部 で 1963/64 学 年 度 に 出 すことができた.その 後 , 他 の 郡 でもこのような 活 動が 始 められ,1964/65 学 年 度 には 県 レベルでの 最 初 の 大 規 模 な 試 行 が 行 われた(1966: 772; 1968:168). 以 下 が,Brckner の4~9 歳 の 子 をもつ 親 向 け 性 教 育 説 明 書 である(1968: 269-272).カール・マルクス 大 学 Leipzig 小 児 病 院 ・ 医 学 博 士 H. Brckner による4 ~ 9 歳 のわが 子 の 性 教 育 向 け 説 明 書親 愛 なる 親 御 さんと 教 育 者 の 方 々へ!人 間 がその 人 生 の 中 で 成 し 遂 げねばならないきわめて 困 難 な 任 務 の 一 つは, 自 分 の 健 康 な 性 生活 づくりです. 今 日 残 念 ながら 相 変 わらず,たいていの 親 御 さんは 自 分 の 子 どもをこの 任 務 の 遂行 へと 準 備 させる 際 に 見 捨 てているといったありさまで,これは 彼 ら 自 身 が 自 分 の 親 によって 見捨 てられていたのと 同 じです.これは 悪 意 と 無 責 任 から 行 われているわけではなくて, 偏 見 と 内面 的 な 気 後 れのせいです.子 どもは, 学 校 へ 連 れてこられる 時 には,すでに 親 御 さんによって, 赤 ちゃんがどこから 来 るのかについて 教 えられているべきでしょう.この 質 問 は,4 ~ 6 歳 の 子 ならだれでも, 自 分 の 環境 のなかで 子 どもが 産 まれれば,ひとりでに 出 てくるものです. 重 大 な 教 育 上 の 誤 りは,この 質問 にコウノトリのおとぎ 話 や 似 たような 真 実 ではない 述 べ 方 で 答 えることです.というのも,これは,この 重 要 な 生 活 領 域 での 親 御 さんと 教 育 者 に 対 する 子 どものあらゆる 信 頼 を 壊 し, 子 どもをこれによって 否 応 なしに 相 互 の「 啓 発 」に 引 き 渡 すことになるからです. 最 初 の 質 問 に 誤 って答 えたりあるいは 全 く 答 えないとすれば, 子 どもは 経 験 からすると 他 の 質 問 を 携 えて 自 分 の 親 のところに 来 ることはもはやしません.ですから,あなたは 自 分 のお 子 さんが 赤 ちゃんの 出 自 と 出 産 について 考 え 始 めたらすぐに, 早い 時 期 にそして 本 当 のことを 教 えるべきでしょう. 最 初 の 質 問 に 正 しく 子 どもにふさわしく 答 えたならば,そして 親 に 対 する 信 頼 関 係 がその 他 の 点 でも 損 なわれなければ,お 子 さんはまたこの領 域 でのすべての 他 の 質 問 を 携 えて 自 ら 親 御 さんのところに 来 て, 学 校 での 他 の 子 どもの 話 しや万 が 一 の 体 験 について 知 らせてくれることを 確 信 してもかまいません.こうして 親 御 さんは, 自分 のお 子 さんをこの 重 要 な 生 活 領 域 でも 確 実 に 見 守 る 機 会 を 持 つことになります.だけれども 強 調 しておきたいのは, 以 後 の 指 摘 が 役 に 立 つはずの 意 味 ある 教 え(Belehrung)はもちろんこの 重 要 な 教 育 問 題 の 一 側 面 でしかないということです.この 教 えは 大 人 のモデル,すなわち, 大 人 の 清 潔 な 家 族 的 ・ 社 会 的 な 順 応 と 社 会 主 義 的 倫 理 ・ 道 徳 に 則 った 大 人 の 交 際 形 態によって 補 われねばなりません.モデルとしての 大 人 ,とりわけ 当 然 親 および 教 育 者 としてのあなたは,この 領 域 でもあなたのお 子 さんの 後 の 行 動 を 尾 を 引 くほどに 形 づくります.わが 子 は 何 を 質 問 しますか?健 康 で 注 意 深 い4~9 歳 のお 子 さんならだれでも 何 度 も 質 問 するのは,3 つの 質 問 です,そこ13


現 代 と 文 化 第 126 号るの.」第 2 の 質 問 「いったいどうやって 子 どもはそこからでてくるの?」この 質 問 は, 私 たちは 5 歳 と 7 歳 のあいだの 子 どもで 考 えています.私 たちの 回 答 :「おまえは 子 どもがお 母 さんのおなかで 育 つことをもう 知 っているわね. 子 どもは 十 分 大 きくなり 一 人 で 飲 んだり 息 をすることができると,もうお 母 さんのおなかにいる 必 要がなくなるの.子 どもは, 私 たちが 膣 と 呼 ぶ 小 さな 通 り 道 を 通 って 母 胎 から 出 てくるの.この 通 り 道 はゴム 管のようなもので, 子 どもが 出 てくると 広 がるの.これが 子 どもの 出 産 だね. 子 どもは 両 足 の 割 れ目 から 出 てくるの.この 割 れ 目 はすべての 女 性 にあるし, 女 の 子 にもあるの.お 母 さんは 出 産 の際 には 当 然 相 当 がんばらねばならないの.でも,お 母 さんはね, 自 分 の 子 どものために 喜 んでそうするの,というのもお 母 さんは 子 どもを 楽 しみにしているからね.」第 3 の 質 問 :「 子 どもはいったいすでにその 前 にお 母 さんのからだの 中 にいるの?」よく 子 どもは 違 ったふうにも 質 問 します.「いったい 赤 ちゃんはどうやってお 母 さんの 中 へ入 ってくるの?」と.(しかしその 場 合 は 子 どもがその 前 にどこにいたのかを 知 りたいだけなのです.)この 質 問 を 私 たちは 6 歳 から 考 えなければなりません.私 たちの 回 答 :「 子 どもはお 母 さんのからだの 中 で 育 つの. 最 初 はとっても 小 さくて,ピンの頭 ほど 小 さいの.それからゆっくりだんだん 大 きくなって,9 カ 月 後 に 生 まれるの,それからほんものの 赤 ちゃんほどに 大 きくなるの.子 どもは,お 母 さんの 体 内 にいる 間 は,とっても 柔 らかで 子 どもに 何 も 起 こらないように 子 どもを 守 る 袋 のなかにいるの. 約 4 カ 月 後 に, 子 どもはもう 動 くことができるし, 子 どもが 蹴 るのを 感 じることすらできるわ.もちろん 妊 娠 とよぶこの 時 期 にはお 母 さんはたいへんなの.だからこのような 女 性 に 対 してはとくに 親 切 にして, 重 たいものを 持 たねばならない 時 には,いつも 助 けることにしようね.」あなたがお 子 さんにこれを 具 体 的 な 物 で 見 せることができれば,お 子 さんにはこの 回 答 がわかりやすくなります.『 女 性 百 科 事 典 』には,そのために 利 用 できる 図 があります.一 般 的 に 私 たちは, 子 どもが 9 歳 までには 質 問 をつうじて 基 本 的 知 識 を 獲 得 したと 考 えることができます.お 子 さんが 突 然 質 問 してきた 時 にとまどわないように,あなたがこれらの 回 答 をよく 準 備 しておくことを 大 いにお 勧 めします.お 子 さんがある 不 適 切 な 場 所 で( 市 電 などで)このような 質 問をしてきたら,「この 質 問 には 家 で 答 えるわ」,とお 子 さんに 言 うのがいいでしょう.しかしその場 合 もできるだけ 同 じ 日 にしなければなりません.とくにそれに 適 切 なのは 私 たちの 経 験 では 夕暮 れ 時 です.18


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐってお 子 さんが 自 分 のきょうだいの 裸 を 見 ることができる 機 会 を 与 えれば,それによってお 子 さんを 助 けることができます,そしてお 子 さんが 自 分 の 父 親 や 母 親 が 自 然 なままでいるのを 見 ても,叱 ってはならないでしょう.でもこうした 事 態 を 完 全 には 避 けることができません.しかしまた,お 子 さんが「なぜおなかがそんなに 大 きいの?」「なぜそんな 毛 があるの?」などといった質 問 を 携 えて 来 たら,お 子 さんにきちんとした 答 えをしなければなりません.でも 叱 れば,お 子さんの[ 性 に 対 する 引 用 者 ] 好 奇 心 を 目 覚 めさせることになります.もっともよいのは,お 子 さんに 一 度 家 族 や 知 人 の 妊 娠 をともに 知 る 機 会 を 与 える 時 です.あなたは 落 ち 着 いて 子 どもを[ 妊 娠 の 引 用 者 ] 準 備 に 参 加 させましょう( 子 どもの 洗 濯 物 を 整 理する, 乳 母 車 を 買 うなど). 多 くの 人 びとは,かつて 母 胎 の 子 どもの 動 きを 感 じるのを 許 された時 ,ひじょうに 感 銘 を 受 けたと 私 に 語 ってくれました.わが 子 がひどい 言 葉 を 使 う多 くの 子 は,4 歳 から, 消 化 領 域 に 関 する 口 汚 ない 言 葉 を 好 みます.7 ~8 歳 ごろには, 私 たちは, 子 どもが 性 的 な 罵 り 言 葉 や 口 汚 ない 言 葉 を 家 に 持 ち 込 んでくることを 考 えておかねばなりません.ひじょうによく 子 どもはこれらの 言 葉 が 本 来 何 を 意 味 しているかを 全 くきちんとは 知 りません.ですからあなたのお 子 さんを 叱 ってはいけません.むしろ,これは 美 しい 言 葉 でなくて使 ってはいけないことをお 子 さんにわからせましょう.次 の 年 齢 では 発 達 はどうなっていくのか?あなたが, 発 達 がその 後 どうなるかを 知 っているとしても,きっと 間 違 いでありません.10 歳 ごろ 私 たちは 第 4 の 質 問 ,すなわち,「もともと 子 どもはどうやってできるの?」という質 問 を 考 えておかねばなりません. 今 や 子 どもは 生 殖 の 問 題 を 知 りたがるし, 私 たちは 父 親 がどのような 役 割 を 果 たしているのかをも 言 わねばなりません.(この 質 問 への 答 えは 説 明 書 B にあります.)今 日 およそ 12 歳 で,わが 子 は 思 春 期 に 入 ります.そのとき 多 くの 問 題 が 青 少 年 に 気 にかかり始 めますので,それに 対 して 私 たちは 親 として 彼 らを 準 備 させなければなりません.その 際 , 学校 はきっとあなたの 働 きかけを 支 援 します.お 子 さんがあなたに 学 校 の 出 来 事 を 話 してくれれば,どうか 先 生 と 落 ち 着 いてそれについて 話してください. 家 庭 と 学 校 が 共 同 で 相 談 し 働 きかけ 合 うことは,おそらくつねに 教 育 の 成 功 の 最善 の 前 提 となります.私 たちは 次 の 時 にはなおこのテーマ 領 域 に 関 する 親 の 夕 べを 行 い,そこですべてのオープンな質 問 について 議 論 します.すべてのこうした 質 問 の 助 けは, 特 に 親 向 けに 書 かれた 小 冊 子 にありますし, 私 たちはあなたに 以 下 のものをお 勧 めします.Bretschneider: Sexuell aufklren - rechtzeitig und richtig: Urania Verlag.19


現 代 と 文 化 第 126 号Grassel: Wie sagen wir es unserem Kinde? Verlag Volk und Gesundheit, Berlin 1956.Grassel/Heilbock: Erziehung zur knftigen Liebe; in dem Bchlein: Eltern und Kinder.Verlag Volk und Wissen, Berlin.Klimova/Fgenervova: Wie wir die Fragen der Jngsten beantworten, Berlin 1960.Prof. R. Neubert: Wohe Woher kommen die Kinder?, Greifenverlag Rudolstadt 1964.4. 性 教 育 における 医 師 の 役 割 をめぐって50 年 代 までは 医 師 が 性 教 育 の 中 心 的 な 担 い 手 であったが( 池 谷 2011a: 41-42),1959 年 に 新 しい 教 授 プランが 出 されて 以 降 は, 学 校 教 員 (とりわけ 生 物 の 教 員 )が 性 教 育 の 主 要 な 担 い 手 となってきた.このような 担 い 手 の 変 化 の 中 であらためて, 医 師 は 学 校 と 親 とに 対 してどのような立 場 で 性 教 育 に 携 わるべきかが,60 年 代 には 1 つの 大 きな 課 題 となってきた.Neubert(1962)は, 一 般 的 に「われわれ 医 師 は,すべての 段 階 の 教 育 者 (Pdagogen)幼 稚 園 教 員 を 忘 れずに, 性 教 育 は 幼 稚 園 から 始 まる に, 必 要 な 知 識 を 与 える」(13)ことにその 任 務 があるとしている.Neubert(1966)によれば,20 世 紀 前 半 までは 性 教 育 ( 学 )においては 医 師 が 中 心 的 役 割 を 果 たしていた「 性 教 育 ( 学 ) 医 師 の 支 配 の 時 代 」であったが,それ 以降 は,もはや「 性 教 育 ( 学 )は 医 師 の 職 業 任 務 ではなくて, 普 通 教 育 の 任 務 」(777)である(「 教育 学 の 任 務 としての 性 教 育 学 」).この 時 代 において, 性 教 育 ( 学 )に 対 する 医 学 の 重 要 な 貢 献は, 必 要 な 知 識 を 広 範 な 領 域 に 伝 えることだが,そのためには 医 師 に 次 のことが 求 められるとしている.1「 医 師 全 体 がこれまで 以 上 に, 性 行 動 の 生 物 学 的 , 医 学 的 , 衛 生 学 的 基 礎 を 研 究 する」こと,および2これまではこの 領 域 は「あれやこれやの 思 春 期 医 や 産 婦 人 科 医 の 趣 味 」で「 体 系 的 な 研 究 」はなされなかったので,これを 克 服 すること,である(ebenda.).1962 年 の 第 1 回 性 教 育 会 議 でも,この 点 が 議 論 されている.Borrmann(1962b)は, 性 的 教授 を 強 めようという 多 くの 医 師 の 努 力 は 限 りなく 承 認 されるが, 今 は 医 師 に 子 ども・ 青 少 年 の 性的 教 授 への 直 接 的 な 関 与 を 免 除 する 時 期 に 来 ているとしている.Borrmann によれば, 医 師 を性 的 教 授 の 過 程 へと 編 入 するにしても,それは,ただ 医 師 の 関 与 によってより 大 きな 成 功 が 見 込まれる 場 合 だけである.つまり, 医 師 をこの 訓 育 ・ 陶 冶 過 程 へ 組 み 入 れるのは, 教 員 が 医 師 に 委託 する 場 合 だけだとするのである(27).これに 対 して,Neutsch(1962)は,「この 会 議 の 諸 テーゼの 中 で, 性 的 な 啓 発 と 教 育 の 際 の医 師 の 協 力 がほとんど 全 く 論 じられないこと」を 問 題 だとしている.Neutsch によれば,「おそらくこれは, 医 師 , 教 員 , 親 との 緊 密 なコンタクトをもったよい 学 校 医 の 世 話 がどこにもないせいである」(31).そこで Neutsch は, 学 校 医 は, 親 と 子 どもにとっては, 集 団 検 診 , 予 防 接 種 ,思 春 期 医 への 来 診 などを 通 じて,けっして 他 人 ではないから, 学 校 医 を 学 校 の 仕 事 へと 有 意 義 な仕 方 で 組 み 込 むべきだという.この Neutsch の 報 告 に 関 連 して,Borrmann と Neutsch が 問 題 とした 教 員 と 学 校 医 の 協 力 の問 題 が 取 り 上 げられている.そこで 問 題 となったのは, 医 師 がそもそも 性 教 育 に 参 加 すべきかど20


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐってうかであったが, 最 終 的 には 以 下 の 2 点 がこの 会 議 で 確 認 された.1 性 教 育 は 教 育 ( 学 )の 1 つの 任 務 であるが,それでも 医 師 がとりわけ 性 生 活 の 特 別 な 問 題 を 取 り 扱 えば 有 効 であるし, 学 校医 には, 自 由 な 話 し 合 いを 助 けるのに 中 立 的 な 地 位 が 役 に 立 つこと,2 教 員 にはしばしばためらいがあるから, 教 員 集 団 の 資 質 向 上 や 親 向 けの 講 演 の 際 には 医 師 の 援 助 がとりわけ 必 要 であること(Pdagogik, Beiheft 2, 1962: 31),である.1968 年 の 国 際 シンポジウムでも, 医 師 と 教 育 との 関 係 が 論 じられている.Donath(1969)は思 春 期 医 の 性 教 育 への 関 わりを,1 親 への 教 育 の 際 の 協 力 ,2 子 ども・ 青 少 年 の 性 教 育 への 貢献 ,3 性 の 教 育 相 談 という 3 つの 視 点 から 論 じている.1については,Donath によれば, 一 方 では, 教 員 ・ 幼 稚 園 教 員 の 性 教 育 に 関 する 専 門 教 育 が不 十 分 な 現 状 では, 思 春 期 医 と 一 緒 に 親 への 性 教 育 をする 必 要 がある. 他 方 で, 思 春 期 医 は, 教員 ・ 幼 稚 園 教 員 , 学 童 保 育 者 , 養 護 施 設 や 休 暇 キャンプでの 指 導 者 (Betreuer),ピオニール 指導 者 や 自 由 ドイツ 青 年 団 指 導 者 の 継 続 教 育 において,2 つの 点 で 役 立 つ.すなわち,「 思 春 期 医は 個 人 的 会 話 や 小 グループでの 会 話 で, 性 的 問 題 を 話 す 気 後 れをなくし, 生 徒 の 問 題 に 対 する 理解 を 呼 び 起 こすことができる」し,また,「 教 育 指 導 者 の 継 続 教 育 の 催 しで, 特 殊 な 生 物 学 ・ 医学 ・ 性 科 学 の 質 問 を 受 けて, 専 門 知 識 を 伝 えることができる」(722).2については, 思 春 期 医 は, 小 グループの 話 し 合 いで 子 ども ・ 青 少 年 が 出 してくる 特 殊 な 質 問に 答 える 際 に, 教 員 を 応 援 することができるし, 子 ども ・ 青 少 年 の 生 物 学 の 知 識 を 医 師 の 視 点 から 深 めることができる.ここでは 具 体 例 として, 女 子 での 月 経 衛 生 の 可 能 な 方 法 についての 話 し合 いや 男 子 でのマスタベーションの 問 題 での 話 し 合 いが 挙 げられている.3の 問 題 では,まず 子 どもの 教 育 相 談 や 青 少 年 の 結 婚 ・ 性 相 談 において, 思 春 期 医 , 保 護 司(Frsorgerin), 産 婦 人 科 医 , 心 理 学 者 , 教 育 ( 学 ) 者 間 の 協 力 の 必 要 性 が 強 調 されている.その 上 で, 家 庭 での 子 どもの 性 的 な 誤 った 態 度 や 障 害 の 予 防 ,セラピーなどとならんで, 養 護 施 設の 子 どもの 性 教 育 問 題 での 教 育 相 談 が 緊 急 に 必 要 であるとしている(ebenda.).最 後 に,Donath は 教 員 と 医 師 との 原 則 的 な 関 係 を 改 めてこう 述 べている.「 学 年 での 性 教 育は 原 則 的 に 教 員 によって 実 行 されねばならない.けっして 思 春 期 医 は 補 助 教 員 として 機 能 してはならないし, 教 員 から 性 教 育 の 任 務 を 奪 ってはならない」(ebenda.)と.Paul(1969)は, 女 性 の 健 康 保 護 という 視 点 から, 結 婚 と 家 族 へと 若 い 世 代 を 教 育 する 際 の医 師 (とりわけ 思 春 期 医 と 結 婚 ・ 家 族 相 談 所 の 医 師 )の 任 務 を 3 つ 挙 げている.第 1 の 任 務 は, 思 春 期 医 が 10 ~ 11 歳 の 女 子 が 水 泳 してもいいかを 診 察 するので,その 時 に「 女 性 身 体 の 生 殖 的 機 能 と 性 器 の 特 別 な 保 護 」(736)について 基 本 的 に 教 えること. 第 2 は, 女性 の 健 康 維 持 の 特 別 な 意 義 から,きわめて 早 い 時 期 に,そして 年 齢 に 応 じて,「 詳 細 かつオープンに 男 女 での 避 妊 の 可 能 性 , 技 術 と 使 用 原 理 について 話 すこと」(ebenda.).そして 第 3 は,「 若い 女 子 と やはり 年 齢 に 応 じて 区 別 して , 妊 娠 と 分 娩 , 痛 みの 少 ない 出 産 , 妊 娠 と 産 褥 の衛 生 について 話 すこと」(ebenda.)である.Paul は, 女 性 の 健 康 維 持 の 際 の 男 性 の 協 力 という点 から, 男 性 医 師 が 男 女 の 前 でこの 問 題 について 話 すのがよいと 考 えている.21


現 代 と 文 化 第 126 号さらに Paul は, 以 下 の 任 務 を, 保 健 衛 生 機 関 が 責 任 をもつ 性 教 育 ( 学 )の 部 分 だと 考 えている(736).1. 女 子 に, 月 経 期 間 の 自 分 の 特 別 な 身 体 的 ケアについて 教 え, 後 の 妊 娠 と 出 産 後 の 身 体 衛生 について 指 摘 すること.2. 若 い 人 の 望 まない 妊 娠 と 早 期 に 結 ばれた 結 婚 を 避 けるのに 貢 献 するものとして, 医 学 の視 点 で 避 妊 と 家 族 計 画 について 啓 発 すること.(……)3. 出 産 過 程 についての 知 識 を 十 分 に 伝 えることで, 出 産 の 苦 痛 の 心 理 的 予 防 という 意 味 で極 めて 早 くから, 後 の 母 性 への 肯 定 的 な 自 然 な 態 度 を 得 るようにすること.このように,60 年 代 には 医 師 の 性 教 育 への 関 与 は, 限 定 的 なものとされてくる.すなわち,医 師 の 性 教 育 の 任 務 は, 一 方 では 専 門 家 の 立 場 から 教 員 を 背 後 から 援 助 することにあるとともに, 他 方 では, 青 少 年 組 織 や 結 婚 ・ 家 族 相 談 所 において 専 門 的 な 助 言 をすることにある.第 2 章 性 教 育 の 組 織 形 態 としての 男 女 共 学 ( 男 女 共 習 ) 問 題1959 年 12 月 2 日 の「ドイツ 民 主 共 和 国 における 学 校 制 度 の 社 会 主 義 的 発 展 に 関 する 法 律 」を経 て,10 年 制 普 通 教 育 総 合 技 術 上 級 学 校 で 総 合 技 術 教 育 が 男 女 必 修 とされ,1960 年 代 には, 男女 共 学 が 定 着 していく. 性 教 育 においても 男 女 共 学 というあり 方 は, 概 ね 支 持 されていると 言 える.このことは,Grassel(1969a)が DDR の 性 教 育 学 者 の 一 致 点 の 1 つとして,「 性 教 育 は,まったく 学 校 における 普 通 の 形 態 と 集 団 の 枠 内 で,それゆえ 共 同 教 授 (Koinstruktion), 男 女共 学 (Koedukation)としても 行 われなければならない」(214-215)ことを 挙 げていることからもわかる.1. 性 教 育 における 男 女 共 学 反 対 論しかし 反 対 論 がないわけではなかった.それは, 例 えば Borrmann(1962b)の 次 のような 言 ,すなわち,「 男 子 と 女 子 の 共 同 の 教 授 に 賛 成 する 者 の 数 は, 絶 えず 増 えている」(99)という 一 文にも 伺 うことができる.ただし, 男 女 共 学 に 対 する 反 対 論 については, 管 見 する 限 りでは,それを 明 確 に 主 張 している 論 者 は 性 教 育 学 者 の 間 に 見 ることができない.Borrmann によれば, 男 女 別 習 か 男 女 共 習 かという 問 題 は 今 日 もなおよく 教 育 者 の 心 を 興 奮させる 問 題 である(ibid.: 98). 共 学 に 反 対 する 理 由 は, 過 去 のような 理 由 女 子 に 対 する 性教 育 は 心 理 的 に 処 女 を 奪 うことであり, 文 化 的 無 垢 の 剥 奪 であるとするもの(その 例 としてBorrmann は Christianden 1918 を 挙 げている) ではない.むしろ 今 日 の 反 対 の 理 由 は, 男女 共 学 にすると 規 律 が 乱 れるのではないかという 危 惧 である.「 共 同 の 教 授 の 拒 否 はほとんどもっぱら 避 けがたい 規 律 の 喪 失 を 指 摘 することで 根 拠 づけられる. 教 育 指 導 者 は 率 直 に, 性 的 教授 のかかる 形 態 によって, 彼 らが 太 刀 打 ちできない 状 況 に 陥 らないかという 不 安 を 抱 えていると白 状 している」(98-99).22


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐってKirsch(1968)も 同 じような 反 対 論 を 紹 介 している. 男 女 一 緒 にすると 規 律 がむずかしくなるので 男 女 別 にしたいという 教 員 がいる,と.しかし,Kirsch によれば,それには 根 拠 がない.自 分 たちが 行 った 調 査 研 究 で 出 てきた 生 徒 の 質 問 に,その 後 の 授 業 時 間 の 1 つで 回 答 するよう 教員 に 義 務 付 けたら,「すべての 生 徒 がきわめて 注 意 深 く 教 員 の 説 明 に 従 い, 思 いがけないほど 開明 的 で 信 頼 に 溢 れた 雰 囲 気 が 支 配 した」(1968: 76)という.むしろ 問 題 なのは, 教 員 の 側 の「 青少 年 期 に 受 けた 自 分 の 不 十 分 な 性 的 陶 冶 ・ 訓 育 に 根 差 している 恥 ずかしさ」(ebenda.)の 方 なのである.2. 性 教 育 における 男 女 共 学 賛 成 論性 教 育 において 男 女 共 学 にすると 男 女 の 規 律 が 乱 れるのではないかという 不 安 が 教 員 に 見 られるものの, 多 くの 性 教 育 者 たちは 男 女 共 学 に 基 本 的 に 賛 成 している.ここでは 代 表 的 な 論 者 の 議論 を 取 り 上 げ 検 討 しておく.(1)Borrmann の 男 女 共 学 論Borrmann(1962a)は,その 論 文 の 中 でわざわざ「 男 女 共 学 」という 節 を 設 けているほどであるから,この 当 時 はまだ 性 教 育 における 男 女 共 学 には 懐 疑 的 な 人 々がいたと 推 測 することができるであろう.Borrmann は,「 性 的 陶 冶 ・ 訓 育 にとって, 男 子 と 女 子 の 共 通 の 訓 育 , 男 女 共 学は, 不 可 欠 な 前 提 である」として,「 男 女 別 習 (Trennung der Geschlechter)」を 基 本 的 に 否 定している.Borrmann が 性 教 育 における 男 女 共 学 を 支 持 する 理 由 は 大 きくは 3 つある(19-20).1 つは, 男 女 共 学 が 社 会 的 生 活 の 現 実 を 反 映 しているということによる.「あらゆる 人 為 的 に 引き 起 こされ 維 持 されてきた 男 女 別 学 は, 社 会 的 生 活 の 現 実 に 反 する」. 第 2 の 理 由 は, 男 女 共 学が 男 女 同 権 を 表 現 していると 考 えているからである.「 集 団 の 中 で 女 子 と 男 子 が 一 つにまとめられ, 遊 び・ 学 習 ・ 労 働 のもとで 互 いに 知 り 合 い, 評 価 し 合 い, 尊 重 し 合 う. 上 位 と 下 位 の 交 代 ,男 子 と 女 子 の 交 代 も, 男 子 と 女 子 に 同 じ 義 務 を 課 し, 同 じ 権 利 を 与 える 統 一 的 な 訓 育 ・ 陶 冶 目 標と 同 様 に, 彼 らの 同 権 の 表 現 である」. 第 3 に, 男 女 共 学 それ 自 身 が 男 女 間 の 関 係 を 促 すメリットがあるからである.男 女 共 学 は 青 少 年 の 生 活 を 豊 かにし, 男 子 と 女 子 間 の 仲 間 関 係 を 自 明 なものにならしめ,あらゆる 形 態 の 害 のある 秘 密 ありげなあり 方 を 排 除 し, 男 女 間 の 接 触 困 難 を 妨 げ, 他 者 の 外面 性 によってではなく,その 業 績 達 成 と 性 格 特 性 によって 規 定 されるリアルな 価 値 評 価 を 可能 にし, 尊 重 と 共 通 の 責 任 とによって 担 われた, 誠 実 な 男 子 と 女 子 の 相 互 の 行 動 を 形 成 する. 男 女 共 学 は 性 的 な 陶 冶 ・ 訓 育 を,とくに 異 性 のメンバーとの 交 際 における 習 慣 をつくり上 げることによって, 促 進 する.(20)このように,Borrmann は, 男 女 共 習 のメリットを,1そこでは 男 女 の 仲 間 関 係 が 自 明 なも23


現 代 と 文 化 第 126 号のとして 作 られ,2 男 女 が 相 互 を 知 り 合 い,3 外 面 ではなくてその 人 の 業 績 達 成 と 性 格 特 性 で 評価 し 尊 重 し 合 うようになることに 見 ている(なお Borrmann 1962b: 20, Borrmann 1966b: 736-737 も 参 照 ).もっとも,Borrmann は, 男 女 共 学 が 男 女 別 習 をまったく 排 除 するものではないとしている. 男 女 別 習 , 男 女 別 での 会 話 が 適 切 であるばかりか 必 要 である 場 合 があることも 理 解している.その 例 として 挙 げられているのが, 男 女 の 身 体 的 特 殊 性 を 考 慮 する 必 要 がある 上 級 段階 での 体 育 科 目 の 授 業 (Borrmann 1962a)や 月 経 での 衛 生 (1962b)である.(2)Bach の 男 女 共 学 論Bach(1962)も 男 女 共 学 のメリットを 強 調 している.Bach によれば,1959 年 の 教 授 プランで 導 入 された「 生 産 における 授 業 デー」の 時 間 は 性 教 育 における 成 功 のための 試 練 となる.ここでは, 男 子 は 女 子 が 重 荷 を 持 つのを 助 け, 重 い 道 具 を 扱 うのを 助 けることができるし, 彼 らのより 豊 かな 技 術 的 経 験 で 女 子 の 味 方 になることができる.「それゆえ 男 女 共 学 は 生 産 における 授 業デーでも 求 められねばならない」(59).また, 男 女 混 合 の 席 並 び, 男 女 混 合 の 作 業 班 ,すべての「 学 級 の 仕 事 」を 男 女 一 緒 に 果 たすことには 教 育 的 な 意 味 がある.これを 教 育 的 に 利 用 すれば,第 4 学 年 以 降 にあるフォークダンスグループ( 第 7~8 学 年 の 生 徒 )を,「 危 機 的 な 数 年 」をこえて 維 持 し 男 女 間 の 分 裂 が 出 てこないようにすることができるという.Bach(1969)によれば, 実 際 に 自 分 の Erich-Weinert 上 級 学 校 では,「 男 女 共 学 (Koedukationund Koinstruktion)」はわずかな 例 外 を 除 いてすべての 学 年 段 階 で 実 現 されている. 例 外 は,月 経 の 衛 生 の 取 り 扱 い( 女 子 のみ)とマスタベーションの 取 り 扱 い( 男 子 のみ)であり, 一 方 の性 や 他 方 の 性 に 特 有 な 問 題 に 関 わるような 事 柄 も, 同 性 グループで 議 論 されている. 例 えば, 化粧 法 , 衛 生 , 流 行 等 などである.その 際 には, 他 の 教 科 での 男 女 の 分 離 を 意 味 するような「 特 別な 状 況 」を 避 けるために, 体 育 で 行 なわれている 同 性 グループの 組 織 形 態 が 選 ばれている(710).また, 第 9 学 年 には 毎 年 冬 休 みに 開 催 される「 乳 児 保 育 」コースがある.これは 女 子 のみ 必 修で, 男 子 は 選 択 であるが, 大 変 人 気 があるという(もっとも, 当 初 若 干 の 親 からはこの 催 しに 反対 があったという).(3)Grassel の 男 女 共 学 論Grassel(1967)もまた, 性 教 育 の 基 本 形 態 として,「 男 女 の 共 同 教 授 (gemeinsameBelehrung von Jungen und Madchen)」を 挙 げている.ただし,Grassel も 2 つの 例 外 を 勧 めている.すなわち,「 特 別 な 月 経 衛 生 の 取 り 扱 いとマスタベーション 問 題 の 話 し 合 いの 際 には 別学 が 行 われるべきであろう」(201)としている.(4)Baer の 男 女 共 学 論Baer(1966)も 生 物 の 授 業 での 性 教 育 における 男 女 共 学 の 必 要 性 を 強 調 している.「 性 教 育 の問 題 を 取 り 扱 う 際 に 男 子 と 女 子 を 分 けることも,できるだけ 生 物 の 授 業 においては 行 われるべき24


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐってではないであろう.この 本 来 的 に, 特 に 衛 生 上 の 教 授 には, 例 えば 月 経 前 に 必 要 な 形 態 ( 男 女 別のこと 引 用 者 )は,それぞれ 同 性 の 教 員 や 他 の 教 育 者 によって, 例 えば, 自 由 ドイツ 青 年 団やピオニールグループの 午 後 という 形 態 で 行 われるのが,もっともよい」(745).(5)Paul の 男 女 共 学 論Paul(1966)は,とくに 結 婚 可 能 年 齢 の 若 者 での 性 教 育 において, 男 女 共 学 にする 意 義 を 強調 している.「 私 が 重 要 だと 思 うのは, 両 性 の 前 で 一 緒 に, 結 婚 が, 一 般 的 な 振 る 舞 いにおいて相 互 の 尊 重 と 考 慮 を 必 要 とする,まじめに 受 け 止 めるべき 一 つの 課 題 として 語 られることである.また 私 に 重 要 と 思 われるのは,われわれ 大 人 がわれわれの 経 験 と 生 理 学 のわれわれの 知 識 から, 身 体 的 結 合 の 際 の 性 的 に 異 なる 興 奮 過 程 について 語 ることである」(790).その 上 で,さらに Paul は 青 少 年 男 性 における 性 教 育 の 必 要 性 を 重 視 している.というのも,「 男 性 のみが 自 分 の 衝 動 生 活 を 満 足 させさえすればよく, 女 性 ではそれは 問 題 にならないという,まだほとんど 浸 透 している 世 間 一 般 の 意 見 」が, 結 局 のところ, 結 婚 を 損 ねるような 見 解 ,「 一定 の 放 浪 は 男 性 に 許 されるという「 脱 線 ・ 浮 気 (Seitensprung)」」を 生 み 出 しているからである.Paul によれば, 青 少 年 が 男 女 一 緒 に,どのように 月 経 , 妊 娠 , 出 産 と 産 褥 が 女 性 ・ 女 子 の 生活 を 職 業 や 日 常 で 支 配 しているかを 経 験 し,その 際 に 教 育 ( 学 ) 的 ・ 情 動 的 なモメントを 巧 みに利 用 するなら, 医 学 的 ・ 生 物 学 的 な 知 識 伝 達 と 同 時 に「 調 和 した 結 婚 への 教 育 」もすることになる.すなわち, 第 1 に, 男 子 は,「 女 子 に 対 する 騎 士 道 精 神 と 進 んで 助 ける 気 持 ちが, 生 物 学 にもとづいた 不 可 欠 な 要 求 であり 続 け, 結 婚 においても 妥 当 するものでなければならないこと」を学 ぶ.そして 第 2 に, 男 子 は 同 時 に,おそらく 彼 らの 人 生 においてはじめて,「 女 性 が 自 分 の 生物 学 的 任 務 以 外 に 職 業 上 および 社 会 的 に 男 性 と 同 等 の 義 務 を 果 たさねばならないとすれば, 女 性に 対 してどのような 給 付 (Leistungen)が 求 められるかを 経 験 する」.こうして 男 女 同 権 は,さしあたりたんなる 医 学 的 な 教 授 によって, 深 い 社 会 的 な 意 味 を 獲 得 するという.Paul によれば,こうした 現 実 主 義 的 な 教 育 で,「 愛 のスローガンのような 危 険 なスローガン」を 根 絶 することができるし,「 婚 前 に 子 どもができたら 結 婚 しなければならない という 誤 った 因 習 的 で 自 主 性のない(spiebrgerlich) 道 徳 」を 克 服 することができるし,「 婚 前 性 交 の 禁 止 というアナクロニズムな 見 解 」(ebenda.)をも 克 服 することができる.以 上 の 男 女 共 学 をめぐる 議 論 を 整 理 するならば, 男 女 共 学 は, 第 1 に 性 教 育 においても 基 本 的な 組 織 形 態 であることが 確 認 されている.とはいえ, 第 2 に, 機 械 的 につねに 男 女 共 学 でなければならないと 考 えられているわけでもない. 必 要 に 応 じて 別 習 も 考 えられている.とくに 特 別 なテーマ, 例 えばマスタベーションや 月 経 の 衛 生 に 関 しては, 特 別 に 男 女 別 にすることで 何 か 興 味をそそらせないように,もともと 男 女 別 で 行 なわれている 体 育 の 授 業 を 利 用 して, 別 習 にする 必要 性 が 確 認 されている. 第 3 に, 男 女 共 学 とする 理 由 として 挙 げられるのは,それが 社 会 生 活 の25


現 代 と 文 化 第 126 号普 通 の 形 態 であり, 特 別 なものではないこと,その 形 態 が 男 女 同 権 に 適 うこと,そしてまた 男 女の 仲 間 関 係 を 促 進 するのにメリットがあるということ,などである. 第 4 に 注 目 すべきは, 性 教育 において 男 子 ・ 男 性 問 題 がすでに 課 題 として 浮 上 していることである. 今 日 ドイツでは 学 校 における 男 子 が「 問 題 」だとされているが( 池 谷 2009a),この 課 題 が DDR においてその 後 どこまで 自 覚 的 に 展 開 されていくのか 否 か,この 点 は DDR における 女 性 運 動 ,フェミニズム 問 題 を考 える 上 で 重 要 な 論 点 ともなろう.3. 生 徒 ・ 教 員 の 男 女 共 学 に 対 する 意 識では 当 の 生 徒 ・ 教 員 は, 性 教 育 における 男 女 共 学 ・ 男 女 共 習 を 実 際 にはどう 考 えているのであろうか.これを 調 査 したものとしては, 管 見 する 限 りでは,Thieme(1962)と Grassel(1967)がある.Thieme(1962)が 行 った 男 女 共 習 での 性 教 育 の 授 業 についてのアンケート 結 果 によれば(「あなたは, 性 的 教 授 が 男 女 別 習 でなく 行 われたために,ためらいましたか?」), 男 子 では 21 人 のうち,17 人 が「いいえ」,2 人 が「はい」,「 最 初 の 時 間 だけ」2 人 となっている. 女 子 では 23 人のうち 16 人 「いいえ」,4 人 「はい」,「 最 初 の 時 間 だけ」3 人 となっている. 調 査 数 が 少 ないが,ここから 生 徒 の 多 くは 男 女 共 習 に 問 題 はないとしていることが 推 測 される.もっとも,Thiemeによれば, 多 くの 生 徒 は, 少 なくとも 1 時 間 男 子 と 女 子 を 分 けて, 教 員 に 親 密 な 質 問 もできるようにすることを 望 んでいるという.Grassel(1967)は 性 教 育 における 男 女 別 習 について 教 員 と 生 徒 に 質 問 している.その 調 査 によると, 第 9 ~ 12 年 生 と 教 員 は 男 女 別 習 については 以 下 のような 意 見 をもっている(201).表 3 男 女 別 習 についての 意 識 (%)教 員9~12 年 生女 性男 性別 習 にしない別 習特 別 な 問 題 で 別 習無 回 答未 決 定46.237.06.510.378.019.32.790.27.72.1n= 136 150 144Grassel 1967: 201.ここで 興 味 深 いのは,1 教 員 では 共 習 賛 成 のほうが 別 習 よりも 多 いものの,3 分 の 1 強 (37%)が 共 習 に 反 対 していること,2その 反 対 に 生 徒 の 方 は 教 員 よりもはるかに 共 習 に 賛 成 していること,3 生 徒 間 では 男 子 のほうが 女 子 よりも 共 習 に 賛 成 していることである. 教 員 の 間 には,まだまだ 性 教 育 における 男 女 共 習 に 反 対 する 者 が 多 いことがここからわかる.26


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐって第 3 章 婚 前 性 交 ・ 避 妊 ,マスタベーション,ホモセクシュアリティをめぐって60 年 代 の DDR では, 青 少 年 の 性 実 態 が 明 らかになるにつれて, 青 少 年 の 加 速 化 現 象 とも 絡んで, 早 い 時 期 でのセックスや 未 婚 妊 娠 ・ 出 産 と 中 絶 , 早 婚 などの 問 題 が 生 じていた( 池 谷2012a). 本 章 では,まずとくに 婚 前 性 交 ・ 避 妊 に 対 してどのような 議 論 がなされたかを 確 認 する. 次 に,マスタベーションやホモセクシュアリティに 対 する 性 教 育 者 たちの 態 度 が,50 年 代における 態 度 とどう 違 っているのかを 検 討 する.1950 年 代 には,( 男 子 の)オナニー 一 般 に 対 してはいくぶん 寛 容 となりつつも, 過 度 なオナニーに 対 しては 警 告 が 発 せられ,その 一 方 では, 女子 のオナニーはありえないものだと 無 視 されていた.また,ホモセクシュアリティに 対 しては,相 変 わらず「 誘 惑 仮 説 」にもとづいて, 治 療 とセラピーの 対 象 とすらされていた( 池 谷 2011a).こうした 態 度 は 60 年 代 にどう 変 化 したのであろうか.1. 婚 前 性 交 , 避 妊 をめぐって40 年 代 から 50 年 代 までは, 性 教 育 の 目 標 は, 健 全 で 幸 福 な 結 婚 ・ 家 族 であり,そのために 結婚 までの 自 制 が 強 く 求 められるとともに,もう 一 方 の 解 決 策 として 早 婚 が 強 く 求 められていた( 池 谷 2010; 2011a).こうした 二 面 的 な 方 略 は,60 年 代 の 性 をめぐる 状 況 の 中 でどう 変 化 したであろうか.(1) 婚 前 性 交 と 早 婚 をめぐってこの 時 期 には, 多 くの 性 教 育 関 係 者 の 間 では, 婚 前 性 交 を 禁 止 することはもはや 無 理 であることでは 意 見 が 一 致 している.Jesper(1962)の 状 況 認 識 によれば, 今 日 の DDR では 性 交 したり, 妊 娠 したりするのをためらう 要 因 がすでになくなっている.すなわち,DDR では1 社 会 的 ないしは 経 済 的 冷 遇 や,2 未婚 の 子 を,たとえ 制 限 つきであるとはいえ, 相 変 わらず 恥 とみなす 世 論 ,3 青 少 年 の 一 部 に 節 制を 行 わせる 宗 教 の 影 響 ,4 親 の 反 応 に 対 するおそれ,これらがなくなってきている.したがって,Jesper は,もはや 男 女 を 徹 底 的 に 孤 立 させたり, 青 少 年 の 婚 前 性 交 や 親 密 な 性 交 を 禁 止 によって 制 限 しようとすることは, 誤 りだとする.こうすればただ 偽 善 の 状 態 だけが 促 進 されて,人 格 の 発 達 は 否 定 的 な 影 響 を 蒙 るだけであろう,と(7).こうした 現 状 認 識 から,Jesper は,性 交 を 禁 止 するのではなくて,「あらゆる 点 において,それゆえ 性 的 なものの 領 域 においても 青少 年 を 責 任 意 識 ある 行 為 へと 教 育 すること」(ebenda.)を 強 調 する.Borrmann(1966a)も,もはや 婚 前 の 性 的 節 制 は 非 現 実 的 な 態 度 だと 認 めている.婚 前 の 絶 対 的 な 性 的 節 制 を 求 めなければならないという, 多 数 の 教 授 ・ 啓 発 書 で 主 張 される 見 解 は, 少 なくとも, 男 女 相 互 の 行 動 における 現 実 に 対 する 非 現 実 的 な 態 度 の 表 現 であ27


現 代 と 文 化 第 126 号る.なぜ 生 物 学 的 に 性 的 成 熟 した 若 い 人 が 自 分 の 最 大 の 性 的 ポテンツの 時 期 に 禁 欲 的 に 生 活すべきなのかは,まったく 造 作 なく 理 解 されうるものではない. 異 性 との 交 際 はやはり 非 道徳 的 なものではないし,また 性 交 もそうではない. 異 性 との 関 係 は, 両 パートナーが 年 長 になって 結 婚 することでやはり 道 徳 的 に 異 議 のないものになるわけではない. 道 徳 的 評 価 にとって 決 定 的 なのは,やはりおそらくまずもって, 成 熟 , 責 任 意 識 ,パートナーに 対 する 尊重 , 関 係 の 展 望 等 々といった 他 の 要 因 である. 性 愛 は, 特 定 の 前 提 のもとでは 婚 前 性 交 をも正 当 化 する.それゆえ 性 交 の 絶 対 的 な 禁 止 は 主 張 されえない.だがなお 男 子 と 女 子 の 間 の 社会 主 義 的 関 係 の 明 確 な 原 理 が 欠 けている.そこから 青 年 の,さらにまた 教 育 者 の 行 動 不 安 も説 明 される.(62)Bittighfer(1969)もまた,1 若 い 世 代 の 加 速 化 によって 条 件 づけられた 相 対 的 に 早 い 身 体的 成 熟 ,2 社 会 的 利 害 と 一 致 する 男 女 間 の 関 係 のための 社 会 主 義 社 会 の 新 たな 社 会 的 条 件 ,そしてとくに3 若 い 人 格 の 倫 理 的 成 熟 の 早 期 の 体 系 的 な 形 成 のための, 社 会 主 義 的 教 育 体 系 によって与 えられた 質 的 に 新 たな 可 能 性 ,こうしたことを 考 慮 するならば,「 社 会 的 ・ 倫 理 的 に 責 任 意 識のある 若 い 人 の 婚 前 の 性 的 関 係 を 即 座 に 道 徳 的 に 非 難 することは,マルクス 主 義 的 見 地 からして非 現 実 的 である」(694)としている.実 際 ,Borrmann(1966a)や Brckner(1968)の 調 査 によれば,18 歳 までに 青 少 年 の 約 4割 が 性 交 を 体 験 しているし,こうした 事 態 に 対 して, 同 じく Borrmann(1966a)の 親 や 教 員 など 大 人 に 行 った 調 査 では, 回 答 者 の 73.3%は 婚 前 性 交 を 認 めている.また Grassel(1967)の 調査 では, 婚 前 性 交 について, 女 性 教 員 の 72%, 男 性 教 員 の 63%が 認 めている( 池 谷 2012a).しかし, 婚 前 性 交 を 認 めているからといって, 積 極 的 に 婚 前 性 交 を 肯 定 しているわけではない. 例 えば,Borrmann(1966a)は,こう 釘 をさしている.「 婚 前 性 交 の 承 認 の 広 がりから, 青少 年 間 のこの 親 密 な 関 係 が 望 ましいものだと 見 なされうるという 結 論 を 導 き 出 してはならない」と.そして,「 青 少 年 が 自 分 の 行 動 に 対 する 責 任 を 認 識 し 引 き 受 けることができその 用 意 がある」ときまで,「できるだけ 長 い 節 制 」(125)をすることを 勧 めている.つまり, 禁 欲 はもはや 現 実的 ではないので 勧 めないが, 理 性 的 な 性 教 育 によって, 青 少 年 が 愛 とセクシュアリティの 問 題 に責 任 意 識 を 持 ち,かつそれへの 準 備 ができるように 教 育 することが 求 められたのである.もっとも, 早 期 の 性 交 に 反 対 する 論 者 が 少 数 だがいなかったわけではない.Bretschneider(1966)はその 一 人 で, 産 婦 人 科 医 として 早 期 の 性 交 には 明 確 に 反 対 している.それは,Bretschneider によれば, 十 分 価 値 のある 性 的 活 動 のためには, 生 物 学 的 成 熟 ばかりではなく 心理 学 的 成 熟 が 必 要 であるが, 後 者 は 18 歳 以 前 で 達 成 されるのはきわめてまれだからである(783).しかも,Bretschneider によれば, 青 少 年 期 の 男 女 関 係 にあるのは,たいていは「 思 い込 みの 愛 (Verliebtheit)」(ebenda.)だけである.この Bretschneider の 早 期 性 交 反 対 論 をめぐっては, 第 3 回 性 教 育 会 議 (1965 年 )で 活 発 な討 論 が 交 わされたが, 多 くの 論 者 は Bretschneider の 考 えには 否 定 的 であった.その 批 判 の 第 128


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐっては,Bretschneider がとりわけ 青 少 年 の「 否 定 的 な 発 達 可 能 性 」の 側 面 を 強 調 したことに 向 けられた.それでは「 威 嚇 」の 教 育 ( 学 )しかならないと 反 対 にあったのである. 第 2 に,「 青 少 年 」をもっぱら 危 険 期 とすることも 不 適 切 であると 批 判 された.「 危 険 は 発 達 に 条 件 づけられているのではなくて,むしろ 青 少 年 期 に 生 じる 諸 問 題 に 対 する 教 育 的 準 備 の 不 十 分 さの 表 現 として 理 解されねばならない」(786)と 4) .以 上 のように 婚 前 性 交 はほぼ 承 認 されているが, 早 婚 となると 多 くの 性 教 育 関 係 者 は 概 ね 否 定的 である. 早 婚 の 問 題 について,Lungwitz(1965)が 早 婚 にまつわるさまざまな 問 題 点 を 統 計データにもとづいて 指 摘 している 5) .その 1 つは,21 歳 以 下 のパートナーが 結 んだ 結 婚 は, 他の 結 婚 よりも 安 定 していない(つまり 離 婚 に 至 るケースが 多 い)という 点 である. 第 2 の 問 題は,「しばしばきわめて 若 い 人 の 結 婚 締 結 の 決 定 的 な 動 機 が, 身 ごもった 子 ども[がいる]という 事 実 」(69)にある.そこから 避 妊 の 問 題 が 提 起 されてくることになる( 池 谷 2012a: 6-7).Bittighfer(1966)も, 婚 前 性 交 の 道 徳 的 な 禁 止 は 幻 想 であるが,かといって 早 婚 を 勧 めることはできないとしている. 彼 があげる 理 由 は 2 つである.1 つは,「 集 中 的 な 学 習 のこの 時 期に, 多 様 な 文 化 的 ・スポーツ 的 な 体 験 , 交 際 と 団 欒 を 求 めるこの 時 期 にすでに 親 の 義 務 を 果 たすことは, 青 少 年 に 合 わない 法 外 の 重 荷 であるからである」.もう 1 つは, 今 の 社 会 主 義 の 発 展 状況 の 下 では「まだ 職 業 教 育 過 程 にある 若 い 人 の 結 婚 に 最 適 な 発 達 可 能 性 を 提 供 する 前 提 条 件 が 与えられていないからである」(728).つまり 若 者 の 結 婚 に 対 する 社 会 政 策 上 の 支 援 が 不 十 分 だということである.したがって,むしろ 男 女 は,「 婚 前 性 交 が 道 徳 的 に 認 められ, 彼 らにとって 人格 的 倫 理 的 に 意 味 あるものになるのは,それが 共 通 の 関 心 と 見 方 並 びに 長 期 の 彼 氏 ・ 彼 女 関 係 の間 に 実 証 された 誠 実 な 思 いやり(Fureinander)のうえに 深 く 抱 かれた 愛 情 にもとづいている 時だけである」(ebenda.)ことを 学 ぶべきなのである.(2) 避 妊 とその 教 育 をめぐって以 上 のような 婚 前 性 交 と 早 婚 に 対 する 現 実 主 義 的 対 応 からすれば, 当 然 避 妊 とその 教 育 が 必 要不 可 欠 なものとして 要 請 されることになろう. 実 際 ,「 今 日 ,いつ 避 妊 の 問 題 を 取 り 扱 うべきかについては 論 争 があるが,このテーマを 扱 わねばならないということについては 広 範 な 一 致 がある」(Grassel 1962b: 19).Bittighfer(1969)は,「 若 い 人 が 自 分 の 発 達 と 専 門 教 育 (Ausbildung)にとって 極 めて 重要 な 時 期 にもう 親 義 務 を 果 たさねばならないとすれば,それはまさに 若 い 人 にはたいてい 極 めて不 都 合 であるから」, 社 会 主 義 的 パートナーシップ 教 育 (Bittighfer いうところの 性 教 育 引用 者 )には,「 意 味 ある 家 族 計 画 ,すなわち,いつ 社 会 的 ・ 人 格 的 な 諸 条 件 と 可 能 性 を 考 慮 して,子 どもを 持 つ 願 いが 満 たされるのかを 責 任 意 識 を 持 って 決 定 することができるようにさせること」も 入 る.それゆえ「 人 格 的 ・ 社 会 的 に 望 まれない 早 期 の 妊 娠 」を 避 けるためには,「 若 い 人には, 適 時 に 彼 らの 目 的 に 合 った 避 妊 (Antikonzeption) 方 法 を 熟 知 させ」(694)ねばならない.29


現 代 と 文 化 第 126 号このように 早 期 に 親 になることの 困 難 性 と 責 任 意 識 を 持 って 子 どもをもつ 必 要 性 から,Bittighfer は 避 妊 を 勧 めるが, 同 時 に「 避 妊 の 社 会 的 ・ 道 徳 的 正 当 性 の 根 拠 」を 挙 げている.それは 以 下 の 3 点 である.1 つめは, 神 の 創 造 物 ではなく, 自 然 的 本 質 であるとともに 社 会 的 本質 でもあるという 人 間 像 という 点 からであり,2 つめは,「 社 会 的 進 歩 ,すなわち, 人 間 的 自 然の 法 則 も 含 めた 自 然 と 社 会 における 法 則 の 支 配 の 増 大 から, 社 会 主 義 共 同 体 においてこうした 知識 を, 人 間 の 福 祉 に 役 立 て, 意 味 あるように 利 用 するために」という 理 由 からであり,3 つめは,神 の 審 判 に 対 する 責 任 からではなくて, 社 会 に 対 する 責 任 という 理 由 からである(ibid.: 695).その 際 ,Bittighofer がとくに 強 調 するのは, 避 妊 における 個 人 的 利 害 と 社 会 的 利 害 の 一 致 である.すなわち, 避 妊 は 親 になることを 否 定 するものでも,また 乱 交 の 手 段 としてでもなく, 個人 的 責 任 と 社 会 的 責 任 とが 一 致 することのうちに,その 正 当 性 があるとする.「 避 妊 技 術 の 個 人的 使 用 が 道 徳 的 に 正 当 化 されるのは」,「それが 肯 定 的 にいえば 認 識 された 法 則 性 の 意 識的 な 利 用 においてパートナー, 社 会 および 子 どもに 対 する 責 任 の 表 現 であり, 妊 娠 が 目 下 の 時 期には 女 性 ないしは 両 パートナーの 生 活 状 況 全 体 と 両 立 されえない 時 ,すなわち, 妊 娠 を 予 防 するのに 役 立 つ 場 合 である」(ebenda.).Borrmann(1966a)もまた,「 教 育 者 との 会 話 や 議 論 でまだきわめて 論 争 的 であるとしても,避 妊 の 問 題 を 青 少 年 に 手 ほどきすることは, 性 的 教 授 の 1 つの 必 要 な 構 成 要 素 である」(216-217)と 考 えている.Borrmann は 避 妊 とその 教 育 を 行 なう 理 由 をいくつか 挙 げている.その 1 つは,医 学 上 ・ 健 康 上 の 理 由 である.すなわち, 健 康 上 妊 娠 を 一 時 的 に 無 条 件 に 避 けねばならない 場 合があるし, 適 当 な 出 産 間 隔 が 必 要 だからである. 第 2 は,「ありうる 望 まない 妊 娠 に 対 するたえざる 不 安 」を 取 り 除 くという 心 理 学 的 な 理 由 である.さらに, 道 徳 的 な 理 由 が 挙 げられる.「 多くの 結 婚 は(……) 子 どもを 身 ごもったという 理 由 でのみ 結 ばれるし,これがあらゆる 正 当 な 懸念 にもかかわらず 結 婚 する 十 分 な 理 由 であると 思 われている」(217)が,こうした 妊 娠 のみを 理由 とする 結 婚 は 避 けねばならないというのである. 第 4 に, 避 妊 は「 犯 罪 的 な 堕 胎 に 抗 する 有 効な 手 段 」(218)となりうる. 第 5 に, 避 妊 教 育 は,シングルのたいていは 若 すぎる 母 親 の 数 を 減らすことができる.そして 最 後 に, 避 妊 教 育 が 男 女 同 権 の 実 現 に 寄 与 することが 挙 げられている.すなわち,「 避 妊 の 知 識 によって 女 性 は, 自 分 の 妊 娠 の 時 期 をもまた 出 産 間 隔 をも,それゆえまた 子 ども 数 をもともに 決 定 することができるような 状 態 におかれる」(219)ことになる.このように 性 教 育 ( 学 ) 者 たちは 避 妊 とその 教 育 の 必 要 性 に 賛 成 しているが, 現 場 の 教 員 は 避妊 のテーマをどう 考 えていたのであろうか.Grassel(1967)の 調 査 によると, 性 病 を 取 り 上 げるのに 賛 成 している 者 は 80%なのに, 避 妊 を 学 校 の 性 教 育 で 取 り 上 げることに 賛 成 する 者 は52%で, 反 対 が 半 数 近 くにのぼっている( 表 4).こうした 教 員 の 避 妊 教 育 への 消 極 性 のためか,Baer(1962c)は 授 業 で 性 交 や 避 妊 を 教 えることにはやや 消 極 的 で, 避 妊 教 育 を 教 員 の 意 思 に 委 ねることを 提 案 している.もっとも,「わが 共和 国 のいくつかの 箇 所 にある 性 ・ 結 婚 相 談 所 を 示 したり,あるいは 医 師 のところで 相 談 できることを 示 したりすること」(44)は 必 要 だと 考 えている.30


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐって表 4 学 校 で 取 り 上 げるべきテーマ(%)テーマ はい いいえ子 どもの 出 自 87 13妊 娠 77 23人 間 の 発 生 76 24避 妊 52 48マスタベーション 41 59性 病 80 20異 常 35 65Grassel 1967:190 n= 1362.マスタベーションをめぐってではマスタベーションについてはどう 扱 われたのであろうか.この 時 期 には,マスタベーションは 強 く 禁 止 されないものの, 基 本 的 にはまだホモセクシュアリティなどと 並 んで「 誤 った 発達 」の 1 つとしてとらえられている. 例 えば,Baer(1962c)は 思 春 期 開 始 後 の 誤 った 発 達 として,とくにマスタベーションを 挙 げ,「 教 員 は 生 徒 に, 若 者 のこの 発 達 段 階 でこそ, 労 働 ・スポーツ・ 遊 びでの 適 当 な 身 体 活 動 が, 健 康 で 調 和 的 な 発 達 に 貢 献 し 若 者 の 成 熟 と 関 連 する 抑 うつを 克 服 するのに 適 切 であることを 指 摘 する」(44)よう 求 めている.Borrmann も,マスタベーションを 不 感 症 等 々ならべて 誤 った 発 達 として 指 摘 する 必 要 性 を 強 調 している(Pdagogik,Beiheft 2, 1962: 45). 他 方 ,Bach(1967)は 第 7 学 年 用 性 教 育 プログラムのなかで,マスタベーションを 避 け 克 服 すべきものとしている.Kirsch(1968)もまた,マスタベーションを,それで 脊 髄 が 損 傷 されるとはもはや 見 なしてはいないが, 学 習 と 労 働 から 気 を 逸 らさせるものとしてとらえている.「 以 前 は,いくつかの 器官 ,とくに 脊 髄 の 損 傷 はその 結 果 であるとされていた.これは 本 当 ではない.それでも,これらの 男 子 はこの 自 慰 の 習 慣 をやめようとすべきであろう. 脊 髄 が 損 傷 されないとしても, 男 子 はその 後 には 無 気 力 になり 疲 れている. 彼 らは 極 めて 頻 繁 にそのことを 考 え,こうして 学 習 と 労 働 から 気 をそらされる」(97).ただし,マスタベーションの 扱 い 方 については 濃 淡 がみられる.Borrmann(1966)は,マスタベーションに 対 して 両 義 的 な 態 度 をとっている.Borrmann はたしかに,オナニーは 誤 った発 達 であるとしつつも,よく 考 えられているほどには 青 少 年 にまったく 大 きな 危 害 ではないとしている.「 医 学 はとっくに,オナニーは,それが 過 度 になされずそれによって 神 経 衰 弱 並 びに 過剰 な 神 経 過 敏 を 引 き 起 こさない 限 りは, 健 康 に 有 害 ではないと 証 明 している.それはいずれにせよ,オナニーの 撲 滅 で 考 えられる 誤 りや 実 際 に 犯 される 誤 りの 結 果 よりも 無 害 である. 最 後 に,それは, 若 い 人 の 発 達 全 体 に 対 して, 早 期 の 異 性 愛 的 な 活 動 よりもわずかしか 否 定 的 な 影 響 を 及ぼさない」(83-84).31


現 代 と 文 化 第 126 号しかし,だからといって「オナニーが 青 少 年 にとって 性 的 抑 圧 からの 理 想 的 な 逃 げ 道 であると結 論 づけてはならない」(84)と 考 えている.「 理 想 状 態 はむしろ, 青 少 年 ができるだけ 長 くあらゆる 性 的 活 動 を 節 制 することにある」.しかも, 性 行 動 に 対 するあらゆる 教 育 的 影 響 は「 性 愛 への 準 備 と 能 力 を 促 進 する」ことを 目 標 に 据 えるべきであるという 観 点 から,「マスタベーション,ホモセクシュアリティ,ペッティング・ 頻 繁 に 相 手 を 変 える 性 交 ・ 乱 交 という 種 類 の 異 質 な 刺 激遊 びといった, 性 衝 動 の 他 のありうる 表 現 形 態 は,はじめから 徹 底 的 に 排 除 されねばならないし,あるいはできるだけ 早 く 克 服 されねばならない」(41)としている.つまり,Borrmann は 一 方 ではマスタベーションはさほど 問 題 はないと 言 いつつも, 他 方 では, 異 性 に 向 かう 性 愛 へ 準 備 させるためには,マスタベーションを 排 除 ないしは 克 服 すべきだと考 えるのである.これに 対 して,Grassel はマスタベーションをさほど 問 題 のあるものとはとらえておらず, 冷静 に 扱 っている. 例 えば,Grassel(1966e)が 開 発 した 親 向 けの 性 教 育 説 明 書 では,「 多 くの 男子 は 年 長 の 仲 間 をつうじてマスタベーション( 自 慰 )を 指 導 されるから, 私 たちはおよそ 12 歳の 男 子 とはこの 問 題 についても 話 しましょう.あなたは 男 子 に, 今 身 体 にゆっくり 力 が 形 成 され,それが 後 に 大 人 の 特 徴 になることを 指 摘 しましょう」と 述 べるに 留 まっている.以 上 のことから,60 年 代 の 時 期 には,まず 第 1 に, 自 慰 (Selbstbefriedigung)という 言 葉を 性 教 育 者 はほとんど 使 っていないことがわかる. 第 2 に,マスタベーションについては, 一 方では,それが 脊 髄 を 損 傷 させるものだという 考 えは 否 定 され,「 表 向 き」はそれに 対 して 寛 容 になってはいる.だが 第 3 に, 他 方 ではマスタベーションは 相 変 わらず「 誤 った 発 達 」の 一 種 とみなされ, 克 服 の 対 象 と 見 なされている.そのために, 労 働 や 学 習 あるいはスポーツへの 熱 中 することが 勧 められている.ちなみに,この 時 期 に DDR で 出 版 された『 性 科 学 とその 境 界 領 域 事 典 』(Dietz/ Hesse 1964)においては「マスタベーション(Masturbation)」の 見 出 し 語 はなく,「 自 慰 (Ipsation,Selbstbefriedigung)」の 用 語 が 用 いられている(153-154).そして,それについては,やはり否 定 的 に 扱 われている.そこでは「 自 慰 は( 過 剰 に 行 われなければ),ほとんど 身 体 的 および 精神 的 な 害 にはならない」とまずは 書 かれている.にもかかわらず「 自 慰 は 性 的 活 動 の 形 態 としては 拒 否 されねばならない(そしておよそ 大 人 にとっても 性 的 な「トレーニング」として 擁 護 され得 ない……)」として,その 理 由 が 挙 げられている.それは「 自 慰 は 性 的 な「 目 標 」から 逸 れているばかりか,まさしく 性 的 対 象 からも 離 れている」ことにある. 自 慰 はパートナー 関 係 を 持 たず, 生 殖 に 関 わらないから, 問 題 だというのである.ここでは,「 二 人 の 愛 し 合 う 者 の 異 性 愛 的な 愛 の 成 就 」(154)が 自 明 な 前 提 とされている.3.ホモセクシュアリティをめぐってではホモセクシュアリティはこの 時 期 にどのように 扱 われたのであろうか.その 際 ,まず 踏 まえておかねばならないのは,1968 年 の 刑 法 改 正 で,1ホモセクシュアルな 者 に 対 する 処 罰 規 定32


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐって( 第 175 条 )がようやく 削 除 されたこと,2しかし 同 時 に 新 たに 第 151 条 が 設 けられ, 大 人 の 男性 が 18 歳 以 下 の 青 少 年 男 性 と 行 う 性 行 為 は 処 罰 の 対 象 とされたこと,である( 池 谷 2009b: 88-89).結 論 からいえば,この 時 期 にはホモセクシュアリティは 相 変 わらず 性 行 動 の 逸 脱 あるいは 誤 った 発 達 の 一 種 として, 否 定 的 に 扱 われ, 青 少 年 から 守 るべきものとされていた.Borrmann(1966)は 先 にみたように,マスタベーションなどと 並 んでホモセクシュアリティも 排 除 と 克 服の 対 象 とみなしているし,Baer(1962c)もまた,ホモセクシュアリティを 不 感 症 やインポテンツと 並 んで, 誤 った 発 達 と 見 なしている(44).Kirsch(1968)もまた,ホモセクシュアリティを「 性 生 活 における 逸 脱 」(113)と 見 なしている.マスタベーションに 対 しては 比 較 的 控 えめであった Grassel(1967)でさえ, 男 性 と 女 性 のホモセクシュアリティを, 少 年 愛 ,サディズム,マゾヒズムとならんで「 性 行 動 の 逸 脱 」として 挙げ(168), 男 子 をホモセクシュアリティから 守 らねばならないと 考 えている(Grassel 1966e).後 に 80 年 代 にホモセクシュアリティを 積 極 的 に 性 教 育 のテーマに 取 り 上 げ 擁 護 するようになる Bach はどうか.たしかに Bach はこの 時 期 には,ホモセクシュアリティに 対 して 積 極 的 には否 定 的 な 態 度 や 言 明 をしているわけではない.だがそれでも, 彼 の 開 発 した 性 教 育 プログラム 案の 第 9 学 年 の 大 項 目 「 変 質 , 性 犯 罪 ―DDR における 子 ども・ 青 少 年 保 護 」のなかに 男 子 のホモセクシュアリティを 含 め 入 れているし, 第 10 学 年 では 売 春 と 並 んで 扱 っていたりしている(Bach 1967).以 上 のことからわかるように,この 時 期 にはホモセクシュアリティに 対 しては 否 定 的 な 取 り 扱いがなされている.また,マスタベーションと 同 じく,もっぱら 男 子 のホモセクシュアリティが問 題 にされていて, 女 子 にはこの 現 象 があたかも 関 係 がないかのように 扱 われているのも 特 徴 的である.先 の Dietz/ Hesse(1967)においては,ホモセクシュアリティは 持 続 的 な 自 慰 と 並 ぶ「 性 的な 異 常 」(137)とはされている.しかし,そこではホモセクシュアリティは 客 観 的 に 叙 述 されているだけであるし,ホモセクシュアルな 者 に 対 する 処 罰 も 問 題 があるとして 批 判 的 で, 自 慰 に 対する 態 度 よりもかなり 開 明 的 である. 例 えば, 次 のようにさえ 書 かれている.「ホモセクシュアリティはそれに 反 対 する 強 い 公 共 の 態 度 にもかかわらず,そして 法 的 処 罰 にもかかわらず, 長 年来 ほとんど 一 定 の 割 合 にとどまっているので,それが 自 然 に 反 する ことやノイローゼの 証 拠であるということには 正 当 な 疑 いがある.ホモセクシュアリティは 恣 意 的 に 処 罰 できないと 思 われる. 刑 法 もまたこれにはほとんど 効 果 がない.さらに 女 性 のホモセクシュアリティと 男 性 のそれとの 間 には 危 険 性 で 違 いがない」(139).おわりにまとめにかえて以 上 , 本 論 文 では 性 教 育 の 担 い 手 の 問 題 , 性 教 育 の 教 授 方 法 としての 男 女 共 学 問 題 ,およびマ33


現 代 と 文 化 第 126 号スタベーションやホモセクシュアリティなどについての 取 り 扱 いについて 検 討 してきた. 最 後に,その 検 討 の 中 で 明 らかになったことを,50 年 代 と 比 較 しながら,まとめておくことにする.まず 性 教 育 の 担 い 手 をめぐる 問 題 では, 親 には( 性 ) 教 育 の 義 務 があり, 学 校 はただそれを 援助 するという 見 解 は 否 定 されている.それは, 次 のような 理 由 によるものである. 第 1 に, 法 的には, 親 にも 学 校 にも 性 教 育 を 含 めた 社 会 主 義 人 格 への 教 育 の 義 務 があること,しかし 第 2 に,現 実 的 には 親 にはまだ 性 に 対 する 社 会 的 なタブーや 気 後 れがあるので, 学 校 が 性 教 育 の 責 務 を 担わねばならないこと,もっといえば, 学 校 にこそ 性 教 育 におけるプライオリティ―があること,などである.もっとも, 性 教 育 を 有 効 に 進 めるためには, 親 の 協 力 が 必 要 不 可 欠 なので,さまざまなかたちでの 親 の 参 加 ・ 協 力 が 行 われている.それは, 親 セミナーであったり, 学 年 始 めの 親の 会 であったり, 親 向 けの 性 教 育 説 明 書 の 作 成 であったりする.次 に 医 師 と 学 校 との 関 係 では, 次 のことが 確 認 されている. 第 1 に, 性 教 育 は 教 育 ( 学 )の 1つの 重 要 な 任 務 として, 基 本 的 には 何 よりも 学 校 と 教 員 の 任 務 である. 第 2 に,しかしとりわけ性 生 活 の 特 別 な 問 題 ( 妊 娠 とか 避 妊 , 性 病 など)を 取 り 扱 う 際 には, 生 徒 との 自 由 な 話 し 合 いを進 める 上 で, 医 師 の 中 立 的 で 専 門 的 な 立 ち 場 と 援 助 が 役 に 立 つ. 第 3 に, 教 員 にはまだしばしばためらいがあるから, 教 員 集 団 の 資 質 向 上 や 親 向 けの 講 演 の 際 には 医 師 の 援 助 がとりわけ 必 要 である.しかし,だからといって, 医 師 を 学 校 の「 補 助 教 員 」のように 利 用 してはならない.性 教 育 の 教 授 法 としての 男 女 共 学 に 関 しては,50 年 代 とは 異 なり,ほぼ 定 着 している.すでに 別 稿 で 検 討 したように( 池 谷 2011a),50 年 代 にはまだ 男 女 別 学 クラスがあったり, 性 教 育 においても 男 女 共 学 か 男 女 別 学 かが 論 争 されたりもしていた.しかし,59 年 学 校 法 と 65 年 の 統 一学 校 法 の 制 定 のなかで 総 合 技 術 教 育 も 男 女 共 修 となり,また 他 方 では 男 女 同 権 が 押 し 進 められる中 で, 性 教 育 においても 男 女 共 学 が 基 本 的 な 形 態 として 認 められていく.また,その 理 由 も 50年 代 とは 異 なっている.50 年 代 の 男 女 共 学 論 の 根 拠 としては,1 男 女 別 のメリットがないこと,2 男 女 共 学 で 男 女 相 互 が 付 き 合 い 方 を 学 ぶことが 挙 げられていた(Neubert 1956: 26).しかし60 年 代 になると, 男 女 共 学 の 積 極 的 なメリットが 挙 げられてくる.すなわち, 男 女 共 学 が 社 会生 活 の 普 通 の 形 態 であり,その 形 態 が 男 女 同 権 に 適 うこと,そしてまた 男 女 の 仲 間 関 係 を 促 進 するのにメリットがあるということ,などである.もう 1 つ,50 年 代 とは 異 なり,60 年 代 にはもはや 男 女 共 学 か 男 女 別 学 かという 単 純 な 二 者 択 一 の 議 論 の 仕 方 をとっていない. 基 本 的 形 態 は 男女 共 学 であるが, 月 経 やマスタベーションなどに 関 しては, 必 要 に 応 じて 男 女 別 習 が 考 えられているのである.もっとも,この 時 期 にもまだ, 教 員 の 間 には 男 女 別 習 の 方 を 望 む 声 があった. 教員 の 側 には 男 女 共 学 にすると 男 女 の 規 律 が 乱 れるのではないかという 懸 念 があったし, 教 員 自 身にも 性 に 対 する 気 後 れがあったりしたためである.最 後 に, 性 教 育 の 厄 介 なテーマに 関 していえば, 第 1 に,50 年 代 には 奨 励 されていた 早 婚 は否 定 的 に 扱 われているものの, 婚 前 性 交 やマスタベーションに 関 しては,「 寛 容 」となってきている.しかしそれでも, 前 者 については,できるだけの 節 制 が 奨 励 されているし, 後 者 については,50 年 代 と 同 じく 男 子 のみが 問 題 とされ, 基 本 的 に 誤 った 発 達 として, 克 服 すべきものとさ34


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐってれている.ホモセクシュアリティについては,50 年 代 のようにもっぱら 治 療 とセラピーの 対 象とはされないにしても,マスタベーションと 同 様 に, 性 生 活 における 逸 脱 の 一 種 とみなされ, 青少 年 をそこから 守 るべきものとされている.そこには, 異 性 愛 と 生 殖 に 結 びついた 性 こそが 正 常であるとする 規 範 が 根 底 にある.もう 1 つ 特 徴 的 なのは,マスタベーションの 取 り 扱 いと 同 様に, 男 子 のホモセクシュアリティのみが 問 題 とされ, 女 性 のホモセクシュアリティはまったく 無視 され, 問 題 ともされていないことである.註1)「エルンスト・テールマン」ピオニール 組 織 とは, 自 由 ドイツ 青 年 団 (FDJ)の 下 部 組 織 である, 第 4~ 7 学 年 生 徒 向 けピオニール 組 織 の 名 称 (Wolf 2000: 224).2) 教 育 協 議 会 (Pdagogische Rat)とは,DDR のすべての 学 校 で 月 に 1 回 行 われる 教 員 全 体 の 会 議 で,校 長 に 教 育 活 動 づくりで 助 言 する 機 関 である(Wolf 2000: 165).3)「 親 役 員 会 」とは,2 年 任 期 ですべての 親 から 選 ばれた 親 の 代 表 .なお「 親 委 員 会 」とは, 毎 学 年 ある学 年 の 生 徒 の 親 によって 選 出 された 親 の 代 表 のこと(ibid.: 52).4) 池 谷 (2011d),p. 92-93 も 参 照 のこと.5)Lungwitz(1965: 66)の 定 義 によれば, 早 婚 (Frhehe)とは「 両 パートナーが 結 婚 締 結 の 際 にまだ21 歳 になっていない」 結 婚 を 指 す.* 著 者 からの 引 用 は,(1974: 5)のように, 著 作 刊 行 年 ,ページ 数 の 順 に( ) 内 に 記 す. 本 文 中 の 傍 点はすべて 筆 者 によるものである.引 用 ・ 参 考 文 献Bach, Carl Wilhelm 1907: ber die Behandlung des Sexuellen in der Schule. Bielefeld, U. HelmbichsBuchhandlung.Bach, Kurt R. 1962: Erfahrungen aus der Zusammenarbeit von Schule, Elternhaus, Betrieb undJugendorganisation bei der geschlechtlichen Erziehung. Pdagogik, 2. Beiheft, 1962, S. 57-59.Bach, Kurt R. 1966: Erfahrungen aus der praktischen Arbeit an der Erich-Weinert-OberschuleHohenmlsen. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts-undSprachwissenschaftliche Reihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 755-761.Bach, Kurt R. 1967: Entwurf eines Programms fr die systematische Geschlechtserziehung in denKlassen 1-10 der allgemeinbildenden polytechnischen Oberschule in der DDR. WissenschaftlicheZeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts-und Sprachwissenschaftliche Reihe, 16. Jg.,Heft5/6, S. 367-379.Bach, Kurt R. 1969: Formen der praktischen Durchfhrung der Geschlechtserziehung in der Erich-Weinert-Oberschule Hohenmlsen. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock.Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 18. Jrg., Heft 8/9, S. 709-712.Baer, Heinz-Werner 1962a: Die sexuelle Erziehung. In: Deutsches Pdagogisches ZentralinstitutSektion Unterrichtsmethodik und Lehrplne 1962: Biologieunterricht. Methodisches Handbuch frden Lehrer. Volk und Wissen Volkseigener Verlag Berlin. S. 156-162.Baer, Heinz-Werner 1962b: Geschlechtsorgane und ontogenetische Entwicklung des Menschen. In:Deutsches Pdagogisches Zentralinstitut Sektion Unterrichtsmethodik und Lehrplne 1962:Biologieunterricht. Methodisches Handbuch fr den Lehrer. Volk und Wissen Volkseigener VerlagBerlin. S. 321-324.35


現 代 と 文 化 第 126 号Baer, Heinz-Werner 1962c: Unterrichtsmethode Probleme bei der Geschlechtserziehung in der Schule.Pdagogik, Beiheft 2, S. 37-45.Baer, Heinz-Werner 1966: Die Geschlechtserziehung im Biologieunterricht. WissenschaftlicheZeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 15. Jrg., Heft7/8, S. 741-746.Bittighfer, Bernd 1966: Probleme der sozialistischen Geschlechtsmoral und der Erziehung der jungenGeneration zu sittlich wertvoller Partnerschaft. Wissenschaftliche Zeitschrift der UniversittRostock. Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 721-731.Bittighfer, Bernd 1969: Weltanschaulich-ethische Grundlagen sozialistischer Partnererziehung.Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts- und SprachwissenschaftlicheReihe, 18. Jrg., Heft 8/9, S. 687-696Borrmann, Rolf 1962a: Die sexuelle Bildung und Erziehung als pdagogische Problem. In:Gesellschaft zur Verbreitung wissenschaftlicher Kenntnisse 1962: Sexuelle Bildung und Erziehung.Bestandteil der Erziehung zur sozialistischen Persnlichkeit. Bericht ber den Referententag derzentralen Sektion Medizin und Pdagogik am 3. November 1961 in Weimar. Berlin. S. 14-34.Borrmann, Rolf 1962b: Die sexuelle Belehrung der Kinder und Jugendlichen. Volk und WissenVolkseigener Verlag Berlin.Borrmann, Rolf 1966a: Jugend und Liebe. Urania-Verlag Leipzig/Jena/Berlin.Borrmann, Rolf 1966b: Gegenstand, Aufgaben und Gestaltung der sexuellen Bildung und Erziehung.Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock, Gesellschafts- und SprachwissenschaftlicheReihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 733-738.Borrmann, Rolf 1969: Die Vorbereitung der heranwachsenden Generation auf Ehe und Familie alsspezielle Aufgabe der Gesellschaft. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock,Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 18. Jrg., Heft 8/9, S. 701-703.Bretschneider, Wolfgang 1956: Sexuell aufklren - rechtzeitig und richtig. Urania-Verlag Leipzig/Jena/Berlin.Bretschneider, Wolfgang 1966: Gefahren des frhzeitigen Verkehrs und der frhzeitigenSchwangerschaft. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts- undSprachwissenschaftliche Reihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 783-787.Brckner, Heinrich 1962: Entwurf eines Merkblattes fr Eltern als Beitrag zur geschlechtlichenAufklrung und Erziehungsarbeit in der Schule. rztliche Jugendkunde, 53. Jrg., 7/8, S. 187-192.Brckner, Heinrich 1966: Welche Mglichkeiten und Schwierigkeiten bestehen gegenwrtig fr dieZusammenarbeit von Schule und Elternhaus bei sexuell-pdagogischen Aufgaben im Kindesalter?Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts- und SprachwissenschafteReihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 771-776.Brckner, Heinrich 1968: Das Sexualwissen unserer Jugend. VEB Deutscher Verlag derWissenschaften Berlin.Dietz, Karl/ Hesse, Peter G. (Hrsg.) 1964: Wrterbuch der Sexuologie und Ihrer Grenzgebiete.Greifenverlag Rudolstadt.Donath, Erika 1969: Die Teilnahme des Jugendarztes an der Geschlechtserziehung. WissenschaftlicheZeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 18. Jrg., Heft8/9, S. 721-723.Grassel, Heinz 1962: Psychologische Probleme der Geschlechtserziehung. Pdagogik, 2. Beiheft, 1962,S. 8-24.Grassel, Heinz 1966a: Tagungsbericht 1964. Arbeitstagung ber Probleme der Geschlechtserziehung36


性 教 育 の 担 い 手 ,その 方 法 と 特 別 なテーマをめぐってin der Schule. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts- undSprachwissenschaftliche Reihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 705-706. (Pdagogik, Jrg. 19 (1964), S. 942-943の 再 録 )Grassel, Heinz 1966b: Voraussetzungen, Bedingungen und Effekte der Geschlechtserziehung.Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock, Gesellschafts- und SprachwissenschaftlicheReihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 715-720.Grassel, Heinz 1966c: Die Arbeit mit den Eltern - ein Beitrag zur Geschlechtserziehung derheranwachsenenden Generation. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock,Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 763-764.Grassel. Heinz 1966d: Merkblatt A fr Eltern zur geschlechtlichen Erziehung der Kinder im Alter von4 bis 10 Jahren. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock. Reihe Gesellschafts- undSprachwissenschaften, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 813-815.Grassel, Heinz 1966e: Merkblatt B fr Eltern zur geschlechtlichen Erziehung der Kinder im Alter von10 bis 14 Jahren. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock. Reihe Gesellschafts- undSprachwissenschaften, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 815-816.Grassel. Heinz 1966f: Merkblatt C fr Eltern zur geschlechtlichen Erziehung der Kinder im Alter von14 bis 18 Jahren. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock. Reihe Gesellschafts- undSprachwissenschaften, 15. Jrg., Heft 7/8, S. 817-818.Grassel, Heinz 1967: Jugend Sexualitt Erziehung. Staatsverlag Berlin.Grassel, Heinz 1969a: Stand und Probleme der Sexualerziehung in der DDR. WissenschaftlicheZeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 18. Jrg., Heft2/3, S. 211-225.Grassel, Heinz 1969b: Sexualerziehung in der DDR. Wissenschaftliche Zeitschrift der UniversittRostock. Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 18. Jrg., Heft 8/9, S. 675-685.Grassel, H/Baer, H. W. 1962: Einleitung. Pdagogik, 2. Beiheft, S. 2-3.Jesper, Karl-Heinz: Geschlechtserziehung und sozialistische Moral. Pdagogik, Beiheft 2, S. 4-8.Kirsch, Werner 1967: Die sexuelle Belehrung im Biologieunterricht. Volk und Wissen Berlin.Kirsch, Werner 1968: Zum Problem der sexuellen Belehrung durch den Biologielehrer. Volk undWissen Volkseigener Verlag Berlin.Lungwitz, Kurt 1965: Die Stabilitt frhzeitig geschlossener Ehen im Spiegel der Statistik. NeueJustiz: Zeitschrift fr Recht und Rechtswissenschaft, 19. Jg., Heft 3, S. 66-69.Neubert, Rudolf 1956b: Gedanken zum Problem der Sexualpdagogik. In: Neubert, Rudolf/Weise,Rudolf: Das sexuelle Problem in der Jugenderziehung. Greifenverlag zu Rudolstadt, S. 7-38.Neubert, Rudolf 1962: rztliche und sozialhygienische Grundlagen zur Frage der sexuellen Bildungund Erziehung. In: Gesellschaft zur Verbreitung wissenschaftlicher Kenntnisse 1962, S. 5-14.Neubert, Rudolf 1966: Der Beitrag der Medizin zur Sexualpdagogik. Wissenschaftliche Zeitschriftder Universitt Rostock. Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S.777-781.Neutsch, Christel 1962: Zur Zusammenarbeit von Jugendarzt und Schule auf dem Gebiet der sexuellenAufklrung und Erziehung. Pdagogik, Beiheft 2, S. 30-31.Paul, Elfriede 1966: Geschlechtserziehung als Vorbereitung auf die Ehe. Wissenschaftliche Zeitschriftder Universitt Rostock. Gesellschafts- und Sprachwissenschaftliche Reihe, 15. Jrg., Heft 7/8, S.789-791.Paul, Elfriede 1969: Vorbereitung der jungen Generation auf Ehe und Familie unter dem Aspekt desGesundheitsschutzes der Frau. Wissenschaftliche Zeitschrift der Universitt Rostock. Gesellschafts-37

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