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別 委 員 会 による 大 統 領 への 報 告 』は、「20 カ 国 近<br />
くの 国 々が 原 子 力 に 関 する 法 制 化 を 行 って」おり、<br />
「12 カ 国 以 上 の 国 で 原 子 力 委 員 会 かそれに 該 当<br />
する 組 織 を 持 っている」 状 況 を 指 摘 した 14 。その<br />
上 で 同 報 告 書 はフランスが 同 国 初 となる 重 水 炉<br />
(ZOE 研 究 炉 )を 運 転 し、スウェーデンとノル<br />
ウェーが 同 じ 方 向 にあることに 注 意 を 喚 起 した。<br />
さらに、「 欧 州 の 小 国 が 結 束 して 乏 しい 情 報 を 交<br />
換 するという 明 らかな 傾 向 があり、 潜 在 的 には 危<br />
険 ですらある」と 述 べ、「フランスが[ 核 技 術 を]<br />
“ 持 たざる 国 ”にとっての 情 報 、 研 究 経 験 、 開 発<br />
て、ノルウェーのランダース 原 子 力 研 究 所 長 がそ<br />
のことを 理 解 していることを 希 望 していると 続<br />
けた 17 。トルーマン 政 権 は、キュリーが 左 翼 的<br />
な 考 えを 持 っていると 判 断 し、 警 戒 していた。<br />
さらにもう 一 つの 文 書 、 日 付 は 不 詳 であるが、<br />
1949 年 2 月 ~1950 年 1 月 末 までの 期 間 につい<br />
て、 国 務 次 官 のもとで 欧 州 の 原 子 力 活 動 について<br />
とりまとめた 興 味 深 い 報 告 書 がある。ここからも、<br />
フランスが 原 子 力 技 術 の「 持 たざる 国 」を 束 ねる<br />
領 袖 になることへのトルーマン 政 権 の 強 い 警 戒<br />
感 が 窺 える 18 。<br />
の 拠 点 となりうる」ことを 警 告 した 15 。この 報 告<br />
書 の 時 点 では、アメリカはまだ 核 兵 器 の 独 占 を 享<br />
受 しており(ソ 連 初 の 原 爆 実 験 は 1949 年 8 月 29<br />
日 、フランスは 原 子 力 技 術 は 持 っていたものの 初<br />
の 原 爆 実 験 は 1960 年 2 月 13 日 であった)、トル<br />
ーマン 政 権 はフランスの 核 開 発 を 警 戒 していた。<br />
また、アメリカの 在 スウェーデン 大 使 館 の 科 学<br />
アタッシェ( 駐 在 専 門 官 )であったハワード・ロ<br />
ビンソン(Howard Rob<strong>in</strong>son) 博 士 は 1949 年 5<br />
ノルウェーは、(ウラン) 鉱 石 を 製 錬 済 みの<br />
ウランへと 転 換 することに 関 し、 英 米 から 十<br />
分 な 満 足 を 得 られないため、フランス、スウ<br />
ェーデンと 交 渉 している。もし、イギリスと<br />
アメリカが 様 々な 理 由 で 協 力 できないのな<br />
ら 、ス ウェーデンとノルウェーは 原 子 力 開 発<br />
の 基 礎 分 野 の 協 力 でフランスの 方 に 向 うか<br />
もしれない。<br />
月 3 日 、フリーマン・マシュー(Freeman<br />
Matthew) 駐 スウェーデン 大 使 、キャロル・ウィ<br />
ルソン(Carrol Wilson) 米 原 子 力 委 員 会 ジェネラ<br />
ル・マネージャーらとの 会 合 において、「スウェ<br />
ーデン 軍 が[ 兵 器 として]ある 種 の 放 射 性 物 質 を<br />
噴 霧 ないし 散 布 するアイデアを 漠 然 と 考 えてい<br />
る」らしいとの 驚 くべき 情 報 を 披 露 し、フランス<br />
が ZOE 研 究 炉 を 建 設 している 事 実 を 指 摘 したう<br />
えで、スウェーデンと 他 の 北 欧 諸 国 がフランスの<br />
手 に 落 ちる 政 策 的 な 危 険 性 について 注 意 を 喚 起<br />
した 16 。<br />
次 にマシュー 大 使 は、フランス 原 子 力 庁 で 主<br />
導 的 立 場 にあった 科 学 者 、ジャン・フレデリッ<br />
ク・ジョリオ=キュリー(Jean Frédéric Joliot-<br />
Curie)に 情 報 を 渡 すようなことがあれば、ソ<br />
連 に 情 報 が 洩 れてしまう 危 険 性 が 生 じるとし<br />
したがって、 結 果 的 にノルウェーがオランダと<br />
の 提 携 に 踏 み 切 ったこと、そして 原 子 炉 の 運 用 に<br />
当 たってはイギリスの 協 力 を 仰 いだ 点 で、<br />
JENER はこの 時 期 のアメリカにとって 最 悪 の<br />
ものではなかった。フランスは 正 式 な 協 力 関 係 を<br />
構 築 する 準 備 があることを 伝 えてきており、 原 子<br />
炉 建 設 にあたりノルウェーがフランスと 協 調 す<br />
ることはあり 得 ない 話 ではなかった。しかし、ラ<br />
ンダース 原 子 力 研 究 所 長 も 左 翼 的 なジョリオ<br />
=キュリーを 嫌 っており、ノルウェーの 原 子 力<br />
協 力 のパートナーとしてフランスを 選 ばず、オ<br />
ランダとイギリスを 選 んだ 19 。<br />
(3)ハルデン 計 画 とパートナー 選 び<br />
JENER の JEEP 炉 において 経 験 を 積 んだノ<br />
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