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トロイア戦争は史実だったのか―最近の研究動向から― - 東北学院大学 ...

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I はじめに<br />

<strong>東北学院大学</strong>ヨーロッパ文化研究所主催公開講演会「光は東方より」<br />

2009 年 12 月 12 日 於・<strong>東北学院大学</strong>土樋キャンパス<br />

<strong>トロイア戦争は史実だったのか―最近の研究動向から―</strong><br />

<strong>東北学院大学</strong>教授 平 田 隆 一<br />

・1870 年代、シュリーマン、トロイア、ミュケーナイの遺跡を発見(資料 1,2)。<br />

→エーゲ海各地で発掘―ミケーネ文化の存在 → 粘土板文書発見<br />

線文字B、ヴェントリスとチャドウィク解読=ギリシア語。<br />

・ミケーネ諸王国の連合軍(=アカイア)、トロイア戦争、前 13~12 世紀―前 1200 年ころのミケーネ諸<br />

王国の崩壊の年代とほぼ一致。―オリエント世界に対するギリシア世界の最初の戦争。<br />

・トロイア地方の発掘 1980 年代からコルフマンのドイツチーム、新しい遺跡発掘 ―<br />

Unterstadt「城下町」(資料 3,4) → 新たな論争。<br />

・主な争点:トロイアはヒサルリクの丘の遺跡なのか、新しい遺跡は城下町か、トロイア戦争は史実か―<br />

肯定的立場、否定的立場、全く新しい解釈を提示する立場。<br />

・ラタツ(Latacz)著『トロイアとホメロス 古い謎の解決への道』2005 年(Ⅱ)。<br />

・ウルフ(Ulf)編著『トロイアを巡る新たな論争―総括』2004 年(Ⅲ)。<br />

・シュロット(Schrott)著『ホメロスの故郷。トロイア戦争とその真の背景』2008 年(Ⅳ)。<br />

・ギンディンとツイムブルスキー(Гиндин, Цымбурский)共著『ホメロスと東地中海の歴史』1996 年(Ⅴ)。<br />

・資料 5―トロイアの遺跡は9層(下から古い順に TroyⅠから TroyⅨまで)―<br />

ミケーネ時代に関わるのは TroyⅥと TroyⅦ。トロイアの最盛期は TroyⅥ、次の TroyⅦは衰退・没落期。<br />

暗黒時代後、ギリシアの都市国家イリオン(TroyⅧ)、ヘレニズムを経てローマ時代まで存続(TroyⅨ)。<br />

Ⅱ ラタツ著『トロイアとホメロス 古い謎の解決への道』<br />

・トロイア遺跡は城砦と都市との結合体=「古い前方アジアの居城ならびに通商都市」。<br />

・トロイアと他のアナトリア諸都市との間に多様な文化的関係。ルウィ語の印章―トロイア、ヒッタイト<br />

人の帝国と政治的に結びつき。<br />

・コルフマン:30 万平米以上の面積、6000 人~1 万人。<br />

・経済的中心機能、有利な経済的位置=二つの海(エーゲ海と黒海)の間と二つの大陸(アジアとヨーロ<br />

ッパ)の間の商業交通を最もよく管理、推進、保護。<br />

・ヒッタイト語 Wilusa とホメロス Wilios(Ilios)は同じ。北西小アジア地帯。ヒッタイト語 Taruwisa ,<br />

Tru(w)isa と Troiē(Troia)は同じ。Wilusa-Wilios とは本来分れていた。<br />

・六歩格(母音の長短によりリズム:長長か長短短、最後の歩は長長か長短)に組み入れるのが容易。<br />

・前2千年紀、ウィルサはヒッタイト-ルウィの勢力圏に。<br />

前 1200 年頃の TroyⅦa の崩壊後もⅦbのポスト繁栄期にヒッタイト‐ルウィの文化的伝統を続けた。<br />

・トロイア攻撃者―Achaioi, Danaoi, Argeioi、交換可能、攻撃者全体を表示。


ホメロス時代に大きな集団―イオニア人、アイオリス人、ドーリス人。<br />

ヒッタイトの文書に Ahhijawā(Achijawa)、音声的に Achaioi と関連=ギリシア人。<br />

・ホメロスはミケーネ時代の古い口承の詩作技術と新しい文字使用の技術で作品を統一。<br />

前8世紀に物語として組み立てられた。<br />

・『イリアス』(7-166)、アカイア人がテーベからトロイアに向かう船のリスト―<br />

船の総数 1186 艘、兵員数約 10 万人、リストはミケーネ時代に考え出された。<br />

新しい線文字 B 文書、テーベは前 1200 年頃ボイオティア、エウボイア島をも支配。<br />

・「3 世代法則」①情報伝達記憶(生物学的短期記憶)、②文化的記憶(集団的長期記憶)―<br />

①にのみ関わる。問題は文化的記憶。<br />

六歩格による詩作は規範化され、数百年以上基本構造を変えず、厳格に韻律が保たれている。<br />

・『イリアス』原文(7-166)<br />

Mērionēs atalantos Enyaliō i andreiphontē i<br />

「人々を殺す(andreiphontē i )軍神アレースに(Enyaliō i )比すべき(atalantos)Mērionēs」<br />

(晩翠訳「メーリオネース、其勇はアレース神に似たるもの」)<br />

1 - ˘ ˘ 2 - ˘ ˘ 3 - ˘ ˘ 4 - ˘ ˘ 5 - - ― 6 - × ||<br />

Mē-ri-o-nē sa-ta-lan-to sE-ny-a-li-ō i an-drei-phon-tē i<br />

1 - ˘ ˘ 2 - ˘ ˘ 3 - ˘ ˘ 4 -˘ ˘ 5 -˘ ˘ 6 ― × ||<br />

Mā-ri-o-nās ha-ta-lan-to-s E-nū-a-li-ō i a-nr-q w hon-tē i<br />

・この詩形は遅くとも前 15 世紀。Mārionās=フルリ語の maryannu「優れた(戦車)操縦者」。<br />

一定の詩行、前 16,5 から 8 世紀まで伝統的な詩の言語で吟唱者により伝達。<br />

・ミケーネ宮殿文化の崩壊後、小さ目の貴族宮廷は存続。小中心地で吟唱者がそのリラをもって存在。<br />

暗黒時代の小貴族は古い生活水準を保持。前 1100/1050 年から西小アジアにギリシア人の大移動―<br />

この芸術と芸術家を新しい家に。ギリシアの六歩格の詩作は断絶しなかった。<br />

吟唱詩人ホメロスは数百年間の伝統の終点・頂点。<br />

・アヒヤワ、前 15 世紀にクレタ攻撃、ミノスのエーゲ海支配を排除、小アジでもクレタの相続人。<br />

ヒッタイト大帝国に損害を与えようと試みたが、反撃されミレトスを失った。<br />

小アジアへの関心は数百年続いた。渇望の地トロイアに足を踏み入れることは魅力的。<br />

・トロイア、前 1200 年前後の 2 つの大壊滅―<br />

1250 年頃の地震(VI の終焉)、1180 年頃か少し後の大火災(VII の終焉)―<br />

外からの攻撃、アヒヤワ人の攻撃と関連したかどうか。<br />

・Troia-Wilios の物語の背後に歴史的出来事がありえた蓋然性はますます増大。<br />

Ⅲ ウルフ編著『トロイアを巡る新たな論争―総括』<br />

① Ulf「何のために総括を」<br />

② Cobet「テクストから廃墟へ―トロイア論の歴史」<br />

『イリアス』と『オデュッセイア』は同時代の聴衆にとって現実的な本物の活気。叙事詩と廃墟の対立<br />

鮮明。伝説は意識的に廃墟に結びつく。


③ Sinn「考古学的発見―文献的伝承:解釈の可能性と限界」<br />

テクスト、史料批判的に検討。ホメロスが描いた慣習の多くは、前8世紀末の叙事詩の成立期には古い<br />

時代のもの、大量の同時代の示唆。同時代の人々は彼ら自身の日常生活と対面。<br />

ホメロスの成功、彼ら自身の時代のなじみ深い環境を絶えず目の前に示した。<br />

④ Gehrke「過去とは何か?あるいは過去の」<br />

図像証拠の解釈は不確か。ホメロスの叙事詩にミケーネ時代に先駆けありそうもない。<br />

wanaka 等は宮殿文化の崩壊とともに前 1200 年ころ消滅。支配機構欠如。<br />

前8世紀ホメロスの叙事詩と貴族層の形成。symposion(饗宴)で歌朗詠。過去がとりわけ強調され英雄化。<br />

ヘロドトスやトゥキュキディデスにとって歴史的事実、ホメロスが歴史を作った。<br />

⑤ Hertel「トロイアの考古学的層とホメロスのイリオスの同定」<br />

トロイア VI,VIIb1,VIIb2 の終焉を攻囲と征服に帰す徴候ない。没落は自然の大災害か火災。<br />

VIIa の終焉も。急襲の結果?攻撃者は単なる掠奪者か新住居を求めるバルカン民族―<br />

ミケーネのギリシア人から成る軍隊部分も?=根なしの強略部隊。<br />

ミケーネ世界の中心諸国は前 1190 年ころ破壊を蒙り、VIIa に対する遠征はできなかった。<br />

⑥ Hänsel「トロイアはエーゲ海の交易並びに商業取引をしていたか、あるいはトロイアは商業地か?」<br />

経済的交通はトロイアのどの時代にも商業活動の成果とは称しえない。交換と贈与による物資の拡大。<br />

商人、交易路、物資の集散地の存在を示す証拠は皆無。<br />

トロイアは北エーゲ海の連絡網の1要素だがギリシアとアナトリアの間の仲介者ではない。<br />

⑦ Kolb「トロイアは都市だったのか」<br />

宮殿は立証されない。60 以上の部屋を含むプリアモスの建物は発見できなかった。<br />

居住地は 11~15ha、250 の家屋、住民は 2000 人。城下町の復元はフィクション。VI の人口は数百人。<br />

生産及び市場としての機能、遠隔貿易もなく農業・牧畜の生産物、漁業で生活。<br />

トロイア VI は都市ではなく城砦および領主の本拠地としての機能。<br />

⑧ Heinhold-Krahmer「Ilios-Wiluša と Troia-Taruiša との同定」<br />

Wiluša と Wilušiya と同一性、Taruiša との関係不明。Wilušiya と Taruiša の Ilios との同定の試み齟齬。<br />

ホメロスで Ilios と Troia、プリアモスの都市を表す同義語<br />

Wilušiya と Taruiša はヒッタイト帝国に対して立ち上がった国々の後に並んで現れる。<br />

⑨ Hajnal「Uiluša-Taruiša. Susanne Heinhold-Krahmer の寄稿論文への言語学的追加考察」<br />

⑩ Haider「新帝国のエジプト語史料による小アジア」<br />

⑪ Heinhold-Krahmer,「Ahhiyawa は対 Wiluša 戦争におけるホメロスのアカイア人の国か」<br />

ミケーネ時代のギリシア人が Achaioi を自己表示、実証できない。Wiluša の正確な位置は疑問。<br />

ヒッタイトの Ahhiyawa とホメロスのアカイアと同定する論議は未完了。<br />

⑫ Hajnal「ホメロス-トロイア論議の枠内における叙事詩の六歩格」<br />

⑬ Meier-Brügger「ホメロスの人工言語」<br />

⑭ Patzek「歴史的伝統を反映するホメロスの叙事詩―Oral Poetry と Oral Tradition」<br />

口承物語が長い期間続く。記憶の一貫性は 3 世代を超えない。


特定の吟唱者が暗記しテクストとして伝える。職業的吟唱者と一定の情報や内容に興味を持つ依頼人。<br />

⑮ Ulf「英雄叙事詩とは何か、また何であろうとするのか。過去の保存か、現在および未来の指針か?」<br />

『イリアス』と『オデュッセイア』は歴史叙述的テクストではなく、英雄叙事詩、一つの特殊な文学形<br />

態で古い時代への集団的「回想」ではない。リラの図像、2つの問題が未解決。<br />

英雄歌謡の物語は英雄化され、英雄化された過去は著者の現在から行われる詩的フィクション―<br />

過去を正しく再現しようとは思わない。社会的・政治的集団が過去に現実の希望を投影。<br />

⑯ Eder「ホメロスの船の目録再考」<br />

船の目録は前8世紀末から7世紀初頭の政治的地理を顧慮、神話的に重要な場所も補填。<br />

トロイア戦争の歴史と船目録は数百年の間に連続的変化にさらされ、ミケーネ宮殿時代に関する真正の<br />

記憶をホメロスの叙事詩は提供できない。<br />

⑰ Raaflaub「暗黒時代の意味:ミケーネ、トロイアおよびギリシア人」<br />

Danaya と Achijawa 王国はホメロスには対応する名前がない。<br />

統一船団ボイオティアのアウリスから出発。青銅器終期テーベは最強国、アウリスが選ばれた―<br />

何故ミュケーナイ王が最高指導者だったのか、説明できない。<br />

叙事詩は作成された時代の産物。神話は異常な物や記念物に依拠する構造物をも描く―<br />

トロイアとミュケーナイ、最も印象的な先史遺跡。<br />

⑱ Rollinger「ホメロス、アナトリアおよびレヴァント:文字史料に基づく東方隣接諸文化との関係の問<br />

題」<br />

ホメロス時代にとってレヴァントは、接触の大部分が生じる中心地帯。<br />

オリエントと西方、ヨーロッパとアジア、レヴァントとアナトリアは全て時代錯誤的関係。<br />

アナトリア、エーゲ海、ヘラス、レヴァントも統一的な文化地帯を表すことはできない。<br />

⑲ Bichler「ギリシア史の問題としてのトロイア戦争の年代決定」<br />

ペルシア王ダレイオス1世の時代のざっと 21 世代前=前 12 世紀。<br />

ホメロス自身は大体前 13 世紀初頭に。ヘロドトス、彼自身の時代より 800 年以上前。<br />

エラトステネス、アポロドーロス、[1184 年]特別な作用。<br />

古代の年代設定は推測に基づき確実な基盤を欠く。<br />

Ⅳ シュロット著『ホメロスの故郷 トロイア戦争とその真の背景』<br />

・『イリアス』『ギルガメシュ』との並行記事、文字通りの受け継ぎ。ギリシアとアッカドの叙事詩、セム<br />

語やフルリ・ヒッタイト語の史料やモチーフ。―『イリアス』前 660 年頃。<br />

・トロイアは大火災で破壊、攻囲および相当長期の戦闘行為なし―矢尻や槍先なし、投擲用の石も。<br />

ギリシアの国々全部が一人の将軍の下に大攻囲軍に結集したことは完全に排斥。<br />

トロイアの城下町は一度も言及されない。唯一の船着場 Besik 湾に 1200 隻の船、停泊できず(資料 2)。<br />

これらの不一致はキリキアに移せば整合的に説明できる(資料 1,6)。<br />

・ホメロスは彼の叙事詩のためにキリキア反乱に参加した2つの最も卓越した都市に場所の描写を移した<br />

=ダナオイ人の要塞都市、キリキアのタルソスとカラテペ(資料 7)。<br />

・前 1200 年ごろ全てが中核地帯―エウボイア、南テッサリア、ボイオティアに集中、支配者の勢力圏が狭


まり、basileus「王」が重要。家に吟唱者を受け容れ。中核地帯は前 10 世紀と8世紀の間に繫栄。<br />

・船団、エウボイアとボイオティアから出帆、ホメロスが現実の状況を取り上げた。<br />

上層部は商業敵接触によって利益を得て、中央ギリシアの諸国はギリシア文化発展の原動力。<br />

・前8世紀後期、アッティカ、アルゴリス、中央ギリシア、ペロポネソスで英雄崇拝、栄光に満ちた過去<br />

との連続性を創り出す。<br />

『イリアス』におけるアトレイウス家とヘレナ中心的役割、新たに得た現実に基づく。<br />

・前8世紀から古典的ポリスへ。外国の影響、革新をもたらした地方の一つがキリキア。<br />

人々は小アジア、キリキア、レヴァント、キュプロスに向かい始めた。<br />

ルウィ語とフェニキア語の「Danunym と Chiyawa の支配者」、背後にダナオイ人、アカイア人。<br />

・『キュプリア』は『イリアス』より古くその第1歌を構成。口承で伝えられた叙事詩にも依存。<br />

『ギルガメシュ』を文学的引き立て役、年代記も。新たに刻印される場所を強調。<br />

・前9世紀キュプロス・キリキア地帯の文化的統一性、商品が内陸諸国に。ギリシア人、エンポリオン。<br />

前8世紀アッシリアの支配下に。影響は『イリアス』『キュプロス史』に。『キプリア』がキリキアに到<br />

達。<br />

前7世紀タルソスで印章にリラ奏者と舞い踊る少女たち。<br />

・フェニキア人はキュプロス人を ia-wana と呼び、ホメロスの Ia-ones「イオニア人」―<br />

主にキュプロス・キリキア地域に、関心は略奪。平地キリキアとレバノンに定住したい。<br />

結果、最初のキリキア反乱、前 715 年に鎮圧。<br />

ホメロスの年代=前 7 世紀半ば。『イリアス』壺絵の描写、ヘシオドスからモチーフ、武器や戦術。<br />

キリキアのギリシア語に典型的な方言的独自性保存。<br />

・『イリアス』は時代のモニュメント。テクストとして構築。歌を神への呼びかけ=メソポタミアの模範。<br />

ヘブライ語とヒッタイト・フルリ語の個所に『イリアス』との並行記事。<br />

外国の影響はキリキアで融合。後期ヒッタイト都市国家が形成、ヒッタイト帝国没落後も遺産。<br />

前8世紀にアッシリアの主権下、フェニキア人も交易で接触、セム文化。<br />

・キリキアはヘブライ、アラム、カナーン、フェニキアの諸要素。ホメロスの母語はイオニア方言―<br />

ギリシア語は少数者の言語。人物、場所、川は2つの異なる名称、地名 Troia/Ilios。<br />

キリキアには 2 つの川、広い戦場、広々とした海岸、峰々が続く山脈=ホメロスの故郷。<br />

伝説的な過去の回想に大量の同時代の示唆(戦争、葬儀、商業、家屋、家具)。<br />

・カラテペ付近で前7世紀初頭の要塞都市 Agatiwadaija の遺跡―<br />

北の門の入り口に一連のモチーフ『イリアス』の物語の筋に対応。<br />

55×45m の宮殿、部屋は真ん中にある中庭の周りに配置。<br />

・イオニア人はアッシリアに対する前 715 年と 676 年の戦いの間にキリキアのアカイア人と同盟<br />

=『イリアス』の本来の同時代史。<br />

・サルゴン2世、イオニア人を追い出し、ホメロスのトロイアを巡る戦闘に最初の歴史的見本を成す紛争。<br />

アッシリアへの共感、イオニア人・フェニキア人・キリキア人がいる現実、両陣営を悪者扱いにしない。<br />

・サルゴンはタバルでアンバリスを王位に、アンバリスは第1次イオニア反乱を継続―


タバルという「トロイア」を巡る大戦。<br />

前 705 年サルゴンは敵地で死亡、故国で埋葬されず→アキレウス、ヘクトルの死体。<br />

・サンヘリブ王がフェニキアを制圧、エクロンを攻囲、エルサレム周辺の 46 の都市を征服、軍隊に伝染病<br />

→『イリアス』の冒頭の場面に。<br />

サンヘリブは父王の死に怒り5年間も戦列を離れた―アキレウス、アガメムノンへの怒り。<br />

・叙事詩の最後の大場面で支配者アッスルバニパルの戦争報告を利用。<br />

王はサンヘリブの暗殺者を殺害―アキレウス、パトロクロスを埋葬、トロイアの 12 人の子供を殺した。<br />

・ホメロスが描いたのは父たちの世代の戦争。トロイア戦争として書き表す―カムフラージュの手段―<br />

公然と批判的に主題にすれば背信。キリキアは『イリアス』の中には直接は言及されない。<br />

トロイア地方にはキリキア人はいなかった。<br />

Ⅴ ギンディン、ツイムブルスキー共著『ホメロスと東地中海の歴史』<br />

・Ilios と Wilusa、Troia と Achijawa/Achaia 同定、ヒサルリクの遺跡をトロイアと認定。<br />

特徴―Pelasgoi と Tyrsenoi、Tyrrhenoi に関する伝承と関連づけてトロイア問題を考察。<br />

・Tyrsenoi,Tyrrhenoi、リュディアのギリシア名 Tyrra、原形*Tursa、アナトリアの*Tursa-ua と*Tursa-na。<br />

Geoegiev 説―Troas、Tyrsenoi の居住地、ヒッタイト語 Troi-Truisa、基本形 Trus-、ラテン語 E-trus-ci,<br />

E-trur-ia(原形 E-trus-ia)、エトルスキ=トロイア人。<br />

この仮定は排除。Etrusci‐Tyrsenoi の祖先はトロイア人の南の隣人の中に。ギリシア人、しばしばペラ<br />

スゴイ人とはテュルセーノイのことだと考えた。<br />

・トロイア地方のラリサ出身のペラスゴイ人。都市名 Larisa は前ギリシア語、非インドヨーロッパ語のエ<br />

ーゲ海の地名層。語幹 Lar はエトルリアでも人名。直接小アジアかエーゲ海のどこかの地方から借用。<br />

可能性はリュディア、トロイア地方の南端。<br />

前 13 世紀、アカイア人とテュルセーノイ人との同盟、共同でエジプト進軍。<br />

・アカイア人の一部、ギリシア―トロイア―(クレタ)―エジプトに。Ⅶa がアカイア人により絶滅・炎<br />

上、軍隊の一部が南へ突進、テュレーノイと合流、2 度目にはリュディア人と同盟。<br />

30 年後に「海の民」が 2 回目の進軍、Tursha-Tyresenoi は Teukroi と、エジプトに航海。<br />

・トロイア関連の伝説、重大なパラドックス―トロイアの没落―勝利者の祝典、帰郷という考えが欠如。<br />

ヒッタイトの年代記―トロイア戦争の開始を前 13 世紀後半~12 世紀初頭に固定。<br />

アヒヤワの王は軍隊を率いてウィルサ・イリオンの近くで上陸、追い払われた。<br />

ギリシアの伝承、この出撃で生き残った者さえ無事帰国できなかった。<br />

・ミュケーナイの統治者はギリシアにおける指導権とアナトリアにおける地位を一緒に取り戻そうと努力、<br />

植民気運の高まりを行動に向けて適切な決定。この時ミュケーナイをアガメムノン王が統治。<br />

ウィルサではプリアモス王を取り囲む支配的上層部のメンバーの中に Alaxandus(Alexandros パリス)。<br />

イリオンへの進軍の計画を布告,軍隊を糾合。トロイア前 1230 年代の最後か 1220 年代に絶滅。<br />

・トロイア戦争は前方アジアと東地中海の民族政治的相貌を 100 年後に変えた4つの大移動の輪の中に。<br />

①前 1240 年代「バルバロイの陶器」の諸民族によるギリシア襲撃、アカイア世界、安定状態から脱却。<br />

②移動はギリシア人の東への動き、結果トロイア戦争、ヘレスポントからナイル川までの範囲で前 1230


年代か 1220 年代。そのあと分裂したミケーネ・ギリシアは事実上、統一的勢力としては消滅。<br />

③前 1190 年代ないし 1180 年代に第 3 の移動の可能性、エーゲ海とレヴァントを揺るがした。<br />

「バルバロイの陶器」の諸民族の輪の中に西バルカンの出身者。エペイロスのペラスタイが、トロイア<br />

地方および蹂躙されたアカイア人と隣接する地方の諸民族と団結。<br />

テウクロイとテュルセーノイ、再びエジプト襲撃の計画に熱中。<br />

・この進軍にミケーネ人の「有力集団」参加せず。2つの基本的航路、アナトリアを通る東の道とアドリ<br />

ア海からの西の道、シリアとパレスチナ沿岸で合流してこの列島の脇を通った。<br />

④「政治的空白」によって=ペラスタイ-テウクロスがヒッタイト帝国の領域に移動した後。<br />

前 12 世紀第 2 四半世紀、北エーゲ海のトラキアとフリギア諸族による小アジア半島への大量移民―<br />

アッシリアの力が彼らを停めた。移民した人々の中にトロイア VIIb2 の建築家も。<br />

この都市が成立、トロイア地方とのミケーネの結びつきが形成。<br />

⑤前 12 世紀後半から 1 世紀半、南ギリシアへの北西ギリシア人の動き―<br />

南ギリシアにはまだアカイア諸国の残滓。<br />

サフローノフ Сафронoв『現段階における古典文献学』の中で「トロイア戦争」<br />

・トロイアは前 1198 年に陥落、トロイア占領の年代は前 1208-1198 年の期間に求めるべき。<br />

Ⅵ むすびに代えて<br />

・トロイアを巡る様々な問題、全史料の徹底的な検証を必要。<br />

トロイア戦争、オリエントとギリシアの深い関係を示す重要な1事例。<br />

・トロイア伝説、イタリア・ローマに―英雄アエネアスは故国を脱出、イタリアに漂着。<br />

息子アスカニウスはアルバロンガを築き、アエネアスはローマ帝国の元祖と見なされる。<br />

主要参考文献<br />

岡道夫『ホメロスにおける伝統の継承と創造』創文社、1988 年<br />

J.チャドウィック著、安村典子訳『ミュケーナイ世界』みすず書房 1988 年<br />

エーベルハルト・ツァンガー著 和泉雅人訳『蘇るトロイア戦争』大修館書店 1997 年<br />

A. デイヴィド著、周藤芳幸、北村陽子、澤田典子訳『シュリーマン 黄金と偽りのトロイ』アオキ書店<br />

1992 年<br />

ホメロス著 土井晩翠訳『イリアス』富山房 昭和 15 年<br />

松田治『トロイア戦争全史』講談社 2008 年<br />

Л.А. Гиндин, В.Л. Цымбурский, Гомер и история восточного средиземнoморья, Москва 1996.<br />

Homer, Iliad : Books 1-12; Books 13-24 (Loeb Classical Library).<br />

J. Latacz, Troia und Homer. Der Weg zur Lösung eines alten Rätzels, 5. aktualisierte und erweitete<br />

Aufgabe, 2005.<br />

W. Leaf, M.A. Bayfield, The Iliad of Homer, vol.I(Books I-XII),London 1956; vol.II (Books<br />

XIII-XXIV),London 1959.


А.В. Сафронoв, ‘Воина под Троей’, in : Классическая филология на современном этапе, Москва<br />

1996, 141-159.<br />

L. Schofield, The Mycenaeans, The British Museum Press, 2005.<br />

R. Schrott, Homers Heimat. Der Kampf um Troia und seine realen Hintergründe, München 2008.<br />

Ch. Ulf (Hrsg.), Der neue Streit um Troia. Eine Bilanz, München 2004 2 .<br />

① Christoph Ulf, ‘ Wozu eine Bilanz? ’ (S.9-16)<br />

② Justus Cobet, ‘ Vom Text zur Ruine. Der Geschichte der Troia‐Diskussion ’ (S.19-38)<br />

③ Ulrich Sinn, ‘ Archäologischer Befund-Literarische Überlieferung : Möglichkeit und Grenzen der<br />

Interpretation ’ (S.39-61)<br />

④ Hans-Joachim Gehrke, ‘ Was ist Vergangenheit? oder : Die〈Entstehung〉von Vergangenheit ’<br />

(S.62-82)<br />

⑤ Dieter Hertel, ‘ Die Gleichsetzung einer archäologischen Schicht von Troia mit dem homerischen<br />

Ilios ’ (S.85-104).<br />

⑥ Bernhard Hänsel, ‘ Troia im Tausch- und Handelsverkehr der Ägäis oder Troia ein Handelsplatz? ’<br />

(S.105-119)<br />

⑦ Frank Kolb, ‘ War Troia eine Stadt? ’ (S.120-145)<br />

⑧ Susanne Heinhold-Krahmer, ‘ Zur Gleichsetzung der Name Ilios-Wiluša und Troia-Taruiša ’<br />

(S.146-168).<br />

⑨Ivo Hajnal, ‘ Uiluša-Taruiša. Sprachwissenschaftliche Nachbetrachtungen zum Beitrag von<br />

Susanne Heinhold-Krahmer ’ ( S.169-173)<br />

⑩ Peter W. Haider, ‘ Westkleinasien nach ägyptischen Quellen des Neuen Reiches ’ (S.174-192)<br />

⑪ Susanne Heinhold-Krahmer, ‘ Ahhiyawa – Land der homerischen Achäer im Krieg mit Wiluša ’<br />

(S.193―214).<br />

⑫ Ivo Hajnal, ‘ Der epische Hexameter im Rahmen der Homer-Troia-Debatte ’ (S.217-231)<br />

⑬ Michael Meier-Brügger, ‘ Die homerische Kunstsprache ’ (S.232-244).<br />

⑭ Barbara Patzek, ‘ Die homerischen Epen im Spiegel ihrer geschichtlichen Tadition : Oral Poetry<br />

und Oral Tradition ’ (S.245-261)<br />

⑮ Christoph Ulf, ‘ Was ist und was will 〈Heldenepik〉:Bewahrung der Vergangenheit oder<br />

Orientierung für Gegenwart und Zukunft? ’ (S.262-284).<br />

⑯ Birgitta Eder, ‘ Noch einmal:der homerische Schiffskatalog ’ (S.287-308).<br />

⑰ Kurt Raaflaub, ‘ Der Bedeutung der Dark Ages: Mykene, Troia und die Griechen ’ (S.309-329).<br />

⑱ Robert Rollinger, ‘ Homer, Anatolien und die Levante : Die Frage der Beziehungen zu den<br />

östlichen Nachbarkulturen im Spiegel der schriftlichen Quellen ’ (S.330-338).<br />

⑲ Reinhold Bichler, ‘ Die Datierung des Trojanischen Kriegs als Problem der griechischen Historie ’<br />

(S.349-367).<br />

M.Wood, In Search of Trojan War, University of California Press, 1998.

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