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GigaPOWERS - Saudi Aramco

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サウジアラムコ 季 刊 誌<br />

2010 年 秋 / 冬 号<br />

<strong>GigaPOWERS</strong><br />

TM<br />

今 まで 誰 も 目 にしたことのない 油 田 の 姿


6 ここまで 見 える… 他 の 比 肩 を<br />

許 さないサウジアラムコの 最<br />

先 端 技 術<br />

<strong>GigaPOWERS</strong>(ギガパワーズ)― 地 下 に 眠 る 炭 化 水<br />

素 貯 留 層 の 高 解 像 度 シミュレーションを 実 現 する、サ<br />

ウジアラムコの 特 許 技 術 。 世 界 の 石 油 業 界 を 見 渡 して<br />

も、<strong>GigaPOWERS</strong> に 比 肩 するものは 見 当 たり<br />

ません。 探 査 ・ 石 油 工 学 センターのアドバン<br />

スト・リサーチ・センター(EXPEC ARC)<br />

で 社 内 開 発 された <strong>GigaPOWERS</strong> シ<br />

ミュレーターは、 油 層 空 間 を 10 億<br />

個 のセルに 分 割 して 詳 細 なシ<br />

ミュレーションを 行 うこと<br />

が 可 能 です。<br />

12<br />

特 別 欄<br />

創 立 25 周 年 を 迎 えてなお 成 長<br />

し 続 けるVela (ヴェラ) 社<br />

ヴェラ・インターナショナル・マリーン・リミテッド(Vela International<br />

Marine Ltd.)は 四 半 世 紀 前 、ほんの 数 隻 の 小 さな 船 を 所<br />

有 する 会 社 に 過 ぎませんでしたが、 今 では 世 界 有 数 の 石 油 輸 送<br />

会 社 のリーダー 的 存 在 になりました。サウジアラムコの 子 会 社<br />

でありドバイに 本 社 を 置 く 同 社 は、サウジアラビアの 石 油 及 び 石<br />

油 製 品 を、その 多 くが 二 重 船 体 構 造 になっている 最 新 式 タンカ<br />

ーで 地 球 の 隅 々にまで 運 んでいます。 常 に 成 長 し 続 ける 同 社 は<br />

2010 年 初 頭 に 2 隻 の VLCC ( 巨 大 原 油 タンカー)を 導 入 しま<br />

した。また、 同 年 末 までにさらに 2 隻 が 納 入 される 予 定 です。<br />

Abbrev. 2 | Our People― 人 材 28 | WorldView― 世 界 の 景 色<br />

サウジ・アラビアン・オイル・カンパニー(<strong>Saudi</strong> Arabian Oil<br />

Company: 通 称 サウジアラムコ)は 1988 年 11 月 に、それ<br />

まで 油 田 開 発 を 行 っていた 米 国 企 業 アラムコ(<strong>Aramco</strong>)の<br />

操 業 権 利 と 資 産 を 引 き 継 ぐ 形 で 国 王 令 により 設 立 されまし<br />

た。アラムコが 利 権 を 取 得 したのは 1933 年 のことでした。<br />

1973 年 、サウジアラビア 政 府 は、アラムコを 所 有 する 企 業 4 社 との 契 約 により 株 式 持 分 を 取 得 して 事<br />

業 への 参 加 を 開 始 しました。1980 年 、サウジアラビア 政 府 は、アラムコの 資 産 を 実 質 的 にすべて 買 い 取<br />

り、1976 年 に 遡 ってアラムコの 支 配 権 (100%)を 取 得 しました。<br />

サウジアラビアの 最 高 石 油 ・ 鉱 物 評 議 会 が、 石 油 ・ガス 業 界 の 政 策 決 定 と 事 業 活 動 の 監 督 を 行 っていま<br />

す。サウジアラムコの 取 締 役 会 は、アリ・I・アルナイミ(H.E. Ali I. Al-Naimi) 石 油 鉱 物 資 源 大 臣 が 会 長 を<br />

勤 めています。<br />

サウジアラムコ Dimensions International は、サ<br />

ウジアラビアン・オイル・カンパニー(サウジラムコ)<br />

が 関 連 企 業 、お 客 様 、 社 員 向 けに 定 期 的 に 発 行 して<br />

います。<br />

カーリッド・A・アルファレ(Khalid A. Al-Falih)<br />

社 長 兼 CEO<br />

カーリッド・I・アブシェイト<br />

(Khalid I. Abubshait)<br />

サウジアラムコ・アフェアー 担 当 エグゼクティブ・デ<br />

ィレクター<br />

ナーセル・A・アル・ナフィーシ<br />

(Nasser A. Al-Nafisee)<br />

広 報 部 長<br />

編 集 長 :<br />

リック・スネデカー(Rick Snedeker)


18<br />

サウジアラビア 館<br />

2010 年 上 海 万 博<br />

で 大 人 気<br />

サウジアラムコは 2010 年 上 海 万 博<br />

で 好 評 を 博 したサウジアラビア 館 に 様<br />

々な 支 援 を 行 いました。 万 博 は 6 ヶ 月<br />

間 開 催 され 10 月 31 日 に 閉 幕 しま<br />

した。 期 間 中 、 各 国 の 要 人 や 著 名 人 、<br />

たくさんの 子 供 たちをはじめとする 無<br />

数 の 人 々がこの 洗 練 された 展 示 館 を<br />

訪 れ、その 素 晴 らしさに 目 を 見 張 りま<br />

した。 世 界 190 カ 国 と 50 の 国 際 機<br />

関 が 豪 華 な 展 示 館 を 設 けたこの 上 海<br />

万 博 は、 中 国 にとって 世 界 という 舞 台<br />

の 上 で 一 段 と 脚 光 を 浴 びる 機 会 とな<br />

りました。<br />

24<br />

サウジアラムコと 韓 国<br />

の 子 供 達 が 築 く 絆<br />

韓 国 、 始 興 (シフン) 市 の 京 畿 (エンギェ) 中<br />

学 校 を 昨 年 訪 問 した 際 に 盛 大 な 歓 待 を 受<br />

けて 驚 いたダーランのサウジアラムコ 中 学<br />

校 の 生 徒 達 が、 楽 しい 思 い 出 のお 礼 に 同 中<br />

学 校 の 生 徒 をダーランに 招 待 しました。<br />

寄 稿 者 :<br />

マーゴット・ローリングス(Margot Rawlings)、ヘ<br />

ザー・ベンス(Heather Bence)、ネサ・スブラマニ<br />

ヤン(Nesa Subrahmaniyan)、アバス・H・ベキト<br />

(Abbas H. Bekhit)、リンク・スネデカー(Rick<br />

Snedeker)、カーリッド・アルトウェリ(Khalid<br />

Altowelli)、ノーム・コン(Norm Kong)、スティーブ<br />

ン・ブランデージ(Stephen Brundage)、ジャムシ<br />

ェード・ディン(Jamsheed Din)、ヘザー・アベルレ<br />

(Heather Aberle)、アリス・アンダーウッド(Alice<br />

Underwood)。<br />

デザイン:<br />

Herring Design、 米 国 テキサス 州 、ヒューストン<br />

印 刷 :<br />

Sarawat Designers and Printers, サウジアラビ<br />

ア、ジェッダ<br />

編 集 に 関 するお 問 い 合 わせは 以 下 にお 送 りくださ<br />

い:<br />

The Editor,<br />

<strong>Saudi</strong> <strong>Aramco</strong> Dimensions International<br />

Public Relations Department,<br />

<strong>Saudi</strong> <strong>Aramco</strong> Box 5000<br />

Dhahran 31311<br />

<strong>Saudi</strong> Arabia<br />

ISSN 1319-0520<br />

Copyright © 2010 <strong>Aramco</strong> Services<br />

Company<br />

FALL/WINTER 2010<br />

Printed on recycled paper<br />

www.saudiaramco.com<br />

表 紙 について: 色 鮮 やかで 抽 象 画 のようなこ<br />

の 画 像 は、サウジアラビアにある 炭 化 水 素 貯 留<br />

層 の 1 層 を 地 震 探 査 に 近 いモデルで 画 像 化 し<br />

たものです。この 3 次 元 画 像 は 10 億 個 のセ<br />

ルから 構 成 され、サウジアラムコの 特 許 である<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> 技 術 により、 世 界 最 高 の 解 像<br />

度 で 作 成 されています。 赤 い 部 分 は 天 然 ガスの<br />

貯 留 層 を 表 し、 緑 は 石 油 、 青 は 水 です。 鉛 直 の 黄<br />

色 い 線 は、シミュレーション 画 像 がキャプチャー<br />

された 時 点 のフィールドにおける 坑 井 の 位 置 を<br />

示 します。<br />

2010 年 秋 / 冬 号 1


abbrev.<br />

サウジアラムコ・ニュース<br />

サウジアラムコの 将 来 への 貢 献 が 期 待 される、 新 しいリーダーシップ・センターの 開 所<br />

式 で、 新 任 の 管 理 者 養 成 担 当 者 と 挨 拶 を 交 わす カーリッド・A ・アルファレ(Khalid A.<br />

Al-Falih)サウジアラムコ 社 長 兼 CEO。<br />

リーダーの 養 成 に 向 けて: 価 値 観 にフォーカスし<br />

たリーダーシップ・センターを 新 設<br />

ラスタヌラ — 価 値 観 、それが 私 たちの 理 念 の 根 幹 です。2010 年 9 月 29 日 、アラビ<br />

ア 湾 沿 いのサウジアラムコ・コミュニティーに 敷 地 面 積 約 700m2 の 新 しい 人 材 養 成<br />

施 設 「リーダーシップ・センター」が オープンしました。<br />

社 員 関 係 ・ 研 修 担 当 局 長 のサミール・A・アル・トバイエブは、リゾートのような 佇 ま<br />

いのラスタヌラはこれからのサウジアラムコを 担 うリーダー 候 補 社 員 が「 能 力 開 発 に<br />

集 中 できる」 静 かな 場 になると 語 り、「そこが 一 番 のねらいなのです」と 付 け 加 えました。<br />

その「 集 中 」こそ、 将 来 のリーダーに 必 要 とされるものなのです。 開 所 式 のスピーチで<br />

は、リーダーには 変 化 する 厳 しいビジネス 環 境 に 立 ち 向 かう 心 構 えが 必 要 であること<br />

が 繰 り 返 され、カーリッド・A・アルファレ 社 長 兼 CEO は 次 のように 述 べました。<br />

「 私 達 が 直 面 しているのは、 市 場 の 新 たな 現 実 、 政 治 、 規 制 、 統 治 のあり 様 の 変 化 、<br />

テクノロジーの 革 新 的 発 展 、 環 境 管 理 、 地 域 社 会 や 国 家 経 済 との 関 わり 方 などの 新 し<br />

い 問 題 です。」<br />

「 一 つ 確 かに 言 えることは、かつて 確 実 だったものはもう 崩 壊 しているということで<br />

す。 今 は 正 しく 物 事 を 行 うだけでなく、 何 が 正 しいことかを 判 断 する 必 要 があります。」<br />

リーダーシップ・センターは、22 の 教 室 、23 のチームルーム、400 人 収 容 のホー<br />

ル、250 人 収 容 の 多 目 的 ルームを 完 備 した 施 設 です。ただし、 建 物 の 構 造 とは 別 に、こ<br />

のセンターの 計 画 と 建 設 の 背 景 には、「サウジアラムコ 方 式 」 管 理 手 法 の 確 立 という 目<br />

的 があります。 担 当 プロジェクトチームはまず、リーダー 養 成 における 課 題 は 何 か、どのような<br />

機 会 を 設 けるべきかをサウジアラムコ 経 営 幹 部 の 観 点 から 見 極 めるために、 幅 広 い 調 査 を 実<br />

施 しました。<br />

その 結 果 、マネジメントのあらゆる 段 階 に 企 業 の 価 値 観 を 組 み 込 む 必 要 があることが 確 認 さ<br />

れたため、カリキュラムごとに、 企 業 の 価 値 観 と 行 動 や 活 動 を 通 じてそれを 実 践 する 方 法 を 話 し<br />

合 うセッションが 行 われることになりました。<br />

サウジアラムコ 社 員 、<br />

パキスタンに<br />

ダーラン — サウジアラムコ 社 員 が 洪 水 に<br />

よって 大 きな 被 害 を 被 ったパキスタンの 人<br />

達 の 支 援 に 立 ち 上 がりました。 協 力 した 社<br />

員 の 数 は 1 万 2 千 人 を 超 え、HR オンライ<br />

ンを 通 じて 推 定 600 万 サウジアラビア・リ<br />

アル(160 万 ドル)の 寄 付 が 集 まりました。1<br />

人 当 たり 平 均 485 サウジアラビア・リアル<br />

(130ドル) 寄 付 したことになります。<br />

この 寄 付 活 動 が 始 まったことを 受 けて、<br />

カーリッド・A・アルファレ 社 長 兼 CEO は<br />

8 月 25 日 、「 人 々が 災 害 に 遭 うたびに、 当<br />

社 の 社 員 は 深 い 同 情 と 思 いやりを 表 してき<br />

ました。 今 回 も 同 じだと 確 信 しています。」と<br />

のメッセージを 電 子 メールで 社 員 に 送 りま<br />

した。<br />

二 聖 モスクの 守 護 者 アブドゥラー・ビン・<br />

アブドゥルアジーズ・アル・サウード 国 王 が<br />

後 援 する 王 国 規 模 の 取 り 組 みを、 会 社 とし<br />

て 社 員 の 寄 付 と 同 様 の 金 額 で 支 援 すること<br />

も 約 束 しています。<br />

7 月 の 豪 雨 により、パキスタン 国 土 の 大<br />

部 分 が 洪 水 に 見 舞 われ、 当 初 の 洪 水 での 死<br />

者 は 1,700 人 超 、 被 災 者 は 2,000 万 人<br />

超 、 損 傷 または 倒 壊 した 家 屋 は 約 190 万<br />

軒 に 達 しました。 国 連 によれば、この 洪 水 被<br />

害 はパキスタンが 発 展 する 上 で 大 きな 打 撃<br />

です。 多 数 の 農 民 が 作 物 を 今 後 栽 培 できな<br />

食 料 を 受 け 取 ろうと 手 を 伸 ばす Karamdad Qureshi 村<br />

の 洪 水 被 害 者 。サウジアラムコ 社 員 がオンライン 寄 付 により<br />

パキスタンの 被 災 者 に 手 を 差 し 伸 べる。<br />

くなり、20 万 人 超 が 経 営 していた 店 舗 や 小<br />

規 模 事 業 を 失 いました。<br />

2<br />

Dimensions International


サウジアラムコ― 世 界<br />

各 地 で 建 国 記 念 日 の<br />

祝 賀 イベントを 開 催<br />

ダーラン — 9 月 23 日 、サウジアラビアの<br />

建 国 記 念 日 を 祝 って 大 がかりなパレード、<br />

花 火 、 公 式 祝 賀 式 典 などが 行 われ、 国 全 体<br />

がお 祭 り 気 分 に 包 まれる 中 、サウジアラム<br />

コもこの 輪 に 加 わりました。また、サウジア<br />

ラムコが 事 業 展 開 している 世 界 の 諸 都 市 で<br />

も、この 愛 国 の 日 を 祝 う 特 別 イベントが 催 さ<br />

れました。<br />

建 国 記 念 日 は 2005 年 に 祝 日 に 指 定 さ<br />

れたばかりで、1930 年 のサウジアラビア 建<br />

数 千 人 がイード・ホリ<br />

デーを 祝 う<br />

ダーラン — 神 聖 なラマダン 月 明 けの 毎 年<br />

恒 例 の 祭 りイード・アル・フィタールに 合 わせ<br />

てサウジアラムコ 展 示 会 が 開 催 され、1 週<br />

間 続 いた 祝 典 にはサウジアラムコ 関 係 者 の<br />

他 に 10 万 人 を 超 える 東 部 州 の 住 民 が 詰 め<br />

かけました。<br />

東 部 州 はサウジアラビアにおけるサウジ<br />

アラムコの 石 油 生 産 拠 点 であり、 主 要 コミュ<br />

ニティーのダーラン、ラスタヌラ、アブケイク、<br />

ウッダリヤがあるのもこの 州 です。<br />

ダーランのキングス・ロード・コ<br />

ミュニティー・エリアでは、 夜<br />

のイベントに 居 住 者 が 集 い、<br />

多 彩 なエンターテイメント<br />

と 料 理 を 満 喫 。<br />

ウッダリヤでは 南 部 地<br />

区 ・ 中 央 区 コミュニティ<br />

ー・サービス 部 門 が 独<br />

自 の 祝 祭 を 催 しました。<br />

スプラッシュ・ファウンテ<br />

ン・パーク( 噴 水 公 園 )で<br />

のコミュニティー 朝 食 会<br />

から 始 まったイベントは、<br />

イード 料 理 、 乗 馬 、ラクダ<br />

乗 り、ゲーム、 伝 統 舞 踊 、<br />

ディスコ、ボーリング、<br />

9 月 23 日 のサウジ 建 国 記 念 日 を 祝 いながら 通 りがかりの 人 に 敬 映 画 など。 即 興 のバー<br />

礼 する 陽 気 なサウジアラビア 人 達 。<br />

ベキューと 野 球 の 試 合<br />

も 盛 況 で、 夜 間 照 明 に<br />

照 らされた 野 球 場 が 舞<br />

国 と 1932 年 9 月 23 日 の 建 国 の 父 アブ 台 となりました。<br />

ドルアジズ・イブン アル・サウード 国 王 によ ラスタヌラでは、イースト・ラウンジに<br />

る 正 式 統 一 を 記 念 する 日 です。2010 年 は 3,500 人 を 超 えるゲストを 迎 えて 終 日 祭 典<br />

建 国 80 周 年 に 当 たります。<br />

を 開 催 。 芝 居 、コメディ、 漫 画 キャラクター、<br />

サウジアラムコは、オラ<br />

ンダのハーグ、 米 国 テキサ<br />

ス 州 ヒューストン、 香 港 、 中<br />

国 の 2010 年 上 海 万 博 サ<br />

ウジアラビア 館 など、 世 界<br />

中 で 建 国 記 念 イベントを<br />

開 催 しました。<br />

ピエロ、 相 手 と 交 流 できるアクティビティー<br />

で 子 供 達 は 一 日 中 楽 しみ、サーフハウスで<br />

はサウジ 伝 統 舞 踊 の 一 座 がパフォーマンス<br />

を 披 露 しました。アトラクションではラクダ<br />

乗 りが 一 番 人 気 で、 列 を 作 って 何 回 も 乗 る<br />

子 供 達 が 続 出 したようです。<br />

イード・アル・フィタールの 休 日 後 の 9 月<br />

14 日 、 社 員 のためにダーランとダンマンに<br />

あるサウジアラムコの 施 設 と 建 物 17 カ 所<br />

でイード・レセプションが 催 されました。<br />

また、ハーフムーン・ベイのサウジアラム<br />

コ・ビーチでは 6,000 人 を 超 える 来 場 者 が<br />

イードを 祝 い、 多 くの 人 たちが、アラビア 湾<br />

を 往 く 昔 ながらの 帆 船 であるダウ 船 クルー<br />

ズを 楽 しみました。<br />

アフリカの 冒 険 が「 次<br />

世 代 の 若 者 たち」に 吹<br />

き 込 む 風<br />

ダーラン ― サウジアラビアと 英 国 の 学 生<br />

達 が 今 年 の 夏 、アースウォッチの「 次 世 代 へ<br />

のインスピレーション」プログラムの 一 環 と<br />

してサウジアラムコが 支 援 する 2 つの 遠 征<br />

プログラムに 参 加 しました。<br />

そのうち、 女 子 学 生 の 1 グループが 8<br />

月 初 頭 にケニヤを 訪 問 。アラムコ・オーバー<br />

シーズ・カンパニー(AOC)UK 、アブドルア<br />

ジズ 王 世 界 文 化 センター、 世 界 有 数 の 環 境<br />

NPO アースウォッチが 共 同 して、 専 門 家 とと<br />

もに 画 期 的 な 研 究 プロジェクトに 取 り 組 め<br />

る 機 会 を 学 生 達 に 提 供 しました。<br />

環 境 問 題 の 知 識 があるか、 各 自 の 遠 征 調<br />

査 体 験 を 共 有 する 方 法 を 考 えているか、な<br />

どを 基 準 に 選 考 された 学 生 達 は、サウジア<br />

ラビアから 1 名 、 英 国 から 6 名 。 辺 境 のサ<br />

ンブル 地 域 で 薬 草 を 調 べるケニヤでの 8 日<br />

間 の 遠 征 調 査 を 開 始 した 女 子 学 生 達<br />

は、 結 核 、マラリヤを 含 む 病 気 の 治 療<br />

に 用 いられている 60 以 上 の 植 物 種<br />

を 記 録 しました。<br />

「すべての 調 査 が 関 連 し 合 ってい<br />

たので、 興 味 深 い 作 業 でした。これ<br />

イード・アル・フィタール(ラマダン 明 け 休 暇 )<br />

を 過 ごす 家 族 が 多 様 なアクティビティーを 楽<br />

しめるサウジアラムコのコミュニティーとレ<br />

クリエーション 施 設 。ステージショー、アクロ<br />

バット、 舞 踊 から 列 車 、ラクダ、ボートなどの 乗<br />

り 物 まで、 社 員 とその 家 族 だけでなく 東 部 州<br />

の 住 民 も 自 由 に 選 んで 息 抜 きができるアトラ<br />

クション。<br />

2010 年 秋 / 冬 号 3


ほど 多 くの 植 物 があるとは 想 像 していませ<br />

んでしたし。 現 地 の 人 達 からいろいろなこ<br />

とを 学 んで 大 いに 感 銘 を 受 けました。」とサ<br />

ウジアラビア 人 学 生 マイサム・アル・アメド<br />

(Maisam Al-Ahmed)さんは 語 ります。<br />

「( 現 地 の 人 達 には) 私 達 がどれだけ 時 間<br />

を 費 やしても 知 り 得 ない 知 識 があることが<br />

分 かりました。 全 く 聞 いたこともない 情 報 を<br />

持 っていて、それはとても 役 立 つ 知 識 です。」<br />

ケニヤのサンブル 地 域 の 薬 草 について 部 族 の 女 性 にインタビューするサウジア<br />

ラビアの 学 生 。この 学 生 は、 画 期 的 研 究 を 支 援 する、AOC 、アブドルアジズ 王<br />

世 界 文 化 センター、アースウォッチ 主 催 のプログラムの 一 環 としてケニヤを 訪 問 。<br />

左 : スコットランドのアースウォッチ・プロジェクトで 悪 天 候 をものともしないサ<br />

ウジアラビアと 英 国 の 学 生 達 。<br />

一 方 、もう 1 つの 男 子 学 生 グループにはア<br />

ースウォッチの 海 洋 哺 乳 類 学 者 であるニー<br />

ンケ・ファン・ヘール(Nienke van Geel) 氏<br />

が 同 行 。スコットランド 沖 合 で 行 われた 遠 征<br />

調 査 では、ほとんど 姿 を 見 せないミンククジ<br />

ラと、 同 じ 海 域 で 普 通 に 生 息 しているイルカ<br />

とウバザメ、アザラシの 個 体 群 のデータを 収<br />

集 しました。この 男 子 学 生 のプログラムも<br />

AOC UK とアブドルアジズ 王 世 界 文 化 セ<br />

ンターが 支 援 しています。<br />

「10 日 間 のほとんどを 船 の 上 で 過 ごし<br />

たので、 皆 少 し 窮 屈 な 思 いをしましたが、 動<br />

物 を 見 つけるたびに 胸 が 高 鳴 って、 一 斉 に 行<br />

動 を 起 こしました。」と、サウジアラビア 人<br />

学 生 フセイン・アラブドゥラティフ(Hussain<br />

Alabdullatif)さんは 体 験 を 振 り 返 りました。<br />

アブドルアジズ 王 世 界 文 化 センターの 目 標<br />

は、 教 育 、 文 化 の 発 展 、 環 境 意 識 をサウジ<br />

アラビアの 若 者 の 間 に 広 めることにありま<br />

す。16~17 歳 の 若 者 が 対 象 のこのプログ<br />

ラムは、「 若 者 に 大 いに 影 響 を 及 ぼすのは 若<br />

者 である」という 同 センターの 考 え 方 を 反 映<br />

しています。<br />

主 要 マイルストーンを<br />

達 成 したカラン・ガス<br />

田 開 発 計 画<br />

ダーラン — 4 件 の 一 括 契 約 全 てで 主 要<br />

な 建 設 作 業 が 開 始 されたカラン・ガス 田 開<br />

発 計 画 は 順 調 に 進 んでおり、 主 要 なマイル<br />

ストーンが 全 て 達 成 されたことが 実 証 され<br />

ました。<br />

「 私 達 のプロジェクトチームの 目 標 は、 安<br />

全 かつ 環 境 に 配 慮 して、 高 品 質 のガスをサ<br />

ウジアラビアで 供 給 することですが、 組 立 と<br />

建 設 の 開 始 はそれが 達 成 されたことを 意 味<br />

します。」とカラン・ガス 田 プロジェクト 部 門<br />

マネージャーのフアド・アル・アズマンは 語 り<br />

ました。<br />

2009 年 3 月 に 計<br />

画 に 関 する 全 ての 契 約<br />

が 締 結 されて 以 降 、 一<br />

連 の 重 要 な 活 動 が 完 了<br />

しています。9 月 には、<br />

沖 合 プラットフォームと<br />

海 中 パイプラインの 一<br />

自 社 開 発 の 排 水 処 理 技 術 の 商 品 化 を 祝 うサ<br />

ウジアラムコとシーメンスの 代 表 者 。<br />

4<br />

Dimensions International


新 取 締 役 会 の<br />

任 命<br />

O’Reilly)とサウジアラムコ 探 査 ・ 生 産 担 当<br />

上 級 副 社 長 のアミン・H・ナーセル(Amin<br />

H. Nasser)の 2 名 です。<br />

アミン・H・ナサール(Amin H. Nasser)<br />

括 契 約 のもと、38 の 構 造 物 を 構 成 する 3<br />

万 メトリック・トンの 鋼 材 の 組 立 を 開 始 。3<br />

件 の 陸 上 一 括 契 約 、すなわちカラン・ガス 施<br />

設 、パイプライン 設 備 およびコジェネレーシ<br />

ョン、カラン 硫 黄 回 収 施 設 およびマニファ・<br />

ガス 施 設 もクルサニアで 初 期 建 設 作 業 が 始<br />

まっています。<br />

プロジェクトチームは、サウジアラムコと<br />

委 託 企 業 のジェイ・レイ・マクダーモット(J.<br />

Ray McDermot)、 現 代 建 設 (Hyundai<br />

Engineering and Construction Co)、<br />

ペトロファック(Petrofac)、GS 建 設 (GS<br />

Engineering)で 構 成 されています。<br />

カラン・ガス 田 はサウジアラムコが 開 発<br />

する 最 初 の 非 随 伴 沖 合 ガス 田 です。ダーラ<br />

ンの 北 160km に 位 置 する 陸 上 施 設 は、<br />

カランのクフ 層 に 蓄 積 されているガスを 日<br />

量 18 億 SCF( 立 方 フィート) 処 理 する 予<br />

定 です。<br />

委 託 企 業 と、サウジアラビア、アラブ 首 長<br />

国 連 邦 、 韓 国 で 勤 務 するサウジアラムコ 社<br />

員 を 含 めた 5 チームがプロジェクトの 第 一<br />

段 階 に 取 り 組 んでおり、2011 年 半 ばまで<br />

に 4 億 5,000 万 SCF( 立 方 フィート)の 生<br />

産 を 目 標 としています。<br />

ダーラン — サウジアラム<br />

コは 8 月 22 日 、 王<br />

室 政 令 による 新 取<br />

締 役 会 の 任 命 を 発<br />

表 しました。<br />

二 聖 モスクの 守 護<br />

者 アブドラ 国 王 によ<br />

り、8 月 25 日 付 け、<br />

ヒジュラ 暦 で 3 年 の<br />

任 期 で 任 命 された 新<br />

取 締 役 会 のメンバーは 次 のとおりです:<br />

アリ・I・アルナイミ(H.E. Ali I. Al-Naimi)<br />

石 油 鉱 物 資 源 大 臣 - 会 長 、イブラヒム・A・<br />

アルアッサフ 博 士 (H.E. Dr. Ibrahim A.<br />

Al-Assaf)- 取 締 役 、モハンメド・I・ア<br />

ル・スワイエル(H.E. Dr. Mohammed I.<br />

Al-Suwaiyel)- 取 締 役 、アブドル・ラハ<br />

マン・A・アル・トゥワイジリ 博 士 (H.E. Dr.<br />

Abdul Rahman A. Al-Tuwaijri )- 取<br />

締 役 、カハリッド・S・アル・スルタン(H.E.<br />

Dr. Khaled S. Al-Sultan)- 取 締 役 、サ<br />

ー・マーク・ムーディー・スチュアート(Sir<br />

Mark Moody-Stuart)- 取 締 役 、ピータ<br />

ー・L・ヴォイケ(Peter L. Woicke)- 取<br />

締 役 、デイビッド・J・オライリー(David J.<br />

O’Reilly)- 取 締 役 、カーリッド・A・アルファ<br />

レ(Khalid A. Al-Falih)サウジアラムコ 社 長<br />

兼 CEO- 取 締 役 、アブドゥルラジズ・F・ア<br />

ル・カイヤール(Abdulaziz F. Al-Khayyal)<br />

- 取 締 役 、サリーム・S・アル・アイド(Salim<br />

S. Al-Aydh)- 取 締 役 、アミン・H・ナーセル<br />

(Amin H. Nasser)- 取 締 役 。<br />

新 任 の 取 締 役 は、シェブロン・コーポレー<br />

ション(Chevron Corp.)の 前 会 長 兼 CEO<br />

であるデイビッド・J・オライリー(David J.<br />

デイビッド・J・オライリー(David J. O’Reilly)<br />

創 立 60 周 年 を 祝 って 集 まったラスタヌラ 婦 人 会 と 来 賓 達 。<br />

ラスタヌラ 婦 人 会 創 立<br />

60 周 年 を 祝 賀<br />

ラスタヌラ— 先 頃 、ラスタヌラ 婦 人 会 のメン<br />

バーとその 来 賓 総 勢 約 80 人 がラスタヌラ<br />

にあるサーフハウスのイースト・ラウンジに 集<br />

い、グループの 創 立 60 周 年 祝 賀 行 事 が 執<br />

り 行 われました。<br />

レセプション、 前 菜 、 着 席 形 式 ディナー、<br />

デザート・ビュッフェが 振 る 舞 われただけで<br />

なく、グループの 歴 史 を 振 り 返 るプレゼンテ<br />

ーションとスピーチも 行 われました。<br />

マリー・ベアトリス・カセレス(Mary Beatrice<br />

Caceres)はクラブの 60 年 の 歴 史 を<br />

記 録 したスライドショーを 作 成 。また、キャ<br />

シー・レイランズ(Cathy Rylands )はラス<br />

タヌラでの 成 長 の 日 々と、 親 であることは 言<br />

うに 及 ばず、ラスタヌラで 大 人 になった 現 在<br />

との 違 いを 回 想 。 元 会 長 のセリーナ・キング<br />

(Serena King)は、サウジアラビアでの 駐<br />

在 経 験 と 婦 人 会 の 支 援 を 受 けながらサウジ<br />

アラビアでの 生 活 に 順 応 した 経 緯 をまとめ<br />

たエッセイを 発 表 しました。<br />

セリーナ・キングはこう 語 りました。「 自 分<br />

とは 生 い 立 ちも 文 化 も 全 く 違 う 女 性 と 親 し<br />

くなって 驚 くことが 度 々ありました。そうい<br />

う 人 達 と 多 くの 共 通 点 があることに 驚 いて<br />

います。 私 は 彼 女 達 に 助 けられ、 彼 女 達 か<br />

ら 学 び、 彼 女 達 と 知 り 合 うことで 心 が 豊 か<br />

になりました。」<br />

また、 初 代 副 会 長 のイボン・ノストランド<br />

(Ibon Nostrand)は 次 のように 述 べまし<br />

た。「 過 去 の 写 真 を 見 返 していると、このグ<br />

ループが 創 設 された 1950 年 当 時 は 質 素<br />

な 時 代 だったので、そ<br />

のような 創 意 工 夫 が 生<br />

まれたことに 気 づきま<br />

す。 母 国 から 遠 く<br />

離 れた 女 性 達 が 集<br />

まって 慈 善 活 動 を<br />

行 い、コーヒーを 楽<br />

しみ、レシピやアイ<br />

デアを 教 え 合 い、<br />

互 いに 助 け 合 い、<br />

楽 しい 素 晴 らしい<br />

思 い 出 を 作 ってい<br />

ました。これからも<br />

ずっと、 笑 いに 満 ち<br />

た 会 であってほし<br />

いと 思 います。」<br />

2010 年 秋 / 冬 号 5


GigaP<br />

撮 影 :スティーブン・L・ブランデージ(Stephen L. Brundage)<br />

6<br />

Dimensions International


世 界 最 先 端 の 技 術 が 生 み 出 す 精 緻 な 油 層 シミュレ<br />

ーション 画 像<br />

サウジアラビア、ダーラン — サウジアラムコが 2010 年 に 公 開 した 技 術 GigaPOW-<br />

ERS は、 油 層 シミュレーター POWERS (Parallel Oil, Water and Gas Enhanced<br />

Reservoir Simulator)の 第 二 世 代 です。シミュレーターとは、 炭 化 水 素 が 含 まれる 多 孔<br />

質 岩 石 内 の 石 油 、 水 、ガスの 流 体 挙 動 を 描 写 するシステムです。この 描 写 では、 関 連 する<br />

物 理 的 、 化 学 的 、 熱 力 学 的 な 関 係 を 組 み 合 わせて、 非 常 に 複 雑 な 連 立 方 程 式 を 構 成 し<br />

ます。これらの 方 程 式 の 解 がグリッド・ブロック、つまりセルで 表 され、 油 田 が 詳 細 な 画 像<br />

として 可 視 化 されます。<br />

マーゴット・ローリングス<br />

(Margot Rawlings)<br />

OWERS<br />

シミュレーションは、 掘 削 する 坑 井 の 最 適 数 計 算 、 坑 井 の 配 置 、 施 設 仕 様 の 推 定 、<br />

油 田 減 耗 の 計 算 、 油 層 管 理 方 針 の 策 定 など 石 油 業 界 のあらゆる 面 で 使 用 されています。<br />

従 来 は、 解 像 度 が 極 めて 低 いために、 得 られる 油 層 画 像 に 詳 細 なデータはほとんど 含<br />

まれていませんでした。 例 えば、デジタル・カメラでは、 画 素 数 が 多 いほど 画 像 は 鮮 明 で<br />

正 確 になります。 油 層 シミュレーションでは「 画 素 」は「セル」と 呼 ばれ、<strong>GigaPOWERS</strong><br />

以 前 の 技 術 で 特 性 解 析 可 能 なセルは 極 く 少 数 でした。<br />

また 1990 年 代 まで、サウジアラムコの 業 界 標 準 シミュレーターはシングル CPU<br />

( 中 央 処 理 装 置 )を 使 用 していたため、 油 層 シミュレーションの 範 囲 はわずか 5 万 セル<br />

が 限 度 でした。つまり、 大 きな 油 層 の 場 合 は 極 めて 大 きなグリッド・ブロックに 分 割 しなけ<br />

ればならず、そのため 非 常 に 荒 い 描 写 になり、フィールド 内 の 岩 石 の 不 均 一 性 が 無 視 さ<br />

れてしまいます。<br />

石 油 技 術 ・ 開 発 担 当 役 員 常 務 取 締 役 モハマド・Y・アル・カターニ(Mohammad Y.<br />

Al-Qahtani)はこう 説 明 しました。「この 制 約 を 克 服 するためには、グリッド・ブロックの<br />

解 像 度 を 高 くすること、セル 数 を 数 万 ではなく、 数 桁 多 くする 必 要 がありました。ただ 問<br />

題 は、 情 報 がそこまで 膨 大 になると、 我 々の 油 層 技 術 者 が 何 とか 活 用 できるぎりぎりの 時<br />

反 対 側 : テーブルトップに 映 写 される 油 層 モデル<br />

を、センサーを 装 着 したグラブにより 操 作 できるジ<br />

ェスチャー・コントロール 技 術 。 差 し 込 み 図 :ジェ<br />

スチャー・コントロール 技 術 で 解 析 中 のシェイバ<br />

油 田 <strong>GigaPOWERS</strong> フルフィールド・モデル。 左<br />

下 : 非 構 造 グリッディングにより、 坑 井 近 傍 のグリ<br />

ッド・サイズを 小 さくして 流 体 と 油 層 のより 詳 細 な<br />

表 示 が 可 能 。 右 下 : 新 しいジェスチャー・コントロ<br />

ール 技 術 を 使 用 して <strong>GigaPOWERS</strong> 油 層 モデル<br />

の 操 作 とナビゲートを 行 う CMT のメンバー。<br />

2010 年 秋 / 冬 号 7


チーム:<br />

ナビル・アルザメル(Nabil Al-Zamel) 博 士 -<br />

新 しいジェスチャー・コントロールを 導 入 、<br />

1995 年 からチーム・メンバー。<br />

ラリー・ファン(Larry Fung)<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> の 重 要 な 側 面 の 主 要 開 発<br />

者 、1997 年 からチーム・メンバー。<br />

タレク・アルシャナン(Tareq Al-Shaalan)<br />

博 士 - 1998 年 から <strong>GigaPOWERS</strong> の 主<br />

要 開 発 者 。<br />

ヘマンスクマル(Hemanthkumar) 博 士 -<br />

新 しい GUI を 開 発 、1998 年 にチームに<br />

参 加 。<br />

トム・ドリーマン(Tom Dreiman)<br />

GUI を 開 発 、ユーザー・マニュアルを 執 筆 、<br />

1998 年 からチーム・メンバー。<br />

ヘンリー・ホイ(Henry Hoy)<br />

1998 年 から、 革 新 的 な 入 出 力 処 理 を 実 現 。<br />

ジェームズ・タン(James Tan) 博 士 -<br />

複 雑 な 炭 化 水 素 の 反 応 に 取 り 組 む、1999 年<br />

からメンバー。<br />

ジョルジュ・ピタ(Jorge Pita) 博 士 -<br />

シミュレーターの 発 話 機 能 設 計 、2000 年 か<br />

ら 革 新 的 研 究 に 関 与 。<br />

ウスフ・ミッドヤ(Usuf Middya) 博 士 -<br />

主 要 開 発 者 、2001 年 から 新 しいシステム<br />

化 と 実 装 に 従 事 。<br />

モクレス・マザーニ(Mokhles Mezghani)<br />

博 士 - 非 構 造 グリッディングを 開 発 、2005<br />

年 からメンバー。<br />

オマール・ヒナイ(Omar Hinai)<br />

革 新 的 な 数 値 アルゴリズムを 考 案 、2005 年<br />

からメンバー。<br />

アマッド・H・ヨウビ(Ahmad H. Youbi )-<br />

グラフィックス・プロセッシング・ユニット<br />

(GPU)を 利 用 して、2006 年 からアルゴ<br />

リズムを 考 案 ・ 改 良 。<br />

ワーナー・ハーン(Werner Hahn)<br />

博 士 - 現 代 コンピュータ 言 語 の 革 新 的<br />

開 発 ・ 作 成 、2006 年 からチームに 参 加 。<br />

ラゼン・アルハルビ(Razen Al-Harbi)-<br />

コンピューティングと 離 散 化 担 当 、2006<br />

年 からチームに 参 加 。<br />

タメーム・アルマーナ(Tameem<br />

Al-Mana)- 非 構 造 グリッディング・パ<br />

ッケージおよび 視 覚 化 担 当 、2007 年 よ<br />

りメンバー。<br />

アブドルラーマン・アルマナ<br />

(Abdulrahman Al-Mana)- GUI<br />

と 視 覚 化 担 当 、2008 年 からメンバー。<br />

アネット・フグル(Annete Fugl)<br />

博 士 - 科 学 者 、 設 計 者 、 盤 層 モデラー、<br />

2009 年 に 参 加 。<br />

トム・バイヤー(Tom Byer) 博 士 -<br />

シミュレーター 開 発 者 、2009 年 12 月<br />

に 参 加 。<br />

アブドルアジズ・バイズ(AbdulAziz<br />

Baiz)- プログラミングおよびシステム・<br />

エンジニア、2010 年 4 月 から 参 加 。<br />

間 内 でも 処 理 できないことでした。」<br />

当 時 は、そのような 並 外 れて 大 きな<br />

モデルを 構 築 できたとしても、 実 行 に 数<br />

年 かかると 言 う 悲 観 論 者 がいたほどで<br />

す。「 要 するに、シミュレーションが 終 わ<br />

る 前 に 油 田 を 採 掘 し 尽 くしてしまうだろ<br />

う」と 言 うのです。<br />

しかし、 技 術 的 な 問 題 が 原 因 で 遅<br />

れをとらないようにするため、サウジア<br />

ラムコ 探 査 ・ 石 油 技 術 センターのアド<br />

バンスト・リサーチ・センター(EXPEC<br />

ARC) 内 でチームが 組 まれ、この 新 た<br />

な 目 標 に 取 り 組 むことになりました。<br />

1994 年 、EXPEC ARC のコンピュ<br />

テーショナル・モデリング 技 術 (CMT)<br />

チームの 現 主 任 技 術 者 アリ・ドグル(Ali<br />

Dogru) 博 士 が 責 任 者 となり、 第 一 世 代<br />

POWERS 開 発 チームが 新 しい 油 層 シミ<br />

ュレーターの 開 発 に 着 手 。<br />

それ 以 来 このチームは 拡 大 し、 記 録 を<br />

更 新 し 続 けています。2000 年 までに、シ<br />

ミュレーションを 数 百 個 の CPU 上 で 同<br />

時 に 並 行 処 理 することによって、100 万 セ<br />

ルの 記 録 を 更 新 しました。 最 初 に 達 成 し<br />

たマイルストーンは、ベリー/ハドリヤ 油<br />

層 から 得 られた 30 年 間 の 産 出 ・ 圧 入 挙<br />

動 の 視 覚 的 特 性 解 析 でした。セル 数 は<br />

130 万 相 当 で、 垂 直 方 向 に 74 の 層 があ<br />

り、 実 行 に 要 した 時 間 はわずか 数 時 間 で<br />

す。ベリー/ハドリヤ・モデルに 続 き、サフ<br />

ァニヤ、ズルーフ、アブ・サファの 各 油 田 に<br />

ついてもシミュレ<br />

ーションが 行 われ<br />

ました。<br />

2002 年 には、<br />

初 のフルフィール<br />

ド・シミュレーショ<br />

ンで 1,000 万 セ<br />

ルのマイルストー<br />

ンに 到 達 。シミュ<br />

レートされたのは<br />

日 量 約 500 万 バ<br />

レルのサウジアラ<br />

ムコ 最 大 、そして<br />

世 界 でも 最 大 のガ<br />

ワール 油 田 です。<br />

POWERS チーム<br />

は 尚 も 上 を 目 指 し<br />

ます。<br />

EXPEC ARC<br />

のサメル・S・アル<br />

アシガル(Samer<br />

上 : 世 界 最 大 の 海 洋 油 田 であるサファニヤ 油 田 の<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> フルフィールド・モデル。を 一 部 拡<br />

大 したもの。 下 : 陸 上 油 田 としても、あらゆる 油 田 の<br />

中 でも 世 界 最 大 級 ガワール 油 田 のフルフィールド・モ<br />

デル。<br />

S. AlAshgar)センター 長 は 次 のように 振<br />

り 返 りました。「 次 の 目 標 は、2010 年 まで<br />

にシミュレーターの 処 理 能 力 を 増 強 して、<br />

セル 数 を 1,000 万 から 1 億 にすること<br />

でした。これは、 高 すぎる 目 標 に 思 えまし<br />

た。モデル・サイズを 10 倍 にする 訳 です<br />

から。」<br />

しかし、チームの 前 にはさらに 大 きな<br />

問 題 が 立 ちはだかりました。サウジアラム<br />

コの 巨 大 な 油 ・ガス 田 を、 地 震 探 査 の 解<br />

像 度 かそれに 近 い 解 像 度 で 描 画 するため<br />

に 必 要 なセル 数 は、なんと10 億 単 位 にの<br />

ぼるのです。「そのレベルの 処 理 能 力 につ<br />

いて 話 す 人 は 業 界 に 誰 一 人 いませんでし<br />

たし、そんな 技 術 には 名 称 すらありませ<br />

んでした。そこで、10 億 セル・モデルを 構<br />

築 するのみならず、 元 々それより 小 さなモ<br />

デルで 目 標 としていた 期 限 、つまり 2010<br />

年 までに 実 現 することに 決 めたのです。<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> の 構 想 はここから 始 まりま<br />

した。」と 同 センター 長 は 続 けました。<br />

2009 年 、POWERS チームは 10 億<br />

セル、つまりギガセルの 壁 を 突 破 。サウジ<br />

アラムコの 油 層 管 理 にすでにその 結 果 が<br />

出 つつあります。ガワール 油 田 やその 他<br />

の 巨 大 油 田 のメガセル・シミュレーション<br />

は 1 日 足 らずで 実 行 可 能 であり、 油 層 管<br />

理 チームが 巨 大 油 田 の 生 産 最 適 化 を 行 う<br />

際 の 信 頼 度 が 今 までになく 向 上 しました。<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> は、 従 来 の 粗 いグリッドで<br />

のシミュレーションでは、 存 在 しても 見 逃<br />

されていた 油 層 を 正 確 に 特 定 することが<br />

できます。また、 細 かいグリッド 間 隔 でシミ<br />

ュレートできるために、シェイバ 油 田 では、<br />

8<br />

Dimensions International


<strong>GigaPOWERS</strong><br />

チーム 画 期 的 な<br />

シナジーを 生 み<br />

出 す<br />

サウジアラムコ EXPEC アドバンス<br />

ト・リサーチ・センター(EXPEC<br />

ARC)のコンピュテーショナル・<br />

モデリング 技 術 チームは、 頭 脳 、 経 験 、チー<br />

ムワークによって、サウジアラビアの 巨 大 な<br />

油 ・ガス 田 の 従 来 にない 高 精 度 シミュレーシ<br />

ョンを 実 現 しました。<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> の 開 発 が 始 まった<br />

1994 年 当 時 、 担 当 チームのメンバーは 8<br />

はわずか 3 人 。1998 年 、アリ・H・ドグル<br />

(Ali H. Dogru) 博 士 が 責 任 者 に 任 命 さ<br />

れ、スリムで 能 率 的 なチームが 編 成 されまし<br />

た。 新 規 採 用 された 多 数 の 専 門 家 が 加 わっ<br />

て、 新 しい 顔 ぶれになったチームは、 間 もな<br />

く POWERS シミュレーター 最 初 の 初 期 バ<br />

ージョンを 開 発 します。<br />

ドグル 博 士 は 当 時 を 振 り 返 ってこう 言 い<br />

ます。「 当 時 チームにとって 一 番 大 変 だった<br />

のは、サウジアラムコ 社 外 の 非 難 と 疑 問 の<br />

声 でした。このような 開 発 は、 従 来 から 大 手<br />

の 石 油 会 社 かベンダーが 行 っています。 業<br />

界 関 係 者 達 は、すでに 確 立 された 技 術 を 私<br />

達 が 超 えられるとは 思 いもしな<br />

かったのです。ですが 経 営 陣 の<br />

サポートもあって、 私 達 は 心 に<br />

決 めていました。」<br />

その 後 、チームは 画 期 的 な 開 発 を 行 い、<br />

そのつど 結 果 が 業 界 の 一 般 基 準 に 照 らして<br />

評 価 され、サウジアラムコのシミュレーター<br />

開 発 能 力 は 業 界 や 大 学 並 どころか、それを<br />

凌 ぐことが 実 証 されました。<br />

2002 年 、ガワール 油 田 全 体 を 1 つとし<br />

てシミュレーションに 成 功 。チームの 作 業<br />

は 効 率 的 かつ 精 力 的 で、 問 題 が 生 じると 直<br />

ちに 解 決 していきました。これがプロジェク<br />

トの 転 機 となり、サウジアラム<br />

コはこの 分 野 のリーダーとして<br />

世 界 に 認 知 されました。<br />

チームは 結 束 した 集 団 に<br />

なっていました。「 私 達 は 家 族<br />

同 然 で、それは 今 も 変 わりませ<br />

ん。 私 達 は 外 部 の 反 発 と 戦 っ<br />

て、 大 きな 成 果 をおさめ、 会 社<br />

と 業 界 から 認 められたのです。<br />

」ラリー・ファン(Larry Fung)<br />

1998 年 以 来 、 中 核 となるチームは 変 わ<br />

っていません。サウジアラムコがこの 分 野 で<br />

門 戸 を 開 いていること、チームダイナミクス<br />

の 素 晴 らしさ、ドグル 博 士 が 常 に 現 場 にい<br />

て、 分 け 隔 てをしないリーダーということの<br />

証 と 言 えます。<br />

「もう 何 年 も、チームを 離 れた 人 はいま<br />

せん。 経 験 の 浅 い 若 手 の 社 員 を 加 えてチ<br />

ームを 大 きくし、 私 達 の 知 識 、 経 験 、モチベ<br />

ーション、プロ 意 識 が 共 有 され、 引 き 継 が<br />

れるようにしています。」ナビル・アルザメル<br />

(Nabil Al-Zamel)。<br />

「このような 製 品 を 構 築 する 場 合 には、<br />

計 算 法 と 科 学 的 視 覚 化 の 両 面 で 新 しいイノ<br />

「 一 番 大 変 だっ<br />

たのは、サウジア<br />

ラムコ 社 外 の 非<br />

難 と 疑 問 の 声 で<br />

した」<br />

ベーションを 取 り 入 れることが 欠 かせませ<br />

ん。」ジョルジュ・ピタ(Jorge Pita)<br />

「 世 界 でも、この 仕 事 ができる 人 材 は 少<br />

ないと 思 います。 同 じ 科 学 でも 全 員 専 門 分<br />

野 が 違 うのですが、チームに 加 わる 前 にコン<br />

ピュテーショナル 数 学 モデリングを 経 験 し<br />

ているという 共 通 点 があります。」タレク・ア<br />

ルシャラン(Tareq Al-Shaalan)<br />

「<strong>GigaPOWERS</strong> のような 高 機 能 シミ<br />

ュレーターを 開 発 するため<br />

には、 献 身 的 で 責 任 感 があ<br />

り、 勤 勉 でなければなりませ<br />

ん。」ウスフ・ミッドヤ(Usuf<br />

Middya)<br />

「 油 層 シミュレーション<br />

の 分 野 は 小 さな 国 際 コミュニ<br />

ティーなので、 全 員 顔 見 知 り<br />

です。ですから 採 用 は 比 較 的<br />

簡 単 で、グループ・ダイナミク<br />

スにフィットする 人 材 を 選 ぶことができるの<br />

です。」ヘマン・クマール(Hemanthkumar)<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> は 並 外 れたチームワー<br />

クと 努 力 の 結 果 です。メンバー 達 は、サウジ<br />

アラムコが 保 有 する 油 層 の 正 確 なシミュレ<br />

ーションの 実 現 に 自 らの 能 力 を 活 かすこと<br />

で、 職 業 人 としてのキャリアで 大 きな 成 功 を<br />

おさめたと 言 えます。<br />

「 私 たちは 新 しい 基 準 を 確 立 しました<br />

が、さらに 前 進 する 余 地 は 大 いにあります。<br />

つまり、コンピュテーショナル・パワーを 石<br />

油 業 界 以 外 の 様 々な 分 野 に 応 用 して 人 類 に<br />

貢 献 することです。」ドグル 博 士 。<br />

撮 影 :スティーブン・ L・ブランデージ(Stephen L. Brundage)<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> チーム( 左 上 から<br />

時 計 回 り): アブドルラーマン・アル<br />

マナ(Abdulrahman Al-Mana)、<br />

アブドルアジズ・アルバイズ(Abdulaziz<br />

Al-Baiz)、タレク・アルシャラ<br />

ン(Tareq Al-Shaalan)、アリ ・ド<br />

グル(Ali Dogru)、ナビル・アルザメ<br />

ル(Nabil Al-Zamel)、アネット・フ<br />

グル(Annette Fugl)、イブラヒム・<br />

イヤット(Ibrahim Khayyat)、ウ<br />

スフ・ミッドヤ(Usuf Middya)、ラ<br />

リー・ファン(Larry Fung)、トム・<br />

ドリーマン(Tom Dreiman)、ジョ<br />

ルジュ・ピタ(Jorge Pita)。 右 : ワ<br />

ーナー・ハーン(Werner Hahn)、<br />

ジェームズ・タン(James Tan)、ト<br />

ム・バイヤー(Tom Byer)。( 以 上 、<br />

敬 称 略 )<br />

ワーナー・ハー<br />

ン(Werner<br />

Hahn)<br />

ジェームズ・<br />

タン(James<br />

Tan)<br />

トム・バイ<br />

ヤー(Tom<br />

Byer)<br />

2010 年 秋 / 冬 号 9


各 ラテラル 坑 井 を 最 適 に 配 置 する 複 雑 な<br />

坑 井 計 画 策 定 が 可 能 になりました。<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> の 優 れた 処 理 能 力 の<br />

利 点 はこれらにとどまりません。 詳 細 な 高<br />

速 シミュレーションによって 精 度 と 生 産 性<br />

が 向 上 したため、 世 界 最 大 級 の 油 ・ガス 田<br />

の 開 発 における 最 適 化 水 準 が 格 段 に 上 が<br />

りました。<br />

EXPEC ARC のコンピュテーショナ<br />

ル・モデリング・チームの 挑 戦 はこれから<br />

も 続 きます。すでに、 様 々な 新 たな 目 標 が<br />

設 定 されています。その 1 つは、 油 田 操<br />

業 に 関 連 する 全 データの 一 元 的 な 収 集 ・<br />

処 理 を 行 うサウジアラムコの I フィールド<br />

(インテリジェント・フィールド)センターと<br />

<strong>GigaPOWERS</strong> の 接 続 です。<br />

I フィールド・データを 使 用 してリアル<br />

タイムまたはオンラインでシミュレーショ<br />

ンを 行 えば、 従 来 よりはるかに 正 確 な 油<br />

層 管 理 が 可 能 になります。 石 油 精 製 所<br />

に <strong>GigaPOWERS</strong> のようなコンピュータ<br />

ープログラムを 導 入 し、 精 製 ユニットの 管<br />

理 を 行 うことも 可 能 です。この 場 合 、 各 精<br />

製 ユニットの 制 御 装 置 を 調 整 することに<br />

よって、 供 給 された 原 油 からガソリン、そ<br />

の 他 の 石 油 製 品 を 最 大 収 率 で 精 製 しま<br />

す。 石 油 技 術 および I フィールドの 用 途<br />

でも 同 様 で、 水 、ガス 生 産 などの 面 を 管 理<br />

する 遠 隔 制 御 装 置 を 各 坑 井 に 配 置 してお<br />

き、<strong>GigaPOWERS</strong> がその 調 整 を 助 言 す<br />

ることによって、 油 層 管 理 上 の 意 思 決 定 を<br />

支 援 します。<br />

「 油 層 は 管 理 すべき 側 面 が 多 いので、<br />

私 達 のチームは、 音 声 による 警 告 などの 独<br />

自 機 能 を 備 えた、 使 いや<br />

すいシステムを 開 発 しま<br />

した。 例 えば、 水 流 やガ<br />

ス 流 が 坑 井 に 流 れ 込 む<br />

リスクは 常 にありますが、<br />

このような 場 合 はシミュ<br />

レーターが 音 声 で 指 示 し<br />

ます。『2 ヶ 月 で 水 流 が<br />

した」<br />

第 5 坑 井 に 到 達 します。<br />

提 案 : 改 修 作 業 を 予 定 す<br />

ること』というように。」とド<br />

グル・センター 長 は 説 明<br />

しました。<br />

その 他 の 目 標 には、 業 界 で 常 に 求 めら<br />

れるシミュレーション 速 度 向 上 への 対 応<br />

があります。これまで、CPU がハイ・パフ<br />

ォーマンス・コンピューティングの 全 てを<br />

担 ってきました。この 10 年 間 で CPU 速<br />

「 精 度 と 生 産 性 が 向<br />

上 したため、 世 界 最 大<br />

級 のガス・ 油 田 の 開<br />

発 における 最 適 化 水<br />

準 が 格 段 に 高 まりま<br />

POWERS、<strong>GigaPOWERS</strong> による 業 界 最 先 端 フルフィールド・シミュレーシ<br />

ョン 実 現 の 歴 史 的 マイルストーン。 2000 年 、POWERS によるベリー 油 田<br />

のフルフィールド・シミュレーション、2002 年 、ガワ-ル 油 田 の 1,000 万 セル<br />

を 用 いたフルフィールド、2007 年 、シェイバ 油 田 のフルフィールド。さらに、ガ<br />

ワール 油 田 とサファニヤ 油 田 のフルフィールドで、1 億 セルの 境 界 を 突 破 。その<br />

間 、グリッド・サイズを 現 在 の 地 震 探 査 スケールまで 縮 小 。<br />

度 は 半 年 毎 にほぼ 倍 増 してきましたが、 今<br />

後 数 年 でピーク 速 度 に 到 達 します。 絶 え<br />

ることのないコンピューティング 速 度 向 上<br />

の 要 求 に 応 えるため、EXPEC ARC では<br />

コンピューティング・ハードウェアを 最 大 限<br />

に 活 用 する 方 法 を 現 在 研 究<br />

中 です。<br />

グラフィックス・プロセッシ<br />

ング・ユニット(GPU)は 新 し<br />

いフロンティアです。 従 来 ビ<br />

デオゲーム 用 途 に 使 用 され<br />

ていましたが、 数 値 計 算 でも<br />

使 用 可 能 です。 様 々な 研 究<br />

により、GPU の 速 度 は CPU<br />

より 数 桁 も 速 いことが 実 証 さ<br />

れていますが、 課 題 もありま<br />

す。GPU は 単 体 では 機 能<br />

せず、やはり CPU が 必 要 と<br />

なることです。ここから 複 数 の 問 題 が 生 じ<br />

ます。まず、GPU のプログラミング 言 語 は<br />

複 雑 で、 現 時 点 で CPU と 互 換 性 がない<br />

こと。ソフトェア 企 業 は 新 しいコンパイラ<br />

ーの 開 発 に 着 手 しており、これを 使 用 すれ<br />

ば、エンジニアが 従 来 から 使 っている<br />

言 語 で、その 言 語 を GPU 言 語 に 翻<br />

訳 するコンピューター・コードを 書 く<br />

ことができます。<br />

別 の 問 題 は、GPU とCPU 間 のデ<br />

ータ 転 送 をサポートする CPU・GPU<br />

統 合 アーキテクチャの 作 成 です。<br />

EXPEC ARC コンピュテーショナ<br />

ル・モデリング・チームは 業 界 のリー<br />

ダーであることをすでに 実 証 してお<br />

り、これらの 課 題 を 解 決 する 画 期 的<br />

なソリューションの 開 発 に 時 間 はか<br />

からないはずです。<br />

10<br />

Dimensions International


EXPEC のクラスター・コンピュー<br />

ターが GigaPOWER シミュレー<br />

ション 実 行 に 計 算 能 力 を 発 揮 。 坑<br />

跡 と 層 構 造 を 表 す 3 次 元 モデル、<br />

ビジュアライゼーション・ルームで<br />

シミュレーション・モデルを 調 べる<br />

エンジニア。サウジアラムコ 本 社 の<br />

EXPEC ARC 本 館 。<br />

2010 年 秋 / 冬 号 11


輝 く 星<br />

世 界 の 石 油 タンカー 業 界 をリードするヴ<br />

12<br />

Dimensions International


ネサ・スブラマニヤン(Nesa Subrahmaniyan)<br />

ェラ<br />

ヴェラ・インターナショナル・マリ<br />

ーンが 現 在 所 有 している 航 洋 船<br />

は、 大 型 原 油 タンカー(VLCC。<br />

今 年 加 わる 2 隻 を 含 む)17 隻 、<br />

石 油 製 品 用 タンカー 5 隻 ( 中 距<br />

離 タンカー 4 隻 、 載 貨 重 量 12<br />

万 メトリック・トン 未 満 の 小 型 タ<br />

ンカー・アフラマックス 船 1 隻 )<br />

の 合 計 22 隻 。 左 の 原 油 タンカ<br />

ー、アンタレス・スターとバーゴ・<br />

スターは、それぞれ 2010 年 4<br />

月 と 6 月 に 納 入 。これらの 超 大<br />

型 石 油 タンカーは 運 航 に 人 手 が<br />

かからず、 乗 組 員 は 30 人 足 らず。<br />

右 : ヴェラ・インターナショナル・<br />

マリーンの 乗 組 員 には、サウジ<br />

アラビア 人 と 世 界 各 地 で 採 用 さ<br />

れた 様 々な 国 籍 の 専 門 家 が 含<br />

まれ、 複 数 の 仕 事 をこなす 能 力<br />

を 発 揮 。<br />

Dアラブ 首 長 国 連 邦 、ドバイ — サウジアラムコの 海 運 子 会 社 であるヴェラ・イ<br />

ンターナショナル・マリーン・リミテッドは 今 年 で 創 立 25 周 年 を 迎 え、その<br />

ビジョンとたゆまぬ 企 業 努 力 により、 当 初 の 小 規 模 な 事 業 から 石 油 タンカー 業 界 の 世 界<br />

的 リーダーとなりました。<br />

「 私 達 は 自 らが 実 行 できると 信 じることを 実 行 しています。 周 囲 の 期 待 に 応 えることは、<br />

その 強 い 思 いの 通 過 点 に 過 ぎません。」4 月 にドバイで 開 催 された 海 運 業 者 会 議 におい<br />

て、ヴェラ・インターナショナル・マリーン・リミテッド 社 長 兼 CEO モハメッド・S・アル・グセ<br />

イエル(Mohammed S. Al-Gusaier) 氏 は 各 企 業 の 代 表 団 に 対 してこう 語 りました。<br />

ヴェラの 発 展 は 期 待 を 超 越 するという 強 い 思 いの 賜 であり、その 信 念 が 競 合 の 激 しい<br />

業 界 において 他 社 に 先 んじる 原 動 力 になったと 言 えます。 新 しい 経 済 の 時 代 、 海 事 規 制<br />

の 厳 格 化 、 業 界 の 運 営 基 準 ・ 慣 行 の 監 視 強 化 にいち 早 く 対 応 してきました。 現 在 、ヴェラ<br />

は 21 世 紀 市 場 のリーダーです。サウジアラムコ 本 社 のコミュニティーであるダーランで<br />

創 立 された 当 初 は、1970 年 代 半 ばに 建 造 された 原 油 タンカー 4 隻 の 運 航 を 少 人 数 の<br />

社 員 で 監 督 し、 技 術 的 管 理 は 第 三 者 船 舶 管 理 会 社 に 委 託 していましたが、それ 以 降 は 思<br />

い 切 った 成 長 戦 略 をもっぱら 追 求 してきました。<br />

現 在 はアラブ 首 長 国 連 邦 のドバイに 本 社 を 置 き、 事 業 全 体 の 社 員 数 は 1,100 人 にの<br />

ぼります。 極 めて 有 能 な 人 材 、 最 先 端 のシステム、サウジアラムコの 需 要 だけでなく、 第 三<br />

者 用 船 主 にも 対 応 可 能 な 船 舶 を 有 する 会 社 に 成 長 したヴェラは、 自 社 の 高 い 基 準 を 超 越<br />

し 続 けることを 課 題 としています。<br />

「 私 達 を 批 判 する 人 にとってはとんでもない 夢 物 語 だったでしょう。ですが 私 達 は 動<br />

じず、 今 のような 会 社 になることに 拘 り 続 けました。」と 語 るアルグサイアー 氏 は、ヴェラの<br />

社 長 に 就 任 する 以 前 、サウジアラムコの 様 々な 組 織 で 40 年 近 くの 経 験 がありました。<br />

しかし、 成 功 は 簡 単 ではありませんでした。<br />

世 界 石 油 需 要 の 新 基 軸<br />

「 海 運 は 通 商 活 動 の 生 命 線 」とよく 言 われますが、この 言 葉 は 世 界 の 貿 易 におけるこの<br />

業 界 の 重 要 性 を 物 語 っています。ただし、 通 商 活 動 が 停 滞 した 場 合 に、 世 界 の 貿 易 低 迷<br />

の 波 が 最 初 に 及 ぶのも 海 運 業 界 です。<br />

ヴェラは 設 立 以 来 、 幾 度 も 経 済 の 下 降 期 を 経 てきましたが、2009 年<br />

の 経 済 悪 化 ほど 海 運 業 界 にとって 厳<br />

しいものはありま


ヴェラのスター<br />

ヴェラは 25 年 の 操 業 で、プロダクトタンカー 9 隻 を 含 む 合 計 42 隻<br />

のタンカーを 所 有 ・ 運 航 してきました。 業 界 標 準 の 向 上 にも 積 極 的<br />

で、タンカーの 所 有 者 兼 用 船 主 として 初 めて、 用 船 または 運 航 してい<br />

る 一 重 船 体 構 造 タンカーを 25 年 間 で 段 階 的 に 廃 止 する 規 則 を 導 入 。その 以<br />

後 、この 手 順 は 業 界 ・ 国 際 規 制 基 準 となっています。<br />

昨 年 は、 所 有 する 船 舶 のうち 22 隻 が 環 境 成 果 賞 を、19 隻 が 米 国 の 海 運<br />

会 議 所 のジョーンズ・F・デブリン 安 全 賞 を 受 賞 しました。<br />

ジョーンズ・F・デブリン 安 全 賞 は、 休 業 を 伴 う 災 害 を 起 こさず 2 年 間 運 航<br />

した 船 舶 に 授 与 されます。<br />

現 在 、ヴェラが 所 有 している 石 油 タンカーは、VLCC( 今 年 加 わる 2 隻 を 含<br />

む)17 隻 、 石 油 製 品 用 タンカー 5 隻 ( 中 距 離 タンカー 4 隻 、アフラマックス<br />

船 1 隻 )の 合 計 22 隻 です。バーゴ・スター(Virgo Star)とアンタレス・スター<br />

(Antares Star)は、それぞれ 今 年 の 6 月 と 4 月 に 納 入 された 原 油 タンカー<br />

です。この 新 しい 船 団 構 築 計 画 は、ヴェラの 最 高 級 の 実 績 、 安 全 、 品 質 への 積 極<br />

的 アプローチに 沿 ったものです。<br />

デンマークで 建 造 されたタンカー 3 隻 を 除 く 新 しいタンカーはすべてアジア<br />

で 建 造 され、 特 に 有 名 なのは 韓 国 の 造 船 会 社 である 現 代 と 大 宇 です。<br />

韓 国 の 造 船 会 社 は 世 界 の 造 船 会 社 の 中 でも 大 手 で、 常 に 世 界 の 上 位 10 社<br />

を 占 めています。ヴェラからの 発 注 は、 間 違 いなくその 実 績 に 貢 献 しました。<br />

せん。 原 油 の 需 要 は 3 年 ぶりに 減 少 し、<br />

日 量 8,500 万 バレル 未 満 に 落 ち 込 みま<br />

した。<br />

ところが、これがヴェラの 回 復 力 を 実 証<br />

し、 進 化 して 新 たな 経 済 情 勢 の 課 題 に 適<br />

応 する 機 会 となるのです。アメリカとヨー<br />

ロッパの 従 来 の 航 路 に 新 しい 航 路 を 1 つ<br />

ずつ 追 加 し、 第 三 者 のスポット 用 船 も 積 極<br />

的 に 確 保 することで、 経 済 的 苦 境 を 切 り 抜<br />

けました。<br />

中 国 やインドなどのアジアの 経 済 大 国<br />

の 台 頭 によって、 世 界 のエネルギー・ヒエ<br />

ラルキーにシフトが 起 こっています。 開 発<br />

途 上 国 における 需 要 が 先 進 国 と 比 較 して<br />

急 増 しています。<br />

ヴェラはこの 機 会 をいち 早 く 捕 らえてき<br />

ています。サウジアラムコから 供 給 される<br />

アラビア 産 原 油 量 の 定 常 的 な 部 分 は 安 定<br />

する 一 方 で、 製 油 企 業 がヴェラのタンカー<br />

を 使 用 してラテン・アメリカやアフリカから<br />

原 油 を 輸 送 する 形 の 第 三 者 用 船 を 主 に、<br />

アジアに 進 出 しました。<br />

困 難 を 乗 り 越 えて<br />

革 新 的 な 管 理 ・マーケティング・ソリュー<br />

ションを 用 いることで、ヴェラは「 不 況 時<br />

には 縮 小 」という 業 界 の 定 石 に 反 し、 日 量<br />

100 万 バレルを 超 える 原 油 と 石 油 製 品 を<br />

輸 送 することが 可 能 になりました。<br />

経 営 チームが 交 替 しても 事 業 ・ 貿 易 の<br />

新 しい 戦 略 の 明 確 化 は 継 続 し、その 実 行<br />

と 特 定 された 機 会 を 活 用 する 取 り 組 みが<br />

行 われてきました。<br />

「 私 達 にとって、 新 しい 機 会 となる 分 野<br />

の 特 定 と 安 定 した 業 績 の 維 持 は、 常 時 進<br />

行 し 進 化 するプロセスです。」(グセイエル<br />

社 長 兼 CEO)<br />

1988 年 、 米 国 の 製 油 所 合 弁 事 業 への<br />

投 資 をサウジアラムコが 決 定 すると、ヴェ<br />

ラの 役 割 は 拡 大 しました。 世 界 最 大 のエ<br />

ネルギー 市 場 に 輸 送 しなければならない<br />

アラビア 産 原 油 の 量 が 増 加 するためです。<br />

当 時 、ヴェラには 自 社 所 有 のタンカーが 不<br />

足 しており、スポット 市 場 では 用 船 する 必<br />

要 がありました。そのため、 市 場 の 揺 れや<br />

国 際 市 場 における 用 船 料 金 の 変 動 に 影 響<br />

を 受 けていました。<br />

したがって、1990 年 代 に 入 ると 自 社<br />

所 有 船 舶 を 増 やし、 自 社 で 運 航 を 管 理 す<br />

るという 思 い 切 った 事 業 計 画 を 策 定 しま<br />

した。1991 年 には 3 隻 のタンカーを 購<br />

下 : アジアを 中 心 として 世 界 各 地 に 原 油 と 石 油<br />

製 品 をタンカーで 輸 送 。ヴェラ・インターナショ<br />

ナル・マリーンのタンカーに 着 陸 するサウジアラ<br />

ムコのヘリコプター。<br />

14<br />

Dimensions International


サウジアラムコの 役 員 で 構 成 されているヴェラ・インターナショナル・マリーンの 取 締 役 会 ( 左 から): マジン・スノバー(Mazen Snobar)サウジアラムコ<br />

産 業 サービス 担 当 エグゼクティブ・ディレクター、フーダ・ゴーソン(Huda Ghoson) 同 研 修 ・キャリア 開 発 担 当 統 括 部 長 、カーリッド・G・アル・ブアイナイン<br />

(Khalid G. Al-Buainain) 同 精 製 ・マーケティング・ 国 際 担 当 上 級 副 社 長 、モハメッド・S・アル・グセイエル(Mohammed S. Al-Gusaier)ヴェラ 社 長<br />

兼 CEO、サレ・ M .ヘラキー(Saleh M Heraky) 財 務 担 当 部 長 。<br />

入 し、1992 年 には 新 造 の 一 重 船 体 構 造<br />

VLCC タンカーを 15 隻 発 注 。 日 本 、 韓<br />

国 、デンマークで 建 造 されたこれら 15 隻<br />

の VLCC は1993 年 から 1995 年 にかけ<br />

て 納 入 され、ヴェラは 石 油 輸 送 の 世 界 大 手<br />

となりました。 現 在 これらのタンカーは 耐<br />

用 寿 命 が 尽 きかけているものの、 事 故 を 起<br />

こしたこともなく、 長 年 に 渡 ってヴェラの 業<br />

績 に 貢 献 してきました。2010 年 には 海 運<br />

業 界 の 変 化 を 反 映 して、 最 後 に 購 入 した 一<br />

重 船 体 構 造 タンカーを 売 却 しましたが、3<br />

隻 の 一 重 船 体 構 造 タンカーが 残 り、 国 内<br />

での 貯 蔵 やシャトル 輸 送 で 使 用 されること<br />

になっています。<br />

ヴェラは、 所 有 船 舶 数 が 増 えるにつれ<br />

て、サウジアラムコの 原 油 輸 送 以 外 にもビ<br />

ジネス・チャンスを 求 めるようになりまし<br />

た。1995 年 から 1996 年 までの 期 間 に、<br />

もともと 期 間 用 船 のタンカーを 使 用 して<br />

第 三 者 への 用 船 を 開 始 し、 直 後 に 所 有 す<br />

る VLCC もスポット 用 船 事 業 に 使 用 する<br />

ようになりました。その 後 の 10 年 内 に、<br />

ヴェラのタンカー 航 路 に 対 する「 目 的 地 制<br />

限 」が 解 除 され、アジアとインドを 中 心 とす<br />

る 国 際 グローバル 市 場 への 参 入 が 可 能 に<br />

なります。<br />

2010 年 末 までに、 合 計 14 隻 の 二 重<br />

船 体 構 造 VLCC を 所 有 ・ 運 航 することに<br />

なり、 今 年 だけでも 韓 国 の 造 船 会 社 であ<br />

る 大 宇 から VLCC 4 隻 が 納 入 される 予<br />

定 です。<br />

「 当 社 では 新 しいマイルストーンを 達<br />

成 すると 直 ちに 目 標 を 高 く 設 定 します」と<br />

グセイエル 社 長 兼 CEO は Dimensions<br />

International に 語 りました。<br />

安 全 での 妥 協 なし<br />

「 安 全 、 安 全 、 安 全 を、 会 社 のトップから 一<br />

般 社 員 まで、 事 業 のあらゆる 側 面 で 重 視 し<br />

ています。」(グセイエル 社 長 兼 CEO)<br />

運 航 の 安 全 と 並 んで、 保 安 と 海 洋 産 業<br />

の 責 任 ある 企 業 市 民 となることへの 専 心<br />

が、ヴェラの 最 優 先 事 項 であるとも 同 氏 は<br />

述 べました。<br />

光 り 輝 くスター<br />

ヴェラはその 海 運 業 の 伝 統<br />

に 相 応 しい 船 名 を 探 すに<br />

当 たって、 昔 の 船 乗 りと 同<br />

じく 星 を 見 ました。りゅうこつ 座 は 南<br />

半 球 の 夜 空 にあり、 映 画 『アルゴ 探<br />

検 隊 の 大 冒 険 ― 黄 金 の 羊 の 皮 を 求<br />

めて』でも 有 名 です。りゅうこつ 座 は、<br />

もともと 帆 座 (ヴェラ 座 )として 知 ら<br />

れるようになりました。<br />

偶 然 にも、ラテン 語 の「ヴェラ」は<br />

「 航 海 する」という 意 味 です。またヴ<br />

ェラの 社 歴 における 最 初 の 重 大 事<br />

は、1988 年 の「スター」エンタープ<br />

ライズ(Star Enterprses)の 設 立<br />

でした。<br />

ヴェラが 所 有 する 船 舶 は 全 て、<br />

帆 座 の 星 から 名 前 が 付 けられてい<br />

ます。<br />

2010 年 秋 / 冬 号 15


設 立 以 来 、タンカーの ヴェラのタンカーは 全<br />

乗 組 員 から 役 員 まで、 安 全 てが 超 大 型 。 右 は、ヴ<br />

ェラのタンカー 用 の 巨<br />

と 信 頼 性 を 重 視 する 姿 勢<br />

大 なスクリューを 扱 う<br />

が 企 業 風 土 に 根 付 いてい 造 船 会 社 の 社 員 。 同 社<br />

ます。また、 会 社 の 規 模 が の 船 舶 のほとんどはア<br />

ジアの 大 手 造 船 会 社<br />

大 きくなっても、 業 界 での<br />

が 建 造 。<br />

優 位 性 を 保 つために 厳 格<br />

な 管 理 ・ 方 法 を 継 続 して<br />

実 施 。<br />

「 内 省 的 と 言 えるかも<br />

しれませんし、 自 分 自 身 に<br />

厳 しすぎると 言 う 人 もいるでしょう。」(グセ 運 航 面 で 事 故 に 繋 がりかねないリスクの<br />

イエル 社 長 兼 CEO)<br />

排 除 を 図 ります。<br />

ヴェラは、 業 界 で 勝 ち 続 けるために「 行 1993 年 には、 国 際 標 準 化 機 構 ( 品 質<br />

動 に 基 づく 安 全 」 手 順 を 導 入 しており、 研 管 理 システムと 製 品 搬 送 に 関 する 国 際 認<br />

修 担 当 者 がタンカーに 乗 り 込 んで、 船 上 で 証 )の ISO-9000 規 格 を 全 社 的 かつ 完 全<br />

訓 練 を 行 います。 乗 組 員 と 高 級 船 員 双 方 に 遵 守 するためのプログラムを 設 定 。 国<br />

が 作 業 のやり 方 を 観 察 し、 互 いに 建 設 的 な 際 海 上 機 構 が 制 定 した 国 際 安 全 管 理 規<br />

フィードバックを 行 うことによって、 安 全 と 約 (ISM)にも 準 拠 しています。この 規 約 の<br />

目 的 は、 海 上 での 安 全 確 保 、 傷 害 事 故 や<br />

死 亡 事 故 の 防 止 、 環 境 被 害 、 特 に 海 洋 環<br />

境 と 資 産 の 被 害 防 止 にあります。<br />

また、 品 質 水 準 を 維 持 するために、 社 員<br />

のキャリアを 通 じて 研 修 と 再 研 修 を 定 期<br />

的 に 実 施 しており、 社 員 はヴェラ・ファミリ<br />

ーの 一 員 になると、 長 期 間 の 就 労 が 普 通<br />

になっています( 補 足 記 事 を 参 照 )。<br />

1<br />

,000 人 を 超 えるヴェラ・インターナ<br />

ショナル・マリーンの 社 員 の 経 歴 は<br />

様 々で、 世 界 各 国 の 出 身 者 が 揃 っていま<br />

す。Dimensions International はその<br />

うちの 3 名 にインタビューしました。<br />

働 きつつ 学 ぶ<br />

アブドルアジズ・サブリ(Abdula ziz Sabri)<br />

海 洋 船 団 運 航 上 級 マネージャー<br />

「 入 社 したときは、 石 油 タンカーはもちろん、<br />

船 の 知 識 はほとんどありませんでした。」<br />

1989 年 2 月 に 大 学 を 卒 業 後 、サウジア<br />

ラムコの 研 究 開 発 センターに 加 わったアブド<br />

ルアジズさんは、7 年 後 の 1996 年 にヴェラ<br />

に 応 募 しました。ヴェラに 入 社 す<br />

ると、 世 界 各 地 に 赴 くことになると<br />

は 思 ってもいませんでした。<br />

入 社 当 初 は 航 海 プログラムで<br />

2 年 間 船 に 乗 り、ヴェラのジッダ<br />

事 務 所 で 海 洋 管 理 者 を 務 めた 後 、<br />

ドバイの 事 務 所 に 配 属 されて、 原<br />

全 員 がヴェラ・ファミリー<br />

油 タンカー(VLCC) 船 団 担 当 の 上 級 管 理 者<br />

に 昇 進 しました。<br />

2002 年 半 ば、アブドルアジズさんは 韓<br />

国 の 巨 濟 (ゴゼド) 島 にある 大 宇 造 船 海 洋<br />

(DSME)に、ヴェラの 現 場 マネージャーとし<br />

て 派 遣 され、これがキャリアの 転 機 となりま<br />

す。 昇 進 には 大 きな 責 任 が 伴 いました。アブ<br />

ドルアジズさんの 仕 事 は、 大 宇 に 発 注 された<br />

ヴェラのタンカーが 会 社 の 仕 様 に 基 づいて<br />

正 しく 建 造 され、 国 際 規 制 ・ 基 準 を 満 たして<br />

いることの 確 認 でした。<br />

「この 業 界 、 国 際 海 運 規 定 、 進 化 する 技<br />

術 の 様 々な 側 面 を 学 ぶ 機 会 に 恵 まれました。<br />

」とアブドルアジズさんは 言 います。「 韓 国 で<br />

は 10 カ 月 で 巨 大 な 船 が 完 成 する 様 子 を 見<br />

て 驚 きました。」<br />

大 宇 の 工 場 での 造 船 作 業 の 監 督 はやり<br />

がいと 得 るものが 大 きな 経 験 で、 特 に 船 が 納<br />

入 されたときは 感 動 したと 言 うアブドルアジ<br />

ズさん。 韓 国 で 働 き、 生 活 することで、 世 界<br />

各 地 出 身 の 人 々との 出 会 いがありました。<br />

「 全 く 退 屈 しませんでした。 妻 と 3 人 の<br />

子 供 達 も 様 々な 文 化 に 触 れる 体 験 を 楽 しん<br />

でいましたし、 巨 濟 では 誰 もがお 互 いを 気<br />

遣 う、コミュミティーの 同 胞 の 精 神 が 生 まれ<br />

ました。」<br />

「もちろん、 最 初 は 新 しい 環 境 に 移 り 住<br />

むのは 大 変 でしたが、 乗 り 越 えました。 韓 国<br />

語 を 覚 えようとしたのです<br />

が、 子 供 達 の 方 が 上 達 した<br />

のです。」<br />

アブドルアジズさんは<br />

2008 年 12 月 に 韓 国 での<br />

任 務 を 完 了 し、 現 在 は A 船<br />

団 の 上 級 監 督 者 です。<br />

訪 れた 若 者 達 にヴェラを 隅 々まで<br />

紹 介 するデイブ・ヒンクス(Dave<br />

Hinks) 船 長 の 船 乗 りとしてのキャリ<br />

アは 39 年 。イギリスのチェシェアー<br />

にあるネストン・カントリー 小 学 校 の<br />

公 式 大 使 を 務 める。<br />

退 屈 知 らずデイブ・ヒンクス<br />

(Dave Hinks) 船 長<br />

デイブ 船 長 は、 英 国 海 軍 、シ<br />

ェル 石 油 (Shell)で 17 年<br />

間 、モービル(Mobil)に 短 期<br />

間 勤 めた 後 、1994 年 にヴェ<br />

ラに 入 社 しました。<br />

16<br />

Dimensions International


業 界 のパイオニア<br />

ヴェラはその 短 い 社 歴 の 中 で、 古 くから 操<br />

業 している 他 社 が 羨 むような、タンカー 業<br />

界 のアカデミー 賞 やグラミー 賞 とも 言 える<br />

数 々の 栄 誉 と 賞 を 獲 得 してきました。<br />

揮 発 性 有 機 化 合 物 (VOC)を 船 上 か<br />

ら 除 去 して、 大 気 中 への 有 害 な 蒸 気 放 出<br />

を 防 止 する 恒 久 的 船 上 システムを 他 社 に<br />

先 駆 けて 設 置 、 試 験 、 使 用 し、 環 境 問 題 対<br />

策 に 寄 与 しています。 環 境 的 に 安 全 なシ<br />

リコンベースの 汚 物 除 去 コーティングを<br />

VLCC で 最 初 に 使 用 したのもヴェラです。<br />

保 安 分 野 では、タンカー 会 社 として 世<br />

界 で 最 初 に「 国 際 航 海 船 舶 及 び 国 際 港 湾<br />

施 設 の 保 安 の 確 保 に 関 する 国 際 規 則 」を<br />

実 施 するとともに、 米 国 の 警 察 機 構 の 関 与<br />

のもと 米 国 のメキシコ 湾 で 保 安 訓 練 を 行<br />

いました。<br />

業 界 標 準 の 向 上 にも 積 極 的 で、タンカ<br />

ーの 所 有 者 兼 用 船 主 として 初 めて、 用 船 ま<br />

たは 運 航 している 一 重 船 体 構 造 タンカー<br />

を 25 年 間 で 段 階 的 に 廃 止 する 規 則 を 導<br />

入 。その 以 後 、この 手 順 は 業 界 ・ 国 際 規 制<br />

基 準 となっています。<br />

昨 年 は、 所 有 する 船 舶 のうち 22 隻 が<br />

環 境 成 果 賞 を、19 隻 が 米 国 の 海 運 会 議<br />

所 のジョーンズ・F・デブリン 安 全 賞 を 受<br />

賞 しました。<br />

環 境 成 果 賞 は、 環 境 的 に 優 れた 運 航<br />

を 行 っている 船 舶 を 対 象 としており、 各 船<br />

舶 が 海 上 汚 染 防 止 条 約 (MARPOL)に 完<br />

全 に 準 拠 していることが 要 件 です。ジョー<br />

ンズ・F・デブリン 安<br />

全 賞 は、 休 業 を 伴 う<br />

災 害 を 起 こさず 2<br />

年 間 運 航 した 船 舶 に 授 与 されます。 昨 年<br />

はこれ 以 外 にも、Informal Tanker Officers<br />

(Operators) Safety Forum( 非 公 式<br />

タンカーオフィサーズ(オペレーターズ) 安<br />

全 フォーラム)により、タンカー 業 界 で 最 も<br />

安 全 な 会 社 として 表 彰 されました。<br />

ヴェラは、 厳 格 な 安 全 対 策 と 細 部 への<br />

細 心 の 注 意 によって 25 年 間 顧 客 の 支 持<br />

を 受 け 続 け、 他 の 海 運 会 社 を 競 争 力 で 上<br />

回 ることができたのです。<br />

左 :ヴェラ・インターナショナル・マリーンの 船 団 運 航 マネジャー・アブドラジズ・サ<br />

ブリ(Abdulaziz Sabri )、 社 長 兼 CEO のモハメッド・アルグセイエル(Mohammed<br />

Al-Gusaier)、コリン・テイラー(Colin Taylor) 船 長 、 船 のブリッジで。サブ<br />

リ 氏 は 1996 年 に 大 学 を 卒 業 後 、ヴェラ・インターナショナル・マリーンに 入 社 し、<br />

現 在 は 船 団 運 航 の 監 督 にあたる。 下 : 会 計 士 にキャリアアップしたヴェラ・インター<br />

ナショナル・マリーンの 元 秘 書 ネスリーン・ヘルマノ(Nesreen Hermano)。<br />

デイブさんは 船 員 として 過 ごした 約 39<br />

年 間 に、 掃 海 挺 から、 石 炭 輸 送 船 、フリゲート<br />

艦 、ガス 輸 送 船 、 超 大 型 原 油 タンカーまで、あ<br />

りとあらゆる 種 類 の 船 とタンカーに 載 りまし<br />

た。ダーダネルス 海 峡 を 抜 け、ジブラルタルの<br />

岩 を 通 り 過 ぎ、 航 海 先 はハワイ、 南 半 球 のフ<br />

ィジーとニュージーランドにまで 及 びます。<br />

ヴェラでの 15 年 間 のうち、13 年 は 船 長<br />

を 務 めました。<br />

「 人 が 最 も 孤 独 になる 場 所 ついて 聞 かれ<br />

たら、『 船 長 になって 初 めてブリッジで 過 ごす<br />

夜 にスエズ 運 河 を 15 ノットで 走 るときの 孤<br />

独 に 匹 敵 するものはない』と 答 えますね。」と<br />

デイブ 船 長 は 語 ります。<br />

6 歳 の 孫 息 子 は、デイブ 船 長 の 仕 事 は 宇<br />

宙 でクリンゴン 人 と 戦 うことだと 思 い、「スタ<br />

ーシップ 船 長 」と 呼 んでいたそうです。<br />

航 海 の 名 人 デ<br />

イブ 船 長 は、それ<br />

は 世 界 一 立 派 な<br />

仕 事 だと 胸 を 張 り<br />

ました。<br />

デイブ 船 長 は<br />

現 在 、「VALUE 行 動 に 基 づく 安 全 プロセス」<br />

の 推 進 者 として 安 全 部 を 支 援 しています。<br />

臨 時 雇 い 秘 書 から 会 計 士 に<br />

ネスリーン・ヘルマノ(Nesreen Hermano)<br />

会 計 士<br />

ヴェラに 入 社 して 13 年 のネスリーンさん<br />

は、ドバイ 新 聞 に 掲 載 されていた 求 人 広 告 に<br />

応 募 し、 最 初 は 経 理 部 の 臨 時 雇 い 秘 書 でし<br />

た。その 後 は 着 実 に 階 段 を 上 がり、1997 年<br />

に 常 任 会 計 士 となります。<br />

会 計 の 経 験 は 少 なかったものの、 当 時<br />

の 会 計 管 理 者 サ<br />

ード・M・アルオ<br />

タイビ(Saad M.<br />

Al-Otaibi) 氏 がネス<br />

リーンさんの 潜 在 能<br />

力 を 認 めて、それを<br />

高 める 機 会 を 与 え<br />

ました。<br />

ネスリーンさん<br />

はヴェラが 自 ら 変 わ<br />

ったと 言 います。 入<br />

社 したとき、 会 社 の<br />

女 性 社 員 は 4 人 だ<br />

け。 今 では 多 くの 女 性 が 働 いています。ネス<br />

リーンさんは 出 社 1 日 目 から、ここで 成 功 し<br />

たい、 様 々な 仕 事 や 作 業 をこなせることを 証<br />

明 したいというやる 気 に 満 ちていました。<br />

ヴェラはもう 1 つの 我 が 家 だと 語 るネス<br />

リーンさん。<br />

「 誰 もが 親 切 で 気 脈 に 通 じていて、コミュ<br />

ニティー 意 識 の 強 い 組 織 です。 皆 が 家 族 の<br />

一 員 だと 思 っています。」<br />

それが、ヴェラの 社 員 が 長 く 勤 める 理 由<br />

の 1 つだとネスリーンさんは 語 ります。<br />

2010 年 秋 / 冬 号 17


サウジアラビア 館 、 上 海 万 博<br />

2010 で 好 評 を 博 す<br />

18<br />

Dimensions International


190 カ 国 が 集 う 史 上 最 大 の 世 界 万<br />

博 に 押 し 寄 せた 来 訪 者<br />

中<br />

国 、 上 海 — 空 中 に 浮 かんでいるような 外 観 のサウジア<br />

ラビア 館 は、2010 年 世 界 万 博 に 参 加 した 190 カ 国 と<br />

50 の 国 際 機 関 のパビリオンの 中 でも、 一 番 人 気 の 1<br />

つでした。<br />

6 ヶ 月 (5 月 1 日 ~10 月 31 日 )の 期 間<br />

中 、 様 々なパビリオンやその 他 の 会 場 に<br />

7,000 万 人 近 くの 来 場 者 が 詰 めかけ、 史<br />

上 最 も 人 気 を 博 した 世 界 万 博 となりまし<br />

た。しかも、 開 発 途 上 国 で 初 めて 開 催 され<br />

る 公 認 の 世 界 万 博 だったのです。<br />

規 模 の 面 でも、 上 海 万 博 会 場 の 面 積<br />

は 5.28 km 2 と 万 博 史 上 最 大 。 黄 浦 江 に<br />

面 したこの 都 市 が 2002 年 に 万 博 開 催 地<br />

に 選 定 されて 以 降 、450 億 ドル 以 上 が 再<br />

整 理 に 費 やされ、 経 費 面 でも 史 上 最 高 と<br />

なりました。 上 海 市 は 黄 浦 江 の 両 沿 岸 部<br />

サウジアラビア 館 に 到 着 した 中 国 の 胡 錦 濤 国 家 主<br />

席 とサウジアラビア 自 治 省 大 臣 マンソーア・ビン・<br />

ムテブ・ビン・アブドールアジズ(Mansour bin<br />

Muteb bin Abdul-Aziz) 王 子<br />

左 : 夜 に 輝 く 美 しいウジアラビア 館 。<br />

2.6 km2 を 整 備 し、その 際 1 万 8,000<br />

世 帯 と、 従 業 員 1 万 人 の 江 南 造 船 所 を 含<br />

めた 270 棟 の 工 場 を 移 転 させています。<br />

2008 年 から 2010 年 にかけて 6 本 の 地<br />

下 鉄 の 新 路 線 が 開 通 し、Expo 2010 開<br />

会 の 前 月 には、 新 しいタクシーが 4,000<br />

台 追 加 導 入 されました。 万 博 会 場 には、<br />

各 国 のパビリオン、 彫 刻 庭 園 、ショップ、ス<br />

ポーツ・アリーナ、 空 飛 ぶ 円 盤 のような 形<br />

状 の 芸 能 センターが 林 立 しました。<br />

170 万 人 を 超 えるボランティアが 万 博<br />

主 催 者 による 訓 練 を 受 け、オリンピック・レ<br />

ベルのセキュリティ 対 策 を 導 入 。 地 下 鉄 の<br />

改 札 口 には 金 属 探 知 機 が 設 置 され、 市 内<br />

に 入 る 車 両 の 点 検 も 行 われました。<br />

2010 年 上 海 万 博 の 開 幕 を 宣 言 した<br />

中 国 の 胡 錦 濤 国 家 主 席 は、 中 国 が 世 界 的<br />

評 価 を 得 る 上 でこのイベントが 如 何 に 重<br />

要 であるかを 強 調 し、 開 幕 式 には 世 界 の<br />

指 導 者 が 多 数 出 席 しました。ジャッキー・<br />

チェン、ラン・ラン、アンドレア・ボチェッリな<br />

どの 国 際 的 スターがパフォーマンスを 披<br />

露 。その 後 の 数 カ 月 間 に、 多 数 の 中 国 、ア<br />

ジア、 世 界 の 指 導 者 と 著 名 人 が 万 博 会 場<br />

を 訪 れました。<br />

サウジアラビア 館 に 来 訪 した 世 界 の 指<br />

導 者 は、シンガポールのセッラパン・ラーマ<br />

ナータン(Sellapan Ramanathan) 大 統<br />

領 、 中 国 上 層 部 指 導 者 の 大 半 、 数 多 くのフ<br />

ォーチュン 500 社 の CEO、 外 交 安 全 保<br />

障 政 策 担 当 EU 代 表 のキャサリン・アシュ<br />

トン(Catherine Ashton) 氏 など。<br />

万 博 開 会 日 に 広 さ 7,600 m2 のサウ<br />

ジアラビア 館 を 開 館 したのは、サウジア<br />

ラビア 自 治 省 大 臣 でスポンサーでもあ<br />

るマンソーア・ビン・ムテブ・ビン・アブド<br />

ールアジズ(Mansour bin Muteb bin<br />

2010 年 秋 / 冬 号 19


Abdul-Aziz) 王 子 です。サウジアラビア<br />

建 国 記 念 日 の 9 月 23 日 にも、マンソーア<br />

王 子 は 在 中 サウジ 大 使 であるヤーヤ・アル<br />

ザイド(Yahya Al-Zaid) 氏 とともに、パビ<br />

リオンの 屋 上 オアシスで 来 賓 を 出 迎 えて<br />

います。 建 国 記 念 日 は 通 常 、 中 国 の 首 都<br />

である 北 京 で 祝 賀 されますが、 万 博 でサウ<br />

ジアラビア 館 が 好 評 を 博 していたため、 上<br />

海 のパビリオンで 祝 賀 会 が 行 われること<br />

になりました。<br />

サウジアラビアから 上 海 にやって 来 た<br />

伝 統 音 楽 家 と 演 奏 者 が、サウジアラビア<br />

館 で 行 われた 建 国 念 日 夜 の 祝 賀 イベント<br />

で 300 人 の 来 賓 をもてなし、 中 国 の 伝 統<br />

音 楽 の 演 奏 家 もステージに 加 わりました。<br />

前 日 の 青 年 フォーラムに 参 加 したサウジア<br />

ラビアと 中 国 の 学 生 達 も、フォーラムでサ<br />

ウジアラビアのアブドゥラ 王 、 中 国 国 家 主<br />

席 、 国 連 の 潘 基 文 事 務 総 長 宛 に 書 いた 手<br />

紙 を 読 み 上 げ、 平 和 と 繁 栄 の 未 来 の 世 界<br />

実 現 を 訴 えました。<br />

1851 年 のロンドン 大 博 覧 会 の 際 に 産<br />

業 革 命 進 展 の 強 調 を 目 的 に 建 築 されたク<br />

リスタル・パレス、1889 年 のパリ 国 際 博<br />

覧 会 で 入 場 用 アーチとして 建 設 されたエッ<br />

フェル 塔 と 同 様 に、 万 博 の 閉 会 後 も 5 つ<br />

のパビリオンが 上 海 の 恒 久 的 建 造 物 とな<br />

る 予 定 です。 残 す 万 博 パビリオンの 最 終<br />

決 定 はまだ 報 道 されていませんが、 建 築 物<br />

としての 優 れた 特<br />

徴 、 高 度 な 技 術 、 文<br />

化 を 示 すものとして<br />

自 国 のパビリオン<br />

が 残 されることを 多<br />

くの 国 々が 望 んで<br />

います。<br />

もちろん、ユニ<br />

ークで 人 気 を 集 めたサウジアラビア 館 も<br />

候 補 になるでしょうが、 他 にも 見 事 なパビ<br />

リオンが 多 数 あり、ライバルになると 思 わ<br />

れます。<br />

候 補 にならないことも 考 えられますが、<br />

中 国 館 は 手 強 い 相 手 です。ピラミッドを 逆<br />

さにした 構 造 で、 色 は 真 っ 赤 。 壮 麗 な 外 観<br />

で、2000 年 の 歴 史 を 持 つ 中 国 建 築 伝 統<br />

の 咬 み 合 わせと 層 をなす 腕 木 が 用 いられ<br />

ています。その 輪 郭 は<br />

中 国 人 の 精 神 と 気 質<br />

を 表 わし、 古 代 から 行<br />

われてきた 都 市 開 発<br />

の 成 果 がパビリオン<br />

の 中 心 テーマです。<br />

最 も 革 新 的 なパビ<br />

リオンは、おそらく 英<br />

国 の「 種 子 大 聖 堂 」で<br />

す。6 万 本 以 上 の 細<br />

い 透 明 なアクリル 製<br />

の 棒 に 生 物 多 様 性 プ<br />

ロジェクトで 収 集 され<br />

た 異 なる 植 物 の 種 を<br />

埋 め 込 み、 立 方 体 を<br />

構 成 した 建 物 です。<br />

「 過 去 を 基 礎 に、 未<br />

来 を 形 作 る」をテー<br />

マとするこのパビリオ<br />

ンの 一 帯 は、1 枚 の<br />

ラッピング・ペーパー<br />

が 地 面 に 落 ち、 中 か<br />

ら 宝 石 が 顔 を 出 した<br />

様 をイメージしてデザ<br />

インされています。 夜 間 にはアクリル 棒 に<br />

組 み 込 まれた 光 源 が 発 光 し、 建 物 全 体 が<br />

輝 きます。<br />

20<br />

Dimensions International


反 対 側 から 時 計 回 り 左 : サウジアラビア 館 を 開 館 するマンソーア 王 子 ( 中 央 )。 万 博 でも 異 彩 を 放 つパビリオンの 1 つ、 無 数 のアクリル 棒 でハリネズミの<br />

ような 外 観 の 英 国 館 。サウジアラビア 館 長 モハンメド・サイード・アル・ガムディ(Mohammed Saeed Al-Ghamdi) 博 士 と 言 葉 を 交 わす、パビリオン 訪<br />

問 中 のサウジアラムコ 上 級 副 社 長 アブドルアジズ・F・アル・カイヤール(Abdulaziz F. Al-Khayyal) 氏 ( 左 から 3 番 目 )。NBA ヒューストン(テキサス<br />

州 )ロケッツに 所 属 するプロバスケットボールプレーヤー 姚 明 と 一 緒 に 来 館 した 子 供 達 。 虹 色 の Expo 2010 サウジアラビア 館 の 内 部 。<br />

2010 年 秋 / 冬 号 21


サウジアラビア 館 ― 夢 託 すムーンボート<br />

中 国 、 上 海 ― 「ムーンボート」の 形 を<br />

した 美 しいサウジアラビア 館 は 万 博 の 来<br />

場 者 の 間 で 大 変 な 人 気 となり、 館 内 を 一<br />

目 見 ようとする 人 達 が 列 をなして、 数 時<br />

間 待 ちになることもありました。<br />

5 月 1 日 の 開 幕 から 10 月 31 日 の<br />

閉 幕 までに 370 万 人 以 上 の 人 々がサウ<br />

ジアラビア 館 に 詰 めかけ、 総 訪 問 者 数 は<br />

近 くにある 真 っ 赤 な 中 国 パビリオンに 続<br />

く 第 2 位 でした。<br />

サウジアラビア 館 長 アブドゥルハミ<br />

ド・ハサン 博 士 は、「ムーンボート」のデザ<br />

インを 見 ると 陸 海 の 両 経 路 で 中 東 と 中 国<br />

を 結 ぶ「シルクロード」の 長 い 歴 史 を 思 い<br />

起 こすと 言 います。<br />

「(サウジアラビアには) 同 様 の 目 的<br />

地 に 通 じる 海 上 の 経 路 もあります。です<br />

から、サウジアラビアのムーンボートを 使<br />

って、シルク 商 人 が 通 った 古 い 海 路 に 誘<br />

うことにしました。 黄 浦 江 の 岸 から、 中 国<br />

の 友 人 達 とすべての 来 場 者 をサウジアラ<br />

ビアのバーチャル・ツアーにお 連 れしま<br />

す。」(ハサン 博 士 )<br />

7 月 31 日 、 上 海 に 本 社 がある 建 設<br />

会 社 に 勤 務 するフェン・ウェイミン(Feng<br />

Weimin)さんは、サウジアラビア 館 の 実<br />

際 の 訪 問 とサウジアラビアへのバーチャ<br />

ル・ビジターの 両 方 で 200 万 人 目 にな<br />

りました。<br />

「とても 嬉 しいです。サウジアラビア<br />

館 の 構 造 は 非 常 にモダンで、トレジャー<br />

ホール・シネマの 画 像 効 果 は 特 に 印 象<br />

的 です。」とフェンさんは 語 りました。この<br />

映 画 館 は 世 界 最 大 と 言 われる 約 150m2<br />

(1,600 平 方 フィート)の 3D IMAX ス<br />

クリーンが 特 徴 で、サウジ 観 光 ・ 遺 跡 委 員<br />

会 による 文 化 プレゼンテーションや 美 し<br />

い 短 編 映 画 などを 上 映 しました。<br />

パビリオンに 加 えて、サウジアラビア<br />

の 都 市 ミナの 展 示 も 王 国 が 後 援 しまし<br />

た。ミナはハッジとして 知 られる、 年 に 一<br />

度 のメッカへのイスラム 巡 礼 の 際 に 人 々<br />

が 拝 む 場 所 です。この 展 示 は、 特 別 万 博<br />

ゾーンでの 展 示 候 補 226 件 の 中 から 選<br />

定 された 55 件 の 都 市 プロジェクトの 1<br />

つで、 最 先 端 の 建 築 と 設 計 コンセプトの<br />

強 調 を 目 的 としていました。<br />

サウジアラビア 館 に 常 駐 したサウジア<br />

ラムコの 広 報 サポートチームのメンバー<br />

であるノーム・コング(Norm Kong)さん<br />

が、 来 訪 者 がサウジアラビア 館 で 味 わっ<br />

た 体 験 を 話 してくれました。<br />

「サウジアラビア 館 に 向 かっていく<br />

と、 遠 くに 建 物 全 体 の 輪 郭 が 見 えてきま<br />

す。ヤシの 木 を 載 せたムーンボート、パビ<br />

リオンの 頂 上 を 取 り 巻 く LED 画 面 が 見<br />

え、 王 国 のビデオ、 動 画 、 大 きなイベント<br />

の 情 報 が 映 し 出 されています。<br />

「パビリオンの 中 に 入 ると、 来 場 者 は<br />

ニューヨークのグーゲンハイム 博 物 館 を<br />

彷 彿 させる 中 央 の 吹 き 抜 けを 通 って、カ<br />

ーペット 敷 のらせん 斜 面 を 上 って 行 きま<br />

す。スピーカーからアラビアのバックグ<br />

ランド・ミュージックが 流 れ、 壁 にはめ 込 ま<br />

れたプラズマ・テレビに 短 編 の 観 光 用 フィル<br />

ムが 映 し 出 されます。『 芸 術 の 回 廊 』の 壁 に<br />

は、アラビア 書 道 作 品 がずらりと 並 びます。<br />

来 場 者 は 3 階 の『トレジャーシネマ』ま<br />

でらせん 状 の 傾 斜 路 を 上 ります。この 映 画<br />

館 は 没 入 型 のサラウンド 映 画 を 楽 しめる、サ<br />

ウジアラビア 館 独 自 のアトラクションです。<br />

「 人 を 運 ぶ」 歩 道 に 載 ると、12 分 間 魔 法 の<br />

カーペットでサウジアラビア 王 国 に 運 ばれ<br />

( 遠 くから 心 地 よいサウンドトラックが 聞 こ<br />

える )、 雄 大 な 自 然 と 人 工 都 市 の 景 観 を 見<br />

ることができます。 映 画 館 を 出 ると、もう 一<br />

度 らせん 状 の 傾 斜 路 を 上 り、もう 一 度 プラ<br />

ズマテレビと 書 道 作 品 があります。<br />

「 傾 斜 路 から 屋 外 の『 屋 上 オアシス』に<br />

出 て、ヤシの 林 ( 安 全 のため 人 造 )の 中 を 歩<br />

いて 行 くと、ベドウィン 族 の 大 きなテントが<br />

あり、 黄 浦 江 、 万 博 の 敷 地 、 他 のパビリオン、<br />

あらゆる 方 向 に 広 がる 上 海 の 360 度 のパ<br />

ノラマが 展 開 します。 中 国 パビリオンを 遮<br />

るものがないので、 枕 の 形 をした 万 博 文 化<br />

センターとともに 写 真 撮 影 の 背 景 として 人<br />

気 がありました。<br />

「 屋 上 を 一 周 してパビリオンの 中 に 戻<br />

り、 内 側 のらせん 傾 斜 路 で 1 階 まで 下 りる<br />

と、モザイク 作 りの 噴 水 があります。パビリ<br />

オンを 出 るとギフト・コーナーがあり、 無 料<br />

贈 呈 品 が 配 られ、 記 念 の 万 博 パスポートに<br />

スタンプを 押 してもらえます。」<br />

サウジアラビア 館 は 韓 国 やアラブ 首 長<br />

国 連 邦 などの 主 要 パビリオンとともに A/B<br />

区 域 にありました。<br />

万 博 ではパビリオンの 建 築 物 として<br />

の 魅 力 だけでなく、 国 の 象 徴 も 目 にする<br />

ことができました。 例 えば、デンマーク<br />

の 高 さ 約 120cm(4フィート)、 重 さ 約<br />

170kg(385ポンド)の 銅 像 「 人 魚 姫 」は 誰<br />

でも 知 っている 国 のシンボルです。デンマ<br />

ークの 作 家 ハンス・クリスチャン・アンデル<br />

センの「 人 魚 姫 」を 具 現 化 したこの 象 徴 的<br />

な 銅 像 は、1913 年 からコペンハーゲン 浜<br />

辺 の 岩 場 のアクセントとなっています。 上<br />

海 万 博 のデンマーク 館 に 空 輸 されました。<br />

万 博 余 談 : 開 催 期 間 中 に、 来 場 者 が<br />

直 接 飲 める 給 水 器 から 飲 んだ 水 の 量 は<br />

16 万 5,000 トン 以 上 。1 リットル・ボト<br />

ル 3 億 3,000 万 本 に 相 当 します。 夏 の<br />

間 異 常 な 高 温 が 続 いた<br />

ため、 世 界 規 模 で 水 の 消<br />

費 量 が 増 加 しました。<br />

万 博 開 催 期 間 中 、 万<br />

博 パビリオンのスタッフ<br />

がチームを 作 り、ワール<br />

ドカップと 並 行 してミニ・<br />

ワールドカップが 開 催 さ<br />

れました。サウジアラビ<br />

ア 館 チームは、 予 選 でス<br />

ペインに 2-1 で 負 けた<br />

にも 関 わらず、 決 勝 で 中<br />

国 館 チームを 4-2 で 下<br />

し 優 勝 。その 他 に 本 戦 ま<br />

で 勝 ち 上 がったのは、 上<br />

海 、ドイツ、フランス、イタリア、アルゼンチン<br />

のパビリオンでした。<br />

大 勢 の 子 供 達 が 訪 れた 万 博<br />

ですが、サウジアラムコの 社 員 を<br />

含 めたサウジアラビア 館 のスタッ<br />

フは 来 館 する 子 供 たちをいつも<br />

手 厚 くもてなしました。グループ<br />

でやって 来 た 障 害 を 持 つ 中 国 の<br />

子 供 達 はパビリオンで 盛 大 な 歓<br />

迎 を 受 け、 上 海 の 学 校 に 通 学 して<br />

いる 600 人 以 上 の 子 供 達 が 特<br />

別 招 待 されています。<br />

主 催 者 によれば、2010 年 万<br />

博 のテーマである「より 良 い 都<br />

市 、より 良 い 生 活 」は、「 未 来 の 都<br />

市 環 境 でより 良 い 生 活 を 求 める<br />

人 類 共 通 の 願 い」を 表 していま<br />

右 : 万 博 の 象 徴 的 な 存 在 、<br />

美 しい 中 国 館 。 印 象 的 なパビ<br />

リオンが 多 い 中 でも 際 立 つ、<br />

クラシックで 気 品 のある 赤<br />

の 色 彩 。<br />

22<br />

Dimensions International


す。「このテーマは、 将 来 の 政 策 立 案 、 都<br />

市 開 発 戦 略 、 持 続 可 能 な 開 発 に 関 する 国<br />

際 コミュニティーの 中 心 テーマでもありま<br />

す。1800 年 には、 都 市 居 住 者 は 世 界 総<br />

人 口 の 2% に 過 ぎませんでした。1950<br />

年 にはこの 数 字 が 29% に 増 加 し、2000<br />

年 には 世 界 人 口 のほぼ 半 分 が 都 市 部 に<br />

移 動 しました。 国 連 の 推 定 では、2010 年<br />

までに、 世 界 総 人 口 の 55% が 都 市 部 に<br />

集 中 します。」<br />

サウジアラビア 館 の 200 万 人 目 の 来 訪 者 とし<br />

てスタッフに 祝 福 される、 中 国 人 のフェン・ウェ<br />

イメン(Feng Weimen)さん。 左 上 : サウジ<br />

アラビア 館 の 外 に 立 つ 万 博 ボランティア。<br />

上 : The United Kingdom Pavilion,<br />

bristling with acrylic rods, was one of<br />

the more unusual of Expo pavilions.<br />

左 : The beautiful China Pavilion was<br />

an iconic presence at Expo, its classical,<br />

crimson elegance standing out<br />

among a crowd of arresting pavilions.<br />

2010 年 秋 / 冬 号 23


昨 年 、 韓 国 の 始 興 (シフン) 市 にある 京 畿 (エンギェ) 中 学 校 を 訪 問<br />

し、バスから 降 りて 歓 迎 され 嬉 しそうなダハランの 中 学 生 。 左 から<br />

ミーガン・ケアリー(Megan Kearley)、オースティン・キャンベ<br />

ル(Austin Campbell )、ジャスミン・マジドプーア(Jasmine<br />

Majdpour)。<br />

友 達 になりたい<br />

ジャムシード・ディン<br />

(Jamsheed Din)<br />

サウジアラムコの 子 供 達 、 韓 国 の 学 校 での 盛 大 な 歓<br />

迎 に 感 動<br />

韓 国 、 始 興 (シフン)— 1 台 の 観 光 バスが、 韓 国 の 美 しい 都 市 にある 京 畿 中 学 校 の 前<br />

に 停 車 しました。 外 では 何 百 人 もの 生 徒 たちが 大 声 を 上 げ、 興 奮 を 隠 しきれない 様 子 。<br />

映 画 スターを 満 載 したバスなのでしょうか。 実 はサウジアラムコ 校 (SAS)の 生 徒 たち<br />

で、 有 名 人 になったことにもうすぐ 気 づくところです。<br />

この 生 徒 たちは SAS の 13~15 歳 グループの 一 部 で、 昨 年 、 韓 国 と 日 本 への 2 週 間 の 旅 行 に 参 加<br />

し、 京 畿 中 学 校 にも 立 ち 寄 りました。<br />

この 2 年 間 、サウジアラムコの 子 供 達 は 5 カ 国 からオプションの 行 き 先 を 選 べる「SAS 王 国 脱 出<br />

(OOK) 旅 行 プログラム」の 一 環 として 韓 国 にやってきました。2009 年 は、 韓 国 の 学 校 訪 問 が 日 程 に 組<br />

み 込 まれた 最 初 の 年 でした。これが 好 評 だっため、 今 年 3 月 に 韓 国 と 日 本 に 旅 行 する 際 、 同 じ 学 校 を 再<br />

度 訪 問 することが 計 画 されました。<br />

韓 国 で 昨 年 受 けた 厚 いもてなしに 返 礼 するため、ダーラン 中 学 校 は 今 年 1 月 、10 人 の 韓 国 人 中 学 生<br />

をダーランに 招 きました。2 週 間 の 期 間 中 に 14 歳 と 15 歳 の 韓 国 生 徒 達 は、サウジアラムコの 生 徒 の 家<br />

庭 に 滞 在 しました。<br />

28 24<br />

Dimensions International


この 交 流 プログラムはサウジアラムコ 校 の 初 めての 試 み<br />

でしたが、ダーラン 中 学 校 の 管 理 スタッフであるヘザー・<br />

アベール(Heather Aberle)さんとアリス・アンダーウッド<br />

(Alice Underwood)さんの 発 案 で 実 現 しました。<br />

きっかけは、このグループが 2008 年 に 韓 国 を 訪 問 し<br />

たときの 韓 国 人 ツアー・ガイドが、2009 年 の 旅 行 で 学 校<br />

を 訪 問 してはどうかと 提 案 したことでした。アベールさんと<br />

アンダーウッドさんは 非 常 に 良 いアイデアと 思 い、 旅 行 するサ<br />

ウジアラムコの 生 徒 にとっても 良 い 機 会 になると 考 えました。し<br />

かしながら、これほどのもてなしを 受 けるとは 誰 も 思 ってもいま<br />

せんでした。<br />

バスが 校 庭 に 停 まると、ダハランの 子 供 達 はスーパースタ<br />

ー 並 みの 歓 迎 を 受 けることになりました。<br />

アベールさんはそのときのことをと 振 り 返 って 言 いまし<br />

た。「 韓 国 の 生 徒 達 は 待 ち 構 えていて、 大 声 を 上 げていまし<br />

た。ホスト・ファミリーの 子 は、 受 け 入 れる 生 徒 の 名 前 を 書<br />

いた 看 板 を 掲 げていてくれました。」<br />

この 出 迎 えの 後 、ダーランの 生 徒 は 学 校 の 特 別 演 奏 会<br />

を 観 賞 し、 韓 国 の 伝 統 音 楽 も 演 奏 されました。ホストに<br />

負 けないようにと、サウジアラムコの 子 供 達 も 韓 国 語 で 短<br />

韓 国 の 京 畿 中 学 校 に 到 着 して 間 もなく、 相 手 校 の 生 徒 たちと 肩 を 並 べるダーランの 生 徒 、キャサリ<br />

ン・ラベニュー(Catherine Lavenue)、ヘイリー・クローウェル(Hayley Crowell)、ダニエル・<br />

フォアマン(Danielle Foreman)。 写 真 下 : 新 しく 仲 間 になったハエ・ウォン(Hae Won)と ア<br />

ラーナ・エリクソン(Alana Erikson)が 万 国 共 通 のピースサイン。


い 歌 を 歌 って、 韓 国 の 新 しい 友 達 を 喜 ばせました。<br />

生 徒 の 間 では、OOK 旅 行 プログラムで 一 番 の 人 気 は 韓 国 と 日<br />

本 です。12 歳 のウィル・ラベニュー(Will Lavenue)は 2009 年<br />

の 旅 行 参 加 し、いつまでも 心 に 残 る 思 い 出 となりました。<br />

「ヨーロッパとアメリカには 行 ったことがあるので、 違 うところに<br />

行 きたかったんです。それに 姉 も 行 くことになっていたので。 本 当<br />

にびっくりしました。どうしてあんなに 親 切 にしてもらったのか 分 か<br />

りません。」とラベニューは 言 いました。<br />

明 らかな 言 語 の 壁 や 文 化 の 違 いに 関 わらず、 子 供 達 はすぐに<br />

自 然 な 絆 を 持 ち、できる 限 りの 方 法 でコミュニケーションをとり 始<br />

めました。<br />

「たとえば、 何 か 一 般 的 な 単 語 を 言 って、 次 に 物 を 指 さすので<br />

す。 英 語 の 授 業 を 受 けている 子 もいたし、 人 より 上 手 に 英 語 が 話<br />

せる 子 もいました。」とラベニューは 語 ります。「 韓 国 はよい 意 味 で<br />

上 : 韓 国 の 中 学 生 達 のダーラン 訪 問 でのハイライトの 1 つは、ダーラ<br />

ン 校 の 試 練 の 壁 登 りをこなすこと。 下 : ダハラン 校 を 訪 れた 韓 国 の 中<br />

学 生 と 成 人 リーダーを 迎 えるサウジアラムコ 校 の 責 任 者 ティム・ハンセ<br />

ン(Tim Hansen)。 右 : 伝 統 的 なアラブ 料 理 を 楽 しむ 人 たち。 左 前 か<br />

ら 時 計 回 りにヘザー・アベール(Heather Aberle)、チャエワン・ユン<br />

(Chaewan Jung)、ジェニー・イェオム(Jenny Yeom)、アリス・ア<br />

ンダーウッド(Alice Underwood)、ユーセフ・アル・ウバイド(Yousef<br />

Al Ubaid)、アムロ・ユナイドサエド(Amro JunaidSayed)。<br />

違 っていました。 生 活 様 式 や 生 活 の 仕 方 が 違<br />

うのです。」<br />

このようにして、 京 畿 校 との 間 に 新 しい 関<br />

係 が 始 まり、アベールさんとアンダーウッドさ<br />

んは 受 けた 厚 意 にお 返 しをする 方 法 を 考 え<br />

始 めました。<br />

「 韓 国 では、 大 変 なもてなしにびっくりし<br />

ました。そのとき、この 素 晴 らしい 友 人 達 を 呼<br />

ぼうと 決 めました。」とアンダーウッドさんは 言<br />

います。<br />

何 カ 月 もの 間 、ビザの 取 得 や 移 動 上 の 問<br />

題 への 対 処 で、 目 の 回 るような 準 備 に 追 われ<br />

ました。サウジアラムコ 校 の 子 供 たちは、24<br />

時 間 京 畿 校 にいただけですが、アンダーウッ<br />

ドさんとアベールさんは 韓 国 の 子 供 たちにダ<br />

ーランに 2 週 間 滞 在 してもらうことを 提 案 し<br />

ました。 素 晴 らしいことに、2 人 はこの 作 業 を<br />

すべて 勤 務 時 間 外 に 進 んでやってくれたので<br />

す。しかし、 大 きなアラムコファミリーの 支 援 は<br />

余 りあるものでした。<br />

「(SAS) 管 理 者 のティム・ハンセン 氏 やエ<br />

グゼクティブ・ディレクター( 従 業 員 関 係 ・ 研<br />

修 担 当 )のサミール・アル・トバイェブ(Samir Al Tubayyeb) 氏 の<br />

支 援 がなければ、こんなことはできませんでした。」とアンダーウッ<br />

ドさんは 語 ります。<br />

こう 付 け 加 えました。「ビザについては 心 配 でしたが、それがう<br />

26<br />

Dimensions International


サウジアラビアの 東 部 州 には 砂 岩 の 露 出 部 が 多 く、 訪 問 中 の 韓 国 生 徒 がホフ<br />

ーフとアブケイクのサウジアラムコ・コミュニティーの 間 にあるスクリブナー 渓<br />

谷 で 山 登 りを 堪 能 。<br />

まくいって 他 の 人 にも 知 れわたると、 先 生 や 親 御 さんも 進 んで 手 伝<br />

ってくれました。みんながプログラムを 支 援 しています。 唯 一 のマ<br />

イナス 面 は、 私 とヘザーが 大 変 だったということだけです。」<br />

この 2 人 はすべての 移 動 を 手 配 し、やってくる 韓 国 の 10 人 の<br />

子 供 達 が 手 厚 くもてなされ、 最 高 に 楽 しい 思 い 出 を 作 れるように<br />

準 備 しなければなりませんでした。<br />

「よそのご 家 庭 のお 子 さんを 預 かるのですから、 非 常 に 大 変 で<br />

した。ダーランのホスト・ファミリーはよく 支 援 してくれました。」とア<br />

ンダーウッドさん 語 りました。<br />

サウジアラビアに 到 着 した 韓 国 の 子 供 達 を 迎 えたのはスケジュ<br />

ールが 詰 まった 2 週 間 の 計 画 で、ダーランのサウジアラムコ 石 油 ・<br />

伝 統 展 示 館 、 近 隣 する 東 部 州 の 町 ホフーフ、 沖 合 25km にある 島<br />

国 バーレーンなど、さまざまな 場 所 を 訪 問 しました。 授 業 にも 丸 1<br />

週 間 参 加 。しかし、ハイライトは 最 も 遠 いサウジアラムコの 油 田 複<br />

合 施 設 、 巨 大 なルブ・アルハリ(エンプティー・クウォータと 呼 ばれ<br />

る 広 大 な 砂 漠 )に 立 つシェイバ 油 田 でした。<br />

アンダーウッドさんは 言 います。「 子 供 達 はそれまであんなもの<br />

を 見 たことがありませんでした。シェイバは 砂 漠 の 真 ん 中 に 立 っ<br />

ていますが、 韓 国 には 砂 漠 がありません。シェイバでのもてなしは<br />

最 高 でした。 職 員 の 皆 さんがシェイバでの 作 業 をすべて 詳 しく 見<br />

せてくれました。」<br />

韓 国 の 子 供 達 がダーラン 学 校 の 廊 下 を 歩 き 回 ると、すぐに 生 徒<br />

達 の 間 で 噂 になり、 今 度 は 彼 らが 注 目 の 的 になる 番 でした。<br />

「 毎 朝 図 書 館 で 韓 国 の 子 供 達 と 会 って 話 をしました。 最 初 は<br />

他 の 子 達 はやって 来 て 様 子 を 眺 めているだけでした。でも、そのう<br />

ちそばに 来 て、 自 己 紹 介 をするようになりました。」とアンダーウッド<br />

さんは 言 います。<br />

韓 国 の 子 供 達 の 滞 在 中 に、ダーラン 中 学 校 の 生 徒 が 何 でも 好<br />

きな 格 好 で 登 校 できる「スピリット・ウィーク」になりました。これは<br />

韓 国 の 生 徒 にとって 新 鮮 な 文 化 的 な 経 験 でした。<br />

アンダーウッドさんとアベールさんが 進 んでこの 仕 事 を 引 き 受<br />

けたのは、 世 界 の 様 々 場 所 から 来 た 子 供 達 が、サウジアラムコ 校<br />

のユニークな 環 境 を 体 験 するのを 見 たいという 思 いがあったから<br />

です。<br />

アンダーウッドさんはこう 語 りました。「 頭 に 浮 かんでくるのは、<br />

エクスポージャーという 言 葉 です。この 学 校 のカリキュラムは 内 容<br />

豊 富 ですし、 文 化 が 多 様 で、 先 生 たちも 素 晴 らしいです。」<br />

アベールさんが 言 葉 を 継 いで 言 いました。「 韓 国 の 子 供 達 に、こ<br />

の 国 の 文 化 の 多 様 性 を 見 る 機 会 を 作 ってあげているのです。あの<br />

子 達 、『ここには 世 界 中 から 人 が 集 まってきているんですね』と 言 っ<br />

ていました。」<br />

「 子 供 達 が 帰 るときには、 涙 を 流 しているお 母 さんもいました。<br />

韓 国 の 子 供 達 は 本 当 に 素 晴 らしいときを 過 ごせました。 一 生 懸 命<br />

勉 強 して、サウジアラムコで 働 きたいと 言 ってくれました。 私 達 にと<br />

っては 感 動 的 な 体 験 でした。」とアベールさん。<br />

2010 年 秋 / 冬 号 27


Our people― 人 材<br />

達 成 感 のある 人 生<br />

ダーラン — 地 球 物 理 学<br />

者 であるケラミス 博 士<br />

は、サウジアラムコでのキャリ<br />

アを 通 じ、 専 門 分 野 において<br />

数 々の 功 績 を 残 してきただけ<br />

でなく、 有 望 な 若 手 社 員 の 良<br />

き 指 導 者 として 人 材 の 育 成 に<br />

も 力 を 注 いできました。<br />

サウジアラムコの 地 球 物 理 学 技 術 チームの 主<br />

任 科 学 技 術 者 であるパノス・ケラミス(Panos<br />

Kelamis) 博 士 に 先 頃 、 米 国 物 理 探 査 学 会<br />

(SEG)の 終 身 会 員 資 格 が 授 与 される。


ケラミス 博 士 は、 会 社 の 探 査 ・ 石 油 工 学 セ<br />

ンターのアドバンスト・リサーチ・センター<br />

(EXPEC ARC) 地 球 物 理 技 術 チーム 主<br />

任 技 術 者 として、 若 手 の 地 球 物 理 学 専 門<br />

家 の 養 成 に 大 きな 影 響 を 与 える 立 場 にあ<br />

ります。 博 士 は、2009 年 に 米 国 物 理 探 査<br />

学 会 (SEG)から 終 身 会 員 賞 を 授 与 され<br />

たとき、 会 社 の 開 発 への 注 力 が 如 何 に 力<br />

になるかということを 話 しました。<br />

「この 賞 は 私 だけに 与 えられたもので<br />

はありません。サウジアラムコが、 社 員 が 自<br />

らの 分 野 で 前 進 するだけでなく、 国 際 科<br />

学 界 でリーダー 的 な 存 在 になるようにと、<br />

社 員 を 力 強 く 支 援 していることの 表 れで<br />

す。」と、ケラミス 博 士 は SEG からの 表 彰<br />

に 対 する 受 賞 スピーチで 語 りました。<br />

SEG 実 行 委 員 会 は、ケラミス 博 士 の<br />

立 派 で 自 発 的 な 社 会 奉 仕 と、 地 球 物 理 学<br />

に 対 する 科 学 と 職 業 の 両 面 での 貢 献 を<br />

評 価 し、 全 会 一 致 で 博 士 の 受 賞 を 決 定 し<br />

ました。<br />

ケラミス 博 士 は 2010 年 、ヨーロッパ<br />

地 球 物 理 学 者 ・ 技 術 者 協 会 (EAGE)か<br />

ら EAGE ナイジェル・アンツィー 賞 を 贈 ら<br />

れました。これは、 博 士 が 異 なる 性 質 の 地<br />

球 物 理 学 データ( 地 震 、 油 田 ログ、アップ<br />

ホールなど)をリンクさせて、データの 取 得<br />

と 処 理 と 解 釈 を 統 合 することに 特 別 な 注<br />

意 を 払 ったことを 表 彰 したものです。 博 士<br />

は 現 在 、EAGE 技 術 プログラム 担 当 幹 部<br />

社 員 です。<br />

ケラミス 博 士 は、この 分 野 で 有 名 な 国<br />

際 的 専 門 家 であり、 国 際 的 な 地 球 物 理 学<br />

分 野 の 学 会 (SEG、EAGE)で 活 躍 し、 国<br />

際 的 なジャーナルや 学 会 で 100 本 を 超<br />

える 技 術 論 文 を 出 版 ・ 発 表 しています。ラ<br />

ドンベースのマルチプル 消 去 技 術 に 関 す<br />

る 論 文 は、1990 年 の SEG 学 会 で 選 外 佳<br />

作 となりました。また、1999 年 の SEG 学<br />

会 論 文 では、 地 表 面 近 くの 特 性 解 析 のた<br />

めに、CFP ベースのデータ 再 計 算 技 術 を<br />

適 用 した 初 のフィールド・ケーススタディ・<br />

アプリケーションを 発 表 し、これも 選 外 佳<br />

作 。<br />

2000 年 に 発 表 した「 地 球 物 理 学 」の<br />

論 文 は、 陸 上 地 震 データ 用 の、 波 動 方 程<br />

式 に 基 づくマルチプル 消 去 技 術 の 応 用 に<br />

関 する 初 の 公 表 論 文 でした。このマルチ<br />

プル 消 去 技 術 の 研 究 に 対 し、ケラミス 博<br />

士 は 2005 年 の SEG 75 周 年 記 念 優 秀<br />

講 師 賞 を 授 与 されました。 博 士 は 世 界 の<br />

30 カ 所 以 上 で 講 演 を 行 っています。その<br />

後 、2006 年 と 2007 年 には、SEG 副 会<br />

長 に 選 出 されました。<br />

SEG の 2009 年<br />

度 会 長 であるラリ<br />

ー・ラインズ(Larry<br />

Lines) 博 士 が、 米 国 テ<br />

キサス 州 ヒューストン<br />

での SEG 2009 年<br />

アワーズ・ディナーで<br />

ケラミス 博 士 に 終 身 会<br />

員 資 格 を 授 与 。<br />

ケラミス 博<br />

士 は 地 球 物 理<br />

学 の 専 門 家 とし<br />

て、Geophysics<br />

誌 、Journal of<br />

Geophysics and<br />

Engineering 誌 、Chinese Journal of<br />

Applied Geophysics 誌 、Journal of<br />

Seismic Exploration 誌 の 編 集 委 員 を<br />

務 めています。オランダのデルフト 工 科<br />

大 学 (Technical University of Delft:<br />

略 称 TU Delft)にあるデルフト 大 学 研<br />

究 協 会 (Delphi University Research<br />

Consortium)の 諮 問 委 員 でもあります。<br />

さらに、 米 国 コロラド 州 ゴールデンのコロ<br />

ラド・スクール・オブ・マインズ(Colorado<br />

School of Mines)<br />

や、カリフォルニ<br />

ア 州 パロアルト<br />

のスタンフォード<br />

大 学 (Stanford<br />

University)などに<br />

設 立 されている、 業<br />

界 主 導 型 のコンソ<br />

ーシアムにおいて、<br />

サウジアラムコの 取<br />

組 みと 参 加 を 支 援 してきました。<br />

サウジアラムコに 1985 年 に 入 社 して<br />

以 来 、ケラミス 博 士 は 陸 上 データ 用 のマル<br />

チプル 消 去 および 地 表 付 近 の 特 性 解 析 を<br />

含 む、 複 数 の 傑 出 した 地 震 研 究 プログラム<br />

を 始 める 一 方 で、 地 表 下 の 課 題 の 新 たな<br />

ソリューションを 提 供 するために、 独 自 の<br />

研 究 を 行 ってきました。これらの 研 究 によ<br />

って、サウジアラムコは 炭 化 水 素 の 地 下 埋<br />

蔵 量 を 従 来 よりはるかに 精 密 に 把 握 でき<br />

るようになり、 埋 蔵 物 を 製 品 化 する 緻 密 な<br />

目 標 を 定 めた 戦 略 を 策 定 して、 信 頼 できる<br />

大 量 のエネルギーを 世 界 に 供 給 可 能 にな<br />

りました。<br />

ケラミス 博 士 は、サウジアラムコの 多 く<br />

の 若 手 専 門 家 の 良 き 指 導 者 であり、サウ<br />

ジアラビアの 若 手 地 球 科 学 者 の 育 成 を 目<br />

「この 受 賞 は、サウジアラ<br />

ムコが 社 員 を 強 く 支 援 して<br />

いることの 表 れです」<br />

標 とする、 会 社 の 専 門 家 育 成 プログラムの<br />

策 定 でも 活 躍 しました。また、 多 くの 若 い<br />

サウジアラビア 人 専 門 家 のための、 大 学 院<br />

( 修 士 、 博 士 )プログラムの 開 発 と 調 整 に<br />

おいて 重 要 な 役 割 を 果 たし、これらの 若 手<br />

専 門 家 は 会 社 にとって 非 常 に 貴 重 な 資 産<br />

となっています。<br />

ケラミス 博 士 はギリシャのアテネ 大 学<br />

から 理 学 士 号 ( 物 理 学 、 優 等 賞 )、イギリ<br />

ス、ロンドンのインペリアル・カレッジから<br />

理 学 修 士 号 ( 地 球 物<br />

理 学 )、カナダのアル<br />

バータ 大 学 から 博 士<br />

号 ( 地 球 物 理 学 )を<br />

授 与 されています。


サウジアラムコ<br />

Public Relations Department<br />

East Administration Building, Room 2014, C-1<br />

Dhahran 31311, <strong>Saudi</strong> Arabia<br />

World view― 世 界 の 景 色<br />

アース・トー<br />

ンズ― 大 地<br />

の 色 彩<br />

ベージュ 色 の 大 邸 宅 が 黄 褐 色 のジェ<br />

ベル( 露 出 した 砂 岩 )と 見 事 に 調 和 し<br />

ています。これは、サウジアラビア 東<br />

部 州 アルハサ 地 方 にあるアルハサ 国 立<br />

公 園 のメインゲート 近 辺 です。サウジ<br />

アラムコのビジネス・システム・アナリ<br />

ストのアッバス・H・ベクヒト(Abbas H.<br />

Bekhit)さんは 以 前 、 通 勤 のため 近 くの<br />

道 路 を 毎 日 車 で 走 りながら、 住 宅 開 発 に<br />

よってジェベルの 素 朴 な 美 しさが 損 なわれ<br />

る 前 に、 光 と 影 が 作 り 出 す 質 感 を 捕 ら<br />

えたスナップ 写 真 を 撮 りたいと 思 って<br />

いました。ところが、ベクヒトさんが 写<br />

真 を 撮 る 前 に、この 大 邸 宅 が 出 現 して<br />

しまいました。でも、 心 配 は 無 用 です。<br />

古 い 景 色 と 新 しい 外 観 は 見 事 に 調 和<br />

していました。ベクヒトさんはキャノン<br />

EOS 350D デジタル・カメラを 使 用 し<br />

て、ISO 100、シャッター 速 度 1/250 秒 、<br />

絞 り 値 f/9、 焦 点 距 離 81 ミリで 撮 影 し<br />

ました。ベクヒトさんは 当 社 の 探 査 ・<br />

生 産 事 業 部 に 勤 務 しています。

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