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希望を作る アフガニスタンの学生をAUWへ - Asian University for Women

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アジア 女 子 大 学 2010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1学 部 課 程 カリキュラムの 公 表紛 争 から 学 び、 希 望 を 作 るアフガニスタンの 学 生 をAUWへ


22010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1理 事 長 からのご 挨 拶私 たちは、アジア 女 子 大 学 (AUW)のビジョン 実 現 のために、目 覚 ましく 前 進 をしていることを 誇 りに 思 い、AUWの 活 動 を謹 んでご 報 告 させていただきます。2009 年 8 月 23 日 、アフガニスタン、 中 国 、ベトナムを 含 むアジア 中 東 地 域 の12カ 国 から300 名 の 輝 ける 若 き 女 性 たちをAUWに 迎 え 入 れました。 現 在 AUWでは2つのクラス、アクセスアカデミークラスと、 学 部 生 対 象 プログラムの 皮切 りとして 大 学 1 年 生 向 けクラスを 開 校 しています。 世 界 中 から 集 まった 有 能な 教 職 員 のサポートと 指 導 のもと、 学 生 たちは 今 、AUWの 厳 しい 教 養 課 程 をこなすべく 思 考 を 拡 げ 想 像 力 を 伸 ばしながら 猛 勉 強 をしています。AUWの 掲 げる 構 想 への 惜 しみない 国 際 的 なサポートにも 励 まされています。 世 界 中 の 皆 様 、 企 業 より 我 々の 活 動 へご 賛 同 いただいていますが、AUWのするべきことはまだ 多 く 残 っています。AUWのビジョンと 変 革 への 理 論 に 勇 気 づけられ、 我 々と 共 に 新 しい 時 代 の 女 性 の 先 駆 的 存 在 となるAUWの 若 い 学 生 たちがアジアや 世 界 の 壁 を 越 えてリーダーとなる 道 のりをサポートしていただけることを 幸 いに 思 います。アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 理 事 長ジャック・マイヤー目 次アクセスアカデミー第 1 期 生 卒 業 式 3現 地 からのレポート 4中 国 でのインターンシップ 4ドバイで 開 催 された 5「 国 境 を 越 えた 教 育 」の 国 際 学 生 会 議AUW 学 部 課 程 カリキュラムと 教 員 陣学 部 課 程 開 始 6学 習 内 容 8パクムンダム 問 題 を 幅 広 く 取 り 扱 う 10AUWコミュニティー:プロフィールシリーズAUWの 宝 物 : 11ヘンリー・ロゾフスキー 教 授 がAUWに 助 言6AUWの 学 部 課 程カリキュラム2009 年 9 月 23 日 、AUWに 通 うスリランカの学 生 全 員 (AUWにはシンハラ 族 とタミル 族 、両 民 族 の 学 生 が 在 籍 しています。)が、カウンセラーのエバンジェリーン(エバン)・エカニヤカ 氏 のワークショップに 参 加 しました。 彼女 たちはその 日 が 人 生 のターニングポイントになるとは 思 ってもいなかったことでしょう。AUWの 学 部 課 程 カリキュラムは、機 械 的 に 知 識 を 詰 め 込 むだけではなく、 理 論 的 な 思 考 力 や 学 習 し 復習 する 能 力 こそが 優 れた 高 等 教 育の 根 底 にあるべきという 強 い 信 念に 基 づき 構 成 されています。AUWとスリランカ14AUWキャンパス 建 設 12紛 争 から 学 ぶ 14スリランカの 学 生 が 分 裂 の 架 け 橋 となるアフガニスタンの 学 生 をAUWへ 18ノースウェスタン 大 学 ケロッグ 経 営 大 学 院 20元 学 長 がAUWビジネススクール 大 学 院 設 立に 加 わるガバナンスと 資 金 集 め 22グラミン 銀 行 の 融 資 を 受 けている 25女 性 たちの 娘 たちがAUWへ 入 学AUW 国 際 アドバイザー 委 員 会 27新 メンバーのご 紹 介アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 ニュースレター編 集 & 執 筆ボニー・シャイルソン18アフガニスタンの 学 生をAUWへAUWは、アフガニスタン 政 府 、brACと 提 携 し、 初 めてアフガニスタンから学 生 を 迎 え 入 れました。寄 稿ニコール・サンタマリアケイト・ミーハンマライア・スティールアザデ・プーザンド翻 訳坂 井 馨 月末 包 恭 代山 本 美 和桑 島 麻 子アジア 女 子 大 学 (AUW)についてアジア 女 子 大 学 (AUW)は、 高 等 教 育 がリ-ダ- 育 成 、ひいては、 経 済 成 長 、 社 会 ・ 政 治 的 安 定 の 実 現 にきわめて重 要 であるというアジアの 人 々の 強 い 信 念 に 基 づき、バングラデシュ 第 2の 都 市 チッタゴンに 設 立 されました。 本 大学 では、2 種 類 のアカデミックプログラムを 提 供 しています。1アクセスアカデミーは 恵 まれない 環 境 で 育 った 学 生がアジア 女 子 大 学 に 入 学 できるよう 補 習 する1 年 間 のプログラムです。 英 語 と 高 等 教 育 を 受 けるのに 必 要 な 学 問 を 教えます。2リベラルアーツ( 一 般 教 養 )と 科 学 に 焦 点 をあてた3 年 間 の 学 部 教 育 後 ( 学 士 )、 専 門 性 の 高 い2 年 間 の大 学 院 教 育 を 組 み 合 わせた 独 自 の 学 士 修 士 一 貫 プログラムを 提 供 します。 修 士 プログラムでは、アントレプレナーシップ&マネージメント 大 学 院 、 環 境 工 学 ・ 環 境 持 続 開 発 大 学 院 、 情 報 科 学 ・ 情 報 通 信 技 術 大 学 院 (iCT)、そして 法科 ・ 人 権 大 学 院 を 創 立 する 予 定 です。アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 (<strong>Asian</strong> <strong>University</strong> <strong>for</strong> <strong>Women</strong> support Foundation)はアメリカに 拠 点 をおくnPO 団 体 であり、アジア 女 子 大 学 を 支 援 するための 企 画 や 募 金 活 動 を 実 施 しています。写 真カムルール・イスラム・マニークアザデ・ポーザンドカコリ・プロドハンデザインケリー・セントピエール大 橋 怜 奈


アクセスアカデミー 報 告3アクセスアカデミー 第 1 期 生 、 涙 の 卒 業 式寄 稿 :ニコール・サンタマリア2009 年 7 月 8 日 、チッタゴンにあるホテルにてアクセスアカデミー 第 1 期 の 卒 業 式 が 行 われました。16ヶ 月 に 及 ぶ 厳 しいアジア 女 子 大学 (AUW) 学 部 課 程 入 学 準 備 プログラムは、この 式 典 を 持 って 終 了 しました。アクセスアカデミー 第 1 期 生 の 成 果 を 称 えるとともに、アクセスアカデミーを 成 功 へと 導 いた 教 職 員 、そして 学 生 たちは 互 いに 感 謝 の 意 を 述 べました。式 典 では、まずアジア 女 子 大 学 学 長 兼 副 総 長代 理 のフーネン・クー 博 士 が 開 会 の 挨 拶 をし、学 生 たちの 達 成 を 改 めて 称 えました。 挨 拶 の中 でクー 博 士 は、アクセスアカデミーの 学 生の 例 として、 当 時 は 初 歩 的 な 英 語 力 しか 持 っ「 大 学 で 受 けた 教 育 によって、 家 族 、 地 域 、そして 社 会 に変 化 をもたらすようなリーダーシップを 取 ることができるでしょう。」ていなかった 学 生 たちが、1 年 後 にはドバイや 東 京 等 にて 人 生 や 希 望 について 自 信 をもって 大 勢 の 人 に 対 して 話 せるように 上 達 したことなどを 挙 げました。そして、クー 博 士 は 残 念 ながら 式 典 に 参 加 できなかったアジア 女 子 大 学 支 援 財 団 理 事 長 のジャック・マイヤー 氏 とアジア 女 子 大 学 支 援財 団 の 代 表 兼 経 営 最 高 責 任 者 でAUWの 創 立 者でもあるカマール・アーマッド 氏 からのメッセージを 読 み 上 げました。マイヤー 氏 は、「Do not go where the path may lead; goinstead where there is no path and leave atrail( 道 がありそうなところを 進 むのではなく、 道 が 無 いところを 進 み、 足 跡 を 残 せ)」というアメリカの 詩 人 、ラルフ・ワルドー・エマーソン 氏 の 詩 を 引 用 し、 学 生 たちにこれからも 先 駆 者 的 リーダーで 居 続 けるよう 激 励しました。また、アーマッド 氏 は、 勇 敢 に 諦めることなく 努 力 し 続 けた 学 生 たち、 娘 の 教育 にあたりAUWを 信 じてくれてた 学 生 の 両親 、そしてこのプログラムの 実 現 に 欠 かせなかった 教 員 たちの 絶 え 間 ない 大 変 な 労 力 と 愛情 、 精 神 に 対 し、 感 謝 の 意 を 述 べました。式 典 には、エコノミストであり 国 際 人 権 問 題の 専 門 家 、サルマ・カン 氏 がゲストスピーカーとして 参 加 しました。 現 在 カン 氏 は、ウーマン・フォー・ウーマンという 団 体 の 代 表 を務 めています。さらに、624の 非 営 利 団 体 からなるバングラデシュの 女 性 人 権 問 題 に 取 り組 む、Coalition of beijing Plus Fiveの 代 表 とプロジェクトコーディネーターを 兼 任 しています。カン 氏 は 卒 業 生 たちに「あなたたちは希 望 に 満 ちた 将 来 を 思 い 描 く 女 性 たちのモデルです。AUWに 入 学 したとき、アジアの 女 性たちが 日 々 立 ち 向 かう 様 々な 問 題 を、 解 決 、向 上 するために 貢 献 するという 志 を 持 っていたはずです。 大 学 で 受 けた 教 育 によって、 家族 、 地 域 、そして 社 会 に 変 化 をもたらすようなリーダーシップを 取 ることができるでしょう。」と 述 べました。カン 氏 のスピーチのあと、アクセスアカデミーの 学 長 代 理 、ザリーナ・ホセイン 氏 は、 校舎 や 住 居 施 設 は 勿 論 すばらしいけれど「 建 物 はただの 建 物 」サルマ・カン 氏 に 過 ぎず、 大 学 に 活 気 をもたらしたのはそこにいる 人 々でしたと 語 りました。AUWのオペレーションディレクター、オマール・シャリーフ 氏 、クー博 士 、そしてホセイン 氏 は、 英 語 、コンピュータースキル、ロジカルシンキング、クリティカルシンキングを 学 生 たちに 教 えると 共 に、 学生 が 自 信 を 築 けるよう、16ヶ 月 に 渡 り 一 緒 に指 導 してくれた、ワールド・ティ-チ・ボランティアの 方 々に 感 謝 を 述 べました。その 後 、 生 徒 会 のメンバーたちが 教 員 たちのために、1 年 半 のアクセスアカデミープログラム 中 に 撮 影 した 写 真 をスライドショーにしてプレゼンテーションをしました。スライドショーは「ユー・レイズ・ミー・アップ(あなたが 私 を 育 ててくださった)」という 歌 とともに 作 成 されており、「You raise me upto more than i can be.(あなたたちが、 自 分自 身 で 到 達 できる 以 上 の 自 分 に 引 き 上 げてくださいました。)」という 学 生 たちから 教 員への 感 謝 の 気 持 ちが 伝 わる 歌 詞 が 含 まれていました。この 頃 から、 卒 業 式 典 計 画 委 員 会 のメンバーたちは、 涙 ぐむ 学 生 、 教 員 、そして観 客 にテイッシュを 配 るため 通 路 を 行 ったり来 たり 始 めました。教 員 たちも 学 生 たちのために 用 意 していたことがありました。 二 人 組 になり、 学 生 たちのクオリティーとしてユーモア、 勇 気 、 誠 実 さ、そして 強 さを 述 べました。アクセスアカデミーの 教 員 、エイミー・ラム 氏 は、もし 誰 かに学 生 たちの 弱 さを 指 摘 されたら、「 私 はアジア 人 女 性 として 夢 を 実 現 します。」と 立 ち 上がり 言 いなさいと、 心 を 込 めて 伝 えました。そして、 卒 業 証 書 授 与 となりました。バングラデシュ、カンボジア、インド、ネパール、パキスタン、そしてスリランカより 集 まった、129名 の 若 い 学 生 たちは 一 列 に 並 びアクセスアカデミー 終 了 を 示 す 卒 業 証 書 を 受 け 取 りました。サリー、シャワカミー、その 他 の 母 国 の 衣 装を 着 た 学 生 たちはクー 博 士 より 卒 業 証 書 を、アクセスアカデミー 初 代 エグゼクティブディレクターのデル・アフロンゼ・カダール 博 士よりAUWのロゴが 入 ったシルクのスカーフを受 け 取 りました。卒 業 式 の 閉 幕 として、アクセスアカデミーの教 員 たちからAUW 学 部 課 程 の 教 員 たちへ 学 生を 引 き 継 ぐことを 表 した「 受 け 渡 し」の 儀 式- 知 識 と 賢 明 さのシンボルである 小 さな 菩 提樹 の 木 を 渡 すこと-が 行 われました。そこでAUWの 教 員 たちは、アクセスアカデミー 第 1期 生 を 大 学 学 部 課 程 にて、 引 き 続 き 育 成 していくことを 約 束 しました。学 長 室 の 人 事 部 長 兼 卒 業 式 典 計 画 委 員 長 のアニー・スー 氏 は、 式 典 、 学 生 と 教 員 の 成 果 を喜 びました。「 立 派 な 卒 業 式 で、とても 感 動的 な1 日 でした。 学 生 たちは 誠 心 誠 意 教 育 指導 に 取 り 組 んでくれた、 敬 愛 する 教 員 たちに心 から 御 礼 を 述 べました。 式 典 は、アクセスアカデミープログラム 終 了 と、 新 たなAUW 学部 課 程 の 開 始 を 祝 うものになりました。 最 後に、 私 はこのプログラムを 成 功 へと 導 いた 全てのAUWスタッフに 心 から 御 礼 を 申 します!」とスー 氏 は 語 りました。注 釈 :アクセスアカデミーより 卒 業 した129 名の 学 生 中 128 名 がチッタゴンに 戻 り、 学 部 課 程プログラムの1 年 目 をスタートしました。フーネン・クーアジア 女 子 大 学 学 長 兼 副 総 長 代 理 が 卒 業 生 と、アクセスアカデミーの 卒 業 式 典 にて


4 2010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1現 地 からのレポートアクセスアカデミーの 元 英 語 教 師 がAUW 学 生 の 才 能 を 振 り 返 る寄 稿 :ケイト・ミーハン初 代 アクセスアカデミーの 学 生 たちは16ヶ 月間 の 在 学 期 間 を 通 じて、 自 主 研 究 などの 課 外活 動 を 行 いました。 研 究 内 容 は 学 生 が 自 己 実現 に 向 けてそれぞれ 選 択 することになっています。 例 えば、 年 間 を 通 じて 様 々なイベントを 撮 影 するアクセスアカデミー 放 送 センターのニュース 班 、 写 真 クラブ、 新 聞 クラブ、 芸術 活 動 クラブ、そして 幅 広 い 分 野 にわたるドキュメンタリープロジェクト 等 に 携 わっています。 初 代 アクセスアカデミーの 学 生 たちは与 えられた 才 能 を 存 分 に 発 揮 していました。最 終 学 期 が 迫 ると、 学 生 課 の 職 員 は 学 生 たちのこの 才 能 を 発 表 する 場 がないかと 考 え、AUWが所 在 するチッタゴンコミュニティーに 披 露 することにしました。その 結 果 、 数 名 の 熱 心 な 学 生 と 教 員 たちにより、 第 1 回 目 のオープンハウスが 企 画 されることになりました。 決 して 難 しい 事 ではなく、学 生 たちの 文 学 作 品 や 芸 術 作 品 、 写 真 を 展 示できる 場 所 を 探 し、アクセスアカデミーコミュニティー 関 係 者 や 大 学 近 隣 の 人 々に 彼 女 らの 才 能 を 観 てもらおうというのです。 演 劇 クラブには 脚 本 を 手 がけ 学 期 中 稽 古 を 重 ねた 演劇 を 披 露 してもらい、 文 化 クラブには 学 生 の出 身 国 の 料 理 を 振 る 舞 ってもらうことになりました。企 画 委 員 会 は、オープンハウスの 集 益 金 を 全て、アクセスアカデミー・サービスクラブに寄 付 することを 決 定 しました。このクラブは、チッタゴンの 貧 困 地 域 のためにもっと 力 になりたいという 学 生 たちが 立 ち 上 げたものです。企 画 委 員 会 のアドバイザーはアクセスアカデミーの 教 員 、カーリー・ブルンスイック 氏 が務 めました。コミュニティーサービスクラブのメンバーは、 多 くのスラム 地 域 や 地 元 団 体を 援 助 出 来 るようになり、 同 時 に 毎 週 土 曜 に行 っていたある 学 校 での 援 助 活 動 にも 力 を 注げるようになりました。オープンハウス 開 催 に 向 け、 試 験 中 の 多 忙 な時 期 にも 関 わらず 約 30 名 の 学 生 たちが 時 間 を割 いて 準 備 を 重 ねました。 才 能 ある 学 生 たちは 率 先 して 地 域 のレストラン、お 店 や 代 理 店に 出 向 き、イベントのくじ 引 き 用 の 景 品 を 集めました。2009 年 6 月 13 日 、 土 曜 の 正 午 、ロイヤル・ガーデン・センターにてこのオープンハウスは幕 を 開 けました。250 名 以 上 の 学 生 、 家 族 、教 員 、そして 地 元 の 人 々が 学 生 の 才 能 溢 れる作 品 を 鑑 賞 し、 演 劇 クラブによる3つの 演 劇を 楽 しみました。 訪 問 者 は 学 生 の 芸 術 性 の 高さに 感 銘 を 受 け、ある 男 性 は 学 生 の 絵 画 を 購入 したいとまで 申 し 出 たのです!その 学 生 は主 催 者 のアンジェラ・ソ-ンダースと 私 のところに 駆 け 寄 り、 作 品 の 販 売 が 可 能 であるのか 確 認 しました。 最 終 的 に 販 売 へとは 繋 がりませんでしたが、 学 生 の 喜 びははっきり 見 て取 れました。オープンハウス 終 了 時 には 皆 非 常 に 疲 れきっていましたが、 学 生 たちは 夜 9 時 まで 残 り、作 品 を 外 し 所 有 する 学 生 の 元 に 返 却 する 作 業を 手 伝 いました。このイベントにより、チッタゴンコミュニティー 内 での 関 心 が 広 がり、そして 学 生 の 中 には 自 信 が 生 まれ、 今 後 同 様のイベントが 多 く 開 催 されることを 願 っています。ケイト・ミーハンさんはアフリカ 系 アメリカ 人 &アフリカ 人 と 国 際 関 係 論 を 専 攻 し2007 年 にバージニア 大 学 で 学 士 号 を 取 得 しました。アクセスアカデミーでワールド・ティーチのボランティアとして16カ 月 間 働 き、 文 法 、 文 学 、アカデミック・リーディングとライティングを 教 え、アンジェラ・ソーンダースさんとともに 学 生 課 の 共 同 ディレクターを 務 めました。さらに 課 外 活 動 では、 写 真 クラブの 顧 問 を 務 め、 新 聞 クラブに 協 力 し、 生 徒 会 主 催 のリーダーシップ・ワーククショップの 運 営 を 助 けました。アジア 女 子 大 学 の 教 員 のボランティアをした 理 由 を 尋 ねたところ「 私 はこの 世 界 に 不 平 等 が 存 在 することに 憤 慨 し、 遺 憾に 思 っています。 最 も 怒 りを 覚 えるのは、ある 統 計 で 女 性 と 男 性 とではが 受 ける 教 育 に 大 きなギャップがあるのを 示 していることです。」と 語 ってくれました。中 国 でのインターンシップが新 しい 扉 を 開 く寄 稿 :マライア・スティ-ル多 くの 人 々にとって 着 用 しているシャツに 特 別 な 意味 はないでしょう。しかし 私 たちのシャツをどれだけ 多 くの 人 々が、 様 々な 場 所 で 生 産 したのかを 考 えてみると、ビジネス、 労 働 者 、 環 境 、 経 済 発 展 に 影響 を 与 えている 興 味 深 くて 複 雑 な 世 界 的 プロセスが見 えてきます。AUWのバングラデシュ 出 身 の 学 生 、ファエカ・ザビーンさんとシャミマ・ナズリン・リマさんは 中 国 の 仏 山 地 区 にあるエスケル・グループでインターンシップを 行 い、 専 門 的 な 技 術 を 学 びながら、これらの 問 題 について 研 究 する 素 晴 らしい 機会 に 恵 まれました。エスケル・グループのウェブサイトによると、エスケルは「 世 界 有 数 のプレミアムコットンシャツ 生 産会 社 」であり、 特 に「Tommy hilfiger、hugoboss、 brooks brothers、 Abercrombie & Fitch、nike、Lands’Endそしてmujiなどの 一 流 ブランド」の 生 産 を 行 っています。 中 国 、マレーシア、ベトナム、モーリシャス、スリランカに 生 産 設 備 をもち、「バーティカル・インテグレーション( 垂 直 統 合 )オペレーションを 行 うことで」、 繊 維 の 栽 培 から 小売 販 売 まで、 全 生 産 工 程 を 網 羅 しています。エスケルは「 環 境 負 荷 を 削 減 し、 労 働 環 境 を 向 上 する」ことによる「 倫 理 的 なビジネスの 実 践 」を 重 視 し、 工 場 がある 地 域 の 学 校 と 教 育 のサポートに 力 を 入 れています。AUW 独 自 のカリキュラムとして、 学 生 がAUWで 過ごす5 年 間 で 非 営 利 団 体 、 営 利 団 体 、アントレプレナ- 団 体 で、インターンシップを 各 1 回 ずつ 計 3 回行 うことを 必 修 にしています。AUWの 国 際 アドバイザー 委 員 会 メンバーでありYL Young エスケル 教育 財 団 ディレクターのディー・プーン 氏 がこのインターンシップを 提 供 してくれました。インターンシップは、 学 生 たちが「どのように『 垂 直 統 合 生 産 』が 行 われるか 理 解 し、 生 産 拠 点 における 工 程 に 関 して 幅 広 い 経 験 を 積 む」ことを 目 的 としていました。ザビーンさんとリマさんは、エスケル・グループが全 額 資 金 援 助 をする4 週 間 のインターンシップの 広告 をAUWでみつけ、 一 流 の 国 際 的 ビジネスの 内 部の 仕 事 を 学 びつつ、 自 身 のプロフェッショナル・スキルを 向 上 させる 機 会 を 知 り 感 激 しました。ザビーンさんの 父 親 は 衣 料 産 業 でテキスタイルデザイナー兼 プリンターとして 働 いており、ザビーンさんはこのインターンシップの 応 募 理 由 について 次 のように述 べています、「 将 来 のキャリアで 役 立 てるために、先 端 技 術 と 経 営 戦 略 を 学 ぶことで… 人 類 の 貧 困 を 発展 へと 変 えることができるでしょう…このインターンシッププログラムは 学 ぶ 場 と 働 く 場 を 提 供 することで、 私 たちインターン 生 を 教 え 導 いてくれると 思います。」。 同 様 にリマさんは、「 私 は 常 にファッションデザインと 製 造 業 について 学 びたいと 思 っていました… 国 際 的 な 会 社 で、そして 外 国 で 働 くことが 私 の 夢 でした。」と 語 っています。エスケルの 人 事 部 門 でインターンをしたザビーンさんとリマさんは、グローバルビジネスのオフィス 内で 水 準 の 高 い 仕 事 内 容 と 礼 儀 作 法 を 経 験 しました。2人 は 報 告 用 のエクセルとパワーポイントを 準 備 し、ポスターや 新 入 社 員 の 英 語 試 験 の 作 成 を 手 伝 い、リサーチの 実 施 を 行 いました。リマさんは 自 身 を「プロフェッショナルの1 人 」だと 感 じ、 同 僚 が「 私 たちのパフォーマンスを 喜 んでくれた」ことに 満 足 しました。ザビーンさんはビザの 関 係 上 インターンシップを3 週 間 で 終 了 せざるを 得 なかったことを 残 念に 思 っています。


アクセスアカデミー 報 告5ザビーンさんとリマさんにとって、 言 葉 の 違 いは 課題 でしたが、2 人 の 英 語 力 は 素 晴 らしく 英 語 を 使 って 友 達 を 作 ったり、コミュニティーに 貢 献 したりすることができました。エスケルは 夏 のインターン 生に 地 元 の 教 師 による 英 語 の 授 業 を 提 供 しますが、ザビーンさんとリマさんの 英 語 がとても 上 手 だったので、エスケルは2 人 に 他 のインターン 生 の 英 語 指 導を 依 頼 しました。リマさんは 他 のインターン 生 とともに 仕 事 することで、 中 国 の 文 化 を 学 び、 異 文 化 の友 人 関 係 を 構 築 することができたと 言 います。「22人 の 他 のインターン 生 は、 私 たちがインターンシップを 終 了 したときに、 私 たちに2 冊 のノートを 贈 ってくれました。ノートにはたくさんの『ありがとう』『 成 功 を 祈 っています』という 言 葉 が 記 してありました。 私 は 皆 さまの 厚 情 に 非 常 に 感 激 しました。」とリマさんは 述 べました。ザビーンさんとリマさんにとって 食 事 も 課 題 の1つでしたが、2 人 は 同 僚 の 中 国 人 と 友 達 の 助 けによって 対 処 することができました。2 人 はイスラム 教 なので、 宗 教 上 豚 肉 を 食 べることを 禁 じられていますが、ほとんどの 地 元 料 理 は 豚 肉 や 豚 の 油 が 使 われています。 幸 いにも 彼 女 たちの 指 導 者 は 特 別 な 料 理 を注 文 したり、 豚 肉 を 使 用 しない 伝 統 的 なレストランに2 人 を 連 れていったりしてくれました。そして 同僚 たちは2 人 をショッピングや 観 光 に 連 れ 出 してくれました。ザビーンさんは「 同 僚 の1 人 が 伝 統 的 な結 婚 式 のガウンをプレゼントしてくれて、 夕 食 会 でそれを 着 たとき」 特 に 感 激 をしたそうです。さらにザビーンさんは 仏 山 とチッタゴンの 相 違 についても印 象 づけられました、その 相 違 とはチッタゴンの 人々が 夜 10 時 以 降 は 大 抵 、 家 にいるのに 対 し、 中 国 では 人 々はどんなに 夜 遅 くなっても「 自 由 に 安 全 に」外 を 移 動 することができることでした。2 人 は 中 国 に 滞 在 中 、 様 々な 文 化 を 経 験 したことで、スキル、 自 信 、そしてオフィスで 経 験 する 以 上 の 収穫 を 得 ることができました。ザビーンさんは「このインターンシップは 単 に 仕 事 の 経 験 を 増 やしてくれただけでなく、 新 しい 人 々、 食 事 、 言 語 、そして 文化 に 適 応 する 機 会 を 与 えてくれました。 私 は 今 後 の休 暇 も 今 回 のように 過 ごしたいと 思 います。」と 語っています。そしてリマさんは「 私 はとても 素 晴 らしい 経 験 をすることができました。 現 在 は、 次 のインターンシップのオファーを 待 っています。AUWでインターンシップの 機 会 が 無 くても、 自 分 自 身 で 応募 をするつもりです。」と 述 べました。AUWの 学 生 国 境 を 越 えるアクセスアカデミーの 学 生 がドバイで 開 催 された 国 際 学 生 会 議 に 参 加寄 稿 :ケイト・ミーハン2009 年 3 月 、 私 はアクセスアカデミー 第 1 期 生から 選 抜 された6 名 の 学 生 と 同 僚 の 教 員 とともにドバイで 開 催 された 学 部 ・ 修 士 課 程 の 学 生 を対 象 とした 国 際 会 議 に 出 席 するという 素 晴 らしい 機 会 に 恵 まれました。「 国 境 を 越 えた 教 育 」(Education Without borders – EWb)は 高 等技 術 大 学 (higher Colleges of Technology)が2 年 に 一 度 主 催 する 国 際 学 生 会 議 で、 現 在 、 世界 が 直 面 している 最 も 大 きな 課 題 の 解 決 のために、 学 生 間 のネットワークを 構 築 することを 目的 としています。この 旅 は 私 たちにとって 初 めての 経 験 の 連 続 でした。 私 と 同 僚 の 英 語 教 員 であるアンジェラ・「アジア 女 子 大 学 で、これほど 素 晴 らしく、 印 象 的 で、積 極 的 な 代 表 グループはいなかったでしょう。」ケイト・ミーハンさんソーンダースは、 参 加 者 ではなく 付 き 添 い 役 や指 導 教 官 として 会 議 に 出 席 するのは 初 めての 経験 でした。 学 生 にとってもこのような 会 議 に 参加 するのは 初 めての 経 験 でしたし、ブラジル、南 アフリカ、マラウイなど 他 の 遠 い 国 々の 学 生たちと 会 うのも 初 めてでした。 学 生 の1 人 は 生学 会 にて 発 表 した 文 献 /プロジェクトCrystal Fernando—The Effects of the Global FinancialCrisis on Microfinance Institutions (documentary film)Marian Fernando—“Indianization of Sri Lankan Culture:Positive or Negative Cultural Exchange?” (research paper)Jasmin Kurian—“The Correlation between Child Marriageand Education Enrollment Rates in Rajasthan, India”(research paper)Renjini Thomas—“Bangladeshi Prisons and Their Effectson Early Childhood Education of Inmates’ Children”(research paper)Nasima Akter—“Alternative Education <strong>for</strong> BangladeshiStreet Children” (organization proposal)Neha Rauniyar—“Education in the Slums of Bangladesh”(organization proposal)まれて 初 めてバングラデシュから 出 て、 初 めて飛 行 機 に 乗 り、そして 初 めての 海 外 旅 行 となりました。個 人 的 には、この6 名 の 学 生 たちは 会 議 でとても素 晴 らしい 発 表 を 行 ったと 思 います。アジア 女子 大 学 (AUW)で、これほど 素 晴 らしく、 印 象的 で、 積 極 的 な 代 表 グループはいなかったでしょう。 学 生 たちは 世 界 中 から 集 まった 学 生 や 研究 者 たちとネットワークを 構 築 し、 南 アジアと東 南 アジアで 起 こっている 問 題 について 掘 り 下げた 情 報 を 伝 え、 学 会 を 通 し 強 く 訴 えました。しかしながら 学 生 が 自 身 の 国 についての 誤 解 を 修正 することや、 世 界 の 問 題 について 議 論 することを 恐 れていたわけではありません。公 平 な 視 点 と、 共 感 を 持 ち 馴 染 みのない 国 々や 地 域 についても 厳 密な 質 問 を 真 摯 に 行 いまいした。2009 年 のEWbに 参 加 した6 名 の学 生 は 以 下 の 通 りです:クリスタル・フェルナンド(スリランカ)、マリアン・フェルナンド(スリランカ)、ジャスミン・クリアン(インド)、レンジニ・トーマス(インド)、ナシマ・アクター(バングラデシュ)、ネーハ・ラウニヤー(ネパール)。 参 加 した 学 生 は 申 請書 の 提 出 、 研 究 プロジェクトの 提 出 、そしてフーネン・クー 博 士 を 含 む 委 員 会 の 面 接 を 経 て 選 抜されました。 選 抜 された6 名 の 学 生 は 研 究 プロジェクトを 執 筆 し、 研 究 プロジェクトについての考 えをまとめました。2009 年 2 月 、アクセスアカデミーはドバイEWb会 議 に 参 加 する 学 生 6 名 を 発 表 しました。 私 たちはEWbが 学 生 の 渡 航 費 を 全 額 支 援 すると 聞 き、非 常 に 感 激 しました。チッタゴンを 出 発 する 前 、たくさんの 準 備 が 必要 でした。ドバイ 行 きのビザを 申 請 し、 友 人 から 洋 服 を 借 り、 祝 賀 ディナーのエチケットをおさらいし、そして 文 化 の 違 いについて 最 終 確 認をしました。 出 発 当 日 には、50 人 ほどの 学 生 が私 たちの 乗 った 車 を 見 送 りに20m.m. Ali roadの前 のドライブウェイまで 歩 いてきて、「 気 をつけていってらっしゃい! 頑 張 ってください!お土 産 を 持 って 帰 ってください!」とエールを 送ってくれました。 私 たちは1 週 間 弱 ドバイに 滞 在する 予 定 でしたが、 自 分 たち8 人 だけではなく、多 くの 人 々が 見 守 っていてくれるような 気 がしました。 私 たちは 全 てのアクセスアカデミー 学生 とスタッフの 熱 気 と 希 望 をもってドバイに 出発 しました。学 生 たちは 緊 張 し、 国 際 会 議 でどのような 経 験をするか 全 く 想 像 もつかなかったので、アンジェラ、 私 、そして 他 の 教 師 とバングラデシュの職 員 は 非 常 に 心 配 をしていました。しかしその心 配 は 杞 憂 に 終 わりました。 初 日 の 懇 親 会 で6 名の 学 生 が、 世 界 中 から 集 まった 学 生 と 友 達 になり、 新 しくできた 知 り 合 いと 会 話 する 姿 を 目 の当 たりにしました。1 人 の 学 生 は 私 の 腕 をつかみ、 息 を 弾 ませて 言 いました。「ケイト 先 生 !会 ってほしい 人 がいます。 彼 は 南 アフリカ 出 身で、ケイト 先 生 についてもう 全 て 紹 介 しましたよ!」 急 激 な 変 化 に 目 を 見 張 りました。 数 ヶ 月前 は 大 学 の 教 室 でとてもシャイに 話 していた 学生 が 今 、ネットワークを 構 築 し、 懇 親 会 で 生 き生 きと 動 きまわっているのです。アンジェラと私 は 学 生 たちをとても 誇 らく 思 いました。 次 の3日 間 、アンジェラと 私 は 学 生 たちを 陰 から 見 守りました。一 番 感 動 したのは、この 状 況 で 全 てを 成 し 遂 げた6 名 の 学 生 の 能 力 でした。 会 議 は 非 常 に 素 晴 らしく、プレゼンテーションをした 多 くの 学 生 にとって 何 百 人 もの 観 客 の 前 で 講 演 する 初 めての機 会 でした。 最 初 のパネルデスカッションの 後 、マリアン( 学 生 の1 人 )がアンジェラと 私 に「 発表 した 内 容 と 研 究 は 素 晴 らしかったです。しかし 発 表 者 がアクセスアカデミーで 私 たちが 受 けるようなサポートが 受 ければもっと 素 晴 らしい発 表 になったでしょう。」と 言 いました。6 名 の 学 生 の 進 化 を 目 の 当 たりにして、アクセスアカデミーの 学 生 たちは 世 界 中 から 集 まった 学生 たち 同 様 に 可 能 性 を 持 ち、 多 くの 機 会 へアクセスできる 力 をもっていると 証 明 してくれました。この 会 議 はアクセスアカデミーの 教 員 をしている 中 で 最 も 感 激 した 瞬 間 でした。 我 々の 学生 は、 私 たちや、 他 の 会 議 出 席 者 、 会 議 の 主 催者 に 良 い 印 象 を 与 え、 遠 く 離 れたアクセスアカデミーで、 残 っている 学 生 についても 紹 介 を 続けていました。 会 議 に 参 加 した 学 生 はクラスメートの 代 表 を 立 派 に 務 め、このような 素 晴 らしい 国 際 会 議 で 未 来 のアジア 女 子 大 学 の 代 表 団 が活 躍 する 道 を 切 り 開 きました。


8 2010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1AUWの 学 部 課 程 カリキュラム:学 習 内 容 について人 文 科 学 科 の 学 習 内 容 :人 文 科 学 科 では1 年 目 終 了 時 までに、 分 析 する 力 、 説 明 する 能 力 、 視 覚 ・ 口 頭 の 両 方 で 表現 する 力 、すなわち、 口 頭 やテキスト 上 の 文章 をビジュアルへと 変 換 する 力 、 又 その 反 対の 作 業 を 行 う 力 など、 様 々な 手 段 による 表 現力 を 身 につけることを 目 標 としています。社 会 科 学 科 の 学 習 内 容 :社 会 科 学 科 では1 年 目 終 了 時 までに、 地 域 社会 がどのように 社 会 的 行 動 を 形 成 しているのかを 認 識 し 明 確 にする 力 を 身 につけ、 多 様 な社 会 経 済 地 位 によってもたらされる 個 人 の 思考 の 差 を 明 らかにし、 生 物 学 的 ・ 心 理 学 的 ・社 会 的 構 成 要 因 としてのジェンダー 性 を 分 析し、そしてこれらの 構 成 がどのように 個 人 や社 会 的 行 動 に 影 響 を 及 ぼすのかを 説 明 する 能力 を 養 うことを 目 標 としています。数 学 科 の 学 習 内 容 :数 学 科 では1 年 目 終 了 時 までに、 実 社 会 での経 験 を 数 字 化 することにより、 数 量 的 な 情 報の 読 み 書 きや 分 析 能 力 、 定 量 的 結 果 を 批 評 し結 論 を 導 き 出 す 力 、そしてグラフィック 計 算機 とコンピューターを 活 用 し 自 身 の 研 究 結 果を 認 証 し 情 報 を 伝 達 する 力 を 身 につけることを 目 標 としています。この 方 法 は、 職 業 教 育 に 重 点 を 置 く 地 元 の 大 学と 大 きく 異 なっているだけでなく、 西 洋 の 文 系大 学 とも 趣 向 を 異 にしています。カナダのmcGill 大 学 で 学 んだ 社 会 科 学 科 のサラ・アミン 教 授 は、アジア 女 子 大 学 (AUW)の 教 員 メンバーは 初 期 から 標 準 プロトコルの 域 を 超 越 していたと 指 摘 しています。「 成 績 を 付 けたり、 出欠 席 ・ 単 位 の 管 理 といった 一 般 大 学 で 通 常 気 にすることではなく、 学 習 に 重 点 を 置 いたカリキュラム 作 成 を 目 的 としているのです。 非 常 に 面 白 い試 みだと 思 います。」と 述 べました。「 確 かに、我 々は 独 特 の 方 法 で 作 業 を 始 めました… 最 初 にチーム 構 成 をし、それぞれが 同 じ 認 識 レベルに到 達 していることを 確 認 した 後 、 小 グループに分 かれて 我 々のカリキュラムを 組 み 立 て、どうしたらそれらを 統 合 できるかを 何 度 も 考 え 直 しました。」と、プーク 博 士 も 同 調 しています。教 員 メンバーは 異 なる 学 科 の 域 を 超 えて 調 和 の糸 口 を 探 り 出 し、 科 目 ごとの 学 習 内 容 が 重 なるように 授 業 のスケジュールを 調 整 しました。「( 統合 するための) 地 盤 は 整 っている。」とプーク博 士 は 認 めています。アミン 教 授 は「 同 じ 学 科内 だけではなく 幅 広 く 統 合 すること」がゴールだと 繰 り 返 し 述 べています。 総 合 カリキュラムの 特 異 性 のみならず、 初 期 の 計 画 段 階 から「 各 カリキュラムの 枠 を 超 えて 幅 広 く 作 成 すること」(Writing Across the Curriculum(WAC))を 推 進 しているAUWの 大 学 そのものが 独 自 性 を誇 っています。 総 合 カリキュラムを 導 入 している 多 くの 大 学 では、それに 見 合 った 教 員 たちへのトレーニングがなされていません。 一 方 AUWの 教員 陣 は、WAC 導 入 時 よりフルブライトとWACの専 門 家 から、1ヶ 月 以 上 にわたりトレーニングを受 けています。数 週 間 に 及 ぶ 濃 密 なプランニングの 後 、 学 部 課程 カリキュラムは2009 年 8 月 23 日 に 完 成 しました。プーク 博 士 は、 波 乱 の 幕 開 けとなった 最 初の 週 のクラスを 思 い 出 し「 結 構 荒 れていたわ。」と 笑 みを 浮 かべて 言 いました。しかし 教 員 陣 と学 生 たちは 学 部 課 程 のプログラム 開 始 に 興 奮 していました。 学 生 の1 人 に 以 前 の 学 習 経 験 とAUWの 違 いをと 聞 いたところ、「 比 べられるところはありません。 私 たちは 以 前 、 暗 記 しかしていなかったのですから。しかしここでは 先 生方 が 私 たちに 考 えることを 要 求 します。 今 、 私たちは 自 分 たちで 考 えることが 出 来 るのです。」と 答 えました。AUWの 教 員 メンバーは 学 生 の 学 習 力 を 広 げるた「 学 生 たちは 意 欲 的 です。 非 常 に 熱 心 で、 視 野 を 広 く 持 ち、 勉 強 に 追 いつくのが 大 変 な 学 生 も 一 所 懸 命 勉 強 しています。そこまで 大 変 でない 学 生 たちは 同 級 生 の 勉 強 を 手 伝 っています。」ポリー・プーク 博 士総 合 科 学 科 の 学 習 内 容 :総 合 科 学 科 では1 年 目 終 了 時 までに、 科 学 的思 考 を 世 界 に 応 用 する 力 、 証 拠 と 鑑 定 結 果 を識 別 する 力 、 科 学 的 根 拠 に 基 づき 意 思 決 定 する 力 、そして 現 実 社 会 における 問 題 を 証 拠 とともに 明 確 に 回 答 する 力 を 身 につけることを目 標 としています。


学 部 課 程 カリキュラム9「 皆 が 関 心 を 持 ちながら 実 践 したことがなかったこの 教 授法 は、 非 常 に 効 果 的 でした。」めに 教 室 内 で 協 力 し 合 って 指 導 しています。 結果 、3 名 の 教 員 が1つの 授 業 を 担 当 することもあり、 対 学 生 の 教 員 比 率 は 劇 的 に 上 がりました。アミン 教 授 は「 皆 が 関 心 を 持 ちながら 実 践 したことがなかったこの 教 授 法 は、 非 常 に 効 果 的 でした。」と 述 べています。教 員 陣 はさらに 実 習 方 式 の 学 習 方 法 も 積 極 的 に導 入 しました。 例 えば、プーク 博 士 は 数 学 の 授業 で 寸 法 について 教 える 際 、 学 生 たちに 自 分 の寝 室 の 長 さを 測 らせました。また、 周 辺 のビルのベランダや 屋 根 でよく 見 かけるヤモリを 観 察 する 実 験 もしました。アミン 教 授 は 社サラ・アミン 教 授 会 科 学 の 授 業 では、AUWの 周 辺 住 民 へインタビューするという 課 題 を 出 しました。「このようなインタビューは、 通 常 はプログラムの 最 終 年 次 まで 行 われないようなことです。」と言 っています。AUW 学 部 課 程 カリキュラムの1 年 目 は、 人 文 科学 、 数 学 、 社 会 科 学 、そして 総 合 科 学 があります。 春 学 期 の 最 初 には、 全 ての 科 目 でタイのパクムンダムについてのケース・スタディーを 行います。1 年 目 の 数 学 では、 学 生 は 数 学 の 基 礎 応 用 ( 論 法 ・基 礎 的 な 計 算 ・ 問 題 の 解 決 法 ・コンピューターモデリング・ 確 率 ・ 統 計 学 )を 日 常 生 活 の 状 況に 当 てはめて 学 習 します。また 学 生 自 身 の 財務 ・ 報 道 ・ 政 治 演 説 ・ 広 告 ・ 科 学 的 データのモデリングを 題 材 として 分 析 します。この 課 程 では「 数 字 を 実 際 の 経 験 に 当 てはめられる」ようになるとプーク 博 士 は 述 べています。「 彼 女 たちのほとんどは 数 学 を 勉 強 してきたし、 教 科 書の 内 容 も 理 解 しています。しかし、 数 字 が 実 際に 何 を 意 味 するのか 理 解 できていないのです…彼 女 たちが 将 来 どんな 分 野 に 進 むにせよ、 数 字の 意 味 を 理 解 し 数 量 的 に 情 報 を 評 価 する 必 要 があります。」と 言 っています。 直 近 の 課 題 は、ニュース 記 事 とその 記 事 に 関 するデータをグループで 分 析 し、これら2つの 違 いを 探 求 するというものでした。 次 の 学 期 では、 学 生 たちはパクムンダムを 流 れる 河 川 水 についてグラフを 用 いて 勉 強 する 予 定 です。社 会 科 学 の 授 業 では、 個 人 ・ジェンダー・ 社 会的 階 級 ・ 国 民 国 家 と 広 範 囲 に 焦 点 を 置 いています。 今 学 期 、 学 生 たちは 個 人 とジェンダーの 概念 を 学 習 の 基 礎 的 要 素 として 考 察 し、 個 人 と 集団 行 動 を 形 成 する 上 でジェンダーと 社 会 の 担 う役 割 を 分 析 します。 学 生 たちはさらに 利 害 関 係者 の 視 点 に 立 ってアンケート 作 る 手 順 について勉 強 しています。 来 学 期 は、パクムンダムのケースを 検 証 し、ダム 建 設 により 勃 発 した 権 力 闘争 、 水 の 所 有 権 や 強 制 移 住 の 問 題 点 、 人 種 や 民族 について 勉 強 します。総 合 科 学 の 授 業 では、 学 生 たちに 科 学 を 通 じた生 涯 学 習 を 可 能 にするための 骨 組 みを 提 供 します。また、 学 生 たちが 科 学 的 な 理 解 力 や、 社 会での 根 拠 に 基 づく 変 化 に 対 応 する 力 を 身 につけることを 目 標 としています。 秋 学 期 に 入 ると、エイズ、 汎 発 性 インフルエンザ、マラリアなど、現 実 に 発 生 し 流 行 している 薬 物 耐 性 疾 患 に 対 して 人 間 としてどの 様 に 行 動 すべきかについて 勉強 します。 学 生 は 個 々に 病 気 が 割 り 当 てられ、担 当 する 病 気 に 関 して 治 療 法 を 考 え、 視 覚 教 材を 用 いて 病 気 を 説 明 し、なぜ 薬 が 効 かないのかを 突 き 止 め、そして 実 在 するその 病 気 の 流 行 防止 策 を 作 成 します。 春 学 期 では、 水 の 循 環 について 学 ぶためにパクムンダムのケースを 取 り 上げ、 水 流 の 模 擬 実 験 を 行 い 植 物 の 成 長 における水 と 栄 養 の 影 響 について 学 びます。さらに、 学期 を 通 じて 収 集 した 科 学 的 データをもとに、パクムンダム 問 題 に 関 する 政 策 方 針 書 を 作 成 します。人 文 科 学 の 冬 学 期 の 授 業 では「 知 識 の 横 断(Traversing bodies of Knowledge)」というテーマに 基 づいて 自 己 認 識 や 自 信 の 向 上 に 力 を入 れています。 新 聞 、ビジュアルデザイン、エッセイ、 詩 、そして 短 編 小 説 を 使 った 独 創 的 な学 習 プロセスを 通 じて、 学 生 たちは 様 々な 人 文科 学 の 専 門 分 野 を 研 究 しています。クリティカルシンキングスキルを 伸 ばすために 学 生 たちは詩 や 散 文 などの 文 章 や 建 築 などのビジュアルアートの 解 釈 を 求 められます。2 学 期 目 は 個 人 から文 明 へと 視 点 を 転 換 します。


12 2010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1AUWキャンパス 建 設現 在 アジア 女 子 大 学 (AUW)はチッタゴン 市 内 にある4つの 仮 の 校 舎 にて開 校 しています。20m.m. Ali roadにある 施 設 は、アクセスアカデミーと 学 部 課 程 プログラムの 校 舎 、 住居 施 設 として 使 用 されています。しかし、 教授 ・ 学 生 数 の 年 々の 増 加 により 場 所 を 拡 大する 必 要 があります。 特 に 科 学 プログラムは適 切 な 施 設 が 不 足 しているので、 非 常 に 限 られたプログラムを 余 儀 なくされています。 舞台 芸 術 プログラムと 体 育 プログラムの 開 始は 大 学 のキャンパスが 建 築 されるまで 延 期されることになりました。AUWが2 期 目 の 学 部 課 程 クラス 開 校 準 備 を進 めるにおいて、チッタゴン 市 内 から 少 し離 れた100エーカーの 大 学 建 築 予 定 の 丘 はとても 重 要 な 場 所 です。AUWの 第 1 期 目 のキャンパスは1Aビルディングと 呼 ばれ、 残 りのキャンパス 設 備 が建 築 される 間 、160,000 平 方 フィートの「ミニキャンパス」に 大 学 の 重 要 な 校 舎 と運 営 施 設 が 収 容 されます。この 施 設 は 主 に学 習 スペースに 充 てられ、 科 学 研 究 室 とサポートスペース、 小 会 議 室 とセミナールーム、そして 学 生 と 教 員 の 共 同 スペースになる 予 定 です。1Aビルディングには 更 に 一 般図 書 や 学 術 文 献 を 所 蔵 する 図 書 室 や 情 報 センター、ティーチング&ラーニングセンター、地 域 の 保 存 記 録 、 特 別 所 蔵 本 、コンピューター&メディア・オーディオ・ビジュアル研 究 室 、グループでも 使 用 できる 高 質 なテクノロジースペース、 個 室 の 勉 強 室 、 教 職員 室 、 学 生 のラウンジと 食 堂 が 建 設 される予 定 です。 教 員 室 、 大 学 の 事 務 室 、 保 健 ・健 康 室 、300 人 を 収 容 する 食 堂 や 舞 台 ホールも 新 しい 建 物 に 含 まれます。1Aビルディングは3 階 建 てで 谷 を 見 渡 す 設計 になっています。 建 物 は「 緑 のキャンパス」として 構 成 され、 建 物 と 建 物 の 間 は 庭やコートヤードで 繋 がっています。インフラ 設 備 は 全 て 環 境 に 配 慮 され、 自 然 光 の 使用 、 温 度 調 節 の 集 中 管 理 が 行 われます。1Aビルディングとキャンパスマスタープラン( 基 本 設 計 )は 著 名 な 建 築 家 モシェ・サフディ・アソシエーツによって 設 計 されました。AUWキャンパスモデル( 上 )、チッタゴンの 仮 設 校 舎 ( 右 )次 ページ( 時 計 回 りに):キャンパスでバレーボールをする 学 生たち;AUWの 受 付 ; 大 学 のジムで 汗 を 流 す 学 生 ;AUWの 警 備 員のみなさんが 大 学 の 入 口 にて; 寮 の 自 室 でリラックスする 学 生


AUWのキャンパス 13


スリランカ15AUWのスリランカ 人 学 生 が 自 分 と逆 の 立 場 の 学 生 の 気 持 ちになって 考 える寄 稿 :マライア・スティール2009 年 9 月 23 日 、アジア 女 子 大 学 (AUW)に 通 うスリランカの 学 生 全 員 (AUWにはシンハラ 族 とタミル 族 、 両 民 族 の 学 生が 在 籍 しています。)が、カウンセラーのエバンジェリーン(エバン)・エカニヤカ 氏 のワークショップに 参 加 しました。彼 女 たちはその 日 が 人 生 のターニングポイントになるとは 思 ってもいなかったことでしょう。 数 週 間 前 から、 学 生 たちはこの 日 のために 予 算 を 組 み、 食 べ 物 やプロジェクターを 用 意 し、 音 楽 のリストを作 成 していました。 興 奮 とともに 用 意 周 到 に 準 備 は 進 められ、 食 事のメニューや 材 料 、 歌 集 を 選 んでいるうちに、 強 い 絆 も 生 まれました。シンハラ 族 とタミル 族 の 学 生 は、 同 じ 民 族 同 士 やそれぞれの 友 人 関係 の 中 での 誠 実 さの 重 要 性 について 話 し 合 う 中 で、「 相 手 のどこまで深 入 りしてもよいのか?」「どこまでなら 聞 いてもいいのか?」「 誠実 でありながら 相 手 を 傷 つけない方 法 はあるのか?」と 言 った 厳 しい 質 問 も 飛 び 交 いました。 自 身 もスリランカ 出 身 であるエバン 氏は「 私 自 身 も、 双 方 の 民 族 の 痛みや 感 情 を 自 分 に 置 き 換 えて 考える 訓 練 を 経 て、やっと 本 心 から 話 し 合 うことができるようになった。」と 語 っています。 少 なくとも10 万 人 の 犠 牲 者 と100 万 人の 難 民 を 出 した26 年 間 に 亘 る 紛争 の 後 に、シンハラ 族 とタミル 族の 学 生 が 心 を 割 って 話 し 合 うにはそれだけの 覚 悟 が 必 要 不 可 欠 だったのです。民 族 の 大 多 数 を 占 めるシンハラ 族 ( 人 口 の74%を 占 め、 大 半 は 仏 教徒 )と 少 数 派 のタミル 族 ( 人 口 の18%を 占 め、 大 半 はヒンズー 教 徒 1)の 民 族 問 題 は、 人 口 2 千 万 人 の 島 国 であるスリランカで 武 力 紛 争 へとエスカレートしていきました。1956 年 、450 年 間 にも 及 ぶヨーロッパ 支 配 の 後 、シンハラ 族 はスリランカの 政 権 を 握 り、シンハラ 語 を公 用 語 に 定 めました。 就 職 、 土 地 の 所 有 、 大 学 への 入 学 のみならず、 日々の 生 活 におけるタミル 族 への 差 別 は 日 常 化 されました。1970 年 代には、タミル 族 のリーダー 数 名 が 自 分 たちの 声 を 主 張 するためにスリランカ 島 の 北 東 部 を「タミル 族 の 本 土 」として 名 づけ、 立 ち 上 がりました。1980 年 代 以 降 になると、スリランカ 軍 とタミル 族 分 離 派であるタミールイラーム 解 放 の 虎 (LTTE)の 間 で、 民 間 人 をも 巻 き込 む 紛 争 が 始 まりました。 通 常 の 軍 隊 間 の 攻 撃 にとどまらず、シンハラ 族 とタミル 族 の 両 市 民 はバスの 中 での 銃 攻 撃 や 電 車 や 駅 構 内 での 爆 撃 、 公 共 広 場 では 手 榴 弾 、 道 路 や 農 地 では 地 雷 攻 撃 に 遭 い、そして 何 十 人 もの 政 治 家 も 暗 殺 されました。 2近 年 における 紛 争 の 激 化 と「 終 戦 」は、この 紛 争 の 複 雑 さを 物 語 っています。2009 年 5 月 、スリランカ 政 府 はLTTEのリーダーと 幹 部 たちを 殺 害 、LTTEが 壊 滅 するまで 攻 撃 を 仕 掛 けた 後 、 勝 利 宣 言 をしました。しかし、 民 族 紛 争 は 本 当 に 終 結 したのでしょうか。 多 くの 人々は、この 終 盤 の 対 立 は 両 者 ともに 残 虐 で 人 権 侵 害 を 犯 したと 申 し立 て、LTTEは 戦 地 の 狭 間 でスリランカ 軍 隊 に 対 する「 人 間 の 盾 」として 何 千 人 もの 民 間 人 を 利 用 したことを 非 難 されています。 3 一 方のスリランカ 軍 は、 捕 虜 となった 民 間 人 を 解 放 するための 停 戦 を 拒否 するなど、 多 くの 戦 争 犯 罪 が 指 摘 されています。 現 在 も20 万 人 以上 のタミル 族 が 難 民 キャンプで 暮 らし、まるで 戦 争 捕 虜 キャンプの様 な 状 態 です。 政 府 は、 市 民 に 紛 れたLTTEの 生 き 残 り 兵 士 を 捕 獲 するまではタミル 族 難 民 の 再 定 住 化 を 拒 んでいますが、 内 外 の 外 交 官らは、スリランカ 政 府 の 難 民 に 対 する 再 定 住 化 への 支 援 拒 否 と 難 民キャンプの 不 当 で 荒 れ 果 てた 環 境 は、タミル 族 の 政 府 に 対 する 怒 りをさらに 煽 り、 新 たな 紛 争 の 引 き 金 になるのではと 恐 れています。国 際 関 係 者 はいまだに 戦 闘 区 域 へ 立 ち 入 ることが 許 可 されていないため、 現 場 では 実 際 に 何 が 起 こっているのか 私 たちはうかがい 知 ることができないのです。 4スリランカのどの 地 域 に 住 んでいたかによって、この 紛 争 の 経 験 は非 常 に 異 なります。タミル 族 の 学 生 の 何 名 かは 紛 争 地 域 であったジャフナという 町 の 北 部 で 育 ち、 頻 発 する 爆 撃 、 避 難 、そして 友 人 や家 族 との 死 別 を 乗 り 越 えてきました。シンハラ 族 の 学 生 の 中 には、商 店 街 で 起 きた 爆 発 からほんの 数 分 の 差 で 逃 げ 切 り、またはこの 紛争 で 大 切 な 人 を 失 った 人 もいました。AUWに 来 ているスリランカ 人学 生 の 多 くは、タミル 族 とシンハラ 族 として 共 に 身 近 で 育 ち、 通 学し、 働 いてきましたが、AUWでは 他 の 人 種 や 文 化 とさらに 触 れ 合 った 環 境 で 暮 らしています。5 月 に「 終 戦 」を 迎 えたとき、シンハラ 族の 学 生 は 安 堵 感 を 表 しこの 国 家 的 記 念 日 を 祝 いましたが、タミル 族の 学 生 は 悲 しみを 隠 しきれませんでした。その 時 、アクセスアカデミーの 教員 たちはシンハラ 族 とタミル 族 の学 生 の 間 に 生 じた 異 なる 感 情 による 摩 擦 を 察 し、エバン 氏 にアドバイスを 求 めました。 教 員 たちにスリランカの 複 雑 な 紛 争 の 歴 史 を 説明 しながら、エバン 氏 は 学 生 たちが 個 々に 成 長 し 傷 を 癒 していく 姿を 見 ました。「 不 快 な 問 題 から 逃げるのではなく、タミル 族 の 学 生の 悲 しみを 癒 す 場 所 を 提 供 し、シエバンジェリーン(エバン)・エカニヤカ 氏 ンハラ 族 の 学 生 にはこれを 機 会 に思 いやりを 持 って 理 解 する 力 を 身につけさせてあげたい」とエバン氏 は 言 いました。 彼 女 たちは 戦 争 に 直 面 した 時 の 自 分 たちの 無 力 さ 思い 知 り、 現 実 の 中 で 無 力 の 時 に 「 何 をしたらよいか」を 考 えるに 至ったのです。そして、 戦 争 は 男 女 の 関 係 なく 人 々の 心 の 問 題 から 派 生したことを 学 んだのです。 紛 争 は 戦 場 からではなく、キッチンや 庭 、田 畑 やオフィス、そして 教 室 内 、そんな 日 常 の 中 で、 偏 見 や 先 入 観 、無 関 心 という 心 の 武 器 が 発 端 となり、 始 まるのだと 悟 りました。 銃 声が 止 めば 紛 争 は 終 わりではなく、 人 々が 勇 気 を 出 して 他 人 の 痛 みや 自分 たちの 不 平 等 さと 向 かい 合 い、お 互 いのコミュニティーについて 教えられたことを 考 え 直 す 強 さを 身 につけ、そして 私 たちの 歴 史 を 見 直 し未 来 を 立 て 直 した 時 に、 本 当 の 意 味 で 紛 争 が 終 わるのだと 知 りました。「 戦 争 は 男 女 の 関 係 なく 人 々の 心 の 問 題 から 派 生 したことを 学 んだのです。 紛 争 は 戦 場 からではなく、キッチンや 庭 、 田 畑 やオフィス、そして 教 室 内 、そんな 日 常 の 中 で、 偏 見 や 先 入 観 、 無 関 心 という 心の 武 器 が 発 端 となり、 始 まるのだと 悟 りました。 銃 声 が 止 めば 紛 争は 終 わりではなく、 人 々が 勇 気 を 出 して 他 人 の 痛 みや 自 分 たちの 不平 等 さと 向 かい 合 い、お 互 いのコミュニティーについて 教 えられたことを 考 え 直 す 強 さを 身 につけ、そして 私 たちの 歴 史 を 見 直 し 未 来 を 立て 直 した 時 に、 本 当 の 意 味 で 紛 争 が 終 わるのだと 知 りました。」左 : 寮 の 部 屋 で 勉 強 するAUWの 学 生右 :タミル 族 とシンハラ 族 学 生 が「 紛 争 から 学 ぶ」ワークショップにて。AUWは 過 去 に 多 くのワークショップ、「ストレスがなぜストレスになるのか」-ストレスにうまく 対 処 するためのコース、「sの言 語 」- 生 物 学 ・ 社 会 学 ・ジェンダーによる 宗 教 と 文 化 について 学 ぶコース、などを 開 催 しました。


16 2010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1エバン 氏 は、スリランカ 人 学 生 たちの 紛 争 経 験 を、AUWがアジアで 起 こっている 広 い 意 味 での 暴 力 問 題 についてどのように 取 り 組 むことができるのか 考える 機 会 だと 認 識 しました。「これはスリランカや 彼 女 たちだけの 紛 争 問 題ではありません。もっと 広 くて 根 深 い 暴 力 問 題 なのです。アジア 各 国 の 紛 争地 域 では 何 百 万 人 にも 上 る 女 性 たちが 影 響 を 受 けているのです。 多 くの 学 生たちが、 家 庭 や 町 中 、 地 域 や 母 国 での 紛 争 や 暴 力 に 苦 しんでいます。AUWでは、 学 生 たちに 自 立 することや 自 信 を 身 につけさせ、そして 偏 見 のない 女 性になるようにと 育 成 していますが、 学 生 たちの 家 庭 や 地 域 社 会 で 求 められている 女 性 像 とは 非 常 に 異 なり、ギャップが生 じています。AUWはそのギャップについても 問 題 提 起 する 必 要 があります。」 新 しい 旅 が 始 まったこの 問 題 を 解 決 するために、エバン 氏 は「 紛争 から 学 ぶ」というワークショップを 立 ち上 げ、 互 いに 対 立 しあうことがどの 様 にして 暴 力 そして 紛 争 へと 発 展 してしまうのか、なぜ 文 化 の 違 いが 暴 力 を 促 してしまうのか、紛 争 はスリランカ 人 女 性 にとってどんな 意味 を 持 つのかについて、 学 生 たちに 議 論 させる 場 を 作 りました。さらに 民 族 間 抗 争 や 戦 争 による 家 族 との 死 別 を 経 験 した 世 界 中 の 若 い 女 性 たちの 実 例 を 読 み 意 見 交 換 しました。エバン 氏 はこの 活動 により、 学 生 たちが「 慣 例 や 月 並 みな 考 えは 捨 て、 新 しい 発 想 で 強 い 行 動を 起 こすことが 紛 争 の 再 発 防 止 になる」ことを 学 んで 欲 しいと 望 んでいます。4時 間 にも 及 ぶ 話 し 合 いや 意 見 の 擦 り 合 わせを 終 え、 若 い 女 子 学 生 たちはスリランカの 伝 統 的 な 食 事 Kottuを 一 緒 に 作 り、そしてタミル 語 とシンハラ 語 のバイリンガルソング「baila」を 歌 い、 夜 更 けまで 踊 りました。数 人 の 学 生 たちは、エバン 氏 に 相 手 の 立 場 になった 時 のことをイメージしてみてください、と 言 われたことが 一 番 辛 かったと 言 っています。エバン 氏 は両 グループに 厳 しい 質 問 を 何 度 も 投 げかけました。「もしあなたがシンハラ族 なら、 自 分 の 言 語 を 自 由 に 母 国 で 使 えず、どこに 行 っても 犯 人 扱 いされ、そして 度 々あなたはこの 国 にいらないと 言 われるところをイメージしてみてください。もしあなたがタミル 族 なら、インドや 西 欧 諸 国 からタミル 族 はサ和 解 への 勇 気 や 真 実 と 向 き 合 う 旅苦 しみから 信 じることへ 通 じる 旅言 葉 だけではなく 実 行 への 旅 が…ポートを 受 けている 一 方 で、シンハラ 族 には 地 球 上 どこにも 自 分 の 家 と 呼 べる 場 所 がなく、 自 分 たちの 言 語 を 認 めてもらえず、そして370×150マイルの 狭 い 土 地 しか 所 有 できないという 立 場 になって 考 えたことがありますか?学 生 の1 人 、シャニカさんはこれらの 身 を 切 られる 様 な 質 問 の 後 、エバン 氏に「もし 今 まで 考 えたことが 無 かったなら、 今 すぐ 考 え 始 めなさい。」と 言われ「 私 たちは 再 び 考 え 込 み、 部 屋 は 静 まりかえりました。」と 報 告 しています。相 手 の 状 況 に 置 き 換 えて 考 えてみることは、 自 分 自 身 の 内 面 を 映 し 出 すことに 繋 がります。「シンハラ 語 が 世 界 で 少 数 言語 だと 聞 いたとき 気 の 毒 に 思 いました。シンハラ 語 を 話 す 人 々がいるのはスリランカだけです。しかし、 多 くのインド 人 そしてヨーロッパの 国 々(の 人 も 同 様 に)はタミル 語 を 話します。」と、タミル 族 の 学 生 の1 人 は 書 いてくれました。シャニカさんは「 私 は 紛 争に 対 する 考 え 方 が 変 わりました。 双 方 ともにエバン・エカニヤカ 氏良 し 悪 しはあります。 私 たちに 違 いはありますが、それは 争 わなくてはならないということではないのです」と、 最 後 に 締 めくくりました。参 加 者 の1 人 であるマヒリニさんは、 学 生 の 中 にはワークショップ 参 加 中 に感 情 的 になってしまう 人 がいるのではと 心 配 しましたが「 皆 の 忍 耐 力 は 素 晴らしかった」と 言 います。 確 かに、お 互 いの 紛 争 経 験 を 共 有 したことにより相 手 の 苦 悩 を 理 解 できるようになったのです。シャニカさんは「(タミル 族地 域 での) 犠 牲 者 数 を 聞 いたとき、 私 は 信 じられませんでした。( 死 は) 常に 私 にとっては 他 人 事 のような 感 じがしていました。どれだけ 頻 繁 に( 人 々が 死 亡 するのか) 質 問 したところ(タミル 族 にとって 死 は) 日 常 茶 飯 事 であると 答 えてくれました。タミル 族 とは 数 百 キロしか 離 れていない 場 所 で( 私は 育 ちましたが、) 私 が 家 の 中 で 母 と 一 緒 に 眠 っていた 時 、タミル 族 は 屋 外で 眠 っていたのです。なぜ 私 はそれを 知 らずにいたのでしょうか? 私 は、 数分 の 差 で 自 爆 攻 撃 から 逃 れたことが2 回 ありましたが、(タミル 族 の) 経 験はさらにひどいものでした。」AUWのスリランカ 人 学 生 がタミル・シンハラ 両 民 族 の 内 戦 体 験 について 読 む


スリランカ 17相 手 の 苦 しみを 知 った 時 、 学 生 たちは 互 いに 驚 きを 隠 せませんでした。「 人を 愛 すること、そして 失 うこと」を 知 ったタミル 族 の 学 生 は、シンハラ 族 の女 性 が 兵 士 の 恋 人 を 紛 争 で 亡 くしたという 話 を、 涙 をこらえながら 読 んでいた、とエバン 氏 は 教 えてくれました。ワークショップ 後 、 多 くの 学 生 たちは「 喜 び」や「 生 まれ 変 わった」 様 な 感情 が 湧 いてきたと 報 告 しています。その 一 方 で、AUWの 学 生 の 中 にも、 心の 底 には 差 別 や 固 定 観 念 が 存 在 することに 気 づき、 落 胆 する 学 生 もいました。ワークショップから 数 週 間 かけて、 学 生 たちは 心 の 傷 を 癒 してゆき、 次 第 に目 だった 変 化 が 表 れてきました。タミル 族 の 学 生 がシンハラ 族 の 学 生 をワークショップ2 日 後 のヒンズー 教 徒 のお 祭 りに 誘 ったのです。シンハラ 族 の 学生 は 皆 、 喜 んで 参 加 しました。それにひきかえ、ウマイヤルさんは 昨 年 のアクセスアカデミーでは「 特 定 のグループ 内 で 特 別 なイベントがあるときは(そのグループの)メンバーのみで 集 まり、 食 事 をし、そして 写 真 ( 撮 影 )をして 自 分 の 寮 に 戻 るのが 常 であり、このDhurka Poojaのお 祝 いはシンハラ族 とタミル 族 が 初 めて 一 緒 に 調 理 をして 祝 ったお 祭 りであった。」ことを 思い 出 しました。さらに、 学 生 の2 人 が 体 調 を 崩 した 際 には、タミル 族 とシンハラ 族 の 学 生 は 同 様 にAUWのヘルスセンターを 訪 ね、スリランカ 料 理 を 作りハーブティーを 淹 れて 看 病 しました。学 生 たちの 内 面 も 変 わりつつあります。 学 生 のクリスタルさんは、ワークショップ 以 前 は「 私 たちは 廊 下 で 挨 拶 する 程 度 の 仲 ではありましたが、 友 人 関係 は(それ 以 上 深 くありませんでした)。 現 在 、 私 たちはお 互 いの 経 験 を 共有 したことで、 本 当 の 意 味 で 皆 近 い 友 人 になることができました。」と 語 っています。シャニカさんも 同 様 に「ワークショップ 前 、 私 たちは 本 心 をさらけ 出 す 事 を 避 けていました。いつもただ「その 通 りです。」と 言 っているだけでした。 思 っていても 言 えない 事 ばかりでした。でも 私 たちは 今 、まるで姉 妹 のようです。」と 述 べました。ウマイヤルさんも 似 たような 感 情 を 抱 いていました。「シンハラ 族 と 一 緒 に 生 活 するのは 今 回 が 初 めてした。( 学 校が 始 まった 当 初 は) 仲 良 くありませんでした。 廊 下 で 挨 拶 したり、 授 業 で 同じグループになり 一 緒 に 勉 強 する 事 はありましたが、 今 までシンハラ 族 の 女の 子 に 自 分 の 気 持 ちを 打 ち 明 けたことはありませんでした。シンハラ 族 の 学生 も 私 に 胸 の 内 を 明 かす 事 はありませんでした。 政 治 情 勢 について 議 論 するときは、いつも 神 経 質 になっていました。しかしワークショップを 経 て、 私自 身 を 含 め 学 生 たち 言 動 は 変 わりました。シンハラ 族 に 対 するネガティブな概 念 が 変 わったのです。」と 言 いました。学 生 の 多 くは、 変 革 のために 積 極 的 に 行 動 を 起 こすことに 興 味 を 示 しました。タミル 族 の 学 生 の1 人 は「 家 族 や 友 人 に 本 当 の 意 味 で 問 題 を 解 決 するということについて 説 明 したり、(さらに) 新 聞 に 記 事 や 詩 を 投 稿 したりすることは 人 々に 真 実 を 理 解 してもらうことへ 繋 がると 考 えています。」ウマイヤルさんも、 以 前 はAUWを 卒 業 するまでは 何 もできないと 思 っていましたが「 小 さな 努 力 を 積 み 重 ねることは 大 きな 変 化 につながり、そして 人 々の 気 持ちや 傷 を 癒 してくれる」のだと 気 付 きました。シャニカさんも、 両 者 の 立 場を 理 解 するだけでは「 十 分 ではないと 分 かっています。 勉 強 を 終 了 したら、両 民 族 の 為 に 何 かできるはずなので、 私 はそれを 実 行 するつもりです。 私 は何 か 行 動 を 起 こさずにはいられないのです。(このワークショップ)を 通 じて 私 にも 出 来 ると 確 信 したのです。」と 述 べています。ナルマダさんはエバン 氏 にAUWのシンハラ 族 とタミル 族 の 学 生 グループが 共 にスリランカの 難民 キャンプで 活 動 したり、AUWがスポンサーになってインターンシップができないかと 提 案 しました。エバン 氏 は、この 提 案 に 多 くの 学 生 の 理 解 を 得た 事 は「スリランカ 人 学 生 たちの 本 当 の 意 味 での 最 高 の 変 化 の 証 であり、これほど 力 強 いものはない」と 感 じました。スリランカの 紛 争 体 験 による 学 生 の 心 の 傷 を 癒 し 和 解 へ 向 けた 道 のりは、 多くの 学 生 を 励 ましそして 喜 びへと 導 いていますが、 議 論 の 余 地 や 痛 みの 分 かち 合 いへのプロセスは 依 然 多 く 残 されています。 学 生 からのリクエストによりエバン 氏 が 準 備 をしている 次 なるステップは、 仲 間 同 士 の 和 解 と 専 門 家 による 紛 争 解 決 のトレーニングです。マヒリニさんは「 紛 争 から 学 ぶ」ワークショップは、 今 後 スリランカの 新 入 生 を 対 象 にして 毎 年 開 催 するべきだと 言います。シャニカさんは、 民 族 間 の 争 いに 直 面 しているインド、パキスタン、またはアフガニスタンなどからのAUWの 学 生 にも 同 じようなワークショップに 参 加 してほしいと 思 っています。そしてスリランカの「 全 てのこれからの 若 い 世 代 にも、 同 様 に 争 いについて 考 えてもらい、 真 実 を 知 ってもらいたいのです。 私 たちは 言 語 や 文 化 の 違 いこそあれ 皆 同 じ 人 間 なのです。」と 述べました。エバン 氏 は、 地 域 紛 争 の 歴 史 、それに 対 する 女 性 の 反 応 や 姿 勢 、そして 紛 争 に 対 して 自 分 は 何 ができるのかを 学 ぶコースをAUWが 新 設 してくれる 事 を 望 んでいます。そしてAUWがスポンサーとなり、スリランカの難 民 キャンプでインターンシップが 実 現 することを 願 っています。エバン 氏 はもちろん、 人 の 思 考 や 心 情 を1 日 で 変 えられるなどとは 思 っていません。「 人 が 変 わるには、そのための 空 間 や 時 間 が 必 要 であり、そして 忍耐 強 く 待 たなくてはいけないのです。」と 言 います。またマヒリニさんは、「 国 全 体 の 人 々が 理 解 しあうためには、まず 少 数 同 士 でお 互 いが 理 解 することが 重 要 です。」と 述 べています。 和 解 に 向 けた 最 初 の 一 歩 は 既 にAUWで始 まっているのです。1Percentages of population according to the Sri Lankan government’s official website:http://www.priu.gov.lk/TourCountry/Indextc.html.2Shastri, Amita. “The Tigers' Shadow: Bringing a Close to Sri Lanka's Long War.” ForeignAffairs. (http://www.<strong>for</strong>eignaffairs.com.) Council on Foreign Relations, Inc. Aug. 4, 2009.3“Agony in Sri Lanka’s Refugee Camp.” BBC News. May 24, 2009.http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/8065594.stm.4Ibid.KIPCO - one of the leadinginvestment companies in the MiddleEast region - is proud to support the<strong>Asian</strong> <strong>University</strong> <strong>for</strong> <strong>Women</strong>.We wish students and staff a brightand successful future.visit our website: www.kipco.comエバンジェリン(エバン)・エカニヤカ 氏 はAUWへルスセンターのディレクター 兼 カウンセラーです。スリランカのペラデニヤで 心 理 学 の 学 士 を 取 得 後 、ロンドン 大 学医 学 部 キングスカレッジでメンタルヘルスの 修 士 号 を 取 得 しました。エバン 氏 は 長 年 に 亘 り 様 々なコミュニティーで 勤 務 経 験 を 重 ね、スリランカの 多 くの 地 域 で 心 理 学者 として、そしてロンドン 市 街 と 南 部 でセラピストとして 務 めました。スリランカ 南 部 のシンハラ 族 、 北 部 のタミル 族 の 両 コミュニティーで 経 験 を 積 んだエバン 氏 は、シンハラ 族 とタミル 族 間 の 対 立 について 熟 知 しています。 両 者 のコミュニティーの 苦 悩 に 心 動 かされ、 彼 らの 亀 裂 を 修 復 するために「 選 ばれたのです」と 言 います。 現在 AUWには52 名 の スリランカ 人 学 生 が 在 籍 しています。


18 2010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1アフガニスタンから 学 生 をアジア 女 子 大 学 へAUW 初 のアフガニスタン 出 身 の 学 生がチッタゴンに 到 着生 たちが 乗 った 電 車 は、 首 都 のダッ学カから 港 町 のチッタゴンへ 向 けて、バングラデシュの 田 舎 町 を 高 速 で 通り 過 ぎて 行 きました。そして、 通 り抜 ける 村 や 町 から 照 らされる 強 い 日 光 を 遮 り、米 畑 や 木 々に 濃 厚 な 影 を 落 としていました。 軽快 に 走 る 電 車 は 乗 客 を 眠 りに 誘 っていましたが、何 週 間 か 前 にカブールを 出 発 してバングラデシュへやって 来 た 若 いアフガニスタンの 学 生 、マーバは 目 を 覚 ましていました。 彼 女 は 初 めてカブールで 出 会 って 一 緒 にバングラデシュに 来 た7 人 の 友 人 たちが 眠 っているのを 見 ながら、バングラデシュという 言 語 も 知 らない 異 国 の 地 へ 警戒 心 を 持 っていました。しかし、アジア 女 子 大学 (AUW)への 道 のりが 進 むと、マーバは 友 人を 起 こし 荷 物 番 を 代 わるようにお 願 いしました。3 日 間 に 及 ぶフライト 後 のマーバは、 別 の 友人 たちと 共 にすぐに 眠 りにつきました。この 若 いアフガニスタンの 女 性 たちはアクセスアカデミーのメンバーであり、AUWへアフガニスタンより 初 めて 入 学 する 学 生 たちでした。へラート、カブール、ダイコンディなどのアフガニスタン 各 地 より、バングラデシュに 行 くためにパスポートとビザ 申 請 をしようと 数 週 間 前 にカブールに 集 まり、 短 期 滞 在 をする 予 定 でした。しかし、 滞 在 期 間 が8 月 20 日 に 行 われたアフガニスタンの 大 統 領 選 挙 と 重 なり、 選 挙 後 の 騒 動 に巻 き 込 まれてしまい、 結 局 2 週 間 のカブール 滞在 になってしまいました。 大 統 領 選 挙 後 の 数 週間 、アフガニスタンの 国 自 体 が 機 能 を 停 止 してしまい、 学 生 たちのバングラデシュ 行 きの 書 類とパスポートとビザを 取 るという 希 望 もかなえられませんでした。AUWは2009 年 の 始 めにbrACアフガニスタンと 提 携 し、アフガニスタンで 大 規 模 な 学 生 募 集活 動 を 開 始 しました。1972 年 にbrACを 創 立 したファジル・ハサン・アベッド 氏 はAUWの 理 事会 アドバイザーを 務 め、 大 学 の 理 事 会 役 員 に 就任 することも 同 意 しています。アベッド 氏 の 後援 によりAUWはbrACアフガニスタンと 提 携 を結 ぶことができ、アフガニスタンイスラーム 共和 国 と 深 い 結 びつきのあるbrACの 指 導 の 下 、優 秀 なアフガニスタンの 学 生 を 集 めることができました。アフガニスタンの 女 性 省 と 高 等 教 育省 とが 協 力 して 募 集 活 動 を 行 い、brACアフガニスタンが 現 地 での 運 営 業 務 を 全 ておこなってくれました。に 紹 介 しました。 説 得 する 必 要 もなく、 各 省 庁はAUWがアフガニスタンで 学 生 募 集 をすることを 許 可 してくれました。アブラー 氏 は「 各 省 庁はAUWの 取 り 組 みに 関 して 最 大 の 興 味 を 示 していました。」と 語 ります。 彼 はbrACアフガニスタン 教 育 プログラムとアフガニスタンの 各 省 庁との 今 まで 培 った 強 い 結 びつきの 功 績 だといいます。 現 在 brACアフガニスタンは「115,000 人の 学 校 に 通 っていない 子 供 たちに 教 育 を 提 供 しています。その 大 半 は、 教 育 施 設 が 十 分 にない地 域 の 女 性 たちです。」と 教 えてくれました。brACは 世 界 で 一 番 大 きな 非 営 利 団 体 で、 世 界 中にオフィスを 持 ち、アフガニスタンにある34 県中 24 県 にオフィスを 持 っています。brACは 途上 国 開 発 分 野 の 教 育 、 保 健 、マイクロファイナンス、 農 業 、 畜 産 農 業 、 国 家 団 結 に 向 けて 主 導的 なプログラムを 推 進 しています。 特 別 なプログラムとしては、 保 健 省 と 提 携 してマラリアや結 核 緩 和 、 女 性 に 焦 点 を 当 てたマイクロファイナンスシステムの 導 入 、そして 教 育 省 と 共 に、 女性 の 教 育 プロジェクトとして 公 立 学 校 の 増 設 ・内 容 の 向 上 などを 行 っています。教 育 省 は2009 年 の 初 めに 全 国 的 なメディアキャンペーンをAUWのために 開 始 し、 日 刊 新 聞 、ラジオ 局 での 放 送 、そしてテレビの 宣 伝 などを 使 って 学 生 の 募 集 を 行 いました。 教 育 省 はさらに 地 域の 教 育 委 員 会 のディレクターたちにAUWを 紹 介し、そして 彼 らは 地 域 の 大 学 や 学 校 でAUWについて 紹 介 してくれました。マーバが 初 めてAUWについて 知 ったのは 彼 女 の 高 校 の 教 師 からでした。この 広 範 囲 に 渡 る 募 集 活 動 のお 陰 で、AUWのアクセスアカデミーはアフガニスタン 全 国 各 地 から80 名 の 応 募 を 受 けました。brACアフガニスタンのファジル・ハサン・アベット 氏 そしてシャハウディン・アフメッド 氏 は8「アフガニスタン 女 性 省 は、BRACとアジア 女 子 大 学 (AUW)の 協 力 によりアフガニスタンの 女 性 たちへ 高 等 教 育 を 提 供 できることに 感 謝 の 意 を 述 べます。この 構 想 はアフガニスタンの 女性 たちに 勇 気 を 与 え、アフガニスタン 社 会 の 発 展 に 大 きく 貢 献することでしょう。 女 性 省 は、BRACとAUWにアフガニスタンでのプログラム 継 続 を 期 待 しています。 同 省 もアフガニスタンの 女 性 たちが 奨 学 金 プログラムの 基 準 を 満 たすため、 英 語 力強 化 に 力 を 注 ぐことを 約 束 しました。」マーバさん( 左 端 )とアフガニスタン 人 学 生 のグループ 写 真AUW 創 立 者 、カマール・アーマッド 氏 がカブールのアフガニスタン 政 府 、 女 性 省 のモハン・モスタファヴィ 副 大 臣 ( 右 )と 会 談人 のアフガニスタンの 学 生 たちのパスポートとビザの 申 請 を 完 了 することができました。 若 い 女 子学 生 たちはイスラマバードとカラチを 通 り、ダッカ、バングラデシュに 到 着 しましたが、さらに 長い 道 のりは 続 きました。AUWの 代 表 が 疲 れきった 学 生 たちを 首 都 で 出 迎 え、チッタゴン 行 きの 電車 に 乗 せる 前 に 簡 単 な 夕 飯 へと 連 れて 行 きました。マーバはこの 後 のチッタゴン 行 きの電 車 が、 旅 の 中 で 一 番 大 変 な時 間 でしたと 語 りました。「 私 たちは 今 までに 一 度 も 電 車で 旅 をしたことがなかったのです。」と 加 えました。おそらく、 最 終 目 的 地 に 接 近 することでも 不 安 を 感 じたのでしょう。 電 車 が 徐 々にチッタゴンに 近 づくにつれて、 母 国 を 離れて6 年 間 他 国 で 勉 強 をするアフガニスタン 女 性 省ということをより 現 実 としてAUWがbrACアフガニスタンに 最 初 に 接 触 した後 、brACの 教 育 プログラムを 指 揮 するサクヒ・ダッド・アブラー 氏 がAUWを 代 表 してアフガニスタンの 教 育 省 、 高 等 教 育 省 、そして 外 務 省 と会 談 をしました。brACアフガニスタンのプログラムマネージャー、シャハウディン・アフメッド 氏 とともにアブラー 氏 はAUWについて 各 省 庁


アフガニスタンの 学 生 をAUWへ19感 じさせたようでした。アフガニスタンの 学 生 が 大 学 に 到 着 したのは 早 朝 でしたが、AUWのスタッフと 教 員 の 盛 大 な 出 迎 えに 学 生 たちの 不 安 はすべて 吹 き 飛 びました。「 温かい 出 迎 えを 受 けたとき 私 たちは(ダッカからチッタゴンまでの 困 難 な 道のりを) 忘 れてしまいました。」とマーバは 言 います。AUWへの 入 学 希 望 者 にとって、 交 通 機 関 の 問 題 は 重 大 です。 広 大 なアフガニスタンの 山 々や 隔 離 された 地 域 はタリバーンによって 支 配 されています。いるアフガニスタンの 女 性 たちは、 出 身 地 域 からの 妨 害 に 直 面 するかもしれません。アーマッド 氏 は、いくら 学 生 の 両 親 が 子 供 の 夢 を 支 援 したくても、 村 の 老 人 たちより 許 可 を 得 ないと 娘 を 高 等 教 育 へと 送 ることはできないと 言 います。アーマッド 氏 はこのアフガニスタンの 男 性 優 位 的 な 社 会 が 女性 の 独 立 を 阻 止 し、 学 生 の 両 親 たちがこのシステムと 積 極 的 に 対 応 し、 個 人的 に 村 の 老 人 たちにお 願 いをしないと 娘 たちがAUWに 通 っている 間 に 問 題になると 語 りました。「 家 以 外 で 男 性 とともに 働 く 女 性 は 村 の 老 人 たちにあまりよく 思 われていません。」と 説 明 しました。「アフガニスタン 高 等 教 育 省 は、バングラデシュの 大 学 で 高 等 教 育 受 けるために、9 名のアフガニスタン 女 性 へ 奨 学 金 を 提 供 してくれたBRACアフガニスタンとアジア 女 子大 学 (AUW)に 心 からお 礼 を 述 べます。 彼 女 たちは 卒 業 後 、 国 家 の 発 展 に 大 きく 貢 献してくれることでしょう。 改 めてBRACとAUWの 取 り 組 みに 感 謝 します。」例 えば、マーバの 出 身 地 、へラートはカブールから 北 東 の 地 域 に 位 置 し、 連なる 山 々、 曲 がりくねった 山 道 、そしてタリバーンの 検 問 所 などで 隔 離 された 地 域 です。このような 遠 方 の 地 域 からカブールまでは 車 で3 日 間 もかかります。この 道 のりは「スムーズではない」だけではなく、タリバーンの検 問 所 が、 夢 の 国 際 的 な 高 等 教 育 を 受 けようとしている 若 い 女 性 たちにとっては 大 きな 危 険 を 意 味 します。「 多 くの 道 路 はとても 不 安 定 で、もしタリバーンが 車 を 点 検 して、 乗 っている 人 間 が 政 府 機 関 またはnGOと 連 結 していることが 分 かったら、タリバーンは 問 題 を 起 こすでしょう。」とアーメッド 氏 は 説 明 します。さらに、 国 外 で 大 学 の 学 位 を 取 得 したいと 思 ってAUW 入 学 への 難 しい 必 要 条 件 を 満 たすだけでもアフガニスタンの 応 募 者 にとっては 大 変 なことですが、 学 生 たちはさらなる 難 題 を 抱 えながら 高 等 教育 を 受 けているのです。「アフガニスタンは 過 激派 で 保 守 的 なイスラム 教 徒 の 国 であり、 女 性 の 教育 については 否 定 的 な 考 え 方 が 根 強 く 残 っています。 例 えば、もし 女 児 の 住 んでいる 地 域 に 学 校 がない 場 合 は 他 地 域 の 学 校 に 通 うことができません。 仮アフガニスタン 高 等 教 育 省に 両 親 の 意 向 が 違 ったとしてもタリバーンからの大 きな 脅 威 を 受 けることになるのです。」。また、男 性 教 師 は 女 性 に 教 えることが 許 されず、その 事が 更 に 女 性 の 教 育 への 機 会 を 制 限 することに 繋 がっています。この 地 域 の 英 語 力 の 低 さもAUW 入 学 への 足 かせになっています。brACアフガニスタンのアーマッド 氏 によると、 多 くのAUW 希 望 者 は 英 語 能 力 試 験 に合 格 できないそうです。マーバは 幸 運 にも 地 元 の 公 立 高 校 に 通 い 夏 季 英 語講 習 に 参 加 して 国 際 教 育 への 準 備 をすることができました。マーバの 場 合 は、 母 親 からの 強 い 支 援 によってAUWへ 入 学 することが 実 現しました。AUW 合 格 が 決 まった 当 初 、 地 域 住 民 は 彼 女 が 大 学 に 入 学 することに 強 く 反 対 しました。しかし 非 営 利 団 体 で 働 くマーバの 母 親 は、 反 対 者が 理 解 ・ 承 諾 してくれるまで 説 得 してくれました。AUWは 入 学 試 験 を 通 過 した30 名 のアフガニスタンの 学 生 の 中 からさらに9名 に 絞 りました。1 名 は 入 学 を1 年 遅 らせること 希 望 し、8 月 下 旬 、8 名 のアフガニスタンの 女 性 たちがチッタゴンに 向 けて 出 発 しました。マーバはAUWに 最 初 に 来 た 当 時 は 故 郷 が 恋 しくなったと 言 っていますが、「 私 は 今 、AUWで 日 々 学 び 友 達 と 共 に 楽 しく 過 ごしています。」と 述 べています。 大 学 の 多 様 性 に 富 んだ 学 友 たちに 感 謝 し、また 時 間 を 見 つけてバングラ 語 も 勉 強 しているとのことです。 彼 女 は、 政 治 、 哲 学 、そして 経 済を 専 攻 することを 希 望 し、アフガニスタンで 法 律 の 仕 事 に 就 くことを 強 く夢 見 ています。「アフガニスタンの 女 性 は 誰 かの 助 けを 本 当 に 必 要 としています。 女 性 たちは 男 性 から 自 分 の 人 権 を 守 ることができずにおり、 更 に 援助 を 必 要 としているのです。」と 語 っています。 母 国 の 女 性 人 権 問 題 の 闘争 で 重 要 な 役 割 を 果 たすための 準 備 を、AUWがしてくれているとマーバは信 じています。AUWの 卒 業 生 として、「 私 は 強 い 女 性 になりたいです。」と言 います。どんなに 困 難 な 問 題 があっても、もしアジア 地 域 と 中 東 の 女 性 が 教 育 を 必要 としているならば、AUWはさらなる 活 動 を 続 け、 学 生 募 集 をするための方 策 を 練 り 続 けます。 今 年 はアフガニスタンでしたが、 来 年 度 は 大 学 にイラン、イラク、インドネシア、そしてイエメンからも 学 生 を 受 け 入 れられることを 望 んでいます。


20 2010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1ディパック・ジェイン 博 士 が 話 す 真 の 重 要 性米 国 イリノイ 州 エバストンにあるノースウェスタン 大 学 ケロッグ 経 営 大 学 院 の前 学 長 、ディパック・ジェイン 博 士 の、アジア 女 子 大 学 (AUW)のビジネスアントレプレナーシップ&マネージメント 大 学 院 設 立 に 向 けた 運 営 委 員 会 会 長 への 就 任 を 大 変 光 栄 に 思 い、ここに 発 表 いたします。として 受 け 入 れ 指 導 してくれた 同 僚 の 教 授 たちです。ジェイン 氏 は、 今 誰 かを 助 けることができるなら「とても 幸 せです」と「 私 たちはみんな異 なった 才 能 を 持 って 生 まれてきますが、 各 々それを 活 かす 機 会 があるべきなのです。」とジェイン 氏 は 語 っています。1983 年 1 月 、 当 時 26 歳 のディパック・ジェイン 氏 は3 日 間のフライトを 経 て、 初 めてアメリカの 地 に 到 着 しました。その 際 、アメリカ 人 にとっても 巨 大 な 複 合 施 設 である、ダラス 空 港 の 大 きさに 衝 撃 を 受けました。それまでの 人 生 全てをインド 北 東 部 アッサム 州の 小 さな 町 、デズプルで 過 ごしたジェイン 氏 にとって、ダラス 空 港 は 町 そのものでした。「 空港 は 私 の 町 全 体 よりも 大 きかったです!」とジェイン 氏 は 語 りました。それから 約 20 年 後 、 世界 最 高 レベルのノースウエスタン 大 学 ケロッグ経 営 大 学 院 にて 学 部 長 を 務 めたジェイン 氏 が 当時 を 振 り 返 り、 現 在 のジェイン 氏 があるのは、その 時 の 想 像 もしていなかった 衝 撃 のお 陰 だと思 い 出 し、 笑 みを 浮 かべました。ジェイン 氏 は 幼 少 時 より 勉 強 が 大 好 きでした。ジェイン 氏 の 祖 父 は48 年 間 学 校 の 教 員 を 務 め、ジェイン 氏 はそんな 祖 父 の 生 き 方 をたどりたいと 早 くから 思 っていました。「 私 は 教 えることは 今 まで 一 度 も 仕 事 だと 思 ったことはありません。 私 は 教 育 を 心 より 崇 拝 しています。 教 室 に行 くことは 寺 院 にいくことと 同 じ 意 味 を 持 っています。」とジェイン 氏 は 語 っています。アッサムの 地 元 の 学 校 で 学 んだ 後 、コミュニティーカレッジにて 数 学 の 学 位 を 取 得 し、ガウハーティ 大 学 大 学 院 で 統 計 の 修 士 号 を 取 得 しました。ジェイン 氏 が 数 学 を 学 んだ 理 由 は 自 分 の 興 味 ではなく 実 用 性 でした。「 数 学 を 勉 強 するのに 必要 なのはペンと 紙 だけです。」とジェイン 氏 は言 います。その 後 、ジェイン 氏 は 大 学 そして 大学 院 にて 功 績 を 納 め、アッサム 州 よりゴールドメダルを2 年 間 連 続 で 受 賞 しました。そのゴールドメダルはアッサム 州 全 域 の 大 学 、 大 学 院 で最 優 秀 を 示 す 証 として 送 られました。その 後 、ジェイン 氏 は 数 学 の 博 士 課 程 に 目 を 向けましたが、アッサムにて 研 究 をするのは 困 難だということに 気 がつきました。「 図 書 館 には十 分 な 資 料 が 無 く、 当 時 ジャーナル 文 献 が 届 くのに3-4ヶ 月 かかりました。」と 語 っています。1980 年 度 頃 より、ジェイン 氏 は 研 究 文 献を 受 け 取 るため、アメリカの 教 授 たちに 直 接 連絡 するようになりました。1982 年 に 彼 の 手 紙がダラスにあるテキサス 大 学 (UTダラス)の教 授 に 届 いたとき、その 教 授 はすぐにジェイン氏 の 可 能 性 を 見 出 しました。 教 授 はジェイン 氏にUTダラスで 博 士 課 程 を 勉 強 してみないかと聞 き、すぐに 試 験 のスコアーを 送 るようにと 伝えました。TOEFLやGmATという 公 式 試 験 を 聞いたことがなかったジェイン 氏 は、 大 学 院 の 成績 証 明 書 しか 教 授 に 送 れませんでした。その 後すぐにUTダラスより 入 学 合 格 通 知 と 全 額 奨 学金 のお 知 らせが 届 きました。ジェイン 氏 は 大 学申 請 書 を 書 かずにアメリカ 行 きの 飛 行 機 に 乗 り、異 国 の 地 での 生 活 を 始 めたのです。「man proposes,[but] God disposes( 人 事 を 尽 くして 天命 を 待 つ)」とジェイン 氏 は 語 りました。博 士 課 程 終 了 後 、1986 年 よりジェイン 氏 はケロッグ 経 営 大 学 院 にてマーケティングの 教 授 職に 就 き、1996 年 には 副 学 長 、2001 年 には 学 長に 就 任 し、その 後 8 年 間 学 長 を 務 めました。ジェイン 氏 の 在 任 期 間 中 に、ケロッグ 経 営 大 学 院はアメリカ 国 内 ビジネススクールの 中 で 第 1 位のランクを 得 る、 素 晴 らしい 大 学 院 になりました。 大 学 院 のプログラムは、 彼 の 強 い 希 望 で、イスラエル、 香 港 、ドイツ、ブラジル、タイ、インド、カナダなどのトップビジネススクールと 提 携 をして 国 際 的 な 内 容 になりました。ジェイン 氏 は「 今 日 の 世 の 中 はグローバリゼーションと 共 に 生 きていかなくてはいけません。 我 々にとって 常 に 存 在 していながら 無 意 識 になってしまった 重 力 のようにです。もしあなたが 今 日の 世 界 の 人 間 なら、アメリカ 国 外 のことも 考 えなくてはいけません。」と 述 べました。「 私 は 教 えることは 今 まで 一 度 も 仕 事 だと 思 ったことはありません。 私 は 教 育 を 心 より 崇 拝 しています。 教 室 に 行くことは 寺 院 にいくことと 同 じ 意 味 を 持 っています。」ディパック・ジェイン 博 士ジェイン 氏 は 学 長 として、「From success tosignificance ( 成 功 から 意 義 のある 存 在 へ)」という 使 命 をもとに、ケロッグ 経 営 大 学 院 を 新 時代 へと 導 きました。そのモットーは、ビジネスリーダーとしての 真 の 成 功 とは、 個 人 の 報 酬 や会 社 の 利 益 ではなく、 社 会 に 対 してどれくらい貢 献 しているかということでした。 不 安 を 抱 える 学 生 の 指 導 する 際 、ジェイン 氏 は 気 がつくと「To the world you may be a person, but to aperson you may be the world( 世 界 にとってあなたは1 人 の 人 間 でしかないかもしれません。しかし、ほかの 誰 かにとってはあなたが 世 界 かもしれないのです。)」というその 使 命 を 表 す大 好 きな 言 葉 を 引 用 していたと 語 りました。ジェイン 氏 は、ケロッグ 経 営 大 学 院 での 在 任 期 間中 、 社 会 的 責 任 ・ 貢 献 を 果 たせるように 大 学 のカリキュラムを 作 っていました。とても 謙 虚 で 優 しい 話 し 方 をするジェイン 氏 は、彼 を 成 功 へと 導 いた 多 くの 方 々に 感 謝 を 述 べました。 本 を 購 入 するお 金 が 無 かったころに 本 を貸 してくれた 地 元 アッサムの 学 校 の 先 生 方 、ジェイン 氏 の 手 紙 を 読 み 彼 を 大 学 入 学 させるという 決 断 をしてれたUTダラスの 教 授 、そして 数学 のバックグラウンドしかなかったにも 関 わらず、ケロッグ 経 営 大 学 院 のマーケティング 教 授そのような 人 柄 のジェイン 氏 が、AUWのビジネスアントレプレナーシップ&マネージメント大 学 院 設 立 に 向 けた 運 営 委 員 会 会 長 を 引 き 受 けてくれたのは 驚 くことではありませんでした。彼 は、「AUWの 話 を 聞 いたとき 何 て 素 晴 らしいことだと 思 いました」「AUWは 女 性 たちに新 たな 人 生 を 歩 む 機 会 を 与 えています。 彼 女 たちにとって 夢 のようなことです。もし 人 々が 夢を 叶 えようすることに 貢 献 できるのであれば、それはとても 光 栄 なことです。」と 語 りました。AUWビジネス 大 学 院 運 営 委 員 会 のメンバーはマサチューセッツ 工 科 大 学 スローン 経 営 大学 院 学 長 のデービット・スチュミテレン 氏 、 前バブソンカレッジ 学 長 のパトリシア・グリーン氏 、そしてJoint schools Activities, inc. 前 代 表兼 現 在 エグゼクティブ 理 事 のリトゥ・バンガ 氏が、ジェイン 氏 と 共 に 委 員 会 に 加 わりました。初 期 段 階 の 議 論 ではカリキュラムに 次 の5つのアントレプレナーシップマネージメントの 分 野に 焦 点 にあてることにしました。 製 造 業 マネージメント、 中 小 企 業 アントレプレナーシップ、プロジェクトファイナンスマネージメント(インフラ 計 画 を 含 む)、そして 会 計 と 財 務 管 理 です。AUWのビジネススクールはAUW 学 部 課 程 卒 業生 と 他 の 大 学 で 学 部 課 程 を 終 了 した女 子 学 生 を 対 象 とする 予 定 です。運 営 委 員 会 の 会 長 としてジェイン 氏は、 経 営 戦 略 と 教 育 における 自 身 の幅 広 い 経 験 を 生 かすつもりです。ケロッグ 経 営 大 学 院 の 学 長 を 引 退 してから、 現 役中 に 学 んだ 知 識 を「スプリンクラー・ストラテジー」のように 広 めたいと 思 っていました。「1つの 花 から 他 の 花 に 渡 る 蜂 の 行 う 混 合 受 粉のように、 私 たちが 人 間 が 活 動 できれば」とジェイン 氏 は 期 待 しています。誰 かを 助 けたいと 思 うジェイン 氏 の 強 い 情 熱 がAUWへ 引 き 寄 せたのでしょう。さらに、 彼 の信 念 でもある、アジアと 中 東 の 女 性 たちに 教 育を 受 けさせる 必 要 があるという 考 えも 加 わっています。ジェイン 氏 は 人 生 で 一 番 影 響 を 受 けた人 物 、ジェイン 氏 の 母 親 について「 教 育 を 受 けず、5 人 の 子 供 を 素 晴 らしく 育 てました。もし彼 女 が 学 校 に 通 い 教 育 を 受 けていたとしたら、母 親 はもっと 素 晴 らしい 人 生 を 送 っていたでしょう。」と 語 っています。花 から 花 へと 移 り 渡 る 蜂 を 想 像 するように、ジェイン 氏 は 時 には 素 晴 らしい 変 化 はたった1 分の 間 隔 、1つの 花 弁 、そして1 人 の 女 性 から 始 まるのだと 確 信 しています。「もしアフガニスタンの 女 性 が 教 育 を 受 けて 母 国 に 戻 り 小 さなビジネスを 始 めたら、そこから 変 化 が 生 まれるのです。」と 語 りました。


バングラデシュ 外 務 大 臣21バングラデシュ 外 務 大 臣 がAUWの 国 際 使 節 団 を 歓 迎 、そしてバングラデシュ 政 府 のAUWに 対 するサポートの 重 要 性 を 再 確 認 するディプ・モニ 大 臣 がバングラデシュ 訪 問 中 のAUW 使 節 団の 前 で 演 説ご 来 賓 の 皆 様 、私 はまだこの 開 校 したばかりの 大 学 を 訪 問したことがありませんが、 常 に 私 の 念 頭 にはこの 大 学 の 目 指 すべき 姿 が 描 かれています。 民 族 、 宗 教 、そして 文 化 の 壁 を 越 えた大 学 であり、ベトナムとカンボジア 出 身 の学 生 、アフガニスタン、バングラデシュ、またはパキスタン 出 身 の 学 生 同 士 が 机 を 並べて 勉 強 することができる 場 所 です。あなたが、 家 族 の 中 で 初 めて 高 等 教 育 に 進 むのだとしても、 何 らハードルを 感 じることなくベストを 尽 くせる 大 学 です。 私 たちの 可能 性 を 育 み、 教 育 の 自 由 や 未 来 を 約 束 してくれる 場 所 であり、 長 年 続 いている 社 会 的階 級 や 出 身 国 、または 出 生 にまつわる 差 別や 隔 離 を 打 破 することができるでしょう。世 界 中 の 人 々のご 支 援 により、この 大 学 がバングラデシュの 女 性 だけでなく 多 くの 友好 国 の 女 性 たちにも 教 育 を 提 供 できる 施 設であることを、バングラデシュ 初 の 女 性 外務 大 臣 として 誇 りに 思 います。AUWには 現在 12カ 国 の 学 生 が 在 籍 しており、 来 年 度 はディプ・モニ 博 士 は、ロンドン 法 科 大 学 院 卒 の 弁 護 士 でありジョンズ・ホプキンズ 大 学 医 学 部 卒 の 医 者 でもあると 同 時 に、2009 年 にはバングラデシュ 初 の 女 性 外 務 大臣 に 任 命 されました。ディプ・モニ 外 務 大 臣 は2009 年12 月 2 日 にダッカにて 開 催 された 式 典 に、アジア 女 子 大学 (AUW)の3 日 間 プログラム 体 験 中 のアメリカ、イタリア、 香 港 、 日 本 、クエート、そしてタイからの35 名 の慈 善 活 動 家 たちを 招 待 しました。この 国 際 使 節 団 の 代 表は、アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 (AUWSF)の 理 事 会 メンバー 及 び、AUW 資 金 調 達 委 員 会 委 員 長 のジャネット・モンタグ 氏 が 務 めていました。さらにその 数 を 増 しイラク、イラン、そしてインドネシアを 含 む 国 々からも 学 生 を 受け 入 れると 聞 いています。 将 来 のビジョンを 持 ち 不 合 理 な 壁 に 立 ち 向 かう 勇 気 ある 女性 たちが、 教 養 や 社 会 的 な 力 を 身 につけ 協力 し 合 うことが、 変 革 への 最 高 の 力 になると 私 は 信 じています。バングラデシュの 歴史 をひもとくと、 実 際 にそのような 影 響 力のある 女 性 が 存 在 したのです。我 が 国 が 英 国 からの 独 立戦 争 中 、 英 国 の 方 針 に 反発 しチッタゴンクラブまで 勇 敢 にも 抗 議 に 出 向 いたプリーティ・ロタというチッタゴン 出 身 の 若 い女 性 がいました。 彼 女 の命 をも 引 き 換 えにしたこの 行 為 の 際 、 彼 女が 男 装 していたということは、 皮 肉 にも 私たちが 死 に 瀕 した 局 面 ですら 自 分 の 氏 名 や素 性 のまま 行 動 することができないという事 実 を 浮 き 彫 りにしています。しかし、 幸運 にも 私 たちはそれから 素 晴 らしい 進 化 を遂 げたのです。 政 権 も 野 党 も 女 性 が 率 いている 国 に、 今 あなたたちがいることを 私 は「AUWは 私 たちの 未 来 を 明 るく 照 らしてくれる 希 望 の 光 なのです。 私 たちはこの 光 がさらに 明 るく 輝 き 続 けるための 協 力 を 惜 しみません。」嬉 しく 思 います。 現 内 閣 には 外 務 相 である私 自 身 を 含 め、 農 相 、 内 務 相 といった 計 6 名の 女 性 がおります。バングラデシュでは、女 児 の 小 学 校 就 学 率 は100%に 近 づき、 中 学校 の 進 学 率 も 急 増 しています。 約 3 万 人 の 女性 が 衣 料 品 や 織 物 工 場 で 働 いており、 経 済における 女 性 の 役 割 は 急 速 に 新 たな 時 代 に突 入 しています。また、 約 15 万 人 の 女 性 が融 資 を 受 けているマイクロファイナンスプログラムは 世 界 中 から 注 目 を 集 めました。AUWの 設 立 にはこの 土 地 が 最 適 だったと 信 じています。現 在 AUWは 仮 校 舎 で 授 業 をしており、 常 設キャンパスへの 早 急 な 移 転 の 必 要 性 も 十 分に 理 解 しています。 私 は 第 1 期 に 建 築 予 定の 新 キャンパスのイメージ 画 と 模 型 を 拝 見し、あまりの 素 晴 らしさに 魅 了 されました。しかしバングラデシュ 政 府 との 未 解 決 の 土地 問 題 に 絡 み、 工 期 開 始 が 遅 れている 事 実も 認 識 しています。 前 任 期 中 にAUWの 構 想に 賛 同 し、 現 在 大 学 後 継 者 代 表 を 務 めているバングラデシュ 首 相 に 代 わり、 私 たちはバングラデシュが、AUWの 施 設 、 学 生 、 教 員 、スタッフにとって 最 も 快 適 な 場 所 になる 様 に 全 力ディプ・モニ 大 臣を 尽 くし 問 題 の 解 決 に努 めたいと 思 っています。 土 地 問 題 の 早 期 解決 や、 政 府 から 大 学 へのサポートが 様 々な 角度 から 得 られるように努 力 します。AUWは 私たちの 未 来 を 明 るく 照らしてくれる 希 望 の 光なのです。 私 たちはこの 光 がさらに 明 るく輝 き 続 けるための 協 力 を 惜 しみません。上 :ディプ・モニ 大 臣 とアメリカ・イリノイ 州 シカゴ 代 表 のマーゴット・プリッカーさん、レセプションにて右 : 国 際 視 察 団 のAUW 訪 問 時 、AUWクウェート 支 援 グループ 代 表 のルルワ・アル・ムラさん( 右 端 )とパレスチナ 人 学 生


22 資 金 集 め2010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1大 切 な 瞬 間「アジア 女 子 大 学 (AUW)は、 多 くの 成 果 をお 祝 いするとともに 夢 を 実 現 するために 多 くの 方 からの 継 続 的 なサポートを 必 要 としています。」ニュースレターを 読 んでいると、チッタゴンで 行 われている 刺 激 的 でエネルギー 溢 れるAUWのプロジェクトや、 情 熱 をもった 勇 気 ある 若 い 女 性 たちがページから 生 き 生 きと 語 りかけてきます。アクセスアカデミー 第 1 期 生 の 卒 業 と2009 年 夏 の 第 1 期 学 部 課 程 クラスの 開 始 にともない、AUWを 長 年 温かく 支 援 してくださっている 皆 様 に 心 より 御 礼 を 申 し 上 げます。 机 上 のアイディアから、12カ 国 から 集 まった 約 300 名 の 女 子 学 生 が 通 う 大 学 へと 実 現 できたのは、AUWの 使 命 を 信 じてサポートしてくださった 皆 様 方 のご 支 援 のお 陰 です。しかし、 私 たちはこの 成 功 の 余 韻 に 浸 っている 時 間 はありません。 今 年 度 のアクセスアカデミーの150 名 の 募 集 人 数 に 対 して 約 1500 名 の 入 学 希 望 者 がいたという 事 実 は、 地 域 を 超 え 才 能 に 溢 れやる気 をもった 多 くの 若 い 女 性 たちが、 優 れた 教 育 を 求 めているということの 表 れです。 私 たちは 新 たに、 教 授 の 採 用 、 第 3 期 アクセスアカデミーの 学 生 募 集 、 学 部 課 程 の 学 生 募 集 、そしてビジネススクールと 法 律 大 学 院 の 修 士 課 程 カリキュラム 作 成 、そして 大 学 のキャンパス 建 設 の 計 画 を 進 めております。 私 たちはAUWの 夢 を 実 現 させるためにとても 重 要 な 時 期 を 迎 えています。AUWは 多 くの 個 人 、または 団 体 の 温 かいご 支 援 によって 存 在 しています。そして 現 在 、 継 続 的 なさらなるご 支 援 をお 願 い 致 しております。 来 年 度 は、アクセスアカデミーと 学 部 課 程 に 新 たなクラスを加 える 予 定 です。そして、 新 しい“ 家 ”となる 本 校 舎 の 建 設 を 開 始 します。 我 々は 完成 の 時 を 心 待 ちにしており 皆 様 方 のご 支 援を 必 要 としております。5ドル(500 円 )の 寄 付 で 学 生 の1 日 分 の 食費 となり、250ドル(2 万 5 千 円 )で1 年 間分 の 教 科 書 と 教 材 を 購 入 することができます。800ドル(8 万 円 )の 寄 付 で 学 生 又 は 教員 のコンピューターを 購 入 することができ、そして10,000ドル(10 万 円 )で 学 生 の1 年間 の 学 費 が 賄 われることをぜひ 覚 えていてください。 全 てのご 支 援 が 変 化 へと 結 びつきます。皆 様 方 のご 支 援 に 心 より 感 謝 を 致 します。マッチングファンドで 支 援者 が 起 こした 変 化アジア 女 子 大 学 (AUW)が 誇 れる 強 みのひとつは 教 員 陣 です。AUWの 教 員 は 修士 以 上 の 学 位 を 取 得 しており、 出 版 活 動や 教 育 経 験 が 豊 富 で、かつAUWと 学 生 たちが 成 功 するためのビジョンを 理 解 しています。近 年 、 資 金 支 援 者 の1 人 が 教 員 サポートのために 匿 名 の 寄 付 をしたいと 申 し 出 てくれました。さらに 彼 女 は、 周 囲 にも 少額 でも 構 わないのでAUWの 資 金 源 となる 寄 付 をしてほしいと 広 めました。 新 しい 資 金 支 援 者 から500ドル 以 下 の 少 額 寄付 を 募 り 共 同 で 資 金 を 提 供 し 合 うことにより、 大 規 模 な 支 援 を 実 現 させたのです。この 匿 名 の 支 援 者 と 新 しい 資 金 支 援 者 が集 めた 基 金 は、 教 員 1 名 分 の 年 間 給 与 に匹 敵 する5 万 米 ドルにまで 達 しました。「 私 がこのような 方 法 で 新 たな 資 金 支 援者 を 募 り 今 年 の 教 員 給 与 の 基 金 集 めをしようと 思 ったのは、 要 求 金 額 が 多 額 だと支 援 者 も 寄 付 を 躊 躇 してしまうのではないかと 感 じていたからです。 人 々はどんなに 少 額 の 寄 付 でも 変 化 を 起 こしよい 結果 へと 結 びつくということを 知 りたいのです。」と、 匿 名 支 援 者 は 話 してくれました。アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 理 事 、2009-2010年 度 資 金 調 達 委 員 会 委 員 長ジャネット・モンタグAUW 後 援 者 のシェリー・ブレア 氏 ( 左 端 、 人 権 派 弁 護 士 でありトニー・ブレア 元 英 国 首 相 夫 人 )、AUW 資 金 調 達 委 員 会 会 長 のジャネット・モンタグ 氏 、AUW 後 援 者 のコンドリーザ・ライス 元 国 務長 官 が 大 学 について 会 談 、ロンドンにて「 私 たちの 多 くは、よい 人 生 を 歩むために 一 所 懸 命 に 仕 事 をしますが、 世 界 のために 本 当 に 素 晴 らしい 何 かをする 機 会 は 頻 繁 にはありません。もし 私 たちが 願 うアジア女 子 大 学 (AUW)を 設 立 することができたら、 学 生 たちの 人 生 に 影響 を 与 えるだけではなく、 学 生 の家 族 、コミュニティー、 地 域 、 国 、そして 世 界 に 大 きな 波 紋 を 広 げることでしょう。 私 と 共 にこの 壮 大な 大 学 設 立 の 企 画 に 何 らかの 形 で関 わっていただけたら 幸 いです。」ジャック・マイヤー 氏アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 理 事 長 、2008 年 10 月 18 日 のAUW 創 立 記 念 式 典 にてジャスタス・マイヤーさんが 父 、ジャック・マイヤー 氏 (AUW 支 援 財 団 理 事 長 )、 母 、べス・マイヤー 氏 とリクシャーでドライブ、2008 年 10 月 チッタゴンで 開 催 されたAUW 創 立 記 念 式 典 にて


232009 年 12 月 、 国 際 使 節 団 がAUWを 訪 問2009 年 12 月 2 日 、クウェート、イタリア、 日 本 、オーストラリア、 香 港 、タイ、そしてアメリカから 総 勢 30 名 の 使 節 団 がバングラデシュ、ダッカの空 港 に 集 まりました。メンバーの 大 半 は 女 性 であり、 学 術 界 、ビジネス、そして 慈 善 活 動 の 分 野 での 著 名 人 ばかりです。アジア 女 子 大 学 (AUW)の 古 くからの 支 援 者 で 大 学 訪 問 の 機 会 を 待 ち 望 んでいた 人 や、この 訪 問 をきっかけに 大 学 について 知 る 人 もいました。 学 生 同 様 に、 世 界 中 から 集 まった 使 節 団 のメンバーも 大 学 のミッションに 惹 かれてAUWで 出 会 ったばかりでしたが、AUWの 変 化 へのモデルに 心 から 期 待 を 寄せているという 共 通 点 を 持 ち 合 わせていました。AUWオーストラリアサポートグループ 創 立 者 のジョアン・レフロイ 氏 は「 使 節 団 メンバーは 皆 、AUWの 未 来 を 築 く 上 でお 互 い 何 が 出 来 るのかを 知 るためにここに集 まったのです。」と 述 べました。使 節 団 団 長 は、AUW2009-2010 年 度 資 金 調 達 委 員 会 会 長 のジャネット・モンタグ 氏 が 務 めました。モンタグ 氏 は 当 初 、 少 人 数 の 女 性 しか 集 まらないと 思 っていましたが、 毎 月 少 しずつ 新 しい 参 加 者 が 増 えてゆき、最 終 的 には 参 加 者 は30 名 に 膨 れ 上 がりました。「 非 常 に 興 奮 しました。 私 たちはとても 特 別 な 使 節 団 になるかもしれないと 直 感 したのです。」とモンタグ 氏 は 語 っています。 使 節 団 のメンバーも、 多 様 性 に 溢 れた 女性 グループの 一 員 になれることを 光 栄 に 思 ったそうです。アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 理 事 会 ・AUW 日 本 サポートグループのメンバーであるキャサリン・ 笹 沼 氏 は「でこぼこ 道 を 走 るバスでの 移 動 中 には、 毎 回 違 う 国 の出 身 者 と 心 を 通 じ 合 う 事 が 出 来 ました。」と 述 べています。12 月 の 訪 問 はダッカで 開 催 されたウェルカムディナーで 始 まり、バングラデシュ 初 の 女 性 外 務 大 臣 となったディプ・モニ 博 士 が 情 熱 的 にバングラデシュ 政 府 の 大 学 へのサポートについてスピーチしました(スピーチ全 文 は21ページをご 覧 下 さい。)。 翌 日 、 使 節 団 はAUWへ 移 動 し、アクセスアカデミーと 学 部 課 程 の 授 業 参観 、 学 生 と 教 員 メンバーとの 会 談 、 仮 校 舎 とAUWキャンパス 建 設 予 定 地 を 視 察 しました。 訪 問 最 終 日 の 夕 暮れ 時 、キャンパス 予 定 地 の 入 り 口 に 到 着 した 使 節 団 は、キャンパス 中 心 部 まで 光 り 輝 くランタンで 飾 られたドライブウェイに 迎 えられました。 夜 の 帳 にきらきらと 瞬 く 星 の 様 なピンクと 青 色 の 光 のセッティングの 中 、学 生 の 文 化 的 パフォーマンスで 歓 待 された 使 節 団 はまるで 魔 法 にかけられたようでした。キャンパス 建 築 予 定 地 での 夕 食 の 際 、 日 本 の 使 節 団 はチッタゴン 市 長 に 日 本 のAUWに 対 する 援 助 が 拡 大している 旨 を 報 告 しました。2009 年 にはAUW 日 本 顧 問 委 員 会 が 発 足 しました。 委 員 会 メンバーには、ロバート・フェルドマン 氏 、 道 傳 愛 子 氏 、 安 渕 聖 司 氏 、 黒 川 清 氏 、 安 倍 昭 恵 氏 、 佐 藤 玖 美 氏 などの 著 名 人 が名 を 連 ねています。スリランカのタミル・シンハラ 両 民 族 の 学 生 による 和 解 をテーマにした 演 劇 は、 多 くの 使 節 団 メンバーにとってAUW 訪 問 中 で 最 も 印 象 深 い 一 面 でした。このプレゼンテーションは、スリランカの 内 戦 について 学 生 個人 の 経 験 から 描 かれており、 根 深 い 分 裂 の 歴 史 を 乗 り 越 え 若 い 女 性 たちが 立 ち 上 がり 和 解 できたことを 示 す歌 を 両 民 族 で 歌 い 締 めくくっています。 笹 沼 氏 は、この 学 生 のパフォーマンスにより 自 身 が 果 たすべきAUWへの 責 任 を 再 確 認 させられたと 言 います。「 私 にとって(この 演 劇 は)AUWという 大 学 の 全 てを 物 語 っていると 感 じました。 地 域 社 会 出 身 の 学 生 たちが 世 の 中 のために 一 石 を 投 じたことの 象 徴 なのです…そして 彼 女 たちは、この 地 域 の 傷 を 癒 し 新 しい 道 へと 導 き、 過 去 に 経 験 した 壁 を 乗 り 越 えられると 信 じています。」と、 笹沼 氏 は 語 ってくれました。今 回 のAUW 訪 問 は、 参 加 者 ・ 学 生 両 者 にとって 大 成 功 となりました。 学 生 たちは、 彼 女 たちに 会 うために 遠方 から 訪 ずれた 素 晴 らしい 女 性 グループに 出 会 うことができ、また 使 節 団 もAUWの 日 々の 進 化 を 目 の 当 たりにすることができました。 訪 問 中 、 学 生 たちとの 食 事 の 席 や 授 業 の 合 間 、 即 席 会 議 の 場 で 聞 いた 彼 女 たちの驚 くべき 体 験 談 は、 参 加 者 たちにとって 忘 れられないものとなりました。そして、 参 加 者 はみな(13 歳 の 最年 少 参 加 者 を 含 む) 初 代 学 生 の 卒 業 式 には、チッタゴンを 再 訪 問 したいと 述 べました。AUW 日 本 サポートグループのメンバーでもあるアン・マカピース 氏 は「 一 対 一 やグループでの 会 話 を 通 じて、 教 員 やクラスメートのどんな 意 見 をも 尊 重 し 合 うことにより、 学 生 たちは 良 く 聞 き 質 問 することや 積 極 的 に 発 言 し 自 己 表 現 することに 自 信 をつけながら、 教 養 課 程 を 学 べることを 非 常 に 喜 んでいる 様 子 がたびたび 伝 わってきました。」と 語 っています。バングラデシュから 帰 国 したAUW日 本 サポートグループメンバーは刺 激 を 受 け、 大 学 の 可 能 性 を 実 現化 し 成 功 に 導 くための 活 動 を 始 めました。 使 節 団 のAUW 訪 問 は、 非凡 な 若 い 学 生 たちが 地 域 社 会 の 次世 代 リーダーになるであろうと 確信 されてくれるものでした。 日 本の 使 節 団 は、AUWの 若 きリーダーたちの 今 後 の 一 歩 一 歩 をサポートすることに、 責 任 と 情 熱 を 感 じています。パキスタンとインドからのAUWの 学 生 2 名 がカーネギー・メロン 大 学 主催 の 情 報 通 信 技 術 開 発 会 議 に 参 加 しました。AUW 後 援 者 のシェリー・ブレア 氏 、AUWアドバイザー・カタール 大 学 学 長 であるシェイカ・アブドウラ・アル・ミスナッド 氏 と 一 緒 に、カタールのドーハにて左 から 右 へ:フーネン・クー 博 士 、AUW 学 生 のアズミナ・カリムさん、AUW支 援 財 団 理 事 会 メンバーのキャサリン・ 笹 沼 氏 、シャーミン・オベイド・チノイ 監 督 、AUW 理 事 会 メンバーのキャシー・ 松 井 氏ドキュメンタリー 映 像 作 家 が、AUWのミッションをサポート2009 年 5 月 28 日 、Friends of AUW Japan(アジア 女 子 大 学 日 本 支 援 グループ)とシャーミーン・オベイド・チノイ 監 督 がチノイ 監 督 作 品「ベールを 上 げて(Lifting the Veil)」の 特 別 上映 会 を 日 本 で 共 催 しました。このイベントは 東 京の 草 月 会 館 にて 開 催 され、 日 本 のビジネス 界 、 金融 業 界 、そして 東 京 の 在 住 の 外 国 人 駐 在 員 の 多くの 方 々が 参 加 しました。バングラデシュのチッタゴンよりアジア 女 子 大学 (AUW)の 副 総 長 代 理 兼 学 長 のフーネン・クー博 士 とアクセスアカデミーの 学 生 のアズミナ・カリムさんが 訪 日 し、 大 学 と 教 育 の 大 切 について話 しました。 話 の 中 でカリムさんは、AUWで 勉強 することが 人 生 を 変 えたと 語 りました。AUWのカリキュラムは、 卒 業 後 の 就 職 への 準 備 をするだけの 教 育 ではなく、 目 の 前 に 広 がる 世 界 を見 ることができるようになった、と 付 け 加 えました。チノイ 監 督 は 自 分 がパキスタンで 育 った 当 時 、非 常 に 少 数 の 上 流 階 級 出 身 の 子 供 しか 正 式 な 英国 スタイルの 教 育 を 受 けることができなかった、と 言 葉 を 続 けました。 母 親 が 大 学 に 行 かなかったことに 言 及 し 全 ての 女 性 に 学 ぶ 機 会 を 与 える重 要 性 を 強 調 しました。ドキュメンタリーの 中 でチノイ 監 督 はアフガニスタンを 旅 して、nATO 軍 が 配 置 されて 以 降 、5年 間 に 渡 り 女 性 の 人 生 が 変 わっていく 様 子 を 伝えています。チノイ 監 督 は 非 アメリカ 人 ジャーナリストとして 初 めてLivingston Award(リビングストン 賞 )を 受 賞 し、 英 国 のOne Worldmedia broadcast Journalist of the Year を 最 年少 で 受 賞 しています。チノイ 監 督 はカラチで 生まれ、 家 族 の 中 では 初 めて 西 洋 の 教 育 を 受 けました。そしてスミスカレッジを 卒 業 して、スタンフォード 大 学 より2つの 修 士 号 を 授 与 されています。次 のページにカリムさんのスピーチの 抜 粋 があります。


242010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1不 平 等 に 対 して 声 をあげるアズミナ・カリムさんはバングラデシュ 出 身 で、第 1 期 生 アクセスアカデミークラスの 卒 業 生 です。南 アジアの 国 々では、 女性 は 結 婚 して 夫 の 名 前 を名 乗 ることが 自 分 のアイデンティティーにつながると 考 えます。 世 間 もまた 女 性 が 誰 かの 妻 や 母 親であるということがアイデンティティーであると 考 えます。 私 も 残 念 ながらそのような 女 性 の1 人 でした。アジア 女 子大 学 (AUW)で 学 ぶ 前 の 自 分 の 世 界 はとても 小さなもので、 家 族 、そして 本 から 学 んだ 知 識 が私 の 世 界 の 全 てでした。 私 にとって 教 育 とは、良 い 仕 事 に 就 職 するための 学 位 で、 人 生 の 最 終ゴール 地 点 だったのです。このような 古 い 固 定 概 念 を 破 るために 私 たちはAUWに 一 筋 の 希 望 を 見 つけました。AUWはバングラデシュで 設 立 され 教 育 に 新 たな 方 向 性 を 与えています。 女 性 は 家 庭 で 家 事 をするために 生まれ、 教 育 を 受 けても 家 事 以 外 、 何 もできないという 多 くの 女 性 が 持 つ 価 値 観 を 変 えました。1 人 の 男 性 の 夢 が 何 百 もの 女 性 を 変 えました。 彼は 社 会 をより 良 くするために、 女 性 は 今 より 多くの 権 利 を 与 えられなければならないと 考 えていました。13ヶ 月 間 にわたるアクセスアカデミーの 経 験 を 通 じて、 私 の 人 生 哲 学 は 少 しずつ 変わりました。 昔 のことを 思 い 出 すと 自 分 が 未 熟だったことを 実 感 します。しかし 人 生 はそれだけではないのです。 人 生 とは 悟 りを 知 ることなのです。2008 年 10 月 18 日 にアクセスアカデミーの 同 級生 であるドゥース・キムスルーさんのスピーチを 聞 きました。その 中 で、 彼 女 は 人 生 について語 り、AUWに 入 学 する 前 は 英 語 の 知 識 があまりなく 短 い 記 事 しか 読 めなかったと 語 りました。しかしキムスルーさんはアクセスアカデミー 入学 後 6ヵ 月 で、 何 百 人 もの 人 と 英 語 でコミュニケーションをとることができるようになりました。その 日 のスピーチは、 自 分 のルーツや 人 生 の 障害 に 関 わらず、どんな 大 きな 夢 でも 持 つことができることを 教 えてくれました。 夢 と 強 い 信 念 を 持 っていればこの 世 界 でどんなことでも 達 成 できるのです。キムスルーさんが 彼 女 の 人 生 について 話 しているとき、 私 はみんなの 目 に 涙 が 浮 かぶのを 見 ました。スピーチを 聞 いて、アクセスアカデミーのホームルームを担 当 するニッキー 先 生 の 話 を 思い 出 しました。「 私 は 全 ての 宗教 の 存 在 を 信 じています。 私 たちは 神 を 様 々な 名 前 で 呼 びますが、 同 じ 精 神 をもって 儀 式を 行 い、 神 が 人 類 を 守 るために 我 々に 課 した 道を 歩 んでいます。 私 は 皆 が 根 本 的 には 同 じ 信 条で 結 ばれていると 確 信 しています。」と 彼 女 は話 していました。 信 仰 する 宗 教 は 異 なっても、皆 がキムスルーさんに 共 感 したのは、 人 類 の 絆を 通 して 関 連 性 を 感 じることができたからでしょう。AUWの 先 生 方 と 出 会 い、 先 生 方 のように 働 きたいと 思 うようになりました。そして 私 はアクセスアカデミーのコミュニティークラブに 入 り、現 在 スラム 街 にあるウショ 学 校 に 通 う 子 供 たちに 教 えています。アクセスアカデミーの 先 生 方は 学 生 に 対 して、 社 会 貢 献 することを 期 待 し、アクセスアカデミーのすべての 学 生 が、 社 会 で 見る 不 平 等 や 差 別 に 対 して 声 を 上 げ、 社 会 を 変 革 していくべきだと 言 います。このモットーに 影 響されて、 私 は 女 性 に 対 するジェンダー 差 別 と 聴覚 障 害 がある 子 供 たちに 関 するドキュメンタリー 映 画 を 製 作 しました。2つ 目 のドキュメンタリーを 制 作 していて、 人 々が 自 分 より 劣 っていると 感 じる 人 にどのように接 するかを 見 てとても 恥 ずかしく 思 いました。そして、 私 は 精 神 的 困 難 を 抱 える 子 供 たち、とくに 自 閉 症 の 子 供 たちのために 働 くことを 決 めました。 人 々は 子 供 が 神 様 から 授 かった 大 切 な「 私 は2 人 目 の 嫁 としてあなたの 家 族 に 知 られています。 私 はそれ 以 外 の 何 者 でもないと 思 われていました。15 年 間 経 った今 、 海 のそばに 立 っていると、 自 分 が 全 世 界 とその 創 造 者 と自 分 との 関 係 から 生 まれた 他 のアイデンティティーを 持 っていると 感 じます。このアイデンティティーは、あなたの 家 族の2 人 目 の 義 娘 としてではなく、 私 が 私 自 身 としてこの 手 紙 を書 く 勇 気 を 与 えてくれます。 私 はすぐには 死 にません。それをこの 手 紙 で 伝 えたいのです。」ラビンドラナート・タゴール 氏 の「 妻 からの 手 紙 」(1914)- rabindranath Tagore, “Letter from a Wife”(1914)贈 り 物 だということを 忘 れています。 私 たちは自 閉 症 の 子 供 たちを 放 置 するのではなく 適 切 にケアする 必 要 があるのです。 私 はこの 子 供 たちの 苦 悩 を 詳 細 に 描 いたドキュメンタリーを 制 作しています。その 中 で、 施 設 、トレーニング、資 金 、 治 療 の 不 足 が 原 因 で、 毎 日 子 供 たちが 亡くなる 現 実 を 目 の 当 たりにし、 子 供 たちのために 必 要 な 物 、 例 えばブランコやロッキングチェアーなどを 購 入 する 資 金 集 めを 行 いました。資 金 集 めは 難 航 しましたが、 贈 り 物 をあげたときの 子 供 たちの 笑 顔 を 見 て、 私 はとても 意 味 のあることをしたと 感 じました。 私 は、 自 分 のコミュニティーに 対 する 責 任 感 を 持 ち、 人 生 に 対する 態 度 を 変 えることができたのはAUWのお 陰だと 思 っています。 私 はAUWで 新 しい 人 生 を 切り 拓 き、 社 会 で 自 分 は 特 別 だと 思 えるようになれたことをとても 幸 せに 感 じています。アズミナ・カリムさんはバングラデシュ 出 身 で、 初 代 アクセスアカデミークラスを 卒 業 して、2009 年 7 月 にAUW 学 部 課 程 に 入 学 しました。AUW 卒 業 後 は、母 国 の 障 害 を 持 つ 子 供 たちを 支 援 する 団 体 で 働 くことを 希 望 しています。 上 記 の 文 章 は、2009 年 5 月 28 日 、 東 京 で 開 催 された 特 別 映 画 上 映 会 「Lifting theVeil – ベールを 上 げて」でカリムさんが 行 ったスピーチからの 抜 粋 です。 特 別 上 映 会 で 上 映 された「Lifting the Veil-ベールを 上 げて」に 加 えて、【This silent World– この 静 かな 世 界 】はカリムさんが 監 督 を 務 めたドキュメンタリー 映 画 で、 聴 覚 障 害 がある 子 供 たちの 日 常 を 描 いています。カリムさんは 子 供 たちを 取 材 するために 学 校 及 び 保護 者 との 交 渉 を 行 い、 特 別 な 機 械 ( 感 覚 統 合 訓 練 器 具 など)の 購 入 資 金 として10,000タカの 基 金 を 集 めました。 現 在 カリムさんは 自 閉 症 の 子 供 たちが 通 う 学 校 で 働 き 次 のドキュメンタリー 映 画 の 作 成 準 備 を 進 めています。モハメド・ユヌス フェローシップモハメド・ユヌス 総 裁 はアジア 女 子 大 学 (AUW)を 早 期 から 支 援 し、 現 在 はAUWのバングラデシュ 顧 問 委 員を 務 めています。バングラデシュで 育 ったユヌス 総 裁 は 貧 困 や 貧 困 による 無 力 さを 直 接 経 験 しており、AUWのミッションの 重 要 性 を 痛 感 しています。 興 味 深 いことに、その 後 ノーベル 賞 を 受 賞 するに 至 るユヌス 総 裁 によるグラミン 銀 行 のマイクロファイナンスの 試 みはAUWのキャンパスからほんの 数 マイル 離 れたところにあるJobraという 村 で 始 まりました。モハメド・ユヌス フェローシップはグラミン 銀 行 から 融 資 を 受 けている 女 性 たちの 娘 で、 素 晴 らしいリーダーシップを 発 揮 した 女 性 に 授 与 されます。フェローシップは 生 徒 がAUWに 在 学 する6 年 間 の 学 部 、 大 学 院 課 程にわたり、 学 費 、 住 居 費 、 食 費 、 健 康 保 険 費 、アクセスアカデミーで 必 要 な 教 材 費 の 資 金 を 全 額 援 助 します。グラミン 銀 行 の 融 資 を 受 けている 女 性 たちだけではなく、 女 性 たちの 家 族 にも 影 響 を 与 え、 新 しい 機 会 を 与 えるための 扉 を 開 いています。AUWも 同 様 に 高 等 教 育 がモハメド・ユヌス フェローシップを 越 えて、 明 日 のリーダーたちにも 影 響 を 与 えることを 願 っています。モハメド・ユヌス フェローシップへのご 支 援 につきましては、 下 記 のいずれかの 方 法 より 寄 付 を 受 け 付 けております。 小 切 手 の 送 付 先 :( 日 本 ) 田 代 康 子 ・アジア 女 子 大 学 〒150-6001 東 京 都 渋 谷 区 恵 比 寿 4-20-3恵 比 寿 ガーデンプレイスタワー1F mbE703 (アメリカ)ms. Katsuki sakai <strong>Asian</strong> <strong>University</strong> <strong>for</strong> <strong>Women</strong>support Foundation 1100 massachusetts Avenue, suite 300 Cambridge, mA 02138, UsAその 他 の 寄 付 方 法 は 日 本 語 のウェブサイトをご 覧 下 さい:www.asian-university.org/japanese


グラミン 銀 行25変 化 への 投 資社 会 的 疎 外 の 悪 循 環 を 破 る:グラミン 銀 行 の 融 資 を 受 けている 女 性 たちの娘 たちがAUWへ 入 学寄 稿 :アザデ・プーザンドバングラデシュの 雨 季 の 最 盛 期 に、 私 はアクセスアカデミーの 学 生 、アズミナ・カリムさんとともにバングラデシュ 国 内 にある7つの 村 を 訪 問 しました。カリムさんと 私 は、アクセスアカデミーに 合 格 した8 名 の 若 い 女 性 とグラミン 銀 行 から 融 資 を受 けているその 母 親 をインタビューしました。グラミン 銀 行 とアジア 女 子 大 学(AUW)の 協 力 で 融 資 を 受 けている 女 性 の 娘 たちは、グラミン 銀 行 の 現 地 事 務 所 からAUWについて 説 明 を 受 けました。AUWに 合 格 したこの 学 生 たちは 農 村 地 方 の 多 くの 女 性 たちの 特 徴 である 社 会 的 疎 外 や 識 字 率 の 低 さの 相 関 から 抜 け 出 すことができるでしょう。 彼 女 たちは 地 元 のコミュニティーや 世 界 への 貢 献 、そしてAUWでの 新 しい 生 活 に 期 待 を 膨 らませています。私 は 旅 が 始 まった 当 初 、どの 様 な 成 果 があるか 想 像 がつきませんでした。とてつもない 興 奮 よりもむしろ 不 安 を 感 じていました。この 若 い 女 性 たちが 直 面 している 現 状 をどれくらい 明 確 に描 けるか 自 信 がなかったのです。しかし、 学 生 の 家 族 たちは 私 を 温 かく 家 に 迎 え 入 れてくれ、家 族 の 希 望 や 不 安 を 打 ち 明 けてくれました。それでも 私 は 自 分 が 部 外 者 という 気 分 から 離 れることはできず、 地 域 一 帯 に 広 がる 貧 困 への 懸 念 が 拭 い 去 れませんでした。しかしながら、 希 望と 自 信 に 満 ち 溢 れた 彼 女 たちの 言 葉 は、 皆 それぞれに 成 功 するだろうと 確 信 させてくれるものでした。グラミン 銀 行 とAUWの 協 力 で、 融 資 を 受 けている 女 性の 娘 たちはグラミン 銀 行 の 現 地 事 務 所 からAUWについて 説 明 を 受 けました。AUWに 合 格 したこの 学 生 たちは農 村 地 方 の 多 くの 女 性 たちの 特 徴 である 社 会 的 疎 外 や 識字 率 の 低 さの 相 関 から 抜 け 出 すことができるでしょう。私 が 学 生 たちの 生 活 や 悩 み、 夢 について 興 味 がある 様 に、 学 生 たちも 私 のイランとアメリカでの 研 究 やキャリアについて 興 味 を 持 っていました。 特 に 母 親 たちの 話 には 驚 かされました。 彼女 たちはグラミン 銀 行 からの 融 資 を 有 効 活 用 し、規 模 こそ 小 さいものの 家 業 を 立 ち 上 げ、 今 までにない 家 庭 の 経 済 的 基 盤 を 築 き 上 げたのです。学 費 としてグラミン 銀 行 の 奨 学 金 を 受 け 取 っているAUWの 学 生 もいますが、 母 親 たちの 中 には家 業 から 得 た 利 益 から 学 生 の 教 育 費 を 捻 出 した 人 もいます。学 生 との 会 話 で、 他 人 を 助 けたいと 思 う 気 持 ち、 自 分 の 意 見 を 持 つ 意 思 、そして 変 化 を 恐 れない 勇 気 、という3つのテーマが 浮 かびました。 私 は 若 い 彼 女 たちがいつか 自 分 のゴールを 達 成 することができると 信 じています。 知 識 集 約 型 ・ 男 性 優 位 型 社 会 に 取 り 残 された 後 に 待 っている結 末 を 悟 っている 彼 女 たちは、 今 後 の 地 域 社 会 の 変 革 の 中 心 となるに 違 いありません。今 頃 、 学 生 たちはチッタゴンに 到 着 し、 新 しい 人 生 をスタートしていることでしょう。 写 真 を見 ながら 学 生 たちを 思 い 出 している 今 、 私 はこの8 名 の 素 晴 らしい 若 きリーダーたちのキャリアの 最 初 の 一 歩 を 共 有 できたことを 幸 せに 思 います。カレーダさんはパーブナから 車 で 約 1 時 間 半 、ダッカから5 時 間 離 れたカシナポアーという 村 に 住んでいます。カレーダさん、カレーダさんの 両 親 、そして 弟 は 一 部 屋 の 小 さな 家 で 生 活 しています。頻 繁 に 洪 水 に 見 舞 われる 地 域 で、 生 活 水 はヒ 素 に汚 染 されています。カレーダさんの 母 親 のマイーダ・アクターさんは 専 業 主 婦 、 父 親 のアブダス・サターさんはバン( 荷 台 付 運 搬 用 3 輪 人 力 車 )の 運転 手 です。 両 親 共 に 学 校 には 通 ったことはありませんが、 働 き 者 で 子 供 たちの 教 育 にはとても 熱 心です。カレーダさんの 兄 は 高 校 を 中 退 して 別 の 町で 暮 らしています。 家 族 は、 中 学 3 年 生 の 弟 に 十分 な 食 事 を 与 えられない 不 安 や 教 育 費 を 払 えなくなる 心 配 に 悩 まされています。カレーダさんの 母 親 は、1986 年 に 初 めてカシナポアーに 支 店 ができたのを 機 にグラミン 銀 行 に 加 入しました。 当 時 長 男 が 経 営 を 始 めた 小 さなビスケット 屋 のビジネスのために、 母 親 は1998 年 から1999 年 にかけて 合 計 6,000タカ( 約 85ドル)の 融資 を 受 けましたが、すぐに 長 男 は 実 家 を 離 れ 自 分の 家 庭 を 作 りました。 長 男 が 去った 後 、 父 親 の 稼 ぎのみが 一 家の 収 入 源 となりましたが、 雇 われ 業 以 上 の 仕 事 に 就 く 事 はありませんでした。必 要 に 迫 られ、 母 親 は 夫 のバン購 入 のためにグラミン 銀 行 よりまた 融 資 を 受 けました。 不 幸 にもサター 氏 はその 後 病 気 を 患 い、バンを 手 放 す 事 になりました。 現在 、 父 親 はバンを1 日 25タカで 借 り、 月 収 は2,000タカ(28ドル)です。サター 氏 の 病 状 は 思 わしくなく、 母 親 は 金 銭 面 の 不 安 に 頭 を 悩 ませています。彼 女 は 見 るからに 心 配 な 様 子 で、 子 供 たちに 満 足に 食 事 を 与 えられない 現 状 を 涙 ながらに 語 ってくれました。グラミン 銀 行 は 会 員 であるカレーダさん 一 家 に、 万 が 一 の 際 にはいつでも 融 資 する 用 意をしています。カレーダさんは 賢 くて、 働 き 者 で、 強 くて 若 い 女性 です。 学 校 の 先 生 たちは 皆 、 彼 女 の 能 力 を 認 めて 勉 強 の 手 助 けなどをしました。カレーダさんの家 には 勉 強 部 屋 はありませんが、 彼 女 は 常 にクラスのトップでした。さらに10 年 生 を 終 了 する 頃 より 月 額 150タカのグラミン 奨 学 金 が 付 与 されました。カレーダさんの 一 番 興 味 のある 科 目 は 化 学 です。 化 学 を 勉 強 すればバングラデシュの 農 業 生 産性 レベルの 向 上 に 貢 献 できるからです。スポーツも 興 味 はありますが、 女 子 学 生 ということもありこの 分 野 の 体 験 をすることはあまり 有 りませんでした。カレーダさんは 時 間 が 許 す 限 り 地 元 の 村 とその 周 辺 地 域 で 避 妊 による 家 族 計 画 について 知 ってもらう 活 動 をしています。 人 口 の 増 加 がもっとゆるやかになれば、 人 々に 食 物 、 住 居 、そして 教育 を 十 分 に 行 き 届 かせる 事 ができるからです。カレーダさんは 家 族 を 苦 しみから 救 いたいのです。彼 女 は 言 います、「 母 に 家 計 が 心 配 で 泣 くのを 止めてほしい、 父 に 毎 日 長 時 間 バンを 引 かなくても済 むようになってほしい、そして 弟 に 中 等 教 育 だけは 終 わらせてあげたいのです。」。


262010 年 1 月 VOL. 4, NO. 1ハミダさんの 両 親 は 子 供 たちを 育 てるのに 苦 労していましたが、 地 元 のコミュニティーからは働 き 者 で 社 会 知 識 も 高 く、 忍 耐 強 くて 誠 実 な 人柄 として、 非 常 に 人 望 を 集 めています。 多 くの村 人 たちはベガムさんを3 人 の 賢 くて 礼 儀 正 しい 子 供 たちを 育 てながら 家 計 を 切 り 盛 りした 女性 の 成 功 例 として 見 ています。ベガムさんの 大きな 夢 は、 子 供 たちに 高 等 教 育 を 受 けさせて、社 会 的 な 壁 があろうとも 自 分 のプロフェッショナルな 夢 を 実 現 してもらうことです。ハミダさんは 言 います、「 私 の 母 は 勤 勉 な 学 生 だったので、 高 校 卒 業 資 格 を 取 って 大 学 にも 通 いたかったそうです。しかし 母 の 両 親 は 中 学 卒 業 後 、 結さんと 仲 間 たちは 村 の 裕 福 な 家 族 に 陳 情 し、スラム 街 の 人 々の 食 料 や 住 居 、 教 育 の 費 用 を 援 助してもらうことに 成 功 しました。ハミダさんの 夢 は、いつの 日 かバングラデシュの 女 性 たちを 助 けることです。「 女 性 も 高 等 教育 を 受 け、 男 性 同 様 に 働 く 必 要 があります。バングラデシュが 先 進 国 になるためには 女 性 に 対する 教 育 は 不 可 欠 です。 男 性 だけの 力 ではバングラデシュという 国 を 築 くことはできないのです。」ハミダさんは 意 欲 的 で 生 き 生 きとした 若 い 女 性で、パーブナとダッカの 間 のパンシャという 村に 家 族 とともに 住 んでいます。 父 親 は 近 くのバザールで 化 学 肥 料 販 売 店 を 経 営 しており、 母 親は 家 禽 業 を 営 んでいます。ハミダさんには8 年生 と9 年 生 の 妹 2 人 と2 年 生 になる 弟 がいます。常 に 家 族 愛 を 感 じることができるこの 家 族 の 一員 であることに 感 謝 しています。ハミダさんはこう 言 います、「 私 の 両 親 は 男 性 同 様 に 女 性 への 教 育 も 重 要 だと 考 えています。 両 親 は 私 の 成長 の 過 程 で、 私 の 助 けを 必 要 としている 我 々の国 の 女 性 たちのためにも、 女 性 として 自 分 自 身で 教 養 を 身 につける 責 任 があると 言 い 続 けていました。」このようにハミダさんの 両 親 は、 彼女 が 他 の 女 性 たちに 良 い 影 響 を 与 えられる 女 性になるように 誘 導 したのです。ハミダさんと 家 族 は 経 済 の 浮 き 沈 みを 経 験 してきました。 父 親 は 高 校 を 卒 業 後 、 長 年 農 業 を 営んでいましたが、 収 入 が 安 定 したことは 一 度 もありませんでした。 母 親 のアフロザ・ベガムさんは 中 学 校 まで 終 了 した 後 、 主 婦 になりました。ベガムさんは2000 年 にグラミン 銀 行 に 加 入 した 後 、すぐに10,000タカの 融 資 を 受 けました。小 さな 化 学 肥 料 のビジネスを 立 ち 上 げ、 夫 がバザールでお 店 を 開 くほどに 拡 大 させました。その 後 50,000タカの 融 資 を 受 けた 一 家 は、 家 禽業 を 始 めました。ベガムさんは、グラミン 銀 行の 融 資 のおかげで 数 々の 経 済 危 機 を 乗 り 越 えてきたのです。しかし、ハミダさんには 就 学 中 の3 人 の 兄 弟 がいるため、 家 計 の 苦 しさは 続 いています。「 私 の 両 親 は 男 性 同 様 に 女 性 への 教 育 も 重 要 だと 考 えています。 両 親 は私 の 成 長 の 過 程 で、 私 の 助 けを 必 要 としている 我 々の 国 の 女 性 たちのためにも、 女 性 として 自 分 自 身 で 教 養 を 身 につける 責 任 があると 言 い 続 けていました。」ハミダさん婚 させたがったのです。 母 は 常 に、 勉 強 に 励 みなさい、そして 自 分 ができなかったことを 達 成して 欲 しいと 述 べていました。」。ハミダさんの 先 生 たちは 彼 女 の 才 能 と 努 力 を 評価 しています。 小 学 生 時 代 の 先 生 の1 人 はハミダさんの 教 育 課 程 を 常 にサポートしてきました。幼 いときから 世 界 について 興 味 を 持 ち、 教 科 書や 授 業 の 範 囲 にとどまらず 好 奇 心 旺 盛 に 学 んでいた 彼 女 に 先 生 は 引 きつけられていました。 次第 に、ハミダさんは 小 説 とノンフィクションを熱 心 に 読 むようになり、 家 や 町 で 見 る 様 々な 出来 事 を 必 死 に 観 察 するようになりました。6 年 生 より 政 府 の 奨 学 金 を 毎 年 受 賞 し、 常 にクラスのトップ45% 内 に 入 り75%の 単 位 を 修 得し、そして18 歳 以 前 には 結 婚 をしないという規 約 全 てを 守 りました。さらに、グラミン 銀 行からは3ヶ 月 毎 に1,500タカの 学 費 補 助 金 を 貸与 され、 高 校 卒 業 試 験 に 合 格 した 事 により 返 却も 免 除 されました。この 奨 学 金 のお 陰 でハミダさんは 学 費 の 一 部 を 賄 うことが 出 来 ました。ハミダさんは 勉 学 のほかにも、テニス、クリケット、 文 学 コンテスト、 文 化 活 動 、そして 被 災支 援 など 様 々な 活 動 にも 参 加 しています。 文 化祭 の 運 営 にもチームリーダとして 携 わりました。さらに、 学 校 周 辺 のスラム 街 でも 幅 広 く 活 動 をしています。このスラム 街 は 川 沿 いにあるため、 彼らは 頻 繁 に 洪 水 問 題 に 直 面 するのです。ハミダハミダさんがグラミン 銀 行 の 融 資 を 受 けている 母 親 と 一 緒 に、パンシャの 自 宅 前 でアザデ・プーザンドさん( 本 文 寄 稿 者 )はハーバード・ケネディ・スクール 公 共 政 策 修 士 課 程 の 学 生 です。プーザンドさんはイランのテへランで 生 まれ 育ちました。AUWのサマーインターン 生 としてプーザンドさんはバングラデシュの 村 々を 訪 問 し、8 名 のAUWアクセスアカデミーの 学 生 をインタビューしました。 彼 女 たちの 母 親 は 皆 グラミン 銀 行 のメンバーです。グラミン 銀 行 と 創 立 者 のモハメド・ユヌス 氏 は2006 年 にノーベル 平 和 賞 を 受 賞 しています。この 母 親 たちは 村 の 中 で 最 初 にグラミン 銀 行 より 融 資 を 受 けた 女 性 でした。


国 際 アドバイザー 委 員 会 27AUW 国 際 アドバイザー 委 員 会 新 メンバーのご 紹 介ブルース・アルバート 氏 は 科 学教 育 の 向 上 へ 献 身 的 に 取 り 組 んでいる 著 名 な 生 化 学 者 です。2008 年 にサイエンスマガジンの 編 集 長 として 具 体 的 な 活 動 を始 めました。アルバート 氏 は12年 間 、ワシントンD.C.のナショナルアカデミーオブサイエンスの 代 表 を 務 めた 後 、 現 在 は、カリフォルニア 州 サンフランシスコ大 学 の 生 物 化 学 科 と 生 物 物 理 学科 の 教 授 を 務 めています。 生 物化 学 と 分 子 生 物 学 科 の 分 野 で 著 名 なアルバート 氏 は、15の名 誉 学 位 を 含 む、 多 くの 名 誉 賞 などを 受 賞 しています。また、ゴードン&ベティ・ムーア 基 金 やローレンス・バークレー 国 立 研 究 所 など、25 以 上 の 非 営 利 団 体 の 理 事 会 メンバーを 兼 任 しています。ルイーザ・ブルノリ 氏 はイタリアのボローニャ 大 学 心 理 学 科 の教 授 であり、interdepartmentalCentre <strong>for</strong> research and Groupintervention (CiriG)のディレクター 及 び 創 立 者 です。グループ・ダイナミックスの 理 論 と 技 法 の教 授 も 務 め、 臨 床 心 理 学 と 精 神医 学 を 専 門 としています。アンドレア・ガボスト 氏 は 人 文 ・社 会 科 学 分 野 の 研 究 をおこなっている 非 営 利 団 体 、GiovanniAgnelli Foundationのディレクターです。トゥーリン 大 学 で 経済 学 位 を 取 得 後 、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで 経済 学 を 専 攻 しました。GiovanniAgnelli Foundationに 就 任 前は、banca d’italia、Fiat、Confindustriaの 研 究 所 に 勤 務し、2002 年 から2007 年 まで、Telecom italiaのチーフエコノミストを 務 めました。デボラ・デホイス 氏 はシカゴのメイヤー・ブラウン 法 律 事 務 所のパートナーです。 以 前 は 同 法律 事 務 所 にてマネージング・パートナーを 務 めていました。ミキー・カントール 氏 はワシントンD.C.のメイヤー・ブラウン法 律 事 務 所 のパートナーです。過 去 に 米 国 商 務 長 官 (1996年 から1997 年 )そして 米 国通 商 代 表 (1993 年 から1996 年 )を 歴 任 しています。ユング・ジョン(“YJ”)・キム 氏は 香 港 の 国 際 法 律 事 務 所 、milbank,Tweed, hadley & mcCloy LLPのパートナーです。ロウレン・カヘア・モリアルティ氏 は 地 域 社 会 の 指 導 者 であり、若 者 の 指 導 者 的 存 在 でもある 元アメリカ 大 使 です。1978 年から2007 年 の 間 、アメリカの 外 交 官 として 勤 務 しました。バンコク、イスラマバード、 台北 、 北 京 、ホノルル、そしてワシントンD.C.などのアメリカ 大使 館 で 務 めた 経 験 があります。アジア 太 平 洋 経 済 協 力 閣 僚 会 議(APEC)ではハワイ 先 住 民 の 出身 者 として 初 のアメリカ 大 使 となりました。 多 国 間 援 助 ・ 国際 金 融 に 関 するワシントン 政 策 の 立 案 へ 貢 献 し、アメリカの交 通 機 関 ・ 衛 生 問 題 に 対 する 関 心 の 向 上 を 働 きかけ、 中 国 ・台 湾 の 世 界 貿 易 機 構 (WTO) 加 入 交 渉 における 橋 渡 し 役 としても 活 躍 しました。 教 育 指 導 に 意 欲 があり、 高 校 の 理 事 会メンバー、 中 学 や 高 校 で 教 員 としての 経 験 もあります。また、開 発 途 上 国 で 働 いたアメリカ 外 交 官 としてアメリカ 内 務 省 よりリーダーシップとメンタリングの 最 高 賞 を 受 賞 しました。リチャード・サラー 氏 は 現 在 スタンフォード 大 学 の 文 理 学 部 の学 長 です。スタンフォードに 着任 する 前 は、シカゴ 大 学 での 総 長(2002 年 から2006 年 )、社 会 科 学 課 程 の 学 長 (1994年 から2001 年 )を 務 めました。また、2005 年 には、アメリカン・アカデミー・オブ・アート・アンド・サイエンスに選 ばれました。サラー 氏 の 研 究は、ローマ 社 会 における 階 層 間の 依 存 ・ 主 従 関 係 、 家 族 関 係 、 帝 国 経 済 を 専 門 としています。 現 在 の 社 会 科 学 理 論 に 基 づき、 文 学 、 法 律 、そして 碑文 を 使 って 社 会 的 階 級 、 男 女 の 違 い、そして 経 済 的 生 産 について 研 究 しています。イリノイ 大 学 で 歴 史 とギリシャ 語の 学 士 を 取 得 し(1974 年 )、ケンブリッジ 大 学 で 博 士 課程 を 修 めました(1978 年 )。キャサリン・R・スティンプソン 氏は1998 年 にニューヨーク 大学 の 教 養 学 部 大 学 院 (Graduateschool of Arts and science)の 学 長 に 任 命 され、 現 在 も 大学 で 教 授 として 教 鞭 をとっています。nYUに 着 任 する 前は、macArthur FoundationFellows Programのディレクターを 務 めていました。ラトガーズ 大 学 では 教 授 、 大 学 院 の 学 長 、そして1986 年 から1992年 まで 大 学 院 教 育 の 副 総 長 を 務めました。ニューヨーク 州 の 人 文 学 カウンシル、ナショナル・カウンシルの 女 性 研 究 において 代 表 を、またモダン・ランゲージ・アソシエーションでも 代 表 を 経 験 しています。バーナルドカレッジの 女 性 センター、そしてラトガーズ 大学 の 女 性 研 究 所 の 初 代 ディレクターも 務 めました。M.オスマン・ユセフ 氏 は 国 際 ビジネスのコンサルタントであり、ワシントンD.C.を 拠 点 とする 国際 ビジネス 開 発 コンサルティング 会 社 、sYFグループの 代 表 兼経 営 最 高 責 任 者 を 務 めています。AUW-JKSK 連 携 プロジェクトNPO 法 人 JKSK( 女 子 教 育 奨 励 会 )-(Empowering <strong>Women</strong> Empowering Society)nPO 法 人 JKsK( 女 子 教 育 奨 励 会 )-(Empowering <strong>Women</strong> Empoweringsociety)は、AUW-JKsK 連 携 プロジェクトに 着 手 することにし、2009 年 12 月 12 日 、AUWとの 間 で“AUW-JKsK Partnership Agreement”を 締 結 した。その 内 容 は、 以 下 の 通 りである。1)2010 年 10 月 にAUWに 入 学 する5 人 (5ヵ 国 )の 学 生 に 対 し1 人 当 たり20 万 円 の 奨 学 金 を6 年 間 供 与 する(“AUW-JKsK 奨 学 生 ”と 呼 ぶ)。2)JKsK 関 係 者 (JKsK Communication mates)は、AUW-JKsK 奨 学 生 と 少 なくとも1 年 に2 回 メール 等 によりCommunicationをとりあい、 将 来 の 夢 、大 学 生 活 の 様 子 、 情 報 交 換 、 意 見 交 換 等 を 通 して 友 情 関 係 を 醸 成 する。3)6 年 間 の 在 学 中 に、 少 なくとも1 回 、AUW-JKsK 奨 学 生 を 日 本 に 招 聘 し、インターンシップ、 研 修 、 文 化 交 流 などを 通 して、 日 本 社 会 での 経 験 、 日 本 における 多 くのAUW 支 援 者 と 相 互 親 交 を 通 して 友 好 、 友 情 を 深 める。4)JKsK 関 係 者 のAUW 訪 問 、 親 交 を 図 る。5)AUW-JKsK 奨 学 生 とは、JKsK 関 係 者 は、 末 永 く 友 情 関 係 を 維 持 していく。このプロジェクトを 成 就 させるための 方 策 は 以 下 の 通 りである。1)AUW-JKsK 連 携 プロジェクト 検 討 ・ 運 営 委 員 会 を 発 足 (2009 年 9 月 2 日 第 1 回 委 員 会 開 催 )。2)JKsK-WE(<strong>Women</strong> Empowering) 基 金 の 設 立 。3) 募 金 活 動 を 開 始 (いつもAUWのことに 思 いを 馳 せ、 募 金 を 続 けよう!という“One Coin 運 動 ”に 参 加 する 仲 間 が 増 えてきている)。


<strong>Asian</strong> <strong>University</strong> <strong>for</strong> <strong>Women</strong> Support Foundation1100 Massachusetts Avenue, Suite 300Cambridge, MA 02138, USAアジア 女 子 大 学 支 援 財 団 ガバナンス国 際 アドバイザー 委 員 会リタ・コルウェルメリーランド 大 学 、ジョンズ・ホプキンス 大 学 ブルームバーグ 公 衆 衛 生 大 学 院 名 誉 教 授 (アメリカ)、共 同 委 員 長タエブ・カマリテクノロジー 高 等 大 学 副 総 長 (アラブ 首 長 国 連 邦 )、共 同 委 員 長サラ・アバシディベロップメント・イン・リテラシー 理 事 長(パキスタン・アメリカ)ヴィシャカ・デサイアジア・ソサエティー 代 表 兼 CEO(アメリカ)我 喜 屋 まりこ戦 略 国 際 問 題 研 究 所 AbshirE-inAmOri 特 別 研 究員 、hArVArD inTErnATiOnAL nEGOTiATiOniniTiATiVEシニアアカデミックアドバイザーミッシェル・グテリエプロビデンス・エクイティ 香 港 オフィスマネージング・ディレクター(オーストラリア・ 香 港 )ステファニー・フイゴールドマン・サックス 証 券 ( 香 港 )マネージング・ディレクターダイパック・ジェインノースウェスタン 大 学 ケロッグ 経 営 大 学 院 学 長(アメリカ)サリー・ジュタバ元 タイ 王 国 外 務 大 臣 アドバイザー(タイ)KC・ラムイービズエニウェア・テクノロジー 社 マネージング・ディレクター( 香 港 )ジェフリー・リーマン北 京 大 学 国 際 法 大 学 院 総 長 、 初 代 学 長 ( 中 国 )、コーネル 大 学 前 学 長 (アメリカ)マリナ・マハティールジャーナリスト、 人 権 とエイズ 問 題 の 活 動 家(マレーシア)サラ・キルダー・メリティムタバラ 財 団 創 立 者 兼 取 締 役 (アラブ 首 長 国 連 邦 )シェイカ・アブドゥラ・アル・ミスナッドカタール 大 学 総 長 (カタール)ルルワ・アル・ムラアジア 女 子 大 学 クウェート 支 援 グループ 代 表 、ウーマンズ・カルチュラル・ソーシャル・ソサエティ 事 務 局 長 (クウェート)レジーナ・パパアジア 女 子 大 学 アクセスアカデミー 元 代 表 、アラガッパ 大 学 女 性 学 部 元 創 立 者 (インド)ディー・プーンDYsEmEVAs 創 立 者 ( 香 港 )カヴィタ・N・ラムダスグローバルファンドフォーウーマン 代 表 兼 CEO(インド・アメリカ)チャールズ・レイモンドハドソン・ハイツ・パートナー 共 同 経 営 者 、シティグループ 財 団 元 代 表 (アメリカ)クレア・ローゼンフィールドグローバルヒーリング 財 団 共 同 責 任 者 、コンタクトヒーリング 創 立 者 (アメリカ)ブライアン・サンダーソンスタンダード・チャーター 銀 行 元 会 長 、ノーザン・ロック 銀 行 元 会 長 、bPケミカル 元 CEO 兼 マネージング・ディレクター(イギリス)ジャヴェイド・シェイクウェイル・コーネル 医 学 大 学 暫 定 学 長 (カタール)竹 内 佐 和 子京 都 大 学 都 市 工 学 部 研 究 科 都 市 環 境 工 学 教 授( 日 本 )ダイアナ L. テイラーウォーレンション&カンパニーマネージング・ディレクター、ニューヨーク 州 銀 行 協 会 元 最 高 責 任 者(アメリカ)アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 理 事 会ジャック・マイヤーCOnVEXiTY CAPiTAL mAnAGEmEnT 専 務 取 締役 兼 CEO、hArVArD mAnAGEmEnT COmPAnY元 社 長 、アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 理 事 長カマール・アーマッドアジア 女 子 大 学 支 援 財 団 代 表 兼 CEOリトゥ・バンガJOinT sChOOLs ACTiViTiEs, inC. 理 事 、アジア女 子 大 学 支 援 財 団 キャンパス 計 画 諮 問 委 員 会 委 員ヴィヴィアン・ロウェリー・デリックACADEmY FOr EDUCATiOnAL DEVELOPmEnTシニア・アドバイザー、 元 シニア・バイスプレジデント、 米 国 国 際 開 発 庁 (UsAiD) 元 アフリカ 担 当 長 官 補 佐M. バーナーディン・ディアスカーネギー・メロン 大 学 ロボット 工 学 研 究 所 研 究 員メレディス・ドイグmiDLOThiAn COnsULTinG 代 表 、メルボルン 大学 顧 問 、メイヤー 財 団 ThE CrAnLAnAPrOGrAmmE 議 長エズラ S. フィールドrOArK CAPiTAL GrOUPマネージング・ディレクターハナ H. グレイシカゴ 大 学 名 誉 学 長 ・hArrY PrATT JUDsOn 殊勲 賞 受 賞 史 学 部 名 誉 教 授フーネン・クーアジア 女 子 大 学 学 長 兼 副 総 長 代 理カタリーナ・コーエンゴールドマン・サックス 証 券 ( 香 港 ) 証 券 部 門 エグゼクティブ・ディレクタージル・ラーナーKOhn PEDErsEn FOX ArChiTECTs 代 表 、アジア 女 子 大 学 支 援 財 団 キャンパス 計 画 諮 問 委 員会 委 員 長キャシー・ 松 井ゴールドマン・サックス 証 券 ( 日 本 )マネージング・ディレクター、チーフ 日 本 株 ストラテジスト、汎 アジア 投 資 調 査 部 共 同 ディレクタージャネット・モンタグJPモルガン・チェース 元 職 員 、アジア 女 子 大 学 支援 財 団 資 金 調 達 諮 問 委 員 会 委 員 長ジュディー・ムディー・スチュワート教 育 専 門 家 ・ 地 域 人 権 擁 護 慈 善 活 動 家 、TrAnsPArEnCY inTErnATiOnAL(イギリス 支 部 )理 事 、ロンドン 大 学 東 洋 アフリカ 研 究 学 院 (sOAs)国 際 顧 問 委 員ウィリアム H. ニュートン・スミスオックスフォード 大 学 ベイリオルカレッジ 哲 学 科特 別 研 究 員 兼 講 師 、OPEn sOCiETY insTiTUTE高 等 教 育 委 員 会 会 長キャサリーン・パイクテンプル 大 学 日 本 キャンパス( 東 京 ) 心 理 学 部 教 授 ・副 研 究 院 長ヘンリー・ロゾフスキーハーバード 大 学 LEWis P. AnD LinDA L.GEYsEr 大 学 名 誉 教 授 ・ 教 養 学 部 前 学 長キャサリーン W. 笹 沼ThE FOrEiGn EXECUTiVE WOmEn’sOrGAniZATiOn 役 員 ( 東 京 )、CArEErsTrATEGiEs sEminAr 元 代 表ジェニファー A. ショアーシティグループ、KissinGEr AssOCiATEs 元 職 員大 学 後 援 委 員 会シーク・ハシナ・ワザッドバングラデシュ 首 相 、アジア 女 子 大 学 後 援 委 員 会代 表シェリー・ブレアロンドン・マトリックス・チャンバーメンバー、人 権 派 弁 護 士 、シェリー・ブレア 女 性 財 団 創 立 者エンマ・ボニーノイタリア 上 院 副 議 長 、 多 国 籍 急 進 党 元 党 首 、 元 欧州 議 会 議 員アンソン・チャン元 香 港 政 務 司 司 長 、 元 香 港 政 府 政 務 主 任ロネ・ディブカーデンマーク 議 会 議 員 、 元 デンマーク 環 境 大 臣 、 元欧 州 議 会 議 員コンドリーザ・ライススタンフォード 大 学 hOOVEr insiTTUTE 上 級 研究 員 、 元 アメリカ 国 務 長 官 、 元 国 家 安 全 保 障 問 題担 当 補 佐 官各 国 のアジア 女 子 大 学 サポートグループと 連 絡 先オーストラリア AUSTRALIAN FRIENDS OF AUWジョアン・レフロイ&メレディス・ドングauwsupport.aus@gmail.com日 本FRIENDS OF AUW JAPAN代 表 : キャシー・ 松 井 &キャシー・パイクauwjapan@gmail.com香 港 HONG KONG AUW SUPPORT GROUPカタリーナ・コーエン、エイダ・イップ、ジュリー・ウィッツジェンスティン、ケイ・マカードルauw.hk.support@live.hkイギリス UNITED KINGDOM AUW SUPPORT GROUPジュディー・ムディー・スチュワートauwsupportuk@gmail.com.www.asian-university.orgアジア 女 子 大 学 支 援 財 団1100 Massachusetts Avenue, Suite 300Cambridge, Massachusetts 02138, USATel: +1 617 914 0500Fax: +1 617 354 0247アジア 女 子 大 学20/A M M Ali RoadChittagong – 4000, BangladeshTel: +880 31 285 4980Fax: +880 31 285 4988

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