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身体心理療法における間接的身心技法の構造 - 札幌学院大学

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身 体 心 理 療 法 における 間 接 的 身 心 技 法 の 構 造【 特 集 身 体 志 向 心 理 療 法 のさまざまなアプローチ】身 体 心 理 療 法 における 間 接 的 身 心 技 法 の 構 造葛 西 俊 治1)Ⅰ.はじめに神 経 症 と 筋 肉 の 鎧西 欧 における 身 体 心 理 療 法 (body orientedpsychotherapy, body psychotherapy) は、精 神 分 析 を 創 始 し た S. フ ロ イ ド (SigmundFreud,1856-1939) の 弟 子 の 一 人 、W. ラ イ ヒ(Wilhelm Reich, 1897-1957) によるベジト ・セラピー (vegeto therapy) にさかのぼる。もともと 神 経 症 の 治 療 のために 開 発 された 精 神分 析 では、 欲 動 の 心 的 エネルギーであるリビドー (libido) が 自 由 に 行 き 来 できずに 停 留 することによって 神 経 症 および 神 経 症 的 症 状 が 発 生すると 捉 えていた。ライヒはリビドーの 停 留 や固 着 とは 心 理 のみならず 身 心 両 面 における 現 象であることを 見 いだし、 慢 性 的 な 筋 緊 張 が 身 体に 組 み 込 まれ「 筋 肉 の 鎧 muscular armor」を造 り 出 すと 考 えた。 例 えば、 不 安 や 恐 怖 にさらされると 呼 吸 を 止 めることによって 感 じることを 停 止 することがあるが、ライヒはそうした 身 体 反 応 がたとえば 胸 や 喉 や 口 などの 呼 吸 経路 に 沿 った 慢 性 的 な 筋 緊 張 や 姿 勢 の 硬 化 となり「ヨロイ」のように 実 体 化 するという 身 心 過程 を 想 定 した。そのため、ライヒの 系 譜 にある身 体 心 理 療 法 では 筋 肉 の 固 着 をほぐすためのマッサージと 呼 吸 の 改 善 に 関 するアプローチが組 み 込 まれた。なお、ライヒはリビドーという性 的 エネルギーに 基 づく 汎 性 論 的 な 考 え 方 を 徹底 し、 性 的 エネルギーを 抑 圧 する 文 化 政 治 体 制への 批 判 から 共 産 主 義 ・ 社 会 主 義 に 傾 倒 して 精神 分 析 の 本 流 から 逸 脱 していった。その 後 、ライヒのセラピーを 受 けて 自 らの 神 経 症 的 な 身体 心 理 症 状 の 存 在 に 衝 撃 を 受 けた 精 神 科 医 のA. ローエン (Alexander Lowen, 1910-2008) 1)は、そうした 体 験 に 基 づいて「 生 体 エネルギー法 bioenergetics」と 呼 ぶアプローチを 展 開 していった。ローエンによる 著 作 が 精 力 的 に 翻 訳されたこともあり、 国 内 ではバイオエナジェティックスがしばしば 言 及 されるに 至 っている。* ライヒの 系 譜 にある 身 体 心 理 療 法 の 経 緯 などについては 葛 西 (2006, 2013) 2)3) を 参 照 のこと。心 身 一 如 という 言 葉 は 身 体 と 心 理 面 が 切 り離 せないひとまとまりであることを 指 し 示 すように、 西 欧 における 身 体 心 理 療 法 の 展 開 は結 果 的 にマッサージやその 他 の 身 体 療 法 とそうした 身 体 技 法 によってもたらされる 心 理 療法 的 な 効 果 を 位 置 づける 礎 石 となった。たとえば、アレクサンダー ・ テクニック (AlexaderTechnique) や フ ェ ル デ ン ク ラ イ ス・ メ ソ ド(Feldekrais method) などの 身 体 心 理 的 技 法 、ロルフィング (Rolfing) などの 身 体 技 法 は 本 来は 身 体 的 アプローチであるが、その 中 に 何 らかの 心 理 療 法 的 効 果 を 伴 うアプローチとして 認 識されるようになった。 身 体 療 法 と 身 体 心 理 療 法とはしばしば 近 しい 関 係 にあるけれども、 身 体療 法 における 心 理 療 法 的 効 果 とはあくまでも 付随 的 に 発 生 する 間 接 的 な 効 果 として 位 置 づけられる。なお、 最 近 、 日 本 形 成 外 科 学 会 と 日 本 腰 痛 学会 が、 腰 痛 の 発 症 や 慢 性 化 には 心 理 的 ストレスが 関 わっており、 画 像 検 査 などでも 原 因 が 特 定できない 腰 痛 が 大 半 を 占 めるというガイドライ1) 札 幌 学 院 大 学 人 文 学 部 臨 床 心 理 学 科− 1 −


臨 床 心 理 学 研 究 50 - 2そのものには 直 接 向 かい 合 わないという 意 味 での「 超 越 」 的 なアプローチとなっている。ところでそうした「 超 越 」という 言 葉 から 哲 学 的 な響 きを 除 いてみると、「 腕 の 脱 力 」 及 び「 森 田神 経 質 」における 神 経 症 症 状 に 対 して、どちらの 場 合 も 問 題 への 直 接 的 な 関 与 を 避 けて 間 接 的なアプローチになっていることが 見 てとれる。以 下 では、「 超 越 」という 言 葉 を「 間 接 化 」あるいは「 間 接 性 」という 言 葉 に 言 い 換 え、そうした 間 接 的 な 対 応 や 対 処 について 検 討 を 加 えていく。Ⅲ. 間 接 性 と「 暗 黙 知 」 構 造焦 点 的 覚 知 と 副 次 的 覚 知「 暗 黙 知 tacit knowledge」とはハンガリー出 身 の 科 学 哲 学 者 マイケル ・ ポラニー (MichaelPolanyi, 1891-1976) が 提 唱 し た 概 念 で あ る( ポランニーとも 表 記 される ) 9)10)11)12) 。暗 黙 知 の 基 本 的 な 意 味 は「 人 は 言 葉 で 語 る以 上 に 潜 在 的 に 物 事 を 知 っていること」であり、いわゆる 潜 在 的 知 覚 (tacit perception) に関 わるものである。しかし、ポラニーの 理 解はそうしたレベルに 留 まらず、1) 焦 点 的 覚 知(focal awareness) と 副 次 的 覚 知 (subsidiaryawareness) の 対 比 を 明 確 化 して、 動 作 における 注 意 対 象 と 無 意 識 化 される 部 位 の 存 在 を 示 したこと、2) そうした 両 者 によって 全 体 としての動 作 が 実 現 されるが、 二 つの 事 柄 や 部 位 は 相 互に 連 接 していながら 異 なる 機 能 をもつという 相互 関 係 にあること、そして、3) このように 位 相的 に 異 なる 二 つの 対 象 の 関 係 に 基 づいて 今 日 のシステムズ・アプローチ (systems approach)の 基 本 を 提 唱 したこと、と 捉 えられる。ここでは、 暗 黙 知 からの 展 開 となる「 焦 点 的 覚 知 と 副次 的 覚 知 」を 中 心 にして 身 体 心 理 療 法 の 技 法 の中 にそうした 構 造 が 存 在 することを 示 し、それを「 暗 黙 知 構 造 tacit knowledge structure」と 呼 ぶことにする。ポラニーが 示 している 例 としてたとえば「 金槌 で 釘 を 打 つ」 動 作 がある。 釘 を 打 ち 付 けようとするとき、 意 識 は 金 槌 や 釘 へと 向 いている( 焦 点 的 覚 知 ) のに 対 して、 金 槌 を 支 えている肘 や 肩 などはおおむね 無 意 識 ( 副 次 的 覚 知 ) の状 態 にある。 覚 知 されている 部 位 と 副 次 化 されて 無 意 識 ないし 無 自 覚 な 部 位 とによって「 金 槌で 釘 を 打 つ」 動 作 が 構 成 されている。つまり、何 らかの 目 的 のために 行 われる 動 作 には、 目 的に 関 わる 対 象 や 部 位 などが 意 識 化 されて 焦 点 的覚 知 の 対 象 となるだけではなく、そうした 動 作が 実 現 されるための 基 礎 となる 下 部 構 造 たとえば 肘 や 肩 はそれほど 自 覚 されず、 無 意 識 のうちに、つまり 副 次 的 覚 知 の 状 態 にあって 当 該 動 作を 実 現 するために 働 く。ポラニーが 唱 えた 暗黙 知 の 概 念 は 元 々は、 閾 値 下 知 覚 (subliminalperception) などのように、 意 識 の 焦 点 化 を 受けず 自 覚 されないままに 参 照 されている 知 識 や知 覚 を 想 定 していたが、 意 識 vs 無 意 識 という対 比 の 自 然 な 拡 張 として 焦 点 的 覚 知 と 副 次 的 覚知 という 対 比 が 生 み 出 されてきたといえる。ポラニーの 焦 点 的 覚 知 と 副 次 的 覚 知 という 対 比は、 身 体 動 作 を 意 識 ・ 無 意 識 や 自 覚 ・ 無 自 覚 といった 心 理 的 側 面 から 位 置 づけており、 身 体 心理 的 アプローチにおいてあらためて 注 目 すべき観 点 といえる。 以 下 に 示 すように、 身 体 心 理 的アプローチを 暗 黙 知 構 造 から 捉 えることによって、そこに 身 体 制 御 に 関 する「 間 接 性 」ないし「 間接 化 」のテーマを 明 確 に 見 いだすことができる。システムとしての 身 心 症 状ポラニーによる 暗 黙 知 構 造 は 上 の (3) に 示したように 今 日 のシステムズ・アプローチ(systems approach) の 先 駆 的 な 指 摘 ともなっているので、 特 に 身 体 心 理 的 アプローチにおける 身 心 症 状 と 結 びつけてその 基 本 的 な 点 にふれておく ( 詳 細 については、 葛 西 2013 を 参 照 のこと )。 様 々な 身 心 症 状 があるが 例 えば「 不 安 」を 取 り 上 げてみると、a) 何 らかの 出 来 事 があって 強 い 不 安 を 感 じた、b) ドキドキして ( 交 感 神− 6 −


身 体 心 理 療 法 における 間 接 的 身 心 技 法 の 構 造経 の 興 奮 ) 手 に 汗 をかいた、c) そうした 身 心 状態 の 中 で 失 策 をしてしまった、といったような展 開 があると、 不 安 (a) とそれに 結 びつく 身 体状 態 (b) とが 一 つの 相 互 連 関 の 構 造 を 構 成 して、そうした 身 心 状 態 が 失 策 という 忌 避 すべき 事 柄(c) と 結 びつくことによって、d)「 失 敗 したらどうしよう」という 予 期 不 安 が 起 きる。このように a,b,c,d の 事 柄 が 全 体 として 一 連 の 身 心 反応 の 構 造 を 形 作 りそれが 身 心 症 状 として 表 れてくることから、 身 心 症 状 を「 一 つのシステム」として 考 えることができる。すると、 身 心 症 状に 介 入 して 何 らかの 変 容 をもたらす 身 体 心 理 療法 とは、 抽 象 的 に 述 べれば、 身 心 症 状 というシステムの 作 動 の 変 更 や 改 変 に 関 わるアプローチとなる。そうしたシステムの 基 本 的 特 徴 としては、1) システムはそれに 関 わる 要 素 によって 構成 された「 閉 じた」 構 造 であり、システムの 内部 にある 様 々な 要 素 の 相 互 関 係 によって 作 動 すること、2) システムはそのようにしてシステムそのものを 維 持 するとともに、その 作 動 を 再 生産 し 続 けること、すなわち、システムには 自 己生 成 ( オートポイエーシス autopoiesis) 機 能 があること、3) システムは 外 部 との 接 触 の 中 で何 らかの 影 響 を 受 けるが、 外 部 とは 一 体 ではなく 独 立 性 を 維 持 していること、などが 挙 げられる。なお、ここでは 身 体 システムと 心 理 システムという 二 つのシステムのカップリング ( 接 合 )とデカップリング ( 接 合 の 分 離 ) といった 詳 細な 議 論 は 行 わず 概 略 的 な 位 置 づけのみを 示 している。森 田 神 経 質 の 身 心 症 状 は、こうしたシステム論 的 な 見 方 に 基 づけば 間 違 いなく「 身 心 症 状 システム」であり、それが 自 らのシステムを 再 生産 し 続 けるだけではなく、ポジティブ・フィードバックによって 身 心 症 状 をさらに 悪 循 環 させる 働 きを 備 えていることもみてとれる。たとえば、 赤 面 している 自 分 を 恥 じたりそうした 自 分を 見 られたくないことを 過 剰 に 意 識 することによって、たとえば 強 迫 神 経 症 的 な 反 応 が 進 む。赤 面 を 見 せないように 日 焼 けし 過 ぎて 周 りから逆 に 注 視 される 状 態 を 作 り 出 すなどは 誤 った「はからい」であり、 身 心 症 状 と 対 処 方 法 における 悪 循 環 の 例 といえる。 身 心 症 状 を 改 善 すべく 本 人 によって 試 みられる 逆 効 果 の「はからい」を 含 めて、 身 心 症 状 システムは 自 らの 構 造 をさらに 強 化 し、 外 部 からの 様 々な 刺 激 に 対 してもシステムの 挙 動 が 維 持 され、 身 心 症 状 とそれを生 み 出 すシステムそのものが 安 定 的 に 再 生 産 されていく。システムとは 外 部 からの 影 響 によって 完 全 には 左 右 されずそのシステム 独 自 の 平 衡状 態 ( ホメオスタシス homeostasis) を 保 とうするダイナミックな 構 造 をもつといえる。したがって、 身 体 心 理 療 法 などのアプローチとは、そうしたシステム 化 した 身 心 状 態 のあり 方 を 改変 させたりシステムその 自 体 への 介 入 の 試 みとして 位 置 づけることができる。このように 身 心症 状 を「 一 つのシステム」として 把 握 しポラニーの 暗 黙 知 構 造 および「 間 接 化 」に 関 わる 心 理 療法 的 枠 組 みを 取 り 入 れることによって、 身 体 心理 療 法 は 身 心 症 状 というシステムの 変 容 に 取 り組 むアプローチとしてあらためて 位 置 づけられる。身 体 心 理 的 アプローチにおける 副 次 的 覚 知焦 点 的 覚 知 と 副 次 的 覚 知 とは 動 作 などに 関 わる 意 識 と 無 意 識 のあり 方 を 示 す 術 語 である。これを 閾 値 ( いき 値 、しきい 値 threshold) という心 理 学 用 語 を 用 いて 言 い 換 えるならば、「 釘 を打 つこと」に 意 識 が 向 いているとき ( 焦 点 的 覚知 )、 意 識 の 焦 点 からは 遠 い 肘 や 肩 などの 感 覚は「 意 識 化 されるに 至 らない 程 度 にまで 感 覚 の閾 値 が 上 がっているために、 意 識 にのぼらない状 態 」( 副 次 的 覚 知 ) と 言 うことができる。 感覚 として 得 られているけれども、ある 強 さ ( 閾値 ) になっていないために 意 識 の 対 象 にならないものは、まさに 暗 黙 知 として 潜 在 的 に 知 られている 状 態 といえる。そうした 状 態 に 関 わる 心理 学 的 概 念 として「 注 意 attention」という 機− 7 −


臨 床 心 理 学 研 究 50 - 2能 が 取 り 上 げられる。 関 連 する 心 理 学 研 究 はおおよそ 次 の 三 つのテーマ、1) 選 択 的 注 意 、2)処 理 容 量 または 心 的 資 源 、3) 持 続 的 注 意 ( ビジランス vigilance)、である。 選 択 的 注 意 とは「カクテル ・ パーティ 現 象 」の 例 のように、 大勢 が 話 している 中 から 特 定 の 人 の 声 を 選 択 して聞 き 取 る 能 力 など、 意 識 の 志 向 性 と 選 択 性 に 関わる 機 能 である。また、 人 は 一 度 に 多 くのことに 注 意 を 集 中 することができず 注 意 という 資 源の 容 量 や 分 配 には 限 界 があること、また、レーダー 画 面 を 長 時 間 注 視 し 続 けるといった 持 続 的注 意 能 力 ( ビジランス ) にも 限 界 があることは産 業 心 理 学 などのテーマとなっている。なお、H.S. サリヴァン (Harry Stack Sullivan, 1892-1949) 13) は、 統 合 失 調 症 者 の 傾 向 として「 選択 的 不 注 意 selective inattention」という 傾 向があることを 指 摘 しているように、 注 意 が 固 着することや 注 意 が 向 かないことは 精 神 疾 患 などの 要 素 として 重 要 であり、 学 習 障 害 や 発 達障 害 が 注 意 という 資 源 に 関 わる (ADHD: 注 意欠 陥 多 動 障 害 attention deficit hyperactivitydisorder) 問 題 を 含 むことが 知 られている。このように 注 意 という 事 柄 が 心 理 学 の 研 究 対象 になってきているが、 非 注 意 ないし 無 注 意 とでも 呼 ぶべき 事 柄 を 明 確 に 理 解 に 組 み 込 んだポラニーの 暗 黙 知 は、 注 意 vs 無 注 意 の 対 比 を 身体 心 理 的 アプローチにおいて 扱 う 基 盤 を 提 供 している。 焦 点 的 覚 知 と 副 次 的 覚 知 、この 両 者 から 構 成 される 暗 黙 知 構 造 とは、 注 意 に 関 する 直接 性 と 間 接 性 の 対 比 を 心 理 学 的 に 把 握 したものといえる。 以 下 では、こうした 概 念 を 用 いて 実際 の 身 体 心 理 的 アプローチならびに 身 体 心 理 療法 における 技 法 との 関 係 について 述 べる。筆 者 は 1999 年 から 精 神 科 デイケアにて「リラクセイション」 及 び「ダンスセラピー」のプログラムを 担 当 して 今 日 に 至 っている。 現 在では、ダンスセラピー ( 正 確 にはダンスムーブメント ・ セラピー dance/movement therapy、D/MT と 略 記 ) とリラクセイションとを 組 み 合わせて、 精 神 科 ディケアの 来 所 者 に 対 して 身 体心 理 療 法 的 アプローチを 導 入 している。しかし、外 から 眺 めるだけでは 単 にダンスをしていたり遊 んでいるようにしか 見 えないらしく、ダンスセラピーの 構 造 と 方 略 を 認 識 できないようである。その 理 由 の 一 つが、プログラムのエクササイズを 進 める 際 に、 外 から 眺 めているだけでは把 握 されず 体 験 している 本 人 にも 容 易 に 自 覚 されない、 意 識 化 と 無 意 識 化 に 関 わる 暗 黙 知 構 造を 取 り 入 れていることにある。リラクセイションにおける 副 次 的 覚 知たとえばリラクセイションをテーマとしている 場 合 、 参 加 者 に 横 たわって ( 仰 臥 位 ) もらい、その 片 腕 を 持 ち 上 げて 揺 らしたり、あるいは足 を 少 し 持 ち 上 げて 揺 らしたりする ( 野 口 体 操の「ねにょろ」なども 含 む ) 簡 単 な 技 法 がある。精 神 科 ディケアでは 参 加 者 の 中 には 警 戒 していたりあるいは 対 人 恐 怖 的 だったり、 腕 や 脚 の 緊張 がとれないままのことが 多 いため、いくつかの 手 順 を 経 て 腕 や 脚 のリラクセイションの 実 現を 試 みている。ところで、そうした 際 の 最 悪 の言 葉 掛 けが「もっと 力 を 抜 いて 下 さい」という台 詞 であることは、 精 神 交 互 作 用 による 筋 緊 張の 悪 循 環 作 用 が 働 き 出 すのですぐに 分 かる。こうした 誤 った 言 葉 掛 けは 身 体 心 理 療 法 の 基 本 について 無 知 であることを 露 呈 するだけではなく、 全 くの 逆 効 果 でしかないことはすでに 示 した 通 りである。したがって、リラクセイションのプログラムではたとえば 次 のような「 間 接 的 」な 方 法 を 用 いることになる。たとえば、 腕 の 脱 力 のために 行 われるレッスンでは、 相 手 の 腕 を 揺 らすために 相 手 の 手 首 をつかむ。その 場 合 、 持 つ 方 も 持 たれる 方 も 両 者の 焦 点 的 覚 知 はつかまれている 手 首 に 向 かっている。すると、 意 識 された 手 首 のあたりには、精 神 交 互 作 用 によって 筋 緊 張 が 誘 導 されるのが自 然 な 展 開 となる。そのため、ディケア 参 加 者の 腕 をそのまま 揺 らし 始 めるのでは、 手 首 や 腕− 8 −


身 体 心 理 療 法 における 間 接 的 身 心 技 法 の 構 造や 肩 などにかえって 緊 張 が 走 る。そのため、 筆者 が 暗 黙 裏 に 試 みるのは 相 手 の 手 首 をもって 相手 の 手 首 を 揺 らすことではなく、とりあえずは意 識 されていない ( 副 次 的 覚 知 状 態 にある ) 相手 の 肘 や 肩 などを、 手 首 の 動 きを 通 じて 間 接 的に 揺 らしたり 働 きかけることにある。そのためには 微 細 な 振 動 を 与 えることや、 仰 臥 位 などの場 合 は 掴 んでいる 腕 の 肘 を 床 に 降 ろすなどの 細かな 技 術 的 な 側 面 があるがここでは 省 略 する。初 学 者 にも 簡 単 にできる「 足 のゆらし」( 余計 な 緊 張 反 応 を 避 けるため 主 に 同 性 同 士 で 行う ) では、 焦 点 的 覚 知 と 副 次 的 覚 知 の 対 比 が 分かりやすいので 以 下 に 例 示 する。 仰 向 けに 横 たわっている 相 手 の 片 足 を 少 し 持 ち 上 げて、その足 の 下 に 胡 座 や 正 座 している 自 分 の 膝 を 滑 り 込ませる。そして、 相 手 のアキレス 腱 からふくらはぎの 部 分 を 自 分 の 膝 上 から 太 股 の 部 分 に 載 せる。 相 手 の 足 首 を 上 から 軽 くつかんで 左 右 に 揺らす…。 多 くの 場 合 、 相 手 は 掴 まれている 足 首部 分 を 意 識 ( 焦 点 的 覚 知 ) して、しばしば 足 全体 に 緊 張 が 生 まれて 固 くなったりあるいはこちらの 揺 らす 動 きに 同 調 して 手 伝 う 動 きが 起 こる。これは、「 腕 のぶら 下 げ」 課 題 で 起 きた 反応 とほとんど 同 様 な 社 会 的 な 緊 張 反 応 である。そうした 状 態 で 揺 らしていても、こちら 側 の 焦点 的 覚 知 が 相 手 にも 伝 わり 緊 張 状 態 は 必 ずしも改 善 されない。そこで、 相 手 に 最 近 のことなどについて 話 をさせ 始 めつつ、 相 手 の 足 首 が 載 っている 自 身 の 膝 ・ 太 股 を 少 しずつ 揺 らし 始 め、相 手 の 足 首 を 掴 んでいるこちらの 手 の 動 きを 静めていき 相 手 の 足 の 揺 れと 同 調 させていく。 最終 的 には 焦 点 的 覚 知 が 不 可 能 なほど 相 手 の 足 の揺 れとこちらの 手 を 一 体 化 させていく。こうした 展 開 を 穏 やかに 進 めていると、 多 くの 場 合 、 相 手 の 身 心 が 緩 み、 状 況 によってはふと 寝 入 っていくほど 安 らぐことがある。その 一つの 理 由 が、 最 初 は 相 手 の 足 を 揺 らしているために 向 けられていた 相 手 の 焦 点 的 覚 知 が 徐 々に緩 んでいくことにある。それとともに、こちら側 の 膝 の 揺 れによって 相 手 の 足 と 下 半 身 、そして 全 身 が 穏 やかに 揺 らぎ 始 めていく 推 移 は 相 手にはおおむね 副 次 的 覚 知 のままとなる。そのため「 他 人 によって 揺 らされている」というさせられ 感 とそれへの 抵 抗 が 起 こりづらく、 自 らの身 体 が 自 然 に 安 らいでいく 感 覚 として 受 け 止 められるためである。なお、こうしたプロセスについて 相 手 に 説 明 することはないこと、および、この 方 法 は 自 我 境 界 が 緩 い 統 合 失 調 症 者 などには 用 いないこととを 明 記 しておく。リラクセイションとはお 題 目 を 唱 えることではなく、 実 際に 身 心 が 弛 緩 して 安 らいだ 状 態 に 在 るという 事実 に 至 ることだが、こうした 手 技 的 な 関 わりにおいては 暗 黙 知 構 造 に 基 づくアプローチが 極 めて 有 効 であることを 確 認 してきている。ただし、こうした 身 心 技 法 の 詳 細 を 傍 から 見 て 見 抜 くことは 難 しく、 一 定 の 訓 練 が 必 要 なことは 言 うまでもない。筆 者 の 身 体 心 理 的 アプローチでは、ダンスムーブメント ・ セラピーで 用 いられるダンスや様 々な 動 きなど 運 動 強 度 のやや 強 めのレッスンを 体 験 してもらってから、その 次 の 段 階 でこうした「リラクセイション」レッスンへと 進 むことが 多 い。すると、 対 人 緊 張 が 強 く 精 神 安 定 剤や 睡 眠 導 入 剤 を 必 要 としていたりあるいは 人 前に 出 たり 人 前 で 横 になることに 強 い 不 安 と 緊 張を 示 す 人 が、 横 たわった 他 のメンバー 達 の 中 でふいに 眠 りに 落 ちることがある。リラクセイションに 限 らず、 焦 点 的 覚 知 と 副 次 的 覚 知 を 切り 替 えたり 推 移 させることによって、 意 識 と 無意 識 のあり 方 そのものへと 影 響 を 与 え、 半 睡 眠を 含 む 穏 やかな 変 性 意 識 状 態 へと 誘 うことが 可能 となる。なお、こうした 意 識 の 切 り 替 えはどちらかと 言 えば 後 にふれるエリクソン 催 眠 における 誘 導 の 基 本 ともされている。また、 特 に 眠 りに 陥 ることがなくても、こうした 状 態 では A. マスロー14) が 唱 えた 五 段 階動 機 説 の「 安 全 欲 求 safety need」がほぼ 充 足されていること、また、 相 手 に 足 や 腕 を 委 ねて− 9 −


臨 床 心 理 学 研 究 50 - 2いるという 身 体 接 触 そのものがマスローの「 所属 と 愛 の 欲 求 belongingness and love need」と 呼 ばれる 心 の 通 い 合 う 暖 かい 関 係 によって 担われることによって、フロイドが 理 想 としたであろう 無 意 識 が 活 発 化 した 状 態 での 自 由 連 想 的な 語 りが 自 然 に 発 生 することにもなる。これまでの 経 験 では、 様 々な 声 がけの 工 夫 や 働 きかけなどによってその 場 が 安 全 で 安 心 であるときは身 心 が 安 らぎ、 様 々な「はからい」も 一 時 的 に棚 上 げ 状 態 になる。そうした 状 態 は 森 田 療 法 の絶 対 臥 褥 期 にはほど 遠 いにしても、それに 連 なるような 身 心 症 状 の 緩 和 が 得 られていると 考 えられる。なお、 無 意 識 が 活 性 化 した 身 心 状 態 がしばしば「 退 行 regression」と 呼 ばれることがあるが、 上 に 述 べたリラクセイションの 状 態 には 自 己 防 衛 の 要 素 はなく「 心 の 通 い 合 う 暖 かい関 係 」が 基 本 となっているため、 心 理 的 防 衛 機制 (defense mechanism) という 意 味 での「 退行 」という 用 語 は 避 けるべきであり、ただ「まどろみ」とか「 安 らぎ」などと 呼 ぶ 方 がふさわしい。ところで、マスローの 安 全 欲 求 には、 場 面 についての「 予 測 可 能 性 predictability」と「 制御 可 能 性 controllability」とが 必 要 とされている。つまり、 自 分 に 次 に 何 が 起 きるかがある 程度 予 測 できること、また、 状 況 がどのように 推移 するかを 自 分 の 意 志 に 従 ってある 程 度 制 御 できることによって、 安 全 で 安 心 な 場 とは、その場 が 指 導 者 などによって 専 横 されない 自 己 決 定的 な 場 として 選 択 の 余 地 があること、さらにそうした 状 態 が 保 証 されるためには 何 らかの 権 限分 与 が 行 われているという 状 況 である。そのため、セッションの 場 は D. マクレガー (DouglasMcRegor,1906-1964) 15) が 説 いた「Y 理 論 的リーダーシップ」による 組 織 管 理 形 態 ないし 関係 性 、すなわち、マスローの 五 段 階 動 機 説 の 上位 の 動 機 群 「 所 属 と 愛 への 欲 求 、 自 尊 欲 求 、 自己 実 現 欲 求 」への 働 きかけを 前 提 としてセッションが 営 まれることが 要 請 される。このため、こうした 身 体 心 理 的 アプローチを 行 う 場 合 は、自 らのあり 方 から 権 威 性 を 取 り 去 り 専 制 的 だったり 搾 取 的 な 要 素 をどのようにして 無 化 するかというセラピーを 行 う 側 の 課 題 と 資 質 が 極 めて重 要 となる。これに 関 しては、 心 理 カウンセリングの 基 礎 を 作 りあげたカール ・ ロジャーズ(1902-1987) 16) が 示 したしたクライエントへの「 共 感 的 理 解 empathic understanding」と「 無 条 件 の 肯 定 的 顧 慮 unconditional positiveregard」、そして 自 らのあり 方 についての「 自己 一 致 congruence」という 基 本 的 態 度 が 必 須であることを 指 摘 しておきたい。なお、 身 体 心理 療 法 では 身 心 技 法 に 関 する 枠 組 みをクライエントに 了 解 してもらう 必 要 があるため、 必 ずしもロジャーが 示 した 非 指 示 的 アプローチ (nondirectiveapproach) とはならず、 少 なくともセッションの 場 面 構 成 については 指 示 的 となる。ダンスムーブメント ・ セラピーにおける副 次 的 覚 知リラクセイションへの 誘 導 のみならず、 動 きを 取 り 入 れたダンスムーブメント ・ セラピーの際 にも 暗 黙 知 構 造 による 意 識 ・ 無 意 識 の 対 比 状態 を 用 いることがある。 例 えば、 人 がそばにいると 不 安 に 感 じたり、あるいは 触 れたり 触 れられたりすることに 不 安 や 抵 抗 がある 場 合 などでは、ダンスセラピーという 呼 び 名 そのものが 作り 出 す「ダンスだから 相 手 と 関 わり、 場 合 によっては 相 手 に 触 れたり 手 をつないだりすることがある」といった 予 見 や 理 解 を 利 用 することで、必 要 に 応 じて 触 れたり 触 れられたりが 起 きるという 相 互 理 解 が 重 要 となる。これは、ダンスセラピーという 場 面 における 役 割 取 得 といったささやかな 社 会 的 圧 力 を 利 用 しているけれども、そうした 暗 黙 の 社 会 的 要 請 は 場 面 の 基 礎 構 造 を位 置 づけるものに 留 まる。そうした 共 通 理 解 に両 者 が 歩 み 寄 ることによって、 身 体 心 理 療 法 としてのダンスセラピーのプロセスが 初 めて 可 能− 10 −


身 体 心 理 療 法 における 間 接 的 身 心 技 法 の 構 造となるのであって、 権 威 的 に 指 示 や 指 令 をすることは 身 体 心 理 療 法 というセラピーのアプローチではなく、 単 なる 強 権 的 な 管 理 に 過 ぎない。さて、たとえば 簡 単 なステップの 練 習 (「 開いて 閉 じて 開 いて 蹴 る」など ) をするという 展開 を 用 意 して、そこに 暗 黙 知 構 造 を 導 入 することによって 不 安 や 対 人 恐 怖 的 な 傾 向 の 緩 和 を 試みることができる。たとえば、ステップの 練 習という 足 の 動 作 へと 焦 点 的 覚 知 を 向 けつつ、 動きのタイミングの 中 で、 手 の 接 触 への 閾 値 が 高まった 状 態 、つまり、 手 が 触 れたりすることへの 警 戒 心 や 感 覚 が 意 識 化 されづらくなった 状 態で、 相 手 の 手 にふれる、 手 を 重 ねる、 手 を 載 せる、 手 を 掴 んでもらうなどの 動 作 が、 相 手 の 副次 的 覚 知 の 状 態 で 可 能 となる。つまり、 実 際 には 手 の 接 触 などが 起 きているにも 関 わらず、 一生 懸 命 に 集 中 して 足 でステップを 踏 んでいる 参加 者 には、 手 の 接 触 による 不 安 や 抵 抗 が 強 くかき 立 てられないという 変 化 が 起 きる。 傍 目 からもその 場 は「ステップの 練 習 」の 場 として 認 識され、 手 の 接 触 が 副 次 的 覚 知 の 状 態 にあるためである。 一 見 偶 発 的 な 手 の 接 触 に 対 する 心 理 的閾 値 が 高 まることにより、 精 神 交 互 作 用 による不 安 の 悪 循 環 が 起 こりにくくなっている。こうした「ダンスのステップ」を 外 部 から 見ると 単 なるダンスの 練 習 にしか 見 えないにも 関わらず、そうしたステップの 練 習 によって、 相手 に 触 れることや 人 との 関 わりに 対 する 不 安 や恐 怖 心 が 軽 減 されていく。 手 に 触 れられるなどの 接 触 の 回 数 と 慣 れによる 効 果 も 考 えられるが、それだけでは 参 加 者 の 身 心 変 容 の 度 合 は 説明 できない。 一 般 的 にダンスの 指 導 によって 不安 状 態 が 解 消 されるわけではないことから、ダンスという 枠 組 を 身 体 心 理 療 法 を 導 入 するための 場 として 用 いて、そこに 意 識 と 身 体 に 関 わる暗 黙 知 構 造 に 基 づく 身 心 技 法 を 導 入 することによって 主 要 な 効 果 が 得 られているといえる。なお、 領 域 は 異 なるが、 古 武 術 研 究 家 の 甲 野 善 紀17)による 身 体 操 作 術 や 合 気 道 などの 中 に、 焦点 的 覚 知 と 副 次 的 覚 知 に 基 づく 暗 黙 知 構 造 を 見いだすこともできるため、 上 に 述 べたアプローチは 身 体 心 理 技 法 としてはそれほど 新 しいものでもない。ダンスムーブメント・セラピーは、 第 一 次 世界 大 戦 後 、アメリカの 精 神 科 閉 鎖 病 棟 で 始 まり、ダンスセラピーの 母 とも 呼 ばれる M. チェイス (Marian Chace, 1896-1970) によって「コミュニケーションとしてのダンス dance forcommunication」という 位 置 づけの 元 に 確 立されてきたという 歴 史 がある。 当 時 の 主 な 対 象者 は 精 神 分 裂 病 の 患 者 ( 統 合 失 調 症 者 ) であったため、すでに 触 れた H.S. サリヴァンによる「 対 人 関 係 論 としての 精 神 医 学 」という 立 場 の影 響 を 強 く 受 けている。 今 日 までの 広 範 囲 に 及ぶダンスムーブメント ・ セラピーの 効 果 の 報 告にも 関 わらず、ダンスや 動 きが 認 知 心 理 的 変 容をもたらす 身 体 心 理 療 法 としてなぜ 効 果 があるかについては、これまで 必 ずしも 十 分 に 提 示 されてきていないが、 上 述 の 身 体 心 理 的 アプローチにおける 暗 黙 知 構 造 は、その 解 明 の 一 つの 端緒 となると 考 えられる。ちなみに、 催 眠 療 法 の 世 界 を 一 変 させ、ブリーフ ・ セラピー ( 短 期 間 心 理 療 法 ) や 問 題 解決 志 向 心 理 療 法 などのアプローチの 基 礎 をもたらした M. エリクソン (Milton Erickson, 1901-1980) 18)19) による 治 療 事 例 にも 暗 黙 知 構 造の 利 用 が 随 所 に 見 られる。 例 えば、 末 期 ガンのため 薬 によって 痛 みが 軽 減 されない 患 者 に 対 して、「ドアの 向 こう 側 に 虎 がいる」と 患 者 を 怯えさせて、 怯 えていたときは 痛 みを 感 じないことを 自 覚 させたという 事 例 がある。「 空 腹 の 虎が 隣 の 部 屋 にいてこの 部 屋 に 入 ってきたら…」ということに 焦 点 化 覚 知 を 向 けさせることで、身 体 の 痛 みを 副 次 化 させて 痛 みに 対 する 心 理 的な 閾 値 を 上 げさせ ( 無 注 意 状 態 )、 結 果 的 に 痛みを 感 じていない 時 間 をつくり 出 したと 考 えられる。これは 痛 みを 副 次 的 覚 知 状 態 へと 移 行 させる 方 向 で 暗 黙 知 構 造 を 用 いた 例 であるが、ド− 11 −


身 体 心 理 療 法 における 間 接 的 身 心 技 法 の 構 造参 考 文 献1)A. ローエン『バイオエナジェティックス 原 理 と 実 践 』 菅 靖 彦 ・ 国 永 史 子 訳 、 春 秋 社 19942) 葛 西 俊 治 「 身 体 心 理 療 法 の 基 本 原 理 とボディラーニング・セラピーの 視 点 」 札 幌 学 院 大 学 人 文 学 会 紀 要 第 80号 ,85-141, 20063) 葛 西 俊 治 「 身 体 心 理 療 法 の 現 状 とシステムズ ・ アプローチとしての 展 開 」 札 幌 学 院 大 学 人 文 学 会 紀 要 第 93 号 、59-82, 20134) 葛 西 俊 治 " 腕 の 脱 力 の 困 難 さについての 再 確 認 " 催 眠 学 研 究 , Vol.41, No.1-2, 34-40, 19965) 葛 西 俊 治 and E.A. Zaluchyonova " 腕 の 脱 力 の 困 難 さに 関 する 実 験 的 研 究 " 人 間 性 心 理 学 研 究 、Vol.14,No.2,195-202, 19966) 葛 西 俊 治 「 腕 のぶら 下 げから 社 会 体 操 へ」 人 間 性 心 理 学 研 究 第 8 号 ,21-26, 19907) 葛 西 俊 治 「 腕 の 脱 力 における 心 理 学 的 方 略 」 人 間 性 心 理 学 研 究 , 212-219, Vol.12, No.2, 19948) 森 田 正 馬 『 新 版 神 経 質 の 本 態 と 療 法 』 白 揚 社 , 20049) M. ポラニー『 暗 黙 知 の 次 元 ―― 言 語 から 非 言 語 へ』 佐 藤 敬 三 訳 、 紀 伊 國 屋 書 店 198010) M. ポラニー『 個 人 的 知 識 ―― 脱 批 判 哲 学 をめざして』 長 尾 史 郎 訳 、ハーベスト 社 198511) 佐 藤 光 『マイケル ・ ポランニー「 暗 黙 知 」と 自 由 の 哲 学 』 講 談 社 201012) 葛 西 俊 治 「 暗 黙 知 」:『 人 間 性 心 理 学 ハンドブック』 日 本 人 間 性 心 理 学 会 編 、 創 元 社 201213) H.S. サリヴァン『 精 神 医 学 は 対 人 関 係 論 である』みすず 書 房 200214) A. マスロー『 完 全 なる 人 間 : 魂 のめざすもの』 上 田 吉 一 訳 、 誠 信 書 房 196415) D. マクレガー『 企 業 の 人 間 的 側 面 ― 統 合 と 自 己 統 制 による 経 営 』 産 能 大 学 出 版 部 197016 ) 久 能 徹 他 『ロジャーズを 読 む』 岩 崎 学 術 出 版 社 199717) 甲 野 善 紀 「 身 体 操 作 術 」Uplink DVD collection,200618) J.K. ゼイク 編 『ミルトン・エリクソンの 心 理 療 法 セミナー』 宮 田 敬 一 訳 、 星 和 書 店 198419) W. オハンロン & A. ヘクサム「アンコモン ・ ケースブック」 亀 田 ブックサービス 199720) 河 本 英 夫 、L. チオンピ、 花 村 誠 一 、W. ブランケンブルグ『 複 雑 系 の 科 学 と 現 代 思 想 ― 精 神 医 学 』 青 土 社 、199821) V. フランクル 著 『 意 味 への 意 思 』 山 田 邦 男 監 訳 、 春 秋 社 200222) W. バーロウ『アレクサンダー・テクニーク : 姿 勢 が 変 わる・からだが 変 わる・ 生 き 方 が 変 わる』 伊 東 博 訳 、誠 信 書 房 1989The structure of indirect body-mind techniquesin body psychotherapyToshiharu KASAI− 13 −

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