トロイア戦争は史実だったのか―最近の研究動向から― - 東北学院大学 ...
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まり、basileus「王」が重要。家に吟唱者を受け容れ。中核地帯は前 10 世紀と8世紀の間に繫栄。<br />
・船団、エウボイアとボイオティアから出帆、ホメロスが現実の状況を取り上げた。<br />
上層部は商業敵接触によって利益を得て、中央ギリシアの諸国はギリシア文化発展の原動力。<br />
・前8世紀後期、アッティカ、アルゴリス、中央ギリシア、ペロポネソスで英雄崇拝、栄光に満ちた過去<br />
との連続性を創り出す。<br />
『イリアス』におけるアトレイウス家とヘレナ中心的役割、新たに得た現実に基づく。<br />
・前8世紀から古典的ポリスへ。外国の影響、革新をもたらした地方の一つがキリキア。<br />
人々は小アジア、キリキア、レヴァント、キュプロスに向かい始めた。<br />
ルウィ語とフェニキア語の「Danunym と Chiyawa の支配者」、背後にダナオイ人、アカイア人。<br />
・『キュプリア』は『イリアス』より古くその第1歌を構成。口承で伝えられた叙事詩にも依存。<br />
『ギルガメシュ』を文学的引き立て役、年代記も。新たに刻印される場所を強調。<br />
・前9世紀キュプロス・キリキア地帯の文化的統一性、商品が内陸諸国に。ギリシア人、エンポリオン。<br />
前8世紀アッシリアの支配下に。影響は『イリアス』『キュプロス史』に。『キプリア』がキリキアに到<br />
達。<br />
前7世紀タルソスで印章にリラ奏者と舞い踊る少女たち。<br />
・フェニキア人はキュプロス人を ia-wana と呼び、ホメロスの Ia-ones「イオニア人」―<br />
主にキュプロス・キリキア地域に、関心は略奪。平地キリキアとレバノンに定住したい。<br />
結果、最初のキリキア反乱、前 715 年に鎮圧。<br />
ホメロスの年代=前 7 世紀半ば。『イリアス』壺絵の描写、ヘシオドスからモチーフ、武器や戦術。<br />
キリキアのギリシア語に典型的な方言的独自性保存。<br />
・『イリアス』は時代のモニュメント。テクストとして構築。歌を神への呼びかけ=メソポタミアの模範。<br />
ヘブライ語とヒッタイト・フルリ語の個所に『イリアス』との並行記事。<br />
外国の影響はキリキアで融合。後期ヒッタイト都市国家が形成、ヒッタイト帝国没落後も遺産。<br />
前8世紀にアッシリアの主権下、フェニキア人も交易で接触、セム文化。<br />
・キリキアはヘブライ、アラム、カナーン、フェニキアの諸要素。ホメロスの母語はイオニア方言―<br />
ギリシア語は少数者の言語。人物、場所、川は2つの異なる名称、地名 Troia/Ilios。<br />
キリキアには 2 つの川、広い戦場、広々とした海岸、峰々が続く山脈=ホメロスの故郷。<br />
伝説的な過去の回想に大量の同時代の示唆(戦争、葬儀、商業、家屋、家具)。<br />
・カラテペ付近で前7世紀初頭の要塞都市 Agatiwadaija の遺跡―<br />
北の門の入り口に一連のモチーフ『イリアス』の物語の筋に対応。<br />
55×45m の宮殿、部屋は真ん中にある中庭の周りに配置。<br />
・イオニア人はアッシリアに対する前 715 年と 676 年の戦いの間にキリキアのアカイア人と同盟<br />
=『イリアス』の本来の同時代史。<br />
・サルゴン2世、イオニア人を追い出し、ホメロスのトロイアを巡る戦闘に最初の歴史的見本を成す紛争。<br />
アッシリアへの共感、イオニア人・フェニキア人・キリキア人がいる現実、両陣営を悪者扱いにしない。<br />
・サルゴンはタバルでアンバリスを王位に、アンバリスは第1次イオニア反乱を継続―