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シャルルマーニュの文書はどのように読まれていたのか ―

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15かれ、そこで 用 いられている 単 語 の 一 致 の 度 合 いが 非 常 に 高 い。そして、ChLA., n o 672で 省 略 記 号 が 付 されている 単 語 の 3 分 の 2 強 (47 語 /67 語 )について、ChLA., n o 673では 完 全 に 書 かれているのである。この 2 通 の 文 書 における 省 略 されている 単 語 の 処理 を 比 較 すると、 以 下 のことが 明 らかになる。ChLA., n o 673 で 処 理 されている 47 の 単語 のうち、36 語 については、 刊 行 史 料 の 編 者 たちが 補 った 文 字 と 同 じ 文 字 が 用 いられているが、 残 りの 9 語 については 異 なっている。そしてこの 異 なって 処 理 されている単 語 は 全 て、 語 末 の e が 省 略 されているとされているものである 10 。これらの 処 理 のパターンは、2つに 分 けられる。 指 示 代 名 詞 男 性 主 格 と 考 えられるものを 属 格 へ(ips(e)を ipsius )、 女 性 単 数 奪 格 と 考 え ら れ る も の を 対 格 へ ( 例 え ば aemunitat(e) をaemmunitatem) な ど、 格 を 変 更 する 場 合 と、 動 詞 の 完 了 不 定 法 を 定 形 に ( 例 えばconfirmass(e)を confirmamus) 変 更 する 場 合 である。格 の 変 更 については、ここでは 詳 細 は 省 くが、1 例 を(petitiion(e)-petitionem) 除 いて、この 変 更 は 文 章 の 読 解 に 障 害 となると 考 えられる。 一 般 にラテン 語 の 読 解 にとって、 名 詞 ・ 形 容 詞 の 格 変 化 が 正 しく 行 なわれていることは 決 定 的 に 重 要 なことである。主 格 と 考 えられるものが 属 格 に、 対 格 と 考 えられるものが 奪 格 に 変 更 されていることは、 文 意 の 内 容 の 変 更 にさえつながりかねない 重 要 な 問 題 である。 従 って、この 変 更は、 書 記 が 意 図 的 にこれを 行 なったとするなら、その 理 由 が 求 められなければならない。また 1 点 、 指 示 代 名 詞 について 述 べておきたい。 指 示 代 名 詞 ipse の 変 化 形 は、この 文 書 では 全 部 で 17 用 いられている。そのうち、ipse の 変 化 語 尾 が 省 略 されているのは 3 例 であり、そのうちの 2 例 がここで 問 題 としている ips(e)-ipsius であり、 残 りの 1例 は ipsa(m)-ipsam である。ChLA., n o 672 においてこの 指 示 代 名 詞 の 男 性 単 数 主 格 形 の省 略 と 考 えられるのはこの 2 例 のみであり、これらを 共 に ipsius と ChLA., n o 673 の 書記 が 処 理 していることは、この 書 記 が ipse という 主 格 形 を 知 らなかったのではないかとの 疑 念 を 生 じさせるのに 十 分 である。そしてこの 疑 念 は、 動 詞 の 完 了 不 定 法 と 考 えられるのを 定 形 に 変 更 しているのを 見 ると、 彼 のラテン 語 そのものの 力 、および 王 文書 全 体 に 対 する 知 識 への 疑 念 となって 広 がってゆく。ChLA., n o 673 の 書 記 が2つの 完 了 不 定 法 を 定 形 に 変 更 したことは、この 書 記 が 動 詞の 完 了 不 定 法 の 形 を 知 らなかったということを 考 えさせるのだが、 同 時 にこの 変 更 によって、これらの 完 了 不 定 法 を 含 む 文 章 は、 法 も 時 制 も 異 なる4つの 定 動 詞 が 並 ぶ 文章 になってしまった 11 。さらに、この 文 章 の 最 後 に 置 かれた 2 人 称 単 数 への 命 令 法10 それらは 以 下 の 通 りである。 先 に ChLA., n o 672、 次 に ChLA., n o 673 での 表 記 を 記 す。それぞれの 単 語 の 前 の 数 字 はオリジナル 文 書 における 行 番 号 である。3 ips(e)-3 ipsius;5 aemunitat(e)-5 aemmunitatem ; 6 redibution(e)-6 redibutionem ; 8 petitione(e)-8petitionem;8 uolontat(e)-9 uoluntate(m);8 prestetiss(e)-9 presstetissim(us);9 confirmass(e)-9confirmamus;11 ips(e)-11 ipsius;12 stabilitat(e);12 stabilitatem.11 ChLA., n o 673 の 行 番 号 8から9にかけての 以 下 の 文 章 がそれである。Cuiuspetitionem pro reuerentia ipsius loci, ut mereamur ad mercedem sociare, pleissima uoluntatemuisi fuimus presstetissimus uel in omnibus confirmamus cognoscite.ここには、 直 説 法 現 在 完了 (uisi fuimus)、 接 続 法 過 去 完 了 ?(presstitissimus)( presto の 変 化 にこのような 形 はないが、prestetissimus なら 接 続 法 過 去 完 了 となる)、 直 説 法 現 在 (confirmamus)、そして 2 人 称 単 数 への 命 令 法 (cognoscite )が 並 び、このままでは 意 味 の 把 握 は 非 常 に 困


16cognoscite に 注 目 すると、 初 期 カロリング 期 の 3 名 の 王 たち(ピピン 3 世 、カールマン、シャルルマーニュ)の 文 書 において、cognoscite が 用 いられている 文 言 は 全 部 で 65 例を 数 えることができるが、それらのうちの 1 例 を 除 いて、cognoscite の 前 には 必 ず 何 らかの 動 詞 の 完 了 不 定 法 が 用 いられている 12 。そしてその 完 了 不 定 法 が 用 いられていない唯 一 の 例 外 が ChLA., n o 673 なのである。つまり、cognoscite の 前 に 完 了 不 定 法 が 置 かれるというのは、 王 文 書 においては 定 形 文 であるとさえ 言 うことができると 思 われるのだが、この 文 書 の 書 記 はそのことをも 知 らなかったと 考 えられるのである。こうしてみるならば、ChLA., n o 673 の 書 記 のラテン 語 および 王 文 書 に 対 する 知 識 はかなり 貧 弱 なものであったと 言 うことができるであろう。しかし、より 大 きな 問 題 は、そのような 書 記 によって 書 かれ、 文 書 の 内 容 の 把 握 が 困 難 であると 思 われる ChLA., n o673 であっても、 法 的 な 有 効 性 には 問 題 がなかったのだということである。この 文 書は 有 効 な 文 書 としてミュルバク 修 道 院 に 保 管 され、 現 在 にまで 伝 来 してきているのである。この 点 をどのように 考 えればよいのだろうか。有 効 な 文 書 と 劣 悪 なラテン 語 との 間 の 架 橋ChLA., n o 673 が 抱 えている 全 ての 問 題 を 解 決 するための 答 えの 準 備 はまだないが、ここでは 1 点 、この 時 期 のラテン 語 の 発 音 の 問 題 を 指 摘 しておきたい。ラテン 語 の 発音 が 1 つの 答 えになると 考 えるのは、 前 節 で 見 た、2 つの 文 書 間 での 格 の 変 更 、 具 体的 には ChLA., n o 672 では 女 性 単 数 奪 格 ( 語 末 が e)と 考 えられていたものが ChLA., n o673 では 対 格 ( 語 末 が em)に 変 えられているにもかかわらず、 当 時 の 人 々の 間 では 文書 の 意 味 は 通 じていたと 考 えられること、そして、このことがこの 時 期 のラテン 語 の発 音 のあり 方 に 結 びつけることができると 思 われるからである。古 典 期 のラテン 語 の 発 音 はほぼ 復 元 されているが、これでも 社 会 階 層 間 での 発 音 の違 いがあったこと、そして、 単 語 の 最 後 がmで 終 わり、その 次 に 母 音 が 来 る 場 合 には、そのmは 弱 くしか 発 音 されなかったことは、 少 し 詳 しいラテン 語 の 文 法 書 にも 書 かれている。この 語 末 の m が 次 第 に 発 音 されなくなっていったことも 周 知 の 事 実 であり、例 えば 3 世 紀 ないし 4 世 紀 に 成 立 したとされる『プローブス 付 表 』Appendix Probi には、語 末 の m の 脱 落 に 対 して 注 意 を 喚 起 する 記 述 が 見 られ 13 、これは 書 かれる 際 にもmを落 として 書 かれていたのだと 言 われている。そしてカロリング 期 にも 語 末 のmの 発 音の 脱 落 はあったというのが、ロマンス 語 、ラテン 語 学 者 たちの 共 通 した 見 解 である。さらに 語 末 の m の 脱 落 にとどまらず、7 世 紀 のフランク 王 国 では、 例 えば virgo の 対 格 ・与 格 ・ 奪 格 である virgnem、virgini 、virgine の 発 音 は 皆 同 じであったと 言 う。難 である。12 それらは Monumenta Germaniae Historica で 与 えられている 文 書 の 一 連 番 号 では 以 下の 通 りである。5, 14, 17, 20, 27, 29, 30, 48, 57, 59, 61, 62, 64, 66, 75, 76, 778, 79, 91, 95, 97,98, 100, 109, 122, 124, 125, 128, 130, 131, 133, 135, 136, 141, 146, 150, 156, 161, 164, 171,174, 175, 176, 182, 186, 187, 188, 189, 190, 195, 196, 198, 199, 200, 201, 202, 205, 206, 208,209, 213, 218. このうち 66 に 2 度 用 いられている。ここで 検 討 している ChLA., n o 672と ChLA., n o 673 は、それぞれ 64 と 95 である。13例 えば、numquam non numqua, pridem non pride, olim non oli, idem non ide.(www.ling.upenn.edu/~kurisuto/germanic/appendix_probi.html)


17このことを 踏 まえて 先 に 述 べた 奪 格 から 対 格 への 格 の 変 更 を 考 えると、 確 かに 文 字で 表 される 形 は 変 化 してはいるものの、そこに m があろうがなかろうが、それが 読 み上 げられる 際 の 発 音 に 変 化 はなかったはずだということになる。 少 なくとも 中 世 初 期が、 文 字 に 対 する 声 優 位 の 時 代 であったことを 受 け 入 れるなら、そして、 少 なくとも初 期 カロリング 王 文 書 が「 音 にされる」ことによって 機 能 していたのだということを受 け 入 れるなら、そこに 書 かれたラテン 語 の 格 は、 特 にその 語 末 がmで 終 わる 場 合 にはそれほど 大 きな 重 要 性 を 持 っていなかったということになる。この「 書 かれたもの」より「 音 にされること」が 重 要 であるということの 雄 弁 な 証 拠 を ChLA., n o 672 に 見 ることができる。この 文 書 の 11 行 目 の 終 わりに auctori という 語 があるが、これについては 刊 行 史 料 の 編 者 たちはこの 後 に tatemを 補 っている。つまり 本 来 ならば auctoritatemと 書 かれるはずであったというのである。 実 際 、 後 継 文 書 である ChLA., n o 673 の 書記 は auctoritatem と 最 後 まで 書 いている。 重 要 なのは auctoritatem と 最 後 まで 書 かれていないということであり、また 書 かれていなくても、 文 書 の 有 効 性 にとっては 問 題 にならなかったのだということである。この 状 態 が 瑕 となっていないのは、 書 かれたものに 第 1 義 的 な 重 要 性 が 置 かれていなかったためであると 考 えるしかないのではなかろうか。 恐 らくこの 部 分 では、しかるべき 音 が 発 音 されていればそれでよかったのであろう。おわりに以 上 の 議 論 から、 少 なくともここで 検 討 してきた 2 通 の 王 文 書 に 関 しては、それが現 代 社 会 で 文 字 が 果 たしているような 機 能 、すなわち、 書 かれていることに 第 1 義 的な 重 要 性 が 与 えられていたわけではないことを 明 らかにしえたように 思 われる。しかしそうであったとして、ではこの 時 期 の 王 文 書 の 内 容 の 理 解 はどのようにして 可 能 であったのか、 音 と 文 字 との 関 係 はいつ 変 化 したのかなど、さらにつめなければならない 課 題 は 多 い。これらの 問 題 を 検 討 することによって、 初 期 カロリング 王 文 書 をヨーロッパの 王 文 書 全 体 の 歴 史 の 中 に、また 一 方 で、この 時 期 の 王 文 書 が 果 たした 役 割 を文 字 文 化 や 音 文 化 の 中 に 正 しく 位 置 づけることが 可 能 になるであろう。主 要 文 献 目 録I 史 料1. AZMA, H. & VEZIN, J. (ed.), Chartae Latinae Antiquiores. Facsimile-Edition of theLatin Charters prior to the Ninth Century, Part XIX, France VII, Dietikon-Zürich, 1987.2. MÜHLBACHER, E. u. a. (hrsg.), Monumenta Germaniae Historika. DiplomataKarolinorum, t. I, Hannover 1906, unveränderter Nachdruck, München 1991.3. LOT, F. et LAUER, Ph., Diplomata Karolinorum. Recueil de reproduction en fac-similédes actes originaux des souverains carolingiens conserve dans les archives etbibliothèques de France, t. I, Paris, 1936(www.mgh.de/datenbanken/diplomata-ergaenzungen/ でかなりの 数 の 文 書 の 写 真 版 を閲 覧 可 能 ).4. Orthographia Albini Magistri, in: KEIL, H. (hrsg.), Grammatici Latini, vol. VII,


18Scriptores de orthographia, Leipzig 1880, 2. Nachdruckauflage, Hildesheim/ New York1981, S. 295-312.5. Marculfi Formulae, in: ZEUMER, K. (hrsg.), Monumenta Germaniae Historica.Formulae merowingici et karolini aevi, 1886, S. 36-106.II 研 究 文 献1. BANNIARD, M., Genèse culuturelle de l’Europe V e -VIII e siècle, Paris, 1989.2. BANNIARD, M., Viva Voce. Communication écrite et communication orale du IV e -IX esiècle en Occident latin, Paris, 1992.3. BANNIARD, M., Seuil et frontière langagière dans la Fancia roman du VIII e siècle, inJARNUT, J., NONN, U. und RICHTER, M., Karl Martel in seiner Zeit, (Beiheft derFrancia, Bd. 37), Sigmaringen 1994, S. 171-191.4. BRESSLAU, H., Handbuch der Urkundenlehre für Deutschland und Italien, Bde. I-II, 4.Auflage, Berlin 1968-1969.5. FALKOWSKI, R., Studien zur Sprache der Merowingerdiplome, in: Archiv fürDiplomatik, Bd. 17, S. 1-125.6. GANZ, D. and GOFFART, W., Charters Earlier than 800 from French Collection, inSpeculum, 65 (1995), p. 906-932.7. GREEN, D. H., Orality and Reading: The Sate of Research in Medieval Studies, inSpeculum, 65 (1995), p. 267-280.8. GREEN, D. H., Das Mittelalter – Eine orale Gesellschat?, in GOETZ, H.-W, und JARNUT,J. (hrsg), Mediävistik im 21. Jahrhundert. Stand und Perspektiven der internationalenund interisziplinären Mittelalterforschung, München 2003, S. 333-336.9. GUYOJEANNIN, O., PYCKE, J. et TOCK, B.-M., Diplomatique médiévale (L’atelier dumédiéviste 2), Turnhout, 1993.10. LECOULTRE, J., La pronunciation du latin sous Charlemagne, dans Mélanges Nicole.Recueil de mémoire de philologie classique et d’archéologie offerts à Jule Nicole,Genève, 1905, p. 313-334.11. MCKITTERICK, R., The Carolingians and the Written Word, Cambridge/ New York/Port Cester/ Melbourne/ Sydney, 1989.12. MCKITTERICK, R. (ed.), The Uses of Literacy in Early Medival Europe, Cambridge/New York/ Port Cester/ Melbourne/ Sydney, 1990.13. NELSON, J., Literacy in Carolingian Government, in MCKITTERICK, R. (ed.), The Usesof Literacy in Early Medival Europe, Cambridge/ New York/ Port Cester/ Melbourne/Sydney, 1990, p. 258-296.14. NORBERG, D., Manuel pratique de latin medieval, Paris, 1968.15. PEI, M. A., The Language of the Eighth Century Texts in Northern France. A Study ofthe Original Documents in the Collection of Tardif and Other Sources, New York,1932.16. SAENGER, P., Space between Words. The Origin of Silent Reading, Stanford, 1997.17. STOTZ, P., Handbuch zur lateinischen Sprache des Mittelalters, Bd. 3, Lautlehre,


19München 1996.18. TESSIER, G., Diplomatique royale française, Paris, 1962.19. VIELLARD, J., Le latin des diplôme royaux et chartes privées de l’époquemérovingienne, Paris, 1927.20. VOGTHERR, Th., Urkundenlehre (Hahnsche Historische Hilfswissenschaften, Bd. 3),Hannover 2008.21. WRIGHT, R., Late Latin and Early Romance in Spain and Carolingian France,Liverpool, 1982.22. WRIGHT, R. (ed.), Latin and the Romance Languages in the Early Middle Ages,Pennsylvania, 1991.23. 梅 津 教 孝 、「シャルルマーニュの 文 書 に 見 るラテン 語 の 質 <strong>―</strong> 書 記 ヴィグバルドゥスの 検 討 <strong>―</strong>」、『 西 洋 史 学 論 集 』 第 39 輯 (2001 年 12 月 )22-53 頁 。24. 梅 津 教 孝 、「 中 世 初 期 のリテラシーと、 書 記 カロリング 王 文 書 を 書 くこと・ 読 むこと」、『 西 欧 中 世 文 書 の 史 料 論 的 研 究 平 成 20 年 度 研 究 成 果 年 次 報 告 書 』、87-91頁 、(=『 九 州 歴 史 科 学 』、 第 37 号 、2009 年 、89-93 頁 。)

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