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- 1 - スイスへ行こう(1) 今年度の「ドイツ語およびドイツ語圏社会事情 ...

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スイ スへ 行 こ う( 1)<br />

今 年 度 の 「ド イツ 語 およ びドイツ 語 圏 社 会 事 情 応 用 2」つま り 上 級 ク ラス では、 みん な<br />

でスイ スに 行 く ことを 目 標 にして、 スイス のこ とを あらゆる 角 度 か ら 調 べる と 同 時 に、 実<br />

際 にス イス のど こへ 行 きた いか、 行 くには どう した ら 良 い か、 いく らか かる か、ス イス を<br />

旅 する のに 最 低 限 必 要 なド イツ 語 は どうい った こと か、 等 々を 学 習 する こと にして いま す。<br />

そこで 、1 ・2 年 次 生 にも そうした 学 習 の 一 部 を 連 載 でご 紹 介 する こと にし ます。<br />

まず はス イス の 地 図 から 。スイス の 南 に<br />

はイタ リア があ ります が、 イタリア にはむ<br />

かしロ ーマ 帝 国 があり 、ア ルプスを 越 えて<br />

北 方 に 何 度 も 侵 略 をし て 来 ました( カエサ<br />

ル『ガ リア 戦 記 』など )。 そういう 状 況 の<br />

中 で 住 民 ・ 市 民 が 一 致 団 結 して 自 分 たちの<br />

共 同 体 を 守 った のがス イス 人 で した 。ドイ<br />

ツはド イツ 語 で Deutschland、 日 本 は Japan と<br />

言 いま すが 、ス イスは die Schweiz と い うよ<br />

うに 国 名 の 前 に 定 冠 詞 がつ きます。 オラン<br />

ダも die Niederlande と 定 冠 詞 がつ きま すが 、オランダ の 国 名 は 「 低 い 土 地 」という 一 般 名<br />

詞 から でき てい るから だと 思 わ れま す。ス イス の 場 合 は、「ス イス 」と いう 一 つの 中 央 集<br />

権 的 な 国 家 では ないと いう ことが 含 意 され てい ます 。すなわち 、ス イス は、 1291 年 にウ<br />

ーリと シュ ヴィ ーツと ウン ターヴァ ルデン の 三 つの 自 治 体 の 同 盟 ( 永 久 同 盟 、リュ トリ の<br />

誓 い) とい う 意 味 で 定 冠 詞 がついて いるの です 。 現 在 もスイス は 26 の 州 から なる スイス<br />

連 邦 国 家 で あり 、それ は 連 邦 憲 法 が 制 定 さ れた 1848 年 以 来 続 いています。 大 統 領 は 任 期<br />

1 年 で 各 州 持 ち 回 りで 順 番 に 選 出 す るのも そう した 自 治 精 神 の 表 れ であ り、 スイス の 公 用<br />

語 もド イツ 語 、 フラン ス 語 、イタリ ア 語 、 ロマ ンシ ュ 語 の 4つ あり ます 。ち なみに 国 名 ス<br />

イスは 、ド イツ 語 で Schweiz(シ ュヴァイ ツ)、フラ ンス 語 で Suisse( スイ ス) 、イ タリア<br />

語 で Svizzera( シュヴィ ツェ ーラ )、 ロマン シュ 語 で Svizra( シュ ヴィ ズラ) と 呼 びます。<br />

そうす ると 、 結 局 は 何 語 で 言 っ たら いいの か、 とい うことにな るの で、 その いずれ でも な<br />

いラテ ン 語 Confoederatio Helvetica( コン フェデラチ オ・ ヘル ヴェ ティ カ)が 正 式 名 称 とな<br />

ってい ます 。こ のラテ ン 語 表 記 の 略 称 であ る CH が 、 自 動 車 の ナン バープ レートや 通 貨 の<br />

単 位 、 切 手 、ネ ットの ドメ インアド レスな どで の 国 名 の 標 識 と して 使 わ れて います 。ち な<br />

みに、 Confoederatio Helvetica は ヘル ヴェ ティア 連 合 とい う 意 味 で 、 古 代 ロー マ 時 代 に スイ<br />

スに 住 んで いた ケルト 部 族 のヘルヴ ェティ ア 族 に 由 来 します。<br />

スイスへ 行 こう (2 ) 国 歌<br />

ドイ ツも そう だが、 スイ スには「 国 歌 」 がな い。 どちらの 国 でも ス<br />

ポーツ の 表 彰 式 などで 流 れ る 曲 は「 国 民 讃 歌 Nationalhymne」 と 言 う。<br />

ただし 、そ れも 総 称 で あっ てドイツ の 国 民 讃 歌 は「 ドイツ 人 の 歌 Das<br />

Lied der Deutschen」 、 スイスの 国 民 讃 歌 は 「スイス の 頌 歌<br />

Schweizerpsalm」 と 言 う。スイ スの 歌 は 1841 年 の 夏 に 教 会 の 歌 から 作 ら<br />

れた。 司 祭 にし て 作 曲 家 の Alberik Zwyssig(1808-1854)の 作 曲 。 1843 年 に<br />

チュー リヒ で 開 かれた 音 楽 祭 で 紹 介 され、 大 衆 の 喝 采 を 得 た。 しか し<br />

スイス 連 邦 評 議 会 はこ の 曲 を 国 民 讃 歌 だと は 長 く 認 めなかった 。と い<br />

うのは 、 国 民 讃 歌 とい うの は 国 民 が 規 則 的 に 利 用 す ることのな かか ら 自 由 に 選 択 す べき も<br />

のだと 考 え られ ていた から である。 1961 年 に 国 民 讃 歌 は 一 度 「 我 が 祖 国 を 呼 ぼ う Rufst Du<br />

mein Vaterland」 に 代 わった が、 1981 年 に 元 の 曲 に 戻 るという 経 緯 が あった 。<br />

- 1 -


歌 詞 は「 朝 焼 けとと もに 光 の 海 の 中 に 汝 、 高 貴 な る 主 が 現 れ る。 アル プス の 残 雪 が 赤 く<br />

染 まる とき 、 神 に 祈 れ 、 自 由 な スイ ス 人 よ 、 崇 高 な る 祖 国 の 神 に」 と 続 く。<br />

Trittst im Morgenrot daher,<br />

Ziehst im Nebelflor daher,<br />

Seh' ich dich im Strahlenmeer,<br />

Such' ich dich im Wolkenmeer,<br />

Dich, du Hocherhabener, Herrlicher!<br />

Dich, du Unergründlicher, Ewiger!<br />

Wenn der Alpen Firn sich rötet,<br />

Aus dem grauen Luftgebilde<br />

Betet, freie Schweizer, betet.<br />

Bricht die Sonne klar und milde,<br />

||: Eure fromme Seele ahnt :||<br />

||: Und die fromme Seele ahnt :||<br />

Gott im hehren Vaterland!<br />

Gott im hehren Vaterland!<br />

Gott, den Herrn, im hehren Vaterland!<br />

Gott, den Herrn, im hehren Vaterland!<br />

Kommst im Abendglühn daher,<br />

Find' ich dich im Sternenheer,<br />

Dich, du Menschenfreundlicher, Liebender!<br />

In des Himmels lichten Räumen<br />

Kann ich froh und selig träumen;<br />

||: Denn die fromme Seele ahnt :||<br />

Gott im hehren Vaterland!<br />

Gott, den Herrn, im hehren Vaterland!<br />

Fährst im wilden Sturm daher,<br />

Bist du selbst uns Hort und Wehr,<br />

Du, allmächtig Waltender, Rettender!<br />

In Gewitternacht und Grauen<br />

Lasst uns kindlich ihm vertrauen!<br />

||: Ja, die fromme Seele ahnt :||<br />

Gott im hehren Vaterland!<br />

Gott, den Herrn, im hehren Vaterland!<br />

スイ スへ 行 こ う(3) 航 空 券<br />

日 本 から スイ スへ 行 くの に 徒 歩 で は 無 理 なの で 飛 行 機 で 行 く わけ だが 、ス イスへ の 直 行<br />

便 はス イス 航 空 (Swiss International Air Lines)と 日 本 航 空 (Japan Air Lines)が 毎 日 チュ ーリ ヒへ 飛<br />

ばして いる 。 全 日 空 (ANA)は 他 の 航 空 会 社 との 共 同 便 だ けで 独 自 の 飛 行 機 は 飛 ば していな<br />

い。こ れは 直 行 便 では なく しかも 割 高 で、 何 の メリ ットもない 。<br />

飛 行 時 間 は 日 本 から スイ スまで 約 12 時 間 。 ドイ ツや フラ ンスへは 北 極 圏 に 近 い ロシア<br />

上 空 を 飛 ん でい くが、 スイ スやイタ リア(ミラノ)へは 南 回 りの 便 も ある。 ロシア 上 空 を<br />

飛 ぶと 、く ねく ねと 大 きく 曲 が りく ねった 大 河 を 見 ることがで きて おも しろ いが、 南 回 り<br />

だとヒ マラ ヤ 山 脈 が 見 える らしい。 「らし い」 とい うのは、 私 は 南 回 り は1 度 しか 乗 っ た<br />

ことが なく 、し かもそ の 時 は 日 本 へ 向 かっ て 右 側 の 席 だったの で 自 分 で 見 た わけで はな い<br />

から。 30 年 ほ ど 前 ロシアは まだソ 連 だ った のでロシア 上 空 を 日 本 か らの 飛 行 機 は 飛 べな<br />

かった が、 スイ ス 航 空 だけ はアエロ フロー ト (ソ 連 の 飛 行 機 会 社 )と 提 携 して 、モ スクワ 経<br />

由 でソ 連 上 空 を 飛 んで いた 。<br />

日 本 から スイ スへ 行 くの に 直 行 便 でなけ れば なら ないという 決 ま りは もち ろんな いか ら、<br />

実 際 に スイ スへ 行 くと きは 上 記 2 社 よりも 安 い 便 を 探 すことに なる 。 安 いの は 南 回 りの シ<br />

ンガポ ール 航 空 やタイ 航 空 、それか らドバ イ 経 由 の エミレーツ 航 空 、 意 外 に 安 いと 思 え る<br />

のがフ ィン ラン ド 航 空 (ヘルシンキ 経 由 )や ブリティ ッシュ エア ウェ イズ(ロンドン 経 由 )。<br />

ヘルシ ンキ は 日 本 から 一 番 近 い ヨー ロッパ であ り (10 時 間 )、 ヘルシ ンキ のヴ ァン タ 空 港<br />

にはム ーミ ング ッズを 始 め としてい ろいろ なフ ィン ランドのお 土 産 が 買 える 楽 しみ があ る<br />

( 最 近 人 気 高 騰 で 満 席 が 多 い)。ブ リティ ッシュエアウェ イズ はイ ギリ スの 飛 行 機 会 社 で 安<br />

全 性 は 確 か だが 、イギ リス へ 行 くの でない 限 り 、ヨ ーロッパを 通 り 過 ぎ ロン ドン 経 由 で ヨ<br />

ーロッ パに 戻 っ てくる ばか ばかしさ (15 時 間 !)が ある 。こ れなら ばちょっと 心 配 がある<br />

かもし れな いが 、アエ ロフ ロートや トルコ 航 空 のほ うがずっと 良 い 。 安 くて 安 全 と いう 基<br />

準 で 選 ぶな らば ソウル 経 由 の 大 韓 航 空 だろ う。 いず れにせよ、 アジ アの 飛 行 機 会 社 だか ら<br />

- 2 -


と 言 っ て 飛 行 機 が 墜 落 する ことはめ ったに ない 。 万 一 落 ち たら 生 命 保 険 が 安 いとい う 問 題<br />

はある が、 落 ち たら 自 分 は 死 ん でい るから 、 子 ども がまだ 小 さ いと いう よう な 親 な ら 遺 族<br />

のこと も 心 配 し なけれ ばな らないが 、そう でな けれ ば 運 命 と 思 って 諦 め たほ うが 楽 だ。<br />

航 空 券 は 、 国 内 便 も そう だが、 早 めに 買 った ほう が 安 い が、 たま に 空 席 を 埋 める ため の<br />

格 安 も ある 。6 月 3 日 出 発 便 で 大 韓 航 空 だ と 65000 円 ( 海 外 便 はすべて 往 復 運 賃 )、 ブリ ティ<br />

ッシュ エア ウェ イズ7 万 円 、スカン ジナヴ ィア 航 空 やエアフラ ンス 83000 円 、 アリ タリア<br />

航 空 (イタリア)10 万 円 、 日 本 航 空 115000 円 、 スイ ス 航 空 12 万 円 等 々 。フ ィン ランド 航 空<br />

は 空 席 なし 。こ れがお 盆 や クリスマ ス 直 前 にな ると 35 万 円 ぐらいにな る。 夏 休 み にスイ<br />

スへ 行 こう と 思 うなら 、8 月 22 日 過 ぎで 14 万 円 前 後 ( 格 安 で 約 9 万 円 )。 ただし、 今 年 は<br />

9 月 に 大 型 連 休 がある から 、その 期 間 は 高 い。 2 月 はルフトハ ンザ やス イス 航 空 で もか な<br />

り 安 い (10 万 円 以 下 )だ が、 3 月 になる と 卒 業 旅 行 シーズンにな って 高 くな る。 クリ スマ<br />

ス 直 前 は、 上 述 のよう に 35 万 円 と べらぼ うな 値 段 だが 、12 月 21 日 出 発 なら スイス 航 空 で<br />

も 10 万 円 強 で 行 け る。<br />

スイ スで の 国 際 便 は おも にチュー リヒ 空 港 で 離 着 陸 する。ジ ュネ ーヴ にも 大 きな 飛 行 場<br />

がある が、 ジュ ネーヴ を 拠 点 に して も 日 本 から の 直 行 便 は 必 ず チュ ーリ ヒ 経 由 だか らそ こ<br />

で 乗 り 換 え る 必 要 があ る。<br />

スイスへ 行 こう (4 ) 空 港<br />

日 本 から スイ スへの 直 行 便 は チュ ーリヒ 国 際 空 港 に 着 く 。 他 の 国 の 国 際 空 港 経 由 の 場 合<br />

はジュ ネー ヴ 行 きとか バー ゼルへ 行 く 便 も ある 。 日 本 からジュ ネー ヴへ 行 く にはス イス 航<br />

空 でも チュ ーリ ヒ 経 由 とな る。チュ ーリヒ 国 際 空 港 もジュネー ヴ 国 際 空 港 も 、 空 港 から 街<br />

の 中 心 の 中 央 駅 まで 電 車 で 行 け る。 しかも 、チ ュー リヒの 場 合 はた った の 10 分 だ 。 成 田<br />

まで 東 京 か ら1 時 間 と いう のとはわ けが 違 う。 ドイ ツの 国 際 空 港 フ ラン クフ ルトも 中 央 駅<br />

まで 電 車 で 20 分 ぐ らいだ が、 ホー ムが 地 下 に あり 、し かも 雰 囲 気 がち ょっと 暗 く て、 初<br />

めての 旅 行 者 に は 若 干 気 味 が 悪 い。 ミュン ヒェ ンへ の 日 本 から の 直 行 便 もあ り、こ ちら の<br />

ほうが 雰 囲 気 が 明 るい が、 ミュンヒ ェン 中 央 駅 まで 40 分 ぐ らいかかり 、ちょ っと 遠 い 。<br />

ミュン ヒェ ン 国 際 空 港 は、 成 田 国 際 空 港 の 場 合 と 同 じぐらい 激 しい 反 対 運 動 があっ たこ と<br />

も 影 響 して いる 。<br />

もう ずい ぶん 長 くチ ュー リヒ 国 際 空 港 を 利 用 して いないので 最 新 の 状 況 は わから ない が、<br />

以 前 は 航 空 会 社 の 空 港 カウ ンターが 1 社 つ まり スイ ス 航 空 のも のし かな く、 他 の 航 空 会 社<br />

の 便 を 使 う 場 合 もスイ ス 航 空 の カウ ンター が 扱 って いたので、 ある 意 味 でと ても 便 利 だ っ<br />

た。 考 えよ うに よって は、 成 田 のよ うに 航 空 会 社 ご とに 違 うほ うが むし ろわ かりや すい と<br />

も 言 え るが 。<br />

どこ の 空 港 で もそう だが 、チュー リヒ 国 際 空 港 で も、 街 中 ま で 鉄 道 の ほか にバス やタ ク<br />

シーが 出 て いる が、チ ュー リヒの 場 合 なに しろ 電 車 で 10 分 だからバス のメリ ット は 小 さ<br />

い(と いう かバ スはな かっ たかも) 。タク シー には 乗 り 合 いタ クシ ーが あり 、マイ クロ バ<br />

スで7 ~8 人 乗 せて 各 ホテ ルまで 連 れて 行 って くれ る。 料 金 も さほ ど 高 くな い。た だし 、<br />

市 内 の いろ いろ なホテ ルに 寄 っ て 客 を 順 番 に 降 ろし てゆくから 、 運 が 悪 いと ( 私 の 場 合 )<br />

一 番 最 後 に なっ て、 最 初 に 降 り た 人 が 空 港 から 15 分 ぐ らい で 済 ん だと ころを 45 分 ぐ らい<br />

かかる とい うこ ともあ る。 帰 国 する 場 合 は 、ホ テル のカウンタ ーで 予 約 する と、ホ テル ま<br />

でタク シー ない しマイ クロ バスで 迎 えに 来 てく れる 。 繰 り 返 し にな るが 、 駅 からさ ほど 遠<br />

くない ホテ ルだ ったら 、 電 車 の ほう が 早 く て 安 い。<br />

- 3 -


スイスへ 行 こう(5) 鉄 道<br />

アル プス の 少 女 ハイ ジが 、アルム のおじ いさ んの 山 小 屋 に 預 けら れた あと しばら くし て、<br />

ドイツ のフ ラン クフル トで 働 い てい た 伯 母 のデ ーテ が、フラン クフ ルト の 商 家 の 病 気 が ち<br />

の 娘 ク ララ の 話 し 相 手 とし てハイジ を 山 小 屋 か ら 連 れ 出 し アル プス を 離 れる とき、 汽 車 に<br />

乗 って 行 く シー ンを 読 んで 、おやっ と 思 っ た 人 もい るかもしれ ない 。と いう のは、 スイ ス<br />

の 小 説 家 ヨ ハン ナ・シ ュピ ーリがハ イジ 物 語 つ まり 『ハイジの 修 業 遍 歴 時 代 』を 公 刊 し た<br />

のが 1880 年 で 、 明 治 13 年 だ からだ。そん な 昔 に 、ハイジ が 住 む 田 舎 まで 鉄 道 が 敷 かれて<br />

いたの だろ うか 。じつ は、 スイスで は 1847 年 にバ ーゼ ルからチューリヒま で 鉄 道 が 敷 か<br />

れ、1880 年 ご ろには 現 在 と 変 わ らぬ 鉄 道 網 がで きていた。 ドイツで も 1865 年 ( 慶 応 元<br />

年 )に は 総 延 長 14000 km 、 現 在 の 幹 線 のほ とん どが できあがっ てい た。し たがって 、ハイ<br />

ジの 里 マイ エン フェル トか らドイツ のフラ ンク フル ト・アム・ マイ ンま で 鉄 道 で 行 くこ と<br />

はすで に 一 般 化 してい た。 スイスは 国 土 面 積 が 小 さ いこともあ って 、 鉄 道 の 路 線 密 度 は 世<br />

界 一 と 言 わ れて いる。<br />

ドイ ツ 鉄 道 (Deutsche Bundesbahn)は、 旧 東 ドイツのドイツ 国 鉄 (Deutsche Reichsbahn)と<br />

1994 年 に 統 合 し 同 時 に 民 営 化 し たが、 スイス 鉄 道 はいまで も 国 鉄 で ある。 前 に 書 い たよ<br />

うに、 スイ スに は 公 用 語 が 4つある ため、 スイ ス 国 鉄 の 名 称 も 4つ ある 。 列 車 や 機 関 車 の<br />

車 体 に 書 か れた 「SBB CFF FFS」 という マー クはその 頭 文 字 を 示 している (ロマ ンシ ュ 語<br />

は 省 略 され てい る)。 すな わち、SBB は ド イツ 語 Schweizerische Bundesbahnen の 略 字 、CFF<br />

はフラ ンス 語 で Chemins de Fer Fédéraux Suisses の 略 字 、FFS は イタ リア 語 で Ferrovie Federali<br />

Svizzere の 略 字 。おもし ろい のは 、ス イス 国 鉄 の 乗 務 員 はド イツ 語 圏 を 走 って いても 、そ<br />

して 通 常 の 会 話 をドイ ツ 語 でしても 、「あ りが とう 」は 必 ずフ ラン ス 語 でメ ルシー と 言 い、<br />

ダンケ とは 言 わ ない。<br />

スイ スを 走 る 鉄 道 は スイ ス 国 鉄 だ けでは ない 。 多 くの 登 山 鉄 道 は 私 鉄 であ り、 幹 線 で も<br />

たとえ ば 真 っ 赤 な 車 体 で 有 名 な 氷 河 急 行 の 一 部 や 世 界 遺 産 にも なっ たベ ルニ ナ 急 行 はレ ー<br />

ティッ シュ 鉄 道 (Die Rhätische Bahn)と いう 私 鉄 が 走 らせている 。し たが って、 スイ ス 国 鉄<br />

のパス では 氷 河 急 行 に 乗 れ ない。 氷 河 急 行 (Glacier Express)はマ ッタ ーホル ン・ ゴッ タルド<br />

鉄 道 と レー ティ ッシュ 鉄 道 が 提 携 し て Disentis 駅 で 接 続 し 、マ ッタ ーホルンを 間 近 に 見 ら<br />

れるツ ェル マッ トから 、ス イス 有 数 の 保 養 地 サ ンモ リッツのあ いだ を 運 行 し ている 。<br />

サン モリ ッツ からベ ルニ ナアルプ スを 越 えて イタ<br />

リアの ティ ラー ノまで 行 く 鉄 道 は、 アプト 式 な どの<br />

歯 車 を 使 わ ずに 急 坂 を 登 り 下 り する 技 術 と その 歴 史<br />

が 評 価 され て 世 界 遺 産 に 登 録 さ れた 。 私 が むか しド<br />

イツの マー ルブ ルクか らイ タリアの ナポリ まで 列 車<br />

を 乗 り 継 い で 行 ったと き、 遠 回 りし てこの 鉄 道 に 乗<br />

ったが 、そ の 頃 はまだ あま り 注 目 さ れてお らず 、 夏<br />

でも 車 内 は がら 空 きだ った 。だから 、 勝 手 に 窓 を 開<br />

けて 新 鮮 な アル プスの 空 気 をいっぱ い 吸 い なが ら 目<br />

の 前 に 迫 る 山 や 谷 、そ して 氷 河 の 写 真 を 自 由 に 撮 る ことができ た。 この 路 線 の 一 番 高 い と<br />

ころに ある 小 さ な 駅 の 駅 舎 にベッド が 10 ぐらいあ って 泊 ま れるように なって いた ので、<br />

そこで 2 泊 した 。 真 夏 でも 朝 は 気 温 が2 度 で、 その 後 泊 ま った イタ リア のフ ィレン ツェ で<br />

は 暑 く て 卒 倒 し そうに なっ た。ベル ニナア ルプ スの 鉄 道 駅 の 周 りは 山 と 氷 河 と、 氷 河 が 解<br />

けて 貯 まっ た 湖 ラーゴ ・ビ アンコ( 白 い 湖 )が ある だけで、 民 家 は 一 軒 もな かった 。つ ま<br />

り 駅 以 外 で ひと 気 のあ るも のはいっ さいな かっ た。 したがって 、 朝 食 も 昼 食 も 夕 食 も 駅 員<br />

のおじ さん が 作 る 手 料 理 だ けだった 。 駅 舎 の 二 階 に ある 部 屋 の 窓 を 開 け て、 ベッド に 横 に<br />

なりな がら 目 の 前 の 氷 河 を ボーッと 眺 めた 想 い 出 は 忘 れられな い。<br />

- 4 -


スイ スに もい くつか の 割 引 切 符 が あるが 、 一 番 感 動 したのは 、15 歳 以 下 の 子 ども は、<br />

両 親 の いず れか がスイ スパ スを 持 っ ていれ ば 乗 車 券 が 無 料 にな る 点 だ。 子 ど もは 未 来 の 社<br />

会 を 担 う 存 在 と して 大 切 に されてい る。15 歳 以 下 つま り 中 学 生 も 無 料 とい うの はす ごい。<br />

おかげ で、 私 が むかし 娘 を 2 人 連 れ てスイ スへ 行 っ たときはと ても 助 か った 。<br />

1 人 分 の 乗 車 券 で3 人 乗 れ るのだか ら。<br />

もっ とも 、ド イツに は、 連 邦 州 の 1つ、 小 さ い 州 では3つぐ らい 集 ま って 、 急 行 券 を 必<br />

要 とし ない 列 車 を 一 日 格 安 で 乗 り 放 題 、し かも 1 枚 の 切 符 で5 人 ま で 有 効 と いう Rgional<br />

Ticket や 土 日 に 全 国 どこ でも 乗 り 放 題 ( ただ し 急 行 や 特 急 は 乗 れ ない )という Wochenende<br />

Karte と いうのがあ る。 スイ スにこ れが ない のが 残 念 。 その 代 わ り、スイス は 面 積 が 小 さ<br />

いせい もあ るの か、 特 急 料 金 と か 急 行 料 金 とか を 乗 車 券 の ほか に 支 払 う 必 要 がない 。<br />

スイスへ 行 こう(6) 気 候<br />

スイ スと 言 え ばアル プス 、アルプ スと 言 えば ハイ ジ、と 連 想 する から 、ス イスは 氷 河 が<br />

あって 夏 で も 寒 いか 涼 しい だろうと 思 いが ちだ が、 たしかに 氷 河 の ある 高 山 は 寒 い けれ ど<br />

麓 は 暑 い。 地 図 を 見 れ ば 一 目 瞭 然 、 スイス はド イツ よりも 南 に あり 、イ タリ アの 隣 だか ら、<br />

地 中 海 の 暖 かな 、ある いは アフリカ の 暑 い 空 気 が 及 びやすい。<br />

たと えば 、 今 年 の6 月 18 日 のヨ ーロッ パの 気 温 を 見 ると 、フィンラ ンドの ヘル シンキ<br />

が 15 度 、 スウェーデンの スト ック ホルム が 11 度 と、 北 欧 は さす がに 寒 い 。デ ンマー クに<br />

近 いド イツ の 港 町 キー ルは 18 度 、 ハンブ ルクも 18 度 。 内 陸 のベ ルリンは 23 度 、 中 部 ド<br />

イツの カッ セル で 22 度 。 さら に 南 に 行 っ て 南 ドイ ツの ミュ ンヒェンは 28 度 、 ライン 川 沿<br />

いのド イツ で 一 番 暑 い フラ ンス 国 境 地 帯 の フラ イブ ルクは 30 度 ! 国 境 を 越 えて スイス<br />

に 入 り 、チ ュー リッヒ は 28 度 、 西 のジュ ネーブが 30 度 、 世 界 遺 産 の ザンクト ガレン でも<br />

26 度 。 隣 のオ ーストリアの アルプスの 麓 イ ンスブルッ クでなんと 31 度 ! 首 都 ウ ィーン<br />

も 31 度 。 ちなみに、パリ は 20 度 、ロ ンドン は 19 度 、ローマは 28 度 、 スペ イン のマドリ<br />

ッドは なん と! 37 度 。<br />

マッ ター ホル ンの 麓 の 町 ツェルマ ットは 22 度 だ から 、 山 奥 なのにベ ルリン 並 み の 気 温<br />

だ。た だし 、ベ ルリン と 違 って 山 の 天 気 は 変 わ りや すく、19 日 の 天 気 予 報 だと 週 末 は 気<br />

温 が5 度 か ら8 度 ぐら いと なってい るから 、や っぱ りスイスは 山 国 だ。<br />

アル プス の 国 スイス がド イツより も、 夏 は 暑 いの は 最 初 に 書 いた よう に 南 に 位 置 する か<br />

らだが 、 冬 も 同 じだと 考 え てはいけ ない。 ヨー ロッ パが、 日 本 の 北 海 道 より も 北 に 位 置 す<br />

るのに 日 本 とさ ほど 違 わな い 気 候 な のは 海 のお かげ であって、 ドイ ツで は 海 がある 北 ド イ<br />

ツは 冬 でも 暖 か くて 気 温 は だいたい 2 度 か ら5 度 ぐ らいを 保 っ てい るが 、 南 のミュ ンヒ ェ<br />

ンなど は 日 が 射 すと 20 度 ぐら いに なるが 、 朝 は 氷 点 下 10 度 ぐら いに 冷 え る。 その 理 由 は<br />

海 がな いこ とと 標 高 が 高 い ことにあ る。フ ラッ トな 地 図 帳 を 見 るだ けで はわ からな い。<br />

なお 、ヨ ーロ ッパに は 夏 と 冬 しか なく、 した がっ て 四 季 がな いと むか しよ く 言 わ れた が、<br />

実 際 に 住 ん でみ るとわ かる が、 十 分 秋 もあ るし 春 も ある。たし かに 8 月 末 に 昨 日 ま で 30<br />

度 ぐら い 気 温 が あって 汗 を かいてい たのに 今 朝 は 急 に 気 温 が 10 度 まで 下 がっ てセ ーター<br />

を 着 た とい うこ とはよ くあ り、 夏 の 翌 朝 は 冬 だ った ということ もた まに ある 。だが 、 最 近<br />

は 異 常 気 象 が 続 き、 数 年 前 に9 月 に セータ ーを 数 枚 持 って 南 ド イツ へ 行 った ら、 連 日 気 温<br />

が 33 度 ぐ らいあって、セ ータ ーを 一 度 も 着 ず 、 寝 間 着 代 わ りに 持 って いった T シャ ツを<br />

着 て 過 ごし たと いうこ とが あった。 アルプ スの 氷 河 がかなり 解 け 始 めて いる らしい 。<br />

スイスへ 行 こう(7)Henri Nestlé, 1814-1890<br />

- 5 -


スイ スで 一 番 有 名 な 人 物 は 誰 だろ うか。 ハイ ジ? は 小 説 の 主 人 公 で<br />

あり 実 在 し ない 。その 作 家 ヨハンナ ・シュ ピー リは いまやさほ ど 知 ら<br />

れてい ない 。ウ ィリア ム・ テルもち ょっと 古 い 。ペ スタロッチ は 有 名<br />

な 教 育 学 者 だが 一 般 的 でな いし、ユ ングや ピア ジェ 、カルヴァ ンや バ<br />

ルトも 有 名 だが 、この 通 信 を 読 む 学 生 でさ え 知 らな いかもしれ ない 。<br />

だが、 学 生 でも 子 ども でも じいちゃ んばあ ちゃ んで もその 名 を 知 っ て<br />

いる 超 有 名 人 が 一 人 い る。 それがア ンリ・ ネス レだ 。<br />

ネス レと いう 会 社 は 、イ ンスタン トコー ヒー や 乳 製 品 の メー カー と<br />

して 世 界 中 に 知 られる スイ ス 最 大 の 企 業 。 ミネ ラル ウォーター の Vittel や St.Pelleqrino、 コ<br />

コアみ たい な Milo、 さ らにチョコ レー トや 粉 ミルク、 コーンフ レーク 等 々 日 常 の 家 庭 食<br />

品 を 幅 広 く 製 造 してい る。 創 業 者 は 、ドイ ツの フラ ンクフルト ・ア ム・ マイ ン 出 身 のネ ス<br />

レで、 兄 弟 14 人 中 の 11 番 目 の 子 とい う 子 だ くさ んの 家 庭 に 生 ま れた。 薬 学 を 学 び、 スイ<br />

スのレ マン 湖 畔 の Vevey で 薬 剤 を 販 売 す る 際 に 有 利 と 考 えみ ずからの ドイツ 語 名 Heinrich<br />

Nestle を フラン ス 語 式 の Henri Nestlé に 改 めた 。1843 年 に ラン プの 灯 火 に 使 う ナッ ツオイル<br />

や 果 実 酒 、 ラム 酒 、ヴ ィネ ガーなど を 販 売 する ほか 、 炭 酸 入 り ミネ ラル ウォ ーター やレ モ<br />

ネード を 開 発 。 1860 年 代 に 粉 ミ ルクを 発 明 して 事 業 を さら に 発 展 さ せ、 麦 芽 や 砂 糖 も 扱<br />

った。 そし て、 1867 年 に 子 ども のため の 乳 製 品 会 社 と して いまのネ スレを 創 業 した。 最<br />

近 フェ アト レー ドが 話 題 に なり、ネ スレの 企 業 体 質 ( 低 賃 金 労 働 等 )が 問 わ れるよ うに な<br />

った。 2007 年 に 出 た『フェアト レード で 買 う5 0の 理 由 』 という 本 では 悪 辣 な 会 社 の 筆<br />

頭 に 挙 げら れて いる。 実 状 は 調 べな いとわ から ない 。<br />

日 本 では もっ ぱらイ ンス タントコ ーヒー を 創 る 会 社 として 知 られ 広 く 普 及 してい るが 、<br />

ドイツ 人 は イン スタン トの コーヒー などめ った に 飲 まない。だ が、 列 車 の 車 内 販 売 でコ ー<br />

ヒーを 注 文 する と、 紙 コッ プにイン スタン トコ ーヒ ーとお 湯 を 注 ぐ だけ とい う 時 が あっ て<br />

ガッカ リす るが 、 彼 ら はそ の 点 は 逆 に 気 に しな いみ たいだ。<br />

スイスへ 行 こう(8) 世 界 遺 産 ・ベルン<br />

世 界 遺 産 は、 他 国 で は 日 本 人 ほど 大 騒 ぎ して いな いと 言 われ てい るが 、ド イツの 世 界 遺<br />

産 をい くつ か 訪 ねたら 、そ れなりに 観 光 客 が 来 てい た。<br />

スイ スは どこ も 景 色 がす ばらしい から 世 界 遺 産 は たくさんあ るの では ない かと 思 われ る<br />

が、 文 化 遺 産 が 6つと 自 然 遺 産 が3 つで、 意 外 に 少 ない。もっ とも 、 世 界 遺 産 は 申 請 制 だ<br />

から、 そん なの どうで も 良 いと 思 っ ている 人 た ちか らすれば、 数 の 多 少 はほ んとに どう で<br />

も 良 い 。そ れに 、 他 人 の 評 価 に 左 右 されて 或 る 場 所 を 訪 ね たり 訪 ね なか った りする のも 馬<br />

鹿 馬 鹿 しい 。あ くまで も 自 分 の 興 味 と 判 断 で 旅 は 続 けたい。<br />

と、 言 い なが ら、ス イス 観 光 局 が ただで 配 っ てい るきれいな パン フレ ット をめく って い<br />

ると、 世 界 遺 産 のペー ジが あってつ い 見 て しま った 。それによ ると 、 文 化 遺 産 とし て、 前<br />

に 鉄 道 のと ころ で 書 い たベ ルニナア ルプス を 通 るレ ーティッシ ュ 鉄 道 や 、ス イスの 首 都 ベ<br />

ルン、 テレ ビで しばし ば 紹 介 さ れる ザンク ト・ ガレ ンなどが 指 定 さ れて いる 。ベル ン 旧 市<br />

街 の 指 定 は 早 く 1983 年 だが、 この 程 度 の 町 は スイ スに たくさんある。<br />

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観 光 客 に とってベル ンの 良 い 点 は、 首 都 にも かか わらず 町 が 小 さ く<br />

て 、 半 日 あ れば 主 だっ た 観 光 名 所 はすべて 見 る こと ができ るこ とだ 。<br />

し かもルートが 単 純 で 、 国 際 空 港 のある 大 都 会 チュ ーリッ ヒか ら 急 行<br />

列 車 で 1 時 間 弱 で 着 く 中 央 駅 から 徒 歩 です ぐに 旧 市 街 に 入 り、 雨 が 降<br />

っ てもショッピングが 楽 し めるア ーケード が 続 く。 ショー ウィ ンド ウ<br />

が 充 実 しており、 店 が 休 み の 日 曜 日 に 来 て も、 ガラ ス 越 に 品 物 を 見 て<br />

い るだけで 飽 き ない。 ところどこ ろ、 道 路 の 真 ん 中 に 大 き な 泉 と 立 像<br />

が あり、13 世 紀 に 作 られ たという 大 き な<br />

時 計 は 観 光 の 目 玉 。こ の 時 計 塔 の 下 を 路<br />

面 電 車 がくねりながら 走 っ ており 、 町 で<br />

最 も 重 要 な 、 最 大 の 交 通 障 害 物 と 言 わ れ<br />

ている 。<br />

ショ ーウ ィン ドウを 覗 き ながらの ろのろ とゆ るい 坂 路 を 下 っ<br />

て 行 く と 川 に 着 く。 橋 のた もとに 熊 公 園 が ある 。 公 園 と 言 って<br />

も、 熊 が 数 頭 け だるそ うに 寝 こ ろん でいる だけ だが 、ここにこ<br />

んなも のが ある のは、 この 町 の 名 が 熊 に 由 来 す るか らだ。ちな<br />

みにベ ルリ ンも 同 じ。 橋 を 渡 っ て 左 手 に 小 高 い 丘 を 登 る 小 径 を<br />

行 くと 、ベ ルン の 旧 市 街 が 見 渡 せる テラス に 着 く。 川 は、 埼 玉<br />

の 巾 着 田 の よう に 大 き く 湾 曲 し てお り、そ の 内 周 に 旧 市 街 がお<br />

さまっ てい る。 この 川 を 少 し 遡 ると 、と 言 って もち ょっと 駅 の<br />

ほうに 戻 る と、 連 邦 議 事 堂 がある。<br />

スイスへ 行 こう(9)アルプス<br />

スイ スと 言 え ばアル プス 、アルプ スと 言 えば ハイ ジだ<br />

が、ハ イジ が 住 んだ 山 はス イスでは 低 いほ うで 、ま あ 小 高<br />

い 丘 み たい なも のだ。 アル プスと 言 ったら やっ ぱり 氷 河 が<br />

欲 しい 。 氷 河 が あるに は 標 高 が 3000 メ ートル 以 上 の 山 と<br />

いうこ とに なる 。ちな みに 、ドイツ 最 高 峰 であ る Zugspitze<br />

にも 氷 河 が ある が、そ の 標 高 は 「 約 3000 m、 5000 m 、 7000<br />

mのう ちど れで しょう 」と いう 問 題 を 出 す と、 多 く の 学 生<br />

が 間 違 う。 正 解 は 約 3000 m、 正 確 には 2962 m と 意 外 と 低<br />

い。ヨ ーロ ッパ で 一 番 高 い のはスイ スとフ ラン スの 国 境 に<br />

ある Mont Blanc で 4810 m 。 スイスで 一 番 高 いのはイタリア<br />

との 国 境 に ある Monte Rosa。 ちなみ にその 近 くにある<br />

Matterhorn が 4478 m 、も う 一 つ の 山 岳 観 光 地 Grindelwald に<br />

聳 える Jungfrau は 4158 m 。 高 山 気 分 を 満 喫 で きるベ ルニナ<br />

・アル プス は 意 外 と 高 くな く、 鉄 道 から 少 し 離 れた 最 高 峰<br />

で 4049 m 。 最 初 に 触 れ たハイ ジ・アル プスは 2500 m ぐら<br />

いだか らや っぱ り 低 い 。<br />

アル プス とい うのは 英 語 で、 最 後 の「ス 」は 複 数 形 を 表 す。 ドイ ツ 語 では Alpen(ア ル<br />

ペン) と 言 うが 、 最 後 の「 n(ン)」は 複 数 形 を 表 す 語 尾 。だから、 単 数 では Alpe と 言 う。<br />

Alpe は Alm とい う 言 葉 の 語 形 変 化 で 、Alm は 標 高 1000 m 以 上 の 夏 の 放 牧 地 を 意 味 す る。<br />

だから 、ハ イジ 物 語 で 山 小 屋 に 住 む おじい さん は「 アルムのお じい さん 」と 呼 ばれ てい る。<br />

冬 にな ると 雪 に 閉 ざさ れる から、ハ イジも おじ いさ んもその 麓 のデ ルフ リ 村 に 下 り てき て<br />

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過 ごす 。む かし ベルニ ナ・ アルプス の 一 軒 家 の 駅 に 泊 まったと き、 ちょ うど 放 牧 を 終 え た<br />

たくさ んの 牛 を 貨 物 列 車 に 入 れ て 運 ぶのを 目 の 当 た りにしたが 、 牛 さん たち はみん な 貨 車<br />

に 乗 る のを 嫌 が ってい た。 まあ、こ れまで 楽 し く 自 然 の 中 での んび りと 草 を はんで いた の<br />

に、ど こに 連 れ て 行 か れる かわから ない 狭 い 貨 車 に 無 理 矢 理 乗 せら れる のだ から、 嫌 が る<br />

のも 無 理 は ない 。とい う 程 度 の 感 傷 から、 見 て いる うちに 次 第 に 気 味 が 悪 く なって きた 。<br />

という のは 、ナ チス 時 代 に 貨 車 に 詰 め 込 ま れて 強 制 収 容 所 に 送 られ るユ ダヤ 人 を 思 い 出 し<br />

たから だ。<br />

話 が それ たと ころで 、 最 後 に 、ド イツの 小 学 生 向 けの 教 材 Quiz. 180 Fragen & Antworten<br />

(クイ ズ。 180 の 問 題 と 解 答 ) から スイス・ア ルプスについて の 問 題 を 出 すの で、 解 い て<br />

みてく ださ い。<br />

1. Wie alt sind die Alpen - 10, 50 oder 120 Millionen Jahre?<br />

2. Wie hoch ist der höchste Gipfel der Schweiz - 3919 m, 4634 m oder 5175?<br />

3. Wie heißt ein 4158 m hoher Berg im Berner Oberland - Wassermann, Schütze oder Jungfrau?<br />

答 え<br />

1. Die Alpen sind etwa 50 Millione Jahre alt.<br />

2. Die 4634 m hohe Dufourspitze im Monte Rosa - Massiv ist der höchste Gipfel der Schweiz.<br />

3. Jungfrau.<br />

スイスへ 行 こう(10)ヨーデル<br />

スイ スと 言 え ばアル プス 、アルプ スと 言 えば ヨー デルを 思 い 出 す<br />

が、ド イツ に 在 籍 する プロ のヨーデ ル 歌 手 はた った 1 人 し かい ない ら<br />

しい。 それ は Takeo Ischi( 石 井 健 雄 ) さん、つまり 日 本 人 である のは<br />

ちょっ と 驚 き。 なぜほ かに いないか の 理 由 はわ りと 単 純 で 、 要 する に<br />

ヨーデ ルは ドイ ツ 民 謡 では なくスイ スとオ ース トリ アの 民 謡 だ から 。<br />

石 井 さん はド イツの 音 楽 番 組 にと きどき 出 演 し 歌 っている。 たま に<br />

鶏 の 真 似 を して 喝 采 を 受 け たりして 、 最 初 この 人 は 歌 手 で はな くお 笑<br />

い 芸 人 かと 思 っ た。 大 衆 受 けはして もあま り 格 好 良 くはない。 だが 、ヨ ーデ ルの 歌 声 は 本<br />

物 だ。 http://www.youtube.com/watch?v=OI4vBlF4O-Y&feature=related<br />

Jodel というのは 元 来 歌 ではな く、アルプス 地 方 で 谷 を 隔 て た 遠 くにに いる 仲 間 に 大 声<br />

を 出 し て 連 絡 し 合 う 言 語 表 現 で あり 、ただ 大 声 を 出 すだけでは 途 中 で 弱 くな ってし まう か<br />

ら 独 特 のイ ント ネーシ ョン をつけて 声 を 発 する 。こ れはスイス とオ ース トリ アの 山 岳 地 帯<br />

に 住 む 人 び と 独 自 のも のと いうわけ ではな く、 世 界 中 に 見 られ 、 日 本 で も 似 たよう なこ と<br />

をして いる のを テレビ で 見 たことが ある。 ホー ハイ 節 のように 歌 に もな って いる。 とは 言<br />

え、 学 問 的 には 諸 説 あ り、 エコーか ら 始 ま った とす る 説 、 大 声 を 出 して 興 奮 したこ とか ら<br />

始 まっ たと する 説 、 楽 器 模 倣 説 、 音 響 効 果 説 、 風 景 模 写 説 、 民 族 説 、 叫 び 発 生 説 等 々。<br />

ヨー デル を 歌 うとき にア コーデオ ンを 伴 奏 と する ことがある が、 楽 器 を 使 わずに 声 だ け<br />

で 歌 う こと も 多 い。ま た、 Naturjodel( 自 然 ヨ ーデ ル) という のは、 言 語 と しての 意 味 を 持<br />

たない が 旋 律 で 意 味 表 現 す るもので 、「 歌 詞 の ない ヨーデル」 と 言 われ てい る。 山 でヤ ッ<br />

ホー! なん て 叫 ぶのも 、い まではな んの 意 味 も 持 た ないが、 前 はそ れな りの 意 味 を 持 っ て<br />

いたか ら 無 暗 や たらに 言 う べきでは なかっ た。 いま ではみんな デタ ラメ に 叫 ぶから 、い ち<br />

いち 反 応 し てい たら 山 で 仕 事 を やっ ていら れな い。<br />

数 年 前 に 日 本 で「ヨ ーデ ル 食 べ 放 題 」と いう 歌 を 聞 いたこと があ る。 歌 は 桂 雀 三 郎 with<br />

まんぷ くブ ラザ ースで 、「 ♪ 焼 き 肉 バイキ ング で 食 べ 放 題 食 べ 放 題 ヨ ロレ イヒ」 と 続 く。<br />

宴 会 の 余 興 に 使 える。 ただ し、 若 者 という より おっ さんの 宴 会 でだ ね。 これ もまあ 無 意 味<br />

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と 言 え ば 無 意 味 な 歌 だ 。http://www.youtube.com/watch?v=iVDx8enR-iQ&feature=related<br />

アル プス の 音 楽 でも う 一 つ 欠 かせ ないの がア ルペ ンホルンで 、2.5 m ぐらい ある 長 い 尺<br />

八 のよ うな 笛 だ 。 音 階 調 節 の 穴 もバ ルブも ない 。 口 にマウスピ ース をつ ける のが 尺 八 と 違<br />

うとこ ろ。 マウ スピー スを 使 用 する ためか どう か 知 らないが、 長 い 木 を 使 っ ている のに ア<br />

ルペン ホル ンは 金 管 楽 器 に 分 類 され ている 。<br />

さて 、 今 回 は 授 業 イ ント ロ 音 楽 の 紹 介 を 兼<br />

ねてい るの で、 今 日 流 す 曲 も 紹 介 し よう。 ま<br />

ずは、 スイ スと 言 えば アル プス、ア ルプス と<br />

言 えば ハイ ジと くるの で、 Takeo Ischi さ ん の<br />

Heidi か ら 行 こ う。 前 に 紹 介 した Heino に もヨ<br />

ーデル 的 な 裏 声 の 曲 が あっ たのを 覚 えてい る<br />

だろう か。 ほか にはオ ース トリアの チロル 地<br />

方 の 民 謡 を 時 間 に 合 わ せて 数 曲 流 す 予 定 。<br />

スイスへ 行 こう(11)これまでのスイス 旅 行<br />

9 月 15 日 か ら 29 日 ま でスイスに 行 きまし た。 後 半 は、「 応 用 2」の 受 講 生 4 名 も 参 加<br />

して― ―と いう のは 嘘 で、 無 事 にそ う 書 け るこ とを 祈 りつつ、 いま 8 月 の 始 めにこ の 原 稿<br />

を 書 い てい ます 。なの で、 まだスイ スへは 行 っ てい ません。な ぜこ んな に 早 くこれ を 書 い<br />

ている かと いう と、9 月 29 日 に 帰 国 し1 日 休 んだ らも う 授 業 再 開 だか ら、 万 一 授 業 の 準<br />

備 が 間 に 合 わな いこと がな いように と、ゆ とり をも つ 必 要 があ るか らで す。<br />

とい うわ けで 、まだ スイ スへ 行 っ ていな いの で 最 新 の 現 地 情 報 は 書 け ませ ん。そ こで 過<br />

去 の 思 い 出 を 書 くこと にす る。とは 言 え、 スイ スへ は5 回 しか 行 っ たこ とが ないの で、 あ<br />

まり 詳 しく 書 け ない。 20 年 ぐ らい 前 に チュ ーリヒで 学 会 が あって 参 加 した のが 最 初 で、<br />

このと きは 街 路 樹 のト チの 実 が たく さん 道 路 に 落 ち ていたのが とく に 印 象 に 残 って いる 。<br />

という か、 その とき 拾 った トチの 実 を 日 本 に 持 ち 帰 り 植 木 鉢 に 埋 め たら 芽 が 出 て、 我 が 家<br />

の 庭 で 5メ ート ルぐら いの 木 に なっ た。が 、 去 年 虫 が 入 っ て 枯 れた 。つ ぎは 、グリ ンデ ル<br />

ヴァル ト( ユン グフラ ウヨ ッホの 麓 )やツ ェル マッ ト(マッタ ーホ ルン の 麓 )の 山 岳 都 市<br />

を 訪 ね てか ら 氷 河 急 行 に 乗 ってハイ ジの 里 マイ エン フェルトに 寄 り チュ ーリ ヒへと いう 遊<br />

覧 旅 行 。そ れか ら、い つだ か 忘 れた が、マ ール ブル クに2 週 間 滞 在 した あと イタリ アの ナ<br />

ポリへ 行 く のに 飛 行 機 に 乗 らずに 列 車 に 乗 り、 途 中 スイスのベ ルニ ナ・ アル プスに ある 鉄<br />

道 駅 で 泊 ま った とき( 既 報 )。それ からも う 一 度 チ ューリヒで 学 会 があ った とき。 この 時<br />

はチュ ーリ ヒ 大 学 の 先 生 に ホテルを 予 約 し ても らっ たのでちょ っと 高 級 なホ テルだ った 。<br />

ホテル のレ スト ランで 食 事 をしたと き 魚 料 理 を 食 べ たが、 給 仕 の 女 性 が ナイ フとフ ォー ク<br />

で 丁 寧 に 骨 を 除 けて 出 して くれて、 私 が 食 べて いる あいだずっ とそ ばに 立 っ ていた 。 半 身<br />

食 べ 終 わる とも う 半 身 をま たナイフ とフォ ーク でさ ばくといっ た 感 じで 、ふ だんこ んな リ<br />

ッチな 食 事 をし たこと がな いので 感 激 する より も 気 疲 れし、あ まり ご 馳 走 を 食 べた 気 が し<br />

なかっ た。 だが 、この 料 理 は 意 外 と 安 くて 、 若 い 女 性 給 仕 に 申 し 訳 ない 気 が した― ―、 い<br />

まごろ 気 が つい たが、 チッ プを 渡 す べきだ った かも (ドイツや スイ スで は 基 本 的 に チッ プ<br />

なしの 世 界 だが )。こ のと きはスイ スの 首 都 ベ ルン に 遊 び に 行 った 。あ と1 回 のス イス 行<br />

は、フ ラン ス 国 境 に 近 いラ イン 川 沿 いの 町 に 数 泊 し たときで、 ドイ ツと の 国 境 の 町 バー ゼ<br />

ルに 行 った 。こ の 時 の 旅 行 は「 国 境 とは 何 か」 を 調 べるためで 、ド イツ とフ ランス はと も<br />

にEU に 加 盟 し ている から いまや 国 境 はあ って ない ようなもの 、 人 も 車 も 自 由 に 行 き 来 で<br />

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きる。 ケー ルと いう 町 から ライン 川 を 渡 る 橋 を 歩 い てフランス に 行 った 。そ のあと 、ス イ<br />

スへも ライ ン 川 に 架 か る 橋 を 歩 いて 渡 ろう と 思 って 行 ったが、 右 岸 にあ る 駅 はドイ ツ 駅 か<br />

と 思 っ てい たら 、 列 車 が 駅 に 着 く 直 前 まで がド イツ で、 駅 その もの はス イス に 属 す ると あ<br />

とでわ かっ た。 だから 、ラ イン 川 の 右 岸 か ら 左 岸 へ と 橋 を 歩 い て 渡 って も、 どちら もス イ<br />

スだか ら「 国 境 を 歩 い て 越 える」 楽 しみは 未 遂 に 終 わった。<br />

今 年 のス イス 行 は 自 治 を 調 べ るの が 目 的 で、 まず はジュネー ブに 行 き 、そ こから スイ ス<br />

(Schweiz) 発 祥 の 地 とも 言 うべ きシ ュヴィーツ (Schwyz)へ。 さら にアペ ンツ ェル 経 由 でチ ュ<br />

ーリヒ に 行 き 学 生 と 合 流 し てベルン やルガ ーノ 、ル ツェルン 等 に 行 く 予 定 。 お 土 産 は、 み<br />

なさん がこ れを 読 む 頃 には もうない かもし れな い( 帰 国 後 1 週 間 経 つの で) 。<br />

スイスへ 行 こう(12) 公 用 語 の 実 際<br />

スイ スは 、フ ランス のよ うな 中 央 集 権 国 家 で はな く、 多 くの 自 治 体 の 「 同 盟 」な ので 、<br />

そこで 日 常 使 用 されて いる 言 語 をそ れぞれ 公 認 して いる。した がっ て、 スイ スの 公 用 語 は<br />

ドイツ 語 、 フラ ンス 語 、イ タリア 語 、ロマ ンシ ュ 語 の4つであ る。 と 以 前 に 書 いた が、 そ<br />

れは 建 て 前 であ ること を 今 回 の 旅 行 で 実 感 した 。 今 回 はまずジ ュネ ーヴ とロ ーザン ヌと い<br />

うフラ ンス 語 圏 に 行 き 、そ れからシ ュヴィ ーツ とい うスイス 同 盟 発 祥 の 地 に 数 日 滞 在 、 後<br />

半 は 途 中 か ら 学 生 が 加 わっ てロマン シュ 語 圏 の マイ エンフェル トへ 行 き 、 最 後 にイ タリ ア<br />

語 圏 の ルガ ーノ へ 行 っ た。 ロマンシ ュ 語 は いま や 一 部 の 人 にし か 使 われ てい ないら しい し<br />

今 回 は 現 地 の 人 と 話 し をし なかった ので、 これ は 除 外 しよう。<br />

さて 、ス イス は 被 写 体 に なる 価 値 のもの が 多 いと 期 待 し て 張 り 切 って 初 日 から 写 真 を 撮<br />

りまく った (ジ ュネー ヴの 市 庁 舎 裏 の 公 園 で 疲 れて 座 ったベン チが なん と 公 園 の 端 から 端<br />

まで 一 本 、 約 200 mつ ながってい た! など )。 が、 夕 方 ホ テル に 戻 っ て 持 ち 歩 いた 荷 物 を<br />

バッグ から 出 し てホッ とし たのも 束 の 間 カ メラ がな いことに 気 づい た。 どこ かに 置 き 忘 れ<br />

た 可 能 性 は ない 。 思 い 起 こ されるの はバス から 降 り るときバッ グを ちょ っと 引 っ 張 られ る<br />

感 じが して 引 き 戻 した こと があった ことで 、お そら くその 時 後 ろに いた 人 が バッグ に 手 を<br />

突 っ 込 んで カメ ラを 盗 った のだろう 。 夜 近 くの 警 察 署 に 行 った 。 調 書 作 りは 一 対 一 なの で<br />

自 分 の 番 が 来 る まで 45 分 ほど 待 っ てよう やく 係 員 の 前 に 立 ち、まず「 私 はフ ラン ス 語 が<br />

できな いが 、ド イツ 語 か 英 語 な ら 話 せる」 とフ ラン ス 語 で 言 っ た( 学 部 およ び 大 学 院 時 代<br />

はフラ ンス 語 を 専 攻 し てい たので 聞 き 取 り 以 外 はわ かる)ら、 なん とそ の 署 員 は 英 語 も ド<br />

イツ 語 もで きな い。 別 の 署 員 を 呼 ん でくる から ちょ っと 待 って と 言 われ てさ らに 15 分 以<br />

上 待 た され よう やくド イツ 語 が でき る 女 性 署 員 が 来 て 曰 く 「 川 の 向 こう に 大 きな 警 察 署 が<br />

あるの で 明 日 そ ちらで 届 け るように 」と。 1 時 間 以 上 待 っ てた った 1 分 の 対 応 。ま あ 仕 方<br />

なく 明 朝 そ の 新 しい 警 察 署 に 行 った 。 受 付 が 留 守 で 20 分 以 上 待 っ てよ うやく 来 た 署 員 に<br />

「フラ ンス 語 が できな いが 」とフラ ンス 語 で 言 って から「 昨 日 しか じか のこ とがあ って ベ<br />

ルネ 通 りの 警 察 署 に 行 った らこちら へ 行 く よう にと 言 われたの で 来 た」 とド イツ 語 で 言 っ<br />

たら、 その 人 曰 く「そ れは ベルネ 通 りの 警 察 の 管 轄 だからそっ ちへ 行 け 」と フラン ス 語 で。<br />

「 昨 日 はこ っち へと 言 い、 今 日 はあ っちへ と 言 うの か」とドイ ツ 語 でく って かかっ たが 、<br />

相 手 は フラ ンス 語 しか わか らないの で 話 に なら ない 。 仕 方 なく 夕 べ の 警 察 署 に 行 っ て― ―<br />

と、こ んな 話 を ここで 詳 し くするの が 目 的 では ない からやめる が、 結 局 さら に 別 の 警 察 署<br />

でよう やく フラ ンス 語 はも ちろんド イツ 語 もイ タリ ア 語 も 英 語 もわ かる 警 察 官 と 話 をす る<br />

ことが でき て 調 書 を 作 って もらえた 。ちな みに 、ジ ュネーヴ 駅 近 く のホ テル の 受 付 嬢 は ド<br />

イツ 語 がで きな い。ル ガー ノで 道 案 内 をし てい た 警 察 官 に ドイ ツ 語 で 話 しか けたら 、や は<br />

りその 人 は イタ リア 語 しか 話 せ なか った。 もっ とも 売 店 や カフ ェの おば さん はドイ ツ 語 で<br />

話 しか けて もイ タリア 語 で 答 え るが 、 話 は わか って いるらしい 。ま あ、 地 元 のおじ さん お<br />

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ばさん が 現 地 語 しか 話 さな いのは 当 然 だと して も、 せめて 公 的 職 務 に 就 く 人 、とく に 困 っ<br />

た 人 を 助 け る 警 察 官 は スイ スの 公 用 語 3つ は 使 える ようになっ て 欲 しい とし みじみ 思 っ た。<br />

ジュ ネー ヴか ら 列 車 でス イス 中 部 のシュ ヴィ ーツ (Schwyz)へ 向 かった 。 列 車 の 車 内 ア ナ<br />

ウンス はフ ラン ス 語 だ った が、ヌシ ャテル (Neuschâtel)を 過 ぎ てビール(Biel) 辺 りで 突 然 ド<br />

イツ 語 に 変 わっ た。( 別 の いくつか の 特 急 では ドイ ツ 語 ・ フラ ンス 語 ・ 英 語 の 放 送 があ っ<br />

た。) 「 次 の 停 車 駅 は 」は ドイツ 語 で Der nächste Halt( デア・ネヒステ・ハルト)、 フラ ンス 語 で<br />

Prochaine arret( プフォシェナレ)、 英 語 で は The next station、 イ タリア 語 は 忘 れ た。<br />

スイスへ 行 こう(13)Maienfeld<br />

Vom freundlichen Dorfe Maienfeld führt ein Fußweg durch grüne, baumreiche Fluren bis zum Fuße<br />

der Höhen, die von dieser Seite groß und ernst auf das Tal herniederschauen. Wo der Fußweg anfängt,<br />

beginnt bald Heideland mit dem kurzen Gras und den kräftigen Bergkräutern dem Kommenden<br />

entgegenzuduften, denn der Fußweg geht steil und direkt zu den Alpen hinauf.<br />

「ス イス のマ イエン フェ ルトとい う、 感 じの よい 古 い 町 から 、ひ とす じの 道 が、 木 の 多<br />

いみど りの 野 原 をとお って 、 丘 のふ もとま でつ づい ています。 こち らが わか ら 見 た とこ ろ<br />

では、 その 丘 は 、 大 き くい かめしく 、 谷 の 上 に そそ りたってい ます 。 道 がの ぼりは じめ る<br />

あたり から 、あ たりの 荒 れ 野 に は、 短 い 草 や、 山 の かたい 雑 草 のに おい が、 しきり にし ま<br />

す。そ して 、 道 は、ま すま すけわし くなっ て、 まっ すぐにアル ムの 山 に のぼ ってい きま<br />

す。」 ( 竹 山 道 雄 訳 )<br />

これ は、 日 本 で『ア ルプ スの 少 女 ハイジ 』と いう 題 で 知 られ るヨ ハン ナ・ シュピ ーリ<br />

(Johanna Spyri)の 小 説 の 冒 頭 一 節 です。 原 作 は 1880 年 と 81 年 に2 巻 本 と して 公 刊 さ れたも<br />

ので、 原 作 のタ イトル は 渋 く、Geschichten für Kinder und solchen, welche Kinder lieb haben( 子<br />

どもた ちと 、 子 どもた ちを 愛 す る 人 のため の 物 語 ) と 言 い 、そ の 第 一 巻 は Heidi's Lehr­ und<br />

Wanderjahre( ハ イジの 修 業 ・ 遍 歴 時 代 )、 第 二 巻 は Heidi kann brauchen, was es gelernt hat( ハ<br />

イジは 習 っ たこ とを 使 うこ とができ る)と いう 副 題 がついてい る、 キリ スト 教 的 な 本 で す。<br />

ハイ ジ 物 語 の 舞 台 は 、ス イスのマ イエン フェ ルト と、ドイツ のフ ラン クフ ルト・ アム ・<br />

マイン です 。 後 者 はク ララ が 住 むド イツ 有 数 の 商 業 都 市 で 、ハ イジ はク ララ の 話 し 相 手 と<br />

してフ ラン クフ ルトに 連 れ て 来 られ ます。 しか し、 なんと 言 っ ても ハイ ジ 物 語 の 舞 台 は マ<br />

イエン フェ ルト と 言 う べき でしょう 。そこ は、 スイ スの 中 心 的 な 都 市 チ ュー リヒか ら 急 行<br />

電 車 で 約 1 時 間 半 (と 言 っ ても、マ イエン フェ ルト は 各 駅 停 車 の 列 車 し か 停 まらな いの で、<br />

その 手 前 の ラガ ーツ 温 泉 か ザルガン スで 乗 り 換 える 必 要 が あり ます )の 小 さ な 村 で す。 25<br />

年 ほど 前 に 私 が 行 った とき には 駅 の ホーム もな いよ うな 田 舎 で した が、 いま は 売 店 もあ り<br />

ますし 、 降 りる 客 もい ます ( 今 年 の 9 月 に 行 っ たと き、 降 りた 人 の 半 分 以 上 が 日 本 人 で し<br />

た)。 駅 か らま っすぐ に 商 店 な どが ある 坂 道 を 上 っ て 行 き ます 。と ころ どこ ろに 泉 があ り、<br />

ブドウ 畑 が 拡 が り、は るか 前 方 に 岩 の 切 り 立 っ たア ルプスが 見 えま す。 ちょ っと 汗 が 出 て<br />

来 たな と 思 う 頃 、 前 方 にロ ッヂが 見 え、 近 くに いま はハイジ 博 物 館 とお 土 産 屋 があ りま す<br />

(むか しは 何 も ありま せん でした) 。 日 本 人 ツ ァー 客 はここま でバ スで 来 て 帰 るよ うで す。<br />

さて 、こ こか ら 急 坂 を 上 ると 林 道 に 出 て 、 単 調 な 林 道 を 延 々 と 歩 かな けれ ばなり ませ ん。<br />

駅 が 遥 か 下 に 見 え、よ くま あここま で 登 っ たも のだ と 我 な がら 感 心 する 頃 、 いよい よ 牧 場<br />

に 入 る さら に 急 坂 に 着 きま す。むか し 来 た とき は、 アルムのお じい さん の 家 はもう すぐ と<br />

感 じた けど 、 今 回 は「 ここ からが 遠 い」と いう 印 象 でした。で も 風 が 爽 やか で 気 持 ちが 良<br />

いです 。 道 の 上 のほう にス イスの 国 旗 が 見 えた ら、 小 屋 は もう すぐ そこ です 。ハイ ジは こ<br />

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んな 山 道 を 、 服 を 脱 ぎ 捨 て て 小 屋 ま で 駆 け 上 が った のでした。<br />

奥 の 山 の 中 にあ る 牧 場 に、 アルムの おじい さん の 小 屋 はありま す。<br />

スイスへ 行 こう(14)チーズフォンデュ<br />

せっ かく スイ スに 来 たの だから、 スイス 名 物 の 一 つ、チーズ フォ ンデ ュを 食 べよ うと い<br />

うこと にな って 、チュ ーリ ヒの 市 内 案 内 書 に 載 って いる、 本 場 ヴァ リス 地 方 のレス トラ ン<br />

へ 同 行 の 学 生 4 人 と 一 緒 に 行 っ た。<br />

店 に 入 っ た 瞬 間 、ツ ンと チーズが 焼 けた 臭 い にお いが 鼻 を 突 いた 。ち ょっ と 嫌 な 予 感 が<br />

したが 、す ぐに 慣 れた 。 私 は 数 日 前 から 喉 風 邪 から さらに 気 管 支 炎 にな って 咳 が 止 まら な<br />

かった ので ミネ ラルウ ォー ターを 注 文 、お 酒 に 弱 い 2 人 は ジュ ース 、 他 の1 人 は 赤 ワイ ン、<br />

もう 一 人 は 、そ っちが 赤 な ら 自 分 は 、と 白 ワイ ンを 注 文 し た。 ちょ っと 値 の 張 る 店 だけ あ<br />

って、 ワイ ンは 香 も 立 って とてもお いしい とい う。 さて、いよ いよ コン ロが 運 ばれ 、サ イ<br />

コロ 状 のパ ンと 1~2 cmぐ らいの 大 きさの 新 ジ ャガ が 籠 に 入 れ て 持 って こら れ、そ して 煮<br />

え 立 っ たチ ーズ に 油 が 表 面 に 浮 いた 鍋 が2 つコ ンロ の 上 に 置 か れた 。2 つと いうの は、 2<br />

種 類 注 文 し たか らだ。<br />

では 、 乾 杯 Prosit … …はさっき 済 ま せた ので 、イタ ダキ マー ス Guten Appetitt!<br />

パン を 串 に 刺 し 煮 え 立 っ たチーズ の 中 に 漬 け てぐ るっとまわ して 取 り 出 し 、 火 傷 をし な<br />

いよう にフ ッと 吹 いて から 口 の 中 へ ――。 ああ 、お いしい―― 、と いう 感 慨 に 耽 る 前 に 、<br />

チーズ より も 強 烈 なワ イン の 味 が 口 の 中 を 占 め た。 煮 え 立 った チー ズの 表 面 に 浮 い てい た<br />

のは、 良 く 見 る とチー ズの 油 分 では なくて 、ワ イン だった。 本 場 ス イス のチ ーズフ ォン デ<br />

ュはワ イン がき ついと いう のは 有 名 な 話 で 知 っ てい たが、 実 際 に 食 べて 初 め て 実 感 した 。<br />

白 ワイ ンを 注 文 してお いし いと 言 っ ていた 彼 女 も、 白 ワインを 飲 み なが ら 白 ワイン が 嫌 と<br />

言 うほ どた っぷ り 入 っ たチ ーズフォ ンデュ を 食 べる なんて、と 嘆 い た。 ワイ ン 漬 け チー ズ<br />

をしっ かり 味 わ うこと にな るパンよ りも、 それ が 内 部 まで 染 み 込 ま ない ジャ ガイモ がさ わ<br />

やかで なん とお いしこ とか 。もうチ ーズフ ォン デュ は 当 分 要 ら ない とい う 気 分 でお 腹 が い<br />

っぱい にな りか けたこ ろ、 鍋 に はま だチー ズワ イン がたっぷり と 残 り、 パン もジャ ガイ モ<br />

もたく さん ある 。どう する の、まだ こんな に 残 って いるのに、 とい う 心 配 は 老 化 が 始 ま っ<br />

たおじ さん の 発 想 で、 20 歳 代 の 若 者 は まだ まだパワー が 余 っていて 、 山 に なっ てい たジ<br />

ャガイ モと パン はすべ て 食 べ 尽 くし た。さ すが にチ ーズワイン は 三 分 の 一 ほ ど 残 っ た。 で<br />

もまあ 、こ れで とりあ えず スイスで やるべ きこ との 一 つは 達 成 した とい う 気 持 ちに なっ た。<br />

――い った い 何 しにス イス へ 来 たの だ!?<br />

スイスへ 行 こう(15)チヨコレイト<br />

Die Schweiz ist ein kleines, gebirgiges Land mit vielen interessanten Gewächsen. Das Klima ist jedoch alles<br />

andere als tropisch, weshalb keine Kakaobohnen angepflanzt werden.<br />

Die Schweiz besass auch nie irgendwelche Kolonien - weder in Afrika, noch in Südamerika noch sonst<br />

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irgendwo auf der Welt. Da stellt sich die Frage, wie es möglich ist, dass die Schweiz weltweit zu einer der<br />

führenden Schokoladeproduzentinnen geworden ist?<br />

スイ スを 紹 介 するス イス 政 府 のホ ームペ ージ (http://www.swissworld.org)に 上 記 の ように<br />

書 かれ てい る。 スイス は 山 ばかりの 小 国 で 。 気 温 が 温 暖 と いう わけ でも ない からカ カオ 豆<br />

など 植 えら れな いし、 また 、スイス はいま だか つて アフリカに も 南 米 に も 植 民 地 を 持 っ た<br />

ことが ない 。だ から、 なぜ スイスが 世 界 の チョ コレ ート 産 業 の 指 導 的 地 位 を 占 める こと が<br />

できた のか とい う 疑 問 が 生 じる、と 。<br />

なぜ スイ スで チョコ レー ト 産 業 が 盛 んな のか の 説 明 が 書 かれ てい るの では なく、 疑 問 で<br />

すね、 と 言 うと ころが ユニ ークでお もしろ い。 なぜ だろう? では 調 べ てみ ようと スイ ス<br />

に 関 心 を 持 ち、 さらに スイ スに 来 て もらえ たら 有 り 難 いという のが スイ ス 政 府 の 考 えか も<br />

知 れな い。 それ はなか なか 教 育 的 ( ?) 配 慮 で 良 い かも。つい でな がら 、チ ョコレ ート の<br />

原 料 で ある カカ オ 豆 は いま から 3500 年 前 にマ ヤで 使 わ れていたらしい。ス イスで 最 初 の<br />

チョコ レー ト 店 は 1819 年 の 創 業 。<br />

チュ ーリ ヒの 国 際 空 港 で も 中 央 駅 でも 商 店 街 でも 最 も 目<br />

につく チョ コレ ート 専 門 店 は Confiserie Sprüngli だ ( パレ ー<br />

ド 広 場 の 本 店 の ほかに チュ ーリヒ 市 内 に 18 店 舗 あ る) 。<br />

1836 年 創 業 で 江 戸 時 代 からの 老 舗 。 売 れ 筋 はや はりトリュ<br />

フらし い。 板 チ ョコも 売 ら れている が、ス イス 人 は あまり<br />

買 わな いよ うだ 。カカ オが 身 体 に 良 いとし ても 、そ のまま<br />

食 べる のは 味 気 ない( 私 は 「99 % カカ オ 入 りチョコが 好 き<br />

だった が、 最 近 日 本 で 見 か けない) と 思 う らし く、 いろい<br />

ろなも のを チョ コレー トで 包 む ベル ギー 風 のチ ョコ が 流 行<br />

してい る。 (ド イツで は 板 チョコが たくさ ん 売 られ てい<br />

る。) ちな みに 、チョ コレ ートケー キ 500 フ ラ ン( 約 48000 円 )とい うのもあり、 これは<br />

重 さが 1.2 kg とい うか ら、 一 人 で 食 べ たら 鼻 血 が 出 る 。<br />

「ス イス チョ コレー ト・ トイシャ ー teuscher」 と いう 店 の<br />

チョコ レー トも おいし いが 、インタ ーネッ トで 見 る と 店 舗<br />

の 半 分 以 上 が 北 米 にあ り、 スイスに はチュ ーリ ヒと ジュネ<br />

ーヴに しか ない 。 新 宿 と 横 浜 の 高 島 屋 でも 売 ら れて いる。<br />

でも、 創 業 は 70 年 前 にス イス アル プスの 麓 の 小 さ な 村 で 始<br />

めた 手 作 り チョ コレー トだ そうだか ら、 大 きく 世 界 に 飛 躍<br />

したと いう べき だろう 。 私 の 趣 味 か らする と、 味 は 良 い<br />

が、 装 幀 が 派 手 で、チ ョコ レートも 懲 りす ぎと いう 感 じ。<br />

乗 っ たこ とは ないが 、フ ランス 語 圏 のレ マン 湖 畔 モントルー から 「チ ョコ レート 列 車 」<br />

という 特 別 列 車 が 夏 の 週 末 に 走 って いる。 チョ コレ ート 列 車 と は 言 うも のの 、 最 初 に 停 車<br />

する 駅 はグ リュ イエー ルで 、ここは チーズ で 世 界 的 に 有 名 な 町 。こ こで チー ズ 工 場 を 見 学<br />

するの もコ ース に 含 ま れて いるらし い。チ ョコ レー トの 工 場 見 学 は 小 さ な 町 の 工 場 だが 、<br />

いまは ネス レに 買 収 さ れ 近 代 的 な 大 工 場 に なっ たら しい。ちな みに 、ド イツ のケル ン 大 聖<br />

堂 の 裏 から 遊 園 地 で 見 かけ る 小 さな 電 車 が 出 て いて 、 約 20 分 でライン 川 沿 い にあ るチョ<br />

コレー ト 工 場 に 着 く。 ここ も 工 場 見 学 がで きて 試 食 もできる。 帰 り にシ ョッ プでお 土 産 を<br />

という コー スに なって いる が、この チョコ レー トは あまりおい しく ない 。<br />

最 後 に、 チョ コレー トは ドイツ 語 で Schokolade。 したがっ て 発 音 は「 ショコラ ーデ」と<br />

言 い、 「シ ョ」 にアク セン トがある 。<br />

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スイスへ 行 こう(16)スイス 旅 行 記 1 ベルン→ルツェルン 編<br />

今 年 の9 月 に スイス へ 行 った「ド イツ 語 およ びド イツ 語 圏 社 会 事 情 応 用 2 」の 受 講 生 に<br />

旅 行 記 を 投 稿 し てもら いま した。 第 1 回 は 社 会 文 化 システム 学 科 3 年 岡 本 春 世 さん 筆 で す。<br />

前 日 の マイ エンフ ェル トの 山 登 りによ る 筋 肉 痛 も 忘 れ てし まう くら い、 スイス の 首<br />

都 ベ ルン の 街 並 みは 素 敵 です。ど こを 切 り 取 って も 絵 に なる ほど 、ひ たす ら 景 色 が 美<br />

しい 。 窓 も 壁 もアー ト! 見 せるため にある もの ! それが 当 たり 前 だ から スイス の 街<br />

はお 洒 落 なん ですね 、き っと。 日 本 だっ たら どう でもいいも の( 公 衆 電 話 とか) まで<br />

何 百 枚 も 撮 り たくな るか ら 不 思 議 。 大 容 量 の メモ リーが 必 需 品 で す! 有 名 な 場 所 に<br />

行 っ たり 美 味 しいも のを 食 べ たり するこ とも もち ろん 楽 しか った けれ ど、 美 しい 街 は<br />

歩 い てい るだ けで 気 持 ち いいです 。<br />

場 所 を 移 動 して、 ルツ ェル ン。スイス 旅 行 の 中 でも 特 に 興 奮 し たで あろ う 市 役 所<br />

前 ! 正 式 な 結 婚 式 と は 別 に、 婚 姻 届 を 出 し た 後 にお 祝 い セレ モニー をやるみ たいで<br />

す。 カペ ル 橋 に 向 か う 途 中 だ った のです が、 わい わいと 賑 や かだ った ので 野 次 馬 。カ<br />

ップ ルご とに それぞ れ 違 って、 笛 を 吹 い たり 、 赤 い 風 船 を 飛 ばし たり 、 子 ども 達 がひ<br />

まわ りを 持 っ たりし て 祝 福 し てい ました 。そ の 子 ども 達 がま るで お 人 形 さ んか 妖 精 さ<br />

んの よう で、 とにか く 可 愛 い ! 最 高 に 可 愛 い! 持 って 帰 り たい ! カップル は 幸 せ<br />

そう に 寄 り 添 ってい るし 、 陽 気 な おじさ んは カフ ェオレくれ るし 。 偶 然 出 会 った 、そ<br />

の 愛 にあ ふれ た 空 間 も 大 切 な 思 い 出 の 一 つと なり ました。 素 敵 な 偶 然 でし た。<br />

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( 写 真 は 岡 本 さん 撮 影 、 選 択 とトリミングは 柴 田 )<br />

スイスへ 行 こう(17)クリスマス・マーケット<br />

クリ スマ スマ ーケッ トは ドイツ 語 で Weihnachtsmarkt( ヴ ァイナ ハツ マル クト )、 フラン<br />

ス 語 で は Marché de Noël( マ ルシ ェ・ドゥ ・ノ エル)と 言 います 。Weihnacht は 「 聖 夜 」 と<br />

いう 意 味 で す。 クリス マス に 向 けて の 準 備 期 間 にあ たるアドヴ ェン ト・ シー ズン( クリ ス<br />

マスイ ブま での 約 4 週 間 )、 ドイツで もオ ースト リアでも 、 町 か ら 村 まで、 広 場 に 屋 台 が<br />

建 ち 並 び、 クリ スマス のデ コレーシ ョン 用 品 や プレ ゼントなど を 売 りま す。 ロウソ クや キ<br />

ラキラ 輝 く 玉 な どを 多 く 売 っている ので、 夜 行 った ほうがきれ いに 見 え ます 。 寒 い 冬 の 夜<br />

に、 香 料 を 加 え て 温 め たワ イン、グ リュー ヴァ イン を 屋 台 で 買 って 飲 む と 身 体 が 温 まり ま<br />

す。ア ルコ ール が 駄 目 な 人 や 子 ども 用 には ポン チが あります。<br />

スイ ス 各 地 で もクリ スマ ス 市 が 開 かれて いま す。 とくにバー ゼル やチ ュー リヒ、 ベル ン、<br />

モント ルー など の 市 は 規 模 が 大 きく て 有 名 です 。ス イス 政 府 観 光 局 のホ ーム ページ<br />

http://www.myswiss.jp/jp.cfm/season/winter/xmasmarket/で は、 いま クリ スマス 市 の 特 集 を 組 み、 き<br />

れいな 写 真 がた くさん 載 っ ています 。その 中 か らい くつか 選 ん でコ ピー しま しょう 。<br />

Christkindlimarkt Zürich チ ューリヒ 中 央 駅 構 内<br />

「 目 抜 き 通 りの バーンホフ シュトラ ーセがイル ミネーシ ョンで<br />

彩 られ 、ショッ プの 華 やか なウィン ドーディス プレーと ともに、<br />

チュー リヒの 町 がロマンテ ィックな 雰 囲 気 に 包 まれます 。この<br />

時 期 は 、 普 段 は 夜 や 週 末 に 閉 まって しまう 店 な ども 特 別 営 業 の<br />

予 定 。 メインの 楽 しみは、 ヨーロッ パで 最 大 規 模 の 屋 内 マーケ<br />

ットと いわれる チューリヒ 中 央 駅 で のクリスマ スマーケ ット。<br />

恒 例 となっ たシンボル は、スワ ロフスキー のクリスタ ル 5000 〜 6000 個 で 飾 られた 高 さ 15m の 巨 大<br />

ツリー。グ リューヴァ イン Glühwein の ほか、 さまざまな 食 べ 物 が 味 わえるの も 楽 しみの ひとつ。<br />

約 160 軒 の 屋 台 が 並 びます 。 毎 年 、 のべ 約 46 万 人 が 訪 れ るといわ れるビッ クイベント です。」<br />

Marché de Noël de Montreux モ ン トルー<br />

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「クリ スマスが 近 づくと 町 の 中 心 の 大 通 りグラ ン・リュ ー Grand<br />

Rue や レマン 湖 畔 の 通 り に、 約 100 軒 の 山 小 屋 風 の かわいい 店 が<br />

並 びま す。 美 し いクリスマ スのデコ レーション 、 手 作 り の 小 物 、<br />

セータ ーや 木 彫 りの 人 形 、 そして 名 物 のワイン …。 屋 根 付 き 市<br />

場 マル シェ・ク ヴェール Marché Couvert を はじめ 各 所 にあ るスー<br />

プやラ クレット 、フォンデ ュなど 飲 み 物 や 食 べ 物 の 屋 台 も 楽 し<br />

みのひとつ 。 年 を 重 ね るごとに 評 判 をよび 、23 万 人 ほど の 観 光 客 が 各 地 から 集 まる 大 き なイベント<br />

になってい ます。『サ ンタクロ ース・シテ ィ Santa Claus City』 というコ ンセプトテ ーマで、モ ント<br />

ルーから 小 さな 登 山 鉄 道 で 約 1 時 間 のとこ ろにあるロ ッシェ・ド ・ネ Rochers de Naye に サンタ クロ<br />

ースの 家 を 設 置 。 一 面 の 雪 山 で サンタクロ ースからプ レゼントを もらえる 子 供 たちに 人 気 の 企 画 で<br />

す。」<br />

Einsiedler Weihnachtsmarkt ア イン ズィ ーデ ルン<br />

「 中 世 の 時 代 から 重 要 な 巡 礼 道 のひとつと して 多<br />

くの 参 拝 者 が 訪 れた 修 道 院 の 町 。 現 在 でも 敬 虔 な<br />

キリスト 教 徒 が 各 地 か ら 集 まる この 地 では 、 荘 厳<br />

な 雰 囲 気 の 伝 統 的 なク リスマス マーケット を 体 験<br />

することが できるでし ょう。 駅 から 修 道 院 まで 結<br />

ぶ 中 央 通 り Hauptstrasse の 約 400m に 、 約 100 本 の 美<br />

しいツリー と、120 軒 の 屋 台 が 並 びます。 中 央 スイ<br />

ス 地 方 では 最 大 規 模 の マーケッ ト。わずか 9 日 間<br />

という 短 い 期 間 ですが 、 訪 れる 価 値 がある クリス<br />

マスマーケ ットのひと つです。 」<br />

Weihnachtsmarkt St.Gallen ザ ン クト・ガ レン<br />

ックな 聖 な るクリスマ スツリー も 登 場 。」<br />

「 中 世 ヨーロッパ の 学 芸 の 中 心 地 と して 隆 盛 を 極<br />

めたザ ンクト・ガ レン。バ ロック 建 築 の 壮 麗 な カ<br />

テドラ ル( 大 聖 堂 )と 周 辺 の 教 会 、 付 属 図 書 館 な<br />

どあわ せ、かつて の 修 道 院 は 世 界 遺 産 に 認 定 さ れ<br />

ていま す。 中 世 の 出 窓 や 看 板 が 特 徴 的 な 建 物 が 美<br />

しい 旧 市 街 の Marktgasse( 市 場 通 り) を 中 心 に 、キ<br />

ャンド ルやクリス マス 飾 り など、 伝 統 的 な 小 物 を<br />

販 売 す る 屋 台 が 軒 を 連 ねま す。また 大 聖 堂 と 礼 拝<br />

堂 の 間 にある 修 道 院 広 場 Klosterplatz に はシンボ リ<br />

Luzerner Christkindlimarkt ル ツェ ルン<br />

「 有 名 な 屋 根 付 木 造 橋 カペル 橋 をはじめ、 まるで 絵 画 のよう<br />

に 美 しいと いわれるル ツェルン はカトリッ ク 信 者 が 多 い 町<br />

で、クリス マスはしっ とりとし た 雰 囲 気 。 聖 ニコラウ スの 日<br />

(12/6) の 前 後 には 、キリス ト 教 の 伝 統 的 な 行 事 も おこなわ<br />

れます。 毎 年 、チュー リヒと 同 じく、クリ スマスムー ドにデ<br />

コレーショ ンされたル ツェルン 駅 構 内 でク リスマス・ マーケ<br />

ットを 開 催 。クリスマ スプレゼ ント 用 の 工 芸 品 や 飾 り ものを<br />

販 売 する 店 や、Glühwein やル ツェルンの 特 産 品 など が 味 わえ るスタンド など、 約 50 軒 の 屋 台 が 並<br />

びます。 特 設 ステージ では 子 供 たちの 合 唱 コンサート もあり、 天 使 の 歌 声 が 響 き、ク リスマス ムー<br />

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ドをいっそ うもりあげ てくれま す。」<br />

スイスへ 行 こう(18)スイス 旅 行 記 2:ハイジの 里 へ<br />

今 年 の9 月 下 旬 にス イスへ 行 った 社 会 文 化 システム 学 科 3 年 生 五 十 嵐 智 美 さんの 旅 行 記 を 掲 載 し<br />

ます。 写 真 は、 前 回 同 様 、 岡 本 春 世 さん 撮 影 です。<br />

私 がスイ スに 興 味 を 持 ったのはハ イジ が 大 好 きだ ったから です 。 小 さ いころか らアニ メを<br />

何 回 も 見 て いて 、いつ か 実 際 に ハイ ジの 舞 台 に なっ た 場 所 へ 行 きた いと 思 っ ていま した 。<br />

1 年 生 のこ ろか ら 柴 田 先 生 のドイツ 語 を 取 って いて 、 先 生 にし つこ くス イス に 行 き たい と<br />

言 って いた ら 本 当 に 連 れっ ていって くれる こと にな ったときに は、 すご く 嬉 しかっ たで す。<br />

スイ ス 滞 在 2 日 目 、 朝 早 くからマ イエン フェ ルト へ 行 く ため にチ ュー リッ ヒから 電 車 に<br />

乗 りま した 。 列 車 の 窓 から 景 色 を 観 ている と、 何 や ら 茶 色 い 群 れが (゜.゜ ) よ く 見 ると、<br />

放 牧 さ れて いる 牛 でし た。 東 京 では 見 られ ない 光 景 にちょっと 興 奮 しち ゃい ました ( 笑 )<br />

あと 何 とい って も、 家 など の 建 物 の 可 愛 さ です !! 屋 根 の 色 や 出 窓 に 花 が 飾 ってあ るな ど、<br />

まさに ハイ ジの 世 界 ☆ こ んな 感 じ で 終 始 感 動 して ました。 気 が 付 くと 、 目 的 地 の マイ エ<br />

ンフェ ルト ♪<br />

駅 を 出 て 坂 道 を 歩 い てい ると、ハ イジに 出 て きた ような 家 や 泉 が あり 、ま たまた アニ メ<br />

の 世 界 と 同 じで 感 動 ( *^_^*) 写 真 撮 り まく りまし た☆ こ の 日 は とて も 良 い 天 気 だ っ<br />

たので 、し ばら く 坂 道 を 歩 いただけ で 汗 が ( 笑 ) しかし、これは まだ まだ 序 の 口 だと あと<br />

で 思 い 知 り まし た。た まに 休 み なが ら 山 を 登 っ てい き、やっと ハイ ジ 博 物 館 に 着 き まし た。<br />

そこは 、ハ イジ が 冬 の 間 過 ごしてい た 家 を イメ ージ して 造<br />

られた もの でし た。 中 に 入 ると、チ ーズ 作 りの 道 具 やパン<br />

を 焼 く 竈 、 ハイ ジの 服 やベ ッドなど 、アニ メに 出 て くるも<br />

のが 沢 山 置 かれ ていま した 。なかに はおじ いさ んの 人 形 も<br />

あった ので すが 、リア ルす ぎて 怖 か ったで す( 笑 ) 十 分 に<br />

家 を 見 て 回 り、 隣 にあ った お 土 産 屋 さんで ハイ ジグ ッズを<br />

買 い、 また 山 小 屋 を 目 指 し て 山 登 り を 始 め まし た。<br />

ガイ ドブ ック などを 読 ん で 長 時 間 登 るこ とは 知 っ ていま<br />

したが 、 実 際 登 ってみ ると ・・・・ ・もの すご くキ ツイ!!<br />

(+o+) すれ 違 う 人 は 登 山 の 服 装 。 自 分 の 考 えが 甘 か ったこ<br />

とを 思 い 知 りま した。 登 っ ても 登 っ ても 山 小 屋 は 見 えてき<br />

ません 。 本 当 に あるの か 不 安 に なり ました 。 途 中 に は 木 製<br />

の 車 い すや ハイ ジ、ペ ータ ーの 人 形 があっ て 記 念 撮 影 しま<br />

した☆ もう 足 が 棒 のよ うに なり、 立 ってい るの もや っとな<br />

のに、 先 生 と 友 達 一 人 はと っても 元 気 (-_-;) 先 生 風 邪 気 味<br />

だった のに ( 笑 ) そんな 苦 し い 状 態 で も 頑 張 って 登 っ てい<br />

たら、 やっ とス イスの 国 旗 が 見 えま した☆ 着 いた ー\<br />

(^o^)/ 今 まで 死 にそ うに なっ ていました が、 一 気 に 疲 れ<br />

はふっ 飛 び まし た。<br />

山 小 屋 の 前 で 記 念 撮 影 し て、ベン チに 座 り 昼 食 を 取 りま<br />

した。 駅 で 買 っ たパン と 山 小 屋 で 売 ってい るコ ーラ を 飲 ん<br />

でいる と、 蜂 の 襲 撃 が ( 笑 ) でもとて もい い 眺 め でした♪<br />

食 べ 終 わ った ら、 山 小 屋 の 周 りを 歩 き、 写 真 を 撮 りまし<br />

た(ここ でか なりの 枚 数 を 撮 っち ゃいまし た 笑 ) 一 周 して<br />

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みて、 アニ メに 出 てく るも のと 本 当 に 似 て いる と 思 いまし<br />

た。 犬 とお じい さんい たし (^^) 山 小 屋 を 十 分 に 満 喫 し 、<br />

山 を 降 り 始 めま した。 やっ ぱり 下 り は 楽 で すね 。 途 中 、ハ<br />

イジと ヤギ の 石 像 があ る『 ハイジの 泉 』に 立 ち 寄 り 休 憩 し<br />

ました 。そ れか ら 一 回 迷 っ たりもし ました が、 無 事 に 駅 に<br />

到 着 。 帰 り の 電 車 では みん な 爆 睡 で したね ( 笑 )<br />

長 々 と 感 想 を 書 きま した が、まだ ここに は 書 きき れない<br />

感 動 が いっ ぱい ありま した 。ずっと 憧 れて いた スイ スに 行<br />

くこと がで きて 幸 せで す。 みなさん も 学 生 のう ちに 旅 行 に<br />

行 って おい たほ うがい いで すよ☆ もし、 ハイ ジの 山 小 屋 に 行 こう と 思 う 人 は 覚 悟 して い<br />

ってく ださ いね !! か なり 山 登 りが 辛 いの で( 笑 ) 将 来 子 どもと 一 緒 に 行 けた らいい なぁ<br />

(^.^)<br />

スイスへ 行 こう(19)スイス 旅 行 記 3:ザンクト・ガレン<br />

連 載 の 最 後 に 、 昨 年 9 月 にスイス へ 行 っ た 残 り2 名 、 関 菜 摘 さん と 木 津 友 理 栄 さ んの 旅<br />

行 記 を 掲 載 しま す。 二 人 と も 図 らず も 同 じ 所 の 紹 介 。 関 さ ん 木 津 さ んの 順 番 で 掲 載 しま す。<br />

* * *<br />

スイス 紀 行<br />

映 画 を3 本 に ゲーム をや り 続 けて やっと 着 い たス イス☆ ほ んと にほ んと に 目 に 入 る も<br />

の 全 て がか わい くてた まり ませんで した。 普 通 のお うちのベラ ンダ にお 花 が あふれ てい た<br />

り、ド アに かわ いいリ ース が 飾 って あった り、 細 か いところま です てき でし た。 建 物 も バ<br />

スも 看 板 も 赤 ち ゃんも おじ いちゃん も 牛 さ んも みん なみんな、 シャ ッタ ーチ ャンス !!<br />

チュ ーリ ッヒ には 路 上 バ スがたく さん 走 って いて 、 住 み やす そう でし た。 なんて った っ<br />

て、 中 央 線 みた いにぎ ゅう ぎゅうな 満 員 電 車 に は 遭 遇 しません でし た。 2 階 建 の 列 車 は 景<br />

色 も 良 いし 、み んな 向 かい 合 っ てお 茶 をし たり しな がらゆった りと した 雰 囲 気 での 移 動 で<br />

した。 だか らト ランプ が 大 活 躍 でし た。<br />

私 が 一 番 感 動 したの はザ ンクトガ レンで す。 図 書 館<br />

は、あ の 美 女 と 野 獣 に 出 て くるよう な、 天 井 も 高 く<br />

て、 大 中 小 様 々 な 本 が びっ しりつま ってい て、 すい こ<br />

まれそ うで した 。 写 真 は 撮 れなかっ たけれ ど、 今 で も<br />

あのワ ーッ とし た 開 放 感 あ ふれる 図 書 館 を しっ かり と<br />

思 い 出 せる ほど の 圧 倒 感 で した。 教 会 は 静 かで 真 っ 白<br />

で、 天 井 に は 天 使 がた くさ んいて、 ゆっく りと 安 ら げ<br />

る 空 間 でし た。 なぜか 緊 張 したけれ ど、し ばら くこ こ<br />

にいた いっ て 思 いまし た。<br />

鹿 の 肉 、 子 牛 のソー セー ジ、あり がたい くら いに た<br />

っぷり ワイ ンが きいて いる チーズフ ォンデ ュ。 美 味 し<br />

いもの もい っぱ い 食 べ ちゃ いました 。 山 も いっ ぱい あ<br />

ってで っか くて 、かっ こよ かったで す。ス イス でた く<br />

さんの 素 敵 な 思 い 出 が でき ました。 また、 行 き たい で<br />

す☆<br />

スイスへ 行 こう(20)スイス 旅 行 記 4:<br />

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わた しの ファ ースト ワー ルドトリッ プ in the Switzerland<br />

わた しは 生 ま れて 21 年 目 にし て 初 めて 国 外 に でました。 向 か った 先 は ヨーロッパ ・ス<br />

イス。 旅 の 仲 間 はドイ ツ 語 クラスの 女 性 4 人 に 柴 田 隆 行 教 授 。パスポート をよう やっと 手<br />

に 入 れ 、 成 田 空 港 を 出 発 し ました。 体 中 を むく ませ ながらスイ スに 到 着 ! 日 本 と そん な<br />

に 大 き な 差 があ るわけ では ないので すが、 電 車 に 吊 革 がないこ とや 、 道 路 が 広 いこ と、 街<br />

がごち ゃご ちゃ してい ない こと、イ ケメン やモ デル 並 の 美 人 が 大 量 にい るこ と…そ んな こ<br />

とが 新 鮮 で 楽 し くてテ ンシ ョンはう なぎの ぼり でし た。<br />

スイ スで の 思 い 出 は 次 か ら 次 へと 浮 かん でく るの で、 中 でも いち ばん 心 に 残 った 教 会 と<br />

世 界 遺 産 で ある 図 書 館 につ いて 話 し たいと 思 い ます 。 私 は 今 ま で 教 会 に 行 っ たこと はな か<br />

ったの です が、 人 生 21 年 目 にし て 教 会 in ス イス に 行 き まし た。まず 入 っ た 瞬 間 の 独 特 の<br />

空 気 ・ 雰 囲 気 に 息 を 呑 みま した。 天 井 に 描 かれ てい る 絵 や ろう そく の 灯 、 柱 や 窓 が 本 当 に<br />

美 しく 、 安 心 感 を 覚 え ると 同 時 に「 誰 かに 見 ら れて いる」とい う 感 じが して 何 か 嬉 しく 、<br />

ぞくっ とし まし た( 教 会 だ けで 写 真 の 数 は 30 枚 くらい)。 それ から 図 書 館 ですが、 これ<br />

も 同 じ く 心 を 打 たれま した 。1 階 と 2 階 に びっ しり と 並 ぶ 古 め かし い 立 派 な 本 の 数 々( 2<br />

階 は 登 れま せん でした )、 これまた 天 井 に 描 か れて いる 素 敵 な 絵 。 ディ ズニ ーの「 美 女 と<br />

野 獣 」 に 出 てく る 図 書 館 ( 室 ?)を 少 し 連 想 しました。 何 かを 見 て 、ま た、 ある 空 間 に 居 る<br />

ことで 感 動 する ・ぞく っと すること は 人 生 で 多 くは 起 こらない こと です 。 私 は 心 底 、ス イ<br />

スで 出 会 え て 良 かった と 感 じており ます。<br />

スイ ス 旅 行 で は 他 に も、 ドイツ 語 で「8 」を 表<br />

す「ア ハト 」が どうし ても 通 じ なか ったり 、マ ク<br />

ドナル ドで トイ レを 借 りよ うとした らロッ クナ ン<br />

バーが あっ て 店 員 さん と 話 が 噛 み 合 わなか った り<br />

…、い たる とこ ろに 牛 さん が 居 たり 。 色 ん なハ プ<br />

ニング や 楽 しい エピソ ード がありま した! ま た<br />

必 ず 訪 れた いと 思 いま す。<br />

ダンケシェン♪ 木 津 友 理 栄<br />

左 :ルツ ェル ンの 「 泣 く ライ オン」の 前 で<br />

右 上 :ル ガー ノの スイス ミニ アチュー ルに て<br />

中 央 下 : ザン クト ガレン のコ ンディト ライ でケー キを 食 べる<br />

スイスへ 行 こう(21) 帰 国 の 途 へ<br />

旅 も つい に 終 わりと なっ た。 最 後 の 晩 は 、い まま で 敬 遠 して いた ホテ ルの レスト ラン で<br />

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豪 華 に ゆき たい 、と 思 った がなかな か 適 当 なレ スト ランが 見 つ から ず、 結 局 、 客 が 誰 も い<br />

ず 店 員 がま かな いを 食 べ 始 めている 場 末 の 食 堂 でパ スタを 食 べ るこ とに なっ た。と いう の<br />

が、 昨 年 9 月 末 のチュ ーリ ヒでの 最 後 の 夜 だっ た。<br />

フィ ール ドワ ークや 実 習 はまあ 名 ばかり で、 本 心 は 買 い 物 を した かっ たと いう 女 性 軍 は、<br />

あいに くと 最 後 が 土 日 曜 日 で 市 内 の 商 店 が 休 み のた め、 仕 方 な く 駅 の 売 店 み たいな とこ ろ<br />

でお 土 産 な どを 買 って いた が、 空 港 に 着 い てみ れば 、そこに 羽 田 空 港 に 劣 ら ないほ どの 品<br />

揃 え 豊 富 な 商 店 が 並 ん でい るではな いか。 夕 べ ここ に 来 れ ば 良 かっ たと 悔 や みつつ 、 飛 行<br />

機 の 出 発 時 刻 を 気 にし つつ 最 後 の 買 い 物 に 走 っ た。 チューリヒ 国 際 空 港 は、 議 員 の 強 力 な<br />

働 きか けに より 、 海 外 から の 旅 行 客 でなく ても 買 い 物 が 自 由 に でき るシ ステ ムを 確 立 し た<br />

という 。 大 きな スーパ ーマ ーケット もあっ て 一 般 の 食 料 品 や 日 用 品 も 買 うこ とがで きる 。<br />

しか し、 買 い 物 も 良 いけ れど、「 9・1 1」 以 降 、 空 港 のセ キュ リテ ィ・ チェッ クが 異<br />

常 なほ ど 厳 しく なり、 チェ ックイン でも 手 荷 物 検 査 でもおそろ しく 時 間 がか かるよ うに な<br />

ったの で、 ゆっ くりは して いられな い。で もま あ、 とにかくも 、チ ェッ クイ ンを 済 ませ れ<br />

ば、 多 少 遅 れて も 構 内 放 送 で 呼 んで 待 って いて くれ る。 搭 乗 す れば 、あ とは 機 内 で 頑 張 っ<br />

て 寝 て 、 日 本 に 無 事 到 着 す ることを 願 うの みだ 。<br />

さよ うな ら、 スイス ! またすぐ 来 るか らね !<br />

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