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Title [書評] 廣田義人著『東アジア工作機械工業の技術形成 ... - ARRIDE

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<strong>Title</strong>[ 書 評 ] 廣 田 義 人 著 『 東 アジア 工 作 機 械 工 業 の 技 術 形 成 』Author(s) 水 野 , 順 子Citation アジア 経 済 53.2 (2012.2): 50-53Issue Date 2012-02URLhttp://hdl.handle.net/2344/1176Rights http://ir.ide.go.jp/


書 評廣 田 義 人 著『 東 アジア 工 作 機 械 工 業 の技 術 形 成 』日 本 経 済 評 論 社 2011 年 iv+286ページみず水の野じゅん順こ子あろう。ここまで 詳 しく 情 報 を 収 集 して 提 供 できたのは, 著 者 が 当 該 国 の 工 作 機 械 工 業 を 理 解 するために,インドネシア 語 や, 中 国 語 , 韓 国 語 などの 現 地語 まで 習 得 した 結 果 であり, 何 よりも 工 作 機 械 の 技術 や 経 営 について 人 並 み 以 上 の 基 礎 知 識 と 体 験 があるからである。本 書 は, 一 般 に 後 発 国 にとって 発 展 させるのが 難しいといわれる 工 作 機 械 工 業 を 東 アジア 諸 国 がいかにして 発 展 させてきたか,あるいはできずにいるかを 歴 史 的 に 解 明 し, 共 通 する 発 展 の 要 因 と,それぞれの 差 異 を 生 み 出 している 要 因 について 考 察 することを 課 題 としている。はじめにⅠ 工 作 機 械 とはどのような 機 械 か工 作 機 械 工 業 は,まるでブラックホールのようである。これに 興 味 をもち 少 しでも 近 づいた 者 を 吸 い込 んで 虜 にしてしまい 放 してくれない。 本 書 の 著 者も 工 作 機 械 工 業 のブラックホールに 吸 い 込 まれ 虜 になった 一 人 である。 著 者 と 工 作 機 械 の 関 係 は, 普 通の 研 究 者 のそれとの 比 ではない。 著 者 も「あとがき」で 述 べているように, 高 校 生 のころからマザーマシンという 工 作 機 械 の 特 性 に 惹 かれるものがあったという。ちなみにその 特 性 とは, 母 性 原 理 とよばれ,工 作 機 械 によって 加 工 された 製 品 は 加 工 した 工 作 機械 に 精 度 などを 支 配 され,それを 超 えることはできないというものである。そのため 著 者 は,「 工 作 機械 および 工 具 」という 講 座 をもっていた 九 州 大 学 工学 部 生 産 機 械 工 学 科 に 進 学 している。しかしながら,それにとどまらず, 大 阪 市 立 大 学 経 済 学 部 に 学 士 入学 し 中 岡 哲 郎 先 生 に 師 事 して「 産 業 技 術 論 」ゼミで工 作 機 械 の 研 究 を 始 めている。この 経 歴 だけでも 著者 の 工 作 機 械 にかける 熱 意 は 並 ではないが,さらに職 業 人 としての 実 体 験 をもっているので, 工 作 機 械を 論 じれば,おそらく 著 者 の 右 に 出 る 社 会 科 学 系 の研 究 者 は 日 本 にはいないと 思 われる。そのような 著者 が 日 本 , 台 湾 , 韓 国 ,シンガポール,インドネシア, 中 国 の 工 作 機 械 工 業 の 発 展 に 魅 了 されて 夢 中 になるのは,いろいろ 理 由 を 述 べてはいるが, 本 音 は工 作 機 械 工 業 が 大 好 きだからである。したがって 本書 は, 各 国 の 工 作 機 械 工 業 の 発 達 史 に 関 して,これ以 上 ないといってもよいほど 詳 しい。おそらく 今 後もここまで 詳 細 な 情 報 を 提 供 する 本 は 出 てこないで50それでは, 工 作 機 械 とはどのようなものなのか。読 者 の 便 宜 のために, 工 作 機 械 について 少 し 説 明 する。 自 動 車 や 飛 行 機 , 船 舶 などは 誰 でも 知 っているが, 工 作 機 械 を 知 っている 人 は 多 くない。 自 動 車 も飛 行 機 も 船 舶 も 文 明 の 発 達 を 示 す 総 ての 工 業 製 品は, 工 作 機 械 がなければ 存 在 しなかった。このように 記 述 すれば,オーバーに 思 われるかもしれないが,それは 真 実 である。 工 作 機 械 は 設 備 機 械 であり, 設備 機 械 がなければ 工 業 製 品 を 作 ることはできない。設 備 機 械 なので 工 場 のなかにあるため, 一 般 人 の 目に 触 れることはない。もしも 工 場 のなかを 見 る 機 会があったとしても,これが 工 作 機 械 ですと 教 えられなければ 普 通 の 人 にはわからないほど, 工 作 機 械 は多 種 多 様 である。それほど 工 作 機 械 は 一 般 に 知 られていないものなのに, 一 国 の 工 業 力 を 決 定 する 力 をもつところがおもしろい。 工 作 機 械 は 人 間 の 手 の 人工 的 な 延 長 であるが, 今 日 では 人 間 の 手 をはるかに超 えるおどろくべき 増 殖 力 をもつ。 人 間 の 手 の 不 確実 さに 挑 戦 して 作 られたために 機 械 のなかに「 熟 練 」が 組 み 込 まれており, 誕 生 した 産 業 革 命 以 降 発 達 を続 けている。その 結 果 , 工 作 機 械 は, 競 争 関 係 に 大きな 変 化 をもたらす 力 をもっている。たとえば 工 作機 械 分 野 だけでも 戦 後 の 短 い 時 間 において, 日 本 国内 では 後 発 企 業 が 老 舗 企 業 を 凌 駕 し, 国 際 的 には 日本 企 業 がNC 工 作 機 械 で 欧 米 企 業 の 老 舗 企 業 を 凌 駕した。このことが 東 アジア 後 発 国 といわれていた 韓国 , 台 湾 の 日 本 へのキャッチアップを 可 能 にしている。 工 作 機 械 が 競 争 関 係 に 大 きな 変 化 をもたらす 性『アジア 経 済 』LⅢ2(2012.2)


書 評格 をもっていること,また 同 時 に 軍 事 産 業 の 設 備 機械 でもあるという 性 格 から, 戦 前 の 日 本 や 戦 後 の 冷戦 時 代 の 韓 国 , 台 湾 では 重 点 的 に 育 成 したい 産 業 であった。 大 きな 影 響 力 をもつ 工 作 機 械 工 業 が, 産 業規 模 としては 自 動 車 産 業 などに 比 べてはるかに 小 さな 産 業 で,しかも 育 成 が 非 常 に 難 しいという 性 格 をもつということが 途 上 国 の 工 業 化 に 関 心 をもつ 研 究者 を 魅 了 する。Ⅱ 分 析 手 法 と 分 析 結 果本 書 は, 日 本 語 文 献 , 英 語 文 献 ばかりでなく,インドネシア, 韓 国 , 中 国 の 現 地 語 文 献 ならびに 現 地の 聴 き 取 り 調 査 という 方 法 で 情 報 を 収 集 し 分 析 されている。したがって 各 国 の 工 作 機 械 企 業 について 発足 時 点 の 非 常 に 詳 細 な 情 報 を 把 握 し 提 供 している。工 作 機 械 工 業 がおもに 中 小 企 業 によって 担 われていることを 考 えると, 情 報 を 把 握 すべき 企 業 数 が 極 めて 数 多 く, 日 本 だけでも 結 構 な 数 になる。それを 日本 , 台 湾 , 韓 国 ,シンガポール,インドネシア, 中国 について 戦 前 の 情 報 から 収 集 , 整 理 し, 鳥 瞰 できるようにしている。その 作 業 だけでも 大 変 なエネルギーが 必 要 であったと 推 し 量 ることができる。 分 析は, 各 国 の 企 業 誕 生 , 製 品 の 市 場 , 技 術 水 準 , 技 術の 獲 得 手 法 , 生 産 と 調 達 , 営 業 の 範 囲 , 製 品 の 種 類 ,政 府 の 支 援 という 面 から 行 われている。集 めた 情 報 を 整 理 して 分 析 した 結 果 , 戦 前 の 日 本では 工 作 機 械 製 造 技 術 を 模 倣 で 習 得 していた。 著 者はこれが 後 発 性 の 利 益 であり,ボトルネックは 関 連産 業 の 立 ち 後 れと 高 級 機 種 における 高 い 輸 入 依 存 度であると 指 摘 し,このことは 現 在 の 途 上 国 と 同 じであるとしている。そして, 日 本 の 場 合 戦 時 中 の 輸 入途 絶 が 関 連 産 業 の 発 達 を 促 進 したとしている。 戦 前の 市 場 は 軍 需 を 含 むおもに 内 需 であった。これに 対して 終 戦 から1951 年 サンフランシスコ 条 約 までの 工作 機 械 工 業 はいったん 壊 滅 状 態 であった。その 後 政府 の 支 援 を 得 て 復 興 がはじまり, 市 場 は 内 需 ( 国 鉄 ,専 売 公 社 など)と 輸 出 になり 需 要 が 分 散 して 安 定 化したことが 企 業 経 営 を 安 定 化 させたとしている。 供給 の 主 体 は, 戦 前 は 中 小 企 業 であったが 戦 後 はこれに 大 企 業 が 加 わり, 先 進 国 企 業 との 技 術 提 携 で 技 術が 進 歩 した。このような 日 本 の 工 作 機 械 工 業 の 戦 前 戦 後 の 発 展パターンは, 一 部 分 が 台 湾 , 他 の 部 分 が 韓 国 に 受 け継 がれている。 台 湾 では, 供 給 の 主 体 は 中 小 企 業 で,技 術 はおもに 模 倣 で 習 得 し, 市 場 は 輸 出 である。これに 対 して 韓 国 では, 供 給 の 主 体 は 財 閥 系 大 企 業 で,技 術 は 日 本 から 技 術 提 携 で 習 得 し, 市 場 は 内 需 である。 明 示 的 ではないが, 冷 戦 時 代 であったこともあり, 台 湾 , 韓 国 とも 軍 需 の 市 場 もかなり 大 きかったはずである。他 方 ,シンガポールの 工 作 機 械 工 業 は, 外 国 直 接投 資 によって 進 出 した 日 本 やアメリカなどの 外 国 企業 により 技 術 を 伝 播 してもらい,さらにそこで 働 き経 験 を 積 んだ 現 地 の 人 材 が,スピンアウトして 独 立して 企 業 を 立 ち 上 げた。 今 となっては 珍 しくはないが,これが 東 南 アジアの 経 済 成 長 の 原 動 力 で,その原 型 をみせている。シンガポールは, 主 として 日 本の 直 接 投 資 で 立 ち 上 がったこともあり, 進 出 企 業 がもともと 市 場 をもって 投 資 してくるため 需 要 先 は 輸出 である。これらに 対 してインドネシアと 中 国 の 工 作 機 械 工業 発 展 形 態 は, 異 なった 姿 をみせる。 両 国 とも 供 給の 主 体 が 国 営 企 業 で, 内 需 は 大 きいという 共 通 点 がある。しかし 現 在 インドネシアの 国 内 市 場 は, 輸 入の 工 作 機 械 で 占 められている。インドネシア 政 府 は工 作 機 械 国 産 化 のために1985 年 に11 社 を 工 作 機 械 指定 企 業 とした。このうち5 社 は, 工 作 機 械 製 造 経 験のない 設 立 されたばかりの 企 業 であった。インドネシア 政 府 は, 育 成 のために 目 標 を 立 てて 支 援 政 策 をとったが, 所 期 の 目 標 を 達 成 できなかったばかりでなく, 国 内 での 発 展 にも 何 ら 効 果 がなく, 不 運 にも1997 年 のアジア 経 済 危 機 が 重 なり, 結 果 的 には 中国 製 の 安 い 工 作 機 械 に 押 されて 残 った 企 業 は2 社 であった。 国 内 の 重 層 的 な 工 作 機 械 市 場 の 下 位 の 層 でインドネシア 工 作 機 械 は 中 国 製 の 安 い 工 作 機 械 と 競合 して 敗 れ,ほぼ 消 滅 した。 中 国 の 工 作 機 械 がインドネシアに 市 場 を 確 保 できたのは, 中 国 の 工 作 機 械工 業 のスタートが 日 本 と 同 様 に1860 年 代 から 始 まっていたのに 対 して,インドネシアのスタートが100年 以 上 も 遅 かったことが, 基 本 的 差 となってあらわれたためである。最 後 に 中 国 の 工 作 機 械 であるが, 上 述 のとおり 中国 の 工 作 機 械 がスタートしたのは1860 年 代 で, 日 本とほぼ 同 じ 時 代 である。 中 国 では, 中 華 人 民 共 和 国になる 前 まで, 入 り 乱 れて 技 術 が 流 入 していた。 中51


書 評華 人 民 共 和 国 になってからは, 技 術 や 生 産 方 法 をソ連 から 導 入 し,クラスヌイ・プロレタリ 工 場 などから 技 術 者 が 支 援 にきた。1950 年 代 のことである。 生産 方 式 は 巨 大 な 国 内 市 場 を 見 込 んだソ 連 式 大 量 生 産方 式 であったが, 必 ずしも 中 国 に 適 合 的 ではなかった。その 後 中 国 とソ 連 との 関 係 が 悪 化 し,1960 年 にソ 連 人 技 術 者 が 引 き 揚 げ 技 術 導 入 が 途 絶 えると, 中国 工 作 機 械 工 業 は 試 行 錯 誤 しながら 自 力 で 発 展 を 追求 することになる。ソ 連 からの 技 術 導 入 と 現 地 への適 合 における 問 題 点 については, 著 者 の 工 作 機 械 の技 術 や 生 産 体 制 に 対 する 見 識 が 無 尽 に 展 開 されていて 圧 巻 である。また,その 後 に 起 こった 文 化 大 革 命は, 工 作 機 械 生 産 の 現 場 に 一 層 の 混 乱 をもたらした。著 者 は, 中 国 の1950 年 代 の 経 験 を 発 展 途 上 国 の 工 業化 の 過 程 として 捉 えてみると, 機 械 工 業 の 基 盤 の 脆弱 な 国 にいきなり 工 作 機 械 工 場 を 立 ち 上 げるには,きわめて 重 要 な 市 場 の 問 題 が 解 決 されたとしても,生 産 面 でいくつかの 問 題 が 生 じることがわかると 述べている。すなわち⑴ 関 連 部 品 の 調 達 ができないという 点 ,⑵ 経 験 のない 従 業 員 を 前 提 にして 量 産 工 場を 経 営 するには 生 産 管 理 面 において 間 接 費 と 間 接 人員 を 多 く 必 要 とすること,⑶ 熟 練 技 能 者 がいなくてもよい 生 産 システムの 構 築 は 不 可 能 である,ということであり, 需 要 規 模 よりも 豊 富 な 人 材 ( 技 術 者 ,技 能 者 )が 鍵 を 握 っているとまとめられる。Ⅲ コメント本 書 のような 東 アジアの 工 作 機 械 工 業 が 鳥 瞰 できる 本 がでてくると,いろいろと 今 後 の 課 題 もみえてくるのでその 点 も 含 めて 以 下 に 述 べてコメントにかえたい。第 1に 東 アジア 地 域 と 戦 前 の 日 本 との 技 術 の 関 係である。 著 者 もこの 点 には 関 心 をもっているが,分 析 の 対 象 とした 台 湾 , 韓 国 , 中 国 の 一 部 である東 北 部 は, 日 本 が 戦 前 に 相 当 数 の 高 等 工 業 教 育 機 関を 創 設 したところである。 戦 前 の 高 等 工 業 教 育 機関 創 設 の 話 はタブーのようになっていて 語 られることは 少 ないが,『 日 本 機 械 学 会 誌 』では 伊 東 誼 東 京工 業 大 学 教 授 ( 当 時 )が「 日 本 の 係 わったアジアにおける 高 等 工 業 教 育 を 振 り 返 って」という 座 談 会 を韓 国 , 台 湾 , 日 本 で3 回 にわたり 開 催 し, 当 時 現 地で 教 育 を 受 けた 卒 業 生 を 招 いてディスカッションをおこなっていて 興 味 深 い[ 伊 東 1997]。 座 談 会 に 参加 しているメンバーは 日 本 が 戦 前 に 海 外 に 創 設 した高 等 工 業 学 校 のうちから 旅 順 工 科 大 学 ( 敗 戦 により閉 鎖 ), 京 城 帝 国 大 学 ( 現 在 の 国 立 ソウル 大 学 校 ),台 北 帝 国 大 学 ( 現 在 の 国 立 台 湾 大 学 )ならびに 台 南高 等 学 校 ( 現 在 の 成 功 大 学 )を 卒 業 して 技 術 者 や 教師 になった 人 たちであり, 当 時 の 日 本 の 高 等 工 業 教育 とその 後 の 職 業 経 験 への 貢 献 などを 語 っている。韓 国 の 座 談 会 に 参 加 した 京 城 帝 国 大 学 を 卒 業 した 金在 瑾 氏 は, 卒 業 後 韓 国 機 械 製 作 所 に 就 職 し,その 後1945 年 からはソウル 大 学 で49 年 間 教 授 として 教 鞭 をとり 技 術 を 伝 播 するコアの 人 材 として 活 躍 した。また 同 じく 康 明 植 氏 は,1946 年 に 卒 業 し, 卒 業 後 はソウル 大 学 の 専 任 講 師 , 朝 鮮 機 械 製 作 所 の 工 作 部 長 を経 て 仁 荷 大 学 の 教 授 , 漢 陽 大 学 の 教 授 などを 歴 任 した。 農 業 国 の 途 上 国 が 機 械 工 業 を 立 ち 上 げ, 発 展 させることを 考 えたとき, 広 範 な 人 材 ( 技 術 者 , 技 能 者 )が 一 時 に 大 量 に 必 要 であることはいうまでもなく,そのため 学 校 教 育 には 人 材 を 短 期 間 に 大 量 に 市 場 に供 給 することが 要 請 される。 台 湾 , 韓 国 では, 戦 前の 日 本 の 高 等 工 業 教 育 を 受 けた 卒 業 生 が 指 導 者 になり 市 場 で 必 要 とされる 人 材 を 供 給 する 基 地 になっていたことをこの 座 談 会 は 証 明 していている。そのことを 踏 まえて 本 書 を 読 み 返 してみると, 台 湾 の 工 作機 械 企 業 の 御 三 家 のひとつ 台 中 精 機 は, 創 業 者 の 一人 李 道 東 が 日 本 の 工 業 学 校 に 学 んでいる。 楊 鉄 工 廠は, 創 業 者 の 楊 朝 坤 が 日 本 の 企 業 で 機 械 修 理 工 の 経験 を 積 んで 創 業 している。しかし,それ 以 上 の 情 報がないので,この 空 白 部 分 の 情 報 の 発 掘 が 期 待 される。 韓 国 では 起 亜 機 工 の 親 企 業 である 起 亜 自 動 車 の社 長 が 京 城 帝 国 大 学 に 入 学 した 人 である。 戦 後 になって 韓 国 , 台 湾 が 日 本 の 模 倣 をしながらキャッチアップしてきたのは,このように 日 本 の 技 術 の 遺 伝子 が 伝 えられたことと 無 関 係 ではないので,そのような 視 点 を 加 えて 深 耕 すれば, 東 アジアの 経 済 成 長と 日 本 の 役 割 がみえてきて,より 一 層 興 味 深 いものとなるのではないだろうか。また 最 近 では, 韓 国 , 台 湾 ,シンガポール, 中 国に 日 本 人 技 術 者 が 大 量 に 流 出 して 行 って 指 導 している。 著 者 も 貨 泉 に 日 本 の 一 流 企 業 を 退 職 した 技 術 者が 顧 問 として 滞 在 して 指 導 し, 貨 泉 の 技 術 を 格 段 に向 上 させた 点 に 言 及 している。 日 本 の 韓 国 との 技 術提 携 では, 日 本 人 技 術 者 が 現 地 に 滞 在 して 指 導 する52


書 評ことはもちろんのこと 現 地 の 技 術 者 を 日 本 に 招 いて教 育 ・ 訓 練 をしている。このほか 伊 東 [2002, 93]は,韓 国 の 有 力 工 作 機 械 企 業 である 統 一 重 工 業 には1998年 ですら 日 本 人 技 術 者 が 常 時 40 名 在 職 していたという 驚 くべき 事 実 を 指 摘 している。第 2に 技 術 形 成 ということで, 様 々な 角 度 から 分析 をしているが,ここまで 情 報 が 集 まれば 技 術 形 成とは 何 かについてメルクマールを 設 定 して 分 析 してみると,さらに 明 確 にみえてくるものがあるであろう。たとえば 模 倣 からスタートした 日 本 の 工 作 機 械企 業 が,1960 年 代 半 ばに「 人 間 が 直 接 操 作 することを 前 提 として 設 計 された 旋 盤 の 最 後 にして 空 前 の 傑作 」と 絶 賛 された 池 貝 鉄 工 のA20 旋 盤 を 開 発 したときが,まさに 日 本 の 工 作 機 械 技 術 が 新 たなステージに 入 ったときであり,それを 成 功 させた 鍵 は 豊 富 な人 材 であった[ 伊 東 2003, 4, 7]。この 時 期 には 池 貝鉄 工 ばかりでなく 大 隈 鉄 工 所 でも 優 れた 工 作 機 械 が開 発 され,その 後 の 日 本 の 工 作 機 械 工 業 全 盛 の 礎 を築 いた。このような 開 発 が 相 次 いで 行 われたのは 需要 が 見 込 まれたことがある。 供 給 サイドの 豊 富 な 人材 ( 技 術 者 , 技 能 者 )と 需 要 サイドは 工 作 機 械 工 業の 裏 と 表 に 相 当 する 関 係 にあり 一 体 であることがわかる。 本 書 が 分 析 対 象 としたなかでインドネシアの工 作 機 械 工 業 だけが 例 外 的 に 成 功 しなかった。 成 功した 台 湾 , 韓 国 , 中 国 が 工 作 機 械 工 業 の 育 成 をスタートさせた 時 期 は 需 要 も 確 保 されていたが 人 材 も 日 本の 支 援 を 受 けながら 企 業 内 外 において 供 給 され 表 裏のバランスがとれていた。これに 対 してインドネシアが 工 作 機 械 工 業 の 育 成 を 始 めた 時 は, 需 要 とバランスした 人 材 が 供 給 されていたのかどうかが 検 討 される 必 要 があるのではないだろうか。その 点 も 含 めて 今 後 のさらなる 分 析 にも 期 待 したい。文 献 リスト伊 東 誼 1997. 「 日 本 の 係 わったアジアにおける 高 等 工 業教 育 を 振 り 返 って」『 日 本 機 械 学 会 誌 』 第 100 巻 第939 号 117-140.――― 2002. 「 韓 国 ・ 台 湾 の 工 作 機 械 事 情 4」『 機 械 と 工具 』 第 46 巻 第 4 号 .――― 2003. 『 物 つくり 立 国 への 道 標 ―― 欧 米 先 進 技 術を 凌 駕 した 池 貝 鉄 工 製 A20 型 普 通 旋 盤 ――』 私 家 版 .(アジア 経 済 研 究 所 新 領 域 研 究 センター)53

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