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Title [書評] 廣田義人著『東アジア工作機械工業の技術形成 ... - ARRIDE

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書 評華 人 民 共 和 国 になってからは, 技 術 や 生 産 方 法 をソ連 から 導 入 し,クラスヌイ・プロレタリ 工 場 などから 技 術 者 が 支 援 にきた。1950 年 代 のことである。 生産 方 式 は 巨 大 な 国 内 市 場 を 見 込 んだソ 連 式 大 量 生 産方 式 であったが, 必 ずしも 中 国 に 適 合 的 ではなかった。その 後 中 国 とソ 連 との 関 係 が 悪 化 し,1960 年 にソ 連 人 技 術 者 が 引 き 揚 げ 技 術 導 入 が 途 絶 えると, 中国 工 作 機 械 工 業 は 試 行 錯 誤 しながら 自 力 で 発 展 を 追求 することになる。ソ 連 からの 技 術 導 入 と 現 地 への適 合 における 問 題 点 については, 著 者 の 工 作 機 械 の技 術 や 生 産 体 制 に 対 する 見 識 が 無 尽 に 展 開 されていて 圧 巻 である。また,その 後 に 起 こった 文 化 大 革 命は, 工 作 機 械 生 産 の 現 場 に 一 層 の 混 乱 をもたらした。著 者 は, 中 国 の1950 年 代 の 経 験 を 発 展 途 上 国 の 工 業化 の 過 程 として 捉 えてみると, 機 械 工 業 の 基 盤 の 脆弱 な 国 にいきなり 工 作 機 械 工 場 を 立 ち 上 げるには,きわめて 重 要 な 市 場 の 問 題 が 解 決 されたとしても,生 産 面 でいくつかの 問 題 が 生 じることがわかると 述べている。すなわち⑴ 関 連 部 品 の 調 達 ができないという 点 ,⑵ 経 験 のない 従 業 員 を 前 提 にして 量 産 工 場を 経 営 するには 生 産 管 理 面 において 間 接 費 と 間 接 人員 を 多 く 必 要 とすること,⑶ 熟 練 技 能 者 がいなくてもよい 生 産 システムの 構 築 は 不 可 能 である,ということであり, 需 要 規 模 よりも 豊 富 な 人 材 ( 技 術 者 ,技 能 者 )が 鍵 を 握 っているとまとめられる。Ⅲ コメント本 書 のような 東 アジアの 工 作 機 械 工 業 が 鳥 瞰 できる 本 がでてくると,いろいろと 今 後 の 課 題 もみえてくるのでその 点 も 含 めて 以 下 に 述 べてコメントにかえたい。第 1に 東 アジア 地 域 と 戦 前 の 日 本 との 技 術 の 関 係である。 著 者 もこの 点 には 関 心 をもっているが,分 析 の 対 象 とした 台 湾 , 韓 国 , 中 国 の 一 部 である東 北 部 は, 日 本 が 戦 前 に 相 当 数 の 高 等 工 業 教 育 機 関を 創 設 したところである。 戦 前 の 高 等 工 業 教 育 機関 創 設 の 話 はタブーのようになっていて 語 られることは 少 ないが,『 日 本 機 械 学 会 誌 』では 伊 東 誼 東 京工 業 大 学 教 授 ( 当 時 )が「 日 本 の 係 わったアジアにおける 高 等 工 業 教 育 を 振 り 返 って」という 座 談 会 を韓 国 , 台 湾 , 日 本 で3 回 にわたり 開 催 し, 当 時 現 地で 教 育 を 受 けた 卒 業 生 を 招 いてディスカッションをおこなっていて 興 味 深 い[ 伊 東 1997]。 座 談 会 に 参加 しているメンバーは 日 本 が 戦 前 に 海 外 に 創 設 した高 等 工 業 学 校 のうちから 旅 順 工 科 大 学 ( 敗 戦 により閉 鎖 ), 京 城 帝 国 大 学 ( 現 在 の 国 立 ソウル 大 学 校 ),台 北 帝 国 大 学 ( 現 在 の 国 立 台 湾 大 学 )ならびに 台 南高 等 学 校 ( 現 在 の 成 功 大 学 )を 卒 業 して 技 術 者 や 教師 になった 人 たちであり, 当 時 の 日 本 の 高 等 工 業 教育 とその 後 の 職 業 経 験 への 貢 献 などを 語 っている。韓 国 の 座 談 会 に 参 加 した 京 城 帝 国 大 学 を 卒 業 した 金在 瑾 氏 は, 卒 業 後 韓 国 機 械 製 作 所 に 就 職 し,その 後1945 年 からはソウル 大 学 で49 年 間 教 授 として 教 鞭 をとり 技 術 を 伝 播 するコアの 人 材 として 活 躍 した。また 同 じく 康 明 植 氏 は,1946 年 に 卒 業 し, 卒 業 後 はソウル 大 学 の 専 任 講 師 , 朝 鮮 機 械 製 作 所 の 工 作 部 長 を経 て 仁 荷 大 学 の 教 授 , 漢 陽 大 学 の 教 授 などを 歴 任 した。 農 業 国 の 途 上 国 が 機 械 工 業 を 立 ち 上 げ, 発 展 させることを 考 えたとき, 広 範 な 人 材 ( 技 術 者 , 技 能 者 )が 一 時 に 大 量 に 必 要 であることはいうまでもなく,そのため 学 校 教 育 には 人 材 を 短 期 間 に 大 量 に 市 場 に供 給 することが 要 請 される。 台 湾 , 韓 国 では, 戦 前の 日 本 の 高 等 工 業 教 育 を 受 けた 卒 業 生 が 指 導 者 になり 市 場 で 必 要 とされる 人 材 を 供 給 する 基 地 になっていたことをこの 座 談 会 は 証 明 していている。そのことを 踏 まえて 本 書 を 読 み 返 してみると, 台 湾 の 工 作機 械 企 業 の 御 三 家 のひとつ 台 中 精 機 は, 創 業 者 の 一人 李 道 東 が 日 本 の 工 業 学 校 に 学 んでいる。 楊 鉄 工 廠は, 創 業 者 の 楊 朝 坤 が 日 本 の 企 業 で 機 械 修 理 工 の 経験 を 積 んで 創 業 している。しかし,それ 以 上 の 情 報がないので,この 空 白 部 分 の 情 報 の 発 掘 が 期 待 される。 韓 国 では 起 亜 機 工 の 親 企 業 である 起 亜 自 動 車 の社 長 が 京 城 帝 国 大 学 に 入 学 した 人 である。 戦 後 になって 韓 国 , 台 湾 が 日 本 の 模 倣 をしながらキャッチアップしてきたのは,このように 日 本 の 技 術 の 遺 伝子 が 伝 えられたことと 無 関 係 ではないので,そのような 視 点 を 加 えて 深 耕 すれば, 東 アジアの 経 済 成 長と 日 本 の 役 割 がみえてきて,より 一 層 興 味 深 いものとなるのではないだろうか。また 最 近 では, 韓 国 , 台 湾 ,シンガポール, 中 国に 日 本 人 技 術 者 が 大 量 に 流 出 して 行 って 指 導 している。 著 者 も 貨 泉 に 日 本 の 一 流 企 業 を 退 職 した 技 術 者が 顧 問 として 滞 在 して 指 導 し, 貨 泉 の 技 術 を 格 段 に向 上 させた 点 に 言 及 している。 日 本 の 韓 国 との 技 術提 携 では, 日 本 人 技 術 者 が 現 地 に 滞 在 して 指 導 する52

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