03.04.2017 Views

-1-

L3K144

L3K144

SHOW MORE
SHOW LESS

You also want an ePaper? Increase the reach of your titles

YUMPU automatically turns print PDFs into web optimized ePapers that Google loves.

ない。アウシュヴィッツにおける 表 象 ( 不 可 能 性 )の 問 題 を 扱 った 論 考 などを 含 む『イメージの 奥 底 で』 21 に<br />

所 収 されたこの 論 考 は、 論 集 の 理 論 的 中 核 をなすものだが、ハイデガーの『カントと 形 而 上 学 の 問 題 』の 19<br />

節 から 23 節 (だが、とりわけ 20 節 )、「 根 拠 づ け の 第 四 段 階 オントロギッシュな 認 識 の 内 的 可 能 性 の 根 拠 」<br />

の 精 読 である。Bild という 語 のカントによる 三 つの 意 味 ないしは 用 法 をめぐるハイデガーの 考 察 を 再 検 討 する<br />

ことによって、イメージの 本 質 を 理 論 的 に 解 明 しようと 努 めるナンシーは、 次 のような 引 用 からはじめる。<br />

「 像 」(Bild)とはさしあたり、 眼 前 にあるもの(Vorhandenes)として 顕 わ(offenbar)であるかりぎにおける 一 定 の<br />

存 在 者 の 提 供 する 光 景 = 眺 め(Anbick)である。(AFDI 186/155)<br />

D’ordinaire on appelle « image » (Bild) la vue (Aublick) qu’offre un étant déterminé en tant qu’il est manifesté (offenbar)<br />

comme présent (Vorhanden) 22 .<br />

この 後 につづくくだり 23 をほぼハイデガーの 言 葉 通 りに 敷 衍 した 後 、ナンシーは、「それゆえ、 我 々の 前 には<br />

まず 直 接 的 外 観 であるイメージがあり、ついで 肖 像 - 再 現 - 模 範 {モデル}というミメーシス 的 三 重 性 があるが、<br />

ハイデガーはそこにさらに「 眺 望 一 般 」というきわめて 広 い 意 味 をつけ 加 えるのである」(AFDI 186/155)、 と<br />

パラフレーズした 上 で、ここでのハイデガーの 狙 いを 問 う。<br />

ナンシーによれば、ハイデガーはカントが 明 確 に 区 別 しなかった 以 上 の 三 つの 意 味 の 区 別 を 明 示 化 し、これら<br />

を 区 別 することで 図 式 機 能 を 解 明 しようしている。つまり、 第 三 の 意 味 である「 眺 望 のうちに 捉 えること 一 般<br />

の 可 能 性 の 産 出 」が、 第 二 の 意 味 である「あらゆる 種 類 のミメーシス 的 なイメージ」を 経 由 し、そこから 遡 行<br />

して、 第 一 の 意 味 である「 自 らを 見 せる 外 観 としての 像 Bild」の 根 源 的 価 値 へといかに 送 り 返 されるのかを 示<br />

そうとしているという。<br />

ナンシーによれば、このことは、ハイデガーが、ミメーシスをめぐる 諸 価 値 をいわば 転 倒 させて、 派 生 的 像<br />

Abbild は 直 接 的 に 像 として 自 己 を 示 すものの 模 写 つまりコピーでしかないが、しかしコピーは 事 物 をコピーす<br />

るとともに、 事 物 が〈 自 己 を 示 す〉そのありようをもコピーすると 考 えるということである。ナンシーがここ<br />

で 注 目 するのは、Abbild( 模 写 、 複 写 、 肖 像 )、Nachbild( 複 製 、 模 造 )、Vorbild( 手 本 、 模 範 )が、つねに、 像<br />

を 示 しながら、〈 自 己 を 示 す〉ものとしての 自 己 自 身 を 示 すという 点 である。イメージというものが 常 に、 自<br />

己 以 外 の 何 かに 送 り 届 けるものであると 言 うこと、 不 在 における 現 前 であるという 一 般 的 な 了 解 事 項 を 不 編 め<br />

た 上 で、ナンシーはここでこの 現 前 の 意 味 を、ハイデガーを 通 して 考 察 しようとするのだ。<br />

ハイデガーの 意 図 は 明 白 だ、とナンシーはコメントする。「それはイメージの 第 一 義 、つまり、あらゆる 事<br />

物 がみずからを 見 るべきものとして 与 え、みずからの 眺 めを 提 供 し、〜のように 見 え aussehen、〈 自 己 を 示 す こ<br />

とによって 外 見 をもつ〉という、この 作 用 である。このとき 事 物 は、 同 時 に「あたかもそれが 我 々を 見 つめて<br />

いるかのような」ものとして 理 解 される。こうしたイメージの 第 一 義 が、あらゆる 複 製 の 根 底 において 保 管 さ<br />

れるイメージの 根 源 的 で 固 有 な 価 値 をなしている」(AFDI 188-189/157)<br />

こうして、ナンシーはイメージの 発 生 に 見 られる 一 種 のキアスムあるいは 巻 き 込 みに 注 目 する。というのも、<br />

21 『イメージの 奥 底 で』( 西 山 達 也 ・ 大 道 寺 怜 央 訳 、 以 文 社 、2006 年 )。Au Fond des images, Galilée, 2003. 以 下 、AFDI と 略 記 。<br />

22 フランス 語 訳 は、Alphonse de Waelens と Walter Biemel によるもので、ドイツ 語 はナンシーが 追 加 したもの。<br />

23 こうした 意 味 から 派 生 して、 像 はさらに 次 のものを 言 うことができる。 眼 前 にあるものの 写 像 的 光 景 abbildender Anblick、ならびに<br />

もはやないものの 模 造 的 光 景 nachbildender Anblick、あるいはこれから 新 たに 作 り 出 されるべき 何 かの 予 像 的 光 景 vorbildender<br />

Anblick である。<br />

しかし〈 像 〉はさらに 光 景 一 般 についてまったく 広 い 意 味 も 持 ちうる。この 場 合 、このような 光 景 において 直 観 可 能 [ 可 視 的 ]になる<br />

のが 存 在 者 なのか 非 存 在 者 なのかどうかは 明 示 されない。(S.92-93)<br />

-8-

Hooray! Your file is uploaded and ready to be published.

Saved successfully!

Ooh no, something went wrong!