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科挙受験対策偏重の風潮に対する明命帝の<br />
嘆き<br />
漢喃研究院の儒教経典コレクションは、<br />
もちろん既存のテキストを全部網羅してい<br />
るわけではない。従って、このように科挙<br />
受験参考書が占める割合が多い傾向は、往<br />
時のベトナム儒教界の全てを反映している<br />
とは必ずしも言えないかもしれない。<br />
しかしながら、上記儒教典籍の内容に見<br />
られるように、ベトナムの儒者たちが科挙<br />
受験対策に偏重していた傾向があったのは<br />
事実であった。ベトナム最後の王朝である<br />
阮朝(グェンちょう:1802~1945)の第2<br />
代皇帝明命帝(ミンマンてい:在位 1820~<br />
1840)は、儒教思想にのっとった中央集権<br />
国家の確立をめざしたため、黎朝の聖宗皇<br />
帝と並んでことのほか科挙制度や儒教教育<br />
の整備に熱心であった。この明命帝が、潘<br />
輝湜や黎文徳等の官僚と学問読書について<br />
ベトナムの科挙受験参考書『四書節要』と『中<br />
庸演歌』(ハノイ歴史博物館蔵)<br />
話し合った時、明命帝の問いに答えて、黎文徳は「私が学んだのは挙業(科挙<br />
受験対策)の文のみですので」と言い訳をした。それで、明命帝は「挙業の文<br />
が人を誤らせてきたのは、まことに久しきにわたることだ」と嘆いたという。<br />
明命帝は更に述べて「わが国の挙業は、従来ただただ儒教経典を暗記するの<br />
みで、先生が教えるところも、弟子が学ぶところももっぱらこれに限られてい<br />
て何の創意も生まれず、何の役にも立たない。」とベトナムの科挙について厳し<br />
く批判している。<br />
第4章のまとめ:形式主義からくる「自信」<br />
以上述べたような形式主義は、第 6 章で述べる根拠の無い自信にもつながる<br />
でもある。<br />
しかし、日本人においても著名大学の卒業証書があれば、実力以上に評価さ<br />
れるし、証書を持っている本人も、そのように勘違いすることもある。ただ、<br />
たとえば日本企業の社長の多くは必ずしも著名大学出身者ではないことが証明<br />
しているように、日本は実力社会の面も強いので、形式主義が全てを覆っては<br />
いないだけのことである。<br />
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