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第 1 章 社会学的視点

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<strong>第</strong> 1 <strong>章</strong>社 会 学 的 視 点あなたが 米 国 の100 名 の 人 に「なぜカップルは 結 婚 するのか」と 訊 ねたとしたら、 少 なくとも90人 は「 人 びとが 結 婚 するのは、 恋 愛 するから」と 答 えるだろうと 考 えて 間 違 いない。じっさい、われわれにとって、 愛 のない 結 婚 が 幸 福 であるとは 想 像 しがたい。 同 様 に、 人 びとが 恋 するとき、われわれはかれらが 結 婚 について 考 えるだろうと 予 想 する。しかし、だれと 結 婚 するかについての 決 定 は、 本 当 にそれほど 単 純 で、それほど 個 人 的 なものなのだろうか。 恋 愛 が 結 婚 にとって 重 要 であるとしても、キューピットの 矢 は 注 意 深 くわれわれの周 りの 社 会 によって 向 きを 決 められている。社 会 には、だれと 結 婚 すべきでだれと 結 婚 すべきでないかにかんして、 多 くの「 規 則 」があるという 事 実 を 考 えてみよう。たとえば、すぐさま、 米 国 社 会 は 同 性 のだれかと 結 婚 することを 禁 じる法 律 によって、 人 口 の 半 数 を 除 外 する(たとえカップルが 深 く 愛 し 合 っていたとしても)。しかし、べつの 規 則 もある。 人 びと(とくに 若 い 人 びと)は、 年 齢 的 に 近 い 人 と 結 婚 することがとても 多 く、あらゆる 年 齢 の 人 びとが 典 型 的 には 同 じ 人 種 的 カテゴリーで、 類 似 した 社 会 階 級 的 背 景 をもち、 教育 水 準 が 類 似 していて、 同 じくらいの 身 体 的 魅 力 をもつ 人 と 結 婚 することを、 社 会 学 者 は 発 見 してきた( <strong>第</strong> 18 <strong>章</strong> で 詳 述 する)。じっさい、 人 びとはだれと 結 婚 するかを 選 択 するが、しかし 社 会 はたしかに 人 びとが 選 択 するよりまえに、 領 域 を 狭 めているのである(Gardyn 2002; Zipp, 2002)。********************************************************************************恋 愛 するときも、その 他 の 生 活 のほとんどの 側 面 においても、 人 びとの 行 う 決 定 は、たんに 哲 学 者 が「 自 由 意 志 」と 呼 ぶ 過 程 の 結 果 ではない。もっと 正 確 には――そしてこれは社 会 学 の 研 究 から 得 る 本 質 的 な 知 恵 であるが――、われわれの 社 会 的 世 界 は、われわれの行 為 と 生 活 選 択 を 誘 導 する。それはちょうど、 季 節 がわれわれの 服 装 や 活 動 に 影 響 をおよぼすのと 同 じようである。社 会 学 的 視 点..................社 会 学 とは、 人 間 社 会 にかんする 体 系 的 な 研 究 である。 社 会 学 の 核 心 にあるのは、「 社会 学 的 視 点 」と 呼 ばれる 独 特 の 観 点 である。特 殊 なもののなかに 一 般 的 なものを 見 る................ピーター・バーガー(1963)は、 社 会 学 的 視 点 とは 特 殊 なもののなかに 一 般 的 なものを..見 ることだと 述 べた。これによって、かれは、 社 会 学 者 たちが 特 定 の 人 びとの 行 動 に 一 般的 なパターンを 追 求 することを 意 味 していた。 各 々の 個 人 は 独 特 のものではあるものの、社 会 はその 成 員 の 生 活 をかたちづくる( 米 国 の 人 びとは、たとえばパキスタンの 村 落 地 方の 伝 統 的 な 村 で 暮 らす 人 びとよりも、 愛 が 結 婚 に 関 係 すると 予 想 することがずっと 多 い)。.....くわえて、いかなる 社 会 も、さまざまなカテゴリーの 人 びと(たとえば、 男 性 と 女 性 、 貧-1-


米 国 の 大 学 生 は、 若 く、 一 般 的 には 18 歳 から 24 歳 である。なぜだろうか。それは、われわれの 社 会 において、 大 学 に 通 うことが 人 生 のこの 時 期 と 結 びつけられているからである。しかし、 年 齢 以 上 のものが 関 係 している。なぜなら、すべての 若 い 男 女 の 半 数 以 下 しかじっさいに 大 学 に 入 れないからである。もうひとつの 要 因 は、 費 用 である。 高 等 教 育 は 金 がかかるから、 学 生 たちは 平 均 以 上 の所 得 のある 家 族 の 出 身 者 となりがちである。 <strong>第</strong> 20 <strong>章</strong> (「 教 育 」)で 説 明 するように、もしあなたが 年 間 7 万 5 千 ドル 以 上 の 所 得 のある 家 族 に 属 しているくらい 幸 運 であるなら、2万 ドル 未 満 の 所 得 しかない 家 族 の 一 員 である 者 にくらべて、 大 学 に 進 学 する 可 能 性 が 3 倍になる。これらのデータに 照 らしてみると、 大 学 に 進 学 することがたんに 個 人 の 選 択 の 問題 だと 考 えることは、 理 にかなっているのだろうか。社 会 的 文 脈 のなかで 個 性 を 見 る個 人 の 選 択 をかたちづくる 社 会 の 力 を 理 解 するために、 女 性 がもつ 子 どもの 数 について考 えてみよう。 米 国 では、4 頁 の 世 界 地 図 1-1 に 示 されているように、 女 性 は 平 均 して 一生 に 2 人 をわずかに 下 回 る 数 の 子 どもを 持 つ。しかし、インドでは、その 平 均 は 約 3 人 である。 南 アフリカでは 約 6 人 、そしてニジェールでは、 約 7 人 である。なぜこのような 著 しい 違 いがあるのだろうか。のちの 諸 <strong>章</strong> で 説 明 するように、 貧 困 諸 国の 女 性 は、 学 校 にあまり 行 かず、 経 済 的 な 機 会 が 少 なく、 自 宅 にいることが 多 く、 避 妊 法を 用 いることが 少 ない。 明 らかに、 社 会 は、 女 性 と 男 性 が 子 育 てについて 行 う 決 定 におおいに 関 係 している。社 会 の 力 がわれわれの 最 も 私 的 な 選 択 でさえかたちづくっていることを 示 すもうひとつの 例 は、 自 殺 の 研 究 から 得 られる。みずからの 命 を 絶 つこと 以 上 に 個 人 的 な 選 択 があるだろうか。しかし、 社 会 学 のパイオニアのひとりであるエミール・デュルケム(1858-1917)は、 自 殺 という 見 た 目 には 孤 立 した 行 為 にさえ、 社 会 の 諸 力 が 働 いていることを 示 した。かれの 母 国 であるフランスの 公 式 統 計 を 検 討 して、デュルケムは、あるカテゴリーの 人びとが 他 の 人 びとよりも 自 殺 しやすいことを 見 いだした。かれは、 男 性 、プロテスタント、裕 福 な 人 びと、そして 未 婚 者 が、 女 性 、カトリックとユダヤ 教 徒 、 貧 困 者 、そして 既 婚 者...よりも 自 殺 率 がかなり 高 いことに 気 がついたのである。デュルケムは、その 違 いを 社 会 へ...の 統 合 との 関 連 で 説 明 した。つまり、 強 い 社 会 的 絆 をもつ 人 びとのカテゴリーは 自 殺 率 が低 いが、もっと 個 人 主 義 的 な 人 びとのカテゴリーは 自 殺 率 が 高 い。デュルケムが 研 究 していたのは、 男 性 が 支 配 的 な 社 会 であった。そうした 社 会 では、 男性 は 女 性 よりもたしかに 自 由 が 多 い。しかし、その 有 利 さにもかかわらず、 自 由 は 社 会 的絆 を 弱 め、 自 殺 のリスクを 押 し 上 げる。 同 様 に、もっと 個 人 主 義 的 であるプロテスタントは、 伝 統 に 縛 られたカトリックやユダヤ 教 徒 よりも 自 殺 しやすい。カトリックとユダヤ 教徒 の 儀 礼 は、より 強 い 社 会 的 絆 を 育 むのである。 富 裕 者 は 貧 困 者 よりも 自 由 が 多 いが、しかし、ここでも、より 高 い 自 殺 率 という 代 償 を 払 っている。 最 後 に、 独 身 者 が 既 婚 者 よりも 自 殺 のリスクが 大 きいのはなぜか、 理 解 できるだろうか。1 世 紀 後 、デュルケムの 分 析 は 依 然 として 当 てはまっている(Thorlindsson and Bjarnason1998)。 図 1-1 は、 米 国 人 の 4 カテゴリー 別 自 殺 率 を 示 している。 自 殺 はとてもまれであ-3-


ることを 思 い 起 こそう。 人 口 10 万 人 あたり 10 人 という 率 は、およそ 1 マイルあたり 4 インチである。それでも、ある 興 味 深 いパターンが 明 らかになる。2000 年 に、 白 人 10 万 人あたりの 記 録 された 自 殺 は、11.7 であり、アフリカ 系 アメリカ 人 (5.6)の 約 2 倍 であった。 双 方 の 人 種 について、 自 殺 は 女 性 よりも 男 性 に 多 かった。 白 人 男 性 (19.1)は 白 人 女性 (4.5)の 4 倍 以 上 自 殺 しやすかった。アフリカ 系 アメリカ 人 のあいだでは、 男 性 の 率(9.8)は、 女 性 (1.8)の 6 倍 高 かった。デュルケムの 論 理 によれば、 白 人 と 男 性 のあいだの 自 殺 率 の 高 さは、 富 と 自 由 が 多 いことを 反 映 している。 女 性 とアフリカ 系 アメリカ 人の 自 殺 率 が 低 いのは、かれらの 社 会 的 選 択 が 限 られているからである。それゆえ、デュルケムの 時 代 と 同 じように、われわれは、 特 定 の 諸 個 人 の 個 人 的 行 為 に 一 般 的 なパターンを見 ることができる。〔2000 年 に、 日 本 に 住 む 日 本 人 の 自 殺 率 は、 人 口 10 万 人 あたり 24.1 人 であった。 男 性 は 35.2、 女 性 は 13.4 であった。 平 成 12 年 厚 生 労 働 省 人 口 動 態 調 査 〕グローバルな 視 点 の 重 要 性12 月 10 日 フェズ、モロッコ。この 中 世 都 市 ―― 狭 い 通 りや 路 地 の 網 の 目 ――は、 遊 んでいる 子 どもや、ヴェールをまとった 女 の 沈 黙 や、 商 品 を 積 んだロバをひく 男 の 凝 視 で 満たされていた。フェズは 数 世 紀 間 ほとんど 変 わっていないように 思 われた。ここ、アフリカ 北 西 部 は、ヨーロッパのもっとなじみのあるリズムから 数 百 マイルしか 離 れていない。しかし、この 場 所 は、 千 年 も 離 れているように 思 われる。このような 冒 険 をしたことはなかった。 故 郷 についてこれほど 考 えたことはなかった。新 しい 情 報 技 術 のおかげで 地 球 上 の 最 も 離 れたところでさえたがいに 近 くにひきよせられるので、 多 くの 学 問 分 野 はグローバルな 視 点 をとりつつある。グローバルな 視 点 とは、.............................より 大 きな 世 界 とそこにおけるわれわれの 社 会 の 位 置 を 研 究 することである。 社 会 学 にとってグローバルな 視 点 の 重 要 性 はなんであろうか。<strong>第</strong> 1 に、グローバルな 認 識 は、 社 会 学 的 視 点 の 論 理 的 な 拡 張 である。 社 会 学 がわれわれに 示 しているのは、 社 会 におけるわれわれの 位 置 によって、われわれの 生 活 経 験 は 深 く 影響 されるということである。それゆえ、より 大 きな 世 界 システムにおけるわれわれの 社 会の 位 置 によって、 米 国 にいるすべての 人 びとが 影 響 をうける、というのももっともなことである。コラムでは、 世 界 の 社 会 的 なかたちとそのなかでの 米 国 の 位 置 を 示 すために「グローバルな 村 」について 述 べている。6 頁 の 世 界 地 図 1-2 は、 世 界 の 諸 国 の 相 対 的 な 経 済 的 発 展 についてのビジュアルなガイ.........................ドをあたえている。 高 所 得 国 は、ほとんどの 人 びとが 相 対 的 に 高 所 得 であるたいへん 生 産.................性 の 高 い 経 済 システムをもつ 国 である。40 の 高 所 得 国 には、 米 国 とカナダ、アルゼンチン、 西 欧 諸 国 、 南 アフリカ、イスラエル、サウジアラビア、 日 本 、そしてオーストラリアがふくまれる。これらの 国 々は、いっしょにすると、 世 界 の 財 とサービスのほとんどを 生産 し、 富 のほとんどを 支 配 している。 平 均 して、これらの 国 々の 諸 個 人 は、 良 い 生 活 をしているが、それはかれらが 他 の 人 びとよりも 賢 いからではなく、 世 界 の 豊 かな 地 域 に 生 まれたという 幸 運 があったからである。-4-


.............................世 界 の 中 所 得 国 とは、 人 びとの 所 得 がだいたい 世 界 の 平 均 である 生 産 性 が 中 間 的 な 経 済........システムをもつ 国 である。およそ 90 のそうした 国 々―― 東 欧 諸 国 のほとんど、アジアの多 く、アフリカの 一 部 、そしてラテンアメリカのほとんど――に 住 む 人 びとは、 都 市 だけでなく 地 方 の 村 にも 住 んでいることが 多 い。 自 動 車 を 運 転 するのと 同 じように、 徒 歩 あるいはトラクター、スクーター、 自 転 車 、あるいは 動 物 にも 乗 っている。そして、 平 均 して、わずか 数 年 の 学 校 教 育 を 受 けるだけである。ほとんどの 中 所 得 諸 国 は、また、 社 会 的 不 平等 によっても 特 徴 づけられており、 極 端 に 富 裕 な 人 びと(たとえば、 北 アフリカ 諸 国 のビジネスエリート)もいるが、もっと 多 くの 人 びとが 安 全 な 住 宅 や 適 切 な 栄 養 を 欠 いている。.....最 後 に、 世 界 人 口 の 約 半 数 が 60 の 低 所 得 国 に 住 んでいる。 低 所 得 国 とは、ほとんどの.........................人 びとが 貧 困 である 生 産 性 の 低 い 経 済 システムをもつ 国 である。 世 界 地 図 1-2 が 示 しているように、 世 界 の 最 貧 国 のほとんどは、アフリカである。ここでもまた、 少 数 の 人 びとはとても 裕 福 であるが、 大 多 数 は、 貧 しい 住 宅 、 不 衛 生 な 水 、 少 なすぎる 食 糧 、 限 られた 衛生 施 設 、そしてことによると 最 も 深 刻 なことに、 生 活 を 向 上 させる 機 会 がほとんどないなかでなんとか 生 活 している。<strong>第</strong> 12 <strong>章</strong> (「グローバルな 階 層 」)では、グローバルな 富 と 貧 困 の 原 因 と 結 果 について 詳しく 述 べる。しかしこの 教 科 書 のどの <strong>章</strong> でも、われわれ 自 身 の 国 境 を 越 えた 世 界 における生 活 を 際 立 たせる。それは 4 つの 理 由 からである。1.われわれがどこに 住 んでいるかは、われわれの 生 活 をかたちづくるのに 大 きな 違 いを 生 む。世 界 地 図 1-1 を 見 ればわかるように、 女 性 の 人 生 は、 富 裕 国 と 貧 困 国 とで 著 しく 異 なっている。われわれ 自 身 を 理 解 し、 他 の 人 びとの 生 活 を 理 解 するために、われわれは 世 界 の 社会 的 景 観 を 把 握 しなければならない。これは、この 教 科 書 全 体 を 通 じてみられる 30 の 世界 地 図 に 注 意 を 払 うもっともな 理 由 である。2. 世 界 中 の 社 会 は、ますます 相 互 に 関 連 している。 歴 史 的 にみて、 米 国 はそれ 自 身 の 国 境 を越 えた 諸 国 の 経 過 音 にすぎない。しかしながら、 近 年 の 数 十 年 間 に、 米 国 とその 他 の 世 界は、かつてないほど 結 びつくようになった。 電 子 技 術 はいまや 世 界 中 の 音 声 、 画 像 、 書 かれた 記 録 を 一 瞬 にして 伝 達 している。新 しい 技 術 のもたらしたひとつの 結 果 は、のちの <strong>章</strong> で 説 明 するように、 世 界 中 の 人 びとがいまや 食 品 、 衣 服 、そして 音 楽 の 多 くの 好 みを 共 有 していることである。 経 済 的 な 影 響力 のために、 米 国 のような 高 所 得 諸 国 は、 他 の 国 々に 影 響 をおよぼしている。それらの 国々の 人 びとは、 熱 心 に 米 国 のハンバーガーをほおばり、ポップミュージックで 踊 り、ますます 英 語 を 話 すようになっている。われわれが 自 分 たちの 生 活 様 式 を 世 界 中 に 広 げているように、より 大 きな 世 界 もまたわれわれに 影 響 をおよぼしている。 約 百 万 人 の 登 録 された 移 民 が 毎 年 、 米 国 に 入 ってきて、かれらのファッションと 食 品 をわれわれの 陸 地 にもたらし、そのためにわれわれの 国 の 人種 的 ・ 文 化 的 多 様 性 をおおいに 増 大 させている。国 境 を 越 えた 通 商 は、グローバル 経 済 も 生 みだした。 大 企 業 は、 世 界 規 模 で 財 を 生 産 し販 売 している。そして 衛 星 通 信 によって 結 びつけられたグローバルな 金 融 市 場 は、24 時間 、 稼 働 している。ニューヨークにいる 株 のトレーダーは、 東 京 と 香 港 の 金 融 市 場 を 追 い-5-


かけ、 同 様 に、アイオワ 州 の 小 麦 農 家 は、 旧 ソ 連 のグルジア 共 和 国 の 穀 物 価 格 を 注 意 深 く見 ている。 米 国 の 新 しい 仕 事 の 8 割 は、 国 際 取 引 に 関 係 しており、グローバルな 理 解 がこれほど 重 要 になったことはかつてなかった。3. 米 国 でわれわれが 直 面 する 多 くの 問 題 は、 他 の 場 所 ではもっと 深 刻 である。 貧 困 は、 米 国で 深 刻 な 問 題 である。しかし、 <strong>第</strong> 12 <strong>章</strong> (「グローバルな 階 層 」)で 説 明 するように、 貧 困は、ラテンアメリカ、アフリカ、そしてアジアで、もっとありふれており、もっと 深 刻 である。 同 様 に、 米 国 で 女 性 は 男 性 よりも 社 会 的 地 位 が 低 いものの、ジェンダーの 不 平 等 は、世 界 の 貧 困 諸 国 ではもっと 大 きい。4.グローバルに 考 えることは、われわれ 自 身 をもっとよく 知 るための 良 い 方 法 である。われわれは、 遠 く 離 れた 都 市 の 街 路 を 歩 いているときほど、 米 国 で 生 活 することがなにを 意 味 するのかを 鋭 く 意 識 することはない。たとえば、 <strong>第</strong> 12 <strong>章</strong> で、われわれはインドのマドラスにある 不 法 占 拠 地 区 を 訪 れる。そこは、 基 本 的 な 物 質 的 財 が 欠 乏 しているにもかかわらず、人 びとは、 家 族 の 成 員 の 愛 とサポートでなんとか 暮 らしている。それならばなぜ、 米 国 の貧 困 は、 孤 立 と 怒 りに 結 びついているのであろうか。 物 質 的 な 快 適 さは――われわれの「 裕福 な」 生 活 の 定 義 にとって 重 要 だが――、 人 間 の 幸 福 を 測 定 するのに 最 も 良 い 方 法 なのだろうか。要 するに、ますます 世 界 が 相 互 に 結 びつきを 強 めていくなかで、われわれは 他 者 を 理 解するかぎりにおいてのみ、 自 分 自 身 を 理 解 することができる。コラム:グローバル 社 会 学 ********************************************************グローバルな 村 ――われわれの 世 界 の 社 会 学 的 スナップ 写 真地 球 は、192 カ 国 の 都 市 と 農 村 に 暮 らす 64 億 の 人 びとの 故 郷 である。 世 界 の 社 会 的 形状 をつかむために、しばらくのあいだ、 地 球 の 人 口 が 千 人 のひとつの 定 住 地 に 縮 小 していると 想 像 してみよう。この「グローバルな 村 」において、 住 民 の 半 数 以 上 (610 人 )はアジア 人 である。そこには、210 人 の 中 華 人 民 共 和 国 市 民 もふくまれている。つぎに、 数 の点 では、130 人 のアフリカ 人 、120 人 のヨーロッパ 人 、85 人 のラテンアメリカとカリブ 海出 身 者 、5 人 のオーストラリアと 南 太 平 洋 の 出 身 者 、そして 米 国 人 の 45 人 をふくむわずか 50 人 の 北 米 人 を 見 いだすであろう。居 住 地 の 生 活 様 式 にかんする 研 究 は、いくつかの 驚 くべき 事 実 を 明 らかにしている。この 村 は、 一 見 したところ 無 限 の 財 とサービスを 売 りに 出 すことができる 豊 かな 場 所 である。しかし、ほとんどの 住 民 は、そのような 財 宝 を 夢 見 ているだけである。なぜなら、 村 の 総収 入 の 80 パーセントは、わずか 200 人 によって 稼 ぎ 出 されているからである。-6-


多 数 派 にとって、 最 大 の 問 題 は 十 分 な 食 糧 をえることである。 毎 年 、 村 の 働 き 手 は、 各人 を 食 べさせるのに 十 分 すぎるだけを 生 産 する。そのばあいでさえ、 村 人 の 半 分 は、ほとんどの 子 どももふくめて、 十 分 な 食 事 をしていない。そして、 多 くがおなかをすかせて 眠りにつく。 最 も 貧 しい 200 人 の 住 民 は( 村 で 最 も 豊 かな 人 よりも 持 っている 金 が 少 ない)、清 浄 な 飲 み 水 も 安 全 な 住 宅 も 欠 いている。 体 が 弱 くて 働 くことができないために、 毎 日 、命 を 脅 かす 病 気 に 犠 牲 になっている 人 びともいる。村 人 は 自 分 たちのコミュニティに、 良 い 大 学 をふくめ 多 くの 学 校 があることを 誇 りにしている。 約 50 人 の 住 民 は、 学 士 の 学 位 を 持 っているが、 村 人 のほぼ 半 数 は 読 み 書 きができない。米 国 は、 平 均 して、このグローバルな 村 で 最 も 豊 かな 人 びとのなかにいる。われわれは良 い 暮 らしをしていると 考 えているものの、 社 会 学 的 視 点 は、われわれに、 自 分 たちの 業績 が 世 界 規 模 の 社 会 システムのなかでわが 国 が 保 持 している 特 権 的 な 位 置 の 産 物 であることを 思 い 出 させてくれる。( 出 典 :Population Reference Bureau (2002)および United Nations Development Programme(2002)のデータをもとに、 筆 者 が 計 算 )*********************************************************************************社 会 学 的 視 点 を 適 用 するわれわれが 自 分 たちとは 異 なる 人 びとに 出 会 う 場 合 ―― 世 界 のなかでも、 自 分 の 住 んでいる 町 のなかでも――、 社 会 学 的 視 点 を 適 用 することは 容 易 である。なぜなら、かれらは、社 会 が 個 人 の 生 活 をかたちづくることを 思 い 起 こさせてくれるからである。しかし、ふたつのべつの 種 類 の 状 況 もまた、われわれが 社 会 学 的 視 点 で 世 界 をみるのを 助 けてくれる。社 会 の 周 辺 に 生 活 することと、 社 会 的 危 機 を 生 き 抜 くことである。社 会 学 と 社 会 の 周 辺 性ときどき、だれもが「 部 外 者 」であると 感 じる。しかしながら、あるカテゴリーの 人 びとにとって、 部 外 者 であること―― 支 配 的 集 団 の 一 部 でないこと――は、 毎 日 の 経 験 である。 人 びとの 社 会 的 周 辺 性 が 大 きければ 大 きいほど、かれらはより 良 く 社 会 学 的 視 点 を 用いることができる。たとえば、 米 国 で、 人 種 の 重 要 性 を 理 解 せずに 成 長 するアフリカ 系 アメリカ 人 はいない。しかし、 支 配 的 な 多 数 派 である 白 人 の 人 びとは、 人 種 について 考 えることが 少 なく、それは 自 分 たちではなく 有 色 人 種 のみに 影 響 のあることと 信 じている。 女 性 、 同 性 愛 者 、 障 害者 、そして 高 齢 者 もまた、ある 程 度 、「 部 外 者 」である。 社 会 生 活 の 周 辺 にいる 人 びとは、他 の 人 びとがめったに 考 えない 社 会 的 パターンに 気 づいている。 社 会 学 的 視 点 をよりうまくつかえるようになるためには、われわれは、なじみ 深 い 決 まりきった 日 課 から 一 歩 退 い-7-


て、 新 しい 意 識 と 好 奇 心 をもって 生 活 を 眺 めなければならない。社 会 学 と 社 会 的 危 機変 動 や 危 機 の 時 期 は、だれもがいくらかバランスを 欠 いているように 感 じ、 社 会 学 的 視点 を 用 いるようにうながされる。C・ライト・ミルズ(1959)は、この 考 えを 1930 年 代の 大 恐 慌 を 用 いて 説 明 した。 失 業 率 が 25 パーセントまで 急 上 昇 したので、 失 業 している人 びとは、 自 分 たちの 特 殊 な 生 活 のうちに 一 般 的 な 社 会 的 諸 力 が 作 用 していると 考 えざるを 得 なかった。「 私 になにか 悪 いところがある。だから、 仕 事 が 見 つからない」というのではなく、かれらは 社 会 学 的 アプローチをとって、「 経 済 が 崩 壊 したから、 仕 事 が 見 つからない」ということを 悟 った。社 会 変 動 が 社 会 学 的 思 考 を 育 てるのと 同 じように、 社 会 学 的 思 考 は 社 会 変 動 をもたらす。「システム」がどのように 作 用 するのかを 学 べば 学 ぶほど、われわれはなんらかの 方 法 でそれを 変 えたくなるかもしれない。たとえば、ジェンダーの 力 を 自 覚 するようになると、多 くの 女 性 と 男 性 は、 積 極 的 に、 伝 統 的 なジェンダー 役 割 の 違 いを 減 少 させようとしてきた。要 するに、 社 会 学 への 入 門 とは、 社 会 生 活 の 見 慣 れたパターンを 新 しい 方 法 で 見 ることを 学 ぶことへの 招 待 である。しかし、この 招 待 は 受 けるに 値 するものなのだろうか。 社 会学 的 視 点 を 適 用 することによって 得 られる 利 点 とはなんであるのか。社 会 学 的 視 点 の 利 点社 会 学 的 視 点 をわれわれの 日 常 生 活 に 適 用 することには、つぎの 4 つの 利 点 がある。1. 社 会 学 的 視 点 は、「 常 識 」の 真 実 を 評 価 するのを 助 ける。われわれは 多 くのことを 自 明 のことと 考 えているが、だからといってそれが 真 実 になるわけではない。ひとつの 良 い 例 として、われわれは 自 分 自 身 の 生 活 に 個 人 的 に 責 任 をもつ 自 由 な 個 人 であるという 観 念 が 挙げられる。もし、 人 びとが 自 分 自 身 の 運 命 を 決 定 していると 考 えるのであれば、われわれはただちに、 特 別 に 成 功 した 人 びとを 優 秀 であると 賞 賛 し、それほど 成 功 してない 他 の 人びとを 個 人 的 に 欠 陥 があると 考 えるかもしれない。これとは 対 照 的 に、 社 会 学 的 アプローチは、 共 通 にいだかれている 信 念 がじっさいに 真 実 であるのかどうかを 問 い、それが 真 実でないのであれば、なぜ 人 びとは 広 くそう 信 じているのかを 問 うように 奨 励 する。2. 社 会 学 的 視 点 は、われわれが 自 分 たちの 生 活 の 機 会 と 制 約 を 理 解 するのを 助 ける。 社 会 学的 な 思 考 は、 人 生 というゲームにおいて、われわれが 自 分 たちのカードをどうつかうかについては 発 言 権 があるものの、そのカードを 配 っているのは 社 会 であることを 理 解 するように 導 く。われわれがゲームを 理 解 すればするほど、われわれはより 良 いプレイヤーになる。 社 会 学 は、われわれの 世 界 を「 見 極 める」のを 助 け、その 結 果 、われわれが 自 分 たちの 目 標 をもっと 効 果 的 に 追 求 することができるようになる。-8-


3. 社 会 学 的 視 点 は、 社 会 のなかで 積 極 的 な 参 加 者 となるようにわれわれを 力 づける。われわれが 社 会 の 作 用 について 理 解 すればするほど、われわれは 積 極 的 な 市 民 になる。ある 人 びとにとって、それは 現 状 の 社 会 を 支 持 することを 意 味 するかもしれない。べつの 人 びとは、なんらかの 方 法 でまさしく 世 界 全 体 を 変 化 させようと 試 みるかもしれない。 社 会 生 活 のどの 側 面 を 評 価 するにも、あなたの 目 標 がなんであろうと、 社 会 的 諸 力 を 確 認 し、その 結 果を 評 価 することが 必 要 となる。コラムでは、C・ライト・ミルズが 社 会 学 的 視 点 を 用 いることの 力 について 述 べている。4. 社 会 学 的 視 点 は、 多 様 な 世 界 でわれわれが 生 活 する 助 けとなる。 北 米 人 は 世 界 人 口 のたった 5 パーセントを 代 表 するにすぎない。そして、 本 書 ののちの <strong>章</strong> で 説 明 するように、 他 の 95パーセントの 多 くは、われわれとは 非 常 に 異 なった 生 活 をしている。それでも、 他 のあらゆる 場 所 の 人 びとと 同 じように、われわれは 自 分 自 身 の 生 活 様 式 を「 正 しい」「 自 然 な」「より 良 い」ものと 定 義 しがちである。 社 会 学 的 視 点 は、われわれ 自 身 の 生 活 様 式 もふくめて、あらゆる 生 活 様 式 の 相 対 的 な 強 さと 弱 さについて、 批 判 的 に 考 えるようにうながす。コラム: 社 会 学 の 応 用 ************************************************************社 会 学 的 想 像 力 ―― 個 人 的 な 問 題 を 公 共 的 な 争 点 に 転 換 する社 会 学 的 視 点 の 力 は、 個 人 の 生 活 を 変 えるだけでなく、 社 会 を 転 換 させるところにある。C・ライト・ミルズが 見 ていたように、 人 びとの 個 人 的 な 失 敗 ではなく、 社 会 が 貧 困 やそ.. ..の 他 の 社 会 問 題 の 原 因 である。 社 会 学 的 想 像 力 は、 個 人 的 問 題 を 公 共 的 争 点 に 転 換 させることによって、 人 びとを 結 束 させ、 変 化 を 生 みだす。以 下 の 引 用 で、ミルズは 社 会 学 的 想 像 力 の 必 要 性 について 説 明 している。社 会 が 工 業 化 されるとき、 農 民 は 労 働 者 になり、 封 建 領 主 は 消 滅 するか、 事 業 者 になる。 階 級 が 台 頭 したり 衰 退 したりするとき、 人 は 雇 用 されたり 失 業 したりする。 投資 率 が 上 がったり 下 がったりすると、 人 は 元 気 になったり 破 産 したりする。 戦 争 が 起こると、 保 険 のセールスマンは、ロケット 発 射 兵 となり、 店 の 事 務 員 はレーダー 操 作員 になる。 妻 は 孤 独 に 暮 らす。 子 どもは 父 親 なしで 育 つ。 個 人 の 生 活 も 社 会 の 歴 史 も、両 者 を 理 解 することなくして 理 解 できない。しかし、ひとは 通 常 、 自 分 たちが 耐 えている 苦 難 を、 歴 史 的 変 化 との 関 連 で 定 義 してはいない。...かれらが 享 受 する 幸 福 を、かれらは 通 常 、 自 分 たちが 住 んでいる 社 会の 浮 沈 のせいにはしない。かれら 自 身 の 生 活 パターンと 世 界 史 のコースとの 複 雑 な 関係 にめったに 気 づくことなく、 通 常 の 人 は、この 結 びつきが 自 分 たちがなろうとしている 人 間 の 種 類 と、かれらが 参 加 するかもしれない 歴 史 形 成 の 種 類 に、どのような 意味 をもつのかを、 通 常 は 知 らない。かれらは 人 と 歴 史 との 相 互 作 用 、 個 人 の 伝 記 と 歴史 との、 自 己 と 世 界 との、 相 互 作 用 を 把 握 するのに 重 要 な 精 神 の 資 質 を 有 しない。かれらが 必 要 としているのは、... 世 界 になにが 起 こっているのかということと、...自 分 自 身 になにが 起 こることになるかということを 理 解 する 助 けとなるような 精 神 の-9-


資 質 である。...そうした 精 神 の 資 質 を、... 社 会 学 的 想 像 力 と 呼 んでもよいかもしれない。*******************************************************************************社 会 学 、 政 策 、そして 職 業 経 歴社 会 学 の 利 点 は、 個 人 の 成 長 以 上 のものである。 社 会 学 者 は、 無 数 の 点 で、 公 共 政 策 と法 律 の 形 成 を 助 けてきた。そのなかには、 学 校 の 人 種 統 合 、バス 通 学 、ポルノ 規 制 、 社 会福 祉 などがある。たとえば、レノア・ウェイツマン(1985)が 離 婚 後 の 女 性 の 経 済 的 困 難について 行 った 研 究 は、「 公 共 政 策 に 現 実 的 な 影 響 をおよぼし、カリフォルニア 州 で 14 の新 しい 法 律 を 通 過 させる 結 果 となった」(Weitzman 1996: 538)。社 会 学 を 勉 強 したという 経 歴 は、また、 仕 事 の 世 界 にも 良 い 参 加 をもたらす。アメリカ社 会 学 会 は、 社 会 学 者 が、 広 告 、 銀 行 業 務 、 司 法 、 教 育 、 政 府 、 保 健 、 広 報 、 調 査 のような 分 野 の 無 数 の 仕 事 に 雇 用 されていると 報 告 している(Billson and Huber 1993)。学 士 を 超 えて、 社 会 学 のより 上 の 学 位 を 取 得 したほとんどの 男 性 と 女 性 は、 教 育 と 研 究の 職 歴 を 追 求 している。しかし、ますます 多 くの 専 門 的 社 会 学 者 があらゆる 種 類 の 応 用 分野 で 仕 事 をしている。たとえば、 臨 床 社 会 学 者 は、 臨 床 心 理 学 者 と 同 じくらい、 困 難 をかかえた 患 者 を 相 手 に 仕 事 をしている。 基 本 的 なちがいは、 心 理 学 者 が 個 人 に 焦 点 をあてるのにたいして、 社 会 学 者 は 問 題 をその 人 をめぐる 社 会 関 係 の 網 の 目 に 位 置 づけることである。 応 用 社 会 学 のもうひとつのタイプは、 評 価 研 究 である。こんにちの 費 用 を 意 識 する 風潮 のなかで、 行 政 官 は 事 実 上 あらゆる 種 類 の 政 策 の 有 効 性 を 評 価 しなければならない。とくに 先 進 的 な 調 査 技 能 をもった 社 会 学 者 にたいしては、この 種 類 の 仕 事 への 需 要 がたくさんある(Deutscher 1999)。社 会 学 の 起 源個 人 による「 選 択 」と 同 じように、 主 要 な 歴 史 的 事 件 もめったに「 偶 然 生 じる」ことはない。 社 会 学 の 誕 生 は、それじたい 強 力 な 社 会 的 諸 力 の 結 果 であった。社 会 変 動 と 社 会 学18 世 紀 と 19 世 紀 の 衝 撃 的 な 転 換 が、ヨーロッパ 社 会 を 大 きく 変 えた。3 つの 変 化 が、社 会 学 の 発 展 にとってとくに 重 要 である。 工 場 を 基 礎 とする 工 業 経 済 の 勃 興 、 都 市 の 爆 発的 成 長 、そして 民 主 主 義 と 政 治 的 権 利 についての 新 しい 考 えである。新 しい 工 業 経 済....ヨーロッパ 中 世 の 時 代 に、ほとんどの 人 は、 家 の 近 くで 畑 を 耕 すか、 小 規 模 のマニュフ.....ァクチュア(「 手 でつくる」という 意 味 のラテン 語 に 由 来 する 言 葉 )に 従 事 していた。しかし、18 世 紀 の 末 までに、 発 明 家 は 新 しいエネルギー 源 ―― 水 力 とのちには 蒸 気 力 ――-10-


を 用 いて、 工 場 で 大 きな 機 械 を 動 かした。 自 宅 や 緊 密 な 集 団 のなかで 働 く 代 わりに、 労 働者 は 大 規 模 で 匿 名 的 な 労 働 力 の 一 部 となり、 工 場 を 所 有 する 見 知 らぬ 人 のために 苦 労 して働 いた。この 生 産 システムの 変 化 が 家 族 をバラバラにし、 何 世 紀 ものあいだコミュニティ生 活 を 支 配 していた 伝 統 を 弱 体 化 させた。都 市 の 成 長ヨーロッパじゅうで、 工 場 は 仕 事 を 必 要 としている 人 びとを 引 き 寄 せた。この「プル」......とともに、 囲 い 込 み 運 動 という「プッシュ」がやってきた。 土 地 所 有 者 は、ますます 多 くの 土 地 を 囲 い 込 み、 農 地 を 羊 の 放 牧 地 にした。 羊 は、 繁 栄 している 織 物 工 場 のための 羊 毛のもとであった。 土 地 を 失 った 無 数 の 借 地 農 が、 新 しい 工 場 に 仕 事 を 求 めて 田 舎 を 離 れた。都 市 が 前 例 のない 規 模 に 成 長 すると、 新 しい 都 市 住 民 は 山 積 する 社 会 問 題 に 取 り 組 んだ。汚 染 、 犯 罪 、ホームレスなどである。 見 知 らぬ 人 が 密 集 している 街 頭 で 生 活 して、かれらは 新 しい、 非 個 人 的 な 社 会 的 環 境 に 適 応 した。政 治 変 動中 世 の 時 代 に、 人 びとは 社 会 を 神 の 意 志 の 表 れであるとみなした。 王 権 は「 神 聖 な 権 利 」による 支 配 を 主 張 し、 各 人 は 社 会 的 階 梯 の 上 下 に 位 置 づけられて、 神 聖 な 計 画 のなかで 役割 を 果 たした。 社 会 にかんするこの 神 学 的 な 見 解 は、「すべては 輝 き 美 しく」という 古 い聖 公 会 の 聖 歌 〔573 番 〕の 一 節 に 謳 われている。富 める 者 は 城 にあり、貧 しき 者 は 門 にあり、神 はかれらを 上 下 に 創 り 賜 い、身 分 に 並 べ 賜 う。しかし、 経 済 的 発 展 と 都 市 の 急 速 な 成 長 は、ただちに 新 しい 政 治 的 観 念 をもらたした。1600 年 ごろには、 伝 統 は 猛 烈 な 攻 撃 にさらされた。トマス・ホッブス(1588-1679)、ジョン・ロック(1632-1704)、そしてアダム・スミス(1723-1790)の 著 作 のなかに、 神 と自 分 たちの 支 配 者 にたいする 人 びとの 道 徳 的 義 務 から、 人 びとは 自 己 利 益 を 追 求 すべきで..あるという 考 えへの 焦 点 の 変 化 がみてとれる。 新 しい 政 治 的 風 土 のなかで、 哲 学 者 は 個 人... .....の 自 由 と 個 人 の 権 利 について 主 張 した。ロックに 共 鳴 して、われわれ 自 身 の 独 立 宣 言 〔アメリカ 独 立 宣 言 〕は、すべての 人 が「 生 命 、 自 由 、 幸 福 追 求 」をふくむ「ある 一 定 の 不 可侵 の 権 利 」を 有 していると 主 張 している。1789 年 にはじまったフランス 革 命 は、さらにこの 政 治 的 ・ 社 会 的 伝 統 の 劇 的 な 破 壊 を例 証 している。フランスの 社 会 分 析 家 である、アレックス・ド・トックビル(1805-1859)は、フランス 革 命 によってもたらされた 社 会 における 変 化 は、「 人 類 全 体 の 再 生 にほかならない」ものとなったと 宣 言 した(1955:13; org. 1856)。社 会 についての 新 しい 意 識巨 大 な 工 場 、 爆 発 する 都 市 、 個 人 主 義 という 新 しい 精 神 ――これらの 変 化 があいまって、-11-


人 びとは、 自 分 たちをとりまく 環 境 について 意 識 するようになった。 社 会 という 地 面 が 人びとの 足 元 で 揺 らいでいたので、 社 会 学 という 新 しい 学 問 分 野 が、 英 国 、フランス、ドイツで 誕 生 した。それらは、まさにこの 変 化 が 最 も 大 きい 場 所 であった。科 学 と 社 会 学...そして、 社 会 を 見 る 新 しい 方 法 を 記 述 するために 1838 年 に 社 会 学 という 用 語 をつくったのは、フランスの 社 会 思 想 家 オーギュスト・コント(1798-1857)であった。 社 会 学 は、最 も 若 い 学 問 分 野 のなかのひとつである。たとえば、 歴 史 学 、 物 理 学 、あるいは 経 済 学 よりもずっと 新 しい。もちろん、コントは 社 会 の 性 質 を 熟 考 した 最 初 の 人 ではなかった。 社 会 的 世 界 の 作 用 について、 古 代 文 明 の 輝 かしい 思 想 家 たちが 魅 せられていた。そのなかには、 中 国 の 哲 学 者孔 子 (551-479 B.C.E)、ギリシアの 哲 学 者 プラトン(c. 427-347 B.C.E)とアリストテレス(384-322 B.C.E)がふくまれる。 数 世 紀 後 、ローマ 皇 帝 マルクス・アウレニウス(121-180)、中 世 の 思 想 家 聖 トマス・アクィナス(c. 1225-1274)とクリスティーヌ・ド・ピサン(c.1363-1431)、そして 英 国 の 劇 作 家 ウィリアム・シェークスピア(1564-1616)がこの 問 題を 取 り 上 げた。しかし、これらの 思 想 家 たちは、じっさいの 社 会 を 分 析 することよりも、 理 想 的 な 社 会を 証 明 することに 関 心 をもっていた。 対 照 的 に、コントとその 他 の 社 会 学 のパイオニアは、社 会 がいかに 向 上 するかを 気 にかけてはいたものの、 主 要 な 目 標 は 社 会 がじっさいにどのように 作 動 しているかを 理 解 することであった。コント(1975; orig. 1851-54)は、 社 会 学 を 三 段 階 の 歴 史 発 展 の 産 物 であると 考 えた。.....初 期 の 神 学 的 段 階 である 人 類 史 のはじまりから 1350 年 ごろのヨーロッパ 中 世 の 終 わりまでは、 人 びとは 社 会 にかんして 宗 教 的 見 解 をいだき、 社 会 を 神 の 意 志 の 表 現 であるとみなしていた。.......ルネッサンスとともに、 神 学 的 アプローチは、コントの 言 う 歴 史 の 形 而 上 学 的 段 階 に 道を 譲 った。この 時 期 に、 人 びとは 社 会 を 超 自 然 的 な 現 象 というよりも 自 然 的 な 現 象 として理 解 した。たとえば、トマス・ホッブズ(1588-1679)は、 社 会 は 神 の 完 全 性 を 反 映 するものというよりも、 利 己 的 な 人 間 性 の 失 敗 を 反 映 するものであると 考 えた。.....コントが 歴 史 の 科 学 的 段 階 〔 正 しくは 実 証 的 段 階 〕と 呼 んだものは、ポーランド 人 の 天文 学 者 コペルニクス(1473-1543)、イタリアの 天 文 学 者 にして 物 理 学 者 であるガリレオ(1564-1642)、そして 英 国 の 物 理 学 者 にして 数 学 者 であるニュートン(1642-1727)のような 初 期 の 科 学 者 の 研 究 からはじまった。コントの 貢 献 は、 最 初 に 物 理 的 世 界 の 研 究 に 用いられた 科 学 的 アプローチを、 社 会 の 研 究 に 適 用 することにあった。..............こうして、コントは、 実 証 主 義 を 好 んだ。それは、 科 学 にもとづいて 理 解 する 方 法 と 定義 される。 実 証 主 義 者 として、コントは、 物 理 的 世 界 が 重 力 その 他 の 自 然 法 則 にしたがって 作 動 するのと 同 じように、 社 会 が 不 変 の 法 則 にしたがうと 信 じていた。20 世 紀 の 初 めに、 社 会 学 は、コントの 考 えに 強 い 影 響 をうけて、 米 国 で 学 問 分 野 として 出 現 した〔アメリカ 社 会 学 が、コントから 直 接 の 影 響 をうけていたとは 考 えにくい。むしろはじめはスペンサー、のちにジンメルの 影 響 が 強 かった〕。こんにち、ほとんどの 社 会 学-12-


者 は、 依 然 として、 科 学 は 社 会 学 の 重 要 な 一 部 であると 考 えている。しかし、 <strong>第</strong> 2 <strong>章</strong> (「 社会 学 的 調 査 研 究 」)で 説 明 するように、われわれはいまでは、 人 間 の 行 動 が 惑 星 の 運 動 や他 の 生 物 の 行 動 とくらべても、ずっと 複 雑 であることを 理 解 している。 人 間 は 想 像 力 と 自発 性 のある 生 き 物 であるから、われわれの 行 動 は、いかなるしっかりした「 社 会 の 法 則 」によっても 完 全 には 説 明 できない。くわえて、カール・マルクス(1818-1883)のような初 期 の 社 会 学 者 は――かれの 考 えについては <strong>第</strong> 4 <strong>章</strong> (「 社 会 」)で 論 じる――、 新 しい 産 業社 会 の 顕 著 な 不 平 等 に 悩 んでいた。かれらは 社 会 学 という 新 しい 学 問 をたんに 社 会 を 理 解するためだけでなく、 社 会 正 義 にむかう 変 化 をもたらすためにのぞんでいた。ジェンダーと 人 種 ―― 周 辺 の 声ハリエット・マーティーノ ジェーン・アダムズhttp://www.bolender.com/Sociological%20Theory/Sociological%20Theorists.htmオーギュスト・コントとカール・マルクスは、 社 会 学 の 巨 人 のなかにいる。しかしながら、 近 年 、われわれは、 他 の 人 びと――かれらのジェンダーや 人 種 のゆえに 社 会 の 周 辺 に押 しやられた 人 びと――の 果 たした 重 要 な 貢 献 を 知 るようになった。ハリエット・マーティーノー(1802-1876)は、 英 国 の 裕 福 な 家 族 に 生 まれ、オーギュスト・コントの 著 作 を、フランス 語 から 英 語 に 翻 訳 したことによって、 最 初 に 有 名 になった。その 後 、 彼 女 は 自 分 自 身 の 研 究 で 著 名 な 学 者 になった。 彼 女 は、 奴 隷 制 の 害 悪 を 暴 露し、 工 場 労 働 者 を 保 護 し、 女 性 の 地 位 を 向 上 させる 法 律 のために 意 見 を 述 べた。米 国 では、ジェーン・アダムズ(1860-1935)が 社 会 学 のパイオニアであった。ソーシャルワーカーとしての 訓 練 を 受 けたアダムズは、 毎 年 百 万 人 の 割 合 で 米 国 に 入 ってきていた 移 民 のために 意 見 を 述 べた。1889 年 に、アダムズはハルハウスを 設 立 した。これはシカゴにあるセツルメント・ハウスで、 移 民 の 家 族 に 援 助 を 提 供 していた。 彼 女 はまた、 社会 学 者 と 政 治 家 を 集 めて、 当 時 の 都 市 問 題 について 議 論 した。 移 民 のために 働 いたことにたいして、アダムズは、1931 年 にノーベル 平 和 賞 を 受 賞 した。米 国 における 人 種 を 理 解 するのに 重 要 な 貢 献 をしたのは、もうひとりの 社 会 学 のパイオニアであるウィリアム・エドワード・バーグハート・デュ・ボイス(1868-1963)であった。マサチューセッツの 貧 しい 家 族 に 生 まれたデュ・ボイスは、テネシー 州 ナッシュビルのフィスク 大 学 に 入 学 し、その 後 、ハーバード 大 学 に 入 学 した。そこでかれは 大 学 から 有色 人 種 としては 最 初 の 博 士 号 を 取 得 した。マーティーノやアダムズと 同 様 に、デュ・ボイスは、 社 会 学 者 は 社 会 問 題 を 解 決 する 試 みをすべきであると 信 じていた。それゆえかれは、黒 人 コミュニティを 研 究 し(1899)、 人 種 的 不 平 等 に 反 対 する 意 見 を 述 べ、 全 米 黒 人 地 位向 上 協 会 (NAACP)の 創 立 メンバーとして 勤 務 した。-13-


女 性 とアフリカ 系 アメリカ 人 の 劣 等 性 についての 広 く 普 及 した 信 念 のために、マーティーノ、アダムズ、そしてデュ・ボイスは、 社 会 学 の 周 辺 にとどめられていた。 社 会 学 的 なまなざしで 振 り 返 ると、われわれは、いかに 社 会 の 諸 力 が 社 会 学 の 歴 史 それ 自 体 をかたちづくるのにも 作 用 していたかを 理 解 することができる。社 会 学 理 論観 察 を 理 解 に 織 り 込 むと、 社 会 学 のもうひとつの 側 面 がもたらされる。 理 論 である。 理.............................論 とは、 特 定 の 事 実 がどのように、なぜ、 関 係 しているかにかんする 言 明 である。 社 会 学理 論 の 仕 事 は、 現 実 の 世 界 の 社 会 行 動 を 説 明 することである。 社 会 的 統 合 度 の 低 い 人 びとのカテゴリー( 男 性 、プロテスタント、 富 裕 層 、そして 未 婚 者 )が、とくに 自 殺 しやすいというエミール・デュルケムの 理 論 を 思 い 起 こそう。デュルケムは、 自 殺 の 問 題 について熟 考 したので、 数 々のありうる 理 論 を 考 察 した。しかしどれが 正 しかったのだろうか。理 論 を 評 価 するためには、 次 <strong>章</strong> で 説 明 するように、 社 会 学 者 はさまざまな 科 学 的 調 査 の方 法 を 用 いて 証 拠 を 集 める。 調 査 によって、 社 会 学 者 は、ある 理 論 を 確 かめたり、 他 の 理論 を 棄 却 したり 修 正 したりできる。したがって、デュルケムは、あるカテゴリーの 人 びとが 自 殺 しやすいことを 示 すパターンが 見 られるデータを 集 めた。これらのパターンによって、デュルケムは、あらゆる 利 用 可 能 な 証 拠 に 最 も 良 く 一 致 する 理 論 を 決 めることができた。14 頁 の 全 国 地 図 1-1 は、50 州 それぞれの 自 殺 率 を 示 したもので、あなた 自 身 の 理 論づくりのための 機 会 をあたえている。社 会 学 者 は、 理 論 を 構 築 するにあたって、ふたつの 基 本 的 な 問 題 に 直 面 する。どのような 問 題 を 研 究 すべきか。 事 実 をどのように 結 びつけるべきか。 社 会 学 者 がこれらの 問 題 にどのように 答 えるかは、かれらの 理 論 的 な「 案 内 図 」つまりパラダイムに 左 右 される(Kuhn..........................1970)。 理 論 パラダイムとは、 思 考 と 研 究 をみちびくような、 社 会 についての 基 本 的 イメ..ージである。 社 会 学 は、3 つの 主 要 なアプローチをもっている。 構 造 機 能 パラダイム、 社会 的 闘 争 パラダイム、そしてシンボリック 相 互 作 用 パラダイムである。構 造 機 能 パラダイム...........................構 造 機 能 パラダイムとは、 社 会 を、その 部 分 が 協 働 して 連 帯 と 安 定 性 を 促 進 する 複 雑 な..................システムと 見 なす 理 論 を 構 築 する 枠 組 みである。その 名 前 が 示 唆 しているように、このパ.................ラダイムは、 社 会 構 造 を 指 摘 する。 社 会 構 造 とは、 社 会 行 動 の 相 対 的 に 安 定 したパターンを 意 味 している。 社 会 構 造 は、われわれの 生 活 にかたちをあたえる。それが 家 族 のなかであろうと、 職 場 のなかであろうと、 教 室 のなかであろうと。 <strong>第</strong> 2 に、このパラダイムは、...........構 造 の 社 会 的 機 能 を 探 求 する。 社 会 的 機 能 とは、 社 会 全 体 の 作 用 への 帰 結 である。あらゆる 社 会 構 造 は、たんなる 握 手 から 複 雑 な 宗 教 的 儀 式 まで、 社 会 を 少 なくとも 現 状 のまま 進行 させるために 機 能 する。構 造 機 能 パラダイムは、オーギュスト・コントに 多 くを 負 っている。かれは、 急 速 な 変化 の 時 代 に 社 会 統 合 の 重 要 性 について 指 摘 した。エミール・デュルケムは、フランスの 大-14-


学 で 社 会 学 を 確 立 させるのを 助 けたが、かれもまた、 自 分 の 研 究 の 基 礎 にこのアプローチをおいた。 <strong>第</strong> 3 の 構 造 機 能 的 なパイオニアは、 英 国 の 社 会 学 者 、ハーバート・スペンサー(1820-1903)である。スペンサーは、 社 会 を 人 間 の 身 体 にたとえた。 人 間 の 身 体 の 構 造的 部 分 ―― 骨 格 、 筋 肉 、そしてさまざまな 内 臓 ――が 相 互 依 存 的 に 作 用 して 有 機 体 全 体 の存 続 を 助 けるように、 社 会 構 造 は 協 働 して 社 会 を 保 存 する。それゆえ、 構 造 機 能 パラダイムは、 社 会 のさまざまな 構 造 を 確 認 し、その 機 能 を 探 求 することによって、 社 会 学 的 観 察を 組 織 化 する。社 会 学 が 米 国 で 発 展 するにつれて、コント、スペンサー、そしてデュルケムの 考 えの 多くは、タルコット・パーソンズ(1902-1979)によって 進 められた。かれは、 構 造 機 能 パラダイムの 米 国 での 主 要 な 提 唱 者 である。パーソンズは、 社 会 をシステムとして 扱 い、あらゆる 社 会 が 存 続 のために 遂 行 しなければならない 基 本 的 課 題 を 確 認 し、 社 会 がそれを 達成 する 方 法 について 確 認 しようとした。ロバート・K・マートン(1910-2003)は、 社 会 的 機 能 の 概 念 にかんするわれわれの 理解 を 決 定 的 に 拡 張 した。マートン(1968)は、まず、 人 びとはめったに 社 会 構 造 の 機 能 の.....すべてを 知 覚 しているわけではないことを 説 明 した。かれは、 顕 在 機 能 とは、 社 会 パター............. ...ンの 認 識 され 意 図 された 結 果 であると 述 べた。これとは 対 照 的 に、 潜 在 機 能 とは、ほとん......................ど 認 識 されてもいないし 意 図 されてもいない 結 果 である。 例 を 挙 げると、 米 国 の 高 等 教 育システムの 明 白 な 機 能 は、 若 い 人 びとに 仕 事 を 遂 行 するのに 必 要 な 情 報 と 技 能 を 提 供 することである。ことによると、 同 じくらい 重 要 なのは、それほどしばしば 認 識 されているわけではないものの、 類 似 した 社 会 的 背 景 をもつ 人 びとをいっしょにする「 結 婚 ブローカー」としての 大 学 の 機 能 である。 高 等 教 育 のもうひとつの 潜 在 機 能 は、 何 百 万 もの 若 者 を、 労働 市 場 の 外 部 にとどめておくことである。おそらく、 労 働 市 場 では、かれらの 多 くは 仕 事を 見 つけられないだろう。<strong>第</strong> 2 に、マートンは、 社 会 的 パターンは 社 会 のさまざまな 成 員 に 異 なる 影 響 をおよぼすと 説 明 している。たとえば、 因 習 的 な 家 族 は、 小 さな 子 どもに 便 益 をあたえるが、かれらは 男 性 に 特 権 をあたえる 一 方 で、 女 性 のもつ 機 会 は 制 限 するかもしれない。<strong>第</strong> 3 に、 社 会 的 パターンのなかには、 社 会 の 現 状 を 支 持 するものもあるが、それを 混 乱.........................させるものもある。マートンは、 社 会 の 作 用 を 混 乱 させるであろうあらゆる 社 会 的 パター.ンを 記 述 するのに、 社 会 的 逆 機 能 という 用 語 をつかった。 犯 罪 のような 混 乱 をひきおこすパターンは、 多 くの 人 びとから 有 害 であると 見 なされている。しかし、 混 乱 させるものが、つねに 悪 いとはかぎらない。 少 なくともすべての 人 の 観 点 から 見 て 悪 いとはかぎらない。結 局 、 米 国 では 犯 罪 は 大 事 業 であり、 司 法 システム 内 部 で 働 く 何 百 万 もの 仕 事 を 供 給 している。批 判 的 評 価 構 造 機 能 パラダイムの 主 要 な 特 徴 は、 社 会 を 安 定 的 で 秩 序 あるものと 見 なす点 にある。したがって、このアプローチを 用 いる 社 会 学 者 のおもな 目 標 は、「なにが 社 会を 動 かしているか」を 描 き 出 すことである。20 世 紀 のなかごろまでは、ほとんどの 社 会 学 者 は 構 造 機 能 パラダイムを 好 んでいた。しかしながら、 最 近 の 数 十 年 間 に、その 影 響 力 は 衰 えた。 社 会 の 安 定 性 と 統 一 性 に 焦 点 をあてることによって、 構 造 機 能 主 義 は、かなりの 緊 張 と 闘 争 を 生 みだす 可 能 性 がある 社 会-15-


階 級 、 人 種 、ジェンダーの 不 平 等 を 無 視 しがちである、と 批 判 者 たちは 指 摘 している。がいして、 闘 争 を 犠 牲 にして 安 定 性 に 焦 点 をあてることによって、このパラダイムはいくらか 保 守 的 になる。このアプローチへの 批 判 的 反 応 から、 社 会 学 者 たちはもうひとつの 方 針を 発 展 させた。 社 会 闘 争 ( 社 会 的 コンフリクト)アプローチである。社 会 闘 争 パラダイム...........................社 会 闘 争 パラダイムとは、 社 会 を 闘 争 と 変 化 を 生 みだす 不 平 等 な 闘 技 場 とみなす 理 論 を.......構 築 する 枠 組 みである。 構 造 機 能 パラダイムが 連 帯 を 強 調 するのとちがって、このアプローチは、 不 平 等 を 強 調 する。このパラダイムに 導 かれた 社 会 学 者 たちは、 社 会 階 級 、 人 種 、エスニシティ、ジェンダー、そして 年 齢 のような 要 因 が、 金 銭 、 権 力 、 教 育 、そして 社 会的 威 信 の 不 平 等 な 分 配 とどのように 関 連 しているのかを 探 求 する。 闘 争 分 析 は、 社 会 構 造が 社 会 全 体 の 作 用 を 促 進 するという 考 えを 拒 絶 して、その 代 わりに、 社 会 パターンがいかにある 人 びとに 利 益 をあたえる 一 方 で、 他 の 人 びとを 剥 奪 するのかを 指 摘 する。16 頁 のコラムは、W・E・B・デュ・ボイスによる 人 種 にかんする 重 要 な 貢 献 を 強 調 している。社 会 闘 争 パラダイムを 用 いる 社 会 学 者 たちは、 支 配 的 な 人 びとのカテゴリーと 不 利 な 人びとのカテゴリーのあいだの 進 行 中 の 闘 争 に 注 目 する。 富 裕 な 人 びとと 貧 しい 人 びととの関 係 、 白 人 と 有 色 人 種 との 関 係 、 男 性 と 女 性 の 関 係 などである。 典 型 的 には、 頂 点 にいる人 びとは 自 分 たちの 特 権 を 守 ろうとする。その 一 方 で、 不 利 な 人 びとは 自 分 たちのためにもっと 多 くを 得 ようとする。われわれの 教 育 システムについての 闘 争 分 析 は、 学 校 教 育 がいかにして 新 しい 各 世 代 の不 平 等 を 再 生 産 するかを 示 している。たとえば、 中 等 教 育 は、 学 生 を 大 学 進 学 のための 準備 課 程 か、 職 業 訓 練 課 程 かのどちらかに 割 り 当 てる。 構 造 機 能 的 な 観 点 からは、そのような「クラス 分 け」は、 学 生 の 能 力 にかなった 学 校 教 育 を 提 供 することによって、 各 人 に 利益 をあたえる。しかし、 闘 争 分 析 は、クラス 分 けはしばしば 能 力 よりも 社 会 的 背 景 と 関 係しており、そのため、 富 裕 な 学 生 はより 上 のクラスにおかれ、 貧 困 な 子 どもはより 下 のクラスで 終 わると 反 論 する。こうして、 特 権 的 な 家 族 出 身 の 若 い 人 びとは、 最 良 の 学 校 教 育 を 受 け、その 後 は 高 所 得の 職 歴 を 追 求 する。 他 方 、 貧 困 家 族 の 子 どもたちは、 大 学 進 学 の 準 備 がされず、 自 分 たちの 親 がそうであったように、 典 型 的 には 低 賃 金 の 仕 事 に 入 る。どちらの 場 合 にも、ある 世代 の 社 会 的 地 位 は、つぎの 世 代 に 引 き 継 がれる。 学 校 は、 個 人 の 能 力 との 関 係 でこの 慣 行を 正 当 化 するのである(Bowles and Gintis 1976; Oakes 1982, 1985)。米 国 での 社 会 闘 争 は、 学 校 だけではない。 本 書 ののちの 諸 <strong>章</strong> では、 階 級 、ジェンダー、人 種 にもとづく 不 平 等 が、いかに 社 会 それ 自 体 の 組 織 に 根 ざしているかを 説 明 する。多 くの 社 会 学 者 が 社 会 闘 争 パラダイムを 用 いるのは、たんに 社 会 を 理 解 するためだけではなく、 不 平 等 を 減 少 させるような 社 会 変 動 をもたらすためである。これは、W・E・B・デュ・ボイスの 目 標 であり、カール・マルクスの 目 標 でもあった。マルクスの 著 作 は、社 会 闘 争 パラダイムの 発 展 にとって、とくに 重 要 であった。マルクスは、 社 会 を 分 析 することだけを 求 める 人 びとに 我 慢 がならなかった。よく 知 られた 言 明 (ロンドンのハイゲート 墓 地 にある 墓 碑 に 刻 まれている)で、マルクスは「 哲 学 者 たちはたださまざまに 世 界 を-16-


解 釈 してきただけであった。しかし、 重 要 なことは、 世 界 を 変 革 することである」と 主 張した。批 判 的 評 価 社 会 闘 争 パラダイムは、 最 近 の 十 年 間 に 多 くの 追 従 者 を 得 た。しかし、 他 のアプローチと 同 様 に、 批 判 も 受 けてきた。このパラダイムは 不 平 等 に 焦 点 をあてているので、それはがいして 共 有 された 価 値 と 相 互 依 存 性 が、いかに 社 会 の 成 員 を 統 合 しているかを 無 視 している。くわえて、このパラダイムが 政 治 的 目 標 を 追 求 するかぎり、 科 学 的 客 観性 へのいかなる 要 求 も 失 うと、 批 判 者 たちは 言 う。しかしながら、 <strong>第</strong> 2 <strong>章</strong> (「 社 会 学 的 調....査 研 究 」)で 説 明 するように、あらゆる 理 論 的 アプローチは、 政 治 的 な 帰 結 ―― 異 なるとはいえ――をもたらすと、 闘 争 理 論 家 は 反 論 する。構 造 機 能 パラダイムと 社 会 闘 争 パラダイムの 双 方 にかんする 最 後 の 批 判 は、それらが 社会 を、「 家 族 」「 社 会 階 級 」「 人 種 」などとの 関 連 で、 大 雑 把 に 描 いていることである。 <strong>第</strong> 3の 理 論 的 パラダイムは、 社 会 を 大 きな 社 会 構 造 との 関 連 で 描 くよりも、 日 常 的 な 経 験 として 描 くものである。コラム: 多 様 性 ―― 人 種 、 階 級 、ジェンダー******************************************初 期 のパイオニア――デュ・ボイスの 人 種 論http://www.bolender.com/Sociological%20Theory/Sociological%20Theorists.htm米 国 における 社 会 学 のパイオニアのひとりであるウィリアム・エドワード・バーハート・デュ・ボイスは、 社 会 学 を、 無 味 乾 燥 な 学 問 分 野 とは 考 えなかった。それとは 反 対 に、かれは 社 会 学 をかれの 時 代 の 差 し 迫 った 問 題 、とくに 人 種 の 不 平 等 を 解 決 するためにつかいたかった。デュ・ボイスは、 人 種 的 分 離 に 反 対 する 意 見 を 述 べ、 全 米 黒 人 地 位 向 上 協 会 (NAACP)の 創 立 メンバーとして 働 いた。かれは、 社 会 学 における 同 僚 ――そしてあらゆる 場 所 の 人びと――に 米 国 における 深 刻 な 人 種 分 裂 を 理 解 するように 援 助 した。 白 人 は、たんに「アメリカ 人 」でありうると、デュ・ボイスは 指 摘 した。しかしながら、アフリカ 系 アメリカ人 は、「 二 重 意 識 」をもっており、そこに 肌 の 色 にもとづく 自 己 確 認 から 逃 れることのできない 市 民 としての 地 位 が 映 し 出 されている。かれの 社 会 学 的 古 典 である『フィラデルフィアにおける 黒 人 ―― 社 会 的 研 究 』(1899)で、デュ・ボイスは、フィラデルフィアのアフリカ 系 アメリカ 人 コミュニティを 研 究 し、圧 倒 的 な 社 会 問 題 ととりくむ 人 びとの 強 さと 弱 さを 確 認 した。かれは、 黒 人 は 劣 っているという 普 及 している 信 念 に 戦 いを 挑 み、アフリカ 系 アメリカ 人 の 問 題 を 白 人 の 偏 見 によるものであるとした。かれの 批 判 は、 成 功 した 黒 人 にも 及 び、かれらは 白 人 による 受 け 入 れを 勝 ちとるのに 熱 心 なあまり、かれらの 助 けを 必 要 としている 黒 人 コミュニティとの 結 び-17-


つきを 放 棄 したと 批 判 した。デュ・ボイスは、 人 種 は 20 世 紀 の 米 国 が 直 面 している 主 要 な 問 題 であると 述 べた。かれの 経 歴 の 初 期 には、かれは 人 種 の 分 裂 を 克 服 することに 楽 観 的 であった。しかし、 晩 年には、かれはもっと 厳 しくなり、ほとんど 変 わっていないと 信 じていた。93 歳 で、デュ・ボイスは 米 国 を 去 ってガーナに 移 った。そこでかれは 2 年 後 になくなった。あなたは、デュ・ボイスのように、 人 種 は 21 世 紀 においても 主 要 な 問 題 であると 思 いますか。*******************************************************************************シンボリック 相 互 作 用 パラダイム構 造 機 能 パラダイムと 社 会 闘 争 パラダイムは、マクロ 水 準 の 方 針 を 共 有 している。マク...........................ロ 水 準 とは、 社 会 全 体 をかたちづくる 社 会 構 造 に 幅 広 く 焦 点 をあてることを 意 味 している。マクロ 水 準 の 社 会 学 は、 大 きな 図 を 描 くもので、ヘリコプターに 乗 って 高 いところから 都市 を 観 察 し、 高 速 道 路 がどのように 人 びとの 場 所 の 移 動 を 助 けているか、 富 裕 な 近 隣 地 区と 貧 困 な 近 隣 地 区 で 住 宅 がどのように 異 なっているかを 見 るようなものである。 社 会 学 は..............また、ミクロ 水 準 の 方 針 ももっている。ミクロ 水 準 とは、 特 定 の 状 況 における 社 会 的 相 互.........作 用 に 近 接 した 焦 点 をあてることである。このやり 方 での 都 市 生 活 の 探 求 は、 街 頭 のレベルで 生 じる。そこでは、 調 査 研 究 者 は、 子 どもたちが 学 校 の 遊 び 場 でどのように 相 互 作 用しているのか、 歩 行 者 はバス 乗 り 場 でどのようにして 待 っているのか、あるいはきちんとした 身 なりの 人 びとは、ホームレスにどのような 反 応 をするのかを 観 察 するだろう。それ.....................ゆえ、シンボリック 相 互 作 用 パラダイムは、 社 会 を 諸 個 人 の 日 常 的 な 相 互 作 用 の 産 物 とみな...........す 理 論 を 構 築 する 枠 組 みである。「 社 会 」は、 何 千 万 もの 人 びとの 進 行 中 の 経 験 から、どのような 結 果 をひきだすのであろうか。 <strong>第</strong> 6 <strong>章</strong> (「 日 常 生 活 における 社 会 的 相 互 作 用 」)で 説 明 するひとつの 答 えは、 社 会とは、 人 びとがたがいに 相 互 作 用 するなかで 構 築 される 共 有 された 現 実 以 外 のなにものでもないということである。すなわち、 人 間 は、シンボルの 世 界 に 住 む 生 き 物 であり、ほと..んどすべてのものに 意 味 を 付 与 している。それゆえ「 現 実 」とは、たんにわれわれが、 自分 たちをとりまく 環 境 、 他 者 にたいする 義 務 、そしてわれわれ 自 身 のアイデンティティをどのように 定 義 しているかということにすぎない。もちろん、この 定 義 の 過 程 は 主 観 的 なものであり、 人 によって 異 なっている。たとえば、ホームレスの 男 を「 施 しものを 探 している 怠 け 者 にすぎない」と 定 義 して 無 視 する 人 もいるかもしれないが、 困 窮 している 仲 間 とみなして 援 助 を 提 供 する 人 もいるかもしれない。同 様 に、 管 轄 区 域 を 巡 回 している 警 察 官 とすれ 違 うことで、 安 全 を 感 じる 人 もいれば、 神経 質 な 不 安 やあからさまな 怒 りにとらわれる 人 もいるかもしれない。それゆえシンボリック 相 互 作 用 アプローチを 採 用 する 社 会 学 者 は、 社 会 を 複 雑 で、つねに 変 化 している 主 観 的意 味 のモザイクとみなす。シンボリック 相 互 作 用 パラダイムは、マックス・ウェーバー(1864-1920)の 考 えに 根ざしている。かれは、ドイツの 社 会 学 者 で、 環 境 をそのなかにいる 人 びとの 観 点 から 理 解する 必 要 があると 強 調 した。ウェーバーのアプローチは、 <strong>第</strong> 4 <strong>章</strong> (「 社 会 」)で 論 じる。ウェーバーの 時 代 から、 社 会 学 者 たちは、ミクロ 水 準 の 社 会 学 を 多 くの 方 向 にむけた。-18-


<strong>第</strong> 5 <strong>章</strong> (「 社 会 化 」)では、ジョージ・ハーバート・ミード(1863-1931)の 考 えを 議 論 する。かれは、われわれがどのようにして 自 分 たちのパーソナリティを 社 会 的 経 験 から 築 いているかを 探 求 した。 <strong>第</strong> 6 <strong>章</strong> (「 日 常 生 活 における 社 会 的 相 互 作 用 」)では、アービング・..........ゴフマン(1922-1982)の 研 究 を 提 示 する。かれのドラマトゥルギー 分 析 は、われわれがいかに、 舞 台 の 上 でさまざまな 役 割 を 演 じる 俳 優 に 似 ているかを 述 べている。そのほかに、.......ジョージ・ホマンズとピーター・ブラウをふくむ 現 代 の 社 会 学 者 たちは、 社 会 的 交 換 分 析を 発 展 させた。かれらの 見 方 においては、 社 会 的 相 互 作 用 は、 各 人 が 他 者 からなにを 獲 得したり 失 ったりする 立 場 にあるかによって 導 かれる(Molm 1997; Mulford et al. 1998)。たとえば、コートシップ〔 求 愛 〕の 慣 習 において、 人 びとは、 少 なくとも 自 分 自 身 が 提 供 しなければならないのと 同 じくらいのもの―― 身 体 的 魅 力 、 知 性 、 富 などとの 関 連 で――を提 供 する 相 手 を 探 す。批 判 的 評 価 社 会 的 相 互 作 用 パラダイムは、 社 会 へのマクロ 水 準 のアプローチに 見 いだされる 歪 みのいくつかを 修 正 する。シンボリック 相 互 作 用 パラダイムは、「 家 族 」や「 社 会....階 級 」のようなマクロ 水 準 の 社 会 構 造 の 存 在 を 否 定 せずに、 社 会 とは 基 本 的 には 相 互 作 用.....する 人 びとであることを 思 い 起 こさせてくれる。すなわち、ミクロ 水 準 の 社 会 学 は、いかにして 諸 個 人 がじっさいに 社 会 を 経 験 するのかを 伝 えようとする。このコインの 反 面 として、シンボリック 相 互 作 用 パラダイムは、 日 常 的 な 相 互 作 用 に 焦 点 をあてることによって、より 大 きな 社 会 構 造 、 文 化 の 影 響 、 階 級 、ジェンダー、 人 種 のような 要 因 を 無 視 している。表 1-1 は、 構 造 機 能 パラダイム、 社 会 的 闘 争 パラダイム、そしてシンボリック 相 互 作 用パラダイムの 主 な 特 徴 について 要 約 したものである。 各 パラダイムは、 特 定 の 種 類 の 問 題に 答 える 助 けになる。しかしながら、 社 会 の 完 全 な 理 解 は、3 つの 社 会 学 的 視 点 すべてを用 いることから 得 られる。 以 下 の 米 国 におけるスポーツの 分 析 で、このことを 示 そう。パラダイムを 適 用 する――スポーツの 社 会 学米 国 の 人 びとはスポーツを 愛 好 している。ほとんどの 若 い 人 が 団 体 スポーツにかかわっているだけでなく、 若 い 人 にとっても 高 齢 者 にとっても、テレビはスポーツ・イベントに満 ちており、 毎 日 のニュース・メディアは、 定 期 的 にスポーツの 成 績 を 報 道 している。マーク・マックガイア( 野 球 )、タイガー・ウッズ(ゴルフ)、セレナ・ウィリアムズ(テニス)のような 米 国 で 目 立 っているプレイヤーは、 最 も 有 名 な 選 手 である。 全 体 として、米 国 のスポーツは 数 十 億 ドルの 産 業 である。3 つの 理 論 的 パラダイムは、この 日 常 生 活 の身 近 な 一 部 に、どのような 社 会 学 的 洞 察 をもたらしてくれるのだろうか。スポーツの 機 能構 造 機 能 的 アプローチは、スポーツが 社 会 の 作 用 をどのように 助 けるかに 注 意 を 向 ける。それらの 顕 在 機 能 には、レクリエーション、 健 康 づくり、 比 較 的 無 害 な「ガス 抜 き」を 提供 することがふくまれる。スポーツには、 社 会 関 係 を 育 てることから 数 万 の 仕 事 を 生 みだすことまで、 重 要 な 潜 在 機 能 もある。ことによると、 最 も 重 要 なのは、スポーツが 競 争 と成 功 の 追 求 を 奨 励 していることである。これは 双 方 とも、われわれの 生 活 様 式 の 核 心 にあ-19-


るものである。スポーツには、 逆 機 能 的 な 結 果 もある。たとえば、 大 学 は 優 勝 チームをつくる 意 図 で、ときとして、 学 問 的 な 適 性 よりも 運 動 能 力 によって 学 生 を 入 学 させる。この 慣 行 はその 学校 の 学 問 的 な 標 準 をさげるだけでなく、 学 問 研 究 にほとんど 時 間 をつかうことのできない運 動 選 手 を 不 公 平 に 扱 うことにもなる(Upthegrove, Roscigno, and Charles 1999)。スポーツと 闘 争社 会 闘 争 分 析 は、スポーツが 社 会 的 不 平 等 と 密 接 に 関 連 しているという 指 摘 からはじめる。スポーツのなかには、テニス、 水 泳 、ゴルフ、ヨット、スキーをふくめて、 費 用 がかかり、そのため 富 裕 な 人 びとに 参 加 が 限 られるものもある。しかし、フットボール、 野 球 、バスケットボールは、あらゆる 所 得 水 準 の 人 びとにとって 近 づきやすい。 要 するに、 人 びとがする 種 目 は、 選 択 の 問 題 だけではなく、 社 会 的 立 場 を 反 映 している。歴 史 をつうじて、スポーツは 基 本 的 に 男 性 志 向 であった。たとえば、1896 年 に 開 催 された <strong>第</strong> 1 回 近 代 オリンピックは、 女 性 を 競 技 から 排 除 した。 米 国 では、 全 国 ほとんどの 地域 で、リトル・リーグのチームでさえ、 最 近 まで 少 女 にプレーをさせなかった。こうした排 除 は、 少 女 と 女 性 はスポーツをする 力 とスタミナがないか、スポーツをすると 女 性 らしさが 失 われてしまうという 正 しくない 観 念 によって 弁 護 されてきた。それゆえ、われわれの 社 会 は、 男 性 が 運 動 選 手 になることは 奨 励 しても、 女 性 は 思 いやりのある 観 客 とチアリーダーであることが 期 待 されている。こんにち、ますます 多 くの 女 性 がこれまで 以 上 にプロスポーツをしている。しかし、 彼 女 たちは、 男 性 の 後 ろの 席 に 座 りつづけており、とくに 最 も 稼 ぎが 多 く 社 会 的 威 信 の 高 いスポーツの 場 合 にそうである。われわれの 社 会 は、 長 いあいだ 有 色 人 種 を 大 リーグのスポーツから 排 除 してきたけれども、プロスポーツにおいて 高 所 得 を 獲 得 する 機 会 はここ 数 十 年 のあいだに 拡 大 してきた。メジャー・リーグの 野 球 が 最 初 に、アフリカ 系 アメリカ 人 の 選 手 を 認 めたのは、ジャッキー・ロビンソンが 1947 年 に、 人 種 の 垣 根 を 越 えてブルックリン・ドジャーズに 加 わった....ときである。50 年 以 上 たってから、プロ 野 球 はすべてのチームで、ロビンソンの 伝 説 的な 背 番 号 42 を 欠 番 にした。そして、2000 年 に、アフリカ 系 アメリカ 人 ( 米 国 人 口 の 12パーセント)は、メジャー・リーグの 選 手 の 13 パーセントを 数 え、プロフットボール・リーグ(NFL)の 選 手 の 67 パーセント、プロバスケットボール 協 会 (NBA)の 選 手 の 78パーセントを 占 めている(Center for the Study of Sport in Society 2001)。プロスポーツでアフリカ 系 の 人 びとの 割 合 が 増 加 したひとつの 理 由 は、 運 動 成 績 が、 打率 や 一 試 合 あたりの 得 点 数 によって 正 確 に 計 られるので、 人 種 的 偏 見 によって 影 響 をうけないからである。 有 色 人 種 のなかにとくに 運 動 で 秀 でる 努 力 をしている 人 がいるというのも、 本 当 である。 運 動 には、 他 の 職 業 よりも 大 きな 機 会 があるとかれらは 認 識 している(Steele 1990; Hoberman 1997, 1998; Edwards 2000; Harrison 2000)。 事 実 、 近 年 では、アフリカ 系 アメリカ 人 の 運 動 選 手 は、 平 均 して、 白 人 の 選 手 よりも 高 い 俸 給 を 得 るようになった。しかし、 人 種 差 別 はまだ 米 国 のスポーツの 汚 点 となっている。ひとつには、 人 種 はフィ...ールドにおいて、「スタッキング」と 呼 ばれるパターンで、 運 動 選 手 がプレーするポジシ..ョンと 結 びついている。 図 1-2 は、フットボールにおける 人 種 の 研 究 結 果 を 示 している。-20-


白 人 選 手 はオフェンスで 優 勢 であり、ラインの 両 サイドの 中 心 ポジションでもプレーしている。もっと 広 く 見 ると、アフリカ 系 アメリカ 人 が 圧 倒 的 に 多 いのは、 五 種 目 のスポーツにおいてだけである。 野 球 、バスケットボール、フットボール、ボクシング、そしてトラック 競 技 である。すべてのプロスポーツにわたって、スポーツチームのマネージャー、ヘッドコーチ、オーナーの 大 多 数 は、 白 人 である(Gnida 1995; Smith and Leonard 1997; Centerfor the Study of Sport in Society 2001)。われわれは、だれがプロスポーツから 最 も 利 益 を 得 ているかを 問 うてもよいだろう。 個々の 選 手 は 天 文 学 的 な 俸 給 を 得 ており、 何 百 万 ものファンが 好 みのチームを 追 っかけて 楽しんでいるけれども、スポーツは 大 きなビジネスであり、 少 数 の 人 びと(とくに 白 人 男 性 )のために 利 益 を 生 みだす。 要 するに、 米 国 のスポーツは、ジェンダー、 人 種 、そして 経 済力 にもとづく 不 平 等 と 結 びついているのである。相 互 作 用 としてのスポーツミクロレベルでは、スポーツ・イベントは 対 面 的 相 互 作 用 の 複 雑 なドラマである。ひとつには、プレーは 選 手 に 割 り 当 てられたポジションとゲームの 規 則 によって 導 かれている。しかし、 選 手 は 自 発 的 で、 予 測 しがたいものでもある。それゆえ、シンボリック 相 互 作 用パラダイムに 教 えられて、われわれはスポーツをシステムというよりも 進 行 中 の 過 程 として 見 る。この 観 点 から、われわれはまた、 各 選 手 がゲームをいくらか 異 なって 理 解 していると 期待 する。 厳 しい 競 争 環 境 で 戦 っている 人 もいれば、 勝 利 の 欲 求 よりも 試 合 が 好 きな 人 もいるかもしれない。競 争 への 異 なった 態 度 とはべつに、チームのメンバーはまた、 自 分 たちが 試 合 に 持 ち 込むさまざまな 偏 見 、 嫉 妬 、 野 心 にしたがって、 特 定 のリアリティをかたちづくっている。また、どのひとりの 選 手 の 行 動 も、 時 間 とともに 変 わるかもしれない。たとえば、プロ 野球 の 新 人 は、ビッグ・リーグの 最 初 の 数 試 合 のあいだじゅう、 自 意 識 過 剰 であるかもしれない。しかし、 時 がたつにつれて、ほとんどの 選 手 はチームになじむ。フィールドでくつろげるようになることは、ジャッキー・ロビンソンにとって 時 間 のかかる 辛 いことであった。かれは、 多 くの 白 人 選 手 と 何 百 万 の 白 人 ファンが、かれの 存 在 を 不 快 に 感 じていることを 知 っていた。しかし、 時 がたつにつれて、かれの 並 外 れた 能 力 と 自 信 に 満 ちた 協 力 的な 態 度 のおかげで、 国 中 の 尊 敬 を 勝 ちとったのであった。3 つの 理 論 的 アプローチ―― 構 造 機 能 パラダイム、 社 会 闘 争 パラダイム、そしてシンボリック 相 互 作 用 パラダイム――は、 異 なる 洞 察 をもたらす。しかし、どれも 他 のものより正 しいというわけではない。どのような 問 題 に 適 用 する 場 合 でも、 各 パラダイムは 独 自 の解 釈 を 生 みだす。 社 会 学 的 視 点 の 力 を 完 全 に 評 価 するためには、この 3 つすべてをよく 知るようになるべきだ。これらがいっしょになって、 討 論 と 論 争 を 刺 激 する。 最 後 のコラムで、われわれは、 社 会 学 の 一 般 化 が 平 凡 なステレオタイプとどう 違 うのかを 問 うことによって、この <strong>章</strong> で 提 示 した 考 えの 多 くを 吟 味 する。-21-


コラム: 論 争 と 討 論 ***************************************************************社 会 学 はステレオタイプ 以 上 のものか?「プロテスタントは、 自 殺 する 人 びとである」「アメリカ 国 民 ? かれらは 豊 かで、 結 婚 するのが 好 きで、 離 婚 するのも 好 きである」「だれもが、プロ・バスケットボールをやるなら、 黒 人 でなければならないことを 知 っている」社 会 学 者 をふくめて、だれもが 一 般 化 を 好 んでいる。しかし、 社 会 学 の 初 学 者 は、 一 般化 がステレオタイプとどのように 違 うのだろうかと 不 思 議 に 思 う。たとえば、 冒 頭 の 言 明は、 一 般 化 のように 聞 こえるのか、それともステレオタイプのように 聞 こえるのか。......これら 3 つの 言 明 は、ステレオタイプの 例 である。ステレオタイプとは、あるカテゴリ........................ーのすべての 人 びとに 当 てはめられる 誇 張 された 記 述 である。 <strong>第</strong> 1 に、 各 言 明 は、 平 均 を記 述 するよりも、あるカテゴリーに 属 するすべての 個 人 を 同 じ 仲 間 とみなす。 <strong>第</strong> 2 に、 各言 明 は、 事 実 を 無 視 し 現 実 を 歪 めている(たとえ 多 くのステレオタイプが 真 実 の 要 素 をじっさいにふくんでいるとしても)。 <strong>第</strong> 3 に、ステレオタイプは、 公 平 な 主 張 というよりは、「 悪 口 」に 近 い。これとは 反 対 に、 良 い 社 会 学 は、 一 般 化 をふくんでいる。ただし、それには 3 つの 重 要.............................な 条 件 がある。 <strong>第</strong> 1 に、 社 会 学 者 は、どのような 一 般 化 も 不 注 意 にすべての 個 人 に 当 ては........... ..................めるようなことはしない。 <strong>第</strong> 2 に、 社 会 学 者 は、 一 般 化 は 利 用 可 能 な 事 実 と 一 致 している....... ............................ことを 確 かめる。 <strong>第</strong> 3 に、 社 会 学 者 は、 真 実 に 到 達 するという 関 心 から、 公 正 に 一 般 化 を....提 供 する。本 <strong>章</strong> の 最 初 に、われわれはプロテスタントの 自 殺 率 がカトリックやユダヤ 教 よりも 高 いと 述 べた。しかし、「プロテスタントは 自 殺 する 人 びとである」という 言 明 は、 理 にかなった 一 般 化 ではない。なぜなら、プロテスタントの 大 多 数 は 自 殺 しないからである。さらに、 特 定 の 友 人 に、かれがプロテスタントの 男 性 であるという 理 由 で、 自 殺 寸 前 であると考 えることは 誤 っている。(たまたまバプティストであるルームメイトに「うーん、 自 殺のリスクを 考 えると、 金 を 返 してもらえないかもしれないね」といって 金 を 貸 すのを 断 ることを 想 像 してみよ)。<strong>第</strong> 2 に、 社 会 学 者 は 自 分 たちの 一 般 化 を、 利 用 可 能 な 事 実 からつくる。このコラムの 最初 にある <strong>第</strong> 2 の 言 明 をもっと 事 実 に 即 したかたちに 変 えたものは、 平 均 して、そして 世 界的 な 標 準 から 見 て、 米 国 民 は 生 活 水 準 がとても 高 いというものである。われわれの 婚 姻 率が 世 界 の 最 も 高 い 部 類 に 入 ることも 真 実 である。そして、 喜 んで 離 婚 する 人 は 少 ないだろうが、われわれの 離 婚 率 が 高 いことも 真 実 である。<strong>第</strong> 3 に、 社 会 学 者 たちは、 公 正 であろうと 努 力 している。すなわち、かれらは 真 実 への情 熱 に 動 機 づけられている。アフリカ 系 アメリカ 人 とバスケットボールにかんする <strong>第</strong> 3 の言 明 は、ふたつの 理 由 から 良 い 社 会 学 ではない。 <strong>第</strong> 1 に、それはたんに 真 実 ではない。 <strong>第</strong> 2に、それは 真 実 を 探 求 するよりも 偏 見 に 動 機 づけられている。-22-


良 い 社 会 学 は、 有 害 なステレオタイプ 化 からは 距 離 をおく。しかし、 社 会 学 の 授 業 は、ありふれたステレオタイプについて 話 すすぐれた 環 境 である。 教 室 では、 議 論 が 奨 励 され、特 定 の 主 張 が 正 確 であるのか、たんなるステレオタイプであるのかを、あなたが 決 定 するために、 事 実 にかんする 情 報 が 提 供 される。討 論 をつづけよう。1. 米 国 の 人 びとは、 社 会 学 者 についてのステレオタイプをもっているだろうか。それはどのようなものか。それらは 妥 当 なものなのだろうか。2. 社 会 学 の 授 業 をとることは、 人 びとのステレオタイプをぬぐい 去 ることになると 思 うか。またそれはなぜか。3. 社 会 学 が 挑 戦 するあなた 自 身 のステレオタイプを 挙 げなさい。*********************************************************************************-23-

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