??????????? - Media and Information Literacy
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(Kasoma, 1996)。そのような分析的カテゴリー<br />
の多くは、人間社会の問題に関する欧米の文化的<br />
先入観が反映されている。例えば、生産とは、階<br />
層的で厳格に統制された組織的構造の範囲内での<br />
み行われるものであり、そのような組織的構造は、<br />
自由主義的商業主義者と消費者保護運動家の文化<br />
的価値と理解されている(Herman&Chomsky,<br />
1988; Herman & McChesney,1997)。<br />
結果として、営利組織のメディア複合企業へ卒<br />
業生を迅速に送り出すことが重視され、アフリカ<br />
のメディア教育の多くは、欧米の影響を受けた道<br />
具主義者となった。例えばザンビアのマスコミュ<br />
ニケーション学部のプログラムは、「実践的なトレ<br />
ーニング、技術的で専門的な行動」に焦点が当て<br />
られているようである。それは、アメリカのメデ<br />
ィア専門職のイデオロギー的傾向を反映したもの<br />
である。<br />
その地域に適応するようなメディアの理論的知<br />
識がないために、アフリカの多くのメディア教育<br />
は、カリキュラムの中で実践的要素を強調する傾<br />
向にある。教えられている理論は欧米志向であり、<br />
その多くは、与えられたジャーナリストとしての<br />
スキルを無批判にパッケージ化したものである。<br />
それは、メディア教育の拠りどころである欧米の<br />
理論に挑戦するような理論ではない(Hochheimer,<br />
2001)。これらのパッケージ化されたメディア教<br />
育の基礎となる理論の多くは、政府のウォッチド<br />
ッグとしてのジャーナリストに関するものである。<br />
多くのメディアコースにみられる道具主義の典<br />
型は、実用的な実践を大いに強調するものである。<br />
そして、産業的仕様に学生を適応させることが重<br />
視されている。ザンビアの事例が示すように、こ<br />
れは特にアメリカのリベラル的影響である。とり<br />
わけ 1990 年代初期の政治的変革の最中に、米国<br />
国際開発機構(USAID)から教育助成金と学問の<br />
スキームが提供されたことを契機に、これまで長<br />
く続けられている。<br />
このように、メディアの構造や実践に関する欧<br />
米的知識を無批判に受け入れることで、非政治的<br />
188<br />
で非クリティカルな「銀行預金型教育」(Freire,<br />
1985:2)の実践に陥っている。フレイレの「意識<br />
的であること」という考えは、地域の文化的アイ<br />
デンティティ、エンパワーメント、参加の重要性<br />
を強調するものであり、多くの場合、アフリカの<br />
参加的なメディア教育の文脈に適している<br />
(B<strong>and</strong>a, 2003)。<br />
2.1.2.「抑圧された人びとの教育」<br />
上述のような新自由主義的で自由市場的なアプ<br />
ローチは、ジャーナリスト養成校におけるメディ<br />
ア教育にみられるが、それに対して欧米とアフリ<br />
カの学会の双方から反対の声が上がっている。例<br />
えばクリスチャンズ(2004)のように、欧米の研<br />
究者によるアフリカの「ウブンツイズム」 訳注 3 の<br />
承認が重要な学問的アジェンダとなっている。そ<br />
してそれは、「守るべき倫理」という観点からジャ<br />
ーナリズムの再概念化するために必要であり、世<br />
界のあらゆるジャーナリストが道徳的責任を果た<br />
すことにつながる(Plaisance,2002: 213)。プレザ<br />
ンスの論文「道徳的目撃者としてのジャーナリス<br />
ト」(Plaisance, 2002)は、ジャーナリストのも<br />
つ道徳的働きの詳細な実例である。<br />
メディアスタディーズの「脱欧米化」が求めら<br />
れるのはこうした理由からである(Fourie,2007)。<br />
そして、その分析内容あるいはカテゴリー化によ<br />
って、ジャーナリストはアフリカの文化特性を反<br />
映した形で道徳的に活動することができる。生産、<br />
アイデンティティ、リプレゼンテーション、消費、<br />
規律に関わる問題は、コミュニティに基づいた生<br />
産、アイデンティティ、リプレゼンテーション、<br />
消費、規律に関する考えを基礎として組み立てら<br />
れる。アフリカ社会の伝統的な文化の中にメディ<br />
アを位置づけつつ(B<strong>and</strong>a, 2008; Wasserman,<br />
2006)、カソマ(1996)が「アフリカ倫理(アフ<br />
リエシックス)」という大きな批判を浴びた考えを<br />
提唱するのはこの理由のためである。<br />
「抑圧された人々の教育」は、パウロ・フレイ<br />
レ(1985: 14-15)が主導したポストコロニアル・