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十 五 年 戦 争 期 の 絵 本 ― My Choices<br />
ことを 認 識 しておくべきでしょう。<br />
もう 一 つ、 戦 時 下 の 子 どもの 絵 本 を 語 るとき、<br />
「 児 童 読 物 改 善 ニ 関 スル 指 示 要 綱 」を 省 くことが<br />
できません。『はじめて 学 ぶ 日 本 の 絵 本 史 2 15<br />
年 戦 争 下 の 絵 本 』( 鳥 越 信 編 ミネルヴァ 書 房<br />
2002)に 全 文 が 載 っていますから、 関 心 のある 方<br />
は 後 でご 覧 ください。こういう 絵 本 を 作 れという<br />
ことが 細 々 書 かれています。 大 正 期 の『コドモノ<br />
クニ』などで 児 童 文 学 のイラストレーションが 本<br />
格 的 になりましたが、 一 方 江 戸 時 代 から 引 きつぎ<br />
明 治 に 入 ってからもつづいた、いわゆる 赤 本 と 言<br />
われるものがありました。 作 者 名 も 表 に 出 てこな<br />
い 絵 本 でした。 値 段 がとても 安 く、おもちゃ 的 体<br />
裁 だったので、 本 の 扱 いをされず 露 店 か 夜 店 で 売<br />
られていました。しかし、ひじょうに 広 く 一 般 に<br />
流 布 していて、 絵 本 とはそういうものと 思 われて<br />
いました。 次 の 世 代 を 担 う 子 どもの 文 化 財 として、<br />
あまりにもお 粗 末 すぎると、 心 ある 画 家 や 作 家 た<br />
ちは 考 え、もっと 絵 本 をレベルアップさせねば、<br />
と 考 えていました。 大 正 浪 漫 が 先 行 していたので、<br />
絵 本 のレベルアップを 真 剣 に 考 えたのでした。<br />
もっとも、 当 時 のレベルアップは 今 から 考 えれば、<br />
少 しずれている 点 は 否 めませんが、とにかく、 改<br />
善 を 考 えた 人 たちが、 内 務 省 などの 人 たちから 相<br />
談 を 受 けて、「 指 示 要 綱 」をお 上 の 方 針 として 出<br />
したのでした。 要 は 赤 本 絵 本 からの 脱 却 を 意 図 し<br />
たもので、 当 時 大 きな 影 響 力 を 持 ちました。 赤 本<br />
の 出 版 社 ばかりか 出 版 界 全 体 が 物 資 不 足 で、 用 紙<br />
の 割 り 当 てをくい、 出 版 社 は、 特 に 子 どもの 本 の<br />
世 界 では、 用 紙 獲 得 のためにも、「 指 示 要 綱 」に<br />
従 わねばならなかったようです。<br />
「 指 示 要 綱 」が 出 たのが 昭 和 13 年 で、 翌 14 年 には、<br />
文 部 省 が 児 童 書 の 推 薦 事 業 に 乗 り 出 しました。「 指<br />
示 要 綱 」に 参 加 した 人 たちがダブりながら、 具 体<br />
的 にこういう 絵 本 が「 指 示 要 綱 」にのっとってい<br />
てよろしいと 推 薦 で 示 したのですね。「 指 示 要 綱 」<br />
と< 文 部 省 の 推 薦 図 書 >にそって、 子 どもの 本 の<br />
質 をレベルアップするため、< 座 談 会 >が2 年 程<br />
の 間 に9 回 開 かれて、それが 速 記 録 で 流 布 され、<br />
趣 旨 の 実 効 性 がはかられたのでした。 当 時 は、 都<br />
市 は 消 費 的 で 戦 時 の 非 常 時 にそぐわないと、 農 村<br />
の 生 産 性 が 重 視 されて、 都 市 よりは 農 村 、 消 費 よ<br />
りは 生 産 、がスローガンとなり、 子 どもの 本 はそ<br />
れにそって 作 るよう 要 請 された 結 果 、その 類 の 絵<br />
本 が 数 多 く 作 られました。<br />
後 ほど、 熊 谷 元 一 さんの 絵 本 をお 話 しいたしま<br />
すが、 彼 はその 趣 旨 にひじょうに 良 く 当 てはまる<br />
本 を 作 りました。 戦 後 もそれと 同 じタイプの 本 を<br />
ずっと 作 ってきた 方 で、もう96 歳 かな、 高 齢 にな<br />
られましたが、 今 もお 元 気 で 活 躍 されています。<br />
彼 の 場 合 は 戦 中 の 方 針 に 従 って 絵 本 を 作 ったとい<br />
うよりも、 自 分 の 一 つの 生 き 方 、 信 念 でそういう<br />
絵 本 を 作 っていたのですが、たまたまそれが 統 制<br />
期 の 考 え 方 にマッチしたのですね。 熊 谷 元 一 さん<br />
の 戦 中 期 の 作 品 を、 当 時 の 時 流 に 迎 合 した 作 品 と<br />
取 るのは 誤 りであろうと 思 います。<br />
戦 意 高 揚 絵 本 について<br />
とにかく 戦 時 中 は、 時 代 色 の 濃 厚 な 絵 本 が 圧 倒<br />
的 でした。にもかかわらず、 時 流 にあまり 染 まら<br />
ない 絵 本 も 数 は 少 なくともありました。それらの<br />
中 から 選 んでみたものを、これからお 話 しするの<br />
ですが、では「 当 時 の 時 代 色 に 染 まった 絵 本 は、<br />
どんなものか」とのお 尋 ねがあると 思 うので、 最<br />
初 にそういうものを、1、2 挙 げてみましょう。<br />
レジュメをご 覧 になって、 最 初 に 出 てくる『ウタ<br />
ノヱホン』ですが、これは 当 時 の 錚 々たる 方 々、<br />
三 好 達 治 、 西 條 八 十 、 百 田 宗 治 、 与 田 凖 一 、もう<br />
亡 くなられた 方 たちばかりですが、その 方 たちが<br />
詩 を 作 り、やはり 当 時 の 豪 華 メンバー、 黒 崎 義 介 、<br />
横 山 隆 一 、 清 水 良 雄 などが 挿 絵 を 描 いています。<br />
この 本 の 最 後 を 見 ますと、「『ウタノヱホン』は 朝<br />
日 新 聞 社 、 日 本 音 楽 文 化 協 会 、 日 本 少 国 民 文 化 協<br />
会 が 主 催 となり、 陸 、 海 、 文 部 、 大 東 亜 各 省 、 情<br />
報 局 、 日 本 出 版 会 、 日 本 放 送 協 会 、 日 本 宣 伝 文 化<br />
協 会 、 国 際 文 化 振 興 会 、 日 本 レコード 文 化 協 会 の<br />
後 援 協 賛 を 得 て 作 成 したものです」と 書 かれてい<br />
ます。 日 本 が 進 出 した 東 南 アジアの 国 々の 子 ども<br />
たちみんなに 歌 ってもらっている、そういう 歌 だ<br />
というのです。その 歌 たるやたいしたもので、1、<br />
2を 挙 げてみますと、 三 好 達 治 の 作 った「ヒノマ<br />
ル」では、<br />
一 、アジヤノ ヤマニ、アジヤノ ウミニ、ヒ<br />
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