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アイヌ政策のあり方と国民的理解 - 日本学術会議

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2 歴 史 的 経 緯<br />

(1) 江 戸 時 代 まで<br />

北 海 道 に 人 類 が 住 み 着 いたのは 旧 石 器 時 代 である。その 後 、1 万 5 千 年 前 に 縄 文 時 代<br />

に 入 るが、アイヌの 形 態 的 特 徴 や 遺 伝 的 特 徴 はアイヌ 民 族 が 縄 文 文 化 の 担 い 手 だった<br />

人 々と 直 接 的 な 関 係 を 持 つことを 示 している。その 後 、 日 本 列 島 の 他 の 島 々では 弥 生 文<br />

化 ( 農 耕 文 化 )が 始 まるが、 北 海 道 では 主 に 狩 猟 採 集 の 文 化 が 継 続 する。7 世 紀 になる<br />

と 擦 文 土 器 に 代 表 される 擦 文 文 化 が 北 海 道 で 始 まる。この 時 代 の 記 録 には「 蝦 夷 」とい<br />

う 中 央 政 府 に 帰 属 しない 人 々に 言 及 があるが、これにアイヌの 人 々が 含 まれていたかど<br />

うかは 現 在 も 議 論 となっている。しかし、 擦 文 文 化 およびオホーツク 文 化 にはアイヌ 文<br />

化 の 原 型 が 見 られる。その 後 、13~14 世 紀 になると、 狩 猟 、 漁 撈 、 採 集 を 中 心 に 一 部 に<br />

農 耕 を 行 い、 海 を 渡 っての 交 易 を 盛 んに 行 うアイヌの 文 化 的 特 色 が 形 成 された。<br />

いわゆる「 和 人 」( 日 本 の 文 化 と 社 会 を 担 う 主 流 社 会 の 人 々)はアイヌの 人 々との 交<br />

易 を 盛 んに 行 っていくが、 彼 らを「 蝦 夷 」と 呼 び、 通 じない 言 語 を 話 す 人 々として 記 録<br />

に 残 した。 当 時 の 和 人 の 認 識 では、アイヌの 人 々は 異 文 化 の 人 々であった。1457 年 には<br />

和 人 とアイヌの 人 々の 間 でコシャマインの 戦 いと 呼 ばれる 武 力 衝 突 が 生 じた。 連 続 する<br />

抗 争 をおさめた 蠣 崎 氏 は 次 第 に 台 頭 し、 蠣 崎 氏 を 祖 とする 松 前 藩 がアイヌの 人 々との 交<br />

易 に 独 占 権 を 与 えられることとなった。<br />

松 前 藩 は 1 万 石 であったが、 石 高 は 名 目 的 なものであり、この 藩 は、 経 済 的 にはアイ<br />

ヌの 人 々との 交 易 により 成 立 していた。 松 前 藩 は 和 人 の 居 住 する 和 人 地 ( 渡 島 半 島 南 部<br />

を 中 心 とした 地 域 )とその 他 の 蝦 夷 地 とに 分 け、 蝦 夷 地 はアイヌの 人 々の 生 活 区 域 とし、<br />

許 可 なく 和 人 が 出 入 りすることを 禁 じた。 藩 は 家 臣 には 知 行 の 代 わりとして 蝦 夷 地 の 海<br />

岸 をいくつかの 場 所 に 区 分 して、アイヌの 人 々との 交 易 の 独 占 権 を 与 えた。アイヌの<br />

人 々は 乾 燥 鮭 ・ニシン・ 獣 皮 ・ 鷹 羽 ・ 海 草 などを 和 人 に 供 給 し、 代 わりに 鉄 製 品 ・ 漆 器 ・<br />

米 ・ 木 綿 などを 受 け 取 っていた。アイヌの 人 々は 狩 猟 採 集 民 の 常 として、 強 力 な 政 治 組<br />

織 をもたず、 中 央 政 府 のようなものもアイヌ 社 会 には 存 在 していなかった。<br />

時 がたつにつれ、 和 人 側 は 次 第 にこの 交 易 圏 で 支 配 力 を 強 め、アイヌの 人 々は 和 人 と<br />

の 交 易 へますます 依 存 するようになった。1669 年 にはシャクシャインの 戦 いが 起 こるが、<br />

この 後 には 交 換 率 などますますアイヌの 人 々にとって 不 利 な 条 件 へと 向 かった。18 世 紀<br />

になると、 交 易 に 商 人 が 参 加 する 制 度 (「 場 所 請 負 制 」)が 一 般 的 となり、アイヌの 人 々<br />

は 漁 業 に 従 事 させられ、 労 働 を 搾 取 されるようになった。<br />

北 の 境 界 として、 幕 府 はロシアからの 軍 事 圧 力 に 対 抗 する 必 要 があり、また 開 国 圧 力<br />

や、 国 境 画 定 の 交 渉 にあたることとなる。 有 事 には 蝦 夷 地 を 幕 府 直 轄 地 として、 直 営 す<br />

ることもあった。ロシアとの 交 渉 にあたっては、アイヌの 人 々は 日 本 に 帰 属 する 人 民 で<br />

あるとし、アイヌの 人 々の 居 住 地 は 日 本 の 領 土 であることを 主 張 した。このころ「 蝦 夷 」<br />

から「 土 人 」と 呼 ぶように 改 めている 1 。<br />

江 戸 時 代 までの 経 緯 をまとめると 以 下 のようになる。アイヌ 文 化 の 原 型 は 12~13 世<br />

1 (1)のここまでの 部 分 は、 概 ね 懇 談 会 『 報 告 書 』[3]の 記 述 を 中 心 にまとめた。<br />

2

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