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AFJ ティボーとの関連を通して - 成城大学

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セシリア 運 動 に 及 ぼした E. T. A. ホフマンの 影 響 について:A. F. J. ティボーとの 関 連 を 通 して<br />

三 版 が 刊 行 され、 以 降 の 底 本 となる。その 後 も 好 評 に 迎 えられ 1890 年 代 には 第 七 版 が 発 行 された。な<br />

お、ティボーの 原 書 では、 著 書 名 、 各 章 名 とも、 先 頭 の Über はウムラウトなしの「e 付 記 」(Über でな<br />

く、Ueber)で 表 記 されている。 本 論 では、 他 書 からの 引 用 以 外 、そのように 表 記 する。<br />

7 吉 田 によれば、このときの「 決 定 的 な 要 因 」の 一 つは、ホフマンが、 初 期 ロマン 派 の 唱 えたパレストリ<br />

ーナ 復 興 運 動 から、「 器 楽 を 活 用 した 新 しい 教 会 音 楽 の 制 作 」への 転 換 を 計 ったものとされる。( 吉 田 、<br />

2001:170)<br />

8 Johann Friedrich Rochlitz (1769–1842) ドイツの 編 集 者 、 音 楽 評 論 家 。1798 年 ライプツィヒで、 一 般 音<br />

楽 新 聞 (AMZ) を 創 刊 、 主 筆 として 活 躍 した。<br />

9 この 節 の 翻 訳 にあたって、 吉 田 寛 の 訳 があるものについては、それを 参 考 にした。 訳 語 のいくつかは、<br />

踏 襲 させて 頂 いた。<br />

10 ホフマンは、1810 年 にバンベルク 劇 場 の 指 揮 者 として 招 かれ、 作 曲 家 、 舞 台 装 置 家 、 画 家 として 活 躍 し<br />

た。1813 年 には、ドレスデンのオペラ・カンパニーの 音 楽 監 督 となった。なお、ケーニヒスベルクとい<br />

うプロテスタント 地 域 に 生 まれたホフマンは、 当 然 のようにプロテスタントとして 人 生 を 歩 んだ。( 彼<br />

の 母 方 は 牧 師 や 法 律 家 の 家 系 であった。)ロマン 主 義 の 洗 礼 を 浴 びてからは、 多 くの 初 期 ロマン 主 義 者<br />

同 様 、カトリックの 理 念 への 親 近 感 を 隠 さなかった。(イエーナ・ロマン 派 の 中 には、フリードリヒ・<br />

シュレーゲルのようにカトリック 改 宗 に 踏 み 切 る 者 まであった。)しかし、 彼 の 愛 好 は 理 念 的 なもので、<br />

( 伝 記 の 伝 える) 実 生 活 においては、 教 会 に 通 うようなことはなかったようだ。( 樋 口 、2006:24 ほか)<br />

11 樋 口 梨 々 子 によれば、ホフマンのこの 論 文 の 主 旨 は、 古 い 教 会 音 楽 での「キリスト 教 的 」と、 新 しい 教<br />

会 音 楽 での「ロマン 主 義 的 」を、 二 項 対 立 構 造 と 考 えるものとされる。そして、それにもかかわらず、<br />

ホフマンは、 最 終 的 に「どちらに 対 しても 肯 定 的 な 姿 勢 を 取 る」 という「 不 思 議 な 選 択 をしている」 と 指<br />

摘 する。キーワードとなるのが、「 器 楽 」 である。 理 想 の 教 会 音 楽 は 「 簡 素 」であるべきと 考 えるホフマ<br />

ンにとって、 器 楽 を 用 いた 当 代 の「 新 しい 教 会 音 楽 」は、「 華 麗 さ」を 追 い 求 める 俗 世 的 なものに「 堕 落 」<br />

したものとなる。しかし、 器 楽 は、 本 来 、ホフマンにとって 最 高 度 の 芸 術 として 扱 われていたはずであ<br />

る。ここにホフマンの 自 己 撞 着 が 始 まる。<br />

樋 口 は、 自 己 撞 着 に 陥 ったホフマンの 出 した 結 論 は、 次 のようなものであったと 説 明 する。<br />

「ホフマンは、 人 間 の 声 すらも 楽 器 の 一 種 と 考 えていた。」 「つまりホフマンは、パレストリーナの 楽 曲<br />

を 純 枠 な 声 楽 曲 としてよりも、 人 間 の 声 という 楽 器 が 用 いられ、 極 めて 簡 素 に 創 作 された 器 楽 曲 という<br />

感 覚 で 聴 いたのではないか。」 「ホフマンにとって、 教 会 音 楽 の 言 語 ( 歌 詞 )は、『せいぜい 敬 度 な 気 分 を<br />

引 き 出 す 糸 口 に 過 ぎない』ものであった。」( 樋 口 、2006:30-31)この 樋 口 の 見 解 は、 別 の 機 会 に、あ<br />

らためて 検 証 していきたい。<br />

12 例 えば、ロータースは 次 のように 述 べている。<br />

「ドイツ 人 は、ホフマンの 扱 いについて― 比 較 的 少 数 の 愛 好 家 グループを 除 いて―、つねに 及 び 腰 で<br />

あった。 十 九 世 紀 全 体 を 通 じて『お 化 け 作 家 』と 呼 ばれ、 子 供 を 驚 かすだけのものでしかない 通 俗 文 学<br />

とされていたのである。[ 中 略 ]この 評 価 は 今 日 に 至 るまで 基 本 的 にあまり 変 わっていないとさえ 言 える。<br />

ドイツの 古 典 主 義 文 学 やロマン 主 義 文 学 に 通 暁 している 読 書 人 の 間 ですら、 独 特 なホフマン 抑 制 の 態 度<br />

が 見 受 けられる。(ロータース= 金 森 2000: 294)」<br />

13 シューマンのピアノ 曲 集 『クライスレリアーナ』が、ホフマンの 同 名 のエッセイや、 小 説 『 牡 猫 ムルの 人<br />

生 観 』の 登 場 人 物 である 楽 長 クライスラーに 触 発 されて 作 られたことは、よく 知 られている。<br />

14 ウィーン 移 住 後 の 1783 年 4 月 、ザルツブルクの 父 レ-オポルトに 宛 てた 手 紙 の 中 で、モーツァルトは<br />

「 真 の 教 会 音 楽 」に 言 及 している。それは、「 屋 根 裏 部 屋 にしまいこまれていて」 思 いがけない 時 に 発 見<br />

されると 記 述 されているのみで、 詳 細 は 明 らかではない。(Bauer & Deutsch = 海 老 沢 、 高 橋 編 訳 『 書 簡<br />

全 集 5』1995:359)<br />

15 David Charlton (1946– )<br />

16 Johann Georg Sulzer (1720–1779)<br />

17 Ludwig Tieck (1773–1853)<br />

18 この 部 分 はチャールトンの 英 文 解 説 と、 吉 田 寛 の 論 攷 、 原 文 を 参 照 して 要 約 した。(Tieck 1828: 425)<br />

(Charlton 1989: 352-3)( 吉 田 2001: 169)<br />

19 ティボーの 伝 記 や 演 奏 会 の 情 報 は、 海 老 澤 1972 や 宮 本 2006 に 拠 る。<br />

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