日 本 林 業 技 術 協 会
mri171
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盆<br />
一<br />
■■■■■■■■●■ 即 邑 ■■ 筈<br />
ー<br />
、■■■●<br />
-<br />
・へ<br />
▽<br />
一<br />
租 口 ■■■■■■■■<br />
樹 木 の 外 科 手 <strong>術</strong><br />
渡 辺 資 仲<br />
一 目<br />
まえがき<br />
診 断<br />
患 者 住 所<br />
患 者 氏 名<br />
所 見<br />
処<br />
応 用<br />
あとがき<br />
一 一 一 一 =<br />
次 一<br />
置<br />
方 針<br />
処 縦<br />
腐 朽 部 のけずり<br />
内 部 の 防 腐 殺 菌<br />
空 洞 の 填 充<br />
処 観 簡 要<br />
まえがき<br />
(3ユ.5.9 受 理 )<br />
■■■ 即 ■■ 砂 ■。■■■F 円 ■■■■● 峡 ■■■■■<br />
一 一 一 一 - 一<br />
田 舎 にいると,こと 樹 木 と 称 <strong>業</strong> 腱 関 することばなんで<br />
も 知 っていると 思 って,あれこれ 開 かれるので 甚 だ 面 喰<br />
う。<br />
実 は,いま 時 樹 木 の 外 科 手 <strong>術</strong> などというと, 時 世 にあ<br />
わない。 時 代 おくれのことのように 考 えていたのだが,<br />
<strong>林</strong> 学 を 出 たばかりに, 最 近 そのことで 相 談 をうけ,タケ<br />
ノコ 医 者 となって 外 科 手 <strong>術</strong> をしたので,そのあらましを<br />
述 べるゆえ,いざというときの 御 役 に 立 てて 頂 きたい。<br />
診<br />
、 患 者 便 所<br />
千 蕊 県 安 房 郡 太 海 村 仁 右 衛 門 島 ・ 源 頼 朝 をかくまった<br />
功 によって’ 鳥 とその 付 近 の 魚 <strong>業</strong> 権 を 盤 得 した 平 野 仁 右<br />
衛 門 氏 の <strong>本</strong> 拠 , 仁 右 衛 門 島 の 平 野 邸 の 庭 の 蛾 ,々たる 岩 石<br />
の 上 。<br />
患 者 氏 名<br />
桜 怜 千 年 と 称 せられ 工 いる, 鍵 奮 戦 iこ 美 事 な 樹 高 5<br />
In, 直 径 49cmの 老 ク 戸 マツ。<br />
所<br />
見<br />
南 面 した 枝 についている 葉 は 半 分 位 黄 色 に 変 り, 樹 勢<br />
断<br />
難 者 ・ 東 大 千 蕊 県 演 習 <strong>林</strong> 長 ・ 東 大 敦 授<br />
おとろえてみえる。この 黄 変 の 原 因 はハプルイ 病 に 似 て<br />
いるが,ハプルイと 断 定 しがたいようである。 次 ぎに1955<br />
に 庭 沐 の 手 入 の 時 , 樹 幹 のくぼ 鍬 で 藤 のはえている 場 所<br />
を 手 スした 所 ,その 藤 の 翼 則 にポッカリとにぎりこぶし<br />
より 大 きめの 穴 があいていた。これに 驚 いて, 樹 幹 のく<br />
ぼ 象 でご 象 のた 蓑 っているような 所 をよくしらべて 象 た<br />
所 ,このほかに2カ 所 も 穴 があいており,しかもそれら<br />
が 全 部 鰯 骨 しておるように 思 われた。そこで 平 野 氏 大 い<br />
に 驚 き, 小 生 の 来 診 を 請 うた 次 第 であった。 早 速 往 診 し<br />
た 所 , 幹 の 中 はほとんど 腐 朽 蔵 におかされた 空 洞 になっ<br />
ており,いわゆる 耀 礎 状 空 洞 というもつとも 悪 質 の 状 態<br />
であり, 幹 だけでなく 枝 の 中 までも 腐 朽 が 進 んでいるよ<br />
うに 思 われた。このように 癖 伏 の 進 んだ 病 木 に 対 する 処<br />
置 は, 外 科 の <strong>本</strong> にはいたずらに 経 費 がかさむだけで, 完<br />
全 に 治 癒 するわけでないから, 後 組 織 を 仕 立 てた 方 が 特<br />
策 だと 書 いてある。ひとごとと 考 えればどんなこともい<br />
えるが, 自 分 の 鯵 kでありことに 先 祖 伝 来 の 名 木 とあれ<br />
ば, 自 分 の 代 でこの 名 木 を 枯 らしたとあっては, 先 祖 に<br />
対 しては 相 濟 まず,また 子 孫 に 対 しても 御 申 訳 なく 思 う<br />
のは 当 然 である。 鎌 倉 時 代 より 遮 滞 として 続 いている 烏<br />
の 主 , 当 主 平 野 仁 右 衛 門 氏 捻 以 上 のような 考 えから『 金<br />
嬢 挺 かえられない。 最 善 の 処 羅 を 構 じたいその 上 で 枯<br />
死 したとあれば 止 むを 得 ない』と。<br />
さて 以 上 のようなわけで 金 鐵 にかえられない 貴 重 な 名<br />
木 の 治 療 をたのまれたのだが, 当 主 平 野 氏 も, 自 分 の 代<br />
になって 病 木 であることが 発 見 出 来 たことは, 自 分 の 不<br />
運 となげいておられたが, 小 生 にして 拳 れぱそのような<br />
大 佳 事 を 引 受 けざるを 得 なくなった 自 分 こそ 最 も 不 運 な<br />
ものであると, 平 野 氏 以 上 になげいたわけである。こと<br />
ここにいたっては 後 に 引 くわけにいかず, 患 家 の 主 人 平<br />
野 氏 #こ 対 してば, 急 に 客 体 がどうのこうのというもので<br />
もないから, 十 分 研 究 の 上 で 処 髄 しましょうということ<br />
にし,いろいろ 調 べはじめたのであった。この 治 療 の 方<br />
法 嘘 繕 局 , (1) 木 測 鯨 朽 部 をけずりとり,これ 以 上 腐 朽<br />
、させないように 防 腐 の 処 置 をとること, (2) 空 洞 部 を 埋<br />
めて 木 の 幹 を 丈 夫 にするとともに, 諸 害 虫 のすゑ 家 とし<br />
ないようにすること,ということになる。<br />
方 針<br />
処<br />
置<br />
1. 貴 重 な 名 木 であるから 必 要 以 上 のシケキを 与 えて<br />
枯 死 を 早 めるこどのないようにする。<br />
2. 当 主 の 希 望 もあり, 前 項 の 方 針 もあるので 外 部 に<br />
面 したこぶし 大 の 穴 を 大 きくせず, そこから 手 <strong>術</strong> をす<br />
る。<br />
以 上 の 方 針 に 従 うため, 完 全 に 空 洞 内 部 を 清 掃 するこ<br />
とが 出 来 ない 状 態 にあるから, 空 洞 内 部 の 処 置 は,ある<br />
範 囲 以 上 ば 完 全 に 出 来 ない。<br />
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