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C<br />
持 論 強 行 や 病 が「 壁 」<br />
連 続 3 選 、 過 去 3 例 だけ<br />
24 SAN DIEGO YU-YU SEPTEMBER 1, <strong>2018</strong><br />
Kyodo<br />
安 倍 晋 三 首 相 ( 自 民 党 総 裁 ) は 地 元 の 山 口 県 で 開 かれた 党 集 会 に 出 席 し、9 月 の 総 裁 選 に 立 候 補 して 連 続 3 選 を 目 指 す 強 い 意 欲 を 表 明 した (8 月 11 日 )<br />
9 月 の 自 民 党 総 裁 選 で、 安 倍 晋 三 首 相<br />
( 党 総 裁 ) は、 党 の63 年 の 歴 史 で3 例<br />
しかない「 連 続 3 選 」に 挑 む。 過 去 には<br />
持 論 の 強 行 が 痛 手 となって 立 候 補 を 阻 ま<br />
れたり、3 選 を 実 現 しても 病 で 退 陣 に 追<br />
い 込 まれたりするケースがあり「 壁 」が<br />
付 きまとう。 一 方 、 出 馬 に 至 れば 現 職 が<br />
優 位 となることも 前 例 が 物 語 っている。<br />
■ 経 済 成 長 の 波 ■<br />
安 倍 首 相 の 祖 父 である 岸 信 介 元 首 相<br />
は「 日 米 対 等 」の 関 係 構 築 を 宿 願 とし た 。<br />
総 裁 2 期 目 の 1960 年 、 日 米 安 全 保 障 条<br />
約 の 改 定 を 強 行 。 米 国 が 日 本 を 防 衛 する<br />
義 務 を 負 う 規 定 を 盛 り 込 んだ。<br />
しかし、 学 生 らによるデモが 激 化 し、<br />
警 官 隊 との 衝 突 で 女 子 学 生 が 死 亡 。 憲<br />
法 改 正 に 道 筋 をつけるために3 選 も 視 野<br />
に 入 れていた 岸 氏 は、 混 乱 の 責 任 を 取 っ<br />
て 退 陣 した。 党 内 の 非 主 流 派 が 安 保 改<br />
定 への 協 力 と 引 き 換 えに3 選 阻 止 へ 動 い<br />
たことも 作 用 した。<br />
後 を 受 けた 池 田 勇 人 元 首 相 は 高 度 経<br />
済 成 長 の 波 に 乗 り、1964 年 7 月 に3 選<br />
を 果 たす。10 月 には 東 京 五 輪 が 開 幕 し<br />
て 国 内 は 沸 き 上 がるが、 好 事 魔 多 し。 池<br />
田 氏 は 閉 幕 の 翌 日 に 病 で 辞 意 を 表 明 し、<br />
翌 1965 年 にがんで 死 去 した。<br />
■ 飽 き ■<br />
後 継 の 佐 藤 栄 作 元 首 相 も 好 景 気 に 支<br />
えられ、1968 年 に3 選 、1970 年 には 前<br />
人 未 到 の4 選 を 実 現 する。1957 年 に 大<br />
蔵 省 入 りし、 長 く 政 界 に 携 わってきた 森<br />
田 一 ・ 元 運 輸 相 は「 経 済 が 好 調 でも 佐 藤<br />
氏 は3 選 、4 選 ともに 苦 労 した。 目 新 し<br />
さを 求 める 世 論 の 中 で、 佐 藤 内 閣 への<br />
『 飽 き』の 色 彩 があった」と 述 懐 。 同 時<br />
に「 河 野 一 郎 元 農 相 や 大 野 伴 睦 元 党 副<br />
総 裁 ら、 ライバルが 次 々に 亡 くなった。<br />
長 期 政 権 の 実 現 は、 強 力 な 対 抗 馬 がい<br />
るか 否 かにもかかっている」と 指 摘 する。<br />
政 権 長 期 化 の 停 滞 感 を 防 ぐため、<br />
1980 年 には 連 続 3 選 を 禁 じる 規 定 が 導<br />
入 された。ただ、その 後 は1 期 目 や2 期<br />
目 の 途 中 で 退 陣 する 例 が 多 い。 国 民 的<br />
な 人 気 を 博 し、1997 年 に 無 投 票 で 再 選<br />
を 決 めた 橋 本 龍 太 郎 元 首 相 も、 翌 1998<br />
年 の 参 院 選 で 記 録 的 惨 敗 を 喫 して 辞 任<br />
した。<br />
例 外 は 中 曽 根 康 弘 、 小 泉 純 一 郎 両<br />
元 首 相 だ。 中 曽 根 氏 は2 期 目 の 満 了 前<br />
Kyodo<br />
秋 の 臨 時 国 会 に 党 改 憲 案 を 出 すよう 促 した 安 倍 首 相 に 異 を 唱 えた 総 裁 選<br />
対 立 候 補 の 石 破 茂 元 幹 事 長 。9 条 改 憲 をめぐり 対 決 色 を 鮮 明 にしている<br />
自 由 民 主 党 63 年 の 歴 史 で 総 裁 選 連 続 3 選 を 果 たしたのは、 池 田 勇 人 、<br />
佐 藤 栄 作 、 小 泉 純 一 郎 の3 氏 のみ。 出 馬 すれば 現 職 優 位 との 前 例 がある<br />
に 1986 年 の 衆 参 同 日 選 で 圧 勝 し、1 年<br />
間 の 任 期 延 長 が 認 められた。 小 泉 氏 は<br />
2001 年 4 月 に 新 総 裁 となり、8 月 に 無 投<br />
票 再 選 。2003 年 に3 選 した 後 、2005 年<br />
の 郵 政 選 挙 で 圧 勝 した。 中 曽 根 氏 と 同<br />
様 、 任 期 延 長 を 求 める 声 が 党 内 にあった<br />
が、 自 ら 固 辞 して 退 陣 した。<br />
小 泉 氏 の1 期 目 は 前 任 の 残 り 期 間 だっ<br />
たため、 連 続 3 選 禁 止 の 規 定 には 当 たら<br />
なかった。2017 年 、 安 倍 政 権 下 で 規 定<br />
を 見 直 し、 連 続 3 選 が 可 能 になった。<br />
■ 変 な 声 ■<br />
自 民 党 の 歴 史 で 総 裁 選 に 出 馬 した 現<br />
職 が 敗 れたのは 1978 年 の 福 田 赳 夫 元 首<br />
相 の1 例 のみだ。この 際 も 福 田 氏 圧 勝 の<br />
下 馬 評 だったが、 党 員 ・ 党 友 による 予 備<br />
選 挙 で 当 時 の 大 平 正 芳 幹 事 長 が 福 田 氏<br />
らを 抑 えてトップになった。 福 田 氏 は「 天<br />
の 声 にも 変 な 声 がある」と 未 練 を 残 しな<br />
がら 本 選 挙 を 辞 退 した。<br />
大 平 氏 の 娘 婿 でもある 森 田 氏 は「 福 田<br />
陣 営 には『 現 職 敗 北 の 前 例 は なく、 勝 利<br />
は 間 違 いない』との 緩 みがあった。こち<br />
らは 必 死 にやれば 勝 てるとの 肌 感 覚 があ<br />
り、 緊 張 感 が 違 った」と 振 り 返 る。■<br />
shutterstock.com<br />
9 条 改 憲 「 緊 急 性 低 い」<br />
石 破 氏 、 首 相 と 対 決 鮮 明<br />
自 民 総 裁 選 の 争 点 に<br />
9 月 の 自 民 党 総 裁 選 に 立 候 補 する 石<br />
破 茂 元 幹 事 長 は 8 月 17 日 、 憲 法 をテー<br />
マに 国 会 内 で 記 者 会 見 し、9 条 改 憲 は<br />
緊 急 性 が 低 いとの 認 識 を 表 明 した。「9<br />
条 は 国 民 の 理 解 を 得 て 世 に 問 うべきも<br />
のだ。その 努 力 がまだ 足 りない。 理 解 な<br />
き 改 正 をスケジュールありきで 行 うべき<br />
ではない」と 述 べた。 秋 の 臨 時 国 会 に<br />
党 改 憲 案 を 出 すよう 促 した 安 倍 晋 三 首 相<br />
との 対 決 色 を 鮮 明 にした 格 好 だ。 総 裁<br />
選 では9 条 改 憲 の 在 り 方 が 争 点 となる。<br />
改 憲 を 急 ぐべき 項 目 として、 参 院 選 の<br />
「 合 区 」 解 消 と 緊 急 事 態 条 項 の 新 設 を 改<br />
めて 挙 げた。 隣 接 県 同 士 を 一 つの 選 挙<br />
区 とする 合 区 は「 このまま 推 移 す れ ば 増<br />
える」として、2 0 21 年 を 目 標 に 改 憲 に 取<br />
り 組 むべきだと 主 張 。 緊 急 事 態 条 項 に<br />
関 し「 国 民 の 生 命 や 財 産 を 守 るため 、 災<br />
害 大 国 日 本 で 最 も 必 要 だ」と 力 説 した。<br />
9 条 については「 戦 争 の 惨 禍 を 経 験 した<br />
人 がいるうちにすべきだ」とした。<br />
また、 党 の 2012 年 改 憲 草 案 に 盛 り 込<br />
まれた「 国 は 国 政 上 の 行 為 につき 国 民 に<br />
説 明 する 責 務 を 負 う」との 条 文 新 設 も「 多<br />
くの 国 民 の 理 解 が 得 られる」と 指 摘 した。<br />
9 条 をめぐり、 石 破 氏 は 戦 力 不 保 持<br />
などを 定 めた2 項 を 削 除 し、 自 衛 隊 を「 戦<br />
力 」と 位 置 付 ける 全 面 改 正 が 持 論 。 会<br />
見 では、2 項 を 維 持 して 自 衛 隊 を 明 記 す<br />
る 首 相 提 案 に 沿 った 自 民 党 案 を「 必 要 最<br />
小 限 だから 戦 力 や 軍 隊 ではないという<br />
論 理 を 理 解 できる 方 がどれだけいるか」<br />
と 批 判 。「3 月 の 党 大 会 に 間 に 合 わせる<br />
ためにつくられた。 一 度 も 国 民 の 審 判 を<br />
受 けていない」と 疑 問 を 呈 した。「9 条<br />
に 自 衛 隊 を 明 記 することに 緊 要 性 がある<br />
と 考 えていない」とも 語 った。<br />
安 倍 首 相 は 昨 年 5 月 に9 条 2 項 を 維<br />
持 したまま 自 衛 隊 を 明 記 する 案 を 提 唱 。<br />
党 憲 法 改 正 推 進 本 部 は 今 年 3 月 に 別 立<br />
ての「9 条 の2」を 新 設 して 自 衛 隊 を 規<br />
定 する 案 をまとめたが、 党 議 決 定 はして<br />
いない。 他 に 1 緊 急 事 態 条 項 の 新 設 、<br />
2 合 区 解 消 、3 教 育 充 実 ―― と 合 わせ<br />
て 改 憲 4 項 目 としている。<br />
* 資 料 : 共 同 通 信 社