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〈 生 成 すること(Werden)〉、〈 発 生 すること(Entstehen)〉、〈 時 間 の 内 で 経 過 すること(in der Zeit<br />

Verlaufen)〉を 意 味 する」 63 と 述 べていた。この 時 点 のハイデガーにとって 哲 学 ( 現 象 学 )は、 時 間 的<br />

なもの(ハイデガーの 言 い 方 では 歴 史 的 なもの)を 了 解 するためのものであった。<br />

ところで、 哲 学 史 において 時 間 が 問 題 となるさい、「 時 間 は、それ 自 身 独 立 の 存 在 ではなく、 出<br />

来 事 に 還 元 されるべきものである」 64 のか、「それ 自 身 独 立 の 存 在 概 念 である」 65 のかということが 問<br />

われてきた。 換 言 すれば、 時 間 は 人 間 の 経 験 にすぎないのか、それとも 時 間 は 実 在 するのか、とい<br />

うことである。 我 々は 時 間 が 運 動 や 変 化 から 生 じるということを 見 てきた。たしかに、 変 化 や 運 動 は<br />

人 間 が 存 在 しなくとも 存 在 するはずである。 宇 宙 は 人 間 が 生 じるまえから 存 在 し、 展 開 し、 変 化 して<br />

きたはずだ。そしてその 展 開 は 時 間 的 であったはずである。ところが、そうした 変 化 や 展 開 は、 人 間<br />

がそれをなんらかの 様 式 で 経 験 しないかぎりは、 時 間 として 経 験 されることはない。 時 間 は、 意 識 存<br />

在 としての 人 間 によって 経 験 されないかぎり、 存 在 しないのである。 時 間 は、 変 化 や 運 動 の 経 験 とし<br />

て 存 在 する 66 。<br />

、、<br />

逆 に 言 えば、 時 間 は、つねにすでに 時 間 の 経 験 である。いいかえれば、それは 厳 密 には 時 間 そ<br />

のものではない。 時 間 としての 時 間 を 人 間 は 経 験 することはできない。 時 間 は、 人 間 にとって、 変 化<br />

や 運 動 の 経 験 として、つねになんらかのかたちで 様 態 化 されている。つまりそれは 様 態 化 された 時<br />

間 の 経 験 である。それはちょうど 存 在 そのものは 存 在 せず、 存 在 者 のみが 存 在 するのと 似 ている。<br />

「 時 間 そのもの Zeit an sich」は 物 自 体 Ding an sich のように 接 近 できない。 人 間 にとっての 時 間 は、<br />

つねにすでに、 経 験 された 時 間 である。<br />

時 間 は、 人 間 存 在 にとってのみ 開 明 される。その 点 で、 人 間 存 在 とは、 時 間 がそこで 明 らかにな<br />

る「そこ Da」である。ハイデガーにとって 人 間 は、そこで 存 在 の 問 題 が 開 示 される「そこ」としての 現<br />

存 在 =そこ 存 在 Dasein であったが、それと 同 様 に、 人 間 は 時 間 の 問 題 がそこであきらかになる 現<br />

存 在 であると 言 える 67 。 時 間 は 実 在 するのか/ 時 間 は 人 間 の 経 験 なのか、という 両 命 題 は、それゆ<br />

え、 対 立 的 に 捉 えられるべきではなくて、 弁 証 法 的 に 捉 えられるべきであろう。 両 方 とも 正 しく、 両 方<br />

とも 誤 りである。すなわち、 時 間 はたしかに 変 化 や 生 成 や 運 動 が 時 間 的 に 起 こるという 意 味 では 人<br />

間 が 存 在 しなくとも 存 在 するが、 時 間 が 問 題 化 されるとき、その 時 間 はつねにすでに 人 間 に 経 験 さ<br />

氣 多 雅 子 「 事 実 と 事 実 性 ――ハイデッガーとアーレントを 中 心 に――」『 京 都 大 學 文 學 部 研 究 紀 要 』45 号 、 京 都 大<br />

學 大 學 院 文 學 研 究 科 ・ 文 學 部 、2006 年 、12 頁 に 引 用 されており、 訳 文 もそこから 取 った。<br />

63 Ebenda, S.32. 訳 文 は 気 多 、 前 掲 論 文 、 同 頁 から 引 用 。<br />

64<br />

荒 川 幾 男 他 編 『 哲 学 辞 典 』 平 凡 社 、1971 年 、「 時 間 」の 項 。<br />

65<br />

同 上 。<br />

66 アーレントは「 人 間 が 存 在 しなくても、 運 動 や 変 化 は 存 在 しうるであろう。しかし、 時 間 は 存 在 しないだろう」と 述 べ<br />

ている(ARENDT, Hannah, The Life of the Mind: Two/ Willing, San Diego/ New York/ London: Harcourt Inc., 1978,<br />

p.42 〔 佐 藤 和 夫 訳 『 精 神 の 生 活 下 第 二 部 意 志 』 岩 波 書 店 、1994 年 、52 頁 〕)。<br />

67 ハイデガーが 次 のように 述 べる 時 、このことを 意 味 していたのである。「 確 かに 人 間 がいなかった 時 もあった。だが<br />

厳 密 に 考 えれば、 人 間 がいたことのない 時 というものはない。 時 間 は 人 間 があるかぎりでのみ 時 熟 する〔sich zeitigt〕<br />

からである。 人 間 がいなかった 時 というものはない。それは 人 間 が 永 遠 このかた 永 遠 にわたってあるからではなく、<br />

むしろ 時 間 は 永 遠 ではないから、 時 間 は 人 間 的 = 歴 史 的 現 存 在 としてそのつど 或 る 一 時 時 熟 するのみだからであ<br />

る」(HEIDEGGER, Martin, Einführung in die Metaphysik (Gesamtausgabe Bd.40), Vittorio Klostermann: Frankfurt a.M.,<br />

1983, S.90 〔 川 原 栄 峰 訳 『 形 而 上 学 入 門 』 平 凡 社 ライブラリー、1994 年 、142-143 頁 〕)。<br />

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