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なぜこのような 日 常 語 に 類 する 単 語 を 抽 象 的 な「 存 在 」という 概 念 に 充 てたのか そこには「アリス<br />
トテレスの、さらには 古 代 ギリシア 哲 学 に 特 有 な〈 存 在 了 解 〉がうかがわれる〔 略 〕。つまり、とくにそう<br />
した 意 味 をもつ 日 常 語 を 選 んで〈 存 在 〉を 指 す 術 語 に 使 ったということは、 彼 が 家 や 財 産 のもつよう<br />
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、<br />
な『 被 制 作 性 にもとづいて 存 在 者 にそなわるようになったその 使 用 可 能 性 ないしその 現 前 性 』を 存<br />
在 者 の 基 本 的 な 在 り 方 と 見 ていたからにちがいない」( 傍 点 は 橋 爪 ) 130 。<br />
ヘアゲシュテルトハイト ヘアシュテレン<br />
被 制 作 性 Hergestelltheit とは、 文 字 通 りに「 制 作 Herstellenされてあること」を 意 味 する。それが<br />
「 現 前 性 」と 同 質 に 語 られるのは、ハイデガーの「 考 えている〈 現 前 性 〉〔Anwesenheit〕とは、〈 制 作 さ<br />
れ 終 わって、それ 自 体 で 自 立 して 存 在 し、いつでも 使 用 されうる 状 態 で 眼 前 に 現 前 している〉という<br />
ことにほかならない」 131 ためである。ここで 制 作 が 存 在 論 と 結 びつく。 彼 は「 存 在 = 被 制 作 性 」という<br />
存 在 概 念 がギリシア 哲 学 に 備 わっていることを 見 出 したのだ。この 存 在 概 念 が、それ 以 降 の 存 在 論<br />
の 歴 史 を 全 て 規 定 している。だが、 彼 によるとここに 既 に 存 在 の 捉 え 損 ないが 萌 している。なぜなら<br />
なかんずく<br />
被 制 作 性 とは 存 在 者 の―― 就 中 人 間 の 道 具 の―― 存 在 様 式 であって、それを 以 って 存 在 を 語 る<br />
のはすでにしてカテゴリーエラーであるからだ。ハイデガーはそれゆえ 道 具 の 存 在 様 式 に 関 しての<br />
詳 細 な 分 析 を、『 存 在 と 時 間 』で 行 っている。<br />
話 を 戻 せば、 実 はアーレントの 仕 事 work= 制 作 Herstellen という 概 念 にはこれだけの 思 想 史 的<br />
重 みがある、という 点 が 重 要 である。 実 際 アリストテレスにおける 人 間 の 行 為 の 区 分 は「 観 想 」「 制 作 」<br />
「 実 践 」であり、これはそれぞれ『 人 間 の 条 件 』における「 思 考 」「 仕 事 」「 活 動 」と 対 応 する。じつは<br />
「 労 働 」というのは、むしろマルクスらにおいて 詳 細 に 論 じられた 活 動 力 であり、そういう 意 味 ではひ<br />
とつだけ 近 代 的 な 概 念 である(アリストテレスにおいて 労 働 は 奴 隷 に 属 するものであった)。そのた<br />
め、アーレントは 労 働 を 自 らの 思 考 のなかに 位 置 づける 上 で、 仕 事 ( 制 作 )との 関 係 において 定 義<br />
したりする 場 面 が 多 い。アーレントは 制 作 というハイデガーの 概 念 を 継 承 しつつ、それを 変 奏 して、<br />
自 己 の 概 念 に 育 てて 行 ったのであるが、 労 働 に 関 して 対 応 する 概 念 は、 管 見 の 限 りハイデガーの<br />
うちには 見 られない 132 。だからアーレントは 労 働 を 三 つの 活 動 力 のうちで 最 初 の 章 に 充 てておきな<br />
130<br />
同 上 、123-124 頁 。<br />
131<br />
同 上 、124 頁 。<br />
132<br />
若 干 の 先 取 りになるが、 労 働 は 人 間 の 生 命 に 対 応 する 活 動 力 であり、 端 的 に 言 えば「パンを 作 る」 能 力 、すなわ<br />
ち 食 べなければ 生 きられない 生 命 としての 人 間 が、 食 料 を 生 み 出 していく 活 動 力 である。このような 活 動 力 は、ハイ<br />
デガーにおいては 殆 ど 見 られてないと 言 っていい。レヴィナスがいうように、「ハイデガーの 現 存 在 は 飢 えを 知 らな<br />
い Le Dasein chez Heidegger n’a jamais faim」。レヴィナスは 言 う。「 世 界 という 概 念 を 諸 対 象 の 総 和 の 概 念 から 分 離<br />
する 試 みのうちに、 私 たちは 躊 躇 なくハイデガー 哲 学 のもっとも 深 遠 な 発 見 のひとつをみとめる。しかし『 世 界 ‐ 内 ‐<br />
存 在 』を 記 述 するために、このドイツ 人 哲 学 者 はほかでもない 存 在 論 的 合 目 的 性 の 助 けを 求 め、その 合 目 的 性 に 世<br />
界 内 の 諸 対 象 を 従 属 させるのだ」。しかし「 世 界 内 に 与 えられているものがすべて 道 具 なのではない。『 兵 営 』の 宿<br />
舎 や 掩 蔽 壕 は、 軍 隊 の 兵 站 部 にとっては〈 糧 〉である。 兵 隊 にとっては、パンや 上 着 やベッドは 資 材 ではない。それ<br />
は『のための』ものではなく、それ 自 体 が 目 的 なのだ。〔 略 〕 食 物 にいたってはなおのこと、『 資 材 』のカテゴリーには<br />
入 らない」(LÉVINAS, Emmanuel. 西 谷 修 訳 『 実 存 から 実 存 者 へ』ちくま 学 芸 文 庫 、2005 年 、86-87 頁 )。「 対 象 がぴっ<br />
たりと 欲 望 と 符 合 するというこの 構 造 は、 私 たちの 世 界 ‐ 内 ‐ 存 在 総 体 を 特 徴 づけている。いたるところで 行 為 の 対 象<br />
は、 少 なくとも 現 実 のなかでは、 実 存 することへの 気 遣 いには 結 びつかない。 私 たちの 実 存 をなしているのはこの 行<br />
為 の 対 象 なのである。 私 たちは 呼 吸 をするために 呼 吸 し、 飲 みかつ 食 らうために 飲 み 食 いし、 雨 を 避 けるために 雨<br />
、、、<br />
宿 りし、 好 奇 心 を 満 足 させるために 学 び、 散 歩 するために 散 歩 する。それらすべては 生 きるためにあるのではない。<br />
そのすべてが 生 きることなのだ。 生 きるとは 真 摯 さだ」( 同 上 、89 頁 )。「 世 界 を 日 常 的 と 呼 び、それを 非 ‐ 本 来 的 なも<br />
のとして 断 罪 することは、 飢 えと 渇 きの 真 摯 さを 見 誤 ることだ」( 同 上 、91 頁 )。<br />
アーレントは 労 働 を 概 念 化 することを 通 して、レヴィナスの「 現 存 在 は 飢 えを 知 らない」というハイデガー 批 判 に、<br />
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