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戦争と石油(5) - JOGMEC 石油・天然ガス資源情報

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戦 争 と 石 油 (5) - 世 界 最 初 の「 戦 略 石 油 備 蓄 」-石 油 不 足 は 実 際 より1 年 早 く 昭 和 18(1943) 年 末 には 激 甚 なものになっていた」と 記 されている。燃 料 としての 石 炭 と 石 油第 一 次 世 界 大 戦 では 艦 船 の 燃 料 として 石 炭 と 石 油 が 使 用 された。 石 炭 と石 油 の 比 較 は 機 能 性 だけでなく 経 済 性も 含 めてさまざまな 研 究 が 行 われていよろずた。 当 時 の 代 表 的 な 新 聞 「 万 朝 報 」 *10が 米 国 で 行 われた 実 験 の 例 ( 艦 名 、トン 数 等 不 明 )を 掲 載 している( 大 正8 年 3 月 7 日 付 )。「 燃 料 としての 石 炭 と 石 油 」の 価 値 を比 較 するため 同 じトン 数 の 汽 船 2 隻 を用 いて 世 界 を 周 航 させた。1 隻 は 石 炭 、他 の1 隻 は 石 油 を 燃 料 とした。 出 発 点は 欧 州 、 大 西 洋 を 南 下 し 南 米 南 端 のホーン 岬 を 経 由 してサンフランシスコに 到 着 、ここから 太 平 洋 を 横 断 して、スエズ 運 河 を 通 過 、 地 中 海 を 通 って 欧州 に 帰 着 した。 石 炭 使 用 の 汽 船 はこの航 海 で14 回 停 船 して 石 炭 8,500トンを 消 費 、 石 炭 代 は4 万 1,275ドル、 全航 海 に 費 やした 日 数 は300 日 ( 航 海1 8 3 日 、 港 湾 停 泊 117 日 )、 運 搬 した貨 物 は7,500トンであった。一 方 、 石 油 を 使 用 した 汽 船 は1,250トンの 石 油 搭 載 能 力 を 持 っていたが、最 初 に820トンしか 積 載 しなかったため、サンフランシスコとシンガポールに 立 ち 寄 った。 最 初 に 石 油 を 満 載 していれば 無 寄 港 航 海 も 可 能 であった。 使用 した 石 油 の 量 は1,446トン、 石 油 代は1 万 2,940ドル、 航 海 日 数 は236 日 ( 航海 140 日 、 港 湾 停 泊 96 日 = 貨 物 の 積み 下 ろし 緩 慢 が 理 由 )、 運 んだ 貨 物 は8,5 0 0トンであった。石 炭 船 には 火 夫 として14 人 が 乗 り込 み、 機 関 部 要 員 は19 人 、 石 油 船 の火 夫 は 零 、 機 関 部 員 は13 人 であった。この 様 にあらゆる 面 に 於 いて 石 油 が 優れているが、 唯 一 の 問 題 は 石 油 を 容 易に、 且 つ、 多 量 に 得 る 国 でなくてはならぬ。この 点 、 米 国 は 世 界 の 石 油 生 産量 の65%を 占 め、 石 油 が 非 常 に 豊 富なメキシコが 手 近 に 控 えている」。この 記 事 が 掲 載 された 背 景 には、 当 時 、民 間 の 運 輸 業 界 でも 石 油 と 石 炭 との 優劣 、 特 にコストが 問 われ、また、 既 に石 油 の 入 手 問 題 が 課 題 になっていたことがうかがわれる。 軍 艦 と 同 様 に 民 間船 舶 の 燃 料 も 炭 油 混 焼 を 経 て 石 油 専 焼へと 移 行 していった。表 8 石 炭 と 石 油 の 効 率 比 較石 炭 石 油燃 料 消 費 量 8,500トン 1,446トン燃 料 費 41,275ドル 12,940ドル航 海 日 数 300 日 236 日運 搬 貨 物 量 7,500トン 8,500トン火 夫 14 名 0 名機 関 部 要 員 19 名 13 名出 所 : 万 朝 報 ( 大 正 8 年 3 月 7 日 付 )兵 器 としての 航 空 機第 一 次 世 界 大 戦 時 、 日 本 は 連 合 国 軍側 に 立 ってドイツ 軍 が 守 る 中 国 の 山 東半 島 にある 青 島 要 塞 を 攻 撃 した。その際 、 海 軍 はファルマン 式 水 上 型 複 葉機 2 機 を 輸 送 船 改 造 の 特 設 水 上 機 母 艦「 若 宮 丸 」( 常 備 排 水 量 :5,895トン)に 搭 載 して 偵 察 や 爆 撃 に 使 用 した。大 戦 終 了 後 の 大 正 10(1921) 年 、海 軍 は 英 国 からセンピル 空 軍 大 佐 を 団長 とする「センピル 航 空 教 育 団 」( 総 勢しょうへい 29 名 )を 招 聘 した。この 教 育 団 は 日 英同 盟 の 関 係 もあって 英 国 空 軍 が 第 一 次世 界 大 戦 の 実 戦 で 得 た 教 訓 と 戦 術 を1年 半 にわたって 日 本 海 軍 に 教 授 した。それまで、 海 軍 の 航 空 技 術 は 初 歩 的 な段 階 にとどまっていた。 教 育 団 は、 最新 鋭 の 戦 闘 機 、 雷 撃 機 、 偵 察 機 、 飛 行艇 、 練 習 機 を 約 100 機 も 持 ち 込 み、 海軍 のパイロットたちに 空 中 戦 、 爆 撃 、電 撃 などの 高 度 な 技 術 を 教 えた。 海 軍航 空 隊 の 基 礎 をつくったのは 英 国 空 軍であった。その 後 、この 技 術 を 習 得 した 海 軍 のパイロットたちが 霞 ヶ 浦 航 空 隊 発 足 の中 心 となる。 日 本 は 明 治 初 期 の 海 軍 発足 以 来 、 英 国 海 軍 を 模 範 にして 艦 艇 からシステムに 至 るまで 英 国 式 を 学 んだが、 航 空 においても 英 国 からその 技 術と 運 用 を 導 入 した。 英 国 は 第 一 次 世 界大 戦 中 の 大 正 7(1918 年 ) 年 4 月 、 航空 機 が 主 要 な 戦 力 になると 判 断 して 陸軍 航 空 隊 と 海 軍 航 空 隊 を 合 わせて 世 界最 初 の 空 軍 を 設 立 していた。大 正 10 年 、 大 正 11(1922) 年 、 海軍 は 偵 察 艦 として 搭 載 機 15 機 の 空 母「 鳳 翔 」( 常 備 排 水 量 :9,449トン)を竣 工 させた。 海 軍 は 近 代 兵 器 としての 飛 行 機 と 空 母 に 着 目 したのである。それから20 年 、 太 平 洋 戦 争 開 始 時 の昭 和 16(1941) 年 末 、 海 軍 は 空 母 10隻 (「 鳳 翔 」「 赤 城 」「 加 賀 」「 龍 驤 」「 蒼龍 」「 飛 龍 」「 翔 鶴 」「 瑞 鶴 」「 瑞 鳳 」「 大鷹 」)の 世 界 最 大 数 の 空 母 を 保 有 していた。この 時 点 で 複 数 の 空 母 を 集 中 運用 できる 能 力 を 持 っていたのは 米 国 と日 本 だけであった。海 軍 は 空 母 の 他 に 横 須 賀 、 横 浜 、 館山 、 木 更 津 、 千 歳 、 美 幌 、 大 湊 、 佐 世保 、 佐 伯 、 鹿 屋 、 呉 、 舞 鶴 、 元 山 ( 朝 鮮 )、鎮 海 ( 朝 鮮 )、 父 島 ( 小 笠 原 )、 高 雄 ( 台 湾 )などに 基 地 航 空 隊 を 置 いた。これらの陸 上 基 地 には 戦 闘 機 だけでなく、 空 母に 搭 載 できない 双 発 の 陸 上 攻 撃 機 ( 爆撃 機 )、 水 上 機 、 輸 送 機 が 配 備 された。開 戦 前 、 海 軍 の 運 用 可 能 な 航 空 機 は3,300 機 になっていた。太 平 洋 戦 争 の 開 始 直 後 、 海 軍 は 英 国東 洋 艦 隊 の 戦 艦 「プリンス・オブ・ウェールズ」と 巡 洋 戦 艦 「レパレス」をマレー 半 島 沖 で 撃 沈 する。 攻 撃 したのは 美 幌 、 元 山 、 鹿 屋 の 各 基 地 航 空 隊 所属 の 九 六 式 陸 上 攻 撃 機 と 一 式 陸 上 攻 撃機 であった。この 戦 闘 は「マレー 沖 海戦 」と 呼 ばれるが、 世 界 で 初 めて 作 戦69 石 油 ・ 天 然 ガスレビュー

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