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戦争と石油(5) - JOGMEC 石油・天然ガス資源情報

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戦 争 と 石 油 (5) - 世 界 最 初 の「 戦 略 石 油 備 蓄 」-が 瀬 戸 内 海 や 熊 野 など 日 本 古 来 の 水軍 の 戦 法 を 研 究 して 考 案 したものとされていた。しかし、 日 本 海 海 戦 時に 防 護 巡 洋 艦 「 笠 置 」の 艦 長 であったた にん山 屋 他 人 大 佐 ( 後 に 大 将 、 連 合 艦 隊 司令 長 官 )の 発 案 であるとの 説 ( 野 村 實 ・元 防 衛 大 学 校 教 授 )がある。 山 屋 他 人が 海 軍 大 学 の 教 官 時 代 、 校 長 は 東 郷平 八 郎 であった。 野 村 説 では、 東 郷司 令 長 官 は 日 露 開 戦 以 来 、 旅 順 艦 隊との2 度 の 海 戦 、 黄 海 の 海 戦 と 計 3 回 、「 丁 字 型 戦 法 」を 使 用 したがいずれも成 功 せず、4 回 目 の 日 本 海 戦 でようやく 成 功 したとしている。 日 本 海 海 戦かみ むら ひこの 前 、 第 二 艦 隊 の 上 村 彦の之じょう丞ウルサン司 令 官がウラジオ 艦 隊 と 戦 った 蔚 山 沖 海 戦で「 丁 字 戦 法 」を 使 用 し 成 功 した。「 丁 字 戦 法 」は 日 露 戦 争 の 開 戦 直 前に 作 成 された「 連 合 艦 隊 戦 策 」で 日 本海 軍 の 戦 術 とされ、 東 郷 司 令 長 官 は日 本 海 海 戦 でこの 戦 策 を 規 定 どおりに 採 用 したとされる。石 炭 から 石 油 へ燃 料 としての 石 炭 ( 固 形 燃 料 )は、重 油 ( 液 体 燃 料 )と 比 較 して 同 一 重 量では 発 生 熱 量 が6 割 程 度 しかない。そのため 重 油 と 同 一 の 熱 量 を 得 るために 石 炭 は 少 なくとも4 割 増 の 量 が 必 要であった。洋 上 で 石 炭 の 補 給 を 行 う 時 、 艦 隊は 停 船 した。また、 荒 天 や 波 が 高 い 時 、補 給 は 無 理 であったし、 可 能 な 時 でも 必 要 な 労 力 と 時 間 は 大 変 なものであった。 機 関 長 は 常 に 残 存 の 石 炭 量に 注 意 しながら 運 航 する 必 要 があり、これが 戦 闘 艦 の 燃 料 として 大 きな 問題 であった。この 軍 艦 の 燃 料 に 石 炭 から 重 油 への 切 り 替 えという 大 きな 変 化 がやってきた。 海 軍 は 軍 艦 の 燃 料 を 石 炭 から 重 油 へ 切 り 替 える 研 究 を 日 露 戦 争中 から 行 っていた。まず、 水 雷 艇 「 小鷹 」( 常 備 排 水 量 :203トン)に 重 油 専焼 缶 を 取 り 付 けて 操 作 方 法 を 研 究 した 後 、 明 治 39(1906) 年 、 通 報 艦 *4 「 八重 山 」( 常 備 排 水 量 :1,609トン)に 重油 専 焼 缶 を 取 り 付 けて 燃 焼 実 験 を行 った。 最 初 に 重 油 を 燃 やして( 混 焼式 ) 航 海 をしたのは、 明 治 41(1908)年 3 月 に 呉 工 廠 で 竣 工 した 装 甲 巡 洋 艦「 生 駒 」( 常 備 排 水 量 :1 万 3,750トン)であった。海 軍 はその 創 設 時 から 主 力 艦 は 英国 、フランス、イタリア、ドイツで建 造 されたものを 使 用 していた。 国内 の 造 船 技 術 の 進 歩 とともに、「 須 磨 」「 明 石 」「 新 高 」など2,000 ~ 3,000トン 級 の 軽 巡 洋 艦 は 国 産 されていたが、「 生 駒 」のように1 万 トンを 超 える 大 艦の 建 造 は 国 内 で 初 めてであった。1 万トンを 超 える 軍 艦 は「 生 駒 」の 同 型 艦「 筑 波 」が 1 年 早 く 同 じ 呉 工 廠 で 竣 工 している。「 筑 波 」は 石 炭 専 焼 式 であったが、「 生 駒 」の 成 功 後 、 混 焼 缶 式 に改 造 された。「 生 駒 」の 機 関 は 石 炭 ・ 重 油 の 混 焼缶 を 装 備 、レシプロ 式 機 関 *5 で2 万5 0 0 馬 力 、 最 大 速 力 20.5ノットを 出 した。 燃 料 搭 載 量 は 石 炭 1,911トン、 重油 160トン、 石 炭 が 主 、 重 油 が 従 の運 用 であった。 混 焼 缶 の 導 入 の 結 果 、生 駒 の 馬 力 は10 ~ 15% 上 昇 することが 認 められた。明 治 43(1910) 年 に 横 須 賀 工 廠 で竣 工 した「 薩 摩 」( 常 備 排 水 量 :1 万 9,372トン)は 日 本 が 独 力 で 設 計 、 建 造 した最 初 の 戦 艦 であった。「 薩 摩 」は 戦 艦として 初 めて 混 焼 缶 を 装 備 した。1 万7,300 馬 力 、 最 大 速 力 18.3ノットを 出 し、燃 料 搭 載 量 は 石 炭 2,860トン、 重 油3 7 7 トンであった。海 軍 で 最 初 の 重 油 専 焼 式 の 軍 艦 は、英 国 のヤロー 社 で 建 造 された 一 等 駆逐 艦 「 浦 風 」( 常 備 排 水 量 :907トン)であった。この 艦 は 重 油 専 焼 缶 を 搭載 し、タービン 式 機 関 *6 によって2 万2,0 0 0 馬 力 、 最 大 速 力 30ノットを 出 した。この 時 期 、 重 油 の 専 焼 缶 の 性 能は 不 安 定 であったため、「 浦 風 」には別 に 石 炭 ・ 重 油 の 混 焼 缶 も 搭 載 されていた。重 油 専 焼 缶 だけを 搭 載 した 最 初 の軍 艦 は、 大 正 8(1919) 年 12 月 に 竣 工した 二 等 駆 逐 艦 「 樅 」( 常 備 排 水 量 :850トン)であった。 重 油 専 燃 缶 、2 万 1,500 馬 力 、タービン 式 機 関 で36ノットの 高 速 を 出 した。興 味 深 いのは、 日 本 海 軍 は 巡 洋 艦 、駆 逐 艦 の 中 小 型 艦 には 比 較 的 早 い 大正 時 代 に 重 油 専 焼 缶 を 導 入 していることである。その 後 の 太 平 洋 戦 争 を戦 った 戦 艦 で、 大 正 時 代 に 竣 工 した「 金 剛 」( 竣 工 1913 年 )、「 比 叡 」( 同1914 年 )、「 榛 名 」( 同 1915 年 )、「 霧島 」( 同 1915 年 )、「 桑 名 」( 同 1914年 )、「 山 城 」( 同 1917 年 )、「 伊 勢 」( 同 1917 年 )、「 日 向 」( 同 1918 年 )、「 長 門 」( 同 1920 年 )、「 陸 奥 」( 同1921 年 )は、 当 初 、 全 て 混 焼 缶 、ないしは、 混 焼 缶 + 重 油 専 焼 缶 であった。その 理 由 は、 戦 艦 は 主 力 艦 であったため 石 油 を 産 しない 日 本 で、 万 一 、重 油 が 確 保 できない 場 合 を 考 慮 してのことであった。 海 軍 は 重 油 に 切 り替 えたものの 石 油 の 確 保 に 懸 念 を 抱いていたのである。これらの 戦 艦 は 昭 和 に 入 ると 近 代化 のために 重 油 専 焼 式 へと 改 造 されていった。この 重 油 化 は 戦 艦 の 性 能を 高 性 能 、 高 効 率 化 した。 重 油 専 焼式 は 混 焼 式 と 比 較 して、タービンとボイラーの 重 量 が 半 分 になり、 出 力は2 倍 に 上 昇 した。そして、 重 量 と 容積 が 減 少 した 分 、 新 たな 兵 装 ( 砲 )を加 えることができた。純 粋 な 重 油 専 焼 式 として 竣 工 した戦 艦 は「 大 和 」と「 武 蔵 」であった。この 両 戦 艦 はワシントン 海 軍 軍 縮 条 約が 無 効 になった 昭 和 12(1937) 年 に起 工 され、 昭 和 16(1941) 年 と17 年(1942) 年 に 竣 工 した。「 陸 奥 」 以 来 、15 年 ぶりの 戦 艦 の 竣 工 であった。この 両 戦 艦 は、 当 初 、 燃 料 の 消 費61 石 油 ・ 天 然 ガスレビュー

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