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戦争と石油(5) - JOGMEC 石油・天然ガス資源情報

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戦 争 と 石 油 (5) - 世 界 最 初 の「 戦 略 石 油 備 蓄 」-られず、 操 られていた 日 本 の 情 報 収集 ・ 分 析 能 力 では 世 界 戦 争 を 戦 える 段階 に 達 していなかったとも 言 える。「 英 国 を 降 伏 させ、 米 国 を 和 平 に 導く」という 発 想 は、 昭 和 1 6(1 9 4 1) 年8 月 、ニューファンドランド 沖 の 戦 艦プリンス・オブ・ウェールズの 艦 上でチャーチル 英 国 首 相 とルーズベルト 米 大 統 領 が 会 談 して「 大 西 洋 憲 章 」を 作 成 していたことを 勘 案 すると、現 実 性 を 伴 わない 単 なる 机 上 の 作 文に 過 ぎなかった。米 和 平 交 渉 のカードとしての 占 領地 のゴム、スズの 提 供 等 については、米 国 は 昭 和 16 年 10 月 、 国 家 プロジェクトとして 合 成 ゴムの 開 発 を 行 うためのゴム 準 備 公 団 (Rubber ReserveCompany:RRC)を 設 立 し、 大 量 生 産体 制 を 既 に 始 動 させていた。情 報 収 集 の 世 界 では「 必 要 な 情 報 の9 割 以 上 は 公 開 情 報 から 得 ることができる」との 言 葉 がある。 昭 和 1 6 年 5 月14 ~ 17 日 付 日 本 工 業 新 聞 の 記 事 「 米国 化 学 工 業 の 現 状 (1 ~ 4)」には「 米 国は 合 成 ゴムの 生 産 に 躍 起 。 合 成 ゴムの 成 分 は 全 て 米 国 内 で 調 達 可 能 。この 一 両 年 で 消 費 量 の8%、3 ~ 4 年 で25%の 生 産 を 計 画 」と 書 かれている。また、 昭 和 17 年 1 月 5 日 の 同 紙 の 記 事「 合 成 樹 脂 工 業 と 合 成 ゴム 工 業 の 関係 」には「 現 在 、 米 国 の 合 成 ゴムの 製造 能 力 は 年 11 万 トン、 南 洋 ゴムの 入手 不 可 能 につき 年 22 万 トン 生 産 体 制へ」との 記 述 がある。 米 国 は 戦 争 最 終年 の1945 年 には 年 間 72 万 トンの 合成 ゴムを 生 産 した。 国 際 情 勢 だけでなく 敵 国 の 経 済 、 産 業 、 生 産 力 に 関して 国 内 での 情 報 収 集 も 十 分 に 行 われていなかった。急 速 に 不 足 する 石 油開 戦 後 、 日 本 軍 は 南 方 の 油 田 地 帯を 占 領 して 復 旧 活 動 を 行 う。 南 方 石油 の 還 送 は 昭 和 17 年 149 万 kl、18油 田 名 昭 和 17 年 昭 和 18 年 昭 和 19 年 昭 和 20 年 計サンガサンガ 297 832 423 5 1,557タラカン 158 381 210 749セラム 0.3 2.3 0.3 2.9ニューギニア 0 1 3 4計 455.3 1,216.3 636.3 5 2,312.9出 所 : 日 本 海 軍 燃 料 史年 265 万 klと 順 調 に 行 われ、 予 測 された17 年 30 万 kl、18 年 200 万 klよりも 多 い 量 が 日 本 へ 還 送 された。しかし、 昭 和 19 年 になると 米 海 軍 の潜 水 艦 の 活 動 が 活 発 になる。 強 力 な護 衛 艦 隊 を 持 たない 日 本 の 油 槽 船 は大 量 に 撃 沈 されるようになり、 日 本への 還 送 石 油 は 急 激 に 減 少 していった。 昭 和 19 年 の 還 送 石 油 の 見 込 み 量は450 万 klであったが、 実 際 に 還 送された 量 は106 万 klに 過 ぎなかった。戦 争 中 の 石 油 需 給 では 国 産 原 油 、人 造 石 油 、 南 方 からの 還 送 を 含 めた供 給 量 では 需 要 量 を 賄 うことができなかった。 開 戦 直 前 、 日 本 の 石 油 備蓄 量 は 海 軍 の 数 値 で859 万 kl、 企 画院 の 数 値 では840 万 klであった。 需給 のバランスでは 供 給 量 の 不 足 分 をじゅうてん この 備 蓄 量 で 充 填 しても 約 500 万 klの 不 足 となる。この 不 足 分 は 少 し 量が 多 いが 大 部 分 、 海 軍 艦 艇 に 現 地 パ表 20 海 軍 地 区 油 田 別 生 産 量 (1,000kl)表 21 陸 軍 地 区 油 田 別 生 産 量 (1,000kl)油 田 名 昭 和 17 年 昭 和 18 年 昭 和 19 年 昭 和 20 年 計ジャンビ 521 998 1,118 192 2,829タランジマーツ 416 776 395 118 1,705ペンドッポ 984 1,953 1,296 331 4,564マングンジャヤ 182 306 173 84 745北 スマトラ (390) (780) (390) - (1,560)ジャワ 310 579 391 244 1,524ミリ 411 792 346 - 1,549計 3,214 6,184 4,109 969 14,476合 計 3,669.3 7,400.3 4,745.3 974 16,788.9( 注 「ビルマの ) 生 産 量 を 含 まず、 南 方 地 区 生 産 量 表 の 数 値 と 一 致 しない。 北 スマトラの( )は 推 定 値 。計 は 実 績 。 合 計 は 海 軍 、 陸 軍 地 区 両 油 田 の 計 。出 所 : 日 本 海 軍 燃 料 史レンバン(シンガポール 他 )で 補 充 されたと 推 測 される。ただ 戦 時 中 の 需給 数 値 には 各 種 ありどれが 正 確 とは言 えないのが 実 情 である。 石 油 を 本土 に 還 送 する 油 槽 船 の 不 足 、 海 没 によって 現 地 では 普 通 揮 発 油 、 灯 油 が過 剰 状 態 となりその 一 部 は 放 流 、 燃焼 されていた。ただ、 還 送 については 幾 つかの 問 題 が 生 じていた。その内 容 について 当 事 者 は 次 のように 記している。「 油 槽 船 の 建 造 量 はその 量 だけの 点から 言 えば 目 標 に 到 達 したけれども、そのでき 栄 えがよくなかったため、故 障 が 多 く 稼 行 率 は 余 りよくなかった。また、 貨 物 船 の( 応 急 油 槽 船 への)しんちょく 改 造 は 工 事 は 予 定 どおり 進 捗 したが、ろう えいその 輸 送 力 はタンクの 漏 洩 、 積 卸 性能 不 良 等 のため 甚 だしく 予 想 と 異 なるものがあって 所 期 の 目 的 は 達 し 得なかった。 機 帆 船 タンカーの 建 造 は79 石 油 ・ 天 然 ガスレビュー

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