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戦争と石油(5) - JOGMEC 石油・天然ガス資源情報

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戦 争 と 石 油 (5) - 世 界 最 初 の「 戦 略 石 油 備 蓄 」-進 展 とともにこの 特 別 会 計 は 膨 張 に膨 張 を 重 ねることになった。 陸 軍 、海 軍 とも 継 続 する 日 華 事 変 は 予 算 に拘 束 されない 戦 費 を 得 て 装 備 を 充 実させることに 繋 がった。では、その 財 源 は 何 によって 賄 われたのであろうか。 大 部 分 (8 割 )が 公債 、 占 領 地 の 現 地 通 貨 の 借 入 金 で、その 他 は 一 般 会 計 、 帝 国 鉄 道 、 朝 鮮総 督 府 、 台 湾 総 督 府 特 別 会 計 からの繰 り 入 れが 行 われた。 公 債 は 支 那 事変 公 債 、 大 東 亜 戦 争 公 債 発 行 などによった。これらの 公 債 は 太 平 洋 戦 争の 終 結 後 、 発 生 した 猛 烈 なインフレでただ 同 然 になった。つまり 国 民 が購 入 した 公 債 は 紙 切 れになってしまったのである。統 帥 権 を 後 押 しした 政 党政 治 面 では、 政 友 会 ( 野 党 )の 犬 養毅 と 鳩 山 一 郎 が、「 浜 口 内 閣 ( 民 政 党 )が 軍 縮 条 約 を 締 結 したのは、 統 帥 権の 独 立 を 侵 す 行 為 である」として 政 府かんを 攻 撃 した。これは 後 に「 統 帥 権 干ぱん犯 」 問 題 として、この 力 に 気 が 付 いた陸 軍 に 使 用 され 政 治 を 軍 部 の 支 配 下に 置 く 武 器 となった。 政 党 が 軍 部 に新 兵 器 を 渡 したのである。 言 葉 の 強烈 さで 政 界 を 震 撼 させた「 統 帥 権 干犯 」は、 当 時 、 右 翼 の 大 物 として 隠 然たる 勢 力 を 持 ち、2.26 事 件 に 関 係 したとして 処 刑 された 北 一 輝 の 造 語 とも言 われている。この 時 期 、 軍 令 部 はい あく天 皇 に 軍 縮 反 対 の 意 見 を 伝 える「 帷 幄じょうそう上 奏 問 題 」 *8 を 起 こす。 昭 和 5(1 9 3 0)お さち年 4 月 、 浜 口 雄 幸 首 相 が 代 表 団 への 回答 案 「 条 約 を 妥 結 すべき」を 天 皇 に 上奏 する 予 定 になっていた。 加 藤 軍 令部 長 は 首 相 より 先 に「 断 固 反 対 」を 天皇 へ 上 奏 することを 申 し 出 た。 鈴 木貫 太 郎 侍 従 長 ( 後 の 首 相 )がそれを 思いとどまらせ、 翌 日 、 軍 令 部 長 は 上奏 した。 後 に、 軍 令 部 はこれを「 上 奏権 干 犯 」と 攻 撃 した。 昭 和 天 皇 は 戦 後 、「 当 時 海 軍 省 と 軍 令 部 が 相 反 していたたから べ たけしので、 財 部 ( 彪 海 相 )としてはこの 際しま断 然 軍 令 部 長 を 更 迭 して 終 へばよかったのを、ぐずぐずしていたから事 が 紛 糾 したのである」( 昭 和 天 皇 独白 録 )と 述 べている。浜 口 首 相 はこの 問 題 によって、 右翼 団 体 「 愛 国 社 」の 青 年 、 佐 郷 屋 留 雄に 東 京 駅 で 狙 撃 された。 重 傷 を 負 った 浜 口 首 相 は 療 養 中 に 政 友 会 の 執 拗な 登 院 要 請 によって 国 会 に 出 席 する。この 登 院 が 傷 口 を 悪 化 させて、 首 相 は翌 年 に 死 亡 する。 首 相 以 下 が、「 条 約を 受 け 入 れるべし」と 主 張 したのは、当 時 の 国 内 経 済 の 不 況 、 日 本 の 財 力 、国 力 を 勘 案 すると「 緊 縮 財 政 が 必 要 である」と 判 断 した 結 果 であった。旧 憲 法 には、「 天 皇 は 陸 海 軍 を 統 帥し、 編 成 及 び 常 備 兵 力 を 定 む( 第 11ほ ひつ条 )」「 兵 力 量 は 陸 海 軍 大 臣 が 輔 弼 する( 第 1 2 条 )」との 条 項 があって、 兵 力量 は 陸 海 軍 大 臣 が 内 閣 の 一 員 である政 府 が 議 会 の 承 認 を 得 て 決 定 することになっていた。 軍 令 部 はこれを 拡大 解 釈 して 兵 力 量 も 統 帥 権 に 属 すると 主 張 したのであった。伏 見 宮 博 恭 王 と 東 郷 平 八 郎元 帥ロンドン 軍 縮 会 議 の 直 後 の 昭 和 7(1932) 年 2 月 、 日 本 海 海 戦 の 英 雄 で聖 将 とされていた 東 郷 平 八 郎 元 帥 と加 藤 寛 治 軍 令 部 長 の 強 い 主 張 によっふし み のやひろやすおう て 伏 見 宮 博 恭 王 が 軍 令 部 長 に 就 任 した。この 就 任 は 軍 令 部 ( 艦 隊 派 )がその 権 限 を 強 化 するのが 大 きな 目 的 であった。 伏 見 宮 は、 昭 和 16 年 4 月 に軍 令 部 長 を 退 任 するまで、 以 後 9 年 間 、絶 対 的 な 力 を 持 って 海 軍 内 に 君 臨 することになる。その 後 、 艦 隊 派 の 背後 には、 常 に 伏 見 宮 と 東 郷 元 帥 が 座 っていた。軍 令 部 長 の 名 称 は 昭 和 8(1933) 年に 陸 軍 の 参 謀 総 長 ( 閑 院 宮 )に 合 わせて 軍 令 部 総 長 と 改 称 された。 海 軍 は常 に 陸 軍 との 横 並 びを 求 めていたのであった。 伏 見 宮 はドイツ 海 軍 兵 学校 への 留 学 、 日 露 戦 争 では 旗 艦 「 三笠 」の 後 部 砲 塔 指 揮 官 として 黄 海 開 戦に 参 戦 、 第 一 次 世 界 大 戦 前 の 英 独 の艦 艇 建 造 競 争 期 には 英 国 駐 在 、その後 、 第 二 艦 隊 司 令 長 官 など 豊 富 な 実務 経 験 と 知 識 を 持 ち、 人 事 面 にも 精通 した 実 力 派 の 軍 令 部 総 長 として 君臨 した。 伏 見 宮 はその 実 務 経 験 から艦 隊 派 的 、 大 艦 巨 砲 主 義 的 な 志 向 が強 かった。伏 見 宮 が 軍 令 部 長 に 就 任 すると 軍令 部 は「 軍 令 部 令 」と「 省 部 互 渉 規 定 」の 改 定 に 成 功 する。この 軍 令 部 の 権限 を 強 化 する 改 定 は、 後 に、 軍 令 部が 開 戦 への 道 を 独 走 する 助 走 器 の 役割 を 果 たすことになる。次 に、 人 事 面 に 影 響 が 現 われた。昭 和 8(1933) 年 から 同 9(1934) 年にかけて 行 われた「 大 角 人 事 」がそれおお すみ みね おである。 時 の 大 角 岑 生 海 相 は 条 約 派の 将 官 を 一 気 に 予 備 役 に 編 入 ( 退 役 )した。 条 約 派 は 財 部 彪 海 相 、 山 梨 勝之 進 海 軍 次 官 、 堀 悌 吉 海 軍 省 軍 務 局長 など 海 軍 省 の 上 層 部 に 多 かった。ロンドン 軍 縮 会 議 時 の 海 軍 省 次 官 山梨 勝 之 進 大 将 、 軍 縮 条 約 を 順 守 し 満 州事 変 後 の 海 軍 増 強 を 認 めなかった 軍 令なお み部 長 の 谷 口 尚 真 大 将 、ロンドン 軍 縮 会さ こん じ せいぞう議 首 席 随 員 の 左 近 司 政 三 中 将 、 満 州 事変 時 の 海 軍 省 軍 務 局 長 寺 島 健 中 将 、ロンドン 軍 縮 会 議 時 の 海 軍 省 軍 務 局 長 堀悌 吉 中 将 など、 将 来 の 海 軍 を 担 う 首 脳部 人 材 が 更 迭 された。これらの 将 官 はワシントン 軍 縮 会議 全 権 の 加 藤 友 三 郎 大 将 の 人 脈 につながっていた。 国 際 協 調 主 義 を 採 る将 官 の 予 備 役 編 入 は、 日 華 事 変 以 降 、日 米 関 係 が 険 悪 化 した 時 、 海 軍 が 調整 、 交 渉 に 堪 え 得 る 有 用 な 人 材 を 投入 できず、 太 平 洋 戦 争 に 突 入 する 主原 因 の 一 つになった。ロンドン 軍 縮会 議 の 全 権 であった 財 部 彪 海 相 はこの65 石 油 ・ 天 然 ガスレビュー

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