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18 SAN DIEGO YU-YU JANUARY 1, <strong>2024</strong><br />
紫 式 部 の 像 = 京 都 府 宇 治 市<br />
見 る 目 が 深 い」。 愛 や 執 着 、 憎 しみ…。<br />
藤 原 道 長 に 対 しても、さまざまな 思 い<br />
を 抱 き な が ら 特 別 な 絆 で 結 ば れ る 。「 絡<br />
み 合 う 2 人 の 感 情 を 描 きたい」<br />
紫 式 部 の 人 生 に 思 い 馳 せ<br />
京 都 、ゆかりの 地 歩 く<br />
「 光 る 君 へ」の 主 人 公 、 紫 式 部 が 源<br />
氏 物 語 を 執 筆 した 地 、 京 都 。 彼 女 の<br />
生 涯 を 深 く 知 るため、ゆかりの 場 所 に<br />
足 を 運 んだ。<br />
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JR 京 都 駅 からバスと 徒 歩 で 約 25<br />
分 かけて 京 都 御 所 の 近 くにある 廬 山<br />
寺 へ。 約 60 年 前 に 専 門 家 の 考 証 に<br />
より 紫 式 部 の 邸 宅 跡 地 であるとされた<br />
場 所 で、 廬 山 寺 は 1573 年 に 移 転 して<br />
きた。 紫 式 部 はこの 地 で 結 婚 生 活 を<br />
送 り、 娘 を 育 てながら 源 氏 物 語 を 書<br />
いたという。<br />
敷 地 には 平 安 時 代 をイメージした<br />
「 源 氏 庭 」が 整 備 されており、6 月 〜<br />
9 月 はキキョウを 楽 しめる。 建 物 の 中<br />
では、 紫 式 部 の 像 や 源 氏 物 語 関 連 の<br />
展 示 も 見 られる。<br />
京 都 市 北 区 の 北 大 路 堀 川 のバス 停<br />
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朱 色 の 欄 干 が 美 しい 朝 霧 橋 = 京 都 府 宇 治 市<br />
から 約 100 メートル 南 に、 紫 式 部 の<br />
ものとされる 墓 がある。 入 り 口 はひっ<br />
そり。 名 前 は 分 からないが、 紫 色 の<br />
実 が 彩 っていた。 奥 に「 紫 式 部 墓 」<br />
と 書 かれた 石 があり、 手 を 合 わせて<br />
紫 式 部 が 歩 んだ 人 生 に 思 いを 馳 せた。<br />
電 車 に 乗 り、 源 氏 物 語 終 盤 の「 宇<br />
治 十 帖 」の 舞 台 、 京 都 府 宇 治 市 へ。<br />
宇 治 川 に 架 かる 宇 治 橋 のたもとに 紫<br />
式 部 の 像 があり、そこから 10 分 ほど<br />
歩 くと、 朝 霧 橋 に 到 着 。 日 光 を 浴 び<br />
て 美 しく 映 える 朱 色 の 欄 干 に 見 とれ<br />
た。 近 くには 宇 治 十 帖 の 登 場 人 物 の<br />
匂 宮 と 浮 舟 が 寄 り 添 っている 像 もあ<br />
る。<br />
JR 宇 治 駅 から 徒 歩 約 15 分 。「 宇 治<br />
市 源 氏 物 語 ミュージアム」は、 源 氏<br />
物 語 の 魅 力 を 伝 える 施 設 だ。 平 安 時<br />
代 の 貴 族 の 生 活 を 再 現 、 実 物 大 の 牛<br />
車 の 模 型 もある。まるで 平 安 時 代 に<br />
入 り 込 んだような 気 分 を 味 わえた。 映<br />
像 による 解 説 のほか、 男 性 が 御 簾 や<br />
垣 根 越 しに 女 性 の 様 子 をのぞき 見 る<br />
という「 垣 間 見 」の 体 験 もできて 面 白<br />
い。 源 氏 物 語 を 読 んだことのない 人 も<br />
親 しめる。<br />
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す<br />
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宇 治 十 帖 の 登 場 人 物 の 匂 宮 と 浮 舟 の 像 = 京 都 府 宇 治 市<br />
普 遍 的 な 心 理 細 やかに 書 く<br />
東 京 大 大 学 院 の 高 木 教 授<br />
源 氏 物 語 の 魅 力 はどこにあるのだろうか。『 源<br />
氏 物 語 入 門 』などの 著 書 がある 東 京 大 大 学 院 の<br />
高 木 和 子 教 授 ( 国 文 学 )に 聞 いた。<br />
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源 氏 物 語 と 聞 くと、「 主 人 公 の 光 源 氏 がさまざま<br />
な 女 性 と 恋 愛 する 話 」と 避 ける 人 がいるかもしれ<br />
ないが、 決 して 恋 愛 だけを 書 いているのではない。<br />
政 治 闘 争 や 親 子 関 係 を 巡 る 話 など、 話 題 は 多 岐 にわたる。 普 遍 的 な<br />
人 間 の 心 理 が 細 やかに 書 かれ、いつの 時 代 の 人 が 読 んでも 共 感 でき<br />
る 内 容 だからこそ、 長 く 読 まれてきたのだろう。<br />
源 氏 物 語 には 多 くの 和 歌 が 含 まれ、 詠 んだ 人 物 ごとに 特 徴 が 出 るよ<br />
うに 書 かれている。また、 和 歌 以 外 の 地 の 文 での 説 明 も 巧 みだ。 後<br />
の 作 品 に 大 きな 影 響 を 与 えた、 突 出 した 物 語 といえる。<br />
平 安 時 代 に 紙 や 墨 は 手 に 入 りづらく、 紫 式 部 の 執 筆 活 動 は 藤 原 道<br />
長 が 支 援 したとみられている。 源 氏 物 語 が 後 世 まで 残 ったのは、 文<br />
化 を 残 そうとする 道 長 の 意 識 が 高 かったからだろう。<br />
高 木 和 子 ( たかぎ・かずこ ) : 1964 年 、 兵 庫 県 生 まれ。<br />
宇 治 市 源 氏 物 語 ミュージアムの 展 示 。 平 安 時 代 の 貴<br />
族 の 生 活 を 再 現 している= 京 都 府 宇 治 市<br />
宇 治 市 源 氏 物 語 ミュージアム= 京 都 府 宇 治 市<br />
東 京 大 大 学 院 ・ 高 木 和 子<br />
教 授<br />
記 事 & 写 真 提 供 : 共 同 通 信 社<br />
宇 治 市 源 氏 物 語 ミュージアムに 展 示 されている 牛 車<br />
の 模 型 = 京 都 府 宇 治 市