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『ICU 比 較 文 化 』42〔2010〕<br />
Article accepted Oct. 31, 2008 *<br />
ICU Comparative Culture<br />
No.42 [2010], pp. 77-121<br />
<br />
<br />
星 野 文 子<br />
I<br />
1926 年 5 月 1 日 刊 の 文 芸 誌 『 日 本 詩 人 』の 巻 頭 文 で、 内 田 魯 庵 は「 日 本 の 文 芸<br />
家 からノーベル 賞 金 の 受 領 者 を 詮 衝 するとしたら、 差 向 き 第 一 に 選 に 上 るは 野 口<br />
ヨネ 君 であらう」 (1) と 書 き 出 した。 インド 出 身 のタゴール(Rabindranath<br />
Tagore: 1861-1941)が、アジア 人 として 初 めてノーベル 文 学 賞 を 受 賞 したのは<br />
1913 年 であった。 野 口 ヨネ 君 とは、 本 名 を 野 口 米 次 郎 といい、 日 本 ではヨネ・<br />
ノグチ、 海 外 ではYone Noguchi としても 知 られている 人 物 である。 内 田 魯 庵 は<br />
その 当 初 から、 日 本 人 の 中 から 候 補 者 を 出 すとすればノグチだと 持 論 を 説 いてい<br />
た。<br />
ノグチは、17 歳 の 終 わりに 単 身 渡 米 し、いつしか 詩 人 を 志 すようになった。<br />
1897 年 、 日 本 人 として 初 めて 英 詩 集 『 明 界 と 幽 界 』 (2) をカリフォルニア 州 で 出 版<br />
した 後 、 渡 英 し、ロンドンで 自 費 出 版 した 詩 集 『 東 海 より』 (3) は、 日 本 人 として<br />
初 めてロンドンの 文 壇 に 認 められた。10 年 にも 及 ぶ 英 米 生 活 から 帰 国 後 も 執 筆<br />
を 続 け、その 72 年 の 生 涯 を 閉 じるまでに 書 かれた 著 作 は、 日 本 語 と 英 語 のもの<br />
を 合 わせて、のべ184 冊 にも 上 るほか (4) 、 国 内 外 の 新 聞 や 雑 誌 への 寄 稿 は 数 百 に<br />
も 上 る。ノグチは 自 身 を 詩 人 と 呼 んだが、 詩 の 他 にも、 日 本 の 文 化 、 特 に 浮 世<br />
絵 、 能 、 俳 句 などについて 英 文 によって 西 洋 に 発 信 したり、 自 身 の 西 洋 での 体 験<br />
を 日 本 人 向 けに 伝 え、 文 学 論 、 芸 術 / 美 術 論 などを 多 く 手 がけた 文 化 大 使 でも<br />
あった。また、このように 実 際 に 英 文 学 に 通 じていたノグチは、1906 年 から、<br />
慶 應 義 塾 大 学 英 文 科 の 教 授 であった。そして、 何 よりも、 世 界 中 を 舞 台 に 作 品 を<br />
残 した 彫 刻 家 、イサム・ノグチの 父 親 でもあった。1947 年 7 月 13 日 にノグチが
78<br />
他 界 すると、 日 本 人 詩 人 として、ニューヨーク・タイムズ 紙 にも 死 亡 記 事 が 掲 載<br />
された (5) 。これほどの 国 際 的 な 業 績 を 伴 った 劇 的 な 人 生 ならば、 既 に 神 話 化 さ<br />
れていても 不 思 議 ではないはずであるが、ノグチに 限 って、 日 本 では 未 だに 殆 ど<br />
知 られていないどころか、ごくごく 断 片 的 な 研 究 しかされていない。 何 が、 今 日<br />
に 至 るまでノグチの 知 名 度 をかくも 隠 ぺいしてきたのだろうか?<br />
ノグチの、 日 本 人 として 稀 にみる 業 績 と、 今 日 の 無 視 のされ 方 との 間 に 横 たわ<br />
るギャップは、あまりに 深 く 大 きい。なぜこのような 状 況 が 生 じたのだろうか?<br />
その 一 番 大 きな 要 因 は、ノグチ 自 身 が 1921 年 ( 大 正 10 年 )に 出 版 した 彼 の 初 め<br />
ての 日 本 詩 集 『 二 重 国 籍 者 の 詩 』に 収 められた 自 らを 語 る 序 詩 にあると 考 える。<br />
日 本 人 が 僕 の 詩 を 読 むと、<br />
「 日 本 語 の 詩 はまずいね、だが 英 語 の 詩 は 上 手 だろうよ」といふ。<br />
西 洋 人 が 僕 の 詩 を 読 むと、<br />
「 英 語 の 詩 は 読 むに 堪 えない、 然 し 日 本 語 の 詩 は 定 めし 立 派 だらう」と<br />
いふ。<br />
実 際 をいふと、<br />
僕 は 日 本 語 にも 英 語 にも 自 信 が 無 い。<br />
云 わば 僕 は 二 重 国 籍 者 だ・・・・<br />
日 本 人 にも 西 洋 人 にも 立 派 になりきれない 悲 しみ・・・・<br />
不 徹 底 の 悲 劇 ・・・・<br />
馬 鹿 な、そんなことを 云 うにはもう 時 既 に 遅 しだ。<br />
笑 ってのけろ、 笑 ってのけろ! (6)<br />
当 時 の 日 本 人 には 容 易 には 為 し 遂 げられないほど 多 くの 業 績 を 積 み 上 げた、 当<br />
時 50 歳 直 前 のノグチは、この 詩 で、 表 面 的 には 謙 遜 や 自 嘲 を、そして、 水 面 下<br />
では、 日 本 と 英 米 両 方 に 通 ずるという 特 権 を 自 信 と 誇 りをもって 表 わしたかった
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 79<br />
と 読 むこともできる。だが、この 序 詩 が、あまりに 文 字 通 りに 受 け 入 れられたた<br />
めに、 自 虐 的 な 作 品 となってしまった。この 序 詩 をあっさりと 文 字 通 りに 受 け 止<br />
めて、いち 早 く 反 応 したのは、 今 ではノグチよりも 遥 かに 知 名 度 がある 詩 人 の 萩<br />
原 朔 太 郎 (1886-1942)であった。そして、その 後 多 くの 研 究 者 が、 萩 原 朔 太 郎<br />
の 位 置 づけを 基 に、それを 踏 襲 する 形 でノグチについて 論 じてきたのである。<br />
ノグチの 長 女 、 一 二 三 の 夫 であり、 美 術 評 論 家 であった 外 山 卯 三 郎 は、ノグチ<br />
の 業 績 を 何 とか 後 世 に 残 そうと、ノグチの17 回 忌 を 機 に1963 年 から1975 年 にか<br />
けて、ノグチに 関 する 研 究 を 4 冊 の 書 籍 にまとめた。 (7) そこに 納 められている<br />
数 々の 論 文 のうち、 齋 藤 勇 、 春 山 行 夫 、 佐 藤 栄 一 、 山 宮 允 、 服 部 嘉 香 、 前 田 鉄 之<br />
助 、 三 好 達 治 、 大 江 満 雄 、 尾 島 庄 太 郎 、 矢 野 峰 人 、 近 藤 東 、 亀 井 俊 介 、 金 子 光<br />
晴 、 井 上 譲 治 らは、『 二 重 国 籍 者 の 詩 』の 自 序 について 触 れており、そのうちの<br />
多 くが、 萩 原 朔 太 郎 の 論 に 同 意 を 示 している。そして、 更 に 注 目 すべき 点 は、こ<br />
れらの 研 究 者 たちは、ノグチを 詩 人 として 論 じているにも 関 わらず、ノグチの 序<br />
詩 以 外 の 詩 について、 殆 ど 触 れていないのである。 外 山 は、『 詩 人 ヨネ・ノグチ<br />
の 詩 』で、「[ノグチは]そのイギリス 人 的 なユーモアを 喜 ぶ 気 持 ちが 多 分 にあっ<br />
て、 再 度 のアメリカ 旅 行 を 終 わって 帰 って 来 たばかりの、 最 初 の 日 本 詩 集 『 二 重<br />
国 籍 者 の 詩 』の 序 詩 として、ユーモアたっぷりの 二 重 国 籍 者 という 言 葉 を 使 用 し<br />
た 序 詩 を 入 れ…このイギリス 流 のしゃれを 理 解 しない 日 本 人 の 詩 人 達 は、ヨネ・<br />
ノグチを 本 当 の 二 重 国 籍 者 だと 考 えたり、 萩 原 朔 太 郎 流 の「 外 国 生 まれの 異 国 観<br />
光 団 」」 (8) のようにノグチをみるようになった、と 書 いた。 外 山 は 恐 らく、ノグ<br />
チの 印 象 を 一 変 させたかったに 違 いない。だが、ノグチの「ユーモア」のセンス<br />
が、あまりにも 日 本 的 でなかったために、 誤 解 が 解 かれることなく、 今 日 までノ<br />
グチが 日 本 の 社 会 や 歴 史 、ことに 文 学 史 からは 疎 外 されているように 見 えるだけ<br />
ではなく、 彼 の 海 外 での 業 績 は 日 本 で 正 当 に 評 価 されてこなかったのである。こ<br />
うして、『 二 重 国 籍 者 の 詩 』 以 来 、ノグチは 尊 敬 されるべき 対 象 でなくなり、 結<br />
果 的 に 自 虐 行 為 或 いは 自 滅 行 為 となってしまった。 彼 は、 皮 肉 にも 自 身 で 二 つの<br />
文 化 の 溝 に 落 ち 込 んでしまったのである。
80<br />
萩 原 朔 太 郎 はノグチより 11 歳 も 年 下 で、ノグチについて 論 じたときは 40 歳 で<br />
あった。 萩 原 朔 太 郎 は、ノグチの 詩 集 に 一 定 の 評 価 を 与 え、「 真 に 充 実 した 内<br />
容 」 (9) であり、 特 に 観 念 、 哲 学 、 思 想 という 西 洋 の 詩 の 特 徴 を 有 している 点 に 於<br />
いては、「 日 本 詩 壇 への 教 訓 」 (10) としなければならないほどだと 認 めている。だ<br />
が、 西 洋 からの 教 訓 を 日 本 に 紹 介 したノグチは、 萩 原 朔 太 郎 の 言 葉 を 借 りると、<br />
その 詩 の 題 材 の 選 び 方 や 表 現 からみえるように、「 根 本 から 西 洋 詩 人 の 情 操 」 (11)<br />
を 持 つ「 完 全 な 外 国 人 」 (12) であった。そして、 日 本 と 西 洋 の 間 には 距 離 があり、<br />
「 欧 米 人 が 真 に 日 本 の 文 明 や 文 学 を 知 るというのは… 直 接 的 には 絶 望 的 」 (13) であ<br />
るため( 日 本 人 が 欧 米 人 の 文 明 や 文 学 を 知 る 可 能 性 には 一 切 触 れず)、「 和 洋 両 語<br />
に 通 づる 混 血 児 」 (14) が 媒 体 となることにより、その 困 難 極 めた、 不 可 能 と 思 わ<br />
れる 理 解 を 可 能 にする、とまとめている。しかし、 一 度 も 国 外 へ 出 なかった 萩 原<br />
朔 太 郎 は、ノグチが 海 外 で 達 成 した 業 績 は 知 らなかったであろう。 萩 原 朔 太 郎 に<br />
とってノグチは「 悲 劇 」 (15) であり、 彼 の 書 く 詩 を「 不 満 」 (16) と 感 じていたの<br />
だった。「 表 現 が 甚 だ 下 手 カス」 (17) であるがために「 地 中 に 埋 もれている 宝 玉 の<br />
光 を 連 想 」 (18) してしまう、というのだ。これほど 辛 口 に 評 価 されているにもか<br />
かわらず、 具 体 的 な 詩 を 例 にあげて 論 じられていないため、 客 観 的 に 考 えれば 説<br />
得 力 に 欠 ける 議 論 である。だが、そこから、 日 本 と 西 洋 の 相 互 理 解 へと 議 論 を 大<br />
きく 展 開 させ、 東 洋 や 日 本 の 象 徴 としてノグチを 見 ていた 欧 米 の 視 線 と、 日 本 人<br />
のノグチへの 理 解 があまりに 対 照 的 であるように、 要 するに 西 洋 と 日 本 の 間 には<br />
驚 くべき 間 隙 がある、と 論 じたのであった。 当 時 から、 萩 原 朔 太 郎 は「 二 重 国 籍<br />
者 としての 野 口 氏 は、その 立 場 からしてエトランゼ」 (19) といい、 日 本 の 文 壇 に<br />
とって 有 益 な 存 在 となり 得 たノグチを、 受 け 入 れようとしなかった。このような<br />
萩 原 朔 太 郎 の 主 観 的 な 解 釈 がその 後 のノグチの 理 解 を 全 て 狂 わせてしまったの<br />
だ。<br />
ノグチがこのように 異 質 の 日 本 人 として 軽 視 され、 疎 外 されたまま 終 わってし<br />
まうような 人 物 でないことは、 彼 の 経 歴 を 見 れば 明 らかである。 先 に 述 べたよう<br />
に、ノグチは 自 身 を 詩 人 として 見 ていた。ノグチの 全 著 作 はのべ184 冊 ( 改 訂 版
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 81<br />
含 む)にのぼるが、その 中 で 24 冊 の 詩 集 ( 内 1 冊 は 未 出 版 )のうち、 英 詩 集 は<br />
10 冊 、 日 本 詩 集 は 14 冊 である。それらの 詩 集 に 含 まれている 作 品 の 数 は、 英 詩<br />
がのべ 432、 日 本 詩 がのべ 677、 合 わせて、のべ 1109 である(ノグチの 詩 につい<br />
ては、 後 章 で 触 れる) (20) 。ノグチの 職 業 の 一 つは 詩 人 と 呼 んでも 異 論 はない 作 品<br />
の 量 である。<br />
更 に、 詩 の 数 もさることながら、 詩 人 として 作 り 上 げたノグチの 人 生 は、 当 時<br />
としては、もちろん 現 代 としても 破 格 の 広 がりをみせていた。ノグチは、 今 では<br />
英 米 文 学 史 に 揺 るぎない 名 声 を 刻 むような 著 名 な 作 家 たちから 認 められた、はじ<br />
めての 日 本 人 詩 人 だったのではないかと 思 われる。ウァキン・ミラー(Joaquin<br />
Miller: 1837?-1913)というアメリカ 詩 人 は、4 年 もの 間 、ノグチに 住 と 食 を 与 え<br />
ただけではなく、 エドガー・ アラン・ ポオ(Edgar Allan Poe: 1809-1849) や<br />
ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman: 1819-1892)など、その 後 のノグチの<br />
詩 や 生 き 方 に 大 きく 影 響 を 与 えたアメリカ 人 作 家 や 詩 人 の 作 品 をノグチに 紹 介 し<br />
た。ホイットマンと 直 接 の 友 人 だった 詩 人 ミラーと 暮 らしたからこそ、カリフォ<br />
ル ニ ア の 詩 人 達 、 エ ド ウ ィ ン・ マ ー カ ム(Edwin Markham: 1852-1940)、<br />
チャールズ・ワレン・ストッダード(Charles Warren Stoddard: 1843-1909)や、<br />
出 版 に 携 わっていたジレット・バージス(Gelett Burgess)、ポーター・ガーネッ<br />
ト(Porter Garnett)らの 面 識 を 得 て、 彼 等 のコミュニティで 詩 を 書 く 好 運 に 恵 ま<br />
れたのである。そして、 詩 人 ミラーを 通 じて、 出 版 社 への 繋 がりができ、『ラー<br />
ク(Lark)』 誌 に 投 稿 を 重 ねたノグチは、ついに1897 年 、22 歳 という 若 さで 英 詩<br />
集 『 明 界 と 幽 界 (Seen and Unseen)』 を 出 版 し、“Oriental Whitman” (21) や<br />
“Stephen Crane with all the affectation removed” (22) などと 形 容 された。<br />
ロンドンでノグチの 詩 をいち 早 く 認 めたのは、アメリカ 人 であるホイットマン<br />
の 詩 をイギリスで 最 初 に 賞 讃 したイギリス 人 文 芸 評 論 家 として 知 られている、<br />
ウィリアム・マイケル・ロゼッティ(William Michael Rossetti: 1829-1919)で<br />
あった。“[Noguchi’s poems] are full of a rich sense of beauty, and of ideal<br />
sentiment. In fact the essential excellence of the poems and the particular quality
82<br />
of their excellence surprise me” (23) と 直 接 述 べられただけではなく、ロゼッティ<br />
からお 茶 に 招 待 され、 彼 の 書 斎 に 招 かれたノグチは、そこにあった 大 きな 長 椅 子<br />
に 腰 掛 けたところ、それは 詩 人 シェリー(Percy Bysshe Shelley: 1792-1822)が<br />
亡 くなる 前 夜 に 横 たわって 休 んだという 歴 史 的 な 長 椅 子 だったというエピソード<br />
もあるくらいに 親 交 があった (24) 。また、このようなノグチのロンドンに 於 ける<br />
成 功 は、 大 西 洋 を 渡 り、“Of course Mr. Noguchi is a no unfamiliar name to us<br />
on this side” (25) とアメリカでも 話 題 になった。ロゼッティの 他 にノグチと 個 人<br />
的 に 交 流 があった 文 芸 家 は、ノーベル 文 学 賞 受 賞 者 のウィリアム・バトラー・<br />
イェイツ(William Butler Yeats: 1865-1939)をはじめ 以 下 の 通 りだ (26) 。<br />
英 文 学 者<br />
ラッセルズ・アバークロンビー<br />
(Lescelles Abercrombie)<br />
リチャード・オールディントン<br />
(Richard Aldington)<br />
ウィリアム・アーチャー (William Archer)<br />
ロウレンス・ビニヨン (Laurence Binyon)<br />
ゴードン・ボトムリー (Gordon Bottomley)<br />
ロバート・ブリッジェズ (Robert Bridges)<br />
エドワード・カーペンター<br />
(Edward Carpenter)<br />
シドニー・コルヴィン (Sidney Colvin)<br />
エドワード・ダウデン (Edward Dowden)<br />
コナン・ドイル (Conan Doyle)<br />
エドマンド・ゴッセ (Edmund Gosse)<br />
アイザ・ドゥーフス・ハーディ<br />
(Iza Duffus Hardy)<br />
ウィリアム・マッケイ (William MacKay)<br />
ジョージ・メラディス (George Meredith)<br />
ハロルド・モンロー (Harold Monro)<br />
アメリカ 文 学 者<br />
ジレット・バージス (Gelett Burgess)<br />
ウィッター・ビナー (Witter Bynner)<br />
アイナ・クルブリス (Ina Coolbrith)<br />
ジョン・グールド・フレッチャー<br />
(John Gould Fletcher)<br />
ゾナ・ゲイル (Zona Gale)<br />
ジュリアン・ホーソン (Julian Hawthorn)<br />
エドウィン・マーカム (Edwin Mahkam)<br />
ウァキン・ミラー (Joaquin Miller)<br />
ハリエット・モンロー (Harriet Monrow)<br />
ジョセフィン・ピーボディ<br />
(Josephine P. Peabody)<br />
フランク・パットナム (Frank Putnam)<br />
フランシス・シェーマン (Francis Sherman)<br />
チャールズ・ワレン・スタッダード<br />
(Charles Warren Stoddard)<br />
イーディス・トーマス (Edith Thomas)<br />
ホラス・トラウベル (Horace Traubel)
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 83<br />
英 文 学 者<br />
スタンジ・ムーア (Stunge Moore)<br />
ジョン・ミドルトン・マリー<br />
(John Middleton Murry)<br />
エズラ・パウンド (Ezra Pound)<br />
インド 文 学 者<br />
ガンディー<br />
(Mohandas Karamchand Gandhi)<br />
サロージュー・ナーイドゥ (Sarojine Naidu)<br />
タゴール (Rabindranath Tagore)<br />
アーサー・ランサム (Arthur Ransome)<br />
ウィリアム・マイケル・ロゼッティ<br />
(William Michael Rossetti)<br />
レズリー・ステファン (Leslie Stephen)<br />
アーサー・シモンズ (Arthur Symons)<br />
ハーバート・ジョージ・ウェルズ<br />
(Herbert George. Wells)<br />
ウィリアム・バトラー・イェーツ<br />
(William Butlar Yeats)<br />
英 国 の 文 壇 は、 独 自 の 長 い 歴 史 と 伝 統 を 重 んじているばかりに、 外 国 からの 新<br />
しい 作 風 を 好 まないかのようにみえる。だが、 地 位 も 名 声 もなく、 日 本 人 である<br />
という 他 は 海 のものとも 山 のものともつかないノグチを、 彼 が 書 いた 詩 だけで 寛<br />
大 に 受 け 入 れた。ノグチは、ロンドンで 出 版 した『 東 海 から(From the Eastern<br />
Sea)』の 表 紙 の 名 前 の 横 に、 自 らの 考 えで “Japanese” と 明 記 した。それにも 関<br />
わらず、 亀 井 の 解 説 によれば、アーサー・ランサム(Arthur Ransome)なども、<br />
Portraits and Speculations 所 収 の “The Poetry of Yone Noguchi” という 記 事 に、<br />
”Our concern is not with the nationality of this writer, but with his conception of<br />
the poet, and with his poetry” (27) と 表 明 しており、また、 同 記 事 を 読 んだ D.H.<br />
ロ-レンス(David Herbert Richards Lawrence: 1885-1930)でさえもノグチを、<br />
その 国 籍 ゆえでなく 一 人 の 詩 人 として 意 識 していたのは、 彼 の 手 紙 の 文 面 に 明 ら<br />
かである (28) 。1913 年 、ノグチはコバーン(Alvin Langdon Coburn)とロバー<br />
ト・ブリッジェズが 話 したことがきっかけでオックスフォード 大 学 に 招 待 され、<br />
日 本 詩 歌 論 について 講 演 し、 フランスの 詩 人 マラルメ(Stéphane Mallarmé:<br />
1842-1898)を 歓 迎 して 以 来 のできごとだと 迎 えられた (29) 。また、1919 年 秋 から
84<br />
1920 年 春 、 アメリカのジェームズ・ ポンド(James Pond, The Pond Lyceum<br />
Bureau)に 招 待 され、 全 米 の 各 大 学 で 日 本 の 詩 歌 についての 講 義 をして 廻 り、<br />
アメリカでさらに 詩 人 としての 知 名 度 を 上 げたノグチは、1924 年 のアメリカ 詩<br />
のアンソロジー『ニュー・ポエトリー(The New Poetry)』にタゴールと 並 んで<br />
作 品 が 収 めれらた、たった 二 名 のアジア 人 であった (30) 。1935 年 にはインドへ 渡<br />
り、 同 様 にいくつかの 大 学 で 講 義 をしている。ノグチのこのような 業 績 が、キャ<br />
ノンに 含 まれる 内 容 が 変 わり 続 けているアメリカにおいて 見 直 されたのか、<br />
2000 年 に 入 ってからいくつかの 米 詩 アンソロジーに、 日 系 アメリカ 人 でもない<br />
にもかかわらず、ノグチの 詩 が 含 まれているのである (31) 。イェイツやパウンド<br />
との 交 流 があったことから、ノグチがイマジズム(Imagism)において 重 要 な 働<br />
きをしたというのは 注 目 すべき 点 である。 英 米 にて、これほどに 活 躍 していた 日<br />
本 人 は、 他 に 類 を 見 ないだけに、 日 本 文 壇 に 見 られる 軽 視 は、ノグチに 対 する 正<br />
統 な 評 価 の 欠 如 を 物 語 っている。<br />
ノグチの 生 前 、その 生 き 方 に 理 解 を 寄 せたのは、 数 人 経 験 を 有 する 芸 術 家 たち<br />
だった。 詩 人 の 金 子 光 晴 (1895-1975)はフランスを 中 心 に 海 外 へ 訪 問 ・ 滞 在 し<br />
た 詩 人 だが、ノグチが 理 解 されていないのは、 藤 田 嗣 治 (1886-1968)がフラン<br />
スで 成 功 したために 日 本 の 画 家 たちからボイコットされたように、「 日 本 人 の 偏<br />
狭 さの 故 かもしれない」 (32) と 指 摘 している。 藤 田 嗣 治 も、ノグチのように、 青<br />
年 時 代 に 単 身 国 外 (フランス)へ 出 た。 売 れない 画 家 として 経 済 的 に 苦 労 を 重 ね<br />
た 時 代 を 経 て、 次 第 にパリの 画 家 たちに 認 められていった。その 後 帰 国 したが、<br />
第 二 次 世 界 大 戦 中 に 戦 争 画 を 書 いたとして 批 判 を 浴 びるようになる。やがて 戦 後<br />
の 日 本 を 後 にし、フランスでその 生 涯 を 終 えたが、1969 年 、 藤 田 嗣 治 の 死 後<br />
二 ヶ 月 後 に、 日 本 政 府 は、 勲 一 等 瑞 宝 章 を 追 贈 した。 国 際 人 であった 藤 田 関 係 の<br />
書 籍 の 多 くは 現 在 、 東 京 上 野 の 国 立 西 洋 美 術 館 のギャラリーに、 他 の 西 洋 人 芸 術<br />
家 たちの 書 籍 と 共 に 並 んでいるが、このように 日 本 で 受 け 入 れられるまでに 随 分<br />
長 い 時 間 を 要 し、しかも 本 人 が 死 後 のことであった。 同 じく 詩 人 でフランスで 数<br />
年 を 過 ごした 川 路 柳 虹 も、「 野 口 氏 の 地 位 は 世 界 的 に 認 められていいのである。
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 85<br />
ただあまりに 吾 々に 近 く 置 かれてあるがために 時 に 吾 々はその 人 の 価 値 を 充 分 に<br />
見 究 めることに 失 敗 するものである…」 (33) と 認 めている。また、ノグチにノー<br />
ベル 文 学 賞 の 可 能 性 を 示 した 最 初 の 人 物 、 内 田 魯 庵 は、 志 賀 重 昴 宅 を 訪 問 した 時<br />
に、 十 数 年 前 のお 茶 を 給 仕 していたノグチが、 今 では 世 界 的 詩 人 となったことを<br />
賛 美 すると 同 時 に、「コチラは 依 然 として… 小 さな 日 本 の 文 壇 の 末 班 に 軽 うじて<br />
有 るか 無 きかの 籍 を 与 えられておる」 (34) と、ノグチと 自 分 自 身 の 活 動 範 囲 の 違<br />
いを 認 め 同 時 にノグチへの 賛 辞 を 贈 っていたが、 彼 等 だけでは 日 本 の 文 壇 全 体 の<br />
ノグチに 対 する 評 価 を 変 えられなかった。<br />
ノグチや、ノグチと 時 代 を 共 有 してきた 詩 人 たちが 他 界 した 後 、ヨネ・ノグチ<br />
はどのように 理 解 されてきたのだろうか。ノグチは、 他 界 する 二 週 間 ほど 前 、 外<br />
山 に、「 野 口 米 次 郎 全 集 を 出 してほしい」 (35) と 言 い 残 したが、 遺 族 の 中 に 誰 も 意<br />
欲 的 に 実 行 するものが 居 らず、ついに 実 現 されなかった。 外 山 は、 英 文 の 方 がノ<br />
グチの 功 績 が 現 れていると 思 い、 当 時 アメリカにいたイサムにヨネ・ノグチの 英<br />
文 全 集 作 成 について 打 診 したところ、アメリカではもうヨネ・ノグチを 忘 れてい<br />
るから 不 可 能 (36) 、という 返 事 がきて 諦 めた。その 後 日 本 では、ノグチの 死 から5<br />
年 後 の1951 年 から、 数 年 に1~2 名 くらいの 割 合 でノグチの 研 究 を 行 う 者 が 現 れ、<br />
学 術 誌 や 学 会 論 文 の 投 稿 などを 通 してそれらを 発 表 している。ノグチの 自 然 観 、<br />
詩 集 、 日 本 文 学 精 神 、 文 学 論 、イマジズムとの 関 係 、ノグチの 書 いた 小 説 や 英 語<br />
俳 句 、 英 米 での 彼 の 細 かい 暮 らしぶりや 活 躍 、 彼 の 人 生 の 一 部 など、テーマは<br />
様 々であるが、 研 究 者 がいなかったわけではなかった。また、1960 年 からは、<br />
外 山 、 現 在 東 京 大 学 名 誉 教 授 である 亀 井 俊 介 、それに 当 時 の 青 山 学 院 大 学 の 教<br />
授 、 渥 美 育 子 がヨネ・ノグチ・ソサイエティを 結 成 し、 英 語 書 簡 を 活 字 化 して 書<br />
籍 にまとめたり (37) 、 英 詩 集 復 刻 版 を 作 ったり、ノグチを 直 接 、 間 接 に 知 ってい<br />
た 学 者 や 知 人 達 の 文 章 を 集 めた『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』を4 冊 出 版 したりした。<br />
だが、これらについては 新 聞 等 で 書 評 が 取 り 上 げられることはあっても、 第 2 版<br />
を 出 すには 至 らなかったうえ、 身 内 の 手 に 収 まってしまったようで、 今 日 では 入<br />
手 することすら 困 難 である。 詩 人 、 歌 人 たちの 中 でも、 今 でも 義 務 教 育 課 程 の 教
86<br />
科 書 に 含 まれるなどして、 比 較 的 知 られている 者 たち、 例 えば 北 原 白 秋 、 与 謝 野<br />
晶 子 、 萩 原 朔 太 郎 、 高 浜 虚 子 などに 対 し、ヨネ・ノグチは 一 般 的 には 無 名 のまま<br />
にとどまっているのが 実 情 である。<br />
『 二 重 国 籍 者 の 詩 』 以 外 にも、ノグチへの 評 価 や 理 解 が 遅 れている 理 由 は 考 え<br />
られる。まず、ノグチの 実 績 の 多 様 さ 故 の、 統 一 的 な 視 野 の 下 に 位 置 付 けること<br />
の 困 難 さが 挙 げられる。 津 島 に 生 まれ、アメリカ(サンフランシスコ、オークラ<br />
ンド、シカゴ、ニューヨーク、ボストン) 及 びイギリスのロンドンに 合 わせて 十<br />
数 年 住 むがアメリカ 国 籍 は 得 ずに 帰 国 、 藤 沢 市 常 光 寺 に6ヶ 月 滞 在 、 鎌 倉 円 覚 寺<br />
六 庵 に 滞 在 。その 間 、 慶 應 義 塾 大 学 の 英 文 科 で 教 鞭 を 取 り、オックスフォード 大<br />
学 を 筆 頭 に、アメリカ 及 びインドの 諸 大 学 で 講 演 、 藤 沢 市 常 光 寺 へ 埋 葬 されるな<br />
どによって、 世 界 各 地 の 地 元 レベルのメディアを 一 時 興 奮 させ、 各 地 の 歴 史 に 名<br />
前 は 刻 んで 来 てはいても、そのままでは 雑 然 としていて 一 貫 性 がない。<br />
また、この 世 を 去 るのが 早 すぎた。 高 村 光 太 郎 や 藤 田 嗣 治 は 戦 後 の 混 乱 期 を、<br />
世 論 との 戦 いと 自 己 反 省 の 中 で 生 き 続 け、 多 少 は 自 らで 名 誉 挽 回 を 果 たすことが<br />
できた。その 点 、ノグチは 戦 後 丸 2 年 を 待 たずに 他 界 した。 極 めてタイミング 悪<br />
くこの 世 を 去 ったと 言 わざるを 得 ない。1986 年 、 高 井 蒼 風 が 出 版 した1 冊 の 小 さ<br />
な 本 『 英 詩 人 ヨネ・ 野 口 の 栄 光 :その 英 米 における 遍 歴 苦 闘 の 秘 録 』 (38) は、ノ<br />
グチの 業 績 への 賛 辞 や、なぜこんなにも 評 価 が 遅 れているのかという 疑 問 をその<br />
まま 世 に 投 げかけたようなものだった。ノグチの「 世 界 に 広 く 日 本 の 芸 術 精 神 を<br />
闡 明 した 一 大 功 績 はラフカディオ・ハーン 以 上 の 文 化 的 偉 業 であり、 日 本 有 史 以<br />
来 、 日 本 の 和 歌 、 俳 句 、 美 術 、 能 楽 から 万 葉 集 、 日 本 書 紀 などの 古 典 文 学 の 真 髄<br />
までを 広 いレパートリーに 把 握 して 外 国 に 日 本 文 化 精 神 を 闡 明 した 功 績 は 文 学 者<br />
のまさしく 第 一 人 者 と 賞 讃 しても 過 言 ではない」 (39) にもかかわらず、「 政 府 は 文<br />
化 勲 章 ひとつ 与 えていない」どころか、「 日 本 のマスコミや、 有 名 な 雑 誌 社 、 出<br />
版 社 の 不 認 識 も 甚 だしく、 一 社 としてこの 詩 人 の 死 後 、その 大 芸 術 を 認 めず、 一<br />
冊 の 伝 記 すらいまだなく、 死 後 四 〇 年 にならんとする 現 在 (40) まだ 全 集 一 つ 出 し<br />
ていないのである」 (41) と 続 く。だが、 死 後 61 年 経 った 2008 年 においても、 状 況
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 87<br />
は 殆 ど 変 わりない。ヨネ・ノグチ・ソサイエティのメンバーだった 亀 井 俊 介 が 指<br />
摘 する 通 り、「ヨネ・ノグチについての 本 格 的 な 伝 記 はまだなく、 彼 の 英 文 著 作<br />
活 動 の 全 貌 を 伝 える 研 究 所 もまだない」 (42) のである。ノグチの 著 書 全 てをまと<br />
めて 閲 覧 できる 場 所 等 は、 筆 者 の 知 る 限 りでは 一 つもなく、ノグチが 長 年 教 鞭 を<br />
取 った 慶 應 義 塾 大 学 ですら、 彼 の 全 著 作 を 収 蔵 してはいないのである。<br />
日 本 は 明 治 時 代 に 入 って、それまでの 数 百 年 に 渡 る 鎖 国 時 代 の 空 白 を 取 り 戻 す<br />
かのような 勢 いで 西 洋 化 に 努 めたと 同 時 に、 日 本 の 伝 統 的 文 化 を 維 持 する 現 象 が<br />
あった。その 結 果 、 実 際 にノグチのように 本 物 の 国 際 人 になって 帰 国 した 日 本 人<br />
を 受 け 入 れる 準 備 が 整 っていなかった。ノグチは、 日 本 人 にとって 初 めてとなる<br />
数 々の 記 録 を 残 したが、そのノグチについて、ノグチの 息 子 のイサムが、「 父 の<br />
観 点 は 日 本 では 理 解 されていなかった。 日 本 人 は、 歴 史 的 に 見 て 父 がやってきた<br />
ことがどんなに 重 要 な 意 味 を 持 つかということを 理 解 していなかった」 (43) と 悔<br />
やんでいるように、ノグチは、 時 代 の 先 を 行 きすぎていたのである。<br />
藤 田 嗣 治 も、 日 本 人 でありながら 国 際 人 であるという 生 き 方 について、 以 下 の<br />
ように 述 べている。<br />
私 の 体 は 日 本 で 成 長 し、 私 の 絵 はフランスで 成 長 した。 私 には 日 本<br />
に 係 累 があり、フランスに 友 達 がある。 今 や 私 は 日 本 とフランスに 故<br />
郷 をもつ 国 際 人 になってしまった。 私 には 二 カ 国 ながら 懐 かしいふる<br />
さとだ。 私 はフランスに、どこまでも 日 本 人 として 完 成 すべく 努 力 し<br />
たい。 私 は 世 界 に 日 本 人 として 生 きたいと 願 う。それはまた、 世 界 人<br />
として 日 本 に 生 きることにもなるだろうと 思 う (44) 。<br />
ノグチも、アメリカやイギリスでは、 日 本 人 として 精 一 杯 生 きようとし、 日 本 で<br />
は 世 界 人 として 生 きようとした。 藤 田 嗣 治 やノグチに 共 通 して 見 いだせること<br />
は、 二 カ 国 を 懐 かしい 故 郷 にすることを 通 して、 自 分 自 身 の 第 三 の 文 化 を 創 り 出<br />
してきた 生 き 方 である。ノグチらが 生 きた 時 代 は、 彼 らほどに 海 外 を 知 り、 海 外
88<br />
に 業 績 を 残 してきた 日 本 人 は 今 日 に 比 べて 圧 倒 的 に 少 なかった。 従 って、 多 くの<br />
人 々は 藤 田 嗣 治 やノグチのような 者 たちを、「 異 邦 人 」として 片 付 けていた。と<br />
ころが、 今 日 は、 異 邦 人 、すなわち、 二 国 や 二 文 化 を 越 えた(trans-) 第 三 の 文<br />
化 を 持 つ、またはそこに 生 きることを 余 儀 なくされている 人 々も 少 なくない。こ<br />
のような、「トランスカルチュラリズム」 (45) を 生 き 方 としている 人 々は、 移 民 や<br />
亡 命 という 形 をとっていないが、 二 カ 国 やそれ 以 上 の 国 とその 文 化 に 創 造 力 の 源<br />
泉 があるのだ。ノグチのようなケースもまさしくそれである。 人 が 移 動 し、それ<br />
に 伴 って 文 化 が 既 存 のものを 越 えていくのは、 今 日 の 世 界 的 な 現 象 なのである。<br />
このようなトランスカルチュラリズムが 大 きな 課 題 になっている 時 代 だからこ<br />
そ、 本 論 文 は、 出 来 るだけ 多 くのノグチの 業 績 を 明 らかにすると 共 に、ノグチを<br />
再 評 価 するべきだと 提 案 するものである。 現 代 では、ノグチのように 一 度 国 外 に<br />
出 て、ホスト 国 で 心 地 よく 受 け 入 れられた 後 で 帰 国 して 母 国 で 暮 らす 人 々は 以 前<br />
よりもはるかに 増 えたはずである。だが、 帰 国 先 の 周 囲 の 人 間 がその 経 験 に 対 し<br />
て 理 解 や 正 当 な 評 価 を 示 さずにいることが、 国 外 を 経 験 した 者 が 再 び 母 国 に 根 を<br />
下 ろしにくくなる 環 境 を 生 み 出 し、 母 国 に 居 ながら 疎 外 感 を 感 じるような、 或 い<br />
は、どこか 他 に 本 来 所 属 すべき 場 所 があると 感 じる 者 が 少 なくない。そして、 彼<br />
等 個 人 の 中 では、「トランスカルチュラリズム」を 通 して、 既 に 文 化 変 容 が 行 な<br />
われているにも 関 わらず、 周 囲 の 無 理 解 によってあるいは 周 囲 の 理 解 を 求 める 行<br />
動 によって、 余 計 に 疎 外 され、 異 邦 人 (L’Etranger)とならざるを 得 ないのであ<br />
る。その 意 味 で、ノグチ 研 究 は、 今 後 増 え 続 けるであろう、トランスカルチュラ<br />
リズムとともに 生 きている 人 々の 先 駆 けの 研 究 となるはずである。<br />
II<br />
これまで、 比 較 的 、 伝 記 的 な 部 分 を 中 心 にノグチの 人 生 を 見 てきたが、 本 章 で<br />
は、ヨネ・ノグチが、どのように 日 本 人 の 詩 人 として 生 きてきたかということ<br />
を、 実 際 に 彼 の 詩 作 品 を 通 して 分 析 する。ノグチは、 明 治 時 代 には 日 本 語 で 一 つ<br />
も 詩 を 発 表 していないことから、 明 治 詩 人 には 分 類 されていないことは 正 当 であ
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 89<br />
ると 考 える。だが、 大 正 や 昭 和 には 詩 集 が 刊 行 されていたにもかかわらず、 所<br />
謂 、 近 現 代 の 詩 大 系 に 於 いてすら、 詩 人 として 収 録 されるわけではない。このよ<br />
うな 独 立 的 な 立 場 から、ノグチは 英 米 で 親 交 を 深 めた 詩 人 達 との 交 友 を 楽 しみ、<br />
時 に 議 論 を 重 ねながら、 理 解 者 の 少 ない 日 本 社 会 で 一 人 の 日 本 人 詩 人 として 自 身<br />
の 詩 を 模 索 し 続 けた。<br />
1. 詩 集 作 品 の 全 貌<br />
まず、 現 段 階 で 判 明 している、ヨネ・ノグチの 詩 作 品 の 全 貌 について 紹 介 した<br />
い。 下 記 の 表 は、ノグチの 詩 集 を 題 名 、 出 版 社 、 出 版 年 とそれぞれの 詩 の 数 につ<br />
いてまとめたものである。 英 日 の 区 別 なく 出 版 年 順 に 並 べた。 表 のとおり、 英 詩<br />
集 10 冊 、 日 本 詩 集 14 冊 の 合 わせて24 冊 、 詩 の 数 は 合 計 で1,109であった。<br />
詩 集 名 出 版 社 出 版 年<br />
Seen and Unseen 1st ed.(このうちの 9 の<br />
詩 は、Lark 誌 を 通 して 既 に 出 版 されたもの<br />
だった。)<br />
San Francisco: Gelett Burgess<br />
& Porter Garnet<br />
収 録<br />
詩 数<br />
1896 50<br />
The Voice of the Valley San Francisco: William Doxey 1897 8<br />
From the Eastern Sea 2nd ed. London: Unicorn 1903 36<br />
Japan of Sword and Love by Joaquin Miller<br />
and Yone Noguchi<br />
東 京 :かなお 文 永 堂 1905 20<br />
The Summer Clouds, Prose Poems 東 京 : 三 陽 堂 1906 62<br />
The Pilgrimage 鎌 倉 :The Valley Press 1909 84<br />
Kamakura Yokohama: Kelly&Walsh 1910 1<br />
Japanese Hokkus Boston: The Four Seas Co., 1920 84<br />
二 重 国 籍 者 の 詩 東 京 : 玄 文 社 1921 66<br />
林 檎 一 つ 落 つ 東 京 : 玄 文 社 1922 85<br />
沈 黙 の 血 汐 東 京 : 新 潮 社 1922 60<br />
山 上 に 立 つ 東 京 : 新 潮 社 1923 63
90<br />
詩 集 名 出 版 社 出 版 年<br />
最 後 の 舞 踏 東 京 : 金 星 堂 1923 74<br />
我 が 手 を 見 よ 東 京 :アルク 1923 67<br />
表 象 抒 情 詩 1 東 京 : 第 一 書 房 1925 59<br />
表 象 抒 情 詩 2 東 京 : 第 一 書 房 1926 52<br />
表 象 抒 情 詩 3 東 京 : 第 一 書 房 1927 87<br />
表 象 抒 情 詩 4 ( 散 文 詩 ) 東 京 : 第 一 書 房 1927 80<br />
The Ganges Calls Me, Book of Poems 東 京 : 教 文 館 1938 66<br />
強 い 力 弱 い 力 東 京 : 第 一 書 房 1939 19<br />
伝 統 について 牧 書 房 1943 9<br />
宣 戦 布 告 東 京 : 道 統 社 1942 6<br />
起 てよ 印 度 東 京 : 小 学 館 1942 64<br />
The Blood of Silence and Other Poems (46) Unpublished 21<br />
収 録<br />
詩 数<br />
合 計 24 冊 1109<br />
初 めに 明 記 しておきたい 注 意 点 は、 上 掲 の 表 には、 詩 集 として 刊 行 された 作 品<br />
が 全 て 含 まれているかが 不 確 かなため、 表 に 示 した 数 は 今 後 変 更 される 可 能 性 が<br />
多 分 にあるということである。また、ノグチの 日 本 詩 は、 彼 自 身 の 英 詩 を 邦 訳 し<br />
たものが 大 半 であった。 一 度 邦 訳 した 詩 を、ホイットマンが『 草 の 葉 (Leaves<br />
of Grass)』の 改 訂 版 を 十 数 回 も 出 したのを 見 習 って、ノグチは 常 に 自 分 の 作 品<br />
をより 良 いものにしようと 何 度 も 改 訂 したのであった。 多 い 時 は、 一 つの 作 品 に<br />
対 して、 三 回 もの 変 更 が 加 えられている。 例 えば、「 向 日 葵 (To The Sunflower)」<br />
という 詩 は、 英 詩 『 巡 礼 (Pilgrimage)』 (47) の 中 に 納 められていたが、 それが<br />
「 向 日 葵 」という 題 名 で 邦 訳 され、『 二 重 国 籍 者 の 詩 』にて 発 表 された。その 後 、<br />
『 野 口 米 次 郎 英 詩 選 集 』、『 林 檎 一 つ 落 つ』、『 表 象 抒 情 詩 集 』に 収 録 される 度 に、<br />
三 回 に 渡 ってわずかな 字 句 の 入 れ 替 えなどをした 改 訂 版 が 掲 載 された (48) 。その<br />
ため、 上 記 した 1109 という 詩 の 数 は 改 訂 版 をそれぞれ 一 つの 詩 として 計 上 した<br />
合 計 数 である。どの 詩 が、どの 詩 集 で 改 訂 されて 収 められているかは、 外 山 卯 三
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 91<br />
郎 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 詩 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1967 年 )の 付 録 にま<br />
とめられている。 上 の 表 は 合 計 数 だとはいえ、ノグチが 多 くの 作 品 を 残 したこと<br />
に 変 わりはない。 戦 前 に 書 かれた 日 本 詩 をおさめた『 表 象 叙 情 詩 』の4 巻 はノグ<br />
チの 集 大 成 と 言 われる。 生 涯 、 自 身 の 詩 を 改 訂 し 続 けたノグチは、「 彫 ったり 刻<br />
んだりして、 生 涯 その 手 を 休 めることを 知 らない 宝 石 作 りのような 詩 人 であっ<br />
た」と 外 山 は 結 んでいる (49) 。<br />
2.『 二 重 国 籍 者 の 詩 』とその 評 価<br />
それにも 関 わらず、ノグチの 詩 の 殆 どが、 適 切 な 評 価 を 受 けてきたとは 言 い 難<br />
い。 具 体 的 に 論 じられることすらなかったのである。その 理 由 は、 本 論 の 冒 頭 に<br />
示 したように、ノグチが 初 めて 出 版 した 日 本 詩 集 『 二 重 国 籍 者 の 詩 』の 序 詩 の 影<br />
響 が 大 きいと 考 える。<br />
ノグチが 帰 国 してから、 初 めての 日 本 詩 集 、『 二 重 国 籍 者 の 詩 』を 発 表 するま<br />
で、 約 17 年 の 空 白 が 続 いた (50) 。17 年 とは、ノグチが 海 外 で 暮 らした 年 数 の 二 倍<br />
近 くである。その 間 、 慶 應 義 塾 大 学 の 英 文 学 部 で 教 える 傍 ら、 英 語 で 詩 を、 日 本<br />
語 で 随 筆 、 散 文 、 評 論 などを 書 き、29 歳 の 若 さで 帰 国 したノグチも 46 歳 になっ<br />
ていた。 何 故 、17 年 もの 年 月 を 要 したのだろうか。すでに 英 詩 人 として 国 際 的<br />
な 名 声 をかちえていたにもかかわらず 日 本 詩 を 書 かなかった 理 由 として、 外 山<br />
は、「 日 本 語 つまり 日 本 の 言 葉 というものに 対 する 困 難 さ」 (51) を 上 げている。 英<br />
詩 では 詩 と 日 常 一 般 の 人 たちの 使 用 している 言 葉 が 区 別 されているが、 日 本 で<br />
は、 詩 人 と 一 般 の 人 たちの 言 葉 が 同 じであるため、 詩 を 形 成 する 精 神 的 な 世 界 を<br />
構 成 することができなかったと 外 山 は 論 じている (52) 。 更 に、 日 本 の 詩 は、 英 米<br />
詩 に 比 べて 不 自 由 で 制 約 だらけであったために、ノグチは 常 に「アウトサイダー<br />
的 な 立 場 」 (53) を 取 り 続 けていたようである。もう 一 つの 理 由 として、 帰 国 後 す<br />
ぐに 立 ち 上 げた「あやめ 会 」で、 日 本 と 英 米 の 詩 人 達 をつなごうと 試 みたが 日 本<br />
の 詩 人 たちと 上 手 くいかなかった。その 経 験 が、 日 本 の 詩 人 界 から、ノグチを 疎<br />
遠 してしまった、と 考 えられるのではないだろうか。そのために、 日 本 語 での 詩
92<br />
は 作 らずに、 常 に 日 本 の 詩 人 社 会 を 眺 めていたようである。ウィリアム・ロゼッ<br />
ティは、ノグチを 一 番 始 めに 認 めた 英 国 人 だが、そのロゼッティが、 詩 について<br />
“If there is poetry at the heart of the verse written in Nippon, its appeal holds<br />
good on the banks of the Thames” (54) と 比 喩 を 使 いながら、“This sort of diversity<br />
is no disadvantage but an added delight” (55) だとノグチの 詩 を 賞 賛 している 文<br />
章 が、 英 詩 集 『 巡 礼 』の 後 書 きに 掲 載 されている。ノグチはこのロゼッティの 言<br />
葉 を 誇 りに 思 っただろう。だが、その 後 更 に 12 年 も 日 本 語 で 詩 を 書 くことを 躊<br />
躇 していた。 外 山 の 推 測 によると、1919-1920 年 のアメリカ 講 演 旅 行 の 際 、 国 際<br />
的 詩 人 としてのキャリアを 自 覚 したノグチは、やっと、その 業 績 を 日 本 でも 見 て<br />
もらおうと 思 った、ということである。そして、それまで 書 いた 英 詩 の 中 から<br />
53 篇 を 邦 訳 して『 野 口 米 次 郎 英 詩 選 集 』 (56) を 作 ろうとしたところ、その 編 集 者<br />
である 玄 文 社 の 長 谷 川 巳 之 吉 がノグチに 興 味 をもち、 日 本 詩 集 『 二 重 国 籍 者 の<br />
詩 』の 出 版 も 約 束 したのだという (57) 。<br />
『 二 重 国 籍 者 の 詩 』も 基 本 的 には 英 詩 の 邦 訳 であるが、『 野 口 米 次 郎 英 詩 選 集 』<br />
に 収 録 されたものに、 更 に 磨 きをかけたものであった。それに、 長 谷 川 巳 之 吉 が<br />
特 殊 な 出 版 技 術 を 使 い、 濃 褐 色 のバック・スキンに 花 瓶 の 花 の 金 版 押 しをほどこ<br />
した 森 田 恒 友 画 伯 の 装 慎 の 豪 華 本 として 出 版 された。ほぼ 同 時 期 に、 微 妙 に 違 う<br />
邦 訳 で 出 来 上 がった 詩 集 を 2 冊 出 版 していたことになるが、『 二 重 国 籍 者 の 詩 』<br />
は、デザインも 凝 ったように、ちょっと「しゃれ」ようと 思 い、 序 詩 に 入 れた 詩<br />
が、 結 果 的 には、「 他 人 を 引 落 とし、 悪 口 をいい、やきもちをやき、 陰 口 を 喜 ぶ<br />
日 本 人 たちに 対 して 好 個 の 証 明 書 を 渡 したような 結 果 になってしまった」 (58) と、<br />
外 山 は 残 念 がっている。 一 番 悔 しい 思 いをしたのはノグチ 本 人 に 違 いない。<br />
その 萩 原 朔 太 郎 の 強 いノグチ 論 が 受 け 入 れられたことにおける、ノグチへの 情<br />
けのようなものもある。 山 宮 允 は、「 野 口 の 二 重 国 籍 者 の 自 覚 は 間 違 いではない<br />
が、 悲 しむべき 悲 劇 ではなく、ラフカディオ・ハーンの 場 合 同 様 、 自 他 共 に 祝 福<br />
してよい 特 権 の 自 覚 ではなかったろうか」 (59) と、むしろ 萩 原 朔 太 郎 の 意 見 を 否<br />
定 している。 亀 井 俊 介 は、 本 人 も 容 易 でなかっただろうと 察 すると 同 時 に、 彼 に
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 93<br />
おける 東 洋 と 西 洋 の 意 味 を 考 え 続 けても 何 も 結 論 が 得 られないどころか、 却 って<br />
複 雑 さを 感 じる (60) 、としている。 多 数 の 同 情 も 寄 せられている。 英 文 学 者 、 齋<br />
藤 勇 は、ニコルズが、ノグチがどちらも( 日 本 も 西 洋 も) 裏 切 ることができな<br />
かった「さびしさに 深 い 同 情 」を 見 せた 事 を 引 用 している (61) 。 詩 人 の 佐 藤 一 英<br />
は、 自 ら 語 った 二 重 国 籍 者 の 矛 盾 を 統 一 調 和 すべく 一 生 掛 けて 戦 った (62) 、とい<br />
う 風 にノグチの 一 生 を 見 ている。 同 じく 詩 人 の 服 部 嘉 香 は、『 二 重 国 籍 者 の 詩 』<br />
の 序 詩 に、 長 年 の 活 動 が 正 しく 理 解 されてこなかったという「 無 念 の 気 持 ち」 (63)<br />
が 表 われていたといい、ノグチを「 孤 独 の 心 境 に 沈 潜 された 詩 人 」 (64) と 呼 んで<br />
同 情 を 寄 せた。これらの 反 応 全 てを 並 べてみると、 改 めてこの『 二 重 国 籍 者 の<br />
詩 』の 序 詩 が、ノグチを 語 るにあたり、どんなに 大 きな 影 響 或 いは 固 定 観 念 を 与<br />
えたか、 明 確 である。<br />
ノグチ 自 身 としては、その 後 、 彼 の 日 本 詩 が 高 い 評 価 を 受 けなかったという 点<br />
では 悔 しかったかも 知 れないが、 一 方 で、 彼 が 歩 んだ 人 生 、 特 に 英 米 でも 通 じる<br />
詩 人 であったという 人 生 については、 後 悔 などは 微 塵 も 感 じていないであろう。<br />
実 際 にノグチは、「 或 る 人 は 私 に 向 って「 君 は 極 点 まで 日 本 人 で、しかも 極 点 ま<br />
で 外 国 人 だ」といふ。 私 はその 人 に、よく 見 て 呉 れたと 感 謝 する。 極 点 の 日 本 人<br />
として、 私 は 情 熱 に 動 かされ、 極 点 の 外 国 人 として 私 は 芸 術 を 客 観 視 できる。 私<br />
はそれ 等 の 両 極 点 を 結 びつける 橋 だ」 (65) と、 自 身 の 立 場 をわきまえ、その 喜 び<br />
を 表 わしているのだ。 当 然 のことながら、ノグチの 感 じていたように、 日 本 以 外<br />
の 国 にも 活 躍 の 場 を 持 ち、 母 国 語 以 外 の 言 語 でも 自 由 にコミュニケーションが 可<br />
能 なだけでなく 芸 術 家 として 活 動 でき、 翻 訳 などを 通 さずにその 作 品 が 認 められ<br />
ていたことは、 悲 劇 ではありえなかった。その 逆 に、 充 分 に 喜 び、 誇 りに 思 うべ<br />
き 出 来 事 である。そのような 機 会 を 作 ることもなく 自 国 の 温 室 浸 りになってし<br />
まった 多 くの 日 本 人 詩 人 等 は、 実 はノグチが 羨 ましかったのではないだろうか。<br />
3.ヨネ・ノグチの 英 詩<br />
ここで、まず、ノグチの 英 詩 を 見 てみたい。 英 詩 の 方 が、ノグチが 若 い 時 に 書
94<br />
いたものであるし、これがノグチの 出 発 点 だからである。ノグチの 英 詩 は、これ<br />
まで 日 本 で 正 式 に 評 価 されて 来 なかった。 大 正 ・ 昭 和 時 代 の 文 壇 にあり、かつ 英<br />
米 文 学 に 興 味 を 持 った 日 本 の 知 識 人 たちは、 英 国 やアメリカで 話 題 になっている<br />
詩 人 の 作 品 、たとえば、ホイットマンやウィリアム・ブレイクなどを 読 んだり 翻<br />
訳 したりし、『 草 の 葉 』などは、いくつもの 邦 訳 が 出 ていたが、そのホイットマ<br />
ンの 弟 子 ミラーの 弟 子 であるノグチの 英 語 の 作 品 は、 全 くと 言 ってよいほど 注 目<br />
してこなかった。 亀 井 俊 介 は『 近 代 文 学 におけるホイットマンの 運 命 』 (66) の 中<br />
で、ホイットマンとノグチの 詩 の 相 違 点 を 述 べているが、それ 以 外 のノグチと 同<br />
時 代 の 殆 どの 日 本 の 詩 人 たちは、ノグチの 英 詩 を 実 際 に 読 みもしないで、ノグチ<br />
が 英 語 で 詩 を 書 くという 行 為 に 対 して、 批 判 していたのだ。<br />
その 議 論 は、『 二 重 国 籍 者 の 詩 』が 出 版 された 5 年 前 には、 既 に 読 売 新 聞 上 で<br />
繰 り 広 げられていた。 同 じく 詩 人 であった 岩 野 泡 鳴 は、ノグチが 英 語 で 詩 を 書 く<br />
事 について、「 自 国 語 を 以 て 歌 っていない 点 において 多 大 の 根 本 的 間 隔 があ<br />
る」 (67) と 非 難 した。これに 対 してノグチは「あたかも 赤 子 が 言 葉 を 学 んだやう<br />
に、 自 然 に 静 かに[ 英 語 を] 習 練 した 自 分 、 之 を 言 替 えると 私 が 使 用 する 文 章 上<br />
の 英 語 は 所 謂 英 語 で 無 くて、 私 自 身 が 創 作 した 特 種 の 言 語 であれば、 私 のみが 自<br />
由 と 秘 密 を 握 っているのであると 思 って 居 るのですから、 自 分 は 普 通 の 論 理 で 律<br />
せられるのを 不 愉 快 に 思 ひます」 (68) と 反 論 している。 更 に、「 私 の 確 信 と 熟 練 は<br />
如 何 なる 路 を 辿 って 来 たのであるかを、 英 語 の 文 章 上 では 実 際 に 経 験 を 持 って 居<br />
られぬ 岩 野 君 は 恐 らくは 知 られまいと 思 います」 (69) と 続 けているが、ノグチの<br />
このような 反 論 は 充 分 に 納 得 できる。<br />
ノグチの 英 語 がどの 程 度 のものだったのか、 詩 の 完 成 度 や、 英 米 で 知 名 度 を 得<br />
るに 至 るまでの 苦 労 は、 日 本 の 外 で 実 際 に 暮 らし、 外 国 人 として 諸 国 で 何 かを 成<br />
し 遂 げようと 試 みた 人 でない 限 り 理 解 するのは 難 しいであろう。ノグチは、どの<br />
くらいの 自 信 を 持 ってロンドンへ 向 かったのか 定 かではないが、ロンドンで 得 た<br />
反 応 で、 非 常 に 大 きな 自 信 と 満 足 を 得 たことが、 次 の 文 章 にあらわれている。<br />
「… 別 にして 置 いた 三 磅 (3£)を 棒 に 振 り 十 六 頁 の 小 冊 子 を 作 って 倫 敦 の 面 上 へ
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 95<br />
投 付 けた… 倫 敦 の 文 壇 は 驚 いた。どんなに 倫 敦 は 巨 大 な 胴 體 の 象 でも、くすぐる<br />
所 はたった 一 つだ… 今 日 から 思 ふと、 何 だか 奇 蹟 にも 近 いやうな 気 がす<br />
る…」 (70) 。 実 際 、ロンドンは 大 都 市 であり、アメリカのサンフランシスコに 比 べ<br />
て、その 歴 史 は 長 く 伝 統 は 重 い。ロンドンに 辿 り 着 いたところで、 市 内 をどのよ<br />
うに 歩 き 回 り、どのようにして 出 版 社 の 場 所 を 知 り、どのようにして 訪 ねては 断<br />
られる 日 々を 送 ったのか。また、どのようにして「 肉 屋 や 八 百 屋 の 使 用 する 褐 色<br />
粗 紙 に 印 刷 」 (71) してもらったのか。また、どのようにしてロンドン 市 内 や 近 郊<br />
の 著 名 な 英 国 文 壇 の 面 々の 居 所 を 知 り、 自 費 出 版 の 冊 子 を 送 りつけたか。 例 え 自<br />
費 出 版 と 控 えめに 言 っても、その 工 程 を 想 像 するだけで、かなりの 労 力 と 行 動 力<br />
を 要 することは 誰 の 目 にも 明 らかであろう。 見 知 らぬ 土 地 でそれらを 成 し 遂 げ、<br />
好 評 を 博 したのであるから、 並 大 抵 の 努 力 や 実 践 力 ではないはずである。ノグチ<br />
と 一 度 も 外 国 行 きを 共 にしなかったノグチの 妻 まつ 子 も、ノグチのそのような 積<br />
極 性 と 行 動 力 については、 本 当 の 意 味 で 知 り 得 なかったかも 知 れない。 幾 度 か 海<br />
外 経 験 を 持 つ 金 子 光 晴 のような 詩 人 が、 英 語 が 下 手 では 英 米 の 詩 壇 にセンセー<br />
ションを 巻 き 起 こす 筈 がない、と 指 摘 しているとおりで、 外 国 語 で 詩 を 書 いて 認<br />
められるなど、 昔 も 今 も 実 に 困 難 なことをノグチはやり 遂 げたのである。<br />
日 本 では、 西 洋 と 詩 が 語 られる 時 、 西 脇 順 三 郎 がよく 登 場 する。 例 えば『 西 洋<br />
詩 と 日 本 の 近 代 詩 』 (72) でも、 英 語 や 仏 語 で 詩 を 書 いていた 西 脇 順 三 郎 がロンド<br />
ンで 英 詩 を 出 版 し、その 後 日 本 詩 の 可 能 性 の 探 求 へと 移 ったと、まるで 海 外 で 成<br />
功 した 初 めての 日 本 人 のように 書 かれているが、ノグチは 実 はその 20 年 以 上 も<br />
前 にロンドンで 英 詩 集 を 出 版 し、1925 年 までには 日 本 詩 集 も 出 版 していた。に<br />
もかかわらず、このような 歴 史 的 文 脈 で 取 り 上 げられないのである。 英 詩 から 日<br />
本 詩 に 移 ったはじめの 日 本 人 だという 揺 るがない 事 実 が 認 知 されるのはこれから<br />
の 課 題 だといえる。<br />
ノグチの 英 詩 については、アメリカとイギリスという 国 の 繋 がりという 点 から<br />
も、 課 題 は 多 い。 受 けた 影 響 や 評 価 、 受 容 過 程 、 当 時 の 一 般 的 な 知 名 度 、ノグチ<br />
の 詩 が 当 時 および 現 代 の 詩 文 化 に 与 えた 影 響 などは 両 国 それぞれで 違 うはずだ
96<br />
が、それらは 今 後 の 課 題 とし、ここでは、 現 代 の 一 読 者 として、ノグチの 英 詩 を<br />
みてみたい。<br />
そこで、 亀 井 俊 介 の、ホイットマンとノグチの 詩 の 比 較 を 参 考 に、ノグチの 詩<br />
を 紹 介 したい。まず、ノグチはホイットマンから、 詩 形 、 神 秘 的 自 然 観 、そして<br />
精 神 主 義 的 なナショナリズムと 強 烈 なエゴティズムなどを 学 び 取 ったのではない<br />
か、とまとめている (73) 。 詩 形 についてだが、 亀 井 のまとめたホイットマンの 詩<br />
形 「 自 由 詩 」(Free verse)の 際 立 った 特 徴 として、1カタログ 手 法 で 日 常 生 活<br />
に 根 ざしたものを 並 べ、 理 想 のヴィジョンを 支 える 柱 と 土 台 にする、2パノラマ<br />
的 展 望 によりリアリティからヴィジョンにまで 拡 大 する、3 逆 説 的 並 列 法 により<br />
「 逆 説 の 精 神 」 から 現 像 界 を 乗 り 越 え 絶 対 的 存 在 として 自 己 を 表 現 する、 4<br />
Cesura( 朗 読 上 の 休 止 点 )を 意 味 の 上 から 構 成 する、5 各 行 の 先 頭 語 句 繰 り 返<br />
し、という 五 つを 上 げている (74) 。 亀 井 は、ノグチの 初 めの 詩 集 『 明 界 と 幽 界 』<br />
ではホイットマン 的 な 要 素 があまり 見 られないのに 対 して、『 渓 谷 の 聲 』では、<br />
“The Song of Songs Which is Noguchi’s” というタイトルがホイットマンの<br />
“Song of Myself” に、ノグチの 同 詩 の 副 題 の “I Hail Myself as I do Homer” が<br />
ホイットマンの 同 詩 の 書 き 出 しである “I celebrate myself, and sing myself” から<br />
取 られているように、ホイットマンの 東 洋 人 的 焼 き 直 しにほかならないところま<br />
で 来 ている、と 指 摘 している (75) 。それが、 三 冊 目 の 詩 集 『 東 海 より』をピーク<br />
に、 次 第 にホイットマンから 離 れ 始 めたと 分 析 している。だが、その 後 も、ノグ<br />
チにホイットマン 的 要 素 は 含 まれ 続 けていた。 例 えば、 四 冊 目 の 詩 集 『 巡 礼 』に<br />
含 まれている 以 下 の 詩 でも、 充 分 にホイットマン 的 要 素 が 見 られる。<br />
In Japan Beyond (76)<br />
Do you not hear the sighing of a willow in Japan,<br />
(In Japan beyond, in Japan beyond)<br />
In the voice of a wind searching for the sun lost,<br />
For the old faces with memory in the eyes?
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 97<br />
Do you not hear the sighing of a bamboo in Japan,<br />
(In Japan beyond, in Japan beyond)<br />
In the voice of a sea urging with the night,<br />
For the old dreams of a twilight tale?<br />
Do you not hear the sighing of a pine in Japan,<br />
(In Japan beyond, in Japan beyond)<br />
In the voice of a river in quest of the Unknown,<br />
For the old ages with gold in heart?<br />
Do you not hear the sighing of a reed in Japan,<br />
(In Japan beyond, in Japan beyond)<br />
In the voice of a bird who long ago flew away,<br />
For the old peace with velvet-sandalled feet?<br />
四 つのスタンザに 分 けられているが、 各 スタンザの 初 めの 二 行 は、 一 つの 名 詞<br />
を 除 けば、 全 て 同 じフレーズの 繰 り 返 しであるし、“in Japan” という 二 つの 語 句<br />
がセットになって、 二 行 の 中 に 三 回 という 頻 度 で 使 われている。 特 に、 二 行 目<br />
で、“in Japan beyond” とリズミカルに 二 回 繰 り 返 すところは、 声 に 出 して 読 み<br />
たくなるようなフレーズであり、 日 本 中 にという 強 調 性 を 持 っている。また、 四<br />
つのスタンザにおける 後 半 二 行 はカタログ 手 法 と 言 えるバラエティに 富 んでい<br />
る。 柳 、 竹 、 松 、アシという、 比 較 的 誰 でもが 思 い 浮 かべられる 極 めて 典 型 的 な<br />
日 本 の 日 常 的 な 四 種 類 の 樹 木 を 選 び、その 木 々のざわめきが、 昔 あって 今 は 無 い<br />
ものを 理 想 化 している。 同 時 に、 思 い 浮 かべて、ため 息 を 付 いているように 聞 こ<br />
えはしないかという、 答 えを 求 めていない 問 いかけのような 詩 で、 思 わず 木 々の<br />
ざわめきが 寂 しげなため 息 のように 聞 こえてくるような、ざわめきが 感 じられる<br />
ような 世 界 を 創 り 出 している。そして、 声 の 持 ち 主 は、 眼 に 見 えない「 風 」か
98<br />
ら、 大 きな 対 象 物 である「 海 」、それよりも 小 さな「 川 」そして「 鳥 」というよ<br />
うに、 遠 くにむいていた 視 点 が 少 しずつ 焦 点 を 定 めている。 最 後 のスタンザの、<br />
ずっと 昔 に 飛 び 去 ってしまった「 鳥 」は、ノグチ 自 身 かもしれない。 読 む 人 に、<br />
目 の 前 に 想 像 の 世 界 を 持 たせるような 構 成 となっている。<br />
また、 次 の 詩 も 同 じく『 巡 礼 』で 発 表 された 詩 だが、 逆 説 的 並 列 法 を 使 い、そ<br />
れが 大 きな 効 果 を 与 えている。<br />
Right and Left (77)<br />
The mountain green at my right:<br />
The sunlight yellow at my left:<br />
The laughing winds pass between.<br />
The river white at my left:<br />
The flowers red at my right:<br />
The laughing girls go between.<br />
The clouds sail away at my right:<br />
The birds flap down at my left:<br />
The laughing moon appears between.<br />
I turned left to the dale of poem:<br />
I turned right to the forest of Love:<br />
But I hurry Home by the road between.<br />
四 つのスタンザで、 右 左 、 左 右 、 右 左 、 左 右 と 交 互 に 使 われており、 逆 説 的 並<br />
列 法 の 中 にも、 更 に 二 層 目 の 逆 説 が 見 られる。また、はじめの 二 つのスタンザで<br />
は、 左 右 に 二 つに 色 をつけ、 原 色 が 単 純 すぎるかと 思 えるが、 頭 に 思 い 浮 かべや
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 99<br />
すくもある。そして、その 二 本 の 色 の 真 ん 中 を 通 り 抜 けるという 三 行 目 が、まる<br />
でその 音 が 聞 こえてくるかと 思 えるほど、 意 外 にも 現 実 的 な 動 きを 想 像 させるの<br />
である。 初 めの 二 つのスタンザは 想 像 の 世 界 で 収 まってしまうほど 軽 めな 内 容 だ<br />
が、 三 つ 目 のスタンザに 誰 もが 日 常 的 に 感 じる 現 実 的 な 場 面 を 持 って 来 て 現 実 味<br />
を 持 たせていることで、 四 つめのスタンザで 哲 学 的 なものを 語 っても 唐 突 な 感 じ<br />
がせず、その 理 想 をすんなりと 受 け 入 れられるような 運 びになっている。 詩 と 愛<br />
の 間 をバランスをもって 進 む、それがノグチが 目 指 す 方 向 性 なのだと、まるで<br />
くっきりとその 路 が 見 えてくるようである。そして、ホイットマンのように、 逆<br />
説 的 なものをカタログ 方 式 で 並 べながら、 絶 対 的 存 在 としての 自 己 を 表 現 してい<br />
るようである。<br />
このように、ノグチはホイットマンからの 詩 法 を 自 分 なりにアレンジしなが<br />
ら、アーサー・ランサムも 認 めたように、 手 で 触 る 事 の 出 来 ないものや 描 写 でき<br />
ないものを 通 して 理 想 的 な 現 実 を 表 わそうとした (78) 。また、それらの 表 現 が、<br />
国 籍 を 越 えた 多 くの 人 の 心 に 響 いたものであることは、 海 外 でノグチについて 書<br />
かれているランサムなどの 評 論 の 他 、エズラ・パウンドがノグチに 送 った 手 紙 に<br />
ある、“Of your country I know almost noting – surely if the east & west are<br />
over to understand each other that understanding must come slowly & come<br />
first throught [sic.] the arts” (79) などに 明 らかである。<br />
4.ヨネ・ノグチの 日 本 詩<br />
次 に、ノグチの 日 本 詩 を 具 体 的 に 少 し 見 てみたい。ノグチが 残 した、791 本 に<br />
上 ぼる 日 本 詩 は 多 くの 課 題 を 投 げかける。 例 えば、 当 時 の 日 本 詩 の 世 界 という 文<br />
脈 に 置 いて、ノグチの 詩 がどのように 取 られるのが 相 応 しかったか、 当 時 の 日 本<br />
の 詩 人 達 の 社 会 的 背 景 、また 当 時 の 英 米 文 壇 を 実 際 に 知 るノグチが 当 時 の 日 本 の<br />
詩 人 たちに 齎 した 本 当 の 影 響 や、ノグチが 後 世 の( 例 えば2008 年 現 在 における)<br />
詩 人 たちに 及 ぼした 影 響 、ノグチ 独 自 の 日 本 語 表 現 、 当 時 の 詩 人 達 との 細 かいや<br />
り 取 りから 見 えるノグチが 感 じていたであろう 疎 外 度 や、 疎 外 されたからこそ 貢
100<br />
献 できた 点 など、ノグチの 日 本 詩 についての 課 題 は 山 積 みであり、 今 後 の 研 究 を<br />
待 たなければならない。 現 時 点 で 思 いもつかぬ 課 題 も 多 々あるだろうと 予 想 でき<br />
るほど、ノグチの 日 本 詩 をめぐる 課 題 は 山 積 している。ここでは、ホイットマン<br />
の 影 響 やイギリスのロマン 派 の 影 響 がまだまだ 現 れていると 見 えるノグチの 詩 の<br />
ほんのいくつかを 紹 介 したい。<br />
まず、 先 ほどの “Right and Left” の 邦 訳 「 右 と 左 」である。これはまず、『 二<br />
重 国 籍 者 の 詩 』、その 後 改 稿 されて、『 野 口 米 次 郎 英 選 詩 集 』と『 表 象 抒 情 詩 』に<br />
も 収 録 された (80) 。<br />
(81)<br />
右 と 左<br />
青 い 山 は 私 の 右 に、<br />
黄 色 の 日 光 は 私 の 左 に、<br />
笑 ふ 風 はその 間 を 過 ぎゆく。<br />
白 い 川 は 私 の 左 に、<br />
赤 い 花 は 私 の 右 に、<br />
笑 ふ 處 女 はその 間 を 行 く。<br />
雲 は 私 の 右 を 帆 走 り、<br />
鳥 は 私 の 左 を 飛 び 降 る、<br />
笑 ふ 月 はその 間 に 顕 はれる。<br />
私 は 左 へ 向 いて 詩 の 谷 へ、<br />
私 は 右 へ 向 いて 戀 愛 の 森 へ…<br />
だが、 家 路 へとその 道 を 急 ぐ。<br />
漢 字 で 書 く「 右 と 左 」は、 英 語 の “Right and Left” よりも、 見 た 目 に 似 ている
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 101<br />
ようでいて 違 うために、 英 語 よりも、より 意 図 的 に 逆 説 的 並 列 をした 感 があり、<br />
日 本 詩 としては、 新 鮮 な 試 みだったに 違 いない。 似 たような、 又 は 同 じ 語 句 の 繰<br />
り 返 しを 伴 った 逆 説 的 並 列 を 通 して、 更 に 新 しい 展 開 の 方 法 を 紹 介 したのではな<br />
いか。 元 の 英 語 版 と 比 べると、いくつかの 点 が 見 えてくる。 英 語 だと “green”<br />
だった 山 の 色 は「 青 く」なり、 複 数 形 だった “Red flowers” や “Birds” は、ぽつ<br />
りと 一 輪 の 赤 い 花 、ふわっと 飛 び 降 りて 来 たたった 一 羽 の 鳥 、“clouds” が 大 き<br />
な 塊 を 感 じさせたのが、「 雲 」という 単 語 により、 綿 菓 子 をちょっと 大 きくした<br />
くらいのもののような 感 じを 与 える。リズムに 重 きを 置 き、あえて 複 数 にするこ<br />
とにこだわらなかったようだが、 浮 かんでくる 光 景 にもあまり 広 がりがない。 更<br />
に、 英 語 では、 形 容 詞 としての 色 が 名 詞 の 後 に 付 いていたために、 独 特 のリズム<br />
を 生 み 出 していたが、 日 本 語 では、 色 が 名 詞 の 前 に 置 かれているので、 原 色 が 強<br />
調 され 過 ぎている 感 があり、 却 って 安 っぽいイメージを 与 えているようである。<br />
邦 訳 してみたものの、 違 うものになってしまったのではないだろうか。<br />
次 に、「 東 洋 的 想 像 よ」という 詩 である。この 詩 は、『 沈 黙 の 血 潮 』に 掲 載 され<br />
たが、 改 訂 版 の 有 無 や、 初 出 などは 現 時 点 で 明 らかではない。<br />
東 洋 的 想 像 よ (82)<br />
降 る 雪 を 花 と 見 立 てる 東 洋 の 想 像 に 対 し 私 は 感 謝 する。<br />
冬 の 霜 や 風 に 春 の 音 信 を 聞 く 東 洋 の 想 像 に 対 し 私 は 感 謝 する。<br />
四 季 から 冬 を 奪 って、 室 内 に 春 を 想 像 する 東 洋 的 態 度 は、<br />
必 ずしも 冬 を 恐 れるからで 無 い、<br />
一 日 も 早 く 春 の 法 悦 に 俗 したい 希 望 からであると 信 じます<br />
ああ、 東 洋 的 想 像 よ、<br />
あなたは 決 して 卑 怯 者 では 無 い、<br />
あなたは 無 を 有 とする 勇 者 です。<br />
あなたのお 陰 で 私 達 は 此 小 さい 島 を 大 きな 世 界 として 数 千 年 間 生 きて<br />
来 ました。
102<br />
この 貧 しい 生 活 を 喜 ばしい 幻 像 で 包 んで 生 きて 来 ました。<br />
ああ、 東 洋 的 想 像 よ、<br />
あなたは 私 達 の 眼 界 から 實 在 を 奪 ったのでない、<br />
あなたは 私 達 に 第 四 次 (フォス・ダイメンション)の 世 界 を 与 えまし<br />
た。<br />
少 なくとも 私 があなたを 失 ったならば、<br />
その 時 こそは、 日 本 といふ 故 國 に 告 別 して、<br />
紐 育 か 倫 敦 の 郊 外 に 移 住 するでありませう。<br />
ああ、 東 洋 的 想 像 よ、<br />
なんだか 私 はあなたに 離 れさうに 思 はれます。<br />
どうか 私 をしっかり 捉 へて 居 てください--<br />
私 の 二 つの 手 はここにあります、<br />
その 手 をぢつと 握 っていてください。<br />
( 以 下 、 省 略 )<br />
この 詩 の 興 味 深 いところは、 東 洋 的 想 像 という、どのようにイメージすれば 良 い<br />
かわからないような 抽 象 的 なものへの 呼 びかけである 点 だといえる。ホイットマ<br />
ンは、よく 呼 びかけを 使 った。 例 えば、“Crossing Brooklyn Ferry” では、 第 9 節<br />
で “Flow on, river! flow with the flood-tide, and ebb with the ebb-tide!” (83) や、<br />
“Stand up, tall masts of Mannahatta! stand up, beautiful hills of Brooklyn!” (84)<br />
のように、 川 やマンハッタン、ブルックリンに 呼 びかけている。それらは 巨 大 す<br />
ぎて 一 度 に 視 野 に 収 まるものではないが、それでも 目 に 見 えるものへの 呼 びかけ<br />
である。ノグチは「 東 洋 的 想 像 」という 日 本 人 の 間 でも 曖 昧 な 概 念 に 呼 びかけに<br />
対 して、ノグチ 独 自 の 世 界 を 創 り 出 してしまっているところが、 如 何 にも、 西 洋<br />
で 暮 らした 経 験 を 持 つノグチらしい。そもそも、ノグチのいう 東 洋 的 想 像 という<br />
のは 何 か。この 詩 からは、 自 然 を、ありのままの 現 象 だけで 見 ないで、そこにあ<br />
らゆる 意 味 を 加 え、 自 然 が 齎 す 意 味 やその 意 味 が 齎 す 人 間 の 暮 らしをより 豊 かに
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 103<br />
するような 想 像 力 であるようだ。 本 論 文 の 第 I 章 に 紹 介 した 通 り、 萩 原 朔 太 郎 は<br />
ノグチの 日 本 詩 は 題 材 選 びからして 外 国 人 らしい、と 言 っているが、そのような<br />
批 判 とも 賛 美 とも 受 け 取 れる 言 葉 は、この 詩 にも 当 てはまるだろう。「ああ、 東<br />
洋 的 想 像 よ」というフレーズを 数 回 繰 り 返 しているために、 悲 痛 な 呼 びかけのよ<br />
うである。また、 最 後 の 二 行 は、 妙 に 現 実 味 を 与 えるが、 実 際 に、 東 洋 的 想 像 に<br />
手 を 握 られるということはどういうことなのか。つまり、 自 分 で 東 洋 的 想 像 に 掴<br />
まっているのではなく、それに 捕 まえられていなくては、どこかへ 行 ってしまう<br />
ほど 揺 れているのだろうか。そうだとすれば、 揺 れる 原 因 になっている 西 洋 的 想<br />
像 にそれほど 引 かれているのだろうか。これは、ノグチ 一 人 のことだけではな<br />
く、 日 本 全 体 が 西 洋 的 な 観 点 からものを 見 始 め、 西 洋 的 思 想 に 染 まり 始 めたこと<br />
を 悟 ったノグチの 比 喩 だったとも 受 け 取 れる。どちらにしても、この 呼 びかけ<br />
と、この 詩 が 描 き 出 す 状 況 は、 想 像 できるようであって 難 しい 点 、 普 段 の 何 気 な<br />
い 日 本 の 暮 らしの 中 から「 東 洋 的 想 像 」などという 哲 学 的 なものを 抜 き 出 して 名<br />
詞 化 している 点 を 含 んだ、 新 鮮 な 詩 だった、と 考 えられる。<br />
次 に、「 向 日 葵 」 という 詩 である。 この 詩 は、 英 語 版 『 巡 礼 』 に “To the<br />
Sunflower” が 載 せられた 後 、『 二 重 国 籍 者 の 詩 』、『 野 口 米 次 郎 英 詩 選 集 』、『 林 檎<br />
一 つ 落 つ』それぞれで、 邦 訳 の 改 訂 版 が 発 表 されている (85) 。<br />
(86)<br />
向 日 葵<br />
お 前 は 情 調 から 破 れ 出 る。<br />
私 共 は 悲 しくも 経 験 に 執 着 する。<br />
お 前 の 各 原 子 は、 生 命 の 奇 蹟 に 燃 える、<br />
如 何 に 充 實 の 生 命 にお 前 は 生 きるよ。<br />
日 光 に 生 きる 情 熱 家 、<br />
誇 りある 青 春 の 表 象 (シンボル)<br />
お 前 は 顔 を 寒 気 に 向 け、 影 に 向 けようと 思 ったことがあるか。<br />
お 前 は 舞 上 がる 色 彩 の 抒 情 詩 だ、
104<br />
無 言 の 詩 にお 前 は 飛 躍 する。<br />
お 前 は 生 命 の 意 味 を 呑 みほし・・・<br />
ああ、 驚 くべき 自 意 識 、<br />
ああ、 壮 大 な 存 在 感 。<br />
この 詩 は、 ウィリアム・ ブレイク(William Blake: 1757-1827) の “Ah! Sunflower”<br />
(87) を 連 想 させる。 人 間 がいかに 人 間 同 士 の 関 係 性 を 気 にして 生 きてい<br />
るかに 対 し、 向 日 葵 はいかに 素 直 に 生 きているのか。 表 現 や 語 句 は 違 うが、 内 容<br />
は 非 常 に 似 ている。ノグチがブレイクを 好 んで 読 んだという 記 録 には 出 会 ってい<br />
ないが、キーツやワーズワースが 好 きだったノグチのこと、ブレイクを 読 んでい<br />
ても 不 思 議 はない。また、この 詩 は、ホイットマン 的 要 素 も 入 っているとも 言 え<br />
る。「お 前 」という 語 句 を 何 度 か 繰 り 返 しながら、 向 日 葵 という、 誰 でも 知 って<br />
いる 草 花 を 選 び、まるで 気 の 知 れた 友 人 に 呼 びかけているかに 聞 こえる。また、<br />
向 日 葵 に 向 かって 呼 びかけているようでいて、 独 り 言 のようにも 聞 こえ、 実 は 私<br />
たち 人 間 に 聞 いてほしいのだな、と 感 じる 呼 びかけでもある。 更 に、 先 ほどの<br />
「 東 洋 的 想 像 」には「あなた」と 言 っていただけではなく、「どうか…」と 謙 って<br />
いたのに 対 し、 向 日 葵 には 少 々 強 気 に「お 前 」と 言 っているあたりは、 日 本 語 な<br />
らではの 距 離 感 の 表 現 である。 亀 井 が 指 摘 した、ノグチがホイットマンから 受 け<br />
た 影 響 の 一 つが 神 秘 的 自 然 観 であったが、 時 には、この 向 日 葵 のように、 距 離 感<br />
を 縮 めながら、 時 には、 拝 むようにひたすら 賛 美 しながら、ノグチは、 自 然 を 通<br />
して 理 想 の 生 き 方 を 語 る 詩 法 を 日 本 に 広 めたかったに 違 いない。<br />
このように、ノグチは 欧 米 で 学 んで 来 た 詩 法 や 思 考 様 式 を、 日 本 語 でも 表 わそ<br />
うと 試 みた。<br />
III<br />
本 論 文 を 通 して 提 示 したように、ヨネ・ノグチは、その 72 年 の 生 涯 で、 日 本<br />
人 として 他 に 類 を 見 ない 程 、 数 々の 国 際 的 な 業 績 を 残 した。 本 論 文 で 取 り 上 げた
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 105<br />
以 外 にも、 日 本 と 欧 米 の 文 化 史 を 研 究 する 上 で 見 逃 せない 点 は 多 数 ある。ノグチ<br />
は、10 年 の 英 米 での 生 活 を 終 えて 帰 国 した 理 由 を、いくらそこに 住 んでいたと<br />
してもイギリス 人 にもアメリカ 人 にもなれる 理 由 がない、と 語 ったのは 前 述 した<br />
通 りである。 日 本 に 帰 国 すれば 当 然 のように 何 も 疑 問 を 抱 かずに 母 国 に 所 属 して<br />
いるという 確 かな 安 堵 感 を 得 られることを 思 い 描 いて 帰 国 を 決 意 しただろう。 日<br />
本 人 であるということすら 認 識 もしない 生 活 を 予 想 していたかもしれない。だ<br />
が、 帰 国 後 の 日 本 で 予 想 以 上 に 異 邦 人 に 仕 立 てられてしまったノグチは、 散 文 を<br />
通 した 日 本 と 西 洋 の 文 化 の 橋 渡 しを 自 分 の 役 割 と 思 うようになり、 務 めたのでは<br />
なかったか。<br />
このように、 日 本 に 居 ながら 周 縁 に 追 いやられ、 自 らも 周 縁 に 居 場 所 を 求 めて<br />
生 きてきたノグチは、ポオの 人 生 に 共 感 を 覚 える、と 書 き 残 している。エド<br />
ガー・アラン・ポオは、19 世 紀 のアメリカ 人 の 詩 人 であり、 作 家 である。アメ<br />
リカで 生 まれ 育 ち、 生 涯 、 国 外 に 出 なかったにも 関 わらず、ポオが 書 いた 多 くの<br />
作 品 はアメリカらしさを 連 想 させない、と 言 われている。 作 品 は 今 日 でも 読 まれ<br />
続 け、アメリカ 文 学 のアンソロジーにも 含 まれ 続 けている。だが、 一 方 で、ポオ<br />
をアメリカ 文 学 史 の 中 でどこに 位 置 づけたらよいかと 悩 む 学 者 も 多 いほど、ポオ<br />
は 異 端 者 なのである。ポオの 作 品 をノグチに 紹 介 したのは、ミラーであった。ポ<br />
オは、 既 にこの 世 の 人 ではなかったが、ノグチはポオに 不 思 議 なほど 親 近 感 を 覚<br />
え、ホイットマンの 詩 と 同 じくらいにポオの 詩 を 読 みふけり、ポオの 夢 をみた<br />
り、ポオに 自 分 を 重 ね 合 わせ、 自 分 がポオであると 錯 覚 する 程 だった、と 語 って<br />
いる。ついには、サンフランシスコで 詩 人 として 駆 け 出 しの 頃 、ポオの 詩 の 一 部<br />
分 を 盗 作 した 疑 いをかけられ、ミラーやジレット・バージスに 弁 解 してもらう、<br />
という 事 件 もあった (88) 。そのノグチは、1926 年 、『ポオ 評 伝 』 (89) というブック<br />
レットを 出 版 した。 評 伝 は、ポオをどのように 評 価 したらよいものか 考 えあぐね<br />
ている、という 率 直 な 気 持 ちで 書 き 始 められている。だが、その 文 章 は「ポオ」<br />
の 部 分 を「ヨネ・ノグチ」に 置 き 換 えると、ノグチ 自 身 について 語 ったものとし<br />
て 読 むこともできるものとなっている。
106<br />
散 文 抜 きで[ポオ]を 考 へることは 不 可 能 である、 又 詩 抜 きで 彼 を<br />
考 へることは、 彼 に 対 する 冒 涜 であり 侮 辱 である。 彼 は 散 文 と 詩 との<br />
両 端 を、 世 界 に 稀 な 理 智 と 想 像 の 力 で 橋 掛 けた。 然 し 彼 の 散 文 が 彼 を<br />
尽 きない 批 評 の 問 題 としている 所 からいうと、 彼 は 散 文 の 人 で、 彼 を<br />
従 として 取 扱 ったものとも 見 える。[ポオ] 自 身 では 詩 の 人 と 信 じたに<br />
相 違 いないが、 収 穫 の 外 側 から 見 ると、 彼 に 対 する 散 文 は 主 となって<br />
いるように 見 える。 少 なくとも 彼 は 散 文 のお 陰 で、 世 界 の 文 学 史 に 沢<br />
山 の 頁 を 割 かしている (90) 。<br />
ノグチが、この『ポオ 評 伝 』を 出 版 した 時 、『 二 重 国 籍 者 の 詩 』の 発 表 から 6<br />
年 経 っていた。ポオは、ノグチとは 違 い、 二 カ 国 語 で 書 いたり、 二 カ 国 の 狭 間 に<br />
落 ち 込 んだわけでもない。だが、ノグチは、ポオの 評 伝 執 筆 を 通 して、 母 国 に 居<br />
ながら 益 々 疎 外 されてゆく 自 分 の 境 遇 を 重 ね 合 わせたはずである。ノグチはこの<br />
評 伝 を 通 して、ポオへの 尊 敬 を 表 明 しただけではなく、ポオの 人 生 のあらゆる 面<br />
を 弁 護 している。 更 に、アメリカ 人 が、 同 国 出 身 のポオに 正 しい 理 解 を 寄 せてい<br />
ないことも 非 常 に 残 念 がっている。<br />
米 国 人 はその 現 実 的 悲 哀 を 見 て 同 情 しないばかりか、この 憐 れな 其<br />
の 一 生 を 歌 舞 伎 芝 居 のように 徒 に 強 烈 な 色 彩 で 塗 りたてている。そし<br />
てどうしても 彼 を 平 和 な 無 害 な 人 情 の 人 間 と 見 ることを 承 知 しないよ<br />
うである。 彼 は 誇 張 の 筆 で 後 世 に 誤 り 伝 えられたかの 感 がある…かか<br />
る 文 学 者 は 世 界 広 しともその 比 較 を 見 ない (91) 。<br />
ノグチは、1926 年 出 版 『ポオ 評 伝 』を、「 一 言 で 言 うと、ポオは 米 国 文 壇 の 異 端<br />
者 だ。 私 は 彼 を 異 端 者 だと 賛 美 してこの 評 伝 を 終 る」 (92) という 文 で 締 め 括 って<br />
いる。 異 端 者 として、また、 異 端 者 を 応 援 する 一 人 の 知 識 人 としての 堂 々とした<br />
自 信 が 感 じられる 一 言 である。ところが、1934 年 に 研 究 社 から 出 版 された 改 訂
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 107<br />
版 『ポオ 評 伝 』には、 最 後 の 一 文 が 含 まれておらず、「 一 言 で 言 うと、ポオは 米<br />
国 文 壇 の 異 端 者 だ」 (93) で 終 っているのだ。この 間 8 年 、ノグチの 考 え 方 にどのよ<br />
うな 変 化 が 生 じて、 最 も 力 強 かった 最 後 の 一 文 を 取 り 除 いたのであろうか? ま<br />
た、 異 端 者 のポオであっても 文 学 史 に 含 まれ 続 けているアメリカ 文 学 と、 異 端 者<br />
であったためにノグチが 除 外 され 続 けている 日 本 文 学 史 の 違 いは 何 であろうか?<br />
亀 井 は、ノグチに 見 られるような 二 重 性 は、 決 してノグチ 一 人 だけの 問 題 では<br />
なかった 筈 である (94) 、と 指 摘 している。 明 治 以 降 、 日 本 には 常 に、 西 洋 化 ( 及<br />
び、アメリカ 化 )という 現 象 と、それに 反 発 しようとする「 純 日 本 化 」の 両 方 が<br />
混 在 していたのだ。グローバル 化 が 進 んでいる 今 日 に 至 っては、 日 本 人 だけでは<br />
なく 世 界 各 地 の 人 々が 直 面 している、アイデンティティ、 国 や 国 籍 、 文 化 などに<br />
関 わる 問 題 のはずである。<br />
ノグチと 同 じ 時 代 を 生 きた 詩 人 の 金 子 光 晴 は、2 度 の 渡 欧 を 経 験 し、「それ<br />
は… 僕 を、 中 途 半 端 なエトランジェーにしてしまった。 外 国 生 活 の 間 の 僕 の 異 邦<br />
人 は、 日 本 へ 帰 って 来 ても、そのままもちこされてしまった」 (95) と 書 いている。<br />
その 後 の 生 涯 は 日 本 で 過 ごし、 作 品 も 日 本 語 で 残 したが、 日 本 のある 友 達 から、<br />
「 光 っちゃんのしごとは、 結 局 、 日 本 の 文 学 とは 無 縁 なんじゃないか。そうで<br />
しょう?きれいに 花 は 咲 いても、 種 子 もとれないし、 移 植 をしても 来 年 は 花 が 咲<br />
かないという 木 があるでしょう」 (96) と 言 われ、 図 星 とも 思 えるところを 意 見 さ<br />
れた、と 認 めている。これは、ノグチの 人 生 にも 当 てはまる 言 葉 である。ノグチ<br />
や 金 子 の 境 遇 をみれば 明 らかなように、 少 なくとも 当 時 の 日 本 には、 彼 等 が 見 事<br />
な 花 を 咲 かせ 続 けられるような 土 壌 が 整 っていなかったのだ。そのような 土 壌 作<br />
りは、 今 日 の 社 会 において、 必 要 に 迫 られているのではないだろうか。<br />
疎 外 され、アイデンティティの 確 立 が 困 難 になる、ディアスポラと 呼 ばれてい<br />
る 現 象 がある。 一 般 に、 祖 国 から 物 理 的 に 離 れてしまっている 人 を 指 し、「ディ<br />
アスポラ 的 な 意 識 = 故 郷 からの 離 散 」 (97) とされる。 故 郷 を 支 持 し 続 けながらも、<br />
自 分 のエスニシティとして 故 郷 のものを 採 用 することに 抵 抗 し 続 けることがディ<br />
アスポラだ (98) 。ノグチの 人 生 は、 物 理 的 に 故 郷 から 離 散 していた 訳 でもなく、
108<br />
日 本 人 というアイデンティティに 抵 抗 していた 訳 でもないため、ディアスポラは<br />
当 てはまらない。ノグチは、 帰 国 し、 恐 らく 無 意 識 のうちに「 日 本 人 」というも<br />
のをエスニシティとして 過 度 に 採 用 したが、ノグチ 程 に 一 度 外 国 を 知 ってしまっ<br />
た 者 は 純 粋 な 日 本 人 でないと 見 なされ、 最 終 的 には、 母 国 における「 異 邦 人 」と<br />
なり 果 ててしまった。ディアスポラとしての 人 生 を 送 る 人 々の 多 くが、 国 の 政 治<br />
的 状 況 などが 原 因 で 強 制 的 に 祖 国 から 離 れなければならなかった 人 たちであるの<br />
に 対 し、ノグチは、 自 分 の 自 由 意 志 で 祖 国 を 離 れ、 自 分 の 意 志 で 帰 国 した 結 果<br />
の、 異 邦 人 なのだ。 今 後 、グローバル 化 が 進 むにつれ、ノグチと 似 たような 経 緯<br />
を 歩 み、 前 述 したようなトランスカルチュラリズムを 経 て、 祖 国 に 居 ながら「 異<br />
邦 人 」と 自 他 共 に 認 めるような 人 材 が 増 え 続 けて 行 くであろう。いつまでも、 従<br />
来 の 枠 に 当 てはめて 歴 史 を 作 っていたのでは、ノグチのような 人 物 はどこからも<br />
取 り 上 げられずに 終 わってしまう。<br />
外 山 は、ノグチの「 旅 行 者 」という 詩 を 読 むと、フランスの 詩 人 、シャルル・<br />
ボードレール(Charles Pierre Baudelaire: 1821-1867)の「 異 人 (L’Etranger )」<br />
という 散 文 詩 を 思 い 出 すと 述 べている。ノグチの 詩 は、ボードレールの 散 文 詩 の<br />
日 本 版 と 思 うほど 象 徴 的 な 技 法 が 似 ている、というのだ (99) 。ここで、その 2 つ<br />
の 詩 を 紹 介 したい。 始 めに、ボードレールの「 異 人 」である。<br />
(100)<br />
異 人<br />
—— 君 の 最 愛 の 者 は 誰 か、 謎 の 男 よ、 告 げよ? 父 か、 母 か、 妹 か、<br />
はたは 兄 か?<br />
—— 父 も、 母 も、 妹 も、 兄 も、 僕 にはないよ。<br />
—— 友 人 か?<br />
—— 君 のいうその 言 葉 の 意 味 を、 今 日 まで 僕 は 知 らないんだ。<br />
—— 祖 国 をか?<br />
—— 僕 は 知 らない、 地 上 いずこにそれが 在 るか。<br />
——では、 美 女 か?
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 109<br />
—— 愛 しもしようさ、 女 神 のようにつつましく、 不 死 の 美 女 なら。<br />
——そんなら 金 か?<br />
—— 僕 はそいつを 憎 む、 君 が 神 を 憎 むように。<br />
——そんなら 君 は 何 を 愛 するのか、 風 変 わりな 異 人 よ。<br />
—— 僕 はあの 雲 を 愛 する…、 遠 くみ 空 を 流 れ 行 くあの 雲 を…、<br />
素 晴 らしいあの 浮 雲 を!<br />
次 に、ノグチの 詩 、「 旅 行 者 」の 全 文 をあげてみる。この 詩 は 何 度 か 改 訂 された<br />
が、 下 記 に 引 用 したのは、『 表 象 抒 情 詩 』の 中 に 収 められていた 最 終 版 である。<br />
(101)<br />
旅 行 者<br />
「あなたの 髪 は 薄 い、 頬 骨 は 高 い、 譬 へると 冬 の 禿 げ 山 だ。<br />
静 寂 の 姿 はいいが、あなたの 眼 の 倦 怠 の 微 光 が 気 にかかる。<br />
あなたは、どなたですか。」<br />
「 私 の 名 前 など 話 した 所 で 詰 らない…… 風 のような 旅 人 に 過 ぎない。<br />
時 (タイム)という 噛 み 煙 草 をのべつに 噛 んだため、 私 の 歯 は 黄 ばん<br />
で 仕 舞 った。<br />
人 は 私 の 口 の 臭 気 に 辟 易 するであらう。」<br />
「いや、 私 は 臭 気 などを 恐 れるものでない、<br />
どうか 人 生 の 旅 行 談 一 つ 二 つ、 私 に 聞 かしてください。」<br />
「 君 の 若 い 時 代 のエレン・テリーが 想 像 されるだらうか……。<br />
私 はエレンの 奇 麗 な 髪 と 純 白 な 曲 線 美 にほれぼれした。<br />
キュウ・ガーデンの 青 い 草 で 英 国 の 春 は 尽 きるであらう。<br />
草 と 草 の 間 から 顔 を 出 すチューリップは、まるで 小 さい 仙 女 だ。
110<br />
私 は 礼 儀 正 しい 東 洋 人 であることを 喜 んだ……<br />
チェルシーで、カーライルの 銅 像 へ 朝 の 挨 拶 さえしたこともある。」<br />
「ああ、 一 体 どなたですか。」<br />
「 幾 千 万 とある 旅 行 者 の 一 人 だといって 置 かう。<br />
幻 のように 感 激 と 反 省 との 間 を 歩 いて、<br />
風 の 如 く、 空 中 にきえてゆく 人 間 に 過 ぎない。<br />
君 は 私 の 名 前 を 聞 いて、どうなさる。」<br />
両 者 ともに、 祖 国 におさまって 生 きて 来 た 者 の 質 問 に 答 えるという 形 式 で 書 い<br />
ている。 質 問 者 たちは、この 異 人 / 旅 行 者 それぞれを、もっと 確 かなものと 結 び<br />
つけて、そのアイデンティティを 確 立 させようとしているが、その 期 待 を 裏 切 る<br />
かのように、 彼 等 は 質 問 者 の 理 解 の 範 疇 を 越 えた 広 い 世 界 で 生 きていると 応 じ<br />
る。ボードレールの、「そんなら 君 は 何 を 愛 するのか、 風 変 わりの 異 人 」という<br />
問 いへの、「 僕 はあの 雲 を 愛 する」という 答 えは、 詩 的 で、 広 がりと 強 さを 感 じ<br />
させるが、 同 時 に 寂 しさも 漂 わせている。 一 方 、ノグチも、 何 者 か 問 われている<br />
にも 関 わらず、「 幾 千 万 とある 旅 行 者 の 一 人 」で、「 風 の 如 く、 空 中 にきえてゆく<br />
人 間 にすぎない」と 答 え、やがて 忘 れられるのなら、 初 めから 気 にされない 方 が<br />
余 程 良 い、と 言 わんばかりだ。 雲 と 風 、どちらもその 時 には 存 在 しても、 永 遠 に<br />
続 くことは 約 束 されていないどころか、あまりにも 儚 い。 両 者 とも、 家 や 家 族 や<br />
故 郷 などどこにも 持 つまい、という 決 心 と 孤 独 を 必 死 に 詩 的 に 表 現 しようとして<br />
いるが、 強 がりに 聞 こえる 節 もある。 孤 独 感 を 今 更 告 白 しても、 何 も 変 わらない<br />
のだ。ボードレールとノグチが 生 きた 時 代 は 異 なるが、 両 者 の 共 通 点 の 一 つは、<br />
この 地 球 上 での 移 動 が 現 在 よりもはるかに 困 難 だった 時 代 に 外 国 を 体 験 してし<br />
まった 者 のみが 感 じた 疎 外 感 だろう。<br />
「 異 邦 人 」 的 な 人 物 は、 彼 等 自 身 のトランスカルチュラルな 人 生 を 通 して 創 り
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 111<br />
出 した 文 化 によって 社 会 に 齎 すことのできる 多 くの 独 自 の 可 能 性 を 秘 めている 筈<br />
である。グローバル 化 が 進 む 今 日 だからこそ、ノグチの 様 な 先 駆 者 の 再 評 価 は 急<br />
がれているだろう。<br />
*<br />
編 注 : 本 論 文 は『ICU 比 較 文 化 』 編 集 委 員 会 が2008 年 10 月 31 日 に 受 領 したが、<br />
編 集 上 の 事 情 により 本 号 への 掲 載 となったものである。<br />
<br />
( 1 ) 内 田 魯 庵 「 世 界 的 に 承 認 される 亜 細 亜 の 詩 人 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1965)p.115: 「 日 本 の 文 芸 家 からノーベル 賞 金 の 受<br />
領 者 を 詮 衝 するとしたら、 差 向 き 第 一 に 選 に 上 るは 野 口 ヨネ 君 であらう」<br />
( 2 ) Noguchi, Yone. Seen and Unseen; or, Monologues of a Homeless Snail. (San Francisco:<br />
Gelett Burgess & Porter Garnett, 1897, 1 st ed.).<br />
( 3 ) Noguchi, Yone. From the Eastern Sea. (London, Privately Printed, 1903, 1 st ed.);<br />
Noguchi, Yone. From the Eastern Sea. (London: Unicorn Press, 1903, 2 nd ed.).<br />
( 4 )「のべ」というのは、ノグチは 同 じ 著 作 でも 改 版 の 際 に 初 版 と 第 2 版 をそれぞれ 別 に<br />
数 えているため。<br />
( 5 ) New York Times, July 15 th , 1945, p.23<br />
( 6 ) 野 口 米 次 郎 『 二 重 国 籍 者 の 詩 』( 東 京 : 玄 文 社 , 1921)pp.1-2<br />
( 7 ) 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』 全 3 巻 ( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1963-<br />
1975);『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研 究 』<br />
( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)<br />
( 8 ) 外 山 卯 三 郎 『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)p.26<br />
( 9 ) 萩 原 朔 太 郎 「 野 口 米 次 郎 論 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』( 東 京 : 造 形 美<br />
術 協 会 出 版 局 , 1965)p.15<br />
(10) 同 上 p.21<br />
(11) 同 上 p.17<br />
(12) 同 上 p.18<br />
(13) 同 上 p.19<br />
(14) 同 上<br />
(15) 同 上 p.20
112<br />
(16) 同 上<br />
(17) 外 山 卯 三 郎 「 萩 原 朔 太 郎 の 見 た 詩 人 野 口 米 次 郎 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ<br />
研 究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1965)p.91<br />
(18) 同 上<br />
(19) 萩 原 朔 太 郎 「 野 口 米 次 郎 論 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』( 東 京 : 造 形 美<br />
術 協 会 出 版 局 , 1965)p.20<br />
(20) これらの 数 は、 今 後 変 更 される 可 能 性 が 多 分 にある。 詩 集 として 出 されている 作 品<br />
が 全 て 含 まれているかが 不 確 かなためである。また、ノグチは 同 じ 作 品 を 複 数 の 詩<br />
集 に 納 めているが、2 冊 以 上 の 詩 集 に 納 められている 詩 のうち、 少 々 編 集 してある<br />
ものと、または 全 く 同 じものの 両 方 があるようである。 例 えば、From the Eastern<br />
Sea という、1903 年 にロンドンで 自 費 出 版 した 詩 集 (16 ページ、 詩 8 篇 )は、ロン<br />
ドンの 文 壇 から 好 評 を 得 たために 第 2 版 を London Unicorn Press から 出 版 した。 第<br />
2 版 は、73ページ、 詩 も28 篇 追 加 されているが、そのうちのいくつかは、その 前 に<br />
サンフランシスコで 出 版 した 詩 集 に 入 っているものの 再 録 なのである。それらの 細<br />
かい 計 算 をすれば、ノグチが 残 した 詩 の 数 が 正 確 に 出 る 筈 だが、 本 論 文 では、ノグ<br />
チの 作 品 のうちの 詩 についての 概 要 を 掴 む 事 しかできなかった。<br />
(21) Kamei, Shunsuke. Yone Noguchi, an English Poet of Japan: an Essay. (Tokyo: The Yone<br />
Noguchi Society, 1965) p.12<br />
(22) Ibid.<br />
(23) “Opinions” in Noguchi, Yone. From The Eastern Sea. (3 rd ed.) quoted in Collected<br />
English Works of Yone Noguchi Poems, Novels and Literary Essays. Kamei, Shunsuke ed.<br />
(Tokyo: Edition Synapse, 2007) p.27<br />
(24) 野 口 米 次 郎 「シェリーの 長 椅 子 」『 英 語 研 究 の 70 年 』( 東 京 : 研 究 社 , 1975)pp.227-<br />
8<br />
(25) “Opinions” in Noguchi, Yone. From The Eastern Sea. (3 rd ed.) quoted in Collected<br />
English Works of Yone Noguchi Poems, Novels and Literary Essays. Kamei, Shunsuke ed.<br />
(Tokyo: Edition Synapse, 2007) p.2<br />
(26) Noguchi, Yone. Yone Noguchi Collected English Letters. Atsumi, Ikuko. ed. (Tokyo:<br />
The Yone Noguchi Society, 1975) をはじめとする 書 簡 集 などを 参 考 にしてまとめた。<br />
(27) Ransome, Arthur. Portraits and Speculations. 亀 井 俊 介 編 / 解 説 『ヨネ・ノグチの 英 文<br />
著 作 』( 東 京 : Edition Synapse, 2007) 所 収 .p.192<br />
(28) Lawrence, D.H. The Letters of D.H.Lawrence. Boulton, James T. ed. (Cambridge and<br />
New York: Cambridge University Press, 1979-2000) vol. 1-8. p.61, no.636. To Marsh,<br />
Edward. 18 [-20] August 1913: “...And if the mood is out of joint, the rhythm often<br />
is. I have always tried to get an emotion out in its own course, without altering it. It<br />
needs the finest instinct imaginable, much finer than the skill of the craftsmen. That
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 113<br />
Japanese Yone Noguchi tried it. He doesn’t quite bring it off. Often I don’t –<br />
sometimes I do. Sometimes Whitman is perfect.”<br />
(29) 和 田 桂 子 「 野 口 米 次 郎 のロンドン(7)— 日 本 詩 歌 論 をめぐって—」『 大 阪 学 院 大 学<br />
外 国 語 論 集 』 第 40 号 ( 大 阪 学 院 大 学 外 国 語 学 科 , 第 40 号 , 1996)pp.31, 35-6 注 (28)<br />
を 参 照 。<br />
(30) 亀 井 俊 介 「ヨネ・ノグチの 日 本 主 義 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』( 東<br />
京 : 造 形 美 術 出 版 局 , 1975)p.146<br />
(31) Gould, Axelrod Steven; Roman, Camille; Travisano, Thomas ed. The New Anthology<br />
of American Poetry: Modernism:1900-1950. (New Jersey: Rutgers University Press,<br />
2005); Gioia, Dana; Mason, David; Schoerke, Meg ed. Twentieth-Century American<br />
Poetry. (Boston: McGraw-Hill Humanities/Social Sciences/Langua, 2003); Kale, Tessa<br />
ed. The Columbia Granger's Index to Poetry in Anthologies. (New York: Columbia<br />
University Press, 2007); Hass, Robert ed. American Poetry: The Twentieth Century :<br />
Henry Adams to Dorothy Parker. (New York: Library of America, 2000).<br />
(32) 金 子 光 晴 「 野 口 米 次 郎 ・ 人 と 作 品 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』( 東 京 :<br />
造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1975)p.95<br />
(33) 川 路 柳 虹 「 一 詩 人 への 尊 敬 」 読 売 新 聞 1926 年 2 月 8 日 朝 刊 4 面<br />
(34) 内 田 魯 庵 「 世 界 的 に 承 認 される 亜 細 亜 の 詩 人 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1965)p.116<br />
(35) 外 山 卯 三 郎 『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)p.130<br />
(36) 同 上 p.132<br />
(37) Noguchi, Yone. Yone Noguchi Collected English Letters. Atsumi, Ikuko ed. (Tokyo: The<br />
Yone Noguchi Society, 1975).<br />
(38) 高 井 蒼 風 『 英 詩 人 ヨネ・ 野 口 の 栄 光 :その 英 米 における 遍 歴 苦 闘 の 秘 録 』( 東 京 : 紀<br />
尾 井 書 房 , 1985)<br />
(39) 同 上 pp.2-3<br />
(40) 1986 年 、 昭 和 61 年<br />
(41) 同 上<br />
(42) 亀 井 俊 介 編 / 解 説 『ヨネ・ノグチの 英 文 著 作 』( 東 京 : Edition Synapse, 2007)p.7<br />
(43) Kamei, Shunsuke. Yone Noguchi An English Poet of Japan. (Tokyo, The Yone Noguchi<br />
Society, 1965) p.45<br />
(44) 近 藤 史 人 『 藤 田 嗣 治 「 異 邦 人 の 生 涯 」』( 東 京 : 講 談 社 , 2006)p.150<br />
(45) トランスカルチュラリズムという 語 の 定 義 については、 江 淵 一 公 「トランスカル<br />
チュラリズムの 研 究 — 文 化 人 類 学 ・ 異 文 化 教 育 学 の 視 角 —」『トランスカルチュラ<br />
リズムの 研 究 』 江 淵 一 公 編 ( 東 京 : 明 石 書 店 , 1998)pp.21-26, 48-49を 参 考 にした。
114<br />
(46) Noguchi, Yone. Collection of Letters and Papers from Yone Noguchi. (University of<br />
California, Berkeley, Bancroft Library, BANC MSS C-H 127).<br />
(47) Noguchi, Yone. The Pilgrimage. (Kamakura: the Valley Press; Yokohama: Kelly &<br />
Walsh, Limited, 1909).<br />
(48) 外 山 卯 三 郎 『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)<br />
(49) 同 上 p.129. 更 に p.156 には「Whitman 独 自 の 詩 の 構 成 や Leaves of Grass の 毎 版 宛<br />
に 変 わってゆくことは、 研 究 社 版 『 英 米 文 学 事 典 』( 齋 藤 勇 博 士 編 、 昭 和 12 年 10 月<br />
15 日 刊 )1007 頁 にも 記 されている」とある。<br />
(50) 同 上 p.73<br />
(51) 同 上 p.74<br />
(52) 同 上 p.75<br />
(53) 同 上 p.83<br />
(54) Rosssetti, William M. “Afterword,” quoted in Noguchi, Yone. Pilgrimage. quoted in<br />
Noguchi, Yone. Selected English Writings of Yone Noguchi, an East-West Literary<br />
Assimilation. vol.1: Poetry. Hakutani, Yoshinobu. ed. (London and Toronto:<br />
Associated University Presses, Inc., 1990) p.160<br />
(55) Ibid.<br />
(56) 野 口 米 次 郎 『 野 口 米 次 郎 英 詩 選 集 』( 東 京 :アルス, 1922)<br />
(57) 外 山 卯 三 郎 『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)p.121<br />
(58) 同 上 p.122<br />
(59) 山 宮 允 「 野 口 米 次 郎 論 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』( 東 京 : 造 形 美 術 出<br />
版 局 , 1963)p.126<br />
(60) 亀 井 俊 介 「 東 京 大 学 新 聞 評 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』( 東 京 : 造 形 美<br />
術 出 版 局 , 1965)p.304<br />
(61) 齋 藤 勇 「ヨネ・ノグチ」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』( 東 京 : 造 形 美 術 出<br />
版 局 , 1963)p.33<br />
(62) 佐 藤 一 英 「 無 の 中 の 影 (ゴヘンサマの 詩 人 ・ 野 口 米 次 郎 )」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨ<br />
ネ・ノグチ 研 究 』( 東 京 : 造 形 美 術 出 版 局 , 1963)p.119<br />
(63) 服 部 嘉 香 「 野 口 米 次 郎 論 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』( 東 京 : 造 形 美 術<br />
出 版 局 , 1963)p.135<br />
(64) 同 上<br />
(65) 大 江 満 雄 「『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』を 読 んで」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 出 版 局 , 1975)p.247<br />
(66) 亀 井 俊 介 『 近 代 文 学 におけるホイットマンの 運 命 』( 東 京 : 研 究 社 , 1970)pp.351-
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 115<br />
374<br />
(67) 野 口 米 次 郎 「 私 の 発 想 に 就 て— 岩 野 泡 鳴 君 に 答 ふ」 読 売 新 聞 1916 年 1 月 21 日 朝 刊 7<br />
面<br />
(68) 同 上<br />
(69) 同 上<br />
(70) 野 口 米 次 郎 , 三 木 露 風 , 千 家 元 麿 , 日 夏 耿 之 介 『 現 代 日 本 文 学 全 集 73: 野 口 米 次 郎 , 三<br />
木 露 風 , 千 家 元 麿 , 日 夏 耿 之 介 』( 東 京 : 筑 摩 書 房 , 1956)p.16<br />
(71) 同 上<br />
(72) 伊 藤 信 吉 他 編 『 現 代 詩 鑑 賞 講 座 』 第 1 巻 ( 東 京 : 角 川 書 店 , 1969)<br />
(73) 亀 井 俊 介 『 近 代 文 学 におけるホイットマンの 運 命 』( 東 京 : 研 究 社 , 1970)p.358: 「 精<br />
神 主 義 的 なナショナリズム— 建 国 の 理 想 の 崩 壊 の 危 機 にあるアメリカに 精 神 的 活 力<br />
を 復 活 せしめようとする 努 力 —ノグチはこれをアメリカの 物 質 主 義 に 挑 戦 する 東 洋<br />
の 精 神 主 義 の 形 に 転 化 した」「 強 烈 なエゴティズム-- 精 神 主 義 のもっとも 手 近 なあ<br />
らわれとして 自 己 を 神 にまでたかめる 態 度 。」<br />
(74) 同 上 pp.79-86<br />
(75) 同 上 p.360<br />
(76) Noguchi, Yone. Pilgrimage Vol.2. (Kamakura: the Valley Press; Yokohama: Kelly &<br />
Walsh, Limited, 1909) pp.112-113.<br />
(77) 同 上 p.93<br />
(78) Ransome, Arthur. Portraits and Speculations. 亀 井 俊 介 編 / 解 説 『ヨネ・ノグチの 英 文<br />
著 作 』( 東 京 : Edition Synapse, 2007) 所 収 .p.189<br />
(79) Noguchi, Yone. Yone Noguchi Collected English Letters. Atsumi, Ikuko. ed. (Tokyo:<br />
The Yone Noguchi Society, 1975) p.211<br />
(80) 外 山 卯 三 郎 『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)p.383<br />
(81) 同 上 pp.214-215<br />
(82) 日 夏 耿 之 介 他 編 『 日 本 現 代 詩 大 系 』 第 6 巻 ( 東 京 : 河 出 書 房 , 1949)p.17<br />
(83) Whitman, Walt. “Crossing Brooklyn Ferry,” The Norton Anthology American Literature<br />
Shorter Fifth Edition. Baym, Nina, ed. (New York and London: W. W. Norton &<br />
Company, 1999) p.1036<br />
(84) 同 上 p.1037<br />
(85) 外 山 卯 三 郎 『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)p.382<br />
(86) 同 上 p.184<br />
(87) Blake, William. Songs of Innocence and of Experience. (The Pennsylvania: Franclin<br />
Center, 1980) p.80
116<br />
(88) 野 口 米 次 郎 『 英 米 之 十 三 年 』( 東 京 : 春 陽 堂 , 1905)pp.7-10<br />
(89) 野 口 米 次 郎 『ポオ 評 伝 』( 東 京 : 第 一 書 房 , 1926)<br />
(90) 同 上 p.1 [ ]は 筆 者 。この[ポオ]を[ノグチ]と 置 き 換 えれば、ノグチの 自 己 評<br />
価 として 通 用 するだろう。<br />
(91) 同 上 p.102<br />
(92) 野 口 米 次 郎 『ポオ 評 伝 』( 東 京 : 第 一 書 房 , 1926) 所 収 ; 野 口 米 次 郎 『 野 口 米 次 郎 選<br />
集 』3 海 外 文 学 ・ 持 論 ( 東 京 :クレス, 1998)p.169<br />
(93) 野 口 米 次 郎 『ポオ 評 伝 』( 東 京 : 研 究 社 , 1934)p.105<br />
(94) 亀 井 俊 介 「ヨネ・ノグチの 日 本 主 義 」 外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』( 東<br />
京 : 造 形 美 術 出 版 局 , 1966)p.123<br />
(95) 佐 伯 彰 一 , 松 本 健 一 監 修 『 作 家 の 自 伝 13 金 子 光 晴 』( 東 京 : 日 本 図 書 センター,<br />
1994)p.200<br />
(96) 同 上<br />
(97) チョウ, レイ『ディアスポラの 知 識 人 』 本 橋 哲 也 訳 ( 東 京 : 青 土 社 , 1998)p.33<br />
(98) 同 上 p.46<br />
(99) 外 山 卯 三 郎 『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)p.158<br />
(100) 堀 口 大 学 訳 / 編 『ボードレール 詩 集 』( 東 京 : 新 潮 社 , 1948)p.163. ボードレール 自 身<br />
によって 編 纂 されたものではなく、 堀 口 大 学 による 抜 粋 および 翻 訳 。<br />
(101) 外 山 卯 三 郎 『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研<br />
究 』( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)p.158<br />
<br />
< 日 本 語 文 献 ><br />
伊 藤 信 吉 他 編 『 現 代 詩 鑑 賞 講 座 』 第 1 巻 ( 東 京 : 角 川 書 店 , 1969)<br />
『 英 語 研 究 』 編 集 部 編 『 英 語 研 究 の70 年 :もう 一 つの 日 本 英 学 史 1908-1975 論 文 ・ 復 刻 』( 東<br />
京 : 研 究 社 , 1975)<br />
江 淵 一 公 編 『トランスカルチュラリズムの 研 究 』( 東 京 : 明 石 書 店 , 1998)<br />
亀 井 俊 介 『 近 代 文 学 におけるホイットマンの 運 命 』( 東 京 : 研 究 社 , 1970)<br />
亀 井 俊 介 編 / 解 説 『ヨネ・ノグチの 英 文 著 作 』( 東 京 : Edition Synapse, 2007)<br />
川 路 柳 虹 「 一 詩 人 への 尊 敬 」 読 売 新 聞 1926 年 2 月 8 日 朝 刊 4 面<br />
近 藤 史 人 『 藤 田 嗣 治 「 異 邦 人 の 生 涯 」』( 東 京 : 講 談 社 , 2006)<br />
佐 伯 彰 一 , 松 本 健 一 監 修 『 作 家 の 自 伝 13 金 子 光 晴 』( 東 京 : 日 本 図 書 センター, 1994)<br />
高 井 蒼 風 『 英 詩 人 ヨネ・ 野 口 の 栄 光 :その 英 米 における 遍 歴 苦 闘 の 秘 録 』( 東 京 : 紀 尾 井 書<br />
房 , 1985)<br />
チョウ, レイ 『ディアスポラの 知 識 人 』 本 橋 哲 也 訳 ( 東 京 : 青 土 社 , 1998)
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 117<br />
ドウス 昌 代 『イサム・ノグチ— 宿 命 の 越 境 者 —』( 東 京 : 講 談 社 , 2003)<br />
外 山 卯 三 郎 編 『 詩 人 ヨネ・ノグチ 研 究 』 全 3 巻 ( 東 京 : 造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1963-1975)<br />
————.『 詩 人 ヨネ・ノグチの 詩 : その 「 日 本 語 詩 」の 成 立 に 関 する 芸 術 学 的 研 究 』( 東 京 :<br />
造 形 美 術 協 会 出 版 局 , 1966)<br />
野 口 米 次 郎 『 英 米 の 十 三 年 』( 東 京 : 第 一 書 房 , 1905)<br />
————. 『 二 重 国 籍 者 の 詩 』( 東 京 : 玄 文 社 , 1921)<br />
————. 『 野 口 米 次 郎 英 詩 選 集 』( 東 京 : アルス, 1922)<br />
————.『ポオ 評 伝 』( 東 京 : 第 一 書 房 , 1926); 『ポオ 評 伝 』( 東 京 : 研 究 社 , 1934); 『 野 口 米<br />
次 郎 選 集 3』( 東 京 : クレス 出 版 , 1998)<br />
————. 『 表 象 抒 情 詩 』 全 3 巻 ( 東 京 : 第 一 書 房 , 1925-1927)<br />
————. 「 私 の 発 想 に 就 て 一 岩 野 泡 鳴 君 に 答 ふ」 読 売 新 聞 1916 年 1 月 21 日 朝 刊 7 面<br />
野 口 米 次 郎 , 三 木 露 風 , 千 家 元 麿 , 日 夏 耿 之 介 『 現 代 日 本 文 学 全 集 73: 野 口 米 次 郎 , 三 木 露 風 ,<br />
千 家 元 麿 , 日 夏 耿 之 介 』( 東 京 : 筑 摩 書 房 , 1956)<br />
日 夏 耿 之 介 他 編 『 日 本 現 代 詩 大 系 』 第 6 巻 ( 東 京 : 河 出 書 房 , 1949)<br />
ボードレール, シャルル 『ボードレール 詩 集 』 堀 口 大 学 訳 / 編 ( 東 京 : 新 潮 社 , 1948)<br />
和 田 桂 子 「 野 口 米 次 郎 のロンドン(7)— 日 本 詩 歌 論 をめぐって—」『 大 阪 学 院 大 学 外 国 語 論<br />
集 』 第 40 号 ( 大 阪 学 院 大 学 外 国 語 学 会 : 第 40 号 , 1996)<br />
< 英 語 文 献 ><br />
Baym, Nina ed.. The Norton Anthology American Literature Shorter Fifth Edition (New York<br />
and London: W.W.Norton & Company, 1999).<br />
Blake, William. Songs of Innocence and of Experience (The Pennsylvania: Franclin Center,<br />
1980).<br />
Gioia, Dana; Mason, David; Schoerke, Meg eds.. Twentieth-Century American Poetry (Boston:<br />
McGraw-Hill Humanities/Social Sciences/Langua, 2003).<br />
Gould, Axelrod Steven; Roman, Camille; Travisano, Thomas eds.. The New Anthology of<br />
American Poetry: Modernism:1900-1950 (New Jersey: Rutgers University Press, 2005).<br />
Hass, Robert ed.. American Poetry: The Twentieth Century : Henry Adams to Dorothy Parker<br />
(New York: Library of America, 2000).<br />
Kale, Tessa ed.. The Columbia Granger's Index to Poetry in Anthologies (New York: Columbia<br />
University Press, 2007).<br />
Kamei, Shunsuke. Yone Noguchi, an English Poet of Japan: an Essay (Tokyo: The Yone<br />
Noguchi Society, 1965).<br />
Lawrence, D.H.. The Letters of D. H. Lawrence. Boulton, Jamaes T. ed. (Cambridge and New<br />
York: Cambridge University Press, 1979-2000).<br />
Noguchi, Yone. Yone Noguchi Collected English Letters. Atsumi, Ikuko. ed. (Tokyo: The Yone
118<br />
Noguchi Society, 1975).<br />
———— . Collection of Letters and Papers from Yone Noguchi (University of California,<br />
Berkeley, Bancroft Library [BANC MSS C-H 127. and 78/125. 2]).<br />
———— . From The Eastern Sea. (3 rd ed.) Kamei, Shunsuke ed. Collected English Works of<br />
Yone Noguchi Poems, Novels and Literary Essays (Tokyo: Edition Synapse, 2007). pp.95-<br />
162 (pp.1-67).<br />
———— . The Pilgrimage. Kamei, Shunsuke. ed. Collected English Works of Yone Noguchi<br />
Poems, Novels and Literary Essays (Tokyo: Edition Synapse, 2007). pp.1-68 (pp.1-68).<br />
————. Seen and Unseen, or, Monologues of a Homeless Snail (1 st ed.) Kamei, Shunsuke. ed.<br />
Collected English Works of Yone Noguchi Poems, Novels and Literary Essays (Tokyo:<br />
Edition Synapse, 2007). pp.1-51 (pp.1-51).<br />
————. Selected English Writings of Yone Noguchi, an East-West Literary Assimilation vol.1:<br />
Poetry. Hakutani, Yoshinobu. ed (London and Toronto: Associated University<br />
Presses, Inc., 1990).<br />
———— . The Spirit of Japanese Poetry : Wisdom of the East (New York: E.P. Duttom and<br />
Company, 1914).<br />
Unknown “Noguchi Yone “( New York; New York Times. July 15, 1947)<br />
Whitman, Walt. “Crossing Brooklyn Ferry,” The Norton Anthology American Literature<br />
Shorter Fifth Edition. Baym, Nina. ed. (New York: W.W. Norton & Company, 1999).<br />
p.1036.
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 119<br />
The Fate of “L’Etranger” in Modern Japan<br />
Toward a Re-evaluation of Yone Noguchi <br />
HOSHINO, Ayako<br />
Yone Noguchi ( 野 口 米 次 郎 :1875-1947), the father of well-known sculptor<br />
Isamu Noguchi, was the first Japanese to publish English poetry books in both<br />
the United States and England. He wrote not only about 184 books both in<br />
English and Japanese, but also hundreds of articles for newspapers and<br />
magazines published both in and outside of Japan. Twenty-four of his works are<br />
known as poetry books today while the rest tend to reflect on Japanese culture<br />
(such as art, Ukiyoe, Noh, Haiku, and life of the Japanese) and the ways he chose<br />
to expose it to the West, as well as various aspects of western culture that he<br />
explained to the Japanese, based on his ten years of life spent in England and the<br />
United States. When he passed away on July 13, 1947, obituaries were written in<br />
not only Japanese newspapers, but also noted in The New York Times.<br />
As many internationally recognized records as Noguchi has, almost nothing<br />
about Noguchi is widely known today in Japan, and only a few scholars have<br />
studied just limited areas of his life. The gap we see between his incredibly<br />
brilliant records and his being practically forgotten is immense.<br />
The biggest reason seems to be attributed to a prelude poem of his first<br />
Japanese poetry book Niju Kokusekisha No Shi (Poetry of the Dual Citizenship<br />
Holder) published in 1921. In the poem, he wrote that he was not confident in<br />
either English or Japanese. He could not be only Japanese nor only western and<br />
felt stuck in between the two cultures while not able to define himself clearly.<br />
Perhaps he wanted to express his humbleness and self-derision on the surface of
120<br />
the poem while also wanting to show the greatness of living in two languages<br />
and cultures as a poet. However, Sakutaro Hagiwara (Japanese poet) read this<br />
poetry very literally and thus only received the surface level meaning and<br />
unfortunately, following this, many other Japanese poets and literary critics<br />
followed. The prelude poetry turned out to be self-destruction. Since then,<br />
almost none of Noguchi’s actual poems have been criticized or discussed; only<br />
the prelude poem of Niju Kokusekisha No Shi. It seems as if Noguchi determined<br />
his own fate. In this sense, the poem has been a very significant fact in his life as<br />
a poet.<br />
Since he started writing poems with poet Joaquin Miller in California’s Bay<br />
Area where the Bohemian Club was very active, he became friends and<br />
exchanged influences with those that have solid and highly reputable positions<br />
in today’s history of both American and English literature, such as W.B.Yeats,<br />
William Michael Rossetti, and Arthur Ransome. While the English literary world<br />
were known to cling strongly to their long history and profound traditions, they<br />
still graciously accepted this Japanese young man, Noguchi, who had neither<br />
status nor reputation, but merely wrote poetry in their language. The English<br />
literary world generously said that their concern was not regarding Noguchi’s<br />
nationality, but his conception of the poet. His achievement is simply<br />
extraordinary; therefore, Noguchi never deserves the level of ignorance<br />
currently existing within the Japanese literary world.<br />
Japan, while on one hand very rapidly after the Meiji restoration tried to<br />
become westernized, at the same time has always maintained the phenomenon<br />
of clinging to “Japaneseness”. Therefore, Japan as a whole was not ready to<br />
accept or evaluate Japanese people who had international careers. As Isamu<br />
later admitted, Noguchi was too ahead of his time. Even though he lived in his<br />
own country, he was always isolated and existed as “L’Etranger.”
近 代 日 本 における、ある 異 邦 人 の 宿 命 121<br />
In today’s globalizing world, there are a number of people who have lives<br />
similar to Noguchi’s. The number of people who leave their country and make<br />
another country their second home while creating a third culture from their first<br />
and second cultures, continues to grow. From this, studying Noguchi and reevaluating<br />
his life is becoming more important than ever before.