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近代日本における、ある異邦人の宿命 - subsite

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84<br />

1920 年 春 、 アメリカのジェームズ・ ポンド(James Pond, The Pond Lyceum<br />

Bureau)に 招 待 され、 全 米 の 各 大 学 で 日 本 の 詩 歌 についての 講 義 をして 廻 り、<br />

アメリカでさらに 詩 人 としての 知 名 度 を 上 げたノグチは、1924 年 のアメリカ 詩<br />

のアンソロジー『ニュー・ポエトリー(The New Poetry)』にタゴールと 並 んで<br />

作 品 が 収 めれらた、たった 二 名 のアジア 人 であった (30) 。1935 年 にはインドへ 渡<br />

り、 同 様 にいくつかの 大 学 で 講 義 をしている。ノグチのこのような 業 績 が、キャ<br />

ノンに 含 まれる 内 容 が 変 わり 続 けているアメリカにおいて 見 直 されたのか、<br />

2000 年 に 入 ってからいくつかの 米 詩 アンソロジーに、 日 系 アメリカ 人 でもない<br />

にもかかわらず、ノグチの 詩 が 含 まれているのである (31) 。イェイツやパウンド<br />

との 交 流 があったことから、ノグチがイマジズム(Imagism)において 重 要 な 働<br />

きをしたというのは 注 目 すべき 点 である。 英 米 にて、これほどに 活 躍 していた 日<br />

本 人 は、 他 に 類 を 見 ないだけに、 日 本 文 壇 に 見 られる 軽 視 は、ノグチに 対 する 正<br />

統 な 評 価 の 欠 如 を 物 語 っている。<br />

ノグチの 生 前 、その 生 き 方 に 理 解 を 寄 せたのは、 数 人 経 験 を 有 する 芸 術 家 たち<br />

だった。 詩 人 の 金 子 光 晴 (1895-1975)はフランスを 中 心 に 海 外 へ 訪 問 ・ 滞 在 し<br />

た 詩 人 だが、ノグチが 理 解 されていないのは、 藤 田 嗣 治 (1886-1968)がフラン<br />

スで 成 功 したために 日 本 の 画 家 たちからボイコットされたように、「 日 本 人 の 偏<br />

狭 さの 故 かもしれない」 (32) と 指 摘 している。 藤 田 嗣 治 も、ノグチのように、 青<br />

年 時 代 に 単 身 国 外 (フランス)へ 出 た。 売 れない 画 家 として 経 済 的 に 苦 労 を 重 ね<br />

た 時 代 を 経 て、 次 第 にパリの 画 家 たちに 認 められていった。その 後 帰 国 したが、<br />

第 二 次 世 界 大 戦 中 に 戦 争 画 を 書 いたとして 批 判 を 浴 びるようになる。やがて 戦 後<br />

の 日 本 を 後 にし、フランスでその 生 涯 を 終 えたが、1969 年 、 藤 田 嗣 治 の 死 後<br />

二 ヶ 月 後 に、 日 本 政 府 は、 勲 一 等 瑞 宝 章 を 追 贈 した。 国 際 人 であった 藤 田 関 係 の<br />

書 籍 の 多 くは 現 在 、 東 京 上 野 の 国 立 西 洋 美 術 館 のギャラリーに、 他 の 西 洋 人 芸 術<br />

家 たちの 書 籍 と 共 に 並 んでいるが、このように 日 本 で 受 け 入 れられるまでに 随 分<br />

長 い 時 間 を 要 し、しかも 本 人 が 死 後 のことであった。 同 じく 詩 人 でフランスで 数<br />

年 を 過 ごした 川 路 柳 虹 も、「 野 口 氏 の 地 位 は 世 界 的 に 認 められていいのである。

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