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Ⅰ <strong>関西大学</strong>の建学理念<br />
1 関西法律学校の創立から旧制大学の時代<br />
○発祥と「正義と自由」の学風<br />
明治維新以来、わが国はしきりに欧米の新しい文物を輸入して近代国家への発展を急ぎ、法<br />
治国家としての体制を整えるため諸般の法律を制定したが、それとともに、法律についての国<br />
民大衆に対する教育の必要を痛感してきた。<br />
当時、大阪で言論活動を展開していた自由民権の活動家吉田一士は、時代の要求を敏感に読<br />
み取り、大阪控訴院長児島惟謙らの後援を得て、小倉久・鶴見守義とともに井上操・堀田正<br />
忠・志方鍛・手塚太郎ら若い司法官たちに働きかけ、関西最初の法律学校を設立することを計<br />
画した。<br />
こうして関西法律学校は、1886(明治19)年11月 4 日、大阪西区京町堀の願宗寺という一寺<br />
院を仮校舎として開校した。これが、わが<strong>関西大学</strong>の前身であり、関西における最初の法律学<br />
校であった。創立者たちは「法律が市民のものであり、市民は法律によってみずからを守るべ<br />
きである」ことを教えた。そこに正義と自由を愛する本学の学風が生まれた。<br />
○教学優先の学是<br />
関西法律学校の創立に深く関与した児島惟謙は、当時の同校関係者に「それぞれの職分と責<br />
任を明確にして、互いに干渉してはならぬ」と忠告した。これは今も教学と経営が干渉せず、<br />
相互に尊重しあう理念として継承されている。<br />
〔1888(明治21)年 児島惟謙書簡〕<br />
○学の実 じつ<br />
化 げ<br />
旧制大学令による大学への昇格をめざして充実・整備をはかろうとした<strong>関西大学</strong>は、総理事<br />
に山岡順太郎(関西財界の重鎮)を迎えた。山岡は「学理と実際との調和」「国際的精神の涵<br />
養」「外国語学習の必要」「体育の奨励」を提唱し、「学の実化」を説いた。この理念は、学歌に<br />
も歌われ、今日では<strong>関西大学</strong>の「学是」となっている。<br />
学理と実際との調和<br />
総理事 山岡順太郎談<br />
(前略)然らば本大学はこの意味に於ての特色を奈辺に求むべきであるか。本大学が拠つて以<br />
て立つ所の綱領如何。之に関する私見の一端を披瀝すれば次の如くである。<br />
凡そ今日の教育状態を通観するに、中等学校にせよ大学専門学校にせよ何れも実際社会の情<br />
況と余りにかけ離れた教育が施されてゐる様に思はれる。学校が学問を研究する所であるとい<br />
ふことに就ては勿論異論はないが、学校特に大学が単に研学の府であり学者養成の機関でのみ<br />
あるとの見解は余りにその社会的価値を没却した考方ではあるまいか。成程大学は学者を作る<br />
所でもあるが併しそこを出て学者として立つ人物は極めて少数にしか過ぎない。寧ろその大部<br />
分が実社会に出て活動する人物を以て占められてゐることは争はれぬ事実である。然るに今日<br />
の我国教育界の実情を見るに依然として前述の如き見解が普く行き渡つてゐることを裏書する<br />
如き事実が多々見出されるのである。即ち中等学校より大学専門学校に至るまでよし学校に於<br />
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